数学的概念の理解に関する背景的・根源的要素についての研究

数学的概念の理解に関する背景的・根源的要素についての研究
〜 文字式の理解過程を中心にして 〜
教科・領域教育専攻
自然系コース(数学)
古 川 真 哉
1.本論文の動機と目的
数学的概念を,その有用性とともに実感を伴
移行には 単なる 数や式から文字への置き換
って理解することや使いこなせるようになるこ
えではなく,生徒にとってみれば大きな壁が存
とは重要である。特に,その表現方法の1つで
在するものと考えることができ,そこに文字式
ある文字式の理解はその鍵である。文字式は数
理解の背景的・根源的要素に着目する必要性が
や式からの一般化であり,抽象である。したが
あることを指摘した。
って,文字式の指導においては数や式の理解を
そこで第2章では,平林(1987)の「命題の体
背景として文字式が導入されている。しかし,
系と表記の体系」の数学の2つの側面から文字
数や式を十分に理解できるようにみえる生徒で
式理解を捉え直すことを試みた。文字式理解の
も文字式を理解できるとは限らない。文字式理
背景的・根源的要素にもこの2つの側面があり,
解には数や式の理解を含め,もっと根源的な要
特に,表記の理解が先にあるべきではなく,表
素があるのではないかと考える。これが本論文
記の対象となる命題の理解が先にあり,理解し
の動機である。
た命題をよりよく表現する手段として表記を理
本論文ではこのような要素を,数学的概念,
解する必要があるということを述べた。次に,
特に「文字式理解の背景的・根源的要素」と呼
Herscovics&Bergeron(1988)の理解の二層モ
び,それらの解明と,そこから文字式指導を改
デルを考察した。二層モデルは生徒の実際的な
善するための示唆を得ることを目的とする。
理解を物理的概念および数学的概念の二層から
2.本論文の概要
捉えることができる枠組みであり,文字式理解
第1章では「理解」について考察し,文字式
の背景的・根源的要素を捉える枠組みとしても
理解を捉えるために文字式に関する歴史的背景,
有効であった。表記としての文字式理解は二層
および文字式理解に関する先行研究を概観した。
モデルでいう形式化として捉えることができ,
文字式はある側面では意味を捨象でき,形式的
形式化に至る過程を命題の体系の理解と捉える
な機械操作で数学的処理が可能で,思考を発展
ことができる。これにより,文字式理解の背景
させる優れた数学的表記(道具)である。一方で,
的・根源的要素とは数や式の理解を含め,二層
学校数学の立場では,文字式使用の際には単な
モデルでいう物理的概念をも含めた数学的概念
る形式的処理に終始しないよう,意味や目的に
の理解であると捉えることができ,文字式は理
留意した指導を心がけるべきである。中学校数
解した数学的概念を形式的に表現するための表
学の文字式指導において,数や式から文字への
記として捉えることができる。また,生徒が文
概
要
字式を理解するために背景的・根源的要素をど
次に,文字式を「読む」過程において Sfard
のように取り入れるべきであるかを三輪(1996)
の観点を用いて生徒が文字式理解をどのように
の文字式利用の図式から探った。その中で特に
発展させうるかを分析し,その可能性について
「表す」
「読む」過程に焦点をあて,文字式理解
考察した。生徒は文字式2(m+n)+1を解
の背景的・根源的要素を取り入れることとした。
釈する場面においてはじめは操作的な見方で扱
第3章では,文字式理解の背景的・根源的要
っていた文字式に対して,その解釈を深めなが
素を積極的に取り入れることが生徒の文字式の
ら,次に利用する場面ではその文字式自体を対
理解過程にどのような効果をもたらすかを明ら
象として扱う構造的な見方が次第に備わってい
かにするために計画・実施した実験授業とその
く様子がみられた。これは,生徒がスパイラル
分析結果について述べた。単元は『中学校2学
的に文字式理解を深化させうる可能性を示唆し
年,文字式を利用した説明』を取り上げ,中で
ており,この背景にも論理-物理的抽象が機能し
も偶数や奇数に関する内容に焦点をあてた。
ていることが明らかになった。
まず,理解の二層モデルを用いて生徒の物理
また,生徒は偶数を「2でわれるもの」とい
的概念を確認した。生徒は偶数や奇数に関して
う概念で考えた場合にはm/2と表す傾向があ
物理的概念を有していたが,数学的には「2で
る。これは命題の体系と表記の体系とが一致し
われる数」という手続き的な理解が強い傾向に
ない場面である。単に表すだけでなく,その表
あった。そこで,マグネットを用いた物理的表
したものが自分が表したいものをきちんと表現
現と数式表現とを関連付けながら数値を徐々に
できているかどうかという チェックする能力
大きくする一般化のプロセスを経た。その結果
が必要である。
生徒は偶数を(*)×2とする数学的一般化を
本論文の主要な結論は次の2点である。
実現し,偶数をよりよく表現するための手段と
①論理‑物理的抽象は文字式理解において有
して生徒が自ら□×2という記号的表現を創
効な背景的・根源的要素を構成する,とい
出した。この表現にクラスの生徒が「いいねぇ」
うこと
と共感したことは文字式の実感を伴った理解が
②その指導にあたっては,文字式が数学的概
実現したことを示している。この場面で重要な
念をよりよく表現するための数学的表記
役割を果たしたものが論理-物理的抽象の理解
(道具)であることを意識し,表現の対象と
であった。生徒は物理的に抽象された理解や言
なる‑命題の体系としての‑数学的概念の理
語的に抽象された理解という論理-物理的抽象
解を発達させることが不可欠である,とい
を背景にもちながら,数学的概念を一般的な記
うこと
号的表現を用いて表そうと試みた。これは生徒
また今後,論理-物理的抽象の可能性について
が物理的表現や数式的表現から言語的表現を介
実証的に検証するとともに,文字式の適切な使
しながら一般的な記号的表現へと翻訳すること
用においては チェックする能力 が重要であ
ができたことを示している。論理-物理的抽象は
り,この指導法の開発は今後の課題である。
数式表現や中間的表現から一般的な記号的表現
への翻訳の仲介的役割を果たしたと考えること
指導:岩崎 浩
ができる。
概
要