数学学習に困難を示す生徒の理解過程に関する実践的研究

数学学習に困難を示す生徒の理解過程に関する実践的研究
教科・領域教育専攻
自然系コース(数学)
滝
1
本論文の動機と目的
澤
豊
践に基づいて,一人一人の子どもには,それぞ
筆者は中学校現場で,数学が苦手,意欲がわ
れ納得世界があり,これが,課題状況に応じて
かない,成績が振るわないという悪循環に陥っ
活性化され自発的に喚起されることで,相互に
た生徒によく出会った。しかし,このような数
結びつき強固になり拡大するとしている。杜威
学の学習に困難を示す生徒は,一体どのような
(1991)は,文字式の学習における生徒の認知構
数学の理解の仕方をしているのかということに
造に焦点を当て,誤った考えを修正する指導法
ついて十分に理解していないままに一様に個別
について,また, Linchevski&Herscovics( 1996)
指導をしてきたように思う。数学学習に困難を
は方程式での計算を通して未知数を自発的に操
示す生徒には,そうではない生徒とは異なる独
作できないという認知的ギャップの克服方法を
自の理解過程があるのではないだろうか。もし
示している。これらの先行研究から,学習に困
そうなら,これまでの数学指導は根本的に改善
難を示す生徒の理解を図る上で考慮すべき点
しなければならない。これが本研究の動機であ
は,方程式特有の理解にかかわる知見を参照し
る。一般に学習に困難を示す生徒は,形式的な
ながら,理解の核となりうる「自分が身近に分
操作を行っている姿が目立つ。本研究の目的は,
かっていること」に,学習に必要な新しい知識
方程式を学習の対象とし,そのような生徒を自
を結びつけることであると示唆される。
律的で意味の伴った理解へと導くことをねらい
第2章では,学習に困難を示す生徒の自律的
とした個別指導の実践を通して,数学学習に困
で意味の伴う理解を図る個別指導のあり方につ
難を示す生徒の理解過程をよりよく理解するこ
いて検討した。小高(1992),C.カミイ(1985),
とであり,数学学習に困難を示す生徒への指導
市川(1998)からは,自律する姿を自力で学び取
の在り方についての示唆を得ることである。
る,自分自身で判断する,学習する意義を知っ
2
ていることと具体的に捉えている点など,主に
本論文の概要
第1章では,学習に困難を示す生徒の理解を
心情面における知見を得た。本研究では自律す
理解するための基礎として,主に,数学学習に
る学習の姿を,自分の考えに基づいて学習を進
おいて自律的で意味を伴った理解とはどういう
めること,および,自分の学習の姿を振り返る
ことか,特に,方程式特有の理解とは何かを考
ことができる姿と定義した。市川(1993)は,認
察した。西林(1994)は,接続用知識を介して知
知心理学を背景に学習者の認知的な問題を改善
識が結びつくことでより深い理解が得られるこ
する方法として認知カウンセリングを提唱して
とを示し,佐伯(1989)は,Lampert(1986)の実
いる。筆者は,自分自身の学習を振り返り,自
己理解を促す技法として用いる「教訓帰納」に
きないという姿が見られた。しかし,代入して
注目した。松屋(2002)は,算数を苦手とする児
解を求める,移項の有効性を知り,文字の項の
童との個別指導を通して,その子のできること
移項を正しくできるということを獲得しなが
から始めることの重要さを指摘している。以上
ら ,「解をもとの式に代入して確かめる」こと
の先行研究から本研究で行う個別指導の立場と
が竹井にとって方程式の解決のための核となっ
して次の3点を設定した。
ていった。
①何かを教えるというよりも生徒の思考や理解
を理解するための指導を行う。
②自律を促すために,正しいかどうかの判断を
生徒に委譲する。
③方程式に関わる本質的なもので,生徒がよく
第4章では,第3章で捉えた竹井の姿から,
その変容をもたらした要素について考察した。
竹井は,絵を用いた操作を通して代入計算を意
味を伴って理解する。そして,入力−出力とし
ての等号の理解を両辺が等値であることを意味
分かる領域を作り,それを発展させる。
するものとして発展させ,さらには,方程式の
第3章では,個別指導の実践と主にそこでの
解は文字xに代入して左辺と右辺が等値になる
生徒の理解の変化の様子を記述した。個別指導
ものであることを意味を伴って理解する。これ
の対象生徒は,中学2年女子生徒竹井(仮名)で,
を契機として,解の確かめを行うことができる
個別指導は平成14年6月5日から平成15年
自分の解法に自信を持ち,誤りを見つけた時に
8月4日までの約1年間(計30回)にわたり
は自ら自分の解答を振り返るという自律的な姿
行った。個別指導は生徒と指導者(筆者)が1
が頻繁に見られるようになる。この結果から,
対1で行った。この様子は VTR で記録し,後
「解をもとの式に代入して確かめる」ことが方
に,これをもとに詳細な筆記録を作成した。本
程式の学習の自律的な理解の核となることが明
研究における個別指導は,特定の理論を検証す
らかとなった。竹井は,移項の意味の正しさと
るために,あらかじめ計画された方法で進める
その有効性を「解をもとの式に代入して確かめ
というよりも,むしろ実践を行い,その様子を
る」ことを核として間接的にではあるが確信す
フィールドノートに記録して反省的に検討し,
ることができたのである。同時に,この方法は,
さらに実践を行うというものであった。反省的
代案となる方程式の指導法へと発展させる可能
検討においては,竹井の理解状況を理解するこ
性をも示唆している。
とに努め,竹井が本当にできること・わかるこ
生徒のわかるところ・できるところを発展さ
との土台を構成することも視野に入れながら,
せ,それを核として新たな学習内容との相互構
これをもとに,学習を発展させるための指導内
成を図る個別指導を展開することが,数学学習
容の検討を図った。分析は,主に,これらの指
に困難を示す生徒を自律的で意味を伴った数学
導を通して認められた変化を特定し,その変化
学習へと向かわせることができるということが
を中心として,竹井の方程式の理解の発展過程
本論文の結論である。この結論を更なる個別指
を構造的に捉えることを試みた。最初は,竹井
導を通して検討することは今後の課題である。
は方程式を基本的で典型的な手順で操作的に解
く姿が見られた。また,解の正当性を述べるこ
とができない,右辺の文字の項を正しく移項で
指導
岩崎
浩
岡崎正和