は じめに 日頃通ってい るスポー ツジムで「ポイス トレーニング講座 」に参加 したことか ら又昔のように歌を歌 いた くなりました。高校時代には声楽 と合唱に熱中 していたとは言うものの、以来半世紀以上全 くの空 白、 レパー トリが全然あ りません。 何 を歌おうか と探 しているうちに、偶 々最近発売 されたディー トリヒ 。フィッシャー =デ ィースカウ の CD21枚 組 のシューベル ト歌曲集を聴 いて、 (有 名な『冬 の旅』 とはまた一味違 う、 )そ の明るさ、楽 天性 と庶民性にす っか り魅了されました。 機会あるたびにあちこちで色 々歌 ったのですが、聴衆 (主 としてお婆ちゃま達)が す ご くか しこまっ て、例 えば滑稽 な歌や多少艶っぽい歌で も「 くらしっ く―」とい う感 じで (正 座 して)聴 いておられる のが大変気の毒 になってきました。 何 とかもっと気楽に、歌詞の内容に クスクス笑 った り、 「 シューベ ル トっておっちょこちょいの若者ね」 などと彼の実像 に親 しみを感 じ、 もっと好 きになって貰えないか と、 日本語で歌 うことを思いつ き、訳 詞を作って歌 っては直 し、歌っては直 しを繰 り返す うち、 いつ しか 日本語訳詞付 きの曲が 70由 にもな りました。 そ こで 自分で歌 うだけではなく、この楽 しみを皆様 と共有 できればと考え、 カワイ出版に相談 して今 回の出版に至 りました (曲 数は更に増えて今では 140曲 にも │)。 ここで少 しだけ理屈を言わせて頂 くと、シューベル トの歌曲の殆 どは、 ドイッ語で書かれ或いは ドイツ 語に翻訳された詩に後からメロディを割付けるとい う形で作 られてい ます。従 って、歌詞個 々の ドイツ語 の発音とメロディが一体 となって生 じる音響が、本来彼の意図する音楽の実体 です。私は日本語の歌詞を 作るにあたり、出来るだけ原詩の意味に忠実で、かつ 日本語 として優 しく歌いやすい歌にするよう心がけ た積 りです。それでも、日本語歌詞で歌った歌は少なくとも音響的には彼の意図する音楽とは別物です。 それでは何故 この本を作 つたので しょうか。理由は主に2つ あ ります。 一つ は、たとえ 日本語で もその歌を聴 くと自ずか らシューベル トの人とな りを、そしてその素本卜な魅 力を知 ることが出来ると思 うか らです。出来 るだけ多 くの人がこの歌 を聴 いてシューベ ル トをもっと もっと好 きになって欲 しいのです。 もう一つ は、高校生諸君が この本で シューベル ト歌曲を歌 い、その魅力にしびれ、やがて進学 して ド イツ語が読めるようになった ら是非本物の、原詩でのシューベル トを歌 うようになって欲 しい と願 うか らです。 川 瀬 崇 (注 ) ・ シューベ ル トの歌 曲は一般的に、平均 的 日本人が歌 うには音域がやや 高めですので、 この歌 曲集 はす べ て原 調 ではな くて、 一般 の高校生が 一番歌 いやす いであろ う中声用 に移調 して い ます:具 体的には 最高音が上 の「 ソ」迄 を限度 としてい ます。 ・ シューベル トの歌曲には「有節歌曲」つ まり同じメロデ ィーで1番 、2番 、…と続 くものが多いのですが、 これは元 の原詩が第 5節 、第 6節 … と延 々 と続 くものが多 いこ とに出来 します。 シューベル ト自身が適 当なところでカッ トしてい る例 もあ りますが、それで も5∼ 6番 まで続 くものが多 くあ ります。現代 の 演奏ではこれ を全部歌 うことは行われず歌手の判断で選択演奏 されてい ます。この歌曲集では、何番 を掲載するかは主にデイー トリヒ 。フィッシャー =デ イースカウの演奏に準拠 して決めています。特に 拘 った点として、シューベル トの死後に追加された歌調部分は意図的に除去しています。 ・ 原楽講の音符二つに対 して2音 (シ ラブル)以 上の日本語の歌詞をつけていることがあります。その場 合、本来の音符の後ろに小さな音符を書 いて 日本語で歌うときのリズム割 りを示 しています。
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