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中部学院大学・中部学院大学短期大学部卒業生の活躍を紹介する
PLUS
2012. SEPT
vol.
Paulownia とは中部学院のシンボルである「桐」の英語表記で、
かつては大学祭を「ポローニア祭」と呼び、学生に親しまれてきました。
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バイオリニスト 音楽療法士 社会福祉士
濱島 秀行
2001年度人間福祉学部人間福祉学科卒業
さん
2001年度 中部学院大学 人間福祉学部 人間福祉学科 卒業
バイオリニスト 音楽療法士 社会福祉士
は ま じ ま ひでゆき
濱島 秀行 さん
バイオリンの音色で笑顔を取り戻してほしい
音楽療法士と社会福祉士の資格を持つプロバイオリニストの濱島秀行さん。小さな演奏会から大きなス
テージまで年間 200 回を超える演奏会をこなす一方、音楽療法士として、末期がん患者や認知症の高齢者
らの自宅を訪れ、患者が笑顔を取り戻せるよう、患者に寄り添いながら演奏活動を続けています。また、
2012 年 8 月 18 日、岐阜市で開かれた「千の音色でつなぐ絆」チャリティーコンサートでは、東日本大震
災による津波に襲われた岩手県陸前高田市の流木やがれきから製作したバイオリンの奏者として登場。奇
跡の一本松が描かれたバイオリンを手に鎮魂の思いを込めて音色を奏でました(写真)。このコンサートは、
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のバイオリンを 1000 人が演奏するプロジェクトで、岐阜は全国に先駆けて開かれました。「バイオリ
ンは音色をゼロから作り出すので、奏者によって音の色があり、内面の鏡のような楽器」と話す濱島さん。
演奏を終えて「どのコンサートよりも緊張しましたが、責任を果たすことができました」と振り返りました。
東日本大震災による津波に襲われた岩手県陸前高田市の流
木から作られたバイオリンを演奏した濱島秀行さん=2012
年 8 月 18 日、岐阜市のグランヴェール岐山にて
した。認知症ケアについて研究されていた平林幹司
います。寝たきりの患者さんは、大好きな「荒城の月」
先生。卒業後は平林先生が院長を務めるクリニック
の演奏を聴き終わると、上半身を起こして拍手して
1979 年愛知県豊橋市生まれ。2002 年 3 月、中部学
で、音楽療法士として 5 年間勤務しました。クリニッ
感動を表現してくれました。ある患者さんは美空ひ
クでは、患者さんの送迎をはじめ、小説「二十四の瞳」
ばりさんのヒット曲「川の流れのように」を弾くと、
に登場する島の分教場を再現した 学校の教室 で、
顔が緩んで手を動かしたり声を出したり、いつもと
音楽療法を実践してきました。平林先生は口で多く
違った表情を見せてくれます。
院大学人間福祉学部卒業。在学中、平林幹司(故人)ゼ
ミに所属し、社会福祉士合格。卒業後、平林教授が院長
を務める平林クリニックに就職。岐阜県認定の音楽療法
士を取得。2006 年 7 月、バイオリン・フルート・ピアノ
で 構 成 さ れ る ア ン サ ン ブ ル ユ ニ ッ ト wing を 結 成。
のことを語りませんでしたが、患者や利用者の皆さ
2009 年、同クリニックを退職。バイオリニストとして
んをはじめ、人と接する時には「目線を合わせるこ
音楽活動を本格化させた。ジャンプ・高速回転しながら
の演奏や突然客席へ飛び込む演奏スタイルは、聴衆の心
を惹きつける。
『はまじまヴァイオリン教室』主宰。
音楽が人を元気付けることを
実践の場で体感
音楽療法士を目指そうと思ったのは高校生の時で
した。5 歳からバイオリンを始めましたが、ある時、
ピアノ奏者の母親とともに、老人ホームで唱歌や歌
謡曲などを演奏しました。バイオリンの音色を奏で
ると、利用者の皆さんの表情が和らいでいくのが分
と」「優しく声を掛けること」が大切であることを
現場で示されていました。日ごろも「患者が待って
これからの目標として、まず原点に帰り、大学時
ど自分のことより患者さんを優先していました。一
代から続けている施設や病院を回りたいと考えてい
人一人に対しての言葉も一つひとつがていねいで、
ます。音楽を通じて少しでも多くの人に元気になっ
やさしい表情で語りかけているのが印象的でした。
てもらいたいからです。また、東北に生の音楽を届
「優しい心と冷たい頭」という福祉マインドがにじ
み出ていて、今でも音楽活動の支えになっています。
音楽はお互いが元気になる
「幸せの相互作用」
転機が訪れたのは 26 歳の時。音楽療法士として
楽しいひと時を過ごされていました。「音楽ってす
勤務する傍ら、バイオリニストとして演奏活動をし
ごい力があるんだ」ということを肌で実感しました。
ていましたが、ある時、演奏を聴いていただいた岐
時を同じくして、全国に先駆けて「岐阜県音楽療法
阜のピアニストの方が声を掛けてくださいました。
研究所」が発足しました。音楽にかかわる仕事があ
働きかけのおかげで演奏活動は増え続けました。お
ることを知り、
「やりたいのはこれだ」と感じました。
客さんや患者さんからたくさんの笑顔とパワーをも
一方、両親が共働きで小さいころから祖父母と一
らう中で、音楽を通して交流している「幸せの相互
緒にいる時間が多く、おじいちゃん、おばあちゃん
作用」を感じ始めました。仕事との両立が難しくな
子でした。しかし、小学生のころ、祖父がアルツハ
り、恩師の他界も重なり、「自分の音楽の道で歩ん
イマー型認知症となり、自分のことをまったく理解
でいきたい」とプロの道へ進むことを決意しました。
もしれない」。福祉の専門性を深めたいと思い、岐
バイオリンは患者さんの 良薬
音楽は医療の限界を超える手段
阜県で福祉教育を実践している中部学院大学に進学
現在は、音楽活動とともに、医療法人かがやき総
を決めて、音楽療法士の道を目指しました。
合在宅医療クリニック(羽島郡岐南町)で音楽療法
「どうして」と怒りすら覚えました。「あの時に病気
のことを知っていたら、祖父との接し方は違ったか
恩師から学んだ
患者さんの目線に寄り添う姿勢
生の音楽を届け続けたい
いるから」と 1 日 20 件以上の訪問診療をこなすな
かりました。笑みを浮かべながら歌詞を口ずさみ、
できなくなりました。当時は病気のことは分からず、
音楽は心の安らぎ
を担当し、約 10 人の患者さんを月 2 回ほど、訪問
診療をしています。音楽療法はリラクゼーションの
ためだけではありません。医療の限界を超える手段
の一つとして、薬での治療が困難な人でも笑顔や元
大学在学中は、社会福祉士の合格を目指す中で、
気を取り戻してほしい−という思いを込めて取り組
生涯にわたる人生の恩師にめぐり会うことができま
んでいます。実際、現場では多くの奇跡が起こって
けていきたいと思っています。音楽は心の安らぎで
あり、豊かにします。音楽は、人々に笑顔を取り戻
したり、岐阜の街を元気にしたり、研究が進んでい
るものの解明されていない力を持っています。音楽
療法の魅力を少しでも多くの人に伝えていきたいと
思っています。
大学での出会いは生涯の宝
中部学院大学短期大学部 片桐 多恵子 学長
(中部学院大学副学長)
人間的にもバイオリニストとしても大きく
成長し、今回、特別の意味を持つバイオリン
プロジェクトの奏者の1人に選ばれました。
心にしみる演奏を本当にうれしく聴かせても
らいました。
彼の中で大学時代の恩師の存在は、ますま
す大きくなっていることを実感しました。物
腰の柔らかい優しい話し方、信念の通った謙
虚な態度は、平林先生を彷彿させるものがあ
ります。「教育は人なり」という至言の深さに
襟を正す思いです。