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コルシカ島の貿易

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世
界
[1 ]次 の 文 の [
A
史
]∼[
E
]には適当な民族名を書き、文中の下線部については[設問]に答えなさい。
現 在 確 認 さ れ て い る 最 古 の 人 類 は ア ウ ス ト ラ ロ ピ テ ク ス な ど の 猿 人 で 、 約 400万 年 前 に 出 現 し た と 考 え ら れ て い る 。 そ の 後 、
原 人 、 (a )旧 人 を 経 て 、 数 万 年 前 に 現 生 人 類 が 地 球 上 に 登 場 し た 。 約 1 万 年 前 に 西 ア ジ ア で 始 ま っ た と 考 え ら れ る (b )農 耕
・牧畜は人類史上革命的な出来事であり、これによって人類は文明をつくることが可能になった。
古 代 文 明 は ま ず オ リ エ ン ト に 成 立 し た 。 メ ソ ポ タ ミ ア で は 前 3000年 ご ろ に は [
A
]人の都市国家が多数形成された。
そ の 後 、 ア ッ カ ド 人 の 支 配 を 経 て 、 前 1800 年 ご ろ に は バ ビ ロ ン 第 一 王 朝 が (c )ハ ン ム ラ ビ 王 の と き に 最 盛 期 を 迎 え た 。 エ ジ
プ ト で は 前 3000年 ご ろ に 統 一 国 家 が つ く ら れ 、 以 後 、 古 王 国 ・ 中 王 国 ・ 新 王 国 の 3 時 代 に 約 30の 王 朝 が 交 替 し た 。 周 辺 民 族
の 侵 入 を ま ね い た 一 時 期 を の ぞ い て 国 内 の 統 一 が 保 た れ 、 (d )ピ ラ ミ ッ ド に 象 徴 さ れ る 強 大 な 権 力 を 持 っ た 王 が 支 配 し た 。
メソポタミアとエジプトにはさまれた小アジアから地中海東岸地域には多くの民族が興亡した。オリエントに初めて鉄器
をもたらした[
B
] 人 は 前 17世 紀 に 小 ア ジ ア に 大 帝 国 を 建 設 し て バ ビ ロ ン 第 一 王 朝 を 滅 ぼ し た 。 [
C
クスを中心に内陸の中継貿易に活躍し、フェニキア人は地中海貿易を独占した。パレスティナに定住した[
]人はダマス
D
]人は民
族的苦難を経験する中で一神教を信仰した。
前 7 世 紀 前 半 に オ リ エ ン ト は は じ め て 統 一 さ れ た が 、 そ れ は 短 期 間 に 終 わ り 、 (e )四 カ 国 が 分 立 し た 。 そ の 後 、 イ ン ド =
ヨーロッパ系の[
E
] 人 の ア ケ メ ネ ス 朝 が 約 200年 に わ た っ て オ リ エ ン ト を 支 配 し た 。
[ 設 問 ] 次 の ① ・ ② の 各 文 は 、 下 線 部 (a )∼ (e )の 事 項 に つ い て の 説 明 し た も の で あ る 。 そ れ ぞ れ の 正 誤 を 判 断 し 、 ① ・ ②
とも正しい場合は1を、①のみ正しい場合は2を、②のみ正しい場合は3を、①・②とも誤っている場合は4を書きなさい。
(a )
旧人
①
脳容積は現代の人類とかわらず、死者の埋葬など宗教的行為をおこなった。ネアンデルタール人が代表的な人類である。
②
骨角器をさかんに使用し、狩猟の成功をねがって、動物などの洞穴壁画をえがいた。
(b )
農耕・牧畜
①
初期の農法は雨水にたより、また肥料をほどこさなかったので、ひんぱんに耕地をかえなければならなかった。
②
野生動物の中から最初に家畜として飼われたのは、山羊・羊・牛・豚などであった。
(c )
ハンムラビ王
①
王は神の化身として専制的な政治を行い、全国土を所有し、全人民を支配した。
②
王が発布した「ハンムラビ法典」の刑法は復讐法の原則にたち、身分によって刑罰が違っていた。
(d )
ピラミッド
①
王の宮殿として造営されたもので、クフ王のピラミッドがその最大のものである。
②
古王国・中王国・新王国の各時代につくられたが、巨大なものは新王国時代に多くつくられた。
(e )
四カ国分立
①
リディア・メディア・新バビロニア(カルデア)・ミタンニの四カ国が分立した。
②
小アジア西南部のリディアでは前7世紀に世界最初の鋳造貨幣がつくられた。
[2 ]古 代 ギ リ シ ア ・ 古 代 ロ ー マ に 関 す る 以 下 の 文 章 Ⅰ ∼ Ⅲ を 読 み 、 設 問 に 答 え な さ い 。 な お 解 答 は 選 択 肢 か ら 1 つ 選 択 し 、
記号で答えなさい。
Ⅰ . ギ リ シ ア で は 、 前 9 世 紀 か ら 前 8 世 紀 ご ろ に 、 (a )ポ リ ス が 成 立 し た 。 そ の 後 の 商 工 業 の 発 達 に よ っ て 、 富 裕 な 平 民 が
あらわれ、[
A
]としてポリス防衛の主体となっていった。彼らは、貴族の政権独占に対して強い不満をもち、政治参
加 を 要 求 し た 。 ア テ ネ で は 、 平 民 は そ の 地 位 の 向 上 を 求 め て 争 う よ う に な り 、 そ れ を 背 景 に (b )さ ま ざ ま な 改 革 が 実 行 さ れ
た 。 前 5 世 紀 前 半 、 ア ケ メ ネ ス 朝 ペ ル シ ア が ギ リ シ ア 本 土 に 遠 征 し 、 (c )ペ ル シ ア 戦 争 が 始 ま っ た 。 こ の 戦 争 で は 、 ギ リ シ
アのポリスは連合して、ペルシア軍を撃退した。古代ギリシア人は、神々への信仰とは別に、自然や人間を探求しようとし
た。イオニア地方で自然哲学としてはじまった哲学では、万物の根源を水と考えた[
が輩出した。
- 1 -
B
]をはじめとして、多くの学者
問1
下 線 部 (a )に つ い て 述 べ た 次 の 文 の う ち 誤 り を 含 ま な い 文 を 選 べ 。
ア.ポリスの構成員である市民は貴族・平民・奴隷の3つの身分に分かれた。
イ.ポリスをつくったギリシア人はみずからをバルバロイ、他の人々をヘレネスとよんで区別した。
ウ.多くのポリスでは、人口の増加にともない、地中海・紅海沿岸の諸地域に植民市を建設した。
エ.スパルタでは、支配者のスパルタ人が隷農であるヘロットや劣格市民とされたペリオイコイを支配した。
問2
文中の[
A
ア.軽装歩兵
問3
]にあてはまる語句を次の中から選べ。
イ.軽装騎兵
ウ.重装歩兵
エ.重装騎兵
下 線 部 (b )に つ い て 述 べ た 文 の う ち 誤 り を 含 む 文 を 選 べ 。
ア.ドラコンは、慣習法を成文化し、貴族による法の独占をやぶった。
イ.ソロンは、市民が債務奴隷になることを禁止するとともに、市民の平等な政治参加を実現した。
ウ.ペイシストラトスは、非合法的に独裁権力をにぎり僭主となった。彼は平民に土地を分配するなどの改革を実行した。
エ.クレイステネスは、僭主の出現をふせぐために陶片追放の制度などをつくり、民主政の基礎を確立した。
問4
下 線 部 (c )に つ い て 述 べ た 次 の 文 の う ち 誤 り を 含 む 文 を 選 べ 。
ア.この戦争のきっかけとなったのは、イオニア植民市のペルシアに対する反乱である。
イ.サラミスの海戦では、ペリクレスの指導によって海軍を増強したアテネがペルシア海軍をやぶった。
ウ.アテネは、ペルシアの脅威に対抗するためデロス同盟を結成し、加盟ポリスへの支配を強めた。
エ.ペルシア戦争後、この戦争で活躍した無産市民の発言力が強まり、前5世紀なかばには徹底した民主政が実現した。
問5
文中の[
B
ア.タレース
]にあてはまる語句を次の中から選べ。
イ.ヘロドトス
ウ.アリストテレス
エ.ヘシオドス
Ⅱ.イタリア半島を南下したイタリア人の一派であるラテン人は、前7世紀までに都市国家を形成した。その都市国家の一
つであるローマでは、前6世紀に[
C
]人の王が追放され、貴族中心の共和政が始まった。一方、周辺の諸都市との抗
争 で ロ ー マ の 発 展 に 貢 献 し て い た 平 民 は 、 貴 族 と 対 立 し て 身 分 闘 争 を お こ し 、 (d )法 的 地 位 を 徐 々 に 向 上 さ せ て い っ た 。 そ
の 間 、 ロ ー マ の 対 外 発 展 も す す み 、 前 3 世 紀 前 半 に ロ ー マ は イ タ リ ア 半 島 を 統 一 し た 。 さ ら に (e )西 地 中 海 に 勢 力 を も っ て
いたカルタゴとポエニ戦争をたたかってこれを滅ぼし、またマケドニア・ギリシア・小アジアにも進出した。
問6
文中の[
C
ア.フェニキア
問7
]にあてはまる語句を次の中から選べ。
イ.ギリシア
ウ.エトルリア
エ.ケルト
下 線 部 (d )に つ い て 述 べ た 次 の 文 の う ち 誤 り を 含 む 文 を 選 べ 。
ア.平民の利益を保護する目的で護民官が設置された。
イ.最初の成文法である十二表法が制定され、貴族による法の独占がやぶられた。
ウ.リキニウス・セクスティウス法により執政官(統領)の一人が平民から選出されるようになった。
エ.ホルテンシウス法によって元老院の決議が国法と認められるようになった。
問8
下 線 部 (e )の 時 期 ( 前 2 世 紀 ∼ 前 1 世 紀 ) に つ い て 述 べ た 次 の 文 の う ち 誤 り を 含 む 文 を 選 べ 。
ア.中小土地所有農民の多くは、長い従軍生活によって疲弊して、土地を手ばなし無産市民となった。
イ.属州で富をたくわえた有力者は、無産市民を労働者として使役するラティフンディアを発展させた。
ウ.護民官となったグラックス兄弟は、大土地所有を制限し、土地を失った農民に土地を再配分しようとした。
エ.同盟市戦争によってイタリア半島の自由民にローマ市民権が与えられるようになった。
Ⅲ.2世紀なかばにローマ帝国の繁栄にはかげりがみえ、3世紀には、各地の軍団が皇帝を廃立する軍人皇帝時代となった。
多数の軍隊や役人を維持するために都市は重税を課されて衰え、内乱と疫病で人口も減少した。また、ゲルマン人やパルテ
ィア王国を滅ぼした[
D
] な ど の 侵 入 や 圧 迫 が あ い つ い だ 。 こ の よ う な 帝 国 の 危 機 に さ い し て 、 (f )皇 帝 に よ り ロ ー マ
帝国の再建が図られた。
問9
文中の[
D
]にあてはまる語句を次の中から選べ。
- 2 -
ア.ササン朝ペルシア
問 10
イ.エフタル
ウ.バクトリア
エ.セレウコス朝シリア
下 線 部 (f )に つ い て 述 べ た 次 の 文 の う ち 誤 り を 含 む 文 を 選 べ 。
ア.ディオクレティアヌス帝は、二人の正帝と二人の副帝による四分統治をおこなった。
イ.ディオクレティアヌス帝は、ローマの神々や皇帝への礼拝をこばんでいたキリスト教徒を迫害した。
ウ.コンスタンティヌス帝は、東方のビザンティウムに遷都し、コンスタンティノープルと改称した。
エ.コンスタンティヌス帝は、キリスト教を国教に定め、他の宗教を禁じた。
[3 ]
次のA∼Eの文章を読み、下線部に関する設問に答えなさい。なお解答は選択肢から1つ選択し、記号で答えなさい。
A . フ ラ ン ク 王 国 は 、 (a )カ ー ル 大 帝 の 時 代 に 全 盛 期 を む か え た が 、 (b )870年 の 条 約 に よ っ て 3 つ の 地 域 に 分 裂 し た 。 こ
れがのちのフランス・ドイツ・イタリアの中核地域となっていく。
B . ノ ル マ ン 人 の 移 動 の 影 響 を う け て 、 9 世 紀 後 半 に (c )ロ シ ア の 起 源 と な る 国 が ド ニ エ プ ル 河 中 流 に つ く ら れ た 。 ま た ノ
ル マ ン 人 の 一 部 は 、 イ ス ラ ム 勢 力 と 対 決 し つ つ 12世 紀 は じ め に (d )地 中 海 に 進 出 し て 国 を つ く っ た 。
C . 11世 紀 末 に 始 ま っ た (e )十 字 軍 の 遠 征 は 、 最 終 的 に は 失 敗 に 終 わ り 、 ロ ー マ 教 皇 の 権 威 を 低 下 さ せ る こ と と な っ た 。 だ
が 一 方 で 、 イ ス ラ ム 文 化 の ヨ ー ロ ッ パ へ の 流 入 や 、 (f )ヨ ー ロ ッ パ 内 で の 遠 隔 地 商 業 の 活 性 化 を も た ら し た 。
D . 14世 紀 か ら 15世 紀 に か け て 、 イ ギ リ ス と フ ラ ン ス の 間 で 百 年 戦 争 が 戦 わ れ た 。 (g )イ ギ リ ス は 優 勢 に 戦 い を す す め て い
た が 、 (h )ジ ャ ン ヌ = ダ ル ク の 活 躍 な ど に よ っ て 最 終 的 に は フ ラ ン ス が 勝 利 を お さ め た 。
E . ド イ ツ で は 962 年 に 、 い わ ゆ る 「 神 聖 ロ ー マ 帝 国 」 が 成 立 し た が 、 (i )歴 代 の 皇 帝 の 権 力 は さ ほ ど 強 大 な も の で は な か
っ た 。 そ し て 13世 紀 後 半 の (j )大 空 位 時 代 以 降 は 、 諸 侯 の 分 立 は 決 定 的 な も の と な っ た 。
問1
下 線 部 (a )に 関 す る 説 明 と し て 、 次 の 中 か ら 正 し い も の を 選 べ 。
ア.彼の祖父カール=マルテルは、アッバース朝の軍勢をフランス中部で破った。
イ.彼の父ピピン3世は、フランク王国の宮宰であったが、メロヴィング朝を廃して、新たにカペー朝をひらいた。
ウ.彼は、教皇と対立していたロンバルド王国を倒し、東方ではアジア系のアヴァール人を撃退した。
エ . 800年 、 教 皇 レ オ 3 世 は 聖 職 叙 任 権 闘 争 へ の 援 助 を 期 待 し て 彼 に ロ ー マ 皇 帝 の 冠 を 与 え た 。
問2
下 線 部 (b )に つ い て
ア.メルセン
問3
イ.ヴェルダン
下 線 部 (c )に つ い て
ア.ザクセン公国
問4
ウ.アーヘン
下 線 部 (d )に つ い て
エ.パリ
具体的な国名はどれか。次の中から選べ。
イ.ノルマンディ公国
ア.サルデーニャ島
問5
この条約が結ばれた都市はどこか。次の中から選べ。
ウ.モスクワ公国
エ.キエフ公国
具体的にはイタリア半島南部と、ある島がその領土となった。島の名前を次の中から選べ。
イ.コルシカ島
ウ.キプロス島
エ.シチリア島
下 線 部 (e )に 関 す る 説 明 と し て 、 次 の 中 か ら 正 し い も の を 選 べ 。
ア.オスマン朝と対立していたビザンツ帝国が西ヨーロッパに援軍を求めてきた。教皇ウルバヌス2世は、これを教皇権
拡 大 の 好 機 と 考 え 、 1095年 の ク レ ル モ ン の 公 会 議 で 、 聖 地 イ ェ ル サ レ ム の 奪 回 を 呼 び か け た 。
イ . 1096年 、 多 数 の 諸 侯 ・ 騎 士 か ら な る 第 1 回 十 字 軍 は イ ェ ル サ レ ム を め ざ し て 出 発 し た 。 そ し て 10 99年 に 建 国 さ れ た ラ
テ ン 王 国 は 、 紆 余 曲 折 を へ な が ら も 約 200年 間 つ づ い た 。
ウ.十字軍の遠征も、回数を重ねるうちに初期の宗教的情熱は失われていった。なかでも第4回十字軍は、ビザンツ帝国
の首都コンスタンティノープルを占領し略奪を重ねた。
エ.十字軍の遠征には、西欧の外部への拡大運動という性格がある。その意味では、イベリア半島でのレコンキスタやド
イツ人のシベリア進出も同じ性格をもっているいえよう。
問6
下 線 部 (f )に つ い て
ア.ノヴゴロド
問7
12世 紀 か ら 13世 紀 に か け て ヨ ー ロ ッ パ の 南 北 を む す ぶ 大 市 が ひ ら か れ た 地 名 を 次 の 中 か ら 選 べ 。
イ.シャンパーニュ
下 線 部 (g )に つ い て
ウ.ロンドン
エ.コルドバ
次のなかで、百年戦争の時代のイギリスの説明として不適切なものはどれか、次の中から選べ。
ア.ウィクリフは、ローマ教皇権からのイギリスの政治的・宗教的独立をとき、英訳聖書を作成した。
イ.農民反乱の指導者ワット=タイラーは国王に、農奴制廃止を承認させたが、その直後に殺害された。
ウ.エドワード1世によって召集された身分制議会には州と都市の代表も参加し、模範議会と呼ばれた。
- 3 -
エ.プランタジネット朝が断絶し、のちのバラ戦争の遠因となった。
問8
下 線 部 (h )の 援 助 を 受 け て 百 年 戦 争 で 勝 利 を お さ め 、 フ ラ ン ス 王 権 の 拡 大 に 努 め た 国 王 は 誰 か 。 次 の 中 か ら 選 べ 。
ア.フィリップ2世
問9
イ.リチャード1世
ウ.ジョン
エ.シャルル7世
下 線 部 (i )の 一 例 と し て 1077 年 の カ ノ ッ サ 事 件 が あ げ ら れ よ う 。 こ の 事 件 に 関 係 す る 「 皇 帝 と ロ ー マ 教 皇 」 の 正 し い
組み合せを次の中から選べ。
ア . オ ッ ト ー 1 世 と ヨ ハ ン ネ ス 12世
イ.ハインリヒ4世とグレゴリウス7世
ウ.フリードリヒ2世とインノケンティウス3世
問 10
エ.フィリップ4世とボニファテイウス8世
下 線 部 (j )の 後 に 、 国 王 選 定 の 手 続 き と し て 発 布 さ れ た 文 書 は 何 か 。 次 の 中 か ら 選 べ 。
ア.金印勅書
イ.大憲章
ウ.ヴォルムス協約
エ.ローマ法大全
[4 ]次 の ル ネ サ ン ス ・ 宗 教 改 革 ・ 大 航 海 時 代 の 年 表 を 見 て 設 問 に 答 え な さ い 。
1394
ポルトガルの[
A
]航海王子が生まれる
1453
ビザンツ帝国が滅亡する
[
A
][
B
][
C
][
D
][
E
]に
適する人名・語句を答えなさい。
こ の こ ろ (a )イ タ リ ア ・ ル ネ サ ン ス が 本 格 化
1492
問1
問2
下 線 部 (a )に 関 す る 次 の 文 の 中 で 正 し い も の を 1 つ 選 べ 。
(b )コ ロ ン ブ ス が ア メ リ カ に 到 達 す る
ア.フィレンツェのフッガ−家は学芸の保護者として名高い。
こ れ 以 降 (c )大 航 海 時 代 が 本 格 化 す る
イ.ペトラルカは「デカメロン」の作者である.
1509
エラスムスが「[
ウ.ボッティチェリは「農民の踊り」を描いた。
1513
マキァヴェリが「[
1516
[
1517
ルターが宗教改革を始める
1521
[
1524
ド イ ツ 農 民 戦 争 が 始 ま る (∼
1533
[
1534
ヘンリー8世が[
B
う
え
あ
]」を著す
い
]」を著す
]が「ユートピア」を著す
エ.ラファエロは多くの「聖母子像」で知られる。
問3
下 線 部 (b )の 人 物 を 支 援 し た 国 の 名 を 記 せ 。
問4
下 線 部 (c )に 関 す る 次 の 文 の 中 で 正 し い も の を 1 つ 選 べ 。
]がアステカ王国を滅ぼす
ア.カブラルはブラジルに漂着した。
1525)
イ.バルボアはゴアやマラッカの攻略に活躍した。
]がインカ帝国を滅ぼす
C
ウ.マゼラン(マガリャエンス)は世界周航の途中モルッカ諸
]を発布する
島に到達した。
(d )イ エ ズ ス 会 が 創 設 さ れ る
エ.バルトロメウ=ディアスはインドに到達した。
1536
(e )カ ル ヴ ァ ン が 「 キ リ ス ト 教 網 要 」 を 著 す
1555
[
1559
(f )統 一 法 発 布
ア.愚神礼讃−カンタベリ物語
イ.愚神礼讃−君主論
1564
(g )ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ が 死 去 す る
ウ.随想録
エ.随想録
1615
[
D
E
問5
]の宗教和議
文中の空欄[
あ
]−[
い
]に入る語句の組み合わ
せとして正しいものを選べ。
]が「ドン=キホーテ」を著す
問6
−カンタベリ物語
文中の空欄[
う
]−[
え
−君主論
]に入る語句の組み合わ
せとして正しいものを選べ。
ア.コルテス−トスカネリ
イ.カボット−トスカネリ
ウ.コルテス−ピサロ
エ.カボット−ピサロ
問7
フ ラ ン シ ス コ = ザ ビ エ ル と と も に 下 線 部 (d )の 会 を 結 成 し た 中 心 人 物 の 名 を 記 せ 。
問8
下 線 部 (e )の 人 物 が 後 に 神 権 政 治 を 推 進 し た の は 、 ス イ ス の 何 と い う 都 市 に お い て で あ っ た か 、 都 市 名 を 記 せ 。
問9
下 線 部 (f )を 発 布 し た イ ギ リ ス 国 王 の 名 を 記 せ 。
問 10
次 の 作 品 の う ち で 、 下 線 部 (g )の 人 物 の も の で な い の を 1 つ 選 べ 。
ア.「ダヴィデ像」
イ.「ヴィーナスの誕生」
ウ.「夜警」
エ.「最後の晩餐」
[5 ]次 の (1 )∼ (5 )の 文 は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 絶 対 主 義 の 時 代 に 起 こ っ た 戦 争 に つ い て の 説 明 文 で あ る 。 こ れ を 読 ん で 設 問 に 答
えなさい。
(1 )1740 年 に オ ー ス ト リ ア の [
A
]がハプスブルク家の全領土を継承すると、バイエルン、フランス、プロイセンなど
が 異 議 を と な え て オ ー ス ト リ ア と 戦 っ た 。 同 じ 年 に 即 位 し た プ ロ イ セ ン の フ リ ー ド リ ヒ 2 世 は 、 資 源 の 豊 富 な (a ) オ ー ス ト
リ ア 領 (現 ポ ー ラ ン ド 領 )を 占 領 し 、 こ の 地 域 を プ ロ イ セ ン に 併 合 し た 。
(2 )フ ラ ン ス で は 16 世 紀 半 ば か ら カ ル ヴ ァ ン の 教 え を 信 じ る 新 教 徒 が 増 加 し 、 カ ト リ ッ ク 教 徒 と の 間 で 156 2年 か ら 宗 教 戦 争
- 4 -
が 発 生 し た 。 新 旧 両 派 の 戦 い は 30年 以 上 に も わ た っ た が 、 ブ ル ボ ン 家 か ら 即 位 し た 新 国 王 の [
B
]は、カトリックに改
宗 し た の ち ( b )新 教 徒 の 信 仰 を 認 め る 勅 令 を 出 し 、 こ の 戦 争 を 収 拾 し た 。
(3 )
神 聖 ロ ー マ 帝 国 で は 、 ボ ヘ ミ ア (ベ ー メ ン )で の 新 教 徒 の 反 乱 を 契 機 と す る 宗 教 的 内 乱 に 、 新 旧 両 派 を 援 助 す る 諸 国 が
介入し国際戦争に発展した。特にフランスの宰相[
C
]はハプスブルク家の勢力を弱めるために直接介入を始め新教徒
を 援 助 し た 。 (c )戦 争 が 終 結 し た 1648年 の 条 約 で は 神 聖 ロ ー マ 帝 国 の 政 治 的 分 裂 は 決 定 的 と な っ た 。
(4 )
西方への進出を目指すロシアの[
D
]は、デンマークやポーランドと手を結んで、バルト海に勢力を持っていた
北 欧 の 強 国 ス ウ ェ ー デ ン と 戦 っ た 。 20年 以 上 に わ た る 戦 い の 中 で 、 ロ シ ア は エ ス ト ニ ア な ど の バ ル ト 海 沿 岸 地 域 に 進 出 し 、
(d )バ ル ト 海 を 臨 む 新 し い 都 市 の 建 設 を 行 い 、 の ち に 首 都 を こ こ に 移 し た 。
(5 )
1700年 に ス ペ イ ン の ハ プ ス ブ ル ク 家 が 断 絶 す る と 、 血 縁 関 係 に あ っ た フ ラ ン ス と オ ー ス ト リ ア が 、 相 続 権 を め ぐ っ て
対 立 し 争 っ た 。 フ ラ ン ス の 勢 力 拡 大 を 恐 れ る イ ギ リ ス や オ ラ ン ダ も 加 わ り 、 (e )戦 争 を 終 結 さ せ た 1713 年 の 条 約 で は 、 フ ラ
ンス王[
E
]の孫の即位が認められたが、フランス・スペイン両国は領土の削減を余儀なくされた。
問1
(1 )∼ (5 )の 説 明 文 に 相 当 す る 戦 争 名 を 答 え な さ い 。
問2
(1 )∼ (5 )の 文 中 の 空 欄 [
問3
文 中 の 下 線 部 (a )∼ (e )に つ い て そ れ ぞ れ 答 え な さ い 。
A
]∼[
E
]に適する人名を答えなさい。
(a )こ の 地 域 の 名 称 を 答 え な さ い 。
(b )こ の 勅 令 の 名 称 を 答 え な さ い 。
(c )こ の 条 約 の 翌 年 に イ ギ リ ス で 処 刑 さ れ た 国 王 の 名 前 を 答 え な さ い 。
(d )こ の 都 市 の 名 称 を 答 え な さ い 。
(e )こ の 条 約 の 名 称 を 答 え な さ い 。
[6 ]次 の (1 )∼ (5 )の 各 文 の 文 中 の [
A
]∼[
E
] に 適 す る 語 句 を 答 え な さ い 。 ま た 、 各 文 の 下 線 部 (a ) ∼ ( d ) に
はどれか1つ誤りがある。解答欄の左側にその記号を、右側に正しい語句を書きなさい。
(1 )北 ア メ リ カ に 建 設 さ れ た イ ギ リ ス の 植 民 地 で は 自 治 が お こ な わ れ て い た が 、 本 国 イ ギ リ ス は (a )重 商 主 義 政 策 に よ っ て
植 民 地 の 経 済 活 動 を 制 限 し て い た 。 し か も 、 (b )イ ギ リ ス = オ ラ ン ダ 戦 争 戦 争 以 後 は 、 植 民 地 に 重 税 を 課 し た の で 、 植 民 地
の 人 々 は 強 い 不 満 を い だ い た 。 と く に 1765 年 の 印 紙 法 は 強 い 反 対 を ひ き お こ し 、 植 民 地 の 人 々 は 「 [
A
]なくして課税
な し 」 と い う 原 理 を か か げ て 本 国 に 抗 議 し た 。 1773年 の (c )ボ ス ト ン 茶 会 事 件 を き っ か け に 、 本 国 は 弾 圧 を 強 め た の で 、 植
民 地 代 表 は ( d )大 陸 会 議 を ひ ら い て 抗 議 を お こ な っ た 。 し か し 、 本 国 は 武 力 弾 圧 の 姿 勢 を く ず さ ず 、 そ の 結 果 独 立 戦 争 が 開
始された。
(2 )1789 年 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 宮 殿 に お い て (a )三 部 会 が 開 会 さ れ た 。 し か し 、 採 決 方 法 を め ぐ る 対 立 が お こ り 、 第 三 身 分 の 代
表は一部の貴族・聖職者とともに国民議会を結成し、[
B
]の制定まで解散しないことを誓った。これに対して国王派
が武力で議会を弾圧しようとしたため、パリの民衆はバスティーユ牢獄を占領し、各地の農民も蜂起して革命は本格化して
い っ た 。 こ う し た な か で 国 民 議 会 は 、 封 建 的 特 権 の 廃 止 を 決 議 す る と と も に 、 (b )人 権 宣 言 を 発 表 し た 。 1 791 年 に フ ラ ン ス
は 立 憲 王 政 と な り 、 (c )普 通 選 挙 に よ る 立 法 議 会 が 成 立 し 、 や が て 穏 健 共 和 派 の (d )ジ ロ ン ド 派 が 革 命 の 主 導 権 を 握 っ た 。
(3 )フ ラ ン ス 革 命 の 進 行 に 対 し て 、 ヨ ー ロ ッ パ 各 国 は 、 (a )オ ー ス ト リ ア を 中 心 に フ ラ ン ス に 干 渉 し よ う と し た 。 フ ラ ン ス
はこれに武力で対抗したが、フランス軍は敗北を重ねた。この危機に義勇軍が組織され、民衆の支持を背景に、議会は王権
を 停 止 し た 。 さ ら に (b )国 民 公 会 が 召 集 さ れ 、 共 和 政 が 宣 言 さ れ た 。 こ の 議 会 で は 、 ロ ベ ス ピ エ ー ル ら の [
C
]派がし
だ い に 優 位 に た ち 、 国 王 を 処 刑 し て 革 命 を さ ら に す す め よ う と し 、 議 会 か ら 反 対 派 を 追 放 し て 、 (c )公 安 委 員 会 を 中 心 に 強
力な独裁体制をしいた。しかし、この独裁体制は有産市民の不満を招き、クーデタによってロベスピエールらは逮捕・処刑
さ れ 、 そ の 翌 年 (d )統 領 政 府 が 成 立 し た 。
(4 )ク ー デ タ に よ っ て 権 力 を 掌 握 し た ナ ポ レ オ ン は 、 (a )イ ギ リ ス と ア ミ ア ン の 和 約 を む す ぶ な ど 、 フ ラ ン ス を め ぐ る 国 際
情 勢 を 安 定 さ せ る と と も に 、 革 命 の 成 果 を 定 着 さ せ る た め に (b )民 法 典 を 制 定 し た 。 し か し 、 フ ラ ン ス の 強 大 化 を 恐 れ た イ
ギリスは、他の諸国とともに第3回対仏大同盟を結成した。これに対してナポレオンは、三帝会戦でロシア・オーストリア
連 合 軍 を や ぶ り 、 さ ら に プ ロ イ セ ン ・ ロ シ ア に も 勝 利 し て (c )テ ィ ル ジ ッ ト 条 約 を む す ん だ 。 こ の 間 、 彼 は ベ ル リ ン で [
D
]を発し、イギリスに経済的圧力を加えようとしたが、かえって諸国の反発をまねいた。ナポレオンの兄が国王につい
- 5 -
た (d )イ タ リ ア で は 、 ナ ポ レ オ ン の 支 配 に 抵 抗 す る 民 衆 の ゲ リ ラ 戦 が つ づ け ら れ 、 ナ ポ レ オ ン 没 落 の 一 因 と な っ た 。
(5 )イ ギ リ ス で 世 界 最 初 の 産 業 革 命 が お こ っ た 原 因 と し て 次 の よ う な こ と が 考 え ら れ る 。 第 一 に 、 16世 紀 以 来 発 達 し た (a )
木 綿 工 業 は 資 本 主 義 的 な 工 業 生 産 組 織 を 発 展 さ せ 、 産 業 資 本 家 の 手 に 資 本 が 蓄 積 さ れ た 。 第 二 に 、 (b ) 17世 紀 の 市 民 革 命 に
よ っ て 経 済 の 発 展 を 妨 げ て い た 独 占 や 特 権 が 廃 止 さ れ 、 自 由 な 経 済 活 動 が 促 進 さ れ た 。 第 三 に 、 17 ・ 18 世 紀 に オ ラ ン ダ や
(c )フ ラ ン ス を や ぶ っ て 、 広 大 な 海 外 市 場 を 獲 得 し 、 植 民 地 貿 易 に よ る 資 本 の 蓄 積 も す す ん だ 。 第 四 に 、 穀 物 生 産 の た め の
第2次[
E
] が お こ り 、 多 く の 農 民 が 土 地 を 失 っ て 都 市 に 流 入 し 、 工 業 の た め の 労 働 力 を 提 供 し た 。 1 9世 紀 以 降 、 産 業
革 命 は 各 国 に 波 及 し た 。 ま ず (d )ベ ル ギ ー ・ フ ラ ン ス 、 つ づ い て ド イ ツ や ア メ リ カ で 産 業 革 命 が 進 行 し た 。
[ 7 ] 次 の ( 1 )か ら (4 )の 文 章 を 読 み [
A
]∼[
D
]に適語を入れ、また下線部についての設問にも答えなさい。
(1 )1814 年 に フ ラ ン ス 革 命 の 以 来 の 混 乱 を お さ め る た め ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の 代 表 が 集 ま り ウ ィ ー ン 会 議 が 開 か れ た 。 こ の 会 議
ではフランス革命以前の秩序に回復させようとする[
A
]が原則とされ、大国の勢力均衡による国際秩序維持がはから
れ た 。 こ の 会 議 は は じ め 各 国 の 利 害 対 立 の た め 前 進 し な か っ た が 、 ナ ポ レ オ ン の 再 挙 兵 を き っ か け に (a )ウ ィ ー ン 議 定 書 の
調 印 が 実 現 し た 。 こ の 議 定 書 に よ っ て 決 め ら れ た 大 国 に よ る 国 際 秩 序 ( ウ ィ ー ン 体 制 ) を 維 持 す る た め 、 1 815 年 に は ( b ) ロ
シア皇帝アレクサンドル1世のよびかけで神聖同盟が結成された。また四国同盟(のち五国同盟)も結ばれた。
(2 )( c ) ウ ィ ー ン 体 制 へ の 反 抗 運 動 は は や く か ら お こ っ て い た が 、 1830年 に フ ラ ン ス で お こ っ た 七 月 革 命 で ブ ル ボ ン 家 シ ャ
ル ル 10世 が 退 位 し 、 オ ル レ ア ン 公 [
B
] が 王 位 に つ い た 。 七 月 革 命 の 影 響 は た だ ち に (d )ヨ ー ロ ッ パ 各 地 に 波 及 し た が 、
ウィーン体制の完全崩壊にはいたらなかった。
(3 )1848 年 に フ ラ ン ス で お こ っ た (e )二 月 革 命 の 結 果 、 王 は 亡 命 し 共 和 派 に よ る 臨 時 政 府 が 成 立 し た 。 こ の 臨 時 政 府 に は 社
会主義者の[
C
]も参加し、失業者救済のために国立作業場をつくるなど改革に力をいれた。同年4月の国民議会の選
挙 で は 共 和 派 が 大 勝 し 、 保 守 化 し た 政 府 に 抗 議 し た 6 月 の 蜂 起 は 鎮 圧 さ れ た 。 そ し て 12月 の 大 統 領 選 挙 で は ル イ = ナ ポ レ オ
ン が 当 選 し た 。 彼 は 1852 年 の 国 民 投 票 の 結 果 皇 帝 と な り ナ ポ レ オ ン 3 世 と 称 し 帝 政 を 始 め た 。
(4 )ド イ ツ で は 1848 年 5 月 、 [
D
]で国民議会が開かれてドイツの統一と憲法制定が討議された。翌年にはプロイセン
王を皇帝とする憲法が定められたが、王に拒絶された。その後ドイツの統一はプロイセン首相ビスマルクがおこなった「鉄
血 政 策 」 に よ る (f )一 連 の 戦 争 で の 勝 利 に よ り 1871年 に 実 現 さ れ た 。
問1
下 線 部 (a )に つ い て
ウィーン議定書の内容として誤っているものを1つ選び記号で答えなさい。
ア.ロシアはワルシャワ大公国の大部分を併合してポーランド王国をつくりロシア皇帝がその王位をかねた。
イ.イギリスは戦争中に占領したケープ植民地、セイロン島を得た。
ウ.オーストリアはハンガリーを放棄し、サボイとニースを得た。
エ.神聖ローマ帝国は復活せず、ドイツではオーストリア、プロイセンを含むドイツ連邦ができた。
問2
下 線 部 (b )に つ い て
この皇帝の死を機におこった自由主義的な貴族や仕官の反乱は何か、次の中から選び記号で答
えなさい。
ア.カルボナリの乱
問3
下 線 部 (c )に つ い て
イ.デカブリストの乱
ウ.ナロードニキ運動
エ.ブルシェンシャフト運動
1810年 代 か ら 20年 代 に か け て の ラ テ ン ア メ リ カ で の 独 立 運 動 は ウ ィ ー ン 体 制 を 動 揺 さ せ た が 、
ラテンアメリカの独立運動の指導者として正しい人物を一人選び記号で答えなさい。
ア.バイロン
イ.シモン=ボリバル
ウ.ドラクロワ
エ.モンロー
問4
下 線 部 (d )に つ い て
七月革命の影響で独立し、立憲君主国となった国はどこか答えなさい。
問5
下 線 部 (e )に つ い て
フランスの二月革命の報が伝わるとウィーンでも三月革命がおこった。この革命により失脚し
国外に亡命したオーストリアの宰相は誰か答えなさい。
問6
下 線 部 (f )に つ い て
ドイツ統一にいたる出来事を年代順に正しく並べたものはどれか記号で答えなさい。
(普=プロイセン、墺=オーストリア、仏=フランス)
ア.普墺戦争−ドイツ関税同盟成立−北ドイツ連邦成立−普仏戦争−ドイツ帝国成立
イ.ドイツ関税同盟成立−普仏戦争−北ドイツ連邦成立−普墺戦争−ドイツ帝国成立
ウ.北ドイツ連邦成立−普墺戦争−ドイツ関税同盟成立−普仏戦争−ドイツ帝国成立
エ.ドイツ関税同盟成立−普墺戦争−北ドイツ連邦成立−普仏戦争−ドイツ帝国成立
- 6 -
[8 ]次 の (1 )∼ (5 )の 文 中 の [
A
]∼[
E
] に 適 す る 語 句 を 答 え な さ い 。 ま た 、 各 文 の 下 線 部 (a )∼ (c ) に は ど れ
か1つ誤りがあるので、解答欄の左側にその記号を、右側に正しい語句を書きなさい。
(1 )エ ジ プ ト 太 守 [
A
] は 19世 紀 初 め に オ ス マ ン 帝 国 か ら 自 立 し 、 軍 隊 の 改 革 ・ 商 工 業 の 保 護 な ど を 行 い 、 近 代 化 を 進
め た 。 1840年 代 以 降 、 エ ジ プ ト は イ ギ リ ス ・ フ ラ ン ス の 干 渉 を 強 く 受 け る よ う に な っ た 。 1869年 、 フ ラ ン ス 人 (a ) レ セ ッ プ
ス の 努 力 で ス エ ズ 運 河 が 開 通 し た が 、 イ ギ リ ス は (b )デ ィ ズ レ ー リ 内 閣 の 時 、 エ ジ プ ト の 財 政 難 に 乗 じ て エ ジ プ ト 太 守 か ら
運河会社株の約半数を買収した。イギリス・フランスに国家財政を管理され、内政面でも支配を受けるようになると、民族
主 義 者 の 抵 抗 運 動 が 始 ま っ た 。 1881 年 に は (c )ケ マ ル = パ シ ャ を 中 心 と す る 反 乱 が 起 き た が 、 イ ギ リ ス は こ れ を 武 力 鎮 圧 し 、
エジプトを占領して事実上の保護国とした。
(2 )1857 年 の 大 反 乱 ( セ ポ イ の 反 乱 ) を 契 機 に 、 イ ギ リ ス は (a )東 イ ン ド 会 社 を 解 散 し て イ ン ド を 直 轄 下 に 置 き 、 そ の 後 ヴ
ィクトリア女王を皇帝とする[
B
] を 成 立 さ せ た 。 さ ら に 、 イ ギ リ ス は 3 度 に わ た る (b )ア フ ガ ン 戦 争 を 経 て ア ラ ウ ン
パ ヤ ー 朝 ( コ ン バ ウ ン 朝 ) を 滅 ぼ し 、 1886 年 に は こ の 地 を [
B
] に 併 合 し た 。 イ ン ド 民 衆 の 不 満 へ の 安 全 弁 と し て 、 18
85 年 イ ギ リ ス は ボ ン ベ イ で (c )イ ン ド 国 民 会 議 を 開 催 し た が 、 こ れ は 20世 紀 初 頭 に な る と 急 速 に 反 英 的 と な り 、 独 立 運 動 の
中心になっていった。
(3 )ヴ ェ ト ナ ム で は 19世 紀 の 初 め に (a )阮 福 映 が 阮 朝 越 南 国 を 建 国 し た 。 19世 紀 の 半 ば 、 フ ラ ン ス は サ イ ゴ ン を 占 領 し て コ
ー チ シ ナ 東 部 を 獲 得 し 、 ま た 、 (b )カ ン ボ ジ ア を 保 護 国 化 し た 。 そ の 後 、 フ ラ ン ス は ト ン キ ン 地 方 を 占 領 し 、 1883 年 の ユ エ
条約でヴェトナムを保護国としたので、宗主権を主張する[
C
]との間で戦争が起きた。これに勝利したフランスは、
フ ラ ン ス 領 イ ン ド シ ナ 連 邦 を 形 成 し 、 後 に ラ オ ス を こ れ に 編 入 し た 。 20世 紀 に 入 る と 、 フ ァ ン = ボ イ = チ ャ ウ ら 知 識 人 に よ
る フ ラ ン ス か ら の 独 立 を め ざ す 活 動 が 盛 ん に な っ た 。 彼 ら は 、 日 露 戦 争 に 刺 激 さ れ て 、 青 年 を 日 本 へ 留 学 さ せ る (c )タ ン ジ
マートを推進した。
(4 )イ ギ リ ス 東 イ ン ド 会 社 は 、 大 量 の 茶 の 輸 入 と 銀 の 流 出 と い う 事 態 を 打 開 す る た め に 、 イ ン ド 産 の ア ヘ ン を 中 国 に 密 輸 し
ていた。アヘン貿易の拡大に伴い、その害毒が広がり、大量の銀が中国から流出し始めた。清朝政府は[
D
]を広州に
派 遣 し て 、 ア ヘ ン の 厳 重 取 締 を 行 っ た 。 イ ギ リ ス は こ れ を 機 に ア ヘ ン 戦 争 を 起 こ し た 。 敗 れ た 清 は 、 (a )天 津 条 約 に よ っ て 、
香 港 の 割 譲 ・ 広 州 な ど 5 港 の 開 港 ・ (b )公 行 の 廃 止 ・ 賠 償 金 の 支 払 を 承 認 さ せ ら れ た 。 ア ヘ ン 戦 争 後 も 、 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 が
期 待 し た ほ ど 対 中 国 貿 易 が 拡 大 し な か っ た の で 、 1856 年 イ ギ リ ス は フ ラ ン ス を さ そ っ て (c )ア ロ ー 戦 争 を 起 こ し 18 60年 に は
北 京 を 占 領 し て 、 天 津 な ど 11港 の 開 港 ・ 外 国 公 使 の 北 京 駐 在 ・ キ リ ス ト 教 布 教 の 自 由 な ど を も り こ ん だ 北 京 条 約 を 結 ん だ 。
(5 )ア ヘ ン 戦 争 に 伴 う 重 税 は 民 衆 を 苦 し め 、 社 会 不 安 が 増 大 し た 。 上 帝 会 の 指 導 者 (a )洪 秀 全 は 広 西 省 で 挙 兵 し 、 185 1年 に
[
E
]の樹立を宣言した。[
E
] は 中 国 の 南 部 を 勢 力 下 に 置 き 、 (b )天 朝 田 畝 制 度 と よ ば れ る 土 地 均 分 策 を 発 布 し 、
租税軽減・男女平等・悪習の撤廃など各方面の改革を掲げて、民衆の支持を集めた。清朝政府はこれに対処できず各地の漢
人地主が義勇軍を率いてこれを鎮圧した。これを機に漢人官僚が進出して政治の要職を占め、曾国藩・李鴻章らが富国強兵
の た め に 西 洋 の 科 学 技 術 を 導 入 す る (c )変 法 自 強 運 動 を 展 開 し た 。
[9 ]次 の 文 章 を 読 み 、 設 問 に 答 え な さ い 。 な お 解 答 は 選 択 肢 か ら 1 つ 選 択 し 、 記 号 で 答 え な さ い 。
1914年 に 始 ま っ た (a )第 一 次 世 界 大 戦 は ヨ ー ロ ッ パ の ほ と ん ど の 国 を ま き こ む 総 力 戦 と な り 、 連 合 国 の 勝 利 で 終 結 し た 。
た 大 戦 中 に お き た (b )ロ シ ア 革 命 の 結 果 、 社 会 主 義 国 家 ソ 連 が 誕 生 し た 。 (c )パ リ 講 和 会 議 の 結 果 結 ば れ た ヴ ェ ル サ イ ユ 条
約 に ち な ん で 、 戦 後 の 国 際 秩 序 を (d )ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制 と い う 。 し か し 、 こ の 体 制 は [
A
]年にアメリカで始まった世
界 恐 慌 に よ っ て 崩 壊 に 向 か っ た 。 イ ギ リ ス は ブ ロ ッ ク 経 済 で 局 面 の 打 開 を 図 り 、 ア メ リ カ は (e )ニ ュ ー ・ デ ィ ー ル 政 策 を 推
進した。一方ドイツ・イタリア・日本はファシズム体制をとり再び大戦をひきおこすことになった。
ド イ ツ で 政 権 を 握 っ た ヒ ト ラ ー は 再 軍 備 を 断 行 し 、 1936年 に は [
B
]条約を破棄して[
C
]進駐を強行した。同
年 に 勃 発 し た (f )ス ペ イ ン 内 戦 は 第 2 次 世 界 大 戦 の 前 ぶ れ で も あ っ た 。 ナ チ ス − ド イ ツ の 侵 略 は 19 38年 の オ ー ス ト リ ア 併 合 、
同年9月の[
D
] 会 談 を へ て 、 1939年 に は ポ ー ラ ン ド に 向 か っ た 。 1939 年 9月 に 始 ま っ た ( g ) 第 2 次 世 界 大 戦 は 5 千 万
人 以 上 の 死 者 を 出 す 戦 禍 を 残 し て 1945年 に よ う や く 終 結 し た 。
問1
下 線 部 (a )に 関 す る 次 の 文 の 中 で 正 し い も の を 選 べ 。
- 7 -
ア.セルビア国王が暗殺されたサライェヴォ事件をきっかけに始まった。
イ.イタリアはドイツ側にたって参戦した。
ウ.ドイツ軍のヴェルダン要塞総攻撃は、フランスの堅い守りにあい成功しなかった。
エ.イギリスはバルフォア宣言によって、アラブ人の支持を得ようとした。
問2
下 線 部 (b )に 関 す る 次 の 文 の 中 で 誤 り を 含 む も の を 選 べ 。
ア.三月革命(ロシア暦二月革命)により、ロマノフ朝のニコライ2世は退位した。
イ.レーニンは四月テーゼを発表し、臨時政府打倒を訴えた。
ウ.ソヴィエト政権はブレスト=リトフスク条約で、ドイツと単独講和した。
エ.新経済政策の矛盾が激化したため、戦時共産主義が断行された。
問3
下 線 部 (c )の 会 議 に 参 加 し な か っ た 人 物 を 次 の 中 か ら 選 べ 。
ア.ロイド=ジョージ
問4
イ.トロツキー
文中の空欄[
ア . 1925
問6
エ.クレマンソー
下 線 部 (d )の 体 制 の も と で 国 際 協 調 を す す め た 政 治 家 を 次 の 中 か ら 選 べ 。
ア.シュトレーゼマン
問5
ウ.ウィルソン
A
イ.ヒンデンブルク
ウ.ブリアン
エ.ケロッグ
]に入る年代を次の中から選べ。
イ . 1927
ウ . 1929
エ . 1931
下 線 部 (e )に 関 す る 次 の 文 の 中 で 、 誤 り を 含 む も の を 選 べ 。
ア.フーバー大統領が中心におこなわれた。
イ . 全 国 産 業 復 興 法 (NIRA )や 農 業 調 整 法 (AAA)が 制 定 さ れ た 。
ウ.テネシー川流域開発公社が設立され、失業者の救済がはかられた。
エ.ワグナー法は労働者の立場に立った法律であった。
問7
文中の空欄[
B
]−[
ア.不戦−ラインラント
問8
ウ.ロカルノ−ズデーテン
エ.ロカルノ−ラインラント
次 の 語 句 の う ち で 、 下 線 部 (f )と 関 係 な い も の を 次 の 中 か ら 選 べ 。
文中の空欄[
ア.カイロ
問 10
]に入る語句の組み合わせとして正しいものを次の中から選べ。
イ.不戦−ズデーテン
ア.ピカソの「ゲルニカ」
問9
C
D
イ.リットン調査団
ウ.フランコ将軍
エ.人民戦線内閣
]に適する語句を次の中から選べ。
イ.テヘラン
ウ.ミュンヘン
エ.ポツダム
下 線 部 (g )に 関 す る 次 の 文 の 中 で 正 し い も の を 次 の 中 か ら 選 べ 。
ア.ドイツと不可侵条約を結んでいたソ連は、ポーランドを分割しフランスに攻めこんだ。
イ.ドイツはスターリングラードの戦いでソ連を破り、ヤルタ協定を結んだ。
ウ.反ファシズム抵拡運動の指導者としては、ティトーやペタンが名高い。
エ.ノルマンディー上陸作戦に成功した連合国側はやがてパリを解放した。
[10]次 の (1 )∼ (3 )の 文 章 を 読 ん で 、 下 の 設 問 に 答 え な さ い 。
(1 )イ ラ ン の サ サ ン 朝 で は 建 国 当 初 よ り (a )ゾ ロ ア ス タ ー 教 が 国 教 と さ れ 、 そ の 教 典 の [
やキリスト教も信仰され、この三宗教の融合した[
(2 )イ ン ド の グ プ タ 朝 で は 、 5 世 紀 に [
C
B
A
]も編纂された。また仏教
]が成立した。
]が創建されて仏教の教義研究が盛んに行われたが、民間信仰としての仏
教は衰えを見せ、これにかわってヒンドゥー教が民衆に定着していった。一方、この時期はインド古典文化の黄金期でもあ
り 、 (b )文 学 で は [
D
]が『シャクンタラー』を著し、『マハーバーラタ』、
『[
E
]』の二大叙事詩はこのこ
ろ現在のような形にまとめられたとされている。
(3 )秦 の 始 皇 帝 は 戦 国 の 世 を 統 一 す る と 、 (c )法 家 思 想 に 基 づ い て 徹 底 し た 中 央 集 権 政 策 を と っ た 。 秦 が 滅 ん だ の ち 、 (d )
の 建 国 当 初 も 法 家 思 想 が 支 配 的 で あ っ た が 、 (e )中 央 集 権 体 制 が 確 立 し た 武 帝 の 時 に 、 儒 学 者 の [
学 が 官 学 化 さ れ 、 そ の 後 、 後 漢 の 時 代 に は 経 書 の 解 釈 を 研 究 す る (f )訓 詁 学 が 盛 ん に な っ た 。
問1
文中の[
A
]∼[
F
]に適する語句を答えなさい。
問2
下 線 部 (a )の ゾ ロ ア ス タ ー 教 の 特 色 と し て 正 し い も の を 次 の 中 か ら 1 つ 選 べ 。
- 8 -
F
]の献言により儒
ア.人間は苦行によってのみ救済されると説き、厳しい修行と不殺生主義を唱える。
イ.身分や貧富の差をこえた神の絶対的愛を信じ、隣人愛を説く。
ウ.世界を善神と悪神の対立ととらえ、最後の審判によって人間の霊魂は天国に導かれると説く。
エ.自民族だけが救われるという選民思想を持ち、救世主の出現を待望する。
問3
下 線 部 (b )に つ い て 、 こ の 当 時 の 文 学 は 主 に 何 語 で 書 か れ て い た か 。 次 の 中 か ら 選 べ 。
ア.ヒンディー語
問4
イ.サンスクリット語
ウ.ドラヴィダ語
エ.ウルドゥー語
下 線 部 (c )に つ い て 、 始 皇 帝 の 政 策 を 説 明 し た 次 の 文 の う ち 、 誤 り を 含 む も の を 1 つ 選 べ 。
ア.商鞅の建議に基づいて、焚書坑儒と呼ばれる言論・思想の弾圧を行った。
イ.全国の文字、車軌、度量衡などを統一し、半両銭という貨幣を鋳造した。
ウ.全国に郡県制を施行し、地方官を中央から派遣して中央集権体制を固めた。
エ.戦国時代に諸国が築いていた長城を修築し、北方の匈奴にそなえた。
問5
下 線 部 (d )の こ ろ 中 国 北 方 の 匈 奴 の 君 主 と な り 、 強 力 な 国 家 を 作 り 上 げ て さ か ん に 中 国 を 侵 略 し た の は 誰 か 。
問6
下 線 部 (e )に つ い て 、 漢 の 中 央 集 権 が 確 立 さ れ る 大 き な き っ か け と な っ た 、 前 154年 に 起 こ っ た 反 乱 は 何 か 。
問7
後 漢 時 代 に 活 躍 し た 、 下 線 部 (f )の 学 問 の 代 表 的 学 者 を 次 の 中 か ら 1 人 選 べ 。
ア.孔穎達
イ.蔡倫
ウ.班固
エ.鄭玄
[11]3 世 紀 か ら 14世 紀 に か け て の 東 ア ジ ア に つ い て 、 Ⅰ ・ Ⅱ の 各 文 章 を 読 ん で 文 中 の 下 線 部 に つ い て の 設 問 に 答 え な さ い 。
Ⅰ.中国史では、南の農耕民と北方の遊牧・狩猟民との戦いが続いたが、時代によって北方民族の中国への姿勢も変化した。
魏 晋 南 北 朝 時 代 は (a )魏 ・ 蜀 ・ 呉 の 三 国 鼎 立 に は じ ま り 、 4 世 紀 以 降 は 華 北 に 異 民 族 の 諸 王 朝 が 興 亡 し た 。 従 っ て 、 江 南
を 中 心 と し た 南 朝 が (b )繊 細 で 優 雅 な 貴 族 文 化 を 開 花 さ せ た の に 対 し て 、 華 北 諸 王 朝 は 北 方 民 族 の 質 実 剛 健 さ を 保 っ た 。 し
か し 北 魏 の ( c )孝 文 帝 の 漢 化 政 策 に み ら れ る よ う に 、 華 北 を 支 配 し た 異 民 族 は し だ い に 中 国 文 化 に 同 化 し て い っ た 。
こ れ に 対 し て 、 五 代 十 国 時 代 に 現 れ た 遼 や 、 12世 紀 前 半 に こ れ を 倒 し て さ ら に 華 北 を 奪 っ た 金 は 、 (d )北 方 の 部 族 と し て
の独自性を維持しつつ中国の漢民族を支配した。このことから、遼・金は、後の元・清と共に「征服王朝」と呼ばれた。特
に 元 は (e )圧 倒 的 多 数 の 漢 民 族 に 対 し 、 少 数 者 と し て の モ ン ゴ ル 人 の 支 配 を 維 持 し よ う と し た 。
(a )三 国 の う ち 、 蜀 の こ と を 述 べ た も の と し て 、 正 し い も の を 一 つ 選 ん で 記 号 で 答 え な さ い 。
ア.曹丕が建国し、九品中正を創始した。
イ.孫権が建国し、江南を支配した。
ウ.劉備が建国し、都を成都に定めた。
エ.司馬炎が建国し、都を洛陽に定めた。
(b )南 朝 の 繊 細 ・ 優 雅 な 貴 族 文 化 の 説 明 と し て 、 正 し い も の を 一 つ 選 ん で 記 号 で 答 え な さ い 。
ア.韓愈などが古文の復興を提唱した。
イ.四六駢儷体とよばれる文体が流行した。
ウ.雲崗の大石窟寺院が造営された。
エ.「三国志演義」「水滸伝」などが小説としてまとめられた。
(c )孝 文 帝 の 時 代 に 北 魏 が 行 っ た こ と と し て 、 誤 っ て い る も の を 一 つ 選 ん で 記 号 で 答 え な さ い 。
ア.三長制を制定した。
イ.都を洛陽に定めた。
(d )① 下 線 部 の 目 的 で 、 金 が 実 施 し た 制 度 を 答 え な さ い 。
ウ.均田制をはじめた。
エ.府兵制をはじめた。
② ま た 金 が 12世 紀 前 半 に 北 宋 を 攻 め 滅 ぼ し た 事 件 を な ん と 呼 ぶ
か。
(e )元 は モ ン ゴ ル 人 を 第 一 と し た が 、 南 人 と し て 最 下 層 に 位 置 づ け ら れ た の は 、 ど の よ う な 人 々 で あ っ た か 。
Ⅱ . 唐 と 宋 [ 北 宋 と 南 宋 ] は 、 共 に 約 300年 存 続 し た が 、 内 政 ・ 外 交 ・ 文 化 な ど 異 な っ た 面 や 特 色 を 持 っ て い る 。
唐 は (f )三 省 六 部 な ど の 諸 制 度 を 整 え 、 貴 族 文 化 を 築 い た だ け で な く 、 国 際 色 豊 か な 時 代 を 現 出 し た 。 ま た 唐 は (g )日 本
・新羅・渤海など周辺の諸国・諸民族に大きな影響を与え、いわゆる東アジア文化圏を形成した。
こ れ に 対 し て 、 五 代 十 国 の 分 裂 を お さ め た (h )北 宋 は 、 内 政 面 で は 文 治 主 義 な ど を 通 し て 皇 帝 独 裁 を 達 成 し た が 、 対 外 的
に は 、 燕 雲 十 六 州 を 支 配 し た (i )遼 や 西 夏 な ど の 外 圧 に 苦 し み 、 さ ら に 南 宋 も 金 に 臣 従 を 余 儀 な く さ れ た 。 し か し 北 宋 ・ 南
宋 と も (j )江 南 を お さ え て い た こ と も あ っ て 、 経 済 の 発 展 は 著 し か っ た 。
(f )① 三 省 の う ち 、 六 部 を 統 括 し た の は ど れ か 。
②これら諸制度を整備した第2代皇帝の治世をなんと呼ぶか。
(g )唐 時 代 の 周 辺 諸 国 ・ 諸 民 族 に 関 す る 記 述 と し て 、 正 し い も の を 一 つ 選 ん で 記 号 で 答 え な さ い 。
ア.唐は周辺異民族を支配するため、建国当初から節度使をおいた。
イ.渤海は長安にならった都城を建設し、日本とも交流した。
- 9 -
ウ.百済は唐と協力して新羅・高句麗を滅ぼし、唐の文物を取り入れた。
エ.モンゴル系ウイグル族は安史の乱の際反乱軍を助けた。
(h )北 宋 と 関 係 な い も の を 、 一 つ 選 ん で 記 号 で 答 え な さ い 。
ア.王安石が改革を行った。
イ.殿試を開始した。
ウ.朱熹が朱子学を大成した。
エ.司馬光が「資治通鑑」を著した。
(i )遼 を 建 国 し た 民 族 名 を 答 え な さ い 。
(j )宋 で 発 行 さ れ た 紙 幣 を 一 つ 答 え な さ い 。
[12]14世 紀 か ら 18世 紀 に か け て の ア ジ ア 諸 国 に 関 す る 次 の 文 章 を 読 み 、 文 中 の 下 線 部 に 関 す る 設 問 に 答 え な さ い 。 な お 解 答
は選択肢から1つ選択し、記号で答えなさい。
14世 紀 半 ば 中 国 で は (a )江 南 に 起 こ っ た 民 衆 反 乱 を き っ か け に モ ン ゴ ル 民 族 の 支 配 が 崩 壊 し 、 か わ っ て 明 王 朝 が 成 立 し た 。
こ の 王 朝 で は 君 主 独 裁 体 制 を 目 指 す と 共 に (b )社 会 の 実 態 に あ わ せ た 支 配 を 試 み た 。 15世 紀 初 頭 、 権 力 の 座 に 就 い た 永 楽 帝
は (c )積 極 的 な 対 外 政 策 を 推 進 し 、 当 時 (d )中 央 ア ジ ア か ら 西 ア ジ ア 一 帯 に 勢 力 を 誇 っ た 帝 国 と 覇 を 競 っ た 。 し か し 、 明 は
15 世 紀 半 ば 以 降 は (e )内 外 の 困 難 な 問 題 を 抱 え 、 (f )国 内 の 経 済 発 展 に も か か わ ら ず 、 国 家 と し て は 衰 退 に 向 か っ て い っ た 。
た だ 明 の 後 半 以 降 は 政 治 的 後 退 と は 対 照 的 に (g )文 化 の 多 様 な 発 展 が 見 ら れ た こ と は 注 目 に 値 す る 。 明 が 1 7世 紀 前 半 に 滅 亡
し た 後 、 中 国 を 支 配 下 に 置 い た 清 朝 は 「 征 服 王 朝 」 と し て (h )中 国 文 化 に 対 し て 独 自 の 方 策 を と っ た 。 こ の 頃 、 北 イ ン ド で
は ム ガ ル 帝 国 が イ ン ド 最 後 の イ ス ラ ム 王 朝 と し て (i )独 自 の 支 配 を 行 っ て い た が 、 18世 紀 に な る と (j ) 旧 来 の 支 配 層 の 反 抗
や外部勢力の侵略を受けて、急速に衰退の歩みを早めていった。
〔設問〕
問1
下 線 部 (a )に つ い て
ア.紅巾の乱
問2
イ.黄巣の乱
下 線 部 (b )に つ い て
ア.賦役黄冊の作成
問3
この民衆反乱は何か、次の中から選べ。
ウ.黄巾の乱
明朝が建国初期に行った政策として不適当なものを次の中から選べ。
イ.里甲制の導入
下 線 部 (c )に つ い て
エ.赤眉の乱
ウ.六諭の徹底
エ.青苗法の制定
次の文章のうち、この時期の明の対外政策の説明として誤っているものを次の中から選べ。
ア.鄭和の率いる大艦隊がインドから東アフリカ方面に派遣された。
イ.永楽帝はモンゴル勢力に対する攻撃を繰り返し、北辺の安全確保に尽力した。
ウ.明は李氏朝鮮とは外交関係を樹立せず、両国の交流は次の清朝成立までは行われなかった。
エ.明は日本と外交交渉を行い、その成果として勘合貿易が日明間に行われた。
問4
下 線 部 (d )に つ い て
ア.サファビー朝
問5
イ.ティムール朝
下 線 部 (e )に つ い て
ア.オイラート部の攻撃
問6
この帝国とは何か。次の中から選べ。
下 線 部 (f )に つ い て
ウ.カラ=ハン朝
エ.カジャール朝
この内外の難問として不適当なものを次の中から選べ。
イ.倭寇の活動
ウ.抗租運動
エ.三藩の乱
明代の経済活動に関する次の説明のうち、不適当なものを次の中から選べ。
ア.明代も景徳鎮は中国を代表する陶磁器生産の中心として繁栄した。
イ.明代後期になるとメキシコ銀が大量に中国に流入し、銀の流通量が増えた。これが一条鞭法実施の背景となった。
ウ.明代には長江下流デルタ地帯が米の主要生産地帯となり、「蘇湖(江浙)熟せば天下足る」と言われた。
エ.各地の大商人たちは会館・公所といった商館を軸に活発な流通事業を展開した。
問7
下 線 部 (g )に つ い て
明代後期から清朝初期にかけての中国文化に関する次の説明のうち、誤っているものを次の中
から選べ。
ア.この時代は実学が盛んであり、『天工開物』は中国の伝統的生産技術を伝える貴重な資料である。
イ.清朝初期は明代と異なって政治思想の解放が進み、王陽明のように儒教を原理的に批判する学者も現れた。
ウ.この時代、ヨーロッパから訪れたキリスト教宣教師によりヨーロッパの学問や技術が紹介された。
エ.明の時代は宋および元の時代に引き続き、『水滸伝』や『三国志演義』などが人気を博した。
問8
下 線 部 (h )に つ い て
これを物語るもので、清朝が漢民族に強制した満州族独特の風習を次の中から選べ。
- 10 -
ア.断食
問9
イ . 纒 足 (テンソク)
下 線 部 (i )に つ い て
ウ . 刺 青 (イレズミ)
エ.辮(弁)髪
ムガル帝国の北インド支配に関する説明のうち、誤っているものを次の中から選べ。
ア.ムガル帝国繁栄の基礎を築いたアクバルは厳格なスンナ派であり、ヒンドゥー教徒を抑圧した。
イ.ムガル帝国の君主アウラングゼーブはヒンドゥー教徒との対決姿勢を強め、国内に混乱を引き起こした。
ウ.ムガル帝国の統治体制は王族や官僚を派遣して行う中央集権体制であった。
エ.ムガル帝国の後期には、ヒンドゥー教徒などの激しい反抗が広がり、ムガル帝国の支配は不安定となった。
問 10
下 線 部 (j )に つ い て
ムガル帝国時代のインドに対するヨーロッパ諸国の進出に関する次の説明のうち正しいものを
次の中から選べ。
ア.フランスはイギリスとの戦いに敗れ、セイロンを除くインドにおける全ての拠点を失った。
イ.イギリスはフランスとの長期にわたる戦いに勝利を収め、ベンガルの支配権を得た。
ウ.ロシアは北からインドへの進出を図り、イギリスに対抗してムガル帝国を支えた。
エ.オランダは早くからインドに進出し、東海岸に数ケ所の拠点を確保した。
[13]
次 の Ⅰ ∼ Ⅴ の 各 文 の 下 線 部 で 、 (a )の み が 正 し け れ ば 1 、 (b )の み が 正 し け れ ば 2 、 (a )(b )と も に 正 し け れ ば 3 、
(a )( b ) と も に 誤 っ て い れ ば 4 を 書 き な さ い 。 ま た 文 中 の [
Ⅰ.アラビア半島に生まれたムハンマドは、唯一神[
A
A
]∼[
E
]に適する語を答えなさい。
]の啓示を受けたとしてイスラム教を創始した。しかし政治・
商 業 上 の 特 権 喪 失 を 恐 れ る 大 商 人 の 迫 害 を 受 け 、 彼 は 622年 に (a )メ ッ カ に 移 住 し た 。 こ の 出 来 事 を (b )ジ ハ ー ド と よ び 、 イ
スラム紀元の元年とする。
Ⅱ . 正 統 カ リ フ 時 代 に は イ ス ラ ム 教 信 徒 全 体 、 す な わ ち (a )ム ス リ ム の 中 か ら カ リ フ が 選 出 さ れ 、 周 辺 へ の 征 服 事 業 が 継 続
さ れ た 。 642 年 に は [
B
] の 戦 い で 、 サ サ ン 朝 ペ ル シ ャ に 打 撃 を 与 え 、 (b )パ ル テ ィ ア 王 国 か ら は シ リ ア ・ パ レ ス テ ィ ナ
を奪った。
Ⅲ . ウ マ イ ヤ 朝 を 創 始 し た シ リ ア 総 督 ム ア ー ウ ィ ヤ は (a )ダ マ ス ク ス に 都 を 置 き 領 土 を 拡 大 し た 。 東 方 で は イ ン ダ ス 川 流 域
ま で を 支 配 し 、 西 方 で は 711年 イ ベ リ ア 半 島 の (b )ヴ ァ ン ダ ル 王 国 を 滅 ぼ し 、 732年 に は [
C
]の戦いでフランク王国へ
の侵入を試みた。
Ⅳ.アッバース朝は第5代カリフ[
D
]の時代にイスラム文化の黄金時代を迎え、アラビア数学を確立した数学・天文
学 者 で あ る ( a )イ ブ ン = シ ー ナ ー な ど が 活 躍 し た 。 し か し 、 そ の 後 各 地 に 軍 事 政 権 が 自 立 し 支 配 力 が 低 下 、 94 6年 に イ ラ ン 系
(b )ブ ワ イ フ 朝 に 都 を 占 領 さ れ ア ッ バ ー ス 朝 は 名 目 的 存 在 と な っ た 。
Ⅴ.後ウマイヤ朝滅亡後、[
E
] 人 の ム ラ ー ビ ト 朝 つ い で ム ワ ッ ヒ ド 朝 が 成 立 し 、 (a )マ ラ ケ シ ュ に 都 を お き 、 イ ベ リ
ア半島にも進出した。しかし、キリスト教勢力のイスラム勢力駆逐運動に圧迫され衰退した。その後最後のイスラム王朝で
あ る ナ ス ル 朝 も 1492 年 に (b )グ ラ ナ ダ を 失 い 、 こ の 地 で の イ ス ラ ム 勢 力 は 消 滅 し た 。
[14]
以 下 の (1 )∼ (6 )の 文 は 、 南 ア ジ ア ・ 西 ア ジ ア 世 界 に つ い て 述 べ た も の で あ る 。 文 中 の 下 線 部 が 誤 っ て い れ ば 正 し い
語句に書き換えなさい。正しければ「1」と記入しなさい。
(1 )イ ン ド は 大 部 分 が 熱 帯 ・ 亜 熱 帯 に 属 し 、 高 温 多 湿 の 風 土 で 、 稲 作 を は じ め と す る 農 業 が 発 達 し 、 前 200 0年 ご ろ に は イ ン
ダ ス 川 流 域 で 都 市 文 明 が 発 達 し て い た 。 こ の 文 明 は イ ン ダ ス 文 明 と 呼 ば れ 、 (a )モ ヘ ン ジ ョ = ダ ロ や ハ ラ ッ パ ー に 代 表 さ れ
る 高 度 な 都 市 文 明 で あ っ た 。 そ し て 、 前 1500年 ご ろ イ ン ダ ス 川 流 域 に 侵 入 し た (b )ド ラ ヴ ィ ダ 人 は や が て ガ ン ジ ス 川 流 域 に
進出し小王国をたて、社会の発展につれ独自の身分制度が形成された。
(2 )シ ャ カ 族 の 王 子 ガ ウ タ マ = シ ッ ダ ー ル タ は 、 全 て の 人 間 は 平 等 で あ る と す る 仏 教 を 開 い た 。 仏 教 は 後 1 世 紀 に (c )グ プ
タ朝のもとでヘレニズム文化と結びつき、ガンダーラ美術が誕生した。だが、仏教はインドではその後定着せず、4世紀以
後 (d )ジ ャ イ ナ 教 を 中 心 に 成 立 し た ヒ ン ド ゥ ー 教 が イ ン ド の 宗 教 の 主 流 と な り 、 現 在 も イ ン ド 人 の 考 え 方 や 日 常 生 活 の 基 本
をなしている。
(3 )イ ン ド シ ナ 半 島 で は 2 世 紀 ご ろ か ら イ ン ド の 影 響 で 王 国 が 建 設 さ れ た 。 な か で も 、 メ コ ン 川 中 流 域 に お こ っ た ク メ ー ル
人 の 国 で あ る カ ン ボ ジ ア で 、 2 世 紀 に 建 設 さ れ た (e )ボ ロ ブ ド ゥ ー ル は 有 名 で あ る 。
(4 )古 代 オ リ エ ン ト 世 界 を 最 初 に 統 一 し た (f )ア ッ シ リ ア は 、 苛 酷 な 支 配 の た め に 諸 民 族 の 反 抗 を 招 き 滅 亡 し た 。 そ の 後 、
- 11 -
オ リ エ ン ト 世 界 を 統 一 し た ア ケ メ ネ ス 朝 は ギ リ シ ア と の 3 度 に わ た る 戦 い の 後 (g )カ エ サ ル に よ っ て 滅 ぼ さ れ た 。 彼 は ギ リ
シア文明とオリエント文明の融合をめざしたが急死した。
(5 )7 世 紀 初 め に メ ッ カ の 商 人 ム ハ ン マ ド は 、 神 の 啓 示 を 受 け た と し て イ ス ラ ム 教 を 開 い た 。 や が て 、 そ の 伝 道 活 動 の も と
でアラビア半島はイスラム教の信仰のもとに統一された。ムハンマドの死後、カリフと呼ばれる後継者が選ばれさらに征服
活 動 が す す め ら れ る 中 で 、 経 典 (h )ヴ ェ ー ダ の 編 集 が お こ な わ れ た 。
(6 )11世 紀 に は い る と 西 ア ジ ア で は (i )イ ラ ン 系 の 諸 民 族 が 活 躍 し 、 セ ル ジ ュ ー ク 朝 は 、 カ リ フ を そ の 保 護 下 に お き ( j ) ス
ル タ ン の 称 号 を 得 た 。 さ ら に 13世 紀 に 成 立 し た オ ス マ ン 朝 は 、 ア ジ ア ・ 北 ア フ リ カ ・ ヨ ー ロ ッ パ に ま た が る 大 帝 国 を 築 き 、
イスラム世界の盟主となった。
[15]次 の 地 図 ( A ) は 紀 元 後 2 世 紀 の 世 界 を 、 地 図 ( B ) は 紀 元 後 13世 紀 後 半 の 世 界 を そ れ ぞ れ 示 し て い る 。 こ の 地 図 に 関
する下の設問に答えなさい。
地図(A)について
2世紀の世界はユーラシア大陸の各地に比較的安定した国家が並立し、それらの国家間の交流も従来とは比較にならぬほ
ど盛んになった。このことを念頭に置いて次の設問に答えなさい。
問1
図中「あ」の王朝の記録には「大秦王安敦の使者が中国南部に到来した」との記述があるが、この大秦とは何を指す
か。地図(A)の中の記号と国名を答えなさい。
問2
図中「あ」の王朝名を記せ。
問3
図中「あ」の王朝の都は洛陽である。図中の記号A ∼D の中からその正しい位置を選び記号で答えなさい。
問4
図中「う」の王朝は中国と西方の間の物資の取引で繁栄していた。この王朝の富の源泉であった中国産の最も重要な
商品は何か。次の中から一つ選び、記号で記せ。
ア.香辛料
問5
イ.陶磁器
ウ.絹
エ.コハク(琥珀)
図中「か」の集団はこの後、さらに西方へ移動し、4世紀後半以降はヨーロッパでは「フン族」として歴史に登場し
たと考えられている。この集団は何か。次の中から選び、記号で記せ。
ア.鮮卑
イ.匈奴
ウ.スキタイ
エ.突厥
地図(B)について
13世 紀 の 世 界 は 近 代 以 前 に お い て は 特 筆 に 値 す る ほ ど 東 西 交 渉 が 発 展 し た 時 代 で あ っ た 。 そ れ は ユ ー ラ シ ア 大 陸 の 大 半 を
支配し、広い範囲にわたって安定した政治状況を生み出したモンゴル帝国に負うところが大きい。このことを念頭に置いて
次の設問に答えなさい。
問6
モ ン ゴ ル 勢 力 は 13世 紀 前 半 、 北 イ ン ド に 侵 入 し 、 図 中 「 さ 」 の イ ス ラ ム 王 朝 と 戦 っ た 。 こ の 王 朝 の 都 G の 都 市 名 を 次
の中から選び、記号で記せ。
ア.カルカッタ
問7
イ.ボンベイ
ウ.デリー
エ.ゴア
図 中 「 し 」 の 王 朝 は 、 13世 紀 後 半 の 西 ア ジ ア ・ 北 ア フ リ カ 地 域 に お い て 、 イ ス ラ ム 勢 力 の リ ー ダ ー と し て モ ン ゴ ル 勢
力とヨーロッパ勢力の両方に対抗していた。この王朝の名を記せ。
問 8 「 し 」 の 王 朝 に 対 抗 す る た め 、 フ ラ ン ス 国 王 ル イ 9 世 は 13世 紀 半 ば ウ ィ リ ア ム = ル ブ ル ッ ク を モ ン ゴ ル 帝 国 へ 派 遣 し た
が、彼が派遣されたモンゴル帝国の都(図中E)は何か。次の中から選び、記号で記せ。
ア.大都
問9
イ.カラコルム(和林)
ウ.臨安
エ.香港
この時代、ヴェネツィア商人マルコ=ポーロはモンゴル帝国を訪れているが、彼が立ち寄った中国の海港都市「ザイ
トゥン」(図中F)は世界で最も繁栄している港であると『東方見聞録』で記している。この「ザイトゥン」という町はど
の都市をさしているか、次の中から選び、記号で記せ。
ア.北京
イ.長安
ウ.広州
エ.泉州
- 12 -
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