Message from Ambassadors Peru: A reliable partner in Latin America with growth potential Elard Escala Ambassador of Peru to Japan Despite of the current international economic stagnation, Peru has a record average of inclusive growth among the emerging markets, during the last 14 years. Since long ago, Peruvian government maintains a prudent management in the use of fiscal resources. The savings generated in these boom years are being zealously invested in new infrastructure projects, which are changing the landscape of the country, such as the Lima Metro Line, transport and communications concessions, ports, huge irrigation works, etc. Improvement in country’s risk level, open trade policy, deep integration and market access, favorable climate for doing business and wide growth potential for many economic sectors, determine the increasing flow of new foreign investment to Peru. 岸田文雄外務大臣とエラルド・エスカラ駐日ペルー大使 (2013年4月、岸田大臣のペルー訪問に先立ち外務省にて) 2 2014.1 According to quarterly survey conducted by Getulio Vargas Foundation (FGV) of Brazil, together with the Institute of Economics Studies of Munich (IFO), Peru improved his ranking position from third place (July 2013) to second place (October) as the country with the 10 better conditions to do business in Latin America. World Bank assigned also to Peru the second best place to do business in Latin-American region. Also Fitch Ratings on October 23 rd 2013 upgraded Peru’s credit rating one notch higher into investmentgrade territory. Fitch raised Peru’s long-term foreign issuer default ratings to BBB-plus from BBB, citing “continued pragmatism” and “steady progress on reforms”. Fitch upgraded the country ceiling to A-minus from BBB-plus and the longterm local currency to A-minus from BBB-plus. ペルーの首都リマ Fitch’s new rating for Peru, following an upgrade from Standard & Poor’s to BBB-plus in August, places the Andean country above Mexico and Moody’s rates the country Baa2 with a positive outlook. However, as noted by Peruvian President Ollanta Humala, Peru not only promotes growth, but also social progress. Therefore, new social programs have been implemented to support the elderly, children under three years, scholarships for students, and better minimum living wage. At the international level, Peru has been actively participating in the TPP negotiations and is also a dynamic member of the Pacific Alliance, which links it with Mexico, Colombia and Chili. Japan government has sent some experts to Peru in order to identify investment opportunities to be discussed in a meeting between the high level group of the Pacific Alliance and Japan this year. During the past year, the relationship with Japan has continued to strengthen through the official visit to Japan of President Ollanta Humala in May 2012. Several mutual visits at ministerial level have been made, among which outstand that of the Minister of Foreign Affairs, Fumio Kishida, to Lima on April 30 th and May 1st 2013. In addition, on last May 9 th , an investment road show took place in Tokyo, organized by the Embassy of Peru in Japan and the Peruvian Private Investment Promotion Agency, in order to bring first-hand information to large Japanese corporations on a broad portfolio of investment projects. A second road show will take place in Tokyo this year to talk about business opportunities in fisheries, mining, agrobusiness,energy, clothing, petrochemicals, tourism,outsourcing, real estate, and transport infrastructure. Last year was particularly important for JapanPeruvian relations, because August 21st, Peru and Japan commemorated 140 years since the establishment of diplomatic relations. In this context, the “Business Committee Peru-Japan (CEPEJA)” celebrated on August 20 th his annual meeting in Lima with positive results and a good outlook for new ventures. Viewing this long tradition of tangible friendship between the two countries and the fact of sharing so many common values, I am able to predict a promising future for our deep partnership in all areas, and of course in everything related to the interaction due to the presence of Japanese and Nikkei community resident in Peru and the Peruvian community in Japan. JOI 特別会員 『ペルー政府貿易日本事務所』の ご紹介 ペルー政府貿易日本事務所(ペルー大使館商務部)はペルー貿易観光省の所轄であり、日本市場の重要性を鑑 み、2010年 6 月に駐日ペルー大使館内に開設されました。ペルーの輸出促進およびペルーへの投資・観光の 推進を目的として業務しております。両国間の貿易やビジネスを活発化するため、日本企業への情報提供や、ビ ジネスチャンス増進のためのセミナーや講演会を開催しております。 ルイス・エルゲロ商務参事官が任務しておりますので、下記へご照会ください。 Luis Helguero, Commercial Counsellor [email protected] TEL: 03-3406-6486 (direct) / 03-3406-4243 FAX: 03-3409-7589 2014.1 3 インタビュー JBICのペルー向け協力の これまでの歩みと将来へ向けて 国際協力銀行(JBIC)矢島浩一代表取締役副総裁(前 資源・環境ファイナンス部門長)に、JBICのペルー向 け協力のこれまでの歩みと、将来へ向けた今後の取り組みについてインタビューした。 ―― これまでのJBICによるペルー向け協力の歩み とはどのようなものですか? (世界銀行)などと協調して、ペルーの経済発展を支 援してきました。 旧日本輸出入銀行(輸銀)時代を含めJBICでは、 日本企業が事業投資を行い、日本への引き取りを行う ―― 矢島副総裁は中南米営業課の課長代理時代、 銅・モリブデン・亜鉛・鉛などの鉱物資源開発プロジ ペルー向けブリッジローンを担当されたそう ェクトへの協力を積極的に行ってきました。その代表 ですが、その当時の思い出・苦労話を聞かせ プロジェクトとしては、①1968年の開山以来(2013 ていただけますか? 年に)45周年を迎えた三井金属鉱業100%のワンサラ ペルーは一時期、累積債務問題を抱える中南米諸国 亜鉛・鉛鉱山、②三菱商事が10%参画するペルー最大 のひとつとして国際金融社会から融資を受けられなく のアンタミナ銅・亜鉛鉱山、③住友金属鉱山・住友商 なった時期がありましたが、フジモリ大統領が就任し、 事が21%参画するセロベルデ銅・モリブデン鉱山、な 国際金融社会に復帰することを決意。1993年に、旧 どがあげられます。 輸銀としてペルーの国際金融社会への復帰をブリッジ また、1993年には、累積債務問題に苦しんでいた ローンによって支援することになりました。この案件 ペルーの国際収支改善(延滞債務の解消)のために、 は、輸銀としても第1号のブリッジローン案件で、ペ ペルー政府と中央銀行向けのブリッジローン(短期つ ルー政府がIMF(国際通貨基金) ・世銀に対してもっ なぎ融資)を供与し、国際金融社会への復帰を支援し ていた延滞債務の解消のために輸銀が融資を行ったと ました。 いうものです。最初に輸銀がペルー政府に融資をし、 そのほか、日本企業から機械設備などの輸入を円滑 ペルー政府がそれをもってIMF・世銀それぞれに延 に行えるようにするために、COFIDE(ペルー開発 滞債務を返済し延滞状態を解消。その後同日中に 金融公社)やBCP(民間金融機関)向け輸出バンクロ IMF・世銀がそれぞれ理事会を開催し、ペルー政府 ーンを供与したほか、IDB(米州開発銀行)や世銀 に同額の融資を行い、その資金でペルー政府が輸銀に インタビューを受けるJBIC矢島副総裁 4 2014.1 1968年の開山以来45周年を迎えた三井金属鉱業100%のワンサラ亜鉛・鉛鉱山 (写真:三井金属鉱業提供) ペルー特集 返済するというオペレーションです。それをすべて1 日のうちに行うということで、かなり精巧なスケジュ ール調整を要する案件としてとても印象深い思い出で す。その後もいくつかの国向けに同様のスキームのブ はし リッジローンが実行されていますが、その奔りになっ た案件です。1日のうちに複数の機関で貸付を実行す るため、IMF・世銀との密接なコンタクトが必要で した。またすべての取引はNY連銀(ニューヨーク連 邦準備銀行)の口座間で行うためNY連銀に輸銀とし て新たに口座を開設する必要もあり、行内では財務部、 総務部業務課(当時) 、ワシントン駐在員事務所とチ 住友金属鉱山・住友商事が21%参画する セロベルデ銅・モリブデン鉱山(写真:住友金属鉱山提供) ームを組み、短期間でさまざまな調整をして、事務処 理をしました。関係者一同大変な思いをしましたが、 鉛は豪州に次いで第2位の輸入先であり、非鉄金属分 その後のペルー経済復興につながったということで、 野では伝統的に日本にとって重要なパートナーです。 今でも非常に印象深い案件です。 ペルーは今や中南米では、チリに次ぐ高格付け国で、 銅をはじめ鉱物資源は日本の産業にとって必須の金 属資源ですが、今後新興国を中心に世界的な需要増が 一部の格付機関ではメキシコ・ブラジルよりも高格付 見込まれており、日本のユーザーにとって安定確保が けとなりました。1993年のブリッジローンに奔走協 重要な課題となっています。 議したころから早いもので20年余りが経過しました 現在、日本企業が事業投資・日本への引き取りを行 が、立派な玄関口としてリニューアルされたリマ国際 う鉱山開発プロジェクトとして、①セロベルデ拡張 空港に降り立つたびに、様変わりした現在のペルーの (住友金属鉱山、住友商事) 、②ケジャベコ(三菱商事) 、 経済発展ぶりに驚かされます。 ③サフラナル(三菱マテリアル) 、④ケチュア(パン パシフィックカッパー)が進行中です。JBICとして ―― JBICとしての、将来へ向けたペルー向け協力 はこれまで同様、日本の鉱物資源安定供給先の確保お の今後の取り組みについてはどのようにお考 よび開発の促進のため、日本の公的金融機関として、 えですか? プロジェクトファイナンスなどさまざまな金融手法を ペルーは世界屈指の資源大国であり、銀・銅・亜 活用した案件形成やリスクテイク機能などを通じて、 スズ 鉛・錫の生産は世界第3位、鉛・モリブデンが第4位、 日本企業が事業投資・日本への引き取りを行う鉱山開 金は第6位であり、日本が輸入する銅の14%、亜鉛の 発プロジェクトを積極的に支援していく方針です。 26%がペルー産です。 日本にとって銅はチリに次いで第2位の輸入先、亜 また、鉱物資源に加え、水、インフラ、その他プラ ント、新エネルギー、食糧、製造業などの分野におい ても、日本企業の事業投資、輸出や日 ひ えき 本への裨益を伴うプロジェクトへの協 力を行い、協力の幅・裾野をより広げ ていきたく、ペルー政府・関係機関と の緊密な対話をいっそう深めていく所 存です。2013年は日本ペルー友好140周 年を迎えましたが、これまでの日本と ペルーの友好・協力の歩みを、さらに 深めていくことがJBICの使命だと思っ ています。 三菱商事が10%参画するペルー最大のアンタミナ銅・亜鉛鉱山 (写真:三菱商事提供) (文責:JOI事業企画部次長 行天健二) 2014.1 5 現地レポート ペルーのこれまでの 歩みと今 国際協力銀行 ニューヨーク駐在員事務所 駐在員 毛利 喬彦 マチュ・ピチュの都市遺跡、ナスカとフマナ平原の 果たした。 ひょうぼう 地上絵、クスコ市街等々、数多くの世界遺産で知られ フジモリ政権後は反フジモリを標榜する大統領が政 るペルー共和国は、近年、南米における有望な新興国 権に就いているが、経済運営ではフジモリ政権時代に として脚光を浴びている。1980年代には経済政策の 改正された法律などに基づき、引き続き新自由主義的 失敗によるハイパーインフレで国家破綻に陥った同国 な経済運営が行われている。格差是正を目的とする だが、その後の新自由主義的な経済運営および鉱物資 「社会的包摂」を政策上の重要課題として2011年に就 源開発によりその姿は大きく変わった。本稿では現在 任したウマラ大統領についても、当初は弱者支援に伴 に至るまでのペルーの歩みと今を紹介していきたい。 う財政支出拡大が懸念されたが、高齢者、女性、社会 的弱者などに支援対象を限定し、堅実なマクロ経済政 1. 国家破綻からの復活 1968年の軍事クーデターで成立した軍事革命政権 策や財政規律が維持されている。 2. 経済成長を支える鉱業部門 は、それまでの米国追従から一転、反米および自主独 立を掲げて「ペルー革命」を推進し、社会主義的な政 ペルー経済は2005年以降、南米において最も高い 策を展開した。内政においては農地改革による地主寡 水準の経済成長を達成、リーマンショック後の2009 頭支配層の解体、および米国からの経済独立を目指し 年もプラス成長を維持しており、2002∼11年の10年 ての外国資本の国有化が進められた。これらの社会主 間の経済成長は平均6.4%と南米で最も高い水準にあ 義的政策推進による対外債務の増加から、1976年に る(図表1) 。 ペルーは実質的に国際通貨基金(IMF)の管理下に この経済成長を支えているのは、鉱業部門への海外 置かれたが、80年の民政移行を経て、85年にガルシ からの直接投資である。近年の鉱物資源価格の高騰に ア大統領が就任すると、利払いを輸出の10%以内に制 加え、フジモリ政権時に鉱業部門で進められた民営化 限したのを皮切りに、対外債務については受け入れた 政策および外資促進政策により、多くの外国企業がペ 新規融資の範囲内での返済を宣言するなど、IMFの ルーに進出し、アンタミナ鉱山やヤナコチャ鉱山など 意向を無視した経済運営を行った。結果、国際金融機 の大規模鉱山が誕生したこと、加えて既存鉱山が相次 関や主要先進国からの資金流入が停止、通貨は暴落し、 90年には7482%ものハイパーインフレに見舞われ、 国家破綻状態に陥った。 その後、1990年に南米初の日系大統領として発足 図表1 南米のGDP成長率比較 (%) 7 したフジモリ政権は、市場メカニズムの重視を旨とす 6 る投資関連法などの積極的な改正を実行するととも 5 に、堅実な財政・金融政策による新自由主義的な経済 運営を行って経済の改善を図り、インフレは次第に沈 3 ペルー政府がIMFおよび世界銀行に対し有していた 0 ブリッジローン供与で解消し、国際金融界への復帰を 6 2014.1 2.8 4.4 3.8 1992∼2001年 アルゼ ボリ ンチン ビア ブラ ジル 4.6 2.7 2.5 2 1 6.4 6.0 4.2 3.4 4 静化していった。93年にはペルー中央準備銀行および 延滞金を旧日本輸出入銀行(現国際協力銀行)からの 5.9 4.6 2.2 4.1 3.9 2.0 4.2 3.5 2.3 1.6 2002∼2011年 チリ コロン エクア パラグ ペルー ウルグ ベネズ ビア ドル アイ アイ エラ 出所:IMF World Economic Outlook Database 2013 ペルー特集 図表2 鉱業部門投資額推移 (百万ドル) 10,000 8,568 8,000 7,243 5,889 6,000 4,069 4,000 2,822 1,708 2,000 1,610 1,249 0 2006 07 08 09 10 11 12 13 (年) 注:2013年は8月までの累計。 出所:Ministeiro de Energia y Minas 第11回日本ペルー経済委員会開会式(中央右がウマラ大統領) いで拡張したことが生産量の拡大に大きく貢献してい ル導入などを通じ、既存FTAのさらなる自由化と簡 る。その結果、ペルーは世界有数の鉱業国となり、銅 素化を目指している。太平洋同盟加盟国の貿易額は中 (世界生産第3位) 、亜鉛(同3位) 、銀(同3位) 、金 南米全体の約5割を占めており、保護主義的な南米南 (同第6位)を産出。鉱業部門はペルーの輸出総額の 部共同市場(メルコスール)とは異なる自由貿易の枠 52.3%を占め、わが国も、銅精鉱の14.5%、亜鉛精鉱 組みが形成されている。 の25.6%をペルーから輸入している。2012年にはセロ 投資に関しては、交通・水道・電力・エネルギー・ ベルデ銅鉱山やアンタミナ銅鉱山への投資などもあ 電気通信全般のインフラが未整備であるといわれてお り、ペルー鉱業部門への投資額は過去最大の85億ドル り、特に、主要港湾であるカジャオ港のキャパシティ 超を記録、13年も8月時点で前年同期比+15.1%の58 向上および鉱山開発に伴う電力供給不足への対応が課 億ドル超を記録している(図表2) 。 題とされ、多くのプロジェクトが政府より発表されて いる。ただし、健全財政維持・強化の観点から政府は 投資の拡大による雇用所得環境の好転を背景に個 民間主体でのプロジェクト実施を原則としており、資 人消費も拡大しており、ペルーの中間層は国民の約 金調達や安定的な事業運営の実現などにかかる問題か 70%、2100万人に達している。 ら、各プロジェクトの具体化は遅々として進まぬ状況 政府の堅実な経済運営の結果、インフレ率は低く抑 となっている。 えられている。また、公的債務の水準もGDP比19.7% と大きく減少。鉱物資源価格の高騰と直接投資額の増 4. 親日国ペルー 加により外貨準備高は642億ドルと対外債務残高(505 億ドル)を上回る水準まで積み上がっており、かつて ペルーは日本とは1873年に中南米諸国のなかで最 のハイパーインフレや対外債務不履行に陥った姿はも 初に外交関係を樹立、南米で最も古い日本人移住の歴 はや見当たらない。 史を有し、伝統的に友好な関係にある。また、本年は 外交関係樹立140周年にあたり、8月にはペルーにお 3. 自由貿易協定への取り組み いて第11回日本ペルー経済委員会(Cepeja)が開催 され、日ペルー双方より総勢293名が出席、鉱業、新 新自由主義的な経済運営を行うなかで、ペルーは投 資の誘致、貿易の拡大(特に付加価値を伴う非伝統的 エネルギー、水資源、農産品輸出などについて活発な 議論が交わされた。 産品の輸出増)を目指し、自由貿易協定(FTA)を 積極的に推進している。 2009年の投資協定、12年の経済連携協定締結によ また、ガルシア前大統領の呼びかけのもと「深く統 り、両国間の経済分野での関係はますます活性化して 合された地域を形成する」として、2011年にはメキ いる。今後は、鉱業部門に加えインフラ分野への投資 シコ、コロンビア、チリとともに「太平洋同盟」を設 が期待されるとともに、これまでの二国間の貿易・投 立。太平洋同盟では全品目の92%の関税の即時撤廃、 資という観点からFTAを活用した多国間の枠組みの 残り8%の段階的縮小、累積原産地規則の導入(面的 なかで、両国の関係がさらに深化することが望まれる。 FTA) 、金融・通信・政府調達等の自由化・共通ルー 2014.1 7 日本企業の取り組み 1 三井金属鉱業の ワンサラ鉱山開発史話 三井金属鉱業株式会社 ペルー支社 支社長 五味 篤 鉱業立国ペルー ワンサラ鉱山の開発 一般にペルーの印象は、天空都市マチュピチュ、精 当社のワンサラ鉱山は1968年開山以来、本年で45 緻なクスコの石積、ナスカ地上絵など「謎と神秘に満 周年を迎えた。古来より名山とうたわれた鉱山でも、 ちた国」という遺跡観光の要素が強い。しかし、歴史 絶え間ない新規鉱量の獲得と追加投資、環境対策と操 的にペルーの政治・経済を左右してきたのは鉱業であ 業によって得られる利益に見合った地元貢献なしで る。スペイン人がインカ帝国を侵略したのは、金銀の は、半世紀近く稼行を継続することは難しい。 略奪と強制労働による銀採掘が目的であった。独立後 当社がペルーの鉱物資源の潤沢さに注目し、標高 の経済を支えたのは、硝石とグアノの輸出であったし、 4000m以上のアンデス高地で鉛・亜鉛資源調査を開始 疲弊をもたらしたのはチリとの太平洋戦争の敗戦に伴 したのは1961年のことである。当時はまともな道路 うこれらの資源の喪失にほかならない。現在でもペル もなく、首都リマから4輪駆動車と馬を乗り継いで2 スズ ーは世界屈指の資源大国であり、銀、銅、亜鉛、錫の 昼夜をかけ現地入りし、日干しレンガの粗末な小屋を 生産は世界第3位、鉛が第4位、金は第6位であり、 宿舎に高山病による頭痛に悩まされながら調査を行っ 日本が輸入する銅の12%、亜鉛の26%がペルー産で た。結果、有望な鉛・亜鉛鉱床に逢着したため、通産 ある。 省から外貨割当を取得、物資輸送の障壁を克服して、 鉱石処理量500トン/日で 操業にこぎつけた。開山式 には当時のベラウンデ・ペ ルー大統領も参列し、鉱山 の発展と日本・ペルーの友 好を祈念した。 その後順次増産起業を行 い、最大1700トン/日まで 規模を拡大し、今日に至る まで操業を継続している。 累計生産量は粗鉱1750万ト ンを採掘、鉛57万トン、亜 鉛135万トンに達し、現在 も安定的に亜鉛を日本に供 給し続けている。 もちろんこの道筋は平坦 パルカ鉱山4640m準地表遠景(2004年5月31日撮影) 8 2014.1 なものではなく、軍事政権 ペルー特集 下での国有化政策、極左的労働運動の激化、テロリズ ムの横行と天文学的インフレ発生など、数々の悪条件 を克服してきた努力は筆舌に尽くしがたい。1997年 のペルー大使公邸占拠事件では、当社社員が長期間拘 束されるという経験もしている。 その中にあっても操業を継続できたのは、ワンサラ 鉱山が優良鉱床であったことに加え、日本人とペルー 人が連携協業してきたこと、JOGMEC(旧金属鉱業 事業団、現石油天然ガス・金属鉱物資源機構)による 探鉱リスク軽減制度の活用や、競争力強化のための積 極的な追加投資を行ってきた結果といえる。1975年 には精鉱輸送距離の短縮のため、JICA(旧国際協力 ワンサラ開山45周年記念パレードで地元民族舞踊を踊る労働者 事業団、現国際協力機構)から融資を受けていわゆる カタック道路の建設に着手し、83年には4300kW水力 発電所を建設することになり、再度JICAから融資を 受け87年に完成した。 パルカ鉱山の開発 ワンサラ鉱山が開山し操業している間も、新規の鉱 床発見を期して周辺地域の探鉱が継続されてきた。ワ ンサラ鉱山の南約20kmにあるパルカ地域もそうした 提供された教科書を読む地元の子どもたち (Tres de Mayo de LLacuash) 地域のひとつで、1973年にJOGMECの調査以降、テ ロと治安悪化による長期の中断を挟み、2006年にワ あつれき ンサラ鉱山の支山として、パルカ鉱山の操業を開始す ペルーでも鉱山開発をめぐる地域社会との軋轢が問 るに至った。現在700トン/日の鉱石をワンサラ鉱山 題となっているが、住民の過剰な期待や地元自治体の の選鉱場にトラック運搬して処理している。 行政能力不足など、解決すべき課題はまだ多い。ワン パルカ鉱山は標高4000∼4800mの急峻な山岳に位 サラ鉱山では以前から、鉱山への雇用、電力無償供給、 置し、開発に際しては、ワンサラ鉱山で培われた高地 道路造成、学校・公民館・体育館の建設、上下水道な での鉱山操業技術が活かされた。 どのインフラ整備、医療支援、農畜支援など多岐にわ さらにワンサラ鉱山とパルカ鉱山の中間に位置する たる地元貢献を継続し、信頼関係も熟成されている。 アタラヤ地域において鋭意、ボーリングを実施したと パルカ鉱山においても同様に鉱山への雇用、電気料金 ころ、2007年に新たに有望な亜鉛鉱床を発見できた 負担、道路造成、学校・公民館の建設、上下水道など ので、11年より詳細な調査を開始した。 のインフラ整備、医療支援、農畜支援などを実施して いる。 環境対策と地域貢献 結 び ペルーは経済的困窮の時代が長かったことで、1993 年の環境法改正により、ようやく既存鉱山の環境対策 ワンサラ鉱山とパルカ鉱山の操業をはじめ、三井金 義務が規定された。当社は環境対策にいち早く取り組 属鉱業はこれからも長期的視野に立った積極的な探鉱 み、2002年までにワンサラ鉱山の環境対策を完了さ と開発、環境対策と地元貢献を通じ、両国の友好と経 せ、ペルーにおける環境法適法の最初の鉱山となるに 済発展に貢献したいと考えている。 至った。 2014.1 9 日本企業の取り組み 2 住友金属鉱山の ペルーでの事業展開 Sumitomo Metal Mining Perú S.A. 社長 上原 大二郎 住友金属鉱山のペルー戦略 セロ・ベルデの鉱床が発見されたのは19世紀末ま でさかのぼるが、開発が始まったのは1970年代であ 住友金属鉱山は「資源」 「製錬」 「材料」の3つをコ り、それも地表付近の酸化鉱に限られていた。 アビジネスと位置づけ、資源事業においては銅、ニッ 1999年にはPhelps Dodge社が権益を取得し、硫化 ケル、金をターゲットとして海外における鉱源確保を 鉱の開発が検討された。2005年、住友金属鉱山と住 図っている。世界の非鉄メジャーと伍して戦い、資源 友 商 事 は 、 両 社 の 合 弁 会 社 SMM Cerro Verde の安定供給に寄与するためには自社探鉱による大型鉱 Netherland社を通じてセロ・ベルデ鉱山の操業会社 床発見と、自社によるその開発・操業が悲願である。 Sociedad Minera Cerro Verde S.A.A.(SMCV)社 周知のとおりペルーは世界第3位の産銅国であり に2億6500万ドルを出資し、権益の21%を取得した。 (2012年) 、住友金属鉱山にとっては重要な投資対象国 2006年には硫化鉱の選鉱場から精鉱の生産が始まり、 であることから、2007年にSumitomo Metal Mining 住友金属鉱山としては最も重要な銅鉱源のひとつとな Perú S.A.(SMMPerú)を設立し、探鉱などの資源 っている。このように巨大かつ地の利にも恵まれた鉱 ビジネスを推進している。 床が21世紀になるまで開発されずにあったというのは 2013年8月には日本ペルー経済協議会がリマで開 まさに天恵というべきものであり、ペルーの鉱業界に 催された。ここで日本の鉱業界を代表して当社代表取 おいても例外的に恵まれたプロジェクトとして知られ 締役専務・川口が講演を行い、今後もペルーにおいて ている。 積極的な事業展開を考えていると述べるとともに、い っそうの投資促進のためには鉱業ロイヤルティの軽減 や不法・非正規鉱業者の取り締まり、地域住民の教 育・啓蒙などが必要であると提言をした。この発言は 翌日の有力紙で見開き2ページにわたって報じられ、 大きな注目を集めた。 セロ・ベルデ鉱山 セロ・ベルデ(Cerro Verde)鉱山は、ペルー南 東部の主要都市アレキパ(Arequipa)から車で約1 時間のところにある。アレキパは人口約100万人のペ ルー第2の都市で、市の中心部は世界遺産に指定され ている。アレキパの人たちは「ここはペルーではなく、 アレキパだ」と言ってはばからない自尊心、独立心の 強い人たちで、教育水準が高いことも特徴である。 10 2014.1 セロ・ベルデ鉱山位置図 ペルー特集 セロ・ベルデ鉱山オープンピット 2007年にはPhelps Dodge社を買収したFreeport- 2012年、SMCV社は建設費用の全額9000万ドルを McMoRan Copper & Gold社がオーナーとなった。 拠出して50万人分の供給能力をもつ飲料用水プラント 2011年には処理量を3倍にする拡張計画のFeasibili- をアレキパ市に建設した。その竣工式にはウマラ大統 ty Studyが完成し、2013年2月末に建設許可が得ら 領、メリノエネルギー鉱山大臣、地方政府関係者らが れたことから、同年3月に整地作業に着手した。 出席した。このほかにも教育支援、医療支援、環境保 この拡張計画は、①起業費44億ドル、②現在は 護活動など多岐にわたる活動を積極的に展開してい Cerro Verde鉱床とSanta Rosa鉱床を2つのピット て、地域社会と非常に良好な関係を保っている鉱山会 で採掘しているのを1つのピットにして深部を開発、 社として高く評価されている。 ③現在の選鉱場の2倍の処理能力をもつ選鉱場を新た に建設、④尾鉱ダムも新たに建設――というもので、 SMMPerúのCSR活動 2016年にフル生産を開始することを計画している。 選鉱処理量は3倍になるが、給鉱品位が低下するため、 SMMPerúの主たる事業は探鉱である。鉱業法上は 銅生産量は約2倍になる。世界クラスの鉱山1つ分を 初期探鉱には住民の合意は必要とされないが、SMM- 既存鉱山の拡張によって得ようという巨大プロジェク Perúでは渉外担当者を派遣し、住民の合意が得られ トであり、世界第4位の産銅量になると見込んでいる。 てから探鉱に着手することにしている。それによって 探鉱着手が遅れることもあるが、地域住民を尊重し、 セロ・ベルデに学ぶCSR 彼らの不安を取り除くことで(千に三つの世界ではあ るが)鉱床が発見できた場合にも地域住民と良好な関 ペルーではインカ帝国がスペイン人に侵略された経 係を維持できるものと考えている。また、コストしか よ そ もの 緯もあって「余所者」への警戒心が強い。一般の国民 発生しない探鉱段階であっても、遊具、学用品、燃料、 からは「鉱山会社は自分たちの土地から利益を吸い取 清掃活動などの寄付・社会貢献活動も事業規模に応じ るだけで、われわれには何も残さない」とみられるこ て積極的に行っている。これらは住友の事業精神であ ともある。心無い不法・非正規鉱業者が環境破壊など る「浮利を追わず」に通じるものがある。 の問題を起こしていることも事実であり、地域住民の 反対に遭って開発が中断しているプロジェクトも少な 結 び くない。 言い古されたことではあるが。鉱業は場所を選ぶこ 本稿を執筆している2013年は日本・ペルー両国間 とができない(鉱床が存在するところでしか成り立た の修好140周年にあたる。両国関係の維持、発展に尽 ない)事業であるから地域住民の協力を得ることは必 力された多くの先人の苦労に敬意を表したい。住友金 要不可欠であり、Minería Responsable(責任ある鉱 属鉱山はその心を引き継ぎ、両国間の架け橋になる 業者)としてはさまざまなかたちで地域への貢献が求 べくMinería Responsableとして活動していく所存で められる。それも争議が起きてから対処するのではな ある。 く、自発的な活動により「未然に防ぐ」ことが肝要で ある。 2014.1 11 日本企業の取り組み 3 三菱商事の ペルー事業小史 (銅資源編) 三菱商事株式会社 M.C. Inversiones Peru S.A.C. 社長 堤 儀秀 創成記(1950∼70年) 第二次世界大戦後のわずか11年後の1956年6月、 表 1960年代に本邦企業が参画した主な海外銅鉱山 プロジェクトの例 プロジェクト名 所在国 受入銅量 生産開始 ・融資買鉱 ブーゲンビル鉱山 ローネックス鉱山 エルツベルグ鉱山 リオブランコ鉱山 パプア・ニューギニア カナダ インドネシア チリ 90,000t/年 55,000t/年 40,000t/年 44,000t/年 1973(昭和48) 年 1972(昭和47) 年 1973(昭和48) 年 1971(昭和46) 年 ほとんどの商権を米国企業がもっていたため、商談は ・自主開発 ムソシ鉱山 マムート鉱山 ザイール マレーシア 年 53,000t/年 1971(昭和46) 年 29,000t/年 1975(昭和50) ペルー国外で行われていた。そのような状況下、駐在 出所:独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構 三菱商事はブラジル、アルゼンチン、チリに次ぐ南米 4番目の拠点として、リマ市内のホテルに駐在事務所 を開設した。当時は非鉄金属資源の関連商品が綿花/ 砂糖などと並んでペルーの主力輸出品目であったが、 事務所はペルー向け機器類などの販売を支援するリエ ゾン業務が主であった。その8年後の64年10月に現 に次ぐ世界第3位の需要国となっていた。高度成長期 地法人であるペルー三菱商事(Mitsubishi Peru の銅需要の伸びを支えるべく、60年代後半から本邦銅 S.A.)を発足させ、ペルーの公共事業への入札参加を スメルターと商社が一斉に海外銅鉱山案件への投融資 含む地場取引が可能となった。 を実行、本案件もそのひとつである。 現地法人の発足から4年後の1968年、ペルーにて クーデターが発生、①国家による経済管理、②大土地 停滞期(1980年代) 所有制度の崩壊、そして③外資規制を掲げた軍事政権 が誕生。まず石油と鉄鉱山/鉄鋼ミルが国有化され、 軍事政権による経済運営は資本主義の効率もなく、 70年には国営ミネロペルー社が設立、未開発銅鉱山、 社会主義の規律も持ち合わせておらず、また、1973 銅製錬所とその関連港湾設備が次々と国有化されてい 年のオイルショックによる世界不況も重なり、銅価下 った。4年後には鉱業生産の半分、製錬業と鉱物輸出 落に伴う外貨収入減からペルーの対外債務は膨張の一 業についてはそのすべてが国の統制下に治められた。 途をたどった。80年に軍事政権が倒れ、民政が復活し ここで国有化された未開発鉱山のうち、アンタミナ銅 てもこの傾向に歯止めはかからず、90年にはインフレ 鉱山とケジャベコ銅鉱山に30年以上の時を経て三菱商 率7650%を記録し、国民生活は困窮を極めた。 事が参画することになろうとは、当時誰も想像してい なかったであろう。 クーデター発生から3年目にあたる1971年9月、 1990年7月に誕生したフジモリ政権は、経済面で は、インフレ率の縮小(1990年8000%⇒92年56%) 、 国際金融社会へ復帰(1993年にIMFより「融資適格 三菱商事とその他日系商社は、Southern Peru Cop- 国」指定取得) 、そして財政赤字縮小のために国有企業 per Corp社(現Southern Copper Corp社)に融資 の資産売却を92年からその後10年強かけて断行する。 し、粗銅を15年間にわたりオフテイクする契約を締結 治安面では、2大テロ組織指導者が逮捕され、急速 した。この当時、日本の銅需要は1965∼73年のわず にテロの脅威が縮小、この治安回復を機に多くの本邦 か8年間で2.8倍に拡大、年間120万トンに達し、米独 企業はペルー回帰を開始した。一方、三菱商事は1992 12 2014.1 ペルー特集 年時点で、ペルー三菱の体制は邦人1名、現地社員数 名にまで縮小していた。 アンタミナ鉱山の生産開始は2001年10月だが、そ の約1年前に三菱商事はアンタミナ社に出向者を派 遣。株主各社の要請と協力によりアンタミナは資源メ 開花期(1990∼2000年代) ジャーの最新の技術と経営手法が投入される場となっ ており、出向者を出すことは当社にとって人材育成と 1992年当時の日本は、バブル崩壊直後ながら銅需 いう側面が大きい。2013年11月現在、アンタミナの 要は年間150万トン弱に達し、世界の銅精鉱の海上輸 株主はBHP Billiton、Glencore Xstrata、Teck、当 送量の過半を日本が輸入する時代であった。また、円 社となっており(当社からは2名が出向中) 、資源案 高により東南アジアへの日本企業の工場進出が盛んと 件、ペルービジネスの発展に寄与する人材を中長期的 なり、東南アジアでの銅需要も旺盛であった。この銅 視点で育成中である。 需要拡大を背景に本邦企業は海外鉱山投資を積極化さ せ、ペルーよりも先に軍事政権から脱却し、経済自由 結 び 化と外資導入に成功していたチリではエスコンディ ダ、ロスペランブレスなどの大型銅鉱山の開発が行わ アンタミナを通じたペルー資源案件に関する知見 れ、銅精鉱の販売先確保を目的として本邦スメルター は、2012年2月に三菱商事が国際金融公社からケジ しょうへい や商社を株主に招聘するケースが相次いでいた。 ャベコ銅鉱山案件の18.1%を買収した際にも発揮され そのようななか1996年12月にカナダのInmetとRio た。本案件は南部の乾燥地帯に位置しており、フジモ Algomに売却されたペルーのアンタミナ案件である リ政権下で民営化された2つめの銅鉱山として、アン が、98年に三菱商事へ参画の打診があったときはRio タミナよりも4年早い1992年12月に現在のAnglo Algom社(37.5%) 、Noranda社(37.5%) 、Teck社 American社に売却されている。Anglo American社 (25%)というカナダ勢が株主に名を連ねていた。ア は取得から20数年の間に数回のFSを行うとともに、 ンタミナは銅、亜鉛を擁する複雑鉱案件として、当社 プロジェクトが位置するモケグア県知事の協力を仰 は本邦の銅、亜鉛スメルターへ参画の打診を行うも、 ぎ、地域住民との対話を重ねてプロジェクト開発への ペルーのカントリーリスクの高さ、バブル崩壊による 完全同意を取得した。これはペルー鉱業界にとって 日本の景気低迷、銅価の低迷、そしてどの本邦スメル 「対話」そして「プロジェクトの進捗に合わせた地域 ターもすでに複数の開発案件を抱え、資金的余裕はな 貢献策」の重要性と有効性を示す事例となっている。 しんちょく かった。 このケジャベコ銅鉱山案件の権益買収に加え、2011 銅鉱山投資に際し、その規模や山命とともにコスト 年12月にはペルー北部のピウラ県にある燐鉱石案件へ 競争力を最重要視していた三菱商事はアンタミナ案件 の参画も行っており、三菱商事のペルービジネスはま ひ の直接操業費に魅かれていた。これは当社がすでに参 さに開花期を迎え、充実度を増している。三菱商事は 画済みのチリのエスコンディダ、ロスペランブレス案 今後ともペルーの経済成長へ貢献し、かつその成長と 件と並び本案件が当時の銅鉱山の上位に位置する高い ともにビジネスを伸長させていく所存である。 コスト競争力を有していたためで、 当社は最終的に10%の単独参画を決 定した。 アンタミナのほか、三菱商事は 1999年に自動車の販売代理店MC Autos del Peruを設立、2000年に 受注したペルー向け建設機械案件で は、当時の日本の建設機械業界の単 一受注記録を塗り替えるなど、三菱 商事のペルービジネスはその息吹を 吹き返す兆しを見せ始めていた。 夜間操業中のアンタミナ銅鉱山 2014.1 13 日本企業の取り組み 4 三菱マテリアル、 銅鉱山開発プロジェクト 三菱マテリアル株式会社 常務執行役員 資源・リサイクル事業本部長 近藤 比呂志 当社の銅鉱山投資 鉱山より産出される銅精鉱を引き取れるよう、常に留 意している。また、国際協力銀行をはじめとする金融 当社は、銅製錬所の主原料である銅精鉱の安定確保、 および投資リターンの享受を目的として、コスト競争 機関の協力を得て融資を手当てすることも多く、交渉 において多大なレバレッジとなっている。 力が見込める優良な銅鉱山開発プロジェクトに投資す ることを方針としている。銅精鉱の安定確保について これまでの経緯 は、いわゆる自山鉱比率を高めることにより、銅製錬 所の安定操業、および銅精鉱調達における交渉力の維 当社は本年6月、ペルー共和国Zafranal(サフラナ 持・向上に資することとなる。また、投資リターンに ル)銅鉱山開発プロジェクトに参画した。ペルーの銅 ついては、当社の収益力向上とともに、銅精鉱調達条 鉱山プロジェクトへの参画は初めてとなる。当社はか 件の変動による当社収益への影響を緩和する効果も期 ねて銅資源の豊富な地帯としてペルーに注目してお 待される。 り、有望プロジェクトへの参画機会をうかがっていた ところ、AQM Copper Inc.(カナダ)より提案があ 当社は現在、チリ、カナダおよびインドネシアの計 り、本件参画となった。同社のBruce Turner社長 5つの銅鉱山に投資している。投資に際しては、当該 は、世界最大の銅鉱山であるエスコンディーダ鉱山の 図 南米における当社銅鉱山プロジェクトおよびサフラナル鉱山位置図 14 2014.1 ペルー特集 2013年6月サイニングセレモニーでの集合写真:前列左から4番目が著者、5番目がAQM Copper Inc. Bruce Turner社長 社長を務めるなど、銅鉱山に関する豊富な知識および MainとVictoria)を採掘対象とし、現時点での地質 経験をもっている。また、本プロジェクトの50%の権 鉱量は合わせて6億2100万トン(銅品位0.37%、金品 益を保有するTeck Resources Ltd.(カナダ)は米州 位0.08g/t)である。両鉱床ともオープンピットでの に多数の資源開発プロジェクトを保有する資源準メジ 採掘を計画している。採掘された硫化鉱は約4km離 ャーの一角である。 れた選鉱場にコンベアで運搬され、浮遊選鉱により銅 精鉱を生産する。また酸化鉱はヒープリーチングおよ プロジェクトの概要 びSX-EWでカソードを生産する。生産した精鉱およ びカソードは約150km離れた港までトラックで輸送 サフラナル銅鉱山開発プロジェクトは、ペルー南部 され、そこから輸出される。鉱山寿命は約23年を予定 の銅鉱床地帯に位置している。周辺にはペルーの主要 し、合計で約138万トンの銅と約13トンの金の生産を な銅鉱山が点在している。サフラナル銅鉱山は、標高 見込んでいる。 が2900mと低く、海岸まで約80kmと恵まれた立地条 件にあるうえに、インフラが整備されており剥土比も 今後の取り組み 低い見込みである。これらのことから、本鉱山はコス ト競争力の高いものとなることが見込まれている。 プロジェクトのステージとしては、本年10月より 銅鉱山プロジェクトは、初期探鉱から操業開始まで に長年を費やす息の長い事業である。本プロジェクト 予備事業化調査(Pre-Feasibility Study)の作業を は、緒についたばかりであり、今後、経済性、環境、 開始したところであり、今後事業化調査(Feasibility コミュニティ関係などのさらなる調査を行う予定であ Study) 、建設を経て生産開始は4∼5年後を予想し る。当社としては、各段階の作業を着実に実施し開発 ている。 につなげることにより、本プロジェクトが当社の銅鉱 本プロジェクトは2つの斑岩銅鉱床(Zafranal 山投資戦略の一角を担うことを期待している。 2014.1 15 日本企業の取り組み 5 三井物産、 トヨタ自動車 バリューチェーンビジネス Toyota del Peru S.A. 取締役 南部 一郎 ペルー自動車市場 ペルー経済は過去10年間、年平均6.5%の高い経済 トヨタ販売の歴史 ペルーにおけるトヨタ販売の歴史は非常に長く、 成長を遂げ、今後も海外からの旺盛な直接投資受け入 1965年にペルートヨタ社(生産、販売)をトヨタ自 れ(特に資源・エネルギー分野)と、開かれた通商政 動車と三井物産の折半出資にて設立し、67年に操業を 策、堅調な内需(人口3000万人、南米4位)に支え 開始した。操業当初はコロナ、ランドクルーザーとい られ、中長期にわたり(35歳以下の労働人口が60% った車種の組み立て生産・販売を行っていた。以降、 超) 、安定的な経済成長が見込まれる重要な新興国で 70年代後半の政府による価格統制令や80年代後半の ある。ペルー自動車市場に目を向けると2003年に1 ハイパーインフレ下の厳しい経済・経営環境を乗り切 万2000台レベルであった新車市場はここ10年間で大 り、90年には生産累計10万台を達成。一方、91年に 幅に伸長し、13年はペルー史上最高の20万台を超え はフジモリ政権の経済自由化政策で輸入関税が大幅に る見通しにある。今後とも経済成長に伴う国民所得の 引き下げられると同時に、中古車の輸入が解禁となっ 増加、金融サービスの拡大などよりさらなるモータリ たことから、現地組み立て生産の意義が低下し98年3 ゼーションの進展が期待されており、17年には30万 月をもって現地組み立てを終了、以降輸入販売代理店 台に到達するとの予測もある。 として発展を遂げていくこととなる。90年代末には再 び経済危機が訪れるもこれも現地、トヨタ自動車、三 井物産が一体となってしのぎ、2000年代に入ってか らは06年には商用車ブランドとして日野自動車 の取り扱いを開始、11年にはダイハツブラン ド、12年にはレクサスブランドと、現在 ではトヨタグループ4ブランドすべて を取り扱うに至っている。なお、本年 はトヨタグループ販売4万台、22年連 続で販売台数・シェア・ナンバーワン 達成を目標としている。 三井物産のバリューチェーン 展開 三井物産は1965年のペルートヨタ社 1972年、豊田英二トヨタ自動車工業株式会社社長(当時)による ペルートヨタ社Ventanilla工場視察の様子 16 2014.1 出資参画以来、トヨタ自動車殿の合弁 パートナーとしてペルートヨタ社の経 ペルー特集 営に携わり、トヨタ車販売をサポートしてきた歴史を 有するが、輸入販売代理店への事業参画のみならず、 小売事業においても長い歴史を有している。直近では オートローン事業を通じた販売支援を実施しており事 業概要につき紹介させていただく。 (1)ディーラー事業 さかのぼること42年前、1971年にペルートヨタ傘 下6番目のディーラーとして当時のペルー三井物産が 任命され事業を開始。同社自動車課にて業容を拡大さ せ94年に分社化、現在のMitsui Automotriz S.A. (MASA)が誕生。以降、長きにわたりトヨタのNo.1 ディーラーとしてトヨタ車の拡販に大きく貢献し、現 MASA Molina本店 在ではペルー国内唯一のレクサス店(12年9月開業) を含むリマ市内4店舗、ペルー第二の都市であるアレ まのニーズに積極的に応えていく方針である。 キッパ市の新店舗(13年10月営業開始)の計5店舗 を保有。13年は定量面ではトヨタ新車販売シェアNo.1 総 括 の30%(販売台数1万2000台)を目指すと同時に、 定性面においても、 「お客さま第一」 「顧客満足度No.1 三井物産・自動車ビジネスにおけるペルーでのトヨ ディーラー」をモットーに車両販売、アフターサービ タ自動車バリューチェーン展開は、トヨタ自動車と一 スの提供を通じ、 “Life-Time Customer”の創出に 体となって長きにわたり幾多の苦難を乗り越えてきた 日々取り組んでいる。また、各国の三井物産ディーラ 非常に重要かつ意義深い取り組みである。また、世界 ー事業のなかでも、同社は模範ディーラーとして大変 最高品質・最先端技術を誇るトヨタ車の販売・サービ 重要な位置づけにある。 スの拡販を通じペルーの人々の生活を豊かにし、ペル ー・モビリティ社会をよりよくしていくことが当バリ (2)オートローン事業 ューチェーン展開の意義である。伸びゆく自動車市場 ペルー金融市場にはオートローン専門の金融会社は で激化する競争環境、将来ポテンシャルに目を向けた 存在していなかったこともあり、自動車ローン普及率 場合、本バリューチェーンをいっそう強化、進化させ が依然4割ときわめて低く(隣国チリは8割) 、一方、 ていく重要度はきわめて高く、引き続きトヨタ自動車 ペルー自動車市場が拡大するなか、ローンの成長余力 との強固な協力関係のもと、三井物産の経営資源を積 が大きいことにいち早く着目し、2010年にペルー金 極的に投入しながらMASA、MAFP、ペルートヨタ 融監督庁よりオートローン会社として銀行業に準ずる 社が三位一体となりペルー・モビリティ社会の発展、 ライセンスを取得。チリ(1986年より営業開始)で 向上に寄与していく。その実現にはヒューマン・イン の経営ノウハウをスピーディーに移植し、トヨタのキ ダストリーたる自動車産業において、高い顧客満足度 ャプティブ・オートローン会社としてMitsui Auto を実現できる人材育成は不可欠であり各社とも重要な Finance Peru S.A.(MAFP)を設立。操業3年目の 経営課題として取り組んでいる。なお、3社合計で約 2013年はトヨタ新車販売シェアの約20%(約8000台) 1000人の直接雇用を創出している点にも触れておき のお客さまに融資を提供する見通しにある。同社ミッ たい。最後に、今日のペルーにおけるトヨタバリュー ションはペルーの中間所得層に対してローンを提供 チェーン事業があるのは過去47年にわたるトヨタ自動 し、今までトヨタ車を購入できなかったお客さまの夢 車、三井物産の先人の大変な苦労の歴史の上に成り立 をかなえ、トヨタ車の拡販に大きく寄与することにあ っていることに感謝と敬意を表し、そのDNAを守り る。今後、ペルーにおける中間所得者層のさらなる拡 ながら今後の業容拡大に取り組んでいく所存である。 大が予想されるなか、トヨタ車を購入されたいお客さ 2014.1 17 日本企業の取り組み 6 丸紅の 水事業プロジェクト 丸紅株式会社 電力・インフラ部門 環境インフラプロジェクト部 部長 立川 健介 ペルー、丸紅、水事業 (CAA社)の株式を買収した。CAA社は2000年に設 立された浄水BTO(Build-Transfer-Operate)事業 地球上に存在する水のうち、人間が生活で利用でき 運営会社であり27年まで運営をする。同社は市内北部 る淡水の割合はどの程度かご存じだろうか。わずか 約80万人分相当の浄水処理を行い、リマ市上下水道公 0.01%である。2050年には世界の人口が約100億人に 社(SEDAPAL)を通じて市民に生活用水として給 達するという予想もあり、1人当たりの相対的な水使 水される。 用量が減少する。つまり、われわれが生きていくうえ で欠かせない水は実は貴重な資源なのである。 また、リマ市には雨季と乾季があるが、CAA社で は当該季節に順応した処理場を運営している。雨季で 丸紅は、こうした水の希少性をビジネスと社会貢献 ある12月から4月にかけてはアンデス山脈からの豊富 のための機会ととらえ、大手商社で最も早い1990年 な雪解け水を源泉とするチジョン(Chillon)川から 代から本格的な水事業に参画した。具体的には、96年 取水し処理をするが、その過程においては極力電力を に水メジャーといわれるフランスのSuez社の子会社 使用せず、重力を利用している。他方、川が干上がる Degremont社とともにメキシコで海水淡水化・工業 乾季には、掘削した井戸から地下水をくみ上げること 排水リサイクルBOT事業、99年には同じく水メジャ で水需要を賄っている。加えて、コンピュータを使用 ーであるVeolia社とともに中国・成都市で上水BOT した監視・制御により、適切な水量を処理しているか、 (Build-Operate-Transfer)事業に取り組んだ。現在 また処理過程のどこかで問題が発生していないかなど では、中南米、中国、東南アジア、中東、豪州におい て、約800万人に対してサービスの提供を行っている。 ペルーにおいては、2009年に首都リマ市で浄水場 の運営・維持管理を行うConsorcio Agua Azul社 24時間体制で管理をしている。 丸紅はこうした事業を通じ、人間生活に必要不可欠 な水を安全に市民に届けることで、ペルー発展の一助 となりたいと考えている。 日系企業初のペルーにおける 水事業への参画とその意義 ペルーで水事業を推進するうえでの魅力は大きく2 点あり、実質GDP成長率が過去10年間南米主要諸国 の中で最も高く、憲法上外国投資家が内国民待遇を保 証されているなどの投資環境に加えて、水源が限られ ており、また水が浄水場から市民に届くまでに漏水や 盗水により失われてしまう割合を表す無収水率が高く 改善が必要であるという水事業環境にある。 CAA社の浄水場 18 2014.1 丸紅はこうしたペルーの市場特性に着目し、日系企 ペルー特集 業として初めてペルーへの水事業参画を決めた。丸紅 いる。カタールでは1 0 年以上にわたり水のE P C は後述AN社のノウハウ、およびOsmoflo社の技術を (Engineering, Procurement & Construction)事 有しており、イタリア勢を含む国際的なコンソーシア 業を展開しており、チリでは2010年に同国第3位の ムで事業を行うなかで、日本の代表として、プレゼン 水道事業会社であるAguas Nuevas社(AN社)を産 スを発揮している。 業革新機構と共同で買収、フィリピンでは12年にエリ 水事業を民営化し、民間資金を活用することのメリ ア内サービス対象人口が約950万人であるMaynilad社 ットとして政府の支出を抑えることができることと、 を買収し、アジア・中東・南米にそれぞれプラットフ 効率的、かつ安定的な事業運営が可能となることがあ ォームを構築している。こうしたプラットフォームを げられる。そのため、ペルーでは今後も継続的に水事 通じ、新規案件の発掘、既存事業の統括、さらにはグ 業の民営化が促進されることが予想され、丸紅として ループ内事業会社間のシナジーを追求したいと考えて も新しい機会を模索している。また同国のもつ豊富な いる。具体的には、中東EPC事業を通じて得た技術 資源鉱山向け水処理にも着目しており、丸紅が40%出 ノウハウをAN社の水道事業に活用、またAN社のも 資している豪州最大手産業向け水処理エンジニアリン つ地域ネットワークとOsmoflo社がもつエンジニアリ グ会社であるOsmoflo社を活用した貢献も可能と考え ング機能を合わせて、ペルーをはじめとした中南米に ている。 おいて新たなビジネスを創出している。 丸紅は近いうちに世界水事業者のトップ10入りす 豊富な経験値を活かした 世界横断的な事業展開と今後の展望 る目標を掲げているが、水事業者としての発展はペル ー、さらには世界の国や人々への大きな社会貢献であ るという強い使命感がその根底にある。1日も早く目 丸紅は世界各国で水事業を展開しているが、世界各 標を達成し、さらなるステージへ飛躍するべく、これ まいしん 地にプラットフォームと呼ぶ人材・技術拠点を築いて からも邁進していく。 図 丸紅の水事業プロジェクトサイト地図 2014.1 19
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