放牧を活用した里地・里山・集落の保全と複合営農の創作 ~島根県大田

放牧を活用した里地・里山・集落の保全と複合営農の創作
−島根県大田地方の取り組みから−
中央農業総合研究センター
畜産経営研究室
千田雅之
1.今なぜ、里地の畜産的利用(放牧)なのか
−人口減少・経済グローバル化のなかで、中山間地域農業のあり方が問われている−
2.里地放牧の特徴と多様な効用
−電気柵を活用しどこでも放牧、農林地の保全にも有効−
3.集落営農や果樹サイドからの放牧のアプローチ・新たな牛飼いの出現
−村ぐるみの周年放牧による農林地の省力的保全−
−クリ栽培と肉用牛経営の連携−
4.里地放牧の普及発展をはかる地域的取り組み
−放牧牛づくり・放牧熟練牛の派遣による放牧馴致−
−集落や営農集団への放牧の啓発と放牧を活用した農林地利用の再編−
−放牧技術や放牧を機軸にした営農のコンテスト−
5.里地放牧を機軸にした中山間地域営農の将来展望
−緩やかな土地管理−
1.今なぜ里地放牧なのか−中山間地域における農地管理問題−
わが国の人口は 2006 年に 1 億 2,774 万人でピークに達した後、長期の人口減少過程に入り、
2050 年には約 1 億人、2100 年には約 6,400 万人に減少するものと見込まれています。中山間地
域に位置する町村では、2030 年までに、現在の人口が半減する町村もみられます 註) 。
人口の減少により食料消費は低下します。加えて、経済のグローバル化・関税率の低下によ
り、農畜産物の一層の価格低下が予想されます。とりわけ中山間地域農業の柱である稲作への
影響は必至です。
中山間地域の人口減少は、農業従事者の減少と一層の高齢化を意味します。また、中山間地
域では複雑な地形・小区画圃場の多く、中大型機械による農業生産の合理化を図ることは困難
です。
このため、集約的な稲作からの脱却をはからない限り、多くの中山間地域では、農地の利用
低下、耕作放棄地の急激な増加が予想されます。その上、イノシシなど野生鳥獣の作物被害に
追い打ちを掛けられ続けると、国土の荒廃は避けられません。荒廃した国土では不測時の食糧
確保もまま成りません。このような状況下で、食料生産基盤を維持しながら、どのようにして
農林地と居住環境を保全するか、大きな試練に中山間地域の農業・農村は直面しているのです。
その一つの手法として、保全管理農地(転作田)や耕作放棄地などの里地、及びそれらに隣
接する里山の畜産的利用(放牧)への期待が高まっています。
註:国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」、日本統計協会「市町村の将来人口」
中山間地域を広くかかえ、農地の利用低下と野生鳥獣の被害が増加している島根県大田地方
-1-
では、牛飼いに熱心な農家、研究機関、普及、行政の取り組みにより、規模の大小を問わず里
地での放牧利用が増加しています(図1)。さらに、既存の畜産農家にとどまらず、耕種農家
や果樹作農家からも、荒廃地の解消や農地資源の保全、果樹園の下草管理等の手法として、草
食家畜の放牧を活用した農林地の生態的管理
の取り組みが始まっています。
この報告では、大田地方での放牧の取り組み
累計放牧面積(ha)
300
里山
250
耕作放棄地
200
転作田等農地
から、(2)里地放牧の特徴とその多様な効用を
述べ、放牧のすそ野が広がる中で、(3)無畜農
40
入会牧野
家サイドからの放牧の試みを紹介します。ま
150
た、(4)里地放牧の普及発展をはかる地域的取
100
り組みの提案を行い、最後に、(5)里地放牧を
50
機軸にした中山間地域農業の展望を述べます。
放牧実施農家数(戸)
60
放牧実施農家数
20
0
0
∼1977 78∼82 83∼87 88∼92 93∼97 98∼02
期 間(年)
2.里地放牧の特徴と多様な効用
図1 島根県大田市の放牧の推移
1)技術面からみた里地の放牧利用の特徴と
留意点
里地は山地に比べて農家の居住地に近く、牛舎からも近い距離に位置します。このため、草
や天候、繁殖状況に応じて放牧と下牧を繰り返すことが容易です。また、発情観察や疾病事故
などの発見、補助飼料の運搬給与も比較的楽にできます。このため、分娩直前までの放牧や制
限授乳を始める頃からの放牧も可能です。
土壌面では、地力が低くススキやノシバ、ササなどが優占する植生の山地に比べ、耕作利用
されていた里地の土壌は肥沃であり、早春から晩秋まで多様な草が入れ替わり生えます。この
ため無施肥の野草地でも春から秋まで1ha 当たり繁殖牛3頭の放牧飼養も可能です。
かつて放牧の舞台であった入会牧野や公共牧場は、樹木の伐採搬出と草地化、ノイバラなど
の有刺植物の掃除刈りなど草地の維持に、多大な労力と時間を要しましたが、里地は牧柵で囲
えばすぐに高い密度の放牧利用が可能です。
ただし、里地でも長期間、耕作放棄されるとススキやクズ等で覆われます。このような耕作
放棄地を放牧利用するとススキやクズ等は急速に衰退します。このため、牧養力を維持するに
は積極的な草地化を必要とします。このほか、放牧馴致など、里地放牧の留意点については、
後述します。
2)多様な土地への機動的な放牧利用を可能にする電気牧柵
(1) 牧柵資材費の低減と設置労務の軽減をはかる電気牧柵
牧柵は家畜を一定の空間にとどめて、観察を容易にしたり家畜の脱柵を防ぐために必要な道
具です。近年、電気牧柵が里地の放牧利用に広く利用されています。電気牧柵は動物が感電を
恐れる性質に着目し、高圧電流をフェンスとなる電牧線(ポリワイヤーや高張力線)に断続的
に流し、家畜行動を牧柵内に止める道具です。電気牧柵の設置は、樹脂製の支柱や木柱、鉄柱
を放牧地の周囲に立て、支柱に絶縁体となる碍子を取り付け、碍子に電牧線を通して放牧地を
囲みます。電源は太陽電池や乾電池、家庭用電源を利用します。
従来から牧柵として利用されていた鉄柱に有刺鉄線を張った有刺柵は資材費や設置作業に
-2-
大きな負担を伴いましたが、個々の資材が軽量な電気牧柵はこうした負担を著しく軽減し、多
様な土地への放牧利用を促しています(表1)。
ただし、電気牧柵はあくまで心理柵であり牛の体当たりに耐える構造を持っていません。こ
のため、家畜の馴致を行うことを忘れて
表1 牧柵資材費等の比較
資材
数量
総重量(kg)
金額(円)
電気牧柵(400m、支柱間隔6m、2段)
はなりません。
表1注釈:表掲載の資材のうち電気柵の支
柱(グラスファイバー製)は割竹やパイプ
主柱・支柱
75本
72
49,150
廃材、主柱は間伐材などで代用可能です。
碍子
210個
0.7
10,800
こうした自給資材を活用して設置した場
ワイヤー、リール
1000m
11
25,880
合の合計費用は 10 万円を下回ります。林
電牧器、その他
5.3
50,600
間等では、立木に直接ねじ込み式の碍子を
つければ、主柱・支柱なしで電気柵を設置
合計
89
136,430
することができ、さらに資材費が節約でき
VA型主柱・有刺鉄線(400m、主柱間隔3∼4m、3段)
ます。また、有刺鉄線の資材費は設置距離
VA型主柱
130本
407
148,200
に比例しますが、電気柵の電柵器は牧柵延
有刺鉄線
1250m
125
38,500
長2∼10km まで1器で対応できます(機
合計
532
186,700
種により異なる)。従って牧柵距離が長い
ほど資材費は電気柵の方がより低くなります。ちなみに農家共同で集落の約 12ha の里地に放牧を行
っている事例では5牧区牧柵延長約 5,000mの設置に要した購入資材費は約 60 万円(5万円/ha)
です。
(2) 電気牧柵の機動的利用
①誘導柵:家畜の誘導・移動手段として活用できます。
②ストリップグレージング:長草型の牧草地を全面的に開放し放牧すると、牧草が家畜に踏
み倒され無駄になりますが、電気牧柵を利用して牧草地を細かく区切り放牧することにより、
牧草を無駄なく家畜に採食させることができます。
③内柵利用:放牧地内にある果樹や菜園を電気牧柵で囲めば放牧牛の侵入を防げるため、果
樹や菜園周囲の放牧利用を可能にします。
④イノシシの侵入防止柵との併用:牛の場合、電牧線を地上 45cm から 90cm の高さに張りま
すが、さらに低い高さに2段ほどの電牧線を張れば、イノシシの侵入防止柵と併用が可能です。
ただし、長期間、低い高さに電牧線を張っていると下草が伸びて電牧線に接触し漏電を招きま
すので、不要な時期には下柵を取り外し牛に電気牧柵の下草を食べさせます。
⑤林間への牧柵設置の簡略化:碍子を立木に付けて電気柵を張ることが可能なため、有刺柵
に比べて林地への牧柵設置が格段に省力化されます。
(3) 電気牧柵を活用した放牧による樹園地の下草利用
樹園地は堆肥等の投入により土壌が肥沃、樹下で気温・地温の上昇・低下が和らげられるた
め多様な野草が生育する、傾斜があり排水が良い、こうしたことから十分な面積が確保できれ
ば一年を通しての放牧利用も可能です。樹園地管理の側から見れば、暑い時期に傾斜地で行う
4∼5回の労働強度の強い下草刈り作業が放牧により解消されます。
①樹園地放牧の注意点
ただし、樹種や樹園地によっては、果樹に散布される農薬や多施肥土壌の下草採食による放
牧牛の硝酸塩中毒に注意しなければなりません。また、放牧牛による幼木や低樹高仕立ての果
樹の葉や樹皮、果実の盗食、折枝に注意しなければなりません。牛が食べる樹種は、果樹・花
木の葉(うめ・かき・びわ・いちじく・くり・やまもも・つばき)、果実(みかん、かき)、
花木の樹皮(やまもも)などです。また、かきや夏みかんは牛が食道に詰まらせることがあり
-3-
ます。
②果樹を保護する牧柵の設置方法
果樹の葉や果実に放牧牛の目が向いている時には、地上から 80cm 前後の高さの牧柵は牛の
視野に入っていません。この高さに設置した牧柵は放牧牛により容易に突破されます。そこで、
果樹を放牧牛から保護するためには、果樹の周りに既存の高さ(約 80cm)の牧柵に加えて、牛
の目線の高さ(地上約 130cm)にもう1段牧柵を設けることが有効です。
3)里地の放牧利用の多様な効用
(1) 肉用牛経営のゆとり創出と収益性の改善
里地放牧実践農家の営農モデルをもとに、電気牧柵を用いた里地放牧の導入による肉用牛経
営への効果を試算した結果、飼料自給率の高い繁殖牛4頭前後の小規模経営では、家畜飼養の
省力化(農作業時間の短縮、作業負荷の軽減、作業の季節偏在の緩和)により、飼料購入量の
多い中規模経営ではコスト低減により、顕著な収益性の改善が図れることが明らかになりまし
た(表2)。
表2 里地放牧による肉用牛経営の改善と農用地の有効活用
小規模経営(繁殖牛4頭)
中規模経営(繁殖牛10頭)
周年舎飼
150日放牧
周年舎飼
150日放牧
里地放牧面積
0
120a
0
300a
労働時間(時間)
966
664
1,744
1,597
同 1頭当たり
242
166
174
160
子牛生産コスト(千円/頭)
214
189
200
154
畜産所得(千円)
549
651
1,125
1,579
労働報酬額(円/日)
4,748
8,259
5,162
7,908
土地純収益(円/10a)
-10,638
7,775
-7,023
6,705
参考)稲作による土地純収益-2,403(2000年島根県)、
-26,841円(同 中国四国作付50a未満の経営)。
注:1)放牧導入により、小規模経営では牧乾草生産を中止、中規模経営では粗飼料
多給飼養にシフトするものと仮定。飼養頭数は放牧導入前と同じ。
2)子牛の販売価格はそれぞれ38万円、33万円とする。
3)土地純収益は労働費を1時間当たり750円として算出。
繁殖牛 1∼2 頭の農家は牧柵資材費等の捻出に躊躇しますが、放牧を実施している農家は、
放牧を始めて良かったと答えています。たとえば、繁殖牛 2 頭を飼養するある農家(経営主農
外勤務)は、畜舎から 500m ほど離れた親戚の休耕田約 20a に放牧を行っています。面積が狭
いため 4 月中旬から放牧を始め草がなくなる 6 月上旬には一度牛を畜舎に引き上げる、草生の
回復した 8 月下旬から 10 月上旬まで再び放牧しています。ちょうど田植えと稲刈り作業のあ
る農繁期の家畜の世話が軽減されています。また、家畜の世話を行っていた奥さんにゆとりが
でき、娘の出産のため 1 か月間も家を留守にすることができたことを喜んでいます。2∼3 頭の
親牛を養うには、毎日、約 100 ㎡の畦畔の草刈り、草刈り場までの移動、刈払った草の寄せ集
めと運搬、家畜への給与、牛床の掃除作業が必要であり、放牧によるこれらの作業の解消は農
家にとって決して小さくないでしょう。
この結果、大田市では2頭以上のあらゆる規模階層で放牧が導入されており、放牧が肉用牛
飼養の継続、飼養頭数の増加に寄与していることが、肉用牛飼養の動向に現れています(図2,
飼養農家(戸)
図3)。
60
(2)
放牧農家率(%)
80
周年舎飼い
農用地の放牧利用の経済性と多面的機能
放牧飼養
60
放牧農家率
45
肉用牛飼養農家戸数
600
繁殖牛飼養頭数
1200
戸数(放牧)
頭数(放牧)
戸数(未放牧)
頭数(未放牧)
400
800
200
400
40
30
20
15
0
0
1頭
2頭
3∼4頭
5∼9頭
10頭以上
繁殖雌牛飼養頭数
図2 飼養規模別に見た肉用牛飼養と放牧状況
(大田市)
-4-
0
0
1990年
1998年
2002年
図3 大田市の肉用牛繁殖経営の動向
前掲表2の下段に示すように、農用地の放牧利用は、稲作に比べて面積当たりの投下労働時
間が少なく、土地純収益が高いことも明らかにされました。「土地純収益」はある土地利用か
ら産出されるものの経済的価値から、その土地利用に投じられる要素の費用(人件費を含む)
を差引いた金額で表される土地利用の経済性指標であり、地代水準や土地価格に反映されるも
のです。
近年の稲作の土地純収益はマイナスですが、これは農地を保有する地主が、稲作業のすべて
を雇用労働により行い、雇用労賃を支払うと総費用が生産物の販売額を上回る状態を意味しま
す。稲作に関わる単位面積当たりの労力や費用が多く、収穫量の少ない中山間地域の小区画圃
場では、米価が低下する中で、里地の稲作利用がいち早く経済的破綻を来たし、耕作放棄地が
増加していると考えられます。耕作放棄地の増加に伴うイノシシなどの野生獣の里地への侵出
と作物への被害の増加は、農家の営農意欲をさらに低下させ、一層の耕作後退を推し進めてい
ると理解されます。
これに対して、放牧利用の土地純収益は確保されています。現行の子牛価格が維持されれば、
耕作放棄地などに限らず中山間地域の農地の利活用を図る上で、畜産的土地利用(放牧)は経
済的にも十分期待できると言えるでしょ
う。
さらに、放牧による効果を放牧実施農家
に尋ねた結果、畜産面の効果と並び、「放
牧地に隣接する田畑のイノシシ被害が減少
し安心して農作物を作ることが出来るよう
になった」、「荒れ地が解消され景観が良
くなった」、「幼稚園や小学校等の子供が
放牧地に来て励みになった」などの営農や
(畜産経営面)
牛舎作業の軽減
粗飼料調達の軽減
濃厚飼料の節減
繁殖性の向上
疾病減少
飼養頭数の増加
(農地管理面)
草刈り作業の軽減
イノシシ被害の減少
果物が良くできた
(生活社会面)
景観の改善
地元からの関心
園児・児童の来場
多大な効果
効果あり
0
生活社会面に関する効果にも高い回答が寄
20
10
40
30
60
50
80
70
100
90
回答割合(%)
せられています(図4)。
図4 放牧を行って良かったこと
このように、放牧を実践した畜産農家や
注:1)大田地区の肉用牛飼養農家の調査結果
2)2002年2月∼5月実施。回答農家47戸 その周辺住民から、里地の放牧利用は、畜
産経営の改善にとどまらず、農用地の省力的管理と遊休農林地の積極的活用、野生鳥獣の活動
牽制、地域社会への貢献など、多様な効用をもたらしているという評価が聞かれるようになり
ました。こうした声が広まる中で、これまで牛を飼っていなかった農家や住民による、放牧の
取り組みが現れています。
3.集落営農や果樹サイドからの放牧のアプローチ・新たな牛飼いの出現
1)村ぐるみの周年放牧による農林地の省力的保全
(1) 小山地区放牧の会(あまなつ牧場)の経過
大田市小山集落は、著しい高齢化と耕作放棄地の増加、野生獣の農作物被害の蔓延化に悩む
典型的な中山間地域の集落です。平成 12 年5月、そこに集落の有志 13 名(8戸、結成時すべ
て無畜農家)によって「小山地区放牧の会」(あまなつ牧場)が結成されました。荒廃地の解
消、果樹園等の下草管理の省力化、イノシシ等の野生獣の牽制、居住環境の改善を図ることを
-5-
農作業報酬額︵
円/時間︶
1500
狙いに、同会は放牧と農用地資源の管理を担
っています。
同会は、複数農家の共同による放牧管理、
子牛販売価格30万円
通常賃金
750
預託牛放牧
0
12
そして畜舎なしでの周年放牧飼養、果樹園で
の放牧など、従来の和牛繁殖経営にはみられ
なかった牛飼いに着手しています。とりわけ、
複数の農家が協力して放牧に着手している点
14
13
16
15
18
17
20
19
22
21
24
23
分娩間隔(か月)
図6 子牛生産技術と周年放牧の経済性
注:1)放牧地約12ha、繁殖牛8頭、牧柵資材費72万円。
2)労働時間は分娩間隔12か月の921hrから24か月の637hr
まで漸減する。預託牛放牧は277hr、預託料100円/日頭。
が画期的です。8戸の農家の人脈によりわずかな期間に多くの地権者の同意を得て約 12ha の土
地の放牧利用を実現していること。それぞれ職種が異なり、多様な得意技術を持つ会員が参加
しているため問題解決の行動が速いこと。竹や間伐材・廃パイプ等の身近にあるものを活用し
て、他に見られない経費(牧柵の総延長 5200m、購入資材費 58 万円)で短期間に放牧施設を
設置していること、等に複数農家による取り組みの成果が現れています。さらに、集団で放牧
に取り組み、交替で牛の観察を行うため、各会員は牛の世話に毎日縛られることがなく、個々
の負担が非常に軽い。「集落の牛」、「集落の放牧場」として運営することにより、兼業農家
や都会からUターンしてきた者、子どもからお年寄りまで誰でも気軽にかかわることができま
す。集落に人が住み続ける限り放牧場の継承が可能であり、集落の一体感を生み出すことにも
寄与しています。
放牧開始後、小山集落では牛を話題に農家間の会話が増えてきました。また、地元の保育園
けもの
児や児童が放牧地にたびたび訪れるなど、夜になると 獣 の呻き声が響いていた集落に、牛の
鳴き声とともに、少しずつ人のにぎやかさとのどかさが戻りつつあります。
(2) 周年放牧の条件と評価
小山集落では、現在までに耕作放棄地約 4ha や雑木林約 3.4ha、果樹園(甘夏ミカン、カキ、
ウメ、ユズ)約 4.6ha など計 12ha(5牧区、地権者 16 戸)に放牧地を拡げ、平均8頭の繁殖和
牛と数頭の山羊の放牧を行ってきました。当研究センターでは放牧開始直後から2年6か月、
毎月、放牧牛の体重や BCS、血液性状、放牧地の野草生産量の調査を行ってきました。その結
果、維持期の成雌牛を周年放牧で適切に飼養するためには、1頭当たり約 1.5ha 以上の農林地
が必要であることがわかってきました。
放牧開始時には放牧施設の設置、竹や雑潅木の伐採除去や打合せ等に年間約 1,200 時間を費
やしていました。しかし、放牧基盤がほぼ整備された3年目には、年間約 450 時間の作業(1ha
当たり 38 時間)で、維持期の繁殖牛 8 頭の放牧飼養と 12ha の農林地の保全管理ができる見込
みです。これは従来の人力で行っていた果樹園や保全管理農地の除草作業 723 時間(1ha 当た
り 157 時間)の約4分の1です(図5)。
小山集落では、当初は預託牛による放牧を行っていましたが、次第に繁殖牛を購入し、現在
では自己牛6頭の周年放牧を実施しています。今後その経費を捻出するために、子牛生産に本
腰を入れるかどうか検討しています。試算の結果、子牛販売価格を 30 万円とした場合、16.5
か月以内の分娩間隔で生産を行えば、通常の賃金単価 750 円/時を上回る農作業報酬を得るこ
とが可能です(図6)。
-6-
保全管理・家畜飼養作業︵時間︶
1200
1000
800
その他作業
牧柵の設置補修
放牧開始以前の人力除草作業(461a)
雑灌木の除去
600
400
観察・打合せ
200
0
1年目
2年目
3年目
図5 周年放牧による農林地保全の省力化
注:1)K集落の例(放牧地12ha、維持期の繁殖牛5∼12頭)
2)その他作業は,不食草の掃除刈り,補助飼料用の野草収穫等。
(2) サラリーマンによる放牧と果樹園の再興−クリ栽培と肉用牛経営の連携−
島根県六日市町では、農家以外の住民が放牧飼養を主体として家畜を新たに飼い始め、荒廃
寸前のクリ園の再興を図っています。六日市町にあるマロン牧場は、クリ園の草刈り作業の軽
減とサル等の野生動物の被害防止をはかるために、平成 13 年から放牧を開始しています。現
在、約 10ha のクリ園(地権者 6 名)と町中の管理放棄園 50a に 10 頭の繁殖和牛の放牧を行っ
ています。12 頭の家畜の所有者はサラリーマン 12 名で、「春季∼秋季=クリ園放牧、冬季=
既存の畜産農家に管理預託」という六日市町方式の飼養を行っています(図7)。家畜を所有
するサラリーマンは、牛舎を持つことなく、粗飼料生産もすることなく、放牧期間中の輪番に
事前の協議
・ 目的意識の共有化とクリ園放牧の合意形成
・ 牧柵設置及び通用道除草等の共同作業、双方の利害調整等
預託管理の協議
(預託料など)
クリ生産振興主体(N園)
クリ栽培農家・地権者6名
クリの栽培管理
管理園4 ha、放任園6 ha
クリ園保全管理組織
(M牧場)
牛オーナー 12 名
A牧場(既存畜産農家)
肉用繁殖牛 12 頭
分娩、授精、子牛の
放牧牛の管理
哺育育成の管理
5月∼ 11 月妊娠牛のクリ園放牧
冬季預託
管理技術
・電気柵と廃材を活用した資材による牧柵設置の省力・低コスト化
・電気牧柵等の活用によるクリ幼木の保護
・繁殖牛の放牧馴致と移動技術
・補助飼料給与等によるクリ収穫時の盗食防止
・適切な草種導入と家畜の衛生検査
図7
クリ園の保全管理組織を核とするクリ園放牧と子牛生産の運営管理要件(M牧場)
よる観察だけで子牛生産を行っています。
放牧開始1年目には、放牧牛によるクリ幼木の葉の盗食や折枝、地面に落下したクリの実の
盗食が見られましたが、翌年から、電気柵を活用した幼木や低樹高の成木の保護、クリ収穫時
の補助飼料給与により、葉や実の盗食を防ぐことができました。
100
3回の除草作業が解消し、これまでのところ、イノ
80
シシやサル、クマによる被害が回避されています
(図8)。言うまでもなく、冬季間にお産と次の妊
減収率︵%︶
クリ園への放牧導入により、クリ栽培農家では年
60
A農家
40
放牧開始
B農家
20
C農家
0
1996
1998
1997
-7-
2000
1999
2002
2001
図8 N園のクリ減収率の推移
注:1) 2001年から放牧実施、B農家は2002年放牧せず。
2)C農家の2002年の減収は干ばつによる。
3)石西地区農業共済組合資料による。
娠を確認し、クリ園の除草が必要な4月中旬から収穫が終える 10 月上旬の間、クリ園に妊娠
牛を放牧できるよう、季節繁殖を行うことがこの連携成立の重要なポイントです。
繁殖牛の冬季分娩・夏季クリ園放牧を導入した、クリ栽培と子牛生産の複合営農は、クリ単
一経営と比べて、農作業労務の軽減と所得の増加がはかられ収益性を高めるとともに、クリ園
地の土地純収益を向上させています(表3)。
表3 繁殖牛の冬季分娩・夏季クリ園放牧によるクリと肉用牛の複合営農の経済性
放牧を導入した複合営農
営農
複合計
内クリ部門
農作業時間(時間/10a)
36.0
33.5
粗生産額(円/10a)
27,000
115,033
67,500
生産経費(円/10a)
20,017
70,683
30,900
所得(円/10a)
6,983
44,350
36,600
労働報酬額(円/日)
1,552
10,596
土地純収益(円/10a)
-20,017
19,238
注:1) クリ栽培(放牧)面積は6ha、単一営農では反収60kg(獣害により60%減収)、
複合営農では反収150kg(獣害なし)、販売単価450円/kg。保険料は含まない。
2) 肉用繁殖牛は10頭飼養、12月分娩(5月∼11月放牧)、舎飼時預託料400円、
子牛販売価格は30万円。
4.里地放牧の普及発展をはかる地域的取り組み
農家が里地放牧の着手、放牧の展開を図る上での問題点を明らかにし、現場レベルでの問題
解決方策を踏まえて、畜産農家への放牧の一層の普及と中山間地域の里地活用を推進するため
の地域的取り組みを提示します。
1)里地放牧の着手と展開上の課題
図9は、大田市の肉用牛経営農家に対する聞き取り調査から、放牧開始時及び放牧を続ける
中での問題点とそれらの関連を整理したものです。その結果、以下の3点が放牧を地域に普及
展開するうえで重要であることが明らかにされました。
①家畜の放牧馴致と放牧牛の確保:中山間地域では繁殖牛1∼2頭の小規模飼養や周年舎飼
い形態の肉用牛飼養が多いため、牛自体の放牧馴致や放牧経験牛の確保が必要です。
②放牧用地の確保と草地管理:個々の農家の保有する放牧可能な土地面積が狭く分散してい
るなかで、限られた放牧場所に長期間の放牧を行う農家が多く見られます。また、草生や天候
に応じた適切な放牧管理が行われていません。このため、放牧地の裸地化や泥濘化、不食草の
繁茂を招いています。
③放牧施設・放牧技術に関する資金・情報の伝達:小規模飼養農家では放牧施設の導入や放
牧に必要な複数の放牧牛の確保が困難です。他方、飼養頭数の多い農家では飼養管理や粗飼料
確保に追われ、新たな試みに取り組む余裕がなく、放牧に踏み切れない状況が見られます。
-8-
・家畜の脱柵・事故の発生
・家畜の捕獲・移動の困難
・周囲の理解が得られない
・繁殖率・栄養状態の低下
・草地や家畜の管理に労力や
経費がかかる
家畜の行動が不安定(無駄な歩行が
多い、草のむら食い、水を飲まない
家畜の好む草が広がらない
、鳴き続ける、人が近づくと逃げる
放牧地の裸地化、泥濘化、
、座って反芻しない)
不食草の繁茂
不適切な放牧管理
・長期間・過密な放牧、湿地への長時間放牧
・耕作放棄地・里山への放牧後の粗放管理
放牧馴致が不十分
・戸外環境への馴致
(掃除刈りや草地造成管理の欠如)
・放牧開始時期の遅れと粗放な放牧
・放牧施設への馴致
・牛群への馴致
牧柵など放牧施設の
・畜主との意思疎通
放牧面積や適地の確保が不十分
導入に対する資金・
・採草行動の馴致
(小面積、排水不良地)
労力・情報の不足
(家畜馴致問題)
(草地管理・土地問題)
(資金・情報問題)
・周年舎飼い、小規模飼養、労働集約的飼養
(日常作業に追われ新たな取り組みに対する時間と資金のゆとりが少ない)
・個々の農家の保有する土地が小面積
中国中山間地域の家畜飼養農家の特徴
図9
里地放牧の問題構図
2)放牧馴致
(1) 放牧馴致の必要性
現在、肉用牛繁殖農家の多くは牛の放牧を行っていません。牛舎の外にパドックを持ち時々、
運動させている経営も半数以下です。したがって、現在飼養されている牛のほとんどは放牧は
もちろん戸外に出たことさえない牛です。こうした箱入娘(舎飼牛)をいきなり戸外に放牧す
ると、挙動が落ち着かずゲート付近を逡巡し鳴き叫ぶ、草を食べず立ったままで反芻せず水を
飲まない、飼い主も含め人が近づくと逃げる、あげくに牧柵を破って脱柵するということがお
うおうにしてあります。牛の脱柵に懲りて放牧に躊躇している農家も少なくありません。
家畜を戸外で放し飼いする放牧には、家畜や土地、人間に対してリスキーなことを十分考慮
しておかなければなりません。とくに、住居や交通量の多い場所に近接する里地放牧において
は、家畜の脱柵は耕作地の作物被害や公道での交通事故を招きかねません。電気牧柵は一種の
心理柵であり牛がひとたび興奮状態に陥ると容易に突破できるものです。放牧に際しては放牧
馴致を十分はかり、家畜をよく観察してその習性を知ることが大切です。
-9-
そこで、里地放牧を推進するには牛の放牧馴致(①戸外環境と青草への馴致、②放牧施設へ
の馴致、③牛の群れへの馴致、④人への馴致(放牧牛との意思疎通)、⑤採草行動の馴致など)
が必要です。ここでは放牧馴致に関わる農家の経験談をまとめてみます。
(2) 舎飼の親牛の放牧馴致
①戸外環境と青草への馴致
運動経験のない牛は、牛舎の近くに簡易な運動場を設けて放す、或いは戸外に繋ぎ、外気や
雨、風などに慣らします。乾草や稲わらで飼養されていた牛は、漸次青草を給与し、濃厚飼料
給与についても漸減します。
②放牧施設への馴致と施設設置の注意点
放牧施設への馴致は、主に電気牧柵に対する事前の学習です。初めて電気牧柵に触れた時の
ショックは大きいので、障害物のない安全な場所で弱電圧の牧柵に触れさせ学習させます。ま
た、牛が電気牧柵の下草を食べる時、角を柵に引っかけることがあるので除角します。除角は
牛の序列争いの際の事故防止や牛を扱い易くする点からも有益です。
放牧地の出入口のゲートは事故を防ぐため幅を広く取ります。ゲートが狭いと収牧時にゲー
トを開けた途端、群れに押された牛が突進し事故を招くことがあります。放牧場にスタンチョ
ンを設けている場合はストール牛舎でスタンチョンに慣らしておきます。初めて入牧する放牧
地では最初に水飲み場に連れて行き、水飲み場を教えます。
③牛の群れへの馴致
放牧頭数は多い方が牛の活動は落ち着き採草行動は活発になるため、牛は2頭以上で放牧し
ます。頭数が1頭しかいない場合は他農家の牛と一緒に放牧することも一つの手です(レンタ
ルカウ)。また、牛の移動は群れ単位で行います。1頭だけ放牧場に取り残された牛は不安に
なり脱柵しかねません。
放牧地では牛は群れになり序列関係が形成されます。序列争いの際に事故を起こさないよう
によく観察します。とくに既存の放牧牛群に新規の牛を導入する場合は、放牧場内を電気牧柵
等で区切って対面させ暫くしてから群れに入れます。
④放牧牛の観察と意思疎通
広い放牧地に放したら数日は牛の様子をよく観察します。水を飲みに行き、座って反芻を行
うようになることが放牧環境に慣れたことの最初の目安です。ただし、気象の変化等には注意
し、風雨の強い時でも樹下に入るなど落ち着いていれば問題ありませんが、ゲート付近に集ま
り牛舎に帰りたがっている時には収牧します。さらに放牧環境に慣れると牛は放牧場で生じる
出来事に興味を持つようになり飼い主以外の人にも近寄るようになります。
里地放牧では放牧牛を移動することが頻繁になります。牛の移動や捕獲の際に、飼い主の合
図で寄ってくるよう馴致を図っておくことが必要です。しかし、戸外に放した牛を合図で呼び
寄せることができる飼い主は意外と少ないものです。牛舎続きの運動場や放牧場に放牧を行っ
ていても、牛舎との間を自由に行き来させていたり、ゲートの開け閉めだけで放牧と収牧を繰
り返しているだけでは、牛との意思疎通は図れません。こうした牛を牛舎から離れた新しい放
牧場に放牧したところ、行動が落ち着かず、飼い主が近づくと逃げてしまい捕獲が出来なかっ
たと言う例もあります。そこで、
イ.飼い主はできるだけ放牧地に行き好みの餌を一握りほ
ど与える。ロ.牛に近づく時は声を掛けながら近づき首の周りなどを掻いてやる。近づいた時、
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牛が立ち上がり逃げようとする時には無理に追いかけない。ハ.牛がゲート付近に集まってい
る、或いは飼い主を見て牛が走り寄ってくる時は、餌が不足していること等が考えられるので、
収牧したり放牧地の移動を行う。
このようにして放牧牛との意思疎通を図ることが重要です。
⑤採草行動の馴致
最も困難で時間を有するのは採食行動の馴致です。12 歳まで牛舎の外にほとんど出たことの
ない牛を草の豊富な5月に初めて放牧したところ、1か月間で 50kg も体重が減少したことも
あります。パドックで運動を行っていた牛でさえ、「放牧して最初の2年はやせ気味で、3年、
4年と放牧経験年数が増すに連れて逆に過肥気味になるほど採食行動に熟知してきた」と言う
声も聞かれます。
もちろん、放牧馴致には牛の個体差もあります。平成 11 年から放牧を始めたある農家では
「放牧地に牛を入れ掛けた時、草をすぐ食べる牛はまず大丈夫。草を食べず興奮して暴れる牛
は2∼3日放牧地に繋留する。それでも落ち着かない牛は牛舎に連れ帰る。」としています。
また、別の農家では、「初めて放牧する牛は、パドックの周りに生えている野草を食べる練
習をさせる。また、放牧経験牛と一緒に放牧する。放牧後1週間は、草の採食量、糞の大きさ、
腹の大きさ、目の輝き、群れに入っているかどうか等を注意して見る。特に草の食べ方を観察
し、1週間経過しても上達しない牛は、1度収牧させ、体力が回復してから再度、放牧する。」
という対応を取っています。
初めて放牧に着手する農家では、他農家から放牧経験牛を預かり、一緒に放牧して採草行動
等の馴致を促すことも有効な方法です(放牧牛バンクによる放牧牛派遣)。
(3) 子牛段階からの放牧馴致
①初乳を飲んだら生まれた日から、飼い主は子牛とのスキンシップを図る。
②生後3日目ぐらいから晴天の日には戸外に親牛とともに繋留し、戸外環境や綱に慣れさ
せ、親子の距離を置くことも経験させます。
③生後7日目頃から運動場に親子で放し、電気牧柵等に慣らせます。
④離乳(生後2∼3か月齢)頃まで晴天の日中、親と共に放牧します。
ただし、季節や天候に注意しとくに夜間の雨や秋雨時の放牧は避けるようにします。
3)地域での放牧牛の育成−放牧バンク・放牧熟練牛の派遣−
家畜の採草行動等の放牧馴致は、牛自体の放牧経験の積み重ねに待たねばなりませんが、放
牧に良く馴れた牛とともに放牧を始めることにより放牧馴致を促すことができます。また、親
牛が1頭しかいない、2頭いるけれどお産の関係で1頭しか放牧場に出せないケースでも、他
農家から放牧に良く馴れた牛を預かり一緒に放牧することにより、家畜の放牧行動が落ち着き
ます。
大田市富山地区では里地放牧の先駆農家が、始めて放牧に着手する農家や飼養頭数の少ない
農家に放牧熟練牛を貸し出し、放牧馴致を促しています。地元ではこれをレンタルカウと称し
ています。また、牛を持たない農家や集落の耕作放棄地等の里地管理を放牧により実施する場
合にも、こうした放牧熟練牛の派遣が望まれます。
このような地域への家畜の放牧馴致や里地の放牧利用を効率的に実施するためには、地域で
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放牧熟練牛を発掘・登録し、新たに放牧に着手する農家や集落に、計画的に派遣することが有
意義です。その際、放牧牛の運搬支援や衛生検査態勢を確立することも重要です。
(1) 放牧熟練牛(育成牛・成牛)の登録と斡旋
まず、どこへ連れて行っても落ち着いて採草行動をとる放牧熟練牛は、中山間地域の放牧の
先導牛として登録し、新規放牧開始農家や小規模飼養農家、里地の管理を放牧で行う要望を持
つ無畜農家や集落への貸し出しを斡旋します。また、更新のため農家から淘汰される放牧熟練
牛は、成牛市場に肉用として出荷される前に、放牧熟練牛を必要とする農家や集落へ導入が図
れるように、放牧熟練牛導入の要望を把握しておくことも必要です。さらに、放牧育成した基
礎雌牛は、市場のセリ名簿に放牧適性の情報を付け、放牧推進を図る農家や地域等への導入を
促します。
(2) 放牧牛の運搬支援
小面積の里地が畜産農家から離れて分散する状況の中で、放牧利用を推進するには家畜の移
動が不可欠になります。また、放牧熟練牛の派遣の際にも、その移動手段が必要になります。
家畜を運搬できる2トン車を保有する農家はごく一部の多頭飼養農家に限られているため、家
畜の運搬支援体制を整える必要があります。
(3) 放牧牛の衛生検査態勢
放牧熟練牛の貸借による放牧馴致や共同の放牧地では、アブやマダニ等の吸血昆虫による牛
間の白血病やピロプラズマ病等の感染の可能性が高くなります。このため、家畜保険衛生所を
中心に、入牧前の家畜の感染性疾病や栄養状態の検査、放牧期間中の牛の糞便や血液採取によ
る寄生虫の検査、下牧時の感染性疾病等の検査の態勢を確立することが急がれます。
4)集落や営農集団に対する放牧の啓発と放牧を活用した農林地利用の再編
(1) 集落や営農集団に対する放牧の啓発
耕作放棄地や保全管理農地など管理を持て余している里地の多くは、家畜を飼養してい
ない地権者の手の中にあります。このため、地権者の里地管理の意思と放牧の理解と合意
がなければ放牧利用は図れません。 従来の放牧に関わる研修会や視察は、もっぱら畜産関係
者の寄り集まりに終始するタテ割り活動の印象を免れません。放牧は土地利用を前提とする農
法であり、水田利用を基盤に形作られてきた中山間地域の農村集落を目の前にして、畜産関係
者だけ集まってみても事は前に進まない。放牧という新しい農法の刺激を与えながら地域の農
林地を管理する意志の強い営農集団を掘り起こしていくことが重要です。
そこで、集落協定を締結している営農集団や果樹生産組合等を通じて、地権者に対して
放牧の啓発を行うこと、あわせて、放牧の意向を尋ね、放牧利用が可能な里地の把握と具
体的な放牧方法(地権者集団であらたに家畜を導入するのか、畜産農家と連携によって放
牧を行うのかなど)の把握を行うことが必要です。
また、個々の農家が保有する土地面積の少ないわが国では、広い面積を必要とする放牧
は、集団で取り組まなければ功を奏しません。複数の農家間や集落で、広く集落全域の農
地の保全利用について話し合いを進め、計画的な里地の管理を行うことが肝心です。中山
間地域の国土保全も集落の存続も、むらのまとまりに掛かっているといっても過言ではあ
りません。しかし、前節で紹介したような集団的な放牧の取り組みは数少なく、地権者に
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耕作責任を持たせる制度や多面的機能を増進する放牧行為への助成など放牧利用を促す手
だてが望まれます。
さらに、里地を抱える地権者と畜産農家の相対による放牧利用の合意形成は、利害が絡
み困難なことが多いため、仲介機関の設置が必要です。放牧利用する際の諸条件(放牧施
設資材や設置の負担、各種の助成金の配分、放牧期間など)の標準化も望まれます。
(2) 耕作管理を放棄した地権者へのペナルティー
耕作放棄地はカメムシなど害虫やイノシシなど野生獣の温床となり、周囲の耕作地に被
害を及ぼし農村の美観を損ねます。耕作地を保護するためには耕作放棄地や周囲の里山も
含めた里地全体の管理が必要です。ところが、集落の耕作団地の中にクズやススキで覆わ
れた耕作放棄地が点在している風景がしばしば見られます。地権者は亡くなり後継者は都
会で暮らしている耕作放棄地も少なくありません。都会に暮らす不在地主に、耕作放棄地
の利用を申し出ると、「草刈りはしてもらって良いが放牧利用は困る」という返事が返っ
てきます。困難な営農や農地管理の事情を知らない都会育ちの2世にとっては、荒れてい
ても土地は資産と言う見方が先行し、一体的管理を必要とする耕作団地の虫食い的荒廃を
止めることが出来ません。
農水省では、一定の条件付きで平坦部の遊休農地の所有者に、罰則を設ける法改正が行
われています。中山間地域でも、放牧など具体的利用方策が確立され普及している地域で
は、管理責任を全うしない不在地主等に対して、何らかのペナルティーを課すような条例
や遊休農地の利用を促進する制度が望まれます。
5)放牧施設や放牧技術の普及の支援
新たに放牧に着手する畜産農家にとっては、家畜の放牧馴致をはかり、放牧施設を設置し、
放牧地の管理に精通することが求められます。こうした放牧ノウハウに原則はあっても機械操
作のようなマニュアルはなく、放牧現場における実践農家の経験の積み重ねに有意義な教訓が
含まれていることが多々あります。そこで、放牧に精通する人材の育成と派遣により放牧のノ
ウハウを地域に普及することが効果的です。
(1) 放牧アドバイザー農家の登録と派遣
単に意見や助言だけを述べる指導者でなく、放牧対象地に適した放牧施設の見積もり、廃材
や自給できる素材を含む資材の調達、実際の施設の設置、そして、家畜の放牧馴致の実際、草
地の管理等に精通している人材を見い出し、放牧を始めようとする農家や地域の必要な場面に
応じて、派遣することが望まれます。
放牧施設等に対する助成(ハード)事業とあわせてアドバイザー派遣などソフトな取り組み
への助成は、農家の工夫や創造性、誇りを高める面からも有意義です。
(2) 多頭飼養農家に対する放牧の普及
飼養頭数が多く作業の省力化が切実な問題となっている多頭飼養農家は放牧に強い意向を
持っていますが、日常作業に翻弄され放牧に取り組むゆとりがありません。しかし、こうした
多頭飼養農家が放牧に熟知すると、いくつかの事例が示すように、地域に広がる耕作放棄地や
保全管理農地の活用の担い手として貴重な存在になります。これから先、放牧による管理を必
要とする里地の増加が確実な中で、派遣できる放牧牛を多く保有する農家の存在はますます重
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要になると考えられます。
(3) 放牧実践農家間の交流活動の支援
戸外の自然環境で牛を養う放牧は、舎飼い飼養に比べてリスクと不安、そしてさまざまな発
見が付きものです。ワラビなどの有害野草の繁茂や放牧牛の健康状態などに不安を抱く農家も
少なくありません。そこで、放牧実践農家の手間替え作業等を通じ、さまざまな経験に基づい
た情報交換が、無用な心配や不必要な作業を解消し、放牧を推し進めるうえで有意義と考えま
す。また、放牧の応用や創意工夫の普及にも効果的です。そこで、関係機関による研修活動等
と並んで、農家間の任意の交流活動を支援することにより、現場レベルでのより実務的な情報
を伝えあい、放牧技術の普及や応用を促し、放牧を機軸にした新たな営農の創造を促すことが
望まれます。
(4) 放牧施設等に対する助成
従来から草地造成や放牧施設導入に対する助成はありますが、遊休資材の活用等により購入
が必要な資材が限られてきていること、放牧地を拡張する場合には支柱・電牧線・電源ユニッ
トのフルセットを必要としない場合が多いことから、3 万∼10 万円程度の少額の助成やパーツ
部分だけの導入助成等に対象を広げることが望まれます。放牧対象地が狭く年に数ヶ月間だけ
しか放牧利用しない場合には、牧柵資材等を共同で利用したり、JA等で貸し出す制度が望ま
れます。
(5) 放牧技術や放牧を機軸にした営農のコンテスト
放牧施設の工夫や放牧の応用、放牧管理技術の向上、耕作放棄地の解消、放牧を機軸にした
営農の発展を促すために以下のような放牧コンテストの開催が有効と考えます。
イ.「放牧施設(給水施設・捕獲施設・牧柵)の創意工夫」コンテスト
このコンテストの審査は、たとえば利便性や経済性のほか自給素材やリサイクル素材の活
用、環境との調和などを踏まえて行い、生産者や普及センター、試験研究機関等の投票により
行い、優秀者は前述の放牧アドバイザーに推薦します。
ロ.「放牧空間」コンテスト
放牧地の多面的機能の高さに対するコンペティションです。放牧地の植生や周囲の環境との
調和、憩い空間としての評価、放牧地に棲息する昆虫や希少植物などビオトープの高さなどの
評価などです。評価は農業関係者にとどまらず、子供や都市住民などできるだけ異質な視点を
もつ人々により行います。
ハ.「耕作放棄地の解消」コンテスト
放牧による耕作放棄地の解消面積などを競うものであり、集落のまとまりや地権者との合意
形成能力が試されるものです。山羊や放牧牛などを賞品にするのも有意義です。
ニ.「放牧飼養による家畜生産技術の評価」コンテスト
放牧に熱心な農家の一部には、繁殖性が低かったり、子牛の発育が劣る経営を目にすること
があります。逆に家畜生産に熱心な農家のなかには、放牧に躊躇する経営が見られます。そこ
で、放牧飼養を行いながらも、観察方法や放牧施設の創意工夫、放牧牛の健康状態の把握と的
確な飼料給与等により、高い生産性(繁殖性や子牛の発育)を維持している農家の飼養技術を
評価します。
ホ.「放牧の応用」コンテスト
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放牧の応用や放牧を機軸にした新しい中山間地域営農の創造を促す狙いで行うものです。放
牧を応用した庭や公園の管理、果樹園の下草管理、稲作と放牧の輪作農法の実践等を評価しま
す。また、放牧による下草管理を利用した特別栽培果実や経産牛(放牧牛)の牛肉加工など商
品開発、放牧地内における収穫体験農園、イベント広場、小中学校の総合学習活動への活用な
ども評価します。
以上のように、放牧の推進は畜産農家が保有する経験、放牧牛、放牧の工夫・応用、創造性
を尊重し、また、集落や地権者の啓発を促し、放牧の普及をサポートする姿勢が必要です。指
導機関からのトップダウン方式の放牧指導ではなく、現場実践農家からのボトムアップをはか
る姿勢が重要です。
5.里地放牧を機軸にした中山間地域営農の将来展望−緩やかな土地管理−
中山間地域の農民の多くは、子供の自立した世代や退職したサラリーマン、高齢者です。彼
らはそれほど農業所得は期待していませんが、強い営農意欲、農用地の管理意識を持っていて、
野生鳥獣から安心して農作物生産ができる環境や負担が軽く楽しさの見いだせる農林地の管
理方法を望んでいます。また、営農を通じた住民間のコミュニケーションや社会への貢献を喜
びとしていると思われます。こうした農民の要望が実現できる農業や農村社会の実現は、とり
もなおさず国民社会全体の要望です。
世界に目を向けると、リオで開かれた国連の環境開発会議後、「持続的発展」が社会経済活
動の重要な指針となっています。EUの共通農業政策は、経済・環境・社会面からみて将来の
世代に渡り持続可能な農業の構築を目指しています。持続可能な農業の中心課題は、農地への
負荷の軽減であり、化学資材の投入を抑制し草地を取り入れた高度の輪作等を推進している。
言い換えればバイオロジカルな農業技術の推進であり、有機農畜産物の生産、土壌や水質など
の非生物環境の保全、小動物や希少植物などの生物環境の保全、美観の形成とも強く結びつい
ています。さらに、生産された素材の加工・高付加価値化、アグリツーリズムなど農村経済・
社会の発展を促しており、今後の農村発展、とりわけ条件不利地域の発展方向としても描かれ
ています。
、、、、、、、、
化学資材の投入や機械による管理を抑えた、バイオロジカルな手法による緩やかな土地管理
は、わが国中山間地域の営農の持続、農村の発展にとっても有益な選択肢と考えられます。す
なわち、米や乳肉の生産調整へ対処しながら、農地や家畜の健全な機能をそれらの結合により
省力的に維持管理し、環境への負荷を軽減し、安全な農畜産物の生産を促し、社会へ貢献する
という方向です。こうした緩やかな土地管理の手法として、遊休農地へのアブラナやレンゲ、
ケナフ、ヘアリベッチ、ひまわりなどの景観作物、地力や植生の維持・増進作物の導入などの
取り組みが各地で実施されています。
広大な管理放棄地を抱える中山間地域において広がりつつある草食家畜の放牧もこうした
方向に沿った手法として十分捉えることができます。しかし、現段階の里地里山放牧は、家畜
飼養や農用地管理の省力化の意味合いが強く、持続的農業の構築、農村の発展という面から見
ると萌芽的な段階と言わざるを得ません。里地里山放牧のつぎのステップとして、安全な農畜
産物の生産の場や管理された中にも多様な動植物や昆虫が棲息する生命力豊かな空間づくり
に、創造的に取り組むことが求められます。
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紹介してきた果樹園における放牧、荒廃している里山や耕作放棄地への放牧、転作田におけ
る放牧は、こうした空間形成のポテンシャルを十分に有しています。このほか、稲作と放牧利
用の輪作による有機米生産、放牧を活用した常湛水田におけるセリ等の粗放栽培と水辺ビオト
ープの形成、放牧と畑作の輪作(放牧地の中の市民農園)、放牧による公園の草刈り管理など
が試みられています。こうした取り組みは、以下の図 10 に掲げるような意義を有します。た
とえば、放牧と稲作の輪作は、米の生産調整へ対処しながら、農地機能を省力的に維持管理し、
化学肥料や農薬の投入を抑制して環境への負荷を軽減すると同時に、有機米や有機牛肉生産の
可能性を含む。
草食家畜等を活用したこうした緩やかな土地管理が、21 世紀の中山間地域の持続的営農・農
村発展の礎となることをねがい報告を終えます。
◎キーワード:
緩やかな土地管理(化学資材や機械の利用を抑え、動植物の働きを活かす)
◎放牧を基軸にした中山間地域営農
放牧による果樹・畜産複合営農
放牧と水稲作の輪作
常湛水田の放牧を活用したセリ栽培と水辺ビオトープ
放牧と畑の輪作(放牧地内の集落菜園・市民農園)
夏里冬山周年放牧(耕作放棄田・転作田の夏放牧−荒廃した里山・竹藪への冬放牧)
◎放牧を基軸にした緩やかな土地管理のもたらす意義
耕作放棄地・転作田への放牧による農地機能の回復・維持
・耕作放棄地の草地化を図り生産機能を回復することができる
・雑潅木の発生を抑え短草植生を維持し地力の維持が図れる
・計画的な放牧地の配置により野生獣の棲息環境を抑え、農作物被害が抑えれる
生産調整に対処しながら有機農業の推進がはかれる
・放牧利用後の圃場で化学肥料や農薬の投入を抑えた有機稲作ができる
・飼料自給率の高い有機牛肉生産ができる
農地保全及び家畜飼養の省力化と環境負荷の軽減
・耕作放棄地、保全管理農地、果樹園の草刈りが草刈機利用に比べ
省力的に実施でき排気ガスを抑制できる
・イノシシ防除フェンス設置など無駄なエネルギ−を省ける
・家畜を省力的に飼養することができる
その他の効果
・化学資材、機械耕の抑制による多様な生物環境(ビオトープ)の創造
・小中学校の総合学習活動の場として活用でき、世代間交流も図れる
・農村アメニティの改善と定住環境の改善が図れる
・家畜によるミティゲーション効果等を通じ集落の活力向上・文化の再生が図れる
図 10
放牧を基軸にした新たな中山間地域営農とその意義
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