上皮細胞の極性制御と細胞癌化

 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008)
77. 上皮細胞の極性制御と細胞癌化
三木 裕明
Key words:Par1,GEF-H1,上皮細胞,細胞極性
*東京大学 医科学研究所 癌遺伝形質分野
緒 言
多くの癌細胞で共通に観察される一つの特徴として, 上皮としての細胞極性の喪失が古くから指摘されている. これまで, 上皮細
胞同士の接着に関しては, それに関わる分子をコードする遺伝子の変異や発現低下など, 多くの異常が報告されてきた. 一方,
細胞極性自体の制御に関わる因子群の基礎研究の進展と共に, それらの因子群の細胞癌化における役割にも注目が集まってい
る. Par1 は進化的に保存された極性制御キナーゼであり, 哺乳動物細胞では上皮細胞や神経細胞の極性形成に重要な役割を
果たしている 1,2). Par1 がリン酸化する基質の一つとして LKB1(Par4)が知られるが, これは様々な組織での癌の発生を一つ
の特徴とする遺伝性疾患 Peutz-Jeghers 症候群の原因遺伝子によってコードされている 3). また胃癌との関連が強く指摘されて
いるピロリ菌が Par1 の機能阻害を引き起こしていることも最近明らかとなった 4). つまり, Par1 からのリン酸化シグナルが細胞癌
化と密接な関係にあることが強く示唆されている. しかし, Par1 の細胞極性制御における役割に関してはまだ殆ど明らかにされて
いない. 本研究では, Par1 の機能を分子レベルで理解し, 細胞癌化との関連を明らかにすることを目指して, 上皮細胞での結合
蛋白質の探索を行った. その結果、新規 Par1 結合蛋白質として GEF-H1 を同定し, それが Par1 の基質となっていることを見
つけた. その細胞極性制御における役割, また Par1 による機能制御メカニズムついて解析した.
方 法
上皮系の培養細胞としてイヌ由来 MDCK 上皮細胞を用いた. 蛋白質の過剰発現実験などにはサル由来 COS7 細胞を用いた.
Par1 安定発現 MDCK 細胞株の作製には, リポフェクタミン 2000(Invitogen)を用いて Par1 発現コンストラクト 5)を導入し, ハ
イグロマイシンによる薬剤選択をおこなった. COS7 細胞への一過的な遺伝子導入にはリポフェクタミン(Invitrogen)を用いた.
蛋白質の同定は, SDS-PAGE による蛋白質分離の後に銀染色を行い, 目的とする蛋白質のバンド部分を切り出してトリプシンに
よるゲル内消化を行い, その結果生じた消化断片ペプチドを質量分析装置(アプライドバイオシステム社 4700 Proteomics
Analyzer)にて解析して行った. 細胞の形態観察は, カバーグラス上で培養した細胞に各発現コンストラクトを導入し, ホルムア
ルデヒドで固定した後, 間接蛍光抗体法による染色を行い, 共焦点レーザー顕微鏡(オリンパス社 LV1000)を用いて行った.
結 果
1. 上皮細胞内での Par1 結合蛋白質としての GEF-H1 の同定
イヌ腎臓から樹立された MDCK 細胞は, 極性が発達した形態を示す典型的な上皮細胞として細胞接着や極性の解析に繁用
されている. MDCK 細胞に FLAG タグ付きの Par1 発現コンストラクトを導入し, 安定発現細胞株を得た. その細胞溶解物を
FLAG 抗体で免疫沈降し, 沈降物を SDS-PAGE によって分離して銀染色を行った. その結果, 図 1A に示すように, FLAGPar1 と共にそれと特異的に共沈する蛋白質がいくつか見つかった. 図中に矢印で示すバンドを切り出して, 質量分析による解析
を行ったところ, それが Rho ファミリーの低分子量型 G 蛋白質を活性化する機能を持つ GEF-H1 であることが明らかとなった.
過剰発現実験や抗体を用いた内在性 Par1 および GEF-H1 の共沈実験, さらには組み換え発現蛋白質を用いた結合実験など
*現所属:大阪大学 蛋白質研究所 細胞内シグナル伝達研究室
1
により, これらの蛋白質が確かに直接相互作用しており, 細胞の中で複合体を作っていることが確認できた(data not
shown).
図 1. Par1 結合蛋白質としての GEF-H1 の同定と, 上皮におけるラメリポディア形成.
A : FLAG タグ付きの Par1 を安定的に発現する MDCK 細胞溶解物からタグ抗体で免疫沈降を行い, SDS-PAGE
による分離後銀染色を行った. 質量分析により GEF-H1 を同定した. B : GEF-H1 蛋白質をビーズ上に固定し, Par1
を加えてリン酸化アッセイを行った. C : MDCK 細胞に GEF-H1 をそれのみ, もしくは Par1 と共に強制発現させた.
GEF-H1 のみを発現させた場合にはラメリポディア形成が見られたが, Par1 と共発現するとそれが抑制された.
2. Par1 による GEF-H1 のリン酸化
次に, GEF-H1 が Par1 のリン酸化基質となっているかどうかに関して検討した. COS7 細胞にタグ付きも GEF-H1 発現コン
ストラクトを導入して, 過剰発現させた GEF-H1 蛋白質をタグ抗体で免疫沈降することで回収した. GEF-H1 蛋白質をビーズ上
に固定化した後, 組み換え蛋白質として大腸菌で発現・精製した Par1 と 32P 放射標識した ATP と共にインキュベートしてリン酸
化の有無を検討した. その結果, Par1 が GEF-H1 をリン酸化することが分かった(図 1B). このことから, GEF-H1 が Par1
の新規基質であることが明らかとなった.
3. 上皮細胞における GEF-H1 の機能および Par1 による制御
上述したように GEF-H1 は Rho ファミリーの低分子量型 G 蛋白質を活性化することで, アクチンや微小管などの細胞骨格を
制御し, 細胞形態制御に関わることが知られている. MDCK 細胞に GEF-H1 を強制発現させると, 図 1C に示すような顕著な形
態変化が起こった. 特に上皮細胞集団の辺縁部においては, 形質膜がその外側に向けて伸展するラメリポディア様構造の形成が
観察された. ところがこの時 Par1 を同時に発現させると, GEF-H1 によるラメリポディア形成はキャンセルされ, 周囲の非発現細
胞と同じような上皮特有の形態が回復した. この Par1 の共発現による阻害がリン酸化によって起こっているのかどうか調べるた
め, キナーゼ活性を低下させた Par1 変異体を共発現させて同様の解析を行った. ところがこの場合には, 野生型 Par1 発現で見
られたような阻害効果は全く観察されず, GEF-H1 によるラメリポディア形成が起こっていた. これらの実験結果は, Par1 による
GEF-H1 のリン酸化が, GEF-H1 の持つラメリポディア形成能を阻害していることを意味している.
考 察
上皮細胞における Par1 の新たな基質として Rho ファミリー活性化因子 GEF-H1 を同定することができた. GEF-H1 は Rho
ファミリーに属する Rac や Rho を活性化する働きを持っていることが知られており. 実際 MDCK 細胞での強制発現実験から細
胞骨格, 形態制御への効果が認められた. 興味深いことに, GEF-H1 を発現した細胞では辺縁部に向けてのラメリポディア構造
の形成が観察された(図 1C). またそれが Par1 によって阻害されることも明らかとなった. GEF-H1 によるラメリポディア形成は
いわゆる上皮間葉転換(EMT)現象にも類似しており, 癌化との関連で非常に興味深い. またそれが Par1 で阻害されること
は, Par1 が上皮の極性構造を維持することで癌化を抑制している可能性を示唆している. 今後 GEF-H1 のリン酸化, 脱リン酸
2
化がどのような状況で起こっているのか, またそれがどのようにして GEF-H1 の機能を阻害しているのか, など明らかにしてゆき
たいと考えている. また, 実際の癌細胞の浸潤運動性などにどこまで GEF-H1 が重要であるのかどについても解析してゆく予定
である.
この MDCK 細胞を用いた結合蛋白質探索では, 図 1A にも示されているように, 本研究で取り組んだ GEF-H1 以外にも複数
の特異的な共沈蛋白質(結合蛋白質, 基質蛋白質の候補)が得られている. これらが何であるかを同定することによって Par1
の機能をより広く明確にできることも期待され, 今後の研究の重要な課題と考えている.
本研究の共同研究者は, 大阪大学 蛋白質研究所細胞内シグナル伝達研究室の吉村祐太である. また, 本稿を終えるにあた
り, 本研究を御支援いただいた上原記念生命科学財団に深謝致します.
文 献
1) Suzuki, A., Hirat,a M., Kamimura, K., Maniwa, R., Yamanaka, T., Mizuno, K., Kishikawa, M., Hirose,
H., Amano, Y., Izumi, N., Miwa, Y. & Ohno, S. : aPKC acts upstream of PAR-1b in both the
establishment and maintenance of mammalian epithelial polarity. Curr. Biol., 14 : 1425-1435, 2004.
2) Chen, Y. M., Wang, Q. J., Hu, H. S., Yu, P. C., Zhu, J., Drewes, G., Piwnica-Worms, H. & Luo, Z. G. :
Microtubule affinity-regulating kinase 2 functions downstream of the PAR-3/PAR-6/atypical PKC
complex in regulating hippocampal neuronal polarity. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A., 103 : 8534-8539,
2006.
3) Martin, S. G. & St Johnston, D. : A role for Drosophila LKB1 in anterior-posterior axis formation
and epithelial polarity. Nature, 421 : 379-384, 2003.
4) Saadat, I., Higashi, H., Obuse, C., Umeda, M., Murata-Kamiya, N., Saito, Y., Lu, H., Ohnishi, N., Azuma,
T., Suzuki, A., Ohno, S. & Hatakeyama, M. : Helicobacter pylori CagA targets PAR1/MARK kinase
to disrupt epithelial cell polarity. Nature, 447 : 330-333, 2007.
5) Terabayashi, T., Itoh, T. J., Yamaguchi, H., Yoshimura, Y., Funato, Y., Ohno, S. & Miki, H. : Polarityregulating kinase partitioning-defective 1/microtubule affinity-regulating kinase 2 negatively
regulates development of dendrites on hippocampal neurons. J. Neurosci., 27 : 13098-13107, 2007.
3