青山クーリエ 152号/2010年3月

08
Information
同窓会のご案内
CONTENTS
AOYAMA
在校生の皆様方は卒業と同時に短大同窓会会員であり、またオール青山の校友と
Front-Page Message
巻頭言「ある美術愛好家のこと」大野芳材
なります。卒業時に学校側で短大同窓会入会金と年会費5年分を代理徴収していた
No.152
だいております。
卒業後の住所等は同窓会が厳重な管理のもと、皆様からの連絡を受けて随時更新
1
Topics
しておりますので、変更がありましたら是非同窓会にお知らせください。お手元に同
卒業特集 卒業するいま
2
卒業生へ贈る言葉
3
Campus Report
退任の先生
4・5
課外活動報告・スピーチコンテスト報告
6
クーリエ歌壇
7
Information
窓会会報を年2回お届けいたします。同窓会では毎年青山祭でバザーを開催し、収益
同窓会のご案内・卒業後の案内 他
8
金の一部を母校の奨学基金として寄付しています。中軽井沢寮でのサマーキャンプ、
クリスマス礼拝、学科ごとの講座や講演会の開催をはじめ、各種サークル活動も年間
2010.3.5
を通じて活発に行われています。また全国7つの支部においても、出身地に帰られた
[発行]青山学院女子短期大学 〒150-8366 渋谷区渋谷 4-4-25 / Tel.03-3409-8111 / http://www.luce.aoyama.ac.jp/
卒業生が年代を超えて交流を深めています。同窓会の扉はいつも開いております。
クリスマス礼拝後の祝会、先生方とご一緒に…
皆様のご参加を同窓会一同心よりお待ち申し上げます。 (同窓会会長 野田壽子)
クーリエは(Courrier)はフランス語で「使者」、
「定期便」を意味し、英語ではCourierと綴ります。青山クーリエは本学のホームページからもご覧いただけます。
卒業後の案内
問い合わせ内容
担当部署
電話番号
証明書・再入学・科目等履修生・編入学・留学
女子短期大学教務課
03-3409-7045
専攻科・短期大学士入試
女子短期大学入試広報課
03-3409-7145
就職相談
女子短期大学学生課就職係
03-3409-7097
教会案内
女子短期大学宗教活動センター
03-3409-7120
卒業後の住所変更
女子短期大学同窓会
03-3499-3149
図書館利用
女子短期大学図書館
03-3409-7103
中軽井沢寮の利用(夏期のみ)
女子短期大学庶務課施設係
03-3409-7086
青山学院万代奨学金返還方法・口座振替
青山学院本部財務部本部財務グループ
03-3409-6547
青山学院万代奨学金返還猶予・住所変更等
青山学院本部総務部庶務課
03-3409-6463
日本学生支援機構奨学金
日本学生支援機構奨学事業相談センター
0570-03-7240
2010年度学費について
前 期
549,500
555,500
561,500
549,500
683,000
581,000
516,000
後 期
392,000
392,000
392,000
392,000
440,500
388,500
409,500
http://www.luce.aoyama.ac.jp/
ある美 術 愛 好 家のこと
http://www.agulin.aoyama.ac.jp/
納付書発送: 4月中旬
前期
納 付 期 限: 5月中旬
後期
納付書発送: 9月中旬
納 付 期 限:10月中旬
芸術学科教授
太 陽 王と呼 ば れ た ル イ14世 治 世 晩 期 のことであ る。
http://www.jasso.go.jp/
卒業式・卒業礼拝の案内
新2・3年生:2010年度の学費は以下のとおりです。
学 科
国 文
英 文
家 政
教 養
芸 術
子 ど も
子ども
(新3年生)
ホームページアドレス
◆2009年度卒業礼拝(青山学院講堂)
3月18日(木)13時30分(13時20分集合)
※礼拝後クラス会にて成績証明書を配付します。
◆2009年度卒業式・修了式(青山学院講堂)
3月19日(金)11時(10時開場、10時40分までに着席)
※ご父母の皆様には別途ご案内申し上げます。
※卒業生・修了生以外の学生が参列する必要はありません。
新2・3年生、専攻科生への新年度案内
彼らはその蒐集品を自由に研究できた。これもまた当時
らパリに向かった。彼の名はピエール・クロザ。父は徴税
の芸術庇護者に例のないことではない。彼が際立つのは、
人として財を築き、兄は一足早くパリで活動を始めていた。
国王などの所有するルネサンス以降の絵画の傑作を版画
トゥールーズは文化的に独自の伝統を誇り、ピエールは父
に複製し、解説を施して出版したことである。彼は私費を
を手伝いながら美術への関心を育てていったらしい。彼
投じて版画家を雇い、気鋭の美術 通に解説を依 頼した。
はパリで財務官として仕事を続けるうちに、著名な美術愛
世に最初に現れた美術書として知られる。残 念ながら、
好家たちと交わるなかで、作品蒐集熱が昂じていったよう
全8巻の予定は彼の死によって2巻目で中断した。彼が労
である。
「生きる歓びを知った住みいい時代」
と言われた18
多く利益の見込めない事業に取り組んだのは何故か。歴
世紀で、彼はやがてパリ有数のコレクションを形成する。
史への深い愛情と、文化を後世に伝えなくてはならないと
いう強い意志からであった、と思う。彼は自分ひとりの愉
卒業・修了する皆さんにクロザのことを書くのは、このよ
◆2010年度新入生・専攻科生 学生証・書類配付
4月2日(金)10時30分∼11時30分
編 集後記
ご卒業、ご修了おめでとうございます。皆様に「先生」と呼んでいただけ
た幸いをありがたく、もったいなく思います。そして、十分なことをお伝えで
たちが集まり、有望な若手を住まわせて制作を助けた。
1704年、ひとりの男がフランス南部の都市トゥールーズか
(円)
問合せ先:金額、振込用紙など/03-3409-7088(財務部)
延納について /03-3409-7091(学生課厚生係)
大 野 芳材
しみを求める、ディレッタントとそこが違った。
うな人物がかつて存在したことを知って欲しかったからで
「考える自由は人間の生命です」と当時の思想家が述べ
ある。少し大げさに言えば、人間精神の高貴さと呼べるも
たように、いまだその自由が充分に享受できなかった時
のを教えてくれるかけがえのない人のひとりとして。
代、クロザは美術を介してその獲得に向けて闘ったひとり
美術を愛好し自分好みの作品を集めるだけであれば、
であった。ひとつのことを粘り強く追求することが、個人
きなかったのではと申し訳なくも思っています。皆様がそれぞれの夢を叶え
この時代に格別眼を引くことではない。古来芸術の愛好
を超えて大きな世界に結びつくことをそれは教えてくれる
◆2010年度新入生・専攻科生入学式(青山学院講堂)
4月2日(金)13時
られますように、そしてお幸せになられますようにと願ってやみません。背筋
は王侯君主の嗜みであり、教養人の心得であった。では何
だろう。
◆2010年度2・3年生 書類配付・履修指導
4月3日(土)9時
いますよう願っています。またお会いできる日を楽しみにしています。
◆2010年度始業礼拝(青山学院講堂)
4月3日(土)10時
をピンと伸ばし、笑顔で歩いてくださいね。でも、長い道のりです、疲れたら
途中で休憩なさるのもいいことだと思います。くれぐれもお体を大切になさ
(湯本 久美子)
編集
委員
奥村 健一 鹿倉 秀典 志賀 智江 鈴木 智美 高橋 淑子 寺村 眞佐子
山口 静香 湯本 久美子
★クーリエの感想やご意見をお寄せください [email protected]
※次回発行は4月の予定です
が彼を多くの美術愛好家と区別するのか。
彼はルーヴル宮の北にあるパレ・ロワイヤルのさらに北
に邸館を構えた。そこには芸術家や文学者や芸術愛好家
青山で学んだことの何かひとつのことを、より豊かに実
らせてほしいと願っています。
02
Topics
Topics
卒 業 するいま
卒 業 生へ 贈る言 葉
走り続けた2年間
私の宝物
我なんぢに問はん、汝われに答へよ
三つの名言
国文学科 2年
英文学科 2年
国文学科教授
英文学科教授
小野 かおり
小石 里奈
小林 正明
齋藤 修三
私の短大生活は、密度の濃い充実した2年間でした。国文学科では日
期待と不安に胸を躍らせ、2年前の春本学に入学しました。英文学科
卒業生・修了生のみなさん、とりわけ国文学科のみなさん、いや個別
座右(ざゆう)の銘とし、自分を鼓舞してきた言葉をみなさんにも贈りま
す。
“世界のどこかで、誰かが蒙(こうむ)っている不正を、心の底から
本語や国語表現の新たな魅力に触れ、本格的な文学研究の術を知り、
には、ICEやINCHなどの授業があり、とても貴重な経験となりました。
学びを深めました。そして、知識の及ばなさに愕然とする日々を乗り越え
また、他学科の授業をはじめ、幅広い授業選択が可能でしたので、広
いまぞ、春。私はアナタに問う:通過儀礼を標すこの春、アナタは何
深く悲しむことができる人間になりなさい。”キューバ革命の指導者チェ・
ながら、宮沢賢治研究という全力を尽くせるテーマに辿り着き、卒論を
い分野で多くのことを学び吸収することができました。その中で私は特
を私に語るのか、と。この未記入の空欄□こそが、アナタに贈る言葉
ゲバラが死を予期して娘に遺(のこ)した手紙の一節です。次も彼の名
書き終えました。教職課程、編入、委員会、行事等、限られた時間のなか
にコミュニケーション学に興味を持ち、4月から青山学院大学へ進学す
です。2年間、あるいは3年間、私はいつもいつもアナタに[読むこと―問
言から―“もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい
で課題はいつも山積みで、常に自分との戦いに奮闘していました。けれ
ることが決まりました。本学で過ごした2年間は本当に充実していまし
うこと―図解すること―発言すること]をお願いし、その都度アナタは自
理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわ
ども、こうして何事にも挑戦する姿勢を失わずに走り続けることができ
た。最高の友達、素晴らしい先生方、貴重な授業、その中で過ごした2
分の言葉で答えてくれました。したがって、今回の問いに対しても、既
れるならば、何千回でも答えよう「その通りだ」と。”最後は亡き筑紫哲
たのは、調査研究に恵まれた環境の下で学年学科を問わず多くの仲間
年間は一生忘れることの出来ない私の宝物です。支えてくれた友達、諸
製品の返事だけは御免こうむります。例えば、漱石の『門』をひもといて、
也氏の名言から―“少数派であることを怖れない。”元々みなさんはそれ
に出会い、感化された様々な経験が私の向上心の糧となっていったから
先生方、そして家族に感謝の気持ちでいっぱいです。もうすぐ新生活が
アナタが「ようやく春ね」と言ったとき私が「やがてまた冬になるさ」と
ぞれが唯一無二の存在なのだから、いわば「究極の少数派」だったので
でした。青短に入学して本当に良かったです。お世話になった先生方、副
始まりますが、短大生活で学んだことを活かし、宝物を胸に更に成長し
応ずるなら、次の発言はアナタの番です。そんなふうに。
す。そんな自己のかけがえのなさを信頼し、不正に背を向け「群れ」で
手の方々、職員の方々、友人、支えてくれた家族に感謝します。
ていきたいと思っております。本当にありがとうございました。
充実の学生生活
色んな事に挑戦した2年間
具体的なひとりひとり、Xさん、Zさん、Qさん・・・・。アナタだけに。
発言力を放棄しない限り、苛酷な情況の中でも、次の道は開けます。
大きな一区切り
身を守る風潮に流されず、ご自分の単独性をどうか生ききってください。
青短での生活を礎に
家政学科 2年
教養学科 2年
家政学科教授
教養学科専任講師
三浦 文子
津田 絵里奈
奥村 健一
武田 美亜
憧れて通った短大での学生生活も間もなく終わろうとしています。学
この2年間はあっという間でしたが、とても充実していました。学校に
生生活をスタートした頃は、大学の授業について行けるのか、毎日の通
行けば友人に会うことができますし、好奇心旺盛な私にとって、興味の
での学生生活は、思い通りになったこともそうでなかったことも含めて、
はもうないかもしれませんが、みなさんと青短の関係はこれで終わりで
学に耐えられるのか不安でいっぱいでしたが、いつの間にか不安が消
あることを幅広く学ぶことができる教養学科は私にぴったりで、楽しく
全部がかけがえのないご自分の糧となっていくことでしょう。敢えて申
はありません。青短での生活の全てはこれからのみなさんの礎となって
え、先生方の豊富な知識を学ぶことができる幸せを感じていました。特
通うことができました。また、時間を上手く使って勉強と接客業のアルバ
し上げれば、苦心して試行錯誤を繰り返しても実らなかった事柄を経
います。みなさんのアイデンティティの、少なくとも何割かは、間違いな
に専門教育以外にも履修できる授業が多く、1年ではルネサンス、美術
イトを両立させながら、ほかにもインターンを積極的に行い、貴重な経
て、それがきっかけとなって輝いてくることがあります。反対に、これま
く青短で培われたものです。青短で出会った人たちとの関係も、卒業し
史の授業を履修しヨーロッパの歴史や文化を学び、2年では環境科学の
験を得ることや働くことの大変さ、面白さを知ることができました。就
でが順調であり続けた人にとって、これからはさらなる覚悟を要するで
たからといって終わるものではありません。青短で過ごしたという事実
授業を通して環境問題を学び、幅広い知識を得ることができました。ま
職活動は大変でしたが、就職係の方々の励ましや頑張っている友人の刺
しょう。いずれにせよ、大きな一区切りの機会にふりかえってみて、今ま
は今後もみなさんにさまざまな形で影響を与え続けることでしょう。ど
た勉強以外では、学友会本部役員として、クリスマスパーティなどの学
激を受け、納得するまで頑張ることができました。4月からアパレル業界
で気づかなかった力がそなわっている自分が発見できれば、それは素晴
うか、青短で過ごした自分に自信を持って、前へ進んでいってください。
内行事の企画、運営を手伝い、先生方や多くの学生と接することができ、
という新たな場で働きますが、この2年間の経験を活かしながら活躍し
らしい瞬間です。どうか、ご自分の本当の成長を確かめてください。ほ
みなさんのご活躍をお祈りいたします。ときどきはそのご活躍を見せに
学生生活がより充実したものになりました。この貴重な2年間を無事終
ていきたいです。お世話になった先生方、仲良くしてくれた友人に感謝の
んのわずかであっても結構です。そして自信を深めていただきたいと思
戻ってきてくださることも、密かに期待しておりますよ。
了することができ、支えてくださった皆様に感謝したいと思います。
気持ちでいっぱいです。
います。
個性豊かな仲間たちとともに
ご卒業・修了を迎える皆様は、今どのような気持ちでしょうか。これま
芸術とともに
キラキラと輝いた日々
ご卒業・修了おめでとうございます。毎日のように青短へ足を運ぶ日々
愛と奉仕の精神をもって
芸術学科 2年
子ども学科 3年
芸術学科教授
子ども学科教授
本田 直子
奥山 優
淀井 彩子
浅見 均
振り返ればあっという間の3年間であったが、何と濃密でキラキラと
ご卒業、ご修了おめでとうございます。みなさんは卒業制作や卒業論
ご卒業おめでとうございます。みなさんはキリスト教主義と教養教育
り、皆一人ひとりの個性が強く、毎日がとても楽しく過ごせました。また、
輝いた日々だったのだろう。授業では当たり前だと思っていた事が崩さ
文を完成する過程で自分自身と真に向き合い多くの事を学んできたと思
を柱にした青山学院女子短期大学で学んでこられました。さまざまな分
クラス全員で受ける授業が多く、すぐに皆と仲良くなれました。学生の
れ、驚き心動かされることばかりであった。だが答えではなく悩み立ち
います。入学時には想像もしなかった豊かな人間的な成長を実感してい
野の学問に触れ、あるいは実習などのフィールドワークから学び、考えて
個性は授業中での発表や制作面でも発揮されます。同じ対象を描いて
止まる時間をもらい、抱いた思いや自分自身と向き合えたことが、私を
ることでしょう。芸術学科の2年間あるいは3年間は、学生一人ひとりが
こられたことと思います。その中で培ってきた豊かな教養と感性を礎と
いても全然違う作品になり、一緒に制作することでたくさんの刺激を受
成長させてくれたのだと思う。保育の道を選びここへ来たが、学校や実
自らの資質と可能性を知り豊かに開花する力を育てる場であり時間でし
して、今度はそれを発展させていく時を迎えます。その時にこころに留め
けました。講評会ではどのような主旨を持って制作したのかを発表し合
習で一番学んだことは、どこであろうと誰であろうと、まず「一人の人間」
た。ここで出会った多くの友人や教員、知りえた芸術家、芸術作品など
ておいていただきたいことは、本学科で大切にしてきたことでもあるの
い、一人ひとりが違う考えを持っており、とても勉強になります。ものの
としての自分の感性が問われるということである。
「しっかりとした木を
は、これからのみなさんの人生のなかで特に大切な存在となるはずで
ですが、生活や文化をより豊かに創造しようとする実践は愛と奉仕の精
見方は人によって違っていて、善くも観えれば悪くも観えるのです。私
育てるには柔らかい土が必要」と言われた先生の言葉が忘れられない。
す。あなたがたの先輩たちも多方面で元気に個性的に活躍しています
神を持って誠実に、真摯に他者と向き合い、かかわり、協働する営みを通
は物事の観方は人の数だけあることを学びました。先生方はもちろん、
これからも様々な考えや知らない世界と出会い、自分の木をゆっくりと
が、どの卒業生も芸術に対する深い共感と独自の視座をもっているよう
してはじめて実現するものであるということです。そして、覚醒した女性
悩んでいた時にアドバイスをくれた副手さん、そして2年間共に学んでく
育んでいきたい。3年間、私の土を耕してくれた学科の先生方、副手の
に感じます。みなさんも新しい世界に向かって若々しい興味と行動力で
として、しなやかで伸びやかな人間性と、天分としての自分の持ち味を生
れた芸術学科の学生に心から感謝いたします。
方々、大切な友人たち、全ての実習での出会いに感謝したい。
颯爽と歩みだしてください。
かして、これからの人生を豊かに創っていっていただきたいと思います。
芸術学科の学生は個性の強い人がたくさんいるのだと思っていた通
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Topics
Topics
卒 業 するいま
卒 業 生へ 贈る言 葉
走り続けた2年間
私の宝物
我なんぢに問はん、汝われに答へよ
三つの名言
国文学科 2年
英文学科 2年
国文学科教授
英文学科教授
小野 かおり
小石 里奈
小林 正明
齋藤 修三
私の短大生活は、密度の濃い充実した2年間でした。国文学科では日
期待と不安に胸を躍らせ、2年前の春本学に入学しました。英文学科
卒業生・修了生のみなさん、とりわけ国文学科のみなさん、いや個別
座右(ざゆう)の銘とし、自分を鼓舞してきた言葉をみなさんにも贈りま
す。
“世界のどこかで、誰かが蒙(こうむ)っている不正を、心の底から
本語や国語表現の新たな魅力に触れ、本格的な文学研究の術を知り、
には、ICEやINCHなどの授業があり、とても貴重な経験となりました。
学びを深めました。そして、知識の及ばなさに愕然とする日々を乗り越え
また、他学科の授業をはじめ、幅広い授業選択が可能でしたので、広
いまぞ、春。私はアナタに問う:通過儀礼を標すこの春、アナタは何
深く悲しむことができる人間になりなさい。”キューバ革命の指導者チェ・
ながら、宮沢賢治研究という全力を尽くせるテーマに辿り着き、卒論を
い分野で多くのことを学び吸収することができました。その中で私は特
を私に語るのか、と。この未記入の空欄□こそが、アナタに贈る言葉
ゲバラが死を予期して娘に遺(のこ)した手紙の一節です。次も彼の名
書き終えました。教職課程、編入、委員会、行事等、限られた時間のなか
にコミュニケーション学に興味を持ち、4月から青山学院大学へ進学す
です。2年間、あるいは3年間、私はいつもいつもアナタに[読むこと―問
言から―“もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい
で課題はいつも山積みで、常に自分との戦いに奮闘していました。けれ
ることが決まりました。本学で過ごした2年間は本当に充実していまし
うこと―図解すること―発言すること]をお願いし、その都度アナタは自
理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわ
ども、こうして何事にも挑戦する姿勢を失わずに走り続けることができ
た。最高の友達、素晴らしい先生方、貴重な授業、その中で過ごした2
分の言葉で答えてくれました。したがって、今回の問いに対しても、既
れるならば、何千回でも答えよう「その通りだ」と。”最後は亡き筑紫哲
たのは、調査研究に恵まれた環境の下で学年学科を問わず多くの仲間
年間は一生忘れることの出来ない私の宝物です。支えてくれた友達、諸
製品の返事だけは御免こうむります。例えば、漱石の『門』をひもといて、
也氏の名言から―“少数派であることを怖れない。”元々みなさんはそれ
に出会い、感化された様々な経験が私の向上心の糧となっていったから
先生方、そして家族に感謝の気持ちでいっぱいです。もうすぐ新生活が
アナタが「ようやく春ね」と言ったとき私が「やがてまた冬になるさ」と
ぞれが唯一無二の存在なのだから、いわば「究極の少数派」だったので
でした。青短に入学して本当に良かったです。お世話になった先生方、副
始まりますが、短大生活で学んだことを活かし、宝物を胸に更に成長し
応ずるなら、次の発言はアナタの番です。そんなふうに。
す。そんな自己のかけがえのなさを信頼し、不正に背を向け「群れ」で
手の方々、職員の方々、友人、支えてくれた家族に感謝します。
ていきたいと思っております。本当にありがとうございました。
充実の学生生活
色んな事に挑戦した2年間
具体的なひとりひとり、Xさん、Zさん、Qさん・・・・。アナタだけに。
発言力を放棄しない限り、苛酷な情況の中でも、次の道は開けます。
大きな一区切り
身を守る風潮に流されず、ご自分の単独性をどうか生ききってください。
青短での生活を礎に
家政学科 2年
教養学科 2年
家政学科教授
教養学科専任講師
三浦 文子
津田 絵里奈
奥村 健一
武田 美亜
憧れて通った短大での学生生活も間もなく終わろうとしています。学
この2年間はあっという間でしたが、とても充実していました。学校に
生生活をスタートした頃は、大学の授業について行けるのか、毎日の通
行けば友人に会うことができますし、好奇心旺盛な私にとって、興味の
での学生生活は、思い通りになったこともそうでなかったことも含めて、
はもうないかもしれませんが、みなさんと青短の関係はこれで終わりで
学に耐えられるのか不安でいっぱいでしたが、いつの間にか不安が消
あることを幅広く学ぶことができる教養学科は私にぴったりで、楽しく
全部がかけがえのないご自分の糧となっていくことでしょう。敢えて申
はありません。青短での生活の全てはこれからのみなさんの礎となって
え、先生方の豊富な知識を学ぶことができる幸せを感じていました。特
通うことができました。また、時間を上手く使って勉強と接客業のアルバ
し上げれば、苦心して試行錯誤を繰り返しても実らなかった事柄を経
います。みなさんのアイデンティティの、少なくとも何割かは、間違いな
に専門教育以外にも履修できる授業が多く、1年ではルネサンス、美術
イトを両立させながら、ほかにもインターンを積極的に行い、貴重な経
て、それがきっかけとなって輝いてくることがあります。反対に、これま
く青短で培われたものです。青短で出会った人たちとの関係も、卒業し
史の授業を履修しヨーロッパの歴史や文化を学び、2年では環境科学の
験を得ることや働くことの大変さ、面白さを知ることができました。就
でが順調であり続けた人にとって、これからはさらなる覚悟を要するで
たからといって終わるものではありません。青短で過ごしたという事実
授業を通して環境問題を学び、幅広い知識を得ることができました。ま
職活動は大変でしたが、就職係の方々の励ましや頑張っている友人の刺
しょう。いずれにせよ、大きな一区切りの機会にふりかえってみて、今ま
は今後もみなさんにさまざまな形で影響を与え続けることでしょう。ど
た勉強以外では、学友会本部役員として、クリスマスパーティなどの学
激を受け、納得するまで頑張ることができました。4月からアパレル業界
で気づかなかった力がそなわっている自分が発見できれば、それは素晴
うか、青短で過ごした自分に自信を持って、前へ進んでいってください。
内行事の企画、運営を手伝い、先生方や多くの学生と接することができ、
という新たな場で働きますが、この2年間の経験を活かしながら活躍し
らしい瞬間です。どうか、ご自分の本当の成長を確かめてください。ほ
みなさんのご活躍をお祈りいたします。ときどきはそのご活躍を見せに
学生生活がより充実したものになりました。この貴重な2年間を無事終
ていきたいです。お世話になった先生方、仲良くしてくれた友人に感謝の
んのわずかであっても結構です。そして自信を深めていただきたいと思
戻ってきてくださることも、密かに期待しておりますよ。
了することができ、支えてくださった皆様に感謝したいと思います。
気持ちでいっぱいです。
います。
個性豊かな仲間たちとともに
ご卒業・修了を迎える皆様は、今どのような気持ちでしょうか。これま
芸術とともに
キラキラと輝いた日々
ご卒業・修了おめでとうございます。毎日のように青短へ足を運ぶ日々
愛と奉仕の精神をもって
芸術学科 2年
子ども学科 3年
芸術学科教授
子ども学科教授
本田 直子
奥山 優
淀井 彩子
浅見 均
振り返ればあっという間の3年間であったが、何と濃密でキラキラと
ご卒業、ご修了おめでとうございます。みなさんは卒業制作や卒業論
ご卒業おめでとうございます。みなさんはキリスト教主義と教養教育
り、皆一人ひとりの個性が強く、毎日がとても楽しく過ごせました。また、
輝いた日々だったのだろう。授業では当たり前だと思っていた事が崩さ
文を完成する過程で自分自身と真に向き合い多くの事を学んできたと思
を柱にした青山学院女子短期大学で学んでこられました。さまざまな分
クラス全員で受ける授業が多く、すぐに皆と仲良くなれました。学生の
れ、驚き心動かされることばかりであった。だが答えではなく悩み立ち
います。入学時には想像もしなかった豊かな人間的な成長を実感してい
野の学問に触れ、あるいは実習などのフィールドワークから学び、考えて
個性は授業中での発表や制作面でも発揮されます。同じ対象を描いて
止まる時間をもらい、抱いた思いや自分自身と向き合えたことが、私を
ることでしょう。芸術学科の2年間あるいは3年間は、学生一人ひとりが
こられたことと思います。その中で培ってきた豊かな教養と感性を礎と
いても全然違う作品になり、一緒に制作することでたくさんの刺激を受
成長させてくれたのだと思う。保育の道を選びここへ来たが、学校や実
自らの資質と可能性を知り豊かに開花する力を育てる場であり時間でし
して、今度はそれを発展させていく時を迎えます。その時にこころに留め
けました。講評会ではどのような主旨を持って制作したのかを発表し合
習で一番学んだことは、どこであろうと誰であろうと、まず「一人の人間」
た。ここで出会った多くの友人や教員、知りえた芸術家、芸術作品など
ておいていただきたいことは、本学科で大切にしてきたことでもあるの
い、一人ひとりが違う考えを持っており、とても勉強になります。ものの
としての自分の感性が問われるということである。
「しっかりとした木を
は、これからのみなさんの人生のなかで特に大切な存在となるはずで
ですが、生活や文化をより豊かに創造しようとする実践は愛と奉仕の精
見方は人によって違っていて、善くも観えれば悪くも観えるのです。私
育てるには柔らかい土が必要」と言われた先生の言葉が忘れられない。
す。あなたがたの先輩たちも多方面で元気に個性的に活躍しています
神を持って誠実に、真摯に他者と向き合い、かかわり、協働する営みを通
は物事の観方は人の数だけあることを学びました。先生方はもちろん、
これからも様々な考えや知らない世界と出会い、自分の木をゆっくりと
が、どの卒業生も芸術に対する深い共感と独自の視座をもっているよう
してはじめて実現するものであるということです。そして、覚醒した女性
悩んでいた時にアドバイスをくれた副手さん、そして2年間共に学んでく
育んでいきたい。3年間、私の土を耕してくれた学科の先生方、副手の
に感じます。みなさんも新しい世界に向かって若々しい興味と行動力で
として、しなやかで伸びやかな人間性と、天分としての自分の持ち味を生
れた芸術学科の学生に心から感謝いたします。
方々、大切な友人たち、全ての実習での出会いに感謝したい。
颯爽と歩みだしてください。
かして、これからの人生を豊かに創っていっていただきたいと思います。
芸術学科の学生は個性の強い人がたくさんいるのだと思っていた通
03
04
Campus Report
Campus Report
退任の先生
退任の先生
退任の挨拶
退任にあたって
一般教育科目准教授 大谷
大谷康晴先生を送る
康晴
美鈴
松本美鈴先生を送る
大谷先生の専門分野は図書館・情報学です。2001年4
松本美鈴先生のご専門は調理学です。立派な論文を多数
月就任以来、司書課程の責任者として司書養成に尽力さ
お書きですが、そのお人柄で例えば日常の調理について学生
このたび3月をもちまして本学を退任することとなりました。本学には
れました。また、的確でしかも正確な図書情報の蓄積、検
2001年から9年間お世話になり、司書課程、そして情報科学・情報処理系
索システムのあり方、現場で業務を遂行する司書の資質
の科目を担当させていただきました。4月からは日本女子大学文学部にて司書課程を担当していく
等、知の宝庫である大学図書館として相応しい環境の整
ことになります。
備・運営に真摯に向き合い発言をしてこられました。先生
現代は大人になっても学んでいかないと職場での居場所すら危うくなる時代になったと痛感して
のデータベースは素晴らしく、質問を投げかけるとたちど
います。そこだけを見ると、ただ社会や会社に駆り立てられて無理矢理充電しないといけない過酷
ころに答が戻ってきます。その記憶力と博識ぶりにはいつ
さだけが強調されますが、学習は「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体に
も驚かされました。教育の場では、先生の学生に対する想
かえていくもの」であるというユネスコ学習権宣言のことばもあります。物質的に享受していても見
いはいつも熱く、影響を受けた学生諸君も多いことと思い
えない誰かに家畜のように管理されるのではなく、辛く大変でも学び考えることで自分の歴史を主
ます。先生の働きに大いに期待していた矢先のご退任に
体的に作っていってほしい、そう心の片隅で思いながら教壇に立っていました(伝わらなかったのは
は残念な思いを禁じえません。新しい環境での先生のご
私の稚拙さで申し訳ないです)
。
活躍を心より祈るしだいです。
これまで、教職員のみなさまをはじめとする多くの方々の温かいご支援がありました。そのおか
家政学科教授 松本
(一般教育科目 宮田 雅智)
げで何とかなりました。本当にありがとうございました。最後になりますが、本学がますますの発
展されることを心よりお祈り申し上げます。
ありがとう
1999年4月、青山学院女子短期大学に助教授として就任しました。家政
学科の所属ですが、学生部委員会、宗教活動委員会、国際交流委員会、総
合文化研究所の研究プロジェクトなどを通して、他学科の先生、職員および学生と知り合えたこと
に感謝しています。特に、宗教活動委員会では、サマーキャンプや天城冬の集いに参加したことが
良き思い出です。さまざまな分野の先生方からお話を伺い、多くの参加者と一つのテーマで意見交
換する場は、他者を理解し、自分を見直す、貴重な機会でした。
家政学科では、調理科学および食文化を担当しました。食生活に興味のない学生には、食の楽し
さを伝えたい。食に興味のある学生には、将来にわたって健康で快適な生活を送るために、食に関
する正しい知識、食生活の管理力および実践力を身につけて欲しい。このような願いを込めた授業
を心がけてきたつもりです。しかし、今、青山学院女子短期大学を去るにあたり、本学の学生が求
めていた授業を提供してきたであろうかと自問しています。家政学科の授業の特徴は、実験・実習
が多いことです。調理学実習室は月曜から金曜日までほぼ毎日稼働しています。このような状況で
は、副手の果たす役割が極めて重要となります。授業をはじめ学校行事などで快く補佐してくださっ
た副手の皆様に感謝しています。
青山学院女子短期大学で出会った人々は、私にとって財産です。11年間お世話になりありがとう
ございます。
が質問すると、すぐに何でもたくさん答えてくださいました。
4年くらい前に私は総合文化研究所のアジアに関する研究
プロジェクトの韓国研修の旅に、松本先生、一般教育科目の
関谷先生、教養学科の八耳先生・渡邊先生と一緒に出掛けま
した。ソウルの韓国料理のお店でそれぞれの先生が注文す
る美味しい食べ物が運ばれてくると、松本先生は関心のある
食べ物をパチパチと何枚もカメラに写していたのを思い出し
ます。
松本先生はとても大らかな方です。ある日「科会案内」を
コピーしておいででしたが、A4紙を横にして真ん中をカット
して同じものを2枚作るはずが、なぜかA4紙を縦にカットし
てしまいました。それで、その時の「科会案内」は真ん中で
セロテープ貼りのものとなりました。このようなエピソード
はあと2つあるのですが、それは内緒です。
松本先生とお別れするのは寂しいですが、新しい場所で元
気に明るくご活躍ください。 (家政学科 鈴木 すゞ江)
37年の感謝
一般教育科目教授 鈴木
鈴木律子先生を送る
律子
志賀智江先生を送る
鈴木先生は1979年4月本学に就任され、以来30余年
志賀先生は1973年に就任以来、幼児教育学を担当し保
育者育成のため多大の貢献をされました。厳しくも思いや
特に、初めて学ぶ外国語のクラスは少人数で!との長年に
日であるこの日がこんなに早く来るとは思いもしませんでした。
智江
間、共通教育科目外国語担当として、専門のフランス語を
はじめとする外国語教育の充実に力を注がれてきました。
今、定年退職の挨拶をしたためるにあたり、
「ミタビのトトセねえ」と呟きつつ、
長いようでもあり、短くもあった在職期間を静かにふり返っています。いずれ来る
子ども学科教授 志賀
昭和48(1973)年の4月から早くも37年、このたび、元気に青山学院を卒
業する時を迎えることができ、感謝のほかありません。
りの深い先生の薫陶を受けた卒業生が全国各地で活躍し
ています。これは、女性の人間的・社会的自立を志向し、ご
わたる先生の叫びが叶って、2000年度から実施された外
児童教育学科(今は子ども学科)では、主に幼稚園教育の基礎・原理から教育実習、そして保育
自身が結婚、育児、教育者、研究者を両立させ、高年での
ても殊のほか意気軒昂たる門出でした。その後は多くの学生たちとの出会いから、教育者としての己が自覚と
国語科目の新しいカリキュラムではクラスサイズの上限を
の総論までを学生の皆さんとご一緒しました。一般教育では、
「幼児教育」を担当しましたが、全
学位取得などの実人生の荒波を貫く姿勢の反映であると
責任を問い続けた30年でした。
決めて少人数制クラスを実現しました。また、様々な事柄
学科の1、2年生が毎年大勢で興味を示してくださり、毎週充実した時間でした。こうした授業を通
推察しております。キリスト者である先生は、キリスト教保
に気をまわし過ぎて、ともすれば問題を複雑にしてしまい
して、私は皆さんから、教育の面ばかりでなく、研究の面でも多くの示唆を得ることができました。
育を大切にされ、キリスト教保育連盟の役も担われ、ま
がちな中で、先生の単刀直入なお話には、はっとさせら
またクラブ活動で、茶道部の皆さんとご一緒できたのもうれしいことでした。青山祭や姉妹校来
た、ベテランの故、学内外の各委員も多数引き受けておら
れ、問題が明確になることが多々ありました。
「書」にも造
日時のお点前に、部員の皆さんが、猛稽古の成果を披露し、見事な役割をそれぞれに演じてくださっ
れます。学会にも多数所属され、その知見は広範斬新で、
詣が深く、連綿の優しい筆使いは先生のお人柄をよく表し
たのもすばらしいことでした。
いつも周囲に良い刺激を与えています。私共は、先生の姿
着任時は、
「皆が行きたがっている学校でしょう。いいですね。
」と周りの人たちから祝福され、私自身にとっ
何よりも高等教育の場で第二外国語を学ばせることは、単にそのことばに練達させることにとどまらず、そ
のことばに内在する文化や精神の有り様において、学生たちの知への関心を高めさせることに努めなければな
らない、フランス語教育を実践するに際して、そのことはいつも脳裏を離れませんでした。有難いことに、新
しい外国語に取り組む学生たちの好奇に満ちた目の輝きは、常に教える者への励ましとなり、シジフォス的労
働の辛さを忘れさせてもくれました。
いつしか時代も移り、
「叔母は先生にフランス語を習いましたが、結構フランス語が話せて、時々パリへ一人
旅に出かけます」などと報告してくれる学生たちも現れるようになり、私には望外のうれしい便りでしたが、そ
れは同時にふと来し方をふり返り、時間の速さに気づかされる機会でもありました。 ています。先生のご健勝を心よりお祈りしています。
(一般教育科目 宮田 雅智)
お別れに際し、教職員の皆様、卒業生、在学生、ビル管理の皆様方に心からの「ありがとう」を申し上げます。
人生80余年という今の時代ですから、皆さんは「あと60年、自分ならではの生き方」ができるの
勢を継承し、教育研究により一層励みたいと心新たにする
です。現在のキャンパスライフは、その60年の入り口であり基礎段階です。これからその道をどう
次第です。主なる神の祝福の下、今後もご活躍くださるよ
拡げ、どう深め、どの方向に延ばしていくかは、皆さん一人ひとりの意思にかかっています。
うお祈りいたします。
愛する青山と学生の皆さんのこれからに、幸多かれと祈ります。
蝋梅の咲き匂う午後に
進歩がなくてもいい
(子ども学科 今関 公雄)
退任の辞
国文学科教授 高野
公彦
ある年、私は長年勤めた出版社を定年前にやめて、ぶらぶらしていた。会
社ではずっと日本文学編集の仕事をしたが、もう26年間も勤めたことだし、
娘は2人とも大学を卒業したことだし、これからは気楽に短歌なんか作って暮らそう、という気持ちで
退職したのである。
しばらくして突然、元学長の栗坪良樹先生から電話が来て、我が人生が予想もしなかった方向へ動
いた。
結局、翌年から私は青山学院女子短期大学の国文学科の教師として、短歌関係の授業をするように
なった。
私は、短歌を作るのが好きなので、短歌の授業も楽しい。毎週学生たちに短歌を作らせ、それをプ
リントする。作者名は伏せておく。学生たちはそれらの作品を読み、いいと思う作品を選び、感想を
述べる。そのあと私が批評を加える。最後に作者名を発表する。
大体そんな方法で授業をした。才能のある人はいい短歌を作り、そうでない人はそれなりの短歌を
作る。これは仕方ないことだ。さほど進歩がなくても、まじめに授業を受けていればいいと私は思う。
卒業する学生に「君たち、結婚して子育てが終わって、ひまが出来たらまた短歌を作ってね」と言う。
すると彼女たちは「先生、その頃生きてますか?」と返す。私は苦笑しながら「大丈夫、この世にいな
ければ、あの世にいるから」と答える。
高野公彦先生を送る
子ども学科教授 菅沼
眞砂子
菅沼眞砂子先生を送る
高野先生は1994年本学に着任されたが、その前から歌
菅沼先生は学生たちにたくさんの素敵なことばをプレゼ
人として著名な方であった。本学では創作短歌の授業を
ントしてくださいました。その中のひとつ、
「ひとり居の時
中心に持たれ、若い学生たちに短歌創作の楽しさとその
奥深さなどを伝えられた。学生や卒業生たちの中から新
人賞受賞者や朝日歌壇などへの多くの掲載歌を生み出す
ことになる。
「クーリエ歌壇」や「青山歌壇」の選者として、
青山学院での若い芽を育むことにも尽力された。温厚、
誠実な人柄は学生や教員たちから敬愛され、国文学科で
は高野先生がおられるだけで、落ち着いた雰囲気が醸し
出されていた。朝、こちらに背中を向けて机に向かってお
られても、挨拶をすると必ず振り返って顔を見て「おはよ
うございます」と返された。今後、その先生のおられない
大学や研究室を思うと、大事なものをなくしたような寂し
さを感じるのである。日本酒などもこよなく愛され、事あ
るごとに居酒屋などでお付き合いいただいたのは、私たち
の忘れられない楽しい思い出となろう。
(国文学科 藤本 勝義)
34年間、生きてきた年月のちょうど半分をこの短大で過ごしたことにな
ります。
私は学生が好きでした。4月、学科の1年生全員の前に初めて立つとき、いつも、よくぞここまで生
きのびてきてくれた、とひとりひとりを抱きしめたい思いにかられました。子ども時代とそれに続く
思春期を、そして青年期へ。この人生のとばくちの困難な時代を生きのびることはほとんど奇跡と
いっていいことではないかと、今も私は思っています。
・・・
この学生たちのために何ができるか。そのことをずっと考え続けてきました。ためにと力んで学生
たちの生きる邪魔をしないように、それだけは自分に言いきかせて、手探りで生きてきました。
でも、
無力な私にできたのは身の回りのほんのわずかなことだけ。
それも自分で為しえたのではありませ
ん。学生たちがすべて教えてくれました。授業中ぽろっとこぼす一言や、ちらと見せる表情で。解答用
紙の裏に書かれた1、2行の文章に背を押してもらったことも一度や二度ではありません。
学生たちが「安心して真面目になれる場所」と呼んでくれた昼休みや放課後の研究室での語らい
の時間をもったいないと思ったことは一度もありません。私は学生たちと広い世界を共に見、人間
の不思議に共に驚きたいと思いました。生きる喜びと共に哀しみを知る者になりたいと思いまし
た。そして、いつか私は自分にできるのは祈ることだけと思うようになっていました。しあわせな34
年間でした。ありがとうございました。
間を大切に。ひとりになることを恐れないで。
」このことば
でどれだけの学生が救われたでしょうか。横並びの表面
的な「みんな」の中に埋没する自己への違和感を問題意
識として抱え、ひとりの豊かな時間をもつことで、自己の
確立も真の連帯もできると。学生を愛おしみ、時に挑発し、
人としての生き方を、ご自身の今一番旬の思索を惜し気も
なく投げ掛け語らうことを楽しんでおられました。子ども
学科の精神的な柱を失う寂しさを感じますが、34年間の
これまでに深い感謝の想いをこめて、これからの先生の良
いお仕事と、ますますのご活躍を祈念いたします。
(子ども学科 久保 制一)
05
04
Campus Report
Campus Report
退任の先生
退任の先生
退任の挨拶
退任にあたって
一般教育科目准教授 大谷
大谷康晴先生を送る
康晴
美鈴
松本美鈴先生を送る
大谷先生の専門分野は図書館・情報学です。2001年4
松本美鈴先生のご専門は調理学です。立派な論文を多数
月就任以来、司書課程の責任者として司書養成に尽力さ
お書きですが、そのお人柄で例えば日常の調理について学生
このたび3月をもちまして本学を退任することとなりました。本学には
れました。また、的確でしかも正確な図書情報の蓄積、検
2001年から9年間お世話になり、司書課程、そして情報科学・情報処理系
索システムのあり方、現場で業務を遂行する司書の資質
の科目を担当させていただきました。4月からは日本女子大学文学部にて司書課程を担当していく
等、知の宝庫である大学図書館として相応しい環境の整
ことになります。
備・運営に真摯に向き合い発言をしてこられました。先生
現代は大人になっても学んでいかないと職場での居場所すら危うくなる時代になったと痛感して
のデータベースは素晴らしく、質問を投げかけるとたちど
います。そこだけを見ると、ただ社会や会社に駆り立てられて無理矢理充電しないといけない過酷
ころに答が戻ってきます。その記憶力と博識ぶりにはいつ
さだけが強調されますが、学習は「人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体に
も驚かされました。教育の場では、先生の学生に対する想
かえていくもの」であるというユネスコ学習権宣言のことばもあります。物質的に享受していても見
いはいつも熱く、影響を受けた学生諸君も多いことと思い
えない誰かに家畜のように管理されるのではなく、辛く大変でも学び考えることで自分の歴史を主
ます。先生の働きに大いに期待していた矢先のご退任に
体的に作っていってほしい、そう心の片隅で思いながら教壇に立っていました(伝わらなかったのは
は残念な思いを禁じえません。新しい環境での先生のご
私の稚拙さで申し訳ないです)
。
活躍を心より祈るしだいです。
これまで、教職員のみなさまをはじめとする多くの方々の温かいご支援がありました。そのおか
家政学科教授 松本
(一般教育科目 宮田 雅智)
げで何とかなりました。本当にありがとうございました。最後になりますが、本学がますますの発
展されることを心よりお祈り申し上げます。
ありがとう
1999年4月、青山学院女子短期大学に助教授として就任しました。家政
学科の所属ですが、学生部委員会、宗教活動委員会、国際交流委員会、総
合文化研究所の研究プロジェクトなどを通して、他学科の先生、職員および学生と知り合えたこと
に感謝しています。特に、宗教活動委員会では、サマーキャンプや天城冬の集いに参加したことが
良き思い出です。さまざまな分野の先生方からお話を伺い、多くの参加者と一つのテーマで意見交
換する場は、他者を理解し、自分を見直す、貴重な機会でした。
家政学科では、調理科学および食文化を担当しました。食生活に興味のない学生には、食の楽し
さを伝えたい。食に興味のある学生には、将来にわたって健康で快適な生活を送るために、食に関
する正しい知識、食生活の管理力および実践力を身につけて欲しい。このような願いを込めた授業
を心がけてきたつもりです。しかし、今、青山学院女子短期大学を去るにあたり、本学の学生が求
めていた授業を提供してきたであろうかと自問しています。家政学科の授業の特徴は、実験・実習
が多いことです。調理学実習室は月曜から金曜日までほぼ毎日稼働しています。このような状況で
は、副手の果たす役割が極めて重要となります。授業をはじめ学校行事などで快く補佐してくださっ
た副手の皆様に感謝しています。
青山学院女子短期大学で出会った人々は、私にとって財産です。11年間お世話になりありがとう
ございます。
が質問すると、すぐに何でもたくさん答えてくださいました。
4年くらい前に私は総合文化研究所のアジアに関する研究
プロジェクトの韓国研修の旅に、松本先生、一般教育科目の
関谷先生、教養学科の八耳先生・渡邊先生と一緒に出掛けま
した。ソウルの韓国料理のお店でそれぞれの先生が注文す
る美味しい食べ物が運ばれてくると、松本先生は関心のある
食べ物をパチパチと何枚もカメラに写していたのを思い出し
ます。
松本先生はとても大らかな方です。ある日「科会案内」を
コピーしておいででしたが、A4紙を横にして真ん中をカット
して同じものを2枚作るはずが、なぜかA4紙を縦にカットし
てしまいました。それで、その時の「科会案内」は真ん中で
セロテープ貼りのものとなりました。このようなエピソード
はあと2つあるのですが、それは内緒です。
松本先生とお別れするのは寂しいですが、新しい場所で元
気に明るくご活躍ください。 (家政学科 鈴木 すゞ江)
37年の感謝
一般教育科目教授 鈴木
鈴木律子先生を送る
律子
志賀智江先生を送る
鈴木先生は1979年4月本学に就任され、以来30余年
志賀先生は1973年に就任以来、幼児教育学を担当し保
育者育成のため多大の貢献をされました。厳しくも思いや
特に、初めて学ぶ外国語のクラスは少人数で!との長年に
日であるこの日がこんなに早く来るとは思いもしませんでした。
智江
間、共通教育科目外国語担当として、専門のフランス語を
はじめとする外国語教育の充実に力を注がれてきました。
今、定年退職の挨拶をしたためるにあたり、
「ミタビのトトセねえ」と呟きつつ、
長いようでもあり、短くもあった在職期間を静かにふり返っています。いずれ来る
子ども学科教授 志賀
昭和48(1973)年の4月から早くも37年、このたび、元気に青山学院を卒
業する時を迎えることができ、感謝のほかありません。
りの深い先生の薫陶を受けた卒業生が全国各地で活躍し
ています。これは、女性の人間的・社会的自立を志向し、ご
わたる先生の叫びが叶って、2000年度から実施された外
児童教育学科(今は子ども学科)では、主に幼稚園教育の基礎・原理から教育実習、そして保育
自身が結婚、育児、教育者、研究者を両立させ、高年での
ても殊のほか意気軒昂たる門出でした。その後は多くの学生たちとの出会いから、教育者としての己が自覚と
国語科目の新しいカリキュラムではクラスサイズの上限を
の総論までを学生の皆さんとご一緒しました。一般教育では、
「幼児教育」を担当しましたが、全
学位取得などの実人生の荒波を貫く姿勢の反映であると
責任を問い続けた30年でした。
決めて少人数制クラスを実現しました。また、様々な事柄
学科の1、2年生が毎年大勢で興味を示してくださり、毎週充実した時間でした。こうした授業を通
推察しております。キリスト者である先生は、キリスト教保
に気をまわし過ぎて、ともすれば問題を複雑にしてしまい
して、私は皆さんから、教育の面ばかりでなく、研究の面でも多くの示唆を得ることができました。
育を大切にされ、キリスト教保育連盟の役も担われ、ま
がちな中で、先生の単刀直入なお話には、はっとさせら
またクラブ活動で、茶道部の皆さんとご一緒できたのもうれしいことでした。青山祭や姉妹校来
た、ベテランの故、学内外の各委員も多数引き受けておら
れ、問題が明確になることが多々ありました。
「書」にも造
日時のお点前に、部員の皆さんが、猛稽古の成果を披露し、見事な役割をそれぞれに演じてくださっ
れます。学会にも多数所属され、その知見は広範斬新で、
詣が深く、連綿の優しい筆使いは先生のお人柄をよく表し
たのもすばらしいことでした。
いつも周囲に良い刺激を与えています。私共は、先生の姿
着任時は、
「皆が行きたがっている学校でしょう。いいですね。
」と周りの人たちから祝福され、私自身にとっ
何よりも高等教育の場で第二外国語を学ばせることは、単にそのことばに練達させることにとどまらず、そ
のことばに内在する文化や精神の有り様において、学生たちの知への関心を高めさせることに努めなければな
らない、フランス語教育を実践するに際して、そのことはいつも脳裏を離れませんでした。有難いことに、新
しい外国語に取り組む学生たちの好奇に満ちた目の輝きは、常に教える者への励ましとなり、シジフォス的労
働の辛さを忘れさせてもくれました。
いつしか時代も移り、
「叔母は先生にフランス語を習いましたが、結構フランス語が話せて、時々パリへ一人
旅に出かけます」などと報告してくれる学生たちも現れるようになり、私には望外のうれしい便りでしたが、そ
れは同時にふと来し方をふり返り、時間の速さに気づかされる機会でもありました。 ています。先生のご健勝を心よりお祈りしています。
(一般教育科目 宮田 雅智)
お別れに際し、教職員の皆様、卒業生、在学生、ビル管理の皆様方に心からの「ありがとう」を申し上げます。
人生80余年という今の時代ですから、皆さんは「あと60年、自分ならではの生き方」ができるの
勢を継承し、教育研究により一層励みたいと心新たにする
です。現在のキャンパスライフは、その60年の入り口であり基礎段階です。これからその道をどう
次第です。主なる神の祝福の下、今後もご活躍くださるよ
拡げ、どう深め、どの方向に延ばしていくかは、皆さん一人ひとりの意思にかかっています。
うお祈りいたします。
愛する青山と学生の皆さんのこれからに、幸多かれと祈ります。
蝋梅の咲き匂う午後に
進歩がなくてもいい
(子ども学科 今関 公雄)
退任の辞
国文学科教授 高野
公彦
ある年、私は長年勤めた出版社を定年前にやめて、ぶらぶらしていた。会
社ではずっと日本文学編集の仕事をしたが、もう26年間も勤めたことだし、
娘は2人とも大学を卒業したことだし、これからは気楽に短歌なんか作って暮らそう、という気持ちで
退職したのである。
しばらくして突然、元学長の栗坪良樹先生から電話が来て、我が人生が予想もしなかった方向へ動
いた。
結局、翌年から私は青山学院女子短期大学の国文学科の教師として、短歌関係の授業をするように
なった。
私は、短歌を作るのが好きなので、短歌の授業も楽しい。毎週学生たちに短歌を作らせ、それをプ
リントする。作者名は伏せておく。学生たちはそれらの作品を読み、いいと思う作品を選び、感想を
述べる。そのあと私が批評を加える。最後に作者名を発表する。
大体そんな方法で授業をした。才能のある人はいい短歌を作り、そうでない人はそれなりの短歌を
作る。これは仕方ないことだ。さほど進歩がなくても、まじめに授業を受けていればいいと私は思う。
卒業する学生に「君たち、結婚して子育てが終わって、ひまが出来たらまた短歌を作ってね」と言う。
すると彼女たちは「先生、その頃生きてますか?」と返す。私は苦笑しながら「大丈夫、この世にいな
ければ、あの世にいるから」と答える。
高野公彦先生を送る
子ども学科教授 菅沼
眞砂子
菅沼眞砂子先生を送る
高野先生は1994年本学に着任されたが、その前から歌
菅沼先生は学生たちにたくさんの素敵なことばをプレゼ
人として著名な方であった。本学では創作短歌の授業を
ントしてくださいました。その中のひとつ、
「ひとり居の時
中心に持たれ、若い学生たちに短歌創作の楽しさとその
奥深さなどを伝えられた。学生や卒業生たちの中から新
人賞受賞者や朝日歌壇などへの多くの掲載歌を生み出す
ことになる。
「クーリエ歌壇」や「青山歌壇」の選者として、
青山学院での若い芽を育むことにも尽力された。温厚、
誠実な人柄は学生や教員たちから敬愛され、国文学科で
は高野先生がおられるだけで、落ち着いた雰囲気が醸し
出されていた。朝、こちらに背中を向けて机に向かってお
られても、挨拶をすると必ず振り返って顔を見て「おはよ
うございます」と返された。今後、その先生のおられない
大学や研究室を思うと、大事なものをなくしたような寂し
さを感じるのである。日本酒などもこよなく愛され、事あ
るごとに居酒屋などでお付き合いいただいたのは、私たち
の忘れられない楽しい思い出となろう。
(国文学科 藤本 勝義)
34年間、生きてきた年月のちょうど半分をこの短大で過ごしたことにな
ります。
私は学生が好きでした。4月、学科の1年生全員の前に初めて立つとき、いつも、よくぞここまで生
きのびてきてくれた、とひとりひとりを抱きしめたい思いにかられました。子ども時代とそれに続く
思春期を、そして青年期へ。この人生のとばくちの困難な時代を生きのびることはほとんど奇跡と
いっていいことではないかと、今も私は思っています。
・・・
この学生たちのために何ができるか。そのことをずっと考え続けてきました。ためにと力んで学生
たちの生きる邪魔をしないように、それだけは自分に言いきかせて、手探りで生きてきました。
でも、
無力な私にできたのは身の回りのほんのわずかなことだけ。
それも自分で為しえたのではありませ
ん。学生たちがすべて教えてくれました。授業中ぽろっとこぼす一言や、ちらと見せる表情で。解答用
紙の裏に書かれた1、2行の文章に背を押してもらったことも一度や二度ではありません。
学生たちが「安心して真面目になれる場所」と呼んでくれた昼休みや放課後の研究室での語らい
の時間をもったいないと思ったことは一度もありません。私は学生たちと広い世界を共に見、人間
の不思議に共に驚きたいと思いました。生きる喜びと共に哀しみを知る者になりたいと思いまし
た。そして、いつか私は自分にできるのは祈ることだけと思うようになっていました。しあわせな34
年間でした。ありがとうございました。
間を大切に。ひとりになることを恐れないで。
」このことば
でどれだけの学生が救われたでしょうか。横並びの表面
的な「みんな」の中に埋没する自己への違和感を問題意
識として抱え、ひとりの豊かな時間をもつことで、自己の
確立も真の連帯もできると。学生を愛おしみ、時に挑発し、
人としての生き方を、ご自身の今一番旬の思索を惜し気も
なく投げ掛け語らうことを楽しんでおられました。子ども
学科の精神的な柱を失う寂しさを感じますが、34年間の
これまでに深い感謝の想いをこめて、これからの先生の良
いお仕事と、ますますのご活躍を祈念いたします。
(子ども学科 久保 制一)
05
教え子たちの短歌 今年の作品から
国文学科教授 高野 公彦
選
かの人も見上げてゐるや流れ星ココアを飲みつつベランダに独り
英文一年 渋谷 岬
独 り 寒 い ベ ラ ン ダ で コ コ ア を 飲 み な が ら 、流 れ 星 の 出 現 を 待 つ 。出 来 れ ば あ の 人 と 一
緒 に 見 た か っ た 、と い う 切 な い 思 い が に じ み 出 て い る 。
そうめんの中に泳がせる星三つオクラの緑今日は七夕
国文二年 髙橋 愛美
片 方 の イ ヤ ホ ン で 聴 く コ ブ ク ロ の﹁ 蕾 ﹂と 君 の 心 臓 の 音
国文一年 早坂 麻由
国文二年 板倉 美帆
冷 や し そ う め ん の 中 に 、緑 の オ ク ラ が 三 個 。断 面 が 五 角 形 で 、星 の よ う に 見 え る 。七
夕 だ か ら 、こ の 星 が 嬉 し い 。季 節 感 あ ふ れ る 歌 で あ る 。
国文一年 金 美里
き れ い に 筋 を 取 っ た 絹 さ や を 鍋 の 中 に 投 入 。や が て 湯 の 中 で 絹 さ や が 揺 れ 始 め る 。そ
れ が 若 葉 色 で 美 し い 。料 理 の 楽 し さ が 伝 わ っ て く る 歌 。
コ ブ ク ロ の ヒ ッ ト 曲﹁ 蕾 ﹂を 、イ ヤ ホ ン で 仲 良 く 二 人 で 聴 い て い る 。曲 と 一 緒 に 君︵ 好
き な 人 ︶の 心 臓 の 音 も 聞 こ え る 、と い う 初 々 し い 恋 の 歌 。
バ イ ト 先 で ク レ ー プ を 焼 い て い る の だ ろ う 。と ん ぼ は 、そ の と き 使 う 道 具 。
﹁ 二 百 ﹂と
い う 数 字 が 、仕 事 の 苦 労 を リ ア ル に 物 語 っ て い る 。
笑 い と 画 、ひ ょ う き ん 族 と 座 頭 市 、ビ ー ト た け し と 世 界 の 北 野
国文二年 赤松 快香
モバイル化頁をめくる音を消し紙の文化の行く末どこに
国文一年 加藤 成美
漫 才 師 と し て 人 を 笑 わ せ 、映 画 も 作 り 、ひ ょ う き ん 族 に 出 演 し 、座 頭 市 を 演 じ た 、八 面
六 臂 の 活 躍 を す る 一 人 の 人 物 を 、手 際 よ く 表 現 し て い る 。
国文専攻 田代 麻里紗
ケ イ タ イ で 本 が 読 め る 時 代 。電 車 の 中 で 読 書 し て も ペ ー ジ を め く る 音 が し な い 。紙 の
文 化 は ど こ へ 行 く の か 、と 心 配 し て い る 知 的 な 歌 で あ る 。
家政一年 宮本 紗耶加
本 人 で あ る こ と を 証 明 す る に は 、本 人 で は な く 、I C 内 蔵 の 身 分 証 明 書 。
﹁われよりも
わ れ ﹂と い う 表 現 が 、今 の 社 会 の 不 条 理 な 部 分 を 衝 い て い る 。
本借りるときもIC内蔵の学生証はわれよりもわれ
身 長 な ん て 気 に し な く て い い よ 、だ っ て 十 人 十 色 だ も ん 、と 彼 が 言 っ て く れ た 時 、魔
法 に か か っ た よ う に 気 が 楽 に な っ た 、と い う 喜 び の 一 首 。
お化粧を二段階ほど薄くして過疎化の進む故郷へ帰る
背 の 高 さ 気 に す る 我 に 君 が 言 う﹁ 十 人 十 色 ﹂は 魔 法 の 言 葉
葉が擦れる音と足音だけがする屋久島の杉太陽隠す
国文専攻 梅河 永依
ボートで辺野古の海へ
率にあたりました。現地では、特別研究期間中で沖縄県コザ
市にお住まいの輪島達郎准教授と合流し、詳しく丁寧なガイ
ドをしていただきました。
今回は、ちょうど普天間基地返還問題をめぐって日本政府
の方針が揺れ動いている最中での旅だったこともあり、沖縄
野古では、ボートで海を見学し、基地が建設されることにな
れば、美しい自然がどれほど破壊されてしまうのか、肌で感
じることができました。また、普天間基地に隣接する佐喜眞
美術館では、基地があることで騒音やヘリコプターの墜落事
故など、日常生活にどれほどの支障や危険が生まれているの
かを実感することができました。
テレビや新聞などのマス・メディアでは、
「普天間基地移設
問題」が日々取り上げられています。しかし、実際に沖縄で
ほ
国文一年 角田 美穂
参加し、2名の教員(趙慶姫准教授、梅垣千尋准教授)が引
か
過 疎 化 が 進 む 地 域 で は 、化 粧 が 濃 い と 、よ く 言 わ れ な い 。そ の 辺 を 心 得 て 、地 味 目 な
化粧で帰郷する。
﹁ 二 段 階 ほ ど 薄 く し て ﹂に ユ ー モ ア が 漂 う 。
2010年2月11日(木)∼14日(日)の3泊4日、沖縄スタディー・
高野 公彦
屋 久 島 に 茂 り 立 つ 巨 大 な 杉 の 群 れ 。時 折 り 、葉 擦 れ の 音 や 、人 の 歩 足 音 が す る 。う っ
そうと茂る木立の中の静寂をたくみに表現した作品。
いことがわかります。今回の沖縄スタディー・ツアーは、現場
に行って何が起こっているのか自分の目でよく確かめることの
佐喜眞美術館の
佐喜眞道夫さんと
大切さを感じる旅となりました。
(梅垣千尋)
スピーチコンテスト
2009年12月4日に、英文学科主催青山学院女子短期大学「第
の一環行事として青山学院講堂にて開催されました。様々な
28回英語スピーチコンテスト」が、青山学院創立135周年記念
テーマについて1年生の代表が英語力や表現方法や内容につ
いて競い、右記の4名が栄えある賞を受賞しました。1位の市
川晴香さんは、2010年の東京都私立短期大学協会主催「第36
回学生英語スピーチコンテスト」に本学代表として参加します。
また、2009年11月28日には東京都私立短期大学協会主催
「第35回学生英語スピーチコン
テスト」が私学会館にて開催さ
国文一年 上野 香葉子
本学の学生の優勝は2年ぶり通
3位: Minami Shimura(志村 美南)
場し、見事優勝しました。これで、
2位: Reina J. Dorff Watanabe(渡邊 ドーフ レイナ ジエイミー)
文学科2年宍戸万里江さんが出
1位: Haruka Ichikawa(市川 晴香)
れました。本学代表として、英
審査員特別賞: Arisa Ozeki(大関 ありさ)
ふ っ さ り と 芒 、花 舗 に て 売 ら れ お り こ の 世 に 届 く か の 世 の ひ か り
ツアーを行いました。9名の学生(1年生5名、2年生4名)が
秋 、花 屋 で ス ス キ を 見 か け る 。ス ス キ の 穂 は 、ふ っ さ り し て い て 柔 ら か い 光 沢 が あ る 。
そ の 質 感 を﹁ こ の 世 に 届 く か の 世 の ひ か り ﹂と 表 現 し て み た 。
算10回目となりました。
青くさくなりし手で持つ鍋のなか若葉色した絹さや揺れる
するメディア上では、さまざまなことが十分に伝えられていな
鉄板の上でとんぼを滑らせて二百のクレープ生地焼く土日
生活している人びとと対話してみると、私たちが東京で目に
木に木足し林に木足し森になり森に木を足しジャングルと読む
課外活動プログラム
「沖縄を学ぶ旅2009」
木 と い う 文 字 に 木 を 足 す と 、林 と い う 文 字 に な り 、林 に 木 を 足 す と 森 に な る 。さ ら に
木 を 足 せ ば ジ ャ ン グ ル だ ね 、と い う 面 白 い 言 葉 遊 び の 歌 。
た。米軍の計画上、普天間からの基地移設先とされている辺
辺野古テント村 で
お話をうかがいました
ではさまざまな方々が基地問題について語ってくださいまし
クーリエ歌 壇
課 外活 動 報 告
07
Campus Report
Campus Report
06
教え子たちの短歌 今年の作品から
国文学科教授 高野 公彦
選
かの人も見上げてゐるや流れ星ココアを飲みつつベランダに独り
英文一年 渋谷 岬
独 り 寒 い ベ ラ ン ダ で コ コ ア を 飲 み な が ら 、流 れ 星 の 出 現 を 待 つ 。出 来 れ ば あ の 人 と 一
緒 に 見 た か っ た 、と い う 切 な い 思 い が に じ み 出 て い る 。
そうめんの中に泳がせる星三つオクラの緑今日は七夕
国文二年 髙橋 愛美
片 方 の イ ヤ ホ ン で 聴 く コ ブ ク ロ の﹁ 蕾 ﹂と 君 の 心 臓 の 音
国文一年 早坂 麻由
国文二年 板倉 美帆
冷 や し そ う め ん の 中 に 、緑 の オ ク ラ が 三 個 。断 面 が 五 角 形 で 、星 の よ う に 見 え る 。七
夕 だ か ら 、こ の 星 が 嬉 し い 。季 節 感 あ ふ れ る 歌 で あ る 。
国文一年 金 美里
き れ い に 筋 を 取 っ た 絹 さ や を 鍋 の 中 に 投 入 。や が て 湯 の 中 で 絹 さ や が 揺 れ 始 め る 。そ
れ が 若 葉 色 で 美 し い 。料 理 の 楽 し さ が 伝 わ っ て く る 歌 。
コ ブ ク ロ の ヒ ッ ト 曲﹁ 蕾 ﹂を 、イ ヤ ホ ン で 仲 良 く 二 人 で 聴 い て い る 。曲 と 一 緒 に 君︵ 好
き な 人 ︶の 心 臓 の 音 も 聞 こ え る 、と い う 初 々 し い 恋 の 歌 。
バ イ ト 先 で ク レ ー プ を 焼 い て い る の だ ろ う 。と ん ぼ は 、そ の と き 使 う 道 具 。
﹁ 二 百 ﹂と
い う 数 字 が 、仕 事 の 苦 労 を リ ア ル に 物 語 っ て い る 。
笑 い と 画 、ひ ょ う き ん 族 と 座 頭 市 、ビ ー ト た け し と 世 界 の 北 野
国文二年 赤松 快香
モバイル化頁をめくる音を消し紙の文化の行く末どこに
国文一年 加藤 成美
漫 才 師 と し て 人 を 笑 わ せ 、映 画 も 作 り 、ひ ょ う き ん 族 に 出 演 し 、座 頭 市 を 演 じ た 、八 面
六 臂 の 活 躍 を す る 一 人 の 人 物 を 、手 際 よ く 表 現 し て い る 。
国文専攻 田代 麻里紗
ケ イ タ イ で 本 が 読 め る 時 代 。電 車 の 中 で 読 書 し て も ペ ー ジ を め く る 音 が し な い 。紙 の
文 化 は ど こ へ 行 く の か 、と 心 配 し て い る 知 的 な 歌 で あ る 。
家政一年 宮本 紗耶加
本 人 で あ る こ と を 証 明 す る に は 、本 人 で は な く 、I C 内 蔵 の 身 分 証 明 書 。
﹁われよりも
わ れ ﹂と い う 表 現 が 、今 の 社 会 の 不 条 理 な 部 分 を 衝 い て い る 。
本借りるときもIC内蔵の学生証はわれよりもわれ
身 長 な ん て 気 に し な く て い い よ 、だ っ て 十 人 十 色 だ も ん 、と 彼 が 言 っ て く れ た 時 、魔
法 に か か っ た よ う に 気 が 楽 に な っ た 、と い う 喜 び の 一 首 。
お化粧を二段階ほど薄くして過疎化の進む故郷へ帰る
背 の 高 さ 気 に す る 我 に 君 が 言 う﹁ 十 人 十 色 ﹂は 魔 法 の 言 葉
葉が擦れる音と足音だけがする屋久島の杉太陽隠す
国文専攻 梅河 永依
ボートで辺野古の海へ
率にあたりました。現地では、特別研究期間中で沖縄県コザ
市にお住まいの輪島達郎准教授と合流し、詳しく丁寧なガイ
ドをしていただきました。
今回は、ちょうど普天間基地返還問題をめぐって日本政府
の方針が揺れ動いている最中での旅だったこともあり、沖縄
野古では、ボートで海を見学し、基地が建設されることにな
れば、美しい自然がどれほど破壊されてしまうのか、肌で感
じることができました。また、普天間基地に隣接する佐喜眞
美術館では、基地があることで騒音やヘリコプターの墜落事
故など、日常生活にどれほどの支障や危険が生まれているの
かを実感することができました。
テレビや新聞などのマス・メディアでは、
「普天間基地移設
問題」が日々取り上げられています。しかし、実際に沖縄で
ほ
国文一年 角田 美穂
参加し、2名の教員(趙慶姫准教授、梅垣千尋准教授)が引
か
過 疎 化 が 進 む 地 域 で は 、化 粧 が 濃 い と 、よ く 言 わ れ な い 。そ の 辺 を 心 得 て 、地 味 目 な
化粧で帰郷する。
﹁ 二 段 階 ほ ど 薄 く し て ﹂に ユ ー モ ア が 漂 う 。
2010年2月11日(木)∼14日(日)の3泊4日、沖縄スタディー・
高野 公彦
屋 久 島 に 茂 り 立 つ 巨 大 な 杉 の 群 れ 。時 折 り 、葉 擦 れ の 音 や 、人 の 歩 足 音 が す る 。う っ
そうと茂る木立の中の静寂をたくみに表現した作品。
いことがわかります。今回の沖縄スタディー・ツアーは、現場
に行って何が起こっているのか自分の目でよく確かめることの
佐喜眞美術館の
佐喜眞道夫さんと
大切さを感じる旅となりました。
(梅垣千尋)
スピーチコンテスト
2009年12月4日に、英文学科主催青山学院女子短期大学「第
の一環行事として青山学院講堂にて開催されました。様々な
28回英語スピーチコンテスト」が、青山学院創立135周年記念
テーマについて1年生の代表が英語力や表現方法や内容につ
いて競い、右記の4名が栄えある賞を受賞しました。1位の市
川晴香さんは、2010年の東京都私立短期大学協会主催「第36
回学生英語スピーチコンテスト」に本学代表として参加します。
また、2009年11月28日には東京都私立短期大学協会主催
「第35回学生英語スピーチコン
テスト」が私学会館にて開催さ
国文一年 上野 香葉子
本学の学生の優勝は2年ぶり通
3位: Minami Shimura(志村 美南)
場し、見事優勝しました。これで、
2位: Reina J. Dorff Watanabe(渡邊 ドーフ レイナ ジエイミー)
文学科2年宍戸万里江さんが出
1位: Haruka Ichikawa(市川 晴香)
れました。本学代表として、英
審査員特別賞: Arisa Ozeki(大関 ありさ)
ふ っ さ り と 芒 、花 舗 に て 売 ら れ お り こ の 世 に 届 く か の 世 の ひ か り
ツアーを行いました。9名の学生(1年生5名、2年生4名)が
秋 、花 屋 で ス ス キ を 見 か け る 。ス ス キ の 穂 は 、ふ っ さ り し て い て 柔 ら か い 光 沢 が あ る 。
そ の 質 感 を﹁ こ の 世 に 届 く か の 世 の ひ か り ﹂と 表 現 し て み た 。
算10回目となりました。
青くさくなりし手で持つ鍋のなか若葉色した絹さや揺れる
するメディア上では、さまざまなことが十分に伝えられていな
鉄板の上でとんぼを滑らせて二百のクレープ生地焼く土日
生活している人びとと対話してみると、私たちが東京で目に
木に木足し林に木足し森になり森に木を足しジャングルと読む
課外活動プログラム
「沖縄を学ぶ旅2009」
木 と い う 文 字 に 木 を 足 す と 、林 と い う 文 字 に な り 、林 に 木 を 足 す と 森 に な る 。さ ら に
木 を 足 せ ば ジ ャ ン グ ル だ ね 、と い う 面 白 い 言 葉 遊 び の 歌 。
た。米軍の計画上、普天間からの基地移設先とされている辺
辺野古テント村 で
お話をうかがいました
ではさまざまな方々が基地問題について語ってくださいまし
クーリエ歌 壇
課 外活 動 報 告
07
Campus Report
Campus Report
06
08
Information
同窓会のご案内
CONTENTS
AOYAMA
在校生の皆様方は卒業と同時に短大同窓会会員であり、またオール青山の校友と
Front-Page Message
巻頭言「ある美術愛好家のこと」大野芳材
なります。卒業時に学校側で短大同窓会入会金と年会費5年分を代理徴収していた
No.152
だいております。
卒業後の住所等は同窓会が厳重な管理のもと、皆様からの連絡を受けて随時更新
1
Topics
しておりますので、変更がありましたら是非同窓会にお知らせください。お手元に同
卒業特集 卒業するいま
2
卒業生へ贈る言葉
3
Campus Report
退任の先生
4・5
課外活動報告・スピーチコンテスト報告
6
クーリエ歌壇
7
Information
窓会会報を年2回お届けいたします。同窓会では毎年青山祭でバザーを開催し、収益
同窓会のご案内・卒業後の案内 他
8
金の一部を母校の奨学基金として寄付しています。中軽井沢寮でのサマーキャンプ、
クリスマス礼拝、学科ごとの講座や講演会の開催をはじめ、各種サークル活動も年間
2010.3.5
を通じて活発に行われています。また全国7つの支部においても、出身地に帰られた
[発行]青山学院女子短期大学 〒150-8366 渋谷区渋谷 4-4-25 / Tel.03-3409-8111 / http://www.luce.aoyama.ac.jp/
卒業生が年代を超えて交流を深めています。同窓会の扉はいつも開いております。
クリスマス礼拝後の祝会、先生方とご一緒に…
皆様のご参加を同窓会一同心よりお待ち申し上げます。 (同窓会会長 野田壽子)
クーリエは(Courrier)はフランス語で「使者」、
「定期便」を意味し、英語ではCourierと綴ります。青山クーリエは本学のホームページからもご覧いただけます。
卒業後の案内
問い合わせ内容
担当部署
電話番号
証明書・再入学・科目等履修生・編入学・留学
女子短期大学教務課
03-3409-7045
専攻科・短期大学士入試
女子短期大学入試広報課
03-3409-7145
就職相談
女子短期大学学生課就職係
03-3409-7097
教会案内
女子短期大学宗教活動センター
03-3409-7120
卒業後の住所変更
女子短期大学同窓会
03-3499-3149
図書館利用
女子短期大学図書館
03-3409-7103
中軽井沢寮の利用(夏期のみ)
女子短期大学庶務課施設係
03-3409-7086
青山学院万代奨学金返還方法・口座振替
青山学院本部財務部本部財務グループ
03-3409-6547
青山学院万代奨学金返還猶予・住所変更等
青山学院本部総務部庶務課
03-3409-6463
日本学生支援機構奨学金
日本学生支援機構奨学事業相談センター
0570-03-7240
2010年度学費について
前 期
549,500
555,500
561,500
549,500
683,000
581,000
516,000
後 期
392,000
392,000
392,000
392,000
440,500
388,500
409,500
http://www.luce.aoyama.ac.jp/
ある美 術 愛 好 家のこと
http://www.agulin.aoyama.ac.jp/
納付書発送: 4月中旬
前期
納 付 期 限: 5月中旬
後期
納付書発送: 9月中旬
納 付 期 限:10月中旬
芸術学科教授
太 陽 王と呼 ば れ た ル イ14世 治 世 晩 期 のことであ る。
http://www.jasso.go.jp/
卒業式・卒業礼拝の案内
新2・3年生:2010年度の学費は以下のとおりです。
学 科
国 文
英 文
家 政
教 養
芸 術
子 ど も
子ども
(新3年生)
ホームページアドレス
◆2009年度卒業礼拝(青山学院講堂)
3月18日(木)13時30分(13時20分集合)
※礼拝後クラス会にて成績証明書を配付します。
◆2009年度卒業式・修了式(青山学院講堂)
3月19日(金)11時(10時開場、10時40分までに着席)
※ご父母の皆様には別途ご案内申し上げます。
※卒業生・修了生以外の学生が参列する必要はありません。
新2・3年生、専攻科生への新年度案内
彼らはその蒐集品を自由に研究できた。これもまた当時
らパリに向かった。彼の名はピエール・クロザ。父は徴税
の芸術庇護者に例のないことではない。彼が際立つのは、
人として財を築き、兄は一足早くパリで活動を始めていた。
国王などの所有するルネサンス以降の絵画の傑作を版画
トゥールーズは文化的に独自の伝統を誇り、ピエールは父
に複製し、解説を施して出版したことである。彼は私費を
を手伝いながら美術への関心を育てていったらしい。彼
投じて版画家を雇い、気鋭の美術 通に解説を依 頼した。
はパリで財務官として仕事を続けるうちに、著名な美術愛
世に最初に現れた美術書として知られる。残 念ながら、
好家たちと交わるなかで、作品蒐集熱が昂じていったよう
全8巻の予定は彼の死によって2巻目で中断した。彼が労
である。
「生きる歓びを知った住みいい時代」
と言われた18
多く利益の見込めない事業に取り組んだのは何故か。歴
世紀で、彼はやがてパリ有数のコレクションを形成する。
史への深い愛情と、文化を後世に伝えなくてはならないと
いう強い意志からであった、と思う。彼は自分ひとりの愉
卒業・修了する皆さんにクロザのことを書くのは、このよ
◆2010年度新入生・専攻科生 学生証・書類配付
4月2日(金)10時30分∼11時30分
編 集後記
ご卒業、ご修了おめでとうございます。皆様に「先生」と呼んでいただけ
た幸いをありがたく、もったいなく思います。そして、十分なことをお伝えで
たちが集まり、有望な若手を住まわせて制作を助けた。
1704年、ひとりの男がフランス南部の都市トゥールーズか
(円)
問合せ先:金額、振込用紙など/03-3409-7088(財務部)
延納について /03-3409-7091(学生課厚生係)
大 野 芳材
しみを求める、ディレッタントとそこが違った。
うな人物がかつて存在したことを知って欲しかったからで
「考える自由は人間の生命です」と当時の思想家が述べ
ある。少し大げさに言えば、人間精神の高貴さと呼べるも
たように、いまだその自由が充分に享受できなかった時
のを教えてくれるかけがえのない人のひとりとして。
代、クロザは美術を介してその獲得に向けて闘ったひとり
美術を愛好し自分好みの作品を集めるだけであれば、
であった。ひとつのことを粘り強く追求することが、個人
きなかったのではと申し訳なくも思っています。皆様がそれぞれの夢を叶え
この時代に格別眼を引くことではない。古来芸術の愛好
を超えて大きな世界に結びつくことをそれは教えてくれる
◆2010年度新入生・専攻科生入学式(青山学院講堂)
4月2日(金)13時
られますように、そしてお幸せになられますようにと願ってやみません。背筋
は王侯君主の嗜みであり、教養人の心得であった。では何
だろう。
◆2010年度2・3年生 書類配付・履修指導
4月3日(土)9時
いますよう願っています。またお会いできる日を楽しみにしています。
◆2010年度始業礼拝(青山学院講堂)
4月3日(土)10時
をピンと伸ばし、笑顔で歩いてくださいね。でも、長い道のりです、疲れたら
途中で休憩なさるのもいいことだと思います。くれぐれもお体を大切になさ
(湯本 久美子)
編集
委員
奥村 健一 鹿倉 秀典 志賀 智江 鈴木 智美 高橋 淑子 寺村 眞佐子
山口 静香 湯本 久美子
★クーリエの感想やご意見をお寄せください [email protected]
※次回発行は4月の予定です
が彼を多くの美術愛好家と区別するのか。
彼はルーヴル宮の北にあるパレ・ロワイヤルのさらに北
に邸館を構えた。そこには芸術家や文学者や芸術愛好家
青山で学んだことの何かひとつのことを、より豊かに実
らせてほしいと願っています。