同 和 問 題 - 大分県教育委員会

分野別人権教育・啓発・研修資料
同 和 問 題
一人ひとりが
同和問題を理解し、
みんなで同和問題の
解決に取り組むために
大分県生活環境部人権・同和対策課
大分県教育庁人権・同和教育課
は
じ
め
に
一人ひとりが自分の人権のみならず、他者の人権についても正しく理解し、
配慮するとともに相互に人権を尊重し合い、すべての人が人間として尊重され
る社会を築いていかなければなりません。
我が国固有の人権問題である同和問題は、これまでの長年の取組によって、
生活環境や産業基盤の整備などの面では相当の成果があがっておりますが、結
婚問題を中心に差別意識は根深く存在し、差別意識や偏見の解消が課題として
残されています。また、インターネット等を利用した悪質な差別的情報の流布
など新たな問題も発生しています。
同和問題は放っておけば自然になくなるものではありません。差別をなくし、
一日も早く同和問題を解決していくためには、同和問題を正しく理解すること、
昔からの習わしや偏見、世間体などに惑わされずに、人権尊重の視点から見つ
め直す、自分に関係のある問題として同和問題に向き合うことが必要です。
同和問題の解決に取り組むことは、わたしたちの社会のさまざまな人権課題
の解決に向けて取り組むことにつながります。
この冊子は、同和問題についてより深い知識と考察、そして同和問題の解決
への一層の実践力を養っていただくための資料として編集しました。
人権が尊重される社会づくりをめざして職場や地域などあらゆる人権教育・
人権啓発の場においてご活用いただければ幸いです。
目
1
同和問題とは何か
(1)同和問題とは
(2)正しい知識を身につける
(3)部落はいつごろ、なぜできたのか
(4)近代化と部落問題
① 解放令
② 差別と解放運動
・部落改善運動
・水平社創設
2
国・県の取組
(1)同和行政
1)国の取組
①戦前の同和行政
・融和運動
②戦後まもなくの取組
③早急な解決をめざして
・同和対策審議会答申
④特別措置法
・特別対策による取組
⑤特別対策の終了
⑥国際社会と人権教育
2)大分県の取組
・特別措置法に基づく取組
・特別措置法の終了
(2)人権教育・人権啓発としての取組
1)国の取組
2)大分県の取組
3
同和問題の現在
(1)人権に関する県民意識調査の結果
(2)結婚や就職に対する差別
(3)公正採用への取組
(4)身元調査
(5)多様な形態や内容で起きる差別事象
4
次
同和問題の解決を阻むもの
(1)寝た子を起こすな
(2)忌避意識
(3)ステレオタイプ・偏見
(4)えせ同和行為
(5)ケガレ意識
(6)迷信・因習
同和対策関係年表
国及び県の人権・同和対策の経緯
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P36
1
同和問題とは何か
(1)同和問題とは
日本には、一部の国民が出自や出身地を理由に結婚や就職などの際に
不当な扱いを受けたり、差別的言動を受けるという問題があります。
また、教育や就労産業の面でなお較差が見られます。これが、部落差
別を原因とする社会問題、いわゆる同和問題であり、日本固有の人権問
題です。
同和問題は、人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題で
あり、同時に日本国憲法によって保障された基本的人権に関する課題です。
人権は誰もが生まれながらながらにもっている権利であり、人権が尊
重される社会は、あらゆる人が幸せに豊かに暮らしていける社会です。
同和問題の解決のためには、人権を尊重し、この問題について理解を深
めることが必要です。
(2)正しい知識を身につける
同和問題の解決を図るには、正しい知識を身につけることが大切です。
正しい知識がなければ、正しい判断はできず、偏見や差別を助長し、と
きには加害者になってしまうこともあるのです。
2008(平成20)年に大分県が行った『人権に関する県民意識調査』によると、3.7%の
人が、同和問題は知らないと答えています。また、同和問題を初めて知ったきっかけは、
「学校で習った」が、最も多くなっており、「家族から聞いた」、「テレビ・ラジオ・新聞
・本等」の順になっています。
【同和問題を初めて知ったきっかけ(不明を除く)】
覚えていな
い, 9.3
その他, 2.6
県市町村の広
報誌、冊子か
ら, 5.6
同和問題は知ら
ない, 3.7
家族から, 23.4
親戚から, 1.3
同和問題研修
会・集会か
ら, 8.2
テレビ・ラジオ・
新聞・本などか
ら, 10.0
近所の人か
ら, 3.5
学校の授業
で, 25.0
学校の友人
から, 2.4
職場の人か
ら, 5.0
「人権に関する県民意識調査」結果から
-1-
資
料
◇同和対策審議会答申(抜粋)
(昭和40年8月11日)
同和対策審議会答申
いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造
に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態にお
かれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会
原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、
もっとも深刻にして重大な社会問題である。
(略)
すなわち、近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵
害にほかならならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障
される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和
地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。
◇日本国憲法(抜粋)
( 昭和22年5月3日施行)
◇日本国憲法
第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障す
る基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へら
れる。
第14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門
地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第22条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基
本として、相互の協力により、維持されなければならない。
第26条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育
を受ける権利を有する。
2
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせ
る義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
◇世界人権宣言(前文)
(1948年12月10日)
◇世界人権宣言
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認する
ことは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、人権の無視及び軽侮が、人
類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び
欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、人間が専制と
圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配
によって人権保護することが肝要であるので、諸国間の友好関係の発展を促進することが、
肝要であるので、国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳
及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社
会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、加盟国は、国際連合と協力
して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、
これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要
であるので、よって、ここに、国際連合総会は、社会の各個人及び各機関が、この世界人
権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にあ
る地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進するこ
と並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と尊守とを国内的及び国際的な漸進的措置によ
って確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基
準として、この世界人権宣言を公布する。
-2-
(3)部落はいつごろ、なぜできたのか
身分制度は何も近世から始まったものではなく、古代、中世に発生し
ましたが、江戸時代には、武士、百姓、町人、賤民などの身分が固定さ
れ、賤民の人々への差別が強くなりました。住む場所や職業が決められ、
結婚、服装、食べ物など生活全体を厳しく制限しました。
また、部落問題は、中世後期の被差別民衆やケガレ意識と密接な関係
にあるとされています。
被差別民衆は厳しい制約を受けながらも皮革業や履き物業などの産業
を担い、医薬、造園や歌舞伎・大道芸、陸運・水運など日本の伝統的な
技術、経済基盤を多く支えてきました。
(4)近代化と部落問題
① 解放令
明治維新により、徳川幕府が終わり、明治政府は江戸時代の身分
制度を廃止し、1871(明治4)年にいわゆる解放令(太政官布
告)を出しました。
解放令によって、制度的な身分に基づく職業や居住の制限は廃止
されましたが、国民のなかにある因習の解消や旧賤民身分の人々の
職業の保障、生活環境の改善などの実質的な差別の解消については、
十分には取り組みませんでした。
また、1872(明治5)年に編製された最初の近代的な戸籍(壬
申戸籍)には、それまでの差別的身分の呼称等が記載されているも
のもありました。
この解放令により、法律・制度の上では平等になったものの、各
地で解放令に反対する要求を掲げた反対一揆が起こるなど、同和地
区・被差別部落に住む人々は様々な厳しい差別を受けていました。
しかも、それまで同和地区・被差別部落住む人々が携わってきた皮
革産業や履物業などの部落産業に大資本が進出し、かえって、経済
的に苦しくなったともいわれています。
◇解放令の布告は、公会議所における「里数改正」にかかわる提案をきっかけに始
まりました。これまで被差別部落の土地は幕府や藩による諸役免除のため路程の距
離に入っていませんでした。そのため、実際の距離数が合わない状況にありました
ので、被差別部落を他の村々と同じ扱いとし、距離を統一することにしたのです。
これを契機に徴税や国防、天賦人権の観点から部落解放に関する論議が行われ、
西欧との対抗のなかで、徴税、徴兵、義務教育などの近代的制度の整備を進めるた
めに解放令は布告されたことから、法的措置としての解放に止まったのです。
-3-
資
料
◇同和対策審議会答申(抜粋)
(昭和40年8月11日)
同和対策審議会答申
「未解放部落」または「同和関係地区」(以下単に「同和地区」という。)の起源
や沿革については、人種的起源説、宗教的起源説、職業的起源説、政治的起源説など
の諸説がある。しかし、本審議会は、これら同和地区の起源を学問的に究明すること
を任務とするものではない。ただ、世人の偏見を打破するためにはっきり断言してお
かなければならないのは同和地区の住民は異人種でも異民族でもなく、疑いもなく日
本民族、日本国民である、ということである。
すなわち、同和問題は、日本民族、日本国民のなかの身分的差別をうける少数集団
の問題である。同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、
経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成さ
れた集落である。
◇被差別部落の起源をめぐる諸説
(1)中世起源説
① 中世初頭、政治的作為によって成立したという説
部落差別の本質を社会からの排除(共同体からの排除)とみなし、排除された人
々に社会と何らかの関係づけ(権力がキヨメ役などを課すこと)を行うことによっ
て中世初頭に成立したというもの。
② 中世初頭、習俗的差別として社会的に生み出されたいう説
被差別民に対する差別の本来的・基底的形態を習俗的差別であるとみなし、中世
初頭に自然発生的性格をもって生み出されたものとするもの。
(2)近世起源説
近世権力が、中世に存在していた「河原者」や皮革業者を核にして、その他の
社会階層の一部も含めて新たに被差別身分として編成したことを重視して近世初
頭に成立したいうもの。
出典:「部落問題論への招待」寺木伸明・野口道彦 編(部落出版社)
◇ 解放令
穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
スベテ
穢多非人ノ稱被廢候條一般平民ニ編入シ身分職業共 都 テ同一ニ相成候様可取扱
モツトモ
ジヨケン
シキタリ
尤 地祖其外除蠲ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官
◇壬申戸籍
明治4年(1871年)の戸籍法に基づいて、翌明治5年(1872年)に編製された戸籍で
ある。編製年の干支「壬申」から「壬申戸籍」と呼び慣わす。
壬申戸籍では、皇族、華族、士族、旧神官、僧、平民等を別個に集計した。
このとき被差別部落民は賎民解放令に基づき、平民として編入されたが、一部地域
の戸籍には新平民や、元穢多、元非人等と記載されたり等、差別は色濃く残った。
-4-
②
差別と解放運動
・部落改善運動
明治末期に至り、ようやく部落の人々の生活に目が向けられ、大
正時代にかけて部落改善運動が取り組まれてきました。この運動は、
部落の風俗習慣の改善、衛生観念の啓発、産業の振興、教育の奨励
等の事業への取組で、当初は先覚者の個人的な活動でしたが、行政
や地域の有力者を含めた組織的な動きに発展しました。しかしなが
ら、この運動は、部落問題を社会問題として顕在化させるもとにな
った点については評価されますが、事業を進める財政的裏付けはな
く、部落の人々の自覚を促すことに止まるものでした。
・水平社創設
このように昔ながらの差別意識による職業選択の阻害や政府の経
済・社会政策の影響により、同和地区住民の生活は、近代になって
総じて厳しくなったといえます。こうしたなか、1922(大正1
1)年に、差別撤廃に向けて、被差別部落の人々が団結し、全国水
平社が結成されました。
差別の原因を部落の人々の生活にあるとだけ考えて、それを改善
していこうとするような動きは、部落の人々を結果的に眠らせて周
辺の住民の差別意識を温存させることにつながる、差別を解消する
ためには部落の人々が自ら立ち上がり差別解消の闘いをしない限り
差別はなくならないという考えにもとづいたものです。
全国水平社
被差別部落解放を目的として、被差別部落の人々が自主的に結成した全国組織。
1922(大正11)年京都で創立大会を開き、運動は全国各地に広がった。太平洋
戦争中に自然消滅したが、戦後、部落解放全国委員会として復活し、1955(昭和
30)年部落解放同盟と改称した。
-5-
資
料
◇帝国公道会
差別部落の生活改善と思想善導を目的として結成された全国組織で1914(大正3)
年6月7日に結成された。
初代会長は板垣退助、副会長は大木遠吉・本田親済が就任し、解放令発布を明治天
皇の恩徳とし、恩徳に報いるために社会はこれまでの差別を反省して部落の住民への
同情を注ぎ、住民も社会の一員として認められるような行動を求めた。
機関誌『公道』を発刊して世論の喚起を促し、また各地の部落の現状を調査して差
別問題の調停や北海道などへの移住による生活改善策の実施を図った。
◇水平社結成の宣言 (水平社パンフレット「良き日の爲に」より)
宣
言
全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
いじ
長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によっ
もた
それら
てなされた吾等の爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のす
つね
ぼうとく
べてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。
いたわ
そしてこれ等の人間を 勦 るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を
うち
想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運
動を起せるは、寧ろ必然である。
かつこうしや
ろうれつ
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級
は
政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、
あたたか
生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、 暖 い人間の心臓
を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちに
か
も、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享
らくいん
けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が
けいかん
來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
きようだ
はずか
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を 辱 しめ、人間を
ど
いたわ
冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を 勦 る
なん
がんぐらいさん
事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するもので
ある。
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。
大正11年3月3日
全国水平社創立大會
-6-
2
国・県の取組
(1)同和行政
1)国の取組
①戦前の同和行政
・融和運動
全国水平社による解放運動は、全国に広がっていきました。社
会的にも同和問題が注目されようになり、国や民間団体が一体と
なって部落差別を解消していく運動が進められ、改善事業に着手
し始めました。これを融和運動といい、全国的な組織として、
「中
央融和事業協会」があり、各府県にそれぞれ融和団体がつくられ
ていきました。
しかし第二次世界大戦が始まると、厳しい社会情勢の中で運動
も事業も埋没してしまいました。
②戦後まもなくの取組
1945(昭和20)年に、第二次世界大戦が終わり、日本国憲
法が制定され、人権尊重の規定が設けられましたが、同和問題は現
実の問題として依然残ったままでした。このような混迷のなかにあ
って、いち早く部落解放の運動がおこり、1946(昭和21)年
には、部落解放全国委員会が結成され、差別事象や差別の実態を指
摘するなかで行政や教育の場での取組を要請してきました。行政に
おいても差別を放置できないという動きを受けて、対策を行ってい
くようになりました。その大きな進展の契機となったのが、いわゆ
る「オールロマンス事件(昭和26年)」です。
この頃から各地で生活環境の改善、就労、福祉の向上をめざす同
和対策事業が実施されるようになりました。
1953(昭和28)年に、戦後初めての同和対策として、厚生
省(当時)が隣保館設置の予算を計上しました。その後、共同浴場、
下水排水路、共同作業所、地区道路の整備事業を実施してきました
が、これらの予算措置により同和地区の生活実態が、大きく改善し
たわけではなく、また、全国的にもばらつきがみられました。
-7-
資
料
◇融和運動
大正・昭和前期、部落改善運動の流れを受けて、一方では水平社運動がおこったこ
とと相前後して、行政機関や民間が一体となって部落差別を解消していく運動が進め
られてきた。これを融和運動といい、全国組織として「中央融和事業協会」があり各
府県にそれぞれの融和団体がつくられていった。
この運動は、差別を解消して国民一体となることを目的としており、単なる精神融
和を説くだけのものではなく、部落差別を解消するため 部落の環境改善、教育の奨
励、職業の紹介、講習・講演会の推進等の融和事業が行われてきた。
こうした融和運動も、1935(昭和10)年代半ばの戦時体制強化のもとで希薄化され
ていき、「中央融和事業協会」も1941(昭和16)年には、「同和奉公会」へ改組され、
終戦に至って終末を迎えた。
大分県では、「国民相互の因習的観念を撤廃し、融和親睦の実を挙ぐる」という知
事の指示もとに「大分県親和会」が1924(大正13)年に発足し、講習会、融和教育研
究会、融和事業説明会の開催や融和教育推進住宅、共同作業所、稚蚕飼育場の建設が
行われてきた。
◇隣保館とは
同和地区およびその周辺地域の住民を含めた地域社会全体の中で、福祉の向上や人
権啓発のための住民交流の拠点となる地域に密着した福祉センター(コミュニティセ
ンター)として、生活上の各種相談事業をはじめ社会福祉等に関する総合的な事業及
び国民的課題として人権・同和問題に対する理解を深めるための活動を行い、もって
地域住民の生活の社会的、経済的、文化的改善向上を図るとともに、人権・同和問題
の速やかな解決に資することを目的としている。
1953(昭和28)年度の国家予算に、初めて同和地区に隣保館を建設する経費の補助
金が計上された。1958(昭和33)年の社会福祉事業法の改正により、第2種社会福祉
施設とされ、1996(平成8)年、閣議決定「同和問題の解決に向けた今後の方策につ
いて」に基づき、周辺地域住民を含めた地域社会全体を対象とする社会福祉施設とし
て社会福祉法に位置づけられた。
◇オールロマンス事件
『オールロマンス』という雑誌に、当時使われていた差別語の「特殊部落」と題す
る小説を書いた筆者だけでなく、部落の実態を改善しないで放置してきた京都市の責
任を追及し、根本的な改善を要求していく差別行政糾弾の端緒となった事件。
なお、この小説の登場人物の多くは在日朝鮮人であり、舞台は、部落と隣接した在
日朝鮮人が多く住む地域である。小説は在日朝鮮人を反社会的な存在として描き、全
体として、朝鮮人差別を助長するものであった。
-8-
③早急な解決をめざして
1961(昭和36)年、国は、部落問題の抜本的な解決を図る
ため内閣総理大臣の諮問機関として、同和対策審議会(同対審)を
設置しました。この審議会は、全国規模の実態調査を行いました。
それをもとに審議を重ね、1965(昭和40)年に「同和対策審
議会答申」を政府に提出しました。
・同和対策審議会答申
この答申では、同和問題は、「人類普遍の原理である人間の自由
と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的
人権にかかわる課題である。」とし、「この問題の解決は国の責務で
あり、かつ、国民的課題である。」としています。
したがって、その対策は生活環境の改善、社会福祉の充実、産業、
職業の安定、教育文化の向上、基本的人権の擁護等を内容とする総
合的対策でなければならないことを明らかにし、国や地方公共団体
が総合的に推進することを促しました。
④特別措置法
・特別対策による取組
[同和対策事業特別措置法]
同対審答申を受けて、国は、可及的速やかに問題を解決するため、
期間や対象地域を限定した特別対策で対応することにしました。
1969(昭和44)年に最初の「同和対策事業特別措置法」
(同
対法)を制定しました。この法律に基づき事業を実施してきました
が、期限内に事業が完了しないことが見込まれ3年の延長がされま
した。
[地域改善対策特別措置法]・[地域改善対策特定事業に係る国の
財政上の特別措置に関する法律]
同対法に基づく事業により、生活環境などかなりの改善が進みま
したが、まだ、不十分であったことから、同対法に続き「地域改善
対策特別措置法(地対法)」が、1982(昭和57)年に施行さ
れました。
1987(昭和62)年には、「地域改善対策特定事業に係る国
の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)に引き継がれ、
特別措置法に基づく同和対策事業が進められてきました。
-9-
資
料
◇同和対策審議会答申(抄)
昭和40年8月11日
内閣総理大臣
佐藤栄作殿
同和対策審議会会長
木村忠二郎
昭和36年12月7日総審第194号をもって、諮問のあった「同和地区に関す
る社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」について審議した結果、別
紙のとおり答申する。
前
文
(略)いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する
問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。した
がって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その
早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題であるとの認識に立って対策の研
究に努力した。(略)関係地区住民の経済状態、生活環境等がすみやかに改善され平
等なる日本国民としての生活が確保されることの重要性を改めて認識したのである。
(略)時あたかも政府は社会開発の基本方針をうち出し、高度経済成長に伴う社会
経済の大きな変動がみられようとしている。これと同時に人間尊重の精神が強調され
て、政治、行政の面で新らしく施策が推進されようとする状態にある。まさに同和問
題を解決すべき絶好の機会というべきである。
政府においては、本答申の精神を尊重し、有効適切な施策を実施して、問題を抜本
的に解決し、恥ずべき社会悪を払拭して、あるべからざる差別の長き歴史の終始符が
一日もすみやかに実現されるよう万全の処置をとられることを要望し期待するもので
ある。
◇特別措置法
・同和対策事業特別措置法
歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域(以下「対象
地域」という。)について国及び地方公共団体が協力して行なう同和対策事業の目標
を明らかにするとともに、この目標を達成するために必要な特別の措置を講じること
により、対象地域における経済力の培養、住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与
することを目的として、10年間の時限立法として施行されたが、その後3年延長さ
れた。
対象事業は、目標を達成するために必要な措置を講じると包括規定が設けられてい
た。
・地域改善対策特別措置法
1982(昭和57)年地域改善対策特別措置法(地対法)が施行され、「同和対策」と
いう名称から「地域改善対策」に変わり、対象事業を82事業に確定した。
・地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律
1987(昭和62)年に、地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する
法律(地対財特法)が施行され、対象事業は55事業となった。その後数度にわたる
改正を終えた後、2002(平成14)年に国策としての同和対策事業は終焉した。
- 10 -
⑤特別対策の終了
長年にわたる特別対策で生活環境の改善など物的な面では大きな
改善が見られたことから、対象地域を限定して実施してきた特別対
策は終了することにし、1997(平成9)年3月をもって終了し
ましたが、一般対策への円滑な移行を図るため同年4月地対財特法
の一部を改正する法律が施行され、一部事業については、必要最小
限の経過的な措置を講じたうえで、2002(平成14)年に地対
財特法が失効し、特別対策は終了しました。
⑥国際社会と人権教育
国際連合は1995(平成7)年から2004(平成16)年ま
での10年間を「人権教育のための国連10年」と定め、各国に対
し、「人権という普遍的文化」が構築されることをめざし、国内行
動計画を策定することを求めました。
1996(平成8)年の地域改善対策協議会の意見具申では、同
和問題を我が国の人権問題における重要な柱と捉え、「人権教育の
ための国連10年」の中で教育・啓発に取り組むことが述べられて
います。
このような中、1997(平成9)年「人権教育のための国連1
0年」国内行動計画を策定し、人権教育・啓発を推進しました。
「人権教育のための国連10年」は2004(平成16)年に終
了しましたが、その後、国連総会において、引き続き人権教育を積
極的に推進することを目的に「人権教育のための世界計画」が採択
され、その第1フェーズ(2005年~2007年)として初等教
育及び中等教育に焦点をあてた行動計画が示されました。 その後、
第1フェーズは2009(平成21)年まで延長されました。
さらに、同年10月の人権理事会において2010(平成22)
年から2014(平成26)年までを第2フェーズとすることが決
議され、高等教育、教育者や公務員等のための人権教育に重点を置
くことになりました。
- 11 -
資
料
◇地域改善対策協議会意見具申 (抄)
(平成8年5月17日)
1 同和問題に関する基本認識
(略)我が国固有の人権問題である同和問題は、憲法が保障する基本的人権の侵害
に係る深刻かつ重大な問題である。戦後50年、本格的な対策が始まってからも四半世
紀余、同和問題は多くの人々の努力によって、解決へ向けて進んでいるものの、残念
ながら依然として我が国における重要な課題と言わざるを得ない。(略)また、国際
社会における我が国の果たすべき役割からすれば、まずは足元とも言うべき国内にお
いて、同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際
的な責務である。
昭和40年の同和対策審議会答申(同対審答申)は、同和問題の解決は国の責務であ
ると同時に国民的課題であると指摘している。その精神を踏まえて、今後とも、国や
地方公共団体はもとより、国民の一人一人が同和問題の解決に向けて主体的に努力し
ていかなければならない。そのためには、基本的人権を保障された国民一人一人が、
自分自身の課題として、同和問題を人権問題という本質から捉え、解決に向けて努力
する必要がある。同和問題は過去の課題ではない。この問題の解決に向けた今後の取
組みを人権にかかわるあらゆる問題の解決につなげていくという、広がりをもった現
実の課題である。(略)
3 同和問題解決への展望
(2)今後の施策の基本的な方向
特別対策は、事業の実施の緊要性等に応じて講じられるものであり、状況が整えば
できる限り早期に一般対策へ移行することになる。一方、教育、就労、産業等の面で
なお存在している較差の背景には様々な要因があり、短期間で集中的に較差を解消す
ることは困難とみられ、ある程度の時間をかけて粘り強く較差解消に努めるべきであ
る。(略)
同対審答申は、「部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければ
ならない」と指摘しており、特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問
題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものでないことは言うまでもない。
(略)
4 今後の重点施策の方向
(1)差別意識の解消に向けた教育及び啓発の推進
① 基本的な考え方
差別意識の解消のために教育及び啓発の果たすべき役割は極めて大きく、これまで
様々な手法で施策が推進されてきた。しかしながら、同和問題に関する国民の差別意
識は解消へ向けて進んでいるものの依然として根深く存在しており、その解消に向け
た教育及び啓発は引き続き積極的に推進していかなければならない。(略)
今後、差別意識の解消を図るに当たっては、これまでの同和教育や啓発活動の中で
積み上げられてきた成果とこれまでの手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人
権を尊重していくための人権教育、人権啓発として発展的に再構築すべきと考えられ
る。その中で、同和問題を人権問題の重要な柱として捉え、この問題に固有の経緯等
を十分に認識しつつ、国際的な潮流とその取組みを踏まえて積極的に推進すべきであ
る。(略)
- 12 -
2)大分県の取組
大分県においては、1924(大正13)年に、大分県水平社が結成
され、また、融和運動組織「大分県親和会」が結成され、解放運動、改
善運動が行われてきました。しかしながら、融和団体組織は、戦争の長
期化の中で、大政翼賛化していき、1941(昭和16)年の同和奉公
会への改組を経て、終戦に至り終末期を迎えました。
・特別措置法に基づく取組
大分県の同和行政は、同対法の施行により、大きく推進されました。
行政機構は当初厚生部社会課が担当していましたが、1974(昭和4
9)年には、厚生部社会課内に同和対策事務局を新設し、1977(昭
和52)年には、同和行政を充実するために福祉生活部に同和対策室を
設置し、組織の充実を図りました。
また、同和対策事業について必要な事項を調査・審議し、事業を円滑
に推進するため、1977(昭和52)年に大分県同和対策審議会を設
置し、同和対策を積極的に推進してきました。
・特別措置法の終了
大分県同和対策審議会は、1997(平成9)年8月5日、特別措置
法に基づいて実施してきた特別対策の期限を目前にひかえ、大分県にお
ける同和対策事業を総括しました。
事業効果について、生活環境の改善や産業基盤の整備などは相当な成
果をみており、同和地区と周辺との較差はほとんどみられなくなった。
しかしながら、高等学校や大学への進学率にみられるような教育の問題、
不安定就労の問題、産業面の問題など較差が存在しいる分野がみられる。
また、同和教育や啓発活動についても一定の効果がみられるものの、
結婚問題を中心に差別意識がいまだに存在しており、今後の主要な課題
は部落差別の撤廃や人権尊重社会の確立に向けた教育及び啓発の推進で
あることが審議了承されました。
この基本認識に基づく今後の基本方針は次のとおりです。
① 同和問題は基本的人権に関わる問題であり、差別がある限り、人
権を尊重するという基本姿勢で、その解決に向けて積極的に取り組む。
② 必要な事業については、一般対策を有効かつ適切に活用して関係
機関と連携を図りながら実施する。
③ 教育・啓発については、基本的人権を尊重していくための人権教
育・人権啓発として発展させ、一層の推進を図る。
④ 「人権教育のための国連10年」の積極的な取組を図る。
- 13 -
資
料
◇大分県同和対策審議会議案書《最終議案》 (抄)
(平成14年11月8日)
(1)大分県における同和対策事業の総括
昭和44年の「同和対策事業特別措置法」の施行以来、33年間にわたり3つの
特 別措置法に基づいて実施してきた特別対策は、平成14年3月末で終了した。
この間、県及び市町村で実施した同和対策事業費の総額は約1,379億円であり、
うち生活環境改善等の物的事業は約770億円(55.9%)、教育・啓発等の非
物的事
業は約609億円(44.1%)である。
(略)この33年間の事業の効果については、国が実施した平成5年度同和地区実
態把握等調査の大分県分結果及び平成7年度大分県同和対策実態調査の結果、さら
には前回の審議会でも評価されたとおり、生活環境の改善や産業基盤の整備などの
物的事業は相当の成果をあげ、同和地区と周辺地域との較差はほとんどみられなく
なったところである。
しかしながら、高等学校や大学への進学率にみられるような教育の問題、これと
密接に関連する不安定就労の問題、産業面の問題など、較差がなお存在している分
野がみられる。(略)
また、同和教育や啓発についても、(略)同和教育や啓発活動に参加した人でこ
のような意識の改善がみられるなどの一定の成果があがる一方、結婚問題を中心に
差別意識がいまだ存在している状況である。
このように、今後の主要な課題は、部落差別撤廃や人権尊重社会の確立に向けた
教育及び啓発の推進である。
(略)今後の基本方針は、以下のとおりとする。
(ⅰ) 同和問題は、基本的人権に関わる問題であり、差別がある限り、人権を尊重す
るという基本姿勢で、その解決に向けて積極的に取り組んでいく。
(ⅱ) (略)必要な事業については一般対策を有効かつ適切に活用して、課題解決に
向け関係機関と連携を図りながら実施する。
(ⅲ) 教育・啓発については、人権教育・啓発推進法の理念に基づき、すべての県民
の基本的人権を尊重していくための人権教育及び人権啓発として発展させ、一層
の推進を図る。
(ⅳ) 同和問題をはじめとする様々な人権問題の解決に向けた取組として、県及び市
町村は、「人権教育のための国連10年」の行動計画を定め推進しているが、こ
の計画が終了する平成16年12月末までに、その後の県の人権施策の基本的事
項を定めた「大分県人権施策基本計画」(仮称)を策定するとともに、併せて当
審議会も様々な人権課題について審議する組織へと改めること等を検討する。
(ⅴ) 人権の世紀にふさわしい人権尊重の社会づくりは、本県における重要な課題の
一つであり、今後も、同和行政は人権行政の原点であり重要な柱であると位置付
けながら、平成10年12月の「人権尊重の大分県をめざす宣言」の理念及び平
成11年12月に策定した新しい県長期総合計画「おおいた新世紀創造計画」に
沿って積極的な施策を展開することによって、「人権文化の構築」と「共生社会
の実現」を目指す。
- 14 -
(2) 人権教育・人権啓発としての取組
1)国の取組
特別対策の終了を目前にひかえ、国の地域改善対策協議会は、これまで
の同和行政の経過を踏まえ、新たな人権施策の基本方針を示しました。
一つは、目的を達した特別対策は終了すること。併せて特別対策の成果
や問題点については一般施策で実施していく。
二つには、同和教育・同和問題啓発の取組を人権教育・啓発に再構成し、
教育・啓発として進める。
三つには、人権救済については、既存の人権擁護制度の拡充ではなく、
新たな制度を創設するというものです。
これらの方針を受けて、教育・啓発や人権救済について制度化を進める
ために、1997(平成9)年5月、人権擁護推進審議会を設置しました。
1999(平成11)年には、教育・啓発に関する答申が出され、20
00(平成12)年「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」が制定
されました。この法律に基づき、「人権教育・啓発に関する基本計画」が
閣議決定され、この中でも同和問題は重要な人権課題と位置づけ、教育・
啓発を進めています。
また、人権救済については、2001(平成13)年に審議会の答申を
受けて「人権擁護法案」が国会に提出されましたが、今のところ法制定ま
でには至っておりません。
- 15 -
資
料
◇人権擁護施策推進法
1997(平成9)年3月から施行された5年の時限立法。
この法律は、人権擁護に関する施策の推進について国の責務をあきらかにし、人権
擁護に資することを目的としている。この法律に基づき「人権擁護推進審議会」が設
置され、1.人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に
関する施策、2.人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策の2つに
ついてが審議されることになった。
◇人権教育・啓発の基本的事項(答申)
◇人権教育・啓発の基本的事項(答申)(平成11年7月29日人権擁護推進審議会)
「人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施
策の総合的な推進に関する基本的事項について」(答申)
(略)人権は、「人間の尊厳」に基づく権利であって、尊重されるべきものである。
(略)本審議会は、国民相互間の人権問題について、このような認識に立って、人権
教育・啓発の施策の基本的在り方について検討してきた。
人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めることは、まさに、国民一人一人の
人間の尊厳に関する意識の問題に帰着する。これは、社会を構成する人々の相互の間
で自発的に達成されることが本来望ましいものであり、国民一人一人が自分自身の課
題として人権尊重の理念についての理解を深めるよう努めることが肝要である。しか
し、同和問題など様々な人権課題がある我が国の現状にかんがみれば、人権教育・啓
発に関する施策の推進について責務を負う国は、自らその積極的推進を図り、地方公
共団体その他の関係機関など人権教育・啓発の実施主体としてそれぞれ重要な役割を
担っていくべき主体とも連携しつつ、国民の努力を促すことが重要である。(略)
2 本審議会の設置の経緯と審議の経過
(1) 我が国の人権に関する現状を見ると、同和問題など社会的身分や門地による
不当な差別、人種・信条又は性別による不当な差別その他の人権侵害が今なお存
在し、また、我が国社会の国際化、高齢化、少子化、情報化等の社会の変化に伴
い、人権に関する新たな課題も生じてきている。
このような中、同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的在り方につい
て検討した地域改善対策協議会は、平成8年5月の意見具申において、依然とし
て存在する差別意識の解消に向けた教育・啓発の推進及び人権侵害による被害の
救済等の対応の充実強化を求め、差別意識の解消を図るための教育・啓発につい
ては、これまでの同和教育や啓発活動の中で積み上げられてきた成果とこれまで
の手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教
育、人権啓発として発展的に再構築すべきであると提言した。これを受けて、平
成8年7月の閣議決定において、同和問題に関する差別意識の解消に向けた教育
・啓発に関する地域改善対策特定事業は、一般対策としての人権教育・啓発に再
構成して推進することとされた。
このような情勢の下に、平成8年12月、人権擁護施策推進法が制定され、同
法に基づいて、本審議会が法務省に設置され、人権尊重の理念に関する国民相互
の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進に関する基本的
事項及び人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策の充実に関す
る基本的事項について調査審議することとされた。
- 16 -
2)大分県の取組
「人権教育のための国連10年」の取組
大分県においては、今後の同和教育・啓発については、地域改善対策協
議会意見具申で繰り返し述べられ、また、大分県同和対策審議会で審議了
承された「人権教育のための国連10年」の取り組みを積極的に図るため、
1998(平成10)年に「人権教育のための国連10年」大分県行動計
画を策定し、人権教育・啓発を主要な柱とする総合的な人権施策を推進す
ることになりました。
「大分県人権施策基本計画」
さらに、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」が2000(平
成12)年に施行され、地方公共団体の責務が規定されたこと、人権教育
のための国連10年」の取組は2004(平成16)年末に終了したこと
などにより、「大分県人権施策基本計画」を2005(平成17)年1月
に策定し、教育・啓発とともに「相談・支援・権利擁護」に取り組み、人
権施策を総合的に推進することにしました。
この基本計画のなかで、分野別人権行政の推進の冒頭に同和問題を記載
しています。これは、同和問題の解決に向けた取組が権利保障の施策体系
になった経緯を踏まえ、さらに他の人権分野の施策体系に準拠させること
に意義があるからです。
「大分県人権尊重社会づくり推進条例」
大分県の人権施策をさらに体系的・計画的に推進するため、世界人権宣
言60周年を期して2008(平成20)年12月議会で「大分県人権尊
重社会づくり推進条例」を制定し、2009(平成21)年4月から施行
しています。
この条例の前文において不当な差別を例示しています。例示の冒頭「社
会的身分、門地」による人権侵害とは、「人権教育・啓発推進法」と同じ
く同和問題を意味するものです。
大分県は、同和問題を人権課題として認識し解決に取り組むことを条例
という地方公共団体の最高規範の中で明らかにしています。
- 17 -
資
料
大分県人権尊重社会づくり条例の概要
◇
前文では、人権が一人ひとりの人間の尊厳に基づく固有で不可侵な権利であること、
また、人権が相互に共存されるべきことの重要性を規定しています。
特に、解決すべき人権の課題として不当な差別を例示しています。例示の中で「社
会的身分、門地」による人権侵害とは、「人権教育・啓発推進法」と同じく、同和問
題を主要課題しています。
◇ 第2条では、人権尊重施策の実施にあたって、①自己決定・自己実現を保障・尊重
する手法がとられているか、②社会に存在する差別・不合理な較差の解消に役立つの
か、③多様な価値観と生き方を認め合う共生社会を展望するものか、の3点を基本理
念とすることを定めています。
◇ 第3条では、県は、責務として体系的・計画的に人権尊重施策に取り組むこと、県
民や団体、事業者、市町村等と連携すること、必要な体制を整備し事業を行うことを
定めています。「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」第5条で「地方公共団
体は人権教育・啓発を実施する責務を有する」と規定されており、教育・啓発が人権
施策の主要な取組となります。
◇ 第5条では、特に、事業者においては、「企業の社会的責任」(CSR)の理念を
ふまえ、事業活動の中で人権が尊重される社会づくりに取り組むことを求めています。
◇ 第7条では、県が人権尊重施策に総合的に進めるため、①人権教育、人権啓発その
他人権意識の高揚を図るための施策の方針②相談、苦情解決その他人権侵害の救済に
関する施策の方針③社会的弱者に係る人権の諸課題に関する取組の方針の策定が定め
られています。
大分県人権施策基本計画を見直し人権尊重施策基本方針を策定しました。「相談・
支援・権利擁護」については、同方針第4章に、「様々な分野における人権行政の推
進」については、同方針第5章に推進方針を規定し、体系的・計画的な取り組みを進
めることにしています。基本方針を具体化するため、現行の実施計画と同様に5年を
期間とする実施計画を策定します。
◇ 第8条では、国の同和対策審議会答申が出された1965(昭和40)年8月を記
念して「差別をなくす運動月間」を、また、世界人権宣言が国連で採択された194
8(昭和23)年12月10日を記念して、「人権週間」を設定しています。
◇ 第9条では、
、県内の個人・団体が行っている人権が尊重される社会づくり、特に教
育・啓発に関して、先進的又は特徴的な取組に対して、表彰することにしています。
◇ 第10条では、事業所の人権研修又は地域の人権啓発活動に対して、研修講師の派
遣、啓発・研修資料の提供などの支援をすることにしています。
◇ 第11条では、概ね5年ごとに実施している「人権に関する県民意識調査」など必
要な調査研究を行うことにしています。
◇ 第12条では、現在、実施している実施計画の実施状況報告及び「人権に配慮した
職務推進行動」の実施状況報告を制度化し、継続することとしました。
◇ 第13条では、従前の要綱設置の人権尊重社会づくり審議会を条例化し、人権課題
を有する当事者・関係者及び有識者に県の人権施策の推進について意見・提言を求め
るものです。
- 18 -
3 同和問題の現在
(1)人権に関する県民意識調査の結果
①
同和問題で問題となる項目
2008(平成20)年7月に実施した「人権に関する意識調査」で
同和問題に関し、同和問題として現在起きていると思うことを選んでも
らいました。「結婚に反対されること」(49.2%)、「身元調査をされ
ること」(33.4%)、「差別的な言動をされること」(21.1%)な
どが多くあがっております。
2007(平成19)年に内閣府が実施した「人権擁護に関する世論
調査」では、「結婚に反対されること」、「身元調査をされること」、「就
職・職場で不利な扱いをされること」、「差別的な言動をされること」の
順でした。
②
結婚に対する差別
あなたのお子さんが同和地区の人と結婚するとしたら、あなたはどう
しますか(どうすると思いますか)という質問について、平成15年の
前回調査と比べると「同和地区の人かどうかは関係ない、そのことで反
対はしない」が少し増えて、38.9%となりました。「地区出身者で
ないほうが良いが、反対しない。」(23.1%)、「反対はするが本人の
意思が強ければやむ得ない」(14.8%)と消極的に結婚に賛成する
人や「絶対に反対する」という考えを持つ人がおり、いまだに差別意識
が残っていることがうかがえます。
- 19 -
「人権に関する県民意識調査」の結果から
平成20年7月に、大分県の有権者の0.5%にあたる4,992人の県民に調査票を郵
送し1,586人の方から回答をいただきました。
問19
同和問題で問題となる項目
同和問題で問題となる項目(不明を除く)
70.0
60.0
50.0
40.0
30.0
20.0
10.0
0.0
58.1
49.2
42.9
34.4
33.4
30.1
29.8
26.4
19.3
17.8
17.9 21.1
6.85.29.8
17.9
17.0
14.5
14.3 19.1
12.4
12.5
7.75.0
4.01.70.8
今回
前回
全国人権
「結婚に反対されること」、「身元調査をされること」、「差別的な言動をされること」
などが多くあがっています。前回調査に比べ「結婚に反対されること」がかなり減ってい
ます。全国調査(人権)に比べ、「結婚に反対されること」が多く、「就職・職場で不利
な扱いをされること」、「差別的な言動をされること」は少なくなっています。
問20
自分の子どもと同和地区の人との結婚
問20 自分の子どもと同和地区の人との結婚(不明を除く)
38.9
今回
23.1
34.8
前回
0%
14.8
27.4
20%
40%
16.1
60%
3.1
3.7
20.1
17.9
80%
100%
地区出身は関係なく、そのことで反対はしない
地区出身でない方がよいが、反対はしない
反対するが、本人の意思が強ければやむを得ない
絶対に反対する
わからない
あなたのお子さんが同和地区の人と結婚するとしたら、あなたはどうしますか(どうす
ると思いますか)という質問について、前回調査と比べると「同和地区の人かどうかは関
係ない、そのことでは反対しない」が少し増えています。
人権・同和問題の講演会・研修会に参加した人、人権・同和問題関連のビデオ・テレビ
・ラジオを視聴した人、大学(短大・高専)で人権・同和教育を受けた人で、「そのこと
で反対しない」が多くなっています。
注
「今回調査」…平成20年7月実施の県民意識調査
「前回調査」…平成15年9月実施の県民意識調査
「全国調査(人権)
」…平成19年6月内閣府が実施した「人権擁護に関する世論調査」
- 20 -
(2)結婚や就職に対する差別
結婚差別は、一生の伴侶と信頼していた人に裏切られることであるだけ
に、当事者が受ける傷は深いものです。そのために多くはそっとしておか
れ、結婚差別事件として表面化することはほとんどなく、実際の件数を把
握することは困難です。
しかしながら、結婚相手が同和地区出身者であることを調べるために、
職務上、他人の戸籍謄本などを取得できる立場にある人に依頼するなど、
制度を悪用して不正に戸籍謄本を入手するといった事例があるなど結婚相
手の居住地や出身地が同和地区かどうかを調べることがいまだなくなって
いません。
就職差別についても同じような事例があります。1975(昭和50)
年に発覚した「部落地名総鑑」事件です。これは、全国の同和地区・被差
別部落の所在地を記載した冊子で、多くの企業が購入していました。掲載
されていた情報は、企業での採否決定に利用するなど就職差別につながる
ものでありました。
法務省では、これを人権侵犯事件として、調査・処理し、図書を回収・
処分するとともに、購入した企業に対して今後このような差別を行わない
ように啓発をしました。
「地名総鑑」が発覚して30年以上経過していますが、この問題は解決
していません。例えば、1998(平成10)年には、1,400社の会
員企業を持つ大手調査会社による差別身元調査事件が発覚し、また、近年
はインターネット上で「地名総鑑」が流布されるなど人権の重大な侵害も
おきています。
- 21 -
資
◇
料
結婚差別による損害賠償事件
裁判において、「差別をしたのでなはい」、「結婚しなかった。結婚が破綻したのは、
部落差別とは関係のない理由だ」という相手方の趣旨の主張が却けられた事例です。
①
興信所に身元調査を依頼し、その結婚調査報告書によって被差別部落であること
を知り、結婚を認めないとの態度をとった相手方両親及び両親の意向に屈服した相
手方本人に対し、結婚差別のために自殺した者の両親が損害賠償を求めた事例につ
き、長野地裁上田支部は慰謝料20万円の支払いを命じた。(1965.3.20判決)
②
見合いを通じて知り合った相手方と相手方母親が、本人が被差別部落出身者であ
ることを知ったとたん結婚に強く反対し、妊娠中絶をさせた。その後も相手方は本
人と関係を継続し、再び妊娠させたが、結婚の話を進展させないまま他の女と結婚
してしまったという事例につき500万円の慰謝料の支払いを命じた。
(1975.1.28判決)
③
会社の同僚として知り合った相手方は、交際中から被差別部落出身だと知ってい
たが、相手方両親らがそのことを知って結婚に猛烈に反対し始めると次第にそれを
受け入れ、ついには婚約の解消を申し出て姿を隠したという事例について大阪地裁
は相手方らに550万円の支払いを命じた。(1983.3.28判決)
④
結婚式の日時も決まるなどしていたところ、相手方の長兄、次兄、三男、長姉は
本人が被差別部落出身であることを理由に結婚に反対し、それを受けて相手方は結
婚式に出席せず、婚姻届は提出したまま出奔してしまったという事例について岡山
地裁笠岡支部は相手方本人に対し慰謝料700万円の支払いを命じた。
(1986.5.20判決)
⑤
三度にわたる同棲生活を送り、その間に両人の子も生まれたが、婚姻届も出さず
認知もしないまま行方をくらませて内縁関係を破棄させた相手方と結婚と交際に反
対し続けた相手方の母親に対し、大阪地裁岸和田支部は、410万円の支払いを命
じた。(1996.5. 9判決)
- 22 -
(3)公正採用への取組
・公正採用選考人権啓発推進員
「部落地名総鑑」事件を契機として、1977(昭和52)年に、
当時の労働省の通達により、原則として一定の規模以上の事業所に「企
業内同和問題研修推進員」を選任するよう勧奨が行われました。(そ
の後、「公正採用選考人権啓発推進員」と名称を変更しました。)
この通達には、差別のない正しい採用選考を行うために公共職業安
定所が選定した事業所に推進員の設置を求め、推進員は、①差別のな
い公正な採用選考システムを含む人事管理体制の確立、②企業内の人
権研修計画の策定と実施、③行政機関との連絡、の役割を担うことに
なっています。
・全国高等学校統一用紙
昭和40年代の新規学卒者が採用選考時に提出する応募書類は、企
業独自の社用紙と呼ばれる企業の指定書類が使われてきました。この
社用紙には、本人の能力に直接関係のない事項(家族の職業、学歴、
家族構成、本籍、病歴等)の記述がみられ、公正な採用が保障されな
いばかりか身元調査につながる事態も懸念されていました。
そこで、1973(昭和48)年から新規高等学校卒業者の採用・
選考時における応募用紙は、応募者の適正と能力に基づいて行われる
よう文部省、労働省及び全国高等学校長協会の協議のもとに「全国高
等学校統一用紙」が定められ、事業主や関係者の理解と協力を得なが
ら使用の徹底が図られてきました。
(4)身元調査
信用調査会社や探偵社、個人、企業などが本籍地、家系、家族構成、
居住環境などを調べ同和地区の出身地かどうか調査します。これらは、
結婚や就職における差別につながりかねません。
昭和40年代までは、住民票や戸籍を自由に閲覧できていましたが、
2005(平成17)年戸籍法を改正し、戸籍の閲覧制度は廃止され、
閲覧・取得者を限定するようになりました。しかし、戸籍法を悪用し
て行政書士等が戸籍謄本(抄本)を取得し、調査会社に売り渡してい
たことが発覚しました。
また、2007(平成19)年「探偵業の業務の適正化に関する法
律」が施行され、探偵業者は調査の結果が違法な差別的取扱いなどに
用いられることを知ったときは、探偵業務を行ってはならないことに
なりました。
- 23 -
資
料
高等学校卒業者の就職応募書類の様式の改定について
8初職第一九号・平成8年3月21日文部省初等中等教育局職業教育課長通知
このことについて、昭和六〇年四月一九日付け六〇初職第一四号通知により、就職のた
めの応募書類の統一様式(以下「統一応募用紙」という。)を使用することについて御配慮
願うよう通知したところでありますが、高等学校生徒指導要録の改訂、学校保健法施行規
則の改正等に伴い、文部省、労働省及び全国高等学校長協会との協議により、別紙一のと
おりその様式の一部を改定しましたので、お知らせします。
統一応募用紙は、高等学校における就職事務の適正化と簡素化を図るとともに、採用の
ための選考に際しての不合理な差別の排除を意図しているものであります。
貴職におかれましては、下記及び別紙一を十分御了知の上、管下の高等学校に対して、
この趣旨を徹底させ、学校における就職事務が一層円滑に進められるようにするとともに、
関係部局と連携を図りながら、就職において差別のない公正な採用・選考が行われるよう、
特段の配慮をお願いします。
また、特別の事情により、都道府県又は二以上の都道府県において、別に就職のための
応募書類を統一的に定める必要がある場合においては、上述の趣旨に沿って定められるよ
う御配慮ください。
なお、この通知に基づく新しい統一応募用紙は、平成九年三月の新規高等学校卒業者の
就職から適用するようお願いします。
記
1
履歴書について
(1) 履歴書・身上書を履歴書としたこと。
(2) 「男・女」欄を「性別」欄とし、男女の別を記入する方式としたこと。
(3) 「本籍」欄を削除したこと。
(4) 保護者に係る「本人との続柄」欄及び「年齢」欄を削除したこと。
(5) 「履歴」欄を「学歴・職歴」欄とし、高等学校入学から記入する方式としたこと。
(6) 「家族」欄を削除したこと。
(7) 規格をA4版としたこと。
2
調査書について
(1) 「男・女」欄を「性別」欄とし、男女の別を記入する方式としたこと。
(2) 「学習の記録」欄については、各高等学校において教科・科目名を記入する方式
とするとともに、「留学による修得単位数」欄を設けたこと。
(3) 「行動及び性格の記録」欄及び「備考」欄を合わせて「本人の長所・推薦事由等」
欄としたこと。
(4) 「身体状況」欄のうち、「胸囲」欄及び「色覚」欄を削除したこと。
(5) 規格をA4版としたこと。
- 24 -
(5)多様な形態や内容で起きる差別事象
匿名で被差別部落に対する憎悪や中傷をする差別落書き、投書など
があとをたちません、落書きはあまり人目につかないトイレなどに書
かれた密室型のもの、公共施設の壁、ガードレールなど多数の目に触
れるところに書かれる挑発型のものなど様々なものがあります。
また、部落出身者やその自宅周辺に悪質な差別ハガキなどを連続し
て送りつける事件も発生しています。
さらに、インターネットや携帯サイト等のITの匿名性や開放性を
悪用して、同和地区やその関係者に対する誹謗・中傷、プライバシー
の侵害などが続発しています。
インターネットを使った差別表現は、匿名で情報を発信でき、不特
定多数の人の目にとまり、一度ネット上に流布した情報は回収が不可
能になるため、非常に深刻です。これらの行為は、同和問題への無理
解、偏見を一層助長し、差別意識を拡大するものです。
- 25 -
4 同和問題の解決を阻むもの
(1)寝た子を起こすな
同和行政や同和教育を続けていると、かえって部落差別の存在を意識
させてしまい、同和問題の解決を妨げているのではないのだろうか、と
いう考え方です。この考え方は、古くからある意見で「寝た子を起こす
な論」と呼ばれています。
・「寝た子を起こすな論」の問題点
①歴史的事実に反しています。
歴史的事実に反しています。
近世の賤民身分制度は、1871(明治4)年のいわゆる解放令によ
って終止符が打たれましたが、それによって直ちに差別が解消されたわ
けではありません。
明治政府は同和行政も同和教育も行わず、まさに「寝た子を起こすな」
式でこの問題は放置されてきましたが、同和問題が解決されるどころか
差別の実態は厳しさを増したといわれています。
② 知識や情報は学校教育や啓発によってのみ得られるものではありませ ん 。
何の知識も持たない人が、誤った知識を持つ人の話を聞いたり、イン
ターネット上の差別的書き込みを読んでしまうとそれを信じてしまうか
もしれません。そういった間違った認識を持つ人がいなくならない限り
同和地区の人に対する差別意識はなくならず、同和問題は解消されない
のです。
③差別に対する抗議や部落解放の取り組みを否定することになります。
差別に対する抗議や部落解放の取り組みを否定することになります。
「寝た子を起こすな論」は、「差別に対する抗議や解放を求めて訴え
るなどの行為は、同和問題を知らない人にまでその存在を知らせること
になってしまうので、取り組むな」ということになります。さらに、部
落の人が差別に対して抗議することや差別解放の取組を否定するばかり
でなく、差別を受けても黙って耐え忍べという考え方につながりかねま
せん。
◇同和対策審議会答申(抜粋) (昭和40年8月11日)
しかるに、世間の一部の人々は、同和問題は過去の問題であって、今日の民主化、
近代化が進んだわが国においてはもはや問題は存在しないと考えている。
けれども、この問題の存在は、主観をこえた歴史的事実に基づくものである。
同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の
一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。
したがって、いかなる時代がこようと、どのように社会が変化しようと、同和問題
が解決することは永久にありえないと考えるのは妥当でない。また、「寝た子をおこ
すな」式の考えで、同和問題はこのまま放置しておけば社会進化にともないいつとは
なく解消すると主張することにも同意できない。
- 26 -
(2)忌避意識
同和問題は、「やっかいな問題だ。」、「難しい問題だ。」、「自分とは関
係ない問題だ。」、「同和問題に関わらないほうがいい。」として避ける傾
向にあります。
このことは、差別が存在すること、同和問題に関する正しい知識が必
ずしも得られていないことを示しています。「無関係だ」、「関わらない
ほうがいい」とする考え方は、差別意識を伝え、差別を容認してしまう
ことになります。
(3)ステレオタイプ・偏見
わたしたちの意識の中では、いろいろな固定観念があります。そのた
め、特定の人たちに対して一面的に決めつけたイメージを思い描きがち
です。こうした一面的なイメージのことをステレオタイプといいます。
このステレオタイプにマイナスイメージが加わると嫌ったり、避けたい
といった偏見や差別を引き起こすことがあり、ステレオタイプは容易に
差別につながります。
固定観念を生じさせる原因の一つに迷信や風習があります。根拠のな
い不合理な迷信や風習についても「みんながそういうから」、「世間では
そうしているから」という「世間体」いう概念が差別意識を支え、また、
ケガレ意識などの固定観念によって差別意識や忌避意識が生まれ、それ
らが部落差別の要因になっているのです。
(4)えせ同和行為
「同和問題はこわい問題である。」という人々の誤った意識に乗じ、
同和問題を口実にして、企業や公共団体に高額な図書や物品購入を無理
強いしたり、寄付や賛助金を強要する。このような不当な要求を「えせ
同和行為」とよんでいます。
不当な要求には、毅然とした態度で断固拒否。安易な妥協がえせ同和
行為をはびこらせ、さらに同和問題に対する誤った意識を広めることに
なります。
同和問題の本質を知り、同和問題にきちんと向かい合う、人権尊重の
精神に基づいた姿勢がえせ同和行為をなくし、同和問題の解決につなが
ります。
◇地域改善対策協議会意見具申(抄)昭和61年12月11日
2 地域改善対策の今日的課題
(略)同和問題はこわい問題であり、避けた方が良いとの意識の発生は、この問題に対
する新たな差別意識を生む要因となっているが、同時に、また、えせ同和行為の横行の
背景となっている。(略)その行為自体が問題とされ、排除されるべき性格のものでは
あるが、これまでなされてきた啓発の効果を一挙にくつがえし、同和関係者や同和問題
の解決に真剣に取り組んでいる民間運動団体に対する国民のイメージを損ね、ひいては
同和問題に対する誤った意識を植え付ける大きな原因となっている。(略)
- 27 -
(5)ケガレ意識
特定の人・物・場所などをケガレとして忌避する観念。部落差別など
特定の人びとを何らかの理由によって差別をする場合にケガレ意識が深
く関わっているといわれています。
被差別部落の人びとはケガレた存在としてみなされ厳しく忌避されて
きたのです。
《様々なケガレ観》 ケ
・日常生活である〈褻〉の世界を支える活力が枯れる状態がケガレで、
ケガレは〈気・枯れ〉、
〈気・離れ〉とし、アニミズム思想に基づく〈気〉
は万物を動かすエネルギー源であるが、それが萎えてくると、再び活性
化させるために祭りやハレ〈晴れ〉の儀式があるとするものです。
・ケガレは、安定した秩序を攪乱する異分子、既成の文化体系を破壊す
る危険な要素、境界領域にあって分類できない曖昧なものをケガレとみ
なして排除していくとするものです。古代において、国家が社会システ
ムを作り上げていく過程で、権力を持った支配者が聖なる地位について、
清浄で高貴な血筋であると自称するようになる。そして、
〈貴〉種に対
い て き
け が い
して〈賤〉民を特定し、先住民を〈夷狄〉とし、周辺の民を〈化外の民〉
として差別し排除していく。このように異分子を特定して、その内部か
ら外に追いやることによって自分たちの中心性や共同体を確立していく
というものです。
・ケガレを〈不浄〉とみて、〈清浄〉を維持するためにそれを隔離し排
し え
さ ん え
け つ え
除していこうとする思想で、日本の寺社の死穢・産穢・血穢を中心とし
た禁忌に代表されるケガレ観です。
〈清浄〉に対して〈不浄〉を〈神聖〉
お え
に対して〈汚穢〉を二項対立的に設定するものです。
ケガレを明文化した古い規定が、平安初期に出された『延喜式』の臨
時祭だといわれています。触れたことによって忌まなければならなくな
る「穢悪事」として人の死・産・六畜の死・産・喫宍(肉食)などが挙
げられており、穢を祓うため身を慎むよう定めています。
古来、我が国では、穢の式である葬儀に参列した人は、やはり穢に伝
染しているというので、その穢をとるために海水に浸ったり、川の水に
入って水垢離をするなど、いわゆる『禊ぎ』をしなければならないとい
う慣習がありました。この『禊ぎ』をするかわりに身を清めるために用
いられるのが「清めの塩」です。
このようなケガレ観の実態は虚偽意識としてのイデオロギーであり、
近代諸科学が定立されるにつれてこの観念体系は次第に解体されていき
ます。明治維新後、新政府はケガレと禁忌、迷信の根源となった六曜に
かかわる法令をすべて公式に廃止しましたが、今日でもケガレ観が突然
顔をのぞかせることがあり、習俗化したケガレの根深さに驚かされます。
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資
◎
料
明治新政府が出したケガレ解禁に関わる法令
・産穢の制廃止(太政官布告・明治5年2月25日)
自今産穢不及憚候事
・触穢の制廃止(太政官布告・明治6年2月20日)
自今混穢ノ制被廃候事
・牛馬処理勝手令(太政官布告・明治4年3月)
弊牛馬勝手処置例
「従来斃レ牛馬有之節者穢多ヘ相渡来候処、自今牛馬者勿論外獣類タリトモ総
テ持主之者勝手ニ所置可致事」
◇ 斃牛馬取得権(へいぎゅうば-、たおれぎゅうば-)とは
死亡した牛馬の遺体を取得する権利のことである。処理・解体し、皮革などを生
産した。草葉株、旦那株などともいわれていた。
江戸時代においては、被差別部落の人がこの権利を独占した。牛馬が死ぬと、
この権利者に無償で譲渡しなければならなかった。被差別部落の人が死牛馬を加
工して貴重な収入源としており、武具などに不可欠な皮革生産を独占していた。
明治4年(1871年)の「斃牛馬勝手処置令」という太政官達により廃止され、
部落民の生計に大打撃を与えた
・女人禁制の廃止(太政官布告・明治5年3月27日)
によにんけつかい
これありそうろうところ
はいしされ
かつて
神社仏閣ノ地ニテ女人結界之場所有 之 候 処、自今被廃止候条、登山参詣等可為
たるべき
勝手ノ事
・僧侶の肉食・妻帯・平服着用許可(太政官布告・明治6年5月4日)
「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」
・梓巫・市子・憑祈祷・狐下げの禁止。
・梓巫・市子・憑祈祷・狐下げの禁止。(教部省令・明治7年1月15日)
「従来梓巫市子並憑祈祷狐下ケ抔ト相唱玉占口寄等之所業ヲ以テ人民を眩惑セシ
メ候儀自今一切禁止候條於各地方官此旨心得管内取締方厳重可相立候事」
アニミズムとは
精霊崇拝
万物に精霊ないしは神が宿っているという考え方、ないしは信仰
- 29 -
(6)迷信・因習
部落差別を支える迷信や因習が存在しています。部落差別を温存させる
非合理で前時代的な意識、精神風土は、依然根強く残っているのです。
[六曜]
暦に記載される日時、方位などの吉凶、その日の運勢の事項を書き記す
歴注と呼ばれるものがあります。このような暦注の一つに六曜があります。
先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六種類で一揃いのものです。日本
では、暦の中でも有名な暦注の一つで、一般のカレンダーや手帳にも記載
されています。今日の日本においても影響力が強く、「結婚式は大安がよ
い」「葬式は友引を避ける」など、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて
使用されています。
この六曜は、もともと中国伝来の占いの一つで鎌倉末期から室町時代に
かけて伝わったとされています。その後、日本でかなり手が加えられて江
戸末期に今の形になり、流布されたとされています。
明治新政府は従来の太陰暦を太陽暦に変更するにあたり、暦注の日の吉
凶を迷信として否定する方針を打ち出しました。このような禁止令にもか
かわらず、暦注を載せた暦は、「運勢暦」として発行が続けられ、今日に
至っているものです。
六曜の意味
1 先勝 (せんしょう、せんかち、さきがち、さきかち)
「先んずれば即ち勝つ」の意味。かつては「速喜」「即吉」とも書かれた。万事に
急ぐことが良いとされる。急用や訴訟に良い日とされる。
2 友引(ともびき)
「凶事に友を引く」の意味。かつては「勝負なき日と知るべし」といわれ、勝負事
で何事も引分けになる日、つまり「共引」とされており、現在のような意味はなかっ
た。葬式・法事を行うと、友が冥土に引き寄せられる(=死ぬ)との迷信があり、友
引の日は火葬場を休業とする地域もある。
3 先負(せんぶ、せんぷ、せんまけ、さきまけ)
「先んずれば即ち負ける」の意味。万事に平静であることが良いとされ、勝負事や
急用は避けるべきとされる。「午前中はわるく、午後はよろしい」ともいう。
4 仏滅(ぶつめつ)
「仏も滅するような大凶日」の意味。もともとは全てが虚しいと解釈して「物滅」
の字があてられていたが、近年になって「佛(仏)」の字が当てられたもので仏教
とは関係ない。この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣
がある。この日に結婚式を挙げる人は少ない。
5 大安(たいあん、だいあん)
「大いに安し」の意味。六曜の中で最も吉の日とされる。何事においても吉、成功
しないことはない日とされ、特に婚礼は大安の日に行われることが多い。
6 赤口(しゃっこう、じゃっこう、しゃっく)
午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶とされる。
この日は「赤」という字が付くため、火の元、刃物に気をつける。つまり「死」を連
想される物に注意する日とされる。
- 30 -
同和対策審議会答申(抜粋)
(昭和40年8月11日)
同和対策審議会答申
(略)今日なお古い伝統的な共同体関係が残っており、人々は個人として完全に独立し
ておらず、伝統や慣習に束縛されて、自由な意思で行動することを妨げられている。
また、封建的な身分階層秩序が残存しており、家父長制的な家族関係、家柄や格式が尊
重される村落の風習、各種団体の派閥における親分子分の結合など、社会のいたるとこ
ろに身分の上下と支配服従の関係がみられる。
さらに、また、精神、文化の分野でも昔ながらの迷信、非合理的な偏見、前時代的な
意識などが根づよく残っており、特異の精神風土と民族的性格を形成している。
このようなわが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支
えている歴史的社会的根拠である。
明治5年11月9日太政官布告337号(1872年)
「今般改暦之儀別紙詔書写の通り仰せ出され候條、此の旨相達し候事」
(諭告)改暦詔書写
「朕惟うに我国通行の暦たる、太陰の朔望を以て月を立て太陽の躔度に合す。故に2、
3年間必ず閏月をおかざるを得ず、置閏の前後、時に季節の早晩あり、終に推歩の差を
おおむね
生ずるに至る。殊に中下段に掲る所の如きは率子亡誕無稽に属し、人智の開発を妨ぐる
もの少しとせず」
明治5年11月24日太政官布告
「今般太陽暦御頒布に付、来明治6年限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段
掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」
- 31 -
[世 間]
「世間体が悪い」、「世間をお騒がせしてお詫びいたします。」などと日本人
は、世間の目を気にして生きています。この世間が部落差別を正当化するとき
にももちだされます。部落出身者との結婚についても、「世間体が悪い」、私は
かまわないが世間が許さない。」などが理由としてあがってきます。
この世間というのは何でしょうか。世間という言葉は誰もが知っていて、日
常会話でしばしば使われています。明治の中頃に社会や個人という訳語が通用
する以前は、社会や個人という概念もなく、世間という言葉が社会に近い意味
で用いられていました。
西洋では、社会は、尊厳を持った個人が集まり、その個人が集まって社会を
つくっています。他方、日本では、世間は個人の意思によって作られたもので
はなく、所与とみなされていて、個人の尊厳が十分に認められていません。
社会という言葉が持っている概念と実情に乖離があるため、日常会話の中で世
間という言葉を使い続けており、世間を基準に生きていているのです。
人間関係を選ぶにしても相手がどのような世間に属しているか(出身校、出
身地、会社、地位)を問題にして気心の知れない人とは付き合わない。競争社
会で個人がせめぎ合う関係の中で生きるより、与えられた位置を保ち心安らか
に生きたいと思いながら周囲を気にする。自分以外の権威としての世間に依存
して生きているのです。世間は、差別的で排他的な本質をもっています。
日本の個人は世間の中で形成される。しかし、世間は曖昧なものであり、そ
の曖昧な世間との間で形成される日本の個人は曖昧なもので、人権が守られな
いのも世間の枠内で許容されてきたからです。
この世間体にとらわれることなく、一人ひとりが自らの尊厳を認識し、相互
に認め合う、人権が尊重される社会を築く必要があるのではないでしょうか。
[ウチとソト]
集団の構成員が献身や愛情、相互承認の対象となり、『われわれ』として、
とらえられるとき、その社会組織はその個人にとって『内集団』となり、『ウ
チ』と意識されます。そしてそのシステムの境界の外部(外集団)は、
『ソト』
と意識されます。差別とは、ある個人や集団を『ソト』にある存在と位置づけ
て『ウチ』から排除して、遠ざけ、『ウチ』のメンバーである個人や集団とは
うち
異なった処遇をすることといえます。日本においては、
『ウチ』はつねに『家』
と重なり合い癒着し、そのような『ウチ』がタテの系列では天皇を家長とする
国家に、ヨコの系列では、共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団
や組織である職場や学校にまで拡張してしまい、これが日本的差別の温床とな
っているのです。
このような社会構造から、「みんながこういっているから」「他人がこうする
から」、「社会の人々がそう考えている」という社会的強制によって考えや行動
が規制されることになるのです。
日常使っている「ウチの会社」、「ウチの課」といった表現に表れる意識、態
度について考えてみてはどうでしょうか。
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society という言葉は、それぞれの個性の尊厳が少なくとも原則として認められて
いるところでしか意味を持たない。わが国でindividualという言葉の訳語として個人
という言葉が定着したのは、斎藤氏によれば明治17年(1884)頃であり、社会
という訳語が約7年遅れていた。それ以前にはわが国には個人という言葉がなかった
だけでなく、個人の尊厳という考え方もわずかな例外を除いて存在しなかったから、
この訳語の成立は決定的な意味をもっていた。しかし現実にはいまだ西欧的な意味で
の個人が成立していないところに西欧の法・社会制度が受け容れられ、同時に資本主
義体制がつくられ、こうして成立した新しい状態が社会と呼ばれたのである。その社
会はそれまでの人間関係と区別され、それまで古代以来多くに人が用いてきた世間と
いう言葉は、この頃から公文書から姿を消していった。
しかしわが国においては、個人の意識はこの百年間の事態の推移にもかかわらず、
十分な形で確立しなかった。個人の尊厳がいまだ十分には認識されていないことはす
でに序章で述べたとおりである。したがって社会という言葉は、そのような事態を反
映して、個人の尊厳とは切り離されて法、経済制度やインフラの意味で用いられてお
り、人間関係を含んだ概念とはいまだなっていない。こうした事態の中で一般民衆は
従来の人間関係を感性の次元で持ち続けそれが部落差別の存続という形で残り、また
それが世間という言葉を存続させる契機ともなっているのである。
(『「世間」とは何か』・阿部謹也 講談社現代新書)
西欧文化は倫理基準を内面に持つ「罪の文化」であるのに対し、日本文化は外部(世
間体・外聞)に持つ「恥の文化」と規定した。
(『菊と刀』・ルース・ベネディクト 現代教養文庫)
〈ウチの者以外は人間にあらずの感〉「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、この感覚が尖鋭
化してくると、まるで「ウチ」の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの
極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。
知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人が、親しい知人――
特に職場で自分より上の人――に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲
るといった滑稽なすがたがみられるのである。
(『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』・中根千枝 講談社現代新書)
- 33 -
同和対策関係年表
1871(明治 4)
1907(明治40)
1912(大正
1914(大正
1918(大正
1919(大正
1)
3)
7)
8)
1922(大正11)
1923(大正12)
1924(大正13)
1935(昭和10)
1946(昭和21)
1947(昭和22)
1951(昭和26)
1952(昭和27)
1953(昭和28)
1955(昭和30)
1958(昭和33)
1960(昭和35)
1961(昭和36)
1965(昭和40)
1969(昭和44)
1975(昭和50)
1976(昭和51)
1977(昭和52)
1978(昭和53)
1981(昭和56)
1982(昭和57)
・解放令(太政官布告)
・全国同和地区調査実施
・部落改善事業を地方改善事業の一環として実施
・全国細民部落協議会開催(内務省主催)
・帝国公道会創設(発起人大江卓)
・帝国公道会創設
・米騒動
・帝国公道会主催第1回同情融和大会開催
・地方改善費5万円を計上
・全国水平社創立大会
・全国組織「中央融和事業協会」(会長平沼騏一郎)結成
・融和団体大分県親和会結成
・大分県水平社設立
・「融和事業の総合的進展に関する要綱」決定
・融和事業完成10ヶ年計画(昭和11年~昭和20年)策定
・部落解放全国委員会結成(全国水平社再建)
・日本国憲法施行
・全国同和対策協議会結成
・オールロマンス事件発覚
・部落解放大分県連合会設立
・厚生省が隣保館設置についての予算を計上
・部落解放同盟(部落解放全国委員会・改称)
・同和問題閣僚懇談会設置
・同和対策審議会設置法可決
・全日本同和会結成
・同和対策審議会(同対審)設置
・同和対策審議会が「同和地区に関する社会的及び経済的諸問
題を解決するための基本的方策」を答申
・同和対策事業特別措置法(同対法)施行
(~1982(昭和57)年3月)
・部落地名総鑑事件発覚
・部落解放同盟大分県連合会再建
・全国部落解放運動連合会結成
・大分県同和問題対策協議会設置
・大分県同和対策審議会設置
・部落解放大分県共闘会議結成
・全日本同和大分県連合会結成
・大分県が同和行政の推進について(基本方針)を決定
・大分県同和対策総合実態調査を実施
・地域改善対策特別措置法(地対法)施行
(~1987(昭和62)年3月)
- 34 -
1984(昭和59)
1986(昭和61)
1987(昭和62)
1991(平成 3)
1992(平成 4)
1993(平成 5)
1995(平成 7)
1996(平成 8)
1997(平成 9)
1998(平成10)
1999(平成11)
2000(平成12)
2001(平成13)
2002(平成14)
2003(平成15)
2004(平成16)
2005(平成17)
2008(平成20)
・地域改善対策協議会が「今後における啓発活動のあり方につ
いて」を意見具申
・地域改善対策協議会が「今後における地域改善対策について」
今後における地域改善対策について」
を意見具申
・全日本自由同和会結成
・地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する
法律(地対財特法)施行(~2002(平成14)年3月)
法律(地対財特法)施行
・えせ同和行為対策中央連絡協議会設置
・地域改善対策協議会から「今後の地域改善対策について」意
見具申提出
・地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する
法律の一部を改正する法律施行(一部事業について法の5年
法律の一部を改正する法律施行
の延長)
・同和地区実態把握等調査実施(総務省)
・国連「人権教育のための国連10年」開始
(~2004(平成16)年)
・地域改善対策協議会が「同和問題の早期解決に向けた今後の
方策の基本的な在り方について」意見具申
・地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する
法律の一部を改正する法律施行(一部事業についての法の5
法律の一部を改正する法律施行
年の延長)
・人権擁護推進審議会設置
・「人権教育のための国連10年国内行動計画」策定
・人権教育のための国連10年大分県推進本部を設置
・大分県人権教育推進懇話会設置
・人権教育のための国連10年大分県行動計画策定
・人権尊重の大分県をめざす宣言を発表
・人権擁護推進審議会「人権尊重の理念に関する国民相互の理
解を深めるための教育及び啓発に関する施策の総合的な推進
に関する基本的事項について(答申)(第1号答申)
・大分県は人権問題に関する県民意識調査を実施
・「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」施行
・人権擁護推進審議会「人権救済制度の在り方(答申)」(第2
号答申)
・「人権教育・啓発に関する基本計画」閣議決定
・大分県は人権問題に関する県民意識調査を実施
・大分県人権尊重社会づくり推進審議会設置
・大分県人権施策基本計画・実施計画策定
・「人権教育のための世界計画」開始
・大分県は人権に関する県民意識調査を実施
・大分県人権尊重社会づくり推進条例制定(平成21年4月施行)
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国及び県の人権・同和対策の経緯
昭和22年 日本国憲法・地方自治法
・児童福祉法(22)・身体障害者福祉法(S24)・精神障害者福祉法(S25)・生活保護法(S25) 社会的弱者を救済する福祉施策(憲法
・知的障害者福祉法(S35)・老人福祉法(S38)・母子寡婦福祉法(S39)
第25条生存権)に基づく人権施策の展開
昭和40年 国の同和対策審議会答申
昭和44年 同和対策事業特別措置法(同対法:10ヶ年の時限法・事業指定なし)(昭和54年に3年間延長)
昭和57年 地域改善対策特別措置法(地対法:5ヶ年の時限法・74事業)
昭和62年 地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律 (地対財特法:5ヶ年の時限法・55事業)
平成 4年 地対財特法を5年間延長(平成9年3月末が法期限・45事業)
平成 8年5月 地域改善対策協議会意見具申…7月「同和問題の早期解決に向けた今後の方策について」閣議決定
(事業関係)特別対策は平成9年3月末で終了し基本的には一般対策に移行 (教育啓発関係)人権教育・啓発に再構成
(被害救済関係)21世紀に相応しい人権侵害救済制度の確立を目指して鋭意検討
(事業関係)
(教育・啓発、救済関係)
平成8年12月人権擁護施策推進法(5ヶ年)
平成9年3月 地対財特法の一部改正法成立
平成14年3月末が法期限・15事業)
平成9年3月 人権擁護推進審議会設置
(教育・啓発関係)
平成11年7月「人権教育・啓発の基本的事項」答申
平成12年12月 人権教育及び人権啓発の推進に関
る法律(議員立法)
①人権教育・啓発の基本的事項
②人権侵害の場合の救済施策
平成9年7月
「人権教育のための国連
10年」国内行動計画策定
(県)
平成10年3月「人権教育のための国連10年」
大分県行動計画策定
平成10年12月人権尊重の大分県をめざす宣言
(救済関係)
平成13年5月「人権救済制度の在り方」答申
平成14年11月 大分県同和対策審議会
平成14年3月人権教育・啓発に関する基本計画策定
平成14年3月末 地対財特法失効
特別対策の終了
平成14年3月「人権擁護法案」を国会に
提出(継続審議)
平成16年7月大分県人権尊重社会づくり推進審
議会設置
平成15年10月衆議院解散により廃案
平成17年1月大分県人権施策基本計画策定
平成20年12月大分県人権尊重社会づくり推進
条例制定(21年4月1日施行)
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