アメリカにおける営利的言論の自由

139
アメリカにおける営利的言論の自由
大沢研究会
はじめに
序論
!
Central Hudson 判決以前の判決とそれまでの判例傾向
"
Central Hudson 判決の意義とその審査基準
#
Central Hudson 判決以後の判決と判例傾向
$
Mainstream Marketing Services v.Federal Trade Commission,
358F.
3d1251(1
0th
Cir.
2
0
04)
結論
おわりに
はじめに
本論文はアメリカ合衆国における営利的言論の地位についての考察である。我
が国においては、いまだあまり議論の深まりが見えない営利的言論の議論である
が、アメリカにおいてはこれまでに既に多くの判例を重ね、ひとつの大きな憲法
論議となって存在している。本論文においては、これらの営利的言論に関わる判
例をひも解き、判例法体系の中に位置付ける作業を通じて、アメリカにおける営
利的言論の地位の変遷を追っていきたい。これらの作業により、アメリカ憲法の
理解を深め、また営利的言論についての先進的な考察を行うことが、本論文の目
的である。
140
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
序論
アメリカ合衆国憲法修正1条は「連邦議会は、国教を定める法律、又は自由な
宗教活動を禁止する法律、言論又は出版の自由を制限する法律、並びに人民が平
穏に集会する権利、及び苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する
法律を制定してはならない。
」と定め、信教・言論・出版・集会の自由、請願権
を保障している。そして営利的言論の保障は、この修正1条の「言論」との関係
で論じられることになる。
また1
9
8
0年の Central Hudson Gas & Elec.
v.
Public Serv.
Comm’n 判決において、
営利的言論規制の合憲性判定基準として、セントラルハドソンテストと呼ばれる
基準が定立される。
そのため、1
9
8
0年の Central Hudson 判決以降は、このセントラルハドソンテ
ストの適用に関する判例が続くことになる。よって本論文では、1
9
8
0年の Central
Hudson 判決より以前の判例と、これ以後の判例を分けて、順を追って営利的言
論の憲法上の在り方を考察していきたい。
それではまず Central Hudson 判決が出る以前の判例を概観していくが、ここ
では特に、営利的言論はそもそも憲法修正1条上の保障を受けるのか、という点
に焦点を当てていきたい。
! Central Hudson 判決以前の判決とそれまでの判例傾向
まず初めに、1
9
4
0年代のアメリカにおいて、営利的言論の地位は憲法上どのよ
うなものであったか。Valentine v.
Chrestensen,
3
1
6U.S.5
2
(1
94
2)の判決を見て
みたい。
(1) Valentine v.Chrestensen,
3
1
6U.
S.
5
2(1
9
4
2)
(a) 事実概要
被告はアメリカ海軍の潜水艦を所有し営利目的で展示していた。ここで問題と
なったのは潜水艦展示の宣伝とそれへの入場料金を記載した広告であった。彼は
事業の宣伝のため広告を印刷し、街頭で配布することを計画した。
しかし、広告が公道での商業ビジネス広告を禁止するニューヨーク衛生条例3
1
8
141
条に反する恐れがあると公務員に指摘された。この条例は公道における商業的、
ビジネス広告行為を禁止するものである。そして被告は政治批判の内容のみの広
告ならば違反しないかもしれないとのアドバイスを受けた。そこで、被告は規制
を避けるべく片面を営利的な内容にし、その裏に政治批判を印刷し、両方の内容
を盛り込んだ両面印刷の広告を作成した。警察は両面印刷の広告は禁止するとし
ていたが、原告はそれを無視して配布を行った。下級審においては被告の主張が
認められ、条例による広告の公道における配布妨害は違法であるとされた。
(b)判決の内容
最高裁は「当裁判所は、道路が情報の伝達と意見の伝播の自由を行使するのに
適切な場所であること、および、州と自治体は公益のために、そのような特権を
適切に規制できるが、これらの公道の使用を不当に抑圧または規制しえないこと
をはっきりと判示してきた。しかし、連邦憲法が純粋に営利的な広告に関して、
1)
と述べて
そのような制約を政府に課していないことも、同様に明らかである」
当該規制を合憲とした。
立法機関は言論の自由を侵害しない限り、公道での配布の可能性がどの程度認
められるかどうかを規制する自由を持つものである。しかし、この事件において
はただ単に営利的広告への批判をさけるためだけに政治的批判を盛り込んだので
あって、被告に言論の自由は認められないとした。
(c) 判決の意義
このように本判決は、営利的言論には修正1条の憲法上の保障が及ばないとの
命題を明らかにした。
この事件で問題となったのは、当該条例の適用が言論出版の自由の侵害にあた
るかどうかであった。最高裁は、公道が自由な言論を行うために適切な場所であ
ることを認めつつも、
「連邦憲法が純粋に営利的な広告に関して、そのような制
2)
と述べている。このこ
約を政府に課していないことも、同様に明らかである」
とから、営利的言論の価値が低く扱われていると読み取ることが可能であろう。
純粋に営利的な広告は修正1条による保障の範囲外であり、広汎な公的規制が認
められる。つまりこの判決において、営利的言論は表現の自由の問題の埒外であ
るとされたのである。
このように憲法上の保障の埒外であるとされた営利的言論の地位は、時代を追
うにつれてどのように変化していくのだろうか。公共的な利益のための運動に財
政的支援を求める意見広告に対し、憲法修正1条の保障が及ぶかが問題となった
142
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
New York Times v.
Sullivan,
3
7
6U.S.2
5
4
(1
9
6
4)の判決を次に見ていく。
(2) New York Times v.
Sullivan,
3
7
6U.
S.
2
5
4(1
9
6
4)
(a) 事実概要
当時は人種差別撤廃の公民権運動が盛んな時期であり、1
9
6
0年3月2
9日付
ニューヨークタイムズ紙に「彼らのわきあがる声に耳を傾けよ」という見出しの
広告が掲載された。広告はアメリカ南部の公民権運動の資金と、当時偽証罪に問
われていたマーチン・ルーサー・キング牧師の弁護士費用の募集を訴え、警察の
行動を非難する意見広告であった。その中に当時アラバマ州モンゴメリー市の警
察関係の委員をしていたサリバン氏を中傷するものがあったとして、サリバン氏
が名誉毀損で訴えた事件である。アラバマ州における1審、2審では広告の記事
に事実の間違いが含まれていたことを理由として、ニューヨークタイムズ紙側が
敗訴した。
(b) 判決の内容
最高裁ではニューヨークタイムズ紙側の勝訴となった。最高裁はまず公共の利
益に関する討論は抑制されてはならず、完全に開放されるべきであるとし、地裁
の判決はニューヨークタイムズ紙の修正1、1
4条に保障された出版言論の自由を
侵害しているとした。
本事件においては紙面に掲載された広告が Valentine v.
Chrestensen 判決のい
う営利的な広告には当たらず、公共的な利益のための運動に財政的な支援を求め
る性質のものであり、最高裁はこのような意見広告に対してはたとえ有料の営利
的広告という形で発表されていたとしても、第1修正で保障されるとした。
そして表現が真実であることを被告が証明すれば免責されるという真実性の抗
弁では憲法的に不十分であり、公職者がその公的職務に関して名誉を毀損される
真実でない表現がなされた場合に、名誉毀損が成立するためには、その表現が現
実の悪意で、つまり偽りであることを知っていて、また偽りであるか否かを無視
して述べられたものであることを立証しなければならないとした。表現が営利的
要素をもつからといって、修正1条の保護が奪われるべきではないとの見解を示
した。
(c) 判決の意義
この判決は、財政的な支援を求めるものであっても、公共的内容を含む意見広
告は第1修正の下にあるということを明示した。このことは前述の Valentine v.
143
Chrestensen 判決で述べられたような、憲法の保障外におかれた営利的言論の地
位を見直す動きと見ることが出来るだろう。1
9
6
0年代に入り、裁判において営利
的言論の価値が再検討されはじめていることを示しているのである。
さらに、ここでのブレナン判事の意見は、それまで言論の自由と名誉毀損が対
立する場面でジャーナリズム側が敗訴することがほとんどであった歴史に、大き
な転換をもたらしたといえる。
また、この判決は「現実的悪意の法理(actual malice doctrine)」を打ち立てた
有名な判決でもある。この法理は修正1条から導き出され、その後この法理は公
務員(public official)から公人(public figure)まで拡大適用されるようになって
いった。
この判決に続き、1
9
7
6年の Bigelow v.
Virginia では、意見広告でなくとも、内
容が公益的な問題を取り扱っている広告には第1修正の保障が及ぶとされた。こ
のような営利的言論の価値が見直されはじめた判例の動向に続き、Virginia pharmacy Bd.
v.
Virginia Consumer Council(1976)判決は、営利的言論の憲法上の保
障についての、画期的な判決を下した。
(3) Virginia Pharmacy Bd .v .Virginia Consumer Council ,
4
2
5 U . S .7
4
8
(1
9
7
6)
(a) 事件概要
被告である Virginia State Board of Pharmacy は VA コードにて、薬剤師が薬の
価格を公表、宣伝することを禁止していた。
これに対し、原告であるヴァージニア州の一般消費者と二つの非営利団体は、
処方された薬を使う消費者達は薬剤師から薬の価格の情報を受ける権利をアメリ
カ合衆国憲法修正1条と1
4条は保障しているとし、薬の価格に関する商業的宣伝
を禁ずる VA コードはアメリカ合衆国憲法修正第1条と第1
4条に違反するとの訴
えを提起した。ヴァージニア州地方裁判所は消費者達の訴えを認め、VA コード
の一部を無効と判示した。これに対し被告である Virginia State Board of Pharmacy は連邦最高裁に上訴したが、連邦最高裁判所は地裁の判決を支持し訴えを
退けた。
(b) 判決の内容
最高裁は、広告する側の利益は純粋に経済的なものであるが、これは修正1条
と修正1
4条による保障の範囲外にあるものではなく、個々の消費者も社会も、商
144
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
業的な情報に対し強い関心を持っているとした。それ故、例えば「X という処方
薬を Y ドルで売ります」というような純粋な営利的表現にも、修正1条の保障
が及ぶということを認めた。そして処方薬価格の宣伝の禁止は薬剤師達の職業倫
理を保持することによる州の利益から正当化されるものではないとした。
たしかに処方薬価格の宣伝の禁止は、薬以外の方法で薬剤師達を助成ないし競
争から保護することができるが、しかし民衆に薬剤師達が提供する合法的な料金
を知らせないことによってその保護がなされるようなことがあってはならないと
したのである。
(c) 判決の意義
この判決は修正第1条による保障は、薬の価格に関する情報を発信する側にも、
その情報を受け取る消費者側にも与えられるということを前提に、
「純粋な営利
的言論」でも修正第1条の保障を受けることを明らかにした。このことは、バレ
ンタイン判決を事実上破棄するものといえ、また、純粋な営利的言論そのものの
憲法上の価値を明示的に認めたという点で、非常に大きな意義を有する。
また憲法上の保障の理由として、営利的言論は消費者自身が十分な情報をでき
るだけ受領し、自己の判断を可能にするという「情報の流通」という点で重要で
あり、それゆえに営利的言論が経済活動にとって重要な役割を果たしているとい
うことが挙げられている。また、営利的言論によって得られた情報により自己の
知見を高め、人格形成の手段とするという、自己統治の価値も認められるためで
あるとされた。
もっとも、営利的言論が政治的言論と同程度の保障を受けるわけではない。最
高裁は「営利的言論が修正第1条の保護を受けると結論づけるに際して、その保
3)
「商業上の取引の提
護がその他の言論形態と全く異ならないとは判断しない。
」
案以外の何物でもないものと他の言論の諸形態の間には『良識的な諸差異(com4)
』が存在する」
と判示した。
mon difference)
(4) 小括―1
9
8
0年までの判例傾向
以上の3つの判例からは、1
9
4
0年代から7
0年代にかけての営利的言論の憲法上
の地位の変遷がよく読み取れる。
1
9
4
6年の Valentine v.
Chrestensen においては、正面から営利的言論の価値が
極めて低く扱われ、営利的言論は憲法の保障の埒外とされている。一方、1
9
6
4年
の New York Times v.
Sullivan は、1、2審においては New York Times 側の意見
145
広告を否定し個人の名誉を優先していたが、最終的に最高裁で逆転し New York
Times が勝訴している。この判決は営利的言論の価値の重要性が見直されはじめ
た兆候といえる だ ろ う。そ し て1
9
7
6年 の Virginia Pharmacy Bd.
v.
Virginia Consumer Council においては、純粋に営利的な広告であっても修正第1条の保障を
受けることができるとされた。この判決は営利広告が消費者の経済判断を可能に
し、情報の流通を図るという有効性を重視したものであるが、営利的言論という
言論そのものが合衆国憲法修正1条上の保障を受けると宣言した点で、非常に大
きな意義を有する。Valentine v.
Chrestensen からの飛躍的な前進である。
も っ と も Virginia Pharmacy Bd.
v.
Virginia Consumer Council に お い て も、営
利的言論が政治的言論と同程度の保障を受けるわけではなく、両者には「良識的
な諸差異(common difference)」が存在し、営利的言論の保障は限定的なもので
あるとされた。そしてこの判決以降、営利的言論をめぐる中心的な議論はこの
「良識的な諸差異」をめぐる議論へと推移していくことになる。営利的言論は憲
法上保障されるけれども、その保障の程度はいかなるものか。政治的言論と比べ、
どの程度劣るのか、
「良識的な諸差異」とは何か。以下これらの議論に関わる1
9
8
0
年代以降の判例を検討していきたい。
! Central Hudson 判決の意義とその審査基準
このような「良識的な諸差異」をめぐる議論の中、1
9
8
0年 Central Hudson Gas
& Elec.
v.
Public Serv.
Comm’n において、この疑問を明らかにし、
「良識的な諸
差異」に基づき営利的言論規制の合憲性を図る、画期的な合憲性判定基準が登場
した。セントラルハドソンテストである。それではセントラルハドソンテストと
はいかなるものであるか、Central Hudson Gas & Elec.
v.
Public Serv.
Comm’n,
4
4
7U.
S.
5
5
7
(19
80)を見る。
(1) 事件概要
ニューヨーク州公共サービス委員会は、州内の電力会社に対して電力消費の促
進を意図するような広告を禁じるとの命令を発した。しかし、この命令は電力消
費のピーク時の消費を控えて、その分を消費の少ない時間帯にまわすようにすす
める「情報提供的」広告については、明示的に許容していた。これに対して Central Hudson Gas ガス・電力会社が命令における「促進的」広告の禁止が合衆国
憲法修正1条に違反し、営業的言論の自由を侵害しているとして出訴した。他方
146
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0号(2
0
0
9)
委員会は、
「促進的」広告の禁止の理由として、第一に、電力使用の「促進的」
広告は、エネルギー節約という国策に反する点、第二に、これ以上の電力生産は
コストが現行のものよりも高くつくにもかかわらず、実際にはコスト以下の値段
で供給されるため、消費者がその分の負担を最終的に強いられることになるとい
う点を挙げた。1審、2審ともに同命令の合憲性を支持した。
(2) 判決の内容
連邦最高裁でも同命令の合憲性を支持した。すなわち、ニューヨーク州公共
サービス委員会の命令は、営利的表現、つまり双方の経済的利益にのみ関する表
現を制約するものである。また営利的表現は経済的利益だけでなく、情報の流通
という社会的利益をも促進する。裁判所は、修正1条が営利的表現を不当な規制
から保護しているとしてきた。しかし、営利的表現と非営利的表現との間にある
差異に関して、従来からその区別を認めてきたのであり、それ故、営利的表現は
憲法上の保護をうける他の表現と比べて、低い程度の憲法上の保護しかうけない。
よって「促進的」広告に禁止は合憲であるとした。
(3) 判決の意義
ここで営利的言論は修正1条上保護される他の表現の価値と比べて「低い価
値」であるとされた。この判決で述べられたことは、これまでの判例の流れから
もわかるように、従前の多くの判決で明らかにされてきたことばかりである。
もっとも以前までの判決でばらばらに述べられてきたことを整理して、4段階審
査として定式化した点で、新たな意義を有しているといえる5)。この判決によっ
て、営利的言論規制の合憲性判定基準である、セントラルハドソンテストが形成
されたのである。
セントラルハドソンテストとは、前提要件を、
「当該表現が合法的行為に関す
るものであり、情報の受け手を誤誘導するようなものではないか」とした上で、
!「政府の主張する利益が実質的か」
、"「政府による規制がその利益を直接的
に推進するものか」
、#「政府による規制がその利益達成のために必要である以
上に広汎ではないか」という要件を示した判決基準である。
その後多く営利的言論に関する裁判で、この判決基準は使用されることとなる。
そしてこの事件以降、営利的言論をめぐる議論は、このセントラルハドソンテス
トをいかにして適用していくべきかという問題となったのである。
またセントラルハドソンテストについては、上記の「前提要件」を!とカウン
トすることが一般である。ただ、非合法的な言論であれば違憲合憲の判断をする
147
までもないため、これはテストを適用する上での必須要件であり、この論文では
「前提要件」という形をとることとする。
それでは次に、このセントラルハドソンテストの適用の判例の変遷を追ってみ
たい。セントラルハドソンテストを適用する際には、このテストが営利的言論を
通常の政治的言論よりも「低い価値」と前提づけている点に配慮する必要がある。
以下に紹介するように、最高裁におけるセントラルハドソンテストの適用の厳格
さは、営利的言論がそもそも「低い価値」であるか否かという点によって、大き
く左右されるからである。
! Central Hudson 判決以後の判決と判例傾向
まず、セントラルハドソンテストが誕生した1
9
8
0年代の判例である、Posadas
de Puerto Rico Associates v.
Tourism Company of Puerto Rico(1986)を検討する。
この判決において、セントラルハドソンテストはどのように運用されているのだ
ろうか。
(1) Posadas de Puerto Rico Associates v.Tourism Company of Puerto
Rico,
4
7
8U.
S.
3
2
8(1
9
8
6)
(a) 事件概要
プエルトリコにおける住民向けのカジノ賭博広告禁止の合憲性が争われた事件
である。プエルトリコは許可を受けた賭博場でのカジノ賭博を公認し、観光業を
振興するために観光客向けの賭博広告を許容していた。しかし他方で賭博場がプ
エルトリコの公衆に対して広告またはほかの方法でその施設を提示することを禁
止する法律を制定していた。さらに、この法律の執行権限をもつ Posadas de
Puerto Rico Associates は、法律の実施規則においてプエルトリコ公衆に向けら
れたカジノ賭博広告を禁止した。この広告規制に違反したとして罰金を課された
Tourism Company of Puerto Rico は、当該法律およびその実施規則が文面上ない
し上訴人に適用された限りにおいて修正1条に違反するとして訴えた。
(b) 判決の内容
最高裁は、広告規制が上訴人に対して違憲的に適用されたとしたが、本件規制
が文面上修正1条に違反しないと判示した。限定解釈を施された本件規制は、プ
エルトリコ住民をカジノに引き寄せるための地元広告メディアを用いたカジノ広
148
政治学研究4
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0
0
9)
告のみを禁止し、観光客に向けたカジノ広告は、たとえそれが住民の目に触れる
ことがあっても許容されるとしたのである。レンキスト裁判官による法廷意見は、
本件が純粋な営利的言論の規則であるとして、セントラルハドソンテストを適用
して本件規制はそれを満たし合憲であるとした。
(c) 判決の意義
ここではセントラルハドソンテストが極めて緩やかに適用され、ギャンブル抑
制のための広告規制が合憲とされている。このケースではギャンブルを規制する
という目的のために法が認めた規制権限には、広告規制権限も含まれる、という
論法が取られていた。つまり、政策的に経済活動そのものを規制することは、そ
れに関わる表現を規制することを当然に内包するものであり、いわば「大は小を
兼ねる」理論であるといえる6)。このような論法は、営利的言論をもっぱら「低
い価値」とみることに根拠を有しており、本判決はセントラルハドソンテストと
同じ前提に立った上で、これを緩く適用しているものといえる。
以後このような論法に基づいた判決が1
9
8
0年代にいくつか続くが、1
9
9
0年代に
入り、このような論法が見直される動きが出てくる。また、
「低い価値」として
の営利的言論の認識にも、大きな変化が生じはじめる。このような変化のきっか
けとなった判決が、Edenfield v.
Fane(1993)である。
(2) Edenfield v.
Fane,
5
0
7U.
S.
7
6
1(1
9
9
3)
(a) 事件概要
フロリダ会計士委員会に所属する公認会計士である被告 Scott Fane は、公認
会計士らの個人勧誘を禁止する規則は、新たな顧客を獲得するために直接顧客と
コミュニケーションを取ることを禁ずるもので、合衆国憲法修正第1条と修正第
1
4条に違反すると主張し、規則の撤回を求めて委員会を訴えた。
連邦地方裁判所は、原告側が求めた利益は言論規制によっては達成されないし、
適法な営利的言論までもが規制されてしまっていると判断した。それに加えて、
個人勧誘は売り手と買い手の間で直接かつ自発的なコミュニケーションができる
ことから、公認会計士は個々の顧客に対し勧誘を行うことが認められており、こ
の規制は妥当ではないと判断した。
(b) 判決の内容
公認会計士による直接の個人勧誘は顧客に危害を加えるというような証拠がな
いという理由から、最高裁は被告側の主張を認め、上訴審の判断を支持した。す
149
なわち最高裁はセントラルハドソンテストを適用して、以下のようにフロリダ州
の規制は支持することができないとした。
基準!については、まず、委員会が主張する利益、つまり消費者を公認会計士
からの大量の勧誘から保護することや公認会計士の独立を維持し、利害をめぐる
抗争を防ぐといった目的は本質的なことである。
しかしながら委員会は、基準"について、規制がこれらの利益を直接かつ実質
的に促進するということを示すことができなかった。政府が営利的な言論に対す
る規制を継続するにはその規制が対象とする害悪が実在することと、この規制が
この害悪を相当程度減少させることを示さねばならない。しかし、公認会計士に
よる個人勧誘がもたらす害悪に関する委員会側の憶測は、学説や有識者に対する
聞き取りに基づく証拠あるいは Fane の指示に基づくものではなく、妥当とは言
えない。
そしてまた基準#についてみても、言論に対する適切な時間や場所、方法に対
する規制として正当化することもできない。たとえ均質的な営利的な勧誘に対す
る規制をそのような規制として見なしたとしても、本質的な州の利益に直接かつ
実質的に貢献しなければならない。
(c) 判決の意義
本判決は、当該規制が修正第1条の保障が及ぶことが想定されている正確な商
業情報を得るための広範なアクセスという社会的な利益を脅かしているとして、
セントラルハドソンテストの基準"を上記のように厳しく解釈している。
また最高裁は営利的言論について以下のように述べた。
「我々の社会的及び文
化的生活におけるそれと同様に、商業市場は、思想と情報が満たされている
フォーラムを提供する。いくつかの思想及び情報は極めて重要なものであり、一
方でわずかな価値しか有しないものもある。しかし提供された情報の価値を調べ
るのは発話者及び聴衆であって、政府ではないというのが基本原則である。した
がって、商取引の提案だけでしかないコミュニケーションでさえ、修正第1条の
保障対象となる…。しかし営利的言論というものは、それが目的とする商業上の
妥協と解けないほど関係づけられたものであり、それ故、取引の根底にあるもの
を規制する州の利益は、表現自体の規制における利益を伴いうる。そのことを理
由として、他の表現形態に義務を課す諸法とは異なり、営利的言論を制約する法
は、修正第1条上の審査に耐えうるために、実質的な政府利益を促進し得るよう
に、合理的な方法で仕立て上げられているだけでよいのである」7)。これらの判
150
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
決から、営利的言論は修正第1条上、他の言論と同様の価値を有するが、しかし
ながら営利的言論は特有な危害(unique harm)を有するが故に規制され得る、と
この判決は最高裁が営利的言論を「低い価値」と
いうことが明らかになった8)。
してきたこれまでの考え方を大きく転換させた最初の判例と呼べるだろう。つま
り、セントラルハドソンテストの前提である、営利的言論の「低い価値」を覆す
判決といえる。
この Edenfield v.
Fane 判決によってなされた、営利的言論に対する本質的な
理解の転換は、Rubin v.
Coors Brewing(1995)によって、さらに顕著に表れてい
る。
(3) Rubin v.
Coors Brewing,
5
1
4U.
S.
4
7
6(1
9
9
5)
(a) 事件概要
1
9
8
7年に原告である Coors 社は財務省の機関である、アルコール・煙草・火器
局(BATF)に、ビールのアルコール含有量を表したラベルとその広告を申請し
たが、BATF はラベルあるいは広告でのビールのアルコール含有量の表示を禁止
した1
9
3
5年連邦アルコール管理法(FAAA)に基づいて、その申請を拒絶した。
そこで、被上訴人は、コロラド地区地方裁判所に、同法の関連条項がアメリカ合
衆国憲法修正1条に違反しているとして提訴した。
ビール醸造業に対して、ラベル上のモルト飲料のアルコール含有量の表示を禁止
する連邦法の合憲性が争われた。
(b) 判決の内容
最高裁はセントラルハドソン基準を厳格に適用し、本件規制が合衆国憲法修正
1条に違反すると判示した。政府は規制利益として、ビール醸造業者によるアル
コールの強度争いを抑制する利益、ラベルのアルコール度数表示禁止による修正
2
1条の下でのアルコールを規制する州の努力の助長利益、の二つを主張した。法
廷意見は前者においてはその利益を認めたが、後者に関しては、たとえ連邦政府
が州権を援助する権利を持つとしても、本件で州が連邦の援助を必要としている
との示唆は存在しないとしてその実質性を否定した。
そしてトーマス裁判官は、営利情報の自由な流通のもたらす利益を強調した上
9)
で 、セントラルハドソンテスト基準!の立証程度は、単なる関連性では足りず、
「直接かつ実質的に政府利益を促進する」ものでなくてはならないと述べた10)。
そしてこの責任は単なる推論によっては満たされず、政府が列挙する害悪が現実
151
的であり、規制がその害悪を実質的に緩和することの立証が求められるとした11)。
そしてビールよりアルコール度数の高い酒類でも表示が許可されているものがあ
ること等を指摘し、もし強度戦争の防止が目的であるならば連邦議会はアルコー
ル含有量が高い飲料においても表示を禁止するはずだとして、本件規制が「独特
かつ当惑させるような不合理性」を持ち、規制が政府利益を直接かつ実質的に保
証していないと判示した。更に言論にあまり負担をかけず政府利益を達成するほ
かの選択手段が存在するので、規制は必要以上に広範であるとした12)。
(c) 判決の意義
この判決で特にスティーヴンス裁判官は、従前の Edenfield v.
Fane 判決に続
き、営利的言論を「低い価値」とみるセントラルハドソンテストに対する考え方
の転換を明言している。スティーヴンス裁判官は営利的言論規制の正当化根拠は、
営利
営利的言論が潜在的に誤解を招きがちだということに関わっているとし13)、
的言論規制が許されるのは、営利的言論の中でも、特に虚偽で有害な言論による
弊害の防止を目的としたものだけであるとした。このことはつまり、真実の情報
を誤解を招かない方法で伝達するような営利広告を規制することは許されず、そ
のような営利的言論にはセントラルハドソンテストは適用されないということを
意味するといえるだろう。この点において、前述の Rubin v.
Coors Brewing 判決
に引き続き、この判例は営利的言論の価値につき本質的転換を行ったものとして、
注目に値するものである。
また、このような法廷意見の出現と並行して、セントラルハドソンテストの適
用が上記のように更に厳しくなっていることは見逃しがたい。特に!基準の政府
の立証責任は、この判決によって相当に重くなったといえる。
以上のような営利的言論価値についての大きな転換を経て、これに続く判決の
法廷意見では、見解のさらなる展開が続く。1
9
9
6Liquormart v.
Rhode Island で
は、そもそも営利的言論の価値を「低いもの」と見るセントラルハドソンテスト
を使用し続けることへの疑問が投げかけられている。
(4) Liquormart v.
Rhode Island,
5
1
7U.
S.
4
8
4(1
9
9
6)
(a) 事件概要
1
9
5
6年ロードアイランド州はアルコール飲料の小売価格の広告を禁じる二つの
法律、R.
L.
G.
L∬3-8-7と酒類管理局規則3
2を制定した。R.
L.
G.
L∬3-8-7
は、アルコール飲料の小売価格の広告を禁じるものであったが、そのうち例外的
152
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
に酒類管理規則3
2により、小売店の敷地内で道路から見ることのできないような
形で商品に付された価格表示が許されていた。
原告の Liquormart Inc. は州のアルコールの小売業者であり、ロードアイラン
ド州の住民をも顧客としていた。1
9
9
1年1
2月、Liquormart Inc. が州の地方紙に
広告を掲載した際に州の酒類管理局長はこの広告が R.
L.
G.
L∬3-8-7、及び酒
類管理規則3
2に違反するとして4
0
0ドルの罰金を命じた。この結果 Liquormart Inc.
は、本件規制はアメリカ合衆国憲法修正第1条に反するとして連邦裁判所に提訴
したのが本件の事案である。
(b) 判決の内容
アルコール飲料の小売価格の広告を禁じるロードアイランド州の州法はアメリ
カ合衆国憲法修正第1条に反するとして、連邦高裁判決を棄却した。
相対的多数意見を述べるスティーヴンス裁判官は、
「本裁判所の判例法理が示
すように、ロードアイランド州は全ての営利的言論が同一の表現カテゴリーを標
的としている以上、同一の憲法審査の形態に服すると結論づけているが、これは
間違っている。そのメッセージが商取引を提案するものであるという事実だけで
は、それらのメッセージを抑圧する決定に適用される合憲性審査は決まらないの
である…州が誤解を招くような、虚偽または強引な商法から消費者を保護するた
めに営利的なメッセージを規制する場合、あるいは消費者にとって有益な情報の
開示を要求するような場合には、その規制の目的は営利的言論に対して憲法が与
えている保護の理由に合致しているから、厳格な審査ほど厳しくない審査が正当
化される。しかし、州が真実の、誤解を招くようなものでもない営利的メッセー
ジを、公正な取引プロセスの維持といった理由とは無関係な理由で禁止しようと
する場合には修正第1条が一般的に要求する厳格な審査から離脱する理由はな
い。
」と説示した14)。
このような前提にたち、スティーヴンス裁判官は本件ロードアイランド州法を
「言論の全面的禁止 complete speech bans」と認定し、同州法は虚偽や誤解を招
くような営利的言論に限定して規制するものではなく営利的広告であるという理
由だけで広告を禁止するものであるから、厳格な審査に服するとした。
(c) 判決の意義
この判決では、同法に対し、そもそもセントラルハドソンテストを使用するこ
とへの消極姿勢が見られる。この判決におけるスティーヴンス裁判官相対多数意
見やトーマス裁判官補足意見では、ある種の営利的言論規制には政治思想表現と
153
同様厳格な審査が適用されるべきであるとされた。特にトーマス裁判官補足意見
では、正当な情報の抑圧を通じて消費者の選択や世論を操作することの誤りを指
摘しつつ、正確で誤解を招かないような営利情報の規制についてはセントラルハ
ドソンテストは適用されないと明示的に述べている15)。このように、セントラル
ハドソンテストについては、その使用のみならず、その存在意義自体が疑問視さ
れていることがわかる。そして仮にセントラルハドソンテストを用いるにしても、
その規制根拠は確固たるものである必要があるし、また規制対象は包括的に全て
の営利的表現であってはならない、とされている。
また本判決において、ロードアイランド州は本件規制が規制利益を促進するこ
との証明にとどまらず、それが実質的に促進するものであることの証明まで要求
されることになり、同時に規制目的と手段との間の関連性が必要以上に強力でな
いことの証明が求められた。このことは Edenfield v.
Fane 判決から Rubin v.
Coors Brewing 判決を経て、本判決で確立された法理となったと言える。
以上のような判例の流れを受けて、
1
9
9
9年の Greater New Orleans Broadcasting
Association v.
United States では、セントラルハドソンテストにつき、ある一定
の解釈基準を打ち立てたものといえる。この時点において、1
9
8
6年の Posadas 判
決がどのように変化しているのかという点についても、この判決を見ることは有
意義なことである。
(5) Greater New Orleans Broadcasting Association v.United States,
5
2
7
U.
S.
1
7
3(1
9
9
9)
(a) 事件概要
連邦法は1
9∼2
0世紀にかけて宝くじを抑制する政策をとっていた。さらに2
0世
紀になり、放送メディアが生成、発展してからは、1
8.
U.
S.
C∬1
3
0
4により、
「宝
くじ…あるいはそれに類似する仕組み…に関する広告または情報」のラジオ、テ
レビでの放送を免許を受けた放送局に対して禁止している。放送を禁止される宝
くじ広告には、カジノ賭博の広告も含まれるとされている。
上訴人である Greater New Orleans Broadcasting Association は FCC の放 送 免
許を受け、ニュー・オーリンズにおいてラジオ、テレビ放送局を経営する、ルイ
ジアナ放送協会及びその会員放送局である。上訴人は、もし連邦法1
8.
U.
S.
C∬
0
4及び、関連する FCC 規則がなければルイジアナ及びミシシッピ州において
1
3
合法である民営カジノの促進的広告が行えるとして1
8.
U.
S.
C∬1
3
0
4および関連
154
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
する FCC 規則がアメリカ合衆国憲法修正第1条に違反する旨の宣言判決及び規
制の差し止めを求めて提訴した。
(b) 判決の内容
最高裁は、カジノ賭博が合法的な州で民営カジノの広告放送を禁止する連邦法
が上訴人に適用される限りで違憲であると判示した。
民営カジノの営業自体はルイジアナ及びミシシッピ州で合法化されていた。そ
して広告内容自身も虚偽もしくは誤解を生じさせるものではないことが確認され
ている。そして、民営賭博広告の規制利益の本質性について、連邦政府は賭博や
カジノに伴う社会的費用の軽減と、各州がカジノ規制を試みる場合に求められる
連邦政府の支援の必要性を挙げている。これについて、スティーヴンス裁判官は、
「我々は、これら二つの利益が本質的であると認めることはできる。しかし、そ
の結論は決して自明のものではない。(後述するような広告規制に対する様々な適用
除外の制定によって)賭博規制政策が決定的にあいまいになっている」と述べ16)、
規制利益の現時点での本質性に疑問を投げかけている。
セントラルハドソンテストの基準!と基準"に関して同裁判官は1
9
9
3年に判示
された Edenfield v.
Fane 判決を引用しながら以下のように解釈している。基準
!については「この立証責任は単なる推測では許されない。当該規制が提示され
た政府利益を直接かつ相当程度促進しなければならず、非効率的、間接的なもの
でしかない場合は合憲性は支持されず、その際政府は問題の行為によって生じる
害悪が現実的なものであり、実際問題、当該規制がその害悪をかなりの程度緩和
させることを証明しなければならない」
、基準"については「政府は最も制限的
でない規制手段をとるよう求められているわけではないが、主張している規制利
益に対して、争点となる規制が狭く定められていることを立証しなければならな
1
7)
い。つまり釣り合いは完全でなくとも、合理的でなければならない。
」
(c) 判決の意義
本判決はまず、セントラルハドソンテストの!基準、"基準についての適用や
解釈につき、これまでの判決で述べられてきたことをまとめ、これを確立化した
という点で意義がある。
またこの判決において、スティーヴンス裁判官が問題としたのは賭博規制政策
の一貫性であった。連邦政府は民営ギャンブルの広告放送を禁止する一方で、適
用除外を認めてきている。その結果、1
8.
U.
S.
C∬1
3
0
4の機能とそれに伴う規制
制度は、適用除外や非一貫性によって空洞化していると判断した。そして同裁判
155
官は、
「たとえ連邦政府が達しようとした政策には連邦のほかの政策に比べても
一貫性があり、行動の必要性があるとしても、1
8.
U.
S.
C∬1
3
0
4は合法活動に関
する真実の言論をかなりの部分犠牲にしている」と述べ、
「真実の情報を伝える
営利的言論は規制できない」との姿勢を確認している18)。
このことは、政策と言論規制を別次元の観点から考えるものであり、Posadas
判決の中で述べられていた、ある活動に対する州の規制権限は当然にその活動に
かかわる広告を規制する権限を含むとする、
「大は小を兼ねる」理論は実質上、
本事件判決において多数の裁判官によって破棄されたといえるだろう。
(6) 小括―1
9
8
0年以降の判例傾向
以上セントラルハドソンテストの適用の判決をいくつか見てきたが、セントラ
ルハドソンテストの適用・解釈は1
9
9
5年の Edenfield v.
Fane 判決、1
9
9
6年の Rubin v.
Coors Brewing 判決を起点に、大きく方向転換している。すなわち、営利
的言論は、営利的言論であるが故に規制されるのではなく、営利的言論は「特有
な危害 unique harm」を有するが故に、一般の言論よりも厳しく規制され得る、
という理論である。特有な危害がないのに、それが営利的言論であるからという
こと自体で規制されてはならないのである。そうであるならば、虚偽でなく、誤
解誘導的でない営利的言論は修正第1条上他の政治的言論と同様の価値を有する
ということになるであろう。このような理論は、営利的言論と通常の言論との間
の「良識的諸差異」を大前提として成立したセントラルハドソンテストや Posadas
判決に見られるような「大は小を兼ねる」という論法とはそもそも相容れないも
のである。このような営利的言論に対する本質的な理解の変化は、まさに営利的
言論法理の転換と呼べるだろう。
それではこのような営利的言論法理の転換は、実際にどのように判決に反映さ
れているのだろうか。以下にその考察をまとめてみる。
第一に、これらの営利的言論法理の転換は、判決や法廷意見において、主にセ
ントラルハドソンテストの二つの適用スタイルとして反映されているといえる。
一つ目はセントラルハドソンテストの基準!、"を厳格に適用するものであり、
Edenfield v.
Fane 判決などに見られるものである。二つめはセントラルハドソン
テストの適用範囲自体を限定して、ある種の営利的言論にはむしろ、通常の政治
的言論規制と同様の厳格な基準が用いられるべきだとするものである。Liquormart v.
Rhode Island 判決のトーマス裁判官補足意見などがこの例である19)。
156
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
このような考え方はセントラルハドソンテストの適用範囲を非常に限定化する
ことになるであろうし、むしろセントラルハドソンテスト自体の破棄にも繋がる
ものといえるであろう。
第二に、営利的言論法理の転換は、Posadas 判決の「大は小を兼ねる」論法を
完全に否定することとなった。例えばリカーマート判決においては、飲酒を政策
的に抑制することは、アルコールの広告を規制することを必然的に包含するもの
ではなく、まったく異なることであるという判断が読み取れるだろう。
これらの論拠としては、一つ目に、営利的言論規制は政策的な経済活動の規制
に当然に内包されるような地位にあるわけではない、ということだ。むしろ広告
規制は経済活動そのものを規制する直接規制より重大な影響力を及ぼすのであり、
広告規制に踏み込む前に、そのほかにより制限的でない代替的な規制手段を政府
は考えるべきであろう。このことはセントラルハドソンテストの基準!の厳格化
にも繋がるものといえるが、これらのことは営利的言論法理の転換の帰結として
当然の帰結である。
二つ目に、広告規制はそもそも言論規制の一種であるため、その性質上政府の
情報操作や、個人の意思形成過程への介入を必然的に伴うものである。それ故に、
経済活動規制という政策実現のための安易なツールとして広告規制が利用されが
ちになるため、これを容易に認めるべきではない、というものだ。ある経済活動
そのものを全面的に禁止することは現実的にみて、非常に困難なものであるから
である20)。
以上のように営利的言論法理の転換は1
9
9
0年代の判決に大きな影響を与え、セ
ントラルハドソンテストの適用範囲は狭まり、営利的言論規制は厳しく審査され
る傾向にあったといえよう。
以上のような1
9
9
0年代の営利的言論に関する判例の動向の中で、2
0
0
4年に実施
された全米迷惑電話お断り登録簿制度(national do-not-call registry)は、営利的言
論規制の合憲性についての議論を更に白熱させ、深化させるものとなった。また
この判決は、営利的言論規制がセントラルハドソンテストを用いて合憲となされ
た判決でもあり、また地裁と最高裁で結論を異にする判決でもある。これらの点
においても、この判決を検討する意義を見出すことができる。現在においてセン
トラルハドソンテストがどのように適用され、解釈されているのか、この判決を
分析することで現在の米国における営利的言論の在り方を以下に考察する。
157
!
Mainstream Marketing Services v .Federal Trade Commis200
4)
sion,
3
5
8F.
3d125
1(1
0th Cir.
1
事件の概要
合衆国議会は、プライバシー保護および消費者保護を目的として、連邦取引委
員会(Federal Trade Commission,FTC)に対して全米迷惑電話お断り登録簿制度
9
9
1年電話消費
(National do-not-call registry)の構築および実施、また、それまで1
者保護法(Telephone Consumer Protection Act of1991,TCPA)に基づいて同種の規
制を行ってきた連邦通信委員会(Federal Communications Commission,FCC)に対
して FTC との規制の統一化を命じる迷惑電話お断り法(Do-Not-Call Implementation Act)を制定した。
そして両委員会は、共同で迷惑電話お断り登録簿制度に関する規則制定を行っ
た。同登録簿は、商業テレマーケティング業者からの迷惑な(unsolicited)電話
を拒否する個人電話加入者の電話番号に関するリストである。商業テレマーケ
ティング業者は、同登録簿に登録された電話番号への電話が全面的に禁止され、
業者は登録簿の電話番号を照会し、そこに登録された電話番号を自らの電話勧誘
リストから削除すること、またそのための年間料金の支払いを義務付けられた。
この登録簿制度は物品もしくはサービス販売業者自ら、またはその委託業者によ
るテレマーケティング電話にのみ適用され、慈善目的又は政治資金の募金の勧誘
のための電話には適用されないとされた。一方、その販売業者と消費者に「日常
的な取引関係」(established business relationship)がある場合、又は消費者が販売
業者に書面による明確な電話許可を与えている場合、同登録簿に登録されている
消費者であっても、電話が許可されていた。
これに対してテレマーケティング業者は、この登録簿制度が、
(1)テレマー
ケティング業者の営利的言論を不当に制約し、合衆国憲法第1修正に違反する、
(2)日常的な取引関係の適用除外が、行政手続法(APA)の禁止する「恣意的
かつ気まぐれな」(arbitrary and capricious)根拠に基づくものであるとして、訴訟
を提起した。原審オクラホマ州西部地区合衆国地方裁判所は、Central Hudson Gas
& Electric Co.
v.
Public Service Commission of New York(1980)に基づいて、同制
度が、言論内容に基づいて差別的取り扱いを行っているとし、第1修正に違反す
るとした。それを不服として FTC が控訴した。
158
政治学研究4
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0
0
9)
2
本件における Central Hudson 基準の適用
(1) Governmental Interests(実質的な政府利益の存否)
セントラルハドソンテスト基準!によれば、営利的言論を規制する際には、そ
の規制によって達成される実質的な政府利益が合憲性を判断する上で必要とされ
ている。ここでいう「実質的」の意味は「抽象的」なものと区別されるために用
いられており、より確かで明確な政府利益の存在が認められなければ、当該規制
は違憲となる。
本件ではこの基準!の適用において、政府の主張する各々の家庭におけるプラ
イバシー保護及び詐欺や悪意のあるそそのかしのリスクから保護する消費者保護
を National Do-Not-Call Registry を根拠付ける明白かつ実在する政府利益である
かどうかという部分、つまり、これら二つの利益が「実質的」か否かという部分
が判断の問題となってくるのである。
ではまず本件におけるプライバシーの保護という利益に関してだが、裁判所は
Rowan v.
United States post office dep’t(1970)において、自宅に郵送されるも
のを制限する家主の権利を承認していることを引用し、その実質性に言及してい
る。Rowan 判決において、裁判所は個々のプライバシーの重要性を強調してお
り、特に自宅においては、
「古くからの男にとって、家とは自分の城のことであ
2
1)
この
り、王でさえ入れないだろう」という慣例が失われていないと表現した。
判決により、プライバシーの保護に関して一定の利益を最高裁は認めているとさ
れ、本件においてもその裁定は踏襲されるべきであり、覆り難いと考えられる。
また同様に Frisby v.
Schultz(1988)において、裁判所は再び自宅における唯
一の状態(静穏権)を強調した。そして、静寂・自宅のプライバシーを保護する
という利益は確かに社会において、高い価値を有する秩序であると認容しており、
プライバシーに関する見解を飛躍的に高めたと考えられる22)、自宅におけるプラ
イバシーの重要な側面は、望まない聴衆の保護にあるという目的にまで言及して
いることも見逃せない要因といえよう23)。
加えて、Hill v.
Colorado(2000)においては、迷惑な通信の回避について、不
本意な聴衆の利益が一人にしておいてもらう広範な権利の一部とし、また、迷惑
な言論を回避する権利が自宅において特別な力を有する点にも言及している24)。
「一
FCC v.
Pacifica Found(1978)にもまた同様の見解をうかがうことができ、
2
5)
として
人にしてもらう個人の権利は第1修正上、侵入行為にはっきりと勝る。
」
159
いることから、プライバシーの保護の利益は現在において、当然認められる政府
利益であるとこれら一連の流れから推察される。この点について原告・被告間に
大きな意見の隔たりはなく、プライバシーの保護の利益はほぼ認められていると
考えられよう。
またプライバシー保護の利益に付随する形で消費者保護の利益も同様に過去の
判決を引用し言及している。Edenfield v.
Fane(1993)において、裁判所は政府
が詐欺的かつ威圧的なセールス行為を妨げるという実在する利益を持つと認容し
ており、本件に関してもこの判決を引用し、その利益の実質性をうたっている26)。
ただこれに関しては Virginia State Bd.of Pharmacy v.Virginia Citizens Consumer
Council(1976)から引用される「第1修正は国に対し、商業的な情報の流通が明
2
7)
としたよう
らかに自由にあふれている程度を保障することを禁じてはいない。
」
に、正常な営利的言論を規制する理由にはならないという姿勢も打ち出しており、
現状では詐欺的かつ威圧的なセールス行為に準ずるものが純粋な消費者保護のた
めの利益と考えられる。
これらの判例、経緯を踏まえれば、消費者保護のための利益に関しては、その
性質上、プライバシーの保護の利益とかぶる部分があり、その判断が分かれるも
のの、本件ではプライバシー保護の理由に関しては、実質的政府利益と考えられ、
また詐欺的かつ威圧的なセールス行為から消費者を守るという消費者保護の利益
も本件に照らしてみれば認められる政府利益といえるだろう。
(2) Reasonable Fit(合理的関連性の存否)
では次にセントラルハドソンテスト基準!について検討する。セントラルハド
ソンテスト基準!は、規制目的と規制手段の関連性についての判断基準であり、
「当該規制手段が、その目的とする政府利益を直接的に促進するものか」を判断
するものである。
ここでも、
(1)であげられたような「提示された政府利益を直接かつ相当程
度促進」という基準が用いられており、間接的なものでしかない場合はこの基準
を満たさなくなってしまい、違憲となる。さらに、この際にクアーズ判決で示さ
れた、
「政府は問題の行為によって生じる害悪が現実的なものであり、実際問題、
当該規制がその害悪をかなりの程度緩和させること」を証明しなければならない
という重い立証責任が課されている。
また、基準!に関しては年代によって、前述した判例の変遷のようにその審査
160
政治学研究4
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0
0
9)
が緩かったり、厳しかったりと変遷しており、客観的判断が難しいのも特徴であ
る。本件においても、地裁、最高裁で解釈が変わっており、その部分についても
注視する必要があるといえよう。
本件第一審のコロラド州地区連邦地裁は、National Do-Not-Call Registry は、
同制度の目的とするプライバシー保護および消費者保護という政府利益を実質的
に促進するものではないとして、同制度を違憲としている。その根拠として地裁
は以下のようなものを挙げている。
すなわち、営利的な電話勧誘であれ非営利的な電話勧誘であれ、いずれも等し
くプライバシー侵害を引き起こすにもかかわらず、前者を規制対象とする一方で、
後者をその対象外としており、プライバシー保護という重要な利益を「直接的に
促進するものとなっていない」ので、同制度は第1修正に反する。両者がともに
プライバシー侵害の危険性を含むにもかかわらず、同制度は前者だけを、単にそ
の「営利」的な表現ゆえに狙い撃ちにして規制するものであり、言論内容に基づ
いた差別的取り扱いを行っている。
この地裁の判断は9
0年代後半から見られるようになった、厳格な審査基準に
のっとったものと考えられる。この点に関しては、9
0年代後半の判決において合
憲の判断を下された規制がほとんどなかったことに鑑みれば首肯できるものであ
る。
この判決で地裁は National Do-Not-Call Registry が自宅における個人のプライ
バシーの保護という当制度の目的を達成しえていないという点に着目し、テレ
マーケティング電話のみが規制対象となっているのは、その規制根拠が曖昧であ
り、またそれ故に同制度の実効性は低いと判断している。またテレマーケティン
グ電話のみが規制対象となっている点について、これは「営利」的言論であるが
故の規制として、もっぱら表現の内容に着目した内容規制であるという指摘を
行っている。
これに対して最高裁は、テレマーケティング電話のみを規制対象とした点には
合理的な理由が認められ、
「National Do-Not-Call Registry は同制度の目的とする
プライバシー保護および消費者保護の政府利益を実質的に促進するものである」
として、同制度を合憲としており、以下のような根拠をあげている。
第一に、規制対象外である非営利的な電話勧誘と、規制対象である営利的な電
話勧誘の区別は、営利的な電話勧誘の方が非営利的な電話勧誘よりも、詐欺的ま
たは濫用的なものである可能性が高いという、事実に起因する合理的な区別であ
161
ると判断した。(この点前項で挙げた、消費者保護のための利益がどこまで認められる
かという部分が問題になり、正常な営利的言論までも規制する理由にはならないという
姿勢と矛盾してくる。
)消費者の望まない勧誘の多くが営利的な電話勧誘であると
いう事実を、FTC らの報告した資料をもとに認めたのである。
ここで具体的に挙げられた事実の資料としては、これまで5
0
0
0万以上の電話番
号が同登録簿に登録されており、この規制が登録済み世帯をその最も迷惑なテレ
マーケティングから保護しているというものである。また、TCPA に関する立法
資料は、消費者苦情統計から、政治団体または宗教団体からの迷惑な電話よりも、
商業目的の迷惑な電話が極めて重大な問題であることを証明している。FCC も、
商業目的の電話業者が非商業目的の電話業者よりも、詐欺的かつ威迫的な業務を
行う可能性が高いことを明らかにしている28)。FTC も FCC と同様に、商業目的
「慈悲
の電話が詐欺的かつ威迫的であることを報告している29)。さらに FTC は、
目的および政治目的での電話の明確な目的は、寄付の獲得だけでなく、非営利的
な電話業者が電話をかけた人々を不愉快にしたり、威迫的かつ詐欺的な業務に従
事したりしない、との強いインセンティブを有している」と結論づけている30)。
以上のような資料から、
「National Do-Not-Call Registry によって規制される言
論はこのリストの作成によって政府が解消を試みる問題を生じさせる可能性が最
も高く、当該規制が政府利益を直接促進することが証明されているといえる」と
最高裁は判断したのである。つまり、
「政府は問題の行為によって生じる害悪が
現実的なものであり、実際問題、当該規制がその害悪をかなりの程度緩和させる
こと」を証明しなければならないという重い立証責任を政府は果たしたと認めた
ことになるといえよう。
第二に、これらの事実に基づいて非営利的な電話勧誘を規制対象外としても、
同制度が直接かつ実質的に二つの重要な利益を促進するという事実は失われない、
と判断したのである。すなわち最高裁は「この営利的言論規制がその目的を実質
的に促進している限りは、Central Hudson 基準の下においては、この制度の恣
意性‘under inclusiveness’というのは致命的な問題ではない」としている。こ
こで本判決は、放送上での懸賞広告を制約する連邦法の合憲性が問題となった、
ノースカロライナ州のエッジ放送会社事件の判旨を挙げている31)。
この訴訟でエッジ放送会社は、ノースカロライナの住民は州内の放送以外にも、
そのほかの州のラジオ放送やテレビ番組といったソースから、懸賞広告に触れる
機会は多々あるために、州内のラジオによる懸賞広告の放送のみを禁止する同法
162
政治学研究4
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0
9)
は、実質的に政府利益を達成していない、と主張した。しかし最高裁はこの主張
を退けて、
「政府は懸賞広告を完全に根絶してはいなくとも、懸賞広告を同法に
よってかなりの程度減らすことで、その目的を達成しているといえる」として、
同法が実質的に政府利益を達成しているとして合憲とした32)。
本件において最高裁は、National Do-Not-Call Registry の区別は、消費者の望
まない勧誘の多くが営利的な電話勧誘であるという事実に対応した合理的な区別
であると認め、そしてこれらの事実に照らすと、営利的な電話勧誘を規制するこ
とで、かなりの程度プライバシー保護および消費者保護という政府利益を実質的
に達成することができるのであり、同制度の実効性を肯定したものといえる。ま
た本判決からは、National Do-Not-Call Registry においては、事実に基づく合理
的な規制区分の結果として、営利・非営利の区別が生まれてきたのであり、はじ
めからその表現が営利的か否かで区別をするという、内容に基づく差別的な取り
扱いを行っているわけではないという言い分がみてとれる。
本判決においてこの基準!は、コロラド州地区連邦地裁と最高裁で大きく判断
を分けた重要なポイントであるが、しかし地裁においても最高裁においても、当
制度が営利的な電話勧誘の規制において、それがもっぱら営利的な内容故に規制
対象となるのであれば、それは修正第1条上、違憲の可能性が高いという共通認
識を読み取ることができる。
もっとも最高裁は以上のことを踏まえ、本件には直接的に利益を促進する合理
的関連性があると判断している。
(3) Narrow Tailoring(手段の適正)
セントラルハドソンテスト基準"とは、営利的言論に対する規制の合憲性は、
最小限度のものである必要はないが、必要以上に言論を規制しないように限定的
に画されているかどうかを基準に判断するというものである。
なお、当該規制が「限定的に画されているかどうか」を分析する際には、
「よ
り負担の少ない代替策が数多く明らかに」存在するかどうかを相対的に考慮しな
ければならないとされている33)。
言い換えると、
「当該規制なしでは政府の実質的利益が効率的に達成されない
と言えるのであれば」
、その法律は限定的に画されているということである34)。
したがって、より言論を規制せずに、当該法律と同程度効率的に政府利益を実
現できるような、数多くの明らかな代替策が存在するか否かを考慮することにな
163
る35)。
本件において裁判所は「当該規制は、言論を過度に規制するものとは言えず、
むしろ電話を望んでいない受け手に向けられたもののみを規制するものであるの
で、National Do-Not Call Registry は限定的に画されている」とした。
本件における Central Hudson 基準!の当てはめに関しては、かつて Frisby v.
Schultz(1
9
8
8)において、
「望まない聴き手の家庭に向けて、無理やり言論を行
3
6)
とされたことや、Rowan v.
United States Post Office
う権利は到底存在しない」
Dep’s(1970)において「売り手は、家庭に対して望まれないものを送りつけるこ
とが出来るという権利を憲法やその他法の下に有する、という主張は断固として
3
7)
とされたことも参考にされている。
却下する」
本件の National Do-Not Call Registry は、その種の電話を受けたくないという
意思を明確に示している消費者に向けられたものや、消費者のプライバシー侵害
にあたるテレマーケティングのみを禁止するものである。
「プライバシーの権利は、それ
ちなみに、Hill v.
Colorado(2000)においては、
をしようと欲しないコミュニケーションを避ける際の、望まない聞き手としての
3
8)
とされた。
利益をも包括している。
」
また、本件における Central Hudson 基準!の適用に関しては、今まで最高裁
が「個人の選択に基づく言論の規制は、直接言論を規制する法律より制限的でな
い」と繰り返し判断してきたことを重視したものだともいえる。
たとえば、Rowan 事件において、最高裁は「もし性欲を駆り立てたり、性的
刺激が強いと感じる郵便広告を受けたりしたのなら、その受け手である個人は送
り主に対し今後すべての郵送を止めることを要求できる」し、
「個人に対して、
彼らが憤りを感じるとしたものを避けるような権限を付与したのは政府なのであ
るが、送り主がコミュニケーションをはかる権利は家主による積極的な措置に
よってのみ制限される」という点を強調したことも参考にしている39)。
同様に、
「直接的な言論規制を却下する際には、私的選択に基づく(opt-in)規
制ならばより制限的でない代替案になりうるだろう」という理由づけも重視して
「投票
いる。たとえば、Martin v.
City of Struthers(1943)において、最高裁は、
や寄付を頼んで回る行為を禁止する市の条例を廃止するにあたって、当該政府利
益は家主に対して訪問者を受け入れるか否かの選択肢を与えることによって、よ
り制限的でない方法で達成されうる」ということに言及している40)。
私的選択に基づく(opt-in)言論の規制は直接的な言論の規制に比べより制限
164
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
的でないという考えは、訪問による勧誘に対して適用されるだけでなく、本件の
ような電話によるものや、テレビ、インターネットを通しての望まない押し売り
から家庭内のプライバシーを守ることを意図した規制に対しても適用されると考
えることができる。
United States v.
Playboy Entm’t Group,
Inc.
(2
0
0
0)では、不快なテレビ番組に
対する私的選択に基づく規制は「政府に、合衆国憲法第1修正で保護される言論
者や聞き手の利益に影響することなく、親の権威を手助けすることを可能にさせ
る。このような規制は一律禁止よりも制限的ではない。
」とされた41)。
これらの点より、前述した Rowan 事件において認められた郵便広告の禁止を
定めた do-not mail regulation と同様に、本件の National Do-Not Call Registry は
それ自体ではいかなる言論も制約していないのであって、ただ市民に「彼らが認
4
2)
までである
めない限りどの広告者も突破できない壁を設けることを許可した」
といえる。
つまり、National Do-Not Call Registry は、リストに登録した消費者のプライ
バシーに対する望まない侵入にあたる電話のみを封じるのであり、さらに当該規
制は電話による詐欺的行為に対して敏感な消費者が多くの営利目的の電話主から
詐欺的行為をなされる機会をなくすことを確実なものにできるようにするもので
ある。
このような条件の下、裁判所は、
「当該規制の私的選択に基づく(opt-in)もの
であるという特徴により、当該規制は限定的に画された営利的言論の規制とな
る」と結論付けた。
また、当該規制が限定的に画されているという点は、当該規制が売り手にも消
費者にも多くの販売方法を提供しているという事実からもさらに表されている43)。
売り手からすれば、当該規制により、リストに登録した消費者への勧誘が電話
という一つの手段においてのみ制限されるのであり、実際に手紙や他のメディア
を通じての広告手段によって、潜在的な消費者と取引することを禁止しているわ
けではない。
消費者からすれば、当該規制は消費者が彼らの望むテレマーケティングと避け
たいテレマーケティングを決定できるようさまざまな選択肢を提供しているとい
える。
例えば、他のものは除いて、あるものの販売に関する電話は受けたいと望んで
いる消費者に対しては、do-not-call registry に登録したうえで、受けたいと望む
165
販売電話に対しては書面による許可を与えるようにしている。
あるいは、do-not-call registry に登録することを拒否したうえで、彼らの望ま
ない商売をおこなう特定の会社からの電話を規制することができるようにもされ
ている。
このように、現行の規制のもとでは、消費者はテレマーケティング業者が電話
をかけてくるということを許すか否かということにおいて、二つの規制方法を選
ぶことが出来、その上である会社にだけは許可を与えるか、もしくはある会社か
らだけは電話がかかってこないようにするというような、会社を特定した修正を
行うことが出来る。
加えて、テレマーケティング業者側から提案された代替案はどれも当該規制ほ
ど効果的に政府利益を促進することは出来ていないということも理由となる。
テレマーケティング業者側は company-specific rule(消費者が自分の望まない商
売をおこなう特定の会社からの電話を規制することができるようにするというもの)は
効果的に消費者を保護してきたと主張してきたが、FTC によると、関連する記
録に基づき、company-specific rule では消費者のプライバシー保護が適切に行わ
れないということが証明された。
その理由としては、第一に、company-specific rule では消費者が電話勧誘を受
けたあらゆる会社に対して do-not-call の要求を繰り返し行わなければならない
ので消費者にとって大変負担となってしまうということがあげられる。実際に、
この制度においては、多くの消費者はたとえ一度目であっても望まない販売電話
を詐欺的もしくはプライバシー侵害であると感じるのにもかかわらず、販売業者
がすべての消費者に対して一度なら自由に電話をかけることを許している。
第二に、company-specific rule についての政府による検証で販売業者はしばし
ば company-specific リストに登録して欲しいという消費者の要求を無視するとい
うことが明らかになったことがあげられる。
第三に、消費者には company-specific do-not-call 要求をしたことによって、自
分の電話番号が業者の calling list から削除されたのかどうかを確かめる手段がな
いことがあげられる。
最後に、company-specific 規制においては、政府が、消費者に対してどのテレ
マーケティング業者が電話をかけてきたのか、またいかなる do-not-call 要求を
したのかを詳らかにしたリストを保管しておくというような証拠を残すための負
担を強いるために、この規制を施行していくことは困難であるということがあげ
166
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
られる。
また、消費者教育の徹底や caller ID や call rejection services などの科学技術
的な代替案も主張されたが、消費者が被るコストなどの面やテレマーケティング
業者の技術的進歩によるイタチごっこを誘発するという面から National Do-Not
Call Registry ほど効果的なものではないといえる。
以上のように、National Do-Not Call Registry は消費者のプライバシー保護や
詐欺被害の防止といった政府利益を促進する手段として、現時点では他の規制手
段と比べても規制強度の点から見ても効率的な手段といえるので、必要以上に言
論を規制しないように限定的に画されているといえる。
規制について、政府主導でなく、消費者主導である点が合憲性認定において確
かにかなり大きな要因になるように思われる。
だが、National Do-Not Call Registry によって、企業はテレマーケティングと
いう、ダイレクトメールや E メールなどと比しても対話性や即時性の程度が高
く大変有効なマーケティングを、National Do-Not Call Registry の登録者に対し
ては新規顧客開拓の手段として使えなくなってしまうという企業側の不利益が生
じるのはやはり避けられない。その点についてもう少し考慮がなされるべきでは
ないかという疑問も残る。
3
小括
本事案は近時における判決ながら、営利的言論を重視し、審査基準を厳格に適
用する流れとは異なり、規制の合憲性を肯定する内容となっている。ただ最高裁
の内容を見る限り、
「政府は問題の行為によって生じる害悪が現実的なものであ
り、実際問題、当該規制がその害悪をかなりの程度緩和させること」を本当に証
明できているのかどうかにはやや疑問が残るだろうし、営利非営利の区別などに
関してはその本質ではなく表面的な論理で済ませてしまっている感が否めない。
特に、ノースカロライナ州のエッジ放送会社事件を引用して、合理的関連性を認
め て い る が、Greater New Orleans Broadcasting Association v.
United States
(199
9)では非一貫的なものとして同基準に照らし違憲とするなど、裁判所でも
整合性が取れていないのではないのかという矛盾をはらんだ部分も垣間見える。
このように、いまだ営利的言論はそれ自体の価値観を変えてきているからか、
明確な判断を下すことが難しいように感じる。本件で地裁と最高裁で判決が異
なったことからも、営利的言論に関わる議論の深さが推察されよう。
167
結論
以上のように、アメリカ合衆国における営利的言論の地位の変遷を1
9
4
0年代か
ら2
0
0
0年にかけて、約半世紀にわたり概観してきた。この長期にわたり問題と
なってきた営利的言論に関する議論は大きく分けて二つある。一つは、そもそも
営利的言論は憲法上の保障を受けるのかどうかという問題、もう一つは憲法上の
保障を肯定したとしても、その保障の程度はどの程度か、という問題である。
近年においては後者の問題が議論の的となり、
「良識的な諸差異」をはじめと
する多くの判例が積まれてきた。そして後者の問題を更に具体化すると、営利的
言論は通常の言論よりも価値が低いのか、通常の言論と同等の価値なのか、とい
う議論になる。
この点、Edenfield v.
Fane 判決以降の判決は、通常の言論と同等の価値を営利
的言論に認め、Mainstream Marketing Services v.
FTC 判決の考察からもわかる
とおり、この見識は現在においても維持されているといえる。
この見識は9
0年代に営利的言論の法理を大きく展開させたスティーヴンス裁判
官の言葉の中によく表れている。
「営利的言論に対する規制は、営利的言論の中
でも虚偽や誤解を招くような表現がもたらす弊害に着目して許される」
、裏を返
せば「真実の情報を誤解を招かない方法で伝達するような営業広告を規制するこ
とは許されず、そのような規制は通常の表現内容規制と同レベルの厳格な審査に
服する。
」とする見解である。
そしていま問題となっているのは、ではなぜ営利的言論については虚偽や誤解
を招くような表現が規制されるのか、という疑問である。政治的な言論の中にも
虚偽や誤解を招き、相手方の自律性を損ねるものは存在する。また真偽の証明が
容易か否かという判断は、もともと程度の問題であり、これを根拠として言論規
制を行うことは妥当でない。
この疑問に答えを出すためには、私たちはもう一度原点に返り、そもそも営利
的言論とは何か、という自問をしなければならないだろう。営利的言論と通常の
言論が同価値であるならば、営利的言論というカテゴリーを保持しつづけなけれ
ばならない理由はあるのだろうか。このカテゴリーを正当化する積極的な根拠は
どこにあるのだろうか。
この点 Mainstream Marketing Services v.
FTC 判決では、
「多くの迷惑電話は、
168
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
営利的団体によるものである」との FTC らの「事実のデータ」を根拠に、この
疑問に対してひとつの答えを出しているといえる。もっともこれらの「データ」
が営利的言論の領域を支える積極的な論拠と呼べるかどうかは、今後様々な角度
から検討の余地があるだろう。
いずれにせよ、営利的言論という言論の領域を検討しなおす作業が、一連の営
利的言論をめぐる議論の考察において、今後必要不可欠であるといえるだろう。
おわりに
アメリカにおいて営利的言論の議論がここまで進展しているのはなぜだろうか。
National Do-Not Call Registry が実施され、この制度の合憲性が問われた本件の
裁判は、これまで日々度重なる迷惑電話に悩まされ続けてきたアメリカ国民に
とって、非常に大きな関心事となった。
この裁判では、営利的言論にまつわる憲法議論は、単なる憲法論にとどまらず、
国民生活に密接な関わりあいをもつ、政治的、経済的、社会的な問題として議論
されることになる。そういった意味で、National Do-Not Call Registry はこの一
連の裁判を通じて、社会的なコンセンサスを得て実施されていったものといえる
だろう。
そしてこのような国民生活に深く根づいたアメリカ的な憲法議論の在り方が、
本論文で扱ったような営利的言論の議論の進展に寄与したといえるかもしれない。
1) Valentine v.Police Commissioner of The City Of New York v.Chrestensen,
316 U.
S.
52,
6
2S.Ct.
9
2
0;8
6L.
Ed.
1
2
6
2.
2) ibid.
3) 佐々木秀智「アメリカにおけるテレマーケティング規制と営利的言論の自由」
、
『一橋研究』第2
3巻第2号1
2頁。
4) 同上。
5) よねざわ広一「アメリカ法最近の判例」『アメリカ法〔1
982―1〕
』日米法学会、
1
9
82年7
3頁。
6) Posadas de Puerto Rico Associates v.Tourism Company of Puerto Rico478U.
S.
3
41.
7) Edenfield v.
Fane,
5
0
7,
U.
S.
7
6
7.
8) 佐々木秀智、前掲注3)1
7頁。
9) Rubin v.Coors Brewing5
1
4U.
S.
4
9
1.
169
10) Rubin v.
Coors Brewing5
1
4U.
S.
4
8
6.
1
1) 太田祐之「カジノ賭博広告の規制と営利的言論法理」
、『同志社法学』5
2巻2号
2
60頁。
1
2) 太田祐之、同上2
6
1頁。
1
3) Rubin v.Coors Brewing,
5
1
4U.S.4
9
4
1
4) 橋本基弘「合衆国最高裁判所における営利的言論法理の変容(外間寛先生記念
論文集)
」
、
『中央大学法学新報』Vol.
1
1
2.
No1
1/1
2、46
1頁、Liquormart v.
Rhode Island5
1
7U.
S.
5
0
1.
15) Liquormart v.
Rhode Island5
1
7U.S.5
2
0.
16) Greater New Orleans Broadcasting Association v.
United States,
527U.
S.
18
8.
1
7) ibid.
United States527U.
S.
19
4.
18) Greater New Orleans Broadcasting Association v.
1
9) 橋本基弘、前掲論文、4
6
7頁。
2
0) 橋本基弘、同上4
6
8頁。
21) Rowan v.
United States post office dep’t3
9
7U.
S.
73
7,
90S.
Ct.
148
3.
22) Frisby v.Schultz4
8
7U.
S.
4
7
4,
4
8
4,
1
0
8S.
Ct.
2
4
9
5,
101L.
Ed.
2d42
0.
23) Frisby v.Schultz48
7U.
S.
4
8
4-4
8
5,
1
0
8S.
Ct.
2
4
9
5.
Colorado5
3
0U.
S.
7
0
3,
7
1
6-1
7,
1
2
0S.
Ct.
2
48
0,
147L.
Ed.
2d59
7.
2
4) Hill v.
25) FCC v.
Pacifica Foundation4
3
8U.
S.
7
2
6,
7
4
8,
9
8S.
Ct.
302
6,
57L.
Ed.
2d107
3.
26) Edenfield v.Fane.
5
0
7U.
S.
7
6
1,
7
6
8-6
9,
1
1
3S.
Ct.
179
2,
123L.
Ed.
2d54
3.
27) Virginia State Bd.
Of Pharmacy v.
Virginia Citizens Consumer Council,Inc.
425U.
S.
7
48,
7
7
1-7
2,
9
6S.
Ct.
1
8
17,
4
8L.
Ed.
2d3
4
6.
28) 6
8Fed.Reg.
4
4
1
5
4.
2
9) 68Fed.Reg.
4
6
3
7.
30) Village of Schaumburg v.Citizens for a Better Env’t,
444 U.S.
620,
63
2,
100 S.
Ct.
8
2
6,
6
3L.
Ed.
2d7
3(19
8
0)
.
3
1) United States v.Edge Broadcasting Company,
5
0
9 U.S 418,
423-24,
431-3
3,
113 S.
Ct.
2
6
9
6,
1
2
5L.Ed.
2d3
4
5(1
9
9
3)
.
Edge Broadcasting Company,
5
0
9U.
S434-3
5,
113S.
Ct.
269
6.
32) United States v.
3
3) Florida Bar v.
Went For It,
5
1
5U.
S.
6
3
2,
1
1
5S.
Ct.
237
1.
3
4) Ward v.Rock Against Racism,
4
9
1 U.S.
7
81,
7
9
9,
109 S.Ct.
274
6,
105 L.Ed.
2d
6
61.
4
4
7U.
S.
5
6
5,
1
0
0S.
Ct.
2
3
4
3;Edge Broad,
509U.S.
430,
113 S.
3
5) Central Hudson,
Ct.
2
6
9
6.
36) Frisby v.
Schultz,
4
8
7U.
S.
4
7
4,
4
8
5,
1
0
8S.
Ct.
2
4
9
5,
101L.Ed.
2d42
0.
37) Rowan v.United States Post Office Dep’t,
3
9
7 U.S.
728,
73
8,
90S.Ct.
1484,
25 L.
Ed2d7
3
6.
38) Hill v.
Colorado,
5
3
0U.
S.
7
0
3,
7
1
6-1
7,
1
2
0S.Ct.
248
0,
147L.Ed2d59
7.
170
政治学研究4
0号(2
0
0
9)
39) Rowan v.
United States Post Office Dep’t,
3
9
7U.
S.
729-30,
73
8,
90S.Ct.
148
4.
4
0) Martin v.City of Struthers,
3
1
9U.
S.
1
4
1,
1
4
7-4
9,
6
3S.Ct.
86
2,
87L.Ed.
131
3.
4
1) United States v.Playboy Entm’t Group,
Inc.
5
2
9U.S.
80
3,
815,
120S.Ct.
187
8,
146
L.
Ed.
2d8
65.
3
9
7U.
S.
729-30,
73
8,
90S.Ct.
148
4.
42) Rowan v.United States Post Office Dep’t,
4
3) 68Fed.Reg.
4
6
2
9-3
1.
大沢研究会2
4期生(5
0音順)
井上 加織
上野 玲
太田 大喜
岡本 祐希
椛田かおり
木塚 勝大
小河瀬達彦
鈴木 嶺
高輪 匠
竹内 桃子
多島 咲子
露木 俊
徳永 吉彦
丹羽 一朗
長谷川将大
原垣内仁美
水谷友理沙
宮内 亮輔
山本 響子