- 17 - 3. 地形・地質および土壌 (1) 総論 登米市は、宮城県の北東部に

3. 地形・地質および土壌
(1) 総論
登米市は、宮城県の北東部に位置し、岩手県一関市と接している。市域の地勢を概観すると、北上川
の左岸部は北上山地の西斜面を構成する標高差のある山地で占められ、右岸部は瀬峰丘陵の先端部
にあたる丘頂部緩斜面や、火山堆積物である金鶏山地、そして北上山地から分離した米山・豊里の古生
層山地が分布するも、大半は沖積平野である迫川低地によって占有される。この迫川低地は、水田と化
した沖積平坦面や自然堤防等で構成され、丘陵地形の周辺部には相応の面積を有する湖沼群が散在
する。
市域の水系は、岩手県に水源を持つ北上川が沖積平野の東縁部を北上山地から流出する二股川、
大関川、羽沢川、南沢川等の諸河川を合流しながら南北に流下する。一方、栗原市に源を持つ迫川は、
支流夏川の水を集めて沖積平野を北西から南東方向に縦断して流れ、最終的には北上川から分流した
旧北上川に合流する。また、大崎市から流下する小山田川は旧迫川に吸収されて西から東に向って流
れ、これも旧北上川と合流する。したがって登米市域の水系は、この 3 つの主要な河川によって、北上川
東部、北上川と迫川に挟まれた中央部、および迫川と旧迫川との間の西部に 3 等分することができる。
岩手県から南下する北上山地は、宮城県に入ると、ゆるやかな隆起準平原的な地形的特徴を示す。こ
の山地の最高地点は、石巻市との境界線上にある翁倉山(標高 532.4m)で、山地といっても標高の低い
山々で構成されている。したがって、太平洋側との分水界をなす稜線は、むしろ丘陵性の山地といえる。
北上山地の表層地質は、おおむね古生代ペルム紀と中生代三畳紀の地層によって構成される。ペル
ム紀の地層は、東和町、登米町の大半と、中田町、米山町、豊里町の一部に分離して分布する。その大
半を占めるのが上部ペルム紀の登米層で、黒色粘板岩を主体としており、玄晶石や登米スレートの原材
料として知られる。なお、東和町米谷付近に分布する錦織層や山崎礫岩層などは、古生代ペルム紀の地
層で、本県最古のものであり、登米市が地質のふるさとといわれるゆえんである。
三畳紀の地層は稲井層群と呼ばれ、その下部層である平磯層・大沢層が登米層の分布域の南部に帯
状に分布し、さらにその南部の津山町一帯は上部層の伊里前層によって広く覆われる。石碑や墓石など
に利用される稲井層群の岩質は、粘板岩や頁岩などで構成されるが、登米層の岩質よりやや弱いスレー
トへき開から成り、砂質がかっているのも特徴である。登米層のものは黒色を示すことから「黒板」、伊里前
層のものは灰色を示すので「白板」と区別することもある。
一方、西部に分布する瀬峰丘陵は、標高 40m 以下の低平な台地で、主に新第三紀鮮新世の瀬峰層な
ど火山起源の堆積岩類からなり、西端部では第四紀の火砕流堆積物からなる台地も見られる。また、JR
石越駅の東側に分布する金鶏山地は、残丘性の火山堆積物で石越安山岩と呼ばれ、涌谷町に分布す
る箟岳安山岩とともに、新第三紀初期の噴出物と考えられている。この石越安山岩は硬質で石材や砕石
などに利用されていたが、現在は採掘されていない。
参考までに、地質時代の年代区分を表Ⅱ-3-1 に示す。
北上山地の森林土壌の母材は大半が中・古生代の頁岩、砂岩、粘板岩から成り、その形状は風化作
用により、角礫状になっていることが多い。
これらを基盤として、山頂部の緩斜面には黒ボク土が薄く堅密な状態で残っているが、既に流亡した箇
所は乾性型の褐色森林土に変わっている。
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表Ⅱ-3-1. 地質時代区分
時代区分
年代(百万年前)
特徴的な生物
完新世
0.01
第四紀
人類
更新世
1.7
鮮新世
5.1
新第三紀
中新世
新生代
24
第三紀
漸新世
38
古第三紀
哺乳類
被子植物
始新世
55
暁新世
65
白亜紀
143
中生代
ジュラ紀
212
爬虫類、アンモナイト
被子植物
三畳紀
247
ペルム紀
289
石炭紀
367
魚類、両生類
シダ植物
デボン紀
416
古生代
シルル紀
446
オルドビス紀
三葉虫、筆虫
509
カンブリア紀
575
日本地質アトラス(地質調査所, 1982)を一部改変
緩斜面の続く斜面上部は、勾配がきつくなり匍行性の堆積様式となり、土壌全体に角礫を含むことが多
くなる。この結果、土壌の理学性は良くなり、養分の浸透も深く、林木の成長に良好な褐色森林土壌が形
成される。さらに下がって山脚部になると、土壌の移動は小さくなり、最終的には安定勾配で崩積する堆
積様式となる。したがって、この箇所では、土壌の理学性の良さに加えて水分量も多く、上部からは絶え
ず養分が供給されて最良の褐色森林土となる。
全体を通じてこの地域の森林土壌は県内で最も生産性の高い部類に入り、特に成長の良いことで知ら
れる津山スギはそれを如実に物語る。
沖積平坦地である迫川低地の土壌型はグライ土、泥炭土の湿田あるいは半湿田が多く、水田土壌の
約 2/3 を占めている。次いで多いのが灰色低地土で、主として自然堤防や河岸段丘上に分布している。
丘陵地の畑土壌は大部分が褐色森林土で一部に黒ボク土が見られ、迫川沿いの畑地は褐色低地土
である。
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(2) 地形分類
北上川の東側は、岩手県から南下する北上山地の西側斜面で、85%が山地および丘陵地で構成され
る。北上山地は、一般に緩やかな隆起準平原状の地形的特徴を示す。地域内の最高地点は、津山町と
石巻市の境界にある翁倉山(532.4m)で、ここから高津森(419.1m)にかけては 400m 以上の稜線が連な
っている。また、登米市北部の岩手県境付近に位置する蚕飼山(418m)は、周囲のなだらかな山地のな
かにあっては、ひときわ威風を呈している。
北上川の西側は対照的に、約 70%は低地で占められおり、西部には築館丘陵の先端に位置する瀬
峰丘陵が迫川に迫っている。瀬峰丘陵の幅広い谷は埋積が遅れ、長沼、伊豆沼、内沼等かつての湛水
部分の名残が見られる。低地は、小起伏によって沖積平野平坦面と自然堤防に区分され、沖積平野平
坦面には、地表形態に旧河道が認められるところがある。また、沖積平野平坦面は、地下にカキの化石を
含む内湾の堆積物が分布していることから、更新世後期から完新世にかけて海面が上昇した際、海底と
して埋積されたと考えられている。
河川は、迫川、夏川が市内の中央部西側を北西から東南に貫流し、北から南に流れる北上川と旧北
上川を介して合流している。北上川は治水のため、江戸期に柳津付近から迫川に付け替えられた。この
時、柳津~飯野川間が遮断されたが、明治期の河川改修工事により追波川に合流され、現在の形となっ
ている。
図Ⅱ-3-1. 地形概要図
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【山地および丘陵地】
① 山地
起伏量 400~600m の山地は、翁倉山(標高 532.4m)周辺と、羽沢峠東 406.9m 地点、弥惣峠東 403.5m
三角点および蚕飼山(418m)に限られ、谷密度は 20~30 と高い。ほかの大部分は起伏量 200~400m の
山地であり、谷密度は 10~15 と低い。
北側の山地は格子状に分割された小山塊をなし、東から西に権現森(310m)、蚕飼山(418m)、高塒山
(280m)などがある。南側の山地は、狐ヶ森(295.9m)、下羽沢東方の三角点(340.4m)、その東方の保呂
羽山(372m)へと続く稜線と、経山(358.6m)、高津森(419.1m)、その東方の 430m 地点、翁倉山(532.4m)
へ続く稜線により、東西に分断されている。
② 山頂部緩斜面
山頂部緩斜面とは、浅い谷で刻まれた小起伏の平坦面を有する山頂を指す。山地は一般に樹枝状に
密に谷が入り込み、尾根から分岐する三脚の頂部は狭いが、山頂部緩斜面では、谷壁は凸型である。羽
沢峠から西方の独立標高点 361m 付近から羽沢峠東 406.9m付近にかけて見られる。
③ 丘陵地
丘陵地の頂部は大部分が丸みを帯びた緩斜面であり、高度は概ね 200m 以下、大峰山や平山牧場周
辺を除くと 120m 以下である。丘陵地は、接峰面では山腹の斜面との間に傾斜の遷緩線(縦断方向に傾
斜が下方にゆるくなるところ)が認められる点が、山地と異なる。
伊豆沼および長沼周辺の瀬峰丘陵、平筒沼北西部の相の山丘陵、岩手県の高倉山地に連なる石越
町の丘陵地は周囲が平坦であるため、景観的にも明瞭に区別できる。
【段丘】
段丘は河川に沿って発達する階段状の地形であり、高位段丘、中位段丘、低位段丘に区分され、低
位段丘はさらに中段と下段に細分される。段丘群の大部分は瀬峰丘陵、高倉山地(石越町)、平筒沼周辺
に分布し、他には南沢川流域の大畑付近と黄牛川沿岸の紙屋敷付近に一部見られる。
【低地】
① 沖積平野平坦面
沖積平野平坦面とは沖積層、すなわち更新世後期~完新世において海面の変動により堆積された平
野であり、迫川・北上川沿岸平野では陸成~海成の堆積物を含んでいる。北上川は、上流の岩手県内で
広い盆地状の低地を通過し、運搬物の大部分を岩手県内に堆積させたあと、宮城県に流入している。こ
のため、本地域においては沿岸に粗粒堆積物は少なく、扇状地は極めて貧弱である。
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② 自然堤防
自然堤防は河川、特に増水時の河川によって運ばれてきた粗粒堆積物が築いた高まりである。沖積平
野平坦面と同様の理由から自然堤防の発達は貧弱である。
③ 旧河道
旧迫川周辺には、流路が変化したために放棄された蛇行する旧河道が地表形態として残されている。
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(3) 地質分類
宮城県の北東部に位置する登米市は、県内有数の面積を持つが、この地域の地質構成は、奥羽脊梁
山脈の東麓から県北の低地帯に至る西部と、北上山地の南端部にあたる東部とに大別される。北上川は
両地域の境界をなす。
東部の地質は、主に中生代から古生代にかけての古い地層からなる。南部北上山地は、日本国内の
中で、中・古生代の地層がもっとも長く連続して見られる地域であるが、本地域はその中で古生代ペルム
紀から中生代三畳紀にかけての地層が、北部から南部に向かって順次新期の地層が露出する分布を示
す。この地域のさらに東部は、気仙沼の大島から北北西に背斜軸を持つ大規模なドーム構造の西翼部を
構成する。この地質構造は、大島造山運動と呼ばれ古生代の地殻変動を記録するものである。この構造
によって形成された地質構造は、その後の地殻変動に伴う西南西-東北東方向の断層によって分断さ
れている。なお、北上山地は、この時代に比較的浅い海の中にあり、地層を堆積させてできたものである。
地層が最初に積み重なったもともとの姿を残していることもあり、この地域は地球の歴史を知る上で大変
重要な場所となっている。
東部地域を構成する主な地層は、下位から順に、古生代ペルム紀の錦織層、天神ノ木層、山崎礫岩
層(薄衣礫岩)、登米層、三畳紀下部にあたる平磯層、大沢層、風越層、伊里前層などである。なお、三
畳紀下部の 4 層は、稲井層群と一括される。
北上川以西の登米市西部の地質は、新生代第三紀・第四紀の新しい地質からなる。西部地域は、西
に次第に高度を増す低い丘陵地が広がり、北上川付近では広大な沖積平野が発達する。丘陵地は主に
新第三紀鮮新世の瀬峰層など火山起源の堆積岩類からなり、地域西端部では第四紀の火砕流堆積物
からなる台地も見られる。低い丘陵地の間を埋積する沖積層は、石巻湾から伊豆沼にかけて広く発達す
る。この沖積平野は、完新世における海進と北上川の支流による氾濫とで形成されたもので、現在も洪水
時などに土砂の供給が続いている。
貫入岩は、東部地区においては花崗岩、ヒン岩などが小規模な岩体として散在し、西部には石越地区
の金鶏山を構成する石越安山岩などの火山岩が点在する。また、第四紀の活動を示すような顕著な活構
造は見られない。
【深成岩】
① 前期白亜紀閃緑岩、大萱沢岩体
市内の北上山地には、中・古生代の地層を貫いて大小様々な分布面積を持って貫入岩類がある。主
に花崗閃緑岩から成り、放射年代測定によって 1.1~1.2 億年の年代値が得られており、貫入時期は白亜
紀前期と見られている。
【半固結~固結堆積物】
① 錦織層
本層は、東和町米谷から楼台を経て登米町銅谷にかけて北上川沿いに分布している。県内で時代的
に最も古い古生代ペルム紀中期の固結堆積物で、天神ノ木層とは整合に重なる。石灰岩を主体としてお
り、砂岩や頁岩を挟有している。フズリナ、サンゴ、コケ虫、腕足貝、三葉虫などが多産する。また、本層中
部層の頁岩からは植物化石がみられ、米谷植物群と呼ばれている。石灰岩のうち、純白種は石灰製造用
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に、その他は砕石に利用されている。
② 天神ノ木層、東深萱層、新田層
古生代ペルム紀中期のもので、東和町天神ノ木付近を模式地とし、東和町米谷から登米町銅谷にか
けて、北上川の左岸部を南北に狭い帯状となって分布する。本層は、砂岩、頁岩およびそれらの互層か
らなり、一部に礫岩、石灰岩が挟在するが、岩相や相厚は変化している。次に述べる山崎礫岩層とは整
合、あるいは一部に指交関係にある。
この層と同じ地質年代に含まれるのが東深萱層と新田層で、東和町高城山南尾根などに小規模に分
布している。
③ 山崎礫岩層(薄衣礫岩)
本層は天神ノ木層の東側で、ともに
南北に帯状に、東和町米谷付近から
登米町山田付近にかけて分布する。
古生代ペルム紀のもので、東和町山
崎付近を模式地としている。本層は、
花崗岩などの深成岩礫、火山岩、変
成岩、砂岩、頁岩など多彩な円礫・
亜円礫からなる薄衣礫岩にほぼ相当
する。その岩塊はコンクリートのように
見える。登米層とは指交関係にある。
写真Ⅱ-3-1. 三滝堂渓谷の山崎礫岩
④ 登米層、大籠層、千松層
登米層は、登米町北沢から皮袋付近を模式地とし、県内のペルム紀の地層の中では最も広い分布を
示す。砂質頁岩、粘板岩を主体とし、礫岩、砂岩を挟在する。上部は剥離性に富む黒色粘板岩で、玄晶
石と呼ばれ、屋根材や敷石などに利用された歴史をもつ。また、しばしば黄鉄鉱の小塊を含んでいる。本
層は、三畳紀の稲井層群平磯層に不整合で覆われる。この層と同じ地質年代に含まれるのが大籠層と
千松層で、千松層は南三陸町および本吉町との行政界にある山地上部に分布する。
⑤ 平磯層、大沢層、風越層、伊里前層
中生代三畳紀下部の稲井層群は、平磯層、大沢層と、風越層、伊里前層と二つの堆積過程からなる。
平磯層は、本吉町平磯を模式地とし、本地域の南部にも広く分布する。礫岩、礫質の砂岩、粗粒~中
粒砂岩を主体とし、一部に石灰岩を交える。登米層とは不整合となって重なっているが、これは古生代と
中生代との間で大地の変動により北上山地が一時陸化したことを示している。大沢層とは整合する。
大沢層は、本吉町大沢付近を模式地とし、本地域の南端部に小規模に分布する。
風越層、伊里前層は、地域南部の小規模なブロックとして分布する。伊里前層の上部は、単調な灰色
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砂質粘板岩からなり、稲井石などの石材として利用されている。
⑥ 中原層
中生代ジュラ紀の時代区分の地質で、津山町翁倉山山頂とその南西方向に部分的に見られる。この
時代区のものは、登米市では本層だけである。本層は、直径 5cm 以下のヒン岩などの円礫からなる礫岩、
および砂岩からなる基底部と、その上位に重なる黒色の砂質頁岩から構成されている。
⑦ 石越安山岩
石越町内に残丘状で分布する新第三紀中新世の火山性岩石で、安山岩熔岩、火山角礫岩等で構成
されている。強度があり、石材や砕石用として採掘されてきたが、現在は中止されている。
⑧ 亀岡層、竜の口層
亀岡層と竜の口層は新第三紀鮮新世の地質にあたり、亀岡層は石越町小谷内にわずかに、竜の口層
は中田町上沼と東和町嵯峨立に小規模に見られる。竜の口層は、仙台市の竜の口渓谷を模式地とする
もので、500 万年前に北上川低地帯に沿って、登米市の平野部もふくめ仙台市から岩手県花巻市付近ま
で海が入り込んでいたときに形成されたものである。海成の竜の口層の下にあるのが、陸成の亀岡層であ
る。礫・砂・粘土・亜炭・凝灰岩などの堆積からなるので、低湿地の状態がしばらく続いた後、海が入り込
んできたと考えられている。
⑨ 瀬峰層
本層は、栗原市瀬峰駅付近を模式地とする新第三紀鮮新世の地質である。市内では、迫町北方一帯
の丘陵および、石越町、南方町、米山町の沖積平野に残丘状に残された小丘陵を構成する。岩相は、凝
灰岩、凝灰質砂岩・同質シルト岩、礫岩の不規則な互層からなり、亜炭層数枚を挟有する。
⑩ 高清水層
本層は、第四紀更新世の陸成の地層で、栗原市高清水を模式地とする。主として、黄褐色~赤褐色の
礫岩から成り、上位に礫質砂岩、粗粒砂岩に移行する。登米市では、迫川左岸側で、迫町北方や米山
町中津山付近の低平な丘陵地に見られる。
⑪ 下山里凝灰岩、荷坂凝灰岩
第四紀更新世の軽石凝灰岩および軽石流凝灰岩からなる堆積物で、噴出源は鬼首カルデラと推定さ
れる。下山里凝灰岩は、市の西部にある東北新生園付近から東方に放射状に派生する丘陵頂部を占め
て分布する。径 10~15cm の軽石亜角礫を多量に含み、膠結部の火山灰の固結度は極めて低い。
荷坂凝灰岩は、下山里凝灰岩の上位の層で、主体が軽石流凝灰岩であるが、その基底には礫層が発
達し、一般に最大礫径 10cm 内外の淘汰の悪い礫層の発達がみられる。
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【未固結堆積物】
① 未区分沖積層
市域のほぼ中央部を占有する扇状地性堆積層で、表層は主に氾濫原堆積層の泥・砂(弾性波速度
0.6~1km/sec)、下層は厚い砂・礫(弾性波速度 1.5~1.8km/sec)で特徴づけられている。
② 段丘堆積物
市域の西部、南方町長者原付近には段丘が見られ、砂・礫(N 値 20~50)を主とした段丘堆積物が載
っている。段丘が扇状地を切ったところでは扇状地の砂、礫を含めて厚さ 10~30cm の砂・礫の分布地に
なっている。
③ 自然堤防堆積物
北上川、迫川などの河川に沿って、自然堤防帯が分布する。この層は砂・礫で構成され、安定した地
盤(N 値 15~20)を形成していて良質地下水の包蔵帯になっている。
④ 旧河道堆積物
南方町、米山町、豊里町の迫川と旧迫川との間に旧河道堆積物が数多く分布する。三日月状となった
その形状から、蛇行の多かった過去の河川の様子を伺い知ることができる。表層ではシルト・粘土で埋積
されているが、その下位には礫および砂が発達している。
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(4) 土壌分類
土壌は、主として 1984~1995 年に実施された国土調査の土地分類基本調査書(宮城県, 1990)を参
考に森林土壌(山地および丘陵地の土壌)と耕地土壌に分けて調査した。
【森林土壌(山地および丘陵地の土壌)】
登米市の中央からやや東側に大河の北上川が北から南へと流れているが、その左岸側は北上山地を
構成する山地帯で東和町、津山町、登米町の一部が含まれる。この地域に広く分布するのが適潤性褐
色森林土壌で、本県でも有数の林業地帯となっている。
森林土壌の性格は、土壌の成因となる地質によって左右される。登米地方から三陸沿岸にかけての地
質はおよそ 6,500 万年~2 億 5,000 万年前の中・古生代の堆積岩で構成されている。岩種は頁岩、粘板
岩(黒色粘板岩を含む)であり、その風化過程は一般に「岩盤⇒岩塊⇒角礫⇒小角礫⇒粘土」となるが、
小角礫から粘土への風化には長い年月を要しているようで、林地の土壌にはこの小角礫が多く含まれお
り、これが空気や透排水性に優れていることから、林木の生育に好影響をもたらしている。
① 褐色森林土壌
この地域に広く分布する褐色森林土壌は、地形的に細分される。斜面上部から尾根筋にかけて弱乾
性の褐色森林土壌(BD(d)型土壌に相当)が分布し、中腹から斜面下部にかけては適潤性褐色森林土壌
(BD 型土壌に相当)、あるいは湿性の褐色森林土壌(BE 型土壌に相当)が分布している。
また、A 層の土色によって赤褐系(5YR 系)と黄褐系(10YR 系)に分けられる。
② 黒ボク土壌
この地域の尾根筋一帯には広範囲に黒ボク土壌がみられ、火山灰の堆積によるもののほかに、以前、
牧野として利用され毎年火入れをして牧草を更新していたものと推察される。一見、火山灰と類似するが、
有機質の構成は植物珪酸体で、その主な供給源はススキやチガヤなどイネ科草本のものが圧倒的であ
る。なお、土壌中には角礫は含まれていない。
③ 淡色黒ボク土壌
黒ボク土壌の中には、火山灰を母
材とするも、形態的特徴としては典型
的な黒ボク土壌より淡色(7.5YR2/3
ないし 10YR3/2)の A 層を有する淡
色黒ボク土壌群も見られる。
写真Ⅱ-3-2. 黒ボク土壌
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【耕地土壌】
北上川左岸側の山地帯に対し、右岸側は主に沖積平野となっており、迫町、登米町の一部、中田町、
豊里町、米山町、石越町、南方町が含まれる。この区域には伊豆沼、内沼、長沼をはじめ大小の湖沼が
点在する。この沖積平野は、旧北上川や旧迫川などの沖積作用により形成されたものであり、多くの自然
堤防地形を残した後背湿地となっている。水田土壌も地形を反映して泥炭土壌、グライ土壌、灰色低地
土壌が複雑に分布している。この地区の水田は、地下水位が高く、低湿な泥炭土壌、あるいは強粘質か
ら砂質にわたる強グライ土壌の水田が広がっている。畑地土壌は津山町の丘陵地帯礫質の畑地が散在
してみられる。耕地土壌は次のように分類される。
① 黒ボク土壌
火山放出物を母材として、あるいは古くからの野焼きに基づく母材の風化と平行して、イネ科植物の有
機物(植物珪酸体)が集積したことによる黒い表層をもつ土壌である。多量の活性のアルミニウムによる特
異な理化学性(腐植含量、C/N、燐酸保持容量、仮比重、塩基飽和度など)を示す。
主要な粘土鉱物が表面積の大きい非晶質のアロフェンであることを特徴とする。燐酸吸収力係数は
1,500 以上で比較的大きく、可給態燐酸は少ない。陽イオン交換容量は大きいが、交換基が pH 存在のア
ロフェンや腐植を主体とするため、塩基の保持力が弱いことに加え、酸性になると CEC(塩基交換容量)
も低下する。このため、石灰、苦土、加里などの塩基類が流亡しやすい。
表土、有効土層は深いものが多い。容積重が小さく、孔隙に富むため保水性・透水性はともに良好で、
緻密度が低く、易耕性に優れている。しかし、軽しょうで受食性が大きいほか、乾燥履歴の少ない下層土
は風化によって可逆的に凝集し、保水力が低下する傾向を示す。
・ 厚層黒ボク土壌
これは腐植質で、堆積様式は風積で畑地として利用されている。これは非アロフェン系とされ、火
山灰に由来するが広く分布することはない。
・ 多湿黒ボク土壌
表層腐植質で、堆積様式は水積、水田として利用されている。火山灰由来であるが、厚層黒ボク
土壌に接し局所的に小面積に分布している。
② 褐色森林土壌
黒褐色の表層を持ち、下層に 30~60cm の礫を含んだ黄褐色の埴土へ移行する。山麓・丘陵地の緩
斜面、台地状の平坦地などに分布し、主に畑地に利用されている。
③ 赤黄色土壌
表層腐植が少なく、A 層下に赤色を呈する土壌と黄色味の強い土壌がある。ともに理学性は不良で、
強酸性で塩基に乏しく、この生成は新生代第四紀更新世の間氷期における亜熱帯の偏湿気候下でなさ
れたものと考えられる。
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④ 褐色低地土壌
沖積低地に分布し、ほぼ全層にわたって灰褐色の土層を呈する。水田あるいは畑地として利用され、
埴土で礫層を伴うものも見られる。中田町では沖積平野にややまとまって現れている。
⑤ 灰色低地土壌
沖積低地に分布し、ほぼ全層が灰色か灰褐色の土層からなる土壌であるが、下層に腐植層が出現す
る場合もある。グライ土にくらべ一般に地下水位は低く、排水はやや不良の場合が多い。大部分は水田
に、一部は畑地として利用されている。本土壌の灰色土層は、当初の堆積物が地下水や灌漑水の影響
によって変成したか、グライ層の酸化により生成したものと考えられる。これらの土層には通常、斑紋やマ
ンガン結核が見られる。
・ 細粒灰色低地土壌
表層腐植層を持たない強粘~粘質の土壌で、水田として利用されている。灰色系は本吉町の谷底
地に小面積で点在し、灰褐系は自然堤防の後背湿地に強グライ土壌や灰色土壌に接してマンガン結
核を伴ってややまとまって出現する。
・ 灰色低地土壌
土性が埴質で、全層がおおむね灰褐色を呈し、沖積平野に分布する。透水性はやや大きく、有効
土層も深く、礫も少ない。
・ 粗粒灰色低地土壌
小河川の沿岸に小規模に分布する水田土壌で、深さ 30cm 内外から未風化礫が出現する。
⑥ グライ土壌
沖積低地に分布し、酸化鉄が地下水により還元された灰色~青色の土壌の中に雲紋状、点状、管状、
結核などさまざまな形の黄~赤の斑紋(グライ層)を生ずる。地下水位の上下により、深さは多様である。
・ 細粒グライ土壌
表層腐植層を持たない細粒質のものが主体で、強粘~粘質の土壌であり、中田町の沖積平野や旧
志津川町・本吉町の狭い谷底低地に出現する。また、自然堤防の後背湿地に灰色土壌に隣接し、や
やまとまって現れる。 透水性は小さく排水改良の必要性が高い。
・ グライ土壌
グライ層出現の位置は深さおおよそ 50cm 以下で東和町や隣接する旧志津川町では谷底平野に小
規模に出現し、半湿田となっているが、養分的には劣る。
・ 粗粒グライ土壌
表層腐植層を持たない砂質の土壌で、強グライ土壌と弱グライ土壌が現れている。両者とも東和町
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の谷底地に散在して分布している。
⑦ 泥炭土壌
これは、湿生植物の遺体に由来する泥炭層が出現する土壌である。ヨシなどが、嫌気性条件下で不十
分な分解から植物組織が識別出来る有機物として年々堆積し、低位泥炭土壌が生成される。堆積様式
や地形などで二種類に分けられる。
・ 低位泥炭土壌
中田町の沖積平野に、作土直下から厚い泥炭層をもつ土壌と下層に泥炭層もつ土壌が隣接して現
れている。
・ 黒泥土壌
下層に厚い泥炭層をもつ黒泥土壌が中田町の低位泥炭土壌に隣接して現れるほか、ややまとまっ
てグライ土壌と接して分布している。また、東和町でも同様の形態で出現する。
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(5) 特異な地形・地質
【地形】
① 古生層山地の独立峰蚕飼山
東和町米川地内にある標高 418.1m の蚕飼山は、北上山地の分水界よりも内側に位置するが、褶曲作
用により地盤が隆起しており、周囲から屹立した孤立峰として眺望が良い。登米市南部の翁倉山
(532.4m)と並んで、北上山地では周囲から一段と高く、脊梁山脈、太平洋、岩手県の室根山(895.4m)など
360 度のパノラマが展望できる。
宝暦年間(1758 年)、この山に自生するヤマグワの葉で蚕を飼ったところ、上質の繭ができたということ
で、蚕の神様を山頂に安置したのがこ
の山の名の由来である。山頂には、三
大権現の石碑が祀られている。山頂周
辺は、市の野鳥の森に指定されており、
あずまや
約 1km の観察路や四阿も作られてい
る。
地域の霊山となっているので、大規
模な開発行為は行われはしないと思わ
れるが、レクレーションや自然学習のた
めの施設の設置にあたっては、景観を
損なうことのないように十分に配慮すべ
きである。
写真Ⅱ-3-3. 蚕飼山山頂を望む
まげふくろ
② 曲 袋 の蛇行地形
延長 249km 北上川の流路の中で、
最大の峡谷が岩手・宮城県境の弧禅
寺峡谷であるとすれば、曲袋は最も大
きく蛇行した場所である。中田町大船
渡の錦桜橋付近から南流する流れは、
同町新小路付近から東和町石倉に向
けて大きく蛇行し、北上する流れとなる。
石倉付近から再度蛇行し同町米谷地
区に至る。川幅約 200m の北上川が、
東西 2.5km、南北 2.5km の平野を S 字
状に屈曲する。その屈曲の最小半径は
1km に満たず、曲袋付近の土地の幅は
250m 程度でしかなく、河川が一旦側方
侵食を強めれば瞬く間に米谷大橋付
写真Ⅱ-3-4. 曲袋(中田町浅水付近)の状態
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近でショートカットされそうである。このような大規模な曲流がここにしか見られないのは、北上山地の隆起
が原因と考えられる。北上山地の隆起以前には、北上川は北海道の石狩川のように河川が大きく蛇行し
ていたが、地盤の隆起のために下方侵食を復活し、山地を穿って流路を維持するようになった。この状態
せんにゅうきょくりゅう
を 穿 入 曲 流 という。特にこの地区は、小規模な盆地のような低地が形成されたために、このような狭隘
な曲流が現れたのであろう。このように、南部北上山地の西端を流れる北上川であるが、起源は弧禅寺峡
谷以北の流路、すなわち北上・奥羽両山塊の地形境界を流れるものと異なっている。
にゅうふう
古文献によると、慶長 10 年(1605 年)、登米に入 封 した登米城主伊達相模宗直が領地開発のため、北
上川を中田町浅水で締切り、東和町米谷へ湾曲させる「相模土手」と呼ばれる堤防工事に着手し、慶長
15 年(1610 年)に完成したとある。しかし、この文献に見られる工事は、おそらく北上川の旧河道を浚渫す
るような工事ではなかったかと推察される。いずれにせよ、曲袋地内には 35ha の農地が耕作されており、
その周囲にはヤナギ河畔林によって取り巻かれている。特異な地形とともに、のどかなこの田園風景を永
長く保存したいものである。
【地質】
① 三滝堂渓谷
東和町の五百峠に源を発し、古生
代の山地を深く削って東へ流れてい
るのが大関川で、その中間部の山間
1.5km の区間が三滝堂渓谷である。
この渓谷は、山崎礫岩(薄衣礫岩)と
呼ばれる本県で最も古い古生代ペル
ム紀の礫岩からなる。南部北上山地
における古生層は概して硬いが、摂
理の発達は激しく粉砕も進んでいる。
しかし、礫岩は多くの場合塊状で、節
理などの発達は乏しい。この三滝堂
一帯は、極めて堅硬な礫岩が露出す
写真Ⅱ-3-5. 三滝堂渓谷にみられる岩塊
るため、河道が狭まり、渓谷が形成されたと考えられる。三滝堂渓谷は、かつて三つの滝がかかっていた
のでそう呼ばれていたが、近年の度重なる洪水で滝は消滅し、垂直に立つ岩壁と奇岩、巨石がごろごろ
する急流に変わっている。渓谷は、弁天様を祭る弁天島、六畳ほどの広さの畳石、つるの絡まる屏風岩な
どの名所をつくり、「みやぎの自然 100 選」の地にもなっている。渓谷の上流に広い河畔があり、野外キャ
ンプ、水遊び、芋煮会などの場所として「三滝堂ふれあい広場」が整備されている。
この三滝堂渓谷に限らず、特異な地形・地質は長い地史的な営みの中で行われてきた侵食や堆積、
地殻変動、火山活動などによって形成された郷土の資産である。このふるさとの歴史の証人ともいうべき
資源は、同時にレクレーション資源としても価値が高い。レクレーション利用はどうしても人を集中させてし
まう。ここに保全と利用の調和をいかにしていくかが重要な課題として浮上する。
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② 北沢玄晶石採取跡地
登米町の中心市街から東に 3.5km
ほど入った北沢地区一帯は、古生代
ペルム紀上部の登米層最上部にあ
たる剥離性の高い黒色粘板岩が広く
露出する。この粘板岩は、時に細粒
の黄鉄鉱を含む極めて細粒の泥岩
に由来する緻密な粘板岩で剥離性
が高く、長年陽に曝されていても褪
色が少ないなど建材として優れてい
る。このため、古くから屋根材や敷石
などに利用され、日本の代表的な建
築物にも用いられた。旧東京駅や高
写真Ⅱ-3-6. 玄晶石のズリ
輪プリンスホテルの屋根材も登米産
のスレートである。しかし、殷賑を極めたスレート工業は、昭和 40 年頃からの建築様式の変化や、代替品
の進出により需要は激減し、現在は、玄晶石の名により床張材や外装材の加工に限られ、北沢地区での
採掘は行われていない。
北沢地区の上手から入る林道ナタトギノ線の沿線に、年間 5 万坪ものスレートが生産されていた時代の
採掘跡がある。また、渓流沿いにはズリ材を上手に組み合わせて城郭のように築いた土畳も残されており、
これらは地域産業の振興に寄与してきた文化遺産として大切に保存するべきである。
写真Ⅱ-3-7. 石垣として利用されたスレート
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③ 羽沢川渓谷
登米町の羽沢峠に源を持つ羽沢川は、古生代ペルム紀上部の登米層と呼ばれる堆積岩地帯に渓谷
をつくり西に向かって流れている。この中流部は、昭和 62 年に朝日新聞社の「みやぎの自然 100 選」に取
り上げられた景勝の地である。この渓谷には、硬質の頁岩や砂岩の巨石が積み重なり、渓岸にはケヤキ、
イヌシデ、イタヤカエデなどの自然林が分布し、新緑、黄紅葉の季節は見事である。また、この水系には
スギの適地が多く、手入れの行き届いた県有林や地元共有林の美林も見られる。一方、この渓谷にはさ
や は ぎ
まざまな伝説も残されている。この渓谷の右岸部高屋敷に、昔矢矧長者という富豪の家があった。その美
しい娘が、羽沢川でヤマメを捕って食べたところ大蛇に変身したので、川の澱みに身を投じた。その渕を
地元では蛇渕と呼んで娘の供養塔が建てられている。また、下流部にある畳石は、登米と志津川とを行き
来する旅人が、美しい渓流を眺める縁台としてこの石に座って一休みしたといわれている。そのほか、金
山の採掘跡などもあっていろいろな伝承を秘めた渓谷でもある。
長い間周辺採石場から発生する粉塵により、渓谷の美観が損なわれてきたが、最近に至り地域住民の
努力によりそれも解消された。今後も美しい自然を守るために地域の協力が必要である。
写真Ⅱ-3-8. 羽沢渓谷と畳石
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