J apanese tex t 2011年 秋/冬号 日本語編 インタビュー 女採集」から約 100 点、 それ以外の作品が約 100 点。衣装、 イラストレーション、映像なども一堂に集められ “ あさみワー アーティスト・インタビュー ルド ” が出現する。 美女たちを動植物に見立てて採集する、見立てのインス 清川あさみ ピレーションはどこから湧くのかと問うと「彼女の映像を 10 ―美と神秘に魅せられ、採集する 分くらい見てキーワードを書き出していると、アイディアが 撮影=藤本賢一 取材=白坂ゆり 文=松丸亜希子 浮かびます」 。では、あなた自身を見立てるならという質問 p.115 には、「アリかな」という答え。仕留めた獲物を小柄な体で 美しいものをモノにしたいという欲求の赴くまま、目に飛び せっせと運ぶ、採集家・清川あさみのイメージが浮かんだ。 込んできた美女たちを狙っては、嬉々として針と糸で採集す 彼女のコレクションを拝みに水戸に足を延ばそう。 る清川あさみ。少年が夢中になる昆虫採集のように、自身 が撮った写真に針を刺して刺繍を施し、ビーズやスパンコー 清川あさみ 美女採集 ルを縫い付けた「美女採集」で知られるアーティストだ。き 11 月 3 日〜 2012 年 1 月 22 日 らきらした素材のテクスチャーが際立った華やかさと可愛ら しさの奥に潜む、 妖艶さと残酷さが透けて見える耽美な作 ■水戸芸術館現代美術ギャラリー 茨城県水戸市五軒町 1-6-8 http://arttowermito.or.jp 品に多くの人が魅了される。 ビーズなどの素材が入った瓶が並ぶ、実験室のようなアト (写真) リエを訪ねた。1979 年生まれの清川は、文化服装学院在 「美女採集」と絶滅危惧種を掛け合わせた新作「4つの場所」 学中にファッション誌のモデルとしてスカウトされ、モデル モデル:真木よう子 ©Asami Kiyokawa 活動と並行してアート活動を始めた。なぜターゲットは女性 なのか。「女性って本当に怖い。身体の変化も含め、 怖い までの不思議さに惹かれます。こんなに採集しているのに 得体が知れない。それが魅力。保存して未来に残したい」 と語り、「制作に際し、作品のモデルとは相談しません。採 畠山直哉 ―写真が語る自然の物語 撮影=沼知理枝子 取材・構成=白坂ゆり 集したいときに私が捕まえるだけ」と笑う。動植物を箱に入 p.116 れたり、ホルマリン漬けにしてきれいに並べたりする標本感 登山風景のような「テリル」と題された写真。それは自然 覚だという。現在の獲物は日本人がメインだが、映画好き の山ではなく、人為的にできた山である。現在は産業遺跡 という彼女は海外の女優にも興味津々だ。 となっている、フランスの鉱山跡地のぼた山を写したものだ。 6 月に発行された絵本『もうひとつの場所』には、約 230 また、洞窟のような「シエル・トンべ」 (フランス語で「崩落 の絶滅・絶滅危惧種の生物をモチーフにした作品が並ぶ。 した天井」の意)は、パリ東端のヴァンセンヌの森にある地 途絶えた種に息を吹き込み、彼らにとってより楽しい桃源郷 下採掘場跡を撮ったものである。 に蘇生させる行為にはどこか切なさが漂い、社会的なメッ 1985 年に石灰岩の採掘場を撮影して以来、自然や都市 セージも感じる。 の建造物を対象に、人々があまり気に留めない光景を「風景」 11 月から始まる水戸芸術館での展覧会は、美術館規模で として切り取ってきた写真家の畠山直哉。10 月からの個展 の初個展。展覧会タイトルにもなっているライフワーク「美 では「自然」をテーマにするという。7 月、一足先にその構 Copyright - Sekai Bunka Publishing Inc. All rights reserved. Reproduction in whole or in part without permission is prohibited. Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ インタビュー ] 1 想をうかがった。 いわゆるネイチャー・フォトや自身の人生をさらす私写真を 「展覧会名は『ナチュラル・ストーリーズ』と名付けました。 ナイーブなものとして避けてきた。 僕の写真には鉱物や岩石を扱ったものが多いので、美術館 「写真とは何かと考えたとき、自然の法則に乗っ取った出来 よりも自然史博物館(ナチュラル・ヒストリー・ミュージアム) 事の現れを写真と考えることもできます。写真そのものが自 で扱っているものに近いのかなと思っていました。『ヒスト 然ともいえる。だとしたら、レンズのこちら側にある自然、 リー』と『ストーリー』は語源が同じ。ならば、時系列的な つまりフィルムや印画紙、撮っている人間の本性についても 自然『史』より、時間的・空間的な広がりを持つ自然『誌』 見極めないとならないはずなのに、そのように省察された として、僕なりの自然に関するおはなしを展開させようと思っ 私写真をほとんど見たことがありません。『ネイチャー』とは たのです」 本性、どうしてもそうしてしまう性のことを意味します」。そ 人間も動物のように、自然から資源を採取し、生きる場 う言って、『クライング・ゲーム』という映画に出てくる、カ 所を構築しなければ生きていけない。そのため、人間は自 エルの背に乗って川を渡ろうとしたサソリの例え話を教えて 然とできるだけ安定した関係を保とうと試行錯誤を繰り返 くれた。サソリは途中でカエルを刺してしまい、溺れるとわ し、一方で自然は人間に統制されることなく超然と変化し続 かっているのになぜ刺すのかとカエルが問うと、サソリはこ けている。3 月 11 日の東日本大震災をはじめ、地球上で頻 う答える。「It’s in my nature(それが僕の性だから) 」 発している自然災害にどう対処して生きていけばいいのか。 また、例えば被写体に恋してしまうことがあるように、写 さが 神話や宗教はとうに効力を失い、近代科学は見直しを迫ら 真には映像と現実の境目を曖昧にする魔力がある。「制御で れている。芸術や文学に何ができるのかも問われている。 きない暴れ馬のような力だから、これに身をまかせて巻き起 「差し迫った状況で、求められているのは答えかもしれませ こる感情こそが写真体験だと思い込む人も多い。それを芸 ん。けれど、容易に結論が出せないことは深く考えて、その 術と呼んでも間違いではないけれど、大人のふるまいでは 歩みのなかから納得できる時間そのものを生み出していくし ないんです。大波乱の人生を送らないと写真が撮れないな かない。はやる気持ちはわかりますが、結論を急いで端折 んてことはない。教育や啓蒙によって、写真は誰にでも開 るのではなく、そこに向かうプロセスにおける時間こそが大 かれる民主的なものだと思います」 事だと思います」 歴史では掬い取れない、と同時に、個人の人生をも超え 畠山が、小説家のフィリップ・フォレストに宛てた手紙にこ て圧倒的に存在する写真。それらを見る私たちが言葉を生 んな一節がある。「風景は、そこに実体として存在していた み出すとき、自然と人間の新しい物語が転がり出すだろう。 ものではなく、僕たちが詩を詠んだり、写真を撮ったりする ことによって初めて、僕たちの眼前に価値ある姿として現れ 畠山直哉展 ナチュラル・ストーリーズ てくる」 。それは自然との間に物語を生み出すこと。それが一 10 月 1 日〜 12 月 4 日 方的だとしても、自然に対して働きかけ続けなければならな い。「この真っ暗な世界で、言葉と写真を灯火のようにして、 ■東京都写真美術館 東京都目黒区三田 1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内 www.syabi.com 次の一歩を踏み出さなければならない」とも綴っている。 「自然とは何か、写真を通じてもう一度考えてみたい」と語 (p.116 右下)ア・バード、ブラスト #130 2006 年 る畠山は、本展で初めてパーソナルな写真を発表すること (p.117)右上・テリル# 2607 2010 年 に決めた。津波によって破壊された郷里である岩手県陸前 高田市の光景や、震災前に撮っていた人物写真。 これまでは、 左下・シエル・トンべ #4414 2007 年 右下・陸前高田市気仙町長部 2011 年 4 月 4 日 Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ インタビュー ] 2
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