宗教間対話の諸問題―事実と虚構の分離

科学研究費補助金基盤研究(A)
東京国際大学国際交流研究所
宗教間対話の諸問題―事実と虚構の分離
サミール・ヌーハ
同志社大学神学研究科客員教授
samirnouh@hotmail.com
ムスリム(イスラーム教徒)の学者として、私はイスラームに関する一般的な固定観念
や誤解などを検討し、その過程でこれがグローバル時代における宗教的な多様性の理解を
高めることにつながると信じ、事実を虚構から分離して考えたいと思います。
最初に、皆さんご存知の、猪瀬氏(東京都知事)によるイスラームについての発言に焦
点をあてます。また、ボストン爆発事件とアルジェリアのテロについてお話します。これ
は、東京都知事のイスラームに関する発言の背景と、ボストンおよびアルジェリアでの事
件の原因を明らかにしようとするものです。最後に、宗教間対話がいかにしてムスリムば
かりでなく世界中のすべての人々に役立つかを説明しようと思います。
1. 猪瀬氏のイスラームに関する発言
4 月 26 日のニューヨーク・タイムズで掲載されたインタビュー記事において、猪瀬直樹
東京都知事は、トルコなどのイスラーム諸国に対して、
「彼らが共有しているものはアラー
だけで、お互いに争いばかりしており、階級が存在している」と述べました。記事が掲載
されたあと、日本語は翻訳しようのない独特な言語であると主張することで内容を撤回し
ようとしました。しかし、ニューヨーク・タイムズ側は、インタビューを行った 2 名の記
者は日本語に精通しており、しかも知事には通訳者が随行していたと答えました。その後、
猪瀬氏は謝罪しました!1
元ジャーナリストで、歴史家そして評論家である猪瀬氏は、前
都知事の石原慎太郎氏よりも穏健派であると考えられていました。私に言わせれば、猪瀬
氏には罪はありません!彼がニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで述べたことは、
ずいぶん昔にイスラームについて学んだことだったのです。先月、私が所属する大学の学
生に「あなたはイスラームについて何を知っていますか?」と尋ねました。彼は「ムスリ
ムは特殊な短刀あるいは一種の剣を持っています。それがすべてです!」と答えました。
この解答は、私に戦後すぐの日本を連想させました。戦後の日本の当局は、サウジアラビ
アのマッカへ渡航することは困難なため、シンガポールでメッカ巡礼をさせることでムス
リムを支援すべく、カアバを建設する意図を持っていたのです。そして、日本の学者が当
時、その問題(カアバ神殿はサウジアラビアのマッカにしか存在しないこと)について説
1
明をしなかったならば、こんにち、我々は日本製カアバを見たかもしれないのです!
日本国内外でイスラームを解説するなかで、日本の学者が素晴らしい役割を果たしてい
たことを示す別の例は、数多く存在します。石油危機のときのように、政治的あるいは経
済的な必要性が生じた場合、日本の官僚や政治家はイスラームやイスラーム諸国を気にか
けます。日本と中東との関係についての歴史のなかに、多くの前例を見ることができます。
たとえば「日本・ムスリム対話」を提唱した元外相の河野洋平氏はよい例です。2
残念な
ことに、10 年間つづいた「日本・ムスリム対話(のちに「未来対話」)
」は昨年(2012 年)
3
12 月に終了してしまいました。
日本の学者が国内外のイスラームおよびイスラーム文化
を説明すべく、こんにち果たしている役割を、私は評価しています。
2. ボストン・マラソン爆発事件
ここからは、アメリカでの出来事についてお話します。一人のエジプト系アメリカ人、
彼はサンディエゴで育ち、中学校でイスラームの歴史を学んだなかで経験したことについ
て書き記しました。
「先生はあるスライドを示しましたがそれはラクダの写真でした」。そ
のスライドには「ムスリムは、神が 99 もの名称をもつと信じている。ただラクダだけはそ
の 100 番目の名前を知っている」と書かれていました。4 エジプト系アメリカ人の彼は、
さらに以下のように記しています。
「学生たちは、困惑した表情で私の方を向いたが、私も
また、困惑していました。私も以前にこのようなことを聞いたことがなく、そのような話
に関していかなる信念をも持っていないことを彼らに伝えましたが、そのまま授業は進行
していきました。私は、自分の信仰が好きではなかったし、信者の人々は、奇妙で不合理
なものとして描写されていました。この発表は教員が用意したものではなかったのですが、
むしろ、教員のために準備されたものでありました。これは、イスラームがどのように教
えられているか、ということを示しています。」
4 月 15 日のボストン・マラソン爆発事件では、3 名が死亡し、ゴール・ライン付近にい
た 260 名以上の人々が負傷しました。
タメルラン・ツァルナエフ(Taimurlang Tsarnaev,26 歳)と、その弟ジョハル・ツァ
ルナエフ(Jouhar Tsarnaev,19 歳)は、約 10 年前にロシアからアメリカへ移住したチェ
チェン人でした。爆発事件の後、警察当局によって、タメルランは射殺され、ジョハルは
逮捕されました。ニュースでは、アメリカ政府には、ツァルナエフ兄弟のアルカイダやそ
れに関連する組織とのつながりを証明する必要があると、報道されました。しかし、捜査
当局は、ツァルナエフ兄弟が単独で行動し、あるイスラム・テロ組織とのつながりはなか
ったと述べています。
オバマ大統領は「我々は誰がやったか知っている、我々は理由を知りたいのだ」と述べ
ました。ツァルナエフ兄弟の母は「息子たちは無実である」と述べ、アメリカへ移住した
ことを後悔していました。彼女は、息子たちを、アメリカへ行かせるよりも、山奥の遠く
離れた村へ送り出すことのほうが、彼らにとって良かったと述べました。
「なぜ、タメルラ
2
ンとその弟は、モスクワでなくボストンを選択したのか?」と、誰かが質問するかもしれ
ません。彼らはチェチェン系の民族であり、ウラジミール・プーチンがグロズヌイ Grozny
とその近郊を一掃してきたことを知っています。それ以前に、スターリンがすべてのチェ
チェン人に対して国外への強制移住政策をとっていたことも知っているのです。ボスト
ン・マラソンは、彼らにとって何か特別なことを意味するのでしょうか?その答えは、単
純ではありません。
ジョハルは 9 歳のころ、
その兄は 16 歳のころアメリカへ移住しました。
周囲の人々は彼らを理解できず、そして、彼らを社会から切り離していきました。彼らが
「ムスリム」であり、アルカイダやその関連組織に結びついているかもしれないという理
由で、警察当局はたえず彼らを監視していました。過去 4 年間、25 の州において、43 回も
の銃乱射事件が発生しているようななかで、
彼らは 10 年間アメリカで生活していたのです。
5
私は、アメリカにおける暴力や犯罪の発生率を持ち出したくはありませんが、ツァルナ
エフ兄弟はアメリカ社会の犠牲者であったと言いたいのです。ここで、昨年 12 月に発生し
たサンディフック小学校銃乱射事件が思い起こされます。アメリカ合衆国国土安全保障省
は、1999 年以来、銃乱射事件の発生について、それを引き起こした容疑者のプロフィール
から判断する分析方法を実用化しました。容疑者の特徴は、若い男性で単独行動をする傾
向にあり、そのため、このような事実と、アメリカの学校でのイスラームについての教え
方と、ムスリムに対する偏見とを結びつけるとするならば、先述した問題への回答を得る
ことができるかもしれません。
アメリカでは、以前に起こった事件よりも現在の事件のほうが、より暴力的であると言
わざるを得ません。アメリカの暴力行為は、新しい形態をとっているようにみえます。凶
悪犯罪は、様々な方法で、あらゆる年齢層、あらゆる民族グループ、そしてあらゆる人々
に影響を及ぼす、一種の伝染病になっています。
毎年、何千人ものアメリカ人が銃による暴力で亡くなっています。ボストン・マラソン
爆発事件の同日、11 人のアメリカ人が銃によって殺害されました。アメリカ人は一見する
と、偶発的な、あるいは説明のつけられない暴力に対して過度の恐怖感を抱き、それらを
「他人」
、たとえば聖戦士、テロリスト、そして悪人などのせいにしてしまいます。しかし、
平均して毎日、14 人のアメリカ人を殺害することは、これは自由に対する代償として、ま
さに生活の一部として受け入れられているのです。6
ボストン・マラソン爆発事件と日本:
日本のメディアは、事件を幾つかの論評で報道しました。私は、著名な日本の作家、村
上春樹氏によって送られた、爆発事件の犠牲者に対する「個人的なメッセージ」に惹かれ
ました。彼自身、縁のある大会の一つであるボストン・マラソンへのテロによって、傷つ
けられたと感じていました。村上氏は、著書『アンダーグラウンド』において行われた、
地下鉄サリン事件(1995 年)での被害者やその遺族などへのインタビューをしたときを思
3
い出したのです。私は、なぜ村上氏が 1995 年のオウム真理教によるテロを 2013 年のボス
トン・マラソン爆発事件と結びつけたのか、その理由を知りたいと思います。7
3. アルジェリアのテロ:イナメナス天然ガスプラント占拠事件
1 月のアルジェリアの天然ガスプラントへの破壊的な攻撃と人質の大量殺戮は、西側諸国
で「アラブの春」が過激論者にとってのスローガンとなってしまったとする懸念を生みま
した。中東や北アフリカなどでの戦闘に参加していた何百もの西洋人はその後、外国にあ
る武力集団に、あるいは母国にあるテロ集団に参加している可能性があります。
イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織は、攻撃に対する責任を否定していますが、
ムスリムの地からフランス軍が撤退するまで、フランス国内外の利益とフランス国民を標
的にするように、すべてのムスリムへ呼びかけています。武装グループは、マリ北部の武
装勢力を襲撃するために、フランス戦闘機用の空域を設置したアルジェリアに対する報復
として、このプラントを攻撃したもので、そのため、この事件はマリへのフランス軍介入
という明らかな関連性があるのです。
アフリカのなかでのフランスの存在感は、戦略的に重要です。フランスとしては、アフ
リカ北部や西部の国々の資源が必要なのですが、その理由は、アフリカからの供給能力の
欠陥がおこれば、フランスの脆弱な経済に多大なる損害を与える可能性があるためです。
フランスの政策や戦略上大きな役割を果たすアフリカ北部や西部の国々において、フラン
スは強固な管理を余儀なくされています。フランスはアフリカ諸国を占領した経緯があり、
その後撤退したものの、以下のように、これらの国からの資源を分類したのです。
モロッコからは、果物、野菜、リン酸、コートジボワールからはココア、ギニアビサウ・
マリ・アフリカ大湖沼からは、金、貴金、ニジェールからはウラン、アルジェリア・ナイ
ジェリアからは石油、チュニジアからは繊維製品などの第 2 次産業、モーリタニアからは
漁業、有毒廃棄物処理、セネガル・チャドからはフランス軍の兵士調達、などです。8
アルジェリアでは、たいてい、極秘裏に軍事演習が行われ、その詳細については後日発
表されることもありますが、時には公表されません。天然ガス施設への政府の特殊部隊の
突入は、多くの国々から批判されることとなりましたが、アルジェリア当局は、過激派が
武器購入に身代金を当てる目的で人質とともに逃走するのを阻止するために、政府の特殊
部隊は天然ガス施設を奇襲したと発表しました。しかし、ジェレミー・キーナン氏(Jeremy
Keenan,ロンドン大学東洋・アフリカ研究学院)は、テロリストとアルジェリア治安部隊
との一種の関係を疑っています。9
アルジェリアの人々は長い間、フランスの占領下で生活してきました。そして、自国を
解放するために、彼らは 100 万人以上の殉教者をだして、ようやく独立を勝ち得たという
ことが知られています。独立後、アルジェリア政府は、人々が政治的・社会的な役割を行
使できないように、また独自の文化でさえ再建できないように、独裁的な政治を強いてき
ました。イスラーム主義者が地方選挙で勝利したとき、欧米諸国からアルジェリアは原理
4
主義や過激派などと非難されました。欧米諸国からの働きかけよって、軍は選挙結果を取
り消しました。さらに、イスラーム諸組織は禁止され、その指導者らは逮捕されました。
欧米諸国は、軍事独裁政権の行動は非難せずに、イスラーム運動については糾弾したので
す。アルジェリアあるいは他のイスラーム国の人々の反発を非難することが、この国にお
けるあらゆる問題の解決につながるのでしょうか?行動自体を非難せずに、反発だけを糾
弾することは、一種の過激主義です。これは、どのような場合であれ、いかなる形におい
ても原理主義の問題を解決しないのです。一般的に、アルジェリアでの事件から離れて考
えても、その実態からではなく、過激主義的な宗教団体に所属しているというだけで、過
激主義者に分類されるということは、たとえばキリスト教、ユダヤ教、仏教、あるいはヒ
ンズー教における過激主義は受け入れられるが、ムスリム過激主義の反発は拒否される、
そのような区別は、いかなる状況においても過激主義と原理主義の問題の解決にはならず、
むしろ、その問題をさらに複雑にしてしまのです。
「心理」と「論理」は、我々に対して、
その反発に取り組むことができるように、前向きに行動することを促すものです。その解
決策としては、イスラーム運動のメンバーを撲滅させるために軍部に働きかけることでは
なく、この活動に対する軍事的弾圧に終止符を打つことであり、人びとに対話の機会を与
え、真の民主主義を導入すべく、大多数の人民の意見を尊重することであります。欧米諸
国においては、このような出来事について、歴史の終焉や文明の衝突として、正当化され
ています。経済体系としての資本主義のフレームワークの外側に、さまざまな国々や人々、
文化や諸文明の存在があることを否定して、
「歴史の終焉」の名のもとに原理主義を説明し、
それを正当化した人々もいますが、あるいは「文明の衝突」の名のもとで、西洋文明のみ
が他の文明の規範であるということを主張したものもいます。
4.
宗教間対話と新しいオリエンタリズム
オリエンタリズム(東洋学)とは、西側と東側との関係を特徴づける優れた知的現象の
一つでありました。オリエンタリズムには、長所と短所の両面があります。例えば以下の
ようなものです。10
・イスラーム神学に西洋の教会法を当てはめようとする問題と、イスラームは(キリスト
教の)異端であり、イスラーム法(シャリーア)は、ローマ法(教会法)のアラブ的な
表現であると説明すること。
・ムスリムの分派と教義の規模が拡大し、ムスリム諸国の人々の間に民族主義が蔓延し、
その結果、イスラーム世界に紛争を引き起こしたこと。
・イスラーム法シャリーアを切り離し、西洋的な法律を設定するという法律の世俗化と、
ムスリムの知識階級や政治的集団に世俗主義を広めたこと。
イスラームを構築する現代の東洋学者には、
(独裁的、保守的、未発達、原始的、非合理
的、不可思議であった)以前の思想について大幅な改善をみられます。このような偏見の
いくつかは、いまでも、欧米のメディアにおいて日常的に見受けられますが、一方で、イ
5
スラームと西側諸国との歴史において、オリエンタリズムの重要な役割が果たされていま
せん。イスラームへの接近方法の新たな様態は、つまり、対話や批判的な理解、そして対
立や排除へと多岐にわたっており、さまざまな形式や領域で現れています。現在、暴力や
闘争をイスラームの特徴であるとみなすという強力なイメージが持たれています。したが
って、イスラームに関する現状の認識に関して、宗教的な暴力の問題に対処することが必
要となってきます。ここ数十年間、多くの学者や政策立案者、そしていわゆる専門家まで
もが、イスラームは宗教的な暴力やテロを助長したり、生み出したりする唯一の宗教であ
ると、たびたび主張してきています。
過去 2 世紀ものあいだ、イスラーム世界が歩んできた遠い道のりは、植民地政策の遺産
に注意を払わないなら、決して正しく理解されないことに留意しなければなりません。そ
の対応には、イスラーム世界が 2 つの主要な結果を残すことになった、相互に異なる方法
があります。その一つは、ムスリムが西洋を、植民地主義権力と世俗的な文明として認識
するのに大きな影響を与えたということであり、そのため、イスラーム世界では植民地時
代の記憶がいまだに残っており、反欧米感情が生み出されているのです。近代西洋文明の
世俗的な性格は、世界のどの地域よりも信仰が厚く、伝統を重んじるイスラーム世界に重
大な脅威を与えるものとして理解されています。イスラームの名の下で犯される暴力的な
行動が大多数のムスリムによって拒絶されているにもかかわらず、西側諸国への戦闘的脅
威としてのイスラームのイメージを強化するために、明らかに暴力的な事例が用いられて
います。中世の時代から何世紀にもわたってイスラームの研究が妨げられてきたせいで、
イスラームに関する認識不足が、こんにちまで続いているのです。11
過去 5 年間における、イスラームに向けた西側諸国の重大な行動について見てみましょ
う:2006 年、バチカンのローマ教皇は、ヨーロッパが 21 世紀においてダール・アルイス
ラーム(イスラームの家)の一部となるかもしれないという懸念を表明しました。結果的
に、2009 年 5 月、
「ヨーロッパのイスラーム化に反対」というスローガンのもと、ヨーロ
ッパの参政権運動が活発になり、幾つかの集会も開催されました。2009 年 11 月 29 日、こ
の日は、スイスで行われた、モスクのミナレット建設の禁止に向けた国民投票日でした。
また、2009 年 12 月 3 日、フランスでは、ミナレット建設に対する反対票が 48%、またモ
スク建設に対するそれは 41%でした。さらに、2010 年 5 月には、フランスでベールの着用
が禁止されました。ちなみに、公的な教育機関や政府機関でのスカーフ着用はすでに禁じ
られています。同月、デンマークでは、預言者ムハンマドの風刺画の新たなコンテストが
開催されました。2010 年 9 月 11 日には、アメリカの教会の一つが国際クルアーン(コー
ラン)焼却日なるものを計画していました。2010 年 10 月には、シオニスト入植者はクル
アーンのコピーとともにヨルダン川西岸のモスクの焼却を続けました。同年、イスラエル
は、ユネスコによる反対があったにもかかわらず、ベツレヘムのビラル・モスクとヘブロ
ン市にある古代ユダヤ族長らの墓を含む多くのイスラームの聖地に、ユダヤ教の遺産を併
合しました。2010 年 11 月には、イスラエルはネゲブの村のモスクを、同月、ヨルダン渓
6
谷のパレスチナ人の村を破壊しました。また、アメリカによるイラク占拠の話はよく知ら
れています。8 年もの占領期間のあいだに、イラク国家は破壊され、セクト主義(抗争主義)
や人種差別主義が助長され、科学者、専門家そしてイスラーム法学者(ウラマー)追い詰
められ殺害されることで、国としての社会構造は引き千切られました。一つの例をあげれ
ば、アメリカは、広島や長崎で使用された原子爆弾よりも悪質な、国際的に禁止された核
兵器を用いて、ファルージャ市内 70 軒のモスクのうち 40 軒を破壊しました。イラクにお
けるアメリカの戦争の惨事は、21 世紀の悲劇的な事件です。イラク難民は、1000 万人、あ
るいは総人口の 3 分の 1 に及んでいる。アフガニスタンにおける戦争の話もよく知られて
います。アメリカは、アメリカ史上最も長い戦争を経て、アフガニスタンから軍を撤退し
はじめました。これまでのところ、長期の戦闘によって費やされた費用は 6,000 億ドルに
のぼり、アメリカ軍兵士のうち 18,462 名もの負傷者を、そして 2,205 名もの死亡者をだし
ています。アフガニスタン市民も 16,725 人が死亡しました。
対テロ戦争の時代に、宗教間対話の呼びかけは花開き、実りあるものになりうるでしょ
うか?アメリカや西欧諸国では、イスラームやムスリムが標的となり、左翼リベラル派の
政治家や政治評論家はヨーロッパでのムスリムの存在について強い不安を表明しています。
その政治家や評論家は、9・11 テロ、フランス市民の不安、ロンドン爆破事件、そしてデン
マークの風刺画などを「文明の衝突」の証拠として受け取っているのです。12
イスラーム諸国は文明間の対話や宗教間対話を求めていますが、その一方でアメリカや
西側諸国は、いわゆるイスラーム恐怖症を作り上げ、文明の衝突を訴えています。一般に、
宗教間対話はさまざまな宗教や文化を理解するために不可欠なことであり、そして、あら
ゆる人々の協力を強めるために必要なものです。このような対話において、私達は、私達
を一つにするものについて考えるべきであり、最も重要なことは、私達を結びつけるもの、
すべての宗教の礎を示すもの、すなわち神への信仰と、寛大な価値観や道徳観に注目する
ことです。過激主義を助長する組織からの影響や、過激派によってもたらされる世界の平
和や安定に対する脅威に対峙するべく、対話は、さまざまな民族・文化・文明のあいだで
の相互の理解や尊敬、そして共通の価値観を強めるために、寛容、自由、開放という考え
方に基づくべきであります。
宗教間対話や文明間対話は、国際的に必要不可欠なものとなってきています。安全確保
の実現、人々や国々の共存、そして紛争や戦争の回避を期待して、さまざまな機関で検討
されています。しかし、対話への参加に前向きな人の一部には、協調できる組織を持ちあ
わせていないことに注意しなければなりません。イスラームや他宗教の関連機関は、対話
が成果をもたらし、人類のためのより安全な未来を描けるように、彼らの努力に協力すべ
きです。ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒、そして他宗教・多文化圏の人々の間での
共通の立場を見出すことは、単に、選ばれた指導者の間での礼儀正しい対話だけではあり
ません。政治家や政策立案者も宗教間対話にかかわるべきであり、私達は立場の違いを受
け入れるべきです。そして、私達の相違点が強い憎しみを引き起こしてはならないのです。
7
私達は、正義と善意のもと互いに共生するべきであり、互いを尊重し合い、公平に、公正
に、そして思いやりをもち、偽りのない平和で調和のとれた相互の善意にあふれた環境で
いきるべきです。世界は宗教的な価値観を必要としており、文明の進歩を導くための共通
の価値観を提示することが宗教指導者、学者そして政治家の義務です。
グローバル化時代において、宗教間対話はそれぞれの文化が豊かになるように恩恵をう
けるという相互的なプロセスでなければなりません。この点に関しては、イスラーム文化
には提案できる多くの利点があります。たとえば、彼らがいかに密接にかかわっていたと
しても、人は、他者の行為の責任を負わない、という原則があります。この原則の普遍的
な妥当性は、ある物事に対して、その国の政府との利害関係にある別の勢力による、その
国の市民への制裁や処罰をやめる、ということになるでしょう。もう一つの原則は、2 つの
異なる基準で一つのものを評価することを禁じるというものです。この普遍的な原則の採
用は、人権とは常に、どのような地域においても、あらゆる人々に対して同等であり、一
部の国々を攻撃するための武器などとして用いられるものではないことを意味しています。
このことは、また、人間の生命が同等の価値を有していることを意味しているでしょう。
それは、誰もが、罪のない市民の大量殺戮をしている一方で、少数の人々の死を嘆いてい
ることなど、決して許されることではないということを示しています。狂信者や精神障害
者、あるいは人種差別主義国家によって犯される暴力であっても、暴力そのものを阻止す
るための努力を意味しています。すべての国々の安全は尊敬され保護されるべきであり、
そして、一つの国が、自国の安全を守るという口実で、隣国の安全を侵害することは認め
られないということを意味します。
イスラームの価値観は、平和支援運動に対する正義の要求を増大させ、民主主義への呼
びかけに意味を与え、説得力のない言い訳に基づいて遂行される現在の戦争を、世界中の
貧困や病気に対する絶え間ない戦いに置き換えます。世界が必要としているものは、世界
をあらゆる人々にとってより住みやすい場所にさせるような宗教間対話です。新たな対話
のみを促し、より多くの宗教・文化の指導者を招くような対話は必要とされていません。
イスラームでは、「普遍性」には文明間の広場(フォーラム)というイメージがあります。
すべての信仰、信条および哲学、そして文化が、このフォーラムの参加資格を公平に共有
するのです。人々は、あらゆる宗教や文明、価値観や道徳観、習慣や伝統においてプライ
バシーを維持しながら、人類の文化遺産を共有し相互に影響しあい、人類の知識を表現す
るのです。このような文明のフォーラムにおいては、あらゆる民族や人々が共存し、お互
「人々よ、我は一人の男性と一人の女性
いを知ろうとします。13 全能の神は言いました。
からあなたがたを創造し、種族と部族に分けた。これはあなた方を互いに知り合うように
させるためである。
」
(クルアーン、49 章 13 節)。この普遍性というイスラームの概念は、
多元的共存(多元主義)や多様性は規範であり、他の文明、文化および宗教との交流は、
分離(孤立)と従属(妥協)の間の、中庸の道であるという事実に基づいています。
8
翻訳文責: 科学研究費補助金基盤研究(A)
「変革期のイスラーム社会における宗教の新たな課題と役割に
関する調査・研究」
(東京国際大学国際交流研究所)
1
詳細については 2013 年 5 月 5 日付 Japan Times を参照されたい。
2
The Dialouge of Civilizations between Japan and the Muslim World, Edited by
Mohammad Selim, Center for Asian Studies, Cairo を参照されたい。
3
日本の外務省の情報より。
4
詳細については Islamic Networks Group, ING ( Maha Algenaidi)を参照されたい。
「アメリカでは 2009 年以降ひと月に 1 件の銃乱射事件が起きている」(The Washington
Post, February 2, 2013) 。“ Why does America lose its head over 'terror' but ignore its
daily gun deaths?” Michael Cohen,the Observer, Sunday 21 April 2013 を参照されたい。
5
6
Michael Cohen の前述の記事を参照されたい。
2013 年 5 月 5 日付 Japan Times を参照されたい。記者は記事の中で以下のように書い
ている。
「痛みの一部は時間とともに消え去ります。しかし、時間の経過はまた新しい種類
の痛みを引き起こします。あなたはその全てを整理しなければならず、それをまとめなけ
ればならず、それを理解しなければならず、そしてそれを受け入れなければなりません。
あなたは痛みの頂点の上にでも、新しい人生を造らなければなりません。
」
7
8
Journal of the French National Defense, article by Admiral Kastrks の記事による。
“Algerian Gas Plant Terror: the Real Story,” explaining the contradictions in the
official version and the complicity with terrorists” (Jeremy Keenan, ロンドン大学東
洋・アフリカ研究学院 社会人類学部・社会学部の教授格研究員)
9
“Purposes of Orientalism”, Muhammad Imara, アル=アハラーム紙、2013 年 5 月 2
日付。
10
11
“Western perceptions of Islam”, By Ibrahim Kalin (George Washington University)
ALDAWAH Monthly Magazine Issue No, 113, pp.32-33.
12
Islamophobia is Religious, Christopher Sweetapple (マサチューセッツ大学 アマース
ト校)
。
13
“The World needs A Different kind of Globalization” (Dr. Muneer Al-Asbahi )
ALDAAWAH , Issue No, 77 P. 31, Muharram ヒジュラ歴 1429 年 1 月。“Dialogue among
civilizations – An Islamic requirement”, by Dr. Muhammad Salem, ALDAAWAH, Issue
No.63 Dhul Qida, ヒジュラ歴 1427 年 11 月,も参照されたい。
9