複雑系による『発見』と金融時系列 川崎能典 統計数理研究所 モデリング研究系 2009年11月7日(土) 於・インターネット総合研究所 (日本行動計量学会 複雑系データ解析研究会) 本日のお話のスコープ • 「複雑系科学」の定義は容易でない – カオス、フラクタル、ネットワーク、カタストロフ、エ ンタングルメント…(研究会HPより) – 全てを語る能力は、私にはない • 本日の話は、主にフラクタル理論を中心とし たeconophysics(経済物理)が提示する論点 の幾つかを、統計的時系列解析の立場から 論評することに限定。 1 構成 1. 自分の研究とフラクタルとの接点 • Motivationとしてはやや特殊 2. フラクタル理論、経済物理から経済学、ファ イナンス理論に寄せられる批判の検討 • 今後の研究方向に関する含意を探る Long Memory Process • Fractional ARIMA (ARFIMA)モデル – Fractional Brownian Motionの離散時間時系列版 – 1980年代中盤から研究が進む • 分数階差 • 長記憶過程、強従属定常過程 0 < d < 1/ 2 φ ( L)(1 − L) d yt = θ ( L)ε t 2 過剰階差 • 階差、季節階差による定常化 • 差分後の系列は、ゼロ周波数と季節周波数 でパワースペクトルに深い溝が生じる。これ は過剰階差と言えるのではないか? – Nerlove (1964) Econometrica – Granger (1976) NBER/NSF Conference “Seasonal Dip” 月次時系列の例 季節調整前の原系列(左)のパワースペクトルのピークは、季 調済系列では季節周波数で深い溝(dip)になっている。 3 1989年:当時M2の院生の考え • Random Walkタイプのモデルは、スペクトル のピークのモデリングという意味ではpeakyす ぎるのではないか? • Long memory モデルは seasonal dip に対する ひとつのcureとなるかもしれない。 – 後にこれらが見当違いであると知るのだが… – まずは通常の階差についてlong memoryを勉強 することにした。この問題を再び真剣に考えたの は1997年になってから。 最適季節調整の特徴付け • 最小MSEを達成する季節調整にはseasonal dipが必ず伴う。 – Grether and Nerlove (1970) Econometrica • 季調済系列の標本スペクトルに溝が生じない ような季節調整法を考えることは可能だが、 その場合はMSEが劣化する。 – Ansley and Wecker (1984) JBES 4 歴史は繰り返す • Proceedings on the conference on the seasonal analysis of economic time series, Washington D.C., Sept. 9‐10, 1976. • Granger (1976) Property 2’ (p. 41) • Sims (1976) 指定討論者として、Grether and Nerloveの結果に言及。 歴史は繰り返す2 • 「X‐12‐ARIMAはseasonal dipが経験的に生じにくい ので、良い季節調整法である」木村(1997)統計数理 – え? でもそれってむしろダメってことじゃ… • 季調済系列に少しでもノイズが混じるとdipは消える ことがある。 – 北川(1997)統計数理 • X‐12‐ARIMAはノイズ過多な季節調整になっている ケースが多い。 – 川崎・佐藤(1997)統計数理 5 Long memory: fact or artifact?~前半のまとめ • データの長さを超えた周期がある、ということの含意 や如何に。 – Naïve forecastより長期予測が良い、ということの経験的 事実の提供が必要。 • 有限データではARMA(1,1)と区別できない(だろう)。 • 母平均に意味を与えにくいプロセスに対するモデル か? (ex. インフレ率) • 外れ値的な変動に影響される。それも込みで説明し たいのかどうか。(この論点は後述) The (Mis)Behavior of Markets • 金融リスクに関するフラクタル的視 点を啓蒙する書 • ウォール街で受け入れられている金 融工学理論に対する批判 • 「投機的な市場の価格変動の理論 において最も革命的な展開」だがそ の「救世主のような語調」はいかが なものか。‐‐‐P. Cootner (MIT), 1960 年代のMandelbrotの業績を評して 6 主要な論点 1. 2. 3. 4. 5. 正規分布からべき乗分布へ 価格の不連続なジャンプ ボラティリティクラスタリング タイミングの重要性、時間リスク 実時間とトレーダー時間 1. 正規分布からべき乗分布へ • 長期収益時系列における巨額損失の経験頻 度は、明らかに正規分布の裾確率とは整合 的でない→べき乗則 – サイコロ振りと同じと思って定式化したが、経済 状況が極端になると、サイコロ自体がいびつに なってしまう。(サブプライム問題然り) • しかし、80年代中盤から非線形・非ガウス時 系列の推定論は大きく発達しており、fat tail な分布が利用可能な方法論はあった。 7 2. 価格の不連続なジャンプ • Black‐Scholesモデルが想定する世界と、現実 の価格のサンプルパスとの不整合、「価格の 連続性」を仮定する事への批判 • しかし対案はなし? • ファイナンスの側での動向:Wiener過程から Levy過程へ。 3. ボラティリティクラスタリング 5. 実時間とトレーダー時間 • 収益率は無相関も2乗プロセスに自己相関 – 後のARCH/GARCHにつながる経験知 • 実時間とトレーダー時間の違い:トレードを点 過程として考えたときの強度のクラスター性。 Self‐exciting processということ? – 特に異論はないが、新しい発見は? – Clark (1973) Econometrica 8 4. タイミングの重要性、時間リスク • ファイナンスで最大のリスクは時間。時間リス クをどう分散するか。この点は異論なし。 • しかし、数理ファイナンスの理論や計量ファイ ナンスのモデル同様、いつクラッシュが起こる かを予想できないことではフラクタル理論とて 同じ穴の狢。 • せいぜい「べき乗則で広めに構えて準備して おけ」という程度? 時系列モデルの「記憶」 • 滅多に起きないと思っていたこと(外れ値)が 起きたら、十分に長い「記憶」を取っておかな いとまずい、と判断する。→long memory (fractal), perfect memory (random walk) • でも、その「希な事象」も唯一不変の同じ確率 構造からのrealizationとして捉えないと気が 済まないのか? いつそれが起きるかも所詮当 てられないのに… 9 移動平均表現 ∞ ∞ yt = φyt −1 + ε t ⇒ yt = ∑ φ ε t − j = ∑ψ j ε t − j j j =0 ∞ j =0 Short Memory ∑ |ψ j |< ∞ 過去の変動の影響は指数的に減衰 Long Memory ∑ψ 2 j <∞ 過去の変動の影響はべき乗で減衰 Random Walk ∑ψ j = ∞ なぜなら j =0 ∞ j =0 ∞ j =0 ψ j ≡1 過去の変動の影響は恒久的に現在に影響 単位根か構造変化か 構造の類似した問題(その1) • Nelson and Plosser (1982) JME:多くのマクロ経 済時系列は単位根を持つ。(平均非定常) • (トレンド)定常系列に加法的に外れ値を加え るだけで、単位根仮説を棄却しにくくなる。 • Perron (1989) Econometrica: 構造変化を考慮 すれば、決定論的なトレンド周りの定常変動 と見なせる。 10 ロバスト推定か外れ値除去か 構造の類似した問題(その2) • 外れ値に引きずられない頑健(ロバスト)な推 論方式を用いるべきか、除外して普通の方法 を使えば済む話か。 – 「エンドユーザーの誤用を可能な限り事前に防ぐ べき」 – 『でも外れ値の背後の特殊事情は普通想像がつ くし、その意味で除外できる。ビルトインの安全装 置にここまで手間をかけるのは馬鹿げている。』 経済学者からの期待 • 概して、新古典派(市場万能主義、均衡論 者)に疑念・反感を抱く経済学者は、現状に econophysicsが風穴を開けてくれるかも、と期 待している節がある。 – 経済を決めるのは、供給サイドか需要サイドか。 価格調整か数量調整か。生産性のばらつき。 • ティックデータ、個票データが利用可能な時 代。仮説に縛られない「データベースからの 知識発見」という力業への協力者として期待? 11 しぼむ期待 • 「経済学者の中には、物理学者が主流派経 済学が典型的に奉じている厳格な理論を揺さ ぶってくれると期待を寄せる者もいた。しかし これまでのところ経済学者は、物理学者が データを取り扱うやりかたに、取り立てて感心 するような点を見いだせないでいるようだ。」 • Ball, P. (2006). “Culture Crash” (News Feature), Nature, Vol. 441, No. 8, 686‐688. 気がかりな点 • データ量さえ確保できれば、法則の発見は容 易? – 大量データに分布をあてはめてtailの挙動を調べ ただけの研究では、人を感心させるにも限界が… • 「先験的仮定・仮説」にとらわれないモデル化 という意味では、サイバネティクスや時系列 解析のfollower? 思想的な新規性はどこに? – 「理論なき計測」批判から学ぶところがある? • その一方、実は隠れ演繹至上主義? 12 2008年秋の金融危機 • 使われなかったツール – べき乗則は認知されてはいたが使われなかった と理解し、その理由を考えるべき。Scienceとpolicy のinteraction。 • 評価システムの問題 • 経営判断とリスクマネージャの職分 • CDO等の証券化証券に関しては格付け機関 のあり方の問題 匣に残ったものは… • Good sideより先にbad sideが出てしまったか も知れないが、証券化は社会的なリスク分散、 リスクテイクの実現を通じた、明るい未来へ の鍵である。 • Shiller, R. (2004). The New Financial Order: Risk in the 21st Century, Princeton Univ. Pr. 13 注目される研究分野 • ネットワーク理論 – 後述の流動性リスクやcontagionのモデル化とい う観点から – 恐らくはeconophysicsの一部やagent‐baseのAIも この流れでの貢献できる可能性 • 合理性の限界への(再度の)着目 – Adaptive Market Hypothesis (Andrew Lo) – Behavioral Finance, Behavioral Economics – Neuroeconomics 最大の課題:流動性リスク • 買いたいときに買えない、売りたいときに売れ ない、counterpartyの破産 – 必要性は認識されていたが、難しさ故に後回しに されてきた。 • 経済や投資行動のマイクロプロセスを記述す るシミュレーションモデルの開発が重要。 – Social network, Agent‐based approachへの期待 • もちろん、数理的なモデルだけでなく社会的・ 制度的要因も重要。 14 結語 • フラクタル理論からimplyされる拡張方向、更 には後年econophysicsとしてsocietyが大きく なる過程で指摘されてきた経験的fact finding は、時系列モデル、計量経済モデルの拡張 に大きな影響を及ぼしたといえる。 • 流動性リスクのモデル化には、今後専門分野 の垣根を越えて、さまざまな取り組みが行わ れるべき。 15
© Copyright 2024 Paperzz