比之宮の案内法

比之宮の案内法
期
場
日
所
2006年10月7日~8日
島根県邑智郡美郷町比之宮
風景を読む
いつも見慣れている里山の風景を、視線を変え、
少し注意してみて見てみよう。きっと今まで見過
ごしてきた風景の中に、人間と自然がつきあって
きた暮らしや仕事の名残が見えてくるはずです。
山の形は?
尖っている?
丸くなだらか?
周辺の地名は?
空にはどんな雲が
かかっているかな?
山の形が不自然だった
り、田んぼの中にポツ
ンと取り残されたよう
な山はないかな?
どんな鳥がいるかな?
サギ類は見えるかな?
家はどんなところ
にあるかな?
山には松が多い?
スギ・檜が多い?
それとも広葉樹?
田んぼの畦は
どんな畦?
村の中に大きな木がこ
んもりと繁っていると
ころがあるかな?
道のそばや突き当た
りに社や地蔵さん、
碑などがあるかな?
田んぼの大きさは?
形は?
水路はどこ
から来てい
るかな?
石垣に使われてい
る石はどんな石?
家の大きさは?
形は? 瓦は?
蔵はどこにあ
る?
蔵に書かれてい
る文字は?
道はどこへ続いてる?
松は土がやせているところ、杉や檜は土が肥えているところ、雑木林は薪などの
燃料をとっていたところ、ススキが繁っているところは、かつて畑だったところ
か家畜のエサや田畑の肥料をとっていたところが多い。
水路は土?コンクリート?
水路には何がいる?
-1-
江の川について
江の川は,中国山地の脊梁部である広島県北広島町の阿佐山(標高 1,218m)を源流とし,いっ
たんは瀬戸内海に向かって広島市の近くまで南下するが,八千代町,三次市,島根県美郷町で大
きく弧を描くように北に流れを変え ,中国山地を貫通して日本海に達する 。そのため長さ 194km,
流域面積 3,900km 2 で中国地方最大の流域面積にもかかわらず,源流から河口までの直線距離が
わずか 30km 程度しかないという不思議な流れ方をする川である。
流域は ,広島 ,島根の両県にまたがり ,三次市で馬洗川 ,西城川 ,神野瀬川と合流し ,その後 ,
狭い渓谷となって中国山地を横切って島根県に入り,出羽川,八戸川などを合わせて江津市に至
る。中上流域は日本でも浸食平坦面の最もよく発達する地域であり,中流域となる三次盆地から
河口までは先行性峡谷が続き,他の大きな河川のように河口に大きな沖積平野をつくらない珍し
い川である。地元では,江川(ごうがわ ),中国太郎とも呼んでいる。三次は古くから物資の集
散地であるとともに陰陽交通の中継地でもあった。江の川は,水上交通路として,また,その豊
かな水を利用して農業や漁業が営まれ人々の暮らしを支えてきた。
江の川の不思議
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回転する川 江の川本流である可愛川は,中国山地の脊梁部である阿佐山から発生し,一旦は瀬
戸内海に向かって流れるが途中で大きく回転するように方向を変え,中国山地を貫いて日本海に
達している。
先行型河川ということ 太古の昔,中国山地の造山活動が始まる以前から江の川は流れていた。
江の川の浸食力が,大地が隆起するスピードより優っていたため,典型的な先行型河川の形状と
なったものと考えられている。このように中央山地を貫いて流れる川は全国でも珍しく,中国地
方では江の川しかない。
下流が上流? 江の川くらいの大河になると普通,河口には広々とした扇状平野が発達するもの
だが,この川の河口には大きな砂州は見あたらない。むしろ上流の三次市で河口的な広々とした
風景が見られ ,江の川はここで一旦終着したように見えるが ,ここから再び急峻なV字谷となり ,
そのまま海に達する。そのため風景の印象が上流と下流で全く逆に感じられる。
意外と緩い勾配 車で2時間ほど川沿いを遡っていくと,中国山地の真っ只中にたどり着くが,
こんなに奥に入っても標高はわずか100mくらいしかない。140km上った三次市辺りでも,その標
高が150mくらいだから,河川勾配はおおむね1/1000程度ということになる。この河川勾配の緩
さが江の川舟運の発展につながっていったと考えることができる。明治20年代には江の川流域に
およそ50の船着き場が存在し,最上流では八千代町の土師ダム付近まで舟運ルートが開かれてい
た。
【河川勾配】
上流: 1/300 ~ 1/7000
下流:1/1000 ~ 1/1600
河口に平野がほとんどない これだけの大きな河川ならば 、上流から運ばれてきた砂などにより 、
河口に大きな三角州ができるのが普通であるが、河口の江津市にはほとんど平野がない。それば
かりか河口から数キロ入っただけで両岸に急峻な山が迫っている。三次から下流には、両岸に大
きな平地はない。
支流の上流域に発達する平地 その代わり支流の上中流域には広い平地がある。江の川の川沿い
から支流を登ると、およそ 150 ~ 200 mと 400 ~ 600 mの高さに突然広い平地が現れる。これが
中国山地の地形上の特徴でもある。
源流
ほぼ中間の三次市
三次よりも下流域
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河口付近
美郷町の概要
美郷町ってどんなところ?
美郷町は島根県のほぼ中央に位置し、人口は約 6,000 人、総面積は 282.92km2 で島根県の総面
積の 4.2%に相当します。町内を中国地方随一の大河である江の川(総延長 194km)が大きく蛇行
しながら貫流していますが、川沿いには大きな平地はなく、江の川に注ぎ込む支流の谷間や氾濫
原に集落ができています。北西部には標高 300m 前後の丘陵地帯が広がっており、東部には標高
400 から 700m の急峻な山々が中国山地へと連なっています。
縄文時代の遺跡が見つかっていることから、数千年前には人々が住み始めていたと思われます。
また、万葉の歌人柿本人麻呂の終焉地という説も残っています。戦国時代は尼子・毛利両氏の覇
権争いが繰り広げられ、町内に山城跡が多く見られます。江戸時代は石見銀山から尾道へ向かう
銀山街道が通っており、江の川舟運の中継地としての機能もあわせ交易の要衝として栄えました。
主な産業は伝統的には支流域に開かれた水田を利用した稲作、本流沿いの河岸段丘を利用した
桑・茶・柑橘類、丘陵地帯では畜産等が行われてきました。現在はこれら伝統的産業を維持しな
がら勤めに出るという兼業的な農家が大半を占め、 温泉や江の川を活用したカヌーや火振り漁
など観光事業も進められています。
平成16年に邑智町と大和村が合併し、美郷町となりました。町章はみさとの「み」の文字を
モチーフに、いきいき輝く人とまちの姿を表現したものです。
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比之宮地区の概観
比之宮地区は美郷町の南部に位置し、江の川から急峻な坂を上った所にありますが、本流沿
いの峡谷地形からは想像できないほど、ゆったりとした景観となっています。
この緩やかな地形の中で、主に水稲、路地野菜、施設野菜、和牛、林業が行われています。
比之宮地区の農家戸数は約100戸、農家人口は約300人で、その内65歳以上の人は42
%を占めます。耕地面積は水田が54 ha、畑が5.6 ha で主な作目は大豆、馬鈴薯、トマト、
甘藷、ネギ、白菜、ナス等です。
地区の中央を小田川、宮内川が流れ、川に沿っ
て水田が開けています。宮内川の最下流にあたる
所は急に落ち込み、蟠龍峡(ばんりゅうきょう)
と呼ばれる渓谷が形成されています。美郷町役場
大和事務所までは約7kmと割合離れているた
め、比之宮交流センターが地区の人々の拠り所と
なっています。
古い建物では田立建埋根命神社(たたちたてま
りねのみことじんじゃ)という由緒ある神社があ
り 、「宮内」という地名はこの神社があったこと
に由来しています。お寺は西教寺と西光寺の2ヶ寺があります。その他夢ファクトリーという
工房や比敷ドリームという農業組合法人があり、地域の人々の活動拠点となっています。
-5-
視点1
比之宮の暮らし
-人々の活動と周囲の環境について観察してみる-
里山の人々の暮らしぶりを注意深く観察すると、周囲の環境・生態系と密接な関係があること
がわかります。
例えば人々は優良木材を育てるため、間伐や枝打ち作業に従事します。すると、林床部に適度
な光りが差し込み、多様な下草が元気良く育つことにつながります。和牛農家はその草を牛のエ
サとして、或いは畜舎の敷き草として利用するため毎日裏山で草刈りをします。すると林床はセ
ツブンソウやカタクリ、エビネ、ヤマユリなど愛らしい野花が生育しやすい環境となり、美しい
里山景観を演出することに結びつきます。
和牛農家から排出される堆厩肥は田畑にすき込まれ、良い農作物ができるよう地力が高められ
ますが、堆肥が投入された田んぼでは春に水があてられ水温が上昇すると、ミジンコが大量に発
生し、これが小さな昆虫、稚魚のエサとなります。この時期に合わせ、川からはナマズやコイ、
フナ、カワムツなどが水路を遡って産卵にやってきます。
さらにはこれら小動物をエサとする肉食の大型昆虫(タガメ、ミズカマキリ)が多く集まり、
ヘビや野鳥、そして獣や猛禽類もこの食物連鎖の頂点に君臨しています。シイタケ栽培農家が廃
棄したホダ木にカブトムシやクワガタムシが発生することは良く知られていますし、農舎や作業
小屋におかれた竹や薪などに巣を作る昆虫もいます。
このように里山の人々の活動そのものが周囲の生態系を保全し、美しい里山景観の形成につな
がっていることが広く認識され、多くの人々に注目されています。
比之宮地区ではどのような人と自然の結びつきがあるか、いろいろな作業に参加しながらよく
観察してみましょう。
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視点2
川を見る
-下流域の水生生物と生息環境について観察してみる-
江の川流域には、約 105 種の魚類が生息している。魚は水温や流速、川の構造などによっ
て棲み分けるが、純淡水魚としてはカワムツ、オイカワ、汽水・海水魚としてはスズキ、クロ
ダイ、回遊魚としては、アユ、ウナギ、サケなどが代表的な魚種である。
最上流域ではイワナ属のゴギが棲み、
続いてヤマメが中心となる地域がみられ
る。近年の放流によりヤマメとアマゴの生
息域が乱れているが、本来日本海に注ぐ川
にはヤマメが棲み、瀬戸内科に注ぐ川には
アマゴが棲んでいた。ヤマメはサクラマス
の陸封化したものであり、アマゴはサツキ
マスの陸封化したものである。ヤマメかア
マゴのいる地域には、アブラハヤやカジカ
が同居している(上流部)。
次にウグイやカワムツが現われ、アユの
遡上してくる地域となる(中流域上部)。少しくだってオイカワが生息する水域があり、ムギ
ツク・カマツカ・シマドジョウ、さらにギギやヨシノボリも現れだす(中流域下部)。さらに
下ると、オイカワやギギは残るが他のものは少しずつ個体数が減少し、代わってコイ・ギン
ブナ・ナマズなどが増えてくる地域となる(下流域)。
下流域の魚の多くは、川の本流以外に周囲につながる水路や水田、氾濫原となる湿地に春
から夏にかけて侵入して産卵し、そこを稚魚の生育場所として利用している。最下流部の河
口から海に至る感潮域では、ボラ・スズキ・マハゼなどの汽水・海水魚がみられる。
美郷町は魚種分布から見れば上流域から中流域の特徴を併せ持っている。宮内川は景観的
には中流にの特徴を示すが、その下流である角谷川は上流域の特徴を示す。下流が上流的で
ある江の川の特徴をここでも示している。
比之宮で見られる主な水生生物
カワムツ
オイカワ
ウグイ
ムギツク
ヒレは桃色で、河川
中流から下流域の淵や
砂底の他、砂泥底があ
る平野部池沼の中、表
層に棲息。
ハヤ、ハエとも呼
ばれ、河川中流域で
普通に見られる一般
的な魚。産卵期にな
るとオスは鮮やかな
婚姻色に彩られる。
地方名イダ。河川の上
流から下流まで広く分
布。成魚は、産卵期に
なると鮮やかな3本の
縦縞の婚姻色が現れる。
河川の中・下流域にある流
れのおだやかな淵や淀みなど
の岩場に生息。ドンコやオヤ
ニラミなどの巣に托卵(卵を
別の魚の親に守ってもらうこ
と)する習性がある。
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タカハヤ
カワヨシノボリ
カマツカ
シマドジョウ
渓流部の流れの緩い所
に生息。ドロバエとも呼
ぶ。渓流釣りの外道とし
て、釣り人からは嫌われ
る。
河川上流域だけでな
く、水のきれいな場所
であれば比較的広い水
域に生息。ゴリ、チチ
コなどとも呼ばれる。
砂底で生活し、砂
の中に潜って目だけ
出している事が多い
ので、なかなか見つ
けにくい。
泥底に棲んでいる事の
多いふつうのドジョウと
違い、砂~砂礫底に棲み、
体側に斑紋が並ぶきれい
なドジョウ。
アカザ
ドンコ
透き通ったあめ色の体
色で、体長は 10cm ほど。
日本固有種背。ビレと胸
ビレに毒のあるトゲがあ
り、刺されると半日くら
いは痛みが続く。
サワガニ
一生を淡水で
生活するカニ
で、環境の良好
な渓流部に棲
む。
オヤニラミ
ハゼ科の中では、一生
を純淡水域で生活する数
少ない魚。模様・体色が
川底の石にそっくりで見
分けがつけにくい。
西日本の川の一部で
しか見られない。も
ともとスズキ科の仲
間で、長い間の進化
の過程で淡水域に棲
むようになった。学
名は「川のメバル」と
いう意味の名前が付いている。 エラぶたの後端
に眼径大の斑紋があり、目が4つあるように見
えるのでヨツメとも呼ぶ。6月になると比較的
流れの緩やかな所で、ヨシの茎や流木の裏側な
どを利用して産卵する。産卵後は、オスだけで
卵を守る。卵を守るために近づくムギツクを追
い払おうとしている間に卵が食べられ、ムギツ
クに托卵されることもある。(準絶滅危惧種)
カワニナ
ホタルの幼
虫のエサと
してもよく
知られる淡
水の代表的
な巻き貝。
オオサンショウウオ
体長1mを超える日本固有の世界最大の両生類。本州では岐
阜県より西、九州では大分県に分布している。特に、中国山地
の里山を流れる河川での確認が多い。約7千万年以上に渡って
姿形を変えずに生きてきたとされ「生きた化石」とも呼ばれて
いる。ヨ-ロッパでははるか昔に絶滅したが、アメリカヤ中国
には近縁のオオサンショウウオが生息している。
足の指は前足が4本、後
ろ足が5本。夜行性で、魚
類、サワガニ、カエルなどを捕食する。幼生のころは水生昆虫を餌とす
る。寿命は長く、60 年以上といわれている。
中国地方では,その大きな口から「ハンザキ」または「ハンザケ」と
呼ぶ。サンショウウオの名前の由来は,外敵から身を守るため皮膚の表
面から山椒の臭いに似た粘液を放出することから名付けられた。
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視点3
鎮守の森
-神社と地域の歴史、周囲の環境について観察してみる-
日本では古来からアニミズム(自然崇拝)を基層とし、自然物の中に神々が存在している
と信じてきた。その対象は、巨岩や洞穴、大木、滝など生命力や不思議さ、怪しさを感じら
れるものだった。やがて、神社を建築するようになり、有力な豪族は大きな建物を建てるよ
うになった。鎌倉時代に入って、関東から源氏系列の武士団が守護・地頭としてこの地域に
入り込み、源氏の守護神である八幡神社が各地に建てられた。そのため地域には、元々あっ
た地域創造神である大元神や地神、荒神など古来の神々と、応神天皇を主祭神とする比較的
新しい八幡神社が混在することとなった。明治になって、これら多種多様な神社を1つにま
とめるよう通達が出て、古い形式の神社や祠が合祀されていった。
延喜式内社
延喜5年(905年)、藤原時平らは宮中の儀式や全国の神社についてまとめる
作業を開始し、927年に完成させた。この時の神名帳(しんみょうちょう)に記載された神社
を延喜式内社と呼び、当時、それぞれの地域で由緒ある神社が選定されたことがうかがえる。
江の川流域周辺の延喜式内社
江津市
山辺神社
大飯彦神社
美郷町
天津神社
田立建埋根命神社
邑南町
大原神社
三次市
庄原市
蘇羅彦神社(本村)意賀美神社(総領)多加意賀美神社(口和)
知波弥比売神社(布野) 知波弥比古神社(高杉、三良坂)
爾比都賣神社(西城)
世羅町
和理比賣神社
比之宮地区の田立建埋根命神社(たたちたてまりねのみことじんじゃ)は数少ない式内社
の1つで、田立建埋根命という変わった名前の神様はこの地域を開拓した祖霊神。
鎮守の森
神社周辺の森は神域として大切に保存されてきた。そのため、貴重な植物群が
残されていることが多い。特にサカキ、カシ、シイ、タブ、ツバキなど常緑広葉樹は冬でも
枯れないため、永遠の命のシンボルとして崇められてきた。下草も良く刈り込まれているた
め、珍しい山野草が花をつけることもある。
田立建埋根命神社
境内で見られるホウチャクソウ( 5 月)
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神社の見方
神社は自然崇拝や自然信仰から発祥した。自然発生的な神社の思想または考え方には、古来、
拠り所となる明確な教義や教典がない。千年を超える神仏習合という時代を経て、仏教の影響を
受けたにもかかわらず、その基本はいまも変わっていない。自然崇拝または祖霊信仰が根底にあ
る神社思想には、明確な教義や教典の類がない。秘伝・口伝、以心伝心、阿吽の呼吸、身体で体
得などの習慣で受け継がれてきた伝統は 、「はじめに言葉ありき」とする西欧合理主義的明文化
に馴染まなかったといえる。しかも、産土型神社では一般的に神職関係者は氏子の決定事項を履
行する役割にとどまり、独自の主体性はない。
そこから神社の " おおらかさ " が生まれる。他の神社の様式、または多くの神社の様式だからと
いって、別の神社の様式に当てはまるとは限らない。常識の範囲を逸脱しない限り、独自の方式
や方法、考え方が許される世界である。
このような素朴でおおらかな世界は 、現代ではむしろ貴重な存在 。連綿と継承されてきたから 、
古い生活文化の匂いも残されている。この " おおらかさ " が神社の魅力の一つでもあり、長い時代
にわたって民衆とともに存続してきた大きな要因ではないかと思われる。
仏教
キリスト教
イスラム教
神社思想
創立者
釈迦
キリスト
マホメッド
不明
教義
経典
聖書
コーラン
不詳
崇拝対象
如来・菩薩等
キリスト
アラーの神
自然・神話の神々等
神社のいろいろ
神社を見るための便宜的分類
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偶像 or 象徴
仏像
十字架
メッカ
なし
布教者
僧侶
宣教師
指導者
なし
神社は日本独自のものだが 、その生い立ちには 、神社によってさまざまな歴史と 経緯がある 。
そこには仏教や修験道の影響も色濃く残されてる。中でも、仏教伝来とその影響とともに、著名
神社の神を分霊する神社が生まれる。この分霊して祀ることを分祀または勧請という。農耕神・
稲荷神社は全国に三万社、源氏の氏神・八幡神社は二万五千社と各地に多いのは、次々と勧請さ
れたからである。仏教寺院は、総本山から末寺までピラミッド状に組織される。ところが、神社
で は勧請関係はあっても、事実上の上下関係も相互の連絡も希薄である。祭神と神社名が同じ
というだけで、基本的にはそれぞれが独立体だ。
神社の各種の社格
昭和 20 年( 1945 )のGHQの神道指令以来、神社の格づけは一切ない。とはいっても、神社
では「旧何々」と、かつての社格を誇示する傾向がある。
延喜式というのは、平安中期の延喜という時代につくられた、行政に関わる詳細な規定書のこ
とで全五十巻の大書である。そこに記載されているということは、千年以上の歴史と伝統がある
証明。なお、伊勢神宮は、超越した存在で格づけはない。
官・国幣社
大社
式内社
明神大社
二十二社
三社
一の宮
総社
明治四年の太政官布告による制度(*1)。平安時代にもあった。
平安時代に神社の格を大小に分けた第一位の神社。ただし、明治以後に大社と改
称した例も多い。
延喜式神名帳に登録されていた神社。二千八百余社を記載。
延喜式の官・国幣大社の中から特別に選定された神社(二八五社)。
後朱雀天皇の時代(一〇三九)に大小神社の主班に列した神社。(*2)
伊勢神宮、石清水八幡宮、加茂神社または春日大社
新任国司が最初に参拝する神社。地域内最高位の神社。(俗称)
一の宮からの各社巡拝を省略し一か所に勧請した神社。(俗称)
(*1)明治政府の社格制度(郷社以下は産土神とされる)
官幣社
官幣大社 官幣中社 官幣小社 別格官幣社
国幣社
国弊大社 国弊中社 国弊小社
諸社
府県社 郷社 村社 無格社
(*2)二十二社(五畿内を中心に選定された)
伊勢神宮 石清水八幡宮 加茂神社 松尾神社 平野神社 伏見稲荷 春日大社 大原野神社
大神神社 石上神社 大和神社 広瀬神社 竜田神宮 住吉大社 日枝神社 梅宮神社 吉田神社
広田神社 祇園神社(八坂神社) 北野天満宮 丹生神社 貴船神社
神社のウオッチングポイント
鳥居の観察
神 社 を 訪 れ た と き まず 目 に は い る の が 鳥 居。 鳥居 を見 る
と き は 、 次 の ポ イ ン トに 注 意 し て み る と よ い。 それ らは 神
社の格式等によって異なっていることがわかる。
・反増があるか
・柱は2本か
・額束はあるか
・島木はあるか
・島木の小口は斜め or 垂直
・貫が柱までしかないか
・鳥居上に装飾柱があるか
・額束上に装飾柱があるか
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・台輪があるか
・笠木上に装飾柱があるか
・副柱があるか
狛犬の観察
狛犬は高麗犬(こまいぬ)とも書く。このことから、狛犬は異国の犬であり、遣隋使や遣唐使の
時代に日本にもたらされたらしい。平安時代には「木彫りの狛犬」が多く 、「石造りの狛犬」は
鎌倉時代からである。日本での最古の石造り狛犬は東大寺南大門にあり、年代は建久年間
( 1190-99 )に宋人によって造られたと記載されている 。(東大寺造供養記)この狛犬は宋風であ
り阿吽の形式がハッキリしていないが、この狛犬が模範となり多くの寺社・神社に飾られた。
狛犬のルーツは今の中近東付近らしく、原型はエジプト・オリエント・インド近辺のライオン
だそうだ。ライオンは、古代文明の発祥と共に力を示す動物と見られ百獣の王と崇められた。そ
のライオン(獅子)を狩ることで王の権威を示し、その姿から王の権威を守る護符としてもちいら
れたという。玉座や神殿に獅子の文様が数多く見られるのはそのためのようである。
仏教においては守護者として一対の獅子が置かれ、共に口を開き、他者を威嚇するように座っ
た姿をしている 。そのため 、仁王の阿・吽像と同じように寺院や墓所の入り口に置かれた 。また 、
宮中では御簾(みす)の重しとして置かれ、風のための配慮と守護を兼ねているとされる。
狛犬は神社に入って正面から見て右にいる口を開けた狛犬を「阿(あ )」、対して左にいる口
を閉じた狛犬の方を「吽(うん )」と呼ぶ 。(その逆もあることがある)
よく、阿吽は、万物の初めと終わりを意味していると言われている。なぜ阿吽が初めと終わり
- 12 -
を表すかというと、それは、生き物は口を開けながら生まれ、口を閉じた状態で死ぬからとも、
「あいうえおかきくけこ・・・」などの日本語が「あ」と口を開けるものからはじまり「ん」と
言う口を閉じたもので終わるから・・・とも言われている。
実は今でこそ狛犬と呼ばれているが、奈良時代までは、左右共に「阿」の、獅子と獅子の組み
合わせのものを神社やお寺で置いていたそうだ。それが 、「向かって右に阿の獅子、向かって左
に吽の狛犬」の組み合わせになったのが平安時代の初めで、徒然草二百三十六段に 、『神社にお
かしな向き方をした獅子と狛犬がいる』という話があるのもそのため。それがだんだんと進み、
多くの人が「阿吽両方をあわせて、狛犬と呼ぶ」様な時代になっていって、現在に至った。
阿:神社を正面から見た時右にいる、口を開けた狛犬。
●正式には無性だが、メスとして扱っているものが多
い。
●正式には、獅子。
(狛犬として扱っている物も多い)
●正式には耳が垂れている。(資料A参照)
●子供を連れているものが多い。(資料B参照)
●年代によっては、頭の上に擬宝珠(ぎぼし)を乗っ
けているものもある。
吽:神社を正面から見た時左にいる、口を閉じた狛犬
●正式には無性だが、オスとして扱っているものが多
い。
●正式には、角が生えている。(資料D参照)
●正式には、耳が立っている。(資料D参照)
●玉、もしくは鞠(まり)を持っているものが多い。
(資料E参照)
しかし、ここであげた特徴はあくまでも一般的な物であり、例外も多々見かけられる。角の無
い吽はたくさんあるし、両方とも「阿」のものもあれば、阿吽共に耳の垂れているものや、阿吽
ともに耳の立ったもの、阿吽ともオスのものもある。最近のものには阿に鞠を持たせ、吽のまわ
りに子供を連れているものも多いようである。
拝殿、神殿の観察
拝殿と神殿の一般的な配置は左図のようになっているが、拝殿より
神殿が大きいもの、拝殿の奥に神殿が組み込まれたものもある。小さ
い神社には瑞垣がないのが普通。
神殿は拝殿に対して横向き、縦向きの 2 種類がある。一般に、神殿
の中心は、階段の中心と微妙にずれている。これは、直接神殿を臨む
の は 「畏 れ お お い 」と い う 考 え から きて い る よ う だ 。 (訪 ね た 神 社 の 宮
司さんに是非聞いてみるとよい)
千 木 や 鰹魚 木の 形 や 本数 も様々 で、 一般 に千 木を 内削ぎ (頂部 を平 らにカ ッ
ト)にした ところ は 、女 神が祀 ってあ り、 外 削ぎ (頂 部を 垂直 にカ ット)したと
ころは、男神を祀ってあるといわれる。
堅 魚木 も偶 数(2 本、 4本、 6本等 )は 女神を 祀り 、奇 数(1 本、3 本、5本
等)は男神を祀っているとされるが、これも必ずしも原則通ではない。
代表的な神社の造りには、次ページのようなものがある。
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妻の観察
「妻」は、建築用語で 棟と直角の壁面を指す。妻の上部壁面の扱いは、建築様式により、また
時代により、寺社それぞれに異なる姿が見られる。
まず、和様建築の神殿等に見られるのが豕扠首(いのこざす )。猪子扠首、猪子差などとも書
く。扠首というのは、切妻屋根で、材を合掌形に組んだものをいう。
奈良・平安時代になると、虹梁(こうりょう)と蟇股(かえるまた)が現れる。虹梁というの
は、下図のように、やや反りを持たせてつくった化粧梁(はり)をいう。虹をかけたような姿を
連想させる命名。ちなみに、海老虹梁(えびこうりょう)というのは、高低差のある所に湾曲し
て架した虹梁のことで、向拝などに見られる。海老反りのイメージといえる。
唐様になると、虹梁と大瓶束(たいへいづか)という構成になる。大瓶束は、虹梁の上に立て
る瓶子形の束柱だ。
さらに後世になると、木連格子(きつれこうし)を妻全面にはめ込む様式が現れる。 これは
格子の裏面に板を張ったもので、狐格子または妻格子とも呼ばれる。
これらさまざまな妻の様式は神社や寺院の本殿に限らず、摂社や手水舎などの妻側にも見られ
る。
- 15 -
視点4
碑に潜む物語
-石造物に潜む物語を探ってみる-
石見地方の村々を歩いていると、「井戸公碑」とか「泰雲院殿碑(たいうんいんでんひ)」などと
彫られた石碑を多く見かける。これは江戸時代の中頃、この地方に大飢饉が発生し、多くの村人を
救うため奔走した井戸平左衛門正明公をたたえる頌徳碑(しょうとくひ)である。この井戸公碑が
江の川流域でどの範囲まで広がっているか。その範囲は意外に広く、遠くは鳥取にまで及んでいる。
井戸平左衛門は享保 16 年(1721 年)に第
19 代の大森代官としてこの地に赴任してき
た。その頃石見地方は凶作が続き、人々は飢
えに苦しんでいた。そして薩摩地方にどんな
やせ地でも育つ芋があると聞いた新代官は、
早速手を尽くしてこの芋を手に入れ、村人に
配布し作らせた。また、蔵に備蓄していた幕
府の米を放出し、年貢を減免するなどして、
この難関を乗り切ったという。
比之宮地区に残る井戸明府碑
井戸平左衛門石碑分布図
- 16 -
視点5
滝周辺の自然と伝説
-滝地形と周囲の環境、民俗文化を観察してみる-
滝は何か自然の神秘が感じられ、特別の思いのかられる場所として、古来から特別視されてき
た。滝周辺には必ずと言っていいほど神社や祠がある。絶え間なく力強く流れる滝に、人々は超自
然的な神の存在を感じ、これら社寺を造営していったものと思わる。
滝の名称をみても「観音」「竜頭」「権現」など信仰からくるものが数多くある。そして、そこを
舞台とした神話や伝説、物語など興味深い話を聞くことができる。
また、滝周辺の植生を見るとシイやカシ、タブなどいわゆる照葉樹が多く、うっそうとした風景
を形づくっている。これら堅い木を利用すると、質の良い木炭を生産することができる。滝の周り
には、それを裏付けるような昔の炭焼窯跡が多く見られる。
このように滝周辺には自然、信仰、物語、生活文化など様々な要素が絡んでいておもしろい。
龍峡伝説
髪掛の松
むかしむかし、玄大夫宗利という若者がおった。玄大夫は若いが優秀な軍師で角谷川沿いの村之郷にある山南
城が攻められた時には蟠龍峡の険しい自然をみごとに利用し大勝利をおさめたのじゃった。その褒美として、城
主は宗利に妻を娶らせた。
ところが、数年後のこと。妻は疱瘡(ほうそう)という病にかかり、生まれもつかない醜い姿になってしまった
そうな。
宗利は、身の回りの雑用をしていた美しい小間使いの娘を妾(めかけ)にし、しだいに妻を遠ざけるよ
うになっていった。妻は、このことに恨みを募らせていき、この無念をはらす機会をうかがっていた。
ある日、宗利は、妻と小間使いをつれて蟠龍峡に遊びにいき、明鏡台という高台から蟠龍峡の絶景を眺めてい
た。小間使いは手鏡を出し、髪のほつれを直しはじめた。その時、背後から妻がただならぬ気配でそろーりそろ
りと忍び寄より、小間使いを谷底へ突き落とそうとした。小間使いは手鏡に写った妻の姿に気づき身の危険を感
じて、とっさに妻の髪の毛をつかんだ。妻と小間使いはもつれ合って険しい谷底へとアッという間に落ちていっ
た。
これを見た宗利が駆け寄ってみると、遥か下に悲
鳴をあげながらもつれてあっておちていく女達の姿
を見つけた。谷底へ落ちていく途中の二人は、岸壁
の松に髪の毛が引っ掛かり髪の毛が抜け落ち、二つ
の龍となって底知れぬ深い谷底へと沈んでいった。
宗利は、あまりの光景に驚き恐れた。そして、自分
のしてしまった罪の深さを知り、蟇田(ひきだ)と
いうところへもどって、自ら命を絶ったのじゃ。
その後、近くの人が宗利の墓石をたて死後の冥福
を弔ったが、不思議なことに玄大夫の墓石は、常に
蟠龍渓の方へと傾き、何度直しても傾くそうな。今
もなお墓石は蟠龍峡を見つめるように傾いておる。
そして、この辺り一帯に美しいアヤメが咲いたことから、あやめ塚というようになったそうじゃ。
二人が落ちていくときに長い髪が引っ掛かった松を髪掛の松と名付けて、二人が落ちていった淵を鏡淵と名付
けた。鏡淵の幾尋(いくひろ)とも知れぬ深い淵には、二人の女性が龍となって、今も大波を立ててのたうちま
わっているんじゃそうな。深夜に淵に近い山路をたどると、遠くの瀧の音につれて女性の悲鳴がきこえるんだそ
うな。
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視点6
神楽の文化
-神楽の舞に見る世界観を考察してみる-
江の川流域は神楽が盛んで、様々な形態の神楽を見ることがでる。神楽はもともと、天から降り
てきた神が鎮座する場所、「神座(かみくら)」という言葉からきたと言われている。そのため神楽
では、神を迎えるための神事、そして神前で披露する「儀式舞い」が最も重要視される。これらの
儀式の合間に行われる「能舞い」は、主に神話を題材にした物語性のある舞いとなっている。
神楽はふつう8畳のたたみの上で舞われる。舞台には東
西南北と中央の5つの方位が設定され、それぞれを知行す
る神様が鎮座している。そのため舞い手はそれぞれの方向
に向かって拝礼しながら舞うため、同じ動作を南下も繰り
みずはのめ
かなやまひこ
水波乃売
く ぐ ぬ ち
金山彦
句々奴智
返しているように見える。
古代の人は、この世の中は「木」「火」「土」「金」「水」という
5つの元素からできていると考え、一年も「春」「夏」「秋」「冬」
とそれぞれの季節の変わり目である「土用」の5つから成り
立っていると考えた。このような、方位や季節、自然物を
かぐつ ち
火久槌
それぞれ5つの神様が協力しあってはじめて、この世が成
り立ち、人間は生かされているのだと...。またそれぞれの
領域にはシンボルカラーがあって神楽の舞台も色紙でそれ
が示されている。
神楽は本来、神職(神主など)だけで舞うものだったが、やがて物語性のある「能舞い」だけを
地域の人が担当するようになり、各地に神楽団が結成される。今日では、神事を伴わない能舞いだ
けで構成される舞台神楽(競演大会、コンテストなど)が盛んに行われるようになり、5方向に拝
礼する部分を省略して、短時間で上演する形態が多く見られるようになった。
このように神楽は時代の流れと共に様々に分化していく。この地域では主に、六調子神楽(奏楽
がゆっくりとしている)や八調子神楽(六調子よりもテンポが速い)の石見神楽・芸州神楽、伝統
的な神事舞いを色濃く残す大元神楽や荒神神楽、一風変わった弓をたたく弓神楽など様々な形態の
神楽を見ることができる。
ワラヘビが登場する大元神楽
悪狐が登場する石見神楽
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弓をたたく弓神楽(上下町 ))
視点7
いろいろな要素
-さまざまな要素から地域の文化を考察してみる-
たたら
日本に鉄器が伝わったのは縄文時代後期から弥生時代初期と言われている。古墳時代以降にな
ると鉄剣や釣り針、農工用具、狩猟道具、武器等の鉄製品が出土していて、早くから鉄器製造が
行われていたことが伺われる。中世になると、たたら製鉄方法も野たたらから天候に左右されな
い屋根つきの高殿製鉄(永代蹈鞴)に変わり、大規模で長期間同じ場所での製鉄が可能となった
ため、鉄山師と呼ばれる経営者も生まれ産業として成立するようになる。
江の川流域には、良質な砂鉄が大量に取れる風化花崗岩(俗にまさ土と呼ばれる)が広く分布
していたため、当時日本の鉄生産量の90%以上を占める一大生産地を形成していた。特に、庄
原市(旧西城町、旧高野町)北広島町(旧大朝町、旧千代田町)邑南町(旧石見町、旧瑞穂町、
旧羽須美村)では、山を崩し、溜め池の水を流して土砂の中から砂鉄を洗出し採取する鉄穴流し
が盛んに行われた。
鉄穴流しは水稲の収穫が終わる秋の彼岸から農作業の始まる春の彼岸までと、農作業に差し支
えない時期に行われていた。作業が行われる季節は川には真っ赤に濁った水が流れた。今でもそ
れを裏付けるかのように「濁川、赤川、金井谷川」等の地名が残っている。
かんな流しが行われた場所は山が人工的に崩され不自然な姿のまま残っていることが多い。こ
れをかんな残丘と呼び、庄原市の吾妻山山麓や島根県邑南町の矢上盆地などにその典型的な例を
見ることができる。たたら製鉄は気候などに左右されるところが多く、職人の長年のカンと神頼
みで行われていた。たたら関係者の守護神は「金屋子神社」で祭神は金山姫命という女神。この
神様は白さぎにのって兵庫からやって来て、カツラの木をつたって降臨したとされる。金屋子神
社がカツラの木の根元に置かれるのはこうした故事によるものである。
また、その年の最後
に吹いた鉄は神様のため捧げるため、金屋子神社に奉納した。これを「捨て金」と呼び、今でも
各地に残されていることが多い。
吾妻山付近のたたら残丘
三次市布野町支所に残る捨て金
峠の文化
古来より人々は分水嶺に対して特別な思いを持っていた。
例えば水分(みくまり)は「水配り」という言葉から転じており、分水嶺には水の分配をつかさ
どる水分の神が存在すると信じられていた 。 分水嶺を指す言葉は 「 峠 」「 垰 ( たお )」「 水分 」「 な
き分かれ」など様々なものがある。広辞苑には、峠はもともと「たむけ」という言葉が転じたも
の、という説明がされている。峠を往来する人が旅の無事を祈って、道端の道祖神に柴などをた
むける、このような姿から峠という言葉が生まれた。
分水嶺は村境になっていることが多く 、「サイの神」が祀られていたりする。この神様は他国
から疫病や悪霊が進入するのを防ぐ、あるいは旅の行路の安全、旅人の身を守ると信じられてい
- 19 -
る。サイの神は、さえぎるという意味の「障」や「塞 」、さらには「歳」という字が当てられて
いる。中世以降になってくると、この世とあの世の境を守るというお地蔵さんが峠に置かれるよ
うになる。お地蔵さんは子どもの守り神として良く知られている。やがてこれが、子どもを授け
る「子宝の神 」、さらには「豊作の神」として発展解釈され、峠にはお地蔵さんや陰陽石、夫婦
和合を表す男女像などが置かれるようになる。
地蔵
地蔵はもともと古代インドの農耕民族の大地信仰から来ている。
当時の人々は万物を育む母なる神として大地を信仰対象としていた。やがてこれが仏教に取り入
れられ、人間の死後の世界にも救済の手をさしのべてくれる菩薩として広く信仰を集めるように
なった。人間はこの世の報いとして死後、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上 の六道の世界
に生まれ変わるとされ、それぞれ6つの世界を担当する地蔵菩薩が六地蔵である。
流域を歩いているとあちらこちらで六地蔵が祀られた祠やお堂を見ることができる。これら地
蔵には地域の人々の安全安心の願いが込められている。
旧千代田町の明神峠に残る祠
六地蔵
自然暦、ことわざ
1.二十四節気
二十四節気とは、節分を基準に 1 年を 24 等分して約 15 日ごとに分けた季節のことで、区分点
となる日に季節を表すのにふさわしい春・夏・秋・冬などの名称を付けた。
古代中国では、月の満ち欠けに基づいた太陰暦が使われていたが、太陰暦による日付は、太陽
の位置と無関係なため暦と季節の間にズレが生じてしまう 。そこで本来の季節を知る目安として 、
太陽の運行を元にした二十四節気が暦に導入された。
二十四節気は太陰暦のような、気候と暦のずれはないが、本来は約 2600 年前の中国の黄河地
方の気候に基づき作られた暦であるため、実際の日本の気候とは多少のずれが生じる。しかし、
毎年同じ時期に同じ節気がくることや節気の感覚が約 15 日で一定しており、半月ごとの季節変
化に対応出来ることなどから、農業の目安としては非常に便利であり、日本に導入されるように
なった。
二十四節気は馴染みが無いようにみえて、私たちの日常生活と意外に密接な関係がある。例え
ば、立春の時には「暦の上では春だが、まだ風も冷たく」などの時候の挨拶を述べたりすること
に始まり、暑い盛りの挨拶「暑中見舞」を立秋以後は暑さの残る季節の挨拶「残暑見舞」に変え
ることなどが挙げられる。私たちは無意識に日常生活のあらゆる場面において、二十四節気と接
している。
- 20 -
二十四節気
意
味
春分からの日数
太陽暦
1
立春
りっしゅん 年の初め
315日
2月 4 日
2
雨水
うすい
雪解け
330
2月 19 日
3 春 啓蟄
けいちつ
虫の目覚め
345
3月6日
4
春分
しゅんぶん 昼夜の長さが同じ
0
3月 21 日
5
清明
せいめい
百花が咲き競う
15
4月5日
6
穀雨
こくう
種まき時期
30
4月 20 日
7
立夏
りっか
若葉が繁る
45
5月6日
8
小満
しょうまん 陽気満ちる
60
5月 21 日
ぼうしゅ
芒のある穀物の種まき
75
6月6日
昼の長さが最長
90
6月 21 日
9 夏 芒種
10
夏至
げし
11
小暑
しょうしょ 暑さが増す
105
7月7日
12
大暑
たいしょ
120
7月 23 日
13
立秋
りっしゅう これから涼しくなる
135
8月8日
14
処暑
しょしょ
暑さが止む
150
8月 23 日
はくろ
朝夕涼風が吹き、草木に露
15 秋 白露
最も暑いころ
165
9月8日
16
秋分
しゅうぶん 昼夜の長さが同じ
180
9月 23 日
17
寒露
かんろ
肌寒くなる
195
10 月8日
18
霜降
そうこう
霜の降り始め、紅葉のはじまり
210
10 月 23 日
19
立冬
りっとう
冬の始まり
225
11 月7日
しょうせつ 雪の降り始め
240
11 月 22 日
20 冬 小雪
21
大雪
たいせつ
雪に覆われるころ
255
12 月7日
22
冬至
とうじ
夜が最も長い
270
12 月 22 日
23
小寒
しょうかん 寒の入り、寒さが本番に入る
285
1月6日
24
大寒
だいかん
300
1月 20 日
いちばん寒さが厳しいころ
2.季節にまつわることわざ
自然とのつきあいから生まれたことわざは、どこにでもたくさんある。その地域独特の気象や
食べ物にまつわることわざから昔の人の観察力や知恵に出会ってみると面白い。
秋の夕焼けは鎌研いで待て、夏の 秋に西の空が夕焼けになると明日は晴れるから農作業の準備をしろ、逆に夏の夕
夕焼けは川渡って待て
焼けは雨が降りやすいので事前に川を渡っておけ
東夕立、簑笠いらず
東の方の夕立は、こちらに来ない
秋の東風は、池を干す
秋の東風は、天気が続いて水不足となる
ツバメが低く飛ぶと雨が降る
低気圧が近づくと気温や湿度が高くなり虫がざわめきだすのでツバメが盛んに虫
を取りだす
夜のこうぞう空見るな、昼のこう こうぞうとはフクロウのことで、フクロウが夜鳴いて活動するときは天気が良い
ぞう雨が降る
証拠、逆に昼鳴くときは雨の兆候
柿の芽は霜降り最後
柿は落葉樹の中では芽が出るのが遅い。柿の芽が出るころにはもう霜は降りるこ
とはない
うろこ雲が出たら3日のうちに雨 うろこ雲(いわし雲ともいう)は低気圧の前面にあらわれることが多いので、天
または風
気がくずれる前兆となる。
鐘の音がよく聞こえるときは雨の 曇りの日など、地上付近と上空との温度差が小さいときには、音は上空に逃げて
前兆
行かずに遠くまで届く。
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3.季節と農作業にまつわることわざ
大雪は豊作
冬寒いと夏は天候がよいので豊作となる
干ばつに不作なし
日照りの年は、案外豊作になる
夏虫は買うてもおけ
夏ウンカは益虫を呼ぶので駆除しないでおく
青大豆の風は台風が多い
6,7月に台風が来ると、秋にも多い
4.農産物に関することわざ
大根食ったら菜っぱ干せ
大根の葉のようにいつもは捨ててしまうようなものでも、まさかの時に役に立つ
という意味。大根の葉にはビタミン類やカルシウムなどがたっぷりある。
大根役者
大根は消化がよいので、お腹の調子が悪くなること、あたることはめったにない。
このことから、平凡であたらない(うけない)役者をこういうようになった。
大根頭にごぼう尻
大根は頭の方がおいしく、ごぼうはお尻の方がおいしいという意味。大根は先の
方が辛いので、頭の方が甘く感じらる。また、ごぼうは、お尻の方が組織がやわ
らかいので、このようにいわれる。
冬至にかぼちゃを食べるとかぜを 昔から、1 年で一番昼の短い冬至の日にかぼちゃを食べて柚子をいれた風呂に入
ひかない
るとかぜをひかないといわれています。栄養のあるかぼちゃを食べて、寒さが増
す冬に備えようという昔の人の知恵です。
秋なすは嫁に食わすな
年中出まわっているナスの中でも秋ナスが一番おいしい。姑(しゅうとめ)が嫁を
にくんで食べさせないという説や、ナスは体を冷やすので嫁の体を気づかってい
るという説がある。
なすの花と親の意見は千に一つも 仇とは無駄になることをいう。ナスの花は必ず実になり、無駄になる花はない。
仇(あだ)がない
同じように親の意見も必ず役に立つものだという意味。
栗よりうまい十三里(じゅうさん 1 里は約 3.9km。
「十三里」とはサツマイモのことをいい、
「クリ(九里)」と「よ
り)
り(四里 )」を足すと十三里になるが、ちょうど、江戸、東京から十三里のとこ
ろに、サツマイモの産地、埼玉県の川越があったためといわれる。
朝ショウガ夕サンショウ
朝は生姜を、夕方には山椒をとるようにすれば、健康を維持できるということ。
まめに食うとまめでまる(いられ 豆をまめに食べる、よく食べるとまめ(健康)でいられるという意味。ダイズは
る)
こうした願いをこめて行事食に使われている。おせち料理に欠かせない黒大豆も
「今年 1 年、まめに暮せるように」という願いがこめられている。
また、大豆には、災いや、病気などの「魔」を滅ぼす力があると考えられていた。
節分の夜に「鬼は外、福は内」と豆をまくのもこの理由から。
一杯茶飲めば坊主にあう
一膳飯、一杯汁、一杯茶はお葬式で死者へお供えしたり、参列者にささげるもの
で縁起が悪いのでよくないといわれた。一杯しかお茶を飲まないと不幸がおきて
お坊さんにあうようなことになるという意味。
雨栗日柿(あめくりひがき)
雨の多い年はクリがよくでき、日照りの年はカキがよくとれるといわれている。
クリは日照りが続くと実が熟す前に落ちてしまい、逆に柿は雨が多いと病気や害
虫が多くなる。
柿が赤くなると医者が青くなる
柿を食べると病気にならないという意味で、柿の実を食べるころには病人も減り、
医者は仕事がなくなってこまるということ。これは、かぜをひきにくくするビタ
ミン C が柿に多く入っているからいわれたと思われる。トマトにも同じような
ことわざがある。
梅干しは三毒を消す
梅干しは食べものの毒、血の毒、水の毒の三つの毒を消す作用があるといわれて
いる。梅干しは食中毒や水あたりにきく食品。
番茶梅干し医者いらず
朝起きぬけに、梅干しを入れた番茶を飲むと食欲が出てくる。食欲が出るという
ことは、胃液の分泌が活発になっている証拠で消化も良くなる。
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こんなことに注意しよう
●野生の大型動物に出会った時の対処法
●かぶれに注意
山間部では,たまにイノシシや鹿,時にはクマな
どの野生動物に出くわすことがある。遭遇したらあ
わてず騒がず,動物を刺激しないように静かにゆっ
くりと立ち去るようする。食べ物を持っている時は
リュックごと置いて逃げるのがよい。決してあわて
て走って逃げない(ただし,坂道でクマに出会った
時には,クマは前足が短いので坂を下るのが下手な
ので坂下ヘ走って逃げた方がよい 。)。こうした野生
の大型動物には出会わないに越したことはないので,
事前に地元の人から情報を得るようする。
気が付かないうちにウルシ科のヤマウルシ,ヤマハゼ,
ヌルデといった木々に触ってしまい,かぶれてしまうこと
がある。また,蝶やガなどの鱗粉でもかぶれてしまう人も
いる。注意が肝心だが,もしかぶれてしまったら,患部に
触れないようにして,できるだけ早く皮膚科の専門医の診
察を受ける。
●虫に刺されたら
自然の中でもっとも多く起きるトラブルが,蚊や
アプ,ブヨ,ハチなどによる虫刺されである。特に
早朝と,夕方から夜にかけた時間帯が要注意。その
間だけでも帽子に長袖,長ズボンといった肌を出き
ない服装(黒い色は避ける)をし,なおかつ防虫ス
プレーや蚊取り線香で防御するようにする。もし,
毒虫に刺されてしまったら,患部を水で洗い流し,
抗ヒスタミン系の薬を塗って冷やす。かゆくても決
して患部をかかないこと。
●生半可な知恵で野草やキノコに手を出さない
野草やキノコの中には毒を持つものも多い。トリカブト
ヤツキヨタケなどを誤食した例は毎年のように報告されて
いる。図鑑やガイドブックを見ただけでは,素人にが見分
けるのは難しいので,とにかく怪しいものには手を出さな
い方が無難。
●口に入るすべての物に気を付ける
実際に食べる物以外にも,口に入れる物には気を付ける。
キャンプでの食事の際に,近くに生えている本の枝などで
箸やバーベキュー用の串を作ったりすることがあるかもし
れないが,それがどんな植物なのかきちんと理解したうえ
で使用すること。以前イギリスでは,強心作用のある成分
を含有するキョウチクトウの枝でバーベキュー用の串を作
ったキャンパーが,心臓麻痺を起こして死亡した例もある。
●スズメバチに襲われた場合
毒虫の中でとくに危ないのがスズメパチで,時に
は刺された人が死ぬこともある。黒くて動くものに
は集団でしつこく襲ってくるので,つきまとわれて
もなるべく騒がず,腹這いになってじっと動かない
ようにする。決して手などで払うような行為はしな
い。また,刺されやすい人は,香水や匂いのするも
のは体や髪の毛に付けないようにする。ジュースな
どの飲みかけの缶やフルーツなどを近くに置かない
ようにする。もし刺きれたら,ポイズンリムーバー
ととげ抜きなどを使って毒針と毒液を取りり除き,
患部を冷やしてすぐに病院へ行く。
●思い込みは禁物
●アナフィラキシー・ショックに注意
●未知の生物にも用心
スズメパチに限らずハチの毒が怖いのは,人問の
体がハチの毒に対して強力なアレルギー反応を引き
起こすことである。特に数カ月以内に 1 度ハナに刺さ
れたことがある場合には注意が必要。体内にはすで
にハチ毒に対する抗体ができており,再びハチに刺
されると強烈なアレルギー症状が起き,ショック死
してしまうこともある。アレルギー体質の人は特に
ハチには注意することが大切。
以前は日本にいるはずのなかったセアカゴケグモやハイ
イロゴケグモといった毒グモが,近年,横浜や愛知,大阪
などで相次いで発見されている。また,ペットとして飼わ
れていた爬虫類などが逃げ出したり,捨てられたりして住
宅地や河川敷などで発見されるといったニュースも最近で
は珍しくない。ワニガメなどは子どもの指など簡単に食い
ちぎってしまうという。とにかく見慣れない生き物がいた
ら千を出きないようにすることが大切。
「こんな所にこんな生物がいるわけない」といった思い
込みは禁物である。平成 11 年,江戸川の河川敷ではそれま
でいなかったマムシが出没するようになり,注意を促す看
板が立
てられた。どうやら前年の平成 10 年 9 月に利根川が太増水
した際に上流から流されてきたらしい。また,同じくヘビ
のヤマカガシは,昭和 59 年に中学生が噛まれて死亡したこ
とから,毒ヘビであることが分ったが,以前は毒がないと
思われていたため,いまだに毒へどではないと思い込んで
いる人も多い。
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そのほか注意しておきたい危険な動植物
アシマダラブユ
北海道,本州,九州,奄美大島,沖縄
諸島に分布。体長8 mm 前後で,黒と淡
い黄色のまだら模様が特徴。吸血するの
は雌の成虫のみ。きれいな水のある所で,
特に朝や晩に刺されやすい。刺されると
痛みを伴い驚くほど出血する。刺された
約1週間は,痛みと痔みが続く。この他
日本にいるのは
オオブユ,ウマブユ。
【哺乳類】
クマ(ツキノワグマ,ヒグマ)
主に夜間活動する。地元の人から
事前に情報を得ておくようにする。
クマ除けの鈴やラジオを鳴らして人
間の存在を知らせていれば,向こう
から近づいてくることはめったにな
い。もし出会っても走って逃げない
こと。
【魚類】
ギギ
淡水性。夜や雨の後の水が濁って
いる暗に活動する。背びれと胸びれ
に毒勅(とげ)がある。
【爬虫類・両生類】
=ホンマムシ
北海道,本州,四国,九州,佐
渡,壱岐,対馬,伊豆大島,八丈
島,大隅諸島などに分布。全長 45
~ 77cm。平地にも山地にもいて,
夜行性だが曇りの日は昼間も活動
する。おとなしい蛇で毒の量は少ないが,毒性が強く,
年
に数人が亡くなっている。大水の後などに下流域に流さ
れてくることもぁる。
ヤマカガシ
本州,四国九州のほか,隠岐,
壱岐,屋久島などの島しょう部に
も分布。全長 70 ~ 158cm。水田や
川など,カエルのいる水辺にいる。
毒は強いが性格はおとなしい。1984
年に愛知県で中学生が噛まれて死亡するまで,毒
があることはあまり知られていなかった。頬の耳下腺(デ
ュベルノワ腺〉から分泌される毒は血液と血管に作用し
て出血を起こさせる。
アズマヒキガエル
北海道南部,本州東北部(近畿
及び山陰まで 〕,佐渡,伊豆大島な
どの海岸付近から 2500m の高山に
及ぶさまざまな環境に棲息する。
体長は 12cm 程度。後頭部にある耳
腺や皮膚腺から毒が分泌される。毒液が粘膜に付くと炎
症を起こす。
アカハライモリ
本州,四国,九州,佐渡,隠岐,
壱岐,大隅諸島などに分布。体長は
80 ~ 130mm。 日 本 国 有 の 種 で
Cynopus 属の中では最も北に分布し
ている。湿地によくみられるが陸に上がって活動
することが多い。皮膚腺からフグと同じテトロドトキシ
ヌカカ
北海道,本州の山林や葦原,河
原付近に棲息し,曇りの日や夕暮
れ時に活動する。追い払っても襟
元や袖口から衣服の中に入り吸血
する。数分は痛みを感じ,その後
激しいかゆみとなる。
チスイヒル
ヒルド科。古代ヨーロッパでは,
生きているヒルを患者の皮膚に吸
い付かせ,血液を吸収させる血療
法が用いられた。噛み付く時に「モ
ルヒネ」のような物質を出すので痛みはなく,意外
に気付かない。また,同時に「ヒルジン」という血液の
凝固を抑制する物質を出すので,血が止まらなくなるの
が特徴。噛まれた後は 2 ~ 3 日かゆみが続く。
チャドクガ
茶、サカキ、サザンカなどツバキ
科の葉を食べる幼虫。夜間灯火に集
まる成虫も毒針毛を持つ。
イラガ
刺されると最も痛いケムシで、カ
キ、クリなどの果樹の葉を食べる。
太くて短いカラダに剛毛を持つ。
アカツツガムシ
秋田県の雄物川,山形県の最上川,
新潟県の信濃川,阿賀野川の川岸の
アシの中に棲息。体長 0, 2mm。幼
虫期のツツガムシは一時期だけ標的
動物に吸着し組織液を吸収するが,この時ツツガ
ムシ体内のリケッチアが動物に注入されツツガムシ病に
感染する。ツツガムシ病の発生には地域性のほか季節性
があり,東北・北陸では春と晩秋,関東以西では晩秋に
多発する。一時ツツガムシ病の発生は減少していたが,
1970 ~ 80 年にかけて再び増加し,発生地域も拡大してい
る。現在では北海道と沖縄を除く各地で,春から初夏及
び晩秋から冬にかけて年間数百人の患者が発生しており,
死亡者も年によって数人報告されている。
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【昆虫類・その他】
オオスズメバチ
スズメバチの中の最大種で成
体は 27 ~ 45mm。ネズミや蛙な
どの古い巣を利用して,地中に
巣を作る。毎年,数人がハチに
刺されて死ぬが,その多くがス
ズメバチによるもの。攻撃的で毒も強い。ハチの毒針は
産卵
管が変化したもので,刺されると皮膚
が赤く腫れ上がり,中心にぽつんと出
血する。
コアシナガバチ
成体は 10 ~ 16mm。腹部に黄色
い横帯や紋がある。それほど攻撃
的ではないが,低木の横や岩陰,
人家の軒下に巣を作るのでやや危
険。巣の近くを刺激すると攻撃される。
キアシナガバチ
成体は 15 ~ 25mm。セグロアシ
ナガパチに似ているが,胸部の後
部の背面に黄色い紋がある。セグ
ロアシナガバチより山地を好む。
攻撃的で毒も強く危険。
フタモンアシナガパチ
成体は 10 ~ 13mm。日本で最も
普通のアシナガバチ。腹部の前部
に三つの紋がある。それほど攻撃
的ではないが,人家にも巣を作る
のでやや危険。
ミツバチ
木の洞などに蝋で巣を作る。花
にやってきたものは,刺激しなけ
れば攻撃しない。
シロフアブ
日本全国の牧場に多い。二酸化
炭素に反応して人や動物に集まる。
刺された時の痛みはそれほどでは
ないが,その後 2 ~ 3 週間しつこ
いかゆみが続く。幼虫は水田にい
て,これに刺されても猛烈に痛い。
【植物】
ヤマハゼ
山に生える櫨はぜ)ということ
からその名前が付いた落葉小高木。
自生するヤマハゼからも蝋が取れ,
姿もハゼノキとよく似ているが葉
や若芽に毛があるのがヤマハゼ。
雌雄異株。東海以西の本州,四国,
九州で見られる。樹液に触れるとかぶれる。
ヤマウルシ
日本各地の低地や山の湿った場所
に生育する落葉潅木。漆器に用いる
ウルシの木ほどではないが,樹液に
触れるとかぶれる。雌雄異株。春先
に出る新芽は,山菜のタラノメと芽
出しがよく似ているので間違えやすい。
ヌルデ
日本全国及び中国,インドなどの
温帯,暖帯に広く分布。生薬の五倍
子(ごばいし〕は秋に葉でできた虫
こぶを採集し湯通しして乾燥させた
ものだが,葉の中のタンニンは草食
動物の採食から防御する役割を果た
す。ウルシの仲間なので触るとかぶれることがある。
オニグルミ
山野に生える。葉の両面や中軸に
腺毛が密集する。果皮や葉にアレル
ギー物質を含んでいる。
キョウチクトウ
インド原産。生木のまま燃やす
と毒が出て,煙を吸い込むと嘔吐,
めまいなどを起こし,心臓麻痺に
至ることもある。毒の成分は,オ
レアドリン,ギトキシゲン,アデ
ィネリン,ジギトキシン。どこに
でも生えているので,箸の代わりにしたり触った手でも
のを食
べたりしないようにする。
アカズムカデ
頭部が赤い大ムカデ。北海道以
外の全国に分布。最も毒性が強く
噛まれると激痛と患部の腫れ,リ
ンパ炎,発熱などを引き起こす。
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安全な作業は正しい服装から始まります。
作業時の服装をキチンとしましょう。
防護めがねや手袋をし、服装はすそじまり
のよいものを着用しましょう。安全を履き、
すね当てをして防護しましょう。
仕業点検で安全作業の1日を始めましょう。
◆これだけは確かめておきたい
燃料、エアクリーナー、燃料や各部のオイル
もれ、刈り刃の締め付け、磨耗状態、飛散防
止カバーの取り付け状態
肩かけバンドやハンドルの位置を使いやす
いよう調節しましょう。
◆肩かけバンドをつり金具にとりつけ、ハン
ドルを握った手が、自然に下げた状態になる
よう肩かけバンドの長さを調節しましよう。
作業する足場を確認しましょう。
◆草の中には、何が落ちているかわかりませ
ん。作業の前に、木の枝、空き缶、ビン、石
などを排除しておきましょう。
◆特に、傾斜地では表面が直接見えません。
一歩ずつ確実に移動しながら作業をしましょ
う。
エンジンの始動は刃を地面から浮かせて行い
ましょう。
◆刈払機は、エンジンの回転が高くなると刃
が自然に回り始めます。始動時はスタンドを
使い、刃を地面から離してください。
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刈払機をノコギリかわりに使ってはいけま
せん。
◆草刈刃、クロス刃などいずれも草刈用です。
木の枝などは絶対に切らないようにしてくだ
さい。横着はやめて、ノコギリを使いましょ
う。
作業中は周囲に注意をはらいましょう。作業
者に連絡をとりたい場合は、遠くから合図し、
エンジンを止めてから近づきましょう。
◆作業中は半径5m以内に他の人を近づけな
いようにしましょう。
◆刈払機は騒音が大きく、声をかけただけで
は作業者は気がつきません。笛などを携帯し、
他の人との合図に使いましょう。
◆また、エンジンが止まったことを確認して
から作業者に近づくようにしましょう。
草がからんだ時、持ち運びの時も安全に気を
付けましょう。
◆草がからんで作業を中断したり、持ち運び
をするときは、まずエンジンの停止を確認し
ましょう。持ち運びは刃先が後ろになるよう
安全に配慮しま しょう。
刈幅は、約 1.5 mとし、刈幅の中央よりやや左
側(斜面の場合には、やや下方)に立って、
右から左に2~3回に分けて刈り払います。
大振りや刈刃でたたく方法は止めましょう。
また、刈り払い対象物を左側(斜面方向)に
倒しながら進みます。
急傾斜地では、斜面の下方に向かって刈り進む
のは止めましょう。
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刈刃の回転方向と反対の方向に刈り払うのは
止めましょう。したがって、往復刈りは止め
ましょう。
作業は急がないで常にゆとりをもって行いま
しょう。
◆草刈作業は夏の炎天下で行うことが多いの
で、余裕を持った作業計画をたてましょう。
給油などエンジンを止めた時には休息をとる
ようにしましょう。
刈払機の一連続操作時間は、おおむね 30 分以
内とし、一連続作業時間の後、5分以上の休
止時間を設けます。
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