亀 山 東 小 学 校 HP H.27年12月23日 文責:校 長(佐 藤) 遭難したトルコ人を助けた先人たち 地域の方が、学校に毎月、ある月刊の小冊子を届けてくださっています。毎月 楽しみに読んでいます。12月号のテーマは、「次」に送る「恩返し」です。こ の中の記事の一つで、『95年先に送られた恩』というお話があります。 明治23年(1890)、トルコからの初の使節団を乗せた船、エルトゥール ル号が日本を訪れました。使節団は3ヶ月間の日本滞在を経て帰国の途につきま したが、折悪しく台風にあったエルトゥールル号は和歌山県の串本沖で沈没し、600名以上が大荒れ の海に投げ出されたのです。 直ちにその救助に乗り出したのは、和歌山県沖に浮かぶ紀伊大島の島民たちでした現場は約60メー トルの崖下にある海です。しかし島民たちは、1人でも多くの生存者を助けようと、ひるむことなく海 に降り立つと、息も絶え絶えな遭難者を背負って絶壁をよじ登りました。そして、傷の手当はもちろん のこと、冷え切った体を抱き寄せて自分の体温を分け与え、さらには非常事態に備えて蓄えてあった食 糧の一切を提供するなど、懸命にその命を救おうとしました。結果として、69名のトルコ人が助かっ たのです。 このエルトゥールル号遭難時のエピソードは、トルコの歴史教科書にも掲載されており、トルコでは 誰でが知るほど歴史上重要な出来事であるということです。 エルトゥールル号の遭難から95年を経た、昭和60年(1985)の出来事です。イラン・イラク戦 争中の中東から、衝撃のニュースが発信されました。 イラク側が「イランの首都・テヘラン上空を航行する航空機は、どこの国のものであろうと撃墜する」 という方針を決定したのです。タイムリミットはわずか二日後。日本政府は現地にいた日本人の救出の ために手を尽くしますが、限られた時間の中で、もはや万事休すという事態に追い込まれました。 このとき、取り残された日本人215名を救出してくれたのがトルコ航空機でした。現地のトルコ大 使館から日本大使館へ「日本人に席を割り当てるから利用せよ」と連絡が入り、間一髪、無事に脱出す ることができたのです。 トルコの人たちはなぜ、危険を冒して日本人を助けてくれたのでしょうか。その答えは平成13年、 駐日トルコ大使であったヤマン・バシュクット氏への『産経新聞』の取材の中で、こう語られています。 「特別機を派遣した理由の一つがトルコ人の親日感情でした。その原点となったのは、1890年のエ ルトゥールル号の海難事故です」まさに95年も前の日本の先人たちのよるトルコ人遭難者への献身が、 トルコの人たちの胸に『恩』として刻まれ、後世に送られて きたということができます。 <ニューモラル平成27年12月号より> 現在、映画館で公開される映画『海難 1890』はこの二つの 友情と絆を描いた感動の物語となっているそうです。実は、 私はまだ鑑賞していないので、近々にチェックしたいです。
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