要旨 - ベートーヴェン研究所(京都)

第 66 回ベートーヴェン研究会
第 66 回ベートーヴェン研究会
日 時:2012 年 9 月 29 日(土) 午後 2 時~
場 所:大阪市福島コミュニティーセンター
発表者:滝本裕造
題 目:「ベートーヴェンの即興演奏」
皆様はきっと生徒を教えた経験があると思います。生徒には四種類あるようです。一、先生の
言うことを良く聞き、良く勉強する、従って、良くできる子。二、先生の言うことは聞くには聞
くが、もひとつ成果が上がらない子。三、先生の言うことを聞かず、従って、余り出来が良くな
い子。四、先生のいうことを全く聞かないで勝手なことばかりしているのに、そのくせ良くでき
る子。先生としては「第一」のタイプの子が一番やりがいがあり、従って、可愛いのではないで
しょうか。モーツァルトはこのタイプの子でした。お父さん先生のいうことを良く聞いただけで
はありません。行く先々で出合った先輩音楽家のいうことも素直に聞き、直ぐに真似ができまし
た。イギリスではクリスチャン・バッハ、イタリアではサンマルティーニ、マンハイムではシュ
ターミッツ、ヴィーンではシュヴィーテン男爵というように、モーツァルトは彼らのいうことを
聞いて直ぐにその通りの作品を作り上げることができました。
それでは、我がベートーヴェンはどのタイプの子であったのでしょうか。そうです。第四のタ
イプの子であったのです。先生としてはもっともやりにくく嫌なタイプの子です(生徒の方とし
ても不幸なことです)。ベートーヴェンは最初の先生であるお父さんの言うことを聞かなかった
だけではありません。成人してから(二十一歳)ヴィーンに留学したのはハイドンから作曲法を
学ぶためであったのに、ハイドン先生の言によれば、
「少しもいうことを聞かなかった」と言う
し、ベートーヴェンの方も、「先生からは何も学ばなかった」と豪語しております。
「ボン時代には、ネーフェといういい先生に習い、
(いうことを聞いて)よく勉強したではな
いか」という反論が上がることは承知しております。しかし、待ってください。この先生は非常
に偉い先生で、ベートーヴェンのこと(性質、性格)を良く知っていて、決して押しつけたりは
しませんでした。この先生の教育法は、
「実際に経験させて身に着けさせる」という方法であっ
たのです。ネーフェはボン宮廷のオルガニストとして就職してきたのですから、オルガニストが
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本職です。ところが、別に劇団に所属していて、よく他都市(地方)へ出張し、オペラ公演をし
ておりました。そこでその際に、弟子のベートーヴェンに自分のオルガニストとしての職務の代
理をさせたのです。ベートーヴェンなら安心して任せられると、その能力を高く買って信用して
いたからです。ベートーヴェンが十一、二歳のころのことです。
また、選帝候はシーズン(年末から翌年の春にかけて)にはオペラの上演をさせ、楽しんでい
ました。ネーフェはそのオペラの選択から、作曲、編曲、写譜、練習、指揮、と、大変忙しかっ
たので、ベートーヴェンを助手に、色々な仕事をさせました。特に、練習と本番ではチェンバロ
の前に座らせました。これは事実上、指揮者の仕事です。こうしてベートーヴェンは、作曲、編
曲、写譜(楽譜を書くこと)、初見演奏、スコア・リーディングの練習ができ、身につけていっ
たのです。これ以上のいい学習方法がありましょうか。これは十三、四歳のころのことです。一
シーズンに上演される曲目は十九から二十もありました。大変は数です。数をこなすことが何よ
りのよい学習方法なのです。
こんなことをネーフェ先生はこどものベートーヴェンに経験させたのです。なんと有り難いす
ばらしいことではありませんか。十二歳の時は、実習助手ですから無給です(少しは手当がつい
たようです)が、十四歳の時は正式に採用されました。つまり、俸給を貰ったのです。俸給を貰
って、ミサの本番を勤め、本当のオペラの上演の最初から最後までを担当する、という得難い最
上の学習をさせて貰ったのです。ベートーヴェンは大変初見演奏が速く上手であったといいいま
す。また、後に、耳が不自由になっても、楽譜を見れば直ぐに音を想像することができたといい
ます。こういう能能力は、このこども時代のミサ本番やオペラの上演をして獲得した能力であっ
たのです。
ところで、即興演奏です。ベートーヴェンは父親の言う方法(伝統的なありきたりの方法)で
は練習したがりませんでした。つまり、自分勝手に考えだしたやり方で鍵盤の前に座り、何時間
も過ごしたのです。つまり、常に、即興演奏を楽しんでいたことになります。四、五歳ころから
のことです。見つかると父親に叱られましたが、ベートーヴェンはいうことを聞く子ではなかっ
たのです。父親がいなくなると、また、自己流を通しました。
教会では鍵盤の前に座って、ミサなどの本番であるにもかかわらず、勝手に和音を増やしたり、
転調をしたり、即興で、付け加えて、曲をのばしたりしました。礼拝の本番中に、あまり勝手な
ことをするので、ある時は叱られたり、また、別の時には感心されたりしました。ベートーヴェ
ンは、人がどういうときに感心し、感激し、褒めてくれるか、を実体験で体得したのです。つま
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り、技術的に高度のことを行う、思わぬ転調をして平凡な退屈な雰囲気を変え、聞き手に「はっ
と」させる、そうすると効果があることを学んだのです。
こうして、ベートーヴェンは一人で次々と高度の技術を考え出し、楽想を発展させたのです。
それでは、ベートーヴェンが人々に感心させたという「即興演奏」とは、実際には、どんなもの
であったのでしょうか。我々はそれを音として実際に聞いてみたいのです。ところが、残念なが
ら、即興演奏は、その性質上、その場で消えて永遠になくなってしまいます。だから、本当なら、
我々はどんなに聞きたいと望んでもかなわないのです。
ところが、非常に有り難いことに、その即興演奏が残っているのです。レコードがあったわけ
ではありません。誰かが密かにベートーヴェンの即興演奏を聞いて瞬間に記憶し、その記憶に基
づいて、後ほど楽譜に書いておいてくれた、というのでもありません。なんと、驚くなかれ、ベ
ートーヴェン自身がそれを楽譜に書いて残しておいてくれたのです1。有名な話ですが、友人の
アメンダがベートーヴェンに「こんなにすばらしいものが消え去るのはもったいない」とため息
をつきました。すると、ベートーヴェンは「なんなら、今のをそっくりそのまま再現してみるこ
とができるよ」と答えたというのです。つまり、即興演奏といえども、いい加減に思いつくまま
を、指の動くままに勝手なことして、その場限りに忘れ去る、というのではなく、瞬間に頭で考
えたことを、頭で整理して、それをはき出したものが即興演奏であったのです。だからそれを取
り出してもう一度演奏することができるというのです。例えは適当かどうか分かりませんが、囲
碁でも将棋でも、そこそこ上達した有段者くらいになると、自分の今終わったばかりの勝負を、
最初から最後まで、順番に並べて反省することができます。また、挨拶や講演になれた人は、即
席に頼まれても、直ぐにその場で、瞬間に、頭の中で大体の筋道を決め、話しながらその筋にた
とえ話などで肉と皮をつけて纏めていきます。勿論、演壇を降りた時にそれをもう一度反芻する
ことができるのです。
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漱石の講義を克明にノートした学生がいました。それを後に整理して出版されたのが「文学論」です。
また、ヘーゲルの著作の大部分も彼の講義ノートに基づいています。
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