第13号 問い直されている心の絆

問い直されている心の絆
学校現場に籍を置いていた頃のことを考えると、学校や
地域での生徒間のトラブル、中学生とは思えない幼稚ない
a
たずら、さらには、人間として許しがたい言動等々、さま
ざまな事件や事象に心を痛め、必死に対応していたことを
思い出す。
こうした事象を通して感じたことは、生徒たちの問題行
動には、当然のこと、毅然と対応しなければならない一方
で、こうした言動の背景に、学校が、教師が、そして、家
庭が、保護者が、それぞれの子どもの成長にとっての「心
の居場所」になりえていないという現状であった。様々な
学校での取り組みの中で、子どもと保護者の心の絆が強い
家庭ほど、直面した問題が早期対応によって解決できたと
いう事実が、「心の居場所」の重要性を物語っている。
特に中学生時代は、子どもたちが社会人になるための準備の場でもある。
生徒の様々な問題行動は、この時期の生徒には多分に見られるものであり、私たちは、その言
動や問題事象を指導のチャンスと捉え、将来必要となる善悪の判断や自らを律する心を育ててい
かなければならない。
そして、学校を中心に、家庭や地域が、それぞれの立場で、その失敗に対して、社会人として
の責任の取らせ方を教えることが実に重要であると言える。
その際、心がけておかなければならないことは、『罪を憎んで人を憎まず』の名言どおり、問
題行動とその子の人格をひとくくりに考えないということである。誰一人として、邪悪な心を持
って産まれてきた者などいない。また、世間から、あえて問題視されるようなことを、自らが進
んでしようという者もいないはずである。
失敗に至った経緯は横に置き、人間として、社会人として犯した失敗には、中学生として要求
できる最大のペナルティを課し、一方では、その子の心を信じ、その子ども自身の人格を愛し、
その時点で、何を学ばせることが大事なのかを見極め、長い目で教え導くことが大切なのである。
ただ、何と言っても、中学生の年齢段階である。心と行動が一致しないところに思春期の特徴
があり対応の難しさがある。このことは、この時期の子どもたちと関わった経験のある者なら、
誰しもが肌身で感じ取っていると思う。
今、私たちの目の前にいる子どもたちは、社会が成熟化した中で、様々な人間関係を学べる機
会と場所を与えられずに育った哀れな存在である。同じ失敗をくい止めるだけの自己抑制力が育
ちきっていない者の方が多い。それでも、私たちは、子どもを信じ、しかも、子どもに譲らず、
現実から逃げず、真正面から対応していくことが必要なのである。
「あきらめ」は、教育、子育ての敗北である。愛情によって裏打ちされた言葉は、必ず、彼ら
の心に届いているということに自信を持ってほしいと思う。
さらに、一方で、学校は常に家庭の味方でありたい。保護者も学校を、教員を信じているので
ある。頼っているのである。
学校の教職員はオール・マイティではない。失敗もあれば力不足な領域も多く持ち合わせてい
る。保護者も同様である。学校も、家庭も、子どもが失敗を犯したのは私の責任などと考える前
に、家庭と学校が力を合わせて、目の前の子に最大の汗を注いでいこうではありませんか。
若者対象に総務省が定期的に行っている調査がある。
『あなたにとって一番大切な道徳は?』という質問であるが、その回答で「親孝行」と答えた
者が、昭和四十年代では六十%。しかし、現在は七十三%と増加している。さらに、「恩返し」
と答えた者が、昭和四十年代には四十五%であったものが、現在五十%という結果が見られる。
様々な特異な事象を、殊の外大きく取り上げて、現在の若者の内面を批判する声を多く聞く。
学校に関わる者の中にも、若者の心の乱れを社会問題化しようとするところがある。このデータ
が示すように、過去に比べ現代っ子の方が道徳心の高い一面も見られるのである。
いずれにしても私たちは、ダイヤモンドを漬物石にしてはならないということだけは、肝に銘じ
ておかなければならない。