「 さんびといのり 」(詩編 147:10~11)

2016 年 5 月 26 日(関)6 月 2 日(各務原)
岐阜済美学院宗教総主事 志村真
「 さんびといのり 」(詩編 147:10~11)
1.チャペルでは、先ほども皆で歌いましたように賛美歌を歌います。また、
「主の祈り」を唱えた
り、トーカーによってはお話しの最後に祈ったりします。そこで今朝は、再びガイダンスのようにな
りますが、
「さんび」と「いのり」について少しばかりお話したいと思います。
キリスト教では様々な機会に賛美歌を歌います。週に一度ある日曜日の礼拝や結婚式、葬式のよう
な儀式でも歌います。一人でもグループでも大きな集団でも歌います。キリスト教は数ある宗教の中
でも突出して音楽と結びついている宗教と言ってよいと思います。
人は何かよいことがあったとき、歌いださずにはおられません。喜びが歌となって流れ出します。
また、そのよいことをもたらしてくれた方に感謝をあらわすために歌います。喜びのときの歌、これ
には誰もが同意するでしょう。けれども、キリスト教会では悲しいときにも歌います。葬儀のときも
歌います。これにはキリスト教のお葬式に初めて列席した方はとまどうようです。昨年、父が召され
たとき、取り囲んでいた家族は牧師をしている私の妻が祈りを捧げた後、賛美歌「いつくしみ深き」
を全員で歌いました。
こうした苦難の中にあっても歌を絶やさない伝統は、キリスト教の母体となったユダヤ教以来のも
のです。そして、その根っこのところには、この私の、そしてこの私たちの喜びや悲しみに耳を傾け、
共感してくださる方(神)がおられるという信仰があります。また、礼拝プログラムの流れや賛美歌
がユダヤ教由来であるということは、私たちが礼拝を守り賛美歌を歌うとき、それ自体がユダヤ教と
の対話・交流となっているということですね。
2.さて、私たちがチャペルで歌っている賛美歌は、
『讃美歌 21』
(1997 年初版)という歌集から
採られたものです。この歌集には 580 曲が収録されており、一つの特色があります。それはキリスト
教の時空の広がりを映し出しているということです。
「時空」の「時間」
、すなわち大昔から現代まで
-1-
の曲が集められている。
「時空」の「空間」
、すなわち、この地球の全大陸から集められている、その
ような特色です。
私の数え方ですと、歌詞の言語で 24。歴史的経緯もあって欧米語が多い、すなわち 16 言語という
現実はありますが、日本語のものも勿論、たくさん含まれています。
(約 15%)アジア言語は 7 つで、
アフリカの言語は 1 つ(スワヒリ語)です。カリブ海やラテン・アメリカの曲もあります。これだけ、
色々な地域の歌を集めた讃美歌集は世界中を探してもないかも知れません。それら 24 の言語で書か
れた讃美歌の歌詞が日本語に翻訳されて、私たちは歌っているのです。
次に、
「時間」について言えば、聖書の語句を引用したものを除いて最も古い歌詞は、150 頃の「デ
ィオグネートスへの手紙」歌ったもの(281 番)です。曲の方では 9 世紀頃のグレゴリオ聖歌のメロ
ディが幾つかあります。新しいものでは、1969 年生まれの方による曲(348 番)を筆頭に、1990 年
代に作られたものが幾つか見られます。また、533 番「どんなときでも」は、8 歳で病気のために世
を去った高橋順子さん(1959~1967)が作られた詩を元に作曲されました。彼女の一節を朗読します。
「どんなときでも、どんなときでも、苦しみにまけず、くじけてはならない。イエスさまの、イエス
さまの愛を信じて。
」
では、そうした様々な曲を歌う理由は何でしょうか。それは昔の人も今の人も、この日本の人も世
界の人も、一同そろって歌う。一緒に礼拝をする。そのことを体感するためです。ですから、賛美歌
を歌うことによって、あたかも古代から現代にいたる世界中の人々が集う巨大なチャペルの中で過ご
しているような、そのような意味を持っているのです。
3.次に、祈りの最後、あるいは賛美歌の最後にある「アーメン」という言葉の意味についてはお
伝えしたいと思います。キリスト教についてよく知らないが、
「アーメン」という言葉は聞いたことが
ある、という人は多いと思います。
「アーメン」は古代ヘブライ語です。ユダヤ教の聖典「タナク」に見出され、特に『詩編』という
信仰詩集・祈祷集で用いられたものをキリスト教会が受け継ぎました。
「アーメン」の語源は「アーマ
ン(真実の)
」で、その変化形である「アーメン」には「その通り」とか「まことにそうです」あるい
は「真実です」といった意味があります。ですから、ある人が神に祈ったとき、その祈りの内容に対
して、そこに共にいる者たちが「そうだ、そうだ」と賛同して合いの手を入れる格好なのです。
お祈りを「アーメン」と唱和して終えることには重要な意味があると思います。なぜなら、私たち
は「アーメン」とは言えないことを祈ってはならないことになるからです。
「そうだ、そうだ」
「その
通り」と皆で唱和できないことを祈ってはならない。たとえば、誰かを呪ったり、復讐を願ったりす
る祈りに「アーメン」とは言えない。あるいは戦勝や誰かの敗北を祈る祈りには「アーメン」とは言
えない。祈りというものは、常に、愛と肯定感に満ちたものでなければならないのです。人と人、集
団と集団の利害が対立するとき、とりわけ紛争や戦争のとき、キリスト教を含む様々な宗教が自らの
勝利と敵の敗北・滅亡を祈ってきました。けれども、それは正しくありません。祈りや賛美は常に、
-2-
平和を求め、私たちが対立を終わらせることができるよう和解を求めるものでなければなりません。
そして、祈りは誰もが「アーメン」
「そうだ、その通り」と声を揃えて言うことができる内容へと整え
られていかなければならないでしょう。
4.最後に、わたしの好きな曲の中から一部を朗読して終わりましょう。曲のタイトルは「歌う理
由」
(カーク・フランクリン作詞・作曲)です。
誰かがわたしに尋ねました
どうして歌うのか、と
泣いているときも、調子のよいときも
歌っているのを見るとき
不思議に思う人もいるでしょう
歌の終わりに
私たちはいつも「アーメン」と言います
でも、心の中では歌い続け
賛美の声は止むことはありません
それは見せ掛けなんだろう、と
誰かが訊いてきたなら
それは違うよと言って、証しを立てましょう
わたしは幸せだから歌うのです
自由だから歌うのです
主の目はすずめにも注がれている!
だから私たちは歌うのです
あなたこそ、わたしが歌う理由です
掲載元:中部学院大学・中部学院大学短期大学部_チャペルアワー
-3-