朝鮮半島における風水地理説を用いた地形認識

歴史地理学 1
7
4 1~15
1
9
9
5
.
6
朝鮮半島における風水地理説を用いた地形認識
渋谷鎮明
I.はじめに
らわれる風水地理的な記述・表現などに関する
I
I
. 朝鮮(李朝)時代における地形認識
研究が地理学で行われている。また近年韓国で
は,高校の地理教科書に風水地理説が伝統的地
理思想として掲載されるなどのことを通して,
(
1
) 風水地理説と地形認識
(
2
) 朝鮮全土の山に対する認識一一「看龍法」
的認識
(
3
) 邑周辺の地形の認識一一「蔵風法J• i
形
局論」的認識
風水地理説に関する肯定的評価が行われるよう
になってきている。
筆者は前稿で朝鮮半島において,中国を起源
とする風水地理説が邑集落の立地や空間配置に
I
I
I
. 現代韓国村落における風水的な地形認識
r
v
.む す び
及ぽす影響について考察したが刊その研究を通
して風水地理説による地形認識が朝鮮半島にお
近年,風水地理説に関する研究が各研究分野
において,盛んに行われるようになってきてい
いて非常に多く行われていることを理解するよ
うになった。本来,集落・建築物・墓地の立地
や方向を決定するために風水地理説は使用され
るが,その前段階として,周辺環境を風水地理
る。日本においては沖縄を中心とした研究がお
こなわれ,また朝鮮半島や中国に関しでもさま
的な認識方法で観察し,解釈する,いわば「見
立て」を行うことが必要であり,その後に初め
ざまなテーマによる研究が蓄積されつつある。
て具体的な立地,配置が決定される。従ってそ
1
.はじめに
本稿で扱う朝鮮半島における風水地理説に関
こで行われる見立ては,風水地理説の論理で集
する研究も,やはり増加しつつある。大まかに
落や墓などを造成する場合,非常に重要で基礎
整理すると,風水地理説そのものの特性や論理
的な作業であると考えられる。とくに風水を用
構成,歴史的展開を明らかにするもの円都邑・
いて家屋や墓地の立地や配置を選定する風水師
村落,建築物などへの風水地理説の関与を問題
とするもの幻が多いように思われるが,また純粋
はまず見立てを行う能力が必要とされるであろ
う
。
に風水地理説のみを主題としない研究も含め,
その上見立てはそのような準備作業にとどま
らず,朝鮮半島において重要な地形認識の方法
韓国人の基本的な環境観・地形観であるとか,
あるいは伝統的な環境利用の方法として風水地
として用いられていたと考えられる。例えば朝
理説に言及するものもみることができる九韓国
鮮半島の風水地理説の展開について研究を行っ
の地理学者のなかでは,風水地理説全般につい
た李夢日は風水思想研究の「現代地理学的意義J
て研究を進める撞昌!神や,風氷地理説の歴史的
を主張する中で,
展開や現代社会における風水地理説の様相につ
水が現代地理学の導入以前までの韓民族の国土
いてまとめた李夢日などが研究をリードしてい
観であると共に場所性の創造原理であったと記
る。それ以外にも,伝統的な都市や村落と風水
しており,さらに現代韓国の農村において,風
地理説との関連,朝鮮時代の地理書・地図にあ
水地理説が周辺環境認識の方法として用いられ
- 1ー
i
地域地理学的意義jとして風
ていることも記している九また 1
9
8
7
8
8
年
,1
9
9
3
年に筆者らが行った韓国農村の予備的調査でも
示している。
またそれに関連するが,風水地理説は多少の
いくつかの農村で,風水用語を用いて周辺の山
相違はあるものの,朝鮮半島以外の中国,台湾,
や河川を説明された経験があり,見立てが地形
認識に用いられる例は現在でもかなりあるので
香港などの漢民族が居住する地域,あるいはベ
はないかと推測できる。なお,ここでいう「認
る地域で同じような方法で用いられており,こ
識Jは,一部の研究にあるように,研究者があ
こで扱おうとする地形認識の方法が他の地域で
トナム,あるいは中国周辺の少数民族の居住す
る地域の地形を風水地理説で判断するのではな
も行われている可能性が高しその共通点・相
く,基本的に居住者のもつ認識である。
違点を探ることは東アジアに共通する地形観を
ところでこのような見立ては当然朝鮮(李朝)
探るための一助となるであろう。
時代 (
1
3
9
2
"
'1
9
1
0
年)にも行われていたと思わ
しかし,朝鮮半島の風水地理説に関する研究
れる。たとえば日本時代の朝鮮半島の風水地理
では,これまで一部の研究を除いて円風水地理
説について詳細な研究を行った村山は,朝鮮半
説を用いた見立てを地形認識の方法として積極
島の多くの都邑で,その基地(場所)の形が何
的に捉えた研究が少なし風水地理説のもう一
に類しているかが問題とされ,その形状の知何
つの重要な役割として,風水地理説による地形
によって吉凶を論じる「類形観Jがみられるこ
認識の特性を明らかにすることは意義深いと考
とを指摘し,当時の朝鮮半島各地の都邑の類形
えられる。
の事例を豊富に示している九これはやはり周辺
以上のことから,ここでは朝鮮半島におげる
の自然環境を風水的な用語で認識しようとする
風水地理的な知識を用いた地形の認識方法の特
ものであると考えられる。村山の研究は 1
9
3
1
年
性を,歴史資料と現代の村落での認識から明ら
に発表されており,また朝鮮時代の地理誌から
かにすることを目的とする。
事例を引いているので,朝鮮時代末期には既に
具体的には,朝鮮(李朝)時代末期にあたる
そのような「類形観」が存在していたと考えら
れる。
1
8
0
0
年代末に編纂された各道邑志の①山川僚の
記載,②同時期に制作された
f
大東輿地図』の
このような地形認識の方法は,風水研究のみ
描写方法などから,当時の地形に対する認識に
ならず,朝鮮半島を含む東アジアの歴史地理学
ついて明らかにしたのち,③現代の韓国集落に
的事象を取ク扱う際に重要であると考えられる。
おげる認識を通して,一般の集落レベルでの認
まず,このような認識が少なくとも朝鮮時代か
ら行われている,朝鮮半島におげる伝統的な環
識方法について明らかにする。
境観である点である。そしてこの環境観は,現
代にまで受 η継がれているという点で重要であ
I
I
. 朝鮮(李朝)時代における地形認識
(
1
) 風水地理説と地形認識
り,またこれを明らかにすることは朝鮮半島の
風水説は本来,中国を中心とする地域におい
さまざまな地理的事象にアプローチする際に有
て行われるもので,都城,集落,住居,墓地な
用であろう。たとえば昨年出版された「東アジ
どの立地や空間配置を,周易や陰陽五行説を基
アの国家と社会」シリ J ズの『北朝鮮Jでは,
準としながら,選定する方法である。そのうち
金日成支配体制を論じる中で,儒教の影響とと
朝鮮半島の風水説については,著名な風水書を
もに,金日成に関する「神話」が地脈,白頭山
信仰,精気などといった風水と密接に関連する
中心とした分析から,崖昌鮮が?その方法を 6
つに分類し,整理している 9)。
概念を巧みに取り込んでいることを指摘してい
握昌鮮は風水の方法を以下の 6種に分類した。
る九これは風水地理説に支えられた環境観が朝
まず,山のつながりや山の形を判断する「看龍
鮮半島においてかなり根深いものであることを
法J
. 穴」付近の周囲の山勢を判断する「蔵風
-2-
r
表 1 朝鮮時代地理誌の山川{擦に用いられた風水用語
f
新増東園地勝覧J
α
5
3
0年)
鎮山
r
輿地図書J
r
巴誌』
(
1
7
5
7年)
鎮山
(
1
8
7
1年)
主山(鎮山,主龍,主詠,主主事)
案山(案対,外案),祖山(祖宗)・
小祖山,青龍(左穏),白虎(右虎)
水口
法 j,川などの水系の流れる方向,形態を判断す
る「得水法j,風水説で集落や墓地などを造るべ
きところである最も重要な「穴」を示す方法で
ある「定穴法 j,地形の形態を字,動物,物体な
どにたとえて吉凶を判断する「形局論j,建築
物,墓などの方位を決定する「坐向論」である。
本稿ではとれ以後この分類を利用しつつ,地形
そ乙で本章では,風水地理説に関する事項が
歴史的資料によく現れる朝鮮時代末期の邑誌,
8
7
1
年前後の
特に全国的に発行年が揃っている 1
r
邑誌と, 大東輿地図』に見られる記載や表現に
現れる風水的な地形認識について明らかにする。
(
2
) 朝鮮全土の山に対する認識一一「看龍法J
認識の方法を検討する。
風水説による地形認識は朝鮮時代の歴史的資
的認識
まず朝鮮半島全体の地形認識について検討す
料にもしばしばあらわれる。それらはおもに①
ると,朝鮮半島を何かに見立てる「国域風水論J
川
などもあるが,とくに重要であると思われるの
官撰・私撰の地誌類,②古地図類,③『択里志i
などの地理書lO),④風水書などであると思われ
る。これまで特に指摘されてきたものとしては,
朝鮮時代前期の地誌である『新増東国輿地勝覧j
の山川保1
1朝鮮末期に作成された金正浩の『大
東輿地図 J12), 択里志』聞などであろう。しか
r
は,李朝末期に完成した金正浩の『大東輿地
図j,あるいは『青丘図jなどに典型的に表され
るような,朝鮮半島全体を白頭山を出発点とす
る尾根線の体系として認識する方法であろう。
これは上記の握昌鮮の分類に従えば,いわば
「看龍法」的認識であると考えられる。看龍法
し,朝鮮時代後期から末期に多く刊行された地
誌である巴誌に言及した研究はあまり見られな
し
=
。
r
では,白頭山は朝鮮半島の全ての山の祖先(祖
山)であるとの認識があり,また逆に白頭山か
朝鮮時代中期の『新増東国輿地勝覧.1, 輿地
図書』などの地理誌と,朝鮮後期の巴誌を比較
ら朝鮮半島の全ての山へ尾根線(脈)がつながっ
ており,そこを「生気j が流れて行くと考えら
すると,風水にかかわる記載が増加している。
れている。また済州島は朝鮮半島から離れた南
5
3
0年に完成された『新増東国
朝鮮時代中期の 1
の海上に位置しているが,李重燥の『択里志』
輿地勝覧Jでは,邑の背後にあり,風水上重要
では,現在の韓国南部にある智異山から海の下
を脈がつながっていると述べられており,国土
な「鎮山」のみについて山川僚に記載があり,
山名,邑からの距離・方角が記されている。ま
全体を白頭山から始まる体系に組み入れている
8
7
1年前後に編纂された邑誌では,一部の
期の 1
ことが分かる。
『大東輿地図』仇朝鮮半島全体を,山のつ
ながりと水系によって枠組みを構成しつつ表現
邑の記載に,鎮山以外にも,やはり風水の用語
した,特殊な表現形態を持つ地図である(図 1
である案山,青龍,白虎,水口,などの語(空
間的な位置関係は図 4参照)や,山のつながり
参照)。この地図は朝鮮時代末期にあたる 1
8
6
1年
噴に金正浩によって作成され,地図全体は,横
方,風水師の言葉の引用などが記されている例
に長い 2
2
葉の短冊状に分割され,山と水の他に
)
が見られるようになる(表 1。
は地方行政拠点である巴の位置,城,交通路,
た朝鮮時代中期の『輿地図書』も同様に鎮山の
みが記載されている。それに対し,朝鮮時代末
- 3ー
で鴨緑江と豆満江に挟まれ,中国とつながって
いるのはちょうど白頭山の部分だけになってい
る。またその白頭山は中国の昆帯山からつながっ
ているとされており,従って白頭山は昆掃山か
ら唯一つながっている場所であり,風水的にも
重要な場所であるということができる。そして
白頭山から半島の各地まで山脈がつなげられて
描かれている問。これはやはり風水説との関連が
推測される。すなわち,朝鮮半島の祖山である
白頭山から各地の山へと生気が流れて下ってい
るという思想が深く浸透しているということで
ある。この気の流れる山の稜線と,気を止める
河川を中心に描く表記法はきわめて風水的であ
るといえるであろう 16)。
乙の白頭山からの脈が半島各地の山々へつな
図 1 大東輿地図の表現方法(白頭山付近)
(脈(稜線)が黒の太線で示されている)
がるという認識と沿うようにして,朝鮮時代末
期に作られたと思われる『山経表J
1
7
)には白頭山
を祖山とした山々のつながりが,ランクづけを
ともなって記されている。図 2のように白頭山
から韓国南部の全羅道と慶尚道の境界にある智
異山にいたる半島の中心をなす稜線が白頭大幹
として最もランクが高く(図中①),次に白頭大
-・・①白頭大幹
圃圃圃②長白正幹
回ーー③ i
各南正脈
④清北正脈
⑤清南正脈
⑥i
毎西正脈
⑦ 臨i
章北韓
成南正脈
⑥漢北正脈
⑨i
各東正脈
⑩漢南錦北
正脈
⑪漢雨正脈
⑫錦北正脈
⑬錦南湖南
正脈
⑬錦南正脈
⑬湖南正脈
N
A
幹から豆満江方向につながる稜線を長白正幹(図
中②),そしてその他の地域毎に中心になる稜線
はにわ正脈」という名称で記されている。そ
の表記方法は韓国の同族集団(門中)の家系図
として知られる族譜と同様の表記法で記されて
いる。従って,白頭大幹が,族譜の宗家系の家
系に該当し,そこから分かれていく正幹,正脈
が,族譜での子孫の分派の表記法で記されてい
る。また族譜では名前が記されるべき欄には,
山の名前が記されている(図 3)。
以上のような『大東輿地図』と『山経表』な
どにあらわれる「看龍法」的認識は,詳しくは
後に述べるが,現代の村落でも周囲の自然環境
智異山
を風水説で認識する例があるがその際にもみる
ことができる。との認識方法で特徴的な乙とは,
図 2 山経表に示された山の体系
(大東輿地図を原図とする)
①祖山とされる名山から「脈J
,即ち尾根線・稜
線がつながっていること,そして特に『山経表』
行政区画な ~Jß記されている。これを見ると,
では②その尾根線がある方法で体系化されてい
朝鮮半島の山は半島の根元,中国との国境付近
ることがあげられるであろう。また③そこで体
- 4ー
成
調富甲笈
川寧山山
山鍵表
i
そEE
E
t
距離か
邑
)ら
白頭大幹
れ(分
るここ
稜線の岐
山
8│
八由八 山
たつ方角近
〈
方
角 な
が・白・
白か
分
で
V づ題離か
邑 E
数
て
,
ア 来 V ら Z
-
1
分 八
線分三来つら近企
のか岐たな白〈山
数れ
方角が E
離 D
V
る
つ 明
b
邑B暗 E
Vて V
~..・稜
...._.....
哩
x
山
s
.
山
たな離由〈
方
角
が
勺 v 方角自 E
Vて
・か邑
z
*
山
{蝿誠晶旗本
V
図3
『山経表』と表現方法
系化された尾視線には元と末があるように思わ
誌である。邑誌は, 1
6
世紀後半から作られるよ
れる。即ち,白頭山という元があり,それが半
うになった地誌であり,基本的には国家の命令
島各地へ樹状図のように広がり,各々の末端に
各地の主山とされるような山があるという認識
があるのではないかと思われる 18)。
一つの道ごとに収集・編纂された「道誌」と一
によらずに作られたものを指す。また邑誌には
つの行政単位ごとに作成された「郡勝誌」があ
る問。特に時期的に揃っており,資料価値の高い
(
3
) 邑周辺の地形の認識一一「蔵風法j・「形
、「道誌Jは1
8
.
.
.
.
.
.
.
1
9
世紀に作られたものが多い。
局論J的認識
邑は,朝鮮(李朝)時代の地方行政拠点の総
年)である, 1
8
7
1,1
8
9
5,1
8
9
9
年に編纂された
称であり,邑集落とも称される。朝鮮時代
(
1
3
9
2
.
.
.
.
.
.
.
1
9
1
0
年)の地方行政制度は,太宗 1
3
年
(
1
4
1
3
) の改革でほぽ完成し,全国は八つの道
とりわけ 1
9
世紀後半の高宗の時代(18
6
3
.
.
.
.
.
.
.
1
9
0
7
邑誌は時期が遅いために現存するものが多い。
本節では邑誌の中でも, 1
8
7
1年前後に完成し
た邑誌の山川僚を検討することで,そこに記さ
に分けられ,さらにそれが府,大都護府,牧,
れている風水的な地形認識を明らかにしたい。
郡,鯨などの約3
3
0
前後の数の行政単位に分割さ
れ,現代の行政単位の骨格になっている。その
行政単位に一つずつ役所が置かれたが,その集
山川保の記載は,基本的には主要な山名,河
川名が記され,一つの山・河川ごとに邑から方
角と距離が記され,場合によってそれ以外の記
落が邑である。
そして一つの行政単位毎に沿革,山川,役所
載がある。その中で,いくつかの点で風水の影
響を受げたと考えられる記載があるが,それは
や寺院などの所在,人口などのさまざまな地誌
大きく三つに分げられる。第ーに山のつながり
的な項目についての情報が記載されたものが邑
方を記した部分であり,第こには風水用語とし
-5-
表2 1
8
7
1年邑誌(山川傑)にみられる風水的認識
邑の総数
山のつながりが示されている邑
風水用語が一種類以上用いられ
ている邑
主山・鎮山のみ記されている邑
主山・鎮山以外の記載がある邑
案山の記載がある邑
l
京畿
忠清
慶尚
全羅
黄海
江原
成鏡
平安
3
5
1
3
2
1
5
1
3
5
2
8
6
3
4
9
5
3
2
8
2
2
1
6
2
6
1
7
4
4
1
6
318
1
9
2
5
3
4
0
2
0
2
3
2
4
1
8
1
5
2
8
228
1
6
5
2
1
7
5
4
3
7
3
3
0
1
0
1
3
6
2
1
6
1
7
1
6
5
5
5
2
9
3
6
6
5
9
5
2
9
3
計
てよく使われる,玄武・朱雀・青龍・白虎の「四
そのような作業には,ここで示したような認識
神砂Jと「主山・案山・朝山 j, i
水口」などの
は必須のものであったであろう。
用語によって周囲の地形を認識している部分で
次に風水用語による地形の認識についてであ
ある。そして第三には,窪昌鮮の分類で「形局
るが, 318の邑のうち,表 2に示したように多少
論」と記されるような,一種の「見立て Jが記
されている例である。
なりとも風水の用語を用いて周囲の地形を示し
ているものは 228にのぼり,全体の 7割を超えて
まず山のつながり方についての記載であるが,
いる。その内容は,風水を考えるうえで重要な
邑によって山名の後に, i
自口口(地名)
ζわ 山
「主山(鎮山)
jがどこであるかを示すものが多
来Jと記されることがある。これはその山がど
く,全体の約半数の巴で記載があった。しかし
この山からつながっているのかということが記
それ以外の用語を用いた地形の認識は, 2割弱
されているのである。例えば,慶尚道の慶州の
の邑で記載されているに過ぎなかった。しかし
山川僚をみると, 28の山について記載されてい
全体として用いられる風水用語の種類は多く,
るが,その全てにその山はどこからつながって
いるかについて記されている。そしてその冒頭
主山(鎮山・主肱・主龍・主峯),案山(案
対),祖山(祖宗),小祖山,青龍(左龍),白虎
に記される馬北山は, i
在神光懸東二十六里自青
松狐幌来・・・」と記され,山の所在を示した
(右虎),水口などの風水用語が用いられてい
る。そして例は非常に少ないが,特定の邑では
後に行政区域としては青松都護府にある「狐眠」
これらの用語を豊富に用いて周囲の地形を認識
から連なっていることが記されている。乙のよ
している。
うな記述は, 318の巴のうち,約 6割に当たる 192
の色において見ることができる(表 2
。
)
これには,前節でも触れたように,朝鮮半島
の山は白頭山を始まりとして,すべてつながっ
たとえば,忠清道の洪州(現在の忠清南道)
の邑誌には,日月山を「邑之主山 j,鳳首山を「邑
之案山 j,八峰山を「邑之左龍j,烏棲山を「邑
之右虎」と記され,風水用語によって周囲の地
またそのつながり方は,白頭山から末端部へつ
形が捉えられ,図 4に示したように東向きの形
局が認識されている 21)。
ながるという認識がある。上記の馬北山に関す
上記の四神砂に該当するような,用語による
る記載でも,より白頭山に近い北側の山とのつ
認識がある一方で,上述の「形局論」を用いた
認識,すなわちある地形をも物や動物などに轍
ているという認識が影響していると考えられる。
ながりのみを示している。また握昌鮮は,実際
に風水に基づいて建築物を作る場合にも,本来
えて表現する例がみられる。たとえば,朝鮮半
は白頭山からの山のつながりを検討すべきであ
島南部の全羅道の名山である智異山の南麓に位
るが,実際には近くの名山までのつながりを参
置する求撞の邑誌には,主山である鳳城山が飛
考にするどいう原則について言及しているが20), 鳳抱卵形(鳳風が卵を抱く形)であると記して
-6-
穴
左龍
明堂
内青龍
外青龍
4
企‘八峰山
a
‘
‘
一
一
一
一
一
主山
日月山
案山
恩首山
-.,..句官--
;洪州邑
右龍
烏棲山
i
a邑
朝山
図 4 風水地理説による理想的な地形と忠清道洪州牧の地形認識
@
彦陽
邑誌に記載
-ーーーがある脈
ーーーーその他の脈
、
A
4
. 主山
O 駅・属県
ム位置が確認
@
邑
できない山
J清 道 郡 の 境 界 弐f 河川
図 5 清道郡誌にみられる地形認識
A
邑誌に記載
のある山
*
水口
(大東奥地図を原図とする。また邑・駅・属県,河川は郡誌に記されたもののみを記入した。また「甲峰」の位置が
確認できなかったが,周囲の山々との関係で位置を推測)
-7-
いる。他にも同じ全羅道の淳昌,慶尚道の晋州,
ことを述べ,再び水口に触れている 2九さらに最
順興などで同様の記述がなされている。また以
後に役所のある場所(官基)の地勢が仙人掌形
上のような風水的な地形の認識を記述するにあ
であり,また主山(繁山)が飛鳳形であるとし,
たって「風水家以為・・・」であるとか「堪輿
家日・・・」などと風水師の言であることを示
形局論的な「見立て」をも記している 2九
す場合もある。
このような風水的な地形認識は,邑によって
た「看龍法」的認識, 蔵風法」的認識, 形局
論 J的認識を見て取ることができ,地形の認識
記述の度合が異なるが,一部の邑誌にはかなり
に風水を用いた一つの好例を示しているといえ
このように清道郡の邑誌には,ここまで記し
r
r
詳細に記されている。特に慶尚道の清道では,
る。またここでは,乙れまで「四神相応」の概
ここまで記してきたような認識方法をすべて用
念として知られる青龍・白虎などの語と比して,
いて周囲の地形を表現している。清道の邑誌は
風水用語として取り上げられることの少なかっ
他の巴誌とは異なり,山川傑とは別に序文のよ
た「水口 Jという概念が用いられ,それは河川
うな体裁で周囲の地形を描写している。そこで
は,官頭に隣の邑(慶州府)に属する名山から
が合流し,山の狭まる特徴的な地形を指し示し
ていることが明らかになった 2九
清道の邑集落の主山へのつなが・りが記され,そ
の次にそれらの山々に固まれた地域の河川につ
本節では邑誌の山川僚の記載を中心に,邑集
落の周囲の地形の認識について述べてきたが,
いて述べ,その後に一度郡の歴史に触れ,さら
に邑集落近くの地形について形局論的な事項を
述べている 22)。
星昌鮮の分類を用いれば「蔵風法j 的な認識と
山のつながりは,図 5に示したように大きく
形 を 全 体 と し て に わ 形Jと,何かの形に噛え
いえる,主山,案山などの風水用語を用いた認
識と,
r
形局論」的認識と考えられる,周囲の地
分けて三つ記されており,第ーに,隣の邑であ
る認識というこつの方法をここでは捉えること
る慶州府にある断石山の「大幹龍」の一枝が,
ができた。またその一方で,前節で示した,山
甲峰,そして省唄,八助峡,栗幌の三つの峠を
のつながりを捉える「看龍法」的認識もかなり
経て琵琶山へ至り,そこから南へつながる一枝
詳細に行われていることが明らかになった。
が甲乙嶺,屯徳山,華岳山を経て,清道の邑集
落の背後にある薫山にい たる(図中の①)。次に
I
I
I
. 現代韓国村落における風水的な地形認識
J
甲峰で①から分かれた一枝が中山を経て鳥植山
官頭に述べたように,風水を用いた地形の認
に至る(図中の②)。さらに断石山のまた別の一
識は,朝鮮時代の歴史的資料のみではなく,現
枝が義谷駅の背後をとおり,雲門山につながっ
代の韓国村落においても見ることが可能である。
ている(図中の③)。これは清道郡の郡域をちょ
李夢日は慶尚道慶州郡江東面良洞里,および箪
うどカバーするように稜線を押さえている。そ
威郡華山一帯において,現地調査に基づき住民
してここに記された山々のうち,それぞれ甲峰
の「風水地理的空間認識」を明らかにし,上記
は邑の小祖山,屯徳山は清道郡の南に接する密
の分類を用いれば,
r
形局論」的認識が見られる
陽都護府の主山,慧山は清道の主山,鳥撞山は
ことを明らかにしており,それを風水の「地域
検川駅の主山とされ,また鳥謹山と屯徳山に挟
地理学的意義」としている 2九現代韓国農村にお
まれた部分を水口ととらえている。すなわち上
記のような山のつながりの中で,風水用語によ
いてもこのような風水を用いた地形認識が広く
行われていることが予想できる。
そこで,ここでは上記のような歴史的資料に
る山の位置づげがなされているのである。
その後に図中にも記したように琵琶山から流
みられる認識方法が現在どのように用いられて
れ出す紫川と慶州府との境,雲門山付近を源と
いるかについて,筆者の調査による韓国の慶尚
する河川が水口である検川付近で合流している
道密陽郡府北面退老里と,済州道北済州郡旧左
-8-
f
可
釜山の中聞に位置する小都市密陽の北 5kmほ
どの場所に位置しており,北,東,西を山に囲
まれている。集落の周辺には亭子などの歴史的
建築物が多く,朝鮮時代に支配階級である両班
が居住した,いわゆる「氏族村」ということが
できるであろう。
退老里での風水地理説を用いた地形の認識は
次のようであった。①この村の鎮山は集落の北
側にそびえる華岳山であり,そこから稜線のつ
ながっているトッテ(帆柱)山が村の主山とな
る。また,②この村は風水説でいう「行舟形J
であり,舟が進んでゆく形局をしているといわ
れている。そのため,舟には帆柱が必要であり,
そのため主山がトッテ(帆柱)山と呼ばれてい
る。また,③村は背山臨水の地に立地しており,
青龍・白虎の認識はみられなかった。また,現
在村の前方,南側には貯水池がつくられている
が,④その貯水池の堤防の両側に位置するこつ
の小山は村の入り口を押ら村を守っている。
⑤また,村は,背後の山から流れ出る二つの水
系が合流して村落外に流れ出る地点に位置し,
これが風水的にみて非常によい場所であるとの
認識もある 27)。
これらの認識をみると,前述の認識方法のう
ち,蔵風法的認識が希薄であるが,①にみられ
るような看龍法的な認識,②のような形局論的
認識がみられ,それ以外に,水系に関する認識,
歴史的資料からははっきりと現れなかった得水
法に関する認識もみることができた。
次に,済州道北済州郡旧左面吾照里の例を示
す(図7)。吾照里は,韓国本土から南西に離れ
図 6 慶尚南道密陽郡府北面退老里における地形の
認識
A:華岳山(鎮山) B:トッテ山(主山)
C,D:村の入口の山 E:退老塁
た済州島の東部の沿岸に位置しており,村の東
側には入り江をもち,漁港になっている。村落
の周囲は低い丘陵と済州島特有の寄生火山に固
まれている。また吾照里はかつて北東に
l
k
mほ
ど離れた海岸沿いにあったが,風が強いことと
面吾照里における地形認識の事例をあげながら
倭冠の侵入のために現在の位置に移動した。そ
明らかにする。
の際には風水説を参考にしながら立地位置を定
めたとされている 28)。
まず,慶尚南道密陽郡府北面退老里では図 6
のような認識がなされている。退老里の集落は,
韓国東南部,慶尚南道に属し,大都市の大郎と
乙こでの周辺環境への認識は以下のようなも
のである判。
- 9ー
、
,¥
C
:
:
J
・
図 7 済州道北済州、l
郡旧左面吾照星にお砂る地形の認識
A:青龍. B 食山峯. c
.白虎 .D 城山日出峯, E;:吾照星,
*:風水的によい場所
まず,①済州島の中央部には漢撃山と呼ばれ
られており,その上に風水地理説では「穴」と
9
5
0メートルの名山がそびえているが,
る標高 1
いうべき最もよい場所が認識されているという
そこからつながった稜線が集落の背後までつな
点が注目される。
がっており,②集落の背後で稜線は別れ,青龍
と白虎になり,青龍は食山峯に至り,白虎は集
れておくと,退老里では風水用語によって村落
落南側の低い丘陵を経て城山日月峯につながっ
の周囲の地形を説明し得たのは,一部の年配の
ていると考えられている。③また村の北西側に
層であったが,吾照里では,年配の層をはじめ
あり,青龍と考えられている食山峯は, i
玉女散
として,一部の若年層 (20~30代)でもこのよ
髪形」とされ,それに関する伝承がある。さら
うな認識に関する知識を備えていた。
またこのような認識の主体について簡単に触
に村の中には風水説でみて最も「よい場所j が
I
V
.む す び
存在しているということである。位置的には,
村の西部の少し小高いところにあるが,風水説
本稿では,朝鮮半島における風水地理説を用
の理想図である山局図と比較すると,明堂,あ
いた地形認識について,朝鮮時代末期の地理誌・
るいは穴に該当するような位置にその場所があ
ることがわかる。従って,①,②のような地形
地図と,現代の韓国農村の事例研究を通して,
その認識の方法とその特'性について検討しもてき
の認識にしたがってその場所が良いと判断され
た
。
たと思われる。この吾照里では前述の認識方法
をすべて用いて,周囲の自然環境を把握してい
図では,握昌鮮の分類によれば,看龍法に該当
まず朝鮮時代の代表的な地図である大東輿地
る。但し退老里でみられた水系に関する風水的
な認識はみられなかった。
するような白頭山からの山のつながりを重要視
上記の二つの例を見ると,前章で見ることの
殊な表現がなされており,さらに『山経表jで
できた「看龍法」的, i
蔵風法」的, i
形局論」
的認識が盛んに行われている。ただ退老里では
は,主要な脈ごとに名称と等級がつけられてい
し,山の稜線(脈)を全て連続させるという特
青龍,白虎といった用語を用いた認識がみられ
る。また 1
8
7
1年巴誌の山川保には,崖昌鮮の分
類では上記の看龍法的な認識の他,蔵風法,形
ず,若干蔵風法的認識が弱いように思われる。
局論に該当するような認識が行われ,慶尚道清
一方吾照皇では,上記の 3つの認識方法が用い
道の邑誌では,それらが組み合わされて用いら
-10-
小スケール
大スケール
「穴」あるいは「
→
l 明堂
J
(立地位置
t →
の決定
①看龍法
④定穴法
⑤坐向論
②蔵風法
③得水法
⑥形局論
図 8 風水地理説の方法の分類と地形認識の関係
れ,地形と郡の領域が捉えられていた。
時代においては,近代以降の地理学の代わりに
次に韓国の慶尚南道密陽郡府北面退老里と,
済州道北済州郡旧左面吾照里では,現代も風水
風水地理説が,知識を体系化する役割を担って
きたといえるのではないだろうか。また現代の
地理説を用いた認識方法が行われており,やは
韓国においては,もちろん地誌書などに風水的
な認識は記されていないが,本稿で扱ったよう
り雀昌昨の分類では看龍法,蔵風法,形局論に
該当するような認識方法が用いられている。ま
に農村地域では,周囲の地形が風水地理説の論
た吾照里では風水的に「よい場所」が認識され
理で認識されており,朝鮮時代までに完成され
ていた。
I
I章で述べたように,崖昌昨の分類は風水の
た風水地理説という別系の地理学が現在も存在
しているように思われる 30)。また韓国の農村地域
術法を,看龍法,蔵風法,得水法,定穴法,坐
向論,形局論の六つに分けているが,図 8に示
の老年層にとって,風水的な知識はかなり一般
的なものになっているように思われる 31)。
したように,形局論を除いて徐々にスケールダ
ウンしている。即ち看龍法が最もスケーノレの大
最後に,今回得られた結果から本研究の展開
の可能性について二点述べ,さらに今後の課題
きい判断を行い,坐向論は既に立地の決定した
建築物や墓の方位を決めるという,最もスケ}
について記しておきたい。
まず第一に,このような認識は風水地理説の
ルの小さな,微調整に近い判断を行うものと思
伝播した東アジアではかなり一般的であると考
われる。本稿で扱った,風水地理説を用いた地
えられるが,風水地理説を用いた地形の認識は
形の認識という側面では,六つの術法の中でも
どとでも大きな差はないと思われs
z
h本稿で明ら
スケールの大きい看龍,蔵風,そしてスケール
かにしたものと同じような認識と,地形に対す
にあまり関係のない形局論に該当するような認
る意味の付与がなされている可能性がある。ま
識が行われている。
た,事例としてあげた吾照里では,住民に風水
冒頭にも多少述べたが,風水地理説による立
的な「よい場所」が認識されているわけである
地選定・空間配置のための基礎的な作業として
の見立てはそれだけにとどまらず,同時に周辺
が,これはおそらくは風水地理説でいう「穴」
を指していると思われる。即ち,地形的には青
の自然環境,とりわけ山や河川などに関する知
龍・白虎に固まれた領域の中心部,あるいは小
識を体系化するためにも利用されてきたように
さな尾根の先端を指している。このような認識
思われる。とくに 1
1章で扱った清道の邑志の記
が他地域でも行われているとすれば,同じよう
載をみると,山のつながりや,風水用語による
な場所を「よい場所」と認識している可能性が
山の位置づけ(主山,小祖山)を行う中で地形
あり,風水地理説が東アジアの場所性の形成に
に関する情報が記されている。このように朝鮮
重要な役割を果たしていると思われる。
-11ー
次に,朝鮮時代の邑誌では,風水地理説の論
頁
。
8
4
):漢陽が朝鮮の首都に選定された
任徳淳(19
理に沿うような形で地形が記述されているが,
このような認識が朝鮮時代末期において行われ
理由:政治地理学的接近(韓国語),忠北大学校論
ていたということは,現在の西洋起源の地理学
文集, 2
7,361-371頁
。
などの研究があり,村落との関連では,
とは異なった環境認識が行われていたことにな
り,たとえば白頭山を根源とした,稜線(脈)
のつながりにおいである地域の位置づけがなさ
れていたことなどをみると,当時の朝鮮時代の
さまざまな地理的事象についてもこのような認
識が用いられている可能性があり,重要である
と思われる 3210
また今後の課題として,第一に,本稿では詳
柳在憲 (
1
9
7
9
):農村景観の形態的研究:瞳州・
利川地方を中心に(韓国語),地理学論叢, 6,
96-115
頁
。
1
9
8
5
):南陽洪氏同族社会集団
洪賢玉・雀基熔 (
の地域化過程(韓国語),地理学研究, 1
0,383-424
頁
。
1
9
7
8
):韓国自然部落の形態空間論(韓
李廷根 (
2,37-118
頁
。
国語),蔚山工大研究論文集, 9
細に触れることができなかったが,認識の主体
についてより詳細な検討が必要であり,とくに
I
I
I章で取り上げた現代の韓国農村における地形
などをあげることができょう。
r
3)洪慶姫 (
1
9
8
6
): 村落地理学』法文社, 166-167
頁
。
認識についてはそのような認識の主体や,その
2-3頁
。
について今後調査を重ね,把握することとした
い。またそれに関連して,済州道北済州郡旧左
面吾照里において,風水的な「よい場所」が多
くの住民に認識されている点について,上記の
点と併せて,稿を改めて言及することとしたい。
(神戸大学文化学研究科)
〔
注
〕
1)村山智順(19
3
1
)
: 朝鮮の風水』朝鮮総督府。
r
崖昌詐 (
1
9
8
4
):r
韓国の風水思想、 J(韓国語)民
音社。
などがあげられる。
4)渋谷鎮明 (
1
9
9
1
):李朝邑集落にみる風水地理説
の影響,人文地理, 4
3
1,5-25
頁
。
5) 前掲 1
),李夢日, 3
4頁
。
6)前掲 1
),村山智順, 2
0
5
2
9
4
:
頁,および750-760
頁
。
7)鐸木昌之 (
1
9
9
2
):r
北朝鮮J(東アジアの国家と
社会一 2
) 東大出版会, 185-194
頁
。
8
) 次に示すような研究では,風水を用いた地形認
識について事例をあげながら説明している。
前掲 1
),李夢日, 245-258
頁
。
r
金鍾大 (
1
9
8
9
):島腕地域の風水説話の風水地理
雀昌砕 (
1
9
9
0
): よい地とはどこを言うのか』
的解釈(韓国語),全北大教育大学院修士学位論
(韓国語)ソへムンジプ。
r
文
。
李夢日(19
92): 韓国風水思想史研究 j (韓国
語),デウォン社。
朴時翼 (
1
9
8
7
):風水地理説の発生背景に関する
分析研究,高麗大学校建築工学科博士学位論文。
r
1
9
9
3
)
: 風水地理(家と村)J(韓国
金光彦 (
語) 白星日社。
9)村山も,風水の方法を看龍法,蔵風法,得水
法,定穴法に分類して述べている。また朝鮮半島
などが代表的なものであると思われる。
におりる基本的な風水書である『錦嚢経』も,気
2)例えば漢陽(ソウル)と風水地理説の関連で
感篇,平支篇,山勢篇(看龍法に該当),四勢篇(蔵
は
,
風法に該当),貴穴篇(定穴法に該当),形勢篇(形
3
8
):李朝初期の建都問題(韓国
李丙煮(19
局論に該当)に分かれており,雀昌詐の分類と類
語),震檀学報, 9,30~85 頁。
似点が多く,握昌鮮の分類は朝鮮風水を整理する
崖棟 (
1
9
7
2
) :漢城遷都と新都の建設(韓国語)
r
(
韓国学研究叢書(二 )
j成進文化社),
r
1
9
9
0
)
: 韓国の河川地形』古今書院,
金寓亭 (
ような認識方法がどこからきたのか,などの点
160~187
うえで妥当であると思われる。
r
1
0
) 択里志j は朝鮮時代に李重燥 (
1
6
9
0
1
7
5
6
)
-12-
が著した地理書であり,実地踏査を基に士大夫が
社
)
, 333~361頁。
住むべき地を,地理(風水地理説),生利(経済活
1
9
) 楊普景(19
8
7
):朝鮮時代の邑誌の性格と地理的
動),人心,山水(自然景観)などを判断基準に述
認識に関する研究(韓国語),ソウル大学大学院地
べたものである。風水地理的な判断も随所にみら
,4
1頁
。
理学科博士学位論文, 8
2
0
) 雀昌詐 (
1
9
8
6
):月岳山菊紡寺社明堂の風水解
れるが,風水地理説の術法のみを記した風水書と
は内容が異なっている。
1
1
) 前掲 1
),、雀昌詐, 274~285頁。
釈(韓国語),都市および環境研究, 1,65~81
また各地理誌の山川僚には,各行政単位(郡)
毎の山と河川について,その位置や邑からの方角
等が記されている。
1
2
) 努弘基 (
1
9
9
1
):大東輿地図の地図族譜論的研
頁
。
2
1
) 韓国学文献研究所編 (
1
9
8
5
): 韓国地理志叢書
r
邑 誌 八 忠 清 道 ②J(影印本), !!I!細亜文化社,
4
7
4頁
, (
f洪州牧邑誌J山I
1
1燦)。
2
2
) 韓国学文献研究所編 (
1
9
8
2
): 韓国地理志叢書
r
邑誌ニO 慶尚道④J(影印本),亜細亜文化
究(韓国語),文化歴史地理, 3, 37~48頁。
1
3
) 虚道陽(19
6
3
):八域志「可居地」解説(韓国
語),地理撃,
1,91~96頁。
徐樹仁 (
1
9
6
3
):択里志研究序説(韓国語),地理
撃
,
1,83~90頁。
<
f
清道郡志J
)。
2
3
) f・・・蓋以断石山大幹龍之一枝西出遼迩横亘
社
, 1
0
7
0頁
,
百有余里至子禁邑。近甲之墳単峰吃立国秀正直其
高造天名之日甲峰特為小祖山。甲峰一枝西出一枝
三浦国雄 (
1
9
9
4
) :風水説と福地思想一「択里
蒋而過省幌峡再縛而八助峡三縛市栗幌西走三十余
志Jの場合一(渡漫欣雄・三浦国雄編『風水論集』
星為琵琶山。琵琶山一枝南去過馬時峡縛縛為甲乙
凱風社), 51~73頁。
嶺文東走郡地仇佐之境過斤時峡又過昆乙時行数
1
4
) 国家(朝鮮半島)全域を何かの形にたとえ,国
家の吉凶を判断するもの。
十里為屯徳山。屯徳之ー除過ー峡北措為撃岳山為
郡地主山則名之日紫山也。甲峰之一枝東南過熊時
1
5
) 大東奥地図では,山が切れているような場所
も,尾根線を描くときと同様に分水嶺で連続させ
峡又縛而為中山文轄而過縫峡南去為鳥龍山域因為
検川騨主山古橋地理為回龍顧祖而輿屯徳之東枝
相封閥鎖為一境水口也。紫川之流其源出自琵琶山
である。
1
6
) 罪弘基によれば,この大東輿地図は現在でも韓
南洞直過豊角懸至子郡内為北川轡回至検川水口
国で見られる「風水図Jの影響を受げて作られて
南注入子密陽之凝川。断石山之一枝過慶州義谷騨
いると主張している。彼はある地図にそれ以前の
後嶺隣陶起伏層畳峻極為雲門山。山之東峡為彦陽
どのような地図が影響を与えているかということ
懸之山水西峡為本郡之山水曲曲為勝地至子密陽
を明らかにしようとする「地図族譜論的」研究
之境大川由其中其源有二。一出雲門寺洞ー出東京
で,作者である金正浩の生涯を追い,朝鮮半島に
之界合流子上東面南走百余里至子橘川輿紫川合
おいて墓の位置などを示した「風水図 Jにみられ
流為岐淵淵為清密之境也。 J
る表記法,即ち風水の善し悪しを決定する山と川
を中心に描く方式を取り入れていると主張してい
る
。
2
),40~45頁。
前掲 1
2
4
) f・・・又云官基謂之仙人掌形又云郡之主山謂
之飛鳳形・・・」。
2
5
) 水口については,たとえば中国の風水地理説に
ついて研究を行った何暁析によると,山が狭ま
r
1
7
) 申景溶(19
1
3,
1
9
9
0復刻): 山経表J
,プルンサ
り,しかも河川が合流する「水口関鎖の地 jにつ
いて,そこが村や都市の入り口に当たるような重
ン(原版は朝鮮光文会)。
1
8
) このような認識は,朝鮮(李朝)時代の庶民層
要な場所であり,中国東南部の農村では水口が強
の建築儀礼,とくに地ならしや上梁祭に際して歌
く意識され,塔や台などのモニュメントが作られ
われた「成造歌」などに,白頭山から主山(鎮山)
ていることを指摘している。
r
1
9
9
0
): 風水探源.1 (中国語),中国東
何腕折 (
になる山への連続性が歌い込まれている。
9
4
) :朝鮮の「すまい」と風水思
西垣安比古(19
想(渡遁欣雄・三浦国雄編『風水論集』凱風
南大学出版社。
2
6
) 前掲1)李夢日,
-13-
245~258頁。
2
7
)1
9
9
0年 8月に行った現地調査時の李象衡氏への
ばれ,広く用いられていることを示し,また常見
ヒアリンク+による。
は,中国南部からグイ北部にか砂て居住するヤオ
2
8
) 済州大学校耽羅文化研究所(19
9
0
):r
耽羅文化
8
) 済州島部落誌(1II).1<韓国語), 402~403
叢書(
族が焼畑にともなう集落移動の際に,育費E・白虎
などの風水用語を用いて見立てを行い,新しい集
落を形成することを報告している。
頁
。
前掲 2
5
),3
4
5頁
。
2
9
)1
9
9
3年 9月に行った現地調査による。
3
0
) 沖縄・中国を中心として風水地理説について幅
1
9
9
4
):ヤオ族の移住と村落の形成
常見純一 (
<
f国見J
) を中心とし
広い研究を進めている渡遁は,各地域の居住者の
一一マーン=ラーオ=トン
風水に関する知識を西洋科学的知識で分断せずに
て(渡漣欣雄・三浦国雄編『風水論集 j 凱 風
扱うべき「東洋地理学j であると主張している。
5
3
2
7
5
頁
。
社
)
, 2
これは本稿において筆者が地域住民の認識を問題
3
3
)奄美・沖縄地方における寸法による吉開判断に
にした点,また風水地理説を現代の地理学と並存
ついて言及した小口は,研究の展開の可能性とし
する「別系の地理学Jとして結論づけている点と
て,歴史地理学的展開として,やはり過去におげ
る人間集団の価値観の重要性について触れている
基本的に合致している。
r
1
9
9
0
): 風水思想と東アジア J人文
渡遁欣雄 (
が,本稿も同様の展開が可能なのではないかと恩
1頁
。
書院. 2
われる。
9
4
):寸法による吉凶判断と住居景
小口千明(19
1
9
9
1
):漢族の風水知識と居住空間,
渡漫欣雄 (
4,1
9
9,........2
4
8
頁
。
国立民族学博物館研究報告. 1
観ー奄美・沖縄を事例として一,地理学評論,
r
6
7
9,638~654頁。
渡漣欣雄 (
1
9
9
4
)
: 風水気の景観地理学』
人文書院, 98~99頁, 280~281頁。
3
1
) たとえば筆者が予備的調査を行ったことのあ
〔付記〕
る,韓国慶尚北道星州郡月恒面安浦里に居住する
9
9
2年 6月に人文地理学会地理思想部会
本稿は, 1
李仁沫氏は,墓地風水について,とくに墓地の立
において発表した内容に加筆修正を行ったものであ
地や配置について豊富な知識を持つが,氏によれ
る。なお,本稿で扱った資料のうち,清道郡邑誌の
ば,墓地選定に関する風水的知識は,とくに意識
読解については大阪市立大学の野崎充彦先生(朝鮮
的に学んだものではなし社会生活を行ううちに
身についたものであるという。
文学)の協力を得,また済州島調査の際には韓国漢
3
2
) 例えば,前述の何暁析は,現代中国の農村にお
陽大学校建築学科のキト勇燥先生,済州大学校の梁津
訓先生の御助力を得た。記して感謝いたします。
いて,本研究でいう形局論的認識が「喝形Jと呼
-14ー
LANDFORMCOGNITIONBYPUNG-SUTHOUGHTINKOREA
S
h
i
z
u
a
k
iSHIBUYA
P
u
n
g
s
u(
F
e
n
g
s
h
u
i,風水)i
sak
i
n
do
fE
a
s
tA
s
i
a
nt
r
a
d
i
t
i
o
n
a
lg
e
o
g
r
a
p
h
i
c
a
lt
h
o
u
g
h
t
.The
o
m
p
o
s
i
t
eo
f
p
u
r
p
o
s
eo
fp
u
n
g
s
ui
st
os
e
e
khumanf
e
l
i
c
i
t
ybyt
h
eh
e
l
po
fj
i
r
y
u
k (地力), ac
g
r
o
u
n
df
o
r
c
e
s
.I
ti
st
h
o
u
g
h
tt
h
a
tgroundf
o
r
c
e
sg
i
v
e goodl
u
c
kt
o p
e
o
p
l
ewhos
e
l
e
c
tf
a
v
o
u
r
a
b
l
es
i
t
e
sf
o
rt
h
e
i
rb
u
i
l
d
i
n
g
,s
e
t
t
l
e
m
e
n
t
so
ra
n
c
e
s
t
o
r
'
sb
u
r
i
a
lg
r
o
u
n
d
s
.I
ti
sg
e
n
e
r
a
l
l
ys
a
i
dt
h
a
t
a
l
s
ol
a
n
d
s
c
a
p
eo
fKoreah
a
sbeeni
n
f
l
u
e
n
c
e
dbyp
u
n
g
s
u
.
Overt
h
ep
a
s
tfewy
e
a
r
sc
o
n
s
i
d
e
r
b
l
enumbero
fs
t
u
d
i
e
shaveb
e
e
nmadeonp
u
n
g
s
ui
n
K
o
r
e
a
.E
s
p
e
c
i
a
l
l
y,manya
r
t
i
c
l
e
shavebeend
e
v
o
t
e
dt
ot
h
es
t
u
d
yo
fc
h
a
r
a
c
t
e
r
i
s
t
i
c
so
fKorean
p
u
n
g
.
s
uandi
n
f
l
u
e
n
c
eo
fp
u
n
g
s
ui
nKoreans
e
t
t
l
e
m
e
n
t
s
.Buts
of
a
rt
h
es
t
u
d
yo
fl
a
n
d
f
o
r
m
c
o
g
n
i
t
i
o
nbyp
u
n
g
s
uh
a
sb
e
e
ns
u
p
e
r
f
i
c
i
al
.T
h
i
si
sn
o
to
n
l
yani
m
p
o
r
t
a
n
tp
r
o
c
e
s
so
ff
i
n
d
i
n
g
,b
u
to
n
eo
faKoreant
r
a
d
i
t
i
o
n
a
lviewo
fn
a
t
u
r
e
.
f
a
v
o
u
r
a
b
l
es
i
t
e
sbyp
u
n
g
s
u
Thep
u
r
p
o
s
eo
ft
h
i
sp
a
p
e
ri
st
oc
l
a
r
i
f
yhowt
h
eI
a
n
d
f
o
r
mi
sr
e
c
o
g
n
i
z
e
dbyp
u
n
g
s
ui
n
K
o
r
e
a
.Thea
u
t
h
e
rc
o
n
c
e
r
n
e
dw
i
t
hl
a
n
d
f
o
r
mc
o
g
n
i
t
i
o
nd
u
r
i
n
gl
a
t
eChosune
r
aandl
a
n
d
f
o
r
m
c
o
g
n
i
t
i
o
ni
nmodernKoreans
e
t
t
l
e
m
e
n
t
sa
st
h
eo
b
j
e
c
to
ft
h
i
ss
t
u
d
y
.
Thel
a
n
d
f
o
r
mc
o
g
n
i
t
i
o
nd
u
r
i
n
gl
a
t
eChosune
r
awasm
e
n
t
i
o
n
e
dbyE
u
p
c
h
i (邑誌), a
g
e
o
g
r
a
p
h
i
c
a
lr
e
c
o
r
d,ande
x
p
r
e
s
s
e
dbymapsI
ik
eD
a
e
d
o
n
g
y
o
j
i
d
o (大東輿地図).Wecanf
i
n
da
c
h
a
r
a
c
t
e
r
i
s
t
i
co
fl
a
n
d
f
o
r
mc
o
g
n
i
t
i
o
nbyu
s
i
n
gt
h
e
s
em
a
t
e
r
i
a
l
sa
sf
o
l
l
o
w
s
:
1
.D
a
e
d
o
n
g
y
o
j
i
d
oa
d
o
p
t
e
ds
p
e
c
i
a
lmethodo
fe
x
p
r
e
s
s
i
o
nt
h
a
tg
i
v
e
sw
e
i
g
h
tt
oc
o
n
n
e
c
t
i
o
n
c
c
o
r
d
i
n
gt
oChoi
'
s
o
fr
i
d
g
el
i
n
e
s
.Andt
h
i
smethodwass
y
s
t
e
m
a
t
i
z
e
di
nSangyunpyo (山経表).A
c
l
a
s
s
i
f
i
c
a
s
i
o
n
,t
h
i
sk
i
n
do
fc
o
g
n
i
t
i
o
ni
ss
i
m
i
l
a
rt
o Kanryun
・
bop (看龍法), o
n
eo
ft
h
e
p
u
n
g
s
um
e
t
h
o
d
.
t
ermsl
i
k
e
2
.Thed
e
s
c
r
i
p
t
i
o
no
fl
a
n
d
f
o
r
mi
nE
u
p
c
h
ic
o
m
p
i
l
e
di
n1
8
7
1u
s
e
dmanyp
u
n
g
s
u.
n
s
a
n (案山), s
u
別(水口) ands
oo
n
.Forexample
,p
r
i
n
c
i
p
a
lm
o
u
n
t
a
i
n
sand
j
u
s
a
n (主山), a
r
i
v
e
r
swerer
e
c
o
g
n
i
z
e
dbyu
s
i
n
gp
u
n
g
s
ut
e
r
m
si
nt
h
ed
e
s
c
r
i
p
t
i
o
no
fl
a
n
d
f
o
r
mi
nC
h
u
n
d
o
g
u
n
j
i
(清道郡誌), o
n
eo
ft
h
eE
u
p
c
h
i
.
A
c
c
o
r
d
i
n
gt
oC
h
o
i
'
sc
1a
s
s
i
f
i
c
a
s
i
o
n
,t
h
i
sk
i
n
do
fc
o
g
n
i
t
i
o
ni
ss
i
m
i
l
a
rt
oKanryun-bop (
看
龍法), C
hanpung-bop (蔵風法), andHyunggug-non (形局論).
Thel
a
n
d
f
o
r
mc
o
g
n
i
t
i
o
ni
nmodernKoreans
e
t
t
l
e
m
e
n
t
swasa
l
s
or
e
c
o
g
n
i
z
e
dbyp
u
n
g
s
u
methods l
i
k
e Kanryun-bop (看龍法), Chanpung-bop (蔵風法), and Hyunggug-non (形局論),
a
c
c
o
r
d
i
n
gt
oa
u
t
h
e
r
'
ss
u
r
v
e
yi
nT
o
e
r
o
r
i,Kyungsan-namdo,andO
j
o
r
i,C
h
e
j
uI
s
.i
nK
o
r
e
a
.
wef
o
u
n
dt
h
a
tt
h
e
r
ei
saf
a
v
o
u
r
a
b
l
es
i
t
ei
nav
i
e
w
p
o
i
n
to
fp
u
n
g
s
ui
nO
j
o
r
.
i
E
s
p
e
c
i
a
l
l
y,
-15-