京都大学 防災研究所 技術部通信 No.15 Technical information 目 次 第 3 回防災研究所・技術職員研修会について ―――――― 1 ―――――――――――――――――― 2 ―――――――――――――――――――――― 3 医者の話・私の話 風の神様 1993/ 8/23 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 防災研・技術研修会の予定 本年度も第 1 回・第 2 回に引続き第 3 回の実施を予定しています。 (技術部通信 No.14 号にて一部既報) 11 月 25 日(木)午前中は講義 午後 2 名の先生に講義をしていただく 観測所の紹介 4件 技術(研究)発表 5件 懇親会 11 月 26 日(金) 京都大学の施設見学 超高層電波研究センター信楽MU観測所 河川災害部門大戸川観測所 外1ヶ所 次回(9月中旬)は、地震予知センターにお願いします。 1 医者の話 私の話 耐風構造部門 医者の話 羽野淳介 アレルギー体質とは アトピー性皮膚炎は、アトピー性体質という遺伝的なアレルギー体質を持つ人の病気で アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、じんましん、それにアトピー性皮膚炎等がある。 これらの症状が全部一気に発症する事はまれである。アトピー性皮膚炎は、このアトピー 性体質を持つ人の皮膚に家の中のホコリやダニ、花粉、人間のあか、汗、ふけ等の外的刺 激物や、時には食べ物のアレルギーによって強いかゆみが発生する事がある。一般的に乳 児期には顎や頬などにブツブツが出来たり、腕や首、おむつの当たるところ等が赤くカサ カサしてくる。 頭やまゆ毛にはカサブタが付いていることもある。少児期になると次第に手足の間接部 に赤いブツブツが出来たり肌がごわごわになったりし、体全体が乾燥し、あお白く見えて くる。こうして皮膚がカサカサになり、粉をふいたようになってかゆみが強く、いつもひっ かき傷が絶えなくなる。こうした状態を放置しておくと、とびひ、水いぼや硬い小丘疹が 現れ、目の下に色素沈着が見られるようになる。 かつては、幼児期に起きて思春期には治るとされていたが最近は思春期に発症し、成人型 に移行する人も増えてきたとの事。 私の話 アレルギー性鼻炎(花粉症) 田舎に生れ、田舎で育ち 1 万本余の杉を植え、その杉も床柱が取れるまでに育っている。 ところが私平成元年頃より目が痒い鼻水が出るようになった。病院へ行けばアレルギー性 鼻炎(花粉症)とのこと。この年になって「うそう」といったがやはり「うそ」ではなさ そう。目薬や鼻薬を沢山貰ったがあまり利目がない。平成 3 年には目玉を取り出しガソリ ンにつけてワイヤーブラシでこすりたい気分だった。平成 4 年の春に、私も酒を飲むので 内蔵によいと、スギ茶(スギナ)を飲み始めた。毎日 5 合今も飲んでいるが、今年の花粉 の時期には目も鼻も完全に治ってしまった。酒を飲む割には肝臓も大丈夫との事。 花粉症の方、肝臓が心配な方お試し下され。 2 風の神様 耐風構造部門 杉政和光 日本の神話には、八百萬の神といわれるほど、多くの神々がおられます。 それは、神話の中で最初に登場する夫婦の神、伊邪那岐命、伊邪那美命が数々の国土を生 み、その国土経営を担当する多くの神々、いわゆる、八百萬の神々を生まれたからである。 その中に志那津比古命という風の神様がおられる。私は、風の研究室に籍をおくものとし て、我々の生活に大きな影響をおよぼす風を司どる神について、日本とヨーロッパで昔か らどのように人々が、風の神を見、かかわってきたのかを調べてみることにしました。 日本における神々を大きく分類すると、 第一に、自然現象を神格化した自然神 第二に、人間生活に深くかかわっている生活神 第三に、人間が神格化した人間神 の三つに分けられます。 第一の自然神は、天地を形づくる自然界すべてを神として、人々は畏敬してきました。 古代の人々は、天変地異や災難などの禍は、すべて神の怒りの発現と見ていたので、神を 祀り、敬うことによって難をまぬがれ、家族の安穏と氏族の繁栄をはかる手段としてきま した。農耕民族であった日本人は、これらの自然神を祈ることにより、豊作を約束づけよ うと切なる願いをこめてきました。その中には、 日神、月神、星神、風神、雨神、田神、山神、海神、水神、火神、雷神、 などの神々がおられます。 3 風の神としては、三十三間堂・尾形光琳、俵屋宗達の絵に見られる風袋を背負った風神 像が有名である。又「風邪ひいてまんねん」でお馴染みのTVコマーシャルの風神さんも 知られています。 日本の風神の系譜をたどると、伊勢神宮には、別宮として、内宮に風日祈宮、外宮に、 風宮があります。風の宮を祀る宮の本家は、奈良県生駒郡の信貴山麓にある龍田大社だと されています。風の神である志那都比古命、志那都比売命祀られています。日本のあちら こちらにある風の神様を祀る神社の大部分は、この龍田大社から分かれたものといわれて いる。この男女両神は、天地の大気すなわち、風力を主宰する神とされ、志那とは、息長 (シナガ)の意味で、気息(イキ)即ち、風の長く遠く吹き渡ることを言う。斯くして天 候、気象の変化、旋転するのは、この大神の御威霊なる風力を基本とし、中心としている と思われています。 この龍田大社は、秋の収穫時の暴風を防ぐために農民が五穀豊穣を祈った農耕の守護神 ともなり、又、聖徳太子が法隆寺建立の際に龍田大社に無事竣工を祈願したことから、建 築の除難を願う神ともなっています。 又、奈良県御所市の葛城山麓には、風の森神社があります。この一帯は、金剛山麓を南西 から吹き抜ける強風の通り道に当たり、その平穏を祈るため風の神、志那都比古命、志那 都比売命を祀ったと考えられる。 龍田大社も伊勢神宮の風の宮も、奈良・平安時代の朝廷の貴族社会の人々が、朝廷の儀 礼として豊作を祈ったお宮であったと言える。一般大衆や農民は、秋の収穫時の暴風を防 ぎたいがために祀った社である。 以上のように人々は、風の神に暴風洪水の禍害なく、五穀豊穣を祈り現代では、航空、 航海、漁業、建築業等に関係する人々が、除難多幸を願い、風神の風の守護に依り、誤り なく安全に操縦し、無難幸福を祈念し、又息の神として延命長寿を祈願しています。この ように、風の神はわれわれ人間に、深い影響を及ぼす神として、昔より今日に至るまで変 わることなく信仰を集めている神であります。 ◎ ギリシャ神話の風神 外国にも風の神様はいる。首都アテネには、約二千年前、恐らく西暦三十五年ごろに建 てられたと推定される風の塔がある。その八面の壁の上部には八人の風の神様の姿が浮彫 されて残されている。この塔は、パルテノンの丘の北側の麓、約 300 メートル、旧ローマ 市場の遺跡の一角に残されている八角形の大理石造りのものである。(次頁の図参照) 高さ 13 メートル、半径 8 メートルの塔で、内側は空っぽ、その外側の一番上の八方向の壁 に、それぞれの風の神様の姿が浮彫で刻まれている。 北風の神はボレアスで、厚い着物を着て、大きなホラ貝を手にしたひげの老人である。 ホラ貝を吹いたときのような音をさせて、ギリシャ北方のトラキア地方(ブルガリア)の 洞窟から吹きおろしてくる冬の風を吹き送るこわい神様である。 北東風の神様はカイキアスで、お年寄りの男の神様である。厚手の着物をきちんとつけ、 腕には豆粒のような形の雹が半分ほど入っている盾をかかえている。雷雨とともに、雹を 4 畑や牧場にまき散らす恐ろしい神様である。 東風の神はアフェリォテスである。美男子の若い神様で、薄着で、上着のケープに、果 物、穀物の穂、野菜をつつみ、それをかかえている豊穣の神様である。 南東風の神様はエ ウロスで、ひげの老 人で、手には何も 持っていない。恐ろ しい嵐の神様である。 南風の神様はノー トスである。薄着を した若者の神様で, さかさにした水瓶を がかえている。雨を 降らせる神様で、蒸 し暑いときに活躍し、作物を台なしにしたり,病気をもたらしたりする気まぐれな危険な 神様でもある。 南西風の神様は片肌ぬぎで、難破した船の破片をもっている若いリプスという神様で、 足をむき出しにした暖かい海風の神様である。 西風の神様が美男のゼフィロスである。上半身は裸で、スカートにいっぱいの花を包ん でいる春の神様である。 北西風の神様はスキロンである。意地悪の高年男で、腕に抱えているのは真鍮の火鉢で ある。灰と火のついた炭をまき散らしている。 このほかにも、まだ何人かの風の神様がおられる。風の父と言われるアイオロスや、そ の娘で、風の王女アルキュオネ(ハルキュオネ)などがそれである。アイオロスは白い乱 れ髪に、あごひげを振りみだし、荒れ狂う赤ら顔の神という伝えもある。 日本の風の神が志那都比古命、志那都比売命の男女の二人だけであるが、その絵姿が全 く知られていないのに比べると、ギリシャの風の神様の共通点として、両者ともが、人格 神としては捕らえられていないことのようである。洋の東西を問わず、風の神様は神話の 主役にはなり得ていない。その他大勢の神々の中の一人で、主役の神々が活躍する舞台を 構成する端役の神々の一人に過ぎないのである。 参考図書 原書房 風の事典 5
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