ダウンロード - 全国骨髄バンク推進連絡協議会

全国骨髄バンク推進連絡協議会
● 運動の基本理念 ●
「骨髄移植を望む患者の救済と骨髄提供者の保護
を第一義とし、より良い公的骨髄バンクの実現
と骨髄移植医療体制の充実を訴え、各地域に根
ざした市民運動を推進し、各地運動体の活力と
情報を相乗的に集積できる全国的なネットワー
クを構築する」
骨髄バンク
第5号
骨髄バンク 第5号
目次
目次
●巻頭言
“行動に向けて”−−力が試されるとき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小寺良尚・2
●NMDP年次総会参加報告「あやちゃんアメリカに行く」
NMDP総会に歴史の1ページ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三瓶和義・4
成田出発まで余聞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野村正満・5
4 Days in Minneapolis ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホリマン睦子・7
NMDPから若きボランティアたちへ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・猶希世子・14
アメリカでドナー登録した理由 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・品川保弘・15
数々の収穫 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・海部幸世・16
●ドナー集団登録の光と影
目標30万人達成のために ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野村正満・18
集団登録の体験と課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮治世之紀・23
初めの一歩は32人で ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・畠山茂房・24
集団登録? 秋田方式 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・菅早苗・26
「登録者の質」を考えさせられた一日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山本亜希子・27
成功の秘訣は「良好な人間関係」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子和子・28
3月14日、富山で何が ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・れれちゃんず・30
●エッセイ
ボランティアから患者へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳田ひろみ・32
移植医と調整医師と ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茆原博志・64
●全国協議会の新しい仲間
自治労県本部の活動で発展(鳥取)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森雅幹・34
「原因究明」
「治療法確立」への情報提供(再生つばさの会)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市川賢司・36
「県民の集い」は年に2回開催(栃木)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飯島尚・38
●骨髄提供者の手記
第一声は「パンツ、パンツ……」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村玲子・40
骨髄提供とインターネット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山村詔一郎・66
●公的臍帯血バンクの産声
公的臍帯血バンク設立運動の意味するもの ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有田美智世・44
公的バンクに期待する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・迫田朋子・46
「造血幹細胞バンク」の視点から ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・遠藤允・48
●患者の手記
感謝の気持ち、見せたい希望 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・浅野泰司・54
●hide Memorial Day
来年も……また、会える ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小島加津子・58
●私と骨髄バンク運動
ワカの物語 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若木換・62
支えてくれる二人の患者さん ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北折健次郎・76
「骨髄バンクを知る集い」雑感 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武田重幸・82
●同種骨髄移植後自然出産の全国調査について
男性20人、女性10人に「子宝」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平林憲之・70
●移植後出産患者からのメッセージ
感謝の気持ちを伝えたい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・白水豊・74
●骨髄移植関連最新医療情報
骨髄バンクを介した国際協力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本真一郎・78
●骨髄バンク改善への私論
新事務局長の抱負 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・埴岡健一・84
●骨髄バンク知名度アンケート
4427人はこう見ている ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・骨髄バンクを支援する 愛知の会・98
■オピニオン情報誌「骨髄バンク」バックナンバーのご案内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・108
■あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111
■表紙・原田維夫(版画・デザイン)
巻頭言
“行動に向けて”
――力が試されるとき
小寺良尚 Yoshihisa Kodera
骨髄移植推進財団・企画管理委員会委員長
⑤患者登録−移植までの期間短縮
平成9年度に続き平成10年度もまた骨髄移植
推進財団、全国骨髄バンク推進連絡協議会の共
⑥ドナーリクルート
催で第2回公開フォーラムを開催できたことを
⑦職員とボランティア
まずは喜びたい。ただ、今回は特に主として財
⑧中央と地域
団の“圧倒的な”人手不足(業務過剰)の故に、
⑨日本と海外、等とする。
4.提案は実行方法やスケジュールまでも含む
会の準備のほとんどを全国協議会に依存してし
ものとする。
まわざるを得なかったことをお詫びするととも
に、それでもなおあのように充実した会を持て
これらテーマは前年度の第1回公開フォーラ
たことに関して全国協議会の皆様に心からのお
ムとそれ以降の様々な場で私が感じ学び温めて
礼を申し上げたい。今回の会の開催に当たり、
きたものであり、皆様の力を借りなければ実行
共催者の一方の実務代表として私は以下のこと
できないものである。昨年、同様の“巻頭言”
を提案し、もう一方の実務者である遠藤允氏と
を報告書に書かせていただいたころと比べても
おおよその合意に達した。
骨髄移植や骨髄バンクを取り巻く社会とその一
1.テーマを「非血縁者間骨髄移植に関わる問
部である医療の情勢は厳しさを増しており、
題点とその解決方法−行動に向けて−」とす
我々は骨髄移植と骨髄バンクの推進を図る上で
る。
なお一層心してかからなければならない。
2.形式は特定の集団に対する会場の方々の質
骨髄移植、今では末梢血幹細胞移植、臍帯血
疑応答形式をやめ、誰もが創造的に意見を述
移植やDLT等も含めて造血細胞移植は白血病等
べる円卓会議形式とする。
絶対数からすれば限られた疾患に対する治療法
にとどまることなく、より多くの難治疾患の治
3.テーマの内容は、
①大造血細胞バンク構想
療のための情報を発信しようとしている。そし
②財源
てそれを支える骨髄バンクや臍帯血バンクも限
③患者救済資金
られた疾患のための造血細胞源である以上に、
④患者相談
日本人のHLA情報としてより多くの人々のた
−2−
めの共有財産としての意味が認められようとし
てくるものと考えている。そしてこれらの作業
ている。
は皆様と一緒にやってこそ初めて意義が出てく
る。
そうした中でたとえば適正なドナープールサ
イズ、効率的なコーディネートシステム、採取
我々の最大の財産、骨髄バンクと非血縁者間
と移植の方法や施設の改善を他の治療法とのバ
骨髄移植を推進する各層の壁を取り払った交
ランスとわが国の医療、社会の現状に立脚しつ
流、そのシンポジウムとしての公開フォーラム
つ考えることが必要である。
の力が真に試されるときがきたのである。
サブタイトルの“行動に向けて”は、理想を
高く持ちながらも実現性のあるものを整理して
【編集部より】第2回公開フォーラム「より良い
実行していこうとの意味であり、そうすること
骨髄バンクのために」(1999年2月28日)の報告
によってまた新たな課題と新たな解決法が見え
書が出来上がっています。
第2回公開フォーラム「より良い骨髄バンクのために」の会場。ボランティアや患者関係者ら160人が参加した
全国協議会が実施している白血病フリーダイヤルの受付状況
を説明する担当責任者の新田さん
集団登録受け付け体制について「拡大策をとった」と報告す
る日赤本社血液事業部の野口課長
−3−
NMDP年次総会参加報告
あやちゃんアメリカに行く
全国協議会では1996年以来、毎年9月にミネ
はじめとして、野村正満運営委員長、東京の会
アポリス(米ミネソタ州)で開催される全米骨
代表であやちゃんの父・三瓶和義氏、山口の会
髄バンク(NMDP)の年次総会に代表を派遣
の猶希世子氏、富山の会の品川保弘氏、そして
しています。1998年は、この総会で「あやちゃ
米ボストン在住のホリマン睦子氏という総勢6
んの贈り物展」を開催し、世界中から集まった
名でした。その6名全員にそれぞれの視点から
骨髄バンク関係者に大きな感動をもたらしまし
ミネアポリス訪問で得たものを書いてもらいま
た。今回の全国協議会代表団は海部幸世会長を
した。
【編集部】
NMDP総会に歴史の1ページ
三瓶和義 Kazuyoshi Sampei
公的骨髄バンクを支える東京の会・代表(あやちゃんのお父さん)
1998年度の全米骨髄バンク(NMDP)の年
会場には、混雑の合間を縫うようにして世界
次総会に「あやちゃんの贈り物展」を派遣して
各国の骨髄バンクの関係者が集まり、彩子の絵
いただきありがとうございました。誌上をお借
をくいいるように見つめていました。涙を拭き
りして、全国協議会およびボランティア派遣に
ながら見ている方も少なくなく、中には私と同
かかわった全国のすべての皆様に、親の立場か
じように、白血病の子どもさんを亡くしたとい
ら厚くお礼申し上げます。
う方もいらっしゃいました。
NMDP年次総会開会中、1日だけだったとは
あやちゃんの絵が伝える感動は、海を越えて
いえ、初めての外国開催ということで少し不安
文化や国の事情が違っても変わらないのだとい
な点もありましたが、大成功を収めました。
うことを、つくづく感じました。
アメリカでは、病気の方や亡くなった方の作
品を、骨髄バンク運動の中で展示する習慣があ
まりないようで、あやちゃんの絵はこのことに
ついても一石を投じるものとなりました。私た
ちは『画集あやちゃんの贈り物』、絵ハガキを
各国の方に配りながら会場での応対をしていた
ところ、ノルウェーの代表が訪れ、自分の国で
もぜひ開催したいと申し入れがありました。ア
メリカのある医療機器メーカーの方は、画集を
パラパラめくったあとで、ぜひ翻訳して出版し
大盛況の「あやちゃん展」inミネアポリス
たいと話されていました。
−4−
今回は、アメリカの患者さんと骨髄提供した
ー登録をし、日本で失った資格を回復させるこ
ドイツのドナーが会場の満場の拍手の嵐の中
とができ、彩子の闘病中の頑張りに少しでも応
で、しっかり抱き合った歴史的なNMDP総会
えることができました。
で、そこに自分の描いた絵が展示され、自らも
親として、これからも彩子の頑張りに恥じな
歴史のひとこまを刻んだ彩子は、さぞかし誇ら
いよう、骨髄バンク運動をつづける決意でおり
しく思っているのではないでしょうか。
ます。新たな目標である30万人ドナー登録を、
早く実現させようではありませんか。
また私自身も、滞在中にミネアポリスでドナ
成田出発まで余聞
野村正満 Masamitsu Nomura
全国骨髄バンク推進連絡協議会・運営委員長
●アメリカあやちゃん展の端緒
の年次総会でより良い環境で展示ができるよう
実は、アメリカでの「あやちゃんの贈り物展」
に依頼して、1年の延期を決めたのであった。
は、その前年に実現するはずだった。
●無料航空券
1996年8月、全国協議会は「国際フォーラ
ム・骨髄バンクのネットワーク化」を開催した。
1998年春から9月に向けての準備が始まった。
アメリカからはNMDPの患者擁護部門の責任
当初、予定されたミネアポリス派遣メンバーは
者のブルース・カッセルトン氏をパネリストに
三瓶さんと海部会長、そして雑用一手引受役と
招いていた。臨海副都心・東京国際展示場での
しての私の3人であった。そんな時、骨髄移植
国際フォーラムの開催時、隣接した会場で東京
を控えた女性患者とそのご主人の2人が、私た
の会が「あやちゃん展」を展示していた。カッ
ちに自費で同行したいと申し出た。これを受け
セルトン氏はあやちゃん展を鑑賞し、感動した
入れることにして準備を進めた。
様子であった。そこで「アメリカであやちゃん
何しろ全国協議会はしがないボランティアの
展をやろう」
という話が持ち上がったのである。
貧乏所帯である。とりあえず、額装したあやち
ミネアポリスで開催されるNMDP年次総会
ゃんの絵だけでも相当な分量である。この運搬
には、アメリカのみならず世界中から骨髄バン
費だけでも何とかしたいとの思いで、ノースウ
ク関係者が集まる。そこであやちゃんの絵をみ
エスト航空へ協力を要請することにした。ノー
んなに見てもらおうというわけだ。翌1997年に
スウエスト航空はNMDPの本部があるミネア
実現させるべく、準備作業が始まった。当然、
ポリスに本社があり、成田から唯一直行便を飛
あやちゃんのパパ・三瓶和義さんにはミネアポ
ばせている。私は東京の日本支社を訪ねて、絵
リスに行ってもらわなければならない。それま
画搬送の協力とともに「派遣メンバーの航空券
で海外渡航の経験がなかった三瓶さんはパスポ
も提供していただけませんか」と申し出た。何
ートを取得した。しかし、その年、三瓶さんは
度か足を運んで、ノースウエスト航空は、スケ
パスポートを使うことがなかった。NMDPが
ジュールの都合で別便にてミネアポリスに入る
提示したあやちゃん展のために用意したスペー
海部会長を除く4名分の航空券提供を同意して
スは、あやちゃん展を開催するのには十分なも
くれた。しかも、患者さんが同行するというの
のではなかった。このため、NMDPには次回
で、ビジネスクラスである。
−5−
●6人組確定
ていた。まず、パネル類の作成である。英文の
ところが、同行する予定であった患者さん夫
挨拶メッセージをパネルにし、そこに今回のス
妻は、8月中旬の渡米1カ月前になって治療の都
ポンサーとして“Supported by Northwest
合で参加が不可能となった。ノースウエスト航
Airlines”の文字を書き加えた。あやちゃんの
空に別人でもいいか、と問い合わせると、かま
絵の英文キャプションは、パソコンを駆使して
わないという。そこで、出発20日前に2名のミ
プリントし、発泡スチロール板の貼れパネとい
ネアポリス行きの希望者を公募することとなっ
う手作りだが、見事な仕上がりであった。こう
た。応募して来たのは6名だった。厳正な「あ
した作業には、英文翻訳などで多くのみなさん
みだくじ」を実施して、当選したのは、山口の
のご協力をいただいた。この場を借りてお礼申
猶希世子さんと富山の品川保弘さんだった。
し上げたい。
猶さんは英語教師、品川さんは滞米経験があ
さらに、NMDPの理事長であるジョン・ハ
る。しかし、現地での交渉ごとなどでひときわ
ンセン博士にメールにて会談の申し入れをする
英語が堪能な一人の人物に参加してもらうべ
など、太平洋を越えた交渉で、山のように準備
く、私は画策していた。それはホリマン睦子さ
すべきことはあった。なお、ハンセン博士とは、
んである。大谷貴子さんのお姉さんで、ボスト
その2年前に台湾で海部会長と私はお会いして
ン在住である。こうして、ミネアポリス6人旅
いたので、今回は再会ということになる。
の全国協議会デレゲーションが確定した。
●土壇場の事態
さて、準備はすべて整ったのだが、もしかし
たらミネアポリスに行くことはできないかもし
れない、という事態に陥っていた。なぜなら、
そのころノースウエスト航空パイロット組合に
よるストライキが長期化し、ずっと運航中止が
続いていた。出発予定は9月17日である。スト
妥結のニュースが流れたのは4日前の13日であ
った。しかし、国際線の運航が正常に戻るには、
機材と乗員の手配を整える都合で1週間ほどか
ミネソタ州議会議事堂前の6人組
かるため、私たちの予定している便が飛ぶかど
うかはわからないというのだ。
●準備
まさか、私たちが予定通り飛べないことで、
さて、あやちゃん展アメリカ開催の事前準備
NMDPとの国際的な問題にまで発展するよう
のため、NMDPから2名の女性が7月末に来日
なことはないだろう。だが、ノースウエストは
した。日本の患者さんに移植するため、
力強い対応をしてくれた。もし、自社便が飛ば
NMDPのドナーから採取した骨髄を運んでき
ないような場合は、他社便を手配してくれると
たのである。2人はとても身長の高いのっぽさ
いう。しかし、その場合はシカゴに入るが、シ
んと、かなりふとっちょという典型的に極端な
カゴからミネアポリスの予約はどうにもならな
体型で、よくある日本の漫才コンビのようにみ
い状況だという。
えた。それはともかく、どのような形であやち
結局、予定していた9月17日16:35成田発
ゃん展を展示するのか、会場スペースとその形
NW20便ミネアポリス行きの運航が確定したの
状など、綿密な打ち合わせが行われた。
は2日前のことであった。
一方、日本サイドでも準備は着々と進められ
−6−
4 days in Minneapolis
ホリマン(大谷)睦子 Mutsuko Holiman
港でのお迎え、そしてもう一人の通訳を探すこ
私の名前は、ホリマン(旧姓大谷)睦子。米
となどの準備を進めました。
国東部ニュー・ハンプシャー州に住んでいる元
看護婦。現在、主婦です。12年前の12月、私の
NMDPの協力で、NMDPで働いている一人
大切な一人きりの妹が、白血病と診断されまし
の男性が、通訳、案内などのお世話をして下さ
た。必ずしも成績が芳しくなかったためか、骨
ることに決定。これらの手配を済ませた私は、
髄移植という言葉が、米国内でも一時、聞かれ
一足先の9月16日(水)に、ボストンからミネ
なくなっていたそのころ、でもそれ以外に助か
アポリスへと向かいました。
る方法がないと米国のがん専門医に教えられ、
飛行機は何回乗っても好きになれないのです
が、人間というのは都合良くできているもので、
妹を看病するため日本に戻りました。
私の妹、
大谷貴子がその後、
病床から骨髄バン
NMDP総会に参加できるのだ(!)という興
ク活動を始め、そのころ同時に立ち上がった皆
奮状態のおかげで(?)恐怖感も消え失せ、機
さんとの協力と努力によって、日本にも米国の
内の両隣に座った乗客に、骨髄バンクの宣伝を
後を追うように骨髄バンクが設立されました。
しまくりながら、シカゴ経由でミネアポリスに
無事到着しました。
直接日本でのお手伝いは続けられなかったけ
れども、こちらにいてできることがあれば少し
会場のマリオットホテルは実に快適で、部屋
でもと思いながら、日本の、いえ国際的なバン
に着くなりバタンキュー。一人旅っていいもの
クの成長を願っておりました。
ですね。
●ミネアポリス行き
●初日の失敗
昨年も全国協議会の遠藤允さんから、ファク
次の朝、さっそくホテルの外にあるスカイウ
シミリが届きました。NMDP総会に参加する
ォークを通って、ショッピング街を少し見てま
全国協議会のメンバーのための、日本人通訳を
わり、正午ごろに到着することになっていた海
探してほしいとの、例年通りの依頼です。一昨
部会長お迎えのためのリムジンを待ちました。
年までも、できることなら立候補してでも行き
それに乗りこんだ私は、さっそうと空港へ向か
たかったのですが、家族のことが心配で、断念
ったのです。海部会長の出迎えは予定通りで、
しておりました。でも昨年は、不思議にも躊躇
直ちにホテルへ向かったのでした。ところが、
することなく「私が行きます」と、返事を送り
別の便で到着することになっていた野村隊一行
ました。その直後、海部幸世会長をはじめ、野
のほうは……。
村正満さんが来られることが分かり、お二人と
4名の人間と多量の荷物を運ぶため、予約を
はもう既に顔見知りということもあって、私の
とっておいたバンの運転手が、荷物受け取り口
テンションも上昇、直ちにNMDPと野村さん
で一行を拾うように手配しておいたのですが、
との間に入り、こまめに連絡をとりながら、参
何を勘違いしたのか、私のドジで、13時20分を
加登録手続きの確認、あやちゃんの絵が入った
3時20分と伝えていたのです。つまりバンの運
木箱の運送方法、日本から参加する皆さんの空
転手にしてみれば、出迎え時刻は15時20分だっ
−7−
たのでした。そうとは知らぬ野村隊一行、大量
のだと、感激しました。ほかの皆さんも同感だ
の荷物をカートに山と積んで、空港内を右往左
ったと思ってます。
往。やっとの思いでそのバンを探し当てて、ど
●一夜が明けて
うにかこうにか私たちの待っているホテルの玄
関に到着。疲れはてた顔の野村さんに、大声で
9月18日の朝がやってきました。海部会長は
平謝りの私でした。みんな、心配させてごめん
ご主人からのモーニングコールを待って、ルー
ね。
ムサービスの朝食を豪華に……という予定でし
一行の親分である海部会長のリクエストによ
た。私たち5人はフロントデスク前のカフェテ
り、チェックインのあと、イタリア料理店を探
リアで、バイキングスタイルのアメリカンブレ
しに、モール・オブ・アメリカという巨大な複
ックファスト。なぜか野村さんは、ポケットか
合ショッピングセンター街に出かけました。は
ら醤油を取り出してオムレツにかけて食べてま
っきり書くとまずいのですが、出席すべき理事
した。9時に車の出迎えを予約し、ミネアポリ
会があったのを、知らなかったことにしましょ
スの街のミニツアーに出かける手はずでした。
うと言ったのも、米国に着いた早々、イタメシ
ロビーで待つ5人。一人いません。ようやくそ
が食べたいと主張したのも、誰とは言わないけ
こへ、飛行機の中でもらったおせんべいを持っ
れど某会長でした。
て、海部会長が出て来られたのです。聞けば、
そのころまでには、お互いに自己紹介をして
時間をはっきり書かなかったらしく、結局ルー
いたのですが、最初来られるはずになっていた
ムサービスは来なかったのでした。
メンバーが替わったため、私のもとへは野村さ
んから、そしてNMDPからも、参加日本人の
新しいリストが送られてきていました。野村隊
の中には、猶さん、三瓶さん、品川さん、そし
て海部会長……あれ∼、岡本先生たちはどうな
ったのだろうと、口には出さずに混乱していま
した。実は私、その時、骨髄移植推進財団と全
国骨髄バンク推進連絡協議会が同じ一つの組織
だと思っていたのです。そんな私の無知に気が
付いていない野村さん御一行は、私が「岡本先
生ってどの人ですか」なんて聞くものだから、
キョトンとしてました。この件については、の
リムジン内で遅い朝食の海部会長
ホテル玄関前で我々を待っていたのは、飲み
ちほどまた触れます。
放題ミニバー付き・光り輝くシャンデリア付
レストランでは話が弾み、野村さんもしっか
き・超豪華・巨大リムジンでしたが、これに乗
り食べてたし、海部会長も何度か“カンパリ、
り込んで真っ先に向かったのが「パン屋さん」
プリーズ”を繰り返していたのですが、満席の
でした。朝食を食べそこねた会長のために、ベ
店内、外にはテーブルが空くのを待つ人々。と
ーグルパンを買って食べていただき、いよいよ
うとう追い出されるかという寸前に、重い腰を
市内観光へと出かけたのでした。ミシシッピー
あげて店を出ました。ここで過ごした時間はと
河のほとりでしばし足を休め、素晴らしいスカ
ても貴重でした。あっと言う間に、この6人の
ルプチャーガーデン(彫刻庭園)を散策し、ガ
グループは一つの家族になっていたのです。バ
バナーズマンション(州知事公邸)や古い教会
ンク家族。目的を同じくする人間が集まると、
をいくつか見て回りました。その間も話に花が
こんなにも短い時間で気持ちが一つにまとまる
咲き、
色々なことを勉強することができました。
−8−
遊びすぎだと焦りだした三瓶さん、緊張なさ
ってました。当然ですよね。あやちゃんと初め
て外国旅行をなさったのですから。
正午きっかりにミニツアーからホテルへ戻
り、参加登録を済ませ、通訳兼ガイドのクリフ
ォードに会いました。それからハンセン先生を
探し、午後4時に私たちのために時間をとって
下さることになりました。それまでの時間を利
用して、イタリア料理(なぜ、アメリカに来て
イタリア料理が続くのだ?)のランチでも……
彫刻公園で。むこうにカトリック教会が見える
ということで、再び街へと出かけたのです。
話が前後しますが、前の晩、就寝前に皆で会
長の部屋に集まろうとしていた時のことです。
●NMDPドナー登録のいきさつ
エレベーターに乗っていると、日本人のカップ
昼食をとっていた時、三瓶さんと品川さんの
ル(関係を知らないから、てっきりそうだと思
NMDPへのドナー登録希望の意思を知らされ
ってしまったのです)が乗り込んできました。
ました。特に三瓶さんの場合、日本の骨髄バン
日本語が聞こえて、つい私が「あら、日本の方
クのドナー登録年齢上限を超えたために、日本
ですか?」と訊ねると「そうです」、「NMDP
での登録を抹消されたことが、そのきっかけだ
の総会に来られたのですか?」と再び私。「そ
ったようです。クリフォードに頼み込み、ホテ
うです、日本の財団からです」。ここで私は
ルから一番近い血液センターに連れていっても
『じゃあ、なんで野村さんたちと一緒に行動し
らったのですが、そこで「フラッシュ・バック」
てないの』と、つい独り言を言ってしまい、そ
が起こってしまったのです。
のあと「今から海部会長のお部屋で遊ぶので、
一緒にどうぞ」と誘ったのです。
我々の訪問のいきさつと、三瓶さんらの登録
希望の意思を明らかにしたのですが、「日本か
実はその方が富田さんとおっしゃる女性で、
ら骨髄を提供してくれる保証がないので、登録
先にエレベーターを降りてしまわれた岡本先生
はお断り」と、クリフォードが血液センター側
には会いそびれてしまいました。私の自己紹介
の担当者の見解を伝えてきました。日本の、と
をすると、富田さんに「あ∼、だからどっかで
ある日赤で、今から11年前、貴子のために連れ
見た顔だと思った」と言われたのですが、やは
ていったボランティアドナー30人のHLAにつ
り血は争えない、大谷貴子に似ているというこ
いて、調べてもその結果については教えられな
とだったのでしょう。
いと言われ、一日中そこで粘ってケンカしたこ
この時点で私の頭の中は完全に混乱し、「財
とが、つい昨日のことのように蘇ってきました。
団」と「協議会/ボランティア」という言葉が
……で、また、やってしまったのです。ケンカ
交錯し始めました。米国の骨髄バンクNMDP
を……。
は、一つの団体で、その中に財団の働きをする
「保証とはどういう意味? ミネアポリスに住
部門があり、またボランティアに相当する部門
んでいるドナー登録者の方が土壇場になって骨
があり、さらに州ごとに色々な機関が設けられ
髄をあげないと言うかも知れない。登録した人
ています。日本の骨髄バンクについて、財団と
が必ず提供するという保証なんてないでしょ。
ボランティア組織とが全く別物であるという事
そういう屁理屈は聞きたくない。三瓶さんの真
実は、富田さんと別れたその後も、まだまだ理
剣さ、あなたたちわかっているの? あなたた
解していませんでした。
ちの状況も理解したいけど、このことに関して
−9−
は、ここで引き下がる訳にはいかない。OKと
優しさと温かさが満ち溢れ、病気に対する憎し
言ってくれるまでここを動きません」と、大口
みなど、これっぽっちも見当たりませんでした。
を叩いてしまったのです。海部会長と野村さん
病気を憎んでも仕方がないのに、なんて甘えた
は、緊張の面もちながらも見て見ぬふり。品川さ
考え方で、人生を送っているんだろうと、考え
んはもう少しのところで、私の腕を引っ張って
るチャンスを与えて下さった三瓶さん、本当に
ケンカを止めようとする寸前だったそうです。
ありがとう。
と、そこへ、我々の声を聞きつけたコーディ
●ハンセン先生との会談
ネーターの方が出てこられ、私の腕をとり、
「下の階にその二人を連れて来てくれれば、採
午後4時。ハンセン先生が、我々のために個
血します。そこで申込用紙に記入して下さい」
室まで用意して待っていて下さいました。大き
ということになったのです。しかし、まだ登録
な丸テーブルを囲んで、ディスカッションが始
を受け付けてくれるとは信じていなかった私
まりました。会談という「メインディッシュ」
は、「きっと気休めに、私たちを追い払うため
に先立ち、野村さんが取り出したのは、ハンセ
に、ふりをしているのかな」と思っていたので
ン先生へのおみやげの日本酒。まさに「食前酒」
した。
でした。
採血はすぐに終わり、まだなんとなくすっき
主に話し合われたのは、1)患者とドナーの
りしない気分ではあったけれど、みんなでお礼
対面問題、その必要性、2)財団とボランティ
を述べて外に出ました。タクシーを待つ間、下
ア(全国協議会など)の、作業面での良好な協
を向いていたクリフォードが突然顔をあげ、私
調関係の実現についてでした。
に向かって「登録が完了したんだよ」と、ポツ
ハンセン先生と協議会派遣団一行との、この
リと呟いたのです。「えっ、本当に本当?」信
ディスカッションの通訳を進める過程で、前の
じられなかったのです。三瓶さんと海部会長に
日にホテル玄関前で一行を出迎えたとき以来混
向かって「登録されたんだって、NMDPに。
乱を極めていた私の頭の中が、次第にクリアに
本当だって」と言うと、私たち三人は泣きだし
なっていったのです。
てしまったのでした。NMDPへのドナー登録
まずハンセン先生はこう強調されました。
という、三瓶さんにとっての、この旅行の大き
「対面をどんどん行わなかったら、移植によっ
な目標の一つが、こうして果たせたのでした。
てもたらされる喜びを、どうやって人々に、そ
三瓶さんはそのあと私に、「サンキュー」の
して社会に知らせることができるのか」と。
言葉をシャワーの如く浴びせかけて下さったの
なぜ日本の骨髄バンクは対面をしないのか、
ですが、実を言うと、私のほうがどんなにお礼
というハンセン先生の問いかけに、野村さんは
を言っても言い尽くせないぐらいの感動を味わ
慎重に言葉を選んでおられる様子でしたが、
ったのです。この場を借りて、三瓶さんのよう
「ボランティアと財団との間で、対面について
なお父さん、お母さんに、サンキューを言いた
の考え方が違う。我々ボランティアはハンセン
いのです。三瓶さんは大切な大切なお嬢さんを、
先生と同じ意識をもっているのだが」と説明さ
白血病というどうしようもない運命に、奪いと
れました。通訳をしているはずの私が、つい
られてしまったのです。……という私の言い方
「橋本さんと田中さんの対面のあと、何組あっ
にはこの病気に対する憎しみがこもっているの
たの?」と聞いてしまったのですが、答えはゼ
ですが、想像を絶するような苦しみの日々を過
ロでした。ここ米国では、テレビの朝夕の様々
ごしてきたのにもかかわらず、顔中いっぱいの
なトークショーの中でさえ対面が行われてお
笑顔と、そして『人を助けたい』との一心で、
り、もちろんNMDPの年次総会の場でも、毎
三瓶さんは登録なさったのです。そのお顔には
年実現しているのです。
もし私が患者だったら、
− 10 −
結させることが必要なのではないでしょうか。
そこでまた財団とボランティアの協調関係が
平行線を辿っていることに話を戻しますが、こ
のシステムに問題があると、ハンセン先生もお
っしゃいました。そして、NMDPの理事の構
成から話して下さいました。こういう組織に関
わる人材は、なんらかの形で心を打たれた人間
でないと成り立ちませんとおっしゃり、現に
NMDPはそれを実行しているということです。
今回の年次総会開催に携わったスタッフを見て
あやちゃん展会場で。左からハウ博士、海部会長、睦子さん、
ハンセン博士。
いて、確かにそうだと実感しました。他人ごと
として、仕事をしている様子は見受けられませ
どういう形であっても、助けてくれた方々に一
ん。みな真剣に、自分たちの問題として、動い
言でいいから「ありがとう」と言いたい。そう
ているのです。ハンセン先生からの厳しいお言
いう気持ちは、国とか、人種とか、民族に関係
葉で、ニーズのある人が日本の状況を変えてゆ
なくみな同じだと思います。
対面問題について、
かなければならない、と言うのです。つまりは、
日本の骨髄バンク関係者の方々に対し、ぜひ言
財団の理事といった人たちから、現場で働く人
わせて下さい。対面が可能となるような環境づ
たちまで、真に患者やその家族に自分自身を重
くりを、財団とボランティアの人たちが心を一
ね合わせることのできる人がその任についてほ
つにして、今すぐはじめて下さい。ハンセン先
しいということだと思います。この人ならどう
生が強い口調でこうおっしゃいました。
か、と固有名詞も出てきたほどです。
「There is nothing, absolutely nothing negative
微力ながら私も12年前、骨髄バンク設立のた
that these reunionswill bring. Only positive
め草の根に分け入った仲間の一人として、ここ
things will come out of this. How do youexpect
まできた日本の骨髄バンクが、つまらない派閥
marrow registry to grow when you can't see the
のような、政治的な問題で、その発展に水が差
result of your work ?」(対面によって失うもの
されることはあってほしくないというのが、正
とか、マイナスになることは決してありません。
直な思いです。「とにかく患者のために」とい
プラスになることばかりですよ。仕事の成果を
う思いが、あの時のすべての関係者の心の中に
把握せずして、どうして骨髄バンクの発展を期
なかったならば、私には今、貴子というたった
待できるのでしょうか?)
一人きりの妹がいなくなっていたことを、知っ
同感です。
ているからです。財団の方々だけでなく、ボラ
対面についての財団側の意向も話し合われま
ンティアの方々も、バンクの必要性を訴え、設
した。法律的なことや色々考えないといけない
立を目指していた当時の気持ちをもう一度思い
ことはあると思います。でもそこで忘れてはい
出して、
これまでの成果に謙虚に感謝しながら、
けないことは、もうすでにそういう問題を乗り
新しい一歩を踏み出して下さい。
越えて行われた移植であるということ。結果を
金曜日の夜は、NMDPで毎年恒例になって
生み出すための移植であるということです。研
いる、映画のアカデミー賞の真似事パーティー
究成果や業績が学会などの場で紹介されること
が催され、総会に参加された多くの方々との親
により、評価され区切りがつけられるように、
睦を深めることができました。日本の元ファー
骨髄提供を通じて接点をもった患者さんとドナ
ストレディに会いたがる沢山の方々との応対
ーにとっても、対面という形でその出逢いを完
に、海部会長は大忙しのご様子でした。映画
− 11 −
「タイタニック」の主演俳優ディカプリオや、
ジタルカメラとパソコンの技術の力で、リアル
米国のテレビのコメディアンとして有名なクレ
タイムで日本にも伝えられたと思います。財団
ーマーのそっくりさんの登場が、さらにパーテ
の富田さんも、快く手を貸して下さいました。
ィーを盛り上げていました。
ありがとう。
その準備の真っ最中、隣の総会会場ではオー
プニングセレモニーと、対面、そして報告とい
う順序で、各種の行事が始まろうとしていまし
た。ハンセン先生のリクエストで、海部会長が
NMDP総会の参加者全員に紹介されることに
なりました。セレモニーの一番最初の特別ゲス
トとして、海部会長、野村さん、三瓶さんがハ
ンセン先生に呼ばれ、壇上にあがりました。3
人の紹介のあと、海部会長にスピーチの依頼が
あったので、その通訳のため私も海部会長と並
パーティー会場で日本に滞在していたジョーン・ルーフさん
(中央)と再会。ジョーンは患者でNMDP運営委員。
んでマイクの前に立ちました。会長は、
NMDPを通じてマッチしたドナーに出会えた、
44人目の日本人青年からのメッセージを、居合
●あやちゃん展と患者ドナーの対面
わせた700人もの参加者に伝えて下さいました。
ついにあやちゃん展本番の土曜日の朝がやっ
「来年、元気になって、自分自身がこの総会に
てきました。朝6時半に展示ホールに全員集合。
参加し、お礼を言いたい。元気になってそれが
しかし展示ブースのボード組み立て準備の段取
実現できるよう、祈っていて下さい」。700人の
りに手違いがあったらしく、我々のところだけ
心が一つになって、私たちの言葉に聞き入って
未完成というハプニング。7時半のオープニン
下さったのが、確かに伝わってきました。
グにはとても間に合わないのではと、みな気が
その直後に行われた対面。英語ではリユニオ
気ではありませんでした。きっと一番あせって
ンと言うのですが、直訳するとこれは「対面」
心配なさっていたのは、もちろん三瓶さん。で
ではなく「再会」なのです。そう、実は再会な
も組み立てが完了するやいなや、展示作業を開
んですね。骨髄の提供の段階で、一人一人の患
始した私たちに、周りに居合わせた多くの方々
者さんは見知らぬドナーとの最初の対面を、既
が、すすんでお手伝いしてくれたのでした。こ
に済ませているわけです。今回の総会でのリユ
の様子はいち早く野村さんの手により、いえデ
ニオンは、ドナーがモニカさんとおっしゃるド
イツ人女性、元患者がワニータさんとおっしゃ
るアメリカ人女性でした。このリユニオンが特
別なことであった最大の理由は、1年半の間に
同じペアで3回の骨髄提供が行われたことでし
た。
会場の照明がしぼられ、司会者がお二人の名
前を呼びました。ワニータさんの娘さんたちだ
と思うのですが、壇の前でもう既に崩れるよう
に泣いておられました。壇上でついに二人が出
会いました。強く抱き合い、いったん離れてお
NMDPスタッフも展示準備を手伝ってくれた
互いの顔を食い入るように見つめあい、そして
− 12 −
再び抱き合って……それを何度繰り返したこと
使館にも働きかけて登録運動に弾みをつけてく
でしょう。涙にまみれた顔で、
「どうして3回も
れたら……といった声が聞かれました。三瓶さ
提供してくれる決心ができたのですか?」とワ
ん、もっともっと忙しくなりそうですよ。総会
ニータさんが訊ねました。英語はあまり話せな
会場ではいくつものワークショップが催されて
いモニカさんでしたが、「どうしてもあなたを
いましたが、休憩時間のたびごとに、吐き出さ
助けてあげたかった、それだけよ」と何度も繰
れた参加者がすぐ隣の展示場に押し寄せ、黒山
り返すのでした。私と海部会長は、ティッシュ
の……あ、これは日本だけの表現ですね……人
ペーパーの取り合いをしなければなりませんで
だかりで、私たちのブースはぶつかり合うぐら
した。私にとって、対面=リユニオンを目の前
い混んだのでした。きっとあやちゃん、天国か
で体験したのは初めてでしたが、この感動は決
らこの様子を見ていてくれたことでしょうね。
して忘れまいと思います。いえ、忘れることが
そう思いたい。あやちゃん、大成功だったよ。
できないでしょう。そしてもっともっと多くの
素敵な絵をいっぱい、ありがとうね。
人々に、この感動を経験してほしいと願いまし
●日本のドナーと……
た。
最後に締めくくりとして、一見小さな出来事
があったこと、そしてその後、意外な結果に発
展したことを報告します。
展示会もほぼ終わり、片づけようとしていた
時です。目をキラキラさせた、優しそうな女性
が、自分はフロリダのある小さな移植病院で働
いている看護婦です、と名乗り出てきました。
そして是非助けてほしいと、真剣な眼差しで事
情を語り始めたのです。……10歳の男の子の患
「対面」左が患者のワニータさん、右がドナーのモニカさん
者がドナーを探していて、5/6マッチのドナー
セレモニーの終了後は、一日じゅう展示のほ
候補者が日本で見つかった。しかしNMDPを
うで過ごしました。NMDPがこのあやちゃん
通して移植するためには、NMDP認定の大き
展のために用意してくれた場所は、広い展示会
な病院に、患者を移さなければならない。どう
場の中でも最高のところでした。入り口が1カ
にかして患者移送というリスクを避けたいのだ
所でしたから、入場すると、あやちゃんスマイ
が、そのためにはNMDPを介さず、日本の骨
ルのあの大きな写真が、目に飛び込んでくるの
髄バンクと直接連絡をとって手配をするほかな
です。あやちゃん展の反応はとても大きく、来
い。なんとか手伝ってもらえないでしょうか。
場者一人一人の感想を聞けたことも、とても素
あまり時間がないのです……と言うのでした。
晴らしい感動でした。あやちゃんの世界には、
野村さんに聞くと「あ、それは財団のほうの
国境などありませんでした。あやちゃんの絵が
仕事だ。岡本先生に頼んでみないと、あっ、で
世界中の多くの人々の心を揺さぶったのでし
もやってくれるかな?」と言うのです。またま
た。あやちゃんの描いたあの最後の絵を見て、
た走馬燈のように昔の記憶が蘇ります。貴子の
涙を流さなかった女性は一人もいなかった、と
時だって大変だったけれど、でもなんとかなっ
言っても過言ではありません。そして来場者か
たのだから。「絶対うまくいくように頑張って
らは、ノルウェーでも是非この絵を展示して見
みる」と彼女に告げて、その患者のHLAと
せてほしい、来年もこういった展示をNMDP
DNAのデータを預かったのでした。すぐさま
総会ですればいいね、ワシントンDCの日本大
ホテルのフロントデスクから岡本先生に電話を
− 13 −
かけたところ、できる限りのことをやってみる
た私は、思わず叫び声をあげてオフィスまで走
と、おっしゃって下さったのです。岡本先生に
り、野村さんはじめ、ミネアポリスで出会った
は事情を詳しく書いた手紙と、HLA等のデー
仲間の一人一人に、電話あるいはファクスでこ
タを直接手渡したのですが、本当にこんなに忙
の嬉しい報告をしたのでした。
そして10月16日。フロリダの看護婦さんから
しい財団の先生がやってくれるのかナァと、疑
電話が入り、あの10歳の男の子の患者に
っていなかったわけではありません。
HLA5/6、DNAマッチのドナーが見つかった
●5人が日本に帰って
との報告を受けました。そのドナーは最初言っ
20日、日曜日。朝早く海部会長はミネアポリ
ていた日本からのではなかったのですが、岡本
スを出発され、あとの4人はお昼の便。見送り
先生のなんのためらいもない行動の素早さと真
に行きました。皆さんとのお別れはとっても辛
剣さが、米国マサチューセッツ州にある
かった。私たち6人、信じられないくらい心を
Caitlin Raymond International Registry という
一つにして、この4日間行動しました。目的を
組織を動かし、その結果この別のドナーサーチ
同じくする者同士が行動すれば、たとえ困った
がものすごいスピードで処理され、ドナー発見
ことがあったとしても、最高の結果を生み出せ
に至ったことを、息もつかずに一気に話してく
る、その過程さえもが楽しいのだ、と感じまし
れました。
その電話を切るときに看護婦さんが言って下
た。その一員に私を加えて下さったこと、いつ
さった言葉で本稿を終えようと思います。
までも感謝します。
21日の夜、ニュー・ハンプシャーの自宅に戻
「I can't thank you enough. You made the
りました。そして22日の深夜零時、電話が鳴り
difference」(なんと言ってお礼すればよいのか
ました。日本の岡本先生からでした。「フロリ
しら。でも、あなた方は本当に素晴らしいこと
ダのあの看護婦さんと連絡をとって、いまこち
をしてくれたのですよ)
らのドナーの情報をファクスしました。報告ま
NMDP総会4日間の思い出、宝物のように大
で」と連絡を下さったのです。果たして手際よ
切にします。
く手続きしてくれるのだろうかと半信半疑だっ
NMDPから若きボランティアたちへ
猶 希世子 Kiyoko Nao
骨髄バンクを支援する山口の会
「明日からアメリカへ行って来るから、みんな、
スで開催されたNMDP年次総会に参加した。
きちんと勉強しておいてね」
今回の主な目的は、「あやちゃんの贈り物展」
「えっ、何しに行くん? その間、だれが担任
を初めて海外で開催することであった。総会の
するん?」
展示部門で披露したあやちゃんの絵は、大変な
感動を呼び、改めてあやちゃんの絵が生き続け
私が担任をしている山口県のある中学校での
ていることを実感させられた。
ひとこまである。
総会では、ほかにも感動的なシーンがあった。
1998年9月、私は海部会長、野村さん、三瓶
ドナーと患者との対面である。我が娘もドナー
さん、品川さんとともにアメリカはミネアポリ
− 14 −
との対面を心待ちにしている一人であるが、日
本ではまだ許されていない。なんの説明もなし
に人の心を熱くするこのシーンが、日本で見ら
れないのは残念でならない。
山口県小野田市でのあやちゃん展には中学生ボランティアも
(1999年2月21日)
再び活動したい旨を告げて帰っていった。
1999年2月、ついに「あやちゃん」は山口県
にやってきた。もちろん、生徒たちはこの日の
多くの人たちが、感想コメントを書いてくれた。
ために、県内の登録場所・登録方法などを大き
く書いたり、当日の感想を書いてもらうための
ミネアポリスでの「あやちゃん展」の感動が
まだ新鮮な状態で、教壇に戻った。担当してい
アンケート用紙づくりに熱中した。
イラストは、
る5クラスすべてで、授業はさておき、
「あやち
あやちゃんの絵を見て、イメージを膨らませて
ゃん展inミネアポリス」が、次々と口から出て
描いたようだった。私も、スライドを使い、骨
きた。ミネアポリスの会場で書いてもらった英
髄バンクや骨髄移植の方法について、そして病
語の感想文を、くい入るように読もうとする生
気の子どもたちについて、生徒に話す機会を持
徒たち。あやちゃんの絵が載っている本を、奪
った。
着々と次世代のボランティアが育っている。
い合うように見る生徒たち。
「本当の絵が見たい」
彼らを育てるのも、私たち大人のすべきことの
「先生、山口県では見られんの?」
ひとつである。アメリカで骨髄バンク運動のエ
「骨髄バンク運動、ぼくたちもやりたい」
ネルギーを吹き込まれ、その勢いで子どもたち
そして1998年秋、
全国一斉キャンペーンの日、
に私の思いが伝わった。近い将来、きっと彼ら
30人の生徒たちがパンフレットを配り、登録・
や彼らの周りの人々の中から、ドナー登録をす
募金を呼びかけた。にわかボランティアたちは、
る者が出てくれるであろう。
アメリカでドナー登録した理由
品川保弘 Yasuhiro Shinagawa
全国骨髄バンク推進連絡協議会・運営委員(富山)
いんだけど」と切り出したと思う。
あとで三瓶さんは、「一緒に登録してくれて
ありがとう」と言ってくれたが、三瓶さんが
あの時もそうだった。僕は1992年の10月にウ
「NMDPにドナー登録したいんだけど」と言わ
クライナに旅したが、その目的は1986年4月に
なかったなら、きっと僕のほうから「登録した
起こったチェルノブイリ原発爆発事故による周
− 15 −
辺住民の健康被害調査であった。出発前の予定
では、原発の見学などもちろん組まれてはいな
かった。しかし日本からはるばるやってきて、
目と鼻の先(と言っても50kmも向こう)にあ
の原発があると聞けば、これが行かずにおられ
ようか。かくして被曝の危険(?)も顧みず、
事故のあった4号炉の今度こそ目と鼻の先で、
記念写真を撮ってきたのであった。
ミネアポリスまでやってきて、ドナー登録も
せずにおめおめと帰国なぞできようか、とまで
血液センターでドナー登録用紙に記入、後は三瓶さんと睦子
さん。
は思わなかったが、ミネアポリス行きのくじに
当たった瞬間から、秘かに心に期するものがあ
いぶん後のことであった。
った、というのが真実である。
骨髄バンクについて人前で話すとき、こう結
チェルノブイリ原発の事故が伝えられたと
き、僕はテキサス州の片田舎にいた。その6年
ぶことが多い。
半後に事故の爪痕をこの目で確かめることにな
「もう少し関心を抱くのが早ければ、少なくと
ろうとは、夢にも思わなかったが、それまで仕
も5年は早くドナー登録することができたはず。
事上で理解していた「骨髄移植」という治療法
その間に僕の骨髄が役立てられたかも知れない
が、瀕死の被曝者を救うおそらく唯一の方法で
と思うと、気付かずにのんびりと過ごしたこと
あることを認識させられたのが、この事故であ
が、悔やまれて仕方ない。みんなが同じように
った。
気付いてくれたら、ドナー30万人なんて、あっ
という間に達成できるんだけど」
しかしながら、当時「骨髄バンク」を意味す
る言葉に接する機会もなく、それらしき機構が
NMDPと日本の骨髄バンクの登録条件が同
すぐ身近にあることも知らぬまま、僕は1987年
じで、かつ提携関係が平等であるならば、僕の
8月末に帰国した。その翌月、つまり1987年9月
米国での登録は無意味であろう。しかし僕がい
に、全米各地の骨髄バンクが統合される形で現
まだ40歳代であることを除いても意味があると
在のNMDPが発足したことを知ったのは、ず
思えばこそ、登録したのであった。
数々の収穫
海部幸世 Sachiyo Kaifu
全国骨髄バンク推進連絡協議会・会長
9月20日、NMDPの年次総会も無事終了して、
の世話ををしていただき感謝に堪えません。大
私は他のメンバーよりも一足早い便で帰国する
谷貴子(全国協議会副会長)さんのお姉さまと
ため、朝早く睦子さんに同行していただいて空
いう、患者の肉親としての苦しみを体験された
港に向かう車の中で、正直ほっとした気持ちで
その心からの発信が「あやちゃん展」の成功、
いっぱいでした。
メンバーのNMDPドナー登録の実現等で、自
分の気持ちになって相手方に交渉できたのでは
睦子さんにはこの大会に参加するために親身
− 16 −
長のハンセン博士と2時間にわたってじっくり
と、心からお礼申し上げます。
今回の旅で感じたアメリカという国の良さ
と話をする機会をいただきました。とても多忙
は、規則は規則、でもその立場の責任者が
なスケジュールの中で、私たちのために時間を
NGOの「人としての心の幅」を持っておいで
割いてくださり、
自由な内容の深いお話ができ、
になり、その対応は即刻かつ柔軟に行える権限
感謝の気持ちでいっぱいです。
をもてるようになっていることを痛感しました
「患者のために私たちのするべきこと」を、情
が、その一面は、睦子さんの機関銃の発信で解
熱をこめて静かに温かく語られた真摯な態度
決できたことに、如実に現れているのではない
は、尊敬の一言です。NGO活動に、こうした
でしょうか。
トップがいる社会に接し、日本との違いを感じ
ずにはいられない思いでした。
●あやちゃん展
感動の涙、言葉はまったく必要ありません。
●NPO
もちろん、あやちゃんの絵をミネアポリスで観
多くの課題を乗りこえ、30万人のドナー登録
てくれた人たちは、同じ目的で参加してきてい
を少しでも効率よく達成する決め手には、共生
る人たちですから、あやちゃんの幼い闘病の人
の哲学を必要とする時期を、いま迎えようとし
生はそのまま素直に無言で伝わったと思いま
ているのではないだろうかと考えます。
す。
NPO(非営利市民活動法人)法が、優遇税
夢をもって生きようとした短い日々は、私の
制抜きで成立したことは、画竜点睛を欠いてい
人生の長さと比較できませんが、命の重さを
ると思います。NMDPの善意の人の心の受け
日々考え、こんなに清々しい形で表現したあや
止め方の違いを痛感しました。欧米社会の宗教
ちゃんの絵は、国境を越えて言葉は無用で、そ
精神の違い、布教の一つとしてNPOパワーが
の心を伝えることができることを教えられ、感
育ってきていること、マザー・テレサの「自分
謝というしか表現しかできません。
は大海の一滴の水」それがなければ大海になら
会場で三瓶さんは大きな人々の輪に包み込ま
ない、こうした精神が日本にも昔はあった気が
れていました。初めての海外を娘とともにこの
します。それが非常に乏しいものになってしま
ような形で実現され、日本でのあやちゃん展と
ったような気がするのが、寂しい気がいたしま
はひと味違うものにきっと心を新たにされたこ
す。
とでしょう。
●アメリカ
●ハンセン博士
アメリカは若い国です。メイフラワー号の時
からの開拓精神で今でも国を支えています。海
ミネアポリス滞在中、私たちはNMDP理事
部を通してアメリカ大統領の姿を見てきまし
た。退官してからも、大統領時代の総括として
歴史資料記念館のつくり方などを招かれて見て
いますと、自分たちで国をつくり上げている進
行形を感じることばかりです。
こんなことを考えていると、現在の日本でボ
ランティア成熟のための社会的基盤整備の貧し
さを思います。今回、NMDPの大会に招聘され
て参加した意味は、一同にとって数々の飛躍的
ハンセン博士とじっくり話し合った2時間
な収穫を得ることができたと確信しています。
− 17 −
ドナー集団登録の光と影
目標30万人達成のために、何が問題か
野村正満 Masamitsu Nomura
全国骨髄バンク推進連絡協議会・運営委員長
・成果とその要因
に設置された骨髄データセンターが、その窓口
であった。
1998年度、1年間のドナー登録者(実質増加)
しかし、その窓口は極端に狭いものであった。
数は1万9544名である。前年の97年度は1万2899
名であるから、98年度は前年と比較して年間
まず、平日の午前と午後というオフィスタイム
6500人あまり増えたことになる。
しかドナー登録を受け付けなかった。しかも、
では、
どうして登録者が増えたのであろうか。
事前に予約を入れ、受け入れ許容数を超えたら
それは、週末・休日の登録受け付けの開始と、
登録を断られた。骨髄バンク設立運動にかかわ
いわゆる「集団登録」実施による成果と見るこ
ったボランティアたちはこうした登録体制に失
とができるだろう。集団登録の実績は別表の通
望した。全国協議会では私も編集を担当して、
りであるが、その取り組み内容は各地各様の違
ドナー登録をした人たち100人の声を載せた
いがあるものの、いずれも地元ボランティアに
「道程(みちのり)」という小冊子を93年2月に
よる熱心な努力の成果である。その内容につい
ては、別掲(本誌23ページから)の神奈川、札
幌、秋田、広島、新潟、富山の各地から報告を
寄せてもらっているので、ぜひお読みいただき
たい。
1.骨髄バンク初期の登録窓口
・発足当時の狭き登録窓口
日本の公的骨髄バンク事業のドナー登録は
1992年1月から始まった。当初は東海・九州な
どの民間骨髄バンクなどでドナー登録した者の
データ移管もあったが、新規ドナー希望者の受
け付けは、全国60数カ所の日赤血液センター内
− 18 −
発行し、日赤をはじめとする関係各所に配布し
が見ても明らかだった。その第一は、日本の骨
た。この冊子には、登録窓口の拡大を訴える声
髄バンクの構造上から日赤の姿勢を積極的なも
で満ちていた。地方でも県庁所在地などの骨髄
のに動かすことが不可欠であった。
データセンターとは遠隔地の在住者が丸1日か
・海外のドライビング
けてようやく登録ができた、有給休暇をとって
骨髄バンク事業の伸展とともに、国際シンポ
ドナー登録した、といったエピソードであふれ、
週末・休日の窓口を開くように、また1県1カ所
ジウムなどを通じて、ドナー登録の大きな飛躍
というデータセンター以外での登録窓口を拡大
を見せる海外の骨髄バンクが、どのようなドナ
するようにと訴えた。さらに、全国協議会はこ
ーリクルートを行っているのかが、次第に明ら
うした窓口拡大の要望書を厚生省や日本赤十字
かになっていった。100万人単位の規模でドナ
ー登録を伸ばしている全米骨髄バンク
社に提出した。しかし、市民の声に日赤が反応
(NMDP)の場合、それは「ドライビング」と
することは一向になかった。
呼ばれる方法で、効率的なドナー登録を実現し
・保健所登録開始
ていた。台湾骨髄バンク(TCTMDR)の場合
は、これをキャンペーン方式と呼んでいた。日
厚生省は94年度予算に保健所でドナー登録で
きる都道府県への補助金をつけた。国が半額補
本より遅く骨髄バンクがスタートした台湾は、
助し、残る半額を都道府県が負担するかたちで
すぐに日本のドナー登録者数に追いつき、そし
ある。94年10月から一部保健所でのドナー登録
て追い越した。ちなみに台湾の人口は日本の6
が始まり、翌95年4月から保健所登録は全国的
分の1ほどである。
に拡大した。これでデータセンターの遠隔地居
ドライビング(あるいはドライブ)またはキ
住者の登録環境は一部改善できることになっ
ャンペーン方式とは、十分な広報活動を行った
た。
上で、ある会場で一斉にドナー登録を受け付け
休日の登録は遅々として進展しなかった。し
る方法である。もちろん、その場所は人の集ま
かし、我々の強い希望は福岡・北海道などのセ
りやすいところが選ばれ、日にちも週末などが
ンターを動かし、ごく一部で週末の窓口を開設
選択される。要するに、登録希望者にとっての
することになった。だが、それら「週末窓口開
利便性が第1選択肢である。NMDPのドナー登
設についての広報はしないでほしい」と釘を刺
録者の大半はドライビングによるものであり、
された。週末登録はどこのセンターでもできる
TCTMDRではすべてがそうであり、従って常
ものではないからこれを前例としてくれるな、
設のドナー登録窓口は基本的には開設していな
というのが論拠である。また、交通利便の良い
い。
献血ルームなどでの登録も始まり、非常にのろ
また、NMDPではドライビングを大きく2種
いテンポではあるが、わずかな進展もあったこ
類に分類している。一つは「コミュニティー・
とは指摘しておく必要があるだろう。
とはいえ、
ドライブ」と称される地域単位のドライビング
これはあくまでもセンター内でのスタッフ配置
で、もう一つは「コーポレイテッド・ドライブ」
などの都合でそういうかたちがとられていった
という職域単位のドライビングである。患者が
のかもしれない。
骨髄バンクに登録し、協力を申し出ると、この
いずれにせよ、日本骨髄バンクのドナープー
ドライビングを実施する主体となってもらうの
ルは小さな規模のままでいた。その一方、海外
だという。そしてドナーセンターやボランティ
の骨髄バンクからは桁が一つも二つも違うドナ
ア団体が力を合わせて、頻繁にドライビングが
ー登録者数を伸ばしている報告が届いていた。
実施されている。
日本のドナー登録環境を改善すべきことは、誰
− 19 −
2.1997年秋の変化
が詳しく報告しているのでご参照願いたい。
・海部元首相と休日登録
とにかく、97年秋から暮れにかけては、日本
骨髄バンクにとっては歴史的とも言える変化の
日本でもドライビングでドナー登録を実施し
あった時期になった、と表現するのは大袈裟に
てみたい。
過ぎるだろうか。
それは全国協議会の運営委員たちの間では悲
願とでもいうべきものであった。しかし、それ
・ドライビングもどき
にはまず週末・休日にドナー登録ができる状況
98年4月から日赤本社通達により、各地デー
を作り出さないことには、何事も始まらないこ
タセンターでの週末登録受け付け窓口が拡大す
とであった。
ることになった。
97年秋、この休日登録の実現に向け、海部俊
樹元首相(当時新進党党首)が動いた。全国協
一方、公開フォーラムでの論議を受け、「ド
議会の海部幸世会長のご主人である。日赤本社
ライビング」実施について、厚生省・財団・日
の血液事業首脳を海部事務所に呼んで週末・休
赤本社の三者会議で話し合いが続いていた。厚
日のドナー登録について事情を聞くことになっ
生省が「土日・祝日の骨髄提供希望者集団登録
た。しかし、そのとき日赤本社からは責任ある
受付説明会実施要綱」を定めて地方自治体をは
立場のものは姿を現さなかった。元首相は強い
じめとする関係各所に「通達」のかたちで協力
調子で、これでは話にならないと語り、出直し
依頼を出すことになっていた。98年春にはその
てくるようにといった。
要綱の案文はできあがっていたが、文言表現に
ついて日赤サイドが抵抗を示し、厚生省通達が
それから間もなくのことである。日赤本社か
出されるのは結局翌99年4月にずれ込んだ。
ら各地データセンターに通達が出た。12月の骨
髄バンク推進月間で、可能なセンターは週末に
厚生省通達が出ないまま、状況だけは次々に
ドナー登録の受け付けを行え、というものであ
進展していった。まず、98年7月に財団主催に
った。
よる札幌での「集団登録受け付け説明会」が行
われることになった。財団はこのイベントをモ
・発端は公開フォーラム
デル事業と位置づけた。北海道は血液センター
その97年11月、まだ日赤本社の休日登録開始
が非常に協力的で、週末登録を早期に実施して
の通達が出る前である。骨髄移植推進財団と全
いたので、財団とすれば「やりやすい」と見て
国協議会の主催による第1回公開フォーラム
札幌を選んだのだろう。しかし、地元とすれば、
「明日の骨髄バンクを考える」が2日間にわたっ
すでに申し込みハガキの必要もない受け付け体
て東京で開催された。この席で全国協議会のパ
制で臨んでいたので「何を今さら」という摩擦
ネリストから、日本でもドライビングによるド
もあったが、ともかく「ドライビングもどき」
ナー登録を実施しなければならない、との主張
が始まったのである。
が行われたのである。これに対して、多くの参
3.HLA検査体制と今後の課題
加関係者がドライビングの実現に動き出した。
・事前予約制
また、この時、12月14日の日曜日に横浜にお
いて集団ドナー登録受け付けを実施する旨のチ
ではなぜ「ドライビング」ではなく「ドライ
ラシが配布された。これは骨髄移植を考える神
ビングもどき」と「もどき」がついているのだ
奈川の会の強い働きかけで、大和保健所(神奈
ろうか。
川県)が臨時出張登録所を開設するかたちで実
それはまず、集団登録といっても事前予約が
現にこぎ着けたものである。このことに関して
必要であり、基本的には当日飛び込みの登録受
は、本誌23ページの宮治氏(神奈川の会会長)
け付けは正式には認めていない建前になってい
− 20 −
ることがあげられる。これは、日赤のHLA検
日には検査結果が届くのだという。しかも、ア
査体制に由来している。どうしても、検査数の
メリカの検査料は格安である。1検体あたり数
上限(許容数)を設けて、それ以上は受け入れ
十ドル、先ほど算出した日本の場合と比較して
られないという数があるからだ。その後、セン
数分の1である。
ター間で検査すべき検体の調整をして、担当セ
・社会主義統制経済
ンター以外でも検査ができるようにはなってい
では、HLA検査とはどのようにして行われ
るが、それでも検査検体数に制限が設けられて
ているのだろうか。ドナー登録者のHLA検査
いる。
海外でのドライビングにはこのような制限は
は血清学的な検査で行われているという。つま
ない。希望者がいれば、どんな数になろうが受
り、抗血清(試薬)を用いて、採血した血液の
け入れる。これが日本の場合「もどき」がつく
反応を見てHLA型を決定するのである。その
一番の原因である。
ため、リンパ球の活性がある状態でないと検査
できないから、採血から時間をおいての検査は
では、どうして日本では制限がつくのだろう
できないことになる。
か。それはドナー登録時のHLA検査はすべて
しかし、HLAの検査方法も進展している。
日赤が行うというシステムに起因するところが
大きいだろう。そして検査料というお金の問題
NMDPでは99年から全面的にDNAタイピング
が出現する。
に移行すると伝えられている。DNAタイピン
グとは遺伝子のアミノ酸配列をタイピングする
・HLA検査料
ことによってHLA型を決定するので、リンパ
99年度予算では、ドナー登録のための検査料
球の活性は関係ない。だからいくら時間が経過
を含む補助金として3億7592万円が、日赤に支
しての検査でも可能である。それにドナーの血
払われることになっている。ちなみに、この金
液を吸着シートに浸み込ませるだけだというか
額は1万8000人分の登録費用から算出されてい
ら、現在のように10ccも採血する必要はないの
るそうで、1人あたりの費用は2万円程度という
だろう。
こうした世界の変化に日本はどう対処したら
ことになる。
この金額が多いか少ないかだが、99年2月の
よいのだろうか。現在のシステムで、日赤が独
第2回公開フォーラムで日赤の代表者は「ドナ
占している状態でいいのだろうか。競争原理が
ー登録者が増えれば増えるほど日赤の赤字は膨
働かないために、改善や変革のベクトルはきわ
らむ状態」と語っている。というのは、この補
めて弱い。日本は資本主義社会だというが、少
助金は何人のドナー登録があろうとも増減され
なくとも医療の世界は社会主義統制経済と言っ
ることはない。この額で登録希望者全員の登
ていいだろう。きわめて強い行政の規制の中に
録・検査を行わなければならない。つまり、日
ある。
赤にとってドナー登録者は少ないほうが金銭的
日赤が「やればやるほど赤字」という体質で
にはいい、ということになる。もちろん、この
あるならば、どうにかして改善しなければなら
補助金額は前年度の実績によって次年度の予算
ない。民間検査会社の活用や、海外の検査会社
額が変化するようではある。
に安価なHLA検査を依頼することを含めて考
える必要があるだろう。
さて、アメリカではこのHLA検査がビジネ
スとして確立している。台湾骨髄バンクではド
・事前告知の重要性
ライビングで1日で数千人というドナー登録者
から採血された検体をアメリカに空輸して検査
間もなく51歳の誕生日を迎える私だが、台湾
していた。それだけの数を1日で処理して、翌
骨髄バンクのドナーとして私のHLAは登録さ
− 21 −
れて生き続けている。台湾でドナー登録したの
ある限り、集団登録実施時に「飛び込み」での
は96年夏のことであった。台湾東海岸の花蓮市
ドナー登録者で、家族の同意がとれている人は、
は人口10万人規模の小都市である。この時、花
ごく稀であろうと予測される。また、その登録
蓮の慈済総合病院が会場となってドライビング
会場に「家族」がいる人はそうはいないだろう。
が実施された。この1日で1000人を超えるドナ
ドナー登録者は、20歳から50歳までの成人で
ー登録があった。花蓮とその周辺だけでなく、
ある。成人でありながら、自らの行動を自らの
飛行機に乗って登録にやってきた人もいた。
決断で決定することができないということにな
る。憲法で定められた基本的人権にも抵触する、
聞くと、すでに3カ月以上も前からこのドラ
イビングの事前告知が、テレビや新聞といった
と指摘する声もあるくらいである。骨髄バンク
メディアを通じて徹底して行われたという。こ
のドナー登録は、脳死による臓器提供意思表示
れが彼らがいう「キャンペーン方式」たる所以
とは、まったく条件が異なる。死によって発生
である。
する臓器提供の場合は、遺族の同意が必要とい
う論理と、健常者が提供する骨髄とは同様の論
ドライビングには徹底した事前キャンペーン
理では語れない。
が不可欠である。今のようにやっつけ仕事でド
ライビングもどきをしていたのでは、大きな成
また「家族の同意」という条件は、日本の骨
果は望めないだろう。そのためには、地域のマ
髄バンクにだけあるものである。骨髄バンクで
スコミに協力を仰ぐとともに、地方における最
も国際協力が進展している状況にあって、グロ
大の組織である地方行政の広報やシステムを最
ーバル・スタンダード(国際標準)も視野に入
大限に活用しなければ意味がない。十分な事前
れた見直しが、この「家族の同意」問題は孕ん
準備をしなければならない。
でいる。
先日、わずか1週間で集団登録の準備をした、
・いつ日本で本格的ドライビングが
とある財団幹部は誇らしげに語っていた。それ
ここまで指摘してきたように、本格的なドラ
はそれでいいのかもしれないが、ことの本質は
イビングをこの日本で実現するためには、数々
そんなところにはない。
しかし、現在の「もどき」体制では、あまり
の解決すべき課題が存在する。しかし、30万人
事前告知をすると、たくさんの登録希望者が来
というドナー登録目標を早期に達成するために
てしまったら、登録を断らざるを得ないことに
は、どうしても本格的ドライビングを導入しな
なる。だから、ほどほどのキャンペーンにして
ければならないだろう。
それは今、集団登録というドライビングまが
おこう、という意識も働く。とんでもない状況
いから、もう一歩も二歩も前に進まなければな
である。
らない。それは、着実に各地で地歩を踏み固め、
・「家族の同意」問題
実績と経験を積み重ねながらも、骨髄バンクの
日本骨髄バンクのドナー登録に際しての条件
構造的システムの改革をも見据えた取り組みが
(資格)として3つある。「20歳から50歳までの
必要となるだろう。しかし、人間愛と赤十字精
健康な人」「登録に家族が同意している人」
「パ
神があれば、必ずや早期に解決できることと信
ンフレット等をよく読んで登録の意味を理解し
じたい。
ている人」の3点である。
ドライビングまたは集団登録(ドライビング
もどき)にあたって、解決すべき根本的な課題
としてこの条件の一つ「家族の同意」がある。
厳密に解釈すれば「家族の同意」という条件が
− 22 −
ドナー集団登録の光と影
集団ドナー登録の体験と課題
宮治世之紀 Yoshinori Miyaji
神奈川骨髄移植を考える会・会長
神奈川骨髄移植を考える会では、1997年12月
へ案内を出して下さったことで、このような成
14日(日)に第1回の集団ドナー登録を全国の
果があったものと思っております。その際のア
都道府県に先駆けて行いました。場所は横浜の
ンケートでは、今までは休日の登録ができなか
神奈川県民センターで、神奈川県衛生部と我々
ったために登録をしていなかったが、1年以上
ボランティアの会が共催して行い、県管轄の大
も前から登録をしようと決めていた人が、65名
和保健福祉事務所が出張登録の問診・採血を行
中30名もいました。
う形をとりました。もちろん、神奈川データー
第2回の集団登録受け付けは、1998年7月20日
センターはHLAタイピング業務を100名以内ま
(海の日で休日)に東海大学医学部付属病院の
講堂で行いました。この時は、シンポジウムと
でならと引き受けてくれました。
当日の登録者数は65名で、11月1カ月の登録
ドナー登録受け付けを組み合わせて行いまし
数62名を上回る成果がありました。マスコミの
た。問診と採血は小田原保健福祉事務所が担当
事前PRと財団からの神奈川在住の登録希望者
してくれました。登録者数は23名と前回の約
資料:1998年度の「集団登録」の実績
実施日
主催
開催場所
人数
実施日
主催
開催場所
7月4日
財団
札幌テレビ塔会議室
32
12月6日
山形県
山形市中央公民館
7月20日
神奈川県
東海大学医学部講堂
23
12月20日
財団
名古屋市公会堂
14
1月15日
福島県
いわき市大黒屋裏緑地公園
1月17日
財団
岡山国際交流センター
19
8
2月14日
財団
広島国際会議場
60
103
8月14日
埼玉県血液 花園まつり会場(花園町)
センター
8月22日
鹿児島県
国分市総合福祉センター
8月29日
福井県
福井保健所
10月3日
福島県
グリーンパーク公園(郡山市)
10月4日
財団
西武新宿駅ビル・ペペ
10月4日
財団
10月4日
秋田県
45
101
14
6
2月21日
新潟県
長岡赤十字病院
15
2月28日
千葉県
柏市教育福祉会館
97
177
3月7日
財団
神戸交通センタービル
77
JR大阪駅前阪急梅田ビル
77
3月14日
財団
国立熊本病院地域医療研修
61
千秋会館(秋田市)ほか
54
10月9日
香川県
三本松商店街(大内町)
10月17日
栃木県
自治医科大学看護短大学園祭
11月1日
北海道血液 ショッピングセンター・
センター
人数
6
センター
3月14日
10
20
サティ
(釧路市)
11月3日
茨城県
いばらぎキリスト教学園(日立市) 16
11月6日
財団
京都駅ビル大階段広場
41
11月14日
鹿児島県
出水市朝市会場
24
12月6日
財団
八王子学園都市センター
12月6日
神奈川県
県民活動センター(横浜市)
170
93
富山県血液 アピタ富山店
88
センター
3月28日
財団
天神血液センター(福岡市)
58
3月28日
財団
松山市総合コミュニティー
85
3月28日
大阪府
天王寺一心寺シアターイベ
センター
69
ント会場
合計
(注:秋田は12月にかけて県内9カ所で実施)
− 23 −
1663
30%でしたが、場所が小田急線伊勢原駅からバ
人が33%、登録場所が不便が13%、登録の仕方
スで約5分の所であったことから、まずまずの
がわからなかったが30%、手続きが面倒が8%、
成績かと思っています。
という結果となりました。
第3回は1998年12月6日(日)に、1回目と同
我々ボランティアは、事前の啓蒙活動・当日
じ、神奈川県民センターで行いました。受け付
の呼び込み、会場案内整理、子どもさんの面倒
けとビデオ上映での説明には、県保健予防課の
をみるといった裏方ばかりを行いました。
人に加えて財団から2名が派遣され、問診と採
これからは、ボランティアも勉強をして、受
血は1回目と同じ大和保健福祉事務所が担当し
け付け説明が行えるようにしていく必要を感じ
ました。
ています。一方、問診採血を県衛生部のみに頼
今回は予約数も多く100名を超えていたので、
るのでは、年に2回(大和保健所および小田原
予約時点で希望時間に合わせて来場時間を時間
保健所の各1回)行うことが限度であり、血液
差でグループ設定したことで、混乱もなくスム
センターにも協力してもらう必要があると考え
ーズな登録が行えました。最終登録者数は93名
ています。そうすれば年に4回程度が可能とな
となりましたが、1回目を43%も上回る成績で、
り、また横須賀や川崎などでも実施が可能にな
やはり場所の効果が大きいと思いました。アン
ると考えています。
ケートでも半年以上も前から登録をしようと決
また、登録の仕方がわからない人が意外に多
めていた人がほとんどでしたが、今まで登録を
く、これからは折につけ、登録方法についての
しなかった理由では、平日の登録は困難という
説明を行っていく必要を痛感しています。
初めの一歩は32人で
∼ヨチヨチ歩きから着実な前進を見据えて∼
畠山茂房 Shigefusa Hatakeyama
北海道骨髄バンク推進協会(全国協議会運営副委員長)
●初めが肝心、でも大変
のかかもしれません。しかし、時間との競争を
1998年7月4日、骨髄移植推進財団自らが初め
強いられている多くの患者さんに「生きるチャ
て手がけた「集団説明会・採血登録」が札幌で
ンス」を間に合わせたいと願うこの骨髄バンク
実施されました。ルールのない段階で何かをし
運動の中にいると、気持ちばかりが前のめりに
ようというのはどんな場合でも大変です。まし
なってしまうのも正直なところです。
てこれから続けていかなければならない事業の
一日も早く30万人のドナー登録を達成するた
第1回目ともなれば、それなりにプレッシャー
めには、この方式のキャンペーンがどうしても
も伴うものです。
必要です。今後、1日で500人から1000人規模の
当日の現場だけをとらえれば5時間だけの事
集団登録を毎週末必ずどこかの都道府県で実施
業でも、厚生省、財団、地元の行政や日赤、ボ
できるようになれば(例えば47都道府県を1年
ランティア、さらにマスコミまで巻き込んでの
間の52週で一巡)、通常の受け付け窓口での登
事前調整は、実施直前まで難航
(混乱)しました。
録と合わせて30万人を3年以内で達成するとい
うプランも現実味を帯びてくるのです。
最初の一歩は「ヨチヨチ歩き」です。それが
以下、札幌での反省を30万人早期達成の糧と
様々な経験を積み重ねながら「着実な前進」と
するために「第1回」の概要を記します。
なるまでには、それなりの時間がかかるものな
− 24 −
●概要
札幌での集団登録は財団主催としての初の取
り組みでしたが、実は前年の1997年12月4日
(1)主催 財団法人骨髄移植推進財団
(2)協力 北海道、札幌市、札幌北楡病院、北
(日)
、神奈川県で「我が国初」の休日集団登録
海道赤十字血液センター、北海道骨髄バン
が開催されています。その時は地元ボランティ
ク推進協会
アの支援のもとに保健所の出張つまりは県の事
(3)日時 1998年7月4日(土)10:00∼15:00
業として実施され、50人までという日赤の検査
(4)場所 札幌テレビ塔2階会議室
枠を超える65人の採血・登録が行われました。
これに対し、札幌の場合は財団主催としては
(5)事前予約受付 北海道骨髄バンク推進協会
(6)来場者 35名(予約あり9名、
予約なし26名)
初めての事業(財団は「モデル事業」と宣言)と
(7)登録者 32名(来場者35名のうち年齢超過
いうことで準備段階からいくつかの混乱は避け
2名及び家族と相談したいと申し出た1名を
られませんでしたが、何とか実施に漕ぎ着けら
除く32名)
れたのは「1人でも多くの登録を」と願う関係
(8)当日の役割分担
者の熱い思いがあったからにほかなりません。
今後、30万人早期達成に向けてこの「集団登
受付 2名(北海道、財団各1名)
説明者 1名(財団)
録」方式がより一層効果的に実施されることを
ビデオ操作 1名(ボランティア)
願い、当時のメモから特徴的なことをいくつか
申込書確認・相談 2名(コーディネイタ
思い出してみます。
(1)厚生省からの通知(実施要綱)
ー)
問診・健康チェック 1名(認定施設、札
地元行政の関与を求めることになる筈のこ
幌北楡病院の調整医師)
の文書が間に合わなかったことが、最後ま
採血 2名(認定施設、札幌北楡病院の看
でネックになった。そんな中、全体の枠組
護婦)
みについて調整がついたのは実施まで残り
検体等の最終確認 2名(札幌市、財団各1
1週間を切っていた(この通知は99年4月28
名)
日付でようやく発せられている)。
街頭から会場までの案内 5名(ボランテ
(2)事前広報の期間
ィア)
札幌でのPR期間は1週間もなかったが、今
会場内の誘導 2名(ボランティア)
後は2∼3カ月間の事前キャンペーン期間を
総括・マスコミ対応等 3名(財団等)
置き、採血当日は説明をしなくともよいく
らいまで十分なPRを行うことが必須。
HLA検査 北海道赤十字血液センター
(9)見学者 北海道・東北地区の行政、データ
(3)血液センターの検査体制
センター及びボランティアなど15名(前日
当日の検査受け入れ枠は50人までとされた
に北海道・東北地区骨髄バンク推進連絡会
が、1000人規模の本格的なキャンペーンに
議が開催されたことによる)
対応する検査体制の確立が急がれる。
(4)常設の登録受け付け体制との関係
(10)報道
北海道では従来から土・日曜の登録受け付
事前報道 新聞3社
テレビ4社(5回)
けが可能であり、その中でいかにキャンペ
当日報道 テレビ 4社(6回)
ーンのメリットをPRしていくかという戦
事後報道 新聞2社
略が必要。
(5)「集団説明会・採血登録」という名称
●当時のメモから(雑感と今後に向けたい
もっと単純に「北海道(○○県)骨髄バン
くつかのアイデア)
ク登録キャンペーン」でよいのでは?
− 25 −
めたいと思います。
メモの最後にはこう書かれています。
こうしてみてくると当時のドタバタぶりが蘇
ってきますが、たとえ「やっつけ」と言われよ
「不幸中の幸い」
うとも何とか成功させたいと頑張った関係者の
「雨降って地固まる」
熱意と、35名の来場者の善意だけは記憶にとど
集団登録? 秋田方式
菅 早苗 Sanae Suga
秋田県骨髄提供者を募る会・事務局長
皆さんがイメージするドライブ方式とは一線
ドナー登録受け付けを開始するように、各地の
を画す、集団登録秋田方式をご紹介します。ま
血液センターに通達が出されました。
あ、ご一笑下さい。
その当時、秋田県では秋田市にある血液セン
ターと献血ルーム、4カ所の保健所で登録を受
●プロローグ
け付けていました。血液センターは日曜日は定
秋田では県から補助金をいただいて、毎年何
休日ですし、休日の登録が可能なのは献血ルー
かしらのイベントを行ってきました。シンポジ
ムですが、日曜日は献血者が多くかなり難しい
ウムやあやちゃんの贈り物展、等々。
だろうな、と思っていました。
1998年度は、いつもイベントが集中してしま
しかし、登録希望者の利便性を考えて、血液
う秋田市を離れて、県内を巡回する「リレーシ
センターでは毎週日曜日、献血ルームでの受け
ンポジウム」を行うことは、前年の秋には決ま
付けを英断して下さいました。
血液センターの決定を県に伝え、もう一方の
っていました。
当事者である保健所もシンポジウム会場で休日
秋田県は全人口が120万人、そのうち31万人
が秋田市に集中しています。次に人口が多い大
登録をしましょうよ、とお願いしましたところ、
館市でも6万7000人、男鹿市などは3万人しかい
これもなぜかご快諾いただいて、一気に秋田方
ません。骨髄バンクのことを詳しく知りたい、
式の完成です。
と思っている人はきっとどこにでもいるに違い
●そして集団? 登録
ない、そういう人に正しい情報を届けてあげら
れたら、との思いで企画したものです。
10月4日の全国キャンペーンに合わせて、午
神奈川で保健所主催で、休日の集団登録が行
前中はチラシの配布、午後はシンポジウム、そ
われたとのニュースが入り、秋田でもできるか
の後登録希望者には残っていただいて説明会と
も、と頭をよぎりましたが、それはまだ現実味
採血。それを日曜日ごとに全部で9カ所行いま
のない思いつきに過ぎませんでした。
した。ふだん登録を行っていない保健所も含め
て、全保健所に協力していただきました。会場
●そして春
の予約から広報、採血まで、休日出勤する羽目
1998年2月、財団と全国協議会の共催で「骨
になった保健所の職員の方には、突然降ってき
髄バンク公開フォーラム」が開催されました。
た災難のようなものだったと思いますが、登録
その場の討論が功を奏し、日赤本社から休日の
を受け付けていない保健所の方は事前に他の会
− 26 −
大きな反省点は、欲張りすぎて9カ所は疲れ
場まで勉強に来て下さって、本当に熱心にやっ
たこと、チラシを配る相手もいない寂しいとこ
ていただきました。多謝多謝。
ろもあったことでしょうか。
9カ所でドナー登録54名という数字は、1日で
100人以上登録する他の地域の方には笑われる
例えば大きなイベント会場に出かけて行った
かも知れませんが、秋田では通常の年の約半年
り、職場単位で勉強会をしたりという機会はど
分を9日間で達成したことになります。数じゃ
の地域でもよくあると思いますが、そういう時
ありませんよね。
に保健所や、血液センターの協力を得て登録も
受け付けちゃう、というやり方であればどこで
これを機会に2カ所の保健所が受け付けを開
もできそうな気がしませんか?
始し、1999年度中には秋田市を除くすべての保
教訓。文句を言えばきりがない。笑顔であり
健所で登録できるようになります。移植医を引
がとうを言えば物事はスムーズに進む。
っぱり回し、ボランティアの方々を酷使した甲
斐がありましたね。
「登録者の質」を考えさせられた一日
山本亜希子 Akiko Yamamoto
ひろしま骨髄バンク支援連絡会
99年2月14日、広島において初めて休日のド
ムページの掲示板に今回の休日登録について投
ナー登録が行われました。場所は平和公園内に
稿されました。それを見て「地元の私が活動し
ある国際会議場の会議室の一室です。
てないのに」と大変恐縮してしまった次第です。
私が「広島で休日ドナー登録をする」と聞い
さっそく妹尾さんに連絡をとったところ、友人
たのは、実施日のほんの1月前のことでした。
の方や広島のテレビ局などに広報をお願いして
初めてということで、果たしてどのようになる
いるとのことでした。おかげでテレビのイベン
かわかりません。それに開催日は間近に迫って
ト情報の1コーナーで紹介していただくことが
いるのに何も広報されてなく、どうなるのだろ
でき、妹尾さんには大変感謝しています。なん
うかと不安を覚えもしました。
とか、直前には予約も予定人数を超え、それ以
後の方々には普段の登録日を知らせた上でお断
私は仕事がほとんど休めない関係で、なかな
りをするまでになりました。
か活動することができないのですが、実働でな
さて、いよいよ当日です。財団の方々が準備
くても何かしたいということでパソコン通信ニ
フティサーブ内にある「骨髄バンクフォーラム」
をしている間に手伝いのボランティアのメンバ
へひろしま骨髄バンク支援連絡会の活動や、協
ーが集まってきました。何ぶんにも初めての経
議会のMLで得た全国のイベント情報などを掲
験ですので、何をしていいのかわかりません。
載することで活動しています。今回の登録につ
財団の方に教えていただきながら受け付けや会
いてもさっそく載せたのですがあまり反応はな
場案内をすることになりました。会場となる会
く、さらに不安になってしまいました。
議室が目立たないところにあったため、会議場
そこへ助け舟を出してくれたのが岡山の妹尾
の玄関やエスカレーターなどにボランティアが
さんでした。あまり報道などがされないので気
立ち、登録者が来るのを待ち受けました。時間
になったのでしょう。妹尾さんがある方のホー
になり予約された方々が来られましたが、予約
− 27 −
時間で人数が決まっているので混雑することも
録してしまった人が、いざ適合する患者さんが
なく進んでいきました。登録に来られたのは、
現れたときに提供を躊躇するようでは意味がな
小さな子どもを連れたご夫婦や、20歳になった
いのです。登録時の状況を見て、果たしてこの
ばかりなど若い方々が多く、「今日の休日登録
30分程度の説明で十分な理解と判断ができるだ
があったから来ることができた」という声が何
ろうかと疑問を感じました。実際この日、小さ
人かから聞かれました。
な赤ちゃんを連れたお母さんは骨髄提供に入院
現在広島では、広島血液センター、福山の献
が必要なことを知らないらしく、「入院はでき
血ルーム、三次の保健所の3カ所で受け付けを
ない」と言われました。しかしそのような状況
しています。しかし、まだ日曜日にやっている
でも彼女は登録して帰られたのです。
ところはありません。これでは、登録したい人
最近、骨髄バンク・移植についてはかなり認
には全く十分ではありません。平日にわざわざ
知されてきたようには感じますが、実際の提供
登録に出かけるのはこの3会場の近郊の人には
についてはまだあまり知られてないように思い
ともかく、その他の地域の人にとっては登録そ
ます。患者さんにとって適合者がいるのに提供
のものが1日がかりの大仕事になってしまうこ
してもらえないというのはどうしようもなくつ
ともあるわけですから、現状のままでは、いく
らいものです。そういう状況を起こさないため
ら登録の意思をもっていても登録の機会すら得
にも登録時に提供の意思を確認することが大切
ることができない人がたくさんいます。そうい
だと感じました。
った方たちの気持ちを無駄にしないためにも、
この日は結局、60人の予約のところ58人が来
一刻も早く広島においての登録場所の増設と日
られ、飛び込み2人を加え、結果的には60人ち
曜・祝日の受け付けが実施されるようになれば
ょうどの登録がされました。
と、私は願っています。しかし、登録の機会が
ドナー登録数が増えることも必要ですが、ま
増えただけではいいとも言えません。登録機会
たその質についても考えなければならない、そ
が増えたことで安易に登録してしまう人がいな
のためにはどのような登録方法にすればよいの
いとは限らないのです。その場の勢いなどで登
かと、新たに考えさせられた一日でした。
成功の秘訣は「良好な人間関係」
金子和子 Kazuko Kaneko
にいがた・骨髄バンクを育てる会副会長
●はじめに
しか祭り」が見つかった。毎回、出店PRで参
昨年の夏以降、ドナー登録集団受け付けが実
加しているので話はすぐ決まった。しかし、会
施され、全国協議会ニュースに掲載されて数カ
場確保が困難で思案の末、すぐ前の長岡赤十字
月たったころ、当会でもやりたいねという声が
病院にお願いしOKとなる。県と保健所から正
自然発生的に出てきた。県へ相談に行き、イベ
式に会場借用願いに行っていただいた。
ント会場かその近くで、となった。
●打ち合わせ会議
●会場確保
1月20日に打ち合わせ会議が県庁であり、県、
保健所、データセンター、育てる会で7人が集
催し物を探したところ、2月21日の「長岡雪
− 28 −
功を祝い、缶コーヒーを飲んだ。
まり、次のことが決まった。①予約制とし人数
は100人まで受け付ける②中越地方の未登録者
●気づきと反省
へ財団から周知のハガキを出してもらう③プラ
イバシー保護のため登録受け付けは1対1とし、
①昨年4月から献血ルームで毎週日曜午後、
ついたてで仕切る④受け付け、ビデオ、登録手
ボランティアが登録受け付けをしている。研修
続き、終了時の対応は育てる会、問診・採血は
を受けた希望者30人で1人あたり年間4回の担当
保健所、血液の運搬は午前中はデータセンター、
である。このことが、県へ「強気」で交渉でき
午後は県とする⑤中越地方の市町村広報紙掲載
た下地になっている。
は保健所、一般・報道へのPRは育てる会とし、
チラシは県がつくる。
②データセンターが予定数100人と出してく
れたので、数の心配をせずに思い切ったPRが
打ち合わせを終えて午後、育てる会事務局で
できてよかった。
長岡支部代表と役割分担について協議し、次の
③地域興しの雪しか祭りは今回が7回目で、
ことが決まる。①今回の事業は長岡支部協力で、
長岡支部は1回目から参加しているため、主催
育てる会全体として実施する②PRはラジオの
の市、商工会議所との間に良い人間関係が築か
コマーシャルを利用する③1週間前にチラシ配
れている。アンパンマン、ウサギ、ペンシルバ
りをして報道してもらう④企業・団体・個人に
ルーンで宣伝して、会場周辺はまるで骨髄バン
ポスター掲示をお願いする。
ク一色だったが、
どこからも苦情は出なかった。
●いよいよ当日
当者はわざわざ検査セットを取りに保健所まで
④登録者が100人を超えたとき、保健所の担
走ってくれた。担当者の熱意もさることながら、
長岡赤十字病院に午前8時集合。保健所担当
によるミーティングがあり、人の流れを考えて
長岡支部代表の相塚さんの日ごろの地道な活動
会場設営をする。各人が持ち場へ着いたところ
をよく知っており、相塚さんとの良い人間関係
で、すぐに予約の人が来る。人の流れが絶えな
が担当者をその気にさせたのだと思う。
⑤1週間前の駅前3カ所のチラシ配りは、報道
い。103人の登録となって、うれしい悲鳴であ
が多数来てくれて目的を達した。
った。
人員配置は、ドナー登録集団受け付けの会場
⑥県、保健所、データセンター、当会の会員
では①受付(当会4人)②ビデオ(当会3人)終
が打ち合わせどおりに自分の担当を誠実に実行
了後すぐ質問を受ける③登録手続き(当会4人、
したことが、今回の成功につながった。
⑦いろいろな質問が出たので、最新のマンス
保健所2人)④問診(保健所医師1人)⑤採血
(保健所看護婦2人)⑥終了(当会、県各1人)
リーリポートを持参してよかった。
⑧幼児連れの夫婦が何組もあり、保育係の必
で、雪しか祭り会場では①前日と当日にテント
要を感じた。
2張りで物販とPR、ウサギの縫いぐるみでチラ
⑨連絡ミスで、骨髄バンクニュースがなくて
シ配り②レストラン入り口付近の外ではアンパ
渡せなかったのが残念。
ンマンでチラシ配り、正面ロビーではペンシル
バルーンで親子4人が動物づくりをしたが、た
⑩午前、午後とチラシ配りも含めて交代が必
ちまち周りに人垣ができ、その親たちに当日受
要。当会は適当に交代したが、医師は昼食もと
け付けのチラシやチャンスを手渡す。食事中に
れずにパン1個だった。
今回のドナー登録集団受け付けでは103人の
読んでもらう作戦だ。これは当たったような気
登録があり、5人におことわりした。6時間で長
がする。
岡保健所の2年分だった。集団登録の有効性が
後片づけも済んで、心地よい疲れの中、みん
示され、今後の運動の方向性を感じる。
な自然に輪になり、音のしない三三七拍子で成
− 29 −
●今後のドナー登録集団受け付けの展望
で実行することにした。ボランティアが手薄の
ところは募集しながら、同時進行で実施してい
1999年3月、当会運営委員会において本年度
くことになる。
のドナー登録目標は、志を高く持つため2000人
とした。日本骨髄バンクがドナー登録を受け付
登録受け付け業務やドナー登録集団受け付け
けてから、3月末までの新潟の数は2586人であ
のマニュアルを基に、各支部が保健所、行政と
るから、1年で7年分を達成しようと意気込んで
相談しながらこの事業を進めていく。このこと
いる。そのためには、登録受け付けをしている
が、結果としてボランティアの自覚、増強につ
7保健所で集団受け付けの実施が必要である。
ながるメリットは大きく、本年度の結果次第で
さっそく県と相談し、データセンターや7保健
来年からの方向性が決まることになる。新たな
所などの協力で、7カ所が予定された。そして
挑戦に向けて限りない前進が始まる予感がす
各支部は、それぞれ自分たちのやりやすい方法
る。
「3月14日、富山で何が……」
れれちゃんず(“リンダ”こと油野千里&“しなぐわっち”こと品川保弘)
富山県骨髄バンクを広める会
た。
富山の会のキャラ“れれちゃん”で∼す。れ
れちゃんレポをお届けいたします。骨髄バンク
実施にあたっての一番の問題は検査体制で
運動に関わって、ふと気がつけば早や6年。こ
す。なにせ富山県の場合、平均すると1日に1人
の間、いろんなイベントを打ってきました。が、
以下の登録者というのが、過去5年間の実態で
しか∼し、今までのシンポジウム・パネル展・
すから、「最大キャパは5人くらいかなあ」との
トークショーは、ぜ∼んぶ「変化球」。来てい
担当者のお言葉が、現実味を帯びているだけに
ただいた方々がその後「どうなったか」までは、
我々の胸に重くのしかかります。と、ところが
残念ながら知りませ∼ん。“ドナー登録のきっ
“れれちゃんず”のしんけ∼んな眼差しと熱き
かけ”となってくれればいいなあと思いながら
想いに心を動かされたのでしょう。5人が10人
の普及啓発でした。
に、そして20人に、「いやもう50人だってやっ
しか∼し、昨年7月に札幌で「集団説明会」
が行われたのを皮切りに、各地で「直球勝負」
ちゃおうかなあ∼」と、血液センターの方も決
断しちゃったのでありました。
が見られるようになりましたね。それらの結果
こうなればあとは広報です。いや、実はこの
報告を聞くと「休日なら登録できるんだけどな
広報こそが、最も大切な問題なのでした。「笛
∼」と思っておられる方が、やはし多いらしい。
吹けど踊らず、広報すれど客は来ず」……この
富山でもやりたいなあと、わたしたちが考えた
6年間、悲惨な結末を迎えたイベントは数知れ
のは、ごくごく自然の成りゆきでしゅ。昨年秋
ず(皆さんにもありませんか。客よりスタッフ
から、ことあるごとに、血液センターさんに
のほうが多かったって経験)。しかし今度ばか
りはなんとしても成功させねば!
? ポスター・
「集団登録説明会、やりたいんですぅ」とお願
いし続けました。そして話し合いの場を持ち、
チラシの作成・配布、新聞紙上への記事掲載依
富山市内のSC「アピタ」にて3月14日実施と正
頼、ラジオ・テレビの情報番組・ニュース特番
式に決定したのは、年が明けてからのことでし
への出演、これに付け加えて、今回新たに屋外
− 30 −
文字放送による宣伝を広報戦略に組み込んじゃ
らの偵察要員か? 某財団にだけは、この悲惨
ったのです。
な予約状況を悟られたくない、と机の上の名簿
誰が考えたのか
(リンダに決まっとるがな!)
を裏返す。
「登録のkiss!骨髄移植を必要とする患者さん
その時、“れれちゃんず”のメンバーの声が
は“眠れる森”で眠っているお姫様と同じ。あ
私の鼓膜に突き刺さる。
「登録希望者だよ∼ん」。
なたのkissで目をさまさせてあげて!」などと
な、なぬ? ちょっと待って
? 受け付け開始
いう、かなり妖しげなコピーが踊るポスターと
時間の10時半よりも前に、希望者がやってきて
チラシが完成(いつものように東京の在家智く
しまった。あれえ、「チャンス!」はどこ?
んの血と汗と涙の結晶)。
「事前予約は必要な∼
ビデオのセットは? 申し込み用紙は? ボー
いよね?」と思いながらも、「安心」と血液セン
ルペンは? また来ちゃったよん! 椅子が足
ターの準備のために、予約連絡先はやはり入れ
りないんでないかい?
ました(予約連絡先を書きながら、「予約なし
……それから後は、疾風怒涛、順風満帆、万
でも当日受け付けます」と加えたのが、驚くべ
里の長城、蟻ンコのギョーレツのごとく登録希
き結果に結び付いたのか)。資金不足ゆえ、枚
望者が訪れ、終わってみれば、88人もの方々が
数を作れなかったぶん、より有効な活用をと知
登録してくれたのでした。
ここだけの話だけど、
恵を絞り、
ポスター・チラシの配布戦略も研究、
事前予約による登録者は4人だけ。う∼ん。き
そして実行したのでした。
っと広報がうまくいったってことだよね∼、こ
新聞各紙もいっしょけんめ書いてくれたし、
ラジオ・テレビには2度ずつ出演できました。
今回初体験の屋外文字放送は、30文字のテロッ
プが約13秒間、交通量の多い街頭5カ所の電光
掲示板毎に、1日90回程度、8日間で延べ4000回
近くも流れた計算になります。こちらは文字数
の関係で、予約が必要うんぬんの説明は一切な
し。
このほか、青年会議所のメンバーに声をかけ
ていただくとか、看護学校でミニ講演会を開か
せていただくなど、やれそうなことはすべてや
ったってカンジでした。
3月14日、雲一つない快晴。午前9時、説明会
場の準備開始。午前10時、骨髄DC担当者より、
事前予約者の名簿をいただいた瞬間、目が点に
なり、心臓が凍りつく。名簿に記された予約者
はわずか8名。1週間前に聞いた噂では3名だっ
たけど、あれは冗談だと思ってたのに∼。この
8名だって、必ず来てくれるという保証は、な
い。でもお願いだから8名来てくれ。富山県の
場合、1日に8名の登録者がいたら記録更新なの
だ。と、そこへ、見知らぬ顔の男性がひとり、
ふたり。むむ! 広める会のメンバーではない
ぞ。日赤関係者でもないな。もしや、某財団か
− 31 −
れって。ちゃう?
エッセイ
ボランティアから患者へ
徳田ひろみ Hiromi Tokuda
骨髄移植推進財団・前地区普及広報委員
こんな体験をしている人がいるのだろうか?
たのが95年12月のことでした。でも、なにしろ
財団の地区普及広報委員として、ボランティ
ボランティアは素人、同じ東京のメンバーも同
アに携わってきた人間が、突然「再生不良性貧
様、何から手をつけていいかもわからず、既存
血」の診断を受けました。ドナー登録をしてい
のボランティア団体に入り参加・協力しながら
た立場から、こんどは骨髄移植を必要とする病
の活動でした。
気になってしまったのです。
●突然の発病
●ボランティア活動を
たいしたボランティア活動や仕事もできない
ほんの小さな囲み記事でした。新聞でそれを
まま3年あまりたった98年1月、本当に突然の発
見つけたのは、「地区普及広報委員公募」。以前
病でした。3カ月前の、ママさんドックでは異
の仕事(検査技師)から、公的骨髄バンクが設
常なしの結果でした。それから徐々に貧血が起
立したことは知っていました。登録したいと思
こっている体に、私自身まったく気づきません
いつつ、
まだ幼稚園へ通う子どもがいる核家族、
でした。疲れも慣れてくるものなんですね。
眼底出血をおこし病院へ。眼底写真を撮って
1週間近い入院のことを考えると、当初はなか
くれた先生の指示で血液検査、偶然の発見でし
なか前へは進めませんでした。
そんな時、その記事にめぐり合ったのです。
た。
子どもも小学生、少し手もかからなくなり、な
●とまどい
にか世間と接点を持ちたいと考えていたところ
でしたので、これ! と思いました。
緊急入院の時も、なぜ私がこの病気になった
財団に電話を入れ、公募の資料をいただくと
んだろう……。初めは治療のことより、そんな
同時に登録の手続きもしました。あっという間
ことばかりが頭の中をよぎっていました。とま
に2次検査までいき、その間になれないリポー
どいばかりでした。
トを書き財団に提出しました。
でもすべてにプラス志向の私、この世の中で
東京地区普及広報委員としてスタートを切っ
神様がいて、病気を振り分けるとき『この人な
− 32 −
月初め退院することができました。
ら、病気のことや、骨髄バンク、骨髄移植のこ
ともわかっているから、この難病でも勝てるだ
入院してすぐ知人から、「病気に最後の最後
ろう』と考え、私のほうにまわしたんだろうと
に勝てるのは、本人の治るという信念・気持ち
思ったら、気持ちが楽になりました。治せる病
の強さと、支えてくれる家族の愛よ」といわれ
気と思えてきたのです。
ました。本当にこの言葉に尽きると思います。
自己治癒力、自己回復力ははかり知れないも
●無菌室での治療
のがあると思います。それと、医療スタッフに
恵まれることも大事ですけど。
入院2日目、骨髄検査の結果で診断名がつき
ました。輸血や薬を飲みながら、免疫抑制療法
●今、思うこと
(ATG)とシクロスポリンの併用療法という方
針が決まりました。
今私は、昨年8月から輸血をすることもなく、
効果がなければ即、骨髄移植をするとのこと
シクロスポリンを少量のみ、外来も月に一度だ
でHLA検査もすませました。ATGの投与は感
けですみ、経過をみています。
染と副作用のことを考え、無菌室での治療でし
日常生活は全く不自由することもなく、気持
た。発熱、発疹、血圧上昇、白血球・血小板減
ちだけは病気以前より元気です。健康であるこ
少、体重増加、むくみ……など、そこそこの副
とが一番幸せとの人生観……。
作用との闘いでした。
現在の医学の進歩は目覚ましいものです。新
咽頭炎から内耳炎を併発しひどい頭痛がおこ
しい治療法が高い回復率を示し、保険適用も増
った時は、がんばりきれるかなーと不安になり
えてきつつあります。十年一昔とよくいいます
ましたが、不思議なことに時間が痛みも慣れさ
が、公的骨髄バンクが設立し、私が受けた
せ、そのうち消えてしまいました。
ATGもたくさんの患者・家族・関係者で、厚
生省に保険適用の訴えをし、そして認められた
●みんなの励まし
のは近年のものだということを知りました。
それぞれの立場で、同じ思いでがんばってい
入院当初よりボランティアの仲間や友人か
ると感じます。
ら、たくさんの励ましがありました。パワーを
だれかの言葉ではありませんが、患者になっ
もらっていました。
毎日届く定期便や手紙は、人に直接会うこと
たことは少し不自由にはなりましたけれど、け
がない無菌室での生活ではとても嬉しかったで
っして不幸ではありません。ですから、再発や
す。みんながすぐそばで、励ましているようで
骨髄異形成症候群への移行の不安はあります
寂しい思いがしませんでした。
が、心配はしていません。また、治しますもの。
そして今は、骨髄バンクの仲間や知人・家族
回復の原動力になっていたと思います。
に支えられ、またボランティア活動を始められ
一人では生きていけないこと、みんなの助け
る幸せを感じています。
で生かされていることを実感しました。何度で
も繰り返し言いたいです。『ありがとうござい
ました』
●病に勝つ
3月なかば4人部屋に移ってから、少しずつ血
液成分が増えていきました。小さな小さな副作
用は、その都度の適切な対処で大事にいたらず、
外来でも治療(輸血)ができる数字になり、4
− 33 −
全国協議会の新しい仲間
自治労県本部の活動で発展
森 雅幹 Masaki Mori
鳥取県骨髄バンクを支援する会運営委員
はじめまして、「鳥取県骨髄バンクを支援す
これは、組合員の女性が白血病になったこと
る会」です。会の結成は、98年5月30日のまだ
で、彼女を救おうという仲間の動きから始まっ
ヨチヨチ歩きの1年生です。この間、会員対象
た運動でした。シンポジウムは、正しい知識を
の学習会、映画上映会、看護学校等への骨髄バ
たくさんの人に伝え、休暇制度を制度化(既に
ンク理解のための講師派遣、ボランティアフェ
人事院規則上は休暇制度ができていた)し、骨
アへの参加、フリーマーケットでの資金づくり、
髄提供希望者を増やすことを目的に、開催する
会員親睦(飲み会?)などの活動を行ってきま
こととしました。一方で、県議会を通じ県内
した。設立当初27人+2団体であった会員数も
中・西部の2カ所でもバンクへの登録ができる
60人、3団体、賛助会員16人、2団体に増えまし
よう(鳥取県は東西に約100km、車で2時間半
た(このなかには、98年1月に日本の骨髄バン
かかるが、登録は東部1カ所のみ)働きかけを
クを介して韓国に送られた2例目のドナーとな
することとしました。
ったあのAさんも入っています)。今後、全国
県内初の骨髄バンク推進シンポジウムは、約
協議会の皆様のご指導をいただき、ますます活
650人の参加があり、大成功でした。なかでも、
動を活発化させていこうと思っております。よ
パネルディスカッションで、患者の家族の「人
ろしくお願いします。
間は一人では生きていけません。人と人とが助
まだ1年生の団体ですので、活動でみなさん
け合って生きていく社会こそ素晴らしいのでは
に報告できるようなものがなく、結成までの歴
ないでしょうか」の発言や、岡山のボランティ
史を、会員団体である自治労鳥取県本部(地方
アの「だれもがかかる病気です。骨髄提供希望
公共団体に関係する職員で構成する労働組合:
の登録者を増やすことは、私たち自身を救うこ
構成員9500人)の活動を通してご紹介しようと
とでもあるのです」の言葉が参加者の心をとら
思います。
えたようでした。また、骨髄提供にかかる休暇
94年3月、県内初の骨髄バンク推進のためのシ
が条例化されていない全市町村について、条例
ンポジウムを、自治労鳥取県本部が鳥取県米子
化をすることを参加者で確認しました。
そして、
市で開催しました。
終了後、患者の家族及び商工会議所青年部から、
− 34 −
今後のバンク推進運動へつながる協力申し出が
た、組合員も多数個人加入しています。取り組
あり、とても大きな収穫でした。
みの発端となった彼女は、亡くなりはしました
また、赤十字血液センターとの直接交渉と、
が、彼女の遺志は私たちが確実に引き継ぎ、彼
県議会で取り上げることなどにより、中部・西
女のためだけではなく私たちのために、この活
部でそれぞれドナー登録できることとなりまし
動を続けることを再確認しています。
最後に私見を一言、金で解決できる社会的課
た。
96年6月、第2回のシンポジウムを自治労と米
題は数多く、それはほとんどの場合、政治的に
子商工会議所青年部との異色の共催で、そして、
解決が可能です。ところが、骨髄提供希望登録
骨髄バンクの地区普及広報委員、地区コーディ
者を増やすという課題は、金で解決することが
ネーター、患者の家族の協力を得て、再度米子
できません。金で買うことのできない個人の善
市で開催しました。当日は、約700名の参加で
意を、私たちボランティアが協力し、骨髄バン
ありました。
クにまとめることにより、骨髄バンクそのもの
97年12月、自治労鳥取県本部主催で、第3回
が科学(医学)で作り出すことのできない薬と
シンポジウムを県内中部(北条町)で開催しま
なり、白血病等の難病に苦しむ人を助ける骨髄
した。これは、単にシンポジウムだけが目的で
バンクのような社会システムは、まさに21世紀
なく、主体となるボランティア団体の設立を目
の幕を開こうとしている私たちが、これからの
標としていました。約300名の参加で、シンポ
子どもたちへの責務として構築していかねばな
ジウム終了後、ボランティア希望者(一般参加
らないシステムではないでしょうか。
者、患者の家族、コーディネーター、広報委員、
自治労、商工会議所青年部等12人)を集めて今
後設立する団体の目的、性格、事業、会員の確
保等について準備会的な話し合いを持ちまし
た。特に、会則の事業の中に、①医療・検査体
制の充実を求める働きかけ、②民間企業への骨
髄提供にかかる休暇実現のための働きかけ、③
患者・患者の家族に対する支援並びに情報提供
を盛り込むこととしました。
98年5月30日、鳥取市において「鳥取県骨髄
バンクを支援する会」の記念すべき設立総会を
行い、遠藤允さんに記念講演をしていただきま
した。
一連の運動により、県内の骨髄提供希望者は
143人(94年)から625人(99年3月)を超え、
県内全市町村での「骨髄提供にかかる特別休暇」
の条例化、全市町村での窓口での骨髄バンクの
パンフレットの設置、骨髄提供希望登録所の複
数化、患者・患者家族への情報提供、運動を主
体的に引き継ぐボランティア団体の設立等とい
う成果がありました。99年5月現在「鳥取県骨
髄バンクを支援する会」
は会員数が60名を超え、
自治労鳥取県本部は団体会員として加入し、ま
− 35 −
全国協議会の新しい仲間
「原因究明」
「治療法確立」への情報提供
市川賢司 Kenji Ichikawa
再生つばさの会・会長
が、現在は成人患者さんも多数参加され、「患
昨年より全国協議会に加盟しました「再生つ
者交流会」等も行っています。
ばさの会」(再生不良性貧血・骨髄異形成症候
再生不良性貧血の発症率は低く(白血病の
群(MDS)・発作性夜間血色素尿症(PNH)
1/5)、孤独で不安な療養生活を余儀なくされ
患者、家族の会)です。
ていた患者・家族にとって、この会は発足以来
●「再生つばさの会」の目的
心の支えでありつづけています。
当会は、『会員同士が励まし助け合う』こと
を目的とし、日本のどの地域でも最良の治療が
●「阪本記念再生不良性貧血シンポジウム」
受けられるように、そしてこれら疾患の一日も
重症再生不良性貧血でお子様を亡くされた阪
早い原因究明・治療法の確立を願い、会報の発
本ご夫妻からのご寄付により、92年6月『阪本
行、先生方をお招きしての医療講演会・相談会
記念再生不良性貧血シンポジウム』を12名の先
の開催、会員懇親会などを行っています。
生方をお招きし、全国から医師・医療関係者・
・発足から現在まで
患者・患者家族が約300名参加し開催されまし
名古屋第一赤十字病院で精力的に重症再生不
た。
良性貧血の治療に当たられていた小島勢二先生
このシンポジウムをきっかけとし、造血細胞
(現在、名古屋大学付属病院)の全面的な協力
移植以外の再生不良性貧血の治療である免疫抑
と支援のもと、1989年8月に柴田明代前会長
制療法の普及の壁になっていたオーファンドラ
(現在、代表)を中心とする名古屋第一赤十字
ッグ問題を解決するため、治療薬であるALG・
病院に入院する患者の家族12名で発足しまし
シクロスポリン(Cy-A)の保険適用を求めて
た。
の「患者会」
「会を支えて下さる顧問の先生方」、
、
現在は全国で400余名の会員が参加し、本部
「他の医療関係者」三位一体の活動は、3度にわ
を関東支部に置き、中部・関西支部の3支部に
たる厚生省への要望書・署名の提出・陳情によ
て全国でその活動を進めております。
り95年10月に念願の保険適用を獲得するという
発足当初は小児科中心の患者家族会でした
形として現れ、私たち患者・家族の精神的、経
− 36 −
て、できる限り広い範囲の方々に「情報の提供」
済的負担の軽減はもちろんのこと、その後の
が行えるよう努力してまいります。
『再生不良性貧血治療研究会』の組織化による
『全国レベルの共同研究』、『プロトコル確立』
そして、再生不良性貧血をはじめとするこれ
への契機となったことは、極めて意義のある大
らの血液疾患の原因が解明され、治療法が確立
きな出来事でありました。
し、難病などでなくなる日=『再生つばさの会』
解散式の日まで、希望を持ってこの活動を全国
●今後の問題点
に広げていきたいと思っています。
会設立のきっかけとなった疾患である「再生
全国骨髄バンク推進連絡協議会に加盟してい
不良性貧血」をとりまく状況は、ALG、Cy−A
る各団体の皆様には、各地域で行う講演会等で
などが保険適用を獲得したことによる免疫抑制
様々な形でご援助いただいておりますことに心
療法の普及、造血細胞移植の進歩など、医療関
より感謝しております。
今後も何かとご協力をお願いするかとは思い
係者皆様のご努力により長期予後も向上してま
ますが、どうぞよろしくお願い致します。
いりました。
しかしその一方で、薬に反応せず輸血を続け
ている患者さんや、血縁者にHLA適合者がい
ないため骨髄バンクに患者登録はするものの、
「見付からないドナ−」・「進まないコ−ディ
ネ−ト」により苦しんでいる患者さんも大勢い
らっしゃるのが現実です。
そしてここ数年は「骨髄異形成症候群
(MDS)」や「発作性夜間血色素尿症(PNH)」
という疾患との共通性・関連性も指摘され新た
な問題となっております。
また患者会として今後解決すべき2つの大き
な問題点として、
1.免疫抑制療法に無反応・バンクに適合者が
いない場合等に使用し有効症例もみられる造血
因子である「エリスロポエチン」や「トロンボ
ポエチン」などの薬が保険適用でないため通常
は使用できない
2.「骨髄異形成症候群(MDS)」や「発作性夜
間血色素尿症(PNH)」は、きわめて再生不良
性貧血に似た疾患でありながら、特定疾患とし
ての公費負担を受けられず患者は高額な治療費
による経済的負担を強いられている
が、あります。
●一日も早い原因究明・治療法の確立を
上記のように現在なお様々な問題を抱えてお
りますが、私たち役員も全国にいる会員の願い
「一日も早い原因究明・治療法の確立」に向け
− 37 −
全国協議会の新しい仲間
「県民の集い」は年に2回開催
飯島 尚 Hisashi Iijima
とちぎ骨髄バンクを広める会代表
●広める会のバンク運動
勉強することができました。これは日本社会福
祉弘済会研修助成事業として開催されたもので
私たちの広める会は1993年6月に第1回の栃木
シンポジウムを、自治医科大学の講堂で開催、
す。
それを通して広める会を発足させました。シン
「支えあういのち、こころ」を合言葉に、隣接
ポ開催への準備は、県血液センター、自治、獨
する各団体との交流から、今年は移植患者同士
協両医大の先生方の肝いりでの発足でした。
の結婚が実現するとのうれしい情報もありま
それ以来、県内を中心に活動も徐々に深まり、
それに伴って会員の増加、意識の高まりへと、
す。
昨年度で県民の集いも12回を重ね、日に日に
運動も点から線、面へと広がって、年に2回の
活動の輪が広がり、全国協議会への加盟もでき
県民の集いが開けるようになりました。特に先
たわけですが、すべて順風満帆というわけでは
進的な取り組みをされた大田原市独自の協議会
ありません。99年度の総会は5月末に開催しま
設置が大きな刺激となって、私たちの運動も盛
したが、年度当初の諸計画をどう進めるか、ど
り上がったように思われます。それに加え、会
う具体化し啓蒙・啓発をよりよく、効率的に、
員はもとよりドナー経験者、
移植患者の皆さん、
少ない経費をどう生かせるか、さらに組織の拡
医師の先生方や病院関係者の多くの方々の努力
大、各地域での支部づくりなど、多くの課題を
も大きな力となったことは言うに及びません。
克服する必要があります。
特に昨年度は、県民の集いの年2回開催に加
「万人は一人のために」自分自身に降りかから
え「骨髄バンクボランティアセミナー」と称し
ないと、痛みはなかなか理解しにくい。運動の
て、峯石真先生、埴岡健一氏、獨協医科大の齋
先頭に立たねばならない会の代表として、あま
藤、杉田両先生や会事務局の柳沼さんたちによ
りにも微力を感じている昨今であります。
る講演会を開きました。さらに日をおいて、パ
<99年度の事業計画(案)>
ート2として患者家族滞在施設にかかわる問題
・5月 スタッフ一泊研修、総会、骨髄バンク
を取り上げ、大畑喜直、松尾忠雄、松原有紀、
チャリティー夕顔ボウル(共催)、キリンビー
近藤博子の各氏による、滞在施設支援の現況を
ルフェスティバルでの広報活動
− 38 −
・8月 全国キャラバン参加、第13回県民の集
い開催
・9月 親子ウォークラリー
・10月 自治医大薬師祭ほか大学、短大、専門
学校、小・中・高の文化祭への参加、栃木県、
小山市ほかの行政健康まつりへの参加
・2月 第14回県民の集い開催
●力強い会への支え
私たちの会の自慢の一つに、オリジナルポス
ターがあります。
会発足から1年ほどたったころ、独自のポス
ターをつくることが定例会で話題になったこと
があります。
94年の夏ごろだったと思います。版画家の藤
郷昇さんを紹介され、骨髄バンクの資料と全国
協議会作成のポスターを持ってお目にかかり、
ご協力をお願いしましたところ快く引き受けて
くださいました。
相談の結果、栃木県が普及啓発の予算の中か
ら印刷し、企画と完成後の掲示の多くを会が引
き受けることで話がまとまりました。
第一作の95年から今日まで原画を無償で作成
していただいています。藤郷さんは日本版画院
入選(91、92年)、マロニエ文化賞新人賞(93
年)、ベルギー国際展入選(94年)などに輝い
ており、91年4月から読売新聞栃木版にカット
を連載中です。
また藤郷さんは白血病などの患者・家族の皆
さんの手記なども読み、骨髄バンク運動にかか
わった人たちの思いに共感され、ときどき県内
デパートのギャラリーでチャリティー木版画即
売展を開催し、その一部を私たちの広める会へ
ご寄付くださいます。
栃木県が作成した普及啓発用のテレホンカードに藤郷さんの
版画が活用された
当会のオリジナルポスターも今年で第5作と
なり、好評をいただいています。
− 39 −
骨髄提供者の手記
第一声は「パンツ、パンツ……」
中村玲子 Reiko Nakamura
静岡県骨髄バンクを推進する会
骨髄ドナーになりました。
に到着。3人部屋で私のベッドは真ん中でした。
ちようど日本のサッカーチームがワールドカ
荷物を自分専用のスペースに片づけて、いっぱ
ップに出場してフランスに行っている時だった
い買ったTシャツの中から一番のお気に入りを
ので、職場の人たちは私の勤務表の1週間の休
出し着替えました。隣のベッドは若いお姉さん
みを見て、フランスに行くのだと思ったそうで
と、反対側はちよっと痴呆のあるお婆さん。そ
す。
の日のうちにお婆さんは違う部屋に移っていき
ドナーに登録すると、採取の時の様子を撮っ
ました。おしゃべりな私は隣の人のいい優しく
たビデオを見せられるようですが、私はそんな
美人なお姉さんと仲良くなりました。お姉さん
ものがあることを知らず、“知識より実践”で
は、この病院とはもう15年の付き合いだそうで、
臨みました。正直な気持ち、怖いというよりも、
たくさんの骨髄ドナーを見てきたとのことでし
1週間もお休みがあると思ってうれしかったで
た。
ドナーに関して、お姉さんに色々な質間をし
す。
入院するのは生まれて初めて。
わくわくして、
て採取までに具体的な知識を得ました。お姉さ
どんなパジャマを着ようかな、でも病気じゃな
んは私が採取に対して不安な気持ちにならない
いんだからTシャツに短パンでいいなと思い、
ようにと気を使ってくれ、本当の状況よりも軽
仕事の帰りに毎日お店に寄って、入院を理由に
く軽く言ってくれていたようです。私は今まで
色々な服やら靴やら必要ないものまで買ってし
で一番の痛い経験は親しらずを抜かれたことで
まいました。
した。それと採取とどっちが痛いかとお姉さん
骨髄採取は東京の病院でやることになってい
に間くと、「親しらずは部分麻酔で抜かれるか
たため、入院当日は大きな荷物を持って新幹線
ら痛いし、やってることが全部見えちゃって怖
で出かけました。病院はレンガ造りの歴史ある
いけど採取は全身麻酔だから大丈夫だよ」との
建物といえぱ聞こえはいいけれど、とっても古
ことでした。なんだ、そうだったのか。私はと
くて夜はお化けが出そうなものでした。
っても気が楽になりました。
入院中は毎朝皮下注射を打たれるだけで、後
入院の手続きをして病室に入り、自分の陣地
− 40 −
はやることはなし。毎日外出届けを出してもら
も分からないんだから頑張りようがないじゃ
い東京の散歩をしていました。そこは今話題の
ん。採取する先生が頑張ってよ」と言いました。
白金マダムの棲息地。ビバリーヒルズ白金白書
医者は、「そうですね、がんぱります」と言い
といった感じです。
ました。正直な気持ちを担当のお医者さんに伝
えることはとても大切なことです。
食事は昼食、タ食は選択食で2種類より選べ
ます。私は病院食だけではお腹が空いてしまっ
採取前日の夜、隣のベッドのお姉さんと話を
て地下の売店にパンやお菓子などをちょくちょ
しました。私が採取をしている間にお姉さんは
く買いにいきました。
部分麻酔で骨髄検査をするということでした。
「明日いやだな、
マルク
(骨髄採取検査のこと)
」
病院にいる間中は毎日とても眠かった。5分
ぐらいベッドにいると、もうとたんに眠くなっ
とお姉さん。部分麻酔で骨髄採取をすると、実
てきてしまい、朝も昼も夜も気がつくと眠って
際やっていることが全部見えてしまって怖い
いました。病院の空調の中に眠くなる薬が入っ
し、痛いのです。私も部分麻酔で骨髄採取した
ていて、霧のようにして出しているんじゃない
経験があるので、お姉さんの嫌がる気持ちはわ
かと思ったほどです。私のように落ち着きがな
かりました。
く多動でお医者さんや看護婦さんの仕事を邪魔
「私は全身麻酔だから、怖くないし痛くないよ。
して歩く人を眠らせてしまうための作戦でない
○○さんも全身麻酔でやってもらえばいいじゃ
かと思いました。隣のお姉さんに言うと、お姉
ん」「そうしようかな。ああやだな」
。お姉さん
さんはそんなに眠くならないよとのこと。お医
はよっぽど検査が嫌らしく、だいぶ遅い時間ま
者さんにも聞いてみましたが、そんなことして
でいやだなあ、明日検査なくならないかな、と
ないよ、と大笑いされてしまいました。退院し
繰り返していました。私は全身麻酔で痛みも怖
てから自宅に戻っても、眠くなるのは治らず、
さもないしと思い、早めに寝てしまいました。
採取当日になりました。朝、腸内を空っぽに
もしかしたら、私自体がもともとよく眠る体質
するため洗腸をし、その後手術室に行く前に点
だったのかも、と思いました。
採取は何人かのお医者さんがチームを組んで
滴のルートを腕に作り麻酔がかかりやすくなる
行うようです。入院中何人ものお医者さんが説
ように筋肉注射をうたれ、手術室用の服に着替
明に来てくれました。採取前にやること、採取
えました。手術室用の服は、引っ張ると簡単に
中麻酔が効いている間にやること、採取後麻酔
脱げる仕組みになっていて、マジックテープで
が切れてからのこと、退院まてのことです。入
袖下、脇、前などがくっつくようになっていま
院前に外来で聞き、入院中3回ほど聞き、まる
した。しかし、今までドナーになったたくさん
っきり同じことを4∼5回聞くのです。普段はと
の人が着てきたらしく、マジックテープの付き
ても穏やかな私ですが、最後の麻酔科の医者の
がとても悪い。マジックテープ自身もどっちが
説明の時は、
「その説明を間くのはもう5回目だ
くっついて、どっちがくっつかれるかもう忘れ
よ。そこから先はどうなってどうなるか、私が
てしまっているんじゃないかというくらい年季
説明してやる!」と怒鳴って、一発顔面パンチ
が入っていました。私はベッドの上でそれに着
をくれてやろうかと思いました。お前たちしつ
替えました。マジックテープはまるで役目を果
こいんだよ、私も5回も同じこと聞かされるほ
たさず、ちょっとでも動くと脱げてしまうので
どバカじゃあないんだよと思いました。大人で
した。手術室用の服の下には何も着ない(下着
すのでぐっとこらえました。
は着るな)ということでしたが、これはとても
お医者さんは説明の最後に必ず、「それでは、
危険だと思い、用心のためパンツだけ履きまし
た。
採取頑張ってください」と言うのです。私は医
やって来た医者に「先生これ見て。全然くっ
者に、「私は全身麻酔されて寝ちゃってて何に
− 41 −
つかないから、わたし丸見せ状態」と事情を伝
けていたら「眠くなりました」と自己申告せず
えると「どうせ手術室に行けぱ全部脱いじゃう
に眠ってしまいました。
んだからあんまり関係ないでしょう」とのこと
採取は全部で3時間ちよっとで無事に終わり
でした(嫁入り前の娘に何を言いやがる、この
ました。採取後、麻酔が切られお医者さんが私
野郎)。
の名前を呼びました。私は夢を見ていたようで、
廊下に出てストレッチャーに乗る時はヒヤヒ
気持ち良く寝ていたのに起こされてしまったよ
ヤでした。細心の注意を払いましたが、ほぽ丸
うな感じがしました。人工呼吸器や胃に管が入
見せ状態。パンツを履いていて本当に良かった
っていてそれを抜かれるとき気持ち悪かったの
と思いました。後日、私の次にドナーになった
を何となく覚えています。
病室に戻りだんだん意識がはっきりしてくる
方からマジックテープは良くつくものに変わっ
と、それにつれて骨髄採取された部分が鈍く痛
ていたと聞きました。
手術室に入ると、ストレッチャーを乗り換え
んでくると説明を受けていました。しかし、何
ました。そして布団を掛けられました。その中
が一番つらかったかといえぱ、空腹でした。前
で手術室用の服を引っ張られ脱がされました。
日の21時以降絶飲食、下剤・洗腸、当日は朝食、
「パンツも脱いてください」と看護婦さんに言
昼食とも抜かれているので、もうお腹は空っぽ
われ、自分で脱ぎ、看護婦さんに渡しました。
でした。麻酔のあと食事をすると嘔吐する場合
このパンツのことがずっと気になっていたらし
があること、また喉に長時間管を入れておくと
く、採取後、ストレッチャーで部屋へ戻る最中、
喉の感覚がおかしくなってしまうことなどか
まだ麻酔が効いてぼんやりしているのに「パン
ら、最初は看護婦の前でちょっと水を飲んでみ
ツ、パンツ……」と言っていたそうです。これ
て、飲めたら夕食から食事を摂ってもよいとい
は自分ではあまり覚えていませんが、この時の
うことでした。私は家族に売店に行ってジュー
様子を見ていた姉が後で教えてくれました。手
スとサンドイッチを買ってきてくれるよう頼み
術室に入っていくと、今までに見たことのない
ました。ベッドをギャッジアップしてもらい、
ような景色。わくわくキョロキョロしてしまい、
それらを一気に食べ尽くしました。途中で看護
採取どころではありません。「わーっ、じっく
婦に見つかってしまい「ああっ、まだ食べちゃ
り見たい!」と言うと、看護婦さんが、これは
だめって言ったじゃないですかっ」と激しく責
何でこっちは何と説明してくれました。そのう
められましたが「先生(お医者さん)がいいっ
ちお医者さんたちがやって来ました。麻酔科の
て言いました」と言って食べ続けました。気持
医者が
「じゃあ麻酔のお薬を入れていきますよ。
ち悪くはなりませんでした。
眠くなって来たら、『眠くなってきました』と
夜になり少し熱が出ましたが、朝バタバタし
言ってくださいね。薬が入ると10秒ぐらいで眠
ていて読めなかった漫画を見にロビーへ行った
くなると思います。ちょっとピリピリしますよ」
り、洗面所やトイレへも歩いて通いました。タ
と言って、麻酔が始まりました。なのに全然眠
食の時間になっても私の夕食だけ来ず、入院し
くなりません。10秒はとっくに過ぎました。ピ
て初めてナースコールを押し「タご飯ください」
リピリも全然しません。私は医者のほうをキッ
とお願いしました。他の人より30分以上遅れて
と見て「(麻酔になんか)負けないぞ!」と言い
私のご飯はやっと来たのでした。言うことを聞
ました。まわりの人たちは笑っています。私も
かずサンドイッチを食べた罰だろうかと思いま
おかしくて笑いました。でもまだ効いてきませ
した。
ん。今度は首をカクッと横に曲げ、撃たれた人
翌日は朝、血液検査と骨髄採取部の消毒をし
のように「やられたっ……。(首を起こし)う
ました。私の腰はがっちりとテーピングされて
そだよ。ハハハ」と言いました。こうしてふざ
いて、自分で痛くないようにゆっくりとはがそ
− 42 −
うとしたら、医者が「こういうのは一気にはが
伝わってこなかったように思います。もしこれ
したほうが痛くないんだよ」と言っていきなり
からドナー登録をしてみようかなと思っている
ビリッとはがしました。これがとっても痛かっ
方は、色々な人に話を聞き、人それぞれの体験
た。入院中やったことの中で一番痛かった。今
があるということを知った上で自分で判断され
度会ったら絶対殴ってやろうと思いました。
るとよいと思います。私の経験は私の経験であ
次の日には退院なのでベッドのまわりを片づ
って、あなたの経験ではありません。間違った
けたり、荷物を整理しました。その日の夜、隣
知議からむやみに不安になったり、大袈裟に考
のベッドのお姉さんと色々話をしました。お姉
えるのではなく、必要としている方がいて、自
さんが謝りました。
分の条件と一致したから(骨髄の型だけてなく
「私、あなたが不安にならないようにと思って
自分の気持ちや仕事との折り合い、家族の同意
軽く軽く言ってたんだよ。あなたは今まで見て
なども含めて)やってみるということでいいの
きたドナーの中で一番軽いよ。あんなに早く物
だと思います。
を食べたり、
歩き回ったりした人は初めてだよ」
と言いました。なんてことを……。私はみんな
そうだと思って自分ばっかりいつまでも寝てい
ても仕方ないし、なんて思って歩いてたのに、
実はみんなきちんとベッド上で安静にしていた
なんて。タご飯すら食べられず、ベッドで痛が
っている人もいるそうな。
「もし私が軽く言ってもあなたに痛みがあれば
動き回ったりできないだろうから、あなたは本
当に軽かったんだと思うよ」と言われました。
もしドナーになって骨髄採取を経験される方
は、けっして無理せずお医者さん、看護婦さん
の言うことをよく聞いて、それからご飯を食べ
たり動き回ったりされたほうがよいかと思いま
す。みんながみんな、軽い術後ではないそうな
ので。
翌日、退院。その日は新宿のジョイポリスに
姉と遊びに行き、夜は居酒屋で乾杯しました。
東京での生活を最後まで満喫し、無事帰宅しま
した。
骨髄ドナーを体験してみて、自分の採取後の
症状がとても軽かったため、もし必要とする方
がいれぱ、またドナーになってもいいかなと思
っています。私はお医者さんからの情報とは別
に、分かりやすく具体的な情報を入院してから
隣の優しいお姉さんからのお話で得ました。お
医者さんが教えてくれることは一般的なこと、
お医者さんの立場からのことがほとんどです。
実際ドナーを経験した人の気持ちなどがあまり
− 43 −
公的臍帯血バンクの産声
公的臍帯血バンク設立運動の意味するもの
有田美智世 Michiyo Arita
日本さい帯血バンク支援ボランティアの会代表
●骨髄から臍帯血へ
ました(実際に7年目の現在、骨髄バンクは改
私にとっての公的臍帯血バンク設立運動は、
革か進まず、つぶれかけています)。そうなる
前に他の医療を用意しておかないと患者が大変
「理想の骨髄バンク」設立を成し得なかった自
なことになる。それが、臍帯血バンクを進める
分自身への反省に立っての運動でした。
6年間にわたるその骨髄バンク設立運動が、
ようになった私の決意でした。
私は骨髄の運動の中で、日本の先進医療は、
結果的に臍帯血にとっての予行演習の役割を担
欧米に比べて10年遅れていると聞かされていま
ってくれたように思います。
骨髄バンクのとき、私たちは、骨髄液を提供
した。それなら世界の医療に希望が見いだせる
する側からのバンク設立という趣旨を踏まえ、
かもしれないと、情報収集に取りかかったので
あくまでも患者を第一に考えるシステムを厚生
す。そのとき手応えを感じたのが臍帯血移植で
省からの求めに応じて提出しました。骨髄バン
した。
聞けば聞くほど、知れば知るほど、臍帯血移
ク設立への最初の国家予算も、その考えに基づ
植は素晴らしい医療だということがわかりまし
いて計上されたのです。
ところが、現実に形となった骨髄バンクは
た。なによりも、提供者がまったく安全である
「骨髄移植推進財団」という厚生省の天下り機
という事実に驚きました。そして、嬉しいこと
関が運営し、一部の移植医だけがデータを一人
に、日本でも心ある医師や研究者がすでに臍帯
占めにするというとんでもない代物になってい
血の研究に取り組んでくれていたのです。
ました。
●献血の思想に立つ
負担は、患者サイドと主治医に押しつけると
いう形です。さらに、バンク利用料に医療保険
骨髄にしても、臍帯血にしても、私にとって
の適用をしなかったことは、最大のマイナスで
は献血推進運動の延長線上にあります。献血者
した。
の願いは、血液を必要とする患者のために、必
私は、こうした形で動きだした日本の骨髄バ
要なときに、公平に役立ってほしいということ
ンクは数年のうちに壁にぶつかるだろうと思い
です。本来、こうした患者本位という立場に立
− 44 −
●患者本位の公的臍帯血バンクへ
てば、日本の血液事業は何の問題もなく国民の
医療に役立つはずです。
私たちが運動を進めてきた目的は、「臍帯血
ところが現実にはおかしなことが起こってき
を必要とする患者さんが、必要なときに、公平
ました。たとえば、血漿分画製剤です。これは
に、その医療に役立つバンクを」ということで
製薬会社や病院の利益率が高いことが知られて
した。いまも行われている厚生省の臍帯血移植
います。そうなると「血漿は血液ではない」と
検討会での私の主張も、すべてその目的にいき
いう人が現れてきました。だから経済原則の自
つきます。
由競争に置くべきだと。その結果、薬害エイズ
つまり、「患者さんの救命を第一に考えてほ
が発生したのです。
しい」ということです。骨髄バンクも臍帯血バ
骨髄バンクのドナー登録者は、患者を救うた
ンクも、そのための車の両輪なのです。
めに自ら骨髄を提供しようという崇高なボラン
ある意味で、私は、公的臍帯血バンクの設立
ティアです。しかし、思うように提供が進まな
は遅すぎたと思っています。そのためにどれほ
い。すると「末梢血提供もありますよ」という
どの救われるべき命を死なせてしまったか。そ
話が起こってきました。なんのことはない、そ
れを考えると、残念でもあり、悔しいかぎりで
の実、問題をたくみにすりかえて、要は末梢血
す。しかし、あきらめずに、これからも私たち
採取に必要な薬をつくっている製薬会社の販売
が思い描いてきた公平なバンクとして機能して
シェアを広げたいといううまい話が仕組まれて
いくように、監視は続けていこうと思っていま
いるのです。「骨髄は血液ではない」とした理
す。
由がわかりました。
そんななか、私たちは理想の公的臍帯血バン
クを求める運動をつづけてきました。世論に訴
え、200万人を超す賛同の署名を得るという形
で運動を広げていったのです。その詳しい報告
は『新しい命が救う、もう一つの命』(第三文
明社刊・1000円)としてまとめましたのでご一
読ください。
そのうねりのような公的臍帯血バンク設立を
求める声に抗しきれないとなると、「利用者が
同じなのだから、骨髄バンクと一緒にしたほう
がいい」という人が出てきました。利用者は一
部重なりますが、同じではありません。そのシ
ステムもごく一部を除いて、まったく違うもの
です。
しかし、厚生省は骨髄バンクの失敗のめくら
ましとして、ある医療関係者は労せず臍帯血の
権限もデータも一人占めにしたいがために、そ
ういう思惑をのぞかせてきたのでしょう。私た
ちは、今度は、その思惑にもガンとして負けず
闘いつづけてきたのです。
− 45 −
公的臍帯血バンクの産声
公的バンクに期待する
迫田朋子 Tomoko Sakota
NHK解説委員
「幸せのおすそわけ」∼臍帯血の提供について
びかけ、といった段階は、関係者・当事者の了
伝えるときによく使われるフレーズである。ボ
解という点さえクリアすれば、伝えることはた
ランティアのひとたちが公的臍帯血バンクの早
やすい。一方、臍帯血提供のための公的バンク
期成立を求める署名をする際にも好んで用いら
を含むきちんとしたシステムをつくりあげるプ
れていた。赤ちゃんの誕生という女性たちの幸
ロセスは、みえにくいし、伝えにくい。しかし、
せの瞬間に、病気で苦しんでいる子どもたちの
臍帯血移植を医療として定着させ、多くの患者
ために臍帯血の提供を、というのはとてもわか
さんを救うためには、このしくみづくりこそが
りやすく、受け入れやすいことでもあった。
もっとも重要であることはいうまでもない。公
的バンク、健康保険適用などの予算的措置、患
私自身、札幌の病院で、お母さんの許可をい
ただいて、まるまるとしたかわいい赤ちゃんの
者さんのバックアップ、医療体制の整備など、
出産シーンと、感激のあまり涙するお母さん、
課題は山積している。
公的臍帯血バンク成立にむけての行政、
市民、
そして臍帯血採取の状況を撮影させていただき
放送した。命の誕生の瞬間というすばらしい感
医療などの動きについて評価することは、私自
動と、臍帯血提供の意義を伝えることができた。
身が臍帯血移植検討会の委員という役目をやむ
2年前の7月のことである。
なくひきうけてしまった手前、簡単にいえない
が、今までの官僚主導の検討会とは異なるもの
以後、状況は多少の紆余曲折がありながらも
であったといえる。
一つずつ段階をすすみ、やっと公的バンクにま
でたどりついた。今や、たんに「幸せのおすそ
委員にボランティアの代表が二人いらして患
わけ」という表現で漠然と広く多くのひとによ
者さんの代弁ができたこと、傍聴の皆さんが毎
びかける段階でない。患者さんにとって必要で
回大勢見えてきちんと監視していたこと、署名
安全な臍帯血を、効率よく、早期に集める使命
提出などで市民の思いを伝えることができたこ
をおびている。
と、医療提供側も要請に応じて情報を提供した
報道の現場の感覚でいえば、臍帯血移植とい
こと、などが力となった。一つ一つとりあげれ
う新しい治療法の成功、そして善意の提供のよ
ばそれでも不十分なことも多々あるが、こうし
− 46 −
た、ある意味では当然のことが、今までの医療
大となり、また提供者とそれをのぞむひととの
システムのなかでうまく成立してこなかったの
需給のバランスがつねに課題となる。診療の現
だ。医療の主役である患者・市民が医療提供側
場はふつうは患者と医師との一対一の対応です
と対等となるしくみができていなかったこと
すむが、そこに提供者という第三者が存在する
が、医療不信につながっていた。問題がおきた
という意味でも公に開かれたしくみが必要とな
ときにはじめて大声で批判するしかなかったの
る。
である。大事な情報は医療提供者や行政の手の
そのしくみをきちんとつくりあげることがで
なかにあり、患者の意思はある程度尊重された
きるのか、つねに問われてきた。今回の、公的
としてもその判断のもとになる情報量に決定的
臍帯血バンクへの動きは、市民とともにつくり
な差があった。
あげてゆく際のひとつのモデルとして、
今後も、
今回、もっとも重要だったのは、臍帯血移植
つねに点検・監視され続けることに意義があ
のためのしくみをつくりあげるなかに、市民が
る。行政にゆだねることなく、皆さんとともに
参画していたことだ。ボランティアの役割が重
点検・監視するその一員でありたい。
要であった。委員になった方だけでなく、まわ
りで支えた傍聴のひとたちの力も大きい。医療
現場を取材していて、専門家と患者・市民との
あいだの情報量の差に(それは、難解な専門用
語についていけない私自身のことでもある)し
ばしば呆然とすることもあったのだが、公のし
くみをつくってゆくのに決定的なことではない
と、再確認した。
患者・市民にとって、透明性の確保が保証さ
れており、情報を専門家の手のなかにおくので
はなく市民がつねに共有できれば、たとえその
時点で不明なことや気づかないことがあって
も、
またのちに新たなことが加わったとしても、
いつでも指摘し軌道修正ができるのだ。地域バ
ンクの数やその選定、数年後のみとおしなど、
まだまだ不完全なことも多いし意見が統一され
ているわけでもない。しかし、歩きながらより
よいものにしてゆけばよいと思う。
献血、臓器移植、皮膚移植、骨髄移植、臍帯
血移植、と人間の身体に由来する組織・臓器を
利用する医療は数多くある。医療現場を取材し
てきて、人工的につくりだすことが困難である
そうした細胞などを利用する医療の可能性と、
感染などの危険性と、需要と供給を考えたシス
テムを成立させることの難しさを感じてきた。
もちろん、細胞と臓器と組織とそれぞれかか
える問題は異なるが、どの場合でも必ず提供者
があり、提供者と受け手とのあいだの適合が重
− 47 −
公的臍帯血バンクの産声
「造血幹細胞バンク」の視点から
遠藤 允 Makoto Endo
ジャーナリスト
公的臍帯血バンクがいよいよスタートする。
は不明)する。各地域バンクは、臍帯血を採取、
原稿を書いている時期は微妙な段階で、実際の
分離・凍結保存し、HLA情報などを「臍帯血
スタートは99年夏から秋にかけてだと想定され
バンク連絡協議会」(事務局は日本赤十字社内
るが、そのあり方は骨髄バンクとやや異なる。
に設置)に提供する。採取から移植までは「技
私は骨髄バンクと合体した
「増血幹細胞バンク」
術指針」に従うことになっており、その概要は
がよかれと思ったものの、これは実現しなかっ
次のとおりだ。
た。残念ではあるが、背景に厚生省と骨髄移植
①採取
推進財団の体質があった。それらが、1998年1
・胎盤娩出前、または娩出後に行う
月に始まった臍帯血移植検討会で白日の下にさ
・正規産、正常妊娠分娩が対象
②分離・凍結保存
らされたのだから、悲喜こもごもといったとこ
8
ろだろうか。
・採取量40ml以上で、有核細胞数が3×10 以
●公的臍帯血バンクは共同事業
・細胞の分離・凍結は採取後24時間以内に開
上
骨髄バンクの姿を見慣れてきた人たちには、
始
・保存は検査結果判明までの容器と、長期保
臍帯血バンクはいささか異質に映る。のちに詳
存容器とを区別
述するように、厚生省は当初、「骨髄バンクと
③検査
の統合」を目論んでいたが、臍帯血移植検討会
での論議の結果、「骨髄バンクの『誤りの轍』
・採取から6カ月以上経過した時点の子ども
を踏むまい」という意見が通ったことから、別
の健康状態を把握し、医学的に不適当と判
組織として運営されることになった。
断されたら保存しない
・解凍の前に、検査用検体を使って感染症に
日本の臍帯血バンクは「共同事業」という形
関する検査と、HLAの再検査をおこなう
をとる。すでに発足していた全国9つの民間臍
④移植の実施
帯血バンクのうち数カ所が参加(静岡は完全に
・適応と病期は原則として骨髄移植に準じる
辞退したが、残る8カ所のどこかは脱稿時点で
− 48 −
が50kg程度までに限られる」ことだ。
・患者の状態は、体重50kg以下が望ましい
発展途上であることは仕方がない。骨髄移植
が、臍帯血の細胞数が患者体重(kg)あ
7
も初期のころは急激に増加したわけではない。
たり2×10 個以上はこの限りでない
・骨髄移植との関係は、骨髄バンクでHLA
臍帯血移植で「成人に成功」などというマスコ
適合ドナーが得られないか、得られたとし
ミ報道もあるが、厳密には年齢よりは体重が重
ても病状から骨髄移植を待てない場合に臍
要な要素を占める。国内でもすでに50kgを超
帯血移植をおこなう
えた事例があるし、海外では90kg台の報告も
ある。細胞の増殖技術の発展・確立を一日千秋
・移植臍帯血の決定は、まず細胞数が患者体
7
の思いで待ちたいところだ。
重(kg)あたり2×10 個以上とし、次に
それらとは逆に、最大の利点は「現物保存で
HLAの適合度(原則として血清学的HLA
あるためコーディネート業務が不要だから、移
の完全一致か1座不一致)とする
・移植施設は、一定基準を満たし連絡協議会
植までの時間が骨髄移植よりはるかに短い」こ
に登録した施設で、毎年見直しする。一定
とである。日本の骨髄バンクはもっか平均で7
基準とは「血縁者を含む臍帯血移植を5例
カ月(全米骨髄バンクは4カ月)もかかってい
以上、または過去3年間に毎年5例以上の造
るが、当然そんなには必要ない。むしろ、病院
血細胞移植を経験」「液体窒素保存容器あ
での移植準備が間に合わない事態のほうが心配
るいは−140℃以下のフリーザー所有」の
される。
世界で初めて臍帯血移植が実施されたのは
施設
こうした技術指針が設けられたのは、むろん
1988年10月(アメリカ人の患児と同胞の臍帯血
公的臍帯血バンクの運営に必要なものであるか
をフランスへ運んで実施)だが、日本では1994
らだが、設立当初に参加する民間バンクの選定
年10月に東海大学病院で行われたのが第1号だ
をはじめ、今後、新たに立ち上がる地方の臍帯
った。国内での非血縁者間移植は1997年2月、
血バンクが参入するときに必要だからである。
神奈川臍帯血バンクの提供によって横浜市立大
連絡協議会の構成は、地域バンクの代表者、
学医学部付属病院が手がけたのが初めてにな
関係団体(日本医師会、日本母性保護産婦人科
る。およそ2年を経過した1999年3月末現在でも、
医会、日本看護協会)の推薦を受けた者、医学
まだ100例に満たないから治療成績を論ずるま
分野の専門家、法律関係の専門家、バンク事業
でには至っていないものの、専門医師は「成績
の支援者、報道関係者などが予定され、事務局
は期待どおりか、やや良好」という。
それでも、家族内にはむろん海外を含む骨髄
は文字どおり事務部門だけを担う。
特筆すべきなのは、第三者評価機関が設置さ
バンクでもドナーが見いだせない患者さんに
れ、共同事業にかかわる外部評価ならびに地域
は、「臍帯血バンクがある」という希望につな
バンクの評価を連絡協議会会長に報告すること
がることは間違いない。
では、患者さんサイドは臍帯血バンクをどの
だ。
ように利用すればいいだろう。
●患者さんはどうすればいい?
公的臍帯血バンクでは、HLAデータはもと
臍帯血移植を希望する患者さんは、骨髄移植
より、有核細胞数や保存バンク名がインターネ
に臨む患者さんとほぼ重なる。臍帯血移植の事
ット上に公開される。ただし、アクセスできる
例が重なるにつれ、血液難病の患者さんの治療
のは登録移植医療機関、連絡協議会が認めた患
選択肢が広がったといえる。あえて違いを挙げ
者団体・相談窓口、学会専門医・認定医だ。具
れば、臍帯血移植の場合は「なお発展途上の治
体的には、もっぱら患者さんの主治医になる。
療法」であることと、「細胞数の関係から体重
データは毎日午前中に更新される予定なので、
− 49 −
●公開論議の成果
まずは主治医が「一次検索」をして、患者さん
のHLAと適合する(1座不一致までOK。スター
公的臍帯血バンクが産声を上げるまでの経過
ト時には「2座不一致までOK」になる見込み)
を見ていると、骨髄バンクが立ち上がったとき
臍帯血を見つけたら、「二次検索」へ進む。
とは大きな違いがいくつもある。最大なのは、
「二次検索」は、一次検索で見つけた臍帯血を
臍帯血移植検討会(座長・斎藤英彦名古屋大学
保存してある地域臍帯血バンクへ「提供申し込
医学部教授)にボランティア代表や法律家、ジ
み」をすることだ。移植検討会で論議の結果、
「申し込み順」となった。つまり、1秒でも早く
ャーナリストなど医師以外の委員を9人と全体
(19人)のほぼ半数入れたことと、検討会の論
申し込んだほうに提供されることになる。
ただ、
議(毎回2時間)を完全に公開したことである。
患者さんの病状などによって、移植が先延ばし
骨髄バンクの場合はどうであったか? 「骨
されることもあり得るため、申し込みから3カ
髄バンク組織に関する研究」では10人の研究者
月を経ると「解除」となる。
のうち非医師は3人だけ、「骨髄移植対策専門委
患者さんにとっては、体内に入るのが骨髄液
員会」では13人の委員中、非医師は4人にすぎ
か臍帯血かの違いだけ(「造血幹細胞」という
なかった。非医師といっても多くは日赤関係者
点では同一)であり、現状の治療法が大幅に変
で、ボランティアやジャーナリストは皆無であ
わらない限り、前処置や無菌室入りなどは基本
る。
的な変化がない。臍帯血移植にかかる診療報酬
むろん、非公開であった。そのあたりが、多
も1998年4月に点数(2万1000点=21万円)が導
くのボランティアが「日赤の直接関与」を望み
入された。やることが早い。
ながら実現できなかった背景ではあるまいか。
1座あるいは2座不一致までを「移植可能」と
専門委員会では、中間報告をまとめながら、最
すると、
「6座の完全一致」に比べて適合率は格
終的な報告を出していない。
段に上がる。そのため、公的臍帯血バンクでは
厚生省が設置した臍帯血移植検討会は、第1
「5年間で2万の臍帯血保存」を目標にしている。
回会合を1998年1月に開き、1999年4月までに13
2万あれば「移植希望の患者さんの9割に見いだ
回の論議を重ねてきた。このほか、事業運営専
せる」と試算されているからだ。
門部会が4回、共同事業技術専門部会が2回あり、
しかし、骨髄バンクのドナーも「30万人」が
技術指針をまとめる作業部会が6回開かれた。
達成されてなお、できるだけ多くのドナーを積
厚生省は当初、臍帯血バンクを骨髄バンクと
み重ねる必要があるのと同様、臍帯血バンクも
統合する考えだった。明確にそう述べたわけで
より多くの患者さんに提供できるためには、な
はないが、検討会資料には絶えず骨髄バンクの
るべく多くを保存したほうがいい。
情報が掲載され、ある検討会で厚生省は「骨髄
ただ、冷凍保存の運営費もばかにはならない
移植と骨髄移植推進財団の現況」を全体の3分
のだが、それはバンク側が考えればいいことで
の2もの時間を充てて説明、さらに骨髄移植推
あって、「より多くの採取・保存」を目指すに
進財団の幹部職員がオブザーバーとして参加し
は、妊娠した女性と配偶者への普及啓発活動が
ていた。
欠かせない。骨髄バンクがかなり幅広い国民を
厚生省の目論見に強硬な反対論を述べたの
対象にしているのに比べ、その点でも「採取病
は、ボランティア委員である。その論拠は「骨
院での集中的なPR」で済むわけだから、費用
髄バンクの轍を踏むなかれ」であった。たまた
効率もいい。残念な点をあえて挙げれば、どこ
まその春には、骨髄移植推進財団の「未収金問
の病院でも採取するのではないため、提供意志
題」や「BMDWとの不公平な予備検索問題」
がありながら認定病院以外で出産する人には、
などが噴出したのも厚生省には逆風となった。
その機会が得られないことだろう。
「同じ轍を踏まず」の具体的あらわれは、「地
− 50 −
域バンクの独立性・自主性・競争性」である。
とも6月には「報告書」を出してもらって、予
骨髄移植推進財団のような「競争相手のない独
算要求の資料にする必要があった。
占事業」だからこそ結果的に使い勝手の悪い事
しかし、時間がない→どうするか……を考え
業になるから、それを避けるべきだという主張
た(であろう)結果、せっかくスタート時に公
である。
開制にするなど、それなりに見せた革新性をか
特徴的だったのは、報告書づくりへの「たた
なぐり捨てて、使い慣れている「根回し」と
き台」が“いきなり”といった感じで出された
「官主導」の方策をとった、としか考えられな
ことである。第7回検討会(5月26日)でのこと
い。「2カ月に3回のペース」の予定だった検討
だ。骨髄バンク関係のデータが古かったり、民
会は、第6回から第7回まで1カ月の空白があっ
間臍帯血バンクに対する事実誤認(関係医療機
た。この間に何があったのか予想できることと
関以外の病院へも提供しているのに、「自分の
して、ある委員が質問した。
ところにしか利用していない」など)の記述が
「座長と事務方が打ち合わせをして、特定委員
あったりしたが、それらはこの際おくとして、
への根回しが必要だったからではないか」
厚生省も座長も、この発言を否定せず、反論
猛反発をくったのは「運営組織の基本的な考え
方」で次のように述べた部分だ。
も述べなかったから、そうした事実があったと
「白血病などの疾病に関する総合的な推進の観
いうことだろう。それが、「たたき台」として
点から、臍帯血移植、骨髄移植、末梢血幹細胞
具体化した、と考えることができる。
移植を一体的に取り組む『造血幹細胞バンク』
そのような出来事を経て、7月16日の第10回
の整備が望ましい。造血幹細胞移植の総合的な
で「中間まとめ」を論議し、それが27日、保健
観点から、骨髄移植態勢の見直しが必要。なお、
医療・医薬安全の両局長に提出された。最終的
全国一つの組織ではなく、数カ所の別組織で運
な「報告書」とならなかったのは、それまでの
営すべきであるとの意見もあった」
検討会で総意が得られなかったからだが、総意
後段の「なお」以降の部分について、文言ど
どころか臍帯血バンクの詳細すら煮詰まってい
おりだと検討会での少数意見のように読める
なかった。検討会が1999年度になっても継続さ
が、そうした主張と「一体的な組織」との二通
れていることが、それを如実に物語っている。
りの意見が出されたのは事実としても、採決さ
●造血幹細胞バンクへの道
れたわけでもないから、どちらが少数か多数か
は評価しようがない。
日本の公的臍帯血バンクは結局、厚生省が目
前段の「一体的に取り組む『造血幹細胞バン
指したものとはならず、既存の民間バンクによ
ク』の整備」こそ、まさに厚生省の“衣の下の
る「共同事業」として立ち上がることになった。
鎧”を見事にあらわしたのである。「一体的=
そのため、患者さんサイドは「不便」を甘受
骨髄移植推進財団が中枢を担う」と受け取られ
しなければならない。つまり、骨髄バンクと臍
たのだ。次のような、恣意的な記述もあった。
帯血バンクとの両方に患者登録する際、別々の
「各地での個々の考え方に基づいた独自の取り
手続きを経なければならないからだ。
組みが多様性を持ったまま確立すると、全国的
では、造血幹細胞バンクへの実現性はあるの
な規模の臍帯血移植の仕組みに障害となること
だろうか? 私は「ある」と思うし、患者さん
が危惧される」
サイドの利便性を考えれば
「そうあってほしい」
実は厚生省は焦っていた。公的臍帯血バンク
とすら考える。後述するように、患者擁護部門
を1999年度に立ち上げることは至上命題であ
や患者コーディネーターも重複するからだ。し
り、そのためには8月に決まる概算要求には盛
かし、その道は険しい。
り込まれていなければならず、逆算すると遅く
すでに述べたように、骨髄バンクと統合でき
− 51 −
なかった最大の理由は「骨髄移植推進財団には
ーが脾臓破裂する重大事故があったから、厚生
任せておけない」という意志が強烈に働いたた
省はじっと様子をうかがっていたのかもしれな
めである。財団は深刻に反省しなければならな
い。
そうした厚生省の「手のひら」に乗っかって
いだろう。
財団に担わせようと企図した厚生省は、意の
いる骨髄移植推進財団になど、臍帯血バンクが
ままにならない検討会論議に焦って「奥の手」
運営されてたまるか、という強い意志に軍配が
を使ってしまい、猛烈な反発を受けた。ついに
上がったのである。
は、座長と事務方の「交代要求」(実現せず)
だから、「造血幹細胞バンク」の実現には厚
まで出される始末で、それが公開の席でおこな
生省ならびに骨髄移植推進財団の体質を変える
われたのだから、まるで恥の上塗りであった。
必要がある。そのヒントは、検討会の論議の中
私自身、「オイオイ」とあきれかえったのは、
でいくつも出てきた。財団が担わないことがは
中間まとめのたたき台がいきなり出されたこと
っきりしてから、事務局幹部はオブザーバー席
もさることながら、その中に「末梢血幹細胞移
に座ることもなく、傍聴にもあらわれなかった
植」の8文字が出てきたことだ。検討会では論
のは残念なことだ。
議の対象にすらならなかったのに、なぜ出てき
末梢血幹細胞移植については、副作用だけで
たのか? ここにこそ厚生省の大きな狙いがあ
なく未解決の問題を処理しない限り、造血幹細
ったと見るのはうがちすぎだろうか。
胞バンクへの統合は無理だろう。
それでもなお、
末梢血幹細胞移植とは、末梢血の中にわずか
骨髄バンクと臍帯血バンクとを造血幹細胞バン
に含まれる造血幹細胞を集め、それを移植する
クとして位置づけたいと考える私の最大の理由
方法だが、集める前に幹細胞を増やすためG-
は、「患者擁護」である。
CSFを注射する。全身麻酔下での骨髄採取に比
骨髄バンクには当初からドナーコーディネー
べ「危険性」が少ないとはいえ、G-CSFによる
ターが配置され、ドナー保護の役割も担ってき
副作用が未解明であることなどから、日本では
た。臍帯血バンクにはドナーコーディネーター
非血縁者間移植ではまだ応用されていない。
は必要ない。逆に、骨髄バンクにも絶対に欠か
しかし、骨髄バンクはやがてこれに置き換え
せないのが患者コーディネーターであるにもか
ようという「計画」がある。「あった」という
かわらず、設置の動きがようやく出てきた気配
べきかもしれない。あまりPRしていないから
はあるものの、いつ実現するかは不明だ。
知らない人も多そうだが、財団発行の『日本骨
「骨髄バンクは医療の世界を変える」と言われ
髄バンクニュース』第7号(1995年11月)の中
つづけてきた。患者ではない健康なドナーを相
で、高久史麿副理事長は将来展望について次の
手にすることや、一医療機関では完結せず複数
ように語っている。
の機関や非医療人の参加などがそれを保証する
「ドナーの負担軽減、安全を第一義的に考え、
とされたのだ。ある部分それは実現しているも
医学的に問題がなく、関係機関のコンセンサス
のの、現実には患者さんはまだまだ弱い立場で
が得られれば、麻酔や骨髄せん刺によらない、
あることには違いない。
そこで、患者さんの立場を徹底的に守り抜く
末梢血からの『骨髄幹細胞』の採取に一日も早
患者コーディネーターの設置が望まれ、それを
く切り替えたいと考えています」
その後、財団で具体的な検討がされてきたと
含む患者擁護部門がバンクに必要となるのであ
いう話を聞かないから、てっきり過去の話かと
る。全米骨髄バンクにはそれがあり、患者さん
思っていた。それが、臍帯血移植検討会で急浮
サイドに十分な情報を出している。
上したのだ。この間、1996年にアメリカ・テキ
全国骨髄バンク推進連絡協議会は1998年12月
サス州の病院でG-CSF注射を受けた非血縁ドナ
24日、「患者擁護部門および患者コーディネー
− 52 −
その他 ………………………………………………2
ター設置について」の要望書を提出した。あて
先は厚生大臣、財団理事長、臍帯血移植検討会
の座長と2専門部会長である。「共同事業とする
など連携をとるように」と述べられているが、
バンク自体が統合されていればすっきりできる
はずなのだ。
BMDW(本部・オランダライデン大学)は
世界中の骨髄バンク(日本を含む42)と臍帯血
バンク(18)のHLAデータを合わせて集積
(1999年3月現在566万件)し、患者さんサイド
の検索に応じている。全米骨髄バンクは、1998
年から臍帯血バンクの機能を併せ持つようにな
<年齢別患者数>
0歳 ……………………9
1歳 …………………10
2歳 ……………………9
3歳 ……………………8
4歳 ……………………2
5歳 ……………………4
6歳 ……………………3
7歳 ……………………3
8歳 ……………………5
9歳 ……………………9
10歳 …………………5
11歳 …………………6
12歳 …………………3
13歳
13歳
14歳
15歳
16歳
19歳
25歳
27歳
28歳
34歳
35歳
43歳
44歳
…………………3
…………………3
…………………3
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
…………………1
った。
結局のところ日本では、今後しばらく臍帯血
バンクと骨髄バンクが併存しながら、やがては
「造血幹細胞バンク」に収斂されるとしても、
どちらかといえば臍帯血が骨髄を吸収する形に
なるのではないか、という気がする。
●非血縁者間移植の最新情報
<体重分布>
0∼10kg ……………13
10∼20 ………………30
20∼30 ………………24
30∼40 ………………6
40∼50 ………………14
50∼60 ………………3
不明 …………………3
<HLA適合度(血清型)>
不適合数
全体
腫瘍性疾患 非腫瘍性疾患
93 人
71 人
22 人
0
4(4%)
2(3%)
2(9%)
1
70(75%)
53(75%)
17(77%)
2
19(20%)
16(23%)
3(14%)
1999年4月23日の検討会では、厚生省研究班
がまとめた「わが国における非血縁者間臍帯血
移植」(今年3月31日現在)が公表された。
<疾患別患者数>
腫瘍性疾患 ………………………………………………71
白血病 …………………………………………………67
急性リンパ性白血病 ……………………………38
急性骨髄性白血病 ………………………………18
慢性骨髄性白血病 …………………………………2
若年型慢性骨髄性白血病 …………………………4
骨髄異形成症候群 …………………………………5
その他の腫瘍 ……………………………………………4
非ホジキン悪性リンパ腫 …………………………2
家族性血球貪食症候群 ……………………………2
非腫瘍性疾患 ……………………………………………22
造血障害 ……………………………………………4
再生不良性貧血 ………………………………2
ダイヤモンドブラックファン症候群 ………2
代謝異常 …………………………………………10
ムコ多糖症 ……………………………………5
副腎白質ジストロフィー ……………………5
免疫不全 ……………………………………………6
重症複合免疫不全 ……………………………1
ウィスコットアルドリッチ症候群 …………2
その他 …………………………………………3
なお、アメリカ・デューク大学における移植
143例(提供はニューヨーク血液センターの臍
帯血バンク)でのHLA適合度は次のとおりだ。
<不適合数>
0 ……………………15(10%)
1 ……………………47(33%)
2 ……………………61(43%)
3 ……………………9(6%)
4 ……………………2(1%)
不明 …………………9(6%)
− 53 −
患者の手記
感謝の気持ち、見せたい希望
浅野泰司 Yasushi Asano
横浜市在住
●無難路線からの脱線
起きない、そう考えられるようになれたのは、
私は、この病気にかかって以来、それまでと
その時になってようやく気付いたことがあった
は全く違う世界にきてしまったような感じがし
からです。それは一人で進むわけではなく、一
ています。周囲の環境であったり、自分の物事
緒に進んでくれる人がいるということ。進むこ
のとらえ方、その他もろもろのことが全く違う
とを応援してくれる人がいるということ。前進
世界に……。特に悪いとは思いませんが、それ
するために手伝ってくれる人がいるというこ
までの私はごく平々凡々の生活をしていまし
と。僕は決して不幸ではない。私はこの様に環
た。現代の教育システムに乗り、適当に手を抜
境が恵まれている事に気付いた事はかえって幸
き決して優秀とは言えない成績で学校を卒業
せな事だと思います。
もしも、この状況で私一人もしくは家族だけ
し、無難なところで職に就き、企業の歯車にな
であったとしたならば、病気に対して恐怖心が
ることを抵抗なく受け入れるような……。
今もその傾向は残ってはいるのかもしれませ
先行して、今とは違う結果を迎えてしまったか
んが、それこそ「無難路線」に乗ることを考え、
もしれません。今から考えればとても偶然なこ
周囲にあまり関心を持たなかったと思います。
とやタイミング的な要素の強いことが多かった
と思います。
96年8月、会社の健康診断での再検査に行っ
たあの日から、私は「無難路線」からの路線変
初めは発病したときに付き合っている彼女が
更を余儀なくされてしまったのです。それは今
ボランティアのイベントを新聞を通して知った
までとは違い、この先幾つもの分岐点を含んだ
こと、その事務所が彼女の職場のすぐ近くにあ
先の読めない路線でした。
ったことから、
様々な出会いに恵まれたのです。
ボランティアの方々は快く相談を聞いてくれ、
●周囲からの支え
そこを基にまた出会いがあり、その方々から沢
山の情報を受け、彼女の良い相談相手にもなっ
最初は本当に不安でいっぱいでした。その路
てくださいました。
線を進むのも恐る恐るだったのですが、じきに
お陰で彼女はとても前向きに取り組んでくれ
冷静さを取り戻し、それでも進まなければ何も
− 54 −
ました。病気と向き合い、闘うにおいて環境が
台湾のバンクに詳しい方を紹介してくれたり、
とても良い方向に変化していることを感じてい
その人も見ず知らずの私に快くアドバイスをし
ました。それに加え、友人も温かく応援してく
て下さいました。状況は良くありませんでした
れましたし、勤めている会社も想像以上に理解
が、身近な人たちが真剣にこれから先のことを
をしてくれて、状況に応じて配置転換や変則勤
一緒になって模索してくれ、結果として応援し
務体系の採用での対応をとってくれました。普
てくれる人も増やしてくれました。どれだけこ
段周囲にいた人間や、会社もここまで応援して
のことを私は心強く感じたことでしょう。
私がNMDPでの検索をしようとした時期は
くれるのだから、当人が前を向かないわけには
97年3月です。名古屋の第一日赤を経由して検
いきません。
索ができるという話を聞いたのですが、JMDP
●前途多難
との提携を翌月に控えている時期だったので、
それもスムーズにはいきませんでした。
その他、
この先行きが見えない路線は本当にいろいろ
台湾や韓国と当時はまだ直接リサーチがかけら
なことがありました。私の場合、最初の診断で
れそうなところを教わりました。
「MDSにかかっており完治には骨髄移植しか方
法がない」と説明を受けていたので、常に移植
●情報の徹底不足
を意識した線路で、当初は白血病化する前に移
植を迎えることを行き先にしていました。幸い
結局、当時の主治医の理解を得られずJMDP
JMDP登録時に3人の候補者が挙がり、順調に
を経由しての検索を渋々してくれただけでし
進んでいました。そんな中、白血病化を起こし
た。確かに、JMDPはまだ発展途上の組織です
てしまい化学治療とコーディネートを並行しな
し、NMDPとの提携もまさにスタートしたば
くてはいけなくなってしまいました。幸い寛解
かりでした。個人的レベルな話なのかもしれま
に入り、地固め治療をしているうちに1人の候
せんが、主治医は骨髄バンクに関し知識が少な
補者の方と最終同意まで漕ぎ着くことができた
く、私の海外バンクへの検索についても非常に
のです。
消極的で、私の親を呼び出して口出しをしない
移植日を3週間後に控え、最後の外泊に出た
ように注意するようなことまでするような医師
その日です。家に着くと病院から話があるから
でした。
戻るように言われ、その場でドナーの健康診断
この主治医も3カ月後には手のひらを返した
の結果を理由に移植の中止を告げられました。
ように積極さを見せたのですが、この医師を見
正直これには参りました。登録時からこのよう
て思ったことが、医師または施設によってバン
な事態の可能性は承知していましたが、なにも
ク事業・理念に関する認識に大きな格差がある
こんなタイミングでの理由が健康診断とは。も
ということです。突然発病をし、何も分からな
っと早くわかってもいいようなものではない
い患者が自分の病気に関して大きな情報源であ
か、私は今でもそう思っています。もし、前処
る立場である主治医に対し、そして患者に対し
置が始まっていたら……そう考えると怖くなり
十分な情報の周知徹底を図るのも、本来は
ます。
JMDPに帰する責任であると私は思います。
●NMDPとの出会い
●NMDPのコーディネート
この時点でJMDPでのドナー候補者はいない
1年弱のあいだ、NMDPでのDR座の検査を進
状況になりました。そんな時も私は周りの人た
めてようやくドナー対象となり得る登録者が出
ちの親身な支援を受けました。ある人は
てきたところで、
私は信頼できる主治医を求め、
NMDPでの検索を積極的に勧めてくれたり、
思いきって地元からは離れて名古屋への転院を
− 55 −
決めました。結局、そのドナーからの提供は受
たいと思っています。会ったことはないのです
けることができませんでしたが、今の主治医は
が、今の私をつかさどる一部を共有する人物な
積極的に検索を進めてくれ、随時情報を提供し
のですから。幸い私はNMDPから提供を受け
てくれました。その後昨年の7月ごろ適合者が
たので、NMDPの規定では移植1年後に双方が
改めてリストアップされ、ドナーの方にさまざ
希望した場合に「再会」が可能になると聞いて
まな検査を受けていただいて9月に無事移植を
います。しかし、日本のバンクでの今の規定で
受けることができました。
は決してそれが許されないとも聞いています。
私はJMDPとNMDPの両方でのコーディネー
最近日本でも「対面」で論議が起きているよう
トを経験しました。それは同じようでも実は全
ですが、情報の非公開という姿勢は強固のよう
く性格の違うものである印象を持っています。
で、なかなか進展したといった話を耳にしない
組織の歴史や、「お国柄」という違いのせいで
のは、「無難路線」からの脱却ができないから
しょうか、日本のバンクの対応は常に模索型で、
なのでしょうか。
アメリカのほうは邁進型。日本のバンクではそ
●問題になる「対面」
れこそ「無難路線」で問題発生の可能性がある
事項には消極的に感じます。
日本において「対面」に否定的な立場をとら
具体的に言えば、最終同意にかかるドナーの
れている意見も理解できます。レシピエントで
健康診断について、私の場合JMDPではすぐに
ある立場からすれば予後不良に陥った時、再提
移植中止の決定を受けましたが、NMDPでは
供を直接に依頼する、もしくは何らかの交渉を
対応が違いました。NMDPでのドナーの方の
することによってドナーに精神的負担をかけて
場合もその健康診断で異常値が出てきたそうで
しまうケースや、逆にドナーとレシピエントの
したが、NMDPの対応は違いました。ドナー
間で金品の授受が行われてしまう可能性などを
の方にはかなりの負担をかけることとはなるで
その際に耳にします。
しょうが、移植実施の可能性をあくまでも追求
JMDPで対面が認められないことは、トラブ
し、再検査や精密検査を行った上で骨髄採取病
ルの発生はもとよりその責任問題の帰するとこ
院が採取を決めれば、その決定を尊重するとい
ろに大きな要因を持ったものであると思いま
うものでした。そうした対応は、どのような結
す。しかし、必ずしもJMDPに帰するものであ
果になったとしても私の立場としても納得がい
るとは私は思いません。「対面」に絞って考え
くものになったことでしょう。
れば、事を起こす前にきちんとその責務の所在
を明示しておけばよいことではないでしょう
●ドナーに会いたい
か。この件に関して、私はそれは双方の当事者
が、その責務を正しく認識した上で行うべきで
移植後半年を迎え、今の私はお陰様で元気に
あると思います。
しています。今こうしていられるのは沢山の
方々の支えによるもので、主治医の先生やお世
私の考えとしては、例えば上記の旨を前もっ
話になったそれぞれの病棟の看護婦さん、ボラ
て書面にしておくことや、名前、連絡先などを
ンティアの方々、会社、友達、家族、彼女、そ
伏せることを条件にすること、財団内もしくは
してドナーの方。皆さんは今こうしていられる
支援団体内において民事的処理に対応する機関
私を見て、とても喜んでくれます。それぞれの
を置くことなどを考えます。
立場の方々に感謝をし、些細なことですが、元
私の気持ちがすなわち他のレシピエントのそ
気な顔を見せることはそれに応える一つの有効
れと、または対面を希望するドナーと同じとは
な方法であると思います。
限りませんが、対面を希望する一番の目的とし
ては、
きちんと顔を見て今の気持ちを伝えたい、
そういう意味で、私は是非ドナーの方に会い
− 56 −
「皆さん、お陰でこんなに元気になりました」
というところにあります。ですからその人個人
を確定する必要はなく、その目的を果たせるの
ならばそれでよいのではないかと考えます。そ
して、上記要件を守るために発生する費用の負
担に関してはレシピエントの負担を含め考慮す
る事案であると思います。
●これからの期待
また、最近の話ではドナーリンパ球輸注に関
し患者さんから実施要請の声が上がり、財団で
もその対応に動いているという話も耳にしまし
た。ドナーリンパ球輸注に関してもNMDPで
は一般に行われているものだそうです。この件
に関しては対面の話とは性格を異にすることな
ので、迅速かつ実りのある対応がとられること
を願っております。
そして、これからの財団に期待ができる新し
いニュースとして、元患者家族の方が事務局長
に就任されたそうで、これはとても良い話だと
受け止めています。今、財団に一番足りない患
者サイドの立場での意見がきちんと反映される
ことに期待し、新任事務局長の活躍を応援して
いきたいと思います。
これからあるべき姿を模索した変化を、私は
今この感謝と期待を心に、応援していきたいと
思います。日本骨髄バンクがその本来の役割を
おおいに発揮できる成長を果たすことを心から
祈っています。
●社会復帰に向けて
移植後半年を経過し、主治医とも相談をした
結果、短時間勤務で会社に復帰することができ
ました。復帰初日を過ごし、現在の状態にいら
れることの幸せを心から感謝しました。周囲の
同僚も喜んでくれ、また話をしたこともない人
までが骨髄バンクに関心と理解を持って話しか
けてくれたことなどは、この上ない喜びでした。
油断はできないとは言え、ドナーさんを含め
こうした形で応援してくださった沢山の方々
に、今の元気な顔を見せることが、恩返しのひ
とつの形だと思っています。
− 57 −
hide Memorial Day
来年も……また、会える!
小島加津子 Kazuko Kojima
骨髄バンクを支援する 愛知の会
1999年5月2日、西武ドーム。
屈になることは1秒もなかった。見渡すとバッ
穏やかでやさしく、あたたかい風が私を誘う。
クスクリーン内側(アリーナ部分)すべてに趣
向が凝らしてあった。
「春に会いましょう」
ドーム内を一望できるスタンド席から見下ろ
彼が歌ったその言葉を心の中で呪文のように
すと、そこにはLIVEそのままのステージがあ
唱え、どれだけこの日を待ち望んだだろう。
った。中央にあるパネルからhideが私たちを見
ずっと伝えたかった言葉を彼に伝えられる日
下ろして、待っていてくれる。両端にある巨大
……hideに会える日。
スクリーンからはhideの曲と映像が爆音で映し
ドーム入り口のゲートをくぐるとそこから先
出され続け、ステージ前にはアリーナの座席が
はまさに、大きな、大きなhideの部屋。
会場前の広場にはたくさんの来訪者。そのお
用意されており、数々のhideのLIVEが思い出
客さんを「ようこそ!」の挨拶代わりに、前日
される。まるで開演前の会場に足を踏み入れた
発売されたばかりの『SPIRITS』の大音響、広
ような気分にさせてくれる。
YOUR
ただ違うのは、そのアリーナ席を取り囲むよ
FACE』のころのツアートラックが出迎えてく
うにhideゆかりの品々が並んでいること。それ
れる。仲間と語り合う人、その日を写真に残す
らを、1時間ごと、1000人単位で区切られた入
人、芝生に腰を下ろし景色を眺め、想いふける
場客たちは順番に見て回るということになって
人……そこにいる者は皆、思い思いに、その余
いる。
場 両 端 か ら は 『 P s y e n c e 』『 H I D E
その品々とは、hideがロサンゼルスで乗り回
興の空間を堪能している。
その空気に心地良さを感じながら、なだらか
していた愛車のキャデラック(通称クジラ・ナ
な坂を上がりドーム内へ。初めに通されたのは
ンバーは「hide110」)と横浜ナンバーのジャガ
スタンド席通路だった。自分の整理番号のスペ
ーの2台、彼が創ってこの世に送り出した音楽
ースに入り、係員からの次の指示を立ったまま
たちが素晴らしいものだと裏づける証である
待つ。そして、声がかかるとすぐ下のスタンド
数々の受賞楯、それら音楽を奏でたhide愛用ギ
席への着座を指示された。待っているあいだ退
ター19本、彼の一瞬、一瞬をとどめたパネル写
− 58 −
やっと、私の中でも自然に思えた。そして、皆
真……。その中には彼が貢献した骨髄バンクの
がしたように私も彼に報告を済ませた。
「ご協力ありがとう。ドナー登録11万人突破!」
という立て看板もあった。彼が骨髄バンクにド
出口へ向かうとhideのあとには弟の裕士さん
ナー登録してからちょうど2年目のその日(98
が見送ってくれた。ファンのためにこの5月2日
年8月13日)、「ドナー現在数」は10万人を突破
を明け渡して下さったご遺族の方々には心から
した。その中で、hideファンのドナー登録者数
感謝の気持ちを送りたい。
外に出ると、出口から出てくる人たちを見守
はかなり多いと聞く。
るファンの姿もあった。何もかもがあたたく、
私のドナー登録のきっかけも、もちろんhide
だった。98年11月に行われたhideのチャリティ
やさしく感じられた。hideへの手紙も落ち着い
ーコンサート(横浜アリーナ)での募金活動が、
た気持ちで書けた。
骨髄バンク関係で私が行った初めてのボランテ
もう一度この心地よい空間を見渡してみる
ィアだった。こういう形で「自分にできること
と、ゴミ拾いをしている人、抱き合って泣いて
で、hideの遺志を受け継げること」と思って活
いる人など、さっきは目に入らなかった光景が
動しているのは、もちろん私だけではないし、
あった。泣いている人たちも確かにいた。でも、
多くのhideファンの、骨髄バンクへの関心度は
誰もがちゃんと涙の理由を知っていた。涙を流
今も高まっているはず。
したあとの気持ちが未来に向いていくこともわ
かっていた。
そして楽屋風な彼の愛用品で埋め尽くされた
部屋まで見たあと、アリーナ客席からステージ
これからも、さみしい気持ちが涙という形に
を通り出口へ、と思っていたら、アリーナ客席
なって流れても、空を見上げたらきっとhideが
に入る手前でスタッフから1本のガーベラの花
拭いてくれる。だから、我慢しないでいいと思
を渡される。ピンクのその花を手にステージ上
う。泣いたそのあとにまた自分らしく生きてい
まで進んでいくと、そこには献花台があった。
けばいいだけのこと。hideを想う気持ちは、永
私の先に献花された、数えきれないほどの色と
遠に変わらない。
ビジョンで流されていた映像には重大発表が
りどりのガーベラの花たちが並べてある。
あった。
なんて綺麗なんだろう……ふと見上げると、
「2000年5月2日完成目標! hideミュージアム
パネルのhideが微笑んでいた。一瞬、私の中の
時間が止まった。その時になって初めて私は、
(仮称)」
だから来年、また会える。
「場所が場所ならこれは遺影?」と現実をつき
来年はきっと一人一人がもっと多い報告事項
つけられたような気持ちにとらわれ、頭の中が
を抱えて会いに行くのでしょう。
真っ白になった。
「春に会いましょう」とhideは歌ってくれた。
目の前の人たちは皆整然と献花を済ませてい
く。放心状態のまましばらく私は並んだ花を見
でも私たちは忘れないし、信じてる。春も、夏
つめていた。そしてそこには、その数以上の
も、秋も、冬も、いつでも自分の中のhideに会
えることを……。
“想い”が存在することに気づいた。
そして私の中の時間がゆっくり動き、ピンク
迎え入れてくれたときと同じ、でもどこか違
のガーベラがそっと私の手から離れた時だっ
う『SPIRITS』の大音響とやさしい風が、大き
た。
な、大きなhideの部屋をあとにしようとした私
「いつでも、どんな場所でも、私たちの心の中
の後ろから流れてきたとき、hideが真由子ちゃ
にいてくれるhideはhide。いつもきっと見守っ
んに言った「がんばんだぞ、またな……」とい
ていてくれる、ファン想いの優しいhide」
う言葉を、
私にも言ってくれたような気がした。
そして私は振り返り「ありがとう、hide」と言
その、みんなが感じている当たり前のことが
− 59 −
なりましたので、その折の写真(撮影:遠藤允)
葉を返し、ゲートをくぐって歩き出した。
彼は、ファン一人一人が自分らしく、前を向
によって会場の雰囲気をたどってください。な
いて歩いていくことを、きっと誰よりも望んで
お、「hideミュージアム」の建設資金はトリビ
いるのでしょうね。
ュートアルバム『SPIRITS』の売上金が充てら
れます。
また、翌3日にはhideが埋葬されている横須
【編集部より】5月2日の「hide Memorial Day」
は3万人のファンが6回に分かれて西武ドームの
賀の自宅に近い海を見下ろす霊園で、親族と関
中に入りました。所属事務所の好意によりマス
係者が参加しての一周忌法要がおごそかに営ま
コミに混じっての写真取材(第6回)が可能と
れました。
﹁
ク
ジ
ラ
﹂
ロ
サ
ン
ゼ
ル
ス
で
乗
り
回
し
て
い
た
、
愛
車
の
会場の全景。右奥が献花台
受
賞
楯
の
数
々
愛
用
し
て
い
た
ギ
タ
ー
が
ず
ら
り
− 60 −
楽屋を模した部屋でくつろぐhideの人形
楽屋の全景。机の上には愛機のマックもあった
hideがデザインした大きなクマ(バッジの原画)の絵も
コンサートツアーで走り回ったトラックの1台
ファンたちは静かにhideを偲んだ
骨
髄
バ
ン
ク
事
業
へ
の
協
力
に
感
謝
!
hideの大きな写真の前で献花台に並ぶファンたち
最終回は椅子に座り、弟の裕士さんの挨拶を聞いた
− 61 −
私と骨髄バンク運動
ワカの物語
若木 換 Arata Wakagi
公的骨髄バンクを支援する東京の会・事務局長
我が輩はネコである……というのは、もう使
明日医者行ってくるね!」と、診察を受けたら
い古された言い回しだけど、自己紹介すると俺
「原因不明」のため、がんセンターを紹介され
様は犬のワカである。山本修三アニキが書いた
た。がんセンターという病院名でビビッている
童話『たけぞうの足』に出てくる、たけぞうの
と、そのまま検査・入院と身辺急にあわただし
愛犬ナナをいじめている(本当は可愛がってる
く、若木サンわけわからず「いったいどうなっ
んだけどナ)ワカなのだ。
てしまったんだろう……」新年早々入院生活が
始まってしまったわけなのサ。
俺をこの世に誕生させてくれた山本修三アニ
25歳の身長180センチの修三アニキだもの、
キは、5年前の3月に悪性リンパ腫で26歳で死ん
でしまったんだ。修三アニキはとっても「ホン
おとなしく入院しているのは息が詰まるよう
ワカ、ノンビリ」した人で、いつでもニコニコ
で、よく脱走してたみたい。この病院のベッド
して決して人の悪口を言わない、優しくて頼り
の上で、俺様ワカが登場する童話『たけぞうの
になる「みんなのアニキ」みたいな存在で、会
足』が執筆されたのだ。『たけぞうの足』に載
社での友達も大勢いて、ワイワイ飲みに行くの
っている挿絵も修三アニキがこのころ退屈しの
が大好きだった。
ぎに描いた絵なんだ。几帳面な性格だったんで、
そんな修三アニキの体の調子が悪くなったの
ノートにびっしりアリンコみたいな字で物語が
が、7年前の12月クリスマスのころだった。そ
書いてあった。自分の欲しい物や食べたい物の
のころ修三アニキの職場はめちゃくちゃ忙しく
絵も一緒に書いてあって、「無菌室の見取り図」
て、通勤が2時間かかる特別作業室で連日残業
なんてのもとっても上手だったんだ。
の毎日。修三アニキの上司の若木っていう係長
「悪性リンパ腫」という病名を告知された後
と一緒に、やってもやっても減らないエラーを
は、おとなしく化学療法の治療を受けて、「青
修正するツラーいお仕事をしていたある日、修
い点滴は気分が悪くなる」「赤い点滴は髪の毛
三アニキの首のリンパ腺がコリコリ腫れてきち
が抜ける」と、よく言ってたな。化学療法を受
ゃった。
けると体調が悪くなるけど、アニキは一度も泣
「若木さん、ちょっと首がコリコリしてるから、
き言を言わないで、「必ず治る!」と信じて治
− 62 −
ニキのために、募金活動や骨髄バンクのPRを
療を続けていたんだ。
俺様ワカの物語(?)がだんだん形になって
手伝ってくれた。修三アニキは、そんな職場の
きた、ちょうどつらい治療が続いていたころ、
様子を聞いて、涙を流して喜んだそうだよ。職
若木サンがお見舞いに来た時にベッドの上で
場のみんなも、初めて聞く「骨髄バンク」をど
「骨髄バンクでドナーが見つかれば、俺も元気
うやって応援しようか考えてくれたみたいなん
になるんだけどな」と言った独り言を、俺様ワ
だ。ドナー登録をしてくれた人や、募金をして
カも、つらい気持ちで聞いていたんだ。その言
くれた人もいて、職場の中では骨髄バンクの話
葉で初めて骨髄バンクの存在を知った若木サン
題がずいぶんと取り上げられていたみたいだ
は、修三アニキが持っていた骨髄バンクのボラ
よ。
ンティア団体が発行していた会報の所在地に電
でもね、修三アニキは発病から1年とちょっ
話をした。電話の相手が「公的骨髄バンクを支
とで帰らぬ人になってしまったんだ。アニキの
援する東京の会」だったのだ。
ノートには、「骨髄ほしい!」という言葉が残
若木サンから当日の模様を聞いたところによ
されていた。本当に無念だっただろうな∼。で
ると、電話で「これからおうかがいしてもよろ
もね、修三アニキは死んじゃったけど、2つの
しいでしょうか?」「今、ちょうど会報の発送
大きなものをこの世に残したんだ。その1つは、
をしてますから、6時ごろまでならどうぞ」
。指
もちろん俺様が登場する童話『たけぞうの足』
示された四谷三丁目に到着すると、背の高いザ
さ。小学校をずる休みしたたけぞうのお腹に赤
ンバラ髪のオジサンが案内してくれ、到着した
い線が現れて、その線から体が2つに割れて
所が汚ったない倉庫の中。作業はおしまいだっ
「へそ下」が登場し、「へそ下」が勝手に歩き回
たらしく、数人の男性女性が帰って行く。奥の
って足の不自由な「ゆうこ」ちゃんを遊園地に
一段高くなった座敷牢みたいなところで、パソ
連れていってあげて、最後には「ゆうこ」ちゃ
コンを打っている男性と女性がこちらを見て挨
んの不自由な足を治してしまうというアニキの
拶してくれた(後で考えると千葉ちゃんと三股
性格通りのほのぼのとした物語なんだよね。
その中で、たけぞうの家の飼い犬「弱虫ナナ
サンでした)
。
がいつもいじめられているオス犬の『ワカ』」
その場所で名刺をくれたザンバラ髪のオジサ
というのが俺様のことさ。この童話が修三アニ
ンの名前を見ると“野村正満”。えっ、あの
キの残した1つ目。
『骨髄移植の現場から』を書いた人? 何はと
もあれ「会社の同僚が骨髄移植を受けるために
2つ目は、修三アニキのお母さん、妹の順子
骨髄バンクに患者登録したのですが、どんなこ
ちゃん、先輩の若木サンが、骨髄バンクのボラ
とで応援できますか?」と聞くと、「やっぱり
ンティアとして大活躍していること。アニキの
骨髄バンクへの登録者を増やすことかな」。ド
心を他の人に伝えたくて、アニキがいなくなっ
ナー登録者数が2万8000人ぐらいのときなので、
ても、残念な思いをほかの人が繰り返さないよ
10万人の目標までは大変だな∼と感じたんだっ
うにするための活動をまだまだ続けて、他の患
て。チャンスとポスターをたくさんもらって、
者さんのためにがんばっているんだもんね。順
職場でバラまくことを約束し、会報「東京の会
子ちゃんは「千葉の会」の運営委員だし、お母
通信」のバックナンバーを手に事務所を後にし
さんは「東京の会」のイベント担当だし、若木
た。
サンは「東京の会」の事務局長だし、それもこ
若木サンはその後、職場である全労済東京都
れも、修三アニキの人柄のおかげなんだぜ。一
本部で、労働組合と相談しながら骨髄バンクを
番弟子の俺様としては、鼻が高いぜ! 『たけ
PRしたんだって。修三アニキの大勢いる友達
ぞうの足』を読みたい人がいたら、いつでも貸
たちも、長期にわたる入院を強いられているア
してあげるから連絡を待ってるよ!
− 63 −
エッセイ
移植医と調整医師と
茆原博志 Hiroshi Chihara
聖マリアンナ医科大学小児科
物事を選択する時に動機づけがあれば、より
す。白血病の化学療法の成績は以前に比べると
情熱をもって行動することができるでしょう。
はるかに改善しましたが、3割くらいは不幸の
私が小児科を選択し、小児がんを選択しようと
転帰をとりました。その度に当直室に駆け込ん
思い始めたのは医学生の小児科のベッドサイド
であふれる涙を拭いました。
実習の時です。某国立大学の小児科実習の時に
米国から骨髄移植が難治性白血病に有効であ
病棟の廊下をうろついていると、大部屋の窓の
ることが次々と報告され、私たちも骨髄移植が
ガラス越しから、髪の毛が抜けて唇も青く塗ら
できるような環境をつくることにしました。そ
れた子どもたち6、7人が見えました。
して、初めての骨髄移植成功時に、みんなで50
みんな同じように人なつっこい目を私に向け
人くらい集まって宴会をしました。その患者と
て、何人かは微笑んでいました。彼らが輝いて
母親も参加してみんなで喜びを分かち合いまし
見えました。病名は分からなかったけど元気づ
た。気を失うほどに酔いましたが、医学生のこ
けようと話しかけたい衝動にかられ、その部屋
ろの夢を一つ実現しました。
に入ろうとしました。すると学生担当の医師か
次に兄弟に骨髄提供者の存在しない難治性白
ら、「そこは、彼らに感染させる危険があるの
血病の患者をいかに救うかが問題になりまし
で入らないでくれ」と制止されました。
た。その問題の解決の方法の一つが非血縁者間
その子たちは全員白血病で、治癒がほとんど
の骨髄移植です。多くのボランティアに支えら
期待できないと言われ、「うそ!」と叫びたく
れた運動の結果、骨髄バンクが発足し患者にも
なりました。今から20年以上も前のことだから、
私たちにも希望を与えました。しかし、病棟に
そうだったのでしょう。この時から小児科を選
は骨髄バンクに登録したけれども、提供者が見
ぶことにしました。そう、一人でもいいから彼
つからない高校生の白血病の患者が転院してき
らを救うために。
ました。
いざ、この分野に足を踏み入れるとドラマの
日本で骨髄提供者の死亡事故が報道された
連続でした。悲しみも喜びも、他の分野の医師
日、彼は売店にある新聞をすべて買ってきてく
より何倍も多く、そして深く経験したと思いま
れと私に頼みました。この報道で骨髄バンクの
− 64 −
登録者が減少するんじゃないかと彼は心配して
せん。この調整にも時間がかかるようです。立
いたのです。「今度、川崎市の骨髄バンクのシ
会人の弁護士の対応は迅速ですが、みんなの都
ンポジウムで講演することになったよ」と言う
合を合わせるのは難しいことです。少々の無理
と、「先生は口下手だけど、僕たちのためにも
をして時間を調整するわけです。先日の最終同
がんばって」と笑って答えてくれた彼。そのシ
意でこんなことがありました。
提供者は40歳の独身男性で、父親は息子の素
ンポジウムの前に「まだ大丈夫」と言いながら
晴らしい気持ちは分かるが、同意はしないとの
永遠に旅立ちました。
骨髄バンクのシンポジウムでの講演は初めて
返事でした。「お父さんの同意がないと、骨髄
でしたが、緊張したからでなく、彼の分までが
は提供できませんが」と話すとその父親は顔を
んばろうという意気込みで話したために、言葉
赤くして怒りました。「私が同意しないぐらい
を詰まらせてしまいました。
で息子の意志がどうして通らないんだ。それは
まずは目の前の患者をどう救うかが私のやる
おかしいよ。息子は40歳だぞ」。コーディネー
べきことではありますが、私も骨髄バンクにで
ターはバンクの規則を言うしかありません。骨
きる範囲で手伝っています。骨髄バンクの調整
髄提供者側で考えなければならない私はただ沈
医師の役目もその一つです。多くの骨髄提供者
黙するだけでした。結局2週間後に再び最終同
に出会いました。当初は今でいうコーディネー
意の席を設け、父親の同意を得ることができま
ターの仕事がほとんどで、今のコーディネータ
したが……。
ーの方たちの苦労が分かります。私は移植医で
コーディネーターの方たちは縁の下の力持ち
もあるので、「調整医師やコーディネーターは
だと思います。ただ、聞くところによるとバン
骨髄提供者の側にたつように」という原則論に
ク関係の集会やシンポジウムに出席するのに財
時としてもどかしく思うこともありました。
団の許可が必要で、しかも発言は禁止されてい
『早く調整しないと、患者さんの容態が悪化し
るとのことですが、いかがなものでしょうか。
て移植できなくなるかもしれないから、提供者
コーディネーターの方々の経験を聞くのも有意
の方、さっさと都合をつけて下さいよ』と、提
義ですし、そして自由な活動を保証することは
供者に電話をしながら思ったことが何回かあり
当然のことと思います。
最終同意に至っても、患者さんの状態が悪化
ました。しかし、その都合を調整する役目は今
して骨髄提供が中止になったことも結構ありま
はコーディネーターの方です。
調整医師をしていると、提供者に会うのが楽
す。これからは、登録から移植までもう少しス
しみです。恋人にでも会うように心ときめきま
ピードアップできるように、不要なことは省く
す。会うと、みんな素晴らしい人ばかりです。
ことも必要かと思います。何が重要かというこ
たいていの方は骨髄提供者に当たったことを喜
とです。提供者を守ることと移植までのスピー
びます。ある40歳前後の骨髄提供者は骨髄提供
ドアップは両立することであるだけにです。何
をして約2週間たってから、私の外来が終わっ
でもそうですが、時代の変遷とともに、私たち
たころに見えられました。
も変化しなくてはなりません。
「こんなに素晴らしい経験をさせてもらって感
謝しています」とお礼を言いにわざわざ来られ
たのです。お茶菓子を置いて帰られました。彼
女だけでなく私も充実感を覚えました。
最終同意では、現在の規則では提供者の配偶
者か両親の承諾がないと骨髄は提供できませ
ん。その是非をここでは論じるつもりはありま
− 65 −
骨髄提供者の手記
骨髄提供とインターネット
山村詔一郎 Shouichiro Yamamura
全国骨髄バンク推進連絡協議会運営委員
多くの情報を得て闘病に役立てたり、相談相
いまや、パソコン通信は一般化され普段の会
話の中でも「インターネット」とか「メール」
手(セカンドオピニオン)を探せたりした患者
だという言葉が、飛び交っていますが、私も、
さんを見るにつけ、インターネットの功を感じ
約2年半前からパソコン通信(E-mail:
ました。
匿名性がなせる、普通では公表できないこと
[email protected])を始めました。
を喋れることは、功と罪をも感じました。
全国骨髄バンク推進連絡協議会(以後協議会
と略す)では、メーリングリスト(4月8日現在
184名の参加者)を作成し、医療情報・骨髄バ
私は、2月にドナーとして見ず知らずの方に
ンクを取り巻く諸問題提起・イベント情報など
骨髄液を提供しました。富山県在住の油野千里
を活発に論議しています。
さ ん ( ハ ン ド ル ネ ー ム : リ ン ダ )
例えば、ドナーと患者の対面問題、ドナーの
http://member.nifty.ne.jp/LINDA/のホームペ
家族の同意問題、骨髄移植推進財団(以後財団
ージにリアルタイムで、ドナーになる経過を報
と略す)の運営に関わる問題、最新の医療情報、
告してきました。
厚生省・日赤・財団の動き、報道の情報、患者
タイトル:リアルタイム「ドナーになるでご
さんへの応援メッセージ、各地のボランティア
わす!」お向かいののトトロ(私のハンドルネ
の活動などです。
ームです、体型から付けました)
自己紹介:N県Y市在住 42歳会社員 骨髄バ
私はほぼ毎日、患者さんや元患者さん骨髄バ
ンクを応援されている方の、ホームページにリ
ンクボランティア歴5年 いたって健康
ンクし、掲示板に書き込みをしています。
8/5
とうとう来ました、地区調整員から「あ
なたとHLA型が同じ患者さんがおられます…
そこで知り合った方たちと、個人的にメール
…」で始まる手紙が舞い込んだ。長年待ちに待
を交わしたりして親交を深めています。
った一瞬でした。
病気や医療の悩み、ドナーになる不安、そこ
には多くの人間模様が浮き彫りにされ、励まし
8/6
たり励まされたりしました。
のNさんは、私がボランティアを始めたころか
− 66 −
「近畿地区調整委員会」に電話、事務局
らの知り合い。早速電話で意思表示をした。
「提供日など喋ったらダメよ」
「山村さん喋りそ
「提供します、患者さんのペースに合わせます」
うだから」「対面も今はできないよ」と口にガ
と言った。来週、調整医師が決定する。
ムテープを貼られてしまった。その後調整医師
8/8
登場。「ボランティアされてるんですか? ご
今日調整医師が決定!O病院のT先生、
残念ながら知らない先生だった。コーディネー
苦労さんですねー。
だったら説明は楽ですねー」
ターのTさんも知らない人だった。それにして
「医学的な質問は?」
「今のところございません」
も、
手紙が来るのはビックリするほど早かった。
そして、問診。「病歴は?」「輸血は?」。ベッ
8/10
ドに寝かされ、聴診器で問診、血圧を計り採血
今日、コーディネーターから電話があ
った。三次検査の日が決定した。
で終了。「ありがとうございました、交通費精
8/12
算します」「結構です、あっ 財団に寄付しま
地区調整医委員から手紙が来ていた。
19日のコーディネートと採血のご案内状。とて
す」。たった1080円だけど。採血の結果は3週間
も丁寧な手紙であった。こっちも恐縮してしま
後、本格的コーディネートは結果次第。
う。病院の地図も入っていた。マーカーペンで
9/9
詳しく書いてあった。提供できるよう「願掛け」
結果のお知らせ」が来ました。「血液検査の結
で今日から禁酒宣言(19日まで)します。
果異常がありませんでした」。患者さんの主治
8/13
医が移植の検討に入ったそうです。そうです、
今日両親と妹夫婦と夕食を共にした。
今日地区調整委員から「スクリーニング
一応は「骨髄液提供するかも知れない」と言っ
ドナーになる日が近づいて来ました。患者さん
てあったが正式に宣言した。家族いわく「誰も
の体調もありますが、年内提供を目指します。
反対していない」。たった20秒の会話で家族の
11/7
同意を得られた。最速の同意であった。
と連絡がありました。「ハイ、行きますー」と
8/16
昨日東京からボランティア仲間の荒木
言いました。両親も最終同意に賛成してもらっ
君が泊まりに来ました。島根県に帰省してUタ
ています。そして今日、手紙にて「最終的なド
ーンの途中に寄ったのです。実は、荒木君も三
ナーの候補者に選ばれました」と通知が来まし
次検査の依頼が来たのですが、1週間後に調整
た。8月5日に三次検査の依頼が来て3カ月、こ
員から「ほかの人に決まったので・……」と断
れが早いのか遅いのかわかりませんが、わたし
ってきたそうです。それだけに、わたしがコー
としては、ちょっとでも早く提供できるよう、
ディネート開始が決まったことを言うと、「い
努力しました。これから禁酒(深酒はしません)
いなーー」と羨ましがられた。三次検査通知が
禁煙(もう15年吸っていません)ちと苦しいが
来たら、断る人もいれば、早く3次検査の依頼
患者さんのためにも頑張ります。
を、今か今かと待っている人もいる。10万人の
11/10
ドナープールなんて何だろうと思います。財団
式に決まりました。こっちの希望は11/12、13、
は、30万人を目指していますが、いつまでにと
17、18、19の午後から、決まったのは一番最後
ビジョンが示されていません。
の日で11/19です。患者さんのほうは日程的に
8/19
今日は三次検査日。とある病院の門を
余裕があるそうです。だからまーいいかってな
くぐった。ここは、ボランティアでよく来てい
とこですが、私としては気がはやっているので
るので迷わなかった。コーディネーターのNさ
早くーと思っています。
ん、「骨髄提供となられる方へのご説明書」に
11/19
添って説明。
ホントは良くないかもしれないが、
ネーターさん、調整医師、立会人(顔馴染みの
一部説明割愛。私からお願いした。10分程度だ
移植医の先生だった)そして母親と私。ほとん
ったので、本当に説明したら40分くらいかかる
どの時間が、採取によるリスクの話。過去の事
かな?でも、重要ポイントはきっちり説明。
故について知っていたので、驚くこともなかっ
− 67 −
電話があり、「最終同意」に来てほしい
最終同意のコーディネートの日程が正
最終同意に行ってきました。コーディ
た。でも、情報のない人(特に同席した親族)
既に50日を越えました。ところで私の「骨髄採
は、ここでびびってしまう。
取術」を某マスコミ記者と骨髄バンクをテーマ
この時点では、患者さんの情報は教えてもら
に多くの著書のある作家が、オペ室に入って取
えませんでした。健康診断が終了しその後に教
材することになりました。どっかの新聞&書物
えてもらえるそうです。ただ、大まかな年齢と
に、私のお尻が写ったものが、出回ると思いま
男女の別だけだそうです。手紙のやりとりも往
す。取材では、名前も年齢採取病院も採取日も
復1回だけ、そして「財団が内容をチェックし
一切公表されません。
ます」と言われました。
1/21
11/28
した。
骨髄提供の日にちが決まりました。来
骨髄採取医が「女医さん」に決定しま
年の一番冷え込みの強いころのある日です。採
1/22
今日、自己血採取に行ってきました。
取病院は関西のある病院です。やっぱり、今は
400cc抜きました。そして「女医」さんと初対
ここまでしか言えません。採取が終わっても言
面。「ワー若い、綺麗」と驚き。
えないかな? 患者さんへ……こっちも精進し
2/3
2度目の自己血採取に行きました。
これで事前の準備が、すべて終了しました。
ますので、どうぞ移植日まで体調を整えベスト
の状態で私の骨髄液を受け取って下さい。その
あとは、当日を待つのみ。ここから先は提供日
日を私も心待ちしています。
が特定されますので、リアルタイムの報告は終
11/18
了します。
1カ月前の、術前検診の日が決まりま
した。なんと、正月休み中です。コーディネー
ターさんや採取医師に、無理を言ってその日に
●患者さんへ(直接届かないかも知れない
してもらいました。会社員の私は、一日でも休
のですが)
みたくないからです。意外と融通利くじゃな
三次検査の依頼があってもう半年、期待と不
い・……と、思う今日でした。患者さん、待っ
安の日々を過ごしてきました。血液検査・術前
ててねーーー。
検診・自己血採取と進んでいくうち、一人の命
11/25
あーー風邪をひいてしまった。術前検
を預かる責任感が芽生えてきました。骨髄バン
診が近いというのに。点滴を受けました。早く
クのボランティアに携わって5年半、多くの患
治れーー。
者さんの明暗を現実に見てきたこともあり、
1/4
少々の困難があっても乗り越えようと思ってい
術前検診に行って来ました。
最後の関門。
心電図、胸部レントゲン、血液検査、呼吸器検
ました。そのチャンスが今訪れようとしていま
査、問診これで落ちたらというプレッシャーに、
す。過去にドナーの事故もあり、不安がないと
いやードキドキです。落ちたら申し訳ないでは
いえばウソになりますが、やってみようと決心
済まないです。36日間という、長期の禁酒にも
しました。今、世間では「インフルエンザ」が
耐えられたし(お屠蘇はスポイトに2滴ほど)
流行っており、感染が一番怖いです。採取術に
忘年会も4回烏龍茶で過ごしたし、やることは
ついての恐怖はほとんどありませんが、不慮の
やったつもりです。結果は、合格!! やった
事故(交通事故など)や病気が怖いです。先日
ー、36日間の禁酒の成果か? ハイ今日だけボ
患者さんの情報(性別、年齢)を聞き、その方
ランティア仲間と祝杯をあげました。また明日
とご家族がここまで(骨髄移植)たどり着かれ
から禁酒です。患者さんの情報を教えてもらい
た道のりを考えると、感無量です。2月**日
ました。小学校高学年の男の子です。患者さん
それはあなたにとって2度目の誕生日です。将
待っててね。いい骨髄液を届けるからね。
来どのような人生を歩まれるかわかりません
1/20
骨髄提供までもうすぐです。お医者さ
が、挫けた時2度目の誕生日を思い出してくだ
んは「骨髄採取術」というそうです。禁酒して
さい。この困難を乗り越えたのだから、少々の
− 68 −
ことだったら頑張れると思います。元気になっ
多くの方に励ましていただき、この数日間は、
たら、同じ苦難を抱えている方がおられたら、
一生のうち忘れられない思い出でしょう。
1年後、骨髄移植推進財団から「再登録しま
勇気づけてあげてください。もうちょっと待っ
すか?」と聞かれたら「勿論します」と答えま
ててね。もうすぐ元気な骨髄液を届けるからね。
す。これが書き込みの記録です。
(リンダさんの書き込み)トトロがドナーにな
1月末に転職しました。前の会社では長期(5
りました。
ラストになるトトロの記録です。当初は提供
日間)の休暇が取れそうになく(理解してもら
までいけたら、日にちとトトロ写真を公開する
えなかった)、患者さんに提供できないという
ということで始めた「リアルタイム“ドナーに
最悪の迷惑をかけてしまいそうで悩んでいると
なるでごわす!”」でしたが、やはり、患者さ
ころに、年末にある会社より「こないか?」と
んのことを考えた結果、提供日はふせることに
誘われ、ドナーとなり休むことを説明しました
しました。ご了承下さい。トトロお疲れさま。
が、快く了解していただきました。
病室に持ち込んだパソコンからメールを下さ
よくがんばったね。
った方もいました。ふくおさんという方です。
2月×日 家に帰ってまいりました。3泊4日の
仙台から愛知県の病院に入院されていて、年末
予定が4泊5日になりました。もう既に、私の骨
家族から骨髄移植を受けた方で、移植後にお見
髄液は「小学校高学年の男の子」の体に入り、
舞いに行ったのですが、その後もメールのやり
「生着したーーい」と元気に走り回っていると
取りをしていました。春になったら故郷の桜の
思います。採取当日、7:30ごろ知り合いと談
下で、お花見をしようと約束をしましたが、入
話室で話していたら看護婦さんが走り回って探
院が長引き桜の季節も病院で過ごされていま
していました。「あっ、逃げた!!」とでも思っ
す。外へ出られないので先日、桜を写した写真
たのでしょうか? ジャージから寝間着に着替
をメールで送ったら大層喜んでいただきまし
え、ストレッチャーに乗って手術室に入り、マ
た。
提供前から現在もよく出没させていただいて
スクを当てられ、1分ほどで夢うつつ。採取中
は、
デジタルカメラで撮ってもらっていたので、
いるホームページの持ち主ゆかさん
どんなことをされたのか良くわかりました。処
(http://www1.u-netsurf.ne.jp/~nanja/)は、バ
置室で目を覚まして最初に言ったのが「はやく
イタリティあふれる女性です。大胆にも、サッ
とどけろ!!」「痛い。痛い。腰が痛い。でも患
カーのセレッソ大阪へ骨髄バンクのPRをお願
者さんはこんなもんじゃないんだから我慢しな
いし、ホームゲームではハーフタイムで電光掲
きゃ」「のどが渇いた」「今何時ですか」と、喋
示板を使ってのPRを実現させたり、患者さん
ったそうです。当日は、38度の熱があり、お尻
の良き相談相手になったり、治療経過をリアル
も痛いし、さすがの私もぐったり、翌日も37.
タイムに報告したり、財団にDLT(ドナーリン
5度の微熱が続いた。歩けるので(ガニマタ)
パ球輸注)の早期実施の要望を出したりと、病
トイレには行けました。食欲は旺盛でボランテ
室からパソコン通信で送っています。
ィア仲間が差し入れてくれた「握り寿司」がと
これからは、患者さんが的確な情報を得るた
ても美味かった。喉が乾くので「ポカリスエッ
め、心の支えとなるため、パソコン通信をされ
ト」を飲んでいました。ビールや酒を飲みたい
ることを、お勧めします。
という気持ちにまでなれません。微熱は翌日も
海外からもメールが届き、骨髄バンクの文化
続き、退院を1日延ばしました。月曜から、平
の違い(NMDPとJMDP)なども実感します。
常通り仕事に復帰します。貴重な体験ができ、
− 69 −
同種骨髄移植後自然妊娠出産の全国調査について
男性20人、女性10人に「子宝」
平林憲之 Noriyuki Hirabayasi
名古屋第二赤十字病院血液内科部長
―― どのように調べたのですか。
1998年12月の日本造血細胞移植学会で発表し
2段階で行いました。第一次調査として、
た、平林憲之医師にインタビューしました。
1998年7月に骨髄移植推進財団の認定施設を中
―― 発表の目的は何でしょう
心に全国の133施設を選んでファクシミリまた
骨髄移植後には不妊になることは広く知られ
は電話で同種移植後の妊娠出産の有無をアンケ
ていますが、まれに自然妊娠出産が起こること
ート形式で答えていただきました。この中から
があります。しかし、その実態についてはよく
自然妊娠出産が存在し、二次調査用紙の送付に
わかっていないのが現状です。わが国で何人の
ついて了解の得られた16施設から、1998年8月
患者が出産し、どのような結果であったのかを
に詳しいデータを送っていただきました。
知りたく思いました。私たちの病院でも女3人
―― 一次アンケートの結果はどうでしたか。
男2人の計5人の患者さんで6人の赤ちゃんが得
一次調査を行った133のうち115施設(86.5%)
られていますが、それが多いのか少ないのか他
の施設ではどのようなのかを知りたいと思った
から回答がありました。17施設で自然妊娠出産
のです。
が女性で10人、男性で20人存在することがわか
りました。このほか人工受精による妊娠で3人
―― そのような調査結果はないのですか。
の男性患者で児が得られていました。女性患者
では人工妊娠の例はありませんでした。
全く統計がないのです。世界的にもきちんと
した統計は私の知る限りではありません。私が
―― どうして115施設なのですか。
この調査を行おうと考えたのは、先に述べた赤
ちゃんのうちの一人が重度の障害を持っている
アンケートを実施するための各施設の連絡先
からです。障害がいけないというわけではあり
が記載された原簿を頼りに通信を行いました。
ませんが、骨髄移植後の妊娠出産についての事
回答のなかった施設に対しては再度連絡を試み
実を知ることが、それを希望する患者さんに説
ましたが、責任者の方が代わっていたり、巨大
明するためには必要と思ったのです。
な組織のため電話だけではうまく接触できない
− 70 −
男性は20人で再生不良性貧血が10人、他は急
ことがありました。こういった回収努力を行っ
性骨髄性白血病3人、急性リンパ性白血病1人、
た結果が86.5%の回答率というわけです。
また、一つの施設では該当患者さんがいたの
慢性骨髄性白血病4人、骨髄異形成症候群2人で
ですが何らかの理由で二次調査はできないとの
初回寛解の方ばかりではありませんでした。移
回答を得ましたので、この施設は一次調査まで
植時年齢は12∼34歳で中央値は23.5歳で、やは
の結果を利用させていただきました。男性患者
り若い方が有利ですが女性ほどではないようで
の人工受精は調子の良いときに精子を保存して
す。
おき、それを健康な女性に用いるわけですから、
―― 移植はいつごろ行われたのでしょう。
通常の医療ということになり、今回の目的とは
移植実施年は1982年から1994年までの間で
医学的に異質ですから二次調査の対象外としま
1986年のほかはずっと毎年続いています。1990
した。
年からは増えていますが、これは移植そのもの
―― この調査でどれだけの患者さんを対象とし
が増加した結果を反映しているでしょう。移植
ているのかおわかりでしょうか。
から出産までの期間は女性で2年7月から13年6
月以上で中央値6年6月です。男性は2年8月から
骨髄移植統計の全国調査書というものが日本
12年7月で中央値5年2月です。
造血細胞移植学会から毎年出されています。こ
の1998年版によれば、1997年12月までにわが国
で行われた同種骨髄移植は約200施設から登録
―― 移植前処置に用いる抗癌剤や免疫抑制剤お
された5922例で、この回答のあった115施設の
よび放射線が妊娠に影響を与えると聞いていま
症例数は合計5162例です。つまり今回の調査で、
すが、今回の調査で実態がわかったのすか
我々は日本で行われた同種骨髄移植の87.2%を
妊娠に最も影響を与えるのが前処置です。再
観察したといってよいでしょう。5162人の患者
生不良性貧血では免疫抑制の目的で16人(女7
に同種骨髄移植を行った結果、30人に自然妊娠
人、男9人)にエンドキサン(CY) 200mg/kg
出産が確認されたといってよいでしょう。
と全リンパ節照射(TLI)3∼7.5 Gy(グレイ:
エネルギーの単位)が用いられました。1人の
―― 出産までに至った患者さんの疾患の内訳は
男性患者ではエンドキサンに加えて全身照射
どうでしょう。
(TBI) 8 Gyが用いられました。この全身照射
のとき生殖器保護がおこなわれています。
結果をお話しする前にお断りしておきます
が、今回の調査結果は私一人の業績ではありま
血液悪性疾患の12人ではさらに強力な前処置
せん。調査を行うに当たり、12月の造血細胞移
が免疫抑制と抗腫瘍効果を目的として行われま
植学会に発表するために各移植施設の担当者の
した。このとき生殖器の保護は抗腫瘍効果に影
方の協力を要請したから可能であったのです。
響するため行われていません。エンドキサン
よって、お答えはその学会で発表した内容に限
120mg/kgなどと全身照射 12∼12.5 Gyが3人
(男2人、女1人)、全身照射 12Gyにエトポシド
らせていただきます。
(VP)を用いたのが女性1人、そして最も多か
出産までに至った女性は10人でした。再生不
良性貧血が7人、白血病が3人でした。白血病は
ったのが男性患者8人へのブスルファン(BU)
急性リンパ性白血病初回寛解期移植の2人で、
16mg/kg + エンドキサン 100∼120mg/kgでし
残りの1人はこれ以上の調査を断られましたの
た。ただしこの群には女性患者は1人も含まれ
で白血病としかわかりません。以後、この患者
ていません。
さんについては除外してお話を進めていきま
す。移植時年齢は7∼27歳で中央値は20歳です。
− 71 −
―― ドナー(提供者)は誰でしょう。
HLAの一致した同胞が最多の26人で、やは
性のほうが数が少ない理由のひとつではないで
りHLAの一致した他の家族が2人です。また、
しょうか。さらに興味深いことはここで取り上
HLA不一致の家族からも1人で行われていま
げた29人の患者さんが調査時点ですべて生存し
す。ドナーの性が気になるところですが、反対
ていることです。ここまで生存できる方でない
の性からもらった人のほうが多いようです。中
と妊娠出産には至れないということでしょう
には女性の患者さんでHLAの一致したお父さ
か。
んから骨髄をもらい妊娠出産を無事済ませたと
―― 結婚時期はいつでしょうか。
いう劇的な方もいらっしゃいます。男性である
お父さんの染色体(XY)を持った細胞で骨髄
結婚は生活の質(QOL)を考える上でも大
や免疫細胞をはじめとした体細胞の一部が置き
きな要因でしょう。ふつうの生活がしたいと望
換わり、ずっと生存し妊娠出産したわけですか
むのは自然な感情といえるでしょう。この観点
ら、この話には命の不思議さを感じずにはおれ
からも調べてみましたが男性患者で結婚時期の
ません。
不明な方が3人あったものの、さらに追求はし
ませんでした。女性で移植前に結婚していた方
―― 骨髄バンクでの例はないのですか。
が1人で、8人は移植後結婚です。男性は既婚者
この調査時点ではありませんでした。ただし
が4人で移植後結婚が13人でした。移植後に結
担当の医師から男性患者で妊娠が進行中である
婚することは、主治医から何らかの不妊に関す
との報告をしていただきましたのでその後の経
る情報があったと思われますので、人生の大き
過に興味を持っています。
な決断だったのではないでしょうか。
―― 合併症はいかがでしたか。
―― 妊娠・出産に関して何らかの障害はあった
のでしょうか。
移植の合併症といえば移植片対宿主反応
女性で満期正常分娩が6人、帝王切開が2人、
(GvHD)ですが、1人が不明のことを除けばす
べてに免疫抑制剤の予防投与が行われていま
早産が1人でした。男性ではその配偶者の満期
す。薬剤はシクロスポリン、メソトレキセート、
正常分娩が17人、帝王切開が2人、不明が1人で
タクロリムスです。急性GvHD(Ⅱ度以上)は
す。第一子の新生児の性は女性患者で男/女は
男性患者20人中5人に存在しましたが、女性に
4/5、男性患者で11/8不明1でした。出産時の
は発生していません(0/9)。慢性GvHDは女性
新生児異常は女性患者で3人にあり、内容は超
5/8不明1にたいして男性9/19不明1でした。妊
低体重、尿道下裂、新生児仮死(仮死の程度を
娠成立時に慢性GvHDのためにシクロスポリン
表す指標でAP 4)でした。一方男性患者では
を服用していた方が女性に1人、男性に4人あり
すべて正常でした。発育に関しては女性患者で
ました。
1人が発育の遅延がありましたが他の8人は順調
他の合併症は女性7人で認めず、2人で不明で
です。男性患者のわかっている18人ではすべて
す。一方、男性ではなしが6人、不明が4人です
正常で、2人は不明です。2回目出産をされてい
が、重大な合併症として間質性肺炎、肺炎、大
る方が女性患者で2人、男性患者で4人あります
腿骨頭壊死、サイトメガロウィルス感染症、糖
が問題はありません。尿道下裂と新生児仮死に
尿病、ネフローゼ症候群さらに扁平上皮癌があ
ついてはその後の処置により問題なく成長して
ります。一見、男性のほうが合併症が多くて大
いるといえますが、超低体重の後に発育遅延に
変かなと思いますが、実は女性ではこのような
陥った児では深刻な問題が生じています。
合併症が起きたら妊娠出産に至ることはできな
―― その異常出産と発育異常についてお話しい
いことを示しているように思います。これが女
− 72 −
ただけるでしょうか。
一過性か修復可能な小さな異常です。そして、
これも学会で発表したことですし、私どもの
他の6人は全く正常ですから骨髄移植をしたか
症例ですから申し上げます。患者は女性で移植
ら妊娠が危険ということは一概にいえないと思
時22歳で既婚でした。診断は再生不良性貧血で
います。発育不全に関してもシクロスポリン服
エンドキサン200mg/kg, 全リンパ節照射 7.5
用終了後まで待っていただいていれば結果は違
Gyを前処置としてHLA一致の弟さん(20歳)
ったものになったかもしれません。患者さんが
から移植を行いました。GvHD予防にはシクロ
普通の人の妊娠よりもリスクは少しは高いかも
スポリンとメソトレキセートを用いました。急
しれないが、それを承知の上であれば妊娠出産
性GvHDもなく見るべき合併症もなく順調な経
は可能だと考えます。
過で退院しました。軽い慢性GvHDが出現しま
したのでシクロスポリンの少量投与を続けてい
―― 母集団のことをもっと知りたいのですが、
ましたが、この服用中に妊娠してしまい出産を
妊娠の確率といったものは出るのでしょうか。
強く希望しました。その結果24週に経腟分娩と
今回の調査では1997年12月までに全国で行わ
なり、子宮内発育不全、超低体重児(632g)、
れた同種骨髄移植の87.2%にあたる5162人のう
新生児仮死、左無機能腎、左多発性嚢胞腎の診
ちで30人に自然妊娠出産が得られたということ
断がなされました。その後の発育も不良で精神
は事実です。しかし、妊娠確率を出すのはとて
身体発育遅延があります。
も難しいと思います。妊娠可能な人の割合やま
だ未成年で将来妊娠するかもしれない人をどう
―― この異常妊娠出産分娩と移植および薬剤に
扱うのか、また、妊娠はきわめて個人的な事柄
関連はありますか。
なのでその人の人生観とか環境とかで全く変わ
関連がないとはいえません。前処置は強力な
ってきます。そして今回の調査でもあったので
ものですし、卵巣にも照射が及んでいる可能性
すが異常児をおそれて中絶が一部の患者さんで
があります。また、シクロスポリンの内服中で
行われているようです。この文面を読まれて勇
の妊娠ですから同剤は動物実験で催奇形性が証
気を持って妊娠出産される方が増えることを希
明されていますので、この薬剤が影響している
望しています。
かもしれません。
―― 最後に患者さんが相談に行かれこともある
―― 薬剤服用中、妊娠への注意はされていたの
かと思いますので妊娠出産のあった病院名を教
でしょうか。
えてください。
<参考>今回の調査で女性患者についての報告
既婚者ですから催奇形性については何度も告
げていますし、妊娠してからも中絶を勧めたの
は、当院(名古屋第二赤十字病院血液内科)、
ですが出産を強く希望し他の病院で出産してし
近畿大学学第三内科、神奈川県立がんセンター
まわれました。子どもさんに障害があっても明
血液科、神奈川こども医療センター輸血科、神
るく生活しておられると聞いております。
戸市立中央病院血液内科、東海大学移植医療セ
ンター、獨協大学第三内科。男性患者は上記以
―― 男性患者では問題がないようですが女性患
外に札幌北楡病院内科、兵庫医大輸血部、兵庫
者では妊娠の妥当性はあるのでしょうか。
医大第二内科、名古屋掖済会病院血液内科、東
女性患者さんで9人中3人に新生児の異常が見
京大学医科学研究所内科、東京都立駒込病院内
られたことは無視できない事実だと思います。
科、松下記念病院小児科、県立宮崎病院内科、
骨髄移植後に異常児の出産は他の文献でも指摘
原三信病院血液内科、国立名古屋病院血液内科。
されています。しかし、3人の異常のうち2人は
− 73 −
移植後出産患者からのメッセージ
感謝の気持ちを伝えたい
白水 豊 Yutaka Shirozu
公的骨髄バンクを支援する東京の会
●第一幕 発病から骨髄移植へ
で、何がなんだか分からなくなりました。
ドナーさん、父、母、弟、妹、友人、先生方、
白血球は10万を超えていて、その1週間後に
ボランティア活動を続けてくださるすべての
は23万を突破してしまいました。主治医の話を
方々に、心より感謝を申し上げます。
不安そうに聞く両親の顔を見て、とても申し訳
なく、本当につらくなりました。
なくなりかけた命を分けてくださり、新しい
主治医は、治療方針としてハイドレア、イン
命まで授けてくださり、本当にありがとうござ
ターフェロンを投与するが、ドナーがいる場合
います。
は骨髄移植をしたほうがいいという説明をした
病気が分かったときも、移植を終えて退院し
ようですが、私はボーッと聞いていました。
たときも、このような幸せがくるとは、思って
弟と妹のHLAを検査しましたが適合しませ
もみませんでした。
私は、27歳の夏に慢性骨髄性白血病と診断さ
んでした。主治医がすぐ、骨髄バンクに患者登
れました。たまたま、ぶつけた左太ももの腫れ
録をしてくれましたので、ドナーがあらわれる
が、なかなかひかなかったので病院に行ったの
のをひたすら待っていました。当時の私は、骨
がきっかけでした。
髄移植のことも骨髄バンクの名前も知らず、白
2、3日入院して安静にしたほうがいいと言わ
血病についての知識すらなかったのです。移植
れましたが、営業中だったので美容室に戻り、
も、すぐできるのだろうと軽く考えていたよう
仕事を続けました。
です。
夜にゆっくり休んで、仕事をしながら治そう
しかし、3カ月たっても、5カ月たってもドナ
と思ったのですが、3日後にはさらに腫れがひ
ーさんが見つかったという話を聞くことができ
どくなり、再び病院へ行ったところ、そのまま
ません。主治医には「自分でも、病気について
入院となったのです。
勉強するように」と言われていました。何度も
くじけそうになりましたが、そのたびに周りの
血液検査をしたあと、主治医から病名を告げ
仲間に勇気づけられました。
られ、北海道にいる両親にも説明するので呼ぶ
診断から1年半たったとき、私のドナーさん
ようにと言われました。現実離れした話のよう
− 74 −
が現れてくださり、移植を受けることができた
最期まであきらめず、自分でもドナーを探し
のです。移植を受けられる患者は、運のいいほ
続けた男性は、念願に移植を受けることができ
んの一握りの人だとあきらめかけていた矢先だ
ないまま亡くなりました。自分の意志で移植を
ったので、本当に夢のようでした。
受け、つらい治療に耐えたのに拒絶反応のため
亡くなった女の子もいます。
一滴、一滴と静かに落ちるピンク色の命の素
だれもが、完治して普通の生活を送るという、
が私の体に入ってきたとき、「これで生きてい
ほんのささやかなことを目標にしていたのに、
ける」と実感しました。
ガラス越しに涙を流して喜ぶ父、母、弟、妹、
もう会って話をすることもできなくなりまし
そして友人たちの姿が見え、私も涙がこぼれま
た。そうした仲間たちを思うと、とても複雑な
した。とても神聖なものをいただいた感じで、
気持ちになります。助けて挙げたかったけれど
胸がいっぱいになりました。
も、どうしようもありませんでした。
私は、
たまたま幸運にも元気な体を取り戻し、
1999年2月で、移植から4年がたちました。ド
ナーさんには、なんとお礼を申し上げればいい
子どもまで授かりました。亡くなってしまった
のか、言葉が見つかりません
友人たちに教えられたことはたくさんありま
す。それらを大事にし、いただいた命を大事に
●第二幕 子どもと遊べる幸福感
していきたいと思います。
1998年10月、私に長男ができました。放射線
今もなお、適合ドナーが見つからない患者さ
照射や抗ガン剤投与によって、私の体では子ど
んは大勢います。私も、できる範囲でできるだ
もはできないだろうと言われていました。それ
けの行動を起こそうと考えています。見知らぬ
だけに、妻から妊娠を初めて聞かされたとき、
ドナーさんに普通の生活が送れるチャンスをい
耳を疑ったものです。その直後に、今まで感じ
ただいた私のように、すべての患者さんがチャ
たこともない幸福な気持ちに満たされました。
ンスを得られて元気になるよう頑張ります。
妻と二人で相談し、悠々とした太陽のような
白血病だけでなく様々な病気や災害に苦しむ
子に育ってほしいと願い、「悠陽(ゆうひ)
」と
方々に、手をさしのべてくださる人々がもっと
名づけました。この原稿を書いている1999年4
増えていくといいと思います。
最後に、亡くなってしまった友人たちのご冥
月には6カ月が過ぎ、寝返りもできるようにな
福をお祈りします。
って元気に育っています。
仕事から帰り、子どもと遊ぶ時間に何よりも
幸せを感じます。子どもには、病気をすること
なく元気に育ってほしいと願っています。
私には、心に残る、患者さんの友人たちがた
くさんいました。ドナーが一人でも増えるよう
にと病室からメッセージを送り続けた女の子は
最期まで明るく、「ありがとう」の言葉を残し
て旅立ちました。「小学生の長男が成人するま
で、どうか生かしてください」と主治医に懇願
しながらも、ドナーが現れずに病状が悪化して
しまった三つ年上のお兄さん。私よりも何倍も
つらい思いをしているはずなのに明るく、奥様
や子どもたちと名残を惜しむように、泣いたり
笑ったりして過ごしていました。
− 75 −
私と骨髄バンク運動
支えてくれている二人の患者さん
北折健次郎 Kenjiro Kitaori
骨髄バンクを支援する愛知の会(名鉄病院内科)
た最初であった。その日は午後から別の病院の
私が骨髄バンクに関わるようになったのは、
単純な理由である。一部記憶が曖昧なところも
外来があったが、バイクでそのOさんのための
あるが、それだけ時間が経過したということだ
昼食を買いに行ったりして、昼休みはほとんど
ろう。
潰れてしまった。
あれは1987年8月7日、名古屋で骨髄提供者を
午後からの外来の合間を見計らって電話をし
募る運動を、たまたま私が主治医の一人をして
てみたが、ほとんど通じない。夕方、仕事を終
いた患者さん(Oさん)が始めようとしていた
えて再び事務局に行ってみると、Oさんのほか
に知らない女性が一緒にいる。何でも、電話で
ときだった。
朝、新聞を見て「ああ、載っている」と、単
「何かお手伝いをしましょうか?」との申し出
純に思い、午前中の仕事を終えた。さて、案配
に、是非と飛びついて来ていただいた方だとい
は……なんて気楽な調子で電話をかけてみた
う。あきれたというか、さすがというか、骨髄
が、いつも話し中でつながらない。たまたま運
バンク運動は、これからこのような様々な人と
動の拠点が病院の近くであったので、行ってみ
の「出会い」から広がっていくことになる。住
ることにした。
所を記載した紙の山は、
さらに高くなっていた。
呼び鈴を押したらしばらく経って鍵だけが開
当時は、あまり医者が骨髄バンクに関わって
けられた。中に入ると、新聞の広告の裏面や封
いると、あらぬ誤解を招くという危惧があった
筒を裏返した紙に、住所や電話番号、氏名が書
ため、手伝うつもりはなかった。つまり、医者
かれた一見ゴミとも思える山の中に、Oさんは
が自分の患者に骨髄移植をしたいがために、一
埋もれていた。何でも、朝6時前から電話が鳴
般人を誘導して提供に結びつけようとしてるの
り、その後、トイレにも行く時間がないほど電
ではないかと思われる「危惧」である。でも住
話が鳴りっぱなしだという。
所・氏名が記載された紙の山を見て、この状態
のままでは、それこそ「紙屑」にすぎなくなっ
私の顔を見るなり、「先生、丁度いいところ
てしまうという思いから、まず問い合わせてく
に来た。電話代わって。トイレ行って来る」
ださった方のデータ管理をすることにした。
それが、私の骨髄バンクに関わることになっ
− 76 −
をメインに書くつもりだったけど……。
コンピューターを買ってはいたが、まだほと
んど使っていない状態で、キーボードも人差し
今、私が様々な活動を行う際に、「彼だった
指一本で打っていた。当然、データ管理ソフト
らどう思うだろうか、どう行動するだろうか」
なんて使ったことがないし、プログラムをつく
と、真っ先に思う。行き詰まって考え込む時に、
るなんて出来なかった。
彼だったらどう言うだろうか……」と考える。
意識のなくなったIさんの手に、出来上がっ
それから早10年が経つ。その間、多くの人と
出会い、また別れがあった。ここでは、紙幅の
たばかりの骨髄バンク登録のしおり
「チャンス」
都合上、私のこの運動に対する思いを支えてく
を握らせたOさん。その光景は今でも目に焼き
れている二人を紹介させていただく。もちろん、
付いて離れない。
日本骨髄バンクの発足と共に、彼はこの世か
現在も第一線で活躍している患者・ボランティ
アの方々も数多くいるけれど……。彼ら二人は、
ら去っていった。その無念さ(彼が無念と思っ
医者と患者という立場ではなく、一人の人間と
ていたかは知る由もないが)
を少しでも理解し、
して出会い、
接することができた人たちである。
彼の意志を少しでも受け継ぐことができたら…
…。そんな思いもある。
一人目は、初めのころコンピューターの知識
がない私に、データ管理やプログラミングの基
Iさんは、今の日本骨髄バンクを見て、何と
本を教えてくれた慢性骨髄性白血病の患者Kさ
言うだろうか? 思わず苦笑している彼の顔が
んである。たまたま事務局の近くに住んでいて
思い浮かばれる。では、彼は次に何をするのだ
年齢も近く、さらにアマチュア無線の趣味も合
ろうか?
幸か不幸か、私は医師という立場上、日本骨
い、夜遅くまでコンピューター談義に花を咲か
せた。今でいう「おたく同士」だったのだろう。
髄バンク発足後も、普及広報委員として、お手
彼はドナーが見つからずに、自家骨髄移植を行
伝いをするようになった。また、ここ数年は東
ったが、最後は急性転化で死亡された。彼が作
海地区の調整委員会副運営委員長として、コー
ったプログラムは、今でも私の職場の机の上に
ディネートのお手伝いをさせていただいてい
あり、シンポジウムなどの際に持ち歩くコンピ
る。今後も何らかの形で骨髄バンクと関わって
ューターの中で眠っている。彼のおかげで、簡
いくと思うが、患者さんの気持ちを常に忘れな
単なプログラミングは出来るようになり、その
いようにしたい。骨髄バンクに関わって、多く
後の募る会(名古屋骨髄献血希望者を募る会、
のことを学んだ。失ったものも多かったが、得
現骨髄バンクを支援する愛知の会の前身)や東
たものは素晴らしものばかりであった。
海骨髄バンク(日本で最初の民間骨髄バンク)
病気になることは誰の責任でもない。ある日
突然起こってきて、一家を不幸のどん底に追い
のデータ管理に非常に役に立った。
もう一人、自分の中で忘れていけない方がい
やってしまう。世間から見放され、職場から見
る。Iさんである。アメリカ出張中に慢性骨髄
放されたと思い込み、親戚にも隠し、孤独感に
性白血病と診断され、名古屋で治療を受けるた
陥ってしまう。そういう方々は、社会が守って
めに戻ってきた。さて、彼のことを書こうと思
あげなければならない。決して一人ではないの
ったが、想いの深さにもかかわらず言葉が出て
だという安心感を与えてあげなければならな
こない。ご自分が白血病にもかかわらず、いつ
い。これからも骨髄バンクとの関わりの中で、
も冷静で、バランス感覚の取れた方だった。今
医者としてではなく、社会の一員としてそうい
活動している多くのボランティアの方とも親交
う方へのお手伝いが少しでもできれば、と思っ
が深く、ここで彼のことを書くと、もっと素敵
ている。もちろん、このことは骨髄バンクだけ
な方だったではないかとのお叱りを受けそう
に限ったことではない。
で、その意味でも書けない。本当は、彼のこと
− 77 −
骨髄移植関連最新医療情報
骨髄バンクを介した国際協力
岡本真一郎 Shinichiro Okamoto
慶應義塾大学医学部血液内科・JMDP国際委員会
●はじめに
が送られてくるようになった。しかし、当時の
現在、ドナーの善意(gift of life)は国境を
コーディネートシステムは今日と比べれば未熟
越え、世界各国の移植を必要とする患者さんに
なもので、既にestablishされた海外のバンクか
提供されるようになった。具体的な数字をあげ
らみると理解できない点が少なくなかった。従
てみよう。
って、その当時はドナー検索を進めて骨髄を提
7万5114件。これは昨年(1998年)1年間に全
供するというよりは、検索受理ができないこと
世界の骨髄バンクが受けた海外在住の患者さん
を説明する手紙を書くことの方が多かったよう
のためのドナー検索件数である。この数は総ド
に思う。そんな中で、米国在住の日本人に
ナー検索数の約86%に相当する。一方で、海外
JMDPでドナーがみつかり、1993年9月によう
の患者さんのために採取された骨髄数は1080件
やくJMDPとして第1例目の海外への骨髄提供
で、全世界で採取された骨髄の約45%が国境を
をすることができた。
越えて海外に輸出されたことになる。JMDPも
これと並行してJMDPでは1993年6月、海外
今では世界の骨髄バンクの中に加わり、国際協
からのドナー検索に対応するため当時の中央調
力に参加することができるようになった。もち
整委員会の中に国際協力小委員会を設置した
ろん、その活動は今後さらに改善・拡大してい
(数人の委員の先生方が加わったが、私とコー
く必要があることはいうまでもないが、JMDP
ディネーターの渡辺さんの2人ですべての実務
の国際協力事業に最初から参加してきた一人と
を行う体制に変わりはなかったが)。その後、
して、ようやくここまできたかというのが今の
1993年10月に、委員の三谷さん、有朝さんと私
が世界の骨髄バンクの代表が集まるWMDA
正直な気持ちである。
(World Marrow Donor Association)の総会に
●JMDPの国際協力の歴史
出席し、JMDPの機構、ドナー検索の方法につ
JMDPの設立時より、日本にも骨髄バンクが
いて報告、骨髄バンクを介した国際協力に
できたという情報をいち早くキャッチした海外
JMDPも正式に参加することとなった。その後
の移植施設・骨髄バンクからのドナー検索依頼
も、1995年6月、1996年9月に各々ブラジルと米
− 78 −
国の患者にJMDPを介して骨髄が提供された
植が終了している。ちなみにNMDPのドナー
が、国際協力のactivityは決して高いものでは
総数は1999年3月で357万2569人、NMDPを介
なかった。
した移植総数は8196件となっている。NMDP
JMDPの国際協力事業が大きく飛躍すること
で見出されたHLA適合ドナー("111" matched
となったのは、米国骨髄バンク(NMDP)と
donor)の人種背景をみてみると約60%はアジ
の提携を契機としてである。1995年9月に、当
ア系以外の人種である。三次検査のあと実際に
時NMDPのInternational Affairs Committeeの委
選択されるドナーの約70%はアジア系の人種背
員長ハンセン博士よりこの提携についての打診
景をもっているが、それでも3割のドナーが
があり、約2年半後に提携を結ぶことができた。
Native American等の人種であることは興味深
この交渉の実務にあたった私は、両バンクの間
い。なお、NMDPの場合は適合のドナーのほ
にあって両者の違いを痛感した。ハンセン博士
とんどが予備検索の段階で見出されている。
最近提携を結んだ韓国のKMDPについては、
もHowe博士(NMDPのCEO)もJMDPの
global standardsからややはずれたやり方を良
日本国内にドナーの見出せない人の10%にドナ
く理解し、その上で患者さんの為に提携を結び
ーがえられると推算される。しかし、これは数
たいと、常に温かく誠意をもって交渉にあたっ
年前のデータに基づくもので、ドナー数の増加
て下さった。今でも心から感謝している。一方、
した現在この確率はさらに高くなっていると思
日本サイドでは、行政側から「なにかあって訴
う。TCMDRにドナーが見出される確率は
えられたらどのように対応するのか」といった
KMDPよりもやや低いと推算される。これは
提携のマイナス面の議論に終始し、長時間を費
同じアジアの国であっても民族遺伝学的には韓
やしたのを記憶している。また、「基本的には
国人の方が日本人により近いこと、台湾の国民
JMDPは国内の患者さんのことを第一に考える
はよりheterogenousであることを反映してい
べきである」といった発言も聞かれ、国際化
る。実際にTCMDRにドナー検索を依頼してド
(globalization)の中で日本の行政はずい分と遅
ナーが見出された確率は1999年1月末日で7%で
あった。
れていることを実感した。NMDPとの提携が
締結した後は、1997年4月に台湾の骨髄バンク
NMDPから送られた骨髄を用いた移植の成
( T C M D R )、 1 9 9 9 年 5 月 に 韓 国 骨 髄 バ ン ク
績をみてみると、生着は全例で得られ、病早期
(KMDP)との相互ドナー検索についての提携
に移植を受けた患者の約65%、病期が進行した
(pilot agreement)を結び、業務を開始してい
状態での移植でも約50%の人が1年以上生存し
る。一方、1997年には国際協力小委員会は国際
ている。重症の急性移植片対宿主病(GVHD)
委員会に昇格し、引き続き海外バンクとの提
は約34%に認められ、国内の非血縁者間骨髄移
携・情報収集にあたっている。委員の平均年齢
植よりはやや高い結果となっており、国内同様
は若くなり、私の負担はやや減った(?)が、
にその成功を妨げる主な要因となっている。異
実務に関しては富田さんが世界を相手に一人で
なる人種間での骨髄移植の場合、GVHDを防止
きめ細かく仕事をこなしている。
する為に適合させた方が良いHLAの遺伝子型
(alleles)は日本人間での非血縁者間骨髄移植
●JMDPの国際協力の現状と海外ドナーを
用いた移植の成績
の場合と多少異なるのかもしれない。この点を
明らかにする研究も各バンク間の国際協力によ
って効率よく行うことができると思われる。
既にMonthly Reportなどに報告されていると
思うので簡単に述べる。NMDPとの業務提携
●骨髄バンク間の国際協力のあり方
では、予備検索を行った患者の61%にHLA適
合ドナーが得られ、1999年1月までに38例の移
世界各国の骨髄バンクが各々のドナーの
− 79 −
HLA型を共有し、移植を必要としている患者
ており、一方ではDNAタイピングでしか同定
により効率良くドナーを見出すシステムを作る
できないHLA型の数も年々増加している。そ
ことは極めて重要なことである。
の結果血清学的タイピングとDNAタイピング
Bone Marrow Donors Worldwide(BMDW)
の結果の対応について少なからず混乱が生じて
はその良い例といえる。これは世界各国の骨髄
おり、共通した言語をもってドナー検索を行う
ドナー(一部のバンクからは臍帯血ユニットも
ことの重要性が指摘されている。将来的にはド
同時に登録されている)のHLA型をすべて1つ
ナーと患者のHLA適合度についてグレードを
に集約したものである。このBMDWにアクセ
定めて議論する必要があると考えられる。
スし、移植を必要とする患者のHLA型を入力
の問題は、ドナーへの要求の多様化である。現
すると、HLA適合ドナーおよび1座不適合ドナ
在、造血幹細胞の多様化が進み、細胞治療とし
ーがどこのバンクに何人存在するかが瞬時にわ
ての種々のアプローチが検討されている。この
かるようになっている。JMDPのドナーのHLA
中でドナーに対する新たな要求も発生してい
データも1998年6月よりBMDWのファイルに組
る。具体的には第1回目の骨髄採取終了後の末
み込まれている。このシステムを用いることに
梢血リンパ球、G-CSF投与によって動員される
よって、ドナー検索の時間が短縮されるばかり
末梢血中の造血幹細胞/前駆細胞提供の要請、
でなく、患者にとっては費用の大きな節約とな
さらには初回に骨髄ではなく末梢血幹細胞採取
る。
を施行することである。WMDAの調査では、7
次
国際間での非血縁者間骨髄移植を円滑にかつ
つの骨髄バンクではドナーが初回に末梢血か骨
効率良く遂行する為には、各々のバンクの運営
髄のいずれかを選択できるシステムとなってお
方針や倫理観を尊重しつつも、ドナーとレシピ
り、1998年には136の非血縁者ドナーからの
エントが異なる国にいる場合の移植について
primaryな同種末梢血幹細胞採取が施行されて
global standardsを作成し、可能な限り、それ
いる(NMDPも今年の7月より末梢血幹細胞を
に基づいて各々のバンクが協力体制を築くこと
用いた初回移植についての臨床研究を開始す
が望ましい。WMDAからは、1994年にバンク
る )。 ド ナ ー の リ ン パ 球 輸 注 ( D o n o r
の運営に関する第1回のガイドラインが提案さ
lymphocytes infuse: DLI)も1998年には156例
れ、現在ではバンク(registry)のacreditation
が施行されており、実際の移植の3%でDLIが
に関するガイドラインが作成されつつある。
必要となったことが明らかにされている。これ
国際間非血縁者間骨髄移植において各バンク
らの適応に関して、各バンクがドナーの負担を
間での協力を円滑に効率良く行うためにはいく
充分に考慮し個々に倫理観をもって決定してい
つかの問題点を克服する必要がある。その1つ
るのが現状である。しかし、将来的にこれらの
は、ドナー検索の為の言葉、つまり、ドナー検
アプローチの有用性がより明らかとなった時点
索の際に用いられるHLA型のterminology
で 、 global guidelineを 作 成 し 、 国 際 的 な
harmonizationを保つ必要がある。
(search determinant)である。現在HLA型の
DNAタイピングは広く普及しつつあり、全体
●JMDPとアジア骨髄バンク
としてみた場合、HLAのDNAタイピングの比
率は決して高くはないが、その大部分(特に
現在アジア地域でもっとも盛んに非血縁者間
Class I)のタイピングは1997年に施行されたこ
骨髄移植が施行されているのは日本であるが、
とがWMDAの調査で明らかとなっている。将
その他の国でも骨髄バンクが設立され、非血縁
来的にはすべてDNAタイピングに置き換わる
者間骨髄移植が積極的に行われつつある(表1、
と思われるが、現状では血清学的タイピングと
2)。アジア地域では、相互に共有するHLAハ
DNAタイピングの両者を用いた検索が行われ
プロタイプの頻度が高いことから各国バンクと
− 80 −
の協力体制を確立することは、有意義なことで
場合、海外に提供する骨髄数が輸入される数と
あるが、また別の意味でもアジアの骨髄バンク
比較して著しく少ないことは早急に改善される
の協力体制を充実させることは重要である。
べき点の一つである。この提供される骨髄の不
現在では、各国のバンクの代表者によって構
均衡の原因の一つとしてHLA型の適合度の低
成されたWMDAが骨髄バンクの国連として機
さ(7.7%)があげられる。そこで、HLA適合
能している印象を受けるが実態は多少異なる。
ドナーが見出されなかったNMDPからのドナ
WMDAのメンバーはヨーロッパの国々によっ
ー検索依頼100件を対象として、HLA一座不適
てその大多数が占められており、その内で移植
合ドナーが得られる確率をBMDWのプログラ
医あるいは医師は極めて少ない。またアジアの
ムを用いてみてみると、41%の頻度でドナーが
国々の参加は日本と台湾のみであり、世界を代
見出せる可能性が示唆されている。今年から一
表しているというよりはヨーロッパを代表して
座不適合ドナーの提供が可能となったので、こ
いる印象が強い。そして実際には、この
の不均衡がある程度改善されることを期待して
WMDAと世界最大規模のNMDPとの間で色々
いる。
なガイドライン等が議論され、アジアの国々の
コーディネーションに時間のかかることも一
意向はあまり反映されていないのが現状であ
つの要因と思う。その為には、また、増加する
る。今後はアジア、アメリカ、ヨーロッパと均
ことが予測される移植可能ドナーのコーディネ
衡を保って効率良い協力体制を論議していくこ
ーションの迅速化のためには、海外関連実務の
とが不可欠である。その為にはJMDPが中心と
充実を図り、国内のコーディネーションの過程
なって体制づくりを進めるとともに、アジア諸
をより充実させ、海外情報収集と海外対応の迅
国の骨髄バンク活動への学術的協力を積極的に
速化のための中央事務局(Hub)における海外
行う必要があると考えられる。また、quarity
協力関連事務処理の強化を図ることも不可欠で
of lifeを贈り合う橋作りを介して、日本と韓国
ある。ドナーばかりでなく、移植医をはじめと
をはじめとするアジア諸国との国際関係がより
する多くの人たちのボランティア精神のうえに
良い方向へ向かうことも期待できるのではない
生まれ、大きくなってきたJMDPであるが、今
かと思う。
後積極的に国際協力に取り組んでいくのであれ
ば、専任のスタッフを備え、現在の国内のシス
●将来の課題
テムをまず改善することが急務と考える。
JMDPの国際的バンクとしての役割を考えた
■表1
Bone Marrow Donor Registry in Asia (I)
Country
Japan(JMDP)
Established
Population
(Millions)
Total No. of
Donors
Matching
Rate
1991
126
108,629
79%
Taiwan(TCTMDR)
1993
22
169,558
60%
Korea(KMDP)
1994
46
17,385
38%
13,110
48%
Singapore
(CHSCIB)*
1993
1994
3.0
21,514
−
Hong Kong(HKMMF)
1992
6.2
30,200
37%
■表2
Bone Marrow Donor Registry in Asia (II)
Total No. of Marrows
Country
Japan(JMDP)
Coming from
Going to
Foreign Countries Foreign Countries
1,829
40
5
Taiwan(TCTMDR)
99
0
33
Korea(KMDP)
33
0
2
27
0
0
Singapore
44
3
3
Hong Kong(HKMMF)
78
15
24
(CHSCIB)*
(As of December 1998, *April 1998)
Total No. of
Transplants
(As of December 1998, *April 1998)
− 81 −
私と骨髄バンク運動
「骨髄バンクを知る集い」雑感
武田重幸 Shigeyuki Takeda
北海道骨髄バンク推進協会・事務局長
のプログラムで進められ、最後に主催者の立
今から3年前、「骨髄バンクを知る集い」を始
場から事務局長の私がお礼のご挨拶をして終了
めてから、この4月で34回目になりました。
します。
この企画を始めた目的は、
①札幌市の市民に、いつでも骨髄バンクを知
毎月の第3水曜日、午後6時30分開始、所要時
る機会と場所を公開し、常設する必要がある。
間90分と決めていますが、会場となる社会福祉
総合センターは午後9時まで借りています。
②骨髄移植、骨髄バンクの仕組みを、正確に
この「知る集い」を始めてから間もなく、と
公の場で説明できるスタッフを養成する必要が
きどき参加者の中に、当初予想していない方が
ある。
出席していることに気がついたのです。
の2点だったと思います。
それは、患者家族の方なのです。
現在、2名が専任講師として交代で担当して
いますが、その講師ぶりを見ていると「うん、
そのことが確認できるのは、終了後その方が
なかなか板についてきたな」という感じで、頼
私たちのそばにきて、同じ質問が繰り返される
もしい限りです。
ときです。
「何が原因で、
この病気にかかるのでしょうか」
参加者の質問には正確に答えること、分から
病気ひとつしたことのない元気なわが子が、
ないことは分からないとして、無理をして答え
ある日突然、白血病を宣告されたことに納得で
ないこと、などを約束ごとにしています。
きないでいる親心が、ひしひしと伝わってきま
北海道血液センターの職員の方がときどき参
加して、専門的な立場から補足説明をしていた
す。
だき助けられています。
「あなたは、何が動機で骨髄バンクの運動に参
加されたのですか」
この「知る集い」の進行順序は、
その目は探るようにも見えますが、私は率直
①ビデオ『あなたを待っている人がいる』の
にお答えしたり、お聞きすることにしています。
上映
②講師の簡単な説明と解説
「お知り合いに、血液のご病気の方がいらっし
③参加者との質疑応答
ゃいますか」
− 82 −
しかしまたその「患者家族と思われる方」か
「実は、私の息子が……」
話は、一気に核心に入ります。
ら、「こんなに頑張っている方がおられるのに
名刺入れから、大切そうに取り出したのは新
力づけられました」とご挨拶されたり、「その
聞の「骨髄バンクを知る集い」の小さなお知ら
チャンス(注:骨髄バンクのパンフレット)と
せ記事でした。
いうものを、私にも配らせてください」と約束
「骨髄バンクのことを知っている人たちが活動
を交わしたりすると、ホッと救われた気持ちに
している」ことに驚き、強い関心(好奇心)を
なります。
持って「きょう来てみました」というのです。
昨年12月、名古屋市で開催された財団の全国
その後、交わされるお話は、深刻な重いもの
大会に参加しましたが、パネルディスカッショ
になるのは当然なことですが、私はそんなとき
ン「骨髄バンクへの想い」の中で、壇上で「移
できるだけ聞き役に徹することにしています。
植を受けて元気になりました」と明るい人、あ
軽々しく励ますことが、いかに無責任である
す入院する患者さんが壇上で励まされていた
り、フロアからは「移植を受けて、きょう退院
かを経験しているからです。
ドナーを募るための広報活動を専門とするボ
してきました」という人が紹介されていたりす
ランティアの限界と無力を感じるときですが、
ると、骨髄バンクがなかったころの悲劇的な印
また限界をはっきりさせていないと、この「知
象が強く残っている私には、
驚きの連続でした。
次回の「知る集い」からは、もう少し自信を
る集い」も長続きしなかったと思います。
こんな場面で役に立つのが、全国協議会ニュ
もって「白血病は、今や治る時代になったので
ースの一隅に載っている囲み告知「患者家族相
す」と言おうかなと思っている今日このごろで
やまい こくふく
談」
(白血病フリーダイヤル0120-81-5929)です。
す。
対話の最後にこの番号をご紹介して、こまや
「知る集い」の開催のお知らせは、有力新聞4
かな対応をしていることをお知らせしています。
紙とNHKが、開催日の前の週の金曜日に必ず
最近は「患者家族の方かな」と思われる方が、
掲載・放送していただくことになっています。
およそ見当がつくようになりました
(もちろん、
公共性の高い行事として、確実に市民権を得
たことを実感しています。
名乗り出ない限り確認はできないのですが)。
参加者がひと桁の月が続くと、「もう、そろ
そんなときは、最後の挨拶で私はできるだけ
そろ終わりにしようかな」と思います。
日本の骨髄バンクの将来の明るい展望をお話し
そんなときほど少数でも質疑応答が中身の濃
することにしています。
かつて日本に骨髄バンクがなかったころのこ
いものとなったり、悪天候で「きょうは駄目か
と、骨髄バンクが出来て8年、約2000人の人た
なあ」と話していると、10人を超えたりするの
ちに生きるチャンスが与えられたこと、白血病
です。
の治療方法の種類が増えていること(臍帯血移
そういえば、北海道骨髄バンク推進協会のメ
植、末梢血幹細胞移植ほか)などをお話ししま
ンバーで、有力なボランティアさんとの出会い
す。
は、この「骨髄バンクを知る集い」であったこ
とに気がつくのです。
そして、適合するドナーを待っている1600人
4月で34回目、参加者は13名でした。このあ
の患者さんがいること、「その人たちにドナー
が見つかるまで、私たちの運動は終わりません。
と何回続くか分かりません。
しかし、長く続けることで、また何か今まで
どうか応援してください」と伝えます。
見えなかったことで、見えてくるものがあるか
現実に、身近に患者さんを抱えているご家族
もしれません。
には、なんの解決策にもならないと知りつつ話
すつらさが残ります。
− 83 −
骨髄バンク改善への試論
新事務局長の抱負
埴岡健一 Kenichi Hanioka
(財)骨髄移植推進財団事務局長
■はじめに
たちとの対話から醸成されてきたものである。
事務局長の裁量の範囲で、以下のような点から、
夢にまでみた骨髄バンクの事務局長に4月1日
に就任した。この原稿を書いているのは5月初
取り入れられるところを取り入れていきたい。
旬。1カ月はあっという間に過ぎた。懸案は山
この試論に基づいた活発な議論をお願いした
積み。世間からは骨髄バンクのさまざまな改革
い。まだ就任1カ月で勉強が不十分であり、考
が求められている。事務局長職が激務であるこ
えが至らないところや誤認も少なくないと思
とを身にしみて感じた。でも、自分でも希望し、
う。その点はご容赦願いたい。修正すべきとこ
みなさんにも支援していただいて就いた職であ
ろは修正していくつもりである。
るから、嬉々としてその忙しさを楽しませてい
■理念、そしてゴールの数字
ただいている。ただ、日々の激務に流されて期
待された改革がおろそかにならないようにと、
肝に銘じる次第である。
4月27日、財団の本部事務局で第1回「事務局
全体会議」(仮称)を開いた。事務局員に財団
以下、骨髄バンクの広範な課題について私見
が進むべき方向を考えていただき、事務局員の
を披露してみたい。これらは(財)骨髄移植推
意見を吸い上げるために、こうした会議を1カ
進財団の組織としてオーソライズされた(公式
月に1回は開く予定にしている。その場で、事
のものとなった)ものではない。当財団の事務
務局長としての大まかな事務局運営方針を事務
局は理事会で決定された方針を遂行することを
局員に説明した。このうち、多くの部分は対外
責務とし、事務局長はそのことに責任をもつ。
的にも訴えたいことである(図1∼4参照)。
ただ、事務局長は経営者として、事務局の日々
まず、骨髄バンクの「理念」を強調した。当
の運営に采配を振るうことが求められている。
たり前のようなことであるし、ほとんどの人が
以下は、その経営方針のための覚書である。公
この理念に異論を唱えることはなかろうが、こ
式のものでも、公約でもない。ほとんどは私が
うした原点を見据えビジョンとミッション(使
自分で考えたことではなく、骨髄バンクを支援
命)を意識することが、ついおろそかになりが
してくださっている多くの人々やバンク関係者
ちであるので、あえて繰り返した。
− 84 −
抽象的な理念を掲げる一方で、明確な数字も
り上げ倍増という大胆なものにしたほうが達成
目標として提示した。それが「250の生存チャ
できてしまうことがあるのだ。この言葉をしき
ンス」である。1998年度(98年4月∼99年3月)
りに使って広めたのは、現代最高の経営者と呼
の移植例数は約450。移植希望者の3分の1程度
ばれるGE(ゼネラルエレクトリック、米国の
しかチャンスを得ていない。仮に、ドナー登録
総合電機・金融複合会社)のジャック・ウエル
者数が現状のままでも、コーディネート期間の
チ会長だ。
93年に私がインタビューしたときも、
短縮などの改善をすれば、少なくとも年間700
彼は顔を紅潮させて両腕を広げて
「ストレッチ、
例ぐらいまで、移植数を増やすことができるだ
ストレッチ」と繰り返していたものだ。
ろう。つまり、年間移植は250例増える余地が
これは、15%増では既存のやり方の延長線上
ある。生存率が仮に6割としたら、150人がさら
で考えてしまうのに対し、倍増となったときに
に救える計算になる。
は、発想の転換を強いられるからだ。たとえば、
「250の生存チャンス」に至る道として、3つの
かつてと全く異なったセールスの仕方を考案す
大目標数字を提示した。コーディネート期間を
る、これまでやっていることで意味の薄いこと
現状の200日余りから、2桁の「99日」にする。
はやめてしまい効果的なやり方に集中する、な
ドナー登録者を現在の年間約2万人から、年間
どだ。骨髄バンクでも、こうした「目標のスト
「5万人」のペースにもっていく。そして、骨髄
レッチ」をすることで、いろいろなアイデアと
液に医療保険「約350万円」をつけていただく。
やる気を喚起できたらと思っている。
行動指針としては、「結果重視、共働、情報、
――3つとも、かなり高い目標であるのは承
知の上だ。経営用語で「ストレッチ」という言
変化、参加、プロの仕事」をあげた。こうした
葉がある。たとえば、15%増という売上目標が
行動原理によって、
先に掲げた使命を胸に抱き、
なかなか達成できない組織が、むしろ目標を売
ストレッチした数字を追究していく……。共感
■図1 「私が考える骨髄バンクの理念」
(改訂版)
■図2
骨髄バンク事業は
移植450例→700例(年)
骨髄移植を必要とする患者の救命のために
善意の提供者の安全に万全を期しつつ
提供者をはじめとする国民の協力を得て
国と地方自治体などの支援のもとに
250
150
の生存チャンス
国際的な視野をもちつつ
公平性と迅速性のある事業として
公共性と透明性の高い組織によって行う
■図3
■図4
99
5
ドナー登録者年間
行動指針
結果重視(数字、行動、目標、スピード……)
日(中央値)
共働(協力、協調、自由かったつ……)
情報(共有、伝達、同報、公開……)
万人で
30
変化(改善、改革……)
万人へ
早期に
参加(アイデア、企画……)
350
医療保険適用
人の命
約
(ドナーの安全確保が前提)
大目標
コーディネート
ゴール
プロの仕事(正確さ、専門性……)
万円(1件)
− 85 −
できるところがあったら、みなさんにもそうし
えで、ものごとの優先順位をつけ、また、取り
ていただきたいものだ。
組みの順序を考える必要があると思っている。
粗削りながら、図5が2年という期間の使い方
■施策の優先順位と2年間のカレンダー
の一案である。
私は骨髄バンクの一通りの改善を2年という
まず第1に優先すべきなのは、「命にかかわる
時間の長さの中で考えている。骨髄バンクの資
こと」と考える。患者の救命とドナーの安全の
源(人、もの、カネ、組織など)がここ数年伸
問題だ。患者の救命のためには、コーディネー
びたという事実はない。今後も飛躍的に伸びる
トの迅速化と適正な規制緩和は欠かせない。ま
見込みは薄い。そうした制約のなかで、21世紀
た、ドナー登録者のさらなる拡大が、適合性を
に耐える骨髄バンクの基礎を作っておきたい。
向上させ最終同意に至る率を高める。ドナーの
課題は山積であり、事務局の力にも限りがある。
安全対策は移植の前提である。それぞれの施策
すべてに中途半端な力を注いでも、すべてが未
についてはあとで詳しくみることにする。
第2には、組織の「健全さと公正さと信頼性
達成に終わるだろう。変革の全貌を鳥瞰したう
■図5
課題の優先度と想定実施時期
99年上期
下期
★
★
1「命にかかわること」
□コーディネートなど
コーディネート期間短縮
移植適応条件などの規制緩和
国際協力
□ドナー登録者30万人
職域ドライビング
地域ドライビング
土日一斉登録強化
全国キャラバン連動登録
□安全
ドナーの安全対策
2「健全さ、公正さ、信頼性確保」
□財務
医療保険適用
個人寄附金増額
法人・組織寄付増額
支出の洗い直し
□組織
情報公開
業務の品質チェックや管理体制整備
意識改革
3「体制の整備と、将来への布石」
人材の参画促進
人材の育成
組織改革
統治機構改革
4「その他」
対面問題
− 86 −
2000年上期
下期
の確保」だ。情報公開、財務の健全性(医療保
ネートと日本のそれは基本的には大きく異なら
険の適用、支出の見直し、寄付金集め)、業務
ない。米国でできることのほとんどは日本でも
の信頼性向上、意識改革など。
できるはずだ。
第3に、「骨髄バンクが長期的に発展できる体
制づくり」。有能な人材の参画促進、人材の育
・コーディネート期間の現状分析
成、構造的な組織改革、統治機構改革(理事会、
図6(適合検索・コーディネート、移植まで
委員会、事務局などのあり方や、人選方法の検
に要した日数)によって、日本のコーディネー
討などを含む)などだ。
トの現状をまず見てみよう。
ドナーと患者の対面問題は、命に直接関わる
92年度から98年度まで、所要日数の合計は
ことではないが、すでに議論が煮詰まってきて
583日から217日に短縮されている。その大きな
いる。企画管理委員会が主体になって必要な作
要因は①の登録から適合までの日数が305日か
業と議論を行って、意思決定を図る段階に至っ
ら7日までに短縮されたからだ。これは仮に1日
ている。早期実施に向かうのかそうでないのか、
まで短縮できるとしても、6日の削減余地しか
ほどなく結論を出すことになろうと思う。
ない。②の適合から3次検査は84日から61日に
政策としては当面、4つの重点課題を掲げて
約27%短縮されている。③の3次検査から最終
いる。①コーディネート期間(患者の正式登録
合意までは68日から65日とほとんど改善が見ら
から移植まで)の短縮②ドナー登録者30万人へ
れない。複数のドナー候補者から最も条件の良
の筋道をつける③骨髄バンク事業への医療保険
いドナーを選ぼうとする行動も要因のひとつに
の適用を実現する④ドナー安全対策の強化――
なっているが、95、96年度の60日より98年度は
だ。以下、順番に説明していきたい。
むしろ伸びてしまっている。④の最終同意から
移植は、64日から66日と全く改善がみられてい
●コーディネート期間の短縮
ない。移植病院の空き室待ち、採取病院のスケ
・期間の半減は不可能か?
ジュール調整などにかかっている時間である。
コーディネート期間の短縮は、移植できる患
以上、総合してみると、さまざまな理由によ
者を増やし、患者がよりよい状態で移植ができ
って②から④については大きな変化がなかっ
ることを可能にする。さらなる患者の救命に直
た。「この7年間、コーディネート過程そのもの
接的につながる。費用対効果も高い分野だと考
は実質的にほとんど短縮されていない」という
えており、最優先課題と位置づけている。
指摘も多く受けている。
米国骨髄バンク(National Marrow Donor
こうした数字と図7の「コーディネート中止
Program = NMDP)のコーディネート期間は日
理由」をつきあわせると何が浮かびあがってく
本のおよそ半分の100日程度。また、このほど
るか。
「超緊急(Super Urgent)コース」と呼ばれる
③の3次検査から最終同意までの65日の間に
コーディネート方法を創設した。これは、移植
184人の患者が、④の最終同意から移植までの
を急ぐ患者のために、登録から移植までを1カ
66日の間に52人の患者が、「病状変化」で移植
月半以内にやってのけるように設計されたもの
を断念せざるを得なくなっている。
「病状変化」
だ。私がNMDPの最高経営責任者(CEO)で
の8割以上は、病状好転ではなく悪化である。
あるクレイグ・ハウ博士に直接聞いたところに
もしコーディネート期間が66日短ければ、あと
よると、「ほとんどの場合は1カ月以内におさめ
約40人の患者さんが移植を受けられたかも知れ
たい」とのことであった。もし、日本で米国な
ない。さらに期間が65日省かれていれば、約
みの迅速化が実現できれば、相当多数の患者の
150人が移植にたどり着けた可能性がある。結
命が救えるはずだ。米国でやっているコーディ
局、コーディネート期間が半減されれば、あと
− 87 −
150人程度が移植のチャンスに恵まれたという
不一致移植)、ドナー登録者増加による適合率
ラフな試算が成り立つ。
向上と最終同意成立件数の増加、やるべき業務
の拡大(ドナーリンパ球輸注=DLT、国際提携
コーディネート短縮に関するストレッチ目標
は「217日→99日」である。「99日なんて到底無
国の増加、国際コーディネート業務の拡大……)
理」と思うなかれ。近ごろ出た最短記録は「94
などで増える部分と計算している。
日」だ。コーディネート日数が2ケタになれば、
ゴールである「250人の生存チャンス」のうち
・コンピューター・プロジェクトの威力
約6割が解決できる。
今では、コーディネート期間の短縮は、当財
残り4割は、移植適用条件の緩和(年齢、1座
■図6
団で進められた「コンピューター・プロジェク
適合検索・コーディネート・移植までに要した日数(中央値)
7
1998年度
移植数:241
最大日数:426
最小日数:94
61
66
217
9
1997年度
移植数:380
最大日数:721
最小日数:113
75
68.5
74
265
72
274
11
1996年度
移植数:348
最大日数:893
最小日数:122
60
86
14
1995年度
移植数:337
最大日数:1203
最小日数:1322
1994年度
移植数:279
最大日数:1732
最小日数:156
65
60
89
28
1993年度
移植数:192
最大日数:2118
最小日数:145
97
72
61
290
76
69.5
91.5
107.5
1992年度
移植数:183
最大日数:2214
最小日数:197
329
68.5
84
305
0
100
437
200
300
68
400
64
583
500
600
患者登録された年別に、移植までの各段階の中央値日数のグラフです。なお、中央値のため各段階と
合計日数は対応しません。
①登録から適合まで
ドナー登録数の増加とともに大幅に短縮しています。
②適合から3次検査まで
コーディネート体制の充実とともに確実に短縮しています。
③3次検査から最終同意まで
適合確率の高まりとともに、複数のドナー候補者を有する患者さんが増え、
HLA適合状況や条件の良いドナー
を選ぶために時間が必要となっています。
④最終同意から移植まで
移植病院の空き状況と採取病院との調整が必要であり、最低でも1カ月半程度の時間が必要です。
− 88 −
ト」を抜きにして語れない。このプロジェクト
るコーディネートの効率化に充てる」ことにな
は、昨年度についた約5000万円の補正予算に関
った。
連したものだ。補正予算は、「HLAフェノタイ
この部分に焦点を当てると、このプロジェク
プ集計データ照合システム」についた。すなわ
トは「コーディネートの適正さと信頼性を向上
ち、インターネットなどを介して、主治医が日
させながら、コーディネートの迅速化を図る」
本骨髄バンクのドナーHLA照合を行えるシス
のが目的だ。
テムだ。
このシステムを稼働させてなお余裕がある部
・リエンジニアリング(業務の抜本的改革)とは
分は、「有効活用するべき」(厚生省)ものであ
リエンジニアリングという言葉をご存じだろ
る。ドナーと患者を結びつけるのが骨髄バンク
うか。これも、ここ数年で台頭した経営用語で
の本来業務。その入り口部分にあるのが、
ある。ビジネス・プロセス・リエンジニアリン
HLAの検索だ。そして、その後に数々のコー
グ(BPR)とも言われ、日本語では「業務の抜
ディネートプロセスが続く。当財団では企画管
本的改革」と訳すのが標準的になっている。民
理委員会、コンピューターシステム検討会など
間企業だけでなく、官庁や地方自治体などでも
で慎重に検討した結果、「財団の中核業務であ
採用されている手法だ。この思想を最初に唱え
■図7
コーディネート中止理由について
(グラフ面積と実数は対応していません)
(1998年1月∼12月末)
1) コーディネート開始から3次検査以前
(2,115名)
2) 3次検査から最終同意まで
(1,669名)
3) 最終同意以降
(101名)
1,684人
431人
他のドナーに
決定
194人
健康上の理由
642人
1,395人
家族・本人の
不同意
359人
他のドナーに
決定
368人
都合つかず
336人
妊娠出産
105人
病状変化
147人
その他
90人
患者側の理由
274人
健康上の理由
186人
33人
病状変化
184人
家族・本人の
不同意
43人
連絡とれず
113人
その他
129人
ドナー側の理由
68人
病状変化
52人
都合つかず
26人
その他
843人
その他
19人
患者側の理由
ドナー側の理由
健康診断で
不適格
12人
事故・病期
5人
その他
16人
患者側の理由
その他
16人
ドナー側の理由
98年1月∼12月までの1年間のドナーコーディネート依頼件数は4,587件、一方、コーディネート中止は3,885件でした。
1)患者側理由で多いのは、コーディネート中のより条件の良い他のドナー候補者を選択しての中止であり、次いで治療が難しい患者さんも多
い実態から残念ながら各段階で病状変化で中止となっています。
2)ドナー側理由で多いのは、健康上の理由です。次いで家族・本人の不同意、都合つかずとなっています。ご家族の同意なくしてはご提供で
きません。
− 89 −
たのは、コンサルタントのマイケル・ハマー氏
端的にいえば、当財団も「コーディネートプ
である。著書『リエンジニアリング革命』(日
ロセスのBPRを行う」のだ。どういうことか?
本経済新聞社)が一世を風靡した。私は3回イ
図8をご覧いただきたい。
ンタビューしたことがあるが、その明快な語り
口は強く印象に残っている。
・特別プロジェクトチームが知恵を集大成
BPRは「カイゼン(改善)活動」への一種の
「これまでのコーディネートプロセス」を「新
批判として出現した。改善はそれまでの仕事の
しいコーディネートプロセス」に変更する。結
やり方を前提として、少しずつ地道に品質やス
成された「コンピュータープロジェクトチーム」
ピードを改良していくというアプローチであ
が、これまでの議論を集大成し、広範な意見収
る。日本のお家芸だが、改善はどこかで頭打ち
集や事情聴取を行い、新しいコーディネートプ
になったり、いたちごっこになることも多い。
ロセスのたたき台をつくり、固めていく。新し
ハマー氏が指摘したのは、「仕事の順序・やり
いプロセスを決めつつ、新しい業務を行うため
方など、業務の流れの組み立てを変革したほう
にコンピューターするのが最適でもっとも効果
が、大きな効果を生み出せる」ということだっ
的なところからシステム化していく。
た。また、コンピューター技術を活用すること
コーディネート業務の改善については、これ
で、それまでには不可能だった業務の流れの組
までたくさんの議論がなされ、考えが蓄積され
み立てが可能になるということも主張した。日
てきた。なかでもコーディネート委員会、その
米欧のコンサルティング会社や経営論者で、こ
下にあるコンピューターシステム検討会、デー
の思想に影響されなかったものはないと言って
タ検討部会、ドナーコーディネート部会などで
も過言ではないだろう。
は、実際のひとつひとつの業務の改善や、かな
■図8
コンピュータープロジェクト概念図
200日
新しいコーディネート
99日
やり方の変更・改革
マニュアル作成
提 案
これまでのコーディネート
改革チーム
財団
+
コンサルタント
集約
コンピュータ
システムの青写真
これまでの改革案
●コーディネート委員会
●部会など
●業務部
●コーディネーター現場
●その他
ヒアリングによる
意見集約
まず着手すべき
システム
開発
運用
− 90 −
り抜本的なコーディネート業務の再編成なども
ステムが、うまく機能する保証はない。現場は
検討されてきた。こうしたこれまでの成果が集
これまでの紙ベースの仕事に加え、コンピュー
約されると同時に、さらなる提案が加えられた。
ターへの大量の入力作業に忙殺され、かえって
プロジェクトをまとめるのは、コンサルティ
コーディネート実務作業がとどこおってしまう
ング会社と財団事務局や委員会のメンバーから
かもしれない。世間には、現場を苦しめ、つい
なる混成特別チーム。数社(メーカー系、コン
には使われずに放置されているシステムが少な
サルタント系含む)からの納入会社選定の決め
くない。そんな愚は避けなければならない。
手になったポイントを私なりに整理すると、2
コーディネート期間を短縮するには、どこを
つの視点があったと思う。①BPRが含まれてい
変更すればいいのか。以下にひとつの視点を提
る②身の丈にあった使いこなせるシステムを作
示したい。図9は、コーディネートの過程で関
る――である。
与する主な主体のそれぞれで、どのような問題
①は、今のコーディネートをベースに我々が
があるか列挙したもの。BPRの前には、こうし
すでに認識していた改善点だけを合わせて、新
た点をつぶさに検討しておくことも必要だ。問
しいプロセスを作るのではなく、さらなる意見
題は財団内部だけにあるのではない。たとえば
集約や提案を加えて、新しいプロセスをもう一
移植病院の待ち時間や、
採取施設の日程調整や、
段進化したものにしてから、それに合ったコン
主治医の事務作業の迅速化などだ。こうしたこ
ピューターシステムを作るという考えだ。数歩
とについても、調査を実施したり、要望や提言
の進歩に合わせてシステムを構築してしまう
を行うことになるだろう。
試みに「理想のシステム」を夢想してみよう。
と、次の数歩を進むのにはむしろ制約になるこ
とがあると思われるからだ。②は、逆に言うと
もちろん、実現が困難なことも多いし、費用対
「動かないコンピューター」を作らないという
効果の観点から難しいこともある。しかし、こ
ことだ。業務の流れを一貫して自動化するよう
うしたイメージトレーニングは決して無駄では
な、できあいのものに近い「業務フローシステ
ないと思う。
ム」を購入することはできるかもしれない。し
移植病院、採取病院、当財団事務局、地区事
かし、財団の業務は複雑で外部(移植病院、採
務局、検査会社などがすべてネットワークで結
取病院、検査会社など)とのやり取りも多い。
ばれており、すべて瞬時に情報交換が行われる。
同じ組織の部単位でも簡単ではないこうしたシ
情報のやりとりは毎日1回以上が基本。データ
■図9
各当事者がコーディネート期間短縮のために考慮すべきこと(例)
・患者:移植の決断を早める
・主治医:移植の決断を早める。事務作業を迅速に行う
・移植病院:空き室待ち時間を削減する。無菌室の柔軟な運用を進める
・財団本部:作業の迅速化。回答が遅延している病院などへの警告。情報提供強化
・医療保険:ドナーの健康診断を3次検査前に行うことへの費用負担実現
・地区事務局:事務作業を迅速化する。コンピューターの利用能力を高める
・コーディネーター:スケジュールへの柔軟な対応。適切さを保った上での、
積極的なコーディネート
・ドナー:提供の意思決定を早める
・採取病院:柔軟な採取日程調整
・日本赤十字社:検索、結果返送の高頻度化
・検査会社:結果返送の高頻度化
・社会:ドナー休暇制度の拡大。有給休暇取得の促進
− 91 −
の送信や返答が標準時間以上かかった場合は、
数は約2万人(95、96、97年の増加数は、むし
督促・確認作業が自動的に行われる。移植病院
ろ93、94年のそれを下回っていた)。このペー
はインターネット上で自分の病院で移植する予
スではあと9年もかかってしまう。4年間で達成
定の患者さんのコーディネート状況の一覧表を
するには、年間4.5万人の増加が必要だ。でき
見ることができる。患者は自分に関する進行状
るだけ早く年間5万人のペースにもっていきた
況をもらうこともできるし、ネット上のコーデ
いものだ。現状の2.5倍の速さである。可能だ
ィネートマニュアルや流れ図をもとに、コーデ
ろうか。過去の延長線上では、不可能なのは間
ィネートの仕組みを理解することができる。患
違いない。いくつかの仮説の数字を出して、検
者には定期的に、コーディネート進捗状況報告
討していくことが大切だと思っている。いずれ
書が届く。財団は移植病院の承諾を得て、病室
の点でも財団の努力が前提になるが、財団の力
の待ち時間情報を流す……。
だけでは不可能で、それぞれの地域での盛り上
がりがなければ、達成はありえない。みなさん
●ドナー登録者30万人への道
のご協力をお願いする次第である。
図10は、ドナー登録者増加数が年間5万人の
・年間5万人増加のペースをつくるために
「ドナー登録者30万人」は、骨髄バンクの公式
ペースで増加するようになったとしたときの、
目標であり、監督官庁である厚生省も認知して
その内訳をイメージしたものだ。①これまでの
いる。だが、それをいつまでに実現するかの具
延長線上②土日、祝日一斉登録③新しいドナー
体的目標や筋道を明らかにできていないのが、
登録者獲得手法の創設――の3つに分けて考え
現状だ。
てみた。たとえば、①を35%増、②を5倍、③
を新たに1万6000人とすれば、年間5万人が達成
現在(99年4月末)のドナー登録者数は約11
できる計算になる。
万5000人。提供意思が強く、健康であるという
点で優れたドナーに焦点を絞りつつ、あと、約
①は、受付窓口(とりわけ土日開設窓口)の
18万人増やさなければならない。98年度の増加
増加、普及広報活動のさらなる強化、配布物の
■図10
年間5万人ペースを実現したときの内訳(例)
50,000
(人)
16,000
職場一斉登録(8,000)
地域一斉登録(8,000)
34,000
10,000
土・日一斉登録
24,000
20,000
18,000
2,000
24,000
18,000
現在
年間増加数
(純増ベース)
必要な
年間増加数
− 92 −
改善など、地道な改善の積み重ねにかかってい
内や地域のボランティアが中心となって運営す
る。そして、もっとマスコミ(地方紙などを含
る――そんなイメージだ。
む)で取り上げてもらえるような話題の提供も
こうした方法を、「土日一斉登録」のように
欠かせない。骨髄バンクサポート運動の全般的
仕組みをつくり、マニュアルを形成していくこ
な盛り上がりが大切だ。
との機が熟しかかっていると思う。官公庁や、
②の一斉登録はこれまでに52カ所で行われ、
大企業からの「職域一斉登録」への問い合わせ
約2000人が登録された(1回平均約40人)
。すで
も増えている。厚生省も「30万人達成」のため
に新規登録者全体の1割程度を占めるようにな
に、新しい登録推進活動が必要なことを強く認
ってきている。待ちに待った「土日・祝日の骨
識しているし、日赤本社も一定の理解を示して
髄提供希望者集団登録受付説明会実施要綱」が
くださっている。早く本格的な第一例を出した
4月28日に発令された。この「要項」によって、
いものだ。100人規模のものが80カ所で行われ
本年度は一斉登録が全国的に広がることになる
れば、8000人になる。
が、そのとき(ア)大都市圏で定期的に繰り返
また、「ドナー登録者30万人」という目標を
して行う(イ)未実施の22県をはじめ全国で開
掲げる以上は、米国、台湾、欧州などで行われ
催して一巡させる――の両面で推進していくこ
ているドライビングに似た、「地域一斉登録」
とが大切だと考えている。また、1回あたりの
が日本で可能かどうかを探らずにはいられな
受け入れ人数の拡大も課題だ。これまでの最高
い。これは、最大数千人のドナー登録者を一挙
記録は東京・新宿での177人。従来は最寄りの
に獲得しようとするものだ。海外の実例を参考
日赤血液センターの検査処理能力が受け入れ人
にし、日本でどのようなやり方ができるかを研
数を規定しがちだったが、それを拡大していた
究することが急がれる。500人規模のものが16
だいたり、複数のセンターで検査を行っていた
カ所で開催できれば8000人になる。
だくなどの方法で、さらに1回あたりの登録者
これを実施しようとする際、焦点となるのは
数を拡大することが必要だ。100人規模のもの
HLA検査の費用と体制であろう。現在、ドナ
を100カ所で行えば1万人に達する。ここでも、
ー登録者のHLA検査は日本赤十字社が担当し
地元主導の形を盛り上げていくことが欠かせな
ている。国から与えられている検査費用の補助
い。地方自治体やボランティアの皆様の協力が
金の算定ベースは年間約2万件である。一挙に
ますます貴重になってくる。
一回数百人以上の登録者が増える場合、日赤が
追加費用を受け取れないのでは日赤にとって
HLA検査の採算が圧迫される。①地域一斉登
・新手法の創設が不可欠
①と②だけでは、年間5万人ペースの達成は
録の実績に応じて日赤が追加的補助金を受ける
不可能だと考えている。新手法の創設が欠かせ
ことができる②地域一斉登録に併せて募金活動
ない。海外で行われている「ドライブ」型と言
を行い、それがHLA検査費用に充当できるよ
われる大量動員手法を、いかに日本の状況に合
うにする――といった仕組みも検討されるべき
った形で作り込めるかが問われている。
だろう。検査体制は、1日あたりどれだけ多数
まず、「職域一斉登録」の仕組みをつくって
の検体を日赤が受け入れられるようになるかが
いきたいと思う。事前に日時を決めておいて、
焦点になる。①日赤が複数のセンターで体制を
職場単位で一斉登録を行うのだ。まず、社内ボ
組んで受け入れられないか②民間業者に委託
ランティア、地域ボランティア、財団職員など
し、その検査結果をドナー登録者のデータベー
が、案内や啓蒙などの活動を行う。当日は、保
スに統合できないか③海外で検査を行い、その
健所や社内病院・診療所、日赤データセンター、
結果をデータベースに入れることはできないか
献血車などの協力をあおぐ。説明や運営は、社
――などに議論は分類されるだろう。もちろん、
− 93 −
高まってきている。キャラバンと実際の登録活
最も容易なのは①である。
動があいまることで、“種まき”と“収穫”が
同時に行われ手応えを感じ成果の計測もできる
・数字を活用して戦術を練る
わけで、大変素晴らしい発想だと思う。
ドナー登録者30万人を達成するにはマーケテ
ィングと呼ばれる経営手法を適宜取り入れてい
くことが有効だと思う。マーケティングは卑近
●財務の充実と医療保険適用
には販売促進活動といった意味合いで使われる
・骨髄バンクは成長している
が、本来、「ものやサービスの認知度を高め、
骨髄バンクの業務はかなりの速度で拡大して
それを実際に利用していただくために、情報や
いる。図11を見れば、それは一目瞭然だ。移
いろいろなテクニックを駆使すること」と言え
植件数、コーディネート件数は増加。国際コー
るだろう。ドナー登録者の増加を図るときにも、
ディネートの件数と移植数も急速に伸びてい
数字を参考にしてターゲットを絞ったり、効果
る。移植・コーディネート件数あたりの補助金
的な戦術を練ることは欠かせない。
額は大きく減少していることになる。ドナー登
たとえば、
都道府県別・人口あたり登録者数、
録者数は右肩あがりで増えている。さらに図
雇用者が多い企業のランキング、ドナー休暇制
12のような新業務が加わってきている。その
度を導入している企業のリスト、社内に骨髄バ
うえ、近いうちに開始すべき業務や本来やるべ
ンクサポーター活動が浸透している組織のリス
き業務などが図13のように目白押しだ。成長
ト、所属人数が多い労働組合などのリスト……。
しているのだから、お金が余計にかかって当然
そうしたものを整備することは、無意味ではな
なのだ。米国バンクの年間予算(93年)約60億
いだろう。また、骨髄バンクの認知度アンケー
ドル、本部スタッフ120人に対し、日本のバン
トの結果、ダイレクトメールで土日一斉登録を
クは年間予算(98年)8.6億円、本部スタッフ
案内した人の登録率、インターネットホームペ
20人である(第7回臍帯血移植検討会、厚生省
ージで『チャンス』を読んだ人の登録率など、
提出資料による)。まだまだ、収入の拡大と体
さまざまな興味深い数字が財団の内外に存在す
質の強化が求められている。
る。そうした数字を経営に活かしていくことを
当財団の98年度(98年4月∼99年3月)の収入
進めなければならない。
(決算見込み)は9億2100万円。そのうち17%を
「種まきと収穫を同時に」。近ごろ、バンク関
国庫補助金、59%を患者負担金、23%を寄付金
係者からこれに類した言葉がよく聞かれるよう
収入でまかなっている。国庫補助金(補正除く)
になった。まったく同感する。普及啓蒙活動は
は減少傾向にある。さらなる減少を防ぐのが精
それが実際の認知や登録にどれだけ結びついた
いっぱいの状況だ。成長している実績と需要に
か計測が難しく、どこに力点を置くべきか理解
対し、国の財政難を理由に、今後とも国庫補助
しにくいものだ。マーケティング手法を意識す
金の大幅増額は困難な状況である。
ることで、多少はそうしたことへの糸口がつか
患者負担の削減と財務の安定の両面から、現
めそうだ。また、土日一斉登録や「職域一斉登
在、最大の懸案となっている課題が、骨髄バン
録」「地域一斉登録」では、活動の結果として
ク事業やバンク利用料金への医療保険適用であ
実際の登録者数が目にみえてわかるから、手応
る。私としては、今秋には保険適用が内定され、
えを感じることができる。全国骨髄バンク推進
来春から実施されることを期待している。
連絡協議会が主催して骨髄移植2000例突破を記
念して行われる「全国キャラバン」に連動して、
キャラバンが移動していく都市で順番に「一斉
・医療保険適用3つのモデル
医療保険適用の程度と形態には3つのタイプ
登録」のような形を繰り広げようという意欲が
が考えられる。
− 94 −
①いわゆる“総括丸め方式”によって骨髄液
近ごろ、患者さんが大臣宛に手紙を提出するな
に保険点数をつける。患者負担金は廃止。国庫
どの動きがあるが、このように、患者家族を中
補助金も廃止される。検査費、ドナー団体傷害
心とした世論が高まることを抜きにしては実現
保険、コーディネート費用、普及広報活動、管
は簡単ではなかろう。もちろん、私としては保
理費などを含めた全体が保険でカバーされる。
険適用を求める意思表示を明確に行っていくつ
骨髄液1件あたり350万円程度の保険額となる。
もりである。
②補助金は残る。患者負担金は廃止。検査、
●ドナーの安全対策の強化
ドナー団体傷害保険、コーディネート費用など
ドナーの安全対策について語るのが遅くなっ
がカバーされる。骨髄液1件あたり100万円程度。
た。この項目を軽視しているわけではない。ド
③切り出し方式。患者負担金から一部の項目
を適用。検査代などが項目の発生に応じてカバ
ナーの安全は患者の救命の前提だと思う。順次、
ーされる。20万∼40万円程度の負担金は残る。
対策を検討・整備していきたい。99年度は、理
できるだけ①に近い形が望ましいのは言うま
事会(99年3月開催)で事業計画を議論するな
でもない。だが、それは簡単なことではない。
かで、「ドナーの安全対策を強化する」と初め
■図11
骨髄バンクは成長している
●移植数
500
●3次検査実施ドナー数
3000
450
2552
403
2500
400
358
363
2000
1840
300
1671
1398
1500
231
1162
200
946
1000
123
100
0
■図12
500
1993
94
95
96
97
0
98
新しく付加されたり改善された業務の内容
1993
■図13
94
95
96
97
98
開始・強化を検討すべき事業の内容
・患者擁護係の創設
・医師相談の強化
・ドナー登録推進活動
・ドナー安全対策強化
・患者コーディネーターの設置
・国際コーディネート強化
・コーディネート進行管理強化
・各地区での普及広報活動拠点設置
・コンピューターシステム構築とシステム部門設置
・事務局人員の増強
・その他
・一座不一致コーディネート
・年齢制限緩和
・国際コーディネート、国際提携
・DLT(ドナーリンパ球輸注)
(予定)
・コーディネート迅速化
・同時並行コーディネート
・国内同時コーディネート人数増加
− 95 −
る。同機構で流していただいている広告は、骨
て明確に規定された。
まず、その端緒としてドナー安全委員会の組
髄バンクに対する社会の理解を深める大きな原
織が強化され、新委員が4人加わった。当財団
動力となり、ドナー登録希望者の電話受付数を
の理事でもある作家の柳田邦男氏。柳田氏は航
最も効果的に増やしている要素のひとつ。バン
空機事故や医療事故などに関する多数の著作が
クニュースの発送方法変更ひとつをとっても、
あり、安全対策に関する有数の学識経験者であ
日本赤十字社や厚生省の協力がなければ改善が
る。また、元早稲田大学教授の黒田勲氏。事故
できない。例をあげればきりはない。
調査や安全対策の権威で、薬害エイズ問題につ
C型肝炎になったドナーの調査報告の発表で
いての体系的調査を行うチームを率い、このほ
は、世間の関心の強さを痛感した。ドナー登録
ど膨大な調査をまとめられた。臍帯血移植検討
者、コーディネート途中のドナー候補者、さら
会メンバーで、造血幹細胞移植に関して造詣が
にはご家族・関係者のお気持ちはいかがだった
深いNHK解説委員の迫田朋子氏にも加わって
ろうか。こうした人々に説明するコーディネー
いただいた。さらに、実際に骨髄提供経験があ
ター、調整医師のみなさんのご苦労はいかほど
る三田村真氏(ボランティア)がメンバーにな
だったろうか。採取施設の現場にも大きな影響
ったことは特筆すべきことだ。ドナーの安全を
を与えているだろう。理解者や登録者を増やす
考える場に、当事者であるドナーの代表が入る
活動をされているボランティアのみなさんは説
ことは欠かせないことだ。
明に苦慮していないだろうか。いろんな思いが
想起された。責任の重さと、骨髄バンクがいか
非医師のメンバーを強化したことが、成果に
に幅広く多くの関係者から成り立っている巨大
結びついていくことと期待される。
な社会システムであるかということも身に染み
①麻酔安全対策②感染防止策③採取病院認定
て感じた。
基準④骨髄採取料⑤ドナーへの情報提供のあり
方⑥事故時の危機管理や調査のあり方⑦補償の
骨髄移植が2000例を突破した。これをみなさ
あり方⑧総合的な安全策――などが議題にのぼ
んといっしょに喜びたい。ドナーになられた
ってくると想像する。
2000人の方の尊い意思と勇気に深い敬意を表す
今後は、事故情報などもさらに積極的に開示
る。2000例の提供の背景にはさまざまなドラマ
していきたい。これまでも、ドナーになること
があったはずだ。ドナー本人、家族の心理的葛
に伴うリスクはかなり丁寧に説明されてきた。
藤もあったろう。コーディネートに関わる人々
それを認識したうえで2000人以上の方が提供者
の努力も忘れられない。患者の方々の命を懸け
となられたのである。リスクを認識したうえで
た闘いがあった。多くの方々が治癒された。も
善意の提供者となるという市民の意識は成熟し
っとも、移植を望みながらチャンスを得られな
ている。積極的な情報開示を進めても、提供者
かった人々がいることも忘れてはならない。
みなさんと共に2000例をひとつの通過点とし
が減少するようなことにはならないと思う。
て、骨髄バンクの発展を考えていきたい。以上
■結び
のような政策が結実していけば、日本の骨髄バ
ンクは世界に冠たるバンクとなり、世界から尊
事務局長になって1カ月。痛感したことがあ
る。それは、何ごとも財団事務局だけで完結し
敬され世界に貢献できるバンクとなるだろう。
てできることはない、という事実だ。事務局に
みなさんのご意見、ご参加、ご指導、ご鞭撻を
いると多くの方から寄付が届くのがみえる。補
心よりお願いしつつ、筆をおきたい。
助金の予算折衝の季節だが、国庫補助金が増え
なければ、運営が相当厳しくなるのが現実であ
る。公共広告機構の次の広告の選定が進んでい
− 96 −
より一層のご支援へのお願い
海部幸世
全国骨髄バンク推進連絡協議会会長
私ども全国協議会の運営資金は、皆さまの善意
を割ってしまい、基金増額の見込みが立たないこ
のご寄付によって賄われております。しかしなが
ら、長引く不況の影響もあってこのところ資金不
とから98年4月に「休止」を決めざるを得なくな
ってしまったのです。1年を経た1999年5月に「再
足に悩まされているのが実情です。それでも、活
動自体は様々な工夫を凝らすことによってなんと
開」できることになりました。
基金の趣旨に賛同され、善意をお寄せくださる
かしのいでおりますが、とりわけ残念なことに、
皆さまのご寄付を心よりお待ちします。なお、基
骨髄移植を受ける患者さんにとって「頼り」とさ
れてきた「佐藤きち子患者支援基金」が基金不足
金の給付申請については協議会事務局までお問い
合わせください。
のため昨春、休止のやむなきに至りました。よう
やく再開に漕ぎ着けましたが、まだまだ不十分な
<ご寄付受け入れ口座>
郵便振替口座 00160-8-39724
状況には変わりありません。
加入者名義
また、全国各地での絵画展示によって感動を広
げている「あやちゃんの贈り物展」を運営する
●あやちゃん基金
「佐藤きち子患者支援基金」
「あやちゃん基金」も同様の資金不足をかこってお
ります。一般のご寄付も含め、皆さまのより一層
三瓶彩子ちゃんは、念願の骨髄移植を果たせな
いまま白血病のため7歳9カ月で逝きました。で
のご支援をたまわりたいと存じますので、なにと
ぞよろしくお願い申し上げます。
も、あやちゃんは短い生涯の中で8000枚もの素晴
らしい絵を残してくれました。小さな画家・三瓶
なお、ちょうだいしたご寄付につきましては、
彩子ちゃんの作品は「あやちゃんの贈り物展」と
お名前と金額が月刊の『全国協議会ニュース』に
掲載されます。匿名を希望される方は、その旨を
して全国で巡回展示され、多くの感動を呼んでい
ます。それを通じて、多数の方々が骨髄バンクを
ご連絡ください。
知るきっかけになっており、昨年9月には全米骨髄
バンクの年次総会会場(ミネソタ州ミネアポリス
●佐藤きち子患者支援基金
市)で展示されたことから、今後は海外での展示
「お金がなくて骨髄移植を受けられないでいる患者
さんに役立ててください」
に広がりを見せる可能性が出てきました。
そうしたことがあって、
「あやちゃんの贈り物展」
1995年5月、そうおっしゃった東京の佐藤きち
子さんは300万円を寄付してくださった直後に、心
の開催希望が全国から舞い込んでいるため、全国
協議会では96年、あやちゃんの作品群をもう一組
臓病のため82歳で亡くなられました。佐藤さんか
額装して要望に応えられるようにしました。「あや
らご寄付をいただいた全国協議会加盟の公的骨髄
バンクを支援する東京の会では、佐藤さんの名前
ちゃん基金」はこれらの絵を全国各地の皆さまに
鑑賞していただくために設けられたのです。基金
を冠した基金を設立しました。その後、東京に限
らず経済的な問題で骨髄移植に臨むのが困難な全
はすべて「あやちゃんの贈り物展」を各地で開催
するため、作品の修復や運営・管理などの目的に
国の患者さんのためにという趣旨から、運営と管
活用されます。
理が全国協議会に移管されました。
この基金は、ドナーがいながら経済的な理由に
<ご寄付受け入れ口座>
郵便振替口座 00100-5-583401
よって骨髄移植を躊躇せざるを得ない患者さんに、
1件当たり50万円を限度に給付されます。つまり、
加入者名義
返済の義務はありません。96年3月から98年3月
までの2年間に17件(約675万円)が給付されまし
●一般のご寄付は…
その他、全国協議会の活動資金に充てられる一
たが、これは途中から「骨髄バンク国際協力田中
般のご寄付は、こちらへどうぞ。
基金」から200万円が繰り入れられたほか、約270
万円のご寄付によって賄われたものです。しかし、
<一般寄付受け入れ口座>
新たな申請が2件あった段階で基金残高が100万円
加入者名義
− 97 −
「あやちゃん基金」
郵便振替口座 00150-4-15754
「全国骨髄バンク推進連絡協議会」
骨髄バンク知名度アンケート
4427人はこう見ている
骨髄バンクを支援する 愛知の会
団主催の骨髄バンク推進全国大会が開催されま
■骨髄移植を聞いたことがありますか?
YES:4,349(98.2%)
した。この大会を主管した骨髄バンクを支援す
☆どの地域においても「骨髄移植」という言葉
る愛知の会では、全国大会に発表すべく昨秋、
を、ほとんどの方が知っているという結果を得
1998年12月、名古屋において骨髄移植推進財
「骨髄バンク知名度アンケート」を実施しまし
ることができました。
た。この調査は、全国協議会加盟団体をはじめ
■骨髄バンクを聞いたことがありますか?
とする全国のボランティア団体に呼びかけて行
YES:4,332(97.9%)
われたもので、大規模な調査となりました。愛
知の会ではこのアンケートを集計し発表しまし
☆「骨髄移植」と併せて、ほとんどの皆さんが
た。その内容は、これからの骨髄バンク推進運
聞いたことがあるという結果が出ました。それ
動にとって、数々の示唆に富むものです。じっ
だけ身近に聞かれる機会が多くなったのでしょ
くりとみなさんご自身の分析をしてみてはいか
うか?
がでしょうか。なお、☆は愛知の会のコメント
■骨髄バンクに登録していますか?
総数(%):127(2.9)
男性:48 女性:72 無記入:7
です。【編集部】
■アンケート総数
男性
女性
無記名
合計
総数
1,644
2,625
158
4,427
10代
225
476
8
709
20代
405
710
3
1,118
30代
354
568
7
929
40代
359
449
6
814
50代
189
258
11
458
それ以上
105
151
15
271
7
13
108
128
無記入
☆登録しているという人が意外に多いのは、
「臓器提供ドナーカード」と混同している方も
いるからです。まだまだ認識度が低いことが、
この点でもいえると思います。
■骨髄バンクは何をするところか知ってま
すか?
YES:2,467(55.7)
☆「骨髄バンク」という言葉の知名度はあるも
のの、内容となるとそれほど知られていないと
■12月は骨髄バンク推進月間ということを
知ってますか?
いう結果がでました。また、Yesと答えた人の
中にも誤解されている方がいました。大体の方
YES:18% NO:82%
は正しい認識をされているようです。しかし中
☆アンケートをとった環境によると思いますが
には「バンク」という名からストックしている
地域差があるようです。まだまだ浸透している
と勘違いされている方もいるようです。また最
とは言い難い状況です。より一層のPRが必要
近耳にする機会が多くなった、脳死による臓器
と思われます。
移植の「ドナーカード」と間違えている人もい
ました。
− 98 −
●骨髄バンクの認識
6.骨髄を提供してもらって、患者に分けてあげ
1.ドナー登録を受け付け、骨髄移植術の方に情
る(ストックしておく)
報提供する所
7.白血病の方のために健康な骨髄を採取保存し
2.骨髄に疾患を持った患者さんのために自分の
ておくところ
骨髄を提供してもいいと希望される方と患者さ
●骨や臓器の移殖と混同
んを結ぶ機関
1.白血病患者を助けるために別の人の臓器を提
3.骨髄液の型を登録して患者さんで合う人がい
供するためにある所
れば提供してもらうよう働きかける
2.脳死などの時に、骨髄を提供するように登録
4.血液疾患の患者さんに合う骨髄を提供するた
すること
め健康な人が事前に登録をしておく機関
3.膵臓の取り替え
5.健康な人の骨髄液を移植できるように登録し
4.骨、眼球とか、骨髄の他の登録
ておく
5.白血病患者さんに骨髄(脊髄の中)を移植す
6.ドナーの骨髄HLA型を登録しておき、患者さ
ること
んと型が一致するドナーを探し骨髄液提供を実
6.脊髄内で造られる、血液のもと? 白血病な
施する
どの関わりが大きい
7.髄液検査→登録→困った人あり→連絡する→
7.脊髄から提供する所
髄液抜かれる→あげる
8.登録をしておいて死亡したときに提供する
8.私の健康なからだから幸せを分ける所
9.骨をあげる
9.骨髄を造れない病気の人に、自分の骨髄を太
10.背骨の移植
い注射器で吸い取ってあげる
11.骨の部分を手術する所
10.ドナーを登録。多くのドナーを集めること
12.骨などを提供したりするところ。骨髄の中
で適合者の確率UPを図る
のゼリーを提供する所
11.白血病などの特定の病気で身内に適合者が
●資金援助?
いない場合に第三者である人間の骨髄を提供す
1.ドナーの登録や資金援助などの仕事をしてい
るシステム
るところ
12.白血病、再生不良性貧血などで骨髄移植を
に型の合うドナーを見つけるため予め登録して
■全身麻酔による採取と重篤合併症等のイ
メージ
おくシステム
●全身麻酔で採取を知っている
行う際、HLAの型が合うことが必要で速やか
Yes:2,223(50.2)
●ストックされていると勘違いしている
1.血液をためておき白血病という病気になった
☆地域差は多少あるもののほぼ半数の方が全身
人が登録した人の血液と同じだったら移植でき
麻酔で採取することを知らないようです。今後
る
この辺も伝えていく必要があるようです。
2.白血病などの病気(血液の病気)の人たちに
不安はない:14%
髄液を提供するための所
何らかの不安を感じる:78%
3.白血病治療のための骨髄液を貯えておくとこ
その他:8%
ろ
☆3,268人の方がコメントを残してくれました。
4.白血病患者などに、HLAの近い骨髄細胞を供
何らかの不安を感じる人が78%と圧倒的に多か
給するために、多くの人からの骨髄をストック
ったのが印象的です。ドラマで見たから怖いと
しておく
のコメントも気になります。
5.骨髄を保管し、白血病の方に提供する所
− 99 −
●プラスイメージ
11.脳の活動が鈍りそうで抵抗がある
1.お産で経験した限り悪いイメージではない
12.自分が低い確率の中の一人になるかもしれ
2.薬と同様に全く体に異常をきたさないという
ないと思うと怖い
保証はできないのだから、どんな理由があるに
13.いいことはない、全身麻酔してまでできん
しろ必要があればしなければならないし、必要
14.麻酔が切れた後も身体になにか影響があり
なければしないに越したことはない
そうで少し怖い
3.全身麻酔のほうが局部麻酔よりも安心のよう
15.骨髄移植による麻酔事故のことを知り麻酔
な気がする
医の管理を超えた危険もあることは認識してい
4.少々の不安があるが現代の医学なら大丈夫
る
5.怖いイメージはない。寝ているだけ
16.日本の麻酔医の地位は低く掛け持ちやアル
6.そんなに怖いというイメージはない
バイトも多いという本を読んだので恐ろしい
7.痛くならないのならば全身麻酔もよい
17.合併症が起こる確率が低いといってもゼロ
8.少し怖いですが部分麻酔で病室の音が聞こえ
ではない限り不安と感じる。実際数年前に事故
るよりはいい
が発生しており登録には二の足を踏んでしまう
9.したことある。すごく気持ちいいです。気が
いイメージはない
■骨髄提供時に入院が必要なのを知ってい
ますか?
YES:2,635(59.5)
11.合併症が起こりうる確率はかなり低いと思
☆「全身麻酔」と比べ知っている人が多かった
うので、あまり悪いイメージがない
ようです。それでも40%の方がご存じなく、今
●マイナスイメージ
後知らせしていく必要がありそうです。
ついたとき喉がからからです
10.盲腸の手術をした時に全身麻酔をした。怖
1.少し怖い、実際身近に危険に直面した人がい
る
2.その後の後遺症などがとても不安。聞いたこ
■家族の同意の必要性について
必要:58% 不要:34%
どちらとも:5% その他:3%
とがあるので……
3.どんなに確率が低くても本人にとっては大き
●同意は必要
な問題なので確率の問題ではない。イメージは
1.本人の責任はもちろんあるが、骨髄提供する
よくない
のに、本人自身の身体に影響を及ぼす可能性が
4.父が前立腺癌の手術でやってみたがものすご
く身体に負担がかかると思う
あるのであれば、家族の同意は必要だと思う
(同意がなければ、なにか起こったときのトラ
5.全身麻酔をされると身体はどんな風になって
ブルの元になると思う)
しまうのかなどと思う
2.最終的には個人の自由だと思うが、何か起き
6.たまに事故が起こるニュースを聞くので怖い
たときに悲しんだり傷つくのは家族だと思う
7.先がわからないから怖いイメージがある
3.知らなかった。今知ったがそれなりに必要か
8.人によっては麻酔によるショックがあると聞
な
いたことがあります。できれば全身麻酔はした
4.予測できないことも起こりうるので同意があ
くない
るにこしたことはない
9.低い確率で重篤合併症が起こるということで
5.家族はその人によって唯一の肉親だから同意
も危険なイメージがある
は当たり前
10.専門医の説明を聞く機会がないので「ただ
6.全身麻酔をする上では必要なことだと思う
恐ろしい」印象
7.多少なりとも危険があるので同意は必要
− 100 −
8.日本では何かと家族の同意が必要だが個人の
5.家族いないしわからん
考え方が定着していないとだめ
9.このアンケートで分かったが合併症の可能性
■骨髄バンクのイメージ
があるので必要
☆良いイメージを持つ方も多くいましたが、あ
10.入院には家族の協力が必要になる。
まり良くないイメージを持たれている人もいる
11.未成年には必要
のが、コメントに如実にあらわれています。こ
12.自分がよくても、家族が不安に思っている
れからは、より一般の人に正しく知ってもらう
ということがあれば必要かと思う
ために何が必要かよく考える必要があると思い
13.アイバンク同様本人の意志を尊重すべきだ
ました。また、CMやhideさんの活動で知った
が、不測事態の補償が不明なので同意は必要
という人が多くいました。
14.本人の意思を尊重すべきだが低確率でも危
●プラスイメージ
険を伴うならば、同意が必要な場合もあるだろ
1.誰にでもできる小さな親切
う
2.人を助けるというイメージ
●同意は不要
3.hideさんで有名になったんで結構いいイメー
1.広く同意を求めるのはいい。でも、最後は本
ジを持っている
人の意思を尊重すべし
4.それで治るなら
2.ある程度は知ってもらうべきだが本人の同意
5.病気の人を助けることはすごくためになるこ
だけでいいのでは
と
3.個人の意志が尊重されるべきだと思う
6.以前に比べると話題になる
4.社会人として自分の意見ですればいい
7.他人のために一生懸命ですごいと思う
5.当たり前のような気もするが成人してからは
8.献血と同じように世のため人のため的なもの
自分の意志がはっきりしていればしなくてもい
9.ささやかで地味な運動だが、ひょっとしたら
いと思う
人の命を助けられるかもしれない運動
6.そんなこといってたら提供者は増えない
10.患者に合う人がいれば、その人を助けるこ
7.個人の考えでいいと思うが現実的には心配感
とができるのでよいと思います
を持たなくていいような確率性を高めて
11.ボランティア、福祉……いろんな人の愛の
8.本人が望んでいるのに家族の同意が得られず
総合的な形が具体的に現れたもの
できないこともあるので本人の意思でいい
12.チャリティーコンサートでお世話になって
9.個人の問題なので不要。同意が必要というこ
ます。私にとってはとても明るいイメージです
と自体が危険なものと思わせる
13.勇気のある方々によってできていることを
10.めったにないケースだと思うが、同意がな
思い頭が下がります
い場合本人の善意が無になることが問題
14.すごく人の役に立つイメージ。人助けをし
11.家族の気持ちも大切だが家族の反対によっ
ている人は今少ないから
て提供できないのは困る
15.全くのボランティア。生きているうちに人
●その他
の命を救ってあげることができる
1.同意はともかく相談することはいいと思う
●マイナスイメージ
2.知らなかった不思議な制度
1.あまり詳しくはないが難しいイメージ
3.後々のことを考えるとあったほうがいいが、
2.閉ざされた所入りにくい出にくいみたいな感
ドナーを増やすためにはないほうがいいのでは
じ
4.私は提供したいのですが家族が反対するので
3.非常に重要な仕事をしている割に対外的なイ
難しい問題だ
メージ戦略が下手というかもっと認知されるべ
− 101 −
きだと思う
●よくわからない
4.名前を聞いただけでなんとなく身構えてしま
1.よく分からない
う
2.名称はよく聞くがイメージは湧かない
5.人のためにいいことだけど、痛いから怖い
●その他
6.ドナーの負担が多い
1.必要なものだがもう少し社会的支援がないと
7.簡単に無痛でできればいいが痛いイメージが
登録をためらってしまうだろう
ある
2.別に悪いイメージはない
8.良いことだと思っていたが今回のアンケート
3.たくさんの人が救われるなら是非登録すると
で怖くなった
思うが、もう少し簡単に安全にならないのか
9.血液バンク、アイバンクなどと比べると大変
4.自分たちの今の生活にとっては遠い存在
なことのようなイメージはある
5.テレビのイメージ。詳しくはわからない名前
10.血液センターのポピュラーなイメージに対
程度
して少し重いイメージ
6.もえちゃんのCMのイメージ
11.自分の体から「気」が抜かれる。「エネルギ
7.白血病患者の方々についてはテレビなどで知
ー」が抜かれる
っています。必要だと思う
12.このアンケートに答える前は、白血病患者
8.大切なものとは思いますがテレビのCMのイ
を救う素晴らしいものと思っていたが、実際は
メージしかありません。身近なところという感
かなりシビアなものであると思う
じがしない
13.いつ、どこで、どんな活動をしているかよ
9.親子でも型が合わないとだめなのよね
くわからない
10.コマーシャルは知っている。hideのテレビ
14.検査および時間が大変かかり痛いイメージ
みた
がある
11.テレビのコマーシャルでしか知らないけれ
15.骨髄移植時のドナーの死亡事故を隠してい
ど、素晴らしいものだと思う。もっと輪が広が
るのであまりいいイメージではない
ればよい
16.なり知られているがまだまだ不明なことが
12.CMなど関心を持った
多いもの(臓器提供と混同される)
13.CMでは血液採取するだけでいいとあるが提
17.おとなしい。他の腎・アイバンクのほうが
供となると本当に大変だ
活発な活動をしてそう(古くからあるからでし
14.命を助けられる。バンクに登録するとカッ
ょうか)
コイイ人になれる
18.白血病というものがまだ重い病気というイ
15.身近にそういう人がいないのであまりイメ
メージなので、やはり一般的にはまだ受け入れ
ージが湧きません
にくい
16.他人に自分の骨髄提供なんて不思議な気が
19.“骨髄”そのものに脊髄神経を想像する恐
する
怖感があり別の呼称がほしい
17.「バンク」というひびきで、何かびびって
20.献血に比べてマイナーのイメージがある
しまう。日本語で「銀行」のほうが親しみやす
●怖い
い
1.必要なことではあるが怖いことである
18.命に関わることですのでイメージなどとい
2.趣旨はすばらしいと思う。気持ちは前向きに
うのは疑問
あっても怖さのほうが勝って結果引いてしまう
19.骨髄バンクかそれに関する団体が行ってい
3.決して悪くないがとっつきにくそうだ
るアンケートなら少し残念。エチケットが守ら
れていないし記述の項目が多すぎ、意識調査と
− 102 −
いう感じです。もし支援する立場であれば少し
うです。
配慮したほうがよい
●時間の制限
20.身近に移植を受けて元気になった人、ドナ
1.100%いつでも提供できるとは約束できない
ーとして提供した人がいたので、その必要性を
から
強く感じている
2.もしドナーになったら入院という時間を取ら
21.患者の身内の方が一生懸命やられているの
れて自分の家族のことがその時だけできないか
ではというイメージ。それ以外の人がもっと協
3.入院できないから
力できればと思う
4.万一の事故がこ怖い。入院は無理
22.病気を治すことに協力でき素晴らしいと思
5.障害者がいるので家を空けられない
う半面、登録するには勇気がいると思う
6.仕事を持っているため休んでまで登録にいけ
23.「金色のクジラ」をみて、誰かが助かるの
ない
ならば是非登録したいと思った。骨髄の注射が
7.子供がいて家が空けられない
すごく痛そうで怖い
8.手間が掛かるのと入院して会社を休むなどの
24.キティちゃん
デメリットを生じる
25.提供した側の体のダメージはないのですか。
9.入院となると会社の協力が必要で自分の都合
友達は二度提供してますがつらそうです
では休みにくい。今の生活に精いっぱい
10.現在子どもが白血病で入退院を繰り返して
■ドナー登録数をご存じですか?
YES:6% NO:94%
おり、その後きちんと子どもが治れば何年か後
☆YESと答えた人は258人いますが、その中で
●提供の不安
正確に10万人と答えた人は、114人(44%)で
1.とっても怖いので献血ぐらいで貢献しようか
した。無回答や大幅に人数を間違えている人
なと
にはやりたい。
2.方法が明確でないことと家族の反対。手術に
(例:100万人と答えた人)もいました。
おける不安
■お知り合いで登録されている方がいます
か?
YES:13% NO:87%
3.後遺症が不安で、それによって家族に迷惑を
☆地域によってかなりバラツキがありますが、
5.後で後遺症などあると親に申し訳ない
数パーセント以上に知人が登録されていること
6.したいけど身体に不安がある
がわかりました。本人登録に比べ10ポイントほ
7.自分の骨髄をとるときかなり痛いらしいか
ど多いということは、家族などで登録した時点
ら。とった後も万が一を考えると子どもも小さ
で話している人がいることになります。
いし不安
かけてしまう可能性があるから
4.チャンスがなくて……痛いのが怖い
8.友人が提供したことがあり、その話からあま
■骨髄バンクを知っていて登録しないのは
なぜ?
りいい印象ではない
☆この質問に関しては、不快に感じられた方も
じそう
おられ、ご迷惑をおかけしたように思います。
10.提供した方が体調が悪くなったという話を
しかし、登録へのネックになっている部分が浮
聞いて不安であるため
き彫りになりました。理由の中にはご自身の問
11.失敗例を聞いてしまうと登録することに抵
題もありますが、認識不足からくる誤解・機会
抗がある
がないなど努力で改善できそうな部分もありそ
12.ドナーとなるときに手術のいることを知っ
9.献血と違って提供するときにかなり痛みを感
− 103 −
ているので怖い
で登録しようとは……
13.登録しようと考えたときもあったが、どう
2.漠然としたイメージ。知らないことで怖いイ
しても絶対に合併症が出ないという保証がない
メージ
ので怖い
3.どういう風にやっていいかわからない
14.心の中では困っている人がいるから、と思
4.何歳以上からか知らない
うが怖い。女の場合身体に傷は残したくない
5.登録した人の話を聞いたことがないし、しっ
15.家族の同意が必要なぐらい身体に負担がか
かり理解していないと思えます
かるから安易に登録できない
6.ドナーになるのにどのようなことをするのか
16.家族の反対。提供するとき自分に何か起こ
わからない。もっとテレビなどで詳しく教えて
ったら取り返しがつかない
ほしい
17.自分は登録すべきだと思うが家族の同意と
7.登録の方法を知らないと思う。骨髄バンクの
なると難しい
ことを深く知らないと思う
18.家族の反対などある
8.登録の仕方など具体的によくわかってないか
19.自分の骨髄で人を助けたい気持ちは山々で
ら
も自分の体も大切、恐怖感がある。家族も心配
9.提供は一度しかできないと聞き、将来子ども
してるので
に必要になったらと考えてしまう
20.自分の骨髄で生命を救えたらすばらしいと
10.不安もあるが、それを説得するだけの情報
は思うものの、自分にかかるリスクを思うとや
がない。いつ、どこで登録するのか? また提
はり乗り気にはなれないのが正直なところ
供する場合はどうするのか? 全身麻酔による
21.骨髄そのものの提供は、他の臓器と違い、
合併症のリスクについての情報がない
イメージ的には手軽かもしれないが、麻酔やそ
●身近に患者がいない
れなりの時間拘束に対する配慮が不十分
1.身近にいたが移植するほどではなく身近にい
22.手術に失敗すると全身が動かなくなる可能
れば考える
性があると聞いたことがある
2.あまり身近な問題として受け止めてないから
23.骨髄をとられるときと後に何かあったら怖
かな
い。入院したくない。前にニュースでHIVに感
3.身近に移植を必要とする人も登録している人
染した人がいたと聞いた
もいないしどこで登録するかわからない
●機会がなかった
4.自分自身の身内に苦しんでみえる患者さんが
1.登録する機会がなかった。詳しい情報がない
いないため深く考えていないから
2.具体的にどんなことをするか勉強したことが
5.登録したほうがよいかもとテレビなどを見て
ないから、何もわからずに登録することはでき
思うのですが身近にそういう人がいないので今
ないから
にいたってます
3.登録にいくきっかけがないため
6.身近に白血病の方などがいないので身近に感
4.あまり考えたことがないし、そういう機会が
じられない
ない
7.血を採るのにわざわざ医者にいかなければい
5.存在を知っているという感じで意識はしてい
けないから。その場でやってくれればいいのに
ないため
8.周りにそういう人がいないので困っていると
6.具体的にどのようなものか知るチャンスがな
いう実感が湧かない
い
9.やはり身近に移植が必要な方がいないので、
●情報不足
すぐ登録しなければという感じではないから
1.登録の仕方がわからない、わざわざ調べてま
10.関係ない。自分の家族は白血病にならない
− 104 −
●施設の不足
れたらもっと増えると思う
1.ちょっと怖い感じがするし県内には骨髄移植
12.もっと情報、案内、登録の仕方などをわか
する病院がないと聞いている
りやすくPRしたほうがいいのでは。休日土日
●登録制限
も登録できるように改善する。どこで登録して
1.登録していたが年齢オーバー
いいのかわからない人が多いので興味はあって
2.輸血の経験があるためできない
もそのままになっている現状があると思う
3.20歳なってないし、なったら考える
13.献血の経験はあります。その際ドナー登録
できる機会があるといいですね。公的機関の窓
■知人で血液疾患の方はいますか?
口の広さや知識の拡大、家族の同意を必要とし
YES:12% NO:88%
ない安全性の充実。すこしずつの努力で達成し
☆10人に1人の割合で知人に患者さんがいるこ
ていけると思います
とがわかりました。やはり他人事ではないと思
●ドナーへの保証
います。中には「いた」と書き添えられている
1.ドナーになった人々への身体的な保証だろう
方もいました。
か
2.提供者の生活のケア(子どものこととか)
■骨髄バンクへは何を期待しますか?
3.提供者の時間的金銭的な負担がかからぬよう
☆4,427枚のアンケート中、2,400枚余りのアン
4.骨髄を提供するために入院する時、会社の理
ケートにコメントが書かれていました。その中
解が得られればいい
から主だった意見をピックアップして、まとめ
5.登録者が何も負担とならないこと(金銭的精
てみました。特に、PR方法については種々の
神的に)
意見が寄せられました。これを生かし全国の皆
6.骨髄の安全な提供方法。提供する側の精神的、
さまが骨髄バンク運動に関わっていただるよう
身体的ダメージを減らす方法を追求してほしい
になればと思います。
7.できれば、大勢の方が登録し白血病の患者さ
●登録方法
んが安心して生きられるよう皆で協力してあげ
1.出生時に全員登録
られるように。仕事を休んでの保障を政府がし
2.年齢制限を広げてほしい
てくれればもっと身近にできるような気がする
3.もっと簡単に
8.ドナーの心の準備、その後のケアの問題が余
4.もっと手軽に病院などですぐに登録できると
り知られてない。患者さんの状況はよくニュー
いい
スやドキュメントで見られますので同じように
5.登録する人を増やすようにしてほしい
もっと知らしては
6.誰でもすぐ登録できること
●採取方法
7.普及をもっと綿密に。どこでも登録できるよ
1.痛みなく手軽にできるといい
うに
2.もう少し肉体的に気楽にできるようになれば
8.窓口をもっと広げてほしい
と思います
9.検査が容易にできれば提供者も増えるので
3.もっと気楽に提供できるようになれば
は? 一人でも多くの方を救っていただきたい
4.献血程度の手軽さ
10.内臓であれ骨髄であれ運転免許証に本人が
5.献血と同じならいい
提供したいかどうか記入できるのが望ましい。
6.提供することに危険がなければ登録してもい
家族の同意など不要である
いと思うが今は迷う。安全になれば
11.血液センターにいかなければならないし、
7.100%の安全性
平日しかだめだし、献血みたいに近くに来てく
− 105 −
●PR方法
示すべし
1.まずは認知してもらうことですね。正しく骨
21.全体的なムードができてくれば乗り越えて
髄移植に伴うマイナス面もちゃんと伝えるべき
登録する人も増える。臓器移植となるとアレル
だと思う
ギーがあるが、それとは違うことをアピール
2.これといっては別に……。具体的な実施内容、
22.アイバンク、腎バンクはいろいろあるが、
方法を詳しく。登録することが全面に出て内容
需要の割に成功率も少ないのがイメージが悪
が不透明な気がします
い。協力したいが献血のように具体的に何をし
3.もっと詳しく知る機会を作ってほしい
たらいいかわからない
4.もっと広告などで一般的に知られるようにし
23.きちんとした情報の提供(安全性ばかりで
てください
なく危険性も)をある程度公開しながら、運動
5.安全で怖くないイメージをわかってもらえれ
していったほうがいいのでは
ば
24.あやちゃんの絵やパンフを見て自分の心が
6.人をふやしてPRももっとして
揺さぶられるのを感じた。骨髄バンクに対する
7.もっと簡単にわかりやすく
考え方が変わった
8.積極的にアピール
25.CMの「ほんの少しの採血でドナー登録でき
9.他のバンクもそうだがもっと詳しく子どもの
ます」というような不安を取り除く言葉はわか
ころから情報を
りやすくていい。休日でも気軽に登録できるよ
10.PRが下手
うな場所があるといい
11.怖いというイメージがあるのでなくしてほ
26.登録者を増やす運動のほかに骨髄移植に関
しい
する理解を得られるような働きも必要ではない
12.もっともっと宣伝とかをして、登録方法を
か、不安や質問に答えるPR
知らせたらいい
27.地方の格差をなくしたほうがいいのではな
13.どういうものなのか知らない人が多くいる
いか? 進んでいるところと、まったくと言っ
と思うので、もっと詳しく宣伝してほしい
ていいほど進んでいないところがあるような…
14.もっとわかりやすく、いろんなところで気
…。もっと身近になってほしい
楽に説明して下さい
28.もっと活動を広めてほしい。登録方法が全
15.何をどこですればいいかもっとPRしたほう
然わからない。もっと気軽に登録できるように
がと思う
病院などに案内を置くとかしたらいいと思う
16.名古屋では何人とかのPRが必要。身軽にで
29.骨髄バンクとは? ドナーとは? その他いろい
きれば
ろ……を新聞テレビなどで詳しく説明して一般
17.もっとその大切さを教育に入れるなどして
の人たちに理解してもらえるよう働きかけてほ
知ってもらう必要がある。具体的なこと、どう
しい
したら登録できるか、骨髄はなぜ必要なのかわ
30.採取方法の簡易化、別の治療法、医療機関
かってない人が多すぎる
の働きかけ、TVコマーシャルが患者側の立場
18.この度のようなキャンペーンで登録ではな
で暗い感じがする。提供者の喜びの表情をアピ
く、実際の手続きをもっと多くの人に告知する
ールする。実際に助かった完治した側をマスメ
ことが大切
ディアへ働きかける。そこで数が少ないことを
19.会社などの団体を通して参加できるようも
アピールする
っと身近になればいいと思う
31.骨髄バンクに関する漫画を読んで知ったり、
20.骨髄バンクの名だけでなく、具体的にどの
講演を聞いて知ったけど、もっとこういうチャ
ような方法をとって提供すべきなのか明確に提
ンスがほしいです。そのほう知れ渡ると思う
− 106 −
32.「骨髄バンクに登録してください」とCMで
17.一人でも多くの白血病の患者さんの命を守
いわれても一方的。体への影響や費用のことな
るため頑張ってほしい。時間的ゆとりができた
ど情報が欲しい。提供者が患者に会えないのは
ら登録も前向きに考えていきたい
なぜか?
●臍帯血
●激励
1.臍帯血バンクの充実。国のバックアップ
1.患者の皆さんは自分に合う骨髄を待つことで
2.臍帯血バンクが普及すれば骨髄バンクはいら
一致するものがあれば、生きたい気持ちは膨れ
なくなるのでしょうか
? 骨髄液採取しなくて
上がりそれが当たり前の世の中になってほしい
もよい方法の開発を期待します
2.いいことやってるからこれからも協力するよ
3.危険のない臍帯血バンクのPR。国のバックア
うな力はないけど見守っていきたい
ップにより骨髄バンクの活動をより多くの人に
3.多くのドナーが見つかるようにもっとたくさ
知ってもらいたい
んの方に関心を持ってもらえるように
4.よく分かりませんが入院などを必要としない
4.少しでも白血病の患者さんに提供する方が増
胎盤などから取れる物で利用できるものがある
えるよう世間への知識の場を増やしていってほ
そうですがそういうものがもっと活用できるよ
しい
うになるといいと思います
5.すばらしいと思っている
●提供結果・面会
6.もうちょっと広がるといい
1.提供した結果をちゃんと知らせてほしい。相
7.一人でも多くの人に助かってもらえるよう協
手とかも可能ならば
力者が増えてほしい
●その他
8.ドナーを増やし患者さんを救ってほしい
1.「登録はたったの10ccの採血ですみます」登
9.ドナーが増えて患者さんが助かることを期待
録するには本人の相当な意志が必要だと思う。
しています
たった10ccの、こんなに簡単ではない。また、
10.30万人向けて頑張ってください
登録した方はそれなりの意志があるから登録者
11.身近に感じられるようになってきた。若い
の集会、例えば実際にドナーとして登録した方
人にも知られてきてるのでいい方向だと思う
の話を聞くとか活動を知りたい
12.勇気がなくてゴメンナサイ。将来的には登
2.自分がしていないので申し訳ないが多くの人
録しようと考えています。これからも患者さん
が登録して一人でも助かるといい
のために頑張ってください
3.ひとりでも多くの人が登録するといい
13.骨髄バンクからの移殖で命が助かったお子
4.若い人にどんどんしてほい
さんを知っていますので多くの人に正しい理解
5.多くの人がするといいけど
をしていただき白血病の人たちに生きるチャン
6.人数が増え、もし自分がなったら欲しいから
スを与えてほしい
7.たくさんの人たちを救ってあげられるとよ
14.息子の友人が白血病になり、今年お兄さん
い、でも自分は登録していないジレンマはある
から骨髄の提供を受け無事回復に向かってい
8.もっと増えると助かる人が増えていいけどや
る。骨髄バンクに多くの人が登録し、彼のよう
っぱり怖い
に命の助かる人が一人でも増えるようにもっと
広告してください
15.誤ったイメージでとらえている人も多いか
ら正しい知識を多くの人に広めてほしい
16.私でも役立つのならと思いますが決心がつ
きません。多くの人が参加するといいですね
− 107 −
バックナンバーあります!
全国協議会が発行している『骨髄バンク』も5号となりました。“オピニオン情報誌”と銘打っているのは、
ボランティアにとって「基本中の基本」の知識を、より深めた内容を心がけているからです。バックナンバ
ーには興味ある記事、重要な情報が盛り込まれていますので、ご一読をお薦めします。ほぼ定期的に紹介し
てあるのは「巻頭言」「ドナー・患者さんの手記」「エッセイ(マラソンの深尾真美さん、柔道の山下泰裕さ
ん、女優の東ちづるさん、歌手の刀根万里子さんほか)」などですが、主な内容を紹介します。
●創刊号(1996年1月)
▽日本の骨髄移植の草分け(1970年代に日本で骨髄移植を手がけら
れた…当時の橋本龍太郎厚相との交渉など草創期の苦労話を披露)
▽座談会・医療改革も視野に入れて(協議会の正副委員長が「ボラ
ンティアの本音」を吐露)▽「骨髄移植医療体制の理想を求めて」
(シンポジウムでの講演要旨と座談会を収録)▽骨髄提供における
同意に関する法律的側面(弁護士の立場から解説)▽日本骨髄バン
クのデータ分析(ドナー・患者登録数など当時は少なかった公表資
料から問題点を摘出)▽手をつなごう! アジア太平洋の骨髄バン
ク(アメリカ、オーストラリア、韓国、シンガポール、台湾、中国、
香港の関係者を招いて開かれた「シンポジウム」を報告)▽弁論大
会で最優秀(秋田の中学3年生・佐藤絵美さんが「私を変えた出会
い」で獲得)▽緊急提言「あと1年」でやるべきこと(当時の目標
であった「ドナー登録10万人」を達成するための秘策)▽骨髄移植
関連最新医療情報(CD34陽性細胞移植、臍帯血移植ほか)▽骨髄
移植・骨髄バンク関連書籍一覧
●第2号(1996年6月)
▽家族の愛に囲まれて(協議会の運営委員を務め、CD34陽性細胞
移植を受けながら急逝した患者さんの絶筆)▽骨髄移植関連最新医
療情報(末梢血幹細胞移植、HLAのDNAタイピングほか)▽骨髄
バンク最新ドナー情報(ドナーへのアンケート結果など、フォロー
アップ状況を詳述)▽NMDP認定病院からの報告(財団が正式提携
する前に、中堀由希子さんを第1号として実施した名古屋第一赤十
字病院の実績)▽韓国&台湾の骨髄バンク訪問記(当時は財団です
ら把握していなかった両国の骨髄バンクの実態を紹介)▽マスコミ
と骨髄バンク報道(マスコミ人からの注文・提言)▽財団・地区普
及広報委員からのメッセージ▽未加盟団体から(その後、加盟に至
った2団体からの率直な感想)▽日本骨髄バンクの問題点とシステ
ム改革の必要性(全米骨髄バンクとの比較から、「こうすれば機能
的な骨髄バンクになる」ことを提言)
− 108 −
●第3号(1997年5月)
▽骨髄バンクの5年を振り返る(当時の運営委員長が様々な問題点
を浮き彫りに)▽骨髄バンク国際協力特集(台湾の骨髄バンクとの
提携に至る軌跡、在日韓国人団体への期待、アメリカの骨髄バン
ク&骨髄移植事情を紹介)▽座談会・花の高1トリオ(女性ばかり3
人の高校1年が溌剌発言)▽患者家族支援宿泊施設(完全看護の病
院では夜間に親族は病室にいられない。「病院近くに安価な宿泊施
設がほしい」という要望に応えて、関係者が立ち上がった。その現
状を報告)▽インターネットと骨髄バンク(全国協議会のホームペ
ージを開設するまでの奮闘記)▽劇映画「金色のクジラ」制作余話
(映画版はどうやって完成したか? を関係者が振り返る)▽日本
骨髄バンク移植1000例達成(97年1月に実現したが、全国一斉イベ
ントには反省点もあった。今後への具体的な提言も)▽骨髄バンク
関連最新医療情報(HLAクラスⅠ適合の重要性、麻酔の安全性)▽
白血病フリーダイヤル(協議会の活動に寄せられる声を基に「患者
と家族の姿」をたどる)
●第4号(1998年7月)
▽はじめまして、もう一人の私(97年9月20日、協議会主催のイベ
ントで非血縁者間のドナーと患者さんが日本で初めて対面した…。
当事者の手記をはじめ、ドナー・患者さんからの「2通目の手紙」、
そしてイベントに参加したドナー・患者さんの率直な感想、さらに
「対面」について発想の転換を求める提言ほか)▽hideさんを偲ぶ
(98年5月2日に急逝したhideさんは96年8月にドナー登録をしてい
た。貴志真由子さんとの交流を中心に、hideさんの「優しさと、愛
と勇気」をたどり、ボランティアとファンの追悼記を紹介)▽臍帯
血バンク特集(バンクそのものの役割、産科医の役割を専門家が解
説し、ボランティアが臍帯血バンクの行方を探る)▽骨髄移植関連
最新医療情報(ドナーリンパ球輸注療法の医学的効果、この療法と
骨髄バンクのシステム的課題)▽佐藤きち子患者支援基金(協議会
が主宰している基金への給付申請から見た「医療の内実」を“告発”
する)▽相次ぐ新加盟(福井、島根、山口を紹介)▽全米骨髄バン
ク年次総会出席報告(98年に実現する「あやちゃんの贈り物展inア
メリカ」の準備作業など)▽97年アンケート調査結果(各地団体の
「患者支援活動」を報告)
【バックナンバーの入手方法】
①いずれの号も「1冊500円」です。できれば、巻末にある各地のボランティア団体から直接ご購入いただく
と郵送料が不要になります。
②協議会へご連絡いただく場合は、ハガキ・ファクス・E-Mail(いずれも奥付に表記)によって、連絡先
(郵便番号、住所、お名前または団体名、電話)と必要冊数を明記してお申し込みください。ただし郵送料
(1冊なら100円)が加算されます。現物が到着し次第、同封の請求書記載の必要経費を振り込んでください。
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北海道
非血縁者間骨髄移植
2000例突破記念
東京
1999.7.18∼9.18
●ありがとう2000人のドナーたち
日本骨髄バンクを介した非血縁者間骨髄移植は、1993年1月に第1例が実施されてから6
年4カ月後の今(1999)年5月13日、第2000例めが行われました。全国骨髄バンク推進連
絡協議会では、この2000例突破を記念して「骨髄バンク・全国キャラバン」を行います。
沖縄
●全国のボランティアが手をつないで
7月18日に、北海道(釧路)と沖縄(那覇)を出発する2台のキャラバンカーは、2カ月
をかけて全道府県を走破しながら東京を目指します。運行するのは全国各地で骨髄バン
ク推進運動を展開しているボランティアたちです。キャラバンカーをリレー方式で隣の
県へ引き継いで行きます。全国の仲間が一緒になり、手をつないでいきます。
●各地でキャンペーン
キャラバンカーは各都道府県では必ず知事を訪問します。そして知事・議会議長に、
骨髄バンク推進のためのメッセージを手渡すことにしています。その他、キャラバンカー
の行くところでは、骨髄バンクのキャンペーンが各地様々ユニークなかたちで展開され
ます。さらに、ドナー集団一斉登録が同時に行われるところもたくさんあります。
あとがき ……………………………………………………
▼山が大きく動き出した−−むろん、いい方向
▼遠藤さんと何度か会っては、ごそごそと二人
にである。1999年4月に埴岡健一氏が財団事務
だけの《編集会議》を重ねること二十数回、よ
局長に就任したことが、その感を特に強めてく
うやく今回も校了、そして発行に漕ぎ着けるこ
れる。本誌第4号でNHKの大久保嘉二記者が
とができました。やはり、終わってみるとそれ
「日本骨髄バンク『エージェンシー化』試論」
なりに達成感があります。これも、無理を聞い
で展開した「公募制」とはやや性格が異なるも
て下さって、お忙しい中、原稿をお寄せ下さっ
のの、埴岡氏自身が立候補し、全国のボランテ
た皆さんがあればこそ、執筆者の皆様に心から
ィア多数が支持した結果である。氏自身が本誌
感謝申し上げます。
に寄稿しているので抱負はそちらを参照してい
編集方針の立案、そして原稿依頼、さらに具
ただくとして、氏には明確なビジョンがある。
体的な編集作業から発行までには、どうしても
ならば、これまではビジョンがなかったのか
3カ月以上が必要です。今回は、6月の沖縄での
……と書き出せばきりがないから、この際よそ
ボランティア大会までに何としても発行する、
う。何よりも大事なのは、新事務局長のビジョ
という決意で編集に取り組んできました。そし
ンを正しく認識し、肉付けをし、方向性を打ち
て、どうにか間に合うことができました。
私としては編集が終わればすべておしまい、
出した上でその実現に向かっていくことだろ
う。各委員会にも自薦・他薦のボランティアが
という気持ちなのですが、実はその後は事務局
少数ながら新しく就任した。かつてなかった出
が大変です。印刷・製本が終わって納品される
来事である。
と、全国協議会の事務所はうずたかく本誌「骨
93年1月に始まった公的バンクの移植が5月13
髄バンク」の山で埋まります。「重みで床が抜
日に2000例を突破した。それを見越して全国協
けるかもしれない」「なるべく柱や壁際に近い
議会が企画した「全国キャラバン」が7∼9月の
ところに置くように」といった心配も決して大
2カ月間、展開される。各都道府県知事・議会
げさではありません。何しろ4tトラック1台分
議長に「アピール文」を手渡す。保健所による
ですから。それから各地加盟団体や財団・日赤関
集団登録受け付けなど、骨髄バンクへの自治体
係者などへの発送作業を行うことになります。
協力が前進するだろう。日赤も集団登録によう
ところで、来年は全国協議会が設立されて満
やく前向きになってきた。hideファンのドナー
10年になります。全国協議会の10周年記念事業
登録が急増している。ドナー下限年齢を引き下
の一つとして「記念誌」の発行を予定していま
げれば“殺到”することが確実視される。30万人
す。もちろん、本誌の刊行も当然のことながら
ドナー登録へ向けて、環境が整いつつあるのだ。
継続します。もうおわかりですね。つまり、こ
第3回の公開フォーラム(99年度中に財団と
れは大変なことになりそうだ、と容易に想像で
共催の予定)は、明るい見通しの下に準備が進
きるわけです。どなたか、一緒に編集の仲間に
められそうだ。
加わりませんか。
(遠藤 允)
オピニオン情報誌「骨髄バンク」第5号
「全国協議会ニュース」増刊
(野村正満)
〒160-0005 東京都新宿区愛住町23-1 Woody21-9F
TEL 03-3356-8217・FAX 03-3356-8637
1999年6月10日発行
http://www.marrow.or.jp/
発行人:野村正満・渡辺孝一
e-mail:[email protected]
編集人:野村正満・遠藤允
※本誌掲載内容の無断転載を禁じます。
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全国骨髄バンク推進連絡協議会
全国骨髄バンク推進連絡協議会
参加団体一覧
参加団体一覧
◆岐阜骨髄献血希望者を募る会 TEL 0584-91-4998 FAX兼用
〒503-0034
岐阜県大垣市荒尾町1810-182
田中方 ◆富山県骨髄バンクを広める会 TEL 0766-52-4823 FAX 0766-72-3640
〒939-0234
富山県射水郡大門町ニロ771
◆はとの会 TEL 0762-68-9686 FAX 0762-67-5094
〒920-0342
石川県金沢市畝田西2-88
◆福井骨髄バンクサポーターの会 TEL 0776-33-0480 FAX兼用
〒918-8055
福井県福井市若杉11-21-11
井上方
◆勇気の会(三重県骨髄バンク推進連絡会議)TEL 059-226-8406 FAX兼用
〒514-0002
三重県津市島崎町3-1 島崎会館1F魚肉ねり製品組合内
◆関西骨髄バンク推進協会 TEL 06-6977-2123
〒537-8511
大阪府大阪市東成区中道1-3-3
FAX兼用
大阪府立成人病センター内第三部長室
【骨髄献血の和を広げる会】TEL 0773-27-7693 FAX兼用
〒620-0855
京都府福知山市土師新町3-121 藤岡方
【大阪骨髄献血の和を広げる会】TEL 06-6349-2002 FAX兼用
〒566-0046
大阪府摂津市別府1-11-15
佐竹方
【神戸骨髄献血の和を広げる会】TEL 078-742-3546
〒654-0131
兵庫県神戸市須磨区横尾7-1-1-84-303
FAX兼用
伴方
【姫路地区骨髄バンク推進センター】TEL 0792-98-9446
〒670-0995
FAX 0792-95-7889
姫路市土山東の町9-15 姫路YMCA内
【和歌山骨髄献血の和を広げる会】TEL 0734-51-9528 FAX兼用
〒640-0113
和歌山市本脇558-4
貴志方
【京都骨髄ドナ−を募る会】TEL 075-752-3579 FAX 075-752-3593
〒606-8357
京都市左京区聖護院蓮華蔵町8-202 古田司法書士事務所
【滋賀骨髄献血の和を広げる会】TEL 0748-83-0259 FAX兼用
〒529-8357
甲賀郡信楽町勅旨2202 神山方
◆なかよし会 TEL 075-603-3327 FAX兼用
〒612-8455
京都市伏見区中島外山町30
中津方
◆しまね骨髄バンクを支援する会 TEL 0853-22-3700 FAX 0853-22-3701
〒693-0023 島根県出雲市塩冶有原町1-44 いずもネットワークセンター
◆骨髄バンクを支援する山口の会 TEL 0836-32-4020
〒755-0026
◆鳥取県骨髄バンクを支援する会 TEL 0857-53-0802
〒680-1176
FAX 0836-33-2084
山口県宇部市松山町1丁目2-16 猶方
FAX兼用
鳥取市有富414 坂本方
◆愛媛「骨髄バンク」を支援する会 TEL 089-978-5179 FAX 089-978-6120
〒799-2651
愛媛県松山市堀江町甲697-24 渡辺方
◆高知県骨髄バンク推進協議会 TEL 0888-23-2035 FAX兼用
〒780-0862
高知市鷹匠町1丁目1-5 岡宗眼科内
◆九州骨髄バンク推進連絡会議 TEL 092-733-9373
〒810-0001
福岡県福岡市中央区天神5-3-1
FAX 092-732-5243
福岡県天神赤十字血液センター気付
【宮崎支部】TEL 0983-32-2449
〒844-0102
児湯郡木城町大字椎木1807-2 松清方
◆九州骨髄バンク推進連絡会議佐賀支部 TEL 0952-30-2864
〒849-0917
佐賀市高木瀬町長瀬850
FAX兼用
幟持方
◆長崎県骨髄バンク推進連絡会議 TEL 0957-24-1388
〒854-0007
諫早市目代町2057-6 西村方
◆九州骨髄バンク推進連絡会議熊本支部 TEL 096-358-5842 FAX兼用
〒861-4111
熊本市合志町115-2 坂田方
◆大分支部骨髄バンク推進連絡会議 TEL 097-545-2157 FAX兼用
〒870-0854
大分市花園19-4 リバーサイド86-708
◆かごしま骨髄バンク推進連絡会議 TEL 099-224-7436 FAX 099-224-6036
〒892-0822
鹿児島市泉町13-5照国ビル301
◆沖縄県骨髄バンクを支援する会 TEL 098-866-0881 FAX兼用
〒900-0002
那覇市曙3-11-1-804号 上江洲方
◆再生つばさの会 TEL 0467-32-0886 FAX兼用
〒248-0027
神奈川県鎌倉市笛田1185-1-106
関方
◆北海道骨髄バンク推進協会 TEL 011-846-1730 FAX 011-232-5734
〒060-0042
北海道札幌市中央区大通西6丁目 北海道医師会館6階
【帯広支部】TEL 0155-23-1511
FAX 0155-23-5507
〒080-0801 北海道帯広市東1条南8丁目 勝毎ビル4F
◆苫小牧骨髄バンク推進会 TEL 0144-75-7661 FAX兼用
〒053-0811 北海道苫小牧市光洋町3-13-2
学校法人原学園苫小牧中央高等学校内
◆釧路骨髄バンク推進協会 TEL 0154-41-7292 FAX兼用
〒085-0841
北海道釧路市南大通5丁目1-1シーサイドハイツ401号
◆青森県骨髄バンク推進協議会 TEL 0177-74-1221 FAX 0177-74-2981
〒030-0821
青森県青森市勝田1-19-13
根井方
◆秋田県骨髄提供者を募る会 TEL 0184-24-0770
〒015-0001
FAX兼用
秋田県本荘市出戸町字御門288-1
◆岩手県骨髄バンク推進協議会 TEL 0196-22-9626 FAX 0196-22-6546
〒020-0823
岩手県盛岡市門1-5-50ドラッグトマト本部内 ◆宮城骨髄バンク登録推進協議会 TEL 022-211-8381 FAX 022-211-8850
〒980-0801
宮城県仙台市青葉区木町通1-8-18 田村ビル5階
◆骨髄バンクを支援するやまがたの会 TEL 0236-32-7016 FAX兼用
〒990-0037
山形市八日町一丁目3-45 小野寺方
◆福島県骨髄バンク推進連絡協議会 TEL 0246-36-8343
〒970-1146
FAX 0246-36-3538
福島県いわき市好間町榊小屋字小畑133-3 (株)邑建築事務所内
【郡山支部】TEL 0249-44-5762 FAX兼用
〒963-0725
郡山市田村町金屋字上川原129-1坂本方
【いわき支部】TEL 0246-26-3151
〒973-8402いわき市内郷御厩町久世原16いわき市立総合磐城共立病院成分輸血室内
【会津支部】TEL 0242-27-7028
〒965-0826 会津若松市門田町大字御山字村中334-1 青木方
【県北支部】TEL 024-558-4040 FAX兼用
〒960-1102
福島市永井川字古内26-7 斉藤方
【県南支部】TEL 0247-36-4646 FAX兼用
〒963-6200 石川郡浅川町大字大明塚6-1(花月庭園内)
◆にいがた、骨髄バンクを育てる会 TEL 025-233-5963 FAX 025-230-6976
〒951-8131
新潟県新潟市白山浦2丁目203
◆つばさの会(長野) TEL 0268-88-2998
〒386-0701
FAX兼用
長野県小県郡和田村583 斎藤方
◆茨城県骨髄バンクを広める会 TEL 090-8306-7111
〒311-1415
茨城県鹿島郡旭村造谷605
FAX 0291-37-1425
くるみ屋内
◆とちぎ骨髄バンクを広める会 TEL 0285-45-1565 FAX兼用
〒329-0212
栃木県小山市平和172-8
栗本方
◆群馬県骨髄バンク推進連絡協議会 TEL 027-224-6618 FAX兼用
〒371-0014 群馬県前橋市朝日町3-21-36前橋赤十字病院内
◆埼玉骨髄バンク推進連絡会 TEL 0480-21-6622
〒346-0007
埼玉県久喜市北2-1-60-203
FAX兼用
秋山方
◆千葉骨髄バンク推進連絡会 TEL 047-346-8633
〒271-0044
FAX兼用
千葉県松戸市西馬橋3-41-10 田中方
◆公的骨髄バンクを支援する東京の会 TEL 03-3354-6377
〒160-0005
FAX 03-3357-1459
東京都新宿区愛住町23-1Woody21-8F
◆骨髄バンクを支える友の会 TEL 03-3967-0633 FAX 03-3960-1111
〒174-0071
東京都板橋区常盤台3-24-2 たつの子保育園内
◆神奈川骨髄移植を考える会 TEL 0463-21-0010 FAX 0463-21-0264
〒254-0042
神奈川県平塚市明石町1-5
水嶋方
◆静岡骨髄バンクを推進する会 TEL 054-271-8480
〒420-0856
静岡県静岡市駿府町1-70
FAX 054-271-4158
静岡県総合社会福祉会館内
◆骨髄バンクを支援する愛知の会 TEL 052-323-9199 FAX兼用
〒460-0024
愛知県名古屋市中区正木3-13-8 山田ビル702号
■全国骨髄バンク推進連絡協議会
〒160-0005
東京都新宿区愛住町23-1
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Woody21-9F