筑 豊 学 深 町 純 亮 序 章 「筑豊」の語源と地理的概念 一、「筑豊」は石炭から生まれた 1.明治18年11月「筑前国豊前国石炭坑業人組合」発足 同 26年11月「筑豊石炭鉱業組合」と改称 2.明治19年 1月「筑豊五郡川艜同業組合」設立 3.明治21年 6月「筑豊興業鉄道」創立 4.わが国唯一の例外地域呼称「筑豊」 5.「筑豊」は石炭を中心とした等質地域、単なる地理的区分ではなく、経済的、歴史 的な地域概念 6.「筑豊炭田」以前の呼称は「筑前豊前二州の炭田」「豊筑五郡煤田」 〔付〕「人国記〔各地の人情・風俗・地理などを国別に記した書。二巻、元禄14年刊〕」に よる筑前・豊前人の気質 筑前人「飾り多くして人々各々の所なり。勇も一応は勤むれど飾る風ゆえ終に何事も成就 せず。但し九州には珍しき華奢な国なり」 豊前人「曲馬〔くせうま〕の如し。真実定まりたる勇気なし。一旦の怒りに命を捨つる者はあ れど、理に心を用ゆる人なし」 -1- 二、筑豊の地理的区域とその変遷 1.「筑豊」現出の当初は、遠賀郡〔八幡村、戸畑村、若松村を含む〕・鞍手郡・ 嘉麻郡・穂波郡・田川郡のエリア 2.明治29年の郡の統合により嘉麻・穂波郡は「嘉穂郡」となる 3.北九州都市圏の形成と筑豊からの分離 4.現在の筑豊は、5市〔直方、宮若、飯塚、嘉麻、田川〕 3郡〔鞍手、嘉穂、田川〕 9 町〔鞍手、小竹、桂川、糸田、福智、香春、川崎、大任、添田〕 1村〔赤〕 5.明治22年の「市制・町村制」施行後の筑豊自治体の変遷 ・・・別表1、2参照 三、筑豊の総面積 984㎢〔福岡県4,954㎢ の 18.4%〕 四、人口の推移 年 別 明治25年 筑 豊 (人) 県 (人) 筑豊/県 164,264 1,264,847 13.0 30 186,099 1,284,137 14.5 34 236,339 1,542,112 15.3 39 246,598 1,643,826 15.0 1 305,240 1,853,680 16.5 昭和10 404,008 2,755,804 14.7 24 695,557 3,312,577 21.0 39 727,872 4,001,448 18.2 55 642,038 4,553,461 14.1 5 484,754 4,882,450 10.0 17 450,107 5,049,110 8.9 大正 平成 -2- % 第一章 日本の夜明けは筑豊から 一、考古学の宝庫 筑豊 二、「魏志倭人伝」と筑豊 魏志倭人伝【3世紀ころの日本に関する中国側の文献。晋の陳寿(232~297)が選ん だ『三国志』の一部】で「不彌国」に比定される遠賀川流域の一帯。 「不彌国」についての原文の口語訳『(奴国から)東、不彌国に至るのに百里。長官を多 模、次官を卑奴母離という。千余戸がある』 三、遠賀式土器 弥生時代研究に大きな役割を果たす「遠賀式土器」は遠賀郡水巻町の立屋敷遺跡で、 昭和 6 年、地元の研究者 名和羊一郎によって発見された。この地からの出土品は縄文時 代のものとは截然たる差があり、文様も簡素、土器肉が薄い弥生前期を代表するものとなっ ていて、その分布は遠く伊勢湾一帯にまで及ぶ。 四、立岩遺跡 発見の端緒は、昭和 8 年飯塚市営球場造成工事。青銅器の鋳型や稲作作業を証明す る大量の石包丁が発見され、昭和 38 年からの本格的調査で、前漢鏡 10 面、鉄戈(てっか)、 鉄剣、鉄矛(てつほこ)、刀子(とうす)、鉇(やりがんな)、ガラス玉、管玉、完全な男性人骨などが 出土、学界の注目を集めた。飯塚市歴史資料館には、これら 108 点が国指定の重要文化 財として収蔵される。 -3- 五、豊富な古墳群 1、 装飾古墳 王塚古墳〔桂川町寿命〕 全長 82、幅 50 メートルの前方後円墳。昭和 9 年発見。石室内部には彩色が施され、 馬、楯(たて)、靭(ゆき)、のほか、幾何学的文様が全面に描かれている。国の特別史跡に 指定され、「特別」がつく装飾古墳は奈良の高松塚古墳とキトラ古墳の二つがあるだけ。 平成6年「王塚装飾古墳館」完成、古墳内部が忠実に再現展示されている。 竹原古墳〔宮若市竹原〕 経 27、高さ 5 メートルの円墳、全国的にも代表的な古墳。石室には彩色の馬、龍、 人物、船、翳(さしば)などが描かれ、王塚と同じく6世紀なかばの造営と思われる。 2、その他著名古墳 剣塚古墳(旧若宮町) 川島古墳(飯塚市) 忠隈古墳(旧穂波町) 沖出古墳(旧稲築町) 位登古墳(田川市) セスドノ古墳(同) など 六、鹿毛馬神籠石〔かけのうまこうごいし〕 旧頴田町鹿毛馬の丘陵に一辺70センチほどの切石が整然と一列に並ぶ。西方の谷 間には水門跡がある。造営目的では説が分かれ、山城説、牧場説、霊域説などがある。 山城説:岩波書店「広辞苑」 『日本古代の山城の遺跡。北九州と中国・四国に12ヶ所が 知られる。丘陵の8合目位に切石で列石をめぐらし、谷間には水門のある石壁があ る。門址のあるものもある。』現在最も有力な説。 牧場説:「筑前国続風土記」 『いにしへ馬牧有りし所あり。四方に石垣を築廻はせり。めぐ り20町ばかりあり。この牧より鹿毛の良馬出し事有て、村の名とせしにか』 その他: -4- 第二章 一、 筑豊の神話と伝説 神武天皇伝説 イ.古事記 (中巻) 「神倭伊波礼毘古命(かみいわれひこのみこと) 宇沙(うさ)より遷移(うつ)らして筑紫 の岡田宮に一年座(ま)しましき」 ロ.日本書紀 (巻三) 「丙戌 (ひのえいぬ、皇紀 649 年、BC11 年)十一月、天皇筑紫国の崗水門(をかの みなと)に至り給ふ」 ハ.地元の伝説 ・ 勝負坂(旌忠公園下) ・ 立岩の地名の元の巨石(熊野神社境内奥) ・ 烏尾峠と咫烏(やたがらす) 注)八咫(やあた)は上代の長さの単位。咫(あた)は手のひらの下端から中指の 先端までの長さで、その 8 倍が八咫となる。 ・ 「皇祖神社(飯塚市鯰田)社伝」によると、神武天皇東征の折、鷹羽(たがわ)より烏 尾峠を越えて佐与(旧頴田町)に来たとき病にかかられ、病が癒えて鹿毛馬、目尾 (しゃかのお)を経て沼田に至り皇祖諸神を祀られた。沼田はのち転訛して鯰田と なったとされる。 二、 神功皇后伝説 イ.古事記 (中巻) 【息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)が新羅親征から筑紫国に戻って】「御 子は生(あ)れましける。故(かれ)其の御子を生みたまえる地を宇美と謂(なづ)けける」 ロ.日本書紀 (巻九) 「皇后新羅より還りたまふ。十二月戊戌(つちのといぬ 皇紀 860 年 西暦 200 年) 誉田(ほむた)天皇を筑紫に生みます。故(か)れ時人其の産(みう)ぶ処を號(なづ)けて 宇弥(うみ)といふ」 ハ.地元の伝説 ・ ショーヶ越~大分~旧筑穂町大野の神功皇后腰掛け石~飯塚~負立八幡(飯 -5- 塚市柏の森)~笠松峠~綱別(綱分、旧庄内町) ・ 「納祖八幡縁起」神功皇后が三韓出兵からの帰途納祖八幡の地に立ち寄られ、 従軍の将兵をここから帰した。その別れにに際し「何日可逢(いつかあうべし)」と 再会の日を誓い別れを惜しまれたということから「いつか」の地名が生まれた。 ニ.穂波の地名のおこり 三韓を征しての帰途、大分から大山に移ったとき、秋の田の稲を刈り穂を揃えた 上に休み「我モ亦船ノ帆並ヲ揃テ異国二勝タリ」といった。 また、皇后が現穂波の地を通ったとき、稲が実って風にそよいでいるのを見て 「よき穂波かな」といったことが地名のおこり(福岡県地理全誌)。 ホ.鞍手の郡名のおこり 皇后が倉久村(旧笠松村)に休憩したとき、馬の鞍を楠に掛けて香椎宮に赴いた が、その鞍が朽ちたことから鞍手の地名となった(地理全誌)。 第三章 古代官道と行き交う万葉びと 一、 古代九州国道第一号線 大宰府~米ノ山峠~伏 見(旧穂波町高田付 近 ) ~三 緒~ 綱 別(旧 庄内町綱分)~鷹羽 ( 田 河) ~香 春 ~仲哀 峠~豊津~宇佐 二、 国郡里制 大化改新後の律令国 家では、全国を直接に 統 治 する た め 国、 郡、 里3段階の行政区画に 編成し、国には国司を 朝廷か ら派遣し 、 郡に は郡司を現地の国造(く にのみやつこ)級の豪族から任命し、里には現地の村落の有力者を任命。 -6- 国と郡とはおおむね自然的歴史的区画に拠ったので規模は一定しないが、里は50 戸で一里と画一的に編成した純然たる行政村落。 霊亀元年(715年)里を郷と改め、郷をさらに2~3の里に分割し、新たに郷長、里正 を任じて国・郡・郷・里の4段階とした。天平12年(740年)に制度廃止。 三、 屯倉(みやけ) 朝廷の直轄領から収穫した稲米を蓄積した倉を屯倉といい、転じて朝廷の直轄領と なる。安閑天皇2年(535年)に多く設置され、「鎌」「穂波」の屯倉も発足。 和銅6年(713年)「郡名を好字2字とせよ」の達示により「鎌」を「嘉麻」と改めた。 四、 「和名抄」に残る筑豊の郷名 嘉麻郡: 草壁 三緒 大村 綱別 馬見 碓井 穂波郡: 三坂 薦田 土師 堅盤(かたしま) 穂波 鞍手郡: 金生 二田(ふたた) 生見 十市 新分 粥田 田川郡: 香春 雉恰 位登(いと) 城田(きた) 注)「和名抄」わが国最初の分類体の漢和辞典 承平年中(931~938年)醍醐天皇の 命により撰進 五、 遠賀川水運と陸路の結節点 飯塚 六、 筑豊の万葉の歌人たち 1) 大伴旅人 天智4~天平3年(665~731)、大伴安麻呂の子。物部(もののべ)氏と共に代々武 門の家。 和銅3年(710)左将軍、養老2年(718)中納言、同4年(720)征隼人持節大将軍、 神亀4年(727)大宰帥、天平2年(730)大納言となって帰京、翌3年67歳で没。 妻は大伴郎女(いらつめ)太宰府で死去。大友家持(やかもち)はその子。 「鞍手郡誌」に旅人らが脇田温泉で遊んだとある。 飯塚市内に旅人の歌碑2基 験(しるし)なき ものを思はずは 一杯(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (飯塚市歴史資料館前庭) -7- 我が苑に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも (中の島公園) 2)山上憶良 天智朝の亡命渡来人、侍医 憶仁の子。大宝元年(701)遣唐使少録となり慶雲元年 帰国。 霊亀2年(716)伯耆守。神亀3年(726)筑前国主。 大宰帥の旅人と交友深く、大宰府を中心に歌壇を形成。 天平4年(732)帰京、翌5年74歳で没。 万葉集には78首(長歌11、短歌66、旋頭歌1)がある。 「神亀5年7月21日嘉摩郡にて選定す」(原文のまま)とある3首が有名。 『惑へる情(こころ)を反さしむる歌』 『子らを思(しの)へる歌』 『世間(よのなか)の住(とどまり)難きを哀(かな)しびたる歌』 士(おのこ)やも 空しくあるべき 万代に 語り続(つ)ぐべき名は立てずして (飯塚市歴史資料館前庭) 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝子に及(し)かめやも (中の島公園) 3)河内王(かわちのおおきみ) 持統天皇3年(689)大宰帥、同8年(694)職を解かれ、帰京の途中豊前国香春で死 去。鏡山に葬り、その陵墓は現存。 万葉集巻三に「河内王を豊前国の鏡の山に葬(はふ)りし時、手持女王(たもちのお おきみ)の作れる歌三首」がある。 王(おおきみ)の親魄(むつたま)相(あ)へか豊国の鏡の山を宮と定むる 豊国の鏡の山の石戸立て隠(こも)りにけらし待てど来まさぬ 石戸(いわと)破(わ)る手力もがも手弱き女(をみな)しあればすべの知らなく 4)その他筑豊の固有名詞を含む歌 豊国の香春は吾宅(わぎへ)紐児(ひものこ)にいつがり居れば香春は吾家(わぎへ) -8- 第四章 一、 中世の学園都市飯塚 龍王山麓に連なる法灯 1.上古以来、寺院は初等教育(寺子屋)から最高学府に至る教育の場であった。 2.旧鎮西村に残る寺のつく地名(一大仏教文化繁栄の地) イ.明星寺 天台宗比叡山の末寺平寿山妙覚院が衰退、浄土宗鎮西派の始祖聖光上人が比 叡山留学ののち、建久 8(1197)年三層塔婆を含む伽藍群を再建。貝原益軒の続 風土記に「今は虚空蔵堂、地蔵堂、石段だけが残る」とあり、元亨2(1322)年 の年号を刻んだ法橋琳朝石卒都婆と明星池からみつかった滑石刻真言の二つ が県指定文化財。 *虚空蔵堂は平成5年に再建 *飯塚の地名の起こりと明星寺 ロ.大日寺 神功皇后が大直日神を祀ったことから大日(おおひ)村といっていたのを聖光上人 明星寺建立の際、大日寺と改称。伊藤常足『太宰管内志』には寺跡があり、「2尺余 の大日如来像が残る」と記す。 ハ.建花寺(けんげいじ) 明星寺の末寺。同村の堂園にある観音堂の観音像は昔の建花寺の本尊といわれ る。 ニ.蓮台寺 同じく明星寺の末寺。現在ある浄土宗光明寺は西本願寺派。 ホ.舎利蔵 昔、舎利蔵寺があったことによる地名。龍王山は舎利蔵山ともいう。 「舎利」は仏陀又は聖者の遺骨。塔に納めて供養。 -9- 二、 中世の筑豊地方 1.「中世」とは 鎌倉幕府の成立 建久3(1192)年から江戸幕府の確立 慶長8(1603)年までの 411 年間。鎌倉時代、南北朝時代、室町時代(足利時代)、戦国時代、安土桃山時代(織豊 時代)に区分される。 2.中世における筑豊地域の主要事項 イ. 英彦山修験道の盛衰 ロ. 荘園の変遷 ハ. 建長1(1249)年.嘉麻郡稲築「山野の楽」宇佐八幡宮より伝来(県無形文化財) ニ. 文永8(1271)年.僧妙道、五百羅漢を嘉麻郡山野 若八幡宮に奉納(現存) ホ. 元徳3(1331)年.穂波郡土師の老松神社再建 獅子舞始まる(県無形文化財) ヘ. 歴応4(1341)年.東大寺領碓井荘の年貢米船、瀬戸内海で海賊船と戦う。 ト. 同年.足利尊氏 筑前景福寺に寺領を寄進.筑前安国寺とする。 チ.天文20(1551)年.占部宗安、笠木城築城(天正 17 年秀吉により落城) リ. 八木山合戦、天正9(1581)年. ヌ. 大隈(益富城)の一夜城 ル. 慶長5(1600)年.黒田長政 筑前領主となり、飯塚太養院に宿泊し、八木山を経て 博多に向かう。後藤又兵衛 大隈城を築城。 第五章 文明のシルクロード 一、 道の歴史 1.代表的な古官道 山辺(やまのべ)の道 熊野古道 2.延喜式道 延喜式(927 年)による大路・小路制。30 里に 1 駅.駅に馬 5 匹.駅鈴 - 10 - 3.九州の古道(大宰府道) 田川路 肥前路 豊後日向路 大隅路 4.中世の道路 イ.運送業・行商の発達 ロ.芸能・文芸・工芸の発展(連歌師・遊芸人・絵師・職人の往来) ハ.戦国大名による領内の道路整備 ニ.信長による楽市楽座、関所廃止、道普請、並木、一里塚など ホ.秀吉による荘園の廃止、太閤路の整備 5.江戸時代 イ.本街道 ロ.脇街道 ハ.間道 ニ.五街道 東海道、中仙道、甲州街道、日光街道、奥州街道 二、 多種多様な旅日記、紀行文 代表例として、司馬江漢の「西遊記」 吉田松陰の「西遊日記」(別紙) 三、 長崎街道 1.近世九州の国道第 1 号線 2.全行程図 - 11 - 3.異国文化の情報ルート、文明のシルクロード 4.著名人、文人墨客、商人の往来 5.シュガーロード 6.その起点と終点 四、 筑前六宿 1.筑前六宿とは 長崎街道 25 宿のうち筑前領内の六つの宿駅 黒崎 ・ 木屋瀬 ・ 飯塚 ・ 内野 ・ 山家 ・ 原田 を「筑前六宿」と総称 2.各駅間の距離 3.筑前六宿の完成 4.筑前六宿を辿る イ.黒崎 公的遺跡存在せず。東西の構口間9丁20間の中に郡屋.代官所.人馬継所. 本陣.脇本陣.旅籠20軒余.長崎街道と海路の結節点. 曲里(まがり)の松並木.600 米が整備され両側に 600 本の松.江戸期からの松は このうち4本のみ。石坂の銀杏屋敷(天保6.1836 年に再建.大名の休息所) - 12 - ロ.木屋瀬 六宿中、最も多くの遺跡遺構、西構口の石垣、「従是右赤間口、左飯塚口」の追分 石(元文3.1739 年建立)、本陣門(現永源寺の裏門)。矢止め方式の街道、東西構 口の間 1,100 米に家並。川艜の2割は木屋瀬の舟。業者46人、船頭654人は川筋 最大(川筋気質の源流)。 木屋瀬郷土資料館 平成13年開館。 伊馬春部の生家(旧高崎家住宅) ハ.直方 長政の四男 高政による元和9(1623)年東蓮寺藩 4 万石成立.4代長清の元禄元 (1688)年 5 万石となり、御館山に居館.5 代継高本藩 52 万石の当主となり、97 年間 の城下町終焉.廃藩後陳情を続け、享保21(1736)年、古町~新町を通るルートが 長崎街道となる。多賀神社と日若踊り。 ニ.小竹 東蓮寺藩 30 ケ村中最大の村。大名の「小休み所」現存。「従是北鞍手郡」の郡界 石。長藪騒動 ホ.飯塚 六宿中最大.「筑前国続風土記」に 「上方より西南諸州往来の宿駅あり.国中の郷 里にて民家多きこと姪浜、甘木に次げり。芦屋川の上なる故、川舟多く、運漕の便よ くして海味も乏しからず、富人も又すこぶるありて、にぎはえる所也」 東西構口間 650 米が本町商店街、下の茶屋、関屋、問屋場、馬継所、中の茶屋などの宿場施設 が集中。宝月楼と文人墨客。六宿中唯一、遺跡遺構が何一つ残らない宿場。 ヘ.内野 慶長17(1612)年、母里但馬守によって開かれ、母里氏大隈移封ののち内野太郎 左衛門が宿場建設。南北の構口間を結ぶ中央部から直角に太宰府道の三叉路の 宿場町。近世の街並みが良く保存されている(肥前屋、長崎屋など)。 内野葛粉. 山口村の筑前茜染 ト.冷水峠 九州の箱根 2里20丁(約10キロ)の天険。内野側から母里但馬守が黒田長政の 命で内野太郎左衛門の協力により、山家側から桐山丹波の家臣 志方彦太夫に よって、慶長年間に開削。今に残る石畳道。「筑前国続風土記」による峠名の由来。 「内野より御笠郡山家に越ゆる峰より東の方2町ばかり山間に冷水の出る所あり。 その側に石仏あり。是れ内野村の境界なり。この冷水あるによりて其の峰を冷水越と 云」 *首なし地蔵の伝承説話 - 13 - チ.山家 宿場完成は内野宿とほぼ同じ。宿駅の南端に「右肥後薩摩道 左豊後日田道」の 標石.文化4(1807)年、山家宿問屋によって建立。 昭和 5 年、西構口跡に福岡県が建てた標識版「六宿駅は西国大名或いは長崎奉 行の通行する道路の宿駅たるを以て往来頻繁なり。六宿には御茶屋(本陣)町茶屋 (脇本陣)等あり。宿駅には何れもその両端に石垣を築き、街道を直角に短き壁を設 け、之を構口と称す。今構口の残れるもの甚だ稀なり」 *現存する郡屋土蔵 *比翼連理塚(不倫の仇討)の由来 リ.原田 筑後国小郡と肥前国基山に接する国境の宿駅。「筑前国続風土記」に 「肥前国田 代に通る宿場なり。この宿の西 9 丁に肥前、筑後、筑前三ヶ国の境、大路の東小山に あり。三箇国境と云」 [付] 筑前21宿(除筑前六宿) 1.唐津街道(内宿通り) 小倉・若松・芦屋・赤間・畦町・青柳・博多・姪浜・今宿・前原 (深江へ) 11 宿 2.秋月街道 (豊前猪膝) 大隈・秋月 (筑後松崎へ) 2宿 3.日田街道 (博多) 二日市・宰府・甘木・志波・久喜宮 (豊後日田へ) 5宿 4.篠栗街道 (博多) 金出 (飯塚へ) 1宿 5.三瀬街道 (博多) 金武 ・ 飯場 (肥前三瀬へ) 2宿 合計 - 14 - 21 宿 第六章 「燃ゆる石」の発見 一、 石炭とは 石炭とは過去の植物体が埋積し、その後地中に埋没、いろいろの分解作用や地熱、圧 力などによる変質作用を受けて生成した一種の可燃性岩石をいう。 二、 石炭の生成年代 古生代の石炭紀(約2億9,000万年前) 二畳紀(約2億年前) 中生代の三畳紀、ジュラ紀(約1億8,000万年前) 新生代の第三紀(約5,500万年前) わが国の石炭はほとんど第三紀のもので、メタセコイヤ(別名アケボノ杉)が石炭の木と いわれる。 三、 石炭の発見 1.「日本書紀」天智天皇7(668)年「越国、燃土ト燃水ヲ献ズ」 2.醍醐天皇のとき「石膽、備中国ヨリ出ヅ」(深根輔仁「本草和名」) 3.文明元(1469)年 三池郡稲荷村伝治左衛門、稲荷山で燃える石発見(安政 6 年 「石炭由来記」) 4.文明10(1478)年 遠賀郡香月村々民、畑山金剛山で燃える石発見、畑城主杉七郎 太夫 篝火に利用(元禄元年「横谷貞明記」) 5.貞亨4(1687)年「金田手永銀小物成鑑」に田川郡宮尾、金田、後藤寺、弓削田の間 歩(まぶ)で炭坑税徴収の記録 - 15 - 6.ケンペル(オランダのカピタン)の参府紀行(元禄 4・5=1691・2年)に筑前木屋瀬の石 炭と炭坑についての記述 7.「筑前国続風土記」(貝原益軒、元禄16=1703年) 「燃石、遠賀郡、鞍手郡、嘉麻、穂波、宗像郡の中、所々山野にこれあり。村民是を掘 りて薪に代わり用ゆ。遠賀、鞍手殊に多し、頃年粕屋郡の山にても掘る。烟多く臭悪しと いえどもよく燃えて火久しくあり。水風呂の釜にたきて尤(もっとも)よし。民用に便あり、 薪無き里に多し。是造化自然の助けなり」 8.天明8年.司馬江漢の「西遊日記」の記述(本講第五章で既述) 9.世界の発見史 イギリス:炭層中に石斧発見、石器時代から採炭? 1239年(鎌倉中期の延応元年)ヘンリー3世のときニューキャッスル地方に 採炭許可 フランス:約2,000年前、ル・クルーゾー地方で石炭発見 アメリカ:1760年(江戸中期宝暦10年、9代家重時代)ヴァージニア州で魚釣りの餌を 掘っていた少年が発見 中 国:約3,000年前から陶器の焼成に使用。磁器の製造と石炭 四、 産業革命と石炭、工業化社会の現出 1.ワットの蒸気機関発明(明和6=1769年) 2.フルトンの蒸気船発明(亨和3=1803年) 3.スティブンソンの蒸気機関車の発明(文化11=1814年) ※アメリカ大陸横断鉄道全通(明治2=1869年) - 16 - 五、 江戸期の石炭業 1.原始的人力採炭(狸掘り) 2.販路は主として瀬戸内の製塩業 3.遠賀川の水運と川ひらた(五平太舟) 4.堀川運河の開削 5.黒田藩、小笠原藩による石炭統制と「仕組法」 「仕組法」:天保12年(1841)年、松本平内の献策により黒田藩で制定 石炭採掘の権利を郡奉行に委ね、焚石会所を芦屋、若松に設け、藩役人の監督の下 に採炭、運炭、販売の何れも特許制にするもの。諸費用を差し引いた純益は藩庫に収 めた(年間約2,000両) 小笠原藩では 赤池に会所を置き 同様の管理運営を行った。 第七章 筑豊の文明開化は石炭から 一、 鉱山解放令 明治2(1869)年 太政官布告177号「鉱山開拓の儀は、その地居住者共の故障無之 候はば、その支配の府藩県へ願の上掘出不苦候」 二、 鉱山心得書 明治5(1872)年 太政官布告100号「鉱山はすべて政府の所有とし、開採権のみ認る」 三、 日本坑法 明治6(1873)年 太政官布告259号本邦初の成文鉱業法、鉱区の借区制度実施。 明治23年の「鉱業条例」までを「日本坑法時代」という。 - 17 - 四、 零細業者の乱立 明治6(1873)年、筑豊の坑数341、一坑当り従業員数9人、年間出炭217トン 五、 坑内排水と杉山徳三郎 明治14(1881)年、目尾で蒸気ポンプ導入に成功 六、 筑豊石炭鉱業組合結成 明治18(1885)年、筑豊5郡の坑業人組合の統一により成立。日本最大、最古の同業 組合(本部直方) 七、 筑豊五郡川艜 同業組合設立 明治19(1886)年、若松に設置。郡別艘数:嘉麻・穂波770、 田川750、 鞍手720、 遠賀330、予備400 合計2,970 八、 筑豊興業鉄道会社の創立(明治22年)と鉄道網の発達 [明治21年 筑豊五郡採炭量] 遠賀 100,236 トン 鞍手 604,000 嘉麻 80,220 穂波 86,880 田川 96,018 総計 967,354 トン - 18 - 第八章 筑豊炭田百年の光芒 一、 人力採炭から汽力採炭へ 二、 筑豊御三家(その生涯と業績) 1.貝島太助 2.安川敬一郎 3.麻生太吉 三、 中央資本の進出 三菱: 新入(明治22) 鯰田(明治22) 上山田(明治23) 方城(明治28) 飯塚(大正13) 住友: 忠隈(明治27) 古河: 下山田(明治27) 三井: 田川(明治33) 目尾(明治29) 山野(明治29) 四、 遠賀川改修工事 五、 筑豊炭田の中央工場 ・ 幸袋工作所 六、 官営八幡製鉄所創業 - 19 - 大峰・峰地(昭和13) 本洞(明治34) 七、 筑豊鉱山学校と明治専門学校 八、 戦時中の炭鉱(15 年戦争から敗戦まで) 九、 焦土と瓦礫の中から(傾斜生産と炭鉱国管) 十、 炭鉱における労働運動(六三ストと三池争議) 十一、 エネルギー革命 十二、 石炭六法 十三、 筑豊炭田の終焉 昭和34 日炭山田 35 麻生綱分 36 住友忠隈 日鉄潤野 三菱飯塚 古河峰地 37 古河大峰 三菱上山田 三菱方城 38 日鉄二瀬 麻生赤坂 三井山野 三菱新入 39 三井田川 大正中鶴 40 明治赤池 麻生上三緒 41 三菱鯰田 44 明治平山 麻生吉隈 古河目尾 45 古河下山田 日鉄嘉穂 48 貝島大之浦 - 20 - 参 考 資 料 No. 1 明治30年 筑豊炭田の炭坑一覧 炭 坑 名 経営者(坑主) 借区面積,坪 日 産,トン 鉱 夫 数 (坑内) ,人 第一大辻 長津村中間 貝島 太助 759,200 360 570 第二新手 長津村中間 谷茂平 九州炭坑㈱ 305,294 132 360 29,260 84 150 中西七太郎 137,350 60 130 底井野村下大隈 石井 儀三 104,000 18 20 第一大隈 遠 所 在 地 第二大隈 新 大 隈 底井野村下大隈 中西七太郎 香月村楠橋 長 津 長津村中間 仰木豊太郎 88,857 貴 船 長津本村 仰木 弘道 61,355 第二大辻,香月 香月村香月 貝島 太助 870.602 180 300 第三大辻,中間 長津村中間 貝島 太助 376,054 48 100 30 50 150 開 坑 中 開 坑 中 坪内中間 長津村中間 坪内 安久 238,430 鳳凰炭坑 長津村中間 反保市次郎 367,785 吉 田 水巻村吉田 島津 孫六 340,000 鯉 口 水巻村吉田 下沢善四郎 69,000 野 添 水巻村吉田 下沢善四郎 多 賀 野 水巻村杁 飯野 又七 108,150 120 200 深 坂 長津村中間 千住 喜作 71,605 60 100 馬場山香月 香月村馬場山 中野 政吉 12,230 42 200 長 浦 香月村馬場山 境田 サク 96,022 48 150 高 江 香月村楠橋 中西七太郎 264535の内 ( 緑 香月村楠橋 中西七太郎 264535の内 24 80 28 黒 川 香月村楠橋 蔵内次郎作 113,342 42 50 坑 岩 崎 長津村中間 岩崎久米吉 48,696 42 100 ) 頃 末 水巻村頃末 下沢善四郎 323,202 朝 日 水巻村頃末 橋口 伊助 74,772 36 120 福 好 水巻村古賀 長谷川芳之助 42,210 30 70 大 君 山鹿村高須 春田 惟 316,976 42 75 日 の 出 矢矧村戸切 吉田 千足 53,600 新 立 矢矧村戸切 村田 恒夫 26,030 賀 郡 - 21 - 開 坑 中 72 100 200 開 坑 中 30 開 坑 中 40 開 坑 中 復 旧 中 復 旧 中 30 - 73 - 100 備 考 No. 2 炭 坑 名 所 在 地 経営者(坑主) 借区面積,坪 日 産,トン 鉱 夫 数 (坑内) ,人 1,836,037 666 2,289 291,381 240 430 20 30 683,298 336 590 貝島 太助 532,596 60 85 勝野村勝野 古河市兵衛 387,324 240 429 日 焼 下堺村日焼 秋田鍬三郎 100,410 120 260 藤 棚 下堺村中泉 長谷川芳之助 372,151 300 610 赤 池 勝野村赤池 長綱 好勝 54,100 87 88 御徳鷹取鉱山 勝野村御徳 占部 三折 136,000 鴻 の 巣 勝野村御徳 占部 三折 鷹取鉱山の内 御 徳 勝野村御徳 占部 三折 146,000 96 150 第一大之浦 桐 野 笠松村四郎丸 貝島 太助 852,853 300 463 第二大之浦 大 谷 笠松村四郎丸 貝島 太助 517,602 240 365 白 鶴 宮田村宮田 秋田鍬三郎 239,520 150 270 宮 田 宮田村宮田 広海二三郎 370,000 頓 野 頓野村上頓野 井上 勇太 108,745 30 金 剛 木屋瀬村金剛 加藤 周助 511,800 132 塩 頭 勝野村勝野 古河市兵衛 50,000 78 ( 沓 抜 勝野村勝野 古河市兵衛 46,918 120 27 繁 牟 田 勝野村勝野 帆足 豊吉 53,895 30 坑 本 城 香井田村本城 東洋骸炭㈱ 203,442 ) 三 笠 西川村八尋 井上友次郎 256,292 150 260 馬 ケ 谷 西川村新延 尾上安太郎 136,120 30 50 旭 西川村八尋 尾上安太郎 90,000 60 40 笠 松 笠松村四郎丸 関西骸炭㈱ 413,405 130 320 室 木 西川村室木 服部 氏守 160,000 100 160 鞍 手 郡 新 入 新入村ほか 三菱合資会社 本 洞 下堺村赤池 許斐 鷹助 道 手 下堺村赤池 許斐 鷹助 第一大之浦 管牟田 香井田村鶴田 貝島 太助 大 之 浦 宮田村上大隈 勝 野 - 22 - 本洞区内の一坑 開 坑 中 - 開 坑 中 開 坑 中 - 40 220 100 257 70 - 35 30 備 考 No. 3 炭 坑 名 所 在 地 経営者(坑主) 借区面積,坪 日 産,トン 鉱 夫 数 (坑内) ,人 2,357,805 540 1,184 古河市兵衛 215,333 120 130 大谷村庄司 住友吉左衛門 109,749 60 180 相 田 二瀬村相田 松元 潜 220,000 大 谷 大谷村目尾 豊島 才吉 95,350 15 35 鬼 山 穂波村平恒 中野徳次郎 102,745 6 10 高 雄 二瀬村幸袋 三菱合名会社 725,062 510 580 南 尾 穂波村南尾 麻生光二郎 94,343 楽 市 穂波村楽市 川越与四郎 160,000 15 42 潤 野 鎮西村潤野 広岡信五郎 837,337 72 200 花 瀬 鎮西村潤野 広岡信五郎 潤野炭坑の内 36 90 平 恒 穂波村平恒 山本周太郎 317,685 120 280 牟 田 鎮西村潤野 中村 五平 72,360 後 牟 田 鎮西村潤野 大矢孫十郎 165,000 27 50 小 正 鎮西村潤野 住友吉左衛門 200,446 30 10 碓 井 碓井村下碓井 三菱合資会社 1,231,693 200 481 桂 川 桂川村土師 豊島 住作 114,589 80 160 集 丸 桂川村土師 城野 琢磨 375,023 30 120 笹 原 碓井村方田 佐谷 道哉 103,001 48 90 ( 上 三 緒 笠松村上三緒 麻生 太吉 196,790 150 385 29 芳 雄 笠松村鯰田 麻生 太吉 347,700 108 200 坑 嘉 麻 笠松村上三緒 麻生 太吉 608,109 90 70 ) 忠 隈 穂波村飯塚 住友吉左衛門 662,661 (記載なし) 大 城 頴田村勢田 明治炭坑㈱ 牛 隈 大隈村牛隈 古野与太郎 141,754 30 48 下 山 田 熊田村下山田 古河市兵衛 1,045,950 228 350 益 富 碓井村上西郷 瓜生卯太郎 197,000 120 60 熊 田 熊田村熊ケ 畑 中野徳次郎 400,000 嘉 徳 稲築村山野 原田 茂俊 262,000 嘉 穂 郡 鯰 田 笠松村鯰田 ほか 三菱合資会社 目 尾 大谷村目尾 庄 司 - 23 - 開 坑 中 開 坑 中 再開発中 1,226,046 火災復旧中 開 坑 中 100 30 - - 650 309 10 300 備 考 No. 4 炭 坑 名 所 在 地 田川採炭坑 弓削田村奈良 福島 良助 起 行 弓削田村奈良 久良知寅次郎 小松ケ 浦 弓削田村川宮 武腰寅太郎 金 谷 神田村金田 谷 茂平 金 田 神田村金田 林 ケ 谷 経営者(坑主) 借区面積,坪 日 産,トン 鉱 夫 数 (坑内) ,人 3,249,360 653 1,990 243,511 300 900 120 200 178,601 180 600 毛利 元照 656,500 300 530 神田村金田 谷 茂平 21,150 10 15 赤 池 上野村赤池 安川敬一郎 584,735 552 1,148 豊 国 糸田村 平岡浩太郎 730,489 390 822 峯 地 弓削田村川宮 蔵内次郎作 406,056 300 480 金 村 糸田村鼠ケ 池 三井鉱山( 合 ) 703,885 60 70 位 登 猪位金村位登 長谷川敬治 152,275 15 30 豊 州 川崎町池尻 豊州炭坑㈱ 471,100 120 150 ( 鮒 池 川崎町池尻 豊州炭坑㈱ (豊州の内) 66 110 17 手 の 浦 川崎町池尻 豊州炭坑㈱ (豊州の内) 60 200 坑 糸 飛 金川村夏吉 松尾 敏章 212,588 108 250 ) 扶 桑 勾金村中津原 大島 兵吉 396,350 再開準備中 上 位 登 猪位金村上位登 村田 為吉 74,000 54 70 企 小 倉 足立村 筑豊炭坑㈱ 400,000 180 400 救 足 立 足立村 蔵内次郎作 280,000 100 250 田 川 郡 (不明) 備 考 再開準備中 郡 高野江基太郎「筑豊炭鉱誌」(明治31年 中村近古堂刊)による - 24 - 第九章 石炭が筑豊に残したもの 一、 遠賀川改修工事 1.暴れん坊の遠賀川 ・ 明治17、22年の大水害 ・ 明治24年の大水害、直方の水位 3丈2尺(9.7 m) 被害総額230万円 ・ 明治38年の大水害、被害総額2,620万円 2.遠賀川改修工事期成同盟結成(明治26年) 3.明治39年3月、改修工事計画帝国議会通過、内務大臣告示による工事総額440万円. 10カ年の継続工事、筑豊石炭鉱業組合26万円寄付 4.工区は飯塚、金田、直方、芦屋の4区.41年着工 5.大正5年(10年目) 一期工事終了.引き続き工期延長、工費44万円追加 6.全工事完成 「大正8年3月.全部ノ工事竣工ヲ告ゲタリ」(遠賀川改修工事概要書) 二、 鉄道網の展開 1.筑豊の鉄道略史 ・ 九州鉄道と筑豊興業鉄道の設立と路線展開 ・ 豊州鉄道(行橋~伊田間)の設立 ・ 九州鉄道と筑豊興業鉄道の合併(M30) ・ 鉄道国有化と筑豊の鉄道 ・ 戦後の鉄道史と相次ぐ廃線 ・ 国鉄分割民営化 ・ 平成筑豊鉄道創立 ・ 篠栗~黒崎間(福北ゆたか線)電化完成 - 25 - 2.筑豊の鉄道略年表 M 21. 7 筑豊興業鉄道(以下「筑鉄」と略称)創立 24. 8 ” 筑鉄 若松-直方間 24.8 km 開通.直方機関庫設置 直方駅構内に人力車設置 25.10 筑鉄 直方-小竹間 開通 12 筑鉄若松製作所(国鉄若松工場の前身)創設 26. 2 ” 若松駅構内に石炭積出用桟橋完成 筑鉄 直方-金田間 開通 4 筑鉄本社を直方から若松に移転 6 九州鉄道(以下「九鉄」と略称)筑鉄折尾駅で連絡 ” 12 ” 27. 8 ” 筑鉄 小竹-飯塚間 開通 筑鉄 小竹-直方間 複線化 筑前植木駅 開業 筑鉄「筑豊鉄道(株)」と改称、本社 若松 若松-折尾間 複線化 28. 2 筑鉄 飯塚-臼井間 開通 8 豊州鉄道 行橋-伊田間 開通 11 九鉄、筑鉄共有の折尾駅完成 29. 1 豊州鉄道 伊田-後藤寺間 開通 30. 1 筑鉄、九鉄と合併 10 豊州鉄道 後藤寺-豊国間 後藤寺-起行間 後藤寺-船尾間 開通 31. 1 糸田線(後藤寺-金田間)開通 2 臼井-下山田間 開通. 中泉駅開業 3 飯塚-平恒間 開通 32. 3 豊州鉄道 伊田-金田間 開通 8 御開駅(のちの二島駅)開設 33. 1 幸袋線 幸袋-二瀬間 開通 34. 2 旧国鉄宮田線(勝野-宮田間)開通 - 26 - M 35. 2 旧宮田線、九鉄買い上げ 6 ” 若松-上山田間 全通(旧筑豊本線) 山野線(上三緒-口ノ春間)開通 12 長尾線(飯塚-長尾=現桂川間)開通 36. 4 豊州鉄道 西添田まで開通 39. 1 川崎-大任間 開通 41. 7 香月線(中間-香月間)開通 ” 室木線(遠賀川-室木間)開通 43. 3 直方駅解体、旧博多駅舎を移築し駅舎完成 45. 3 鞍手軌道(直方-福丸間)開通 T 2 漆生線(芳雄-漆生間)全通 3. 4 芦屋鉄道(西芦屋-遠賀川間)開通 4. 4 小倉鉄道 添田線(香春-添田間)開通 6 九軌(株)折尾線(黒崎-折尾間)開通(現筑豊電鉄) 5. 2 赤坂駅(のちの下鴨生駅)開業 10.10 若松駅 ・ 直方駅、一等駅に指定 ※ 折尾駅で東筑軒のかしわめし駅弁発売 11. 2 九州産業鉄道(株)起行-船尾間 開通 13. 2 芳雄駅改築移転(現新飯塚駅) 8 大隈軌道(大隈駅-貞月間 2.2キロ)開業 15. 7 九州産業鉄道 船尾-赤坂間 開通.後藤寺-芳雄間 直通運転となる S 3. 7 長尾-筑前内野間 開通 4.12 長原線(長尾-原田間)開通.若松~上山田の筑豊本線の呼称を若松~原田に 変更.飯塚~上山田は上山田線となる 8. 7 大隈軌道廃止 10. 2 芳雄駅を「新飯塚駅」に改称 4 筑前垣生駅開業 18. 2 国鉄直方自動車区発足.直方~福間、福丸~脇田、宮田~新飯塚、 博多~中久原の各バス路線開設 - 27 - S 18. 5 小倉鉄道 添田線(香春-添田間)国有化 7 国鉄、産業セメント鉄道の鉄道部門買収 19. 8 藤の木駅開業 20.11 釈迦岳の二又トンネル火薬爆発 22. 3 芦屋鉄道(遠賀川-芦屋間の進駐軍専用線)再開(25年2月一般にも開放) 23.12 日本国有鉄道法公布 25.10 急行「阿蘇」筑豊本線乗り入れ 28.11 奥洞海駅開業 34. 9 筑豊電鉄 黒崎-直方間 全通 35. 9 筑豊本線にディーゼルカー運行開始 36. 5 芦屋線廃止 37. 5 油須原線(漆生-川崎間)開通 39. 3 山野線廃止 43. 5 篠栗線(篠栗-桂川間 15キロ)開通 10 特急「みどり」筑豊本線乗り入れ 44.12 幸袋線廃止 49.12 「さよならSL」筑豊本線を走る 60. 3 香月線、添田線、室木線 廃止 61. 3 漆生線廃止 62. 4 国鉄分割民営化 7 JR鞍手駅開業 63. 3 JR東水巻駅開業 9 上山田線廃止 H 元 3 JR新入駅、浦田駅開業 9 伊田線廃止 10 第三セクター「平成筑豊鉄道」開業.本社 金田町 12 宮田線廃止 13.10 篠栗-黒崎間電化完成「福北ゆたか線」と改称 23. 4 新直方駅舎完成 - 28 - 三、 電気事業 1.電気事業の開始は電灯用送電から ・ 明治19年、東京に初の電灯会社 ・ 明治末年までに全国主要都市に普及 ・ 昭和元年 全国で320万戸に電灯設置(4戸に1戸の割合) ・ 九州では 明治24年 熊本電灯、同26年 長崎電灯、同30年 博多電灯 2.ヤマと電気 ・ 筑豊炭田では明治末から大正にかけて 坑内の照明用、動力用に逐次電気が導入 され、大正末には 汽力採炭から電力採炭となる ・ 筑豊初の電灯会社は 明治43年から営業を開始した 麻生太吉の嘉穂電灯と貝島 栄三郎(太助の長男)の直方電灯から ・ 麻生太吉は明治44年 九州水力電気設立に取締役として参画、町田、女子畑発電 所建設を手始めに 博多電気軌道、直方電気、日田水電、後藤寺電灯、若松電気、 大分水力、豊後電気、行橋電灯などを次々に合併、九州最大の電力会社を作り上 げ、昭和3年からその没年の同8年まで、九州水力電気の社長に就任.九州電力史 に大きな足跡を残す ・ 電力の鬼 松永安左衛門との親交 ・ 昭和26年 全国を9分割して九州電力発足、初代会長は 麻生太賀吉 四、 銀行事業 1.明治5年、国立銀行条例公布 2.同12年に全国で153の国立銀行 3.九州では 明治10年、福岡第十七銀行を嚆矢として 同12年 国立銀行17行 4.明治29年 国立銀行処分法公布.民間の私立銀行に移行 - 29 - 5.筑豊初の本格銀行 ・ 明治29年、炭鉱事業家、地元素封家24名が発起人となって(株)嘉穂銀行設立 ・ 頭取に麻生太吉就任.その逝去(昭和8年)以降二代目頭取に伊藤伝右衛門 ・ 昭和2年の金融大恐慌と嘉穂銀行 ・ 昭和20年4月、「一県一行主義」の国策により、嘉穂銀行、十七銀行、筑邦銀行、福 岡貯蓄銀行の4行合併.現在の福岡銀行発足 ・ 大正3年、麻生太吉が社長として発足した博済無尽(株)が変転を経て、今日の 西日本シティー銀行となる 五、 鉄工業 1.石炭が直方に生んだ2人の孝行息子、鉄工業と鉄道機関庫 2.直方の鉄工業は石炭採掘用のツルハシ鍛冶から発展 3.明治12年、下境の加藤鉄工所創業が第1号 4.明治33年 「直方鉄工協同組合」結成.18工場加盟 5.第一次大戦景気の大正9年、工場数73、工員 1,300 人、年産220万円(現在の約200 億円).大戦開始の大正3年の6倍の生産高 6.川越市、桑名市と並ぶ日本三大鋳物生産地 7.石炭6法失効(平成14年3月)直後の直方市の鉄工業 14事業所、従業員445人、年産82億6,000万円.関連非鉄工業を含む各種製造業 を合わせると、123事業所、従業員2,704人、年産426億8,000万円 8.筑豊炭田の中央工場「幸袋工作所」の発足とその消長 - 30 - 六. 文教遺産 1.明治~昭和戦前の教育制度 ① 「学制」公布(明治 5 年 8 月) 「自今以後、一般の人民必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期 す。人の父兄たるもの宜しく此の意を体認し、其愛育の情を厚くし、其子弟をして必ず 学に従事せしめざるべからずものなり」 全国に大学校8校、中学校256校、小学校53,760校の壮大な当初計画 ② 初等教育 ・明治12年「教育令」 19年「小学校令」 ・尋常小学校 (4年間の義務教育) ・高等小学校 (4年間の任意進学) ・明治41年4月以降、尋常小学校6年 (義務教育) 高等小学校2年 (任意進学)と なる。 ・就学率の推移 明治18年 男 女 鞍手郡 53.4% 11.7% 嘉麻穂波郡 56.3% 23.4% 田川郡 52.6% 13.3% 明治29年 全国平均 男 81% 女 51% 平均 67% 明治35年 全国平均 96.5% 昭和16年 4月 小学校は 「国民学校」 となる ③ 中学教育 ・ 藩校からの改組 ・ 明治19年 「中学校令」 ・ 明治32年 「高等女学校令」 ・ 実業学校 (農学、工学、商学) - 31 - ④ 専門学校 修了年限3年 (商学・工学・農林水産・商船・その他) ⑤ 大学校 ・旧藩時代の昌平・開成・医学の3校を大学とする (東京帝大の前身) ・明治19年 「大学令」 東京帝国大学発足 ・その後、京都、東北、九州、北海道、京城、台北、大阪、名古屋に帝国大学 2.筑豊の石炭が残した学校 ① 小学校 ・貝島小学校 (全国最大の私立小学校) ・三井田川小学校 (昭和14年の児童数 3,142名) ・昭和8年 筑豊における小学校令による正規の学校を設置する炭鉱5、 小学校 9校、児童総数 7,857名 教員 146名 ・炭鉱が周辺小学校に行った財政的援助の無数の例 ・桂川東小学校 (日本一の分校) ② 中学校 ・嘉穂・鞍手・田川中学への石炭界からの寄付 ・筑豊石炭鉱業組合による 「筑豊鉱山学校」設立 ・伊藤伝右エ門による 「郡立技芸女学校」 (現嘉穂東高校)設立 ・嘉穂工業学校 (昭和19年 田籠鉱業社長設立) ・麻生塾 (昭和14年 麻生太賀吉設立) 現在 学生数6,000人を擁する学校法人 ③ 大学校 ・安川敬一郎による 「明治専門学校」(現九州工業大学)設立 ・九州帝国大学理学部創設と麻生による資金支出 - 32 - 七. ヤマの医療施設 1.大手炭鉱の中央病院 2.麻生飯塚病院の消長と地域貢献 八. 劇場、演劇、音楽活動 1.嘉穂劇場とその特異性 2.映画館の消長 3.炭鉱会館とヤマの文化活動 4.三井田川合唱団 九. ヤマの残した食文化 1.シュガーロード(長崎街道)が生んだ銘菓 ・業界の怪物 千鳥饅頭 と ひよ子 ・筑豊銘菓オンパレード 2.筑豊に通じた海鮮ルート 3.平長の蒲鉾 と わた惣 4.トンチャン - 33 - 第十章 噴出した民衆エネルギー 一. 江戸期の百姓一揆 1.江戸時代、全国の天領・私領で百姓一揆頻発 2.江戸前期の「代表越訴型一揆」(庄屋などの村落指導者が農民を代表して、在地の藩 機構を経由せず、幕府や藩主など上級の領主権力に直訴して目的を達成する行動) ・ 寛永9(1632)年 嘉麻郡漆生村の一揆。江戸で「はさみ状」提出。領主は在地の 地頭を追放 ・ 寛文 3(1663)年 鞍手郡小竹村の百姓2人が藩主へ免租の愁訴。打首の処刑 3.中期以降の「惣百姓一揆」(中農以下の農民が村落指導者を突き上げながら、領主に 貢租課役の減免を要求) 4.後期の「世直し一揆」(城下町や農村で支配機構の末端にある町村役人や豪商・豪農、 高利貸などを群衆が襲撃して打ちこわす暴動) ・ 文化8(1811)年 穂波郡平恒の一揆 ・ 文化9(1812)年 遠賀郡高須村。嘉麻郡山野村の一揆 ・ 天保9(1838)年 穂波郡、嘉麻郡 山野触の各村での一揆 ・ 嘉永4(1851)年 遠賀郡吉木村の一揆 ・ 万延元(1860)年 遠賀郡蜑住(あまずみ)触 12 ヵ村の農民一揆 二. 筑前竹槍一揆 1.維新直後の世情 国内諸制度の大改革が招く混乱.小学校創設費の自治体負担. 徴兵制強行.地租改正などへの反撥.政府への反抗や欲求不満増加. 明治4年以降天候不順による凶作のため全国各地に一揆発生. - 34 - 2.発火点は旧庄内村 明治6年3月以降 郡内一帯降雨なく干天続き。嘉麻郡高倉村(旧庄内村内)日吉神 社で27ヶ村代表300人が雨乞祈願.6月13日満願の日。そのころ金国山で目取りと呼 ばれた米相場師が山頂で米価変動の告知ののろし通信。農民はこれを米価高騰のまじ ないと受けとめ、数人が目取りの本拠田川郡猪膝村に押しかけ乱闘騒ぎとなる. 筒野村(旧庄内村内)の医師淵上琢章の指揮で数百人の群衆が竹槍やつるはしを手 に猪膝の目取りの家、米屋、旅館、富豪宅を打ちこわし、大隈、千手、碓井、桂川、徳前、 飯塚へと数千人を超す大群衆となり、各所で打ちこわし行動. 3.筑前一国の争乱 県下3方面から県庁へ 東部勢 嘉麻郡、穂波郡、粕屋郡、博多、県庁乱入放火 西部勢 怡土郡、志摩郡、早良郡、百道、天神 南部勢 甘木、秋月、御笠、板付 参加総数30万人、家屋破壊4,590戸、うち焼失2,247戸、双方の死傷者89名 4.農民の嘆願箇条 ① 年貢3カ年停止 ② 学校と徴兵制の廃止 ③ 地券発行中止 ④ 旧藩札の復活 5.騒動の結末 処刑、処罪 6万2940人 罰金刑 5万2913人 絞首刑 1人 斬罪 3人 懲役 94人 杖罪(尻叩き) 1万1829人 - 35 - 三. 米騒動 1.越中女一揆 ・ 大正7年7月から8月にかけて、日本各地でおこった米価高騰が直接の動機となった 全国的な大衆暴動 ・ 大正7年当時の社会的背景 ・ 富山県魚津町の漁民の妻の沖仲仕たちによる県外への移出米の拒否が発端 ・ 数百人の集団が資産家、米商人、町村役場などに対し、米の安売り、生活困窮者の 救済、米の県外移出禁止などを要求する大衆騒動発生 2.全国規模に拡大 ・ 8月10日京都、名古屋で同時に暴動発生。各地に波及 ・ 騒動発生の主な都市と参加数 大阪(23万) 名古屋(13万) 東京(5万) 神戸・呉(3万) 門司(2万) 京都・和歌山・横浜・広島・高松(1万) ・ 7月23日から9月19日までの54日間に1道3府32県、33市104町、97村で発生. 参加者は全国で1千万人 ・ 鎮圧のため軍隊出動、9月20日ごろに騒動終息 ・ 事件の処理 検挙者数万人 起訴 7708人 死刑 2名 3.ヤマの米騒動 ・ 添田町の峰地炭鉱が発火点.軍隊出動 ・ 三菱方城、金田炭鉱、糸田炭鉱、貝島菅牟田坑、製鉄所高雄二坑、三菱鯰田、 古川目尾、麻生赤坂、明治豊国、明治本坑など 四. 労働運動の波 1.我が国労働運動の嚆矢 ・ 明治30年、片山潜(安政6~昭和8、没年74歳)らによって「労働組合期成会」結成 (大正元年「友愛会」となる) - 36 - 2.筑豊初の労働組合 大正7年12月光吉悦心らによって三井田川鉱で「友愛会後藤寺支部」結成、組合員 数350名、結成5ヶ月後に解散 3.大正9年 八幡製鉄所大争議、浅原健三、加藤勘十ら指揮「溶鉱炉の火は消えたり」 4.昭和5年 筑豊で「日本石炭坑夫組合」結成.翌6年日鉄高雄一坑の「坑底モグラ戦術」 5.日中戦争開始と共に、軍国化の潮流の中で「日本国家社会党」に合流.労働運動完全 に消滅 6.戦後労働運動の先駆的役割 ・ 占領政策としての労働運動の助成 ・ 労働三法の完備 ・ 昭和21年.労働組合結成率70%(アメリカ33% ・ 山にひるがえる赤旗 イギリス53%) 初の炭鉱労組は昭和20年6月の三井芦別労組 筑豊では同月田籠鉱業所昭嘉炭坑労組 ・ いく多の離合集散を経て、炭鉱労組は 炭労(日本炭鉱労働組合)と全炭鉱(全国炭 鉱労働組合)の 2 大組織となる ・ 炭労の闘争至上主義.昭和 26 年の「六三スト」 ・ 三井三池争議「英雄なき113日の闘争」~ホッパー前決戦 ・ エネルギー革命の波と筑豊炭田の消滅 ・ 石炭六法 五. なお残る「川筋気質」 - 37 - 第十一章 学園文化都市の創造 一. 石炭亡きあとの筑豊 1.石炭六法の推移 昭和27年 8月 臨時石炭鉱害復旧法 公布 ① 昭和30年 8月 石炭鉱業合理化臨時措置法 公布 ② 同 上 石炭鉱業構造調整臨時措置法 公布 ③ 昭和34年12月 炭鉱離職者臨時措置法 公布 ④ 昭和35年11月 三池争議終結 昭和36年11月 産炭地振興臨時措置法 公布 ⑤ 昭和38年 6月 石炭鉱害賠償等臨時措置法 公布 ⑥ 昭和44年 なだれ閉山始まる 昭和48年11月 貝島大之浦炭鉱閉山、筑豊炭田から坑内掘り消える 平成 9年 3月 三井三池閉山 平成13年11月 産炭地振興臨時措置法失効 同 上 九州最後の炭鉱池島炭鉱閉山 平成14年 1月 国内最後の炭鉱 太平洋炭鉱閉山 平成14年 3月 石炭六法すべて失効 - 38 - 2.地域振興計画のスタートと変遷 [嘉飯山地区] ・ 研究開発センターの設置推進(学園都市構想) ・ JR 桂川駅周辺整備 ・ JR 篠栗線、筑豊線の整備 ・ 福岡市営地下鉄と篠栗線の有機的連携 ・ サンビレッジ茜事業 [田川地区] ・ 国道 201 号バイパスの整備 ・ 福岡県立大学の設置 ・ 筑豊横断道路の整備 [直鞍地区] ・ 国道 200 号バイパスの整備 ・ 直方ソフトリサーチパーク建設 ・ 篠栗線の複線電化促進 二. 「文化不毛の地」の虚説 1.出処はマスコミ造語? 2.ヤマの文化 ・ 大手各鉱に配置された知識階級の職員 ・ 復員、引揚者中の知識層の炭鉱就職 ・ 県下3大書店の一、元野木書店 ・ 人口4万の地方都市に市立図書館(昭和16年) 3.音楽界 ・ 源流は天道音楽隊 ・ 三井田川合唱団と日鉄二瀬合唱団、麻生山内合唱団 ・ 飯塚新人音楽コンクール(昭和47年発足)と育てる会 - 39 - 4.輩出する歌人・俳人 [短歌界] ・ 宝月楼と文人墨客 ・ 万葉歌碑の相次ぐ建立(香春町・旧稲築町・飯塚市) ・ 青虹短歌界 ・ ヤマの歌人 山本 詞(つぐる) [俳句界] ・ 「ホトトギス」同人の巨匠たち(田中斐川・渡辺満峰・奥園克己・野見山朱鳥・ 小坂蛍泉など) ・ 野見山朱鳥の「菜殻火」「炭鉱俳句集 燃ゆる石」 ・ 阿部王樹(直方市) ・ 種田山頭火の庇護者たち 5.文学界 ・ 橋本英吉「筑豊炭田」 火野葦平「花と龍」 伊馬春部「向う三軒両隣」 ・ 筑豊を題材の作品 ・ 詩人 加藤介春 つかこうへい「蒲田行進曲」 王塚跣「筑豊一代」 林芙美子「放浪記」 市丸郁夫「ボタ山のある町」 五木寛之「青春の門」 河村光陽(共に福智町) ・ 上野英信 サークル村 「写真筑豊万葉全 10 巻」 6.絵画・美術界 ・ 斧山満次郎 倉知憲夫 野見山暁治 石井利秋 立花重雄 織田広喜 山近剛太郎 ・ 筑豊の美術館 谷尾美術館(直方市) 田川市立美術館 織田広喜美術館(旧碓井町) 7.筑豊の語り部群像 紫村一重 舌間信夫 永末十四雄 牛嶋英俊 井出川泰子 行徳良昭 - 40 - 宮崎太郎 香月靖治 中島忠雄 8.スポーツ界 ・ 実業団バレーボール全国制覇(麻生鉱業チーム) ・ 都市対抗野球の常連(日鉄二瀬チーム) ・ 柔・剣道の伝統と栄光(嘉穂中・高校) 三. 大学誘致の実績と成果 1.近畿大学 第二工学部(九州工学部を経て、現 産業理工学部) 2.近畿大学女子短期大学(現 近畿大学九州短期大学) 3.九州工業大学 情報工学部 付) 九州大学理学部 四. 観光文化圏の創出 1.山本作兵衛画の世界記憶遺産登録 2.伊藤邸の飯塚市取得と一般公開 3.石炭を中心とした近代化遺産群 4.炭坑主住宅 松本邸(西日本工業倶楽部) 貝島邸 麻生邸 伊藤邸 蔵内邸 5.仁保炭坑大門坑跡の発見 6.充実した資料館群 田川市石炭・歴史博物館 鞍手町 芦屋町 水巻町 直方市石炭記念館 飯塚市歴史資料館 旧穂波町・頴田町・碓井町ほかの郷土資料館 - 41 - 終 章 筑豊の未来像 一. 至難な未来予測 1.西日本新聞「五十年後の筑豊新地図」(昭和 33 年 6 月)の予測すべて大外れ 2.旧伊藤邸の来場者数の予測と実数 3.民主党マニフェストの総崩れ 二. 少子高齢化社会の加速化 1.介護・養護施設の増加と対応、活力ある高齢化の全国モデル 2.小・中学校の統合 3.小中一貫校の設置(平成 28 年 4 月開校予定) 鎮西中と蓮台寺小・潤野小 穂波東中と楽市小・平恒小 幸袋中と幸袋小 三. 大学を核とする学術研究基盤の充実 1.IT 特区、筑豊を日本のシリコンバレーに 2.県立飯塚研究開発センター 3.福岡ソフトウェアセンター 四. 観光都市の形成 1.考古学のメッカ筑豊 2.英彦山の観光活性化(山頂までのロープウェー計画) 3.嘉穂劇場 4.長崎街道と筑前六宿 5.筑前飯塚ひいなのまつり 6.伝統芸能、祭りの継承 - 42 - 五. 石炭の遺跡保存と顕彰 1.山本作兵衛の炭坑画 (世界記憶遺産ミュージアムの設置計画) 2.各石炭博物館・記念館の充実と活用 3.旧炭鉱主住宅を観光スポットに 六. 交通網の整備 1.福岡市地下鉄線の筑豊乗り入れ 2.福北ゆたか線の複線化 3.平成筑豊鉄道の存亡 4.筑豊本線と鹿児島本線のレベルの交差化と旧折尾駅の保存 5.八丁トンネルの開削 七. 既存美術館の声価と「飯塚市立美術館」設置 八. 遠賀川 1.川艜の復活と観光 2.遠賀川浄化をめざす諸団体の活動継続 遠賀川源流の森づくり推進会議 I LOVE 遠賀川実行委員会 遠賀川に鮭を呼び戻す会 遠賀川の水を守る会 など、70 に及ぶ活動団体 九. 「筑豊」の消滅 - 43 - 筑豊関係 参考文献 一. 古 代 史 ・ 考 古 学 No. 発行年月日 書 名 編 ・ 著 者 発 行 所 1 嘉穂地方誌 S 48. - 児嶋 隆人ほか 元野木書店 2 北九州の歴史 S 56. 5 葦書房 全 左 3 立岩 S 44. - 児嶋 隆人 学生社 4 立岩遺跡 S 52. - 同調査委員会 河出新社 5 王塚装飾古墳 S 15. - 京都大学 桑名文星閣 6 歴史のさんぽみち H 9. 11 嶋田光一 市歴史資料館 7 万葉集辞典 S 55. 2 佐々木信綱 平凡社 二. 自 治 体 史(誌) 県史、郡史(誌)、市町村史(誌)など多数 採録省略 三. 会 社 ・ 団 体 史(誌) 各社、各団体の周年史(誌)など多数 採録省略 四. 地 誌 ・ 民 俗 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 地図と絵で見る飯塚地方誌 S 50. 2 諸 家 元野木書店 2 飯塚郷土読本 S 13. - 市教育会 全 左 3 遠賀川 H 2. 2 香月靖晴 海鳥社 4 遠賀川水系の橋 H 3. 9 野間 栄 全 左 5 香春岳 H 4. 3 香春町教委 全 左 6 変わりゆく筑豊 S 37. - 高橋正雄 光文社 7 北九州の歴史 S 56. 5 葦書房 全 左 8 筑豊地名の伝説 九州民俗学会 全 左 9 筑豊原色図鑑 H 9. 11 筑豊千人会 全 左 10 筑豊の近代化遺産 H 20. 9 同研究会 弦書房 11 直方むかしばなし S 55. 12 上刎忠、舌間信夫 直方市 12 英彦山 S 53. 9 田川郷土研究会 全 左 13 英彦山 ― ― 朝日新聞 葦書房 諸 家 郷土出版社 14 目で見る筑豊の100年 H 13. 6 15 嘉穂・鞍手・遠賀の歴史 H 18. 7 諸 家 仝 上 16 田川・京築の歴史 H 18. 11 諸 家 仝 上 17 穂波町ものがたり H 7. 11 諸 家 町教委 18 堀川の歴史と文化 ― 中間市教委 全 左 19 情緒の飯塚 S 11. 10 商工会議所 全 左 20 筑前竹槍一揆 S 48. - 紫村一重 葦書房 - 44 - 五. 石 炭 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 筑豊石炭鉱業史年表 S 48. 11 田川郷土研究会 全 左 2 筑豊・石炭の地域史 S 48. 12 永末十四雄 NH K 3 筑豊賛歌 S 52. 5 仝 上 仝 上 4 筑豊万華・炭鉱の社会史 H 8. 4 仝 上 三一書房 5 山本作兵衛炭坑画集「筑豊炭鉱絵巻」ほか 山本作兵衛 葦書房ほか 6 筑豊炭砿誌 M 31. 5 高野江基太郎 近古堂 7 日本炭砿誌 M 41. 9 仝 上 積善館 8 うたがき炭鉱記 S 39. 5 伊藤時雨 図書刊行会 9 九州石炭産業史論 S 62. 4 正田誠一 九大出版会 10 九州炭鉱十年史 S 32. 4 九鉱連 全 左 11 九州石炭鉱業小史 S 22. - 九州石炭鉱業会 全 左 12 九州石炭鉱業20年の歩み S 42. - 福岡通産局 全 左 13 九州炭鉱労働組合運動史 S 23. - 九鉱連 全 左 14 近代日本炭鉱労働史研究 S 59. 10 田中直樹 草風館 15 桂川町炭鉱資料集 H 9. 10 王塚古墳館 全 左 16 恋の華・白蓮事件 S 57. 11 永畑道子 新評論 17 石炭史話 S 45. 1 朝日新聞 議行社 18 石炭大観 S 17. 6 諸 家 公論社 19 戦前期筑豊炭鉱業の経営と労働 H 2. 2 荻野善弘 啓文社 20 戦争と筑豊の炭坑 H 11. 3 諸 家 碓井文化館 21 石炭をゆく H 10. 2 大槻重之 全 左 22 石炭の語る日本の近代 S 53. 6 諸 家 ㈱そしえて 23 石炭鉱害復旧史 S 46. - 同事業団 全 左 24 石炭鉱業連合会五十年史 S 11.- 同連合会 全 左 25 石炭産業の史的展開 H 11. 8 坪内安衛 文献出版 26 炭坑物語 H 3. 8 西田 彰 海鳥社 27 炭坑節物語 H 9. 11 深町純亮 仝 上 28 炭砿めぐり・九州の巻 S 25. - 久保山雄三 公論社 29 炭労十年史 S 39. 1 炭 労 法律旬報社 30 筑豊鉱業頭領伝 M 35. 5 児玉音松 ― 31 筑豊の炭坑札 S 63. 11 松本一朗 全 左 32 筑豊炭鉱労使関係史 H 5. 2 荻野善弘 九大出版会 33 筑豊石炭鉱業会五十年史 S 10. - 同鉱業会 全 左 34 筑豊炭坑ことば S 49. - 金子雨石 名著出版 35 日本石炭読本 S 16. 6 浅井 淳 古今書院 36 日本鉱業発達史 S 7. - 鉱山懇話会 全 左 37 火を産んだ母たち S 59. 11 井出川康子 葦書房 38 福岡県産炭地振興調査報告書 S 39. - 福岡県 全 左 39 穂波町ものがたり(炭鉱編) H 10. 11 諸 家 穂波教委 40 筑豊五郡炭坑・鉱業家一覧 H 21. 9 福田康士 自分史図書館 - 45 - 六. 交 通 ・ 運 輸 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 鉄道年表 S 44. - 門 鉄 全 左 2 日本鉄道史 T 10. - 鉄道省 全 左 3 日本国有鉄道百年史 S 44. - 国 鉄 全 左 4 福岡駅風土記 H 11. 1 弓削信夫 葦書房 5 筑前の長崎街道 H 4. 3 松尾昌英 みき書房 6 筑前の街道 ― 近藤典二 西日本新聞 7 長崎街道を行く H 11. 12 松尾昌英 葦書房 8 長崎街道 H 9. 3 河島悦子 仝 上 七. 文 教 関 係 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 福岡県教育百年史 S 52. - 県教委 全 左 2 麻生塾小史 S 61. 3 麻生塾 全 左 3 飯塚高女創立45周年誌 S 42. - 同 校 全 左 4 飯塚小学校創立百年史 S 43. - 同 校 全 左 5 嘉穂高校90年誌 H 3. 10 同 校 全 左 6 嘉穂東高校80年誌 H 2. 11 同 校 全 左 7 嘉穂農業学校60年史 H 11. - 同 校 全 左 8 嘉穂中央高校90年史 H 11. - 同 校 全 左 9 貝島小学校五十年史 S 15. - 貝島炭砿 全 左 10 幸袋小学校百周年誌 H 9. 3 同 校 全 左 11 校歌風土記・筑豊 H 5. 2 小笠原長秋 全 左 12 立岩小学校百年史 S 50. 9 同 校 全 左 13 楽市小学校百年史 S 49. 12 同 校 全 左 14 九州工大50年史 S 34. 11 同 校 全 左 15 近畿大学九州工学部30年史 H 8. 9 同 校 全 左 八. 伝 記 ・ 人 物 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 麻生太吉伝 S 9. 12 泉 彦蔵 麻生商店 2 伊藤伝右衛門翁伝 S 59. 12 中野紫葉 伊藤八郎 3 伊藤伝右衛門物語 H 19. 11 深町純亮 フジキ印刷 4 豪商百人 S 51. 11 平凡社 全 左 5 ふるさと直方人物誌 H 5. 10 舌間信夫 直方商工会議所 6 古川市兵衛翁伝 T 15. - 五日会 全 左 7 ふるさと人物誌 S 41. - 夕刊フクニチ 全 左 8 松本健次郎懐旧談 S 27. - 清宮一郎 ― 9 黄金伝説 H 2. 4 荒俣 宏 集英社 10 佐藤慶太郎 S 17. - 横田 章 全 左 11 吉田磯吉翁伝 S 16. - 同刊行会 全 左 - 46 - 九. 文学 ・ 文芸 ・ 演劇 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 郷土の文学・筑豊編 S 55. 5 県高校国語部会 全 左 2 山頭火日誌 ― 山頭火 春陽堂 3 嘉穂劇場物語 S 52. 6 諸 家 創思社 4 心棒ひとすじ H 5. 8 伊藤英子 西日本新聞 5 田川地方民謡童謡研究 H 2. 8 小野芳香 葦書房 6 直方文芸史 H 17. 10 舌間信夫 自分史図書館 7 真直な道・奥園夫妻追悼集 H 6. 4 諸 家 宮原育子 十. 辞 典 ・ 年 表 No. 書 名 発行年月日 編 ・ 著 者 発 行 所 1 福岡県百科辞典 上・下 S 57. - 西日本新聞 全 左 2 日本地名大辞典・福岡県 S 63. 3 角川書店 全 左 3 日本人名辞典 H 3. 3 新潮社 全 左 4 日本社会運動人名辞典 S 48. 9 塩田庄兵衛 他 青木書店 5 嘉飯山年表 H 17. 7 青山堅太郎 フジキ印刷 6 北九州地社会労働史年表 S 55. 2 西日本新聞 全 左 7 新筑豊近代化年表 H 18. 11 同編集委 近畿大学産業理工学部 8 社会労働運動大年表 H 7. 6 大原社会問題研究所 全 左 9 日本史年表 S 48. - 三省堂 全 左 10 日本史年表 H 6. 3 岩波書店 全 左 11 日本考古学史年表 H 13. 1 斉藤 忠 学生社 12 福岡県労働運動史年表 S 46. - 福岡県 全 左 - 47 -
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