139

ミャンマーでのものづくり
先日、日本デザイン振興会が主催するメコンデザインセレクションでのコンペにより、プロジ
ェクトのデザイナーの一人に選出され、ミャンマーへ行ってきた。
初めてのミャンマーで北部で中国と小競り合いになっているということもあって、どういった
国か少し気にはなったが、あまり心配することはなくミャンマーへ入った。
到着した初日は夕方着ということもあり食事
程度で 2 日目を迎えた。
クライアントになる予定の企業を訪問し、今
回は契約を結ぶことが目的であることを伝え
内容を確認。一部を渡し、後日訪問する際に
サインができたらうれしいという話をし店を
後にした。
今回ミャンマーへ入る前に、日本デザイン振
興会理事の青木さんからコンペ概要には書か
れていなかった趣旨説明があった。日本が失
ってしまった、国土に根付いた物作りの文化
クライアントの事務所に並ぶ製品
を残しつつ、経済的に豊かになっていくこと
ができる商品を作りたいといったことだったと認識している。
私が提案したものは安価なハンドクラフトのミャンマー文化が現れた製品を、気軽に購入する
ことができるガチャポンというプラットフォームに乗せて販売するというものだ。
タイトルも「ミャンマーの空気入ってます」で、まさにミャンマーを感じるといったコンセプ
トだ。
3 日目は木工を委託している工場へ連れて行
っていただいた。
ヤンゴンから 2 時間ほど。そこは大きな寺院
のすぐ脇にあった。
見ていると大人から子供までの多くの人々が、
そこらじゅうの地べたに座り込んで鑿と木槌
を持って作業している。
大まかには出来上がっている彫刻をまだ
10-15 歳くらいの女の子が裸足で足の裏や指
を使って押さえ、鑿でディテールを掘り込ん
でいる。刃物を使うのに裸足で押さえるなん
てとても危なっかしく見えるが、ここでは普
木製品の並んだ棚。ここから塗装し、仕上げる。
通なのであろう。
オーダーの多くは中国からだそう。
奥のもう一つの作業場へ行くと、鶏が数羽。
その奥に一面の木端の中にたくさんの男性が上半身裸、又は破れたタンクトップ、下はショー
トパンツといった姿でパートに分かれてもっと大まかな加工をしていた。堅そうな木材を大胆
に加工していくのには目を見張った。
堅そうな木材を大胆に加工していくのには
目を見張った。木材自体がかなり粘っこいの
だろう。豆系のような硬く粘りがありそうな
素材に見えたが、あれほど嘖々と進めるのに
は慣れが必要だと感じた。
その後帰り道にナイトマーケットとチャイ
ナタウンを少し散策し、ホテルへ戻った。
4 日目は前日に急遽予定を変更しマンダレー
へ。
昨日は木工しか見れないということになり、
その他の石や金属、籐などの制作現場を見る
加工場の様子。物作りの身体性を感じる。
ために早朝より飛行機で移動。7 時半に到着
し、まず石の加工場などを見た。
ここでもまた危険だと感じるような加工現
場だった。しかし制作されているものは想像
しているよりもきれいで精度も高く可能性
を感じた。
その後、シルバーの加工場、籐の販売店を回
り、織物、刺繍などを見て大きな石の加工場、
鋳物、金箔の加工場などを見て帰路についた。
5 日目は国立博物館でのリサーチへ。一階か
素手で回る刃のすぐ近くで石を加工。
ら遺跡、文字の変化の歴史とはじまり、化石
や王家の宝飾品、少数民族の衣装、絵画に至
るまで、ミャンマーの歴史や文化を包括した
展示だった。
5 日目は国立博物館でのリサーチへ。一階か
ら遺跡、文字の変化の歴史とはじまり、化石
や王家の宝飾品、少数民族の衣装、絵画に至
るまで、ミャンマーの歴史や文化を包括した
展示だった。
全体を観た後、契約をしにクライアントのと
ころへ。
叩き出しのシルバーの模様。職人芸だ。
無事契約をすることができた。
6 日目はミャンマー最終日となるため、通産
省のようなところへ。
ミーティングの後、ミャンマーで作られてい
る様々なプロダクトを見、その後一緒に食事。
夕方到着の佐々木さんを空港で出迎えて、日
本への帰路に就いた。
今回の視察ではいろいろな製品をはじめ、製
作の現場や環境、歴史的な寺院や遺跡、遺物
など見ることができ、話も聞くことができた。
思ったことは、彼らは全く洗練されていない。
デザインというよりも、それ以前の環境だと
織物。日本ではエアーで動くが全て手作業。
思う。上半身裸で短パンにサンダルで、赤
褐色の肌を露出しながら木端や材料に囲まれ、埋もれながらがつがつと仕事をする。怪我や汚
れなどへの対策もなく直接的にその仕事にむかう。日本だと淡々と、といった感じがするので
はないかと思うが、気候や整えられていない環境、半裸といったこともあってかすごく野性味
あふれている。
働く職人たちを見て、彼らは職人である以前に、生き物だと感じた。本来、物作りとはこうい
った身体性とつながっているものであったなと見せつけられたかのようだ。
木や石を割って、削って、磨いて道具を作り、その道具で獲物を狩り、切り分けて、調理して
生活をなす。作った道具によって可能となったことによって更なる材料を切り出し加工して、
更に特化した道具を作る。
物作りをしていた自分ですら、あまり意識していなかった肉体とものづくりの関係性、例える
ならスポーツのような物だろうか。
言っておくが私はこの環境が悪いというのではない。ここを日本の木工所のようにした際に、
どれくらいのものが失われてしまうのか、そういったバナキュラーなものこそが文化であり魅
力なのではないか。
また、彼らの月給などを聞いて、その金額の低さに驚くとともに、その低賃金によって支えら
れている製品の金額は、ミャンマーの発展と共に継続が可能なのかということと、それを越え
て行ける製品作り、それこそもっと大きなプロジェクトを進めていかないといけないのではな
いかと思った。
海外からの廃布の販売店。渦高く積まれた袋を運ぶ。
寺院の外の地べたで仮面を彫る。家内制手工業だ。
金をハンマーで叩いて伸ばし、金箔にする若者たち。
手刺繍の店。舞台衣装やタペストリーなどを派手な
まるで見世物のようにされていた。
スパンコールなどを縫い付けながら作っていく。