日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要 No.39(2004)pp.325 - 329 重水中のアクトミオシン滑り運動 茶 圓 茂 Actomyosin Motility in Heavy Water Shigeru CHAEN ( Received November 20, 2003 ) Heavy water (deuterium oxide, D2O) is known to decrease myosin ATPase activity, but increase the muscle force compared to that in water (H2O). In order to examine the effect of deuterium oxide on the actomyosin interaction, actin filament velocities in an in vitro motility assay system were measured both in D2O and water H2O. In D2O, the sliding velocity of actin filament on myosin was about 60% of that in H2O. The rate constants of ADP release from the acto-S1-ADP complex measured by the stopped flow method was 30% slower in D2O than in H2O. These results suggest that the decrease in the in vitro actin-myosin sliding velocity in D2O results from a slowing of the release of ADP from the actomyosin-ADP complex and the increase in the affinity of actin for myosin in the presence of ATP in D2O. Keywords: D2O, actomyosin, in vitro motility assay, ADP, ATP にされなかった。 1 はじめに 本研究では重水のアクチンミオシン ATP 化学反応 筋肉の収縮は,線維状タンパク質であるアクチン サイクルに与える影響を詳細に解析するために,In vi- フィラメントとミオシンフィラメントとが相対的に滑 tro motility assay 法によるアクチン,ミオシン間の滑 りあうことによって起こる。その際,アクチンとミオ り運動速度,及び stopped-flow 法による反応ステップ シンによる ATP 分解からの化学エネルギーが滑り運 に対する重水の影響を調べた。結果は,重水中では水 動の機械的エネルギーに使われている 1),2),3) 。この 中に比べてアクトミオシンとヌクレオチドの結合が強 ATP 分解反応には水(H2O)分子が直接かかわっている くなり,ATP 分解反応サイクル中のヌクレオチドの遊 ことから,これまで,水 (H2O)を重水(D2O)に置き換え 離のステップが遅くなることを示した。したがって, て筋収縮の性質が調べられてきた。Hotta と Morales 4) この遅延が滑り運動を遅くし,逆に力は増加させてい はミオシンによる ATP 分解速度が重水中では水中の る原因であることが示唆された。 場合の約 60%に減少すると報告した。また,筋肉の 出す力は重水中では水中よりも 20%大きい 5)。しかし 2 方 ながら,重水がアクチン,ミオシン ATP 化学反応サ 2. 1 In vitro motility assay 実験 イクルのどのステップに影響を与えているかは明らか 日本大学文理学部応用物理学科 : 〒 156-8550 東京都世田谷区桜上水 3-25-40 法 この実験方法は,筋肉から抽出したミオシンとアク Department of Applied Physics, College of Humanities and Sciences, Nihon University : 3-25-40 Sakurajosui Setagaya-ku, Tokyo, 156-8550 Japan ─ 325 ─ ( 1 ) 茶 圓 チンを使い,その相対的な滑り運動を顕微鏡下に観察 6) 7) するものである 。ミオシンは Perry の方法で,アク チンは Spudich & Watt 8) 茂 取りこんで画像解析し 9),アクチンフィラメントの滑 り速度を解析した。 の方法で,ウサギ骨格筋から 実験液の組成は以下のとおりである。KCl 25mM, 抽出した。図 1 にこの In vitro motility assay の実験装置 MgCl 2 4 mM, ATP 2 mM, dithiothreitol 1 mM, NaN 3 の概略を示す。ミオシンは岡本ら 9)の方法でキモトリ 0.04 % , glucose 4.5mg/ml, glucose oxidase 0.22mg/ml, プシン処理しミオシン分子から尾部を除いたヘビーメ catalase 0.036mg/ml, Buffer は pH,pD が 6.0 ~ 7.0 の範 ロミオシン(HMM)を調整し,ニトロセルロースで 囲 で は imidazole 25mM,7.5 ~ 8.5 の 範 囲 で は Tris コートしたカバーグラス上に吸着固定した。その上に 25mM, 9.0 ~ 9.5 の範囲では glycine 25mM。D2O の実験 ファロイジンローダミンで蛍光標識したアクチンフィ 液は上記に試薬を 99.9%の D2O(Aldrich)に溶かして調 ラメントと ATP を含む実験液を滴下し,倒立型落射 製 し, そ の pD は pD=pH reading of pH meter+0.4 と 蛍光顕微鏡(オリンパス IMT 2 型,対物レンズ 100 ×, いう関係 10)に基づいて調整した。 N. A.=1.3)で,固定された HMM 上を滑走する蛍光標 実験の温度は,顕微鏡ステージおよび対物レンズ 識アクチンフィラメントの運動を観察した。この顕微 (ステージには真鍮ブロックを装着させ,また,対物 鏡のカメラポートには超高感度カメラ(浜松ホトニク レンズには別の真鍮ブロックでおおい,それぞれのブ ス,C2400-08)を装着し,ビデオレコーダーに 30 コマ ロックの中に恒温槽から温度制御された水を環流させ / 秒で録画した。そのビデオ画像をパーソナルコン ている。)を温度コントロールすることにより,実験 ピューター(アップル,Power Macintosh 7400/120)に 液の温度を 25 度に保った。 2. 2 Stopped-flow 実験 Stopped-flow 装置の概略を図 2 に示した。Stoppedflow 法は 2 種類の溶液を急速に混合させて,化学反応 を開始させ,反応物形成の時間経過を分光学的に測定 するものである。本 Stopped-flow 実験ではアクトミオ シン ATP ase 反応におけるアクトミオシン複合体 AM・ ADP か ら の ADP の 解 離(AM・ADP+ATP → A+M・ ATP+ADP)の反応速度定数を求めた。 (ここで,A は アクチン,M はミオシンを表す。 )この実験では,ミオ シンをキモトリプシン消化して,ミオシンサブフラグ メント− 1(S-1)という活性部位(頭部)が 1 つ(HMM は頭部は 2 つ)の試料を調製して使用した。 実験では,図の Sample と書いてある左側のシリン ダーに 1.5µM S-1,2µM アクチン,50 µM ADP を含む 溶液を,もう一方のシリンダーには 2mM ATP を入れ, 各シリンダーの溶液 50µl を急速に混合した(デッドタ イムは 1 ミリ秒以下)。AM・ADP と ATP との混合の結 果 AM・ADP+ATP → A+M・ATP+ADP の 反 応 が 起 こりアクチンとミオシンが解離する。この解離の過程 を光散乱で測定する。この反応では AM・ADP から ADP の遊離が律速段階となっている 11) ので,この反 応におけるアクチンとミオシンの解離の反応速度はア クトミオシン・ADP 複合体からの ADP の遊離の反応 速度を表す。温度は 6 度で行った。 図1 ( 2 ) In vitro motility assay 装置の概略図 ─ 326 ─ 重水中のアクトミオシン滑り運動 図3 アクチン-ミオシン間の滑り速度の pH,pD 依存性 ●:水中,○:重水中。バーは標準偏差。 この実験では pH(pD)緩衝試薬として,pH および pD が 6.0,6.5,7.0,7.5 の場合は 25mM imidazole を,pH お よび pD が 8.0,8.5 の場合は 25mM Tris を,pH および pD が 9.0,9.5 の場合は 25mM glycine を用いた。図に示 したように,重水中の滑り運動速度の pD 依存性は pD が約 8.5 付近にピークをもち,pD がこれよりも大きく ても小さくても減少した。これは水中で pH 8.5 にピー クをもつ点で違いはないが,重水中ではアクチン−ミ オシン間の滑り運動速度を約 40%減少させた。つま 図2 り,滑り運動速度の pD 依存性は,その pH 依存性を縦 ストップドフロー装置の概略図 軸に沿ってスケールダウンさせた形となった。これら 2. 3 アクトミオシン ATP 分解活性の測定 の結果は重水素イオンのアクトミオシン酵素反応に対 ミオシンは単独で ATP を分解する活性をもつが, する効果はその滑り運動速度を遅くする以外は水素イ アクチン存在下ではその分解活性速度が約 100 倍に増 オンの効果と変わらないことを示している。 加する。このアクチン存在下でのミオシンの ATP 分 3. 2 アクトミオシン・ADP 複合体からの ADP 遊離 解が,筋肉の中で起こっている ATP 分解反応に相当 3.1 で,重水中ではアクチン−ミオシン間の滑り運動 しているとされている。実際,この ATP 分解によっ 速度が水中にくらべ,遅くなるという結果を得た。 て得られる化学エネルギーは筋肉が収縮する際の力学 Siemankowski ら 13) は筋肉の無荷重の短縮速度はアク エ ネ ル ギ ー に 変 換 さ れ て い る。 こ こ で は,0.25 µM トミオシンからの ADP の遊離が律速していることを S-1,アクチンは 2.5 ~30µM を用い,その ATP 分解活 報告し,現在ではこの説明は受け入れられている。筋 性を,マラカイトグリーン法と呼ばれるリン酸を定量 肉の無荷重短縮速度は本研究の In vitro motility assay する方法 12)で測定した。 実験のアクチンフィラメントの滑り速度に対応してい 3 結 る。そこで,アクトミオシン・ADP 複合体 (AM・ADP) 果 と ATP を 混 合 し た 時 の 反 応(AM・ADP+ATP → 3. 1 アクチン-ミオシン間の滑り運動速度 A+M・ATP+ADP)における律速段階はアクトミオシ 一般に酵素化学反応は溶液中の水素イオン濃度に依 ン・ADP 複合体からの ADP の遊離である 11) ことを利 存する。ここでは,まずアクチン−ミオシン間の滑り 用し,ストップドフロー法により AM・ADP と ATP を 運動速度の水中の pH 依存性と重水中の pD 依存性に違 混合した時のアクチンとミオシンの解離の経過を光散 いがないかどうかを調べた。図 3 にその結果を示す。 乱により測定し,アクトミオシン・ADP 複合体からの ─ 327 ─ ( 3 ) 茶 圓 ADP の 遊 離 速 度 を 間 接 的 に 測 定 し た。 図 4 は AM・ 茂 3. 3 アクトミオシンの ATP 分解活性 ADP と ATP を混合した時の散乱強度の時間経過を示 ミオシンによる ATP 分解活性のアクチン濃度依存 した。この減少曲線を単一指数関数でカーブフィティ 性を図 5 に示した。各々重水中,水中のデータを Mi- ングし,その速度定数を計算したところ重水中での chaelis-Menten 曲線にフィッティングし,解析したと -1 ADP 遊離速度定数は 361 ± 26 s (n=27)で水中の 512 -1 ころ,その Vmax(最大酵素反応速度定数)は水中で -1 -1 ± 39 s (n=27)の約 70%であった。温度は In vitro 9.3s ,重水中で 9.4s を示し,違いはみとめられな motility assay 実験での温度 25 度で行うべきであった かったが,ATP 存在下でのアクチンとミオシンの親和 -1 が,25 度でこの速度定数の値は 1000 s 以上の値,つ 性のパラメータである Km の値は,水中で 50µM,重 まりストップドフロー実験での測定限界に近い値を示 水中で 33µM と減少した。(Km は小さな値ほど,親和 したため,出来る限り低い温度で行う方針に変更し 6 性は大きい) 度で行った。 4 考 察 重水は水素の安定同位体である重水素と酸素から成 る。表 1 に示したように重水の物理化学的性質,例え ば,粘度,融点,密度が最大になる温度などは水より 高いことが知られている 14)。これらの性質は重水中の 水素結合が強いことに起因していることが示唆されて いる。最近の X 線回折法によって明らかにされたミオ シン頭部の構造によると,ADP または ATP などのヌク レオチドはミオシン頭部のヌクレオチド結合部位に水 素結合によって保持されていると考えられている 15)。 したがって,重水中でのアクトミオシン・ADP 複合 図4 アクトミオシン・ADP と ATP を混合した時の散乱 強度の時間経過 体からの ADP 遊離速度の減少は,重水中でミオシン ● :水中,○:重水中。実線と点線はそれぞれのデータ の中の水素原子が重水素に置き換わることや,結合水 の単一指数関数回帰曲線。 分子が重水に置き換わることにより,ヌクレオチドと ミオシン頭部の結合部位間の結合が増すためであるこ とが考えられる。この水素−重水素交換はミオシン分 -1 子では約 1 s のオーダーの速度定数で起こることが 知られている 16)。 重水中でアクチン−ミオシン間の滑り運動速度が減 少するのは,重水の粘度が水よりも高いからであろう か。1 本の滑走しているアクチンフィラメントにかか る粘性抵抗は 10 表1 -14 N(粘性抵抗 f=γν, ν=10µm /s, γ: 水と重水の物理化学的性質の違い H2O Melting point, ℃ 図5 ミオシン ATP 分解活性のアクチン濃度依存性 ● : 水 中, ○: 重 水 中。 実 線 は そ れ ぞ れ の デ ー タ の Michaelis-Menten 回帰曲線。 ( 4 ) D2O 0 3.8 Viscosity, millipoise 8.9 12.0 Temperature of Maximum density, ℃ 3.9 11.2 定圧熱容量 , cal/deg・mol 18.0 20.2 定積熱容量 , cal/deg・mol 17.8 20.0 ─ 328 ─ 重水中のアクトミオシン滑り運動 γ= 2πηL/ln(2h/r)17),η:粘性率η= 0.01 解離のサイクルは同時にアクチンフィラメントとミオ g / cm / s, L: アクチンフィラメントの長さ L=1µm, h: シン頭部とが ATP を加水分解する反応と共役してい ガラス表面からアクチンフィラメントまでの 高さ る。Siemankowski らは,筋線維の滑り速度を決めてい h=10nm, r: アクチンフィラメントの半径 r= 5nm とし る因子は,ミオシン頭部のアクチンフィラメントから 摩擦係数 て)と計算される。この力はミオシン 1 個の出す最大 の力の 10 -12 N 18)にくらべてかなり小さい。したがっ の解離速度であるとし,アクチンとミオシンの解離 (AM+ATP → A+M・ATP)はこれに先行するアクト て,重水の粘度が水にくらべて 25%大きいこと 14)が, ミオシン・ADP 複合体からの ADP の遊離が律速段階 重水中でアクチンフィラメントの速度が遅くなる原因 となっているので(AM・ADP → AM+ADP) ,ADP 遊離 であるとは考えにくい。 速度がアクチンフィラメントの滑り速度を決めている 1985 年に Siemankowski ら 13) は,アクトミオシンか と考えた。本研究で得られた結果,重水中と水中とで らの ADP 遊離が筋肉の無荷重下での短縮速度を決め はアクトミオシンの ATP 分解活性に差はなく,ADP 遊 ているという説を出し,それまでの説,筋肉の無荷重 離速度に違いがみられたという結果は Siemankowski 下短縮速度はアクトミオシンの ATP 分解活性の大き らの説に一致している。つまり,重水中でアクチン さ(本研究では Vmax)に依存するという Barany の フィラメントの滑り速度が減少するのは,ミオシンの 説 19) を否定した。筋肉が収縮する際のアクチンフィ ヌクレオチド結合部位で ADP を保持する水素結合が ラメントとミオシンフィラメント間の相対的滑り運動 強くなり,ADP 遊離速度を遅くする,そして,これが は,ミオシンフィラメントから突き出たミオシンの頭 アクチンとミオシンの解離が遅くし,滑り速度が遅く 部(M)がアクチンフィラメント(A)と結合,解離の なる原因となるのである。 サイクルをくり返すことによって起こる。この結合, 参考文献 1)R. 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