在日米軍基地の労働と地域 ―組み込まれた特異な構造― 2010 年 7 月 全駐留軍労働組合 はしがき 今、在日米軍の基地労働者は、二つの課題に直面している。ひとつは、昨年 11 月の政府の行政刷新 会議のもとでの「事業仕分け」作業において、沖縄の基地労働者の賃金は、沖縄の民間賃金並みに引き 下げるべきであるとされたこと。あとひとつは、いわゆる“思いやり予算”にかかる労務費負担など日 米の特別協定が 2011 年に改定期を迎えること、である。 一見、これらは基地従業員の“問題”にみえる。しかし、それらは日本の内政と日米政府の安全保障 にかかる二国間関係に根ざす政治的課題と考えている。政治的問題とは、とりもなおさず私法のもとの 当事者の個別的問題ではなく、国民的課題であることを意味する。これらの問題の本質に迫るため、全 駐労は在日米軍の大規模再編・統合問題に対処するため立ち上げていた雇用対策本部において、さる 2 月に調査研究に着手した。 この調査研究の基本スタンスは、基地をなくせ、残せという議論を意図するものではなく、生活者と して労働者として人間誰しもが願うであろう、公平・公正な地位を得たい、ということである。米軍基 地は、一般国民にとっては“非日常の世界”なのかもしれない。そうであったとしても不思議ではない のである。就職機会が乏しい地域の若者達には“準国家公務員”としての人気もある。 だが、実際のところ、基地労働者は、戦後、“民間人”の位置づけから始まり、ある時は“一般公務 員”、またある時は“特別公務員”となり、いまでは“民間人”であり、日本政府を雇用主とし、在日 米軍の指揮監督の下で、北は青森県の三沢基地、東京、神奈川、沖縄など9つの都県の米軍基地で約 2 万 5 千人が働いている。 いま現在働いている基地労働者だけでなく、このかた変転してきた“身分”と日米両政府・国会・議 ふくそう 会・米軍の5者の施策・思惑が交叉する狭間で複雑化し、輻輳する “処遇方針”とが相まって、いさ さか困惑し続けてきているというのが偽らざる現実である。企業で働く“民間人”には、このような影 を落とさないはずである。等しく労働三権を付与された基地労働者は、実は、労働三権の“裸の王様” なのではないか、とこの報告書は論及している。 他方、多くの基地労働者は、地域の労働市場環境条件の中から“ようやくたどりついた職場”に発生 するさまざまな基地問題に直面して、時に、基地に向かって、はげしく“基地撤去”を叫んだ。明らか な自己矛盾にその家族もまた葛藤する。 基地労働者は、近未来の米軍基地再編にも曝されている。これまでの跡地利用の実績からみても再編 は地域に新たな機会をもたらすであろう。政府は、県、市町村にいたるネットワークのもとで、例えば “大規模跡利用対策”に 10 年以上も前から勢いよく多様な“先行投資”を続けてきている。しかし再 編にあたって直面するであろう“大量解雇”対策については、“後追い対策”になりかねないことが大 変危惧されるのである。日米安全保障体制のもとで、日本政府は米軍駐留のための施設提供と労務の調 達の両面について義務をおうてきた。それゆえに、その面においても基地労働者は公平・公正な扱いを 獲得したいと考えている。 このような公平・公正という基本的考えに立つがゆえに、報告書はあえて労働組合自身でまとめるこ とはせず、沖縄国際大学非常勤講師の喜屋武 臣市氏に執筆を委嘱した。 本報告書に目を通していただき、われわれ基地労働者が公平・公正な地位を得たい、公平・公正な扱 いを獲得したいという主張とその根拠について、大方のご理解が得られるならば有り難いことである。 2010 年 7 月 全駐留軍労働組合 中央執行委員長 山川 一夫 目次 はしがき 背景と目的 要約・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ I.在日米軍基地への就業・・・・・・・・・・・・・・・・ A.在日米軍基地の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.米軍日本駐留の根拠 2.米軍への提供施設と基地労働者 3.米軍の兵員・職員配置 4.自衛官数と事務官数の推移 B.基地労働の基本構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.基地労働者の“身分”の変遷と雇用方式 2.採用・雇用・解雇 3.職種別賃金 4.米国連邦政府職員の賃金表 5.労働条件 C.基地労働者の賃金をめぐる動向と課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.基地労働者と民間賃金の比較 2.基地労働者賃金の「地域民間並み賃金論」の考察 3.国家公務員の賃金決定方式 4.アメリカでの官民賃金比較論 5.国際比較による公務員の賃金水準 II.沖縄の米軍基地における労働、地域生活・・・・・・・ A.日本復帰前の沖縄の基地労働:特異な地位形成過程・・・・・・・・・・・・・・ 1.沖縄戦と沖縄の米軍基地 2.労働者の地位形成の経過 3.基地労働者数 4.賃金等の労働条件 B.復帰前後の基地労働者“解雇の嵐” ・・・・・・・・・・・・・・・・ C.復帰後の基地需要と沖縄県民の暮らし・・・・・・・・・・・・・・・ 1.新生沖縄県づくり:政府「沖縄振興開発計画」 2.県民の社会、経済生活の現状 D.基地需要の地域経済・社会生活のインパクト・・・・・・・・・・・・ 1.「軍関係受取り」の推移 2.「軍関係受取り」の構造 3.県経済へのインパクト 4.基地の社会生活へのインパクト E.基地労働者の就業行動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.基地周辺の雇用、所得機会 2.基地労働者の就業行動 3.基地のある地域に生きるということ III.純粋公共財としての「国防」、基地配置、基地労働 A.純粋公共財としての「国防」・・・・・・・・・・・・・・ 1.純粋公共財とその地域 2.純粋公共財の概念について 3.純粋公共財への政府支出の国際比較 4.日本の防衛関係費の概要 B.純粋公共財の配置、維持とそのインパクト 1.基地労働者の任務 2.基地需要の経済面のインパクト 3.基地需要の非経済面のインパクト 4.基地配置の偏在と“地政学面” “精神面” “経済面”のフリー・ライダー 5.日本人の防衛意識 IV.新たな重く大きい課題―「米軍再編」のインパクト・・・・ A.示された「米軍再編」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.再編の姿 2.再編と基地労働者 B.土地と労働者の“再編”対策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.“返還”される軍用地と基地労働者、地域経済 2.跡地利用の事例が示唆するもの 3.基地労働者の対策 4.アメリカの跡地利用と雇用対策 V.明日への道・・・・・・・・・・ 注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図表一覧 表1 都道府県別の基地労働者数と給与(2008) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 2 差異が見られる主な労働条件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 3 布令 116 号(第 79 条)のもとでの沖縄米軍基地労働者の祭日・祝日の変遷・・・ 表4 民間男子と基地労働者の学歴別・年齢階級別賃金(所定内給与:2008 年) ・・・・ 表5 分野別軍雇用者数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表6 群島別米軍基地(出身地別)従業員数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表7 軍と民間への就職者数の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表8 沖縄における基地労働者数の推移(1960~1969)・・・・・・・・・・・・・・・ 表9 国籍別による沖縄米軍基地の賃金水準(1956 年) ・・・・・・・・・・・・・・・ 表 10 復帰前の日本と沖縄の軍雇用者の賃金体系と賃金水準の比較・・・・・・・・・・ 表 11 本土と沖縄の駐留米軍労働者の労働条件比較・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 12 駐留軍従業員の解雇者数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 13 再就職者の再就職所要期間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 14 日本の安全を守るための方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 15 沖縄県における在日米軍機能の一部本土移転についての考え方・・・・・・・・ 表 16 基地から解雇される不安・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 17 基地から解雇された場合の民間への再就職・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 18 現在の職種から別の職種への異動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 表 19 民間就職の場合の賃金水準・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図1 在日米軍基地労働者数の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図2 在日米軍基地労働者数の推移(MLC・MC) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図3 在日米軍基地労働者数の推移(IHA) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図4 沖縄米軍基地労働者数の推移(MLC・MC) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図5 沖縄米軍基地労働者数の推移(IHA) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図6 アメリカの兵員数の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図7 アメリカの国防関係民間職員数の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図8 日本の防衛省自衛官と事務官数の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図9 国家公務員と基地労働者の年齢と勤続年数の推移・・・・・・・・・・・・・・・ 図 10 MLC 従業員の給与表別、等級別分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図 11 IHA 従業員の給与表別、等級別分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図 12 基地労働者の事務・技術関係の賃金表(平成 20 年度)・・・・・・・・・・・・ 図 13 米国連邦政府職員(GS)の年俸賃金表(2010 年 1 月発効)・・・・・・・・・・ 図 14 55~59 歳到達時点の民間・基地労働者の賃金格差(民間中学卒 55~59 歳=100)・・ 図 15 OECD 諸国の公務員報酬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 図 16 復帰前の沖縄米軍基地労働者(事務職)の時給賃金表(1969 年) ・・・・・・・・ 図 17 復帰前の沖縄米軍基地労働者(労務・技能職)の時給賃金表(1969 年)・・・・・ 図 18 勤労者世帯の貯蓄現在高と負債現在高(2004 年) ・・・・・・・・・・・・・・・ 図 19 政府最終支出における純粋公共財支出の構成比(2007) ・・・・・・・・・・・・ 背景と目的 基地労働者の処遇に係る現下の課題が二つある。一つは、政府の行政刷新会議のもとの事業仕分け作 業において、予算担当部局から提示された「駐留軍等労働者の給与水準」に関する議論である(事業番 号 3-65「論点説明シート」2009 年 11 月 26 日の事業仕分け会議)。主な論点は、給与体系の抜本的見 直しによる、勤務地毎の民間賃金を反映すべきである、とするものである。 この種の“見直し論”の端緒となったのは小泉政権下の「骨太 2006」 (平成 18 年 7 月 7 日)におけ る「在日米軍駐留経費の所要の見直し」であり、具体的な指針とされたのが財政制度等審議会の建議(平 成 19 年 6 月 6 日)における「格差給」、 「語学手当」、「退職手当」、「枠外昇給制度」の既得権廃止であ る。それらは経過措置がとられているが、措置終了後には 100 億円の労務費削減となると言われている (全駐労声明 2009 年 11 月 16 日) 。この問題は、端的に言えば、日本の国内事情である。 もう一つは、いわゆる「思いやり予算」と呼ばれている基地労働者の給与等の日本政府の支出根拠で ある日米地位協定第 24 条にかかる「特別協定」の改定期を 2011 年(平成 23 年度)に控えていること である。この特別協定の改定協議においては、日本側負担の骨格を成す「在日米軍駐留経費負担」 「SACO 関係経費」「米軍再編関係経費」の包括的な見直しが言われている。この問題は、日本の国内事情をう けつつ、もう一方の米国との二国間問題である。 かくして、現下の二つの課題の本質は、国内外の事情が絡む政治的問題であるが、そのありようは基 地労働者の労働と生活の根幹に関わるものである。だが、政治の選択結果としての在日米軍基地のあり ようが白日の議論にさらされてきたほどには基地労働の実態は広く国民に伝わってないことも事実で あろう。その背景には、戦後占領期からの歴史的経緯、復帰までの本土と沖縄の米軍基地の労働態様の 違い、米軍基地の地域的偏在、さらには日米両政府間の外交・防衛のとりきめ、米国の軍事戦略上の米 軍基地運用などが複雑に絡んでいるという事情がある。 この際、現下の課題を客観的に見据えるために基地労働について、上述の背景を含めて米軍基地およ び基地労働をとりまく諸条件を包括的にレビューしつつ、基地に働くものの立場から、これら二つの課 題を逆照射してみたい、というのがこの調査研究の意図である。とくに米軍基地の圧倒的な地域的偏在 という実状を踏まえ、沖縄については、より大きく比重をおいて掘り下げる。本調査研究は、基地労働 者のあるべき公平・公正な処遇を追究するものであり“基地をなくせ”“残せ”というような議論ない しは論理だてを意図するものではないことを予め断っておきたい。 なお、政府等でいう「駐留軍等労働者」の名称は、契約の種類により MLC 従業員、IHA 従業員など のほか、基地従業員、基地労働者などと、関係機関、時代、地域によりさまざまであるが、この報告書 でもとくに使い分けてはいない。 要約 在日米軍基地の労働と地域 ―組み込まれた特異な構造― 全駐労は、基地労働者の処遇に係る現下の緊要な課題が二つある。一つは、国内事情によるもの。も う一つは、日米間の二国間関係によるものである。そのため、あらためて歴史的、地域的事情をも踏ま えつつ、現下の基地労働者の課題を包括的に検討した。 現下の二つの課題 小泉政権下の「骨太 2006」における「在日米軍駐留経費の所要の見直し」を端緒として、財政制度 審議会等の建議により、基地労働者は「格差給」、「語学手当」、「退職手当」、及び「枠外昇給制度」の 既得権を“返還”した(賃金体系の改変)。また、民主党を基軸とした連立政権発足後の行政刷新会議 のもとの「事業仕分け」において、予算担当部局から沖縄を例示的に取り上げ、提示された「地域賃金 水準並み賃金論」がある(賃金水準の切り下げ)。この流れは、諸手当を削減し、そして基本給をも削 減するというものであるが、雇用主の政府と労働者の国内問題である。さらに基地労働者は、二国間問 題としての近未来に予想される「基地再編」にともなう地域的・集中的“大量解雇”および 2011 年に 改定期を迎える「特別協定」における包括的見直しという二国間問題の狭間におかれている。 これらは民間労働者、国家公務員が出くわすことのない、すぐれて政治の問題である。 在日米軍と基地へ就業 米国の外国配置兵員数 過去 20 年程の間に米国の外国配置兵員は大幅に削減され、2005 年には 29 万人となり、約 55%の水 準となっている。東アジア・太平洋地域への兵員配置は、2005 年には約 7 万 9 千人、このうち日本に 約 3 万 6 千人、韓国には約 3 万 1 千人、艦艇に約 1 万 2 千人である。 在日米軍への施設および労務の提供 近年の在日米軍専用施設面積、従業員数はともに日米講和条約発効後に比べて、それぞれ 23%、10% まで激減している(2007 年) 。しかし、日本の提供施設は沖縄に集中している。基地従業員数は、2010 年4月末現在、25,922 人で地域的には沖縄と神奈川を中心に 9 都県の基地に就業しているが、雇用形 態別には諸機関労務協約の下の労働者は、沖縄に目立って多い。現行の特別協定は、日本政府が負担す る労務費は 23,055 人を上限としているから、米軍が独自に 2,867 人分を負担している。 基地従業員の労働条件 賃金等労働条件 基地従業員の「給与その他の勤務条件は、生計費並びに国家公務員及び民間の従事員における給与そ の他の勤務条件を考慮して、防衛大臣が定める」 (昭和 27・6・10、法律第 174 号)という定めを踏まえ つつ、以下を検討する。 1)賃金水準の民間比較 基地労働者賃金を民間労働賃金と比較するという場合、市場にむける財・サービス生産に従事する 「労働の対価」と同一視できるか、どうかという本質的問題はある。数値を見比べることはできても、 生産性を尺度とした比較は困難である。さらに言えば、日本の賃金は規模間格差が大きいこと、男女間 格差が大きいこと、正規・非正規労働への分化、そして非正規労働の女性化ということにも特徴づけら れる側面もある。 それらを踏まえた上で、一般的な賃金比較の方法をなぞって、基地労働者と民間企業労働者の賃金を 見比べてみたい。当然のことながら、民間の企業・事業所の規模は捨象し、データは厚生労働省の「賃 金構造基本統計調査」の 10 人以上規模事業所で一括りの統計、基地労働者賃金は、駐留軍等労働者労 務管理機構の「駐留軍等労働者給与等実態調査報告書」によった。 しかし、それでも比較の際の制約条件がある。基地労働者の場合、基地労働は「同一労働同一賃金」 が貫徹されているから、統計上も男女別賃金は集計されていない。もちろん、同一労働同一賃金とはい うものの男女の職種分布等の差異による男女平均賃金の格差が存在するであろうことは念頭におく必 要はある。 上の基地労働の特性を踏まえると、男女間格差が大きい民間賃金と比較するには、男女計で比較する より、男子賃金を用いるほうが、まだ“ましな方法”である。比較対象賃金は、 「所定内給与」 (基本給 と諸手当を含む)である。 ここで詳細にはふれないが、別途推計した学歴ごとの民間労働者賃金を年齢と勤続年数を用いた賃金 関数は、当てはまりが悪い。しかし、年齢とその二乗を用いると、すべての学歴別において統計的に有 意な結果がえられ、決定係数の説明力も極めて高い。ここにみられる関係は、賃金は年齢とともに増え、 やがて年齢とともに減少することを意味しているから、55~59 歳時点(民間男子中学卒 55~59 歳= 100)での格差を例示的に比較してみた。 その結果、次のような点が特徴的である。まず、民間賃金からみると、教育年数が高まるにつれ、格 差が大きくなり、大卒との格差は 1.73 倍に達する。同様に、基地労働者の雇用形態別に比較すると、 大卒 MLC 従業員との格差は 1.44 倍になる。 ここで注目すべきことは、 民間の学歴による格差にくらべ、 MLC 従業員の学歴間格差は、より小さい点であり、賃金カーブ勾配が小さいことを意味している。 IHA 従業員の学歴間に格差がほとんどみられないのは、賃金カーブの勾配がほとんど同じであること、 を意味しているが、職種別賃金システムのもとでは、年齢、学歴などが賃金評価にはつながらないこと を示唆している。それにしても、IHA 従業員賃金がすべての学歴層において、民間男子中卒賃金とほぼ 同水準となっているのは印象的でさえある。 2)基地従業員給与の「地域民間賃金準拠論」について 民主党を軸とする連立政権発足後まもなく、行政刷新会議のもとの事業仕分け作業において、予算担 当部局から「駐留軍等労働者の給与水準」についての見直しが提起された。その「問題点」指摘の一つ は、 「かりに、国家公務員の給与体系への準拠を維持するのであれば、少なくとも、民間賃金指数が 90.5 を下回る勤務地について、民間賃金指数に応じた減額措置を講じるべきではないか」というものである。 この点について、検討してみよう。 現在、基地労働者については「地域手当」が導入され、東京都特別区の場合、その支給率は 18%であ る。これは平成 18 年、人事院の「人事院勧告における給与構造の改革の概要―昭和 32 年以来約 50 年 ぶりの改革を実施―」における公務員給与に地場賃金を反映させるための地域間配分の見直し措置その ものといえる。すなわち、俸給表全体を 4.8%引き下げて、東京の場合は、地域手当を最高 18%と示し た。偶然の一致であろうか。もしかりに、東京特別区の基地労働者の「地域手当」が、人事院勧告にそ って適用されたものであるとするなら、基地労働者に対して国家公務員同様、労働基本権制約の代償措 置を講じたことに等しく、重要な論点になるであろう。 さらに、民間賃金水準の低い地域は、それに応じて減額すべきという点について、さきの「事業仕分 け」では、沖縄をとりあげ、沖縄の建設業賃金でもって例示した。なぜ、建設業かという点もさること ながら、賃金比較の技術的な問題点を指摘しておく必要がある。ひとつは、依拠した統計が5人以上事 業所であり、これは人事院勧告の調査対象事業所規模とは、大きくかけ離れていること。そして男女平 均賃金をもって比較していること。日本の男女賃金格差(33%)が大きすぎる(OECD 平均 17.6%: 2006)として国際的にも問題指摘され続けてきていることであるが、基地労働者や国家公務員では、同 一労働同一賃金の原則があること。引用された「毎月勤労統計調査」は、主として賃金労働時間等の毎 月の「動き」を指数化して把握するものであり、「構造」を捉えるものではないから、企業属性、労働 者属性等のさまざまな賃金決定要素は把握できないのである。「仕分け判断」の提示資料としては、未 熟にすぎると言わざるを得ない。 あと二つある。一つは、基地労働者の 1,300 職種を地域の職種(日本の産業の小分類は 364 種)と比 較するということ。これは技術的には、同価値労働同一賃金の論理を適用するなど、不可能ではないか もしれない。しかし、他方、A 県の米軍基地と B 県の米軍基地での同一職種賃金におのずから格差が生 じるから、例えば、A 基地と B 基地の“消防職”の職務定義書は書き直さねばならない。 より具体的な例をとりあげよう。仮に日本の二つの米軍基地において、同じ価格の戦闘機が着陸に失 敗して火災が発生したと想定する。二つの基地の消防職賃金格差があると、賃金が低い基地の消防職の 消火活動は、より高い任務にあたり、賃金の高い基地に働く消防職は、より楽な任務に就いていること を意味する。低賃金の労働者は、労働経済学の理論にもとづけば“職務怠慢”でその差を調整しようと するから、ここに生じる“格差”を均等化するためには、賃金の低い基地には、より価格の安い戦闘機 を配置すればよい。この論理で続けると、低賃金地区には旧型の軍事配備、高賃金地区には高度性能軍 事配備を集中させることになる。あたかも最先端企業の中枢が高給の人材とともに国の中枢部に配置す るようなものである。あるいは、同一基地に価格の異なる戦闘機が配備されている場合は、それぞれの 価格に対応する等級の異なる消防職を配置することになる。この論理は、市場の論理である。だが、市 場の論理が適切に機能しないところに、純粋公共財の論理が出てくる。ともあれ、国家公務員は、定期 異動で地方に職場を移せば、広域異動手当が支給され、また例えば、中央での係長は、上位の課長職を 得て“身を守れる”が、広域移動が例外的な基地従業員には、その手もない。 最後に、「仕分け会議」で取り上げられた「地域」を沖縄にそって検討してみよう。まず沖縄という 「地域」は、他県の「地域」と同質ではないこと。一つは、言うまでもなく、圧倒的な高い基地密度で ある。戦後の日本は日米安保のもとで、経済復興に専念し、“奇跡の成長”を遂げ、世界の経済大国に なった。その日米安保の根幹を担ったのが沖縄である。その半面、沖縄経済は、日本経済とは逆に脆弱 な経済構造に陥ったとされる。基地跡地利用後の税収の大幅増大は、その一面を具体的に示唆する。戦 後から今日に至るまで、日本本土は「沖縄米軍基地」への“フリー・ライダー”である、とされても過 言ではないであろう。 “防衛” “国防”がもつ「純粋公共財」の概念を正しく理解すれば、 “労働力需給論”で地域民間賃金 並みの基地労働者賃金にすべき、というのは論理の飛躍、困難な論理である。なぜなら、労働力の市場 価値は“地域差”が生じるが、 “防衛”“国防”は、例えば、日米安保機能は日本全体に“等しく保障” されている筈のものだからである。 他方、沖縄県経済は、マクロ経済政策の実績評価の代表的な指標でみるとどうか。完全失業率は全国 平均の二倍前後で推移し、特に若年層の場合、20~24 歳でも 22%(全国 11%、 「2005 年国調」 )で、若 者の希望をさえ閉ざす懸念がある。所得面を見ても、一人当たり県民所得の全国格差は拡大傾向にあり、 県内の格差も広がる一方である。第二次大戦、そして戦後の日米関係のもとにおかれた沖縄の現実・事 実を踏まえ、1972 年の復帰以降、国が“新生沖縄県づくり”をめざして「各面における格差是正」政 策を推進してきたはずが、かくのごとき沖縄の地域実態を前に、今度は逆に、国を雇用主とする基地従 業員の賃金を民間並みに減額すべし、とする論理を持ち込むのは、国の施策の“自己矛盾”というべき である。これは国が“賃金のデフレスパイラル”の引き金を引くようなものである。基地は沖縄が求め たものでもないが、沖縄の相対的基地負担コストのさらなる増大とともに、これがもたらす地域経済の 行く末は容易に想像できるであろう。大規模なアンケート調査と新聞投稿にみる基地労働者とその家族 が、古く、防衛省機関の『国防研究』論文で“定義づけた”広範な「基地問題」と大量解雇が起こる仕 事の不安定、再就職への懸念という“不安と葛藤”の日常を生きていることも忘れてはならない。 3)国家公務員の給与表に準拠した賃金体系 国家公務員は職務給である。これに準拠して、2008 年現在 1,358 種類の職種別給与の基地労働者の 賃金が支払われている。が、両者には、根本的な制度の違いが存在する。第一に、国家公務員給与表に 国家公務員には適用されない「中間等級」を組み込んでいる。第二に、基地労働者には、いわゆる“マ イナス号俸”が組み込まれている。そのため、初号俸は国家公務員より低くなっている。たとえば、平 成 20 年度の基本給表 1 の事務・技術関係職についてみると、8 等級の初号俸は、基地労働者は 272,900 円、国家公務員は 321,100 円である。第三に、国家公務員の場合、就職までの経験資格などが勘案され、 等級・号俸が決まるが、基地労働者の場合は、職種で等級が決まり、年齢・経験等が勘案されるのは限 定的で、多くは初号俸から始まる。第四に、同一職種で働く限り、上位の等級に昇進することはない。 これは国家公務員と基地労働者の根本的な「制度」の違いによるものであり、「ガラスの壁」が存在す る。第五に、給与表における等級による、最高号俸の長短である。国家公務員は、号俸が短いほど、よ り上位の等級に昇進するチャンスが早くなるが、基地従業員の場合には、その分、早く「ガラスの天井」 に阻まれる。枠外号俸は、そのギャップの調整措置とみられるものであったが廃止された。 4)米国連邦政府職員の賃金表 米連邦政府職員は基地労働者と同様の職種給制度をとっている。その賃金表は、各等級の最高号俸に は、長短はなく、初号俸と最高号俸の賃金倍率は、ほぼ一定である。これは職種間、あるいは等級間の 賃金表における公平性を保つ仕組みといえる。さらに、最高号俸に到達した場合は、二つの措置がとら れる。米軍の労務管理職員からの聞き取りによると、等級毎に最高号俸に達した場合、それぞれに定め られた“上乗せ額”の範囲内で“昇給”でき、その後、直近上位の等級にシフトして、直近上位の号俸 が適用され、実質的な昇進・昇給となる。等級間の「ガラスの壁」は張られてはいないのである。ちな みに、復帰までの沖縄米軍基地労働者の賃金は、今日の米国連邦政府職員の賃金表方式がとられた。 5)日本の公務員報酬の国際比較 基地労働者賃金が国家公務員の賃金に準拠することから、GDP を尺度として、公務員報酬の水準を 国際比較すると、2007 年の OECD における地方公務員・国家公務員報酬は、集計された 28 カ国中、 日本は GDP 比 6.1%で、最も低いものとなっている。相対的にみて“公務員天下”とは言えない。 6)国家公務員給与の人事院勧告基礎 人事院は、民間企業・事業所規模 50 人以上の給与調査をもとに毎年の「人事院勧告」を行う。これ は平成 18 年、 「官民給与の比較方法の在り方に関する研究会」報告書が、それまでの 100 人以上を比較 対象とした企業規模は 50 人以上が適当であるとしたことを受けている。この流れは、当然、基地労働 者にも影響を及ぼす。幾つかの基本的課題を検討してみたい。 議論の出発点は、人事院勧告が国家公務員の“労働基本権制約の代償措置”であることである。とす れば、結論的には、比較対象とする民間事業所は、労働組合のある企業とすべきである。なぜなら、労 働組合の賃金効果が認められるからである。 日本の最近の研究によると、デフレ下において、属性等をコントロールした労働組合の賃金効果は 17%、非金銭的な労働条件についても組合効果が認められている(2009 年)。この結果を敷延するなら、 “代償措置”とはいうものの、人勧制度のもとの国家公務員は、いってみれば 17%の機会費用(逸失所 得)が発生していることになる。米国で同様な結果を得た先行研究は、その論の締めくくりにおいて「う まく機能している労働市場には、十分多くの組合企業と非組合企業があって、労働者にいろいろ労働条 件を与え、就業規則や条件に革新をすすめ、市場で競争すべきである。そのような競争は、一方では組 合の独占力を制限し、もう一方では、労働者に対する経営者の権利を制限する」と指摘した。これは耳 を傾けるべき正当な論理であり、日本の労働組合組織率の低さも懸念すべき点ではあるが、代償措置と しての人事院勧告の官民比較ベースは、組織化された国家公務員と同様、労働組合のある、かつ同水準 まで組織化された企業が比較対象とされるべきはずである。 あわせて、重要なことは、日本における生産構造、つまり、大企業を頂点とする下請け、孫請け等々 のピラミッド構造のもとで、人勧の調査対象企業規模を小さくしてきたことは、他方において、結果的 に大企業賃金の“独歩高”を担保し、日本全体の労働市場の健全な競争を阻害することが懸念される。 基地労働者と国家公務員の労働条件等の比較 法律第 174 号の定めを踏まえ、国家公務員と基地労働者の主な差異の見られる労働条件について 15 項目をとりあげ一覧にした。法定外福利については、さまざまな構造的差異があるが、本報告書では割 愛してある。 以下、逐一触れないが、基地労働者と国家公務員では、労働条件の“制度”の有、無、あるいは、大 きな“格差”があり、根本的な検討が必要であろう。なぜなら、それらは労働の対価としての賃金の「付 属品」では決してなく、賃金と「同等」の労働の基本的要素をなすものだからである。たとえば、通勤 災害、業務上災害、業務外傷病等の身分保障期間の差異は、基本的人権の視点から検討する必要がある。 例えば、アメリカにおいて、白人と黒人の間にこのような差異が存在するとしたらどうであろうか、想 像してみるとよい。 実際、安全衛生に関する統計的事実から明らかなように、基地労働者の定期検診における有所見者率 はかなり高い。さらに労働災害指標(平成 19 年)を国家公務員と比較すると、死傷者千人率は 7.6 倍、 強度率 1.7 倍、災害度数率は 6.8 倍にも達する。基地労働者の地域間、職種グループ間の実態把握とハ ード面・ソフト面の安全対策・教育の充実が急がれるべきである。 このような実態を踏まえるならば、国家公務員並みの措置であっても十分とは言えず、むしろ、それ を上回る措置がとられてはじめて、公正・適正な労務管理と言える。 手続き的な問題に起因する弊害も存在する。労働基準法が定める“36 協定”も未だに締結されていな い。復帰前の沖縄米軍では、悪法とまでいわしめた琉球列島米国民政府布令 116 号(1953 年)におい てさえ、日本の労働基準法にならうかたちで時間外労働、休日労働は労使協定を前提に認めたのである。 国家公務員との労働条件の差異を生む背景には、基地労働者の労働条件等をめぐって、日本の労働・ 福祉関係法令等の制定・改正施行に際しても直ちには措置されないこと、さらには基づく法令等が国家 公務員関係法令であったり、労働関係法令であったり、米軍の運用により影響を受けるものであったり するためであるが、これらの有無、差異等は、改めて貨幣価値換算による評価の余地もある。 結局のところ、賃金体系、労働条件、福利厚生などについて依拠すべき体系、法令類が“ごちゃまぜ” で適用されることによる極めて曖昧な環境は、基地労働者の“身分”の変動とも無関係ではなかったで あろう。そこで基地労働者の立ち位置を再検討するために、我が国における“国防”、“防衛”、軍事基 地、そして基地労働者の労働生活の現実を捉え直してみたい。 純粋公共財としての“国防”、基地配置、基地労働 純粋公共財としての“国防” 橋本首相は、1997 年、シンガポールでの演説の中で「日米安保体制は一種の公共財である」とした。 これは日本の首相としては初めてのことであるとされる。これを端緒にして、日米安保について、日米 の研究者が「公共財としての日米安保」共同研究プロジェクトなどに取り組み、ジャーナリスト・研究 者による「国際公共財論」、最近では防衛省組織の研究者による「自衛隊国際公共財論」が語られてい る。こうした公共財、国際公共財の供給主体は政府である。政府の一般行政サービス、外交、法務警察、 消防、そして防衛はあわせて「純粋公共財」の概念に対応するものである。したがって、橋本首相の言 う「一種の公共財」とは、純粋公共財を指すものである。道徳哲学者でもあるアダム・スミスは、『国 富論』において「主権国家の第一の任務は、その社会を他の独立国からの暴力と侵略から守ることであ り、それは軍事力によってしか遂行できない」とした。この自由主義国家論(夜警国家論)は、小さな 政府論の思想でもある。これに対しては“自己矛盾”として反論もあるが、上のアダム・スミスの概念 は、サミュエルソンが「純粋公共財」として理論的に整理してみせた。 純粋公共財は、二つの概念によって定義される。ひとつは「非競合性」である。例えば、街灯の光は、 その下を通る人が増える毎にどんどん光が消費されて、そのうち街灯の明かりが消滅することはない。 同様に、国防サービスは、同時に国中の人々が享受しているサービスであり、ある人が国防サービスを 享受したからと言って、他の人が同時の同じ国防サービスを享受できないと言う性質のものではない。 他の一つは「非排除性」と呼ばれる。例えば、税金を払わない人の家の火災を消火しないということ はできない。もし、消火しないでいると税金を払っている人の家が延焼する恐れがあるからである。こ こに軍事基地の配置をめぐる“フリー・ライダー”の問題がでてくる。ある自治体においては自治体臨 時職員賃金を「物件費」扱いとする「決算統計」の在り方について総務省に繰り返し問題提起している が、基地労働者の賃金もまた「物件費」扱いである。日米安保が持つ純粋公共財の機能は、「臨時労働 者」が支えている性格のものであるといえよう。 このような性格を持つ純粋公共財は、民間が市場を通して供給することが困難なものであるため、政 府が税金をあてて供給するのである。純粋公共財支出(政府一般サービス、防衛、社会秩序・安全)の 政府最終消費支出に占める割合を国際比較で見ると、日本は 19.34%、アメリカが 30.94%、イギリス 21.00%、フランス 19.09%、ドイツ 18.36%、そして隣国の韓国は 27.62%である(2007 年 OECD)。 このうち、防衛については、米国と同盟関係にある日本は 2.50%、ドイツ 2.28%、そして韓国 8.82% となっている。米国は 11.49%を占めている。 日本の防衛費を平成 20 年度の「一般政府の目的別最終消費支出」 (名目)でみると、4 兆 1,590 億円 で、最終消費支出の 4.4%を占める。統計の制約から、平成 21 年度の防衛省予算と平成 20 年度関係省 庁による予算を合わせてみた在日米軍の直接支援は、5,567 億円で、平成 20 年度の防衛費の 13.6%に あたる。これが日米安保の直接コストである(他に国有財産提供などの間接コストもある)。 また、“防衛”が国民全体に及ぶという観点から、人口一万人当たりの基地従業員を計算してみると 1.9 人になる(2008 年) 。 基地労働者の任務 第二次大戦後の日本占領軍以来、基地労働者は、一般国家公務員、国家公務員特別職の位置づけなど から、「国家公務員ではない国の雇用者である」という今日の“身分”へと変遷してきた。沖縄では、 高水準の高失業・低賃金を背景に“準国家公務員”人気で、毎年の 5 百人ほどの採用に対して、多いと きには1万数千人が応募しているが、基地労働者の任務の面から見た“身分”の位置づけは、必ずしも 明示的ではない。 たとえば、『日米同盟:未来のための変革と再編(仮訳)』(2005 年)において、その“役割・任務・ 能力についての基本的考え方”の項目で、「日本は、米軍の活動に対して、事態の進展に応じて切れ目 のない支援を提供するための適切な措置をとる」としている。 この場合、「国家公務員ではない国の雇用者」である基地労働者に対して、国は役務の提供を命じる ことを可能とするのであろうか。あるいは使用者たる米軍は、その命令権限を有するのであろうか。 米国における 9.11 同時多発テロに伴う沖縄米軍基地において、一つの参考事例がある。全駐労の防衛 施設庁長官宛の文書で「テロ攻撃等の緊急時に対応する職場や従業員を含む要員の指定に関して、従業 員に同意書への書名を求めたり、出勤しないと制裁の対象になるなどの文書が一部の軍からだされた」 としている。これに対して施設庁は「全般的に検討させてもらう」と回答した。ここには、純粋公共財 としての日米安保における、米軍、日本政府の双方における使用者、雇用主としての基地労働者の任務 の明示的な基準、あるいは、基地労働者に対する明示的な“雇用主責任”“使用者責任”を窺い知るこ とができない。本土の基地労働者は、1950 年、占領軍の要求で乗船要員として駆り出され朝鮮戦争の 犠牲になった仲間達の記憶、沖縄米軍基地の労働者は、“乗船拒否は解雇ありの通告”を受けベトナム 戦争時の戦地湾岸奥深くの“軍務”に差し向けられた記憶がある。時代状況が変わり、今日、米軍は、 “戦地”“戦時”のない“テロとの闘い”に軸足をおく。今日の基地労働者は、また、そうした時代の 労働者でもある。 明日への道 このところの、そして近未来の基地労働者がおかれている状況は、“受難の時”を迎えていると言わ なければならない。賃金労働条件の切り下げは、諸手当から始まり、地域並み賃金論のもとで、基本給 の引き下げを迫られている。この種の労働者への “権利返還”要求は、経済、経営の難局に際して企 業側がとる珍しいことではない。しかし、その際、労使間には、雇用を守るという基本合意のもとでの 経営者側から持ちかけられる「譲歩交渉」 (Concession Bargaining)である。だが、この先、基地労働 者には、米軍再編で 4 千人半ばを超える大量解雇が予想される。労働力と土地は、基地を等しく支えて いる。さまざまな法制度によって「跡地対策」がとられ国、県、市町村に至るきめ細かな措置からする と、その離職者対策は、いかにも「再編特措法」まかせの感を免れない。基地労働者の賃金労働条件を しきりに“切り下げ” 、半面、 「商業用地の地価が 30%以上も下落した時期においても、軍用地料は経済 情勢の影響を受けずには安定的に3%ずつ上昇した」という事実は、整合性のない政策として指摘され るべきものであるが、労働力と土地の“跡利用”の中心的役割は、両要素を知り尽くしている防衛省に 位置づけられてよいであろう。 より根本的な問題を指摘しなければならない。言葉を二つ選ぶとすれば、 “準拠”と“合意”である。 その狭間におかれた基地労働者の曖昧な立場ないしは地位。準拠について言えば、給与体系は、職務給 方式の国家公務員給与表を職種給方式の基地労働者への適用は、木に竹を接ぐに等しいと言える。労働 条件面の国家公務員との“格差”は、“人権格差”とでもいうべきものがある。 もう一方の“合意”とは、ここでは法律等を越えて措置するという意味合においてである。この一例 は、地位協定 12 条の 5 である。 「…相互間で別段の合意をする場合のほか、賃金及び諸手当に関する条 件、労働者の保護のための条件並びに労働に関する労働者の権利は、日本国の定めによらなければなら ない」としている。しかし、この“合意”と“許可”の言葉の違いは、いかほどのものであろうか。広 辞苑によると、“許可”とは、一般に禁止されている行為を特定人に対しまたは特定の事件に関して禁 止を解除する行政行為。また、願いを聞きとどけること、である。 “合意”とはいうものの、 “許可”権 限は、主権国家である「接受国」(ホスト・ネイション)が持つというより、ゲスト・ネイションであ る米国にあるという論理になっている懸念がある。あとひとつの例は、日米両政府が取り交わす「基本 労務契約」がある。その冒頭にこうある。日米当局双方は、「日本国の法律に定められ、かつ、日米協 定に定められているとおり、従業員の基本的権利を認め、かつ、これを保持することを希望するととも に」云々としている。つまり、従業員の基本的権利は、これを“遵守する”というのではなく、遵守す ることを“希望”するのである。広辞苑によると、「希望」とは、あることを成就させようと願い望む こと、である。ある基地労働者の新聞投稿はこうである。「勤続一年以上の従業員が小学校就学に達す るまでの子を養育するために休暇請求をした場合、22 時から 5 時までの間の勤務は割り当てられない ことになっている」にもかかわらず、それが認められないというのである。「労務管理機構」と軍の人 事部は、それは「米軍の配慮によって行われる」ものであるという。「従業員」も、やはり、米軍の配 慮を“願い望む”という状況にあるということであろうか。 ここに日米両政府が記憶を呼び戻すべき一文を取り上げる。昭和 27 年 4 月 1 日、総司令部渉外局は、 平和条約発効後における日本駐留米軍は日本人労務者の取り扱いについて、「最も明るい労働関係を維 持し、かつ、全ての労務者に対し公正なる待遇を保障する」との指令を出した。その中で、さらに、 「直 接又は日本政府を介して米国軍に使用されるすべての労働者は現行日本労働法規によって与えられて いる全ての保護を享受する」とした。 “準拠”と“合意”は、曖昧さと言う言葉に収斂させることができよう。その曖昧さの最たる例は、 昭和 53 年の外務省・防衛施設庁の「在日米軍労務費問題について」と題する文書で、今日のいわゆる “思いやり予算”の端緒となった、第 404 回日米合同委員会の合意事項にふれたものである。ここで見 るべきは、労務費負担の論理である。これを引こう。「在日米軍労務費問題に関し、在日米軍従業員の 雇用の安定を確保するため、また、米側の財政的困難を緩和し、もって日米安保体制の円滑な実施を確 保するために」云々となっている。その論理の根幹は、基地労働者が理解するように、在日米軍従業員 の雇用の安定を確保するための日本側の財政措置である。この論法は、国民にも「誰かの給料になぜ税 金をあてるのか」という率直な疑問が投げかけられても不思議はない。かつての基地従業員の身分の変 遷の経緯を見ても、論理軸は“防衛”ではなく、関係省庁の“都合”であったと見ることができる。時 を経て、上の日米合意についても、日本の“国防”のためには、日米安保体制を維持しなければならな い、という主権国家としての明確な“政治の意思”は読みとれない。 実際のところ、元駐日米国大使館特別補佐官が指摘するように、米国側から見ても、在日米軍駐留経 費の内容は、「政策のごちゃ混ぜ(a hodge-podge of policies)で、保守政党、あるいは革新政党のいず れの側の政策からしても筋の通った説明にならない」ものであり、日本政府による労務費負担は「米国 と日本の保守主流とのつながりの強化、そして非共産主義野党との暗黙の横断的連携を案出するという 巧妙な“一石二鳥”の方策であった」と解釈されている。 一方で、上の昭和 53 年の合意文書では「第 380 回合同委員会で継続検討が合意された“有意義な労 務政策決定のために要望される長期的雇用計画の作成について”、そして“所要の日本の法令を基本労 務契約、船員契約及び諸機関労務協約におりこむべしとの日本側提案について”等は、引き続き話し合 いを行い、その結果について速やかに合同委員会に報告することが合意された」。その経緯と結論はど のようなものであったろうか。 次の一文をもって、とじる。 “防衛”は、純粋公共財として、財政措置し、政治声明した政府は、従来通り、基地労 働者の労務費を一般物件費に位置づけ、準拠と合意、そして“願い望みつつ”基地労働 者を処遇し、かつ、雇用主たる政府、使用者たる米軍はともに、基地労働者の“国防” “防 衛”の任務を明示しないまま、日米安保体制を維持することになるのであろうか。 I.在日米軍基地への就業 A.在日米軍基地の概要 1.米軍日本駐留の根拠 日本への米軍駐留の法的根拠は、通称「日米安保」と「地位協定」に基づいている。正式には、前者 は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(昭和 35 年 6 月 23 日条約 6 号)で あり、その第 6 条は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与す るため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを 許される」としている。そして、後者は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条 約第 6 条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」 (昭和 35 年 6 月 23 日条約 7 号)であり、労務について、 「現地の労務に対する合衆国及び第 15 条に定める諸機関の需 要は、日本国の当局の援助を得て充足される」という取決めを根拠としている。 ただし、沖縄の事情は異なっている。第二次大戦末期の 1945 年 4 月 1 日の占領軍として沖縄本島上 陸した米軍は、ただちに占領者としての統治を開始し、軍用地と基地労働力を確保した。1946 年 1 月 GHQ 覚書により、小笠原、奄美、沖縄の日本の行政権が停止された。 1952 年 4 月 28 日に発効した対日平和条約のもとで、日本は独立国としての主権を回復した。半面、 その日を以て、沖縄・奄美(奄美は、1953 年 12 月 25 日返還、小笠原 1968 年 6 月 26 日返還)の施政 権を米国に委ねた。米国の沖縄統治は 1972 年の 5 月 15 日の日本復帰まで続いた。 2.米軍への提供施設と基地労働者 1)基地労働者数と提供施設の推移 前節にみた日米双方の取り決めにより、日本政府は日本に駐留する米軍に対して施設提供と労務調達 の責任を担っている。防衛省『防衛施設庁史』(平成 19 年)から 1952 年の対日講和条約発効後から最 近までの基地労働者数の推移をみると、2008年には 1952 年の 10%程度である(図1)。 図1 8 24,410 5 25,256 2000 24,462 在日米軍基地労働者数の推移 23,223 95 90 22,047 85 21,117 80 20,464 (年度) 24,543 75 36,122 70 50,846 65 56,246 60 143,555 55 187,905 1952 0 20,000 40,000 60,000 80,000 100,000 (人) 120,000 140,000 160,000 180,000 200,000 なお、1972 年以前の全国データには沖縄基地労働者数や施設面積は含まない。 同じ期間に、提供施設の専用面積は 23%に減少したが、2010 年現在、米軍専用施設の約4分の3は 沖縄に集中している。沖縄の自衛隊基地のほとんどは、一部宿舎のほかは、返還された米軍施設を引き 継いだものである。 2)職務特性でみた基地労働者の分布 基地労働者は基本労務契約(MLC:Master Labor Contract) 、船員契約(MC:Mariners Contract)、 および諸機関労務協約(IHA:Indirect Hire Agreement)の3つのタイプからなり、職務の基本的性格 は、基本労務契約と船員契約の従業員は基地運営に関わる部分、諸機関労務協約の従業員は米軍人軍属 の福利厚生部門に従事している。 防衛省『防衛施設庁史』 (平成 19 年)から 1960 年以降の 5 年ごとに職務タイプ別に各軍に勤務する 従業員数の推移を示した(図2~5) 。全国の MLC 従業員は、空軍と陸軍で傾向的に減少し、海軍(海 兵隊含む)の比重が高くなっている。各軍とも 1980 年まで IHA 従業員を急激に削減してきたが、その 後、徐々に増やし、1961 年の半分近くの水準に戻している。沖縄では、復帰前後の大量解雇で基地労 働者は大幅に減少し、MLC は 1980 年以降、ほぼ横ばいで推移している。他方、IHA 従業員は AAFES を中心に増加し、2008 年時点では、全国の約 52%を占めている。 2008 年 4 月 1 日時点の調査によると、基地労働者総数は 24,410 人で9都県の基地に就業している(1)。 地域別分布を見ると、MLC の従業員は神奈川の 7,526 人が最も多く、ついで沖縄の 6,020 人となって いて、この二つの地域に MLC 従業員総数(18,884 人)の 72%が働いている。同じく IHA の従業員総 数 5,512 人の地域分布をみると、沖縄の 2,785 人が目立って多く、全体の 51%を占め、ついで神奈川の 976 人と東京の 959 人などの順である。このほかに、IHA には時給労働者が数百人就業しているといわ れている。船員契約(MC)従業員は広島、沖縄に合わせて 14 人である。 なお、 「日米地位協定」では、基地労働者の給与は米軍が支払うこととされ、MLC は米国政府歳出予 算(AF:Appropriated Fund)から、IHA については独立採算制(NAF:Non-Appropriated Fund) のもとで雇用されるが、現行の日米の特別協定のもとで、いずれも留保されている。ただし、現行の特 別協定では、日本政府が負担する労務費は、23,055 人を上限としているから、これを超える 1,355 人の 労務費は米軍が負担していることになる。 図2 在日米軍基地従業員数の推移(MLC・MC) 陸軍 海軍 空軍 60,000 50,000 21,050 40,000 (人) 14,769 30,000 14,929 10,241 20,000 12,131 4,847 9,949 10,000 13,740 1965 1970 4,704 4,843 4,859 4,499 5,523 9,385 9,099 9,024 9,590 10,347 10,873 10,777 3,601 3,584 3,278 3,523 3,420 3,377 2,598 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2008 8,596 0 1960 4,757 8,091 20,267 8,425 4,924 1975 年 図3 在日米軍の従業員数の推移(IHA) 陸軍 海軍 空軍 14,000 12,000 10,000 7,033 8,000 5,434 (人) 6,000 3,575 4,000 3,742 3,438 2,793 2,000 1,451 1,334 1,139 1961 1965 1970 0 1,698 875 436 1975 2,623 2,908 2,258 2,153 3,155 3,292 2,381 2,528 3,153 2,179 1,571 2,080 1,332 776 207 166 365 345 316 327 279 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2008 年 図4 沖縄米軍基地の従業員数の推移(MLC・MC) 陸 海 空 海兵隊 18,000 16,000 1,234 14,000 2,100 12,000 402 1,212 10,000 1,849 (人) 8,000 6,000 384 11,676 4,000 2,000 0 1972 1975 2,086 2,481 2,513 2,183 2,442 2,397 2,409 376 699 372 732 406 758 410 747 412 747 1990 1995 2000 2005 2008 1,485 1,489 1,578 535 530 502 504 424 540 572 618 587 1990 1995 2000 2005 2008 2,057 2,022 1,985 2,013 2,484 2,403 2,376 390 904 371 798 1980 1985 7,696 図5 年 沖縄米軍基地の従業員数の推移(IHA) 陸 海 空 海兵隊 AFFES(OWEX) 5,000 4,500 4,000 3,500 1,622 3,000 (人) 2,500 717 2,000 709 1,234 1,299 1,500 1,064 835 1,000 804 216 500 286 0 1972 1975 522 452 327 202 337 1980 1985 年 3)給与水準 米軍基地では職種による同一労働同一賃金が支払われている。2008 年についてみてみよう(表1)。 所定内給与は MLC が 33 万 3 千円、IHA では 26 万 7 千円、諸手当を除く基本給は MLC が 26 万 5 千 円、IHA では 21 万 2 千円である。給与水準を地域別にみると神奈川、東京が高く、沖縄は低い。この 地域間格差の要因は、職種や勤続年数などの差のほか、平成 18 年度から導入された地域手当の差によ るものであろう。この点は後述する。半面、東京、神奈川の基本給比率は低くなっている。 表1 都道府県別の基地労働者数と給与(2008 年) (単位:人、円) MLC 人数 所定内給与 IHA 基本給 基本給比率 人数 所定内給与 基本給 基本給比率 83.9 青森 986 322,835 271,797 84.2 290 244,595 205,183 埼玉 5 336,081 267,540 79.6 0 0 0 東京 1,686 342,027 262,575 76.8 959 292,704 217,127 74.2 神奈川 7,528 356,146 277,079 77.8 976 270,037 209,832 77.7 静岡 96 320,499 260,648 81.3 34 261,792 210,696 80.5 広島 365 325,001 271,093 83.4 8 255,455 199,375 78.0 山口 855 324,177 270,319 83.4 321 260,553 217,077 83.3 長崎 1,343 324,301 267,854 82.6 139 262,107 215,964 82.4 沖縄 6,020 307,507 248,704 80.9 2,785 260,626 211,794 81.3 18,884 333,140 265,298 79.6 5,222 267,062 212,415 79.5 計・平 均 資料:労務管理機構「駐留軍等労働者給与等実態調査報告書 0 平成 20 年」より作成 3.米軍の兵員・職員配置 米国米軍の兵員及び軍の文民の人数は、いずれも大幅に減少している(図6~7)。兵員数は 1960 年 の約 247 万から 2008 年には約 140 万人まで減少、同じ期間に国防関係機関職員はかなり増加している ものの、軍関係の文民は半減している(Office of the Undersecretary of Defense:National Defense Budget Estimates for FY2008) 。 近年の米国の外国配置兵員も 1986 年の 52.5 万人から 2005 年には 29 万人に減少している。東アジ ア・太平洋地域では、2005 年には約7万9千人が配置され、このうち日本には軍人が約3万6千人(1986 年は4万8千人)、韓国には約3万1千人(同4万3千人)となっている。艦艇に約1万2千人が配置 されている(Department of Defense 2005:Worldwide Manpower Distribution by Geographical Area)。 図6 アメリカの兵員数の推移 陸軍 海軍 海兵隊 空軍 3500 3000 791 2500 825 2000 815 190 (千人) 1500 171 260 672 602 539 188 198 197 527 571 613 558 196 535 692 617 1000 583 1,322 500 873 969 784 781 777 400 174 356 352 329 173 180 180 435 373 362 328 509 482 492 489 1995 2000 2005 2008 2000 2005 2008 751 0 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 年 図7 アメリカの国防関係民間職員数の推移 陸軍 海軍及び 海兵隊 空軍 国防機関等 1400 1200 1000 800 (千人) 600 400 200 0 1960 1965 1970 1975 1980 年 1985 1990 1995 4.自衛官数と事務官数の推移 日本の自衛官と防衛省本省事務官の 5 年ごとの推移をみると、自衛官は 1980 年から 95 年に 27 万人 台で高原状態となったあと、2006 年には 25 万人台に減少している。また、防衛事務官は、1965 年を ピークに減少傾向が続き、2006 年には 2 万人程度になっている(図8)。このほか、3 千人程度の施設 庁職員が配置されている(http://www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/31-03.xls) 。 図8 日本の防衛省自衛官と事務官数の推移 自衛官 事務官 280,000 30,000 (人) 270,184 270,000 272,162 274,652 273,801 (人) 266,046 25,000 262,073 259,058 260,000 251,582 250,000 251,222 20,000 246,094 240,000 15,000 230,935 230,000 10,000 220,000 5,000 210,000 200,000 0 1960 1965 1970 1975 1980 1985 (年) 1990 1995 2000 2005 2006 B.基地労働の基本的構造 1.基地労働者の“身分”の変遷と雇用方式 1)基地労働者の“身分” 通常、労働者は自らの職場を紹介するとき、「○○会社」とか「公務員」、「○○の自営業」をして いるなどと説明する。米軍基地に働く人々は、自らを「基地従業員」と紹介することが少なくない。 しかし、その“身分”は、民間や公務員ほどに明瞭ではない。 現在、在日米軍基地の「基地従業員」は、雇い主が日本政府で、使用者は在日米軍であり、国家公 務員ではなく、かつ米国政府の職員でもない。国家公務員ではない根拠は、法律で「国家公務員では ない」と決めたからである(法律 174 号昭和 27 年 6 月 10 日の「日本国との平和条約の効力の発生 及び日本国とアメリカ合衆国との間の日米安全保障条約第 3 条に基づく行政協定の実施に伴い国家公 務員法等の一部を改正する等の法律第 8 条 1 項) 。その1項では「アメリカ合衆国政府の責務を本邦 において遂行する同国政府の職員のために労務に服するもの」(傍線は筆者)としているから、米国 軍人・文民の指揮監督の下に働く労働者であり、会社員でもなく、公務員でもなく、自営業者でもな い存在で、「私法上の雇用契約により国に雇用されるもの」である。この点については、改めて言及 する。 基地労働者の“身分”をめぐっては、終戦後、幾度かの変遷を辿っている。時期区分でみると、次 のようなものであった。 国の雇用者:昭和 20 年 9 月~昭和 23 年 6 月 国家公務員(一般職):昭和 23 年 7 月~昭和 23 年 12 月 国家公務員(特別職):昭和 23 年 12 月~昭和 27 年 6 月 国の雇用者:昭和 27 年 6 月以降、現在に至る 現在の雇用・使用関係が峻別されている労働形態を国は「間接雇用方式」と呼んでいるが、沖縄の 米軍基地労働者は、復帰の年の 1972 年までは、米軍が雇い主であり、かつ使用者である「直接雇用 方式」のもとにあった。現在の IHA 関連は本土においても 1960 年までは米軍による「直接雇用方式」 がとられていた。米軍統治下の沖縄の軍雇用員の“身分”について、当時の基地関係労働組合の「全 軍労連」からの「沖縄人雇用員の“身分”に関する質問書」 (1963 年 4 月 29 日)に対し、米国陸軍 人事部長回答は、 「琉球人雇用員の“身分”を、合衆国の政府公務員と同一視する法的根拠は、ただ、 沖縄人雇用員に対して、米合衆国陸軍が給与を支払っているからというだけのことである」と、“単 純明快”そのものであった(2)。 2)米軍基地労働者の“身分”の国際比較(ドイツ、オランダ、韓国) 米国が他の国ぐにとの間で定めている地位協定では、国により基地労働者の雇用形態、労働条件な どについては異なる。この概要をみてみよう(3)。 (1)“身分”として、いわゆる間接雇用方式をとっているのは、日本とオランダの例がある。 オランダでは、オランダ政府職員として雇用され、日本では、政府職員ではない。ドイツ と韓国では米軍の直接雇用方式のもとにある。 (2)労働条件の定めは、日本では日米間の契約で規定。オランダはオランダ国防省の規則で規 定。直接雇用方式をとる韓国では、在韓米軍の規則で規定、おなじくドイツは米軍当局と の合意の下にドイツ政府と労働組合の労働協約で規定。 (3)給与は、日本では、一般慣行に基づく国家公務員準拠、オランダではオランダ国防省文民 職員規則による。 (4)労務費負担は、特別協定により日本では給与等のほとんどを負担(約 92%、平成 20 年度 予算)、定数枠を超える基地労働者の労務費は米国負担。オランダは、すべて米国負担。 米軍による直接雇用方式をとっている韓国でも歳出資金機関従業員の給与の 71%を負担。 ドイツでは米側負担、ただし社会保障に関する労働協約により一部をドイツが負担。 こうしてみてくると、基地労働者の“身分”などは、国によって、それぞれであり、かつ日本のよう に、その時々で変化している場合もある。日本において、その時々で変化してきたという背景には何が あったのか。 基地労働者の“身分”をめぐっては、1952 年の日米安保条約発効前の数ヶ月、政府内部、そして現 在の全駐労の前身である全進同盟において活発な議論が交わされた様子を窺える(4)。これについてみ ておこう。 1 月 29 日:政府部内の意見が軍直接雇用か間接雇用かで対立 2月 2日:全進同盟、軍直反対、特別職より除外の身分確立闘争を開始 2月 12 日:労働省、軍直接雇用案を撤回 3月 20 日:吉田首相に会見し、特別職除外を要請。民間労働者と同じ自由な立場にするとの身分保 障を要求 3月 31 日:政府、駐留軍労働者の身分は、国家公務員特別職からはずすと決定 当時、日本の労働組合が直面した大きな問題は、公務員をめぐる労働基本権のありようであった。 すなわち、 「マ書簡、それにもとづく政令 201 号、昭和 23 年 11 月の公務員法の改正、公共企業体労働 関係法の制定、など、一連の法的措置は、何れも、一般公務員および官業労働者の労働法上の地位を制 限するものに外ならなかった。結果として、一般公務員は労働組合法の保護の外におかれ、争議権も団 交権も取り上げられ、ただ団結権のみをみとめられ、爾来、すべて人事院の保護と管理のもとにおかれ ることになった」のである(5)。 「マ書簡」とは、総司令部のマッカーサー元帥から総理大臣宛の書簡のことで、官公吏から争議権、 団体交渉権を奪い去ろうとするものであった。司令部のキレン労働課長はこの制限を行き過ぎである旨 の意見を主張したが容れられず、辞任帰国した(6)。かくして日本の組合運動は「占領軍の支援によっ て出発し、占領軍の抑圧的指令によって低迷した」といわれる状況に陥ったのである(7)。 さらに軍直接雇用か間接雇用かをめぐる議論が高まった前年の日本の労働運動の取組みは、注目され る。昭和 26 年の春以降の総評とその傘下の組合年次大会で「軍事基地提供反対」などの「平和四原則」 を採択している。ここで日本の労働運動は、はじめて全面的に占領軍に対する抵抗運動の展開を宣言し た(8)。 このような労働運動の大きな流れ、そして公務員の争議権、団体交渉権が剥奪される状況にあって、 基地労働者の地位をめぐる前述の一連の経緯、すなわち軍直(=直接雇用)、特別職除外の運動は、駐 留軍労働者が労働三権を選び取る運動であった、とみることができるであろう。明確な因果関係を示す ものではないが、軌を一にしていることは確かである。 上の経過を受けつつ、「国家公務員法を一部改正する法律(昭和 27 年法律第 174 号) 」が施行され、 基地労働者の身分は、国家公務員ではないとされ、現在に至っている。 ここで基地労働者の“身分”をめぐる関係省庁の立場を整理しておこう(9)。 (1)労働省は、軍直雇用制度を主張。その根拠の一つは、北大西洋同盟条約に準拠して雇用 権と使用権を一元化し、労働法を完全適用すること。 (2)特別調達庁は、23 万人の進駐軍労働者の労務管理を将来軍直接雇用にしていくことは過 去の経験から不可能である。 (3)大蔵省は間接雇用に反対。理由は不明。 しかし、昭和 30 年に入っても、調達庁は「陸軍と空軍では軍直接雇用に切り替えたいという意味で、 すでに極東軍司令部に意見を出している」ことを伝えられていた(10)。 すなわち、関係省庁の論理は、省庁の内部事情のようなものであり、日米安保の下での“防衛”ない し“国防”に関する根幹の議論に立脚したものではなかったことが読みとれる。 昭和 27 年 4 月 1 日、総司令部渉外局は平和条約発効後における日本駐留米軍は日本人労務者の取り 扱いについて「最も明るい労働関係を維持し、かつすべての労務者に対し公正なる待遇を保障する」と の指令を出した。さらに、この指令では「組合活動には何ら干渉しない。直接又は日本政府を介して米 国軍に使用されるすべての労働者は現行日本労働法規によって与えられているすべての保護を享受す る。良好なる労働関係は日本人労務に責任を持つ米国軍担当者によって維持される」と述べた(11)。 ここで、政府が定義する今日の基地労働者の“身分”すなわち、「駐留軍等労働者は、私法上の雇用 契約により国に雇用されるものである」という点について、検討しておこう。まず、 「私法」とは何か。 私法とは“私人”間の関係を規律する法である(民法や商法など)。近代私法の三大原則は、権利能力 平等の原則、私的所有権絶対の原則、そして私的自治の原則とされている。私的自治の原則とは、私法 上の法律関係については、個人が自由意思に基づき自律的に形成できるというものである。その論理の 延長上には、法律行為自由の原則がある。法律行為とは、当事者間に適用される私的な法律を当事者の 意思によって制定・改廃される立法作用と説明されている。そのうち特に契約自由の原則、すなわち契 約締結の自由、相手方選択の自由、契約内容の自由、契約方法の自由が国家の干渉を受けずに自由にす ることができる(傍線は筆者)というものである(12)。こうした私法上の「契約自由の原則」のもとで、 基地労働者と日本政府との間の雇用関係が成立している、というものであろうか。 2.採用・雇用・解雇 1)募集と採用 米軍は、約 1,300 の職種(日本の統計上の職業小分類は 364 職種)のどちらかに空きが出ると、ま ず基地内で“募集”をだし、基地労働者からの応募がない場合は、日本政府の機関である駐留軍等労働 者労務管理機構に求人の通知をする。同機構は、応募者ファイルから該当者を書類選考して、米軍が面 接、採否を決定する。採用が決まると 6 ヵ月の試用期間のあと、正式採用となり、日本政府が雇用主、 米軍が使用者となる。しかし、沖縄以外の地域では IHA 従業員は、直接、米軍雇用課が募集、採用し ている場合もある。 最近数年間の基地労働者の平均年齢・勤続年数は、労務形態による差がみられる。この間、MLC は 男女とも平均年齢・勤続年数とも高く・長くなっており、労働移動は低いことが窺える(図9)。IHA では、とくに女子の平均年齢・勤続年数は他のグループに比べて、ほぼ“固定”していることから、労 働移動(入職・離職)が高いとみられる。同様に基地労働者と国家公務員を比較すると、国家公務員が “新規学卒市場”型、基地労働者の場合は “中途採用市場”型とでもいえるもので年齢と関連づける と勤続年数は短く、民間企業等での就職を経て基地に就労していることが読みとれる。 このようなことから、就業経歴は基地労働者の職務特性でも異なり、また国家公務員と基地労働者と の間の違いも鮮明である。 図9 国家公務員と基地労働者の年齢と勤続年数の推移(平成15年~19年) 国公計 MLC男 MLC女 IHA男 IHA女 25 20 15 (勤続) 10 5 0 37 38 39 40 年齢 41 42 43 44 雇用要件は、日本国籍に限らない。MLC(常用・限定)と IHA はともに、永住・定住、日本人配偶 者等のいずれかのビザ所持者は就労できる。IHA の場合は、米国籍者は不可であるが、米国国家公務員 である軍人・軍属の扶養家族は就労できる。保安上の懸念がある場合(中国籍、北朝鮮国籍など)は基 地には入れないため、採用されることはない(13)。 このほか、民間の労働者派遣業を通して、アルバイトや個人契約により直接基地の募集職場で就労す る就労経路もあるが、労務管理機構へのヒアリングでも実態は把握できてないようである。 2)解雇 解雇権は、雇用主の日本政府ではなく、使用者の米軍にある。米軍が不適格と判断した場合は、“解 雇”することができる。これについて、MLC の場合は、申し立てができるが、IHA の場合は、手続き の違反がなければ、一方的解雇権を発動できる。解雇が発生するのは、軍の機能縮小などの政治的な意 思決定を受ける場合、及び職場内の使用者の判断による「保安解雇」と呼ばれる基地特有のものがある。 日本における民間企業労働者の場合、現に雇っている労働者を、もはや“需要”せず、として“問答無 用”で解雇することは経済解雇整理四要件(注:人員整理の必要性、解雇回避努力義務の履行、非解雇 者選定の合理性、手続きの妥当性)で厳しく制限されている条件は、民間労働者と同じく労働三法が適 用されている基地労働者は、それを共有しない。 ここで文化の違いの理解の大切さについて触れておかなければならないであろう。これは日本と米国 の文化の違いを指すのではない。日本本土と沖縄のことである。とくに沖縄の言葉を日本語に言い直す 場合に大きな摩擦・問題の原因になる。端的な事例がある(14)。沖縄の言葉による法廷証言の通訳をめ ぐって、大きな問題が起こったのである。日本語で“懲らしめる” “なぐる”を沖縄の言葉では、 “くる せー”などという。これを法廷通訳が“殺せ”の意味で“kill them”をあてた。それから何十年経って、 全く同じ類の言葉の障壁によるとみられる基地労働者解雇にかかる裁判問題が報道された(15)。報道に よると、米軍側から「殺すと脅迫した」と判断され、懲戒解雇となった。係争中であるが、従業員が言 った「ウチクルス」を国側は「殺す」と発言したとして、争われたという。文化を知るということは、 歴史を知るということである。 3.職種別賃金 2008 年現在、基地での仕事の種類は、MLC 関係が 866 職種、IHA 関係では 492 職種ある(16)。 基地労働者の賃金制度は米国連邦政府職員にもみられる職種給のシステムであるが、職務給で運用さ れる日本の国家公務員の俸給表に“準拠”している。 まず、人数の多い主な給与表について、等級別労働者の分布特性をみてみよう(図 10、11) 。給与表 は、事務・技術関係(給与表1)、技能・労務関係(給与表2)、警備・消防関係(給与表3)、医療関 係(給与表5)、看護関係(給与表6)の5種類からなっている。MLC では、事務・技術関係の労働者 数は、4 等級で最も多く、等級が上がるにつれて右下がりに減少する。技能・労務関係の労働者数は、 等級とともに増加し、7 等級で最大となり、その後は大きく減少する。警備・消防関係の労働者数は、 前 2 者に比べて総数は少ないが、2 等級が最も多い。給与表3、給与表2、そして給与表3の高さの異 なる“三つの山”の並びが鮮明である。 IHA の場合は、事務・技術関係では 3 等級と 4 等級がほぼ同じで、最も多く、技能・労務関係では、 3 等級と 5 等級が最も多い。MLC と IHA の技能・労務関係(給与表2)の労働者数の分布が MLC で はより上位の等級に、IHA はより低い等級に多いことが特徴的な相違点である。 図10 MLC従業員の給与表別、等級別分布 給与表1 給与表2 給与表3 3,500 (人) 3,025 3,000 2,500 2,394 2,133 1,925 2,000 1,592 1,500 1,071 1,000 1,022 835 814 680 537 582 500 411 371 352 321 225 71 3 0 1等級 154 2等級 3等級 4等級 24 5等級 6等級 151 9 2 7等級 8等級 9等級 73 10等級 等級 図11 IHA従業員の給与表別、等級別分布 給与表1 給与表2 1,200 (人) 1,009 1,000 927 800 683 663 693 600 400 332 306 299 199 197 200 130 28 12 0 1等級 2等級 3等級 4等級 5等級 6等級 7等級 1 29 8等級 1 2 9等級 10等級 等級 ところで、国家公務員“準拠”については、幾つかの特徴がある。 第一に、それぞれの給与表には、基地労働者に独自に適用される“中間等級”が組み込まれている。 技能・労務職の給与表2にとりわけ顕著である。基地労働者の場合は、国家公務員の 1 等級から4等級 の枠を持つ俸給表に、6つの中間等級が組み込まれ 10 等級区分になっている。 第二に、国家公務員と基地労働者の双方に共通する等級でも、基地労働者にはいわゆる“マイナス号 俸”が組み込まれ、国家公務員の初号俸(第 1 号俸)より低い号俸からスタートして、国家公務員の初 号俸に到達するまでに所定の年数を要する。同じ等級でも国家公務員と基地労働者では、初号俸に違い があるということである。例えば、平成 20 年度の基本給表1の事務・技術関係職についてみると、8 等級の初号俸は 272,900 円、この国家公務員の初号俸は、321,100 円(基地労働者の 21 号俸相当)で ある。 第三に国家公務員の場合、就職までの経験、資格等が勘案され、等級、号俸が決まるが、基地労働者 の場合は、職種で等級が決まり、経験等を勘案されることは限定的で、多くは初号俸から始まる。先に 見たように基地労働は、中途採用の特徴があるため民間等からの転職の道が開かれているが、採用時の 賃金は“新規学卒的”扱いとなるのである。 第四に職種で等級が決められており、たとえば会計職、秘書職、自動車塗装工など、同一職種で働き 続ける限りそれぞれの等級から上位の等級には昇進することはない。あれこれの職務を経験しながら、 上位の等級に昇進する国家公務員の“職務給”とは、根本的に制度的違いがある。基地労働者賃金が準 拠する国家公務員俸給表には、男女間賃金格差を論じる際の用語の一つである“ガラスの壁”が存在す るのである。例示的に平成 21 年度の国家公務員俸給表(行一)大学卒 1 級の場合、経験年数が一年未 満は約 17 万 4 千円(「俸給」は民間の「所定内給与」に相当する)、経験年数 35 年以上で約 24 万 6 千 円止まりである。そのパターンが職種給の基地労働者賃金である。しかし、国家公務員の場合、昇進・ 昇格制度があるから大卒平均でも約 44 万 5 千円に達する。 第五に賃金表における等級別の“最高号俸”の“長短”である。その一例は図 12 である。国家公務 員は号俸数が短いほどより高い等級への昇進のチャンスが早まる仕組みといえるが、基地労働者の場合 は、そのぶん早く、“ガラスの天井”にぶつかる。最高号俸に達すると、その号俸での毎年の定昇にと どまることになる。廃止の憂き目にあった「枠外号俸」は、この緩和措置ではあった。なお、図 12 は、 国家公務員(行一)の俸給表相当職として“準拠”するものであり、そのまま基地労働者に適用される わけではない。例えば基地労働者の 10 等級の最高号俸は 21 号俸止まりである(国は 65 号俸まで) 。 図12 1等級 2等級 基地労働者の事務・技術関係の賃金表(平成20年度) 3等級 4等級 5等級 6等級 7等級 8等級 9等級 10等級 6,000 5,000 4,000 (百円) 3,000 2,000 1,000 0 1 5 9 13 17 21 25 29 33 37 41 45 49 53 57 61 65 69 73 77 81 85 89 93 97 101 105 109 113 117 121 125 号俸 第六に人事評価制度がなく、一律昇給であり、国家公務員に準拠するという基本は適用されない。勤 務成績による特別昇給はないから、それは個人の業績差、成果の差、すなわち生産性の差は無視できる (無視した)ことを意味すると同時に、基地の人事労務管理部門を節約できる機能も持ち合わせている といえる。国家公務員の場合、勤務実績に基づいて昇給や勤勉手当(ボーナス)を決める方式は、予め 定めた人員比率で割り振りする“割当制度”のようなものであり、民間の人事考課とも異質のものとい えよう。 このように「職務給制」をとる国家公務員の給与表に“準拠”した「職種給制」のもとの基地労働者 と実態は、木に竹を接ぐに等しい、といえるであろう。 最後に、毎年の賃金のベースアップについては、国家公務員と「同時・同率」としている。この原則 は、昭和 38年の「新給与体系」実施以前から適用されていて、人事院勧告に基づき、国会承認がえら れた国家公務員の賃上げは、「同時同率」で基地労働者にも適用される。だが、よくよく考えると、そ れは暗黙のうちに労働三権を享受する基地労働者の労働基本権を制約するという論理の矛盾に陥って いないだろうか。ましてや、人事院勧告に含まれることがある賃金体系を含む「その他の給与条件等」 までも基地労働者に「同時」に適用されるということであれば、実質的に“国家公務員並みの労働基本 権の制約”のもとにあると言わざるをえない。 今日の基地労働者の給与条件等に関する根拠法令は、法律第 174 号(昭和 27 年 6 月 10 日)に基づ き、「駐留軍等労働者の給与その他の勤務条件は、生計費並びに国家公務員及び民間事業の従事員にお ける給与その他の勤務条件を考慮して、防衛大臣が定める」とされている。この原理は、国家公務員か ら地方公務員に至る公務員の給与に関する定めに貫徹されているものであり、この点からしても基地労 働者は、あたかも労働三権の“裸の王様”のようである。 4.米国連邦政府職員の賃金表 米国連邦政府の賃金表は 4 つに分けられ、General Schedule(GS)は、いわゆるホワイトカラー労 働者に、Federal Wage System(FWS)は、いわゆるブルーカラー労働者に適用されている。このほか、 Senior Executive Service(SES)、Administratively Determined(AD)がある。GS 労働者の昇給は、号 俸に沿って行われるが昇給期間は、2,3,4号俸は、それぞれ 52 週(1 年)。5,6.7 号俸は、それ ぞれ 104 カレンダー週(2 年) 、8.9 及び 10 号俸には、各 3 年となっている。 職種給制度をとっている米国連邦政府職員の賃金表は、等級ごとの最高号俸数は全て同一である(図 13)。そして、等級間の初号俸と最高号俸の賃金“倍率”は、ほぼ一定となっている。これは賃金表に おける“公平性”を保つ仕組みであると言える。ちなみに復帰前の沖縄米軍基地労働者の“事務職”と “労務職”の賃金格差は大きかったが、等級ごとの最高号俸数は全て同一であり、その意味での等級間 の“公平性”は保たれていた。 図13 1等級 13等級 2等級 14等級 3等級 15等級 米国連邦政府職員(GS)の年俸賃金表(2010年1月発効) 4等級 5等級 6等級 7等級 8等級 9等級 10等級 11等級 12等級 140,000 120,000 100,000 80,000 (ドル) 60,000 40,000 20,000 0 1号俸 2号俸 3号俸 4号俸 5号俸 6号俸 7号俸 8号俸 9号俸 10号俸 号俸 米国連邦政府職員賃金は、最高号俸に到達したとき二つの措置がとられる。米軍の労務管理関係職員 からのヒアリングによると、まず、等級に応じて最高号俸毎に定められた“上乗せ額”の範囲内での賃 金上乗せができ、その後、直近上位等級の直近上位の号俸が適用され、実質的な昇進・昇給となる。基 地労働者のように等級間の“ガラスの壁”は張られていない。 1998 年の在韓米軍の直接雇用方式の韓国人従業員の賃金表は、技能職(KWB)と事務職(KGS)の 二種類からなり、いずれも 13 等級、13 号俸が設定されている。この賃金表体系でも、いずれの等級で も初号俸と最高号俸の“倍率”は一定である。 5.労働条件 基地労働者の労働条件については、「駐留軍等労働者の給与その他の勤務条件は、生計費並びに国家 公務員及び民間事業の従事員における給与その他の勤務条件を考慮して、防衛大臣が定める」 (昭和 27 年 6 月 10 日、法律第 174 号)されているので、国家公務員と比較し、基地労働者と差異の見られる点 を取り上げる(表2)。なお、法定外福利厚生面の構造的差異等もあるがここでは割愛する。 以下、逐一ふれないが、基地労働者と国家公務員では、労働条件の“制度”の有、無、あるいは、大 きな“格差”が見られ、根本的な検討が必要であろう。なぜなら、それらは労働の対価としての賃金の 「付属品」ではなく、賃金と「同等」の労働の基本的要素を成すものだからである。たとえば、通勤災 害、業務上災害、業務外傷病等の身分保障期間の差異は、基本的人権の視点から検討する必要もある。 もし、このような差異が、アメリカにおいて、白人と黒人の間にあるとしたらどうであろうか。 表2 項 目 差異がみられる主な労働条件等 駐留軍労働者 国家公務員 時間外・休日労働 労働基準法 36 条規定の協定なし 「指針」による定めあり 通勤災害 傷病休暇(有給 90 日) 、 病気休暇(有給実質 90 日) 、 その後身分保障 1 年 6 ヵ月(無給) その後身分保障 3 年(無給) 業務上災害 90 日(有給) 、以降 2 年 9 ヵ月身分保障 90 日(有給) 、以降 3 年身分保障 業務外傷病 90 日(有給) 、以降 1 年 6 月身分保障 90 日(有給) 、以降 2 年身分保障 育児休業 対象の子が 1 歳 6 ヵ月まで(無給) 対象の子が 3 歳まで(無給) 勤務時間短縮 子の第 3 回目の誕生日まで(一日 2 時間) 小学校就学まで(一日 2 時間) (無給) (無給) 各対象家族一人に 93 日を超えない期間 各対象家族に連続 6 月を超えない期 (無給) 間(無給) 各対象家族一人に 6 ヵ月範囲又は通算 93 暦 各対象家族に介護を要する状態毎に 日を超えない範囲で、 連続 6 月を超えない範囲で、 一日 2 時間まで(無給) 一日 4 時間(無給) 骨髄液ドナー休暇 移植手術 7 日(有給) 必要と認められる期間(有給) ボランテイア休暇 なし 無報酬の社会貢献、年 5 日(有給) 自己啓発休暇 なし 大学 2 年、国際貢献 3 年(無給) 人事評価 なし、一律昇給 あり、勤務成績で昇給、賞与に差 祝日 米国の祝日と年末年始で 15 日 国民の祝日と年末年始で最大 21 日 賃金 初任給は、最低号俸から適用 試験区分、学歴、免許等も勘案 年金 厚生年金保険法 国家公務員共済組合法 (育児) 介護休業 勤務時間短縮 (介護) 資料:防衛省「第 4 回駐留軍等労働者の労務管理に関する検討会における資料」平成 21 年 5 月より抜粋 実際、安全衛生に関する統計的事実をみれば明らかなように、基地労働者の定期検診における有所見 者率はかなり高い(平成 20 年度には 84%で民間は約 50%である。国家公務員の場合は、基準が異なる ため直接比較はできない) 。さらに労働災害指標(平成 19 年)を国家公務員と比較すると、死傷者千人 率は 7.6 倍、強度率 1.7 倍、災害度数率は 6.8 倍にも達する。基地労働者の地域間、職種グループ間の 実態把握とハード面・ソフト面の安全対策・教育の充実が急がれるべきである。 この安全衛生統計の実態を踏まえるならば、国家公務員並みの措置であっても十分とは言えず、むし ろ、それを上回る措置がとられてはじめて、公正な労務管理と言えるのである。日本国憲法の第 25 条 第一項「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」こと、さらに日本が加盟 国の一つである国際労働機関(ILO)が、その目的の一つとして「すべての職業における労働者の生命 及び健康の十分な保護」を定めていることを再確認すべきである。基本原則に立ち返ることである。 手続き的な問題に起因する弊害も存在する。労働基準法が定める“36 協定”も未だに締結されていな い。復帰前の沖縄米軍基地では、悪法とまでいわしめた琉球列島米国民政府布令 116 号(1953 年)に おいてさえ、日本の労働基準法にならうかたちで、時間外労働、休日労働は労使協定を前提に認められ たのである。 表3 布令 116 号(第 79 条)のもとでの沖縄米軍基地労働者の祭日・祝日の変遷 1953 年・8・18 1955 年・3・10 1956 年・5・9 1966・3・3 米国民政府指令第 2 号 1954 年1・12 民政 布令 116 号第 79 条(公 (民政府布令) に規定 府指令第 2 号に規 休日)に直接規定 第 79 条「琉球人の休 定 日」を廃止 全ての被用者の休日 (4 日) (4 日) (7 日) に指定する(10 日) 琉球人の公休日 元旦(有給) 元旦(有給) 新年 元日、ワシントン誕 春の彼岸(無給) 春の彼岸(無給) 春分(春の彼岸) 生日、子供の日、戦 お盆(一日有給) お盆(一日有給) 琉球政府創立記念日 没将兵記念日、独立 秋の彼岸(無給) 秋の彼岸(無給) (4・1)、お盆(旧暦 記念日、お盆(旧7・ 7 月 15,16 日) 15) 、労働者の日、在 秋分(秋の彼岸) 郷軍人の日、感謝祭、 クリスマス クリスマス 公休日には休むこと ができるが、この欠勤 は積み立てられた年 次休暇から差し引か れ、年次休暇がない場 合には無給休暇とし て差し引かれる。 こ の 改正 で左 下 欄 (注 A)も適用 合衆国の休日 ワシントン誕生日、南 与 え ら れる 有 給 休 1 月 1 日、2 月 23 日、 原則として許可しな 北戦争戦死者記念日、 暇は、当該休日の前 5 月 30 日、7 月 4 日、 い。 独立記念日、労働記念 日 又 は 翌日 の 出 勤 9 月の第一月曜日、11 「合衆国の休日」廃 ただし、必要な管理監 日、休戦記念日、感謝 を 条 件 とし て 許 容 月 11 日、11 月の第四 止 督が行き届かない場合 祭及びクリスマス(7 さ れ な けれ ば な ら 木曜日、 12 月 25 日(有 は、有給休暇として許 日) ない(注 A) 。 給)(注 A)は引き続 可するものとする。 き適用 資料:月刊沖縄社「アメリカの沖縄統治関係法規総覧」 (1983)II,IV より作成 今日の祝祭日(年末年始を含む)及び日数も基地労働者と国家公務員では異なる。基地労働者の場合 は米国の祝祭日が適用され、日数では前者が 15 日、後者が最大 21 日である。 これについても、復帰前の沖縄米軍の場合を振り返ってみよう。復帰前までの沖縄米軍基地労働者に 与えられた休日(祭日)は休む閑もないほど頻繁に改正された(表3)。 特徴的な点は、「琉球人の公休日」と「合衆国の休日」の二通りが定められたことである(17)。そし て「公休日」 「祭日」とはいうものの、 「琉球人」の有給休日は、旧盆の 2 日のうち 1 日と元旦の計2日。 無給の指定休日は、春と秋の「彼岸」の計2日で、有給・無給扱いの使い分けがあった。「合衆国の休 日」は、「原則として許可しないが、必要な管理監督が行き届かないために仕事の能率を十分発揮でき ないという事実に鑑みて、被用者は休暇を許容されるものとする」としていた。しかし、その場合、当 該休日の前日又は翌日に出勤する場合にのみ有給休暇として許可された。 ちなみに、1953 年の布令 116 号制定時の合衆国の休日は、ワシントンの誕生日、南北戦争死者記念 日、独立記念日、労働記念日、休戦記念日、感謝祭及びクリスマスの計 7 日であった。要するに、米軍 はさまざまな形で変えてきており、変えられないものではないこともわかる。 在日米軍は、現在の米本国の連邦政府の祝日日数(10 日)と照らし合わせると、実際のところ、米本 国に“申し訳ない”ほどの“恩典” (15 日)を日本の基地労働者に与えているのだ、という自負であろ うか。あるいは在日米軍は“すでに休みすぎ”と本国政府から“お叱り”を受けているのかもしれない。 表2で見たような国家公務員との労働条件の差異を生む背景には、基地労働者の労働条件等をめぐっ て、日本の労働・福祉関係法令等の制定・改正施行に際しても直ちには措置されないこと、さらには基 づく法令等が国家公務員関係法令であったり、労働関係法令であったり、米軍の運用により影響を受け ているためである。これらの“有無”、 “差異”等は、改めて貨幣価値換算による評価の余地もある。結 局のところ、賃金体系、労働条件などについて依拠すべき体系、法令類が“ごちゃまぜ”で適用される ことによる極めて曖昧な環境は、基地労働者の“身分”の変動とも無関係ではなかったであろう。 C.基地労働者の賃金をめぐる動向と課題 1.基地労働者と民間賃金の比較 基地労働者賃金を民間労働賃金と比較するという場合、市場にむける財・サービス生産に従事する「労 働の対価」と同一視できるか、どうかという本質的問題はある。数値を見比べることはできても、生産 性を尺度とした比較は困難である。さらに言えば、日本の賃金は規模間格差が大きいこと、男女間格差 が大きいこと、正規・非正規労働への分化、そして非正規労働の女性化ということにも特徴づけられる 側面もある。 それらを踏まえた上で、一般的な賃金比較の方法をなぞって、基地労働者と民間企業労働者の賃金を 見比べてみたい。当然のことながら、民間の“企業・事業所”規模比較は捨象して、労働者属性によっ てみることにする。 しかし、それでも比較の際の制約条件がある。基地労働者の場合、基地労働は「同一労働同一賃金」 が貫徹されているから、統計上も男女別賃金は集計されていない。もちろん、同一労働同一賃金とはい うものの、男女の職種分布等の差異による男女平均賃金の格差が存在するであろうことは念頭におく必 要はある。 表4 民間男子と基地労働者の学歴別・年齢階級別賃金(所定内給与:2008年) 中卒 基地労働者男女計 20~24 25~29 30~34 35~39 40~44 45~49 50~54 55~59 MLC 230.9 254.9 282.7 315.0 336.4 341.9 340.7 329.8 20~24 25~29 30~34 35~39 40~44 45~49 50~54 55~59 MLC 221.7 254.9 289.8 312.5 339.9 352.4 364.6 364.4 IHA 190.4 226.9 263.7 286.7 292.0 307.9 285.8 281.6 高卒 IHA 167.7 201.3 248.8 273.7 287.6 296.5 287.7 287.2 短大・高専卒 民 間 男 子 190.9 220.3 241.3 266.9 273.6 284.4 292.3 297.5 基地労働者男女計 20~24 25~29 30~34 35~39 40~44 45~49 50~54 55~59 民間男子 190.0 221.6 254.3 284.7 311.2 337.4 349.8 342.7 20~24 25~29 30~34 35~39 40~44 45~49 50~54 55~59 MLC IHA 216.6 194.3 237.9 195.6 268.7 228.1 312.9 256.4 328.6 279.6 367.1 285.5 364.4 285.9 374.3 295.2 大学・大学院卒 MLC IHA 206.8 166.3 244.9 197.0 280.2 229.8 316.6 273.1 342.1 296.9 389.7 301.7 415.3 331.5 429.9 320.7 民 男 間 子 195.2 226.1 265.7 308.1 351.8 382.5 392.3 398.1 民間男子 217.1 255.7 312.9 375.6 461.4 503.1 516.5 515.2 資料:駐留軍等労働者労務管理機構「駐留軍等労働者給与等実態調査報告書」(平成20年)、 厚生労働省「平成20年 賃金構造基本統計調査」より作成 上の基地労働の特性を踏まえると、男女間格差が大きい民間賃金と比較するには、男女計で比較する より、男子賃金を用いるほうが、まだ“ましな方法”である。 対象賃金は、 「所定内給与」 (基本給と諸手当を含む)である。以下、使用するデータは、基地労働者 賃金は、独立行政法人駐留軍等労働者労務管理機構の「2008 年 駐留軍等労働者給与等実態調査報告書」 、 そして民間労働者賃金については、厚生労働省の「2008 年 賃金構造基本統計調査」の 10 人以上規模 の企業・事業所による(なお、使用する厚生労働省統計には、人事院勧告が比較対象とする 50 人以上 規模企業・事業所規模の区分はない)。なお、基地労働者の賃金統計は 1 歳きざみとなっているので、 民間賃金の統計形式に合わせるため 5 歳区分に組み替えた加重平均賃金とした。学歴、年齢階級をもと に基地労働者と民間労働者の賃金実態は表4にみるとおりである(表 4) 。ここで詳細にはふれないが、 別途推計した学歴ごとの民間労働者賃金を年齢と勤続年数を用いた賃金関数は、当てはまりが悪い。し かし、年齢とその二乗を用いると、すべての学歴別において統計的に有意な結果がえられ、決定係数の 説明力も極めて高い。ここにみられる関係は、賃金は年齢とともに増え、やがて年齢とともに減少する ことを意味しているから、表4をベースにして、55~59 歳時点について比較をしてみた(図 14)。この 結果は、むろん賃金関数による点推計結果もきわめて整合的である。 図14 55~59歳到達時点の民間・基地労働者の賃金格差(民間中卒55~59歳=100) 大卒IHA 107.8 大卒MLC 144.5 高専・短大IHA 99.2 高専・短大MLC 125.8 高卒IHA 96.5 高卒MLC 122.5 中卒IHA 94.7 中卒MLC 110.9 大学卒男子 173.2 高専・短大卒男子 133.8 高卒男子 115.2 中卒男子 0.0 100.0 20.0 40.0 60.0 80.0 100.0 120.0 140.0 160.0 180.0 200.0 図 14 は、民間の男子中学卒労働者の 55~55 歳の賃金を基準にして同年齢階層の労働者と比較したも のである。その結果、次のような点が特徴的である。まず、青の棒グラフにした民間賃金からは、教育 年数が高まるにつれ、格差が大きくなり、最大 1.73 倍に達する。同様に、基地労働者の雇用形態別に 比較すると、薄い緑の棒グラフで示した MLC 従業員も教育年数の高まりとともに、 最大 1.44 倍になる。 ここで注目すべきことは、民間の学歴間による格差にくらべ、MLC 従業員格差は、より小さい点で ある。黄色の棒グラフで示した IHA 従業員の学歴間に格差がほとんどみられないのは、基地労働者賃 金が職種別によるものであろう。それにしても、IHA 従業員賃金は、すべての学歴層において、民間男 子中卒賃金とほぼ同水準となっているのは、印象的でさえある。 2.基地労働者賃金の「地域民間並み賃金論」の考察 1) 「地域民間並み賃金論」の背景 近年、公務員給与制度等をめぐる議論も活発になされてきている。そのひとつが「地方公務員給与の あり方に関する研究会報告書」 (平成 18 年 3 月)であり、もうひとつが「官民給与の比較方法のあり方 に関する研究会報告書」 (平成 18 年 7 月)である。両者に共通しているのは、公務員賃金をいかに抑制、 削減するかという視点から、腐心している点である。 この端緒となったのは、 『経済財政運営と構造改革に関する基本方針 2005』における「小さくて効率 的な政府」のための3つの変革の具体的な方策として示された、“人と組織を変え”、“国・地方の徹底 した行政改革”の流れである。かくして、人事院勧告において、 “昭和 32 年以来の 50 年ぶりの改革” となる、給与構造の改革が示され、平成 18 年度から 5 年間で段階的に導入するとされた。そのひとつ が、地方における公務員給与水準の見直しである。具体的には、「地場賃金より高いとの批判のある地 方の公務員給与を引き下げることにより、地場賃金を反映させる」というものである。 国の「官民給与の比較方法のあり方に関する研究会」も地方に勤務する国家公務員の給与が地域の賃 金に比べて高いこと、公務員給与が年功的に上昇していくことなど、制度及びその運用に対して批判が あった、という認識から研究をスタートさせたものであった(18)。 こうした流れを受けて、平成 18 年の人事院の「給与構造改革」の一環として、地場賃金を反映させ た「地域手当」が導入された。 地域手当は基地労働者の給与体系にも組み込まれた。これを 2008 年についてみると、東京圏などの 最高額 4 万円超と“ゼロ”手当となる地方圏(三沢、呉、佐世保、沖縄)との格差を生んでいる。同時 に地域手当は、基地労働者の職務等級格差も生んでいる。これを例示的に事務・技術関係(給与表1)、 技能・労務関係(給与表2)の地域手当と基本給の関係をみると、職務等級が高い(低い)ほど、地域 手当が増加する(減少する)という非常に強い正の相関関係が認められるのである。 類似の現象は、平成 18 年に廃止が決まった“旧”格差給でもみられた。旧格差給は、 「米軍という特 殊な環境の中での業務であること」 (日米覚書第 13 項、昭和 36 年)から、国家公務員より手厚くした ものであった。米側が労務費を負担していたときのことである。ここで特殊環境というのは、いうまで もなく“米軍”という“職場”そのものを指しているが、そこでも職務等級が高いほど、つまり基本給 水準が高まるほど格差給も増えるという摩訶不思議な“基地内格差”を思い起こさせるものがある。 さらに基地労働者の場合、政府の「骨太 2006」(平成 18 年 7 月) 、および「財政制度等審議会」(平 成 19 年 6 月)の建議を受け、駐留軍労働者の給与について、国家公務員にない手当、あるいは国家公 務員を上回る給与等(「格差給」「語学手当」「退職手当」「枠外昇給制度」)の廃止が、現給保障・激変 緩和措置の下、決まった。 つまり、基地労働者賃金をめぐって、地域手当による基地労働者間の賃金格差拡大、そして手当類の 廃止措置がなされた。この二つの措置に加えて、基地労働者は“第 3 の措置”が議論の俎上に上げられ た。すなわち、2009 年の民主党を中心とする連合政権発足に伴い、財政支出の無駄の徹底削減を標榜 する国の「事業仕分け会議」が鳴り物入りで展開され、2009 年 11 月の同会議で駐留軍労働者の賃金が 仕分けの対象にあがった。たとえば、沖縄の民間賃金に比べて駐留軍労働者の賃金が高い、あるいは高 すぎると指摘された。これを受けて防衛省は、労使マターであり、事業仕分けに馴染まないと受け止め ている。果たして、そこに留まるかどうか、それを越えるのが政治であるから、基地労働者への“第三 のインパクト”は楽観視できないであろう。加えて、後半に検討されるが、近未来の米軍再編に伴う“だ め押し”の“大量解雇”問題という“四”の不安にも曝されている。 さきの「事業仕分け」では、民間賃金水準の低い地域は、それに応じて減額すべきという点について、 沖縄の建設業賃金でもって例示した。なぜ、建設業かということもさることながら、賃金比較の技術的 な問題点を指摘しておく必要がある。ひとつは、依拠した統計が5人以上事業所であり、これは人事院 勧告の調査対象事業所規模とは、大きくかけ離れていること。そして男女平均賃金をもって比較してい ること。日本の男女賃金格差が大きすぎる(19)ことは国際的にも問題指摘され続けてきていることで あるが、基地労働者は職種別賃金制であり、同一労働同一賃金の原則があるから、民間の男女平均賃金 は、比較の尺度となしえない。引用された「毎月勤労統計調査」は、主として賃金労働時間等の毎月の 「動き」を把握しようとするものであり、「構造」を捉えるものではないから、企業属性、労働者属性 等の賃金決定要素は把握できないのである。 「仕分け判断」の提示資料としては不相応である。 あと二つある。一つは、基地労働者の 1,300 職種を地域の職種(日本の産業の小分類は 364 種)と比 較するということ。これは技術的には、同価値労働同一賃金の論理を適用するなど、不可能ではないか もしれない。しかし、他方、A 県の米軍基地と B 県の米軍基地での同一職種賃金におのずから格差が生 じるから、例えば、A 基地と B 基地の“消防職”の職務定義書は書き直さねばならない。 より具体的な例をとりあげよう。仮に日本の二つの米軍基地において、同じ価格の戦闘機が着陸に失 敗して火災が発生したと想定する。二つの基地の消防職賃金格差があると、賃金が低い基地の消防職の 消火活動は、より高い任務にあたり、賃金の高い基地に働く消防職は、より楽な任務に就いていること を意味する。低賃金の労働者は、労働経済学の理論にもとづけば“職務怠慢”でその差を調整しようと するから、ここに生じる“格差”を均等化するためには、賃金の低い基地には、より価格の安い戦闘機 を配置すればよい。この論理を続けると、低賃金地区には旧型の軍事配備、高賃金地区には高度性能軍 事配備を集中させることになる。あたかも最先端企業の中枢を高給の人材とともに国の中枢部に配置す るようなものである。あるいは、同一基地に価格の異なる戦闘機が配備されている場合は、それぞれの 価格に対応する等級の異なる消防職を配置することになる。この論理は、市場の論理である。だが、市 場の論理が適切に機能しないところに、純粋公共財の論理が出てくる。 ともあれ、職務給のもとの国家公務員は、地方に異動すれば、例えば中央での係長は、上位の課長職 を得て“身を守れる”ばかりか、3 年間、移動距離に応じた「広域移動手当」が支給され、通常そうで あるが、3 年以内に本省に戻れば地方異動の“実害”はないとさえ言われている。しかし、職種給のも との、かつ、広域異動があったにしても極めて例外的な基地従業員には、その手はない。 2)沖縄基地労働者賃金の民間並み引き下げ論 このように、国家公務員、地方公務員、基地労働者の賃金の実質的“引き下げ”をはじめ、民間の“成 果主義”導入など、日本の民と官の賃金をめぐる“構造改革”が進行している状況にある。 「事業仕分け会議」では、沖縄の基地労働者賃金は、沖縄の民間賃金に比較して高く、民間並みに引 き下げるべし、と指摘された。以下、その点について検討する。まず賃金水準が低い沖縄の実態をかい つまんでみることにする。 労働市場の代表的な指標である完全失業率は、沖縄では復帰以降、全国平均の二倍前後の“慢性的高 失業率”で推移している。 「労働力調査」によると、復帰の年の 1972 年には3%(全国 1.4%) 、2008 年には 7.4%(全国 4.0%)となっている。とくに若年層の失業率は、2008 年でみても 15~19 歳で 22.2% (同 8.0%) 、20~24 歳で 15.8%(同 7.1%)となっていて、これが復帰以降の基本的な動態である。 異常が常態化し、若者の夢を奪うような水準である。 次に所得水準についてみよう。この代表的な指標は、一人当たり県民所得である。これを全国水準と 比較すると、1972 年度には 57.8%に過ぎなかったが、1975 年度には 74.5%にまで高まった。しかし、 その後は、格差拡大の傾向に転じ、2007 年度には 69.2%に低下している(20)。既にふれておいたよう に、沖縄の全国水準との格差が注目されがちであるが、沖縄県内の格差拡大が続いていることを見落と してはならない。この背景は、諸々の要因が絡んでいるとみられるが、労働者の雇用形態とその賃金水 準からも推し量ることができる。一例として日本労働研究・研修機構による研究事例をみてみよう。 平成 15 年 6 月時点調査の 5 人以上事業所対象の「賃金センサス」 (厚生労働省)を用いた分析結果に よると、時給換算の沖縄の一般労働者の賃金が地域最低賃金の 115%未満の者は9%で、推計労働者数 は 17 万 5 千人にあたる。青森県が最も多く 9.2%となっている。その全国平均は 2.5%であるから両県 においては、全国平均の 3 倍をはるかに超えるものになっている(21)。同様に、パート部門についてみ ると、沖縄のパート労働者全体の 59.2%(4 万 4 千人)は、地域別最賃の 115%未満の賃金に留まって いる。その全国平均は 28%であり、沖縄パート労働者の相対的低賃金層が鬱積している。 このような高い失業率と低い賃金の併存する労働市場では、“高い失業率が脅し”として作用し、低 賃金でも怠けずに働く労働者を引きつけることが出来る水準の“効率賃金”が決まるのである。 これらが沖縄の雇用機会、所得格差の実態であるが、日銀那覇支店は、“生活体感物価”の概念を導 入して、日本の地区別水準を試算している。それによると沖縄が最も高くなっている(22)。“生活体感 物価”は、消費者物価の地域指数(2006 年度)を一人当たり県民所得指数(2004 年度)で除したもの と定義を与えているが、試算結果によると沖縄が 1.43 倍、北海道と九州は 1.20 倍、最も低いのは関東 地区の 0.89 倍となっている。このことは 100 万円の価値の買い物は、関東では 89 万円だけの価値の買 い物に等しいが、沖縄では 143 万円かけないと手に入らないという計算になる。 いうまでもなく完全失業率、一人当たり所得、そして物価水準は、マクロ経済政策のパフォーマンス をみる指標、言い換えると、政府自らの経済政策運営のできばえを知る、生徒の気持ちがわかる“通知 表”である。生徒の通知表の大敵は、一夜づけ、機械的な丸暗記、好きな科目の一辺倒、である。 かりに国・地方公務員の賃金水準引き下げに続いて、基地労働者の民間並み賃金引き下げがあった場 合の地域経済への影響はどうであろうか。これを日本における賃金決定機構から検討してみよう。日本 では、春闘において民間先行グループが求める賃金水準をリードして、6月上旬には収束する。これを 受けながら、独立行政法人、8月には人事院勧告により、国家公務員の賃上げが示され、人事院勧告を 受けて、県レベル市町村の公務員賃金が人事委員会などから勧告され、未組織労働者の賃金に巡りめぐ っていく、 “賃金ラウンド”を形成する。 このことから、国・地方公務員給与、そして基地労働者給与の賃金引き下げは、政府が地域における “賃金のデフレスパイラル”の引き金を引くに等しく、購買力衰退、税収の減少、投資意欲の減少、そ して雇用の量と質の劣化へと連鎖し、避けがたい地域経済の衰退を懸念しなければならない。 この沖縄における民間並み賃金引き下げ論は、本質においては、市場をベースにした“平等”賃金論 というよりも政治的テーマと考えることができる。 時の政府は 1972 年の沖縄復帰に伴い、政府の責任で実施すると定めた「沖縄振興開発計画」におい て、“新生沖縄県”を「各面における本土との格差を早急に是正し、全域にわたって国民的標準を確保 するとともに、その優れた地域特性を生かすことによって、自立的発展の基礎条件を整備し、平和で明 るい豊かな沖縄県を実現する」と高らかに謳いあげた。 “新生”沖縄県とは“赤子”にたとえて、 “母国” として“母親の愛情でもって”政府が育て上げるということであったのであろう。 しかし、沖縄の暮しの実態は、前述のごとしである。この現実を前にして、政府の「事業仕分け会議」 における財政当局の「民間並み引き下げ論」は、政府自らの真反対のベクトルを持つ“施策”である。 財政当局から“格好な目印”とされた沖縄の低い賃金水準について、復帰以降、今日に至る 4 次の 10 年計画の下で政府が、その責任で推進している沖縄振興の“プライド”は、思ってみるに足るものであ ろうか。 かりに「低い民間賃金」なみに引き下げられると、基地労働者に限ってみても、復帰まで、本土基地 労働者との間にみられた種々の大きな格差“再来”を予感させるものである。その間、沖縄と本土の基 地労働者の賃金を支払っていたのは、ほかならぬ同じ米軍であった。 3.国家公務員の賃金決定方式 日本の労働者の毎年の賃金引上げは、民間労働組合の「春闘」を通してきまっていく。その水準は、 事後的に経済学的に整合的に説明される“仕組み”であることは周知の通りで、「世間相場」として労 働組合のない企業の賃金決定にも影響を及ぼす。さらに、その結果は当該年の国家公務員の賃金を決め る人事院勧告の重要な基準とされ、それを受けて都道府県、市区町村公務員賃金などへ、民間未組織労 働者賃金へと波及していくことも前述の通りである。しかし、地方公務員の給与は、「生計費並びに国 及び他の地方公共団体並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければなら ない」 (地方公務員法第 24 条第 3 項)としてはいるものの、実態は国家公務員賃金に“すり合せている” にすぎない。平成 17 年 4 月 1 日現在の総務省調べによると、 「国とまったく同じ」又は「主として同じ」 は都道府県で 93.6%、市で 59.6%、町村は 86.1%などとなっており、大勢を占めている(23)。 ここで国家公務員賃金の決定方式をとりあげるのは、先に見たように国家公務員の給与表に準じる基 地労働者賃金のベースアップは、国家公務員と「同時同率」を原則としていて、その影響を受けるから である。 着眼点とするのは、人事院勧告の官民比較の手法である。国家公務員給与について政府研究会は、そ の報告書において(24)、次のように指摘した。その一つは、官民比較対象は民間企業 50 人以上、かつ 事業所規模 50 人以上とすることが適当であること(25)。また、 「性別の要素は、民間企業における賃金 水準に相当大きな影響を与えている」と認めたうえで、 「、、、 (中略)男女雇用機会均等法の制定等、さ まざまな取組みが行われている」ことなどを勘案して「新たに性別を官民給与の比較要素に加えること は適当ではない」と結論づけた(26)。 うえの議論は、経済学のツールを用いた“精密な計算”結果に基づいている。しかし、“制度”とい う基本に立つとどうであろうか。結論的にいえば、人事院勧告が公務員の労働基本権制約の代償措置な らば、比較対象とする民間事業所は、まずもって、労働組合のある民間企業とすべきである。官民給与 比較の「同種・同等の原則」とは、そういう性格ものであるべきだろう。 労働組合の有無がもたらす賃金等への差異に関する最近の研究によると、日本の 2000 年~2003 年の デフレ下において、労働者属性等を勘案しても、賃金の組合効果は 17%、さらに非金銭的な労働条件に ついても組合効果があることが明らかになっている(27)。 さらに、労働組合の組織率の高低も交渉力に差異があることは知られているから、比較対象は国家公 務員並みの労組組織率の民間企業とすべきであろう。中央労働委員会の『平成 20 年度賃金事情等総合 調査』によると、調査対象としている資本金 5 億円以上、労働者 1000 人以上の企業においても「組合 からベースアップ要求があった」のは 65%(145 社)である。一方、労働省の『平成 20 年度賃金引き 上げ等の実態に関する調査』では、労働組合のある企業においても、「賃上げ要求を行わなかった」企 業は 29%に及んでいる。 賃金表の有無についてみると、日本労働研究・研修機構の調査によれば、「賃金表がない」企業割合 は 30~99 人規模で 41.2%、100~999 人規模で 23.3%、1000 人規模以上で 2.3%となっている(28)。 賃金表を持たない企業は、賃金体系がない、すなわち明示的に依拠すべき制度がないわけであるから、 官民比較の対象とはなし得ないであろう。 アメリカにおける労働組合の“効果”は、よく知られている。ここに一つの研究成果にふれておこう。 まず、 「組合賃金効果というものが存在するという常識的な見解は正しい」といえること(29)。つまり、 組合があるかないかによって、賃金引き上げ効果が異なる。さらに言う。「うまく機能している労働市 場には、十分多くの組合企業と非組合企業があって、労働者にいろいろな労働条件を与え、就業規則や 条件の革新を進め、市場で競争すべきである。そのような競争は、一方では組合の独占力を制限し、も う一方では、労働者に対する経営者の権利を制限する」と(30)。これは正当な論理である。 上の日本の研究結果を敷延すれば、国家公務員は労働基本権が制約されてなかったとしたら手にした であろう 17%の所得を失っている(機会費用)ことになる。さらに、重要なことは、日本における生産 構造、つまり、大企業を頂点とする下請け、孫請け等々のピラミッド構造のもとで、「研究会」が示し た結論、すなわち人勧の官民賃金比較の調査対象企業規模を小さくしていくことは、他方において、国 家公務員賃金と大企業賃金を“縁遠い”のものにすることであり、結果的に大企業賃金の民間における “独歩高”を担保し、健全な市場競争を阻害することへの懸念である。 このようにみてくると、人事院勧告が労働基本権制約の「代償措置」として賃金比較は民間の労働組 合のある、かつ国家公務員と同水準の組織率の企業を“代理変数”すべきであり、そのことにより健全 な市場競争も担保されるということであろう。 4.アメリカでの官民賃金比較論 アメリカでの官民賃金比較論は、興味深い結果を示している。ニュージャージ州の官民賃金比較研究 結果は、官の男子賃金がやや高い原因は、民間における労働組合組織率の低下にあり、その結果、民間 賃金が伸び悩んだとしている(31)。つまり、組合の有無は、賃金水準に影響を及ぼすのである。 また、米国議会予算局は、賃金の官民比較の結果、平均的にみて民間労働者の 77%は、連邦政府職員 と同じレベルの職務責任を担うためには一段階昇進させる必要があるとしている(32)。たとえて言えば、 民間では部長職を与えて、それなりの報酬を伴うべきはずの職員が、課長職のような一つ下の職位を与 えているため、“あるべき給与”よりも低いと分析した。このように政府職員の職務等を基準にして民 間賃金の構造を逆方向から捉えるという視点は、日本の官民賃金比較の在り方にとって示唆的である。 依拠すべき民間の職務と賃金の関係に歪みがあれば、結果として政府職員賃金水準の“足を引っ張る” ことになる理屈である。よく聞かれるように、“公務員は賃金が高い”のは、案外、民間があるべき賃 金を受けていないことに“起因”していることもありうるのである。 5.国際比較による公務員の賃金水準 ここで日本が構成員となっている OECD(経済協力開発機構)のデータから国際比較により、中央政 府から地方政府を含む公務員の賃金水準をみてみよう(33)。図 15 にみるように GDP に占める公務員 給与は日本が最も低い。このことは、日本では公務員数が少ないか、もしくは給与水準が低いか、ある いはその両方であることを示唆するものである。しかし、かりに少ない職員が“高すぎる給与”を“独 占”しているということであれば、GDP 比を上でみられるような一定水準のもとで、その分、職員数 を増やして、労働負荷を軽減し、かつ増えた職員によって国民福祉サービスをより豊にするという選択 肢は歓迎されるべき論理であろう。 したがって、日本における公務員賃金水準を議論する場合、国内比較のケースでも、国際比較などに よっても、もつべき比較指標は議論の余地があり、そうした議論は民間と公務員賃金の好循環の形成に も寄与するはずである。 図 15 OECD 諸国の政府雇用者報酬(2007 年) Denmark 16.9 15.1 Sweden Iceland 14.9 Portugal 12.9 Finland 13.0 12.8 France Hungary 11.5 12.3 Norway Belgium 11.8 11.2 Greece Canada 11.4 11.0 United Kingdom Italy 10.6 Euro area 10.0 United States 10.1 9.6 Poland Spain 10.2 10.0 Ireland Netherlands 9.2 Austria 9.2 New Zealand 9.5 Switzerland 7.7 Czech Republic 7.6 7.1 Luxembourg Germany 6.9 6.8 Slovak Republic Korea 7.3 6.1 Japan 0.0 2.0 4.0 6.0 8.0 10.0 GDP 比(%) 12.0 14.0 16.0 18.0 資料:OECD: Compensation of employees paid by government – Percentage of GDP, National Accounts at a Glance 2009. data extracted on 23 Feb 2010 11:32 UTC (GMT) from OECD.Stat より作成。 II.沖縄の米軍基地における労働、地域生活 A.日本復帰前の沖縄の基地労働:特異な地位形成過程 1.沖縄戦と沖縄の米軍基地 第二次大戦で日本が無条件降伏を受入れる8月 15 日以前の 1945 年4月1日、沖縄本島上陸を果たし た米軍は、南西諸島とその周辺の海域を占領地域と定め、日本の司法権、行政権の行使を停止し、軍政 を施行することを宣言した(いわゆる“ニミッツ布告”)。ここに軍用地の一方的な囲い込みが始まる。 にわかには信じがたいが、米海軍から命令を受け派遣された米地質調査所(United States Geological Survey)の専門家は、激しい地上戦の最中の 1945 年 4 月 15 日には沖縄に入り、ボデイガードを付け て、指示された沖縄本島南部の建設用石材、流域、湧泉、そして井戸水供給の調査を開始し、日本終戦 の前の 8 月 1 日には米海軍に地図付の最終報告書を提出している(34)。 こうした占領の準備万端ぶりは、 上述の“ニミッツ布告”の月、日、場所を空白にしてあったことからも窺い知ることができる(35)。1945 年4月、沖縄本島では日米両軍の激闘を言い伝える“鉄の暴風”が襲った。が、沖縄戦は、すでに、そ の前年に始まり県都那覇市は空襲で 90%が焼失した。地元の人々に混じって、県外からの観光客や在沖 米軍人などが入り交じって和やかな光景が映し出され、今日のギネスブックにのる「那覇大綱引き」の 賑わいの日、10 月 10 日が 1944 年のその日であった。 戦後、沖縄県民は軍用地のみならず、米軍の水源占有による生活用水難、水田の畑作転換、基地建設 のための岩石採掘等による「海没地」問題に直面した(36)。 沖縄県によると、いわゆる軍用地地主は、 「戦後米軍により強制的に接収された」 (58.3%) 、 「沖縄戦 の時に避難している間に米軍に接収された」 (23.4%)としていて、あわせて 81.7%が“一方的に接収” されている(37)。1947 年の沖縄群島の耕地面積は、40 年のわずか 29%にとどまった(38)。 米軍は沖縄の土地を囲い込んだ半面、1947 年 6 月 1 日現在の沖縄の総人口は 514 千人であるが、そ の前年の戦後まもない時期、県外・国外からの 18 万人(1946 年 11 月時点)を超えた帰還者対策に占 領米軍自らが困難を極めた(39)。やがて、居住空間と生産基盤の土地を接収された人々は政策的に「夢 と希望の大地」南米への移民やマラリアの蔓延で疲弊していた八重山群島への移住などの形で“居住地” からクラウデイング・アウトされた。米軍基地問題の一つは、本土が多くの国有地を提供しているのに 対し、沖縄の事情は米軍が強権で民間の土地を囲い込み、人々を海外開拓農業移民に押し出す、そうい うものであった。 沖縄に留まった人々の雇用機会は、好むと好まざるに関わらず、“軍作業員”となった。米軍が設営 した「収容所を拠点として、道路工事、清掃作業、農作業、物資運搬であり、港湾の荷役作業であった りしたが、それらはいずれも米軍からの要請にもとづくもので雇用者は米軍であった」(40)から、米軍 は破壊した“敵国”の居住地を軍が収容した人民に“復旧作業”を求めたのである。当初は現物給付で、 1946 年 3 月の米国海軍軍政府指令 136 号「軍部隊による沖縄労務雇傭統制規定」により、労務者は第 一種「非熟練労務者」、第二種「熟練労務者」 、第三種「書記及びその他の職業」に分類された。 2.労働者の地位形成の経過 米国統治下におかれた沖縄の米軍基地労働者は、本土の米軍基地労働者と明確な違いがあった。とり わけ指摘しておくべき点は、労働組合のありようであった。 本土においては、昭和 21 年 8 月 22 日、連合国軍最高司令部労働諮問委員会の最終報告書で「強力な る労働運動の成長ならびに労働に関する権利と保護の確立は、民主日本に先決的な一般手続きの一部を 為すものである」として、労働運動を積極的に促した(42)。これについて「もし占領政策が日本経済の 平和的復興にとって労働組合の存在が原則として好ましくないと判断されたとしたら、おそらく戦後に おける労働組合のあれほど急速で一挙的な進展もまたみられなかったかもしれない。」と評価されてい る(43)。事実、昭和 20 年 8 月時点の組合、組合員数はゼロ。翌年 8 月には組合数 13,341、組合員数は 3,875,271 人にのぼった。昭和 24年 6 月には、組合数 34,688,組合員数 6,655,483 人となり推定組織 率は 55.8%と最高潮に達した。この統計数値は、まさに「終戦直後の工場に足を踏み入れた者は、設備 の荒廃や、労働条件の困難さの中にも、いままで感得し得なかったある種の明るさと、労働者の間にみ なぎる自由な開放感とを見いだしたに違いない」といわれるような躍動感に溢れるものである(44)。 一方、米軍は占領統治の具体的計画を準備し、1945 年、沖縄戦での沖縄本島上陸後、直ちに軍政府 設立と軍政を宣言した。 沖縄の宮古で戦後の初の労働組合が 1946 年に結成されるが、その年のメーデーは米軍の禁止命令に より中止、1947 年南部琉球軍政府は、労働組合の集合、集会、示威運動禁止を発令し、労働組合の動 きを封じる対策をとった(45)。さらに軍政府特別布告 24 号(1947 年 10 月 21 日公布)とその付属指 令により、沖縄の全労働力を掌握し、米軍政府が定めた賃金率が存する場合、使用者がこれを超えて賃 金を支払うことやボーナスその他の特別の報酬を支払うことも禁止した。いまだ組織的な労働運動も発 生していなかったが、労働組合は認可制とし(解散権を留保)、軍作業および公務関係における争議行 為を厳しく処罰することにした(46)。 「人民は沈黙し口を閉じて敢えて語らず」 これは 1901 年(明治 34 年)、片山潜が『日本の労働運動』の序文において冒頭に記した言葉である。 その背景には、日本本土における労働運動を壊滅させたとされる「1901 年(筆者注:正確には 1900 年とす べきであろう)以降、政府は労働組合の組織化をめざすいかなるこころみも粉砕することをめざした一連 の非常法」のもとでの社会状況がある(47)。 それに類するかのような戦後沖縄の米軍の基地労働組合への敵視政策は、沖縄の労働者の地位を “1900 年の日本”に引き戻したのである。戦後、日本の労働組合は、新たな歴史を刻み始めたが、沖 縄では歴史の歯車が逆回転させられたのである。 1953 年には、琉球政府立法院が本土法にならって、いわゆる労働三法を可決したのに対して、米軍 は布令第 116 号(琉球人被用者に対する労働基準及び関係令)を公布し、軍関係労働者を労働三法の適 用から外し、集団的労使関係の部分は、軍関係労働者の集団的労働関係を厳しく規制するものであった (48) 。しかも、この布令で「重要産業」に指定された民間企業部門にも同布令を適用するものと定めた。 さらに 1955 年 3 月、米民政府は布令 145 号『労働組合の認定手続き』を公布し、その第一項で「在 琉米合衆国軍隊の安全に何ら不利な影響を与えないという民政官の裁断がない限り、団体または個人の いかなるものも、琉球の諸法規(民政府布告及び布令を含む)によって付与された団体交渉または諸権 利及び恩典取得を目的とする労働組合とはみなされない」と規定された。 このように戦後米国統治下の沖縄では労働組合・労働運動は、“厳しく規制”され、戦後の占領軍下 の日本本土で戦後復興のために労働組合・労働運動が“強力に推奨”されたこととは正反対の経緯を辿 った。戦後の沖縄の労働運動は、労働基本権めぐる“弾圧”と“闘争”に明け暮れた長い年月であった といっても過言ではない。布令 116 号を改正して、基地労働者に対して、団体交渉権を認めたのは、1968 年 4 月 22 日、実に本土復帰の 4 年前のことである(49)。 沖縄の基地労働者の権利確保を求める長い闘いの相手は、実は、米軍に限らなかった。「第四種雇 用員」と呼ばれた米軍の請負業者の雇用員も軍労働組合の一角をなしていたが、米軍の本格的な沖縄基 地建設を請け負った本土建設業社のもとで働く劣悪な労働条件の改善の闘いがあった。 さらに米軍は、基地労働組合が大量解雇撤回闘争を組むと、米兵らの基地外への禁足令を発したため、 基地関係業者(サービス業)から“業務妨害”との激しい抵抗に会った。2006 年度の基地関係収入を みると、県外受取りの 8.9%(観光収入は 16.9%)となっているが、1969 年、70 年当時の米軍関係受 取りは、沖縄の対外受取りの 50%も占めていて、正に“基地経済”そのものであったから、基地関係業 者(サービス業)の強硬な“反発・反感”が起こったのも無理からぬことであった。当時の組合指導者 は基地労働組合の闘争本部に詰め寄った基地関係業者が「“きらりと光る”もの」を腹巻きにした一触 即発の事態であったと述懐している。「前門に武装米兵、後門に基地業者相手の闘い」という言葉に、 当時の基地労働者が直面した状況を窺い知ることができる(50)。 3.基地労働者数 終戦後初の“琉球”の 1950 年の国勢調査では、「軍雇用者」は全雇用者の実に 41.9%を占めた。 1952 年、日米安保条約により沖縄は米国の施政権下におかれ、軍雇用者は 1972 年の“本土復帰”に 至るまで米国の直接雇用のもとにおかれた。琉球米国民政府(USCAR)の「分野別雇用数」のまとめ には、幾つかの選ばれた年について類型化された雇用数が示されている(表5)。これに米軍の請負業 者従業員数も掲げているが(琉球政府の統計では「軍労働者」には含まれない)、琉球政府の労働三法 から外し、米軍の労働関係布令の「軍の被用者」に類型化し、軍“管轄”の労働者としたためである。 なお、米軍統治時代の軍雇用者数の推移を統一的にまとめた資料は見あたらないが、表5を相互に補完 する資料が表6である。 表5 分野別雇用者数 1958年12月 1961年9月 1964年1月 1967年5月 1970年9月 1971年9月 米国歳出割当て資金による雇用者 琉球人 米国市民 第三国籍者 15,082 2,168 678 15,301 2,330 553 14,910 2,610 479 18,388 2,647 387 18,053 2,986 286 16,548 3,036 217 5,074 279 218 9,261 251 164 8,728 246 141 10,461 199 217 8,254 385 106 7,732 243 48 12,719 130 437 13,245 159 346 10,750 227 194 18,486 344 565 8,239 188 142 8,412 320 92 1,817 16 110 2,480 16 119 2,624 22 88 1,757 42 113 3,549 18 124 3,585 19 162 12,644 7,608 7,112 7,154 14,770 9,780 2,404 130 188 7,088 210 325 8,708 159 397 8,194 166 283 9,516 100 384 8,587 124 317 29 37 64 44 0 62,410 3,714 1,042 54,708 3,786 836 米国歳出非割当て資金による雇用者 琉球人 米国市民 第三国籍者 米国政府サービス及び建設請負業者 琉球人 米国市民 第三国籍者 米国軍人向け特免サービス業者 琉球人 米国市民 第三国籍者 軍人の家事労働者 琉球人 外国企業雇用者 琉球人 米国市民 第三国籍者 米国政府資金援助団体 琉球人 米国市民 第三国籍者 総数 琉球人 米国市民 第三国籍者 49,740 2,723 1,631 54,983 2,966 1,057 52,832 3,267 1,299 64,440 3,398 1,565 出典:Labor Department, Jan. 1972. 資料:USCAR, FACTS BOOK FY1971, p. 7-3. Nineth Edition, Dec. 1971. 資料所蔵:沖縄県議会図書室 表6 群島別米軍基地(出身地別)従業員数 1956 年 1957 1958 1959 1960 沖縄北部 5,292 5,078 5,029 5,523 6,041 沖縄中部 22,684 22,753 23,966 25,234 27,282 沖縄南部 13,654 13,220 13,677 14,103 14,796 1,141 989 1,029 1,072 1,134 409 404 419 454 477 2,455 1,858 1,086 1,566 1,544 45,635 44,302 46,106 47,952 51,274 宮古 八重山 奄美大島 計 資料:波平勇夫「軍作業の原郷―旧コザ市を中心に」『KOZA BUNKA BOX』(2010 年)第6号、37 頁 出所は沖縄県公文書館 R00093737B とされている。. 沖縄の復帰前の軍雇用員は、すでにふれたように布令 116 号により4つに類型化された。第一種雇用 員は、米国政府の割当資金による雇用者で直接雇用者と呼ばれていた(1970 年 9 月時点で 18,053 人) 。 第二種雇用員は、非割当資金、すなわち独立採算性によって運営される米国軍の諸機関(PX、クラブな ど)の資金で雇用される者(同 8,254 人) 。現在の概念では、基地労働者とは、これら第一種と第二種 のことである。第三種雇用員は、アメリカ軍人・軍属の個人契約によって雇用された者でハウスメイド (14,770 人) 。軍内部のガイドラインによって、最高賃金の制限(シーリング)があり、一人のハウス メイドが軍人 6~8 人の家事に従事するというものであった。実際の賃金は「軍人の家庭で働いている 9,000 人以上の家政婦は、いかに難儀をいとわず、能力があり、効率的であっても 1 ヵ月に 15 ㌦とい う、労働週に換算すると計算もできないような極小賃金さえも支払ってはならないと定められていた」 (“No matter how willing and able or efficient any of the 9,000 or more domestic employees working in the homes of Military Personnel are, they can not legally be paid more than the magnificent sum of minimum $15.00 per month for a work week that defies calculation.”)(41)。第四種雇用員は、米国 軍との請負契約業者あるいは諸機関の付帯業務営業権(特免)を受けた業者によって雇用されている者 (同 8,239 人)である。 1960 年代の基地労働者について、公共職業安定所を通した一般労働職業紹介状況から就職者数の推 移をみると、基地からの労働需要は活発で、総じて民間需要を上回った(表6) 。米国統治下において、 1965 年が沖縄の適用法規別労働組合員数を知ることができる最初の年であるが、これによると、労組 法適用組合員数の 15,706 人に対し、布令 116 号による軍関係組合員数は 11,140 人にのぼっており、基 地労働の比重は大きいものであった(51)。 こうした活発な基地需要を反映して、全雇用者数に占める基地労働者の割合は 20%程度前後で推移し、 公務員数を上回る状況が続いた(表7)。沖縄県立公文書館が所蔵している 1946 年から 1966 年までの 約 20 万枚の「軍雇用員カード」からも基地需要の大きさを窺い知ることができる(1966 年当時の沖縄 の労働力人口は 41 万 5 千人である) 。顔写真入りの英文の“軍雇用員カード”には、本籍、現住所、生 年月日といった本人情報と軍での就業先・離職理由の欄が記載され、就業経歴も知ることができる。採 用に至るまでには地元警察による身分検閲を経るが、同館ホームページに例示的に掲載された女性の軍 雇用員カードは、こうである。1956 年、沖縄では乗用車がまだ人口千人当たり3台という時代、その 女性は、生年月日から、23 歳で、“労働週に換算すると計算もできないような極小賃金”を得るために ハウスメイドをはじめた。冷房の効いたバスなど想像もできない時代、座席を得ることが幸運でさえあ った混み合う乗合いバスで“広域通勤”したのであろう 8 年間、嘉手納空軍基地から那覇空軍基地(現 在の那覇空港から嘉手納町まではバスで 1 時間半ほどの距離)、その間に位置するズケラン、普天間、 牧港ハウジング地区などへ計 8 回、毎年“職場”を変えたことも読みとれる。2010 年には 77 歳になる はずの、その女性、暮しは報われたであろうか。 表7 1960 軍と民間への就職者数の推移 (単位:人) 61 62 63 64 65 66 67 68 軍 3,659 4,484 4.170 3,582 3,793 8,691 8,271 6,300 5,025 民 2,817 4,599 2,225 4,355 8,223 3,708 3,561 4,669 4,177 資料:琉球政府「労働経済指標」1970 年 4 月 表8 沖縄における基地労働者数の推移(1960~1969) (単位:千人、%) 暦年平均 雇用者総数 民間 公務 軍雇用 1960 年 143(20.3) 91 24 29 1961 年 157(21.0) 100 24 33 1962 年 172(20.3) 113 24 35 1963 年 178(20.2) 117 25 36 1964 年 182(20.3) 120 26 37 1965 年 192(18.8) 129 27 36 1966 年 202(18.8) 136 29 38 1967 年 217(18.0) 147 30 39 1968 年 222(18.0) 148 32 40 1969 年 231(16.5) 157 35 38 資料:琉球政府「労働経済指標」1971 年 6 月 注:この統計に第1種から第4種まで含むのかについては、明らかでないが、1967 年は、USCAR 資料に よる同年の5月時点の第1種、第2種と第3種の合計36千人にほぼ近い。基地の第 4 種労働者は、世帯 対象の政府統計である「労働力調査」では民間雇用者とされるが、米軍基地管理上は労働関係布令等適用対 象として「基地労働者」統計に組み入れられるという二面性を持っていた。( )内は軍雇比率。 4.賃金等の労働条件 1)賃金システム 米軍の沖縄本島上陸と同時に公布された布告により金銭取引が禁止されたため、占領当初の「軍作業」 の対価は、食料、衣服、タバコなどの現物支給された(52)。ほどなくして、軍政府布令第 7 号「琉球人 雇用規定並びにその職種及び俸給賃金表」 (1950 年 4 月)が公布され、職位、職種に基づく賃金表が定 められたが、民間賃金に大きく見劣りするものであった。例えば、軍の大工職の場合、那覇市の民間賃 金の 20 分の 1 程度であった(53)。この民間との格差は、基地労働内部における国籍による賃金格差に も起因した(表9) 。 表9 国籍別による沖縄米軍基地の賃金水準(1956 年) 1 時間最低 1 時間最高 1.20 ㌦ 6.52 ㌦ フィリピン人 52 ㌣ 3.75 ㌦ 日本本土人 83 ㌣ 1.03 ㌦ 沖縄島民 10 ㌣ 36 ㌣ 国籍 アメリカ人 資料:琉球政府労働局「資料 琉球労働運動史」 (1967 年)121 頁 表9にみる国籍間格差は“差別”というに等しく、「フィリピン国籍の陸軍エンジニアのフォーマン は月に 263 ドルの基本給を受けていたが、その後任の沖縄人には月の給与が 60 ドルを超えることなか った」という個別賃金の事例からも窺うことができる(54)。米公正労働基準法の 1956 年最低賃金は 1 ㌦であるから、表9にみるような最低、最高賃金水準であれば、アメリカ人でも沖縄まで来て米軍基地 で働く誘因となりえたであろう。 軍人のハウスメイド“雇用”については、復帰後、10 年以上過ぎた 1985 年頃になっても米海兵隊は 基地指令書をだし、一人のハウスメイドが軍人 6~8 人以内の家事に従業すること、そして二週間に一 度支払う賃金の最低賃金、最高賃金表を示した。その但し書きには、最高の給与を目途にして出しただ けのものであり、示された賃金以下で雇用者と合意しても構わない、というようなものであった(55)。 個別労働者の賃金は、事務関係(R-GS)と労務関係(R-WB)の二つ賃金表に定められた等級、号俸 によって、時給制により、職種別に定められた。なお、R は“Ryukyu”の頭文字で、在韓米軍では K-GS などと表記している。時間給は、等級によっては、通貨としては存在しない 1 ㌣の 10 分の 1 単位まで 切り刻んだ。昇給期間は、高い号俸ほど、昇給する時間が長くなっていた。このパターンは、現在の連 邦政府職員の給与表においてもみられるものである。 「全軍労機関紙・速報 縮刷版」 (1964 年 1 月~1978 年 8 月)から作成した賃金表の賃金カーブは、 1969 年でみると、事務職(R-GS)の賃金表は労務技能職より3等級多い 15 等級、号俸は同じく 13 号 俸で構成された。最高号俸は初号俸の伸びは、1.5 倍前後であった(図 16) 。労務技能職(R-WB)の場 合、12 等級で 13 号俸となっており、初号俸と最高号俸(13 号俸)間の伸びは事務職と同様、1.5 倍前 後であった(図 17)。1969 年から、二つの賃金表最高号俸は前年までの 10 号俸から 13 号俸に拡大し ているが、これは布令 116 号が 1968 年に団体交渉権を認めたあとの労使交渉の成果のひとつである。 図16 1等級 12等級 2等級 13等級 復帰前の沖縄米軍基地労働者(事務職)の時給賃金表(1969年) 3等級 14等級 4等級 15等級 5等級 6等級 7等級 8等級 9等級 10等級 11等級 3.00 2.50 2.00 (㌦) 1.50 1.00 0.50 0.00 1号俸 2号俸 3号俸 4号俸 5号俸 6号俸 7号俸 号俸 8号俸 9号俸 10号俸 11号俸 12号俸 13号俸 図17 1等級 2等級 復帰前の沖縄米軍基地労働者(労務技能職)の時給賃金表(1969年) 3等級 4等級 5等級 6等級 7等級 8等級 9等級 10等級 11等級 12等級 1.20 1.00 0.80 (㌦) 0.60 0.40 0.20 0.00 1号俸 2号俸 3号俸 4号俸 5号俸 6号俸 7号俸 号俸 8号俸 9号俸 10号俸 11号俸 12号俸 13号俸 2)本土との労働条件の比較 まず、賃金について本土の基地労働者と見比べてみよう(表 10)。下表は 1968 年の春闘資料として 米軍側が示したものであるが、二つの面から注目される。ひとつは、制度的側面である。沖縄基地労働 者の欄の「家族手当」 「臨時手当」 「交通費」がゼロとなっているのは、比較すべき制度がなかったため である。 また、昇給の伸びの格差は大きかった。勤続年数による賃金水準は、5年と 15 年のケースが示され ているが、勤続年数が延びると沖縄と本土の格差は一段と拡大した。これは沖縄の定期昇給期間と定昇 幅が相対的に小さいことに大きな原因があるとみてよい。定期昇給は、本土では一年を単位とし、沖縄 では号俸が高まるにつれて、定期昇給に要する期間も長くなっていた。表でみるように勤続年数が 5 年 から 15 年のホワイトカラー系の基本給は、本土基地労働者の BWT1-3 では 55%増、それに対して沖縄 基地労働者の RGS3では、その3分の1以下の 15.6%増にとどまっている。この賃金増加率の差はボ ーナス支給率の低さと相まって、 年間給与総額格差が 82.5%から 63.7%まで増幅される結果となってい る。端的に言えば、本土と沖縄の格差は“構造的”格差と呼べるものであった。 表10 復帰前の日本と沖縄の軍雇用者の賃金体系と賃金水準の比較 (単位:㌦) 勤続年数 5年 勤続年数 15年 日本 沖縄 日本 沖縄 日本 沖縄 日本 沖縄 BWT1-3 RGS-3 BWT2-4 RWB2-5 BWT1-3 RGS-3 BWT2-4 RWB2-5 基本給 94.20 92.16 92.80 78.72 146.20 106.56 135.00 90.24 臨時手当 1.70 0 1.70 0 3.10 0 2.70 0 家族手当 3.90 0 3.90 0 6.10 0 6.10 0 語学手当 12.00 10.00 0.00 0 12.00 10.00 0.0 0 交通費手当 4.40 0 4.40 0 4.40 0 4.10 0 月間給与 116.20 102.16 102.80 78.72 171.80 116.56 148.20 90.24 年間ボーナス 480.74 322.56 423.12 275.52 719.82 372.96 616.34 315.84 同支給率 430% 350% 430% 350% 年間給与額 1875.14 1547.4 1656.72 1220.16 2781.42 1771.68 2396.74 1398.72 年間給与格差 100 82.5 100 73.6 100 63.7 100 58.4 資料:『増補改訂版 概説沖縄の労働経済』p. 89より作成 出所は1968年春闘の米軍資料 注:基本給は、月間192時間 労働換算。 家族手当は被扶養者が2人の場合 次に福利厚生を含む包括的な労働条件を対比してみよう(表 11)。本土では昭和 21 年 9 月 1 日、全 国進駐軍労働組合同盟(全進同盟)が結成すると同時に大会決議事項を要請書とし、政府に対して有害 危険作業手当、退職金制度の制定、生理休暇、産前産後有給休暇など 16 項目を要求している(56)。こ の例も示唆するように、本土と沖縄の基地労働者の本質的な地位の差は、労働組合・労働運動の位置で あり、これが各面における労働条件の水準を決定づけたとみて良いであろう。 以下、主な労働条件の沖縄と本土の違いについて、個別には言及しないで、包括的にみてみよう。 まず、本表から見えてくるのは、第一に沖縄基地労働者の場合、制度そのものが「なし」のケースが 顕著であること。第二に制度はあるが、かなり遅れて適用されたこと。第三に、類似の制度はあるが算 定方式の差異が際だち、格差原因となっていること、などである。こうしたことから、本土との労働条 件の格差は、見かけの賃金格差より遙かに大きいものであったことが容易に理解できるであろう。 表 11 本土と沖縄の駐留米軍労働者の労働条件比較 日本本土(1969) 労働組合 基本給 定期昇給 1945 年:GHQ による労働組合助長 月 給 12 ヵ月 沖縄(1970) 1955 年:布令 145 号「労働組合」認可制 時 給 1 号俸~4 号:26 週、4 号~7 号:52 週、 7 号~10 号:78 週、10 号~13 号:104 週 調整手当 基本給+扶養手当(例:甲地は6%) なし 配偶者、18 歳未満の第一子、その他の 扶養手当 18 歳未満の子孫、弟妹、60 歳以上の父 なし 母、祖父母および不具廃疾者 生理休暇・ ともに 1947 年から有給適用 適用開始 1966 年 産休 産休前後 6 週間 適用開始 1965 年:産前 2 週間、産後 6 週間 語学手当 職務による 5 段階 なし(1968 年以前の受給者には保証額支給) 遠隔地手当 隔遠度により、 (基本給+語学手当+扶 なし 養手当)の8~25%。 特殊作業手当 一時間当たりの(基本給+語学手当) なし の作業の種類により、10,20,30%。 夏季手当 (基本給+調整手当+語学手当+扶養 手当)の 160%、支給開始 1953 年 年末手当 (基本給+調整手当+語学手当+扶養 ( 時 間 給 × 週 勤 務 時 間 数 × 4.33 週 ) の 150%、支給開始 1963 年 (時間給×週勤務時間数×4.33 週)の 250% 手当)の 260% 年度末手当 (基本給+調整手当+語学手当+扶養 (時間給×週勤務時間数×4.33 週)の 25% 手当)の 50% 寒冷地手当 (基本給+語学手当+扶養手当)定率 なし +定額+加給 通勤手当 2km 以上、最高 4,200 円 2km 以上、一律に 1 ㌦ 50 ㌣ 転換手当 健康上の理由、じん肺法による措置。 なし 過去 3 ヶ月間の平均賃金×30 日 看護婦及び看護助 病棟勤務の深夜労働 なし 手の夜間手当 時間数別手当 通信関係従業員の 時間数別手当 なし (基本給+調整手当+語学手当+扶養 (時間給×週勤務時間数×4.33 週)×勤続 夜間手当 退職手当 手当)×勤続年数別の支給率。 (例)10 年勤続:19.8 ヵ月分 年数別の支給率。 (例)10 年勤続:14 ヵ月 20 年勤続:42 ヵ月分 20 年勤続:30 ヵ月分 格差給 基本給の 10% なし 台風手当 なし 時間給×125% 資料:全駐労沖縄地区本部『全軍労機関紙・速報縮刷版』 (1964 年 1 月~1978 年 8 月) 、144 頁より抜粋。 B.復帰前後の基地労働者“解雇の嵐” 1969 年 3 月 23 日、全軍労は春闘方針において「ベトナム戦争も和平収拾の段階を迎え、沖縄の基地 労働者にも何らかの影響を与えることは必至の情勢である」という状況認識を示した(57)。ベトナム戦 終結への動きと、1969 年 11 月の佐藤・ニクソン会談での沖縄の 72 年返還決定は、軍雇用員の“大量 解雇の嵐”前夜を告げるものであった。沖縄返還日程がきまった直後の 12 月には、米軍は 70 年にかけ て 2,400 人員整理を通告した。大量解雇は復帰後の何年にも及んだ。いわゆる基地関係業者からの“反 撃”をうけながらも、復帰を前に、沖縄の基地労働者は、「大量解雇撤回」 「間接雇用移行諸要求実現」 を求めて、1972 年 3 月、35 日間に及ぶ苛烈なストも実行した。 かくして、1972 年の復帰時点において、それまでの米軍による直接雇用から、日本政府による間接 雇用方式に移行した沖縄の基地労働者数は 19,980 人で、うち MLC が 15,412 人、MC が 168 人、IHA が 4,400 人であった(58)。米軍直接雇用から日本政府による間接雇用方式へのドラスチックな制度移行 は、沖縄米軍基地労働者に“明るい希望”をもたらしたかにみえたが、米・ベトナム戦争が終結に向か うなかで、基地労働者の“解雇の嵐”が吹き荒れたのである。表 12 にみるように、1969 年から 1977 年までに解雇された基地労働者の累計数は 18,000 人を超え、復帰時に間接雇用に移行した人数にほぼ 匹敵するものであった。 表12 基本労務契約 1969年 駐留軍従業員の解雇者数 船員契約 諸機関労務契約 (単位:人) 計 累積数 168 0 46 214 214 70 1,128 0 820 1,948 2,162 71 1,715 0 818 2,533 4,695 72 802 70 1,880 2,752 7,447 73 660 20 1,444 2,124 9,571 74 2,048 19 1,619 3,686 13,257 75 1,635 37 405 2,077 15,334 76 2,396 8 120 2,524 17,858 77 370 0 82 451 18,309 資料:沖縄県「労働経済指標」 こうした大量に米軍基地から解雇された労働者動向について駐留軍労働福祉財団による調査結果で 詳しくみることにする(59)。調査は自発的離職者を含む解雇者(1974 年 4 月 1 日から 1977 年 3 月 31 日)約 8 千人を対象に 1980 年 7 月時点で実施されたもので(以下「追跡調査」とよぶ)、4,832 人(回 答率約 60%)が回答した。 それによると、 (1)自営業を含む再就職者は 2,294 人で離職者全体の 47.5%。他方、離職者の、 (2)半数以上は再就職機会を得ることができなかった。 しかも、再就職者のうち、ほぼ半数の 1,021 人は米軍基地への“U ターン労働”であった。離職時の 職種と再就職率との関係を見ると、 「労務」の再就職率は 25%と著しく低い。また、その他の職種でも 概ね 50%前後の再就職率にとどまった。しかも、再就職者(2,050 人:項目により回答者数がことなる ので、人数に変動がある)の約 40%が基地労働で得ていた賃金水準を引き下げて就職している(「追跡 調査」32 頁)。 再就職先における「満足・不満状況」を主な就職先別にみると、民間企業就職者(834 人)では、「不 満」 (68%)が多く、その最たる理由は「給与」で、次いで「労働条件」をあげるものが多い(同 90 頁) 。 他方、米軍基地への「U ターン」労働者(1,021 人)では、 「満足」 (80%)が圧倒的に多く、民間企業へ の再就職者とは好対照をなしている。しかしながら、「不満」の理由について、「職場が不安定」をあげ た割合は、民間企業就業者では 18%に対し、駐留米軍への再就職者の場合は 48%も占めた。 つぎに再就職者の再就職に要した期間の長さをみてみよう(表 13) 。表 13 によると、2 年以内では 43.5%、3 年以内が約 65%となっている。離職後 3 年から 4 年以内をかけて 92%が就職している( 「追跡 調査」88 頁) 。ところで駐留軍離職者等に支給される「つごう 3 年間の就職促進手当」をめぐっては、 マスコミなどで、それ自体が再就職意欲を阻害する(あるいは再就職を遅延させる)という懸念が示さ れたこともあったようである。そのことの検証事例は見当たらないものの、離職者の半数以上が就職で きず、再就職者の大半が再就職に 3 年以上を要したことからすると「就職促進手当」と組み合わせるな どした有効なプログラムが検討されてよいであろう。 表 13 所 要 期 人数(人) 再就職割合(累積) 6ヶ月未満 398 19.4 6ヶ月未満~1年未満 180 28.2 1年~1年半未満 181 37.0 1年半~2年未満 132 43.5 2年~2年半未満 253 55.8 2年半~3年未満 183 64.7 3年~4年未満 566 92.3 4年~5年未満 124 98.4 28 99.8 5 100.0 2,050 100.0 5年以上 不明 計(*) 間 再就職者の再就職所要期間 (*)2,050人のうち、1,021人は駐留軍への再就職である。 資料:財団法人駐留軍労働福祉財団『沖縄の駐留軍関係離職者 追跡調査報告書』p.88、昭和56年(1981年) 他方、 「失業中」であると答えた 2,583 人の失業理由は、 「適職なし」 (42.4%)、「高齢のため」 (35.2%)、 そして「給与等の条件が悪い」(6.5%)などとしている(「追跡調査」29 頁)。とりわけ、「適職なし」 は、職種別による基地の「単能工」的労働と「多能工」的民間労働との差異を窺わせており、スムーズ な民間への“人材再活用”のための職業移動には、基地での配置職種のスキルアップを兼ねた離職前か らの多様な職業訓練プログラムを必要としている。この項、全駐労雇用対策室「沖縄米軍基地労働と雇用環境の 整備に関する調査報告書」 (2000 年 7 月)を抜粋して添削(14~15 頁) 。 C.復帰後の基地需要と沖縄県民の暮らし 1.新生沖縄県づくり:政府「沖縄振興開発計画」 戦後沖縄統治の象徴となった USCAR のドアは、1972 年 5 月 12 日、1530 時、永久にそのドアを閉 じた(60)。紫紺のプレートに三つ星の高等弁務官専用車、そして「鳥居」のロゴの横に OKINAWA、 そして中段に 5 桁の車両番号、その下に KEYSTONE OF THE PACIFIC と刻印された黄色のナンバー プレートの軍人車両が沖縄の道路を走ることはなくなったのである。 1972 年 5 月 15 日、「新生沖縄県」が誕生し、沖縄振興開発特別措置法に基づき国による 10 年計画 となる沖縄振興開発計画が策定され、「沖縄の各面にわたる本土との格差を早急に是正し、全域にわた って国民的標準を確保するとともに、その優れた地域特性を生かすことによって、自立的発展の基礎条 件を整備し、平和で明るい豊かな沖縄県を実現することを目標とする」とした。これにより沖縄の産業 構造は、第二次産業は 18%から 30%へ、一人当たり県民所得は、3 倍近くになると見通したが、今日 の姿はほど遠い様相を呈している。2012 年には 4 回目の十年計画が終了するが、復帰当時に比較して、 間違いなく社会資本整備は進んだ。しかし、この間、北大東島と同じ面積が埋め立てられたといわれる ように公共土木工事中心の開発による“環境と開発”の問題、県民所得の大きな対全国格差(平成 19 年度は 69.9%水準)、深まる県内の所得格差、全国の2倍前後で慢性病のような高い失業率など復帰以 来の典型的課題を抱えている。ためていえば、豊かな県づくりというより、もうひとつの“島をつくっ た”のである。 2.県民の社会、経済生活の現状 ここで5年ごとに実施される「平成 16 年 全国消費実態調査」を用いて、沖縄勤労者世帯の家計構造 の一面をみてみよう(図 18)。全国 10 区分した地域別の貯蓄と負債の現在高をみると、貯蓄面では東 海地区が最も高く、そこから地理的に離れるほど、少なくなる傾向にある。なかでも、沖縄の貯蓄残高 は際だって低い。負債残高は、貯蓄残高ほどの地域間の差はみられないが、沖縄の場合、唯一、負債残 高が貯蓄残高を上回っている地域である。 忘れられがちな点は、沖縄の県内格差である。代表的な格差指数であるジニ係数でみると、1979 年 の県内の年間収入格差は 0.070(全国 0.058)から、拡大傾向がつづいている(61)。ジニ係数は、0か ら1までの値をとり、ゼロなら完全平等、1 なら“独り占め”を意味する。最も新しい調査年となる平 成 16 年には、0.311(全国 0.257)に拡大した。ジニ係数が 0.3 になると“生活感覚レベルで格差が感 じ始められる”といわれるが、この数値を超えるのは、唯一、沖縄だけである。貯蓄格差は 0.642(全 国 0.543)となっていて、0.6 を超えるのは、これも沖縄だけである(62)。 D.基地需要の地域経済・社会生活へのインパクト 1.「軍関係受取り」の推移 戦後の沖縄経済が戦前(1934~36 年)の水準に戻ったのは 1953 年で、戦後沖縄経済の「起動力とし ての大きな意義をもったのが基地収入である」とされている(63)。 もとより、軍事基地は“防衛”機能を目的とするものであるが、基地需要は規模の小さい地域経済に 及ぼす影響は大きいことはよく知られている。戦後の沖縄経済の事情は、まさにその例であった。復帰 前においては、統計上、基地需要は軍用地料、軍雇用員所得、軍関係者の民間地域での消費支出の三項 目をあわせて「軍関係受取り」として扱われた。年により変動はあったが、「軍関係受取り」は対外収 支(県外受取り)の大きな比重を占めていた。たとえば、1960 年が 59%、1965 年の 43%、そして 1970 年は 53%にのぼった。ちなみに、1970 年の「軍関係受取り」は、輸出額の実に 2.9 倍に相当した(64)。 “基地経済”と呼ばれた沖縄経済の一断面である。1970 年の一人当たり GNP は、アメリカが 4,957 ド ル、日本は 1,963 ドル、沖縄は 780 ドルとされているから(65)、沖縄の相対的水準は、日本の 39.7%、 アメリカの 15.7%にすぎなかった。 米・ベトナム戦争が激しくなった 1960 年代後半、沖縄の基地周辺の街に溢れるような米兵達相手の バー・飲食店では、飲食代金のドル紙幣をカウンターの内側に備えたドラム缶に無造作に投げ入れたと いう。売上金は、沖縄方言で“カシガー袋”と呼ぶ“カマス袋”に担いで銀行に預けに来たという元銀 行員のエピソードや二週間毎に受ける給与を二晩・三晩で“飲み尽くした”元米兵の記憶からも“戦争 特需”のブームを推し量ることができる(66)。が、米兵達相手の業者らが銀行に持ち込まれる大きく膨 らんだカマス袋からは徴兵制下の明日の知れない若い米兵達の心の奥底の叫びが漏れ聞こえたかのよ うである。 平成8年度からは「基地関係受取り」集計には、さらに「米軍等への財・サービスの提供」の項目が 加わっているが、その県外受取りに占める比重は、平成 18 年には 8.9%まで低下している(67)。 2.「軍関係受取り」の構造 復帰以降の軍関係受取り額は、1972 年の 777 億円から 2006 年には 2,155 億円となっていて、県民総 所得との相対的割合は 15.5%から 5.4%まで低下している。ここでの構造的変化の一つは軍雇用者所得 と軍用地料の逆転である。たとえば、1972 年の復帰時点では前者が 240 億円、後者は 123 億円であっ たが、軍雇用者の大量解雇などから 1979 年には逆転し、2006 年には軍雇用者所得が 516 億円、軍用地 料は 777 億円、そして「米軍等への財・サービスの提供」746 億円となっている(68)。 3.県経済へのインパクト 米軍基地需要の沖縄経済の生産面、雇用面などへのインパクトは、産業連関分析によって捉えられて いる。2004 年の沖縄の米軍基地需要の就業誘発効果は、27,778 人と推計され、業種別に最も多いのは 商業部門(6,893 人)で、土木建設(3,791 人)、対個人サービス(3,577 人) 、建築及び補修(3,327 人)、 その他の対事業所サービス(2,967 人)などで大きくなっている(69)。推計された就業者誘発数は、民 営事業所従業者と比較すると全従業者数(70)の 6.2%に相当し、部門別には製造業(27,158 人)、運輸 業(23,846 人)と、ほぼ匹敵するものになっている。 こうした基地の経済効果分析は “実態”を理解する上で示唆するところは大きい。加えて、基地労 働者の“職業構造”を知ることは、“将来展望”という観点からも重要であることを見落としてはなら ないであろう。 米軍基地に需要される約 1,300 職種におよぶ職務に従事している事実は、十把一絡げに“基地労働者” とすることはできない。いってみれば、広範な職種ごとに特化した職業集団とでも言うべき存在である。 それらを“生産要素”としてみると、第三次産業偏重の社会に慣れ親しんだ沖縄においては日常的に知 ることのない“壮大”な職業の広がりは、ある種の驚きさえ覚えるものである。基地再編問題が取りざ たされるなか、これらを将来の社会発展のための“蓄積された人的資源”として位置づけることの大切 さは、これまで政府が大切な国家予算をあててきた経緯も踏まえ、指摘しておかねばならない。 だが、たとえ高度・精密な電子部品でも“単品”では、機能しないと同様に“集団”であればこそ機 能し、価値を生み出すのである。産業発展というのは、そういう集積力を根底にもつものであるから基 地労働者と民間の職業ひとつひとつの“部品”を巧みに組み合わせ、経済的社会的有機体として機能さ せるためのホリステイク(Holistic)な視点にたった、社会的“組み立て工場”は、基地の跡利用にお いて重要不可欠と思われる。その点、基地労働者自身も知るべきことであろう。 4.基地の社会生活へのインパクト 戦後沖縄への米軍の存在は、英語を公用語とし、軍票や米ドルによる生活はもとより、食、音楽など の面でも“明るい米国文化”の媒介役となったとも言われる。「沖縄方言」で親しまれた民衆芸術のよ うな「沖縄芝居」でも英語を沖縄の言葉(方言)に巧みに言い換えて、ひとびとは決して豊ではない日 常生活を笑いとばした。米軍は住民との“心の接点”として「琉米親善センター」を各地に建てた。ま た最後の高等弁務官となったランパートは米軍人軍属の婦人クラブを前に、 「沖縄本島の住民 80 万人に 対し、軍人軍属家族が 8 万 3 千人と米軍関係者以外を含めると 9 万人近くのアメリカン・コミュニテイ をなしており、、、(中略)皆さんは、私たちの生活と努力を意味と価値のあるものにしている」として “相互文化交流”の役目を賞賛している(71)。 他方、米軍の活動と軍人が引き起す社会生活へのさまざまな衝撃は、人々の表情を曇らせ、深い同情 と悲しみに陥れ、あるいは激しい抗議・抵抗運動に立ち上がらせた。こうした実態は、復帰の 1972 年 から 2007 年までの革新・保守の沖縄県知事による日本政府・国会、米政府・米軍への“多様な基地問 題”に対する 802 件にのぼる“抗議・要請”の件数からも推し量ることができる(72)。県・県議会、市 町村・議会などは、本来、県民・住民の福祉サービス向上にあてることができたであろう労力・知識、 時間、費用など逸失し、税金の効果も著しく損なっているはずである。 E.基地労働者の就業行動 1.基地周辺の雇用、所得機会 基地周辺の市町村、あるいは基地労働者が住む市町村の経済実態は、基地に就業する背景を映し出し ている。先行研究によれば、それらの市町村の雇用機会の少なさ、そして所得水準の低さという二つの 要因が大きく影響しており、その二つの要因が基地就業行動の 76%を説明できるとされた(73)。 2.基地労働者の就業行動 全駐労雇用対策室の調査(74)によると、基地労働者が米軍基地に就職した時期は「1990 年代」が沖 縄の 59%、神奈川 41%、青森の 50%である。1999 年という調査時期からすると、勤続年数が比較的 “若い”という印象がある。 基地労働者が学校卒業後に最初の勤め先(初職)は、民間が 78.7%(神奈川 80.7%、青森 87.6%) となっている。初職を「米軍基地」とした割合は、沖縄が 16.7%、神奈川が 13.1%、そして青森は 4.5% であった。また初職が正規職員・従業員であったものは沖縄で 68%、神奈川 86%、青森では 85.8%で あり、学校卒業後、大半が正規職員・従業員として就職した後、転職しながら、基地に就業機会を得て いる。3 回以上の転職のあと基地従業した割合は、沖縄の 50%、神奈川では 29%、青森 48%であり、 沖縄、青森では“ようやくにしてたどり着いた”とでもいうべき職場である。 米軍基地に「身近な人がいる(いた) 」とする割合は、沖縄で 86%、神奈川 70.3%、青森 79.1%にも 達している。ここで「身近な人」とは、親、配偶者、子供、兄弟姉妹、親戚、同郷の人、学校の同級生・ 同窓生である。このような、いわば“同族労働”の性格を窺わせる基地労働者構成の特徴は、基地から の大量解雇が発生すると、その衝撃は特定の集団に集中することを意味する。 3.基地のある地域に生きるということ 再度、全駐労雇用対策室の調査結果を引いてみよう(75)。 「米軍基地が周辺住民に及ぼす不安の程度」 について、 「大きい」 (「非常に大きい」 「まあ大きい」)は、沖縄で 60%、神奈川が 44%、青森では 47% となっている。また、「米軍基地の及ぼす危険」について、「特定地域にかたよっている」とするのは、 沖縄は 71%、神奈川が 61%、青森で 59.5%であり、沖縄の基地労働者は基地の弊害や偏在をより強く 意識していることがわかる。 さらに「21 世紀に日本や日本周辺で戦争が起こる可能性」について、 「ある」 (「大いにある」 「多少は ある」 )としたのは、沖縄は 61%、神奈川が 69%、青森で 61%と戦争を懸念する割合はいずれも高い ものになっている。それに直面した場合、基地労働者の任務・責任とはどういうものであろうか。そし て、それを基地労働者はどのように理解しているのであろうか。 III.純粋公共財としての「国防」、基地配置、基地労働 A.純粋公共財としての「国防」 1.純粋公共財とその地域 橋本前首相は、「日米安保体制は一種の公共財である」とした。首相演説としては初めてであると言 われている(安藤:1997 年)。 これは 1997 年 1 月 14 日、橋本前首相がシンガポールで行った演説の中で、 「日米安保体制は地域の繁 栄維持のための一種の公共財の役割を果たしており、今後ともこの体制を堅持していく」と述べたもの である(76)。 1996 年の日米安全保障共同宣言をうけて、 「公共財としての日米安保」とする『日米安保共同体シン ポジウム』報告書がだされた(2005 年 11 月) 。これは「日米同盟の再定義:日米安全保障共同体の可 能性」プロジェクトとして、日米 5 名ずつの研究者が 2001 年 12 月より 3 年間かけて取り組んだ研究 成果として発表されたものであるが、橋本首相発言が端緒となる日米安保をこれら研究者側が意味づけ た。その後、外務省でも「安全保障に関する ARF・年次安保概観」(平成 14 年5月1日)で「日米安 保体制は、この地域(注:アジア太平洋地域)のいわば公共財としての役割を果たしていると言える」 と明確に示している。今ひとつ注目しておきたいのは、ジャーナリストの視点である。記者と学者の共 同研究組織である朝日新聞アジアネットワーク(AAN)は、「東アジアの安保・地域協力報告」の「提 言」において、医療、教育、開発、及び安全保障に至る広範な議論を踏まえて、日米安保については、 地域の安定を担保する国際公共財に転化すべきであると論じていることである(77)。 一方、防衛省組織の研究者からも自衛隊を「国際公共財」とみなす議論も出始めている(山口:2009、 防衛研究所「平成 20 年度安全保障国際シンポジウム報告書」) 。 前述の公共財なり、国際公共財の供給主体は基本的に政府である。政府は、一般行政サービス、外交、 法務警察、消防などに支出するが、これに防衛を加えれば「純粋公共財」の概念に対応する(78)。した がって、橋本首相のいう“一種の公共財”とは、 “純粋公共財”を意味したものと解することができる。 防衛あるいは国防を公共財とする考え方は、古くから論じられてきた。自由放任の市場経済を説いた アダム・スミス(1723-1790)は、著書、THE WEALTH OF NATIONS(1776 年)で、これを具体的 に論じている。 すなわち、 「主権国家の第一の任務は、その社会を他の独立国からの暴力と侵略から守ることであり、 それは軍事力によってしか遂行できない」(79)。主権国家の第二の任務である、社会の一人ひとりの構 成員をできる限り、他の構成員からの不正義や抑圧から守り、あるいは的確な正義の運営の確立は、社 会のそれぞれの段階において二つの程度の非常に異なる費用を要する(80)。主権国家の第三の、そして 最後の任務は、公的機関の設立と維持、そして偉大な社会にとって最高の利点である公共事業は、しか しながら、その性格から、個人や少数の人々でもってしては、その利益では費用はまかなえないもので あるから、個人や少数の人々が建設することは期待できない(81)。 これらの第 1 から第 3 の任務は、今日、純粋公共財として概念づけられるものである。これは自由主 義国家論(夜警国家)の出発点であり、経済に占める政府の規模を可能な限り小さくし、国家機能を安 全保障や治安維持など最小限に止めた“最小国家あるいは小さな政府論(より少ない歳出と低い課税、 低福祉低負担を志向する)”の思想でもある。アダム・スミスの論に立つひとびとは、軍事支出を低く 抑えようとする傾向があるといわれる。他方、 「自由放任主義論者達は、自由放任の市場経済の下では、 国防の純粋な自由市場は存在しないのであるから、暴力に対する強制的な防衛力の高い価値づけをする 側は、人と財産の保護のための必要悪として国家の任務―その侵略的暴力の巨大な力としての歴史的な 暗い歴史にも拘わらず―としなければならないという矛盾に陥っている」と投げかけられる問いかけも ある(82)。 2.純粋公共財の概念について 純粋公共財の特徴は何か。アダム・スミスが示した概念を理論的に整理してみせたのが、経済学者の サミュエルソンである。 純粋公共財は、二つの概念によって定義される。一つは「非競合性」(消費の集団性)である。具体 的な例を引いてみよう。 例えば、街灯の光は、その下を通る人が増える毎にどんどん光が消費されて、そのうち街灯の明かり が消滅してしまうことはない(83)。同様に、国防サービスは、同時に国中の人々が享受しているサービ スであり、ある人が国防サービスを享受したからといって、他の人が同時に同じ国防サービスを享受で きないという性質のものではない。 他の一つは、「非排除性」と呼ばれるもので、例えば、税金を払わない人の家の火災を消火しない、 ということはできない。もし、そうするとなると、火災が発生しても、まず諸々の税金を払っているか どうかを調べなければならない。そうしている間に、税金を払っている人の住宅に延焼してしまう恐れ もあるから、税金を払っている人は納税の意義を問うことになろう。同様に、国防サービスはある人は 守るが、その隣に住んでいる人を守らないでいるということはできない。このように国防サービスの供 給は、原理的にその国の全てを防衛することになる。だが、軍事基地の配置をめぐる問題は、 “フリー・ ライダー”問題を惹起する(84)。 このような二つの性格を持つ純粋公共財は、民間企業が市場を通して供給することが困難なものであ るため、政府(中央・地方)が税金を当てて、供給されるのである。これに対し「準公共財」と呼ばれ る例は、学校、病院など公立と私立が併存する分野がそれである。 3.純粋公共財への政府支出の国際比較 政府最終消費支出に占める純粋公共財支出の割合を OECD(2010)の資料により幾つかの国ぐにと 比較してみよう(85)。この時点で最も新しいデータで得られた 2007 年についてみると、純粋公共財(政 府一般サービス、防衛、社会秩序・安全)支出の割合は、日本 19.34%、アメリカが 30.94%、イギリ ス 21.0%、フランス 19.09%、ドイツ 18.36%、そして隣国の韓国は 27.62%となっていて、アメリカ は最も比重が大きくなっている(図 19)。 純粋公共財への支出のうち防衛費をみると、日本 2.50%、米国 11.49%、イギリス 5.36%、フランス 3.39%、ドイツ 2.28%、韓国 8.82%となっていて、アメリカは突出している。 図19 政府最終支出に占める純粋公共財支出の構成比(2007年) 一般政府サービス 防衛 社会秩序・安全 35 30 5.75 4.57 25 20 8.82 (%) 15 11.49 3.93 3.62 2.50 2.28 10 12.90 14.23 13.71 韓国 アメリカ 12.47 5 0 日本 ドイツ 4.日本の防衛関係費の概要 1)総額の推移 平成 20 年度の「一般政府の目的別最終消費支出」 (名目)から日本の防衛費をみると、4 兆 1,590 億 円、最終消費支出総額の 4.4%を占めている(86)。このうちから在日米軍関係費は支出されたことにな るが、この統計から直接把握することはできない。そこで、平成 21 年度予算でみると、防衛省関係分 の在日米軍関係費総額 3,667 億円、他省庁分 342 億円(20 年度予算による)、 提供普通財産借上試算 1,648 億円の合計 5,657 億円となり、 平成 20 年度の防衛費に占める在日米軍に対する直接支援の割合は 13.6% である。2008 年の基地従業員数は約 2.4 万人であるから、 “全国民”の安全保障という観点からすると、 在日駐留米軍の労務に日本人口(1 億 2,769 万人)の 1 万人当たり 1.9 人が当てられている計算になる。 2)在日駐留米軍関係費 在日駐留米軍の労務費は、日米地位協定により米国政府が支払うこととなっている。しかし、昭和 52 年 12 月 22 日の第 380 回日米合同委員会の合意により、昭和 53 年度から日本政府による「法定福利費」 「任意福利費」 「管理費」肩代わりが始まり、徐々に日本政府負担が広がり、平成 8 年度からは、ほぼ 全額負担となっている。現在、米国側負担は、「旅費」と日本政府が負担する上限労働者数を超えて米 軍が雇用する従業員の労務費である。これらは特別協定により実施されているが、その意味づけは「駐 留軍等労働者の安定的な雇用を維持し、在日米軍の駐留を円滑かつ安定的にするため」とされている。 この点については、改めて議論する。平成 20 年度の基地労働者の労務費は、日本側負担が 1,463 億円、 米側は 129 億円である。 政府予算では、在日米軍関係費は、「一般物件費」として扱われている。その主なものは、労務費な どの「駐留経費負担」、地代、周辺対策などの「基地提供費用」である。労務費等の日本政府負担につ いては、特別協定に基づいているが、いわゆる「思いやり予算」ともよばれ、 “地位協定第 24 条に違反 する”との批判も少なくない。平成 20 年 3 月 18 日の第 169 回国会本会議において、政府は新たな特 別協定(2011 年 3 月 31 日まで効力)に関する審議の中で、現行の特別協定は暫定的、限定的措置であ り、包括的見直しを行うことで日米が合意したと説明している。 他方、「一般物件費」への労務費の措置は、基地労働者の位置づけを示唆するものでもある。財政用 語としての「物件費」は、臨時職員などの賃金、旅費などである。この論理で言えば、基地労働者は臨 時労働者ということになる。埼玉の地方自治体では、決算統計における臨時職員賃金を「物件費」とし ていることについて総務省に改善意見を申し立てている。そのなかで、「一般職、特別職を含めて様々 な任用形態がある中で、その給与、報酬、賃金等で物件費に分類するのは臨時職員賃金のみである。 (中 略)臨時職員の活用が進む中、これを物件費として取り扱い続けることは、統計処理上の問題として疑 義が生じる可能性があるだけでなく、任用されている臨時職員の尊厳にも関わる問題と思われる」とし て繰り返し総務省に申立てているが、まだ受入れられてはいない(87)。 B.純粋公共財の配置、維持とそのインパクト 1.基地労働者の任務 日本の“国防”は、日米安保により自衛隊とアメリカ軍がその任にあたっているが、『日米同盟:未 来のための変革と再編(仮訳) (2005 年 10 月 29 日)』では、その“役割・任務・能力についての基本 的考え方”の項目で、次のように示している。すなわち、 「また、日本は、米軍の活動に対して、事態の進展に応じて切れ目のない支援を提供するための 適切な措置をとる」( 『防衛施設庁史』580 頁) 。 この場合、日本政府は基地労働者に対して支援提供を命じる権能を有するのであろうか。あるいはま た、事態の進展に応じた基地労働者の安全確保について雇用主、使用者の責務とはどういうものであろ うか。具体的ケースとして、米国における 2001 年の 9.11 同時多発テロを受けて沖縄米軍基地でとられ た措置をみてみよう。 基地労働者の労働組合である全駐労は 2001 年 11 月 12 日付の防衛施設庁長官宛に「日本人従業員の 安全確保について」 (全駐労第 255 号)とする文書を申入れた。その中で、全駐労は「テロ攻撃等の緊 急時に対応する職場や従業員を含む要員の指定に関して、従業員に同意書への署名を求めたり、出勤し ないと制裁の対象になる等の内容やテロ攻撃に対する心構えなる文書が一部の軍から従業員に対して 出された」としている。とくに注目されるのは、それが一部の軍に限られていたことであり、使用者と しての米軍は明確な方針がなかったことを窺わせる。 あるいはまた「同意書」への署名、そして「出勤しないと制裁の対象になる」ことについて、基地労 働者は雇用契約に際して事前説明を受け、理解し、同意したものであり、それに基づいた“手続き”に 過ぎなかったのであろうか。 しかし、前述の全駐労からの申入れ文書に対する施設庁からの「全般的に検討させてもらう。具体的 にどのような安全体制の枠組みが考えられるか検討したい」とした回答内容からは、雇用主である日本 政府も依拠すべき規定等を持っていないことがわかる。 非常事態、あるいは有事への対応を、その最大の目的とするはずの米軍基地における労働者の勤務条 件、保護対策に関する日本政府の“雇用主責任”、あるいは米軍の“使用者責任”において、根本的な 疑問を残しているというべきである。 さらに全駐労沖縄地区本部は、2003 年3月 19 日付の那覇防衛施設局局長宛の文書「厳戒態勢時の日 本人従業員の安全対策等について」 (全駐労沖縄地区本発 2003-9 号)の申入れに対して、 「施設庁と在 日米軍と施設局の調整の結果、“具体的な安全確保については現地米軍と施設局との間で引き続き調整 するよう指示された”とする回答をうけていて、安全対策についても雇用主と使用者とも依拠すべき明 示的な基準を持ち合わせていないのである。 基地労働者の過去の“経験”ないし“体験”はこうである。 まず、沖縄の復帰前の経験を取り上げておこう。かつて、沖縄が米軍統治下にあってベトナム戦争激 化のおり、1965 年5月 14 日、沖縄基地のタグボート乗組員 22 人がベトナムへの“出動”を求められ た。その際、米軍は、万一乗船拒否すれば解雇もあり得ることを通告してきた(88)。当時の組合役員の 証言は次のようなものである。 これを阻止する闘いは、大変な闘いになりました。米軍との闘いと言うよりも、むしろ組合内部の問題の 方が大きかった。行かなければ即時解雇ということになりますから、米軍からの大変な圧力のもとで、こ の決断をしなければならなかったのです。 (中略)タグボートは座礁した船を曳いてくるわけだから、カム ラン湾の奥深くまで行かねばなりませんが、そうなると、そこはもう弾が飛び交っている戦争の現場です から、命の保証はない。組合は徹底してオルグをしたが、一回目は成功したが、二回目は失敗、三回目は 失敗という具合であった。タグボートから海に飛び込んで拒否した人もいました。米軍の方でも、なぜ組 合に阻止されたかを考えて、次はベトナムに行くという話しを出さないで、乗組員を全部行きそうな者に 入れ替えちゃうわけです。そんなことで組合員同士、危うく刃物沙汰になりそうなこともありました(89)。 筆者注記:ベトナム戦争への沖縄米軍基地からの動き 1965 年 2 月 7 日:南ベトナム・ドンホイを爆撃(北爆本格化) 同年 2 月 8 日:沖縄の米海兵隊航空ミサイル大隊、南ベトナム・ダナンヘ上陸 同年 3 月 7 日:沖縄駐留の米海兵隊 3,500 人、南ベトナム・ダナンへ上陸 (沖縄県『沖縄県労働史・別巻』年表より) もうひとつの“経験”はこうである。本土の基地労働者は、1950 年、占領軍の要求で乗船要員とし て駆り出され朝鮮戦争の犠牲になった仲間達や「部隊移動による休業・解雇はあとを絶たず、休業の場 合 6 割が支給されただけであった」のみならず、危険水域への派遣勤務を命じられた船員は「緊急な危 険労働に従事したのち、簡単に解雇されている者もいた」記憶がある(90)。もはや基地労働者が外国の 戦闘地域に差し向けられることはないであろうが、米軍が国防政策で重視するテロは、時と場所を選ば ないのであるから、こうした「タグボート問題」等が内包した事実は、船員の過去の話に過ぎぬとは言 い切れないであろう。 ここで在韓米軍と在韓米軍労働組合の間で交わされている労使協定(2009 年 5 月 26 日)から、雇用 主米軍の権利として規定されている第 8 条のc項を紹介しておく。 The Employer retains the right in accordance with applicable laws and regulations to take whatever actions may be necessary to carry out the missions of the Employer during an emergency such as war, hostilities, or where war and hostilities may be imminent, or natural catastrophe or other emergencies. [筆者仮訳:雇用主は戦争や戦争行為のような緊急事態に際し、あるいは戦争や戦 争行為が差し迫った場合、あるいは自然災害その他の緊急事態等の場合、基づくべき法や規則にそって 雇用主の使命を実行するうえで必要とされる如何なる方策をも講じる権利を保持する] 2.基地需要の経済面のインパクト “防衛”は、米国では「産軍複合体」として重要な経済的側面が存在し、軍から民間への技術移転の 有用性が指摘されたりするが、本質的には経済財というより、既に論じたように「純粋公共財」であり、 その生産波及効果、雇用効果は二義的である。すでに多くの研究で知られているように、防衛需要を他 の産業部門に振り向けた場合の就業誘発効果等の計測事例は、さきに触れておいたとおりである。古く は、1961 年、産業連関表を編み出したレオンチェフ自身もそれを用いて軍縮が経済に与える影響を計 算し、軍事費削減でかなりの数の雇用が失われるが、他の産業部門に支出を振替えると雇用は 2 倍に増 加することを示した。最近においても、米国では財政支出のあり方について、雇用効果(雇用を生み出 す分野ごと雇用量および質としての賃金)の面から、軍事支出か民生需要かという研究者レベルの議論 は続いている(91)。 3.基地需要の非経済面のインパクト ところで基地問題とは何であろうか。このことについて『防衛施設庁史』は、つぎのような昭和 37 年 の鈴木昇氏(当時:調達庁不動産部次長)の論考を紹介している(92)。 「基地問題」は土地建物の接収による地主、小作人などの経済問題、あるいは基地設定後の風紀、犯罪、 事故、災害などの影響防止に関する問題、駐留軍労務者に対する問題などのほか、各種の損失補償問題 など基地の設定をめぐり、あるいは基地の設定から派生し、または基地に関する政治的、社会的、経済 的な又は軍事的諸問題等を含めて提起されている( 『防衛施設庁史』19 頁、2007 年)。 沖縄の本土復帰に際し、日本政府がその責任において沖縄振興特別措置法のもとで策定してきた 10 年毎の計画は、現在、「沖縄振興計画」(計画期間:平成 14 年度から平成 23 年度までの 10 か年)とし て進められているが、そのつどの「10 計画」において、基地の整理縮小に言及した。しかしながら、復 帰の年から 40 年目にあと一年を残すのみとなっている現在の「計画」においてさえ、政府は「沖縄に は我が国における米軍専用施設・区域の約 75%が集中している現状がある。狭小な県土の中での高密度 の米軍施設・区域の存在は、土地利用上大きな制約となっている上、水域及び空域の利用について制限 があるなど、県民生活をはじめ沖縄の振興に様々な影響を及ぼしている」こと、そして「米軍施設・区 域については、大規模かつ高密度に形成され、しかも沖縄の振興を図る上で重要な位置に所在し、県民 の良好な生活環境の確保、都市の形成、体系的な道路網の整備等、社会経済の面で大きな影響を及ぼし、 県土利用上の制約となっている」として、“基地問題”を捉えている。 沖縄の米軍基地は、米軍占領、そして米国に施政権を委ねるという経緯をたどって、今日に至ってい るが、 “防衛”という純粋公共財は、具体的に地理空間配置されるとき、こうした複合的な“基地問題” を避けがたく惹起する、もろ刃の剣でもある。沖縄の人々のさまざまな記憶・経験を直視するならば、 文章表現の残虐性に深く許しを請わねばならないが、それは剣で切られるというよりも、生身の身体に 左右に開く刃で切り進む鋸の刃をガサガサに引かれるようなたとえである。心と体に癒えない、消えな い傷跡を残すのである。「基地のフリー・ライダー」というとき、そうした基地問題の影響も受けるこ とがないということでもある。基地労働に糧を得る人々も「基地問題」の不安と葛藤に生きるのである。 1)自己矛盾に精神葛藤する基地労働者 自らも「基地問題」の影響を受けながら、しかし、基地に雇用機会を得ている基地労働者は、まさに その狭間にある。基地労働者が組織する労働組合の運動は、その現実を映し出している。たとえば、つ ぎのようなものである。 今や沖縄は米軍基地と自衛隊基地の強化の中でさまざまな社会的弊害を生み出している。米軍人・軍 属の犯罪、自衛隊員による犯罪、インドシナ、沖縄、そうして全国的に張りめぐらされた麻薬犯罪網、 基地からのたれ流しによる環境汚染と破壊、軍事演習による陸上、海上、空を含めた被害など数え上 げればきりがない。 (中略)したがって私たちは、日米両政府による軍事力強化に厳しく抗議すると共 に、自衛隊の解散と一切の軍事基地撤去を強く要求する。全軍労第 34 回定期大会「自衛隊配備反対・ 基地撤去要求に関する決議 1973 年 10 月 28 日」(93)。 このような経緯を辿りつつ、全駐労沖縄地区本部は、1997 年 8 月 30 日第 66 回定期大会で「在沖米 軍基地に関する基本的態度」を決定し、それまでの「基地撤去方針」を下ろした。これを二つの地元新 聞は社説で揃ってとりあげ、軍で働きながら基地に反対するという軍労働者の自己矛盾は、沖縄の現実 を象徴していた、と論評した(1997 年 9 月 1 日) 。実際のところ、基地労働者が基地を否定せざるを得 ないということは、喩えていえば、生きようとする人間が生きることを否定することに等しい自己矛盾 に陥るのである。 沖縄地元の新聞には「基地従業員の家族として」という投書がある(94)。 …我が家は、基地で働く夫の収入を糧としている。戦争はもちろん反対である。子供達が戦争へ駆り出 されるのも反対である。しかし、実際、思いやり予算内(ママ)基地従業員の給料で子供達を通学させ、 この 15 年生活してきた。前の自営業は、民主主義とはほど遠い親戚の選挙の敗北によるしわ寄せで、 廃業の憂き目をみた。そして今、基地撤去運動や平和運動に深く関わる末端組合員は、首切りのやり玉 に挙げられるといううわさに、心が揺れる。組合の幹部は、たとえ解雇されても、政治がらみで再就職 の道が準備されているといううわさもある。 (中略)どうにもならないジレンマに息を潜めている人も少 なくないと思う(店員 47 歳) 。 この投書もまた基地に日常を生きる生活者の“何を信じて生きればよいか”と苦悶する姿そのもので ある。 4.基地偏在と“地政学面”“精神面”“経済面”のフリー・ライダー 戦後の日本は日米安保条約による米国の庇護の下で経済再建に専念し、経済大国になったといわれる。 もっともアメリカにとっては、「日本を世界における“共産主義と民主主義がぶつかり合う境界地域” のひとつの鍵として使うことができる」のであり、両国の利害一致については、通説になっているとい える(95)。 米国による庇護は、「沖縄基地を確保することにより米国は日本の安全を保障することができ、した がって、日本の経済復興に専念させることができた」のであり、日本本土が沖縄基地のフリー・ライダ ーとなったばかりか、「沖縄経済が“基地依存輸入経済”という構造的脆弱性を余儀なくされる最大の 要因となった」として、政治の“意図”がもたらした戦後の本土と沖縄の経済回転軸の逆構造が指摘さ れている(96)。このことを指摘したとしても、戦後日本の“奇跡の発展”は、ポール・ケネデイ(97) が言うように、ひとびとの勤勉性、企業家精神に富んだ町工場、対立を乗り越える姿勢の労使関係、高 い貯蓄率などによって結実したことも付け加えておこう。 では、復帰以降の政治の“意図”はどうであったか。復帰 10 年後、新たに政府がすすめる沖縄振興 開発の国会論議において、時の鈴木総理大臣の国会答弁は次のようなものであった。 沖縄の基地が沖縄本島に大部分集中しておる。20%を若干上回る地域が軍用地に使われておるという、 これは私もよく承知いたしているところでございます。この基地は、県民の皆さんにはご苦労をおかけ しているわけでございますけれども、しかし、日本の平和と安全あるいは極東の安全の確保の上におき まして、非常に重要な役割を果たしておるということ、これも事実でございまして、私は沖縄の県民の 皆さんのご苦労がそういう形で、日本の平和に貢献しておるということを日本国民は忘れてはいけない。 沖縄の皆さんに対する感謝の気持ちを常に忘れてはいけない、このように考えているところでございま す。したがいまして、沖縄の振興開発等につきましても、われわれは温かい気持ちでこれに協力すると いう姿勢が必要である(以下略)。 (「昭和 57 年3月 11 日の沖縄及び北方問題に関する特別委員会議事録」 ) 上の議事録にみる総理答弁は、「沖縄振興開発計画」の計画作成意義の基軸シフトである。1972 年 12 月 18 日、国が決定した“第一次沖縄振興開発計画”では「…沖縄が我が国経済社会の中で望ましい 位置を占めるようにつとめることは長年の沖縄県民の労苦と犠牲に報いる国の責務である」とした。し かし、復帰 10 年をむかえ、“復帰後”の基地負担に対する感謝の気持ちをもって振興開発等をすすめ る、という論理である。1994 年9月9日には、宝珠山防衛施設庁長官の「沖縄はアジア戦略の要地であ るから、基地と共生、共存して欲しい」という発言にみるように、時の総理がしめした姿勢は、時を経 て、より具体的なメッセージとして沖縄県民に求められるようになった。この論理は、アメリカとプエ ルトリコの関係を言い表した「島国の政治的譲歩と大国の経済的負担」の図式そのものである。広く目 を向けると、1960 年代に入って多くの島嶼が独立を果たしていくが、1960 年代以降、シェクスピアの 名作とされる『テンペスト』(1611 年)が“島”や“植民地”のテキストとして異常なほどに読まれた のは、歴史的にいかにして島嶼植民地が形成され、植民地権力が維持されたかという図式への関心によ るといわれる(98)。これとて沖縄に根ざす構造に読みとれる図式であろう。 5.日本人の防衛意識 内閣府は「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」を定期的に実施している。この調査では、「日本の 安全を守るための方法」、 「日米安全保障条約について」 、そして過去に 4 回は「沖縄県における在日米 軍機能の一部本土移転についての考え方」も問うている。以下に、それらの調査項目が揃っている平成 18 年調査から要点をみることにする。 まず、「日本の安全を守るための方法」としては、 [日米安全保障体制+自衛隊](76.2%)とするも のが最も多く、[自衛力だけで](9.9%)、[日米安全保障条約やめ+自衛隊縮小、廃止](5.6%)は極め て少ない。そして「日米安全保障条約」が「役立っている」とするものは 75.1%にのぼり、 「役立って いない」(17%)とするものは少ない(表 14)。三つ目の質問「沖縄県における在日米軍機能の一部本 土移転についての考え方」をみると、「賛成」が 51.5%と答えていて、これまでの調査で最も高くなっ ている(表 15)。がしかし、これまでの4回の世論調査を通してみると、 「賛成」の割合は、平成 9 年 (42.2%) 、平成 12 年(36.8%) 、そして平成 15 年(34.6%)となって、 “行きつ、戻りつ”している。 表14 調査年月 日本の安全を守るための方法 該当者数 人 昭和44年9月 昭和47年11月 昭和50年10月 昭和53年12月 昭和56年12月 昭和59年11月 昭和63年1月 平成3年2月 平成6年1月 平成9年2月 平成12年1月 平成15年1月 平成18年2月 2,474 2,531 2,408 2,439 2,393 2,424 2,374 2,156 2,082 2,114 3,461 2,126 1,657 (単位:人、%) 日米安保をやめ 日米安保と 日米安保 自衛力を強化し、 自衛隊で をやめ、 その他 わからない 我国の力だけで 自衛隊も縮小 または廃止 12.9 10.8 8.6 8.2 6.1 5.0 5.9 7.3 4.3 7.1 8.0 8.3 8.6 40.9 40.7 54.3 61.1 64.6 69.2 67.4 62.4 68.8 68.1 71.2 72.1 76.2 9.6 15.5 9.5 5.0 7.6 6.8 7.2 10.5 7.0 7.9 5.8 4.7 5.6 1.3 1.1 0.6 0.8 0.9 1.1 1.3 1.0 0.7 0.6 1.2 1.1 1.3 35.3 31.9 27.0 24.9 20.8 17.9 18.3 18.7 19.2 16.3 13.8 13.8 8.3 資料:内閣府大臣官房政府広報室「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」(平成18年2月調査)及び 同調査の参考表 http://www8.cao.go.jp/survey/h17/h17-bouei/table/PH1713021.csv 注:選択肢は簡略化した。 表15 沖縄県における在日米軍機能の一部本土移転についての考え方 調査年月 該当者数 賛成(小計) 平成9年2月平成12年1月平成15年1月平成18年2月 2,114 3,461 2,126 1,657 42.2 36.8 34.6 51.5 賛成 15.7 12.2 11.2 17.8 どちらかといえば 26.5 24.7 23.4 33.7 反対(小計) 35.3 40.3 41.7 34.5 どちらかといえば 19.6 21.4 23.8 22.6 反対 15.7 18.9 17.9 11.9 一概にいえない 15.5 15.8 15.2 9.4 わからない 7.0 7.0 8.5 4.6 http://www8.cao.go.jp/survey/h17/h17-bouei/images/h23san.csv 注:平成18年2月調査の有効回答率は55.2% 調査員による個別面接聴取 選択肢は簡略化した これらの世論調査の結果から、日本の防衛にとって米軍の役割を多くの人々が賛同しながらも、“自 分の住む地域には、持ってくるな”という姿勢をうかがい知ることができる。そして日本の長期経済不 況にあって、ひとびとは、より近い距離にある“海外”観光に“癒し”にやってくるのである。 ニューオーリンズのように、沖縄はその目立つ文化、のんびり、ゆったりした環境で観光客に人気があ る。ニューオーリンズのフランス地区に飛び込んできて、亜熱帯の温かい雰囲気のもとで料理やジャズ を楽しむほとんどの観光客は、この地域の大半の住人たちの貧困に気づくことはなかった。同じように、 きれいなビーチのリゾートホテルに飛び込んできて、郷土料理を賞味し、郷土音楽を楽しみ、不思議げ に伝統工芸に見入り、地元の寛大なホスピタリテイを享受した観光客達は、戦後この方、沖縄の人々が 背負ってきた米軍基地の負担について少しも気づかずに帰っていく「日本のニューオーリンズ」(筆者 仮訳:Kozy Amemiya. Japan's "New Orleans" JPRI Critique Vol. XII, No. 6, October 2005)。 思えば、復帰前の「沖縄を返せ」「がんばろう」の米国統治に終焉を求める大衆運動歌がこだました 時を経て、バブル崩壊以降の 20 年にも及ぶ日本社会の動揺・混沌の中にあって、基地の中におかれた 沖縄の“人びと”は、それでも日本の政治と本土の人々の心も救ってきた。2000 年沖縄・九州サミッ トの首脳達に披露した安室奈美恵の歌声、世界の人々にも届く“キロロ”の「未来へ」 、喜納昌吉の「花」、 「涙そうそう」の夏川りみの歌声などなど、いつのまにか創り上げた“沖縄式平和軍”は、稼ぎ上げた 金銭価値をはるかに越えるものを生み出しているであろう。 VI.あらたな重く大きい課題―「米軍再編」のインパクト- A.示された「米軍再編」 1.再編の姿 2006 年 5 月 1 日、日米両政府は「再編のための日米ロードマップ」を発表した。その端緒となった のは、2005 年 10 月 29 日の日米安全保障協議委員会で承認された「日米同盟:未来のための変革と再 編」であり、日本における米軍と関連する自衛隊再編に関する提言である。 この「日米ロードマップ」の要点は、次のようなものである。 *再編により、日米同盟にとって死活的に重要な在日米軍のプレゼンスが確保されること。 *返還施設および継続駐留する全ての機能と対応力は、沖縄内に移設される。 *SACO の再編・返還構想は、再評価を必要とするであろう。 *キャンプハンセンは、陸上自衛隊訓練にも供される。 *航空自衛隊は、地域の騒音の影響を考慮しつつ、嘉手納空軍基地を米軍との合同訓練に使用する。 *兵力削減とグアムへの移設(第 III 海兵隊遠征軍の約 8,000 人の兵員とその家族約 9,000 人は 2014 年までにグアムに移動する) *グアム移設にかかる 100 億 2,700 万ドルの 59%は日本が負担する。 *日米両政府は日米合同訓練費用を負担する。 *合同訓練に使用される自衛隊基地は、必要に応じて、改善される。 ここで基地労働者と大きく関わるのは、兵員とその家族のグアム移転にともなう沖縄の嘉手納米空軍 飛行場以南の米軍基地の返還である。この再編により影響を受ける基地労働者は、一般的に考えると、 最大 4,500 人程度と推測される。この規模の解雇が発生すると民間労働と基地労働の根本的な制度の違 いに加えて、沖縄の高い失業率と低賃金という県内労働市場においては重い課題となるであろう。 2.再編と基地労働者 これまでも米国政府の定期的な国防戦略レビュー、国際情勢の変化、あるいは日米安保体制下のさま ざまな局面での在日米軍基地への影響や影響の恐れのある政治的動きによって、基地労働者は生活基盤 を失うかも知れない“解雇”の懸念、再就職の不安に曝されてきた。これを全駐労雇用対策室の集計結 果(沖縄、神奈川、青森)からみてみよう(99)。 まず、 「基地から解雇される不安」については、 「そう思う」 ( 「いつもそう思う」 「時々そう思う」)は、 ほぼ 60%に近い。半面、 「思わない」 (「あまり思うことはない」 「全く思うことはない」)は 25%程度に とどまっている(表 16) 。 「基地から解雇された場合の民間への再就職」については、 「難しい」 (「やや難しい」 「非常に難しい」) とするのは 60%を超え、職種によっては一段と高くなっている(表 17)。 「現在の職種から民間の別の職種への移動」については、非常に困惑する実態が浮かび上がっている。 「不安」(「大いに不安」 「やや不安」 )は 80%を超え、米軍基地やアメリカにおける特定の職種に特化し た労働形態と“あれこれの仕事をこなしながら”昇進していく日本の労働形態の違いを浮き彫りにして いる(表 18)。民間再就職にあたっての基本要素の一つは賃金水準である。これは民間労働者でも同じで ある。「民間就職する場合の賃金水準」は、「現在より多い」(「30%以上」「15%以上」)ことを条件とす る割合は、30~50%にのぼっている(表 19)。このように民間再就職の際、職種や賃金要素は大きなミス マッチ要因となることを窺わせている。 表 16 基地から解雇される不安 基本給表1 基本給表 2 基本給表3 基本給表 5 基本給表6 事務・技術関係 技能・労務関係 警備・消防関係 医療関係 看護関係 いつもそう思う 15.3 13.0 12.1 12.7 13.8 833 時々そう思う 43.2 43.3 41.7 46.8 44.8 2,644 どちらともいえない 18.0 22.6 20.8 16.5 15.5 1,288 あまり思うことはない 19.1 16.1 20.1 17.7 19.0 1,057 4.4 5.0 5.3 6.3 6.9 298 全く思うことはない 計(%、人) 100(1,730) 100(3,874) 100(379) 表 17 100(79) 合計(人) 100(58) 6,120 基本給表6 合計(人) 基地から解雇された場合の民間への再就職 基本給表1 基本給表 2 基本給表3 基本給表 5 2.6 3.3 1.3 3.8 1.8 187 なんとかみつかる 14.1 14.2 14.2 6.4 12.3 875 どちらともいえない 19.6 22.2 19.7 10.3 15.8 1,314 やや難しい 19.9 18.7 16.3 39.7 8.8 1,185 非常に難しい 43.7 41.6 48.6 39.7 61.4 265 100(78) 100(57) すぐにみつかる 計(%、人) 100(1,756) 100(3,948) 100(381) 表 18 基本給表1 6,220 現在の職種から民間の別の職種への移動 基本給表 2 基本給表3 基本給表 5 基本給表6 合計(人) 大いに不安 54.3 58.7 65.0 70.0 55.2 3,555 やや不安 26.5 25.8 21.2 15.0 29.3 1,569 どちらともいえない 7.3 7.7 5.8 7.5 1.7 457 あまり不安はない 7.8 5.2 5.8 1.3 6.9 363 ほとんど不安はない 4.0 2.6 2.1 6.3 6.9 188 計(%、人) 100(1,731) 100(3,886) 100(377) 表 19 基本給表1 100(80) 100(58) 6,132 民間就職の場合の受入れ賃金水準 基本給表 2 基本給表3 基本給表 5 基本給表6 合計(人) かなり多い(30%以上) 12.1 21.7 15.7 9.2 24.6 1,139 やや多い(15%程度) 20.8 26.6 18.9 14.5 28.1 1,500 現在と同額程度 51.0 43.1 47.1 28.9 33.3 2,787 やや少ない(15%程度) 13.7 6.9 13.3 32.9 10.5 589 2.4 1.7 5.1 14.5 3.5 140 かなり少ない(30%以上) 計(%、人) 100(1,731) 100(3,915) 100(376) 100(76) 100(57) 資料:全駐労雇用対策室「沖縄米軍基地労働者の就業行動と雇用不安に関する調査報告書」1999 年より加工。 6,155 B.土地と労働者の“再編”対策 1.“返還”される軍用地と基地労働者、地域経済 日米地位協定により日本政府は日本駐留米軍に対して施設の提供と労務の調達という基本的な二つ の責任を負っている。したがって、返還に際しては、その“土地”と“労務”の跡利用について政府は 一定の責任がある。そこで土地と労務の“跡利用”について等しく考えるため、あえて以下に沖縄を中 心に軍用地跡地対策に関する法制度、省庁、県、市町村自治体の組織的対応等の状況を詳しくみること にする(100)。 1)法制度等 (1)沖縄振興開発特別措置法(平成 14 年3月 31 日法律第 14 号) この特別措置法の基本原則は「国、沖縄県および跡地関係市町村は、密接な連携の下に、沖縄の均衡 ある発展及び潤いのある豊かな生活環境の創造のため、駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用を促進す るよう努めなければならない」であり、国の責務(第 96 条) 、地方公共団体の責務(第 97 条)が定め られている。 国の責任は「基本原則にのっとり、(中略)必要な財政上の措置その他の措置を講ずるように努めな ければならない」こと、地方公共団体は「基本原則にのっとり、(中略)駐留軍用地跡地の利用に関す る整備計画の策定その他の措置を講ずるよう努めなければならない」とされている。具体的な跡地利用 の促進にあたっては、「大規模跡地の指定」、「特定跡地」を定めた場合には、原状回復に長期間を要す ることにともなう土地所有者の負担を軽減するため、3 年を超えて土地を使用せず、かつ、収益してい ないときは、政令の定めるところにより給付金が支給される。 (2)沖縄における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律(平成7年5月 26 日法律第10 2号、その後改正あり) 全 17 条からなるこの法律は、国、沖縄県及び関係市町村の協力(第 3 条)、所有者等の協力(第 4 条) 、 および返還を受けた場合において、引き続き当該土地を使用せず、かつ収益してないときは、返還を受 けた翌日から 3 年を超えない期間内で、政令の定めるところにより、給付金を支給される(第 8 条) 。 2)跡地利用の組織態勢 (1)跡地対策準備協議会 この協議会は、 「駐留軍用地跡地利用の促進及び円滑化等に関する方針」(平成 11 年 12 月 28 日閣議 決定)に基づいて、普天間飛行場の跡地利用の促進及び円滑化等について協議するものであり、構成員 は、沖縄及び北方対策担当大臣、沖縄県知事、宜野湾市長である。同協議会は、設置 2 年後(平成 13 年 12 月 27 日)、 「普天間飛行場の跡地利用の促進及び円滑化に係る取組み分野ごとの課題と対応の方針 についてとりまとめ」を決め、跡地利用計画策定関係、再開発事業関係、文化財関係、地権者関係、原 状回復措置関係のほか、駐留軍従業員雇用関係を含む 9 項目をまとめている。駐留軍従業員雇用関係で は、配置転換や駐留軍関係離職者等臨時措置法によって対応する。 (2)跡地対策協議会 この協議会は、上と同様、 「駐留軍用地跡地利用の促進及び円滑化等に関する方針」 (平成 11 年 12 月 28 日閣議決定)に基づくもので、国、沖縄県及び関係市町村が密接な連携の下で、跡地利用の促進を図 るための調整機関であり国、県、関係市町村長で構成される。さらにその下は内閣官房副長官を主宰と する連絡会議があり、11 省庁、沖縄県、宜野湾市、北谷町が構成員である。 (3)跡地関係市町村連絡・調整会議 この会議は、跡地利用の促進に関し、県と関係市町村との連携を図ることなどの役割をになうもので、 沖縄県知事が主宰する。 (4)跡地利用支援関係機関連絡会議 上の(1)から(3)にかかる取組みを円滑にするため、沖縄の「跡地関係市町村連絡・調整会議」 の取組みを支援することを目的としている。 具体的事業の一例をあげよう。沖縄総合事務局の総務部の HP サイト「跡地利用の促進」からみると、 「大規模駐留軍用地跡地等利用推進費」だけとってみても関係省庁、沖縄県、市町村が実施してきた跡 地利用調査・計画等が平成 13 年度から 21 年度までに 148 件も実施されている。さらに、駐留軍用地返 還跡地利用に関する市町村支援事業内容は、相談対応、アドバイザー派遣、コンサルタント派遣(短期) ・ 情報交換会、プロジェクトマネージャー派遣(平成 18 年度から)などである。アドバイザーの役割は、 メンタルアドバイザー・コンサルタント(調査・分析・提言)、コーデイネーター(行政との橋渡し) ・ コメンテーター(委員会への助言)、サポーター(町づくりの専門知識を持ち、地元に入って手伝う) と実にきめ細かい。 このほか、2006 年5月1日のいわゆる「日米ロードマップ」に基づく基地再編に関する「米軍再編 特別措置法」(2007 年 5 月 23 日制定)により、防衛大臣を議長とする 8 省庁および内閣官房長官で構 成する「駐留軍等再編関連振興会議」がおかれ、再編関連振興特別地域、同整備計画を担当する。 この特別措置法では基地労働者対策のために、その第 25 条(駐留軍等労働者に係る措置)において、 国は、駐留軍等労働者の雇用の継続に資するよう、独立行政法人駐留軍等労働者労務管理機構を通じた 技能訓練その他の適切な措置を講ずるものとする、と定めている。 要約すると、1)返還に向けては、政府・県・市町村、協議会等の関連組織を整え、2)事前調査と 計画の策定、そして3)返還跡地所在市町村への細やかな支援メニューの提供。4)返還後については、 返還跡地が未利用状態の場合は、3年を限度とした給付金が公布され、5)引き続き未利用状態の場合 は、条件に応じて、さらに一定期間内の給付金が支給される。 このように総合的、段階的な仕組みをもつ返還跡地対策は、基地返還等にともない離職を余儀なくさ れる基地労働者対策についても有益な示唆となる。従来から、返還等に伴う基地労働者の離職対策とし ては、「駐留軍関係離職者等臨時措置法」があるが、前述の「再編特別措置法」とともに十全の肉付け をして、二つの法律が一体性、整合性を持って、返還跡地対策にみるように平等・公平に措置される必 要がある。 2.跡地利用の事例が示唆するもの あるシンポジウムで沖縄県の北谷町の野国町長は基地返還されたときの課題を上げている(100)。一 つは、返還が決まった段階で、自治体が事前に立ち入り調査ができることが重要であること。また、返 還後は防衛局も原状回復をしたと言ったが、弾薬やキャタピラー、有害物質が埋没されていたこと。区 画整理事業を行うにも磁気探査から始まって、1 ㍍やったら、次の 1 ㍍を工事するためのもう一度磁気 探査をかけなければならない、など非常に時間がかかっての跡地利用になること。これらは迂闊に進め ると、大事故つながることは糸満市の平和祈念公園近くの道路工事現場で発生した不発弾爆発事故 (2009 年 1 月)でも知るとおりである。 同様に基地の離職者対策も用意周到さを欠くと、沖縄のような小さい島嶼経済地域では、本人、家族 だけでなく、地域にも大きなダメージとなることは、これも復帰前後の大量解雇を通して知っている。 北谷町長が紹介した返還跡地では、いまでは返還前に比べ税収が 80 倍に増えており、跡地の高い生産 「潜在力」を指摘している。 前述のシンポジウムの Part 2(2008 年 7 月 26 日)では、北谷町における跡地の環境浄化の課題が取 り上げられた。基地労働者の離職対策として、特に参考になるのは時間軸でみた制度面との関わりであ る。課題指摘である。次のようになっている(アンダーラインは筆者による)。 * 返還後から土地の引き渡しまでに確認された環境汚染等(ヒ素などの特定有害物質) * 返還跡地の引き渡し後に確認された環境汚染等(埋没していたキャタピラー、銃弾 1 万発余、 油汚染、黄燐弾など) * 給付金延長期間が決定以後に確認された環境汚染等(埋没していた燃料タンクなど) * 給付金の支給打ち切り後に確認された環境汚染等(数多くの汚染物質が出現している) このように返還後の平成 15 年3月 31 日から、給付金支給打ち切りの平成 19 年9月 30 日までの都 合4年半に次々と“湧き出て”きている課題である。これらが“精算”されてはじめて、区画整理事業 にはいり、 “使えるかたち”が整うのである。 3.基地労働者の対策 ここで米軍に提供した“土地”と、もうひとつの重要な要素である“労務”の“跡利用”に関する法 制度、 「駐留軍関係離職者等臨時措置法」 (昭和 32年 5 月 17 日、20 回目の改正が平成 20 年 4 月 18 日) の基本的な枠組みをみることにする。 この臨措法は第一条において「日本国に駐留するアメリカ合衆国の軍隊又は本邦の領域内にあった国 際連合の軍隊の撤退等に伴い、多数の労務者が特定の地域において一時に離職を余儀なくされることな どの実情に鑑み、これらのものに対し特別な措置を講じ、もってその生活の安定に資すること」を目的 としている。 具体的には、 (1)駐留軍関係離職者対策協議会を設置し、内閣官房長官(現在は厚生労働大臣)を会長とする中 央駐留軍離職者対策協議会をおき、関係行政機関相互の連絡を図ることとしている。また、都道 府県または関係市町村には駐留軍関係離職者対策協議会を置くことができる、ほか (2)国は、駐留軍関係離職者がその有する能力に適合する職業に就くことを容易にし、及び促進す るため、駐留軍関係離職者又は事業主に対して、雇用対策法 の規定に基づき、給付金を支給す るものとする(第十条の三)。給付金は 3 年を限度とする。さらに、政府は、アメリカ合衆国の 軍隊の撤退、移動、部隊の縮小若しくは予算の削減その他政令で定める理由の発生に伴い離職を 余儀なくされ、又は業務上死亡した場合には、政令の定めるところにより、特別給付金を支給す ることができる(第 15 条)。 (3)職業訓練等についての特別措置(第十条の一、二、三)で、公共職業能力開発施設の行う職業 訓練(職業能力開発総合大学校の行うものを含む。)については、必要に応じ、職業能力開発校 の設置、新たな教科の追加、夜間における職業訓練等特別の措置が講ぜられるものとする。政令 の定めるところにより、職業能力開発校に係る特別の措置に要する経費の全部又は一部を負担す ることができる。 (4)防衛大臣は速やかに他の職業に就くことができるようにするため、講習会の開催等職業に必要 な知識技能を授けるための特別の措置を講ずることができる。その他、厚生労働省が所管する公 共職業安定所が職業訓練、就職指導を行うこととしている。 端的に言えば、基地労働者の“跡利用対策“は、厚生労働省と防衛省があたるが、すでにふれておい たように「再編特措法」とあわせた統合的施策とプログラムを必要としている。 4.アメリカの跡地利用と雇用対策 米国政府は、1988 年から 2111 年までの 5 次にわたる国内軍事基地の閉鎖・再編を進めている。この 期間に 490 基地が閉鎖再編対象となっている(102)。 基地の閉鎖・再編に際しては、その影響を受ける労働者、地域への支援機関として国防省は経済調整 室(Office of Economic Adjustment)をおいているが、同室は 1996 年、 「労働力調整戦略:人間の視 点からの基地閉鎖と防衛産業の縮小に対処する」と題する 6 章と付録からなる冊子を発表した(103)。 各章は次のように構成されている。 序文 職場からはずされた防衛関係労働者 雇用者援助の事業 労働者の混乱に対する地域の対応 効果的な戦略をデザインする 労働力と経済発展 付録 この冊子がタイトルを“人間の視点から(Human Aspects) ”とした立脚点は注目に値する。仕事を 失う痛みは、基地労働者の場合に限らないが、あえてそのことにも言及している。解雇される労働者は 「単に収入源を失うばかりでなく、アイデンテイテイ、尊厳、自尊心、自制心をも失う。多くの者にと って、仕事を失うストレスは、家族の一人を亡くすに等しい」と(6 頁) 。さらに、章立は“労働者”を 基軸におきながら、地域の経済発展にいたる幅広い視点から基地の閉鎖・再編に対処しようとする姿勢 が窺える。また国防省がその「雇用者」のみではなく、基地関係業者、そして基地を置いていた地域の 発展という、統合的視点が明確であるが、ここでは「雇用者援助の事業」の章から、国防省の対応につ いてのみ、その要点を紹介する。 (1) 解雇インセンテイヴ:国防省は、自発的離職、早期退職を勧め“買い取る” 。これは、特別な 職種群、等級、あるいは地域に限定される。 (2) 健康保険:国防省は、 解雇する労働者の健康保険の政府負担分を解雇から 18 ヶ月間支給する。 (3) 年次有給休暇の積み立て:閉鎖の対象になっている従業員には、 “消化”してない年次休暇は 無効というルールは適用しない。 (4) 資格・適格条件取得のための年次有給休暇の使用:連邦政府の職員健康保険の受給資格ある いは定年の必要日数を満たすために、解雇の日以降に年次有給休暇をあてがうことが出来る。 (5) 人員削減の自発的申出:解雇対象となる筈の従業員に代わって自発的に退職する場合は、非 自発的退職とみなした給付条件を適用する。 (6) 再雇用優先リスト:専門職、あるいは資格条件つきの職にあった者は、前の職場に空席がで きた場合には、他の応募者より優先的に採用される。 (7) 請負業者による優先雇用:国防施設の閉鎖に備え、あるいは閉鎖後の施設維持管理を請負っ た業者は、基地から解雇され、あるいは解雇が予定されている有資格者を優先的に雇用しな ければならない。請負業者は、別から雇用する前に基地の適格者、有資格者から、まず“雇 用拒否”を確認しなければならない。 (8) 機関間キャリア移行支援プログラム:他からの候補者を採用する前に、関連機関は解雇され た職員本人が直接応募する場合は、その職員を選択し、その職に十分な資格を備えさせるよ うに決められる。 (9) 未消化の年次有給休暇:解雇される従業員の未消化の年次有給休暇は、それに係る一時金を 支払う。 既にみてきたように、“返される土地”については、あらたな地域発展に導くさまざまな法制度と仕 組みがある。基地にさまざまな形で働いてきた広義の“返される基地労働者”に対しても、国は“Human Aspect”のもとで、あらたな生活発展に導くことは、日米安保を純粋公共財として位置づけた政府の自 己確認の営為とすべきである。つまり、基地の閉鎖・再編にともなって、解雇される従業員を哀れんで “救ってやる”のではなく、これまで国家予算を投入してきた“人的資源”の価値に新たな社会価値を 生み出すための移行に伴う政府の生産的“介入”である。 V.明日への道 この調査研究の必要性が求められた端緒は、在日米軍基地をめぐる、国内問題と日米の二国間問題に どのように向き合うかということを考えるためであった。国内問題とは、「駐留軍労働者の賃金水準が 民間に比べて高く、地場賃金並みに引き下げるべきである」という問題指摘である。日米の二国間問題 とは、2011 年の新たな特別協定において、日本側の在日米軍駐留経費負担包括的に見直すこととされ ているためである。そのため、労働者の立場から基地労働とは何かについて、その歴史的経緯をはじめ 今日の国家公務員に準拠する労働条件等の実態をあらためて考察したうえで、上の二つの問題を捉え直 してみようとしたわけである。 このところの、そして近未来の基地労働者が置かれている状況は“受難の時”を迎えているといわな ければならない。 給与関係では、 「格差給」 「語学手当」の諸手当の廃止、 「国家公務員退職金を上回る部分のカット」 「枠 外号俸の廃止」がひとつ(賃金体系の改変)。そして決定には至らなかったものの「事業仕分け会議」 で取り上げられた沖縄を引き合いにした地場民間賃金並みの引き下げ論、つまり、本給切り下げ論(賃 金水準切り下げ論) 。賃金体系の改変、賃金水準の切り下げは、労働側が勝ち取ってきた“権利の返還” である。多くの場合、それは“雇用の維持”を前提とした経営側から持ち込まれる労働組合への譲歩交 渉(Concession Bargaining)である。しかし、近未来の米軍再編に伴い、多くの基地労働者が解雇問 題に直面するであろう。賃金体系を改変し、賃金水準を切り下げ、その上で解雇ということになれば退 職金にも当然跳ね返ることはいうまでもない。 より根本的な問題がある。言葉を二つ選ぶとすれば、“準拠”と“合意”である。その狭間に置かれ ている基地労働者の曖昧な立場、ないしは地位。“便宜主義的扱い”という言葉をあててもよいであろ う。広辞苑によれば、“根本的な処置をせず、間に合わせですますやり方”とある。 準拠についてレビューしてみると、給与体系は、職務給方式の国家公務員の給与表に、それとは似つ かない職種給方式の基地労働者の給与を適用している。この方式の違いは、基地労働者には昇進の“ガ ラスの壁”の障壁となるものである。ためらわずにいえば、“木に竹を接ぐ”がごとしである。その他 の労働条件面の国家公務員との格差も論じたとおりである。 “合意”とは、ここでは法律等を越えて措置するという意味である。この例は、地位協定 12 条 5 で ある。これをひくと、「所得税、地方税及び社会保障のための納付金を源泉徴収して納付するための義 務並びに、相互間で別段の合意をする場合を除くほか、賃金及び諸手当に関する条件、労働者の保護の ための条件並びに労働関係に関する労働者の権利は、日本国の法令で定めるところによらなければなら ない」となっている。“合意”の内実において“許可”との間の言葉の違いは、いかほどのものであろ うか。広辞苑を引くと、 「許可」とは、 “一般に禁止されている行為を特定人に対しまたは特定の事件に 関して禁止を解除する行政行為。また、願いを聞きとどけること”である。 あとひとつの例は、日米両政府が取り交わす「基本労務契約」がある。その主文をひくと、 「A 側(米 国政府=契約担当官)および B 側(防衛省地方協力局次長)は、ともに、日本国の法律に定められ、か つ、日米協定に定められるとおり、従業員の基本的権利を認め、かつ、これを保持することを希望する とともに」云々となっている。つまり、従業員の基本的権利は、遵守“しなければならない”ではなく、 遵守することを“お互い希望する”にすぎないのである。広辞苑によると「希望」とは、「或る事を成 就させようと願い望むこと」である。 要約すると、上の二つの、二つの国の取り決めは、労働者の権利等について、地位協定では、必要に 応じて別段の合意をとることにより、日本の法令適用を除外し、労務基本契約では、労働者の基本的権 利が遵守されることを、願い望むのみ、ということになる。 あらためて日米両政府の記憶を呼び戻すべく、すでにとりあげた一文をここに繰り返す。 昭和 27 年 4 月 1 日、総司令部渉外局は、平和条約発効後における日本駐留米軍は日本人労務者の取り 扱いについて「最も明るい労働関係を維持し、かつすべての労務者に対し公正なる待遇を保障する」と の指令を出した。さらに、この指令では「組合活動には何ら干渉しない。直接または又は日本政府を介 して米国軍に使用されるすべての労働者は現行日本労働法規によって与えられているすべての保護を享 受する。良好なる労働関係は日本人労務に責任を持つ米国軍担当者によって維持される」と述べた(全 駐労『全駐留軍労働組合運動史』第1巻、318 頁)。 基本労務契約のもとでの日常の労働現場の声を聞こう。ある基地労働者の新聞投稿によると「勤続一 年以上の従業員が小学校就学に達するまでの子を養育するために休暇請求をした場合、22時から5時 までの間の勤務は割り当てられないとなっている」にもかかわらず、それが認められてない。駐留軍等 労働者労務管理機構や軍の人事部でも、それは“米軍の配慮によって行われる”ものであるという(沖 縄タイムス、2010 年4月 21 日) 。その通りであれば、基地労働者も、また、労働者の基本的権利が遵守 されることを、願い望むのみ、ということになる。この願いを叶えるには、心穏やかに迎えるのであろ うクリスマスが格好の機会であろうが、米軍は祝日となっているから、基地労働者がみずからその機会 を捉えることは困難である 準拠と合意は、曖昧さという言葉に収斂させることができよう。その曖昧さの最たるものは、昭和 53 年 12 月 28 日づけで「在日米軍労務費問題について」とする外務省・防衛施設庁の文書である。これは 今日の 「思いやり予算」の端緒となった同日の第 404 回日米合同委員会の合意事項に関する文書である。 ここでみるべきは、労務費負担の論理そのものである。これをひこう。「在日米軍労務費問題に関し、 在日米軍従業員の雇用の安定を確保するため、また、米側の財政的困難を緩和し、もって日米安保体制 の円滑な実施を確保するために」云々となっている。その論理の根幹は、基地労働者が理解するように、 在日米軍従業員の雇用の安定を確保するための日本側の財政措置である。この論法は、国民にも“誰か の給料になぜ税金をあてるのか”という率直な疑問が投げかけられても不思議はない。かつての基地従 業員の身分の変遷の経緯を見ても、論理軸は“防衛”ではなく、関係省庁の“都合”であったと見るこ とができる。 時を経て、上の日米合意についても、日本の“国防”のために、日米安保体制を維持しなければなら ない、そのためには基地従業員の賃金も負担するのだというような主権国家としての確固たる“政治の 意思”は読みとれないのである。 実際のところ、日本研究者としても知られる元駐日米国大使館特別補佐官が指摘するように、米国側 から見ても、在日米軍駐留経費の内容は、「政策のごちゃ混ぜ(a hodge-podge of policies)で、保守政 党、あるいは革新政党のいずれの側の政策からしても筋の通った説明にならない」ものであり、日本政 府による労務費負担は「米国と日本の保守本流とのつながりの強化、そして非共産主義野党との暗黙の 横断的連携を案出するという巧妙な“一石二鳥”の方策であった」(104)。 ここにくると、基地労働者のあり方が問われることになる。あり方というのは、例えば、上で取り上 げた合意文書において、 「第 380 回合同委員会で継続検討が合意された、有意義な労務政策策定のため に要望される長期的雇用計画の作成について、そして所要の日本の法令を基本労務契約、船員契約及び 諸機関労務協約におりこむべしとの日本側提案については、引き続き話し合いを行い、その結果につい て速やかに合同委員会に報告することが合意された」としている。その経緯と結論はどのようなもので あったろうか。次の一文を持って、閉じる。 “防衛”は、純粋公共財として、財政措置し、政治声明した政府は、従来通 り、基地労働者の労務費を一般物件費に位置づけ、準拠と合意、そして“願 い望みつつ”基地労働者を処遇し、かつ、雇用主たる政府、使用者たる米軍 はともに、基地労働者の“国防” “防衛”の任務を明示しないまま、日米安 保体制を維持することになるのであろうか。 注 (1)駐留軍等労働者労務管理機構「駐留軍等労働者給与等実態調査報告書」(平成 20 年) (2) 全駐労沖縄地区本部『全軍労・全駐労沖縄運動史資料集』 (1999 年)228~229 頁 (3)第 2 回防衛省 駐留軍等労働者の労務管理に関する検討会における事務局補足説明資料、平成 20 年 10 月. (4)全駐労『年表 全駐労の 50 年 1945 年~1995 年』(1996 年) (5)大河内一男『改訂版 戦後日本の労働運動』(昭和 42 年)134 頁 (6)同 123 頁 (7)隅谷三喜男『日本労働運動史』(昭和 41 年)208 頁 (8)同 208 頁 (9)全駐労『全駐留軍労働組合運動史』第1巻、305~311 頁 (10)同上、206 頁 (11)同上、318 頁 (12)「私法」の概念は yahoo.co.jp Wikipedia を参考にしている。 (13)「米海軍横須賀基地就職ガイド」 (平成 15 年度版) (14)伊佐千尋『逆転 米国支配下・沖縄の陪審裁判』 (1977 年)115 頁 (15)沖縄タイムス 2010 年 4 月 15 日、1 面。 (16)前掲(1) (17)琉球列島米国民政府指令第 2 号(1953 年 1 月 28 日) (18)「官民給与の比較方法のあり方に関する研究会報告書」(平成 18 年)1 頁 (19) OECD Earnings database (20)内閣府沖縄総合事務局「沖縄県経済の概況」 (平成 22 年 3 月) (21)JILPT 資料シリーズ No.62「最低賃金制度の研究―低賃金労働者の状況―」 (2009 年 10 月)99 頁 (22)日本銀行沖縄支店「最近の沖縄県における物価動向の特徴点」(2007 年8月) (23)「地方公務員の給与のあり方に関する研究会報告書」 (平成 18 年3月)資料編 11 頁 (24)「官民給与の比較方法の在り方に関する研究会報告書」(平成 18 年 7 月) (25)同上 10 頁 (26)同上 13 頁 (27)川口・原「日本の労働組合は役に立っているのか―組合効果の計測―」日本労働政策研究・研修機構、 JILPT Discussion Paper 07-02, 2007 (28)日本労働研究・研修機構「変化する賃金・雇用制度と男女間賃金格差に関する検討のための基礎調査結 果」JILPT 調査シリーズ No.52、57 頁、2009.3 (29)島田春雄・岸智子(訳) 『労働組合の活路 What Do Unions Do?』(昭和 62 年)103 頁 (30)同上、361~362 頁 (31)William M. Rodgers III (2006). New Jersey Public-Private Sector Wage Differentials: 1970 to 2004。 (32)US Congressional Budget Office (1997). Comparing Federal Salaries with Those in the Private Sector (33)OECD,National Accounts at a Glance, 2009. (34)D.J.CEDEERSTROM:“GEOLOGY AND WATER RESOURCES OF SOUTHERN OKINWA,”BULLETIN OF THE AMERICAN ASSOCIATION OF PETROLEUM GEOLOGISTS. Vol.31, No.10, October 1947 (35)琉球政府「布告布令指令改廃総覧(1945 年-1972 年)」 (1972 年 5 月 14 日琉球政府閉庁の日)7,8 頁 (36)沖縄県対米請求権事業協会『沖縄対米請求権問題の記録』 (1994 年)60 頁 (37)沖縄県『沖縄県軍用地地主意向調査報告書』 (平成5年3月) (38)沖縄県『沖縄県農林水産行政史』 (平成 3 年)118 頁 (39)Gordon Warner:THE OKINAWAN REVERSION STORY, War, Peace, Occupation, Reversion.p.41, 1995 (40)波平勇夫「戦後沖縄都市の形成と展開」 『沖縄国際大学 総合学術研究紀要』 (2006 年)第 9 巻、第 2 号、 47 頁 (41)前掲注(39)97 頁 (42)山崎五郎『改訂増補 日本労働運動史』 (昭和 41 年)81 頁 (43)前掲注(5)53 頁、75 頁 (44)同上 45 頁 (45)沖縄県『沖縄県労働史・別巻』 (平成 6 年)11、12、16 頁 (46)宮里政玄編『戦後沖縄の政治と法 1945-72 年』 (1975 年)363、364 頁 (47)熊田亨(訳) 『七つの国の労働運動』(1980 年)下、102 頁 (48)前掲注(46) 368 頁 (49)喜屋武臣市「沖縄の米軍基地労働」『増補改訂版 沖縄の労働経済』 (1989 年)87 頁 (50)全駐労沖縄地区本部『全軍労・全駐労運動史』 (1999 年)198、199 頁 (51)前掲注(45) 673 頁 (52)前掲注(50) 8 頁 (53)前掲注(50) 12 頁 (54)前掲注(39) 97 頁 (55)前掲注(49)94~95 頁 (56)前掲注(9)51 頁 (57)前掲注(50)173 頁 (58)同上 250 頁 (59)労働福祉財団「沖縄の駐留軍関係離職者追跡調査報告書」(1981 年) (60)前掲注(39)214 頁 (61)喜屋武臣市「沖縄の雇用問題」 『沖縄経済の課題と展望』 (1998 年)295 頁 (62)総務省統計局:e-Stat 平成 16 年全国消費実態調査 (63)富永斉『沖縄経済論』 (1995 年)21 頁、106 頁 (64)琉球銀行『戦後沖縄経済史』(昭和 59 年)1391 頁より算出 (65)前掲注(63)67 頁 (66) 例えば、牧野 浩隆:沖縄県立博物館・美術館講演会挨拶(2009 年 2 月 25 日)、Mike Millard:“Okinawa, Then and Now” JPRI Occasional Paper No. 11, February 1998. (67)沖縄県『沖縄の米軍及び自衛隊基地(統計資料集)』(平成 21 年 3 月) 、インターネット版 (68)同上 (69)富川盛武『沖縄の発展とソフトパワー』 (2009 年)60 頁 (70)沖縄県「2004 年 事業所・企業統計調査」 (71)前掲注(39)151-155 頁 (72)沖縄県『沖縄の米軍基地』 (平成 21 年)により集計 (73)前掲注(49)104 頁 (74)全駐労雇用対策室「沖縄米軍基地労働者の就業行動と雇用不安に関する調査報告書」 (1999 年) (75)同上 (76)荻原宣之「ASEAN30 周年 苦難と挑戦」 『アジア動向データーベース』 (http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1997/1997000TPA_01.html)アジア経済研究所 (77)朝日新聞縮刷版 2002 年3月 19 日(火)1005 頁、1018-19 頁 (78)貝塚啓明「財政支出と予算制度・予算編成」 『フィナンシャル・レビュー』 (1990 年 8 月)4 頁 (79)Adam Smith: THE WEALTH OF NATIONS. p.653(First Tuttle edition. 1979) (80)同上 669 頁 (81)同上 681 頁 (82)Murray N. Rothband (2009):Man, Economy, and State A Treatise on Economic Principles with Power and Market. Government and Economy. (2nd Edition) p. 1,049. (83)http://www.bized.co.uk/virtual/economy/policy/tools/government/gexpth2.htm(2010 年 2 月 6 日取得) (84)Koji Taira, “In search of proper proportionality in sharing the U.S. base hosting burden among prefectures: with special emphasis on Okinawa.” The Ryukyuanist No. 86, Winter 2009-2010, pp. 6-8(To be continued to the next issue). “国防”がもつ公共財としての特性を明示し、その論理軸に 依拠して日本・沖縄の米軍基地問題を追究している。 (85)OECD: Government Expenditure by function. 2010 (86)内閣府『平成 20 年度 国民経済計算』 (87)http://www.city.soka.saitama.jp/hp/menu000008900/hpg000008810.htm(2010 年 4 月 22 日取得) (88)波平勇夫「“軍作業”の原郷-旧コザ市を中心に」 『KOZA BUNKA BOX』(2010 年)第 6 号、40 頁 (89)前掲注(50)107 頁 (90)前掲注(9)220 頁 (91)Robert Pollin et al.: The US Employment Effects of Military and Domestic Spending Priorities, 2007. (92)防衛省『防衛施設庁史』 (平成 19 年)19 頁、昭和 37 年 7 月の「国防研究」 (第1号)における鈴木昇氏 (当時:調達庁不動産部次長)が論及した「基地問題」の“概念”である。 (93)前掲注(3)287 頁 (94)沖縄タイムス 2000 年 2 月 28 日「声の欄」 (95)たとえば http://www.umich.edu/~wewantas/politicalhistory.html(2010 年 4 月 1 日取得) 室山義正「日米安保体制の構造と論理―共同防衛論とタダ乗り論―」『現代日本社会国際化』(1993 年) 第7巻 245 頁 (96)前掲注(64)4頁、6頁 (97)ポール・ケネデイ『大国の興亡』 (1988 年)下巻、212 頁 (98)Laurie Brinklow et al. eds.: Message in a Bottle-The Literature of Small Islands, 2000, p.25 (99)前掲注(74) (100)前掲注(72) (101)資料発言集:シンポジウム 米軍再編とどう向き合うか Part (1) –沖縄中部地区の課題(2007 年 12 月 1 日) (102)Congressional Research Service:CRS Report for Congress, ”Military Base Closures: A Historical Review from 1988 to 1995.” Oct. 18, 2004 (103)Department of Defense: Community Guidance Manual-Workforce Adjustment Strategies Coping with the Human Aspects of Base Closure and Defense Industry Downsizing-.1996 (104)K.E. Calder, “Beneath the Eagle’s Wings?” Asian Security, Vol.2, No.3, 2006, pp.157, 163. 在日米軍基地の労働と地域 ―組み込まれた特異な構造― ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2010 年 7 月 30 日 著者 喜屋武 臣市 発行者 山川 一夫 発行所 全駐留軍労働組合 東京都港区芝 3-41-8 〒105-0014 電話 03-3455-5971
© Copyright 2024 Paperzz