ニューアーバニズム会議理事会メ ンバー (*は設立メ ンバー)

覇9
資料3
ニューア≒バニズム入門
ニューアーバニズム会議理事会メンバー〈*は設立メンバー)
ハセwψわαπ’∫〃1
h廿p:〃wwwcnu.org/board.htm11を参照
.、
ジョナサン・バーネット(Jonathan Barne㊧
て都llゴ内空港について指針を提案してきた交通計画の専門
1937年生まれ。都市計両家,ペンシルバニア大学都市・地
家である、
域学科教授。米国内各都市ならびに連邦政府機関でデザイ
ンアドバイザーを歴任、大規模再開発、住宅地開.発郊外部
ジャン・ドリスコル(Jean Driscoll)
の総合計画立案に携わる。ニューヨーク市立大学大学院に
不動産金融コンサルタント、およびビジネス戦略を専門と
都市デザインコースを創設。『アーバンデザインの手法』
している,金融機関と不動産賃貸や小売業への金融の新商
(鹿島出版会)、『新しいアーバンデザイン』(副文社)、『都
品開発、市場開発戦略を行なってきた、近年は、不動産取
市デザイン 野望と誤算』(鹿島出版会)と著書の多くが邦
引きのなかで上地の保全に関心を集中し、主要な慈善財団
訳されている。イエール大学卒業、ケンブリッジ大学、イ
の資金運川を手がけている。コンサルティングよりも融資
エール大学院でも学ぶ。
責任者として低所得者向けハウジングへの資金融資に力を
注ぎ、「低所得者ハウジング墓金」(Lぐ}wIllcome Hoしlsing
ピーター・カルソープ*(Peter Caithorpe)
Fund)の設立を支援し、また公共ヒ地トラスト(TrUst for
1949年生れ。建築家。71年イエール大学卒業。83年カル
Public Lalld)のプロジェクトマネジャーとしてオープンス
ソープ事務所設立。アンティオーク学園卒業後、イエール
ペースの保全を目的とする数多くの不動産取引きを指揮し
大学で建築を学ぶ。各地の大学で講義をしている。70年代
ている。マサチューセッツ大学経済学士、コロンビア大学
に、建築のデザインにおいて自然換気、天空採光、太陽熱
修土、
を活用した建物が効率よく、心持良いことを実証し、それ
が建築にとどまらず、環境、経済、社会のどの面からして
アンドレス・デュアー二串(Andres Duany)
も有用であると確信する。そうした考えを生き生きしたコ
1949年ニューヨーク生れ。11歳で合衆国に戻るまでキュー
ミュニティを聖みだす都市デザインへ発展させるきっかけ
バに住む.プリンストン大学卒。イエールで大学院を修め、
になったのが「ペデストリアンポケット」という概念で、
リカルド・ボ・フィル、ロバート・スターン事務所で働き、
カリフォルニア州立大学バークレー校でのマークマック、
74年目マイアミに移る。76年、ロリンダ・スピアー、フォ
あるいはワシントン大学建築学科主任だったダッグ・ケル
ートブレシア、プラターザイバーグらとアーキテクトニカ
バーが後援した「シャレット」により発展させている。こ
を設凱(スピアーはコロンビア大在学中にR・クールハース
の頃ダン・ソロモン(別掲)の影響を強く受け、また90年
と共同設計した「マイアミの家」で74年のPAアワードを受
前後にデュアー二、プラッターザイバーグ、ポリゾイデス、
賞していた)。事務所設立後4年閲にフ.ラッターザイバーグ
ソロモンを中心にしたイメージの共有関係が成立し、CNU
とデュア一二は構成主義リバイバルの範疇に人る建築の設
の核が形成されていた。サクラメントの有力なデベロッパ
計に携わり、一.・連の建物はこの様式の代表例として数えら
ー、フィル・アンジェリデスが現われラグーナ・ウエスト、
れる(アーキテクト配置については『A+U』1981年3月臨
UNの方法論の表明となったプロジェクトが始まった。『サ
時増刊号「転換するアメリカ建築」GA DOCUMENT 7:ア
スティナブル・コミュニティ』(シム・バン・デルリンとの
ーキテクトニカ、インタビューと作品 A.D.A[三DITA.
共著)(1983)、『ペデストリアンポケットブック』(1990)、
TOKYOを参照).都市デザインの原理から遊離した建築の
『きたるべき米国の大都市』(1993)などの著作がある。数
設計手法に疑問をもっていた彼とアラッターザイバーグは
多くの受賞歴があり、「鋭い切れ味の革新家」25人の1人と
80年、自分たちの事務所、DPZを開設。ここでシーサイド、
して『ニューズウイーク』でとりあげられた。
ぐ}
ケントランドをはじめとする140以上のネイバーフッドや
町、都市を計画している,NUの建築図像表現日照
ジュディ・コルベット(Judy Corbe㊥
」‘
`rchhectural Graphic Starldards”とNU用語録“The
地方公共団体会議(Local Government Commission
Lexicon ol’the New Ul’banism”の著作がある。戸建て住
LGC)の創設者で初代の事務局長。カリフォルニア大学デ
宅地計画の名著『町づくり計画の実際』(レ.イモンド・アン
・イビス校を卒業。合衆国、カナダ、欧州、メキシコで、大
ウイン1904)の復刻に序.文を寄せている。マ.イアミ大学準
学や会議、ワークショップで講演している。夫のマイケ
ル・コルベットと共にエネルギーの循環・省略化を考慮し
教授のほか、多くの大学で講義をし、ハーバード大学大学
たビレッジホームズ・ネイバーフッド(28ha)をカリフォ
マス・ジェファーソン記念メデルを受賞している。エコー
ルニア州ディビスに開発した。また、8年間にわたりカリフ
ル・ド・ボザールにも学んでいる。
院デザイン学科でも教鞭をとる。数多くの寄稿があり、ト
ォルニア州議会のコンサルタントを務める。エネルギーを
効率的に利用するデザインについての共著、『ヴィレッジホ
八一ベイ・ガント(Harvey Gan廿)
ームズ=太陽エネルギー利用の住宅』、『生活するより良い
建築家。シャルロッテを本拠地とするガント・ヒューバー
場所』。LGCでの活動として、省エネルギー、エネルギー再
マン事務所のパートナー。ノースカロライナ州シャルロッ
利用、廃棄物識利用、経済的発展策、水の再利用と保全、
テ市長を2期務めた。1990年と96年の2回、ノースカロラ
イナ州選出のヒ院議員に立候補して落選したが、彼がそれ
持続的土地利用の実践についての政策立案、立法へ向けた
手引きなどを数多く作成してきた。
までに実践してきた教育や健康維持あるいは環境問題にた
いする取り組みは全国的に広く知られるようになり、また
ロバート・デイビス(Robe淀Davis)
CNU理事長。シーサイド・コミュニティ・デベロップメン
ト・コーポレーション(SCDC)の代表取締役。シーサイ
高い評価を獲得した。現在、国内各地の大学で講演、客員
講師をしている。MITを卒業し、これまで名誉博士号を6っ
受けている。
ドの開発ならびに計画の責任者。シーサイドは、フロリダ
半島の付け根にあるリゾート・タウンで、この町のアーバ
レイモンド・L・ギンドロッツ(Raymond L Gindroz)
ンデザイン、建築、さらに住宅のつくり方を含めて地域の
UDA(Urban Design Associates)の共同設立者で代表。
バナキュラーな伝統をもちこんだ。SCDC社は1982年から
イエール大学で都市デザインを講義し、ニューヨーク市立
業務を始め、120人の人々を雇用している。
大学都市デザイン学科客員教授、カーネギーメロン大学の
準教授を勤める。各地の大学の講師を歴任してきた。ネイ
ハンク・ディトマー(Hank Di廿mar)
バーフッドや中心市街地、地域の参加型計画策定手法の開
「偉大なアメリカの駅財団」の理事長で経営責任者。こ
の財団は鉄道の駅舎を保全し、商業や交通のセンターに転
拓者である。UDAの仕事のうちでも都市の活性化、就中混
在型伝統的ネイバーフッドの再生の仕事を中心になって率
用・改善し、コミュニティの経済発展に寄与する団体であ
いてきた。カーネギーメロン大学を卒業、修士を得、イタ
る。1993年から98年にかけて、路面交通政策立案プロジェ
リア、ヴィセンツァの建築研究所も修了している。
クトの委員長として、記念的交通機関法案、TEA−21の法案
成立を実現した。彼は大都市圏の計画立案組織の代表とし
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家とまちなみ43
2001,3
u
ジャクリン・D・グリムショー(Jacquelyne D, Grimshaw)
全米の議論に積極的に参加している。「連邦政策に関する全
公共政策専門家.シカゴのネイバーフッド・テクノロジー・
国地方公共団体特別委員会」および「貧困家庭に関する特
センター(Cellter For Neiglll)orllood Teclmology)で、交
別委員会」の委員長ならびに「政府再設計連盟」の委員を
通計両、大気汚染研究部門を率い、また研究部門でコンピ
務める。
ューターモデルプログラムおよびコミュニティ開発の責任
者でもある。より公害を少くする交通体系の選択を実現す
エリザベス・プラッターザイバーク*(Elizabeth
るための合意形成による中心市街地のネイバーフッドの再
PIater曽Zyberk)
活性化の寄与について豊富な経験を積んできた。これまで
にシカゴ市の経済局副局長として市長室の公共団体相互の
建築家。1940年代にポーランドから合衆国に移住した家庭
調整に関わる。サスティナブル・デベロップメントに関する評
生長する。プリンストン大学を卒業後、イエール大学院で
議会、路面交通政策審議会諮問会議の委員である。マーケ
学ぶ。ベンチューリ・ラウチ・スコットブラウン事務所に
ット大学卒業後、州、Z行政大学で公共政策を研究する。
勤務した後74年にマイアミに移り住む。76年アーキテクト
で、1950年に生れる。フィラデルフィア郊外の町パオリで
聖目設立に参加。80年にデュアー二とDPZ設立。91年にフ
アーサー・E・ロメニッタ(A曲ur E. Lomenick)
ロリダ州マイアミ、ダダ郡の伝統的ネイバーフッド開発条
ポストウエスト開発会社開発管理責任者。1994−97年まで
コロンバス不動産信託の次席副社長として開発部門の.責任
例を行政と共に策憲95年以来マイアミ大学建築学科主任。
大学院に、郊外・都市デザインコースを創設、都市・コミ
者を勤めた。現在、新規開発企画がポスト社の掲げる目的、
ュニティデザインセンター所長を兼務。DPZが計画したも
設立趣旨に適うか否かを決定する責任を負っている。上地
のには原則として、二人は建築設計をしないが、カリブ海
の取得、デザイン、政治折衝と調整、採算の判断など開発
地域、フロリダに限って例外的に設計することがある。
の全過税の管理を担当。セントラルダラス協議会、大ダラ
ス計画委員会、ダウンタウンフォートワース協議会、ダラ
ステファノス・ポリゾイデス霜(Stefanos Polyzoides)
スビジュアルアートセンターの評議員など、ダラス・フォ
CNU副理事長。モール・ポリゾイデス事務所代表。アテネ
生れ。プリンストン大学で学士、修土を取得。1973年以来
ートワースコミュニティに深く関わっている。フロリダ大
学、サザンメソディスト大学卒業。
ロス在住。カリフォルニア州、アリゾナ州の公認建築家。
建築実務のほか建築理論にも造詣が深い。南カリフォルニ
建築家。ロスアンジェルスに本拠を置くモール・ポリゾイ
ア大学建築物助教授。著者に『コートヤードハウジング』
(共著、住まいの図書館出版局)「R・M・シンドラー」(共
エリザベス・モール*(Elizabeth Moule)
デス事務所の代表。事務所の作品は近年“The[rltematlonl
著)“Space Architecture Insid Out”by PoIyzoides, P.,
Architectural Year Book”およびジェームズ・スティール
(R.M. Schindler−Composi口on and Cons亡ruction”Ed.,
の2冊の著書“Los Angeles:The Current Condition”、
by L. March, J. Shein l993 the Academic Group Ltd所
“Sustainable Archltecture”でとりあげられた。またロス
収、なお同書には夫人のエリザベス・モールの“The
現代美術館の「都市再考」展にも展示された。NU型インフ
Mythic and the Tangible”も所収されている。彼の研究は
ィル型開発を専門とする不動産開発会社、メリディアンの
経営責任者でもある。スミスカレッジで美術史を学び、ニ
次の4っの展覧会ならびにそのカタログに結実している
‘℃aitech:1910−1950”、“Myro Hunt:1868−1952”
ューヨークのIAUS(Institute of Architecture and Urban
“WaUace Ne『“Johnsor1, Kaufmalm&Coate”。
Studies)の研究員、多くの大学で教える。プリンストン大
学院卒。
ロクサーヌ・クアルス(Roxanne Qualls)
市民活動家。シンシナティ市長を1999年まで三期務めた。
スーザン・マッド(Susan Mudd)
市長として取り組んだのはスラム街の地主問題、不正ゴミ
中西部の地域環境団体で、研究、擁護活動、公衆教育、公
投棄、廃棄物問題で、一連の取り組みは連邦全市長最優秀
衆技能などの向上をはかり市民の健康を増進する運動「市
賞に選ばれた。持家政策を推進し、シンシナティ川河畔の
民の手により環境を」(CBE)のウィスコンシン地区の代表。
レクリエーション利用の推進にも力を注いだ。市長就任以
法学博士号をもち、公共行政学、公共政策学の修士で、エ
前は、オハイオ市民活動、女性を支援する女性同盟、北部
ネルギー政策を専攻した。CBEに1985年に参加し、大気汚
ケンタッキーレイプ事件センターなどの活動に参画してい
染の改善、水質管理、殺虫剤やゴミ問題、公害予防、肺ガ
た。現在はハーバード大学大学院デザイン学科の研究員。
ン、交通ならびに土地利用計画、女性の健康と環境問題に
取り組んでいる。緑の建物連盟、メノモ川友の会、清浄な
ダニエル・ソロモン*(Daniel Solomon)
環境を求める政治行動委員会、ACHOICE、公共事業学会、
建築家。サンフランシスコを本拠とするソロモン事務所代
エンバイロメントウィスコンシン、ウィスコンシン環境10
表、コロンビア大学で建築を学び、スタンフォード大学で
人委員会、KOTHIダンスカンパニー諮問委員会などの委員
芸術学士、カリフォルニア大学バークレーで修士を取得、
を務める。
現在バークレー建築学科教授。
ジェイムズ・F・マーレー(James F. Murley)
弁護士。フォートローダーレールにある、フロリダ・アト
マイケル・コルベット(Michael Corbeω
ランティック大学とフロリダ国際大学の環境と都市問題に
建築家でデイビス市長を務める。アワニー原則の起草に参
関する共同研究所所長。このセンターは、政策立案者や公
加したが、CNUの理事にはならなかった。 LGCの創設者
で初代事務局長だった夫人のジュディと共に、カリフォル
ニア州のサクラメント近郊に1981年に完成した住宅地、ビ
衆と共に成長管理し自然生態系の保全をはかり、地域経済
を強化し、住みよいコミュニティ計画に携わっている。彼
はそれまでに、「感覚的にすぐれた計画・経済開発・環境保
レッジホームズ(24ha、240戸)のデザインに携わった。
全のためのフロリダ1000人友の会」を指導していた。弁護
いわゆるNU型住宅地計画の第一世代と目されるプロジェク
士としては、フロリダ州コミュニティ局で州内の歴史的建
トが1980年代に設計されているのに対し、ビレッジホーム
造物および歴史的地域に関する成長管理条例の策定に携わ
ズはすでに1970年に建設に着手しており、また計画の主題
った。1974年にジョージワシントン大学のロースクール卒
を、太陽熱の利用や浸透型排水方式など生態系やエネルギ
業。環境保護法ならびに土地利用法制を専攻した。
ー消費の問題や入会地のようなコモングリーン、共同果樹
園を通じた土地や作業、愉しみを介在とする人同士の繋が
ジョン・ノルキスト(John Norquist)
りに置いているようで、独得である。1960年代の『ホール
ウィスコンシン州ミルウォーキ市長。1988、92、96年と
三選目である。市役所を小型化しかつ機動性を高め、犯罪
アースカタログ』を輩出したサブカルチャーの相続人の一
人であるようにも感じられる。
撲滅、雇用機会の増大を実践し評価を高めた。1971−77年に
(井出建)
予備役につき、これを資金にウィスコンシン大学で学上・
修士号を取得。旋盤工、コミュニティワーカーとして働く。
ウィスコンシン州の立法府ミルウォーキーの南地区、西地
区の代表となる.アーバンデザインと教育問題についての
家とまちなみ43
2001.3
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