アナスタシス( アナスタシス(キリストの キリストの冥府降下) 冥府降下)図像に 図像に内在する 内在する時間 する時間 櫻井 夕里子 「アナスタシス」 (Ἀνάστασις ギ:復活)は、ビザンティン世界において 7 世紀後半に創作 されたキリストの復活図像である。当図像は、冥府の扉を打ち破りハデスを踏み敷くキリスト、 キリストに引き上げられるアダムとエヴァを中心に構成される。9 世紀にはキリストの人性を 表象するダヴィデとソロモンが登場し、10 世紀には洗礼者ヨハネやアベル等の受難を暗示する 人物が付加され、キリストの死からの肉体の復活が明示される。中期ビザンティン時代(9~13 世紀)以降、「アナスタシス」は復活図像として定着し、キリストの受肉、受難、そして死を 通して成就された人類救済の開始を告げる主題として解釈されてゆく。 「アナスタシス」にソロモンが描かれるのには、キリストの人性を表象するだけではない別 の理由があったと思われる。それはコンスタンティヌス大帝との結びつきである。エルサレム に初めて神殿を建立するという偉業を成し遂げたソロモンは、聖堂献堂者のモデルとして、聖 堂建立に尽力した皇帝に重ね合わされる歴史的・修辞的伝統をもつ。聖堂献堂に対して野心的 な皇帝のひとりであったコンスタンティヌスもその例外ではない。コンスタンティヌスの聖堂 建立事業の中で、最も重要な聖堂がキリストの死と復活を記念したエルサレムの聖墳墓聖堂で あったことは想像に難くない。4 世紀の聖墳墓聖堂は、ゴルゴタの丘を含む聖十字架を記念し た五廊式のバシリカ、聖十字架崇拝の儀式が行われた列柱廊付きの中庭、そして聖墳墓、すな わちキリストの墓の上に建てられたキリスト復活を記念するアナスタシス・ロトンダの 3 カ所 を同時に記念する複合建築であった。335 年 9 月 13 日の聖墳墓献堂祭は、聖堂献堂だけでなく、 コンスタンティヌス在位 30 年祭と聖十字架の発見を共に記念する祝祭であったことが伝えら れる。さらに、聖墳墓聖堂献堂祭はソロモンの神殿奉献祭の時期に合わせて開催されたという。 ソロモンとコンスタンティヌスは、献堂者として比較されうるだけでなく、キリスト教最大の 聖地に、ソロモン神殿に代わるキリスト教史上最も重要な聖堂(「エルサレムの新しき神殿」) が建立されたという歴史的出来事を通しても結びつけられる。 キオス島、ネア・モニ修道院主聖堂(11 世紀)の「アナスタシス」(図)におけるソロモン には、当修道院の寄進者と目されるコンスタンティノス 9 世モノマコスの相貌があてられてい ると考えられ、このモザイクは皇帝の視覚的な顕彰と解釈される。アナスタシス・ロトンダの 改修・再建にあたったモノマコスはエルサレム神殿を建立したソロモンに自らを投影させ、 「新 しきソロモン」となることを望むだけでなく、聖墳墓聖堂を献堂した偉大なるコンスタンティ ヌス、同名の大帝にも自らを重ね合わせた。言い換えればコンスタンティヌスをソロモンにな ぞらえる伝統があったゆえに、11 世紀のモノマコスもネア・モニ修道院において、ソロモンに なぞらえて自らを表わすということができたのである。 ソロモン―コンスタンティヌスの重ね合わせによって、「アナスタシス」という超自然的な 事績に、4 世紀に遡る復活を記念した聖墳墓聖堂(アナスタシス・ロトンダ)の献堂という歴 史性が付加される。当時の人々は、「アナスタシス」のソロモンから 4 世紀のコンスタンティ ヌスを、さらにはコンスタンティヌスよって創建された聖墳墓聖堂(アナスタシス・ロトンダ) を想起したに違いない。ミストラ、ペリブレプトス修道院主聖堂(14 世紀)において確認され るように、「アナスタシス」に近接して、十字架の左右に立つコンスタンティヌスとヘレナが 配されるのも同じ理由によるものである。エルサレムというトポスにおいて、アナスタシス(復 活)、ソロモン、そしてコンスタンティヌスは三つ巴の強固な結びつきをもっているといえよ う。さらに、「アナスタシス」のソロモンの場所に、同時代の献堂者・寄進者肖像が挿入され る作例が散見される。第 3 の王は、ソロモン―コンスタンティヌスに連なるものとして自らを 位置づけ、時空を超えて共にキリストの復活に立ち会い、死後の魂の救済を願うのである。
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