甲府のシンボルだった噴水塔

時代とともにまちも大きく
変わっていくもんじゃ。
甲府のまちの玄関・甲府駅
の南口にあった名物を覚えて
いるかのぅ…?
甲府のシンボルだった噴水塔
かつて、甲府駅南口のロータリーにあった噴水
塔。懐かしく思う方も多いのではないでしょうか?
噴水塔は水晶を模したもので、直径15mの池と
幅5mの緑地帯に囲まれていました。
噴水の部分は、光学ガラスで作られた、水晶を
模造したものがいくつも積み重なり、高さは2.7m。
そこから高さ7.5mまで水を噴射、さらに池から噴
水塔に向かって、12の小さい噴水が噴射されてい
ました。
現在のバス乗降場の南西側辺りにありました
※昭和41年ごろの様子
実はこの噴水塔は、ある電気メーカーが会社の
宣伝用に計画したものでした。その後、市に寄贈
されることになり、昭和35年10月17日の市制祭の
り ゅ う ぞ う
~木造聖徳太子立像~
うまや
今から1,400年余り前の飛鳥時代、「厩の前で生
まれた」 「一度に10人の話を聞き分けた」 などの伝
説を残し、旧1万円札にその肖像が使われた聖徳
太子。そんな太子の16歳像
(御孝養像)
を御本尊と
して祀っているのが小瀬町にある仁勝寺です。
聖徳太子像は高さが約115cm、檜木の寄木造で、
鎌倉時代の作品です。内刳りをし、眼は水晶の玉
眼をはめ込み、頭部は髪を中央で分けて左右に鬟
を結び、胴部は衣の上に袈裟をまとい、両手を曲
げています。左手に柄香炉を、右手に蓮華を持っ
ていたと思われますが、現在は両方とも失われて
います。衣の一部には朱色が残され、截金による
鳳凰丸文が数か所に施されています。
また、靴を履き、畳座の上に直立した姿は「天
皇病み太子衣帯をとかず日夜看病し給う。香炉を
ご こ う よ う ぞ う
ま つ
ひ
の
き
ぐ
みずら
け
さ
れ
ん
げ
き り が ね
日にお披露目となったので
す。噴水塔の総工費は、なん
と当時で800万円!とても豪
華なものでした。
また、噴水塔の内部には、
20ワットの黄色や白色の照明
灯が6個付けられ、夜にはラ
イトアップも。甲府の夜景の
1つとしても親しまれていま
した。
しかし、かいじ国体(昭和
ライトアップ
した噴水塔
61年)に伴う駅前整備事業に
より、昭和60年に噴水塔は姿を消しました。
「宝石の街 甲府」のシンボルとして25年間、多く
の市民や観光客の目を楽しませてくれたのです。
ちなみに、信玄公像はか
つて噴水塔の南側にあった
んじゃよ。信玄公像も駅前
整備に伴って、現在の場所
に移設されたんじゃ。
持してひたすら祈る」
(太子伝)
と伝えられ、その姿をかたどっ
て造られたとも解釈されてい
ます。
昭和5年の修理の際に、躰
内には紙人形(胎内仏)が収め
られていることも確認されて
います。また、平成19年度に
は浮き上がってきた下地の補
修や発生したかびを取り除く
ための修理が行われています。
もともとは、京都のお寺に
あったものと伝えられ、どの
ような縁で仁勝寺に納められ
たのかは不明ですが、平安時
代の流れをくむ作風を伝えて
いる貴重な彫刻作品です。
とても若々しい
ほ う お う ま る も ん
姿の聖徳太子像
区分…国指定文化財(彫刻)
指定日…昭和4年4月6日
場所…小瀬町406
広報こうふ
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