アスレティックトレーナーの 法的諸問題

連載
No. 17
基礎から学ぶ「スポーツと法」
アスレティックトレーナーの
法的諸問題
白井久明
1.アスレティックトレーナーの
仕事
(1)アスレティックトレーナー(以下、
「トレーナー」と言います)の仕事は、選
スポーツ法政策研究会、京橋法律事務所、弁護士
正しい知識をもち、選手がドーピング違反
資格は、トレーナーがどのような知識・技
を犯さないようにも注意する必要もありま
能・経験を有しているかを知るためのメル
す。
クマールと言えます。
このように、トレーナーの仕事、役割は、
手の健康管理、予防対策、外傷時の応急処
スポーツ選手の身体面、精神面に深くかか
置です。
3.トレーナーの役割
わるもので、その役割が重要になればなる
スポーツの世界において、トレーナーの
日常的な選手の健康管理は、選手が能力
ほど、事故等が生じた場合の責任も生じま
仕事、役割の重要性が認識されてきていま
を十分に発揮することができるように、身
す。トレーナーが仕事・役割を果たすため
すが、トレーナーの仕事、役割がどのよう
体面、精神面のコンディショニングの調整
には、法的な知識を有していることが不可
なものであるかについては、トレーナー自
を行うことであり、傷害等の予防対策につ
欠です。
身も、また、トレーナーが活動している場
ながります。選手が外傷等を負った場合に
は、応急処置を行うとともに、適切な医療
でも、明確になっていないと思われます。
2.トレーナーの資格
トレーナーの仕事・役割を機能的に果た
が行われるように、医者と連携をもち、選
日本では、トレーナーは国家資格ではな
手のリハビリテーションを手伝うなど、ス
く、日本体育協会、ジャパン・アスレチッ
コーチなどから信頼される資質をもつこと
ポーツ活動への復帰の手助けをします。
ク・トレーナーズ協会などの任意団体が資
が必要ですが、重要なのは、チーム、学校、
格を認定しています。
企業等におけるトレーナーの位置づけを明
すなわち、トレーナーは、個々の選手の
していくには、トレーナー自身が、選手、
心身の状態を把握し、選手とコーチ、監督
財団法人日本体育協会は日本のスポーツ
との間の橋渡しをする役割を担っていま
競技連盟、協会および各都道府県の体育協
トレーナー、選手、監督、コーチ、フロン
す。
会を統括する団体です。ジャパン・アスレ
ト等の関係者全員が共通の認識をもち、絶
チック・トレーナーズ協会は、財団法人柔
えず確認していくことです。
確にし、トレーナーの仕事・役割に関し、
(2)トレーナーが、このようなさまざま
道整復研修試験財団の主催する「スポーツ
トレーナーは、選手、チーム、学校、企
な役割・仕事を果たすためには、スポーツ
科学講習会修了者」が母体となって設立さ
業等との契約により仕事をしています。契
医学、スポーツ科学にわたる広範囲な知識
れた協会です。この他に、アメリカのアス
約書を締結していなくても、契約関係は生
を有していることが必要です。
レティックトレーナーの統括団体である
じているし、契約書を締結している場合で
生理学、解剖学、心理学、栄養学などの
NATA公認のアスレティックトレーナー資
も、トレーナーの仕事の内容が詳細に記載
基礎的な医学知識から、整形外科その他の
格を取得した日本人アスレティックトレー
されていることは少ないようです。なお、
スポーツに関連する疾患の概要を理解して
ナーが中心となってNATAの協力の下に
無償のボランティアであっても、法的な責
いる必要があります。
設立されたジャパン・アスレティックトレ
任が生じることがあることにも留意すべき
ーナーズ機構があります。
です。
具体的には、救急法、安全対策、トレー
ニング法、テーピング、ストレッチング、
いずれにしても、トレーナーの資格は公
契約書がない場合や、契約書に記載がな
マッサージ、理学療法、リハビリテーショ
的なものではないので、誰でもトレーナー
くても、トレーナーの役割、業務内容を書
ンなどです。また、ドーピングについての
を名乗ることができるとも言えます。上記
面にすることにより、トレーナー、選手、
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監督、コーチ、フロント等との間において、
(医事第五八号)各都道府県衛生担当部
師等に関する法律第十二条の二第二項にお
相互にその役割、業務内容を確認すること
(局)長あて厚生省健康政策局医事課長通
いて準用する第七条第一項又は医療法(昭
は、トラブルを防止するだけではなく、ト
知)
。
一項に基づく規制の対象となるものである
レーナーの業務を円滑に進めていくために
も有用です。
和二十三年法律第二百五号)第六十九条第
*カイロプラクティック療法の医学的効果につい
こと。
ての科学的評価は、未だ定まっておらず、今後と
4.医療行為、医業類似行為
(1)2010年5月、甲子園球児のカリスマ
も検討が必要であるとの認識を示す一方で、同療
法による事故を未然に防止するために必要な事項
を指摘している。
ものがあります。
①平成15年3月20日、東京地裁判決
トレーナーと言われていた女性整体師が医
師の免許がないのに、首にパットを張りつ
(3)類似業種の裁判例としては、以下の
①禁忌対象疾患の認識
会員制メディカルクラブで整体アジャス
けるなどの電気治療を行っていたとして逮
カイロプラクティック療法の対象とする
トメント施術を受けた患者が頚椎椎間板ヘ
捕されました。医療行為とは、人の傷病の
ことが適当でない疾患としては、一般には
ルニア、頚椎損傷の傷害を負った場合、マ
治療・診断または予防のために、医学に基
腫瘍性、出血性、感染性疾患、リュウマチ、
ッサージ師とクラブ経営者の不法行為責任
づいて行われる行為で、原則として、医師
筋萎縮性疾患、心疾患等とされているが、
が認められた事例(判例タイムズ1173号
の資格をもつ者のみが行うことになってい
このほか徒手調整の手技によって症状を悪
269頁)
。
ます(医師法17条)
。
化しうる頻度の高い疾患、たとえば、椎間
②平成20年6月2日、広島高裁判決
板ヘルニア、後縦靱帯骨化症、変形性脊椎
柔道整復師の五十肩の患者に対する治療
療法などの医業類似行為については、以下
症、脊柱管狭窄症、骨粗しょう症、環軸椎
について、治療上の過誤、転医助言義務の
のように法律による公的資格制度がありま
亜脱臼、不安定脊椎、側弯症、二分脊椎症、
懈怠があったとしてその損害賠償責任が認
す。公的な資格をもたずにマッサージなど
脊椎すべり症などと明確な診断がなされて
められた事例(判例タイムズ1278号257
を行い、事故が生じた場合、資格を有して
いるものについては、カイロプラクティッ
頁)
。
いなかったことについて責任を問われるこ
ク療法の対象とすることは適当ではないこ
とがありますので注意を要します。
と。
マッサージ、リハビリテーション、理学
②一部の危険な手技の禁止
*あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等
カイロプラクティック療法の手技にはさ
5.トレーナーの身分(契約形態)
(1)トレーナーが活動する場ごとに、以
下の通り、契約の形態を整理してみまし
に関する法律
まざまなものがあり、なかには危険な手技
た。
第1条 医師以外の者で、あん摩、マッサージ若
が含まれているが、とりわけ頚椎に対する
①プロチームのスタッフ(雇用契約、委任
しくは指圧、はり又はきゅうを業としようとする
者は、それぞれ、あん摩マッサージ指圧師免許、
急激な回転伸展操作を加えるスラスト法
契約)
②企業・学校等のスタッフ
はり師免許又はきゅう師免許を受けなければなら
は、患者の身体に損傷を加える危険が大き
ない。
いため、こうした危険の高い行為は禁止す
i.企業・学校等との契約(雇用契約、
*柔道整復師法第15 条
る必要があること。
委任契約)
③適切な医療受療の遅延防止
i
i.企業の社員、学校の教員をしながら、
第15 条 医師である場合を除き、柔道整復師でな
ければ、業として柔道整復を行なってはならない。
*理学療法士及び作業療法士法
長期間あるいは頻回のカイロプラクティ
所属組織のチームで活動(雇用契約)
③クラブチームのスタッフ(雇用契約、委
第2条 この法律で「理学療法」とは、身体に障
ック療法による施術によっても症状が増悪
害のある者に対し、主として その基本的動作能力
する場合はもとより、腰痛等の症状が軽減、
の回復を図るため、治療体操その他の運動を行な
消失しない場合には、滞在的に器質的疾患
④選手個人のスタッフ(委任契約)
を有している可能性があるので、施術を中
⑤スポーツ用品やテーピングなどのメーカ
止して速やかに医療機関において精査を受
ーに勤務し、企業のなかで活動してい
の補助として理学療法又は作業療法を行なうこと
けること。
る者(企業の営業活動のひとつとして
を業とすることができる。
④誇大広告の規制
の活動)
(雇用契約)
わせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の
物理的手段を加えることを言う。
第15 条 理学療法士又は作業療法士は、……診療
任契約)
カイロプラクティック療法に関して行わ
(2)厚生省は、いわゆるカイロプラクテ
れている誇大広告、とりわけがんの治癒等
(2)契約は契約書が作成されなくても成
ィック療法の取り扱いについて、以下の通
医学的有効性をうたった広告については、
立しますが、どのような合意のもとに活動
知を出しています(平成三年六月二八日
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう
しているのかにより異なってきます。
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基礎から学ぶ「スポーツと法」
①雇用契約でも、正規雇用、一時雇用、
の予防、治療、リハビリテーション等に関
パート、アルバイトなどがあります。
し、練習、試合の全般的に関与すべきで、
(2)トレーナーは、選手の身体情報、精
② 委任契約でも、有償のものから、無
トレーナーは医師の指示に従って、職務を
神的な情報など、個人情報を知ることが多
償=ボランティアのものまであります。
行うことが必要です。上記が現実に困難な
い職業です。トレーナーの職務の範囲内の
③請負契約もありますが、派遣契約と紛
場合でも、医師とのコミュニケーションを
選手の情報を指導者等に伝えることはでき
密に行い、必要に応じてその指示を仰ぐこ
ますが、その他の情報については、指導者
とが必要です。
を含む第三者に漏洩することは、選手との
らわしいものもあります。
④派遣契約による場合は、トレーナーは
派遣会社との間に雇用契約が成立し、
派遣会社が派遣先と労働者派遣契約を
締結します。
信頼関係を壊す行為となり、損害賠償責任
(2)事前の措置(事故の予防)
①選手の健康管理、傷害状態のチェック、
けがや病気の後の競技への復帰の適否
(3)契約書作成の意味
口頭でも契約は成立しますが、契約書が
の判断。
②練習・試合に際し、事故が起きたとき
ない場合、合意の内容が曖昧であったり、
に、どのような応急措置をするか、必
当事者の言い分に相違が生じたりするの
要に応じて、診療を受ける整形外科医
で、紛争の予防ということからすると、契
や脳外科医等の計画の策定。
約書を作成することは、トレーナーの地
③応急処置の準備。
位・身分を明確とし、その権利が保障され
ます。
なお、契約書を作成していない場合や、
処)
①応急処置(救急処置)
。
義のある事項については、実態に即して、
②病院への搬送、公的機関(警察・消防
することになります。
日本の社会では、職務の内容や、職務の
手順のすべてを契約書に定めるということ
署)への連絡。
③事実関係の把握(事故の発生状況、発
生原因の把握)
。
害者側の家族等への連絡・説明)
。
ーナーとしての職務の内容・役割を確認す
*病院へ搬送しない場合でも、帰宅後に容態が
る意味で、以下のようなことを書面にし、
急変する場合があるので、選手のけがの状況に
関係者相互で確認するだけでも意味があり
ついて、本人や家族に、直接説明することも重
ます。
要です。
順。
②監督、コーチ、スポーツドクター等と
の役割分担。
③選手に対し、外傷・障害の予防に関す
る教育や選手自身の健康管理の意識の
啓発。
6.リスク管理
(1)チーム・ドクターとの連携
理想は、チーム・ドクターが選手の健康
(3)トレーナーが、選手に物品を販売し
たり、選手の金銭管理をすることも、選手
との信頼関係を損なうことにつながります
ので、好ましくありません。
(4)ドーピングについても、禁止物質の
使用以外でも、ドーピング違反とされる場
合があるので、トレーナー自身だけではな
注意し、啓発・指導していくことが大事で
す。
★編集部より
スポーツおよびスポーツ医療における法律問題に
ついて、
「このテーマを扱ってほしい」というご希
望がありましたら編集部:田口([email protected])までお寄せ下さい。
スポーツ法政策研究会
代表幹事/菅原哲朗・キーストーン法律事務所
幹事/竹之下義弘・東京六本木法律特許事務所、
白井久明・京橋法律事務所、伊東 卓・新四谷法
律事務所
会計/高木宏行・横松・高木総合法律事務所
⑤指導者等の責任者と連携して、すばや
い、誠意のある対応の必要性。
●入会方法
参加資格/幹事の承認を得たうえで参加していた
だきます。
*法的な責任の有無ではなく、その組織におい
年会費/5,000円
て、対応をする責任者をあらかじめ決めておく
入会申し込み/会入会希望の旨を下記事務局ま
で、電話、FAX、E-mail にて申し込み、事務局か
ら送付する所定の申込書に必要事項を明記し返送
する。
必要があります。
⑥⑤の対応をした後に、法的責任の有無
の検討。
7.トレーナーの倫理
(1)トレーナーは、選手の身体に接触す
ることが多いので、セクシュアル・ハラス
管理に責任を持ち、シーズン前の検診か
メントになる行為をしないことはもちろ
ら、コンディショニング、健康教育、ケガ
ん、疑われる行為をしないように注意すべ
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です。
④関係者への連絡・説明(被害者側や加
が難しい側面があります。その場合、トレ
①トレーナー自身の職務内容や職務の手
を負うことになりますので、厳に慎むべき
く選手がドーピング違反とならないように
(3)事後の措置(事故が生じたときの対
契約書を作成しても、定めがない事項や疑
雇用、委任等の法律に基づき、契約を解釈
きです。
●事務局
〒104-0031
東京都中央区京橋1-3-3 柏原ビル2 階
京橋法律事務所内「スポーツ法政策研究会」
事務局長/片岡理恵子
TEL:03-3548-2073
FAX: 03-3548-2071
E-mail : [email protected]
http://www.keystone-law.jp/sports/sports-index.htm
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