近現代史(24) アジア諸地域の動揺④ 東アジア【1】「アヘン戦争とアロー戦争」 【清朝の動揺とヨーロッパ】 (1)[1. 嘉慶帝の時 ] 嘉慶白蓮教徒の乱 18 世紀の 人口 土地不足による農民の貧困化 社会 繁栄 増加 開墾による環境破壊 不安 清朝財政 白蓮教徒の乱 窮乏 (2)ヨーロッパと冊封体制 ・従来の東アジアの国際秩序=冊封体制=朝貢貿易 に対する挑戦 <露清関係> ‣[2. ](1689)…康熙帝とピョートル 1 世が結んだ対等条約。 ネルチンスク条約 国境を[3. ‣[5. キャフタ条約 ‣[6. ラクスマン アルグン川 ]と[4. スタノヴォイ山脈 ]とした。 ](1727)…雍正帝時代に結ばれる。モンゴルとシベリアの国境画定。 ]派遣(1792)…エカチェリーナ 2 世が北海道の根室に派遣して通商を求める。 <英清関係> ‣[7. ]の派遣(1792)…乾隆帝時代の清朝に派遣。広州 1 港の現状に満足せず、その他 マカートニー の港の開放など自由貿易を要求した。乾隆帝は朝貢貿易以外は 認めず、イギリスの要求を拒否。 (3)自由貿易帝国主義 ①イギリス輸入超過で銀流出 ・本国での[8. 茶 ]の需要の増大にともない輸入が増大 ・産業革命の工業製品[9. 綿製品 輸入超過 ]は中国で売れない 大量の [10. 銀 ]が流出 ②アヘン三角貿易 イギリス、本国の[11. 綿製品 ]をインドに、インド産の[12. アヘン ]を中国に運ぶ三角貿易 を始める。清朝ではアヘンの吸引が広がり、アヘンの密貿易は増えて、大量の銀が国外に流出。 ↓ 1839 欽差大臣[13. 林則徐 ] アヘンの取り締まり ↓ 1840 [14. アヘン戦争 ]勃発!(1840~1842) 【欧米諸国との条約】 (1)[15. 南京条約 ・[16. 香港 〇[18. ](1842) 〇[19. ](1843 年 10 月) 虎門寨追加条約 ・輸出入税率 ]の廃止 公行 ](1843 年 7 月) ・清はイギリスの領事裁判権を認める ]島の割譲 ・上海、寧波、福州、厦門、広州の 5 港の開港 ・[17. 五口通商章程 ・片務的[20. ・賠償金の支払い 最恵国 ]待遇 ・開港場における土地租借と居住権の付与 アメリカとは[22. 望厦条約 ] フランスとは[23. 黄埔条約 ] [21. → 租界 ]に発展 (2)アロー戦争 アヘン戦争後の交易でも欧米諸国が期待したほどの利益はあがらず不満。条約改定の機会をうかがう。 ↓ [24. アロー号事件 ]…イギリス船籍を主張する船の中国人乗組員が海賊容疑で逮捕される ↓ イギリス、フランスと共に[25. ※この間、清は国内の[26. ]勃発 アロー戦争 ](1851~64)でも苦戦 太平天国の乱 ↓ ロシアの調停 1858 [27. [28. ] 天津条約 ]、キリスト教布教の自由、外国人の中国内地での旅行の自由、 外国公使の北京駐在 開港場の増加と貿易の自由、賠償金支払い ↓ 天津条約批准書交換使節の入京を清軍が武力で阻止し、戦闘再開 ↓ 再びロシアの調停 1860 [29. 天津条約の批准に加えて、[30. 付属協定で[32. 天津 アヘン ] 北京条約 ]の開港、[31. 九龍半島南部 ]の割譲 ]を「医薬品」として輸入を自由化 (3)ロシアの進出 <露清間国境条約> ネルチンスク条約 1689 康熙帝・ピョートル 1 世(スタノヴォイ山脈とアルグン側) キャフタ条約 1727 雍正帝(モンゴル北辺の国境)。交易場の設置も決定。 1858 東シベリア総督[34. 33. アイグン条約 [35. 36. 北京条約 1860 イリ条約 1881 ウラジオトーク港 沿海州 ]を獲得。 ]。 東トルキスタンの混乱に乗じてロシアが獲得したイリ地方返還。トルキ スタンの国境を画定。ロシアの[40. ☆ロシアは中央アジアでも南下の勢いを示し[41. 国を支配下に置いた。 ]。清の苦境に乗じて ]以北を獲得。 アロー戦争講和斡旋の代償として[37. [38. 39. アムール川 ムラヴィヨフ ウズベク アレクサンドル 2 世 ]締結 ]人のブハラ、ヒヴァ、コーカンドの 3 ハン
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