近代8 フランス革命とナポレオン帝国

【近代 8 フランス革命とナポレオン】
1.フランス革命の背景
2.革命と第一共和政
3.皇帝ナポレオン
1.フランス革命の背景
旧体制
A) 旧体制(アンシャン・レジーム)下の身分制度
第一身分:聖職者,
第二身分:貴族:人口の 1.5%…特権的な身分で重要官職を独占。広い領地をもちながら
も,免税らの特権。
第三身分:平民:人口の 9 割以上…政治的権利を持たない,中産市民,下層市民,農民
・商工業者=資本家(ブルジョワ)…しだいに富を蓄積→中産市民として力をつけてくるが,
なんの発言権もない。また,イギリス製品の流入で国内発展が妨げられるとい
う問題もあった。
・農民…大部分を占める,領主への地代と国家の税を負担
→啓蒙思想の普及も手伝い,第三身分の不満が増大
革新の気風 ・啓蒙思想…社会の不合理の打破をめざす。
アメリカ独立革命の影響。社会改革を強く希求
・フランス革命の構造
きっかけ…王権に対する貴族の反抗
有産市民層…旧制度を破棄→政治的発言力を確立
農民・都市民衆…旧制度の破棄に重要な役割→資本主義経済に反対
フランス革命における四つの社会層…貴族・ブルジョワ(有産市民)・農民・都市民衆→複雑な
経緯をたどる
貴族
←旧制度の打破←農民・都市民衆 ⇔有産市民の資本主義経済
2.革命と第一共和政
背景
A) フランス政府の財政窮乏
七年戦争,アメリカの独立支援で財政窮乏
テュルゴー,ネッケルらによる貴族への課税の試み→貴族らは高等法院に拠り抵抗した…
財政改革失敗
国民議会
革命勃発
B) 三部会再開(1789.5 月)…しかし,採決方法をめぐり,第三身分と第一,二身分が対立
C) 6 月 第三身分は自分たちこそ真の国民代表だとし,国民議会を結成(ミラボー,シェ
イエスら中心)→「球戯場の誓い」で憲法制定まで解散しないことを誓う
・国王…こうした動きを一度は承認→保守的貴族に動かされ,議会への武力弾圧を企図
・憲法制定議会と改称(1789.7.9~)
A) フランス革命の勃発
・パンの値上がりに不満を持つパリ市民がバスティーユ牢獄襲撃(1789.7.14)=革命
の勃発→全国に広まり,農民は領主を襲うようになる。
B) 国民議会の対応
・封建的特権の廃止を決定(8 月 4 日)…領主裁判権,十分の一税を無償廃止,地代の廃
止は有償
・人権宣言を採択(8月 26 日)…ラ・ファイエットらが起草
人間の自由・平等,主権在民,言論の自由,私有財産の不可侵などを主張
→国王がこれらの決議を不承認→女性を先頭にパリ民衆が立ち上がる…ヴェルサイユ
行進(10 月初め)→国王一家パリ帰還
・諸改革の断行(1790 年)…ラ・ファイエットやミラボーらの自由主義貴族が中心
議会は教会の土地・財産を没収。アッシニア紙幣発行,ギルド廃止,行政区画改正,
らの改革を実施(度量衡統一の方向性もあり,1799 年のメートル法制定につながる)
C) ヴァレンヌ事件(1791.6 月):国王一家のオーストリアへの脱走未遂事件
↓王権失墜
議会:制限選挙制にもとづく一院制の立憲君主政を定めた新憲法を公布(1791.9月)
立法議会
国民公会
A) 立法議会の招集(1791.10~92)
・立憲君主派:ラ・ファイエットら自由主義貴族,上層の市民,革命は望まない
↑↓対立
ジロンド派:穏健的共和主義。中産商工業者を基盤
ジャコバン派:急進的共和主義。下層市民,農民
諸外国の干渉と反革命の動き→ジロンド派の勢力が強大化→ジロンド派政権掌握
B) 諸外国の介入開始
・オーストリアとプロイセンによるピルニッツ宣言(1791.8)…ルイ 16 世救援宣言
・これに対し,ジロンド内閣は宣戦(1792)…各地から義勇兵が集まる
→戦局不利,経済危機に対し,ジャコバン派に支持された民衆と義勇軍がテュイルリ
ー宮殿を襲撃→国王を幽閉し,議会は王権停止を宣言(八月十日事件) (1792.8 月 10 日)。
土地保有権の所有権化が 1792 年 8 月下旬に実現
A) 男子普通選挙により,国民公会召集(1792.9 月)
・王政廃止と共和政樹立を宣言…第一共和政(1792~1804) 現在は第五共和制
(直前,ヴァルミーの戦いでフランス軍が初めて勝利)
・ジャコバン派が勢力を増す→ルイ 16 世を処刑(1793.1 月)
・フランス軍のベルギー地方侵入に対し,周辺諸国が第 1 回対仏大同盟 結成(英首相小ピ
ットが提唱)
B) ジャコバン独裁
・国内外の危機を乗り切るためジロンド派を粛清し(1793.6),都市の民衆,農民の支持を
確保するための政策を実施。また,公安委員会,革命裁判所を設置し,諸改革を断行
急進的諸改革
① ジャコバン憲法を制定して,普通選挙制を定める(実施はされなかった)
② 封建的特権の無償廃止
③ 徴兵制
④ 革命暦やメートル法採用
⑤ 理性崇拝の宗教を創始
⑥ 物価,賃金の価格統制など
・独裁体制の確立 ロベスピエールの独裁…恐怖政治の展開
マラーを暗殺。ダントン,エベール派を粛清し,独裁
ジャコバン ・戦局の好転→農民・商工業者の保守化→ジャコバン派独裁への不満高まる
派の終焉
→テルミドール 9 日のクーデター(1794 7 月 革命暦 7 月 9 日=7 月 27 日)
ロベスピエール派失脚
総裁政府
A) 総裁政府の成立(1795~99)
・ジャコバン派の没落→穏和な共和主義者が実権を握る→新憲法の制定…制限選挙制を復
活→総裁政府の成立…憲法 5 人の総裁,二院制議会(1795)
・バブーフの反政府陰謀などで動揺→民心は強力で安定した政権を期待するようになる
B) 軍人ナポレオン・ボナパルトに期待が集まる
イタリア遠征(1796)→カンポ・フォルミオの和約(1797)オーストリアからライン左岸とベル
ギー獲得
エジプト遠征(1798)→アブキール湾の海戦で敗退
統領政府
・フランス国境が第二回対仏大同盟(1799)(英首相小ピット)により脅かされると,政府は国
民の支持失う。
A) 統領政府の成立(1799~1804)
・ブリュメール 18 日(1799 年 11 月 9 日)のクーデター→ナポレオンが政権掌握 (3 人統
領制 四院制の立法府) 第一統領として事実上の独裁権
① オーストリアを破り,リュネヴィルの和約
② アミアンの和約(1802) イギリスと講和し,国家の安全を確保
③ コンコルダート(1801) ローマ教皇ピウス 7 世と仲直り
④ フランス銀行設立,学校制度改革(公教育制度)の確立
⑤ 民法典(ナポレオン法典)の制定(1804) 私的所有権尊重,契約の自由などを成文化→
革命の成果を定着させるため
1802 終身統領に
フランスの ① 周辺の絶対主義列強の介入から防御し,国境の外に自由や平等の革命的理念と制度を広げ
対外戦争の
る。
意味
② 国内のブルジョワを守る(イギリスとの戦争ではとくにこの意味が強い)
海で敗れた後も,
「陸によって海を征服」すべく,大陸諸国を支配し,市場を確保する政
策(大陸封鎖)として一貫していた。
ロシア遠征は,
ロシアがフランス特産の絹織物やワインの関税引上げに対する報復の意味
を持っていた。
従来の王朝間戦争(領土争奪戦にすぎない)
↑↓
革命後の戦争(大陸諸国のアンシャンレジームを変革させる作用)
3.皇帝ナポレオン
第一帝政 A) 第一帝政の始まり
(1804~14)
・ナポレオンが国民投票によりナポレオン 1 世として帝位につく(1804.5)
←第 3 回対仏大同盟(1805)(英首相小ピット)
B) 大陸支配へ
・トラファルガー海戦(1805.10) →ネルソンの英国海軍に敗北
・アウステルリッツの三帝会戦(1805)→ロシア,オーストリアを破る→西南ドイツ諸国
をライン同盟として組織(1806)…神聖ローマ帝国解体
・ベルリン勅令=大陸封鎖令の発布(1806)
大陸諸国にイギリスとの通商を禁止し,産業革命で増大するイギリス製品をヨーロッ
パ市場から締め出し,フランス産業による大陸市場独占を狙う ⇒ 大陸諸国は安価な
商品を買えない。また,イギリスへの輸出ができなくなり不満
・プロイセン,ロシア連合軍を破る→ティルジット条約(1807)
プロイセンの半分以上の領土を奪う
エルベ川以西にウェストファリア王国,ポーランドにワルシャワ大公国
オーストリア皇帝の娘 マリー・ルイーズと結婚(1810 )
ナポレオンの絶頂…兄をスペイン王,弟をオランダ王とする
諸民族の抵
抗開始
・当初は封建的圧政からの解放者として迎えたが→民族意識にめざめる→ナポレオン支配に
対する抵抗始まる。
プロイセン:国家の危機に対し,シュタインやハルデンベルグによる改革→農民開放,軍
制,教育改革など多様…後のドイツ統一の基礎となる国力を蓄えていく。
哲学者フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」と講演し,ドイツ人の愛国心を鼓舞した。
ロシア:自国の穀物市場を失ったロシアが大陸封鎖を破って輸出
スペイン:国民の反抗が始まる⇒半島戦争
ナポレオン C) ロシア遠征の失敗(1812)→モスクワを占領するが,冬の到来により敗退
の敗北
→第四回対仏大同盟結成
・ナポレオンはロシアをはじめ,諸国の追撃を受ける→ライプツィヒの戦(諸国民戦争)
に敗退(1812)→パリ陥落(1814)→ナポレオンは退位しエルバ島に流される
・フランスでブルボン朝復活 。諸国によりウィーン会議始まる
D) ナポレオンはエルバ島脱出,パリに戻って再び帝位に(1815. 3)
・第 5 回対仏大同盟が結成され,ナポレオンに対抗
→ワーテルローの戦(1815. 6 ) イギリス・プロイセン連合が勝利(ナポレオンの百日天
下)
↓
セント・ヘレナ島に配流され,死す
★
【近代⑧ フランス革命とナポレオン】
1.フランス革命の背景
2.革命と第一共和政
3.皇帝ナポレオン
1.フランス革命の背景
旧体制
A) 旧体制([
])下の身分制度
第一身分:聖職者,
第二身分:貴族:人口の 1.5%…特権的な身分で重要官職を独占。広い領地をもちながら
も,免税らの特権。
[
]:平民:人口の 9 割以上…政治的権利を持たない,中産市民,下
層市民,農民
・商工業者=資本家([
])…しだいに富を蓄積→中産市民として力をつけて
くるが,なんの発言権もない。また,イギリス製品の流入で国内発展が妨げら
れるという問題もあった。
・農民…大部分を占める,領主への地代と国家の税を負担
→啓蒙思想の普及も手伝い,第三身分の不満が増大
革新の気風 ・啓蒙思想…社会の不合理の打破をめざす。
アメリカ独立革命の影響。社会改革を強く希求
・フランス革命の構造
きっかけ…王権に対する貴族の反抗
有産市民層…旧制度を破棄→政治的発言力を確立
農民・都市民衆…旧制度の破棄に重要な役割→資本主義経済に反対
フランス革命における四つの社会層…貴族・ブルジョワ(有産市民)・農民・都市民衆→複雑な
経緯をたどる
貴族
←旧制度の打破←農民・都市民衆 ⇔有産市民の資本主義経済
2.革命と第一共和政
背景
A) フランス政府の財政窮乏
七年戦争,アメリカの独立支援で財政窮乏
テュルゴー,ネッケルらによる貴族への課税の試み→貴族らは高等法院に拠り抵抗した…
財政改革失敗
国民議会
革命勃発
B) [
]再開(1789.5 月)…しかし,採決方法をめぐり,第三身分と第一,
二身分が対立
C) 6 月 第三身分は自分たちこそ真の国民代表だとし,国民議会を結成(ミラボー,シェ
イエスら中心)→「球戯場の誓い」で憲法制定まで解散しないことを誓う
・国王…こうした動きを一度は承認→保守的貴族に動かされ,議会への武力弾圧を企図
・憲法制定議会と改称(1789.7.9~)
D) フランス革命の勃発
・パンの値上がりに不満を持つパリ市民が[
]牢獄襲撃(1789.7.
14)=革命の勃発→全国に広まり,農民は領主を襲うようになる。
E) 国民議会の対応
・[
]の廃止を決定(8 月 4 日)…領主裁判権,十分の一税を無償廃止,
地代の廃止は有償
・[
]を採択(8月 26 日)…ラ・ファイエットらが起草
人間の自由・平等,主権在民,言論の自由,私有財産の不可侵などを主張
→国王がこれらの決議を不承認→女性を先頭にパリ民衆が立ち上がる…ヴェルサイユ
行進(10 月初め)→国王一家パリ帰還
・諸改革の断行(1790 年)…ラ・ファイエットやミラボーらの自由主義貴族が中心
議会は教会の土地・財産を没収。アッシニア紙幣発行,ギルド廃止,行政区画改正,
らの改革を実施(度量衡統一の方向性もあり,1799 年のメートル法制定につながる)
F)
立法議会
国民公会
ヴァレンヌ事件(1791.6 月):国王一家のオーストリアへの脱走未遂事件
↓王権失墜
議会:制限選挙制にもとづく一院制の立憲君主政を定めた新憲法を公布(1791.9月)
A) 立法議会の招集(1791.10~92)
・立憲君主派:ラ・ファイエットら自由主義貴族,上層の市民,革命は望まない
↑↓対立
[
]派:穏健的共和主義。中産商工業者を基盤
ジャコバン派:急進的共和主義。下層市民,農民
諸外国の干渉と反革命の動き→ジロンド派の勢力が強大化→ジロンド派政権掌握
B) 諸外国の介入開始
・オーストリアとプロイセンによるピルニッツ宣言(1791.8)…ルイ 16 世救援宣言
・これに対し,ジロンド内閣は宣戦(1792)…各地から義勇兵が集まる
→戦局不利,経済危機に対し,ジャコバン派に支持された民衆と義勇軍がテュイルリ
ー宮殿を襲撃→国王を幽閉し,議会は[
]を宣言(八月十日事件) (1792.
8 月 10 日)。
土地保有権の所有権化が 1792 年 8 月下旬に実現
C) 男子普通選挙により,国民公会召集(1792.9 月)
・[
]廃止と共和政樹立を宣言…第一[
](1792~1804) 現在は第
五共和制
(直前,ヴァルミーの戦いでフランス軍が初めて勝利)
・[
]派が勢力を増す→ルイ 16 世を処刑(1793.1 月)
・フランス軍のベルギー地方侵入に対し,周辺諸国が第 1 回[
] 結成(英
首相小ピットが提唱)
D) ジャコバン独裁
・国内外の危機を乗り切るためジロンド派を粛清し(1793.6),都市の民衆,農民の支持を
確保するための政策を実施。また,公安委員会,革命裁判所を設置し,諸改革を断行
急進的諸改革
⑦ ジャコバン憲法を制定して,普通選挙制を定める(実施はされなかった)
⑧ 封建的特権の[
]
⑨ 徴兵制
⑩ 革命暦やメートル法採用
⑪ 理性崇拝の宗教を創始
⑫ 物価,賃金の価格統制など
・独裁体制の確立 [
]の独裁…恐怖政治の展開
マラーを暗殺。ダントン,エベール派を粛清し,独裁
ジャコバン ・戦局の好転→農民・商工業者の保守化→ジャコバン派独裁への不満高まる
派の終焉
→[
]9 日のクーデター(1794 7 月 革命暦 7 月 9 日=7 月 27 日)
ロベスピエール派失脚
総裁政府
統領政府
A) 総裁政府の成立(1795~99)
・ジャコバン派の没落→穏和な共和主義者が実権を握る→新憲法の制定…制限選挙制を復
活→総裁政府の成立…憲法 5 人の総裁,二院制議会(1795)
・バブーフの反政府陰謀などで動揺→民心は強力で安定した政権を期待するようになる
B) 軍人[
]に期待が集まる
イタリア遠征(1796)→カンポ・フォルミオの和約(1797)オーストリアからライン左岸とベル
ギー獲得
エジプト遠征(1798)→アブキール湾の海戦で敗退
・フランス国境が第二回対仏大同盟(1799)(英首相小ピット)により脅かされると,政府は国
民の支持失う。
A) 統領政府の成立(1799~1804)
・[
]18 日(1799 年11 月9 日)のクーデター→ナポレオンが政権掌握 (3
人統領制 四院制の立法府) 第一統領として事実上の独裁権
⑥ オーストリアを破り,リュネヴィルの和約
⑦ アミアンの和約(1802) イギリスと講和し,国家の安全を確保
⑧ コンコルダート(1801) ローマ教皇ピウス 7 世と仲直り
⑨ フランス銀行設立,学校制度改革(公教育制度)の確立
⑩ 民法典([
] )の制定(1804) 私的所有権尊重,契約の自由など
を成文化→革命の成果を定着させるため
1802 終身統領に
フランスの ③ 周辺の絶対主義列強の介入から防御し,国境の外に自由や平等の革命的理念と制度を広げ
対外戦争の
る。
意味
④ 国内のブルジョワを守る(イギリスとの戦争ではとくにこの意味が強い)
海で敗れた後も,
「陸によって海を征服」すべく,大陸諸国を支配し,市場を確保する政
策(大陸封鎖)として一貫していた。
ロシア遠征は,
ロシアがフランス特産の絹織物やワインの関税引上げに対する報復の意味
を持っていた。
従来の王朝間戦争(領土争奪戦にすぎない)
↑↓
革命後の戦争(大陸諸国のアンシャンレジームを変革させる作用)
3.皇帝ナポレオン
第一帝政 A) 第一帝政の始まり
(1804~14)
・ナポレオンが国民投票により[
]として帝位につく(1804.5)
←[
]対仏大同盟(1805)(英首相小ピット)
B) 大陸支配へ
・トラファルガー海戦(1805.10) →ネルソンの英国海軍に敗北
・[
]の三帝会戦(1805)→ロシア,オーストリアを破る→西南ドイツ
諸国を[
]同盟として組織(1806)…神聖ローマ帝国解体
・ベルリン勅令=[
]の発布(1806)
大陸諸国にイギリスとの通商を禁止し,産業革命で増大するイギリス製品をヨーロッ
パ市場から締め出し,フランス産業による大陸市場独占を狙う ⇒ 大陸諸国は安価な
商品を買えない。また,イギリスへの輸出ができなくなり不満
・プロイセン,ロシア連合軍を破る→ティルジット条約(1807)
プロイセンの半分以上の領土を奪う
エルベ川以西にウェストファリア王国,ポーランドにワルシャワ大公国
オーストリア皇帝の娘 マリー・ルイーズと結婚(1810 )
ナポレオンの絶頂…兄をスペイン王,弟をオランダ王とする
諸民族の抵
抗開始
・当初は封建的圧政からの解放者として迎えたが→民族意識にめざめる→ナポレオン支配に
対する抵抗始まる。
プロイセン:国家の危機に対し,シュタインや[
]による改革→農民開
放,軍制,教育改革など多様…後のドイツ統一の基礎となる国力を蓄えていく。
哲学者フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」と講演し,ドイツ人の愛国心を鼓舞した。
ロシア:自国の穀物市場を失ったロシアが大陸封鎖を破って輸出
スペイン:国民の反抗が始まる⇒半島戦争
ナポレオン C) [
]の失敗(1812)→モスクワを占領するが,冬の到来により敗退
の敗北
→第四回対仏大同盟結成
・ナポレオンはロシアをはじめ,諸国の追撃を受ける→[
]の戦(諸国民
戦争) に敗退(1812)→パリ陥落(1814)→ナポレオンは退位しエルバ島に流される
・フランスでブルボン朝復活 。諸国によりウィーン会議始まる
D) ナポレオンはエルバ島脱出,パリに戻って再び帝位に(1815. 3)
・第 5 回対仏大同盟が結成され,ナポレオンに対抗
→[
]の戦(1815. 6 ) イギリス・プロイセン連合が勝利(ナポレオ
ンの百日天下)
↓
セント・ヘレナ島に配流され,死す
★