満州事変と「満州国」の歴史をみつめ あらためて日中不再戦の誓いを 長谷川 了一(憲法9条ファンクラブ事務局長) 計画的軍事行動であった満州事変 が、中国の民族運動の高揚と世界経済恐慌の波及に 満州事変(中国の呼称は9・18事変)は関東軍(* よって大きく動揺したからである。満鉄の巨大な利 注1)が計画的におこした軍事行動である。1931(昭 潤源であった大豆の輸送・輸出が、価格の暴落によ 和 6)年 9 月 18 日午後 10 時 20 分頃、関東軍は計 って大幅に低下した。関東軍はこの危機を満州の武 画に沿って、奉天(現在の瀋陽)北郊の柳条湖で満 力占領によって一挙に解決しようとし、日本の支配 鉄の線路に仕掛けた爆薬を爆破させ、これを中国軍 層もこれを追認したのである。 が爆破したのだと偽って、500 メートル北にあった 世界の注視を逸らすために起こした上海事変 北大営の中国軍兵営を攻撃した。これを合図に関東 当時、中国は、南京と広東とソビエトの三政府に 軍は東北(*注2)南部一帯で軍事行動を展開し、 分裂していた。中国国民政府は共産党が中心となっ 19 日中に満鉄沿線を制圧した。 21 日には朝鮮軍も呼 てつくられていた中華ソビエト政府の攻撃に全力を 応して独断で満州へ越境攻撃し、関東軍は満州全域 挙げていたので、指導者蒋介石は、 「不抵抗主義」を を占領した。事件当時、満州の支配者であって張学 とって中国軍の抵抗を許さないという屈辱的な姿勢 良(*注3)は、国民政府の蒋介石の要請に応じて をとった。このため、10,400 人の関東軍は、わずか 指揮下の東北軍の主力を率いて北京方面に出動して 5月の間にやすやすと広大な満州の全域を軍事占領 おり、日本軍の満州侵略は文字通り「空き巣泥棒」 下におくことができたのである。 であった。この満州事変が、その後 15 年間におよぶ 日本の露骨な侵略行動に、自国の領土の一角を奪 中国への侵略戦争の始まりとなった戦争である。 われた中国の人々は激しく反発し、全国で空前の抗 謀略で始め、 「戦争ではない」と強弁 日運動が展開された。とりわけ、上海は帝国主義各 この戦争が謀略で開始されたことは今日では明ら 国の中国支配の拠点であり、同時に中国の民族運動 かである。外務省編纂の『日本外交年表竝主要文書』 の中心地であった。日本軍はこの上海でことをおこ (下)には「1931 年 9 月 18 日 我軍満鉄沿線柳条溝 すことによって、満州の「切り取り」から列国の注 (*注4)に鉄道爆破事件を虚構して軍事行動開始」 視をそらす陰謀を計画した。1932 年 1 月 28 日、日 と書かれている。日本の外務省は、鉄道爆破が日本 本が仕掛けた事件を口実に、日本海軍陸戦隊が中国 軍の計画的行動であったことを知っていたのである。 軍と戦闘を開始した。第 1 次上海事変(中国では1・ 19 日の緊急閣議では、幣原外相が「軍部が計画的に 28事変)である。日本は続々と陸軍部隊を派遣し 起こしたものと推し量られる」と報告している( 『太 た。中国軍は上海各界の人々の熱烈な支援を受けて 平洋戦争への道』別巻 p114 朝日新聞社) 。 36 日間にわたって頑強に抵抗した。上海事変は、両 ところが日本政府は「9 月 18 日夜半奉天付近にお 軍合わせて 17,000 人を超える死傷者を出す激しい いて中国軍隊の一部は南満州鉄道の線路を破壊し… 戦闘となった。 …」と関東軍の謀略に沿った政府声明を発表し、日 日本と関東軍の傀儡国家「満州国」 本国民も世界も欺き続けた。この侵略戦争は、日本 こうして世界の目が上海戦に注がれている間に、 も加盟していた国際連盟規約(*注5)や、28 年に 3 月 1 日、満州では「満州国」の独立宣言が発表さ 批准した不戦条約(*注6)に違反するものである れ、9 日には天津から日本特務機関の手でひそかに ことは明らかであった。そこで日本政府は、戦争で 連れ出された清朝最後の皇帝溥儀が執政に就任した あることをいっさい否認し、 「事変」 であると強弁し、 (翌年「満州国皇帝」となる) 。このように日本は軍 「満州事変」と呼称した。37 年からはじめた日中全 部に引きずられる形で満州を侵略し、そこに「満州 面戦争をも北支事変(後に支那事変)と呼称しつづ 国」をつくった。 「満州国」では、中央政府の各部(日 け、戦争であることを否定しつづけた。 本の省に当たる)の長には中国人が任命されたが実 関東軍が満州で侵略戦争を開始したのは、日本の 際は飾り物にすぎず、内閣総務長官や各部次長、重 最大の市場であった満州に対する日本の支配的地位 要な職務にはすべて日本人があてられた。 「王道楽 土」 「五族協和」 (*注7)などと美化しているが、 閣は、35 年にベルサイユ条約を破棄して再軍備を開 それはまさしく日本の、というよりは関東軍の傀儡 始した。これら日独の行動で、世界は無秩序状態に 国家であった。 おちいり、その帰結として第2次世界大戦がもたら 「満州国」は①対ソ連戦略基地、②鉄鋼・石炭・ された。第2次世界大戦は、普通 39 年のドイツのポ 農産物の資源供給地、③不況にあえぐ日本農村の過 ーランド侵攻によって始まったとされるが、巨視的 剰人口のはけ口、となったのである。満州の重要産 にはその発端はむしろ満州事変にあったといえる。 業は、日本の国策会社である「南満州鉄道会社」 (略 第2次世界大戦の死者は、全世界で 5,500 万人な 称は満鉄)や日産コンツェルンの「満州重工業開発 いし6,000万人 (うち兵士以外の市民の死者は2,700 株式会社」 (略称は満業)によって独占された。金融・ 万人)と推算されている。このうち、日本がおこな 石炭・鉄鋼・交通・鉱山・電力などの分野では国策 ったアジア・太平洋戦争での死者は 2,400 万人から 会社を作り、 「一産業一会社」という原則を掲げ、中 2,500 万人と見られている。まさに酸鼻を極める大 国の資本が入ってくることを認めていない。 日本は、 惨禍である。この大惨禍をもたらした大きな責任が 貧しい地域の農民を集団で満州に移住させ、中国の 「軍国主義・ファシズム」の日本の侵略戦争にあるこ 農民から土地や家を安く買い上げ、または強制的に とを私たちは正視しなければならない。その侵略戦 取り上げて日本人移民に与えた。 日本の敗戦までに、 争の発端となった満州事変、それに連動する傀儡国 日本人の移民の総数は約 29 万人にのぼった。 家「満州国」の建国の歴史を史実に沿って正確に認 激しく戦われた反満抗日のたたかい 識することで、日中不再戦の誓いを固め、今日まだ このような日本の満州支配は、中国の人々の命が 解決していない「戦争責任」 「戦後責任」を果たし、 けのゲリラ闘争や抗日連軍の武装闘争に悩まされな 日本と中国の平和・友好の絆を強めていくことがで がらの支配であった。関東軍は抗日武装勢力を鎮圧 きると考える。 するため、活動地域を討伐し、多くの残虐事件を引 *********************** き起こした。32 年に撫順近くの平頂山で 3,000 人あ 注 1:旅順・大連などの租借地(=関東州)や南満州 まりの村民を虐殺した事件をはじめ、老黒溝事件、 鉄道(略称満鉄)の守備を目的に配置されて 土龍山事件などがある。このように反満抗日の戦い いた日本の陸軍部隊。 で日本軍によって殺された中国人の数は、32 年から 注2:日本での旧称は満州。今日の中国では、東北 40 年の間でおよそ 66,000 人の多数に上っている あるいは東三省と呼称。本文では以下、満州 (小田部雄次ほか『キーワード日本の戦争犯罪』 雄 と呼ぶ。 山閣) 。このように、日本の満州侵略は中国人に計り 注3:彼は 1928 年に関東軍によって爆殺された張作 知れない被害を与えるとともに、日本人にも、満蒙 霖の息子である。 開拓団と今日の「在留日本人孤児」 ( 「日本国に棄て 注4:事件当時は柳条溝と伝えられた。 られた同胞」 )に象徴されるような、未だに解決され 注5: 「前文 加盟国は、戦争に訴えざるの義務を受 ていない多くの犠牲を生み出した。 諾し」 、 「第 16 条 約束を無視して戦争に訴え 第2次世界大戦の発端となった満州事変 たる連盟国は、当然他のすべての連盟国に対 中国政府の提訴を受けて国際連盟は、イギリス人 し戦争行為を成したるものとみなす」 のリットンを団長とする調査団を日本と満州に派遣 注6: 「第 1 条 締約国は国際紛争解決の為戦争に訴 して調査を行い、 その報告書が 32 年 9 月に提出され ふることを非とし且その相互関係に於て国家 た。報告書は、 「満州の主権は中国に属する。日本軍 の政策の手段として戦争を放棄することをそ の軍事行動は正当なる自衛行動とは認められない。 の各自の人民の名に於て厳粛に宣言す」 。 (満州国) 政府の指導者は、 名目上は満州人であるが、 なお、本条約の批准に当たって、日本では「人 実権は日本の官僚と顧問が掌握している。現地の中 民の名において」という部分が、天皇主権の 国人の目には、日本人の道具になっていると映って 「国体」 に合致しないとの反対論が議会であり、 いる」と記している。33 年 2 月、国際連盟総会は日 その部分は日本には適用しないものとみなす 本を除く 43 国のうち 42 国の賛成で、報告書の採択 という政府声明がつけられた。 と「満州国」の否認を可決した。3 月、日本は国際 注7:日本人、中国人、満州人、蒙古人、朝鮮人の 連盟を脱退した。 五民族が協力し、平和な国づくりをおこなう 第1次世界大戦後の国際秩序である国際連盟を中 ということ。関東軍が「満州国」建国に当た 心とするベルサイユ・ワシントン体制は、日本のこ って「五族協和」を目指すと宣言し、日本に の行動で破られた。同年1月に成立したヒトラー内 よる侵略と支配を覆い隠し、正当化した。
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