グローバリゼーションと時代の対抗軸 松山大学経済学部教授 岩林 彪 はじめに グローバリゼーションは有益であり、社会的にも経済的にも恵みと繁栄をもたらし、人 間の顔をしていると考える人々もいれば、それは社会と環境に災禍をもたらす怪物、妖怪 であり、人間の顔をしていないと考える人々もいる。両者の間に存在する亀裂は、きわめ て厳しい現実的な対立、抗争を地球規模で生み出している。以下では、グローバリゼーシ ョンを時代の対抗軸とのかかわりに限定して論じてみたい。 ここに、アメリカのウォルマートに関する一つの叙述がある。 「競争上の優位の源が革新と技術改善であり、それが大規模な産業のリストラにいたる ことは、一般によく理解されている。ビジネス・スクールで教材に使われる古典的な例と して、アメリカにおけるウォルマートのケースがある。アメリカのほとんどすべての州で このパターンが見られた。健康・美容関係商品、家庭用洗剤やパッケージ商品を売ってい る小規模で独立した家庭経営の商店はかつて、比較的に安定した業種だったが、これらす べての商品を低価格で供給する業者の参入により、ものの数カ月で(場合によっては数週 間で)姿を消したのである。 零細産業を全国規模のものに変え・・・その過程で何千という小規模業者を廃業に追い やった・・・このような微妙な形での競争は、国際資本主義によって可能となるきわめて 重 要 な 分 野 で あ り 、 諸 産 業 を 劇 的 に 変 容 さ せ る 可 能 性 を 持 っ て い る 。」 これは、ローエル・ブライアン、ダイアナ・ファレル『市場の時代』からの引用である が、ウォルマートの行動とその結果(小規模経営の破綻、大規模な産業のリストラ)を肯 定 的 に 捉 え て い る 。も ち ろ ん 、こ れ と は 反 対 に 、デ ビ ッ ト・コ ー テ ン(『 ポ ス ト 大 企 業 の 世 界 』) の よ う に 、「 ア メ リ カ 中 の 小 さ な 町 を 犠 牲 に し て 、 驚 異 的 な 成 功 を 収 め た 」 ウ ォ ル マ ートの実態を紹介したビル・クインに依拠して、同じ事象を批判的に捉える人もいる。 地域社会に密着して営業する数多くの小規模業者を容赦なく破滅させ、地域社会を破壊 するグローバル企業のあり方を、人はなぜ肯定的に捉えることができるのか。まさにここ にグローバリゼーションがかかわってくる。ブライアンとファレルは、次の一節において そ の グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン 観 を 明 確 に 示 し て い る 。す な わ ち 、 「資本移動の全面自由化は、 グ ロ ー バ ル な 資 本 主 義 の 流 れ を 解 き 放 ち 、 そ の 結 果 、世 界 中 の 市 民 に 繁 栄 を も た ら す 力 を 持っている。しかし、もし世界各国の政府が政策を誤れば、金融不安、ひいては世界経済 の荒廃を呼ぶ引金ともなりかねない。資本移動が完全に自由化されることによって、世界 中の貯蓄が非効率的に投資されたり、政府によって社会保障のような義務的経費に使われ てしまわずに、最も生産的に投資されるようになるので、経済に繁栄がもたらされる可能 性が高い」と。 私は、グローバリゼーションの本質が地球規模で展開する資本主義、資本の運動の態様 にあると考えている。実は、ブライアンとファレルは、幾多の論者の中でもひときわ明瞭 にこの観点に立っている。私と彼らとの違いは、グローバリゼーションをどのような時代 1 文脈において捉えるか、その捉え方、まさに時代の対抗軸の理解の仕方、にある。ともあ れ、グローバリゼーションの論理を検証するに当たって、彼らの議論は多いに参照されて よい。そうする前に、その論理が成立する背景を簡単に整理しておこう。 グローバリゼーションの背景 グローバリゼーションとは、効率的な資源配分を地球規模で実現するための完全に統合 されたグローバルな資本市場の形成であるとするならば、このような市場の形成は、資本 取引に対するいっさいの障壁が全世界的規模で取り除かれていることを必須の要件とする。 そして、グローバルな資本取引に対する主要な障壁は、外部からの市場撹乱要因の侵入を 阻止するために自国市場を保護しようとする国家、各国政府の存在である。 財、サービスの国際取引の自由化は、為替相場の安定と関税障壁の撤廃を目指したIM F=GATT体制(ブレトン・ウッズ体制)の下で、各国政府の貿易自由化政策と数次の 関税引き下げ協定により急速に進んだ。しかし、資本取引の自由化に関しては、この体制 の下では基本的に大きな進展は見られなかった。なぜなら、IMFは為替相場の安定(対 ドル固定相場の維持)のために各国に通貨価値の厳格な管理を求めたので、各国政府は財 政赤字と貿易赤字を最小限に抑える財政金融政策、通商政策を実施し、その結果各国金融 市場は当該政府の管理下に置かれることになったからである。つまり、相対的に自立した 各国金融市場は国際資本取引の自由化圧力に対する障壁として機能することとなり、また 自国資本の発達と必要に応じて資本自由化措置を受け容れるとしても、各国政府はその手 にしっかりと規制手段を確保した上でのことであった。 この制約された状態に風穴が開けられたのは、軍事支出(核軍拡競争、戦争政策等)に 起因する財政赤字と国際競争力の低下による貿易赤字の累増問題を処理しきれなくなった アメリカが、ドル価値の安定(金に対するドル価値固定)という基軸通貨国としての当然 の責務を放棄したばかりか、各国通貨に対するドルの相対価値を安定させる責任を主要先 進国政府に押し付け、自国だけが国際収支への影響をほとんど気にせず国内で拡大路線を 取るという身勝手な行動に走ったことを契機としてであった。この結果、歯止めなき対外 債務をカバーするアメリカ財務省証券が世界のマネタリー・ベースに組み入れられ、基軸 通貨本位制は米国債本位制へと移行することになった(マイケル・ハドソン『超帝国主義 国 家 ア メ リ カ の 内 幕 』)。 このようにしていわば力ずくで作り出された新国際金融ルールの下で、資本取引の自由 化は以後急展開を見せることになるのだが、それは、結局は、アメリカから垂れ流されて くる膨大な「余剰ドル」を、各国金融市場の壁を突き破って自由に運用するにはどうした らよいかという問題を解決することを意味した。そしてこの問題の解決のためには、二つ の条件が必要であった。一つは、国際金融市場を駆け回る「余剰ドル」の相対価値が先進 諸 国 政 府 の 協 力( 抑 制 的 な 財 政 政 策 、政 策 協 調 )と I M F 、世 界 銀 行 等 の 国 際 金 融 機 関( 結 局 は ア メ リ カ 政 府 )の 監 視 下 で 維 持 さ れ る こ と で あ り 、い ま 一 つ は 、 「 余 剰 ド ル 」を 他 の 国 の資産に自由に変換できることであった。前者は、ドルを資産として保有する意思と行動 の 有 意 味 性 を 保 証 す る も の で あ り 、後 者 は 、そ れ が ま さ に「 余 剰 」で あ る に も か か わ ら ず 、 他の国の資産を引き当てにその「余剰」性を解消しようとするものである。この二つの条 件が確保されさえすれば、あとは資金調達者、金融仲介機関、投資家、投機家等々が大小 2 入 り 乱 れ て こ の「 余 剰 ド ル 」に 群 が り 、ド ル と い う い わ ば「 仮 想 資 産 」 ( バ ー チ ャ ル ・マ ネ ー)を本物の資産に変換する「資産運用」ゲームに興じるのみであった。 グローバリゼーションの論理 ブライアンとファレルの議論に拠りながら、グローバリゼーションの論理を検証してみ よう。彼らは、グローバル金融市場がブレトン・ウッズ制度の束縛から解放されたのはア メリカ政府による少しの手助け、つまりアメリカが同制度を維持するに必要な財政・金融 の規律を守らなかったからであると正直に述べた上で、国際社会は、このようなアメリカ 政府の行動と「余剰ドル」の発生を肯定的に受け止め、完全に統合された単一のグローバ ル資本市場の形成に向けて全面的に協力すべきである、と主張する。 「余剰ドル」がグローバル金融市場で資本として躍動しうるためには、それに見合うだ けの取引対象が用意されなければならない。そのようなものとして期待されたのは、アメ リカ以外の国々のさまざまな資産、すなわち通貨、債券、株式、不動産などであった。も ちろん、それらは各国経済の骨格を成す最重要資産であるから、当然、各国政府の抵抗が 予期されるところであった。 変動相場制への移行は、為替管理をめぐる各国政府の抵抗を殺ぐための制度的な契機と なった。変動相場制移行後も、かなりの期間、各国政府の外国為替コントロールや国内銀 行、証券市場への規制が残存したが、裁定取引、デリバティブなどの金融技術や情報・通 信技術の進歩は、外国為替の自由な貸借を通じて変動相場から収益を上げる機会を創出・ 拡大し、対ドル投機を大規模に行うことを可能にした。今日、先進国における為替管理の 廃止に伴い、先進国の外国為替と金融市場は完全にグローバル化している。 次にグローバル化したのは、債券市場であった。国際企業は、債券価格や条件の違いを 利用して、海外でより安く資金調達を行うために外国債券を発行し、またアメリカをはじ めとして各国政府は、財政赤字・貿易赤字を補填するために海外で債券による資金調達を 行った。既存債が増加するにつれて債券流通市場が発達した。 株 式 市 場 の グ ロ ー バ ル 化 は 、為 替 、債 券 に 比 べ て 遅 れ て い る 。し か し 、最 近 、生 命 保 険 、 年金基金、投資信託等の機関投資家は、外国企業の情報開示の進展、良質の株式リサーチ データの活用、決済コストや保管料の低下、株式デリバティブの発達等により、ポートフ ォリオ内の外国株式比率を急速に増加させている。 ブライアンとファレルは、 「 競 争 を 抑 え る こ と 、あ る い は 市 場 へ の ア ク セ ス を 拒 否 す る こ とを意図した規制は、その障壁を迂回する道を工夫する者にとって利益確保の機会をつく り出す。知恵のある市場参加者は、金融システムの革新と新技術(あるいは明白な逃避) を利用して、こういう収益機会を捉える。そして究極的には、規制や法律は機能しなくな り 、改 正 さ れ る 」、 「 規 則 や 法 律 は 次 々 に 経 済 の 力 に 屈 し た 」と 、事 態 を 的 確 に 捉 え て い る 。 彼らにあっては、国内金融業界や金融市場に関する各国政府のさまざまな規制措置は単な る引き延ばし作戦に過ぎず、各国政府は必然的に単一グローバル資本市場の形成に協力す る こ と に な る 。1992 年 の E R M の 崩 壊( 投 機 筋 に 対 す る 欧 州 各 国 中 央 銀 行 の 降 伏 )か ら も わ か る よ う に 、抵 抗 し て も 無 駄 な の だ 。そ し て 、市 場 参 加 者( 資 金 調 達 者 、金 融 仲 介 機 関 、 投資家等)が個別に行う自己利益(ビジネス・チャンス)追求の結果として、統合された グローバルな資本市場が自然に現われようとしているのである、と。 3 彼 ら が こ の よ う な 議 論 を 展 開 す る い わ ば 「最 後 の 拠 り 所 」は 、 世 界 の 非 政 府 プ レ ー ヤ ー が 保有する流動性金融資産残高であり、その基礎には「余剰ドル」がある。マッキンジー・ グ ロ ー バ ル に よ れ ば 、世 界 の 金 融 資 産 総 額 は 2003 年 で 118 兆 ド ル 、ま た I M F に よ れ ば 、 世 界 全 体 の 金 融 資 本 市 場 ( 株 式 時 価 総 額 、 債 券 残 高 、 銀 行 融 資 残 高 の 合 計 ) は 同 年 で 130 兆ドルだという。グローバル資本市場を徘徊するこの金融資産という超巨大怪物は、自己 増殖を繰り返しながら、金利や為替相場に対してばかりでなく、実体経済に対してもその 影響力をますます増大させている。 時代の対抗軸 グローバリゼーションは、私たちの生活とどのようにかかわっているのか。時代の対抗 軸を考える上で、この点はぜひ明らかにしておかなければならない。 グローバル資本主義、したがって金融資産の所有者たち、にとって最大の脅威は、実体 経 済 ( 2003 年 の 世 界 の G D P は 36 兆 ド ル ) の 数 倍 に も 達 し た 金 融 資 産 が 金 融 危 機 に よ っ て突然大きく減価ないしは無価値化してしまうことである。ただ、先進国以外の国々で生 じる危機については、アジア通貨危機の場合がそうであったように、主要国の通貨当局の 協調介入、国際金融機関等の緊急融資で応急措置を施すとともに、発生国政府に金融シス テム改革を強要することによってなんとか対処しうるであろう。 問題は、先進国で生じうる危機である。資産所有者たちが想定する最も確率の高い発生 因子は、経済の論理を無視して行動しがちなプレーヤー、すなわち先進国政府である。と りわけ、政府債務残高が危機的水準にある日本やヨーロッパの国々は、これ以上借入れを 続けると、利払いの膨張によって借金地獄に陥り、債務不履行の危険性が高まり、いつ金 融クラッシュが起きてもおかしくない状況になるとみられる。そうなると、グローバル資 本 市 場 に 対 す る シ ョ ッ ク は 計 り 知 れ な い 。し た が っ て 、 「 構 造 改 革 」と い う 名 の 小 さ な 政 府 を目指す行財政改革は、資産所有者たちにとっては一刻の猶予も許されないのである。 グローバル資本主義の発展を望むのであれば、先進国政府は、国民の期待と強力な政治 的圧力に押されて社会保障のために国債の発行や増税を行い、そうすることによって金融 資産を不生産的に消費する、といった政策的過ちを絶対に犯してはならない。高齢化社会 で 増 大 す る 貯 蓄 は 、生 産 的 投 資 、た と え ば 通 常 30∼ 50% の 高 利 回 り を 生 む 発 展 途 上 国 へ の 投資、つまり金融資産への投資、に向けられるべきなのである。ブライアンとファレルは いう、 「 個 々 の 政 府 は 、グ ロ ー バ ル な 資 本 市 場 の 他 の 参 加 者 が 示 す 金 銭 的 利 益 追 求 と 同 じ よ うな方向で行動しなければならない」と。 グローバル資本主義の下では、政府もすべての非政府プレーヤーも、グローバル・キャ ピタリストとして金融資産を有効に活用しなければならない。グローバル・キャピタリス ト(株主)はグローバルな競争を志向する企業に投資をし、経営者たちは「株主第一」を モ ッ ト ー に 、ひ た す ら 株 式 時 価 総 額 を 高 め る こ と を 求 め ら れ る 。 「 株 主 第 一 」に 行 動 し な い 経営者、つまりグローバル競争の観点からコストを大胆に削減し、収益を上げ、株価を高 めることのできない経営者は、早晩その地位から排除されるであろう。先進諸国では投資 機会が相対的に減少しており、巨額の金融資産を増殖させる最も効果的な手段は今流行り のM&Aであることも、これに拍車をかける。 グローバル資本主義とマネーに魂と時間を売り渡すことが求められる経済社会の姿と、 4 経済財政諮問会議や小泉内閣によって紡ぎだされてきた今日の日本の経済社会の姿とは、 か く も 鮮 や か に 符 合 す る も の な の か 、ま さ に 驚 嘆 に 値 す る 。 「好むと好まざるとにかかわら ず、私たちは誰もコントロールできない世界へと向かっている」とはブライアンとファレ ルの出した結論であるが、はたしてそうであろうか。 ポ ラ ニ ー (『 大 転 換 』 )は 、 社 会 シ ス テ ム の 内 に 埋 没 し て い た 経 済 シ ス テ ム が 自 己 調 整 的 市場の出現とともに社会システムから独立し、それ以降、自己調整的市場の確立を目指す 「経済的自由主義の原理」と、生産組織だけでなく人間と自然の保護をも目指す「社会防 衛 の 原 理 」と の 衝 突 が 社 会 史 を 特 徴 づ け る 、と 喝 破 し た 。 「 経 済 的 自 由 主 義 の 原 理 」は 、貨 幣利得の最大化行動に支えられて、今日、グローバルな段階に到達している。そしてこの グローバル資本主義は、資本の蓄積を空間的極限にまで推し進め、一方では、生産力(自 然破壊力)の発展と物質的富の増大と人口の増加を、他方では、自然破壊と貧困と社会的 排除を、全地球規模でもたらしている。 これに対して「社会防衛の原理」は、社会防衛の枠組みとしての共和制国家に依拠しな がら発展してきた。だが問題は、グローバル資本主義に段階に到達した経済が、相対的に 独立して営まれる社会の壁を貫通し、社会防衛の枠組みとしての国家の機能を著しく毀損 しているところにある。もちろん、国家がグローバル資本主義に対抗する能力をまだ有し ていることは否定しえない。しかし、それがいまや不十分となっていることは明らかであ る 。 で は 、 国 連 は ど う か 。 そ の 人 道 援 助 、 開 発 援 助 の 成 果 が WTO、 IMF、 世 界 銀 行 等 に よって簡単に破壊されている現状からもわかるように、これも不十分である。このような 状況にあって、今日、五つの大陸でグローバル資本主義のさまざまな現われに対抗するさ まざまな運動体が結成され、行動し、相互に同盟し、グローバル・ネットワークを構築し て い る 。 ジ ャ ン ・ ジ グ レ ー ル (『 私 物 化 さ れ る 世 界 』) は 、 社 会 防 衛 の グ ロ ー バ ル な 戦 線 と しての「新しい地球規模の市民社会」にこそ希望がある、という。相対的に独立して営ま れる個々の社会は、空間的には確かに制約されているが、その内なる世界は空間的制約を 超えてはるかに拡がり、互いに繋がっているのである。 そしてその上で、社会と経済の関係をどう構築すべきか。社会システムは経済システム を再び自らの内に埋没させるべきか。歴史の逆行である。 デ ビ ッ ト ・コ ー テ ン は 、資 本 主 義 と 市 場 経 済 を 峻 別 し 、グ ロ ー バ ル 資 本 主 義 の 否 定 と し て の「 健 全 な 市 場 経 済 」、つ ま り 社 会 の 身 の 丈 に 合 っ た 経 済 の 形 成 を 提 案 し て い る 。社 会 防 衛 から社会力の発展へ、そして社会力の発展段階に相応しい経済へのグローバル資本主義の 改造を通じた社会と経済の共生。私は、時代の対抗軸をこのようにイメージしているが、 これ以上論じる紙幅は残されていない。 最 後 に 、 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン を い か に 論 じ る か 。 ギ デ ン ス (『 暴 走 す る 世 界 』) は さ ま ざまな分野での複合的現象としてのグローバリゼーションを主張するが、やはり経済のグ ローバル化が他の動きを主導している。 ( く ら し と 協 同 の 研 究 所 『 協 う 』 vol.92、 2005 年 12 月 、 所 収 ) 5
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