悪性脳腫瘍、 グリオブラストーマの治療について

A I R
M A I L
悪性脳腫瘍、
グリオブラストーマの治療について
―その遺伝子治療も含めて−
米川 泰弘
米川 泰弘 / よねかわ・やすひろ
1939年、三重県津市生まれ。 64年、京都大学医学部卒業。
京都大学医学部助教授、国立循環器病センター・脳神経外科部長などを経て、93年より、
チューリッヒ大学脳神経外科主任教授。
“ ベートーベンのピアノコンチェルト第 5 番の音 楽が楽しめなくな
私から手 術の経 過と迅 速 標 本の結 果を聞いたこと。五 体を満 足に
った。分からなくなった ”というのが 今 回 のテーマのグリオブラスト
動かすことができ、ひと安 心したこと。翌日チェックのためのC Tを撮
ーマを発 病した、4 9 歳で働き盛りの 内 科 医 の 第 一 症 状であったと
りすぐに歩く練 習をしたが、
うまくいったこと。そのまた翌日日曜日で
こうがしゅ
いう。グリオブラストーマは日本 語で神 経 膠 芽 腫といい、脳 腫 瘍 全
あったが、冒頭に述べた彼 の 最も愛していたピアノコンチェルトの
体の中で1 0%強を占める最も悪 性の腫 瘍である。今のところ残 念
C Dを聞いたところ、この 音 楽が 心 の 琴 線に深く触れ、聞きながら
ながらどのような治 療をしてもやがては死に至る病とされており、そ
身 体を揺り動かしていることに気づき嬉しくて涙が出たこと。手 術
の平均余命は発病後わずか1.5年となっている。従って治療にあた
前はこの 音 楽を楽しむことができないという慰めようのない地 獄に
る医師が常に忘れてはいけない大切なことは、患者に残された貴重
陥っていたが、それから解 放されたのは最 高に素 晴らしい体 験であ
な日々の、クオリティーオブライフ( 以 下 Q O L )をできるだけ維 持す
ったこと。その後着々と体力も回復して、よいQOLを楽しみ、徐々に
ること、またはこれをできるだけ高めることである。自ら開業医、ホーム
心の負担を軽 減して長 年のしがらみから解 放されていること。開 業
ドクターとしてこれまで第一線で活躍、たくさんの患者を診察治療し
していた医 院を引き継いでくれるよい後 任も見つけることができた
てきたB 医 師は、職 業 柄この病 気の予 後についても、近いうち自分
ので、以 前 不 可 能であったこのようなことができること。などなどが
に訪れるであろう( 悲 観 的にならざるを得ない)結 末についてもよく
記されていた。
承知していた。彼が自身の脳のMRI写真を携えて私の診察時間に
その彼も、
しかし2年後には再発のために再手術をすることになった。
現われたのは1 9 9 6 年の4月のことであった。それを見てみると明ら
その手 術の際、Q O Lを考えて片 麻 痺になるのを避けるために意 図
かに直 径 4 c m 強 の 腫 瘍が 右 の 側 頭 葉に発 生していた。右 利きの
的に取り残した部 位には、術 後 定 位 的に放 射 線を少 量 追 加 照 射
人の右側頭葉は通常あまり大した機能を持っていないとされている
した。その 後 化 学 療 法を 2クール 行ったが、半 年 後に局 所に浸 潤
が、このように、音 楽を理 解して楽しむことにも大きな意 味を持って
性の再 発を認めた。この頃には視 野 障 害〔 同 名 性 半 盲 〕が起こり、
いるのを実際に確認したのは初めてである。腫瘍は造影剤を取り込
そのため新 聞や 書 物を読むことが 困 難になった。さらには左 手 の
こんで明らかにエンハンス( 増 強 撮 像 )され、また右 大 脳 半 球に血
失行症状(自分の手をどのように動かしたらよいか分からない状態 )
液を送りこんでいる重要な中大脳動脈本幹がその腫瘍の中に巻き
のため独りで服を着ることができなくなり、また焦 点 性 癲 癇 発 作が
込まれているのが認められた。外来来院後2週間のちに私の行った
たびたび起こるようになった。その上に精神神経症状も加わってきた。
てんかん
手術では、マイクロサージェリー( 顕微鏡下での手術 )によって腫瘍
第 3 回目の 手 術をするかどうかについて本 人 及び 家 族とよく相 談
の 全 摘 出を施 行した。この 際に前 述 の 問 題 個 所である中 大 脳 動
したのであるが、Q O Lの観 点からも延 命の観 点からもあまり意 味が
脈にしっかりとまとわりついた腫 瘍 部 分は、超 音 波 破 砕 器を用いて
ないという結 論 に達し、そのまま化 学 療 法 、対 症 療 法を続けたが、
できるだけ根治的に取り除いた。腫瘍切除中に中大脳動脈が損傷
初 回 手 術からちょうど 3 年 の 闘 病で彼はその 生 涯を閉じることに
されると、片麻 痺、視 野 障 害〔同 名 性 半 盲〕などを引き起こし、腫 瘍
なった。以上がB医師のグリオブラストーマの経過である。彼の場合
は切 除されてもQ O Lは極 端 に悪くなるので細 心 の 注 意を払った。
は通常の平均余命の2倍以上生きることができたのであるが、一般
術後は当科の治療方式にのっとった放射線治療を行った。
に5年生存率は5%前後とされている。従って手術を行うことの意義
2 0 0 2 年 の 今日この 稿を書くにあたって、今は亡きB 医 師 のカル
は、主に患者のQOLの維持あるいは向上にあると考えてよい。
テを病 院 地 下にある死 者のカルテ倉 庫( T o t e n a r c h i v )から取り
ところで今、遺伝子治療が各種の難病に試みられている。このグ
寄せたのであるが、その中に彼からの私に宛てた私信がある。手術
リオブラストーマに対しても同様で、私どもも非常に大きな期待を抱
から4ヵ月経ち放射線療法も終えて闘病も小康状態という時点で書
いてヨーロッパの共 同 臨 床 研 究に参 加した。当 科からは研 究 室の
かれたものである。手術後集中治療室にて麻酔から覚めて気がつき、
室長と病棟主任( Oberarzt )の一人が臨床研究遂行の任に当た
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グリオブラストーマ
H SV-TK
自殺遺伝子を擁する
ベクター産生細胞
局所投与
自殺遺伝子を
採り込んだ
グリオブラストーマ
治 癒
抗ウィルス剤
GCVの投与
図 2.
a 図1.
図 2.
b 2回の手術と、1回の放射線治療で以後10 年近く再発なしのグリオブラストーマの稀有な症例(本
グリオブラストーマの遺伝子治療のシェーマ
文参照)
原図(日経サイエンス 1997年9月号46頁)の説明を多少改変したもの。
a.
第1回手術前の M RI前額像。優性大脳半球側頭葉内に直径 5 cm大の典型的な
グリオブラストーマを認める。これを全摘手術後、放射線照射を行った。
b.
第2回手術前の M RI前額像。8ヵ月後の再発は局所及びそこから離れた脳幹部に転移
した計2つの腫瘍を認める。この2つの腫瘍を摘出した後は再発を認めていない。
った。ちょうど山口大学から留学していた安達直人博士も献身的に
大きな悪 性 腫 瘍を全 摘 出したのであるが、その際 大 切な機 能のあ
その 仕 事に貢 献した。結 果 的には期 待したほどの 効 果は得られな
る左 半 球なので、腫 瘍を取るための侵 入 口の設 定には特に注 意を
かったものの、その安 全 性が確 認され、また症 例によっては著 効を
払った。術後彼女は幸い機能障害を残すことなく回復して退院した。
得たという事実が今後への期待につながろう。詳しくは安達博士ら
しばらくの間通院で放射線治療を受けた後、もとの生活に復帰する
の論文に明らかにされているが、その理論的な治療方式は図1に示
ことができた。しかし初 回 手 術より8ヵ月後に再び集 中力がなくなり、
すごとくである。レトロウィルスベクターを用いて抗ウィルス剤(GCV)
計 算 能力が落ち、言 葉を見つけるのが難しくなって来 院した。精 密
に反応する自殺遺伝子(HSV-TK)をまず腫瘍細胞に導入しておい
検査の結果腫瘍の再発が認められた。一般に再発の場合はほとん
て、その後GCVを全身投与することによりその自殺遺伝子に働かせ
ど前と同じ場所に発生することが多いのであるが、彼女の場合それ
選 択 的に腫 瘍 細 胞を殺そうというものである。実 際 的には、腫 瘍 再
1 つだけでなくもう1 つの 転 移を伴っていた。つまり今 度は以 前に
発 例 の 手 術 時において、腫 瘍 摘 出した後 の 周りの 個 所(まだそこ
腫瘍のあった同じ左側頭葉に直径4cmのものが発生しただけでなく、
にはその 後 の 再々発 の 原 因となる腫 瘍 細 胞が 残っていると想 定
脳幹近くの小脳脚にも直径2cmの腫瘍ができていたのである(図2.b )。
される)にベクターを産 生する細 胞(マウス由 来 )を含 有する液を、
このように“飛び火”して転移することは脳腫瘍では稀である。脳脊
ある一 定 の 深さで計 1 0 0ヵ所 均 等 に注 入する方 法である。さらに
髄 液 の 流 れ に 乗 って 側 頭 葉 から 転 移し たも のと 考 えられ た
手 術 後 約 2 週 間目から上 記のG C Vを2 週 間にわたって静 脈 注 射し、 ( Abtropfmetastase, seeding )
。今回もマイクロサージェリーに
ウィルスに感染してHSV-TK遺伝子を保有している残った腫瘍細胞
よる手術でそれぞれの腫瘍を新しい神経脱落症状を引き起こすこと
を殺そうという試みである。理 論 的、方 法 論 的に優れたはずのこの
なく摘 出することができた。術 後 彼 女はまたもとの 主 婦 兼 秘 書 の
方法が、なぜ予期した効果を伴わなかったのかは専門家間で検討中
仕事に復帰した。それからは、既に最初の回で放射線治療を施した
であるが、いずれ形を変えて再 登 場するのは間 違いないと思われる。
後であるので、定 期 的に外 来で経 過 観 察 のみをしている。副 作 用
現在この病気に対しては他にも種々の手術・治療法があり、その
の 少なくない化 学 療 法も行っていないが、幸 運なことに再 発 の 徴
効 果が 謳われている。例えばレーザーを用いた温 熱 療 法、放 射 線
候はなく、毎 年 御 主 人と連 名でクリスマスカードを送ってくれている。
免 疫 療 法、ある種の色 素を利 用して腫 瘍 摘出の範 囲を確 実にする
前述の平均余命1.5年をとっくに超え、発病以来もう10年にもなろう
方 法、既 存 の 化 学 療 法 剤とはまた違った新 薬 の 開 発など、挙げて
としている。このように特 別なことをしないのに、この死に至る難 病
いくときりがない。新聞・雑誌やインターネットからのあふれる情報に
から治 癒した例が稀にある。なぜ再 発がでないのか、今の医 学では
接し、当然のことながら右往左往する患者やその家族の気持は重々
説明不可能である。
理解できるのだが、時としてその対応に難渋することもある。中には
私はこれまで数 多くのグリオブラストーマを扱ってきた経 験から、
まだ長 期 追 跡 調 査 の 結 果を伴っていないものや、責 任 の 所 在 に
この病気を診断されて失意の患者とその家族に、
“まずQOLを考え
欠ける報道も多いのであるが… 。
ること、そして上 記のような例 外もあるので決して諦めない、n e v e r
さて最後に、忘れられないグリオブラストーマの症例の一例をここ
g i v e u p の 精 神で病 気と闘うこと”を勧めている。近 代 の 外 科
に紹 介する。私がチューリッヒに着 任 後 間もなくの1 9 9 3 年の初め、
の 礎を築いた1 6 世 紀 のフランスの 外 科 医 A m b r o i s e P a r é の
当時53歳であったこの女性は夫が経営する消火器を扱う小さな会
"Je le pensay, et Dieu le guarit."「われは処置し、神はいやしたも
社の秘書をパートでしていたのだが、
“ 集中力がなくなった、物覚え
う」という言 葉がある。これは現 代にも通ずるところがある。処 置に
が悪くなった ”とのことで受 診に来た。早 速 精 密 検 査をしたところ、
あたる私ども外科医は、自分の技術や知識を過信することなく謙虚な
左 側 頭 葉に直 径 約 5 c mものグリオブラストーマ( 図 2.a)ができている
姿勢で日々研鑚し、また当事者たちを励まし支えるとともに医師自ら
ことが分かった。手 順としてまずマイクロサージェリーによってこの
も決して諦めることなく責務を果たすことが大切であると考える。 12