奈良学ナイトレッスン 第3期 日本神話の女性たち 第1夜「恋する妹と

奈良学ナイトレッスン 第3期 日本神話の女性たち
~第1夜 「恋する妹と見守る姉――イザナミとアマテラス」~
日時:平成 24 年 1 月 25 日(水) 19:00~20:30
会場:奈良まほろば館 2 階
講師:三浦佑之(立正大学教授)
内容:
1.神話のなかの「きょうだい」
2.イザナキと妹(いも)イザナミの結婚
3.サホビメをめぐるふたりの男の物語
4.岩の姉、花の妹
5.姉アマテラスと弟スサノヲのけんか
6.大津皇子の悲劇と姉のうた
1.神話のなかの「きょうだい」
日本神話の女性といえば、みなさんがよくご存じのイザナミとアマテラス。この2人が神話とい
う物語の中でどのように描かれていくのか、その兄弟姉妹関係から考えてみたいと思います。
まずは古代、兄弟姉妹をどのように呼んだのでしょう。まず、きょうだいという関係を、男と女
に分けます。女きょうだいから見た男は「セ」、男きょうだいから見た女は「イモ」と呼びます。
セとイモが対の関係があります。次に年齢で分けると、男も女も含めて年上は「エ」
。年下は「オ
ト」
。これだけだと区別が難しいので、年上の男女をそれぞれ「アネ」
、
「アニ」
。これに対応する形
で年下の男女は「オト」、
「イモ」となります。「イモ」については、女性全体をも意味するので、
女性と妹は呼び方が重なっています。
私なりに神話や歌、物語を読んでいると、
「アニ」と「イモ(妹)
」という関係は、きわめて親和
的な関係に入ることが多いということに気づきます。それに対し、
「アネ」と「イモ(妹)
」
、
「アニ」
と「オト」という同性同士のきょうだいは、対立的な関係になりやすいということもわかります。
「アネ」と「オト」も親しいけど、かなり違う。みなさんも、お兄さんと妹という関係と、お姉さ
んと弟という関係ではずいぶん違うと思いませんか。古代のなかのきょうだい間の特徴を見ていき
たいと思います。
2.イザナキと妹(いも)イザナミの結婚
兄と妹という関係について典型的なものは、神話のもっとも古い例として出てくるイザナキとイ
ザナミです。そもそも初期の神が誕生するときは「独り神」と言われ、性を持っておらず、
「姿を
隠したまひぬ」と書かれて退場します。それが何代か続いて、少しずつ男と女という神が生まれて
きます。それも何代か続き、ついにイザナキとイザナミというはっきりとした性を持つ神が生まれ
ました。イザナキに対して、「妹(いも)イザナミ」と描かれます。最初に地上に現れた男女が、
兄と妹という関係として登場します。
2人は天つ神に「この漂っている地(くに)を固めなさい」と天の沼矛(あめのぬぼこ)を渡さ
れ、海と泥とが混じる塩をかき混ぜて淤能碁呂(おのごろ)島を作り出しました。そこに天の御柱
と、結婚するための八尋殿(やひろどの)という建物を見立て、イザナキがイザナミに尋ねます。
「お前の体はいかにできているのか」。イザナミは「私の体は、成り成りして,成り合わないとこ
ろがひとところあります」と答えます。一方イザナキは成り余っているところがあるので、足りな
いところを余っているところで刺しふさいで国土(くにつち)を生み成しましょう、と提案します。
イザナミは「それは、とても楽しそう」──これは原文では「然善(しかよけむ)」とあります。
かなり積極的な感じがしますね。
そして2人は天の御柱の周囲をそれぞれ反対から180度巡って、逢ったところで交じり合うこ
とにしました。やがてめぐり逢うとイザナミがまっさきに「ああ、なんてすてきな殿がたよ」と言
い、イザナキが「ああ、なんとすばらしいオトメだ」と言います。イザナキはイザナミが先に言っ
たことを咎めますが、そのまま交じり合い、生まれた子は骨のない水蛭子(ひるこ)
。次に生まれ
たのは泡のような淡島(あわしま)
。どうやら最初の結婚は失敗だったようです。
2人は高天原に行って、神々に理由をたずねました。神さまは占いをして「女が先に言葉をかけ
たのがよくない」と言います。2人は戻って今度はイザナキが先に言葉をかけたところ、たくさん
の子どもが生まれました。
女性が先に声をかけたから失敗した、ということについて、中国から入ってきた男尊女卑の観念
によるものと考える神話研究者が多いようです。しかしこの神話は「兄妹相姦」だから失敗したの
ではないでしょうか。兄と妹が結婚して子どもを産むというのは世界中を見ても社会的タブーです。
だから一度目は失敗するのです。男尊女卑はあとから付けられた解釈ではないでしょうか。兄妹相
姦は『古事記』だけでなく、沖縄や南島地域の神話にもよく見られます。島に津波や嵐が襲い、人々
は全滅して、兄と妹だけが残ったので、しょうがなく結婚して子孫を増やすことになった、という
神話です。この系統の神話は洪水と関わっていることが多く、洪水型兄妹相姦神話と呼ばれます。
人類を生み出す起源の神話では、男女は兄と妹という関係で現れてきます。それは男女という関
係を抽象化し、たった2人の男と女を置くと、兄と妹と位置づける以外、位置づけられないからで
す。姉と弟ではなく、年上の男と年下の女という関係のなかで物語は組み立てられていくという傾
向を持っているようです。これは、年上の男「セ」と、女性を表す「イモ」という名称がもともと
恋人同士のような親しい異性を指す言葉であったのに、兄弟姉妹の性を表す言葉に入り込んで、日
本語では「セ」と「イモ」は兄と妹をいう関係になったため、兄と妹は恋愛のような関係として描
かれるようになった可能性が高いのです。
沖縄には「オナリ神」信仰というものがあり、女は男きょうだいの守護者であると信じられてい
ます。女が男きょうだいを霊的、宗教的に守る関係です。物語の上では、それが恋愛という親密な
関係として描かれていくこともあります。
3.サホビメをめぐるふたりの男の物語
もうひとつ、サホビコとサホビメの兄妹についてお話しします。サホとは沙本という地名で、今
は奈良市の北、東大寺から西に広がるあたりで佐保と記されます。その沙本という土地の兄と妹の
お話です。垂仁天皇の皇后であったサホビメは、あるとき母を同じくする兄サホビコから「夫と兄
と、いずれが愛おしいか」と尋ねられます。兄だと答えると、サホビコは「ならばこれで天皇の寝
首を掻いてくれ」と錦の紐飾りのついた小刀を渡しました。サホビメは自分の膝枕で眠る天皇を見
て、意を決することができず涙を落とすばかり。それで目が覚めた天皇は、おかしな夢を見たと言
います。「沙本のほうから叢雨(むらさめ)が降ってきて私の顔を濡らし、錦色の小さな蛇が首に
まとわりついた」と。天皇は夢を見るのが仕事です。それは神の声を聞くということです。古代の
夢は大きく二つに分けて映像を見る夢と声を聞く夢があり、お告げは直接神さまの言葉を聞くので
意味がわかりますが、映像は夢解きが必要です。古代の皇后は神をおろして口寄せをするシャーマ
ニスティックな力を持っているとされたため、サホビメもこの垂仁天皇の夢解きをしなければなり
ません。しかしこの場合だと、自分が兄としでかすはずだったことを告白することになってしまい
ます。サホビメは「私と母を同じくする兄のサホビコが……」とすべてを明かしてしまいました。
ここでも「母を同じくする」という言葉が出てきます。当時は一夫多妻制であるため、兄弟姉
妹には同母と異母という関係があります。同母のきょうだいはイロ。異母のきょうだいはママ。継
母と今でもいいますね。古代の家族は男を中心に家庭を営むので、同母と異母の家ははっきり分か
れていて、異母のきょうだいとは会うこともありません。しかしママ母は他人で、父親とは血はつ
ながっているため、異母兄妹の結婚は理想婚とされ、天皇家でも非常に多いのです。同母兄妹婚は
ぜったい許されません。外に広がらず閉じこもってしまうので、どこの社会もこの関係は認められ
ないのです。サホビコとサホビメは同母ですから、社会的には許されない関係ということになりま
す。
この兄妹はおそらく沙本という地方の豪族で、沙本毘古、沙本毘売というように土地の名前を冠
した名前は、その土地を支配していることを意味しました。沙本は2人によって治められていたよ
うです。これは彦姫制という古い統治形態です。男きょうだいは政(まつりごと)、女きょうだい
が祭(まつりごと)を司る。祭政が男と女によって分掌されて、それが一つの支配を形作っていく
という構造です。その関係は夫婦の場合もありますが、多くは兄と妹によって成されることが多い。
しかし、妹が天皇に奪われることは、当然天皇が沙本の祭司を奪い取ってしまうということです。
沙本の地は立ちゆかなくなり、天皇に服属することになる。ところがそれが物語として語られると、
兄と妹の許されない恋として描かれるのです。
天皇は真実を知ってサホビコに戦を挑みますが、サホビメは兄への思いを抑えられず、宮殿を抜
け出してサホビコの稲城に逃げ込みました。お腹には子どもを宿しています。時が経って出産した
サホビメは天皇に「この子が大君の御子だと思われるなら、この子を育ててください」と言うので、
天皇は子どもの受け渡しのときにサホヒメを捕らえようとします。しかしそれは失敗し、せめてサ
ホビメに子どもの名をつけてもらい、育て方を聞き、最後に新しい愛人まで紹介してもらいます。
天皇はそれを聞き終えるとサホビコを殺し、サホビメはそのあとを追いました。
ここでわかるのは、古代では母が名付け親で養育の権利を持っているということ。そしてイモと
いうのは、イザナミと同じく、積極的で強い。サホビメは自ら動き、兄か夫かを選ぶのも主体的な
意志によって行われています。サホビメという一人の女性の選択が、イモと呼ばれる女性の立場を
よく表していると思います。
4.岩の姉、花の妹
強い妹に対して姉はどのような存在でしょう。物語世界では、妹や弟のほうがいい思いをします。
兄弟譚では、たとえば海幸山幸の話のように、兄がいじわるでよくばり、弟は優しい。姉妹譚では
姉がいじわるで醜く、妹はかわいい。そういう話ばかりです。その典型がイハナガヒメ(石長比売)
とコノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)です。
アマテラスの孫で天降ったアマツヒコヒコホノニニギが笠沙(かささ)の岬でコノハナノサクヤ
ビメという美女に出逢います。身元を尋ねると、父はオホヤマツミ(大山津見神)
、つまり山の神、
大地の神で、姉はイハナガヒメだと言います。さっそくプロポーズをすると、父の大山津見神は大
喜びで、姉のイハナガヒメも添えました。ところがイハナガヒメはひどく醜く、ニニギは姉だけ返
してよこしました。怒ったオホヤマツミは言います。
「イハナガヒメは岩のごとき永遠の命、コノ
ハナサクヤヒメは花のような栄えを祈って差し上げたのに、コノハナノサクヤビメだけを留めたか
らには、御子の命は花のようにはかなく散ってしまうでしょう」
これ以降天皇の命は短くなった、という話です。ニニギは天から下りてきた天つ神の御子なので、
本来は死にません。しかし地上に来たからには命の保証はなく、この神話によって天皇の命は植物
の命になったのです。コノハナとは桜です。桜が散るように、死ぬようになった、というのです。
普通の人間どもはもともと青人草という植物として捉えられていたので、わざわざ人間の寿命につ
いては語っていません。人間が生えて枯れ、生えては枯れるものだということを古代の人々は認識
していたのです。そして、その、どんどん生まれ変わる人間の仲間に天皇も入ったということです。
これを語るために、姉が醜く妹が美しいという物語の様式に絡めとられたのです。
5.姉アマテラスと弟スサノヲのけんか
兄と妹は恋愛関係になりやすいけれど、姉と弟は神話的には仲良くなりません。その典型が、ア
マテラスとスサノヲです。
イザナミが火の神を生んで体を焼かれて死んでしまうと、イザナキは黄泉の国に迎えにいきまし
た。しかし覗いてはいけないところを覗くと、腐乱死体となったイザナミが横たわっており、イザ
ナキは怖くなって逃げ帰ってきました。穢れた世界から帰ってきたイザナキは、海に入って禊ぎを
し、ケガレを流し落とそうとします。左目を洗うとアマテラスが生まれ、右目を洗うとツクヨミが
生まれ、鼻を洗うとスサノヲが生まれました。女、男、男。喜んだイザナキはアマテラスに高天の
原を支配させ、ツクヨミは夜の食(お)す国(夜が支配する国)を、そしてスサノヲには海原を支
配させようとしました。しかしスサノヲだけは、母のところに行きたいと泣きわめいてばかりいる
ので、イザナキは追い払うことにします。スサノヲは去るに際して、姉のところに挨拶に行くこと
にしました。
ところがアマテラスはスサノヲが我が国高天の原を奪いにきたと思い、男のように武装して迎え
ます。そこでスサノヲはウケヒでその本心を証明することになりました。ウケヒとはコイントスの
ように答えが五分五分の結果になるものを用意して、神の意志を図るものです。アマテラスがスサ
ノヲの刀を噛んで吐くと、そこから3人の女神が生まれました。スサノヲがアマテラスの玉を噛ん
で吐くと、そこから5人の男の神が生まれました。アマテラスは、5人の男神は私の持ち物から生
まれたから私のもの、先に生まれた3人の女神は、あなたの持ち物から生まれたからあなたのもの、
というように、子どもたちを「詔(の)り分け」ました。
この話のなかのアマテラスは、スサノヲをはなから悪い男だと決めつけ、子どもを都合よく選び
とっています。姉の役割というのが強く表れています。
6.大津皇子の悲劇と姉のうた
もう一つ、姉と弟の例を出しましょう。中大兄皇子(天智天皇)は弟の大海人皇子(天武天皇)
に何人も自分の娘を嫁がせています。姉妹が一人の天皇と結婚する例はいくらでもあります。天智
の娘である大田皇女とその同母妹である鸕野(うのの)皇女(持統天皇)も大海人皇子の后で、大
田皇女が産んだ子どもが大来皇女と大津皇子です。天武天皇が死んだとき、人望のある大津皇子を
天皇に推す臣下がたくさんいました。しかし持統天皇は自分の子である草壁皇子を天皇にしたくて
しょうがないのです。そこで大津皇子に謀叛の罪をきせて殺してしまった、と言われています。そ
のとき姉の大来皇女は伊勢の斎宮として伊勢神宮に仕えていました。斎宮とは未婚のまま神に仕え
る天皇の皇女のことです。
大津皇子は危機が迫っているときでしょうか、姉のいる伊勢を尋ねました。そのとき大来と大津
の間で交わされた歌が『万葉集』に残されています。そこに姉の役割がよく表れています。
わが背子を大和に遣るとさ夜深けて暁(あかとき)露にわが立ち濡れし(巻2 103)
二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(同 104)
背子とは愛しい男きょうだいという意味。
「セ」は性的な関係を意味するので、恋人を呼ぶように
呼んでいるのです。姉が弟を見守るオナリ神としての性格が非常に強く表れています。この歌は伊
勢を訪れた大津が夜中に大和に帰っていく姿を見守る歌なのです。
大津皇子はついに死罪となりました。その遺体はやがて二上山に移されました。それは祟りを恐
れてのことかもしれません。その時も大来は歌を詠みました。
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む(同 165)
「いろせ」は女性からみて同母の男きょうだいをさす語ですが、原文は「弟世」とあって、同母
の弟であることを強調しているように読めます。だから恋愛関係にはならず、庇護の関係に置かれ
るのでしょう。死してなお弟の眠る二上山を見守る姉の姿があります。これらの歌は、本当に彼ら
によって詠まれたかはわかりません。しかしこれらの歌によって、姉が弟を見守るという構造が作
られていったのです。
以上、神話の世界から古代の兄と妹、姉と妹、そして姉と弟の関係を読み解いてみました。