地球温暖化研究を襲った超大型暴風雨

2010年4月27日
現政権は「1990年比25%削減」の根拠を IPCC による「科学の要請」
としているが、気候変動問題における科学と政治の関係や一般公衆への説明
責任などについて、改めて考えさせられる記事がドイツのシュピーゲル誌の
オンライン版(4月6日付)に掲載された。権利者の許諾を得て全文和訳し
21世紀政策研究所の HP で紹介することにしたのでご一読されたい。
21世紀政策研究所研究主幹・澤昭裕
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球温暖化研究を襲った超大型暴風雤
マルコ・エバーズ、オラフ・スタンフ、ジェラルド・トラウフェッター
ⓒ2010 Der Spiegel
SPIEGEL ONLINE International , dated 6th Apr.2010
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,687259,00.html
(配信:ニューヨークタイムズ・シンジケート)
ずさんな作業、改ざん、誇張による報告書により、気候研究の信頼性は危機を迎えている。
温暖化及びその影響に関する予測はどの程度信憑性があるのか?しばしば引用されるよう
に 2℃以上気温が上昇したら地球は本当に滅んでしまうのだろうか?
フィル・ジョーンズ(Phil Jones)氏は人生「どん底」状態。たった数か月前まで、誰もが
羨望の眼差しで見つめる評判を誇っていた。イングランドのノーウィッチにあるイース
ト・アングリア大学(University of East Anglia)の気候研究ユニット(CRU: Climate Research
Unit)を率いる、この分野の第一人者であり、地球の気温が人為的な地球温暖化によって
上昇していることが一目でわかる衝撃的な世界の気温の温度曲線の生みの父でもある。
しかし、その輝かしい日々は過ぎ去ってしまった。
最近では、ハッキングされた CRU の電子メールがきっかけとなったクライメートゲート
(Climategate)事件の渦中にあり、睡眠薬なしで眠れない。胸部の圧迫感が絶えず、一日を
乗り切るためにβ遮断薬を飲んでいる。やつれて、肌も青白くなってしまい、57 歳とは思
えない風貌に変わり果てた。気がつけば、まるで高速道路で追突事故に遭ったかのように
降って湧いた研究スキャンダルの中心人物になっていた。
1
ⓒ2010 Der Spiegel
今では、大学や英国議会の調査委員会に召集される日々を送る。ヒアリングでは、惨めな
姿で、時に震えながら椅子に座る。彼を冷笑する書き込みがインターネットに蔓延し、
中傷や殺しの脅迫が絶えない。「あんたがどこに住んでいるかは分かっている。」と中傷者
はなじる。
ジョーンズ氏は、精神的にも、肉体的にも、職業的にも終わってしまった。最近では自殺
を思案することも一度となくあるが、5 歳の孫娘の成長を見たいという願望だけが彼を思い
とどまらせている。
「100 パーセント確信」
ジョーンズ氏が行った地球の気候に関する有名な統計分析によると、1975 年から 1998 年の
間に地球の平均気温は 10 年毎に 0.166℃上昇した。これは自分だけでなく、多数の科学者
の研究の明確な成果だった、と同氏は主張する。
「私は、気候が暖かくなったと 100 パーセント確信している。」ジョーンズ氏は哀願するよ
うに話す。
「私はデータの操作も捏造も一切していない。
」
彼の問題は、世の中の信頼をすっかり失ってしまったことである。正体不明のハッカーが
彼の研究チーム内の私的メール 1073 通をコピーしてインターネット上で公開してから、彼
の信頼は崩壊した。そして、これまで彼の研究を基礎としていた一つの専門分野全体が
共倒れした。
地球温暖化を世界的な陰謀とみなし続けてきた者たちは今、満足げである。ジョーンズ氏
が気候研究コミュニティを代表する同僚たちと交わしたメールのなかで、客観的な科学者
としてではなく、むしろ「自らの」データを祭り上げ、中傷者の批判の目から必死に守る
活動家あるいは伝道師といった印象を与えるからだ。
科学の一分野全体が危機的状況
特に英語圏で支持を集めてきた温暖化懐疑派にとって、クライメートゲート事件は格好の
ネタだ。英国で起きた電子メールのハッキングがきっかけとなった事件は、一つの科学的
専門分野全体に影響を及ぼす大惨事へと急展開した。格式高く影響力も大きい科学者グル
ープである気候変動に関する政府間パネル(IPCC:
Intergovernmental Panel on Climate
Change)はその渦中にある。
IPCC の傘下に組織された科学者たち(ジョーンズ氏もこのひとりであった)は、国連の名
の下、立ちはだかる地球の温暖化について定期的に予測を行う。IPCC の報告書なしでは、
各国政府は石油や石炭の時代を終焉に向かわせるか否かの激論に巻き込まれることはなか
2
ⓒ2010 Der Spiegel
っただろう。
2007 年末、IPCC はアル・ゴア(Al Gore)元米国副大統領とノーベル平和賞の共同受賞まで
果たしている。IPCC 事務局長のラジェンドラ・パチャウリ(Rajendra Pachauri)氏は世界の
良心の象徴として IPCC を代表して授賞式に出席した。受賞にあたり、パチャウリ氏は、
「気
候変動は新たなリスクをもたらす。」と話した上で、この賞を IPCC に授与しようという
決断は、
「気候変動の広範な影響に直面する地球の保護を明快に呼び掛ける」ものであると
述べた。行動しないことのリスクについて警鐘を鳴らし、「遅れれば遅れるほど、より大幅
な気候の変動を将来に引き起こすことになる。」と述べた。
作業のずさんさ
それ以来、IPCC は栄光からの劇的な失墜を経験した。あの勝利から 3 年も経たないうちに、
次から次に間違いが指摘され、ずさんな作業と誇張の証が最新の IPCC 報告書の中から現れ
てきている。その中には、争点となっているジョーンズ氏の温度曲線や、全てのヒマラヤ
山脈の氷河が 2035 年までに消滅するという予測(単純な数字の置き換えであったことが判
明。
)
、そして特に出典が示されなかった自然災害が増加するという予測等が含まれている。
3 月中旬に、潘基文国連事務総長は、急ブレーキをかけ、IPCC を見張る監視役を任命した。
各 国 の 科 学 ア カ デ ミ ー 15 団 体 か ら 構 成 さ れ る イ ン タ ー ア カ デ ミ ー カ ウ ン シ ル
(InterAcademy Council)が、今秋までに IPCC の作業をレビューすることになっている。
IPCC は根本的に改革する必要があるということは既に今日的なコンセンサスとなってい
る。報告書の執筆者及びレビューの担当者の選定における政治的中立は十分ではなかった
し、ワーキンググループ間のコミュニ―ケーションは不十分で、誤りがあったときにどう
扱うかという仕組みもなかった。
懐疑派に対して「側面攻撃」を許してしまった
彼の公式伝記の中で「世界を代表する思想家」と称賛されるIPCCのラジェンドラ・パチャ
ウリ事務局長の立場も議論の的になっている。本業は鉄道エンジニアであるパチャウリ氏
は、気候を保護するためにと言いながら、(CO2をまき散らす飛行機で)世界中を移動し
ながら、好色小説を書き、肉の摂取量を減らす提言までしている。同氏は、この危機の中
で醜態を晒してしまった。気候問題の権威である同氏は、IPCCの報告書への正当な批判を
「疑似科学」(voodoo science)として一蹴してしまっているのだ。
複数の気候研究機関を傘下に集めるドイツのライブニッツ協会(Leibniz Association)は、
パチャウリ氏の辞任を要求した最初の専門家団体である。ライブニッツ協会のエルンス
ト・リーチェル代表は「懐疑派に側面攻撃を許して」しまったために、気候研究は「難し
3
ⓒ2010 Der Spiegel
い立場」に置かれていると考える。リーチェル氏は、本誌に「ラジェンドラ・パチャウリ
はこの責任を取って辞職するべきだ。」と話した。
結局、この不祥事によってこの専門分野全体が深い傷を負ってしまった。
「今、各方面で我々
に対する信頼が大幅に低下している。」とドイツの気候学者であるハンス・ヴォン・ストル
ク(Hans von Storch)氏は結論付ける。
「気候研究は、政治化したことによって腐敗してし
まった。チェルノブイリ事件が起きる前、我々が原子力発電所は完全に安全だと信じ込ま
されていた頃の原子物理学のように。
」
政治色の濃い科学
科学の分野でこれほどまでに政治色の強い分野はない。警鐘派と懐疑派との間には宗教戦
争が勃発しており、穏健派の気候学者までも呑みこまれようとしている。しかしこれは、
産業界の全面的な再編という何兆ユーロをも要する大冒険を巡る深刻な対立なのである。
強力な経済的利害と揺るぎない根本的な信念に関わる問題である。
気候学の信頼性の危機は、非常にタイミング悪く起きてしまった。2009 年 12 月にコペン
ハーゲンで開催された気候首脳会議が失敗に終わり、環境政策は混乱状態に陥った。例え
ば、バラク・オバマ(Barack Obama)米国大統領は、新たな気候対策法の取り組みを保留
にした。そして、先週、ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領は炭素税の導入を見
送り、
「現時点では産業界へのいかなる制約も強要しない」と述べた。
一方、海面上昇の結果、消滅の危機に直面している島国であるモルジブ共和国のモハメッ
ド・ナシード(Mohamed Nasheed)大統領は、気候学を馬鹿げたものに見せかける陰謀だ、
とアメリカを非難する。同氏は、最近ベルリンで行ったスピーチで、気候研究の信用を傷
つける運動を「極悪非道の計画」と位置付けた。
コスト負担に消極的
一方、ドイツ議会は、ドイツ国民が気候保護のためにコストを掛けることにより消極的に
なることを懸念する。本誌が委託した世論調査によると、世論はすでに劇的に動いており、
ドイツ国民は気候変動に対する懸念を失いつつあることが示された。3 年前には大多数を占
める 58 パーセントが気候変動を不安に思うと答えたのに対し、今回同様に回答したのは 42
パーセントで、尐数派に衰退してしまった。
ドイツの環境大臣ノルベルト・ロットゲン(Norbert Röttgen)氏は、中道右派であるキリス
ト教民主同盟(CDU: Christian Democratic Union)の党員であり、IPCC に対して誤りの処理
にもっと積極的に取り組むよう促している。
「IPCC は、もっと率直に誤りを認め、訂正すべ
きだ。
」と本誌に語った。
「IPCC の作業への信頼回復は急務である。」
4
ⓒ2010 Der Spiegel
また、今年度 250 百万ユーロ(338 百万米ドル)の予算を気候科学に充てているドイツ教育
研究省(Ministry of Education and Research)内でも懸念が広がっている。同省のアネッテ・
シャヴァーン(Annette Schavan)大臣は、IPCC のドイツ人科学者に対し、
「状況の明確化と
品質保証の改善のための会議」に出席するよう求めた。同省の役人は、IPCC の組織運営の
ずさんさに驚愕している。
「IPCC の結論は、疑いをかける余地がないものでなければならな
い。何兆ユーロもの影響力を持ち、政治的に重大な結末の引き金となりうるのだから。
」と
同省の高官ウィルフリード・クラウス(Wilfried Kraus)氏は語る。
政治家になりたい科学者
ベルリンの近く、ポツダムにあるドイツ国立地球科学研究センター(German Research Center
for Geosciences)の総裁とドイツ工学アカデミー(German Academy of Science Engineering)の
代表を兼務するラインハルト・ヒュッテル(Reinhard Hüttl)氏は基本的な価値観が危機に晒さ
れていると考えている。「科学者が自らの学説に固執して、新たな研究成果に照らしたとき
に自らの学説を退けることができないようなことは絶対にあってはならない。」と話す。さ
らに、科学的な研究というものは、信条ではなく、結果がすべてと付け加える。ヒュッテ
氏は。残念ながら、政治家になりたがる科学者がどんどんと増えていると語った。
「もしもイングランドで起きた事件について暴露された内容が事実であると証明されたな
ら、気候学全体にとって大惨事である。」と、ヒュッテル氏は語る。「我々は自分を監督す
ることしかできない。そして、その努力を怠ってしまったなら、これから誰が我々を信用
してくれるだろうか?」
英国の気候研究センターである気象局(Met Office)では、失われた信頼を取り戻す唯一の
方法として、直ちにすべての気候データをインターネット上で公開し、そのために誰もが
アクセス可能で、最大限の透明性が確保され、各情報の信憑性について批判的評価が含ま
れるシステムの構築を決定した。気象局では、この国際的な大事業は完成までに尐なくと
も 3 年はかかるだろう、としている。
これだけの論議が交わされているにも関わらず、多くの気候学者の間には、結局は気候変
動に関する基本的な見解が著しく変わることはないと考えている。ほとんどの科学者が、
地球が温暖化に向かっているという基本的な確信を共有しているのだ。
未知のこと
科学者は、開かれた誠実なプロセスなしでは、誰も耳を傾けてくれなくなるのではないか、
と懸念する。このようなプロセスを導入すれば、これまで長年にわたって確立された事実
とされてきたような事象までもが、再度、精査されることになるかもしれない。とりわけ、
5
ⓒ2010 Der Spiegel
将来の気候に関する 5 つの初歩的な項目を問い直すことになるかもしれない。
・地球の気温はこれまでに何度上昇し、将来にあと何度上昇するのか。
・温暖化が進むと、海面はどれくらい上昇するのか。
・かつて経験したことのないような勢力の暴風に将来見舞われるのか。
・世界中のどの地域で干ばつが増えるのか。洪水が増えるのはどこか。
・世界の平均気温が 2℃以上上昇したら本当に地球は制御不能になるのか。
世界を代表する気候学者と話せば誰でも、いかに多くの疑問点が未解答のままになってい
るかが分かるだろう。メディア、政治家そして科学者さえも、気候の変化について実際に
は根拠のない確信を持って語ることがしばしばある。
温暖化の反逆者が定説に挑戦
フィル・ジョーンズ氏とその同僚が次から次へと間違いを認めさせられている様を、特に
満足げに注目する一人の男性がいる。トロント市の中心部に近い煉瓦造りの家に住むステ
ィーブ・マッキンタイアー(Steve McIntyre)氏。日曜日の午後、天井からぶら下がる省エネ型
の電球たった 1 つだけをつけ、使い古した机に向かう。
白髪も薄くなったこの男性は、気候学者の対抗者には似つかわしくないものの、現在の気
候騒動には大きく寄与している。
「再計算をするのに使ったのはこのパソコン。」と言って
持ち上げるのは 6 年も使っているエイサー社のラップトップ。ハードドライブは 40 ギガバ
イト。
「妻がついにクリスマスに新しいのを買ってくれた。」
このラップトップは、フィル・ジョーンズをはじめとする地球温暖化の提唱者が駆使する
スーパーコンピュータとは極めて対照的である。彼らのコンピューターは一つのフロア全
体に広がり、ギガバイトどころかペタバイトで作動する。このカナダ人研究者があのよう
な自信に充ち溢れた科学者集団を膝まづかせたのは何だったのか。
すべては彼の 3 人の子どもたちが大学に進学し、全員がアジアの骨とう品で飾られた実家
を出た頃に遡る。
「当時、市況があまりよくなくて。
」とマッキニンタイアーは話す。「それ
で、気候学者がどうやって温度曲線を導き出しているのか 6 カ月にわたって考察すること
にした。
」
鉱脈をあてる
マッキンタイアー氏は、投資分野を生業とし、特に大規模鉱山プロジェクトを専門として
いた。数学は得意。
「学校時代は、よく数学で賞をとったものだ。」とマッキンタイアー氏
は話す。英国の名門オックスフォード大学にも短期間在籍したが、大学卒業後は、学問を
6
ⓒ2010 Der Spiegel
離れて大型融資の世界でキャリアを追求した。
晩年になって学問の世界に戻り、根幹を揺るがすことになった。ある日、マッキンタイア
ー氏はあまりにも見慣れた曲線に出会った。それは有名なホッケースティック曲線(図参
照)
。米国の気候学者マイケル・マン(Michael Mann)氏が、この 100 年間で今ほど気温が
急上昇した時期はないことを証明するために用いたものである。
しかし、マッキンタイアー氏には疑念があった。
「金融界では、ホッケースティック曲線と
いうのが登場するのは、投資家が急な右肩上がりの美しい曲線を見せて相手に何かをつか
ませたいときだ。
」
頑固なカナダ人投資家は、科学者を一人一人突っつき、元データをしつこく要求した。そ
して、ついに鉱脈をあて、尐なくとも自身の意見としては、ホッケースティック曲線がで
っち上げであるという結論に至った。
木が足りない
マイケル・マン氏の同僚の古気候学者は、主要なデータ元として樹木の年輪を用いた。こ
のアプローチの問題点は、適格な地域のサンプルが大量に必要であること。そうでなけれ
ば、樹木の生長に基づいた過去の気温変化に関する結論は導き得ない。「残念ながら、500
7
ⓒ2010 Der Spiegel
年以上も遡ってしまうと、分析に使える信頼に足る木のサンプルが十分にはない。」と、ド
イツ西部のマインツ大学(University of Mainz)のヤン・エスペル(Jan Esper)氏は説明する。
例えば、10 世紀から 14 世紀の中世には、グリーンランドでバイキングが家畜を飼育し、ス
コットランドではぶどうを作っており、今よりも気温が高かったことを示唆する情報が尐
なからずある。しかし、マン氏はまさにこれを否定し、その確信ぶりは、仲間でさえも
苛立ちを覚えたという。
マッキンタイアー氏はマン氏が描く曲線を算数のテストにかけた。多かれ尐なかれ恣意的
に年輪データの揺らぎを排除してホッケーステック曲線を編み出したと、マン氏を非難す
る。その主張を証明するために、マッキンタイアー氏は、マン氏の方法論を用いて自分の
パソコンでプログラミングし、全くランダムのデータを入力した。マッキンタイアー氏に
よると、その結果出てきたのがホッケーステック曲線だった。
カナダ出身の反抗者は、次にはるかに重要な、フィル・ジョーンズ氏や NASA に所属する
戦友、ジェームス・ハンセン(James Hansen)氏が直近に発表した温度曲線に目を向けた。
総合的に考えると、初めに発見した間違いは特に重要なものではなかったが、直近のもの
はより恥ずべきものだった。例えば、科学者たちは、長年にわたり米国では 1998 年が観測
史上最も暖かい年だったと主張してきたが、マッキンタイアーが 1934 年はもっと暖かかっ
たことを発見し、それを覆したのだ。
公園のいじめっこ
マッキンタイアー氏の発見は決して同氏を人気者にするものではなかった。ハッキングさ
れたクライメートゲートでのメールのやり取りの中では、彼は「野暮」、「間抜け」、「いじ
めっこ」呼ばわりされている。しかし、気候学者らは自己増大するなかでマッキンタイア
ー氏をインターネット上の伝説の男に仕立て上げてしまった。マッキンタイアー氏のブロ
グ(climateaudit.org)は一カ月間に百万人のアクセスがある。訪問者には、温暖化懐疑派、
お決まりの陰謀説を唱える人々はもちろん、最近では、計算そのものを自分でできる多く
の学識者も含まれる。
マッキンタイアー氏は、気候変動そのものを疑っているわけではない、と主張する。
「大切
なものまで捨ててしまいたくない。でも、間違いを見つけたら、それは訂正してほしい。
」
彼はジョーンズ氏に繰り返しメール攻撃し、情報公開法に注意を促した。この執拗さがジ
ョーンズ氏の破滅につながった。
マッキンタイアー氏は、粘り強く元データを要求し、ジョーンズ氏も同じく粘り強く断り
続けた。次から次へと新たなもっともらしい言い訳を思いついては拒否し続けた。しかし、
8
ⓒ2010 Der Spiegel
ジョーンズ氏にとっては不幸なことに、マッキンタイアー氏の支持者にはコンピューター
をハッキングし、データを盗む術を知る仲間も加わるようになっていた。
彼らの標的は慎重に選ばれた。ジョーンズ氏はクモの巣のクモのようだった。気候問題の
権威たちの間で繰り広げられた内部の議論はすべて彼のコンピューターを通り、痕跡を残
していった。
気候学の決定的証拠
気候学の「決定的証拠」である地球の温度曲線はジョーンズの掌中にあった。産業化の始
まりに遡る気温の記録は、世界の平均気温が 1850 年から既に 1℃上昇していることを証明
することを目的としている。
地球温暖化の学説を支持する間接的な証拠は尐なからず存在する。氷河は後退し、海面は
上昇し、北極圏の海氷が消滅している。しかし、これらの現象は、気象台での測定値に比
べたらとるに値しない。
問題は、世界各地の気象台から得られる元データが質的にまちまちであること。複数の気
象台で、周辺地域に住宅や工場の建設が進んだために気温の測定値が上昇した。他の土地
では、気象台が移設され、その途端に測定値が変わってしまった。いずれの場合も、ジョ
ーンズ氏は「均質化」
(homogenization)という統計的手法を用いて気温の測定値の誤差を正
す作業をした。
ジョーンズ氏はデータの均質化を正しく進めたのだろうか。多くの気候学者は、データを
意図的に操作したのではない、というジョーンズ氏の主張を今でも信じる。しかし、その
信頼は善意に根差したものでなければならない。マッキンタイアー氏の攻撃の圧力に負け
て、ジョーンズ氏は信じられないことを認めざるを得なくなった。均質化を行ったときの
メモを消去してしまったと言う。すなわち、元データがどういう過程を経てあの温度曲線
に至ったのかを再現することはもはやできないのだ。
「最大の罪の一つ」
アトランタにあるジョージア工科大学(Georgia Institute of Technology)の気象学者ピータ
ー・ウェブスター(Peter Webster)氏からすると、この一連の事件は、科学者として犯しうる
「最大の罪の一つ」である。「まるでシェフがレシピを失くしたからもう料理はできない、
と言っているようなものだ。
」
アマチュア気候学者のマッキンタイアー氏は元データを何年にもわたってせがみ続けたが
結局得られなかった。一方、ウェブスター氏はなんとかジョーンズ氏を説得し、元データ
9
ⓒ2010 Der Spiegel
の入手に成功した。今日に至るまで、データを入手できた唯一の科学者である。
「正直言っ
て、いい加減なデータ管理にショックを受けた。
」
公に気付かれないよう、数カ月かけてウェブスター氏はジョーンズの曲線の矛盾点を洗い
出した。例えば、海洋温度の測定値が何度か跳ね上がっていることが知られている。この
矛盾は、1940 年代初めより水温を海水でいっぱいにしたバケツで測るのではなく、船舶の
エンジンを冷やすために用いる冷却水用の吸入弁で測定されることになったのが原因であ
る。
しかし、ジョーンズ氏のデータを分析した際に、同様に跳ね上がっている怪しいデータを
発見した。それも陸上のデータである。「バケツの水でこれは説明できない。」とウェブス
ター氏は話す。
奇妙な矛盾
気温の測定値が急上昇する地点がもう一か所あるが、ジョーンズの作業チームは、これは
排出規制の強化により 1970 年代から大気汚染が緩和されたことによると主張する。大気に
放出された粒子が太陽放射を妨げるため、大気がきれいになると気温が上がる。
「南半球は、
北半球に比べて土地面積が小さく、産業活動も尐ない。
」したがって、南半球では、大気汚
染の水準が常に北半球より低い。
しかし、奇妙なことに、南半球での気温上昇幅は北半球と変わらない。「これは現実的には
あり得ない。
」とウェブスター氏は言う。
ウェブスター氏は、このような矛盾はジョーンズ曲線の説得力を全面的に弱めるほどのも
のではないと考える。
「しかし、言うまでもなく我々はこれらの現象の背景にあるのが一体
何か知りたい。
」気温上昇の一因を自然のメカニズムが担っているのだとしたら、現在進ん
でいる地球温暖化に対する人為的影響の割合は減るということになる。
都市熱
批評家は、特にジョーンズ氏がある要素を十分に考慮しなかったことを非難する。それは、
都市部の拡大。かつては農村部にあった気象台も今は周辺が都市化している。都市では、
その周辺部に比べ内部のほうが気温が高いため、気象台で測定した気温も上昇するはずで
ある。
マ ッキ ンタイ アー氏 の同 士で ある 環 境エコ ノミ スト のロス ・マク キト リッ ク( Ross
MacKitrick)氏は、この都市熱の影響があると予想される全ての急成長を遂げている国々を
調査し、経済成長と気温上昇の間に関連性を発見した。この研究成果を、IPCC の最新版の
10
ⓒ2010 Der Spiegel
報告書に間に合うように提出した。
ジョーンズ氏は、自分に対して批判的であるこの部分の出版を阻止するべくあらゆる手段
を尽くした。その際、彼が気温の章の二人の主要執筆者であったことは大きな利点であっ
た。彼は、ハッキングされた電子メールのなかで、この迷惑なくだりが IPCC の報告書に入
ることを、「たとえ査読(ピア・レビュー)の定義を変えねばならないとしても」なんとしてでも
阻止したい、と公然と認めている。
結局ジョーンズ氏のあがきは失敗に終わったが、IPCC の報告書に痛烈な一行をねじ込むこ
とには成功した。それによると、マクキトリック氏の発見は「統計的に重要性に欠ける。
」
つまり、意味のないもとされたのである。
失われた信頼の回復
ドイツの気候学者、ハンス・ヴォン・ストルク(Hans von Storch)氏は、独立機関で温度曲線
を再計算してほしいと考えており、温暖化懐疑派の学者もそのプロジェクトに参加するこ
とを提案する。しかし、データを再プロセスするには数年かかるかもしれない、と指摘す
る。
「失われた信頼を回復する方法はほかにない。計算し直した曲線は今とそう大きく変わら
ないだろう、と私が確信していたとしてもだ。
」と彼は話す。
それが違っていたら?「それはまさに気候学にとって最悪のシナリオ。我々は、一からや
り直さなければならなくなるだろう。
」
海面上昇など、気候学者による他の主要な予測もすべて再評価しなければならなくなる。
将来にわたって海面がどれだけ上昇するかはすでに論議を呼んでいる。
海面上昇の真実
ホラー映画の一幕であったかもしれない。ニューヨークの高層ビルが岩礁のように海から
突き出ていて、ハンブルグ、香港、ロンドン、ナポリの各都市ははるか昔に沈んでしまっ
ている。国全体が海にのみこまれたところもある。デンマーク、オランダ、バングラデシ
ュという国はもはや存在しない。
25 年前、気候学者はこのような恐ろしいビジョンで市民の関心をつかんだ。当時、気候学
者はもし温室効果が地球上のすべての氷を解かせば海面が 60 メートル(197 フィート)
以上上昇すると計算していた。
今日ではそのような悪夢のシナリオを語る者は誰もいない。現在北極圏の氷床がすべて解
11
ⓒ2010 Der Spiegel
けることを想定するシミュレーションはない。一方、今世紀の終わりのころには海岸沿い
の海面が大幅に上昇していることを疑う氷河学者もいない。では、正確にどれくらい上昇
するのか?予測の幅は、18 センチ(7 インチ)から 1 メートル 90 センチ(6 フィート 3 イ
ンチ)までである。
計算が困難
「もちろん、これでは沿岸部の設計者や政治家は納得しないだろう。
」とドイツ北部の港町
ブレーメルハーフェンにあるアルフレッド・ウェゲナー極地海洋研究所(Alfred Wegener
Institute for Polar and Marine Research)の主任気候学者ピーター・レムケ(Peter Lemke)は認
める。
「でも、どうなるはっきり分からないものを確証あるものとして売り込むわけにはい
かない。
」
最新版の IPCC 報告書では 18 センチから 59 センチという比較的保守的な上昇幅になってい
る。
「ほとんどの専門家がこの概算は尐なすぎると考えている。」とレムケ氏は話す。
海面に影響を及ぼす要素は二つ。一つ目は海面に直接的に影響を与えるもので、水は温め
られると膨張する、ということだ。これによる水温上昇効果は比較的正確に計算すること
ができ、2100 年までに 22 センチ海面を上昇させると予想される。
もう一方の効果は計算が難しいが、グリーンランドや南極の山岳氷河や内陸の氷が解ける
ことによるもの。今日解けているのは、殆どがアンデスからヒマラヤ山脈への山岳氷河。
IPCC の試算によると、この融解によって海面が毎年 0.8 ミリメートルずつ上昇する。また、
グル―ンランドとアイルランドもそれぞれ 0.2 ミリメートルずつ海面上昇に貢献する。
融解の加速
ところで、衛星観測によると、氷が解ける速度が加速している。氷河学者の推測では、南
極西部の一部、そしてグリーンランドではより広範囲で、当初の予測より早い速度で氷が
融解している。
しかし、巨大な氷帽の内部で起きているプロセスについて知られていないことがあまりに
も多いため、多くの科学者は、新たな予測を立てることには消極的である。氷山の分離に
関する信頼できるデータは過去約 10 年分しか存在しない。グリーンランドの氷河は、現在
特に大きな氷塊を海に飛ばしている。しかし、この時期を過ぎると、次は静穏期がより長
い期間続くことが多い。
レムケ氏は、
多くの科学者仲間同様、
海面は 50 センチから 1 メートル上昇すると予測する。
12
ⓒ2010 Der Spiegel
堤防を築くか、立ち去る。沿岸地域の住民は長年こうして自然の猛威から身を守ってきた。
ドイツ北部のハンブルグでは、1960 年代に比べ、高潮が 50 センチも高い。これは、気候変
動の結果起きている現象ではなく、エルベ川を狭くしたことに起因する。いずれにしても、
洪水防止の改善のお蔭で、この港町は以前ほどは脅威がない。
高潮は水面上昇だけによるものではない。沿岸に大量の水を押し寄せる風もまた、尐なく
とも同じ程度には重要である。
本当に温暖化によって暴風雤が増えるのだろうか?
超大型暴風雤の神話
5年前、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズの米国南部の市を激しく襲った後に、
米国の科学者間では「ハリケーン戦争」が勃発した。警鐘派は激しい説教のレトリックを
用いて、カトリーナは序章にすぎない、前例のない猛威の超大型暴風雤に見舞われること
になる、と警告した。穏健派陣営はこのような予測には猛反発し、そのような懸念を裏付
けるものは何もない、と主張した。
論争は、IPCC 報告書の代表執筆者の一人である気候学者のケヴィン・トレンバース(Kevin
Trenberth)氏が、ハーバード大学での記者会見において、地球温暖化とハリケーンの活動の
激化の間には明らかな関連性がある、と発言したのを受け、激論に展開した。マイアミの
国立ハリケーンセンター(National Hurricane Center)の気象学者クリス・ランドシー(Chris
Landsea)氏はこの根拠のない予測に激怒し、IPCC から身を引いた。
現在、両者は驚くことに停戦状態であるが、ランドシー氏が優位に立っている。
先月、ランドシー氏は、米国の主要なハリケーン研究者たちと共同で、ハリケーンと地球
温暖化の関連性を否定する研究成果を発表した。
「熱帯低気圧の発生頻度は減尐するか、本
質的に変わらない。
」と結論付けている。ランドシー氏は、「最高風速は若干速まる可能性
はあるが、その変化は真に実質的なものではない」と話す。
IPCC の挫折
ハリケーン前線で、危険が去ったという合図が出てしまったことは IPCC にとってまた新た
な打撃となる。代表執筆者ケヴィン・トレンドバース氏の予測に即して、IPCC の報告書で
も温暖化によりハリケーンが増えることになる、と警告している。IPCC 報告書にあるグラ
フで特に奇妙なものが一枚ある。それは、異常気象による被害が平均気温の上昇と共にい
かに増加するかを示すものだが、出典は明記されていない。
13
ⓒ2010 Der Spiegel
コロラド大学ボルダー校(University of Colorado at Boulder)のハリケーンの専門家ロジャ
ー・ピルキー(Roger Pielke Jr.)氏は、そのグラフをみて愕然とした。
「このような関連性を
私自身も見つけてみたい。でも、今現在それを理論づけるような事実はない。」
ピルキー氏は、グラフの出典を追求し、遂に大手保険会社向けにリスク計算を行うロンド
ンの会社の主席科学者を探し当てた。保険業界の科学者は、グラフは本来公表するために
作成したものではないと主張する。幻のグラフがどういう経緯で IPCC の報告書に迷い込ん
だのかはいまだに謎である。
初めは、超大型暴風雤への懸念は容易に立証できそうであった、科学者たちは、海水の温
度の上昇に伴い、ハリケーンがより多くのエネルギーを蓄積していくと推測した。しかし、
よくあることだが、真実はもっと複雑である。大気中で一定の条件が揃わなければハリケ
ーンは発達して勢力を維持することができない。
「風のハサミがハリケーンの発達を初期段
階で妨げる。
」と、研究用航空機で毎年暴風雤部分に飛び込むランドシー氏は話す。しかし、
風のハサミは気候が暖かくなると増加する傾向にある。そのため、コンピューターを用い
た多くのモデルでは、ハリケーンの活動の減尐を示すようにさえなっている。
「何も変わらない。
」
1960 年代後半から、ハリケーンの数は実際に増えている。しかし、事象科学者たちはこの
現象を海流の自然なサイクルによるものとしている。再保険会社によって報告される保険
金の一貫した上昇というのは、特に信憑性が低い指標である。「ハリケーン多発地帯で新し
く建設された建物、そして道路や工場を勘案して調整すると、もはや上昇傾向ではなくな
ってしまう。
」とピルケ氏は説明する。
熱帯地域外で発生するすべての暴風の予想はよりクリアになってきた。これまでは、気温
の上昇が、より強力な暴風が発生させるという懸念が広がっていた。
しかし、特に温帯緯度については、現在の長期予報はそのような傾向を示していない。「ど
のモデルも、熱帯以外の地域でなにも変化が起きないと示している。
」とハンブルグのマッ
クスプランク気象研究所(HPI-M:Hamburg Max Planck Institute for Meteorology)のヨッヘ
ン・マロツケ(Jochem Marotzke)所長は語る。
「将来、上空で発生するストームの数が増え
たり勢力が拡大したりすることはない。
」
温暖化気候で変化する可能性があるのは、低気圧域内の風雤の経路のみである。恐らくス
カンジナビアでは風が増え、地中海地域では減るだろう。中欧では、目立った変化はない
だろう。
世界中のほとんどの地域で暴風が何故増えないのか、物理的側面から説明しやすい。各モ
14
ⓒ2010 Der Spiegel
デルによると、赤道地域に比べて緯度が高ければ高いほどより実質的に気温が上昇する。
(北極圏で温暖化が目に見えるように進んでいることもこうして説明できる。)その結果、
地球の表面の気温差が縮まり、風速も弱めるため、広く懸念されている超大型暴風雤が発
生する可能性は低い。
気候変動の勝ち組、負け組
研究者は、30 年間にわたり、気候モデルを改良し続けてきたが、いまだに掴めていない自
然現象が一つある。
「今でも雲に最も惑わされる。
」と、マロツケ氏は話す。「雲の不確実性
は今もなお大きい。雲は我々にとって最も大きな課題として残されている。」
理論的には全く簡単そうである。気温が上昇すると、より多くの蒸気が蒸発する。しかし、
その結果としてより多くの雲が発生するのだろうか。もしそうだとしたら、雲は地球温暖
化を妨げるのだろうか、それとも加速するのだろうか。
雲の上面は、鏡のような役割を果たす。太陽光を宇宙へ跳ね返することにより、大気を
冷却する。一方、下の面は、地面から反射した熱を逃がさず、その結果気温が上昇する。
二つの効果のうちどちらの方が優勢かは、雲の高さや種類による。「空を見上げただけで、
雲の種類が沢山あることが分かる。
」と話すのは、米国の雲の専門家であり、MPI-M の新所
長を務めるビョルン・スティーブンス(Bjorn Stevens)氏。「それぞれの雲の種類によって
異なる動きを見せる。
」
陪審員はまだ戻っていない
どの種類の雲が温暖化からの便益があるのか、これまで正確に分かる者はいなかった。し
かし、この問題への答えが判明すれば、世界の平均気温が各モデルで予測される気温より
結果的に 1℃低くなるのか高くなるのかが分かる。不確実性の大きな要素である。「振り子
がどちらの方向に傾くのか、陪審員はまだ戻っていない。」とスティーブンス氏は話す。
巨大な不確実性あるにもかかわらず、尐なくとも一点について合意が取れている。地球温
暖化はもはや止めることはできない、ということだ。
しかし、それは予測されているように恐ろしいことなのか。人類は本当に史上最大級の
災害に見舞われるのか。気候が暖かくなることによる便益はないのか。そして、多くの
場所で収量の増加や観光収入の拡大につながらないのか。
真実は中間のどこかにあるのだろう。負け組がいることは疑う余地がないだろう、しかし
勝ち組もまたいるだろう。地球温暖化の影響がマイナスであるかプラスになるかは、観察
15
ⓒ2010 Der Spiegel
者がどこにいるかによって全く異なるのだ。
不正確なシミュレーション
残念ながら、将来の気候を予測するコンピューターによる各シミュレーションは、各国ま
たは地域について信頼できる結論を出すにはあまりに不正確すぎる。世界各地で平均気温
がどれくらい上昇するかを予測するのは比較的容易だが、降水量となるとモデルが不安定
である。実際、各モデルが正反対の予測をしていることさえある。
一方、多くのシミュレーションに共通に見られる現象もある。「現在雤量の多い地域では、
さらに雤量が多くなる。
」と、エリック・ロークナー(Erich Roeckner) 氏は話す。ベテラン
気候学者のロークナー氏は、ここ数年間、温暖化に伴う降水量の変化のシミュレーション
を行っている。そして「今乾燥している地域は、将来はさらに乾燥しているだろう。
」
気候変動の結果、途上国、とりわけ最貧国が最も苦しむという広く知られた神話は間違っ
ている。尐なくとも、現在の気候モデルによるとそういう結論になる。
例えば、モデルによると、中央アフリカではほとんど何も変わらず断続的な降水が続くで
あろうと予測される。また、ほとんどのシミュレーションが干ばつと飢餓が蔓延するサヘ
ルでも降水量が増える可能性を示している。
「これが本当なら、もちろん驚くべきプラスの
副次的効果だ。
」とロークナー氏は話す。
気候変動の明らかな勝ち組
地球の北部の地域は明らかに勝ち組。今までは寒すぎて人を寄せ付けなかったが、カナダ
やロシアは収量の増加や花開く観光業に期待できる。北極圏に隣接する国々も、海水の溶
解によって今までアクセスできなかった天然資源に手が届くことに期待を寄せる。スカン
ジナビアの人々にとってハードルがあるとすれば、それは気候変動の恩恵を享受している
という後ろめたさであろう。
一方、多くの亜熱帯地方が乾燥地帯となる。その結果、地球温暖化について最も責任の重
い工業化された先進国が最も大きく影響を受ける。新たな干ばつ地帯は、米国南部とオー
ストラリア、南アフリカに広がり、ヨーロッパでは、スペイン、イタリア、ギリシャなど
が今よりも乾燥した気候に悩まされることになる。
ヨーロッパの観光産業も大変革を遂げることになりそうだ。気候変動によって、南スペイ
ンの大規模観光施設は衰退期を迎え、北海やバルト海沿いのホテルにとっては華々しい時
代の到来である。
「マヨルカ島に別荘を持っていたとしたら、私ならそれを売ってウーゼド
ム島(バルト海に浮かぶ島)で次を探すだろう。
」と、マックス・プランク研究所族の科学
者ヨッヘン・マロッケ氏は冗談を交える。
16
ⓒ2010 Der Spiegel
ドイツで地中海性気候?
ドイツも気候変動の恩恵を享受できる可能性がある。今世紀の終わりには地中海性気候に
なっているかもしれない。そうすると、北部のハンブルグは、今の南部の都市フライブル
グのように暖かくなる。フライブルグの夏は、今日のマルセイユのような気候になる。
北海に浮かぶヘルゴランド島(Helgoland)ではヤシの木が育っているかもしれない。
しかし、この現象には欠点もある。夏が乾燥する代わりに、秋から冬にかけて降水量が増
える。特にドイツ北部は洪水が増えるかもしれない。洪水防止のために畑や牧草地の水は
けを改善し、昔の氾濫原の復旧が必要となる。
東部のブランデンブルク州のように特に乾燥している地域では、今既に起きている温暖化
による森林火災のリスクはさらに高まるだろう。逆説的ではあるが、森林火災の件数が増
えているにも関わらず、火災の影響を受けている土地の面積は 1970 年以来減尐している。
これは、煙探知機の設置によって森林が監視され、火災の消火が以前より早くなっている
からである。地球温暖化が進むにつれ、松林を混交林に植え替える必要も出てくるかも知
れない。
異常に厳しい冬を経験したばかりのドイツ人にとっては、このようなシナリオはまだ遠い
先の話。100 年後の世界のシミュレーションが、今の現実とどう関わりがあるのだろうか、
と思う人も尐なくないはず。
近未来に視点を
温暖化の影響をもっと鮮やかに描くために、MPI-M の科学者たちは、20 年後の世界を
予測する中期シナリオを開発中である。
「はじめて近い未来を見てみたくなった。」と、話すのは MPI-M のヨッヘン・マルッケ所
長。
「長期よりも変動が大きいから中期のほうが予測が難しい。」
スーパーコンピュータがまだ計算を続ける中、科学者たちは、2030 年までにさらに 0.5℃気
温が上昇するとすでに予測している。これは、1970 年代からの気温上昇と同じくらいの上
昇幅である。
「ここで明確に実感できる。」とマルッケ氏は話す。ドイツでは、夏の夜が暖
かくなり、春の到来が年々早まるだろう。そして、わずか 20 年で雪もドイツでは過去のも
のとなってしまうかもしれない。
これらの現象はすべて避けて通れなくなってしまった。
17
ⓒ2010 Der Spiegel
反応の遅れ
たとえ人類が石炭、石油、天然ガスを燃やすことを直ちにやめたとしても、次の 20 年~30
年の間は引き続き気温は穏やかに上昇するだろう。これは地球の気候系が大気に排出され
た温室効果ガスに反応するまで一定の時間差があるからである。
まだ答えの見つからない大きな課題の一つは、コペンハーゲン会議で世界各国のリーダー
が合意したように気温の上昇幅を 2℃以下に抑えられるかどうかである。
批評家たちは、全く異なる問いを提示する。人類はどこまでこの目標に奴隷のように執着
しなければならないのか。この基準を超えたら、本当に世界が破滅するのか。
2℃目標の発明
気候モデルは、いかなるシミュレーションでも非常に複雑な計算を要するもので、それに
対応できるスーパーコンピュータを持っているのは世界中の研究所でも数えるほどである。
これらのコンピュータはフル稼働状態で、何カ月にもわたって、結合微分法的式によって
求められたデータを処理しなければならない。これは政治家には複雑すぎる。彼らは細か
いことには興味がない。放射収支や大気海洋大循環モデルには用がない。それよりも分か
りやすい目標を好むのである。
ドイツの科学者たちは、このような政治的圧力に折れて 1990 年半ばに消化しやすいシンプ
ルなメッセージを編み出した。それが「2℃目標」だ。科学者たちは、人類と自然にこれ
以上危害を加えないためには、地球の気温は産業化以前に比べて 2℃以上上昇してはならな
い、と警告したのである。
これはなかなか大胆な概算であった。一方、首脳陣はようやく具体的な目標を手に取るこ
とができた。こうして見事なサクセスストーリーは始まった。
「明らかに政治的な目標」
世界政治にこれほどまで影響力を持った科学的な考えはかつてなかったであろう。今とな
ってはほとんどの国が 2℃目標を認識している。この 2℃の制限を超えてしまったなら、
「今私たちが知るような地球上の生物は存在し得なくなる。」と、ドイツのノルベルト・
ロットゲン環境大臣は、失敗に終わったコペンハーゲンサミットが始まる前に宣言した。
しかし科学的に見てこんなにばかげたことはない。「2℃というのは、魔法のラインではな
い。明らかに政治的目標だ。
」と話すのは、ポツダム気候影響研究所(PIK: Potsdam Institute
for Climate Impact Research)のハンス・ヨアキム・シェルヌーバー(Hans Joachim
18
ⓒ2010 Der Spiegel
Scellnhuber)所長。
「世界は温暖化がさらに進んだとしてもすぐには滅びないし、温暖化が
進まなかったとして絶対に救われるものでもない。現実は、当然もっともっと複雑だ。」シ
ェルヌーバー氏の言うことなら確かである。彼こそが 2℃目標の生みの父なのである。
「はい、有罪を認めます。
」と彼は笑みを浮かべて話す。このアイデアによって彼のキャリ
アが傷つけられることはなく、むしろ、ドイツで最も影響力のある気候学者の地位をつか
んだ。理論物理学者であるシュネルヌーバー氏は、科学者なら誰でも羨ましがる、アンジ
ェラ・メルケル(Angela Merkel)ドイツ首相の主任科学顧問の座を獲得したのだ。
経験則
2℃目標の物語の始まりは、ドイツ政府地球変動諮問委員会(WBGU: German Advisory
Council on Global Change)に遡る。政権側の政治家が委員会に気候保護ガイドラインの策
定を依頼したところ、シュネルヌーバー氏率いる科学者団は、驚くほどシンプルな案を思
いついた。「ホモサピエンスが直立歩行を始めた時期から遡って気候の歴史を見た。」とシ
ュネルヌーバー氏は思い返す。
「その結果、過去 130,000 年の間の平均気温は産業革命の始
まりの前と比べて 2℃以上高かったことはないことが分かった。安全をみて、人類の進化の
経験から乖離しないほうがよいということで目の子で考案した。そうでなければ、未知の
分野に足を踏み入れることになってしまう。
」
突っつきたくなる気持ちは山々、このアプローチをより細かく精査してみると、奇術でし
かないことが分かる。なぜなら、人類は氷河期に誕生し、何千年もの間、現在より尐なく
とも 4℃、時代によっては 8℃以上も低い気温を生き延びてきたのである。
結論から言うと、人類は 2℃の温度差よりもはるかに厳しい気温の変動を生き延びてきたの
である。そして、寒冷期は常に最悪の期間であった。その上、近代文明は過去の社会に比
べて、気候変動に適応するための技術をはるかに多く有している。
最初に大雑把な概算をしてから、2℃目標を支持するのに良い根拠が多数見つかった、とシ
ュネルヌーバー氏は語る。しかし、新たな研究が次々に登場するために、絵を描くのもま
た非常に複雑になってきた。
例えば、サンゴ礁は、1.5℃も海水温が上昇したら絶滅するかもしれない。一方、農作物は、
気温が 2.5 度上昇したら収量が増える可能性が高い。これは、増え続ける世界人口にとって
は良い知らせである。
すべて空論
しかし、これだけ予測して何の役に立つのだろうか。来る数十年の間に気温が何度上昇す
19
ⓒ2010 Der Spiegel
るか正確に計算するだけでも難しい。であるなら、気温の上昇によって観光業がいかに利
益を享受するか、あるいは生物多様性がいかに破壊されるかを詳細に予測することはすべ
て空論になる。
「もちろん、気候変動の影響に関する研究成果は、我々が望むほど信頼のおけるものには
仕立てられていない。
」と、シュネルヌーバーは認める。
「しかし、
『サイエンス』
(Science)
や『ネイチャー』
(Nature)に発表される1万件もの研究を政治指導者の机の上にポンと置
いてくるわけにはいかない。明らかに彼らの許容量を超えている。代わりに、我々は専門
家として、大量にある分析結果をもっともらしいシナリオに集約する努力をしなければな
らない。
」
批評家たちは、気候影響の研究者の政治家へのアドバイスが一線を越えてしまったと言う。
「2℃目標はまともな科学とはほとんど無関係だ。」と、ハンズ・ヴォン・ストルク氏は指
摘する。科学者仲間の多くが、何かを成し遂げたいという思いがある政治活動家になりす
ぎてしまっている、と付け加える。これは科学全体の信頼を阻害するもので、クライメー
トゲート事件や IPCC 報告書のずさんな作業につながる根深い原因の一つである。
「残念なことに、ちょうど牧師が説教にぴったりはまるように結論を導くようにする同僚
がいる。
」とストルク氏は話す。「公表された過ちはどれも誇張やデマにつながりがちだっ
たという事実は決して偶然ではないだろう。
」
「まったくばかげている」
そのような疑惑に PIK のハンス・ヨアキム・シュネルヌーバー所長は苛立ちを覚える。そ
の手の疑惑が自分や PIK に向けられた時はなおさらである。シュネルヌーバーは、バイエ
ルン州の出身で、普段は静かに、外交的に話すが、例の疑惑の話題になると声を荒げる。
環境活動家、あるいは純粋に政治的理由で行動するような人とは程遠い、と自らのことを
語る。
「それはまったくばかげている!」と熱くなる。
「私はデモ行進には参加しない。私は緑の
党の党員ではない。肉が好きだし、BMW に乗っている、そして、気候学者になるために物
理を学んだのでもない。
」
とはいえ、迫る大惨事についてたまたま内部情報を入手してしまった個人であり、その情
報を隠しておくわけにはいかない、と彼は付け加える。
「私は船の乗客で、双眼鏡を覗いて
いるときにたまたま行く先に氷山が見えた。そのとき、私は船長に直ちに警告しなければ
ならない。
」と、シュネルヌーバーは話す。
しかし、実際に氷山はどれくらい離れたところにあるのだろう。航路を変えるにはどれく
20
ⓒ2010 Der Spiegel
らいの時間が残されているのか?そして衝突のリスクはどれくらいなのか。これらの問い
かけがまさにカギとなる。現実には、豪華客船の航海を止める話ではなく、石油と石炭の
時代をできるだけ早急に終焉させるために必要な莫大な労力のことである。
対処する時間
「我々気候学者は、未来の可能性についてしか説明できない。」ストルク氏は指摘する。
「全
く違ったことになっている可能性もある。
」
気候モデルの構築の先駆者である、ドイツ北部の出身のストルク氏は、より冷静で私情を
挟まないアプローチを提唱する。彼は北海のフェール島で育ち、高潮を直に経験している。
人間は強靭で、適応力があることを学んだ。
「恐怖を利用するやり方は間違っている。」とストルクは話す。「気候変動は一夜にして起
こらない。我々には対応する時間はまだ充分にある。」
以
21
ⓒ2010 Der Spiegel
上