キ ャ リ ・ プ ロ 通信 -キャ リアあ れこれ vol. 20 2013.September 発行元:業務 KAIZEN 副師長会 第 20 回は、東 11 階病棟の藤田次夫さんと西 8 階病棟の菊田久美さんにお話を伺いました。お二人は、看護師免 許以外のある資格を活かして、仕事にプライベートにパワフルに活躍しています。元気をもらえそうなお話ですよ。 *********************************************** よく働くなぁと思います。 スポーツや操体を通して 男性が増えてくることは、嬉しいですね。もっと、もっと 増えて欲しい。増えないと世の中から認められないと思う 人の健康に ので。男性看護師の皆さん、男性同士、挨拶しあって、 貢献しいきたい お互いに目的に向かって向上していきましょう! 東 11 階病棟 -そうそう、藤田さんの手にかかると、体の痛いところ 藤田 次夫さん がなくなる(!?)という、噂があるのですが。 藤田さん 赤門鍼灸柔道整復専門学校に通っていたと -藤田さんは、若い頃はいろいろなスポーツをされて きに、操体法というのを勉強しました。その知識を利用し きたということですが、そのような世界から看護師にな てケアをしていたことがあります。操体法とは、気持ちの ろうと思ったきっかけは何だったのですか。 良いこと-動き、メンタル、呼吸…をすることで、体のバ 藤田さん 野球やバレーボール、柔道、空手、剣道、レ ランスを整えて体を治していくというものです。治すのは スリング・・・といろいろやってきました。その中でも中学 2 本人であって、私がするのはそれを手助けして、良い方 年生からやっていたレスリングは、減量が辛くて…。週に に導いてあげるだけなんです。現代医学とは違いますが、 12kgも減量しなくてはならず、食べたいものも食べられ 整形外科病棟で働いていると、そう離れた世界でもない ない…、飲みたいコーラも飲めない…。草叢に手を突っ と思います。医師は手 込んで、露を舐めたこともありました。そのような減量を通 術などによって治療を して、食べられることや飲めること、体を動かせることがど しますが、その 後は、 んなにありがたいことかを人に分かって欲しいと思いまし 患者さん本人がきちん た。 とリハビリをしていくこと そのために、21 歳の時に准看の学校に入り、23 歳で で治していくのですから。 高看の学校に入りました。 それを手助けするのが、 -藤田さんが看護師になった時代は、まだ男性看護 私の役割と思って働い 師も多くなかったと思いますが、どんな新人時代を過 ています。 ごしていたのですか。 -今後の展望はありますか。 藤田さん 当時、男性看護師の認知度は相当低かった 藤田さん 今も子供たちにスポーツの指導をしているの ですね。上下白衣に白長靴、白いビニールエプロン姿で ですが、その指導を通して、子供たちや家族に健康のあ 働いていたんですよ。とても看護師には見えませんよね りがたさや健康の概念、体などの動かし方などを学んで (笑)。よく患者さんや家族から、給食の職員や清掃員に いって欲しいと思っています。そして、操体法を通して、 間違われて、「こんなこと(看護の仕事)までしなくちゃいけ 人の健康に貢献していきたいと思っています。 ないなんて大変ね」なんて、言われていたのを思い出し -最後に一言。 ます。 藤田さん よく耳にタコができると言いますよね。本当に そしてその頃は、レスリングの現役選手として全日本の 出来るんですよ。私の写真をみてください。分かりますか。 試合にも出ていたんですよ。看護師とレスラーの 2 足の 柔道で相手と組み合う時に道着や手に耳がこすれたり、 わらじは、36 歳まで続けていました。 レスリングのタックルで耳が当たったりして、血腫ができて -最近は、大学病院でも男性看護師がだいぶ増えて タコになるんですよ。 きましたが、看護師の世界はまだ女性社会ですよね。 (インタビュア:東 11 階 一條久美) その中で働いていて、何か感じることは ありますか。 藤田さん 女性社会に足を踏み入れたば かりの頃は、女性はよくしゃべるなぁと思い ました。うるさいという意味ではないですよ (笑)。あと、女性は細かいところに気づいて、 *********************************************** 患者さんの苦痛の原因は何なのか、疾患や病状と関連 空飛ぶイキイキさん!! づけてアセスメントすることは、謎解きのようで面白いです。 昨日より今日、患者さんがもっと良くなれば、楽になれば と考えて看護するようにしています。自分のちょっとした 西 8 階病棟 気づきによって、“患者さんのかゆいところに手が届いた 菊田 久美さん な”と思えたときや患者さんに「ありがとう」と言ってもらえ た時は、とても充実感がありますね。 -充実した仕事をしている菊田さんですが、自身の生 -菊田さんは西 8 階病棟(消化器内科病棟)6 年の 活も充実していますか。 経験を活かし、新人教育や学生指導、看護研究など 菊田さん そうですね…。震災後から夫が単身赴任とな に主体的に取り組んでいます。病棟では中心的なスタ り、東京と仙台の二重生活になってしまったので、家に帰 ッフとして活躍しています。 るとやはり寂しいですね。欲しかった子供もなかなかでき では、さっそく菊田さん、看護師になってこれまで一 ず、おかげで気ままな独り暮らしを続けています。月に 1 番頑張ってきたことは何ですか。 回は土日を含んだ連休をつけてもらうように、師長に配 菊田さん これまでの中で特に頑張っていた時期というと、 慮してもらい、夜勤明けで高速バスに揺られて 6 時間。 まだ救命センターになる前の救急部やICUに勤務してい 仙台と東京を行ったり来たりの生活です。でも、今ではそ た頃ですね。患者さんとはほとんど話もできない状況で、 れもまた楽しんでいるのかもしれません。 毎日が緊迫した中での仕事は、本当はあまり私にはむい -充実した仕事とはいえ忙しい毎日。それでも菊田さ ていないと感じていました。そんな私でも、行っている看 んがイキイキと仕事ができる理由は何ですか。 護の根拠や理由を考えることを通して、毎日何か新しい 菊田さん それは看護師という仕事の世界とは全く離れ ことを学び、学んだことが即次の実践に繋がっていくとい て、「空を飛ぶ」というすごく爽快な趣味を続けていること う経験は、とても充実したものだったと思います。 でしょうか…。私がパラグライ そこでの先輩たちは、本当に多くのことを知っていてそ ダースクールに通い始めたの れを使いこなしていました。そんな姿にあこがれて、今度 は 2001 年の 10 月ですから、 は自分が持っている知識や経験を、日々少しでも現場で、 もう 12 年近くになります。途中 後輩たちに伝えていけたらいいなと思って働いています。 仕事が忙しいため一時すっか -そういう経験が今の教育係の仕事や学生指導にも り辞めてしまっていた時期が 3 役だっているんですね。 ~4 年ありますが、その後もや 菊田さん …そうですね。また、救急部に勤務している っぱりもう一度空を飛びたいと 時、ACLS や BLS などの救命処置を一生懸命学んだ時 強く思うようになり、パラグライ 期がありました。何十回と繰り返し叩き込んだ動作は、今 ダーのパイロットライセンスを取 でも身体に染みついています。 得しました。2008 年にインドネシアのバリ島で開かれたア そして、医師や看護師相手に ACLS や BLS を指導し ジアビーチゲームスというアジアのオリンピックと言われる ていく中で、“人にものを教える(伝える)”ということの難し ような大きな競技会に、夫と共に日本代表で参加させて さを学びました。教える相手のバックグランドに配慮して もらいました。2009 年の日本選手権大 その人がすでに持っている知識や経験を尊重すること、 会では女子の部で優勝することができ、 新たな知識に興味をそそるような働きかけをしていくこと、 2010 年に夏休みを利用してオ ある決まった動作を覚えてもらうためにその裏付けとなる ーストリアで開かれたワールドカッ たくさんの知識をつけることが、必要でした。それが今に プにも参加しました。ヨーロッパの なって、看護学生への指導や、患者さんに指導する時に 景色はとても雄大で、日の丸を も活かされていると思っています。 背負って世界中の人と競技でき -救急部や ICU での看護経験があるなかで、今病棟 るのはとてもすてきな経験でした。 に勤務して思うことは何ですか。 最近はあまり競技に打ち込むことはしてい 菊田さん 患者さんとゆっくりお話しができ、触れ合って ませんが、天気と風が良ければ山に行き、楽しく安全に ケアをすることができる、病棟の今の仕事は好きですね。 空を飛ぶことを心がけています。 -仕事と趣味のパラグライダーで上手に ON・OFF を切り替え、イキイキを持続してい る菊田さんのこれからのますますの活躍に 期待しています。 (インタビュア:西 8 階 岩石裕子)
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