インドにおける子どもの労働をめぐる一考察

インドにおける子どもの労働をめぐる一考察
キーワード:子どもの労働、子どもの権利、教育開発、平等主義、階層化社会
発達・社会システム専攻
針塚
瑞樹
<目次>
どもの労働を社会問題とみなし、その解決への取り組
序章
研究の動機・目的・方法・対象
みを必要とする言説がインドには存在する。その一方
第1章子どもの労働の定義と現状把握
で、インドには、カースト体系のヒエラルキーを容認
第1節
子どもの労働・児童労働の定義と現状
する階層化社会としての一面もある。子どもの労働に
第2節
子どもの権利
関する国際社会の理念に沿って、社会の変化を求める
第3節
労働の定義
言説に覆い隠された、宗教上の理念に基づく不平等を
第2章インドにおける子どもの労働の理解と取り組み
容認するインド人の意識が、現実には社会の変化を阻
第1節
インド社会の概況
第2節
国際機関による理解と取り組み
第3節
インド政府による理解と取り組み
行っているが、人類学的な研究を行う場合一般的な手
第4節
NGO による理解と取り組み
法である、長期の現地調査を経ていない。本論文の意
んでいる状況がある、というのが本論文の主旨である。
本研究においては、主に人類学の理論を基に考察を
第3章インド社会に関する人類学的な理解
第1節
義を、そのような現地調査の前段階として、研究対象
インド社会におけるカースト制度とヒンデ
のもつ問題性を理解し、整理するものと考えている。
ィズム
第2節
インドの社会構造に関するデュモンの研究
第3節
デュモンの研究に関する諸説
<序章>
本論文における研究目的・視点を述べる。ここでは、
第4章インドの初等教育と子どもの労働
子どもの労働を途上国諸内部の限定された問題とする
第1節
インドの初等教育制度
見方はとらない。子どもが働くことは、かつては、我
第2節
ガンディーの教育理念
が国でも見られた現象である。子どもの労働を消極的
第3節
初等教育における階層間格差
に捉える視点は、今日の国際社会では一般的なものと
第4節
インドにおける子どもの労働∼首都デリー
なっているが、子どもの労働が実際に子どもたちが生
を事例として∼
きている文脈の中では、どのように捉えられており、
働く子どもの生活
その上でどういった点に問題があるのかを整理するこ
第5節
終章インド社会における子どもの労働
とを目的とする。
第1節
階層化社会としてのインド
第2節
近代社会のイデオロギーとインド社会のイ
教育の普及といった国際的な社会問題との関連と、学
デオロギー
校教育での学習と実生活の乖離といった問題との関連
インドにおける子どもの労働
で意義のあるものと考える。
第3節
子どもの労働を検討することには、児童労働や初等
*これからの課題
<第1章>
*論文要旨
子どもの労働の概況を説明。一般的には、子どもの
本論文では 、「子どもの労働」という、今日、国際
労働のなかでも、子どもの心身の発達にとって有害で
社会おいてはネガティブに語られる傾向にある事象
あるとみなされる労働が「児童労働」と定義されてい
が、現実としてどのような状況にあるのか、そして、
る。子どもの労働との関係で必ず言及されるのが、学
それらの状況が実際に子どもが生きている文脈におい
校教育の問題である。子どもが学校に通わずに働いて
てはどのように捉えられているのかを、インドという
いることが、子どもの教育を受ける権利が剥奪されて
一国を例に、主として文献に基づき考察している。子
いるとみなされるからである。就学は貧困から脱却す
-1-
る道として、その必要性が自明のものとされている。
くのです」]や学校に通わずに働くこと[ ILO
しかし、留意しなければならないのは、学校教育を用
: ILO は学校に行かない子ども達の労働を「健全な
意するという教育開発のイデオロギーがもつ「価値の
成長を妨げてしまう仕事」という] の問題性を指摘し
一元化」の側面である。開発自体が「近代化」を志向
ている。インド政府は、 1986 年に児童労働法を制定
するという意味で、価値中立的なものではない。さら
し、 14 歳以下の子どもは、過酷な労働や重労働に従
に、学校は「教育の国家への包摂[山本
2001:開発
事することは許されないとしている。 NGO はそれぞ
教育の暗黙の前提には「教育の国家への包摂」が正統
れ独自の理念と戦略をもって、子どもたち、社会に対
性をもって取り入れられている。]」を行うので、教
して直接的な働きかけを行っている。
育を画一的なものとしてしまう可能性をもつ。
1998
このような取り組みの中では、今日インドにおいて
今日、子どもの労働や教育の議論の前提となってい
も、子どもの権利という考え方がその根拠として主張
るのは、子どもの権利という概念である。ここでも留
されている。これらの主体は児童労働の要因として、
意しなければならないのは、未熟な存在である子ども
インド社会における、子どもの労働の問題への社会的
を保護する子どもの権利という概念が、本来社会によ
関心の低さ、政治的意志の欠如を主張する。盛んな取
って多様であるはずの子どもの概念を 、「子どもの権
り組みにも関わらず、インド社会に存在する子どもの
利」によって囲い込むことで、普遍的なものとしてし
労働に対する無関心を、どのように理解することがで
まうことである[Scheper-Hughes
きるだろうか。
& Sargent
1998]。
子どもという基本的な概念も、社会によってその定
義は異なる。しかし、大人と子どもの間に区別がある
<第 3 章>
ということは、多くの社会で広く認められている。国
インド社会の構成原理として大きな役割を果たして
際化が進行している中で、子どもたちもその現実に対
いるのは、カースト制度である。インド社会はカース
応していかなければならない。子どもの労働、教育に
トにより階層化された社会という側面をもっている。
関して取り組みを行っていく際には、急速に進む国際
人類学者デュモン[ルイ・デュモン(1911~1998)]は
化という現実に即した対応を行いつつも、教育開発に
インド人を指して 、「 Homo
含まれている社会の「学校化[イリッチ
間」といい、インドの人口のおよそ 8 割の人が信仰す
1977]」の可
能性に意識的であることが必要である。
Hierarchicus =階層的人
るヒンドゥー教の宗教的原理によって統合され、分節
では、インド社会における子どもの労働、教育に対
化された社会においてそれぞれに不可欠の役割を担い
する考えと取り組みとはいかなるものであろうか。
つつ、他の役割との強い相互関係の中で生活する人間
の存在様態を示した。インド社会に関するデュモンの
<第2章>
理論は、インドの支配イデオロギーをヒエラルキーに
インドで子どもの労働に取り組んでいる主体には、
求めるその見方が一面的でスタティックであるとの批
国際機関、政府、 NGO がある。この三つの主体はそ
判がある。しかし、本論文では、インド社会を全体と
れぞれ特徴をもって活動を行っているが、 2000 年に
して把握する際にヒエラルキーという関係性を重視す
ユネスコの主催によりデリーで開催された「インドの
ることの妥当性や、近代西欧人がインドを理解する際
ストリートチルドレンと働く子ども達のための教育の
の先入観を問題視するその視点が、先進諸国が途上諸
状況分析」という会議では、働く子どもたちへの教育
国について考える際に示唆的であることに注目し、デ
普及について、国際機関、政府、 NGO が協力してい
ュモンの理論を参照している。
くことが確認されている。
デュモン[1979]によると、インド社会はカースト社
子どもの労働への取り組みを、最も積極的に行って
会であり、宗教的な浄・不浄イデオロギーで上から下
いる国際機関であるILO(国際労働機関)は、児童
まで貫かれていて、バラモン・カーストを頂点にした
労働の要因として子どもが幼い頃から家族責任を負う
一元的な階層構造をなしている。デュモンは、このよ
こと[ ILO
1998:「( 児童労働の要因として)子ども
うなインド社会の支配イデオロギーであるヒエラルキ
も家族責任を果たすのが当然であると多くの社会で信
ーに対して、西欧近代社会のイデオロギーを個人主義
じられていることがあります 。・・・このように幼い
とみている。中でも、インドのカースト体系と最も直
頃から家族責任を負うということが、問題とされるこ
接的に対立する近代的な特徴として、人間が個人とし
となく、文化として世代から世代へと引き継がれてい
て概念化されたことによって不可避のものとなった
-2-
「平等」の理念が取り上げられている。デュモンは平
において、多様な集団を一つの制度の下に統合する側
等という理想は、たとえそれが上位のものとして判断
面をもっているという前提にたつと、デリーの学校の
されたとしても、人工的なものであると述べて、ヒエ
現状は、統合性、均質性、平等性などの面において不
ラルキーの近代における否定こそ、カースト体系の理
十分な様相を呈していることを指摘している。しかし、
解を阻む障害であるという。
筆者は押川とは異なる視点をもって学校制度における
デュモンは、社会生活においては、価値についての
格差と階層のこの問題を考える。すなわち、階層化さ
一定の合意と、理念、事物、人物についての一定のヒ
れたインド社会に存在する諸々の格差が、学校の制度
エラルキーが不可欠であるという。つまり、近代社会
の格差という形になって現れているとみるのである。
においては、個人の能力に基づく経済的・政治的な価
押川は、中等教育終了段階での統一試験の結果が、
値が一般的に認められているが、インドにおいては、
初等教育の学校タイプ別[押川
それがヒンドゥー教という宗教的な価値に基づくヒエ
立学校などの設立母体別に検討を行っている]に偏っ
ラルキーであるという点で異なっている、というので
ていることを明らかにしている。このことは、統一試
ある。このようなデュモンのインドの社会構造の理解
験という制度が、一見すべての生徒に平等な選別の機
は、社会的現実と照らし合わせてみたとき、どのよう
会を与えているかに見えても、実際の選別が、初等教
に理解することができるだろうか。
育段階での学校選択から始まっているということを明
1998:公立学校、私
らかにしている。この学校選択には、生徒の保護者の
<第 4 章>
資力や関心の高さといったものの影響が大きい。
*学校の格差にみられる階層化社会
押川は、デリーの学校制度の統合性の欠如と教育行
1990 年のジョムティエン宣言で、全ての市民に教
政の弱さを、地域社会からの監視の目の弱さと理解し
育を普及させることに対する世界の関与が確認されて
ている。教育行政の不全に対する社会的関心の低さは、
以来、基礎教育を拡大することには世界のコンセンサ
激しさを増す教育熱とは一見矛盾するようであるが、
スが得られた、という国際社会の認識がある[ユニセ
そうではない。なぜなら、教育に熱心な人々にとって、
フ
教育の統合性や平等性といった問題が関心の対象でな
1997]。インド政府も良質な教育を 2010 年までに
6~14 歳の子ども達がえることができるように努力す
ることを約束している[UNESCO
い、と理解することができるからである。
2000]。現状では、
「全ての子どもに学校教育を普及させる」という国
インドで小学校の第 1 学年に入学した生徒が、第 5 学
際社会における命題を、インドで実現しようとする場
年に在学する率は、男女平均で 52%である[ユニセフ
合 、「機会の均等」の制度上の実現が、実態を伴わな
2001]。
いままである可能性を示唆している。ここでは、イン
以上、世界の中でのインドの初等教育の状況である
ドの階層化社会としての一面を、教育制度上の格差の
が、インド国内の教育制度はどのような状況にあるの
是認といった形として読みとることができた。
か。このことに関して、首都デリーの学校制度を例に、
インドの階層化された社会と初等教育制度の関係につ
*NGO 活動を通しての社会の再生産
いて論じている押川[1998]の『学校と階層形成』での
これまで見てきたような階層化された社会の中で、
考察を検討する。
従属的な立場にある人々を支援する活動を行っている
インドの教育については、いまだに初等教育が完全
のが NGO[斉藤
2002:インドをその数の多さから
に普及していないという現状がある一方、過酷な受験
「NGO 大国」と称している]である。ここでは、NGO
競争の問題があり、学校教育へのコミットメントの程
‘ Katha’を通じて紹介してもらったデリーで働く少
度の格差が大きいのが特徴といえる。このようなデリ
女 M を調査対象として行った、1 週間にわたる参与
ーの学校制度の状況をふまえて、押川は学校を通じて
観察の結果を報告している。働く子どもの生活全体を
選別的に供給される学歴が、今日のインドの階層形成
観察することによって、子どもの労働がその文脈の中
に大きな役割を果たしていることに注目して、学校制
でどのように理解されているのかを知ることが調査の
度のもつ「選別」の機能と階層形成の関連を考えてい
目的であった。
る。また、この学校の選別機能が 、「成績」という一
この調査を通して少女 M の生活から読みとれたの
律の基準を基本的には教育という共通の土俵におけ
は、 NGO などの地域住民に対する実践的な取り組み
る、個人の能力と努力の結果だと人々が認識する限り
における理念と実践とのずれである。 NGO は子ども
-3-
への教育支援や児童労働の廃止、女性のエンパワーメ
ると考えることができる。
ントといったコミュニティの「「 開発」を志向した活
多くのインド人の意識とは調和しない平等な個人を
動を行っている。このような活動はその地域の道徳、
前提とする権利が主張されるとき、それが制度上の若
規範といったものを尊重しなければならない、そうで
干の変化を促したとしても、表面的なものである限り、
なければ、円滑に事を進めていけないということがあ
社会的弱者の生活をも変えるような社会変化となるこ
る。つまり、 NGO は活動地域社会の既存の価値とは
とは期待できないのではないであろうか。
異なる理念を掲げて活動を開始する場合も多いが、だ
んだんと組織自体の維持の必要性や地域住民との交渉
<主要引用文献>
の過程で、活動そのものがその社会のやり方に組み込
・ILO
まれていってしまうのである。結果として、現実に対
・イリッチ・イヴァン 1996(1977)『脱学校の社会』
抗して掲られていた理念を目指しつつも、その「現実」
1998 ‘STOP
CHILD
LABOUR’ILO
東京創元社
の方を再生産することに寄与してしまうといったこと
・押川文子
が起こる。
デリーを事例に」
ここでは、子どもを労働から学校教育へ移行させる
THE
「第 6 章
1998
『現代インドの展望』
『学校』と階層形成
古賀正則編
岩波書店
という NGO の取り組みが、NGO の職員(Katha のソ
・ガンディー・タゴール 1990
ーシャルワーカー)と地域住民( M と彼女の両親)
明治図書出版
との間の力関係の格差という、インド社会の階層化さ
・関根康正
れた人間関係を写し出すものとして解釈されたという
大学出版会
ことである。地域住民の生活への貢献という NGO 本
・デュモン・ルイ
来の活動の目的を理念としながらも、それと同時に既
カースト体系とその意味』
存の社会構造を再生産することで、従来からの権力関
・弘中和彦
係を温存させてしまう可能性に意識的であることが必
革の嵐』アジア太平洋センター市民講座配付資料
要である。
・ルブール・ O
『ゲカレの文化人類学』
1996
・Katha
SOCIAL
HP
1997
CULTURAL
http//www.katha.org
・ Mahaveer
たない少年が給仕をしているという光景が自然であ
INDIA”
National
Labour
る。このことは、最新の設備を整えた大学で勉強する
・ Prauchi
Jaiswal
2000
人間の傍らに、初等教育を受けていない少年がいる状
SHIPRA
況が社会で受け入れられているということである。
・UNESCO-New
には、ヒンドゥー教の概念やカースト制度の前提と結
AND
けい草書房
ROUTLEDGE
る大学のキャンパス内のレストランで、 10 歳にも満
このような現実を容認するインド人の考え方の背景
家庭・学校・改
1985『学ぶとは何か』
ANTHROPOLOGY
インドでは、学生一人に一台のパソコンが与えられ
みすず書房
『インドの教育
2002
東京
『ホモ・ヒエラルキクス
2001
・ ENCYCLOPEDIA
<終章>
『万物帰一の教育』
Jain
“ CHILD
1994
LABOUR
IN
Institute
“ CHILD
LABOUR”
PUBLICATIONS
2000 “ Research
Delhi
A
Situational
Analysis
of
and
Working
Children in
Education
Report
for
Street
India ”
びついて、上位層と下位層の社会的役割や、社会階層
<主要参考文献>
間の格差を維持する手段としての教育の役割の尊重、
・河野佐恵子
貧困層への「過度」で「不適切」な教育が既存の社会
の展開 」『九州大学大学院教育学コース院生論文集
制度を崩壊させることへの憂慮があるという[ Jaiswal
第 2 号』
2000]。
・箕浦康子
インドで、国際機関、政府、 NGO により子どもの
「途上国をめぐる教育開発理論
2002
1999
『フィールドワークの技法と実際
マイクロエスノグラフィー入門』
権利概念を前提として、子どもを労働から学校教育へ
・山崎元一・佐藤正哲編
移行させるという動きがあるのは事実である。しかし
別民
一方で、多くのインド人の意識の面では、階層による
・Alec
不平等を容認するヒンドゥー教のイデオロギーが社会
・Scheper-Hughes
第1巻
Fyfe
の根本原理としてあるために、子どもが学校に行かず
Wars: The
に働くということ自体は問題と見なされない現実があ
UNIVERSITY
-4-
1989“ CHILD
明石書店
LABOUR”Polity
N.& Sargent
Cultural
ミネルヴァ書房
1994『カースト制度と被差
歴史・思想・構造』
OF
on
Politics
Carolyn
of
CALINFORNIA
Press
1998“ Small
Childhood”
PRESS