Page 1 Nihon Ongaku Shudan(Pro Musica Nipponia) 日本音楽集団

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日本 音 楽 集 団
第 一〇 二 回 定 期 演 奏 会
︵第 一〇 〇 回 定 期 演 奏 会 記 念 シ ー ズ ンー ー ⑤ ︶
尖I命でえがく立日の絵竺小
日二金 の一
一九 八 八 年 一月 二 十 日 ︵
本︶
一月 二 一日 ︵
木︶
芝 ab c会 館 ホ ー ル
主 催 日本 音楽 集 団 ・現代 邦 楽 協 会
午後 七時 開演
ご あ い さ つ
今回、慮1団 「民 藝」の高橋 清祐氏 の ご 協力 を得 て、大 橋 喜一作「 め るへ ん │よ うきぼ しとチ ョコン ッ ト」 (稲 垣足穂
「チ ョコン ッ ト」 による)と 米倉斉加年作 「多毛留」 を上演す るこ とにな りま した。「 多毛 留 Jに は米 倉氏 自身 が、 ま
た二 日目には 日色 ともゑ氏が出演 して くだ さ るこ とにこの上 ない喜 び を感 じてい ます。 日本の楽器 で たが く音 の絵 本
として大 人 か ら子供 まで楽 しめ るコ ンサー トになれば と念願 してい ます。
日本音楽集 団 の今後 の一つ の大 きな課題 に、歌 や語 うな どの 「声Jを 伴 な った作 湿1の 開拓 が あ ります。 そのた めに
は、種 々 な問題 を乗 り越 えなければな りませんが 従来 の型や様 式 に とらわれず に また失敗 を恐 れず に今後 も冒険
を続 けよ う と思 つて い ます。
に した今 回の体験 が 集団の今後 の活動 の幅 を広 げて くれ
しヽ
作 出 した内田 とも子、秋 岸寛 久 をは じめ若手団員 を中′
るこ とを大 いに期 待 して い ます。
田 村
拓 男
め るへん
ほうきばしとチョコ レッ ト
――――
階垣 足 穂「 チ ョ コ レ ッ トJよ り
不
とで も不思議 な思 い
(初 演 )
大橋 喜―
内田 とも子
作
作
曲
大 橋 喜 一
「民藝」
(劇 団
)
稲垣足穂 とい う不思議 な作家 が いて、 い まか ら65年 前 の1922年
に「チ ョコレ ッ ト」 とい う童話 を書 いた。足穂先生 よ り17才 若 い
私 が 50年 以上 た って この童 話 をよんで それ に魅 せ られ、芝居
に した い と考 えつづ けた。
その私 の もや もや を現 実化 したのが演 出家の高橋清祐 君だ。若
い俳優 の訓練用 とい うこ と
私 は戯曲 「ほ うきぼ しとチ ョコン
ッ ト」 を書 きあげた。
高橋君 が どの ように して作 曲家 の内田 とも子さん と、 このメル
ヘ ンにつ いて話合 い を したか私 は知 らない。私 はあ る とき高橋 若
が持参 したテープで、打楽器 を主体 とした内田 さん作曲 にな る音
楽 を きいて 思 わず ひ き込 まれて いった。 昔楽劇 なんて ものの経
験 は まつた くな いの だが、私 は この戯曲 の音楽康1台 本化 を引 き受
けた。
音楽劇 の もつ とも中心 的 な作者 は作曲家 であ って、台本作 者 は
その一歩 うしろ にあ るべ きだ と思 つてい る。
この 本の主 人公の ひ とり、妖精 の ロビン グ ッ ドフェ ロウは、
視覚 的存在で はな く、音 として存在 し、舞 台を支配 す る。 これは
まさに音楽濠1に してのみ可能 な奇抜 な表現 だ。
こ うして足穂 先生 に発す る ところの幻想が、65年 の年 月を経 て
舞 台 に華咲 く。
な にか、 とで も不思議 な思 いが します。
t‐
構成 。
演出
照
明
指
揮
高 橋 清 祐 (劇 団「民藝」
)
山
中
功
高橋 明邦
│11ヒ 昌子
新り
合 唱指導
ア リ ス 3
か し屋 の 親方
あ
る
男
あ
る
女
ロ ビ ン (笛 )
八 I
尺
尺
三
八
H
絃
琵
琶
二 十 絃 ]
二 十 絃 II
十
七
絃
打
楽
器
子 子美美 丞康 子平康 也 子子 えな代 丞
ア リ ス 1
ア リ ス 2
宮 久 山 山望藤 ■西藤 水 工坂花中 福 望
ポ ン ピ イ
m﹄ ﹄ ]¨峰 ﹄[峙 ﹄﹄ [﹄ 蒻 嚇睾峙
語 り・ 演 奏
21日
坂 田 美 子
福 井 久 代
中野 は るな
工 藤 哲 子
望 月太 喜之丞
素 川 欣 也
田 中悠 美 子
竹 井
誠
浩
米 澤
素 川 欣 也
田 中悠 美 子
山 田 まゆ 美
花房 は るた
山 田 明 美
久 東 寿 子
望 月大 喜之丞
め るへ んの世 界
内 田 と も子
このお話 は、 ポ ン ピイ とい う男 の子 と、彼 が 出会 った妖精一 ロ
ビン・ グ ッ ドフェ ロウの話です。
今 は妖精 をや めては うき星 にな つた とい うロビン……本 当で し
よフカ'?
色 々 と不思議 な こ とも起 こ ります。
ロビンは もともと妖精 です か ら、人間 とは ちよっ と違 う言葉 を
話 します。 その ロ ビンの話 を ここで は笛で表現 して い ます。 それ
を私達 に伝 えて くれ るのは、 ポ ン ピイ と二人の ア リス達 です。 つ
ま り、彼 らは ロビン と私達 の間 をつ な ぐ通訳みた いな ものです。
で も、 もしか した ら、み なさんの 中 には、 ポ ンピイや ア リス達
みたいに ロビンの言 葉 が わか って しまう人 もい らつ しゃ るか も
しれ ませんね。
a
多 毛 留 にけ
ア国際児童図書 グラフ ィック大賞受0
纂響
演
絵
。 文
作
曲
照
明
指
揮
)
高 橋 清 祐 (劇 団「民藝」
功
中 山
高橋 明邦
十 七 絃
誠 浩 也 え美 子 子 美 丞
二 十絃 II
中
峰
嘲
¨
一
¨
¨
澤
井
弓
琵
琶
二 十舷 I
日 色 と も ゑ (奢 演 )
竹 米 素 花 山 久 田 山 望
胡
I
21日
(客 演 )
平康 也 え子を代 子丞
lI
米 倉斉加年
西藤 水花 坂中福宮 望
笛
尺 八
尺 八
摯
峰
囀
﹄
峙
﹄
﹄
¨
﹄
奎¨ 演
20日
り
奏
)
米倉斉加年
秋岸 寛久
構 成・演 出
米 倉 斉 加 年
多 毛 留
(初
打 楽 器
私 は福 岡の生 まれです
玄海灘 の む こ うは朝 鮮です
小 さい時 か ら朝鮮 を知 ってい ます
い ま私 には た くさんの朝鮮 人の友だ ちが い ます
朝鮮 は とな りの国です
日本 とはなが いなが いつ きあ いの歴 史 が あ ります
その こ とを子 どもた ちに伝 えた い と思 つて
絵 本 をつ くりました
この話 は 私の まった くのつ くり話です 原話 原本はあ りません
八年 くらい前 に 度 雑誌 「未来」 に発表 した もので す
1976年 9月 7日
(借 成社版 「多毛 留 Jよ り)
「 多毛 留」の作 曲 にあた つ て
秋岸 寛久
この 「多毛留 Jと い う絵本 は読 み返 すたびにい ろ い ろなイメー
ジが ひろが つて、奥 の深 さ スケール の大 きさを感 じます が、 そ
の分 、音 を付 けるの はたいへ ん な作業で した。音です べ てを語 ろ
う とせ ず、語 うと映像 と音楽 が対等 の立 場で一 つ の H「 界 を築 くよ
う考 えて作 りました。
今 回 の 客演 者
「民藝」
米倉斉加年 仰 団
)
(1月 20曰 く水 〉)
日色 と もゑ 側 団「民藝J)
木〉
(1月 21曰 く
)
「音」と
「言葉」
高 橋
清 祐
に直接 、働 きか けて来 る感動 が あ る。特 に邦楽 の場合、 その共鳴 は深 い。 それ どころか、 自分 の
音 楽 を聴 くと、′
じヽ
魂 の故里 とい うか過去 にまで逆昇 って母 の胸 に抱 か れて居 た頃 の ぬ くもりと抱擁 力 を想 い起 こされ る。や は , 日本
の音だ と思 う。
いつ も客席 に坐 つて単 な る受 け手 に過 ぎなか つたのだが、 日本音楽集団 の 誘 いがあ って、倉Jり 手 の 員 として参
加 させ て頂 いた。
二 つ の作品 とも、「言葉J力 'あ る。「言葉」 とい う音 と、音楽 とを対等 に組 み合せ るこ とに よって、 よ り具体 的 に「音J
の表現 力の深 さを、力強 さを、 そ して魅 力 をり き出 せた らと思 つてい る。実際 に倉1る 作業 に入 って思 つて居 た程、簡
単で はなか つた。 し力 し、チ ャ レン ジは続 いてい る。
3・
挙を愛するすべての人の繊細な感情 を忠 実に音 に表現す
るために、楽器 の本 質を追 求 した筆
日本音楽集団推薦
琴 先 生 わ 秦 器虐
東京都目黒区碑文谷2 19 15 TEヒ 1792)8481
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100回 定期記念シーズン
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〒 167東 京都杉 並区上荻 2-2i-25
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PHONE 03-397-2292