倉吉打吹地区の文化によるまちづくり

倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
【担当教員】
野田邦弘
長柄裕美
榎木久薫
【学生】
朝尾すみれ子
古谷真菜美
笹埜 悠
中田まり子
油本ゆみ
坪内 彩
柴田絵梨
清水智江
白川佳枝
宗田知子
田中枝里子
【調査の目的】
統的建造物群保存地区」(昭和 50 年制度制定)に指定
○鳥取県倉吉市「打吹地区」を対象とする事例研究を
され、玉川沿いの白壁土蔵群はその中心となっている。
通して、中心市街地空洞化の問題点を理解し、文化
また、使わなくなった醤油の「もろみ蔵」を改装した
による地域活性化プランを企画立案できる能力を養
商業施設「赤瓦」一号館が平成 10 年にオープンし、現
う。
在、「赤瓦」の店舗は 9 軒ある。(とっとり政策総合研
究センター調査研究報告書による)。
○調査・分析した結果を効果的に表現し、発表する方
法を身につける。
○若者の視点から同地区の活性化案を提案することを
通じて、地域の方々との交流を深める。
1.打吹地区の歴史とまちづくり
【倉吉市の歴史】
倉吉は伯耆の国府が置かれてから、鳥取県中部の政
治・経済・交通の要地として発展していた。寛永 9 年
に荒尾嵩就による統治が始まり、幕末までの 230 年間
荒尾氏により治められてきた。近世にはそれまでの城
下町としての発展は止まり、宿場町、あるいは手工業
[白壁土蔵群]
を中心とする経済都市として歩むこととなった。
私たちはまず、倉吉市が重要伝統的建造物群保存地
区(重伝建地区)に選定されるまでの歴史を、倉吉市
教育委員会文化財課長真田廣幸さんにうかがった。
【倉吉市教育委員会文化財課長 真田廣幸さんのお話
(平成 18 年 5 月 14 日)】
そもそも重要伝統的建造物群保存地区制度とは、文
化財保護法第 144 条に基づき、市町村が条例等により
決定した「伝統的建造物群保存地区」のうち、特に価
値が高いものとして国(文部科学大臣)が選定したも
のを指す。2006 年現在、全国で 78 地区が選定されて
いる。
倉吉が重要伝統的建造物群保存地区に選定されるま
今回調査した打吹地区は、倉吉駅から南西 4kmの
ところに位置する。昭和 30、40 年代は打吹地区から倉
での歴史
吉駅へ至る上井地区にショッピングセンターができる
1965 年
鳥取県より玉川の河川改修計画の立案
市民などから改修計画に反対する声
などし、とても賑わっていたが、倉吉駅の北側が郊外
化し、旧中心商店街の打吹地区は衰退し始めた。以前
1975年
文化財保護法の改正により重要伝統的建造
物群保存地区制度制定
は、商店街の近くにショッピングセンターがあったが、
1979 年 「倉吉商家街並保存対策調査」を実施
今はなくなっている。
1984 年
しかし、平成 10 年に倉吉市打吹玉川地区が「重要伝
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市・地区住民・商工会議所等の関係者により
2006 年度 地域文化調査成果報告書
という三つに分かれた。大型店にシェアを奪われたこ
「倉吉古い町並み保存会」が組織
とだけでなく、商店街の中でやる気のある人達が抜け
⇒保存会が市の補助金を受け玉川沿いの
ていったことが、商店街の衰退に一層拍車をかけたよ
土蔵修復開始
1994 年
1996 年
文化庁・鳥取県教育委員会の指導を受け、
うだ。このような状況の中で、昭和 58 年には打吹地区
伝統的保存地区決定への取り組みを開始
の商店街を活性化しようと商工会議所が中心となって
10 月「倉吉市伝統的建造物保存地区保存
「打吹街区近代化計画」策定という目標を掲げ研究を
条例」制定
していたが、地元商業者や行政の中で賛否両論があり、
12 月玉川改修問題について倉吉市関係部局
結局実現には至らなかった。
その後、平成 10 年に白壁土蔵群が「重要伝統的建造
が協議
1997 年
10 月玉川改修問題で鳥取県関係部局と合意
物群保存地区」の指定を受け整備が進んだ。そして、
1998 年
赤瓦 1, 2, 3 号館オープン
この資源を商業活動に活かそうと商工会議所青年部が
重要伝統的建造物群保存地区に選定
中心となって㈱赤瓦を設立し、現在までに赤瓦 10 号館
2003 年
白壁土蔵群周辺火災
までがオープンし、周辺にも徐々に店舗が増えてきて
2006 年
赤瓦 11 号館オープン
⇒
復旧支援活動
いるところである。
伝統的建造物群になると外観(公共的な場所から望
そして、最近の取り組みとしては、商店街にある空
見できる範囲)に対して厳しい規制がかかり、重要伝
き店舗に出店していただくため、商売を始めようとい
統的建造物群になるとさらに内装にも規制がかかる。
う民間の方に最長 1 年間入ってもらう「チャレンジシ
現状変更行為をするときは役所に届出をする義務があ
ョップ」や、平成 14 年には地域経済の活性化を促進す
るが、補助金が出たり、固定資産税が減免されたりす
るための施設「あきない中心倉」が発足したり、また
る。
福の神に会える街をテーマに仏師さんに福の神を作っ
てもらい加盟店の店先に置くなど、商店街を歩いても
らうための取り組みを行っている。
関連して、大蓮寺の福嶋照純住職にも、倉吉の歴史
についてうかがった。玉川の氾濫に伴う改修工事の動
商店街を取り巻く問題点としては、核となっている
きと、その反対運動により地域住民がこの歴史ある地
白壁土蔵群は観光という視点ではまだスポットが少な
区を守ったこと、以前の商店街の様子、昭和 59 年の
く、滞在時間が少ないこと、また多くの商店では後継
JR 倉吉線廃止に伴い徐々に商店街から人の流れが少
者が不在というのが悩みだとのことである。高齢化が
なくなってきたことなどについてお話いただいた。
(平
進んでいるため、高齢者が利用しやすい商店街作りが
成 18 年 5 月 14 日)
必要になってきており、高齢者や環境にも優しい、歩
いて暮らせる安全・安心のまちづくりが見直されてき
ている。
次に、打吹地区の商店街について倉吉商工会議所柴
田耕志さんに、また観光地としてどのような取り組み
をされているかを倉吉市産業部商工観光課の蔵求康宏
さんにうかがった。
【倉吉商工会議所 柴田耕志さんのお話(平成 18 年 6
月 24 日)】
倉吉は成徳地区を中心として、倉吉本町通り商店
街・倉吉銀座商店街・宮川町商店街の3つの商店街が
赤瓦
白壁土蔵群
主に発展していたが、現在商店街組織として残ってい
るのは倉吉銀座商店街振興組合のみである。現在の打
アーケード
吹地区の商店街は空き店舗が非常に目立っていて、倉
吉銀座商店街も客があまりこないという状況である。
* 四角い枠は重要伝統的建造物群保存地区
その理由としては、特に大型店の進出があげられ、大
(倉吉商工会議所のホームページより)
型店の進出に伴い、商店主達は、
①
大型店に入って活路を見い出す
②
倉吉駅周辺やロードサイドに出店する
(平成 18 年 5 月 14 日)】
③
商店街に留まる
谷口ジロー作『遥かな町へ』
(小学館)は倉吉の街並
【倉吉市産業部商工観光課 蔵求康宏さんのお話
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倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
みが描かれた漫画である。この漫画と観光をコラボレ
【(財)とっとり政策総合研究センターサブディレクタ
ーションさせた、作品に登場する風景を探すツアーを
ー 澤田廉路さんのお話(平成 18 年 6 月 2 日)】
企画している。観光客には探し当てた時の感動と倉吉
倉吉では中心市街地の少子高齢化が進み、衰退して
に残る古き良き時代の風情を味わっていただき、同時
いる。その対応策として「地域の見直し」
「地域の個性
に滞在時間を延長することにより地域の経済効果も狙
を引き出す」
「地域のアイデンティティの確立」が挙げ
っている。
られた。倉吉には歴史的町並みという地域資源があり、
また、南総里見八犬伝のモデルとなった里見家に関
これは倉吉の歴史・風土によって形作られた独自のも
連して、里見安房守忠義と八人の家臣のお墓がある大
のだ。それをベースに家づくり、まちづくりを考えれ
岳院と、幕府の陰謀によって国替となった里見忠義主
ば倉吉の個性ある景観が生まれ、それが倉吉のアイデ
従の人生を語る講談を観光に活かせないかということ
ンティティになる。観光客など、他者の客観的な評価
で、ツアーを企画している。このように、観光で倉吉
による「憩い・潤いがある美しい街並み」は、そこに
の魅力を分かっていただこうと様々な取り組み行って
住む地域住民にとっては気づきにくいものかもしれな
いる。
いが、快適な生活をするに相応しいものだ。いきいき
とした生活空間と歴史的町並み再生は二律背反するも
関連して、鳥取県岩美町出身の作家、尾崎翠の短編
のではなく、新しい文化は歴史的街並みからも創造さ
3 作を集めた映画「こほろぎ嬢」の撮影が 2006 年 5 月
れて、さらに新たな地域アイデンティティを生む。倉
から鳥取県内で行われた。倉吉でも豊田家住宅や飛龍
吉のもつ歴史的資産に住民が誇りを持ち、効果的に活
閣など、明治から大正時代に建てられた貴重な建築物
用していかなくてはならない。そうすることが地域の
が撮影に使われた。この映画制作の世話役として関わ
振興に繋がる。
っておられた画家の渡辺法子さんに、映画「こほろぎ
嬢」についてお話をうかがった。
「こうした建物が映画
さらに、行政だけでなく地元の方々の中にも、打吹
の中に残ることで、それを見て同じように懐かしいと
地区をより良い町にしようと様々な取り組みや活動を
感じてくれた人たちが集まってくれれば」と語ってお
されている方々がたくさんいらっしゃった。その中で
られた。(平成 18 年 5 月 14 日)
私たちは、打吹地区や白壁土蔵群、
(株)赤瓦について、
NPO 法人サカズキネットの里見泰男さん、(株)赤瓦
また、倉吉市は 2005 年の関金町との合併を機に新市
代表取締役田村幹夫さんにお話をうかがった。
ブランド化計画を策定した。そこで私たちはそのプロ
【里見泰男さん、田村幹夫さんのお話 (平成 18 年 7
デューサーに就任された福井功さんに、まちづくりに
月 1 日)】
関してのお話をうかがった。
倉吉はかつて山陰の小京都と言われるほど繁栄して
【倉吉市・新市ブランド化プロデューサー 福井功さん
いた。例えば、中国山地の豊富な砂鉄から作られた「稲
のお話 (平成 18 年 6 月 24 日)】
扱千歯(いなこきせんば)」が江戸時代の中期から後期
倉吉市は旧関金町と合併し、その新たに加わった地
にかけて全国のシェアの 8 割を占めていたことがある。
域資源を有効に活用しながら、地域の魅力を高め、交
また倉吉では災害が少なく当時の商家や白壁が残って
流人口の拡大や新しい産業の創出を図るため「倉吉市
いた。それらを活かそうと平成 4 年に研究が始まり、
ブランド化計画」を策定し、より良い地域作りを目指
平成 8 年にはさらに具体的な活動が始まった。そして
している。特に、健康的食文化の伝承と創出のため取
平成 9 年には第 3 セクターとして株式会社赤瓦が設立
り組みが始まった薬膳料理と、地域特有の伝統食・郷
された。さらに平成 10 年には赤瓦 1, 2, 3 号館がオープ
土料理の検証と創作に地域自ら積極的に取り組んでい
ンし、打吹地区は重要伝統的建造物群保存地区に選定
る。その他にも、自然を活かしたグリーンツーリズム
された。
の推進や魅力ある歴史・文化の活用、農業と商工業が
平成 12 年「伊能忠敬の足跡をたどる協議会」が設立
結びつくことで生まれる新製品の開発など様々な取り
された。倉吉には東西南北に走る街道があり、そのう
組みをしている。
ち東西の道は江戸時代から全く変わっていない。その
伊能が通った「八橋往来(やばせおうらい)
」は国交省
さらに、
(財)とっとり政策総合研究センター澤田廉
の夢街道に認定された。その後八橋往来は鳥取県の町
路さんから倉吉の歴史的町並み再生に関するお話をう
並み環境整備コンテストにも入選し、平成 16 年には
かがった。
「八橋往来まちなみ研究会」が結成されるなど、その
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2006 年度 地域文化調査成果報告書
たという良い所も悪い所も物語の中に含めて、本当の
倉吉を感じて欲しいという思いをこめて作った。
倉吉には、まちづくりを積極的に行っている NPO
の方もおられ、どのような取り組みをされているかお
話をうかがった。
【NPO 法人サカズキネット 里見泰男さんのお話 (平
成 18 年 5 月 14 日)】
サカズキネットは平成 7 年鳥取県中部地域のまちづ
くりを進めるために、任意団体として発足した。名前
の由来は、さかずきを交わしながら気楽に話し合おう
[赤瓦一号館]
ということからきている。まちづくりのプランなどを
動きは現在も続いている。
関係機関に提示しても「任意団体」という限界があり、
そのような状態を打破するために「特定非営利活動法
また、町並み保存会代表の桑田東之夫さんにもお話
をうかがった。
人サカズキネット」を平成 14 年 9 月に設立した。平成
【倉吉町並み保存会 桑田東之夫さんのお話 (平成 18
15 年にはまちづくり総合支援事業によって、打吹公園
年 6 月 24 日)】
や市街地のストリートファニチャーの整備などを行っ
土蔵の修復のために昭和 59 年に「倉吉古い町並み保
た。そして、その後もさまざまな事業を行い、
「美しい
まち並み大賞」なども受賞した。
存会」が設立されたが、昭和 62 年に土蔵の修理が終わ
まちづくり総合支援事業によるこうしたまちづくり
った時点で休眠状態に入った。しかし、平成 15 年の重
要伝統的建造物群保存地区での火災がきっかけとなり、
は、地域にこだわりながら進められている。道しるべ
保存会の建て直しが行われ、火災から半年経過した平
やベンチのようなとても細かい部分にまでも、地域に
成 15 年 10 月 13 日に、
「倉吉町並み保存会」が設立さ
ゆかりのあるものを使おうという試みがなされている。
れた。
会の趣旨は、江戸時代から受け継がれた商家の街並み、
NPO 法人未来は、地域活性化に向けてさまざまなイ
歴史的景観を保存するまちづくりを行うこと、重要伝
ベントなどを行っている。未来の岸田寛昭さんにお話
統的建造物群保存地区の歴史的景観を守り後世に継承
をうかがった。
し、活気あるまちづくりを推進することである。また、
【NPO 法人未来 岸田寛昭さんのお話 (平成 18 年 5
この火災を忘れないようにと、平成 16 年に集会機能を
月 14 日)】
岸田さんは「未来ウォーキング」の実行委員長であ
兼ね備えた防災拠点として「くら用心」もオープンし
り、NPO 法人未来は「地域と子どもの未来を創造しよ
た。
う」という基本理念のもとに約二年前に設立された。
平成 13 年に始まった日本海未来ウォークの主催を
次に、建築家の立場から打吹地区のまちづくりに関
わってこられた生田昭夫さんにお話をうかがった。
引き継ぎ、平成 16 年には韓国と友好協定を結び、お互
【建築家 生田昭夫さんのお話(平成 18 年 6 月 24 日)】
いの大会に参加し合う形で交流を続けている。他にも
町の景観というものを重要視している。改修工事の
心のふれあいプロジェクト、未来農園、福祉サービス
問題点は、改修以前は生活の知恵や匂いがまちなかに
評価事業、少年サッカー運営事業、シビックセンター
あったが、工事の後は生活感がなくなってしまう事例
たからや指定管理者事業など様々な取り組みがある。
もある。これは、まちづくりに携わる者の共通の悩み
また、中高生のボランティアが多いのも特徴で、日
ではないかと思う。
「美しさ」の概念は個人の価値観の
本海未来ウォークの説明会では約 100 人の子どもたち
違いであるため十人十色で共通したものはない。だか
にボランティアの心得を伝えた。その中で岸田さんは
らこそ話し合って、
「さぐりだしていくこと」が大切だ
「地元を愛し、誇りを持てるような町にしたいと考え
と考える。
る人を作っていくこと」が大切だと伝えている。
また、子ども達に倉吉の町のことを少しでもわかっ
てもらえるようにと「くらよしみやび」という絵本を
このようなたくさんの方々の努力によって、打吹地
製作。この絵本は、戦争・災害を経て現在の町になっ
区は今「文化のまち」として、再びにぎわいを取り戻
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倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
《店舗について》
したと私たちは感じた。どの方のお話もとても内容豊
地域でもここまで古い建物は珍しく、この店は手を
かであったが、紙面の都合上割愛せざるを得ないのが
加えずに残っている。これからもこのままで残してい
残念である。
きたいと思っている。
2.重要伝統的建造物群保存地区内の商店に
対する聞き取り調査
《店のこだわり》
もち料理をいかに新しいものとして作っていくかが
この項目では、重要伝統的建造物群内に商店を出し
大切だと思っている。お客に飽きのこない料理を提供
ておられる商店主の方への聞き取り調査の結果を述べ
すること、お客の声を聞きながら新しい料理を作るこ
る。ご協力いただいたのは以下の 7 店舗である。
とを常に考えている。
平成 18 年 7 月 1 日
《経営状況・客層》
「町屋
清水庵」
女性客が 9 割。観光客が多い。
飲食店
《後継者》
平成 18 年 8 月 7 日
店は継続させていくつもりだが後継者については自
「オークランド」
アンティーク家具
「ぎゃらりぃ
草木染
分ひとりの意見ではどうすることもできない。
「桑田醤油」
醤油屋
《まちづくりについて》
「元帥酒造」
酒屋
「サダルチョーク」
アジアン雑貨、喫茶店
り「倉吉にしかない文化」で勝負しなければ勝てない
「庭の窓」
喫茶店
と思う。例えば清水庵の料理は倉吉にしかない、それ
和」
いいものは今も残っている。その「いいもの」
、つま
が最大の武器だ。
【町屋
まちづくりで難しいのは調和を取ることで、上手く
清水庵】
いっているところは「音頭とり」がしっかりみんなを
まとめている。いろいろなもの(観光スポット)がで
きてもつながりがなければ意味がない。何かきっかけ
があれば町は変わる。倉吉はもう準備はできていて、
ここまでくればあとは早い。あとは軌道に乗るだけだ
と思う。やる気のある人が集まれば倉吉は小さい町だ
からすぐに発展する。
【オークランド】
(清水庵ホームページより)
〈職種・業種〉
飲食店
〈取材対象者〉
清水栄一さん
〈取材日〉
平成 18 年 7 月 1 日
5 年前に全国初の「もちしゃぶ」を提供する食事処
としてオープン。
「飽きのこない料理」を提供し続ける
ために商品の開発、改良に力を入れている。
《店を始めた経緯》
大正初期に米屋として建築された建物を 7 年前に購
入。その保存状態の良さに「壊すのがもったいない」
〈職種・業種〉
ヨーロッパアンティーク家具販売
〈取材対象者〉
本内
〈取材日〉
平成 18 年 8 月 7 日
宏さん
と思い、改修だけにとどめる。改修工事終了後、塾を
主にイギリスより、アンティークの家具、インテリ
開こうかと悩んだが、食事処として利用することに決
ア用品を中心に、陶磁器、ガラス工芸品、アクセサリ
める。はじめは定食も考えたが、口コミでもち料理が
ー等の小物も含めて直輸入して販売している。年に数
人気になり、結果的に現在の形態となった。
回、ヨーロッパへ買い付けに出かけている。
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2006 年度 地域文化調査成果報告書
人達が活躍した時代の、手仕事の魅力と伝統美を後世
に伝えたい。 本物は世の東西を問わず、時代を超越し
《店を始めた経緯》
先代が、倉吉市内の家具屋の三男として家業を支え
てその評価と魅力が益々高まるもの。良いものを末永
ながら、1947 年、家具製造兼小売店を近隣の町内で独
く愛用していくことが、省資源社会に適応し、環境に
立創業。 現オーナーは、二男として、1970 年より家
優しく、心の豊かさと安寧な生活に寄与するものと確
業の発展に尽力しながら、1992 年アンティーク家具シ
信している。
ョップを独資で創業し今日に至る。 1950 年代末頃、
《経営状況・客層》
お客様にリピーターになっていただける様、コミュ
初めて木工機械が輸入され、伝統的な職人による手仕
事から、欧米を模範とする機械化へ移行。1970 年代、
ニケーションとアフターケアを大切にしている。いろ
団塊世代の結婚適齢期到来と同時に、日本の生活スタ
いろな趣味に興味ある人、主に知的な中高年の女性客
イルが西洋化され、洋家具の需要が急増する。1972 年
を対象にしている。市外、県外からの根強いファンや
の工場建設を契機に、欧米の家具の流行や生産方式を
リピーターが 8 割程。平日や冬期でも観光客が増え、
学ぶため、アメリカをはじめ、フランス、ドイツ、イ
年間の来客数が平均化しつつある。新聞、雑誌等から、
タリア、イギリスへ渡航。家具展示会や、工場見学、
年 2~3 回の取材を受けている。
研究所、博物館等数多く出かける。1980 年代、日本の
《後継者》
経済成長により、安価な合板の量産家具から無垢板使
長男が店を継ぐために、現在、一緒に働いている。
用の高級家具へと需要が移行。1990 年代初頭、バブル
《まちづくりについて》
経済が崩壊し、価格破壊が起きて安価な家具や機能性
行政の支援もあり、各団体の活動や個人の意識が
重視の中級家具か、伝統と技術を生かした本物の高級
徐々に高まり、町の景観に倉吉らしさが出てきた。行
家具を生産するかの二極に分かれた。オークランドで
政側の建設、文化財、観光の各課の更なる連携でより
は、伝統工芸の技術を見直し、より一層高級な本物の
大きな成果が生まれる。各団体と周辺の商業者や住民
洋家具を製作する道を選んだ。1991 年ヨーロッパの伝
とのコミュニケーションを計り、情報が共有される事
統技術を修得するための方策として、本場の良質なア
が大切。各団体間で横の繋がりが生まれてくれば、全
ンティーク家具を購入する事にした。1992 年修理した
国的にも面白く、魅力ある町になるのではないだろう
アンティーク家具と、自社生産の高級家具を展示販売
か。一過性のイベントに頼らず、リピーターを育てて
する目的と、消費者のニーズと住宅の現状を把握する
いく事を重点に検討しては。
ための、アンテナショップとしてオークランドを開業
《倉吉の魅力》
した。
静かな町で、完成されてはいないが「観光ずれ」し
《店舗について》
ておらず、住民に人情が感じられ、家並みが昔のまま
重要伝統的建造物群保存地区にある、明治 22 年建築
の姿で残されている所が良い。建物の改修には、その
の倉吉の旧有力商家の家屋。1965 年頃、父の代に空家
場所の歴史的背景を充分配慮して、できる限り昔の手
となっていた隣屋を入手し、簡易改修を行って家具店
法で行うことが大切だと思う。店のジャンルを越えて、
兼住宅として使用。1975 年店舗の移転により空き店舗
お客様を紹介することがある。人と人との繋がりがあ
となる。一部を住宅として使用。1992 年アンティーク
るところに倉吉の良さがあると思う。
家具の店舗として使用開始する。2004, 2005 年度にか
けて重要伝統的建造物としての補助金を活用して、外
【ギャラリー
観の復元修復を行う。耐震補強、店舗と住宅の改修も
する。元の建物を熟知して、元の姿に相応しくかつ、
必要以上に手を加えていないことが、人に深い感動を
与えるものと確信している。
《店のこだわり》
明治時代に建てられた倉吉の優良伝統的建築を生か
しながら、その建物にマッチするイギリスの優良アン
ティーク家具やインテリア小物類を分かり易く展示し、
多くの方に本物の良さに触れて理解を深めていただき
たいと考えている。資源が豊富にあった昔、優れた職
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和(なごみ)】
倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
〈職種・業種〉
草木染作品展示販売・喫茶
〈取材対象者〉
山根
〈取材日〉
平成 18 年 8 月 7 日
倉吉の街並みと、「古いもの」を保存しようとする
人々の想いが一番の魅力。
和子さん
【桑田醤油】
倉吉では唯一「地元の植物を使った草木染」の作品
の展示販売をしているギャラリー。
《店を始めた経緯》
1999 年 4 月より営業を始め、2006 年の時点で創業 8
年目。オープンした初めの 5 年間は赤瓦一号館で営業
していたが、
「赤瓦だと、自由に店づくりができない。
もっと自分の思うような店づくりをしたい」という思
いから、今の店へと新装オープンした。
《店舗について》
現在店舗として使用している建物は、以前は銀行で
あったため、その名残を感じる情緒ある建物である。
《店のこだわり》
地元の植物を使った草木染で作品を作っていること、
〈職種・業種〉
醤油の製造販売
お店は草木染の仲間たちで運営していること。また、
〈取材対象者〉
桑田
お店の所在地が観光地の中ではあるが、地元の人に愛
〈取材日〉
平成 18 年 8 月 7 日
されるものづくりをすることにこだわりを持っている。
《経営状況・客層》
東之夫さん
重伝建地区とアーケード商店街の境にある老舗の醤
油屋。醤油アイスクリームが観光客に人気がある。
良くもなく悪くもなく経営していける状態である。
お店自体が採算をさほど重視しておらず、商売として
《店を始めた経緯》
成り立っているわけではないが、観光客に喜んでもら
もとは市内の別の場所でろうそく屋をしていたが、
うため、また地元の人が輝く場となるための一つの手
明治 10 年に現在の場所に移り醤油の製造販売を始め
段としての店であると認識している。最近は少しずつ
た。呉服も商っていた。現在 5 代目。
売り上げが伸びているのも事実。客層は、観光客と地
《店舗について》
元の人が半々くらいであり、一番良い状態。
大正 3~5 年頃、倉吉の大工に京都で宮大工の修業を
《後継者》
積ませ、改築をした。京の一文字瓦を使った京風の建
スタッフが元気なうちはもちろん続けていくし、お
物にした。今ではあまりない材木を使っている。間口
店に全く関係のない他の人でも「やりたい」という思
が広いのが特徴。
いを持つ人がいれば、ずっと続けてもらいたいという
《店のこだわり》
希望は持っている。
現在この業種は斜陽産業で需要が減っている。しか
《まちづくりについて》
し高級志向が広まっているので、味を大事にして多少
町の人たちがもっと連携をするために話し合いの場
高くても昔ながらのものを提供したい。町の中に醤油
をもっと設けるべき。この町を「観光地」として新し
屋があるのも珍しい。醤油を使った製品も作っている
く開発していくのではなく、元々倉吉にあった「古い
が、インターネットや口コミで評判が伝わった。県外
もの」を使って活性化を目指すことは良い考えだと思
から訪れる客も増えている。
っている。実際、
「お店が好きだから」という理由でこ
《経営状況・客層》
の店のためだけに倉吉に来られるお客さんがいて、お
客層は、県外と県内の客が半々。おみやげに買って
店としてはすごく嬉しいことであるが、地域活性化と
いく客や常連客もいる。インターネットで通信販売も
いう観点から見れば、
「観光地としての倉吉」の魅力が
行っている。客層を絞り、時代にあった商売方法をす
まだまだお客さんに伝わっていないのではないかと思
べきだと思う。
う。
《後継者》
《倉吉の魅力》
子どもが倉吉に帰って来てくれれば店を残したい。
- 23 -
2006 年度 地域文化調査成果報告書
人が多いがその一方で本物にこだわる人もいる。だか
《まちづくりについて》
らこそ、本物をそろえることは重要。本物がそろって
アーケードで分断されている。こちら側はアーケー
ドがなかったから重伝建地区になった。個性のある店
いる町を作ることが大切。
がもっと増えれば、自然にお客が来る。店を維持して
《倉吉の魅力》
おだやかさ。ゆとり。心を癒す。都会に住んでいる
いける程度収入をあげながら、倉吉の観光に貢献して
いきたい。
人がゆっくりできる場所。都会の人はストレスの中で
《倉吉の魅力》
暮らしている。それを癒して「また頑張ろう」と思わ
せる場所。
いい風がとおる静かな町。静けさを求めて来る客も
いる。このあたりは売らず、壊さず、貸さずというこ
とをみなが守ってきたので、古い建物が残っていると
思う。
【元帥酒造】
〈職種・業種〉
酒の醸造・販売
〈取材対象者〉
倉都
〈取材日〉
平成 18 年 8 月 7 日
祥行さん
地元の材料、昔ながらの製造法にこだわっている老
舗の造り酒屋。
《店を始めた経緯》
幕末の嘉永年間創業。現在 5 代目。明治末期までは
「旭正宗」の酒名だったが、東郷平八郎海軍大将のご
【サダルチョーク】
来倉に因み、大正初期「元帥」と改名した。
〈職種・業種〉
喫茶店・雑貨屋
〈取材対象者〉
森本
〈取材日〉
平成 18 年 8 月 7 日
*元帥の名前の由来
明治 40 年 5 月東宮殿下(後の大正天皇)が山陰地方行
恭之介 さん
1階がエスニック雑貨店、2階が喫茶店。品物は現
啓のときに倉吉にも宿泊された。そのときに東郷平八郎海
軍大将が随行した。大正2年東郷大将が元帥になったとき、
地に直接買い付けに行く。素材からこだわったものを
「元帥」と酒銘をかえた。商標登録は大正年間。
提供している。
《店舗について》
建物は明治初めに建て直してからそのまま。2003 年
の火事のときはほぼ全焼だった。梁だけが無事だった
ので、それをもとに復元した。
《店のこだわり》
地元の米、地元の水(大岳院の水、天女の井戸)にこ
だわった地酒を目指す。街並みの景観も大切にしたい。
《経営状況・客層》
客層は、観光客:地元は6:4。県外などに商品を
出せるよう努力している。
《後継者》
後継者(娘、息子)はいるが、若い時をどのように
生きるかは本人次第。
《まちづくりについて》
お祭りもいいが、お祭りは一過性なので人が来てよ
かったと思われるような土台を作らなければならない。
《店を始めた経緯》
観光客は水商売のようなもの。いつ来るかわからない
大学中退後、長野県の松本という文化的な町で暮ら
ので安定した収入が難しい。今は安いものに飛びつく
し、そこでの人々との出会いから店を始めるイメージ
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倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
《倉吉の魅力》
ができた。現在の店舗となっている蔵を改装し、プロ
のみのライブハウスをオープンした。インドへの旅を
倉吉の古い建物の中身は、外見以上の魅力があると
きっかけに海外と倉吉を行ったり来たりしながら 10
いうことと、外見の質素な部分をもっとPRすべきで
年ほど経営を続けた。その後、それまで旅の経験を活
ある。また倉吉の町は、江戸時代の士農工商の「農」
かして、ライブハウスの蔵とは別の車庫を大改装して
と「工」の位置にあり、とてもよいものを持っていて、
エスニック系の店をはじめ、大成功を収めた。ライブ
それは一般的には「ださい」ものであるが、その中に
ハウスを閉店して 3 年後くらいに重伝建地区の指定に
あるよさをいかに認識できるかということも重要なこ
伴う建物の改装の話があり、蔵をその第一事業として
とである。
大改装し、7 年前に現在の店舗をオープンした。ライ
ブハウス時代から数えて創業 31 年、現在一代目である。
【庭の窓】
《店のこだわり》
まちづくりに対して客観的にみること、また他では
ないものを提供することが大切。蔵が昭和 10 年の建物
であるので、それをコンセプトとした内装になってい
ること。
《経営状況・客層》
この業界の中ではよく健闘していると思う。米子・
鳥取・松江などから観光気分で来る客が多く、若者か
ら高齢の方までと年齢層も幅広い。
《後継者》
海外への買い付けは自分自身が行き、店舗の経営は
誰か若い世代へと継いでいきたいと考えている。
〈職種・業種〉
喫茶店
《まちづくりについて》
〈取材対象者〉
倉繁朝治さん
〈取材日〉
平成 18 年 8 月 7 日
現在は行政中心だが民間中心に、それも 20 代がやっ
ていくほうが面白みが増す。また、予算などを気にし
美しい中庭を眺めることができる喫茶店
ないなど、あえてリスクを負い命がけでやっていこう
と思うことが重要である。それこそが力であり活性化
《店を始めた経緯》
といえる。行政は頑張っていると思うし、これからも
昔は洋品店を経営していた。その頃は商店街もにぎ
協力していきたいと思うが、行政がまちづくりをしよ
やかだったが、人通りが少なくなったことと、庭の風
うとするきっかけとなり、それを民間がどう受け取る
景がよいことから、喫茶店にかえた。1954 年より洋品
のかが大事である。現在は土曜夜市をやっているよう
店の経営を始め、創業 52 年となり、現在 1 代目。
な、一発的な感じを受ける。継続していく意識でない
《店舗について》
といけない。日々の暮らしは平日であるから、土日だ
店名にもあるように、庭に一番のこだわりを感じて
けでなく平日も活気づけるべきである。自分の店は、
いる。庭のある店内の雰囲気に、
「とても安らぐ」とい
まちづくりに関して周辺の店舗と特に連携はしていな
うお客さんの声を聞くことができる。
い。観光地化されることによって失われるものもあり、
《経営状況・客層》
手放しに喜ぶこともできない。少し距離をおいて独自
どうにかやっていける状態。客層は観光客の中高年
の店のスタイルでやっていくことも大事である。打吹
が多く、年々、観光客が増えつつあるようだ。
地区商店街も、全国と共通する問題を持っている。ま
《後継者》
た、打吹地区は現在の町の中心から切り離されている
現在後継者はおらず、今後この店をどう続けていく
と感じることもある。打吹地区が博物館化されていて、
かは今のところ分からない。
生活感がないことも問題である。
《まちづくりについて》
倉吉はとてもよい町であるが、のんびりとした雰囲
観光客を呼び込むために、もっと観光に力を入れる
気がよすぎて人々が育たないと思う。そこにどうやっ
べき。また、商店街内の空き店舗が多いことも問題で
て刺激を与えていくのかが、町の活性化へのポイント
ある。行政はまちづくりに関して積極的に取り組んで
であると思う。
いるのでとてもよいと思う。まちづくりへの意識は、
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2006 年度 地域文化調査成果報告書
高齢者の場合どうしても消極的になりがちである。
《倉吉の魅力》
自然に恵まれていること、古い街並み、観光遺産が
ある。
どの店主の方も、建物に対する愛着、商品に対する
こだわりなど、
「倉吉にしかない文化」を強調されてお
り、倉吉に少しでも貢献できればという気持ちを持っ
ておられた。このような意識がさらに広がることが、
町のより一層の活性化につながるのではないだろうか
と感じた。
・店のチラシ置き、紹介等
3.本町通商店街に対する聞き取り調査
・業種の性格上、他店との交流は盛ん
この項目では本町通商店街(アーケード商店街)の
③客層
商店主の方への聞き取り調査の結果を述べる。ご協力
・地元の中高生とその保護者
いただいたのは以下の 10 店舗である。
・地元の 50~60 代の方
平成 18 年 7 月 1 日(調査日)
・ほとんど地元客で、観光客は稀
「高田酒造」
造り酒屋
「山陰民具」
骨董屋
・ほぼ観光客
・3 分の 2 が地元外の客、年齢層は幅広い
(アーケード商店街に隣接する西岩倉町に位置する)
④経営状況*
平成 18 年 8 月 7 日
・優(1)
「nevica」
喫茶・ジェラート
・移転(1)
洋食店
「徳岡茶舗」
茶・茶道具店
「ノグチ洋装店」
洋装店
「まきた旅館」
旅館
「マルイスポーツ」
スポーツ用品店
「三谷履物店」
履物店
「山田呉服店」
呉服店
・不可(3)
・未定(4)
・閉店(1)
・未定(4)
・なし(3)
⑤お店の将来*
平成 18 年 9 月 29 日
「あかね屋」
・可(5)
⑥後継者*
・あり(1)
*(
)の中の数字は店舗数
①の質問に対して「誇りがある」と回答された商店
主の方もおられたが、半数以上の店舗が特別なこだわ
りはない、または代々この町で商店を行っていたから
との回答だった。
調査項目は「商店に関する質問」と「まちづくりに
②の質問に対して、商店街は競争の場であるためと
関する質問」からなり、調査方法は、調査票へ記入方
いう回答が物語るように連携があると回答したお店は
式を取った。
3 店舗のみだった。
「連携がある」と答えられたお店で
は、「助け合い」という言葉が聞かれた。
【商店に関する質問】
③については店によって大きく回答が異なるが、観
①なぜ倉吉なのか、この土地にこだわりはあるのか
光客の足が商店街まで伸びていないことがうかがえる。
・特別なこだわりはない
④についてはうまくいっていると答えられたお店が
・家がここにあり代々長男が家を守ってきたから
ある一方で、ほとんどの店がなんとかやっている状態
・住みやすくゆとりがあるから
と答えられた。これについては、人通りが少ない上に
・この土地に誇りがあるから
駐車場のスペースも少ないという意見や大型店に影響
②店同士の連携はあるのか
されているという意見があった。
・特になし
⑤では「継続」と回答された店舗は一店舗もなく、
・商店街は競争の場であるため、なし
「未定」もしくは「閉店」という回答だった。これに
・商店同士のグループ等を結成し客寄せの努力をし
は⑥の「後継者」が関っており、後継者がいない場合
ている
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倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
や、いてもお店を継がせるより今の仕事を続けさせて
ことへの不安を多くの方が答えられた。この問題点は
いたほうが収入も安定し、暮らしやすいという理由か
上記の≪商店に関する質問≫項目⑤のお店の将来と深
らだった。駐車場や下水が整備されていないという理
く関っており、駐車場の問題や大型店の進出など「移
由から移転を予定している店舗も 1 店舗あった。商売
転」
「閉店」の理由がここでも挙げられた。また空き店
を行いやすい環境の整備も必要であると感じた。
舗の問題は、借りたい人はいるのに借りることができ
ないとの回答だったので、商店街の活性化という点で
もったいないと思った。中には問題は無いと回答され
【まちづくりに関する質問】
た方もいた。
①打吹地区商店街にはどんな問題があるか
②については、一部の人が頑張っているという回答
・高齢化及び後継者不足
・駐車場が少ない
が目立った。そしてまちづくりに関心はないし、そう
・空店舗を有効活用できていない
簡単にどうなるものでもないという意見の方が多数お
・人間が閉鎖的である
られた。商店主間の意識の差が大きいということがわ
・商店街でにぎわいを取り戻すというのは時代に合
かった。
③については、試みはしているようだが、成果が無
わないし、無理がある
いなどの辛口の評価が多かったが、中には店のことを
②住民のまちづくりへの意識は?
・一部の人が積極的に活動している
考えていてくれてありがたいといった声や、若い人が
・無関心な人が多く、あきらめている
がんばっているといった肯定的な評価もあった。
・白壁土蔵群周辺のような住民意識の盛り上がりが
④については、観光地とはいえないが、これからは
ない
観光地として恥じないようにしなければいけないとい
③行政の取り組みへの評価
った意見も見られたが、白壁土蔵群側だけの出来事と
・町だけではできないことをしてもらえるのはあり
して捉えている人や、リピーターにならないから意味
がたい
がないのではないかといった意見が多かった。
・成果があがっていない
⑤については、人柄がいい、落ち着いて昔ながらの
・批判もあるようだが若い人が頑張っていて良い
暮らしが残っているといった意見が多数だった。中に
・文化程度が低い、話にならない
は考えたことはない、住んでいるとわからないといっ
・対応がよくなった、住民の意見を取り上げてくれ
た声もあった。その他に人と人との関係が狭いことが
るようになった
魅力であるという回答もあったが、時には閉鎖的過ぎ
④観光の町として注目されていることについて
るように感じることもあるということだった。
・観光地とは言えない
⑥の質問には、悩まれる方が多く、特にないという
・白壁土蔵群周辺には観光客が増加している
意見が一番多かったが、若い視点からの意見を言って
・再度訪れる人はあまりいないと思う
ほしい、指摘をしてほしいといった意見や、住民や大
・非常にいいと思う。
学生に倉吉および山陰の歴史を教育し、その上でまち
⑤倉吉の魅力は何か
づくりについて考えて欲しいなどの意見があった。
・人柄が穏やかなので安心して商売ができる
以上のようなアンケート結果から重伝建群側とアー
・住みやすい、落ち着いている
ケード商店街側の意識の違いが見えてきた。商店街の
・いい意味で人と人との関係が狭い
店主の方々には、まちづくりやお店の経営に対してあ
・考えたこともない
まり積極的でない方が多いという印象を受けた。そし
・わからない
て、町の活性化のためには環境整備の問題もあると思
・時間がゆっくり流れている、昔ながらの暮らしが
った。
残っていて、周りで助け合いがある
4.白壁土蔵群周辺に対する提案
⑥大学に期待することはあるか
・若い視点から、住民には気がつかない部分を指摘
これまでの白壁土蔵群周辺の調査を通じて気がつい
し、おもしろいことをしてほしい
たことを 9 つの項目に分類し、それに対しての学生の
・最初に町の歴史的な背景を勉強して欲しい
提案を紹介する。
①の質問については、高齢化問題と後継者がいない
【町全体について】
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2006 年度 地域文化調査成果報告書
・活気があまり感じられない
・歩きながら食べられるものが少ない
・観光地の中に児童公園があるが、普段は活用されて
《提案》
・食のみのガイドマップを作る
いない
・気軽に休憩できる場所が少ない
・名物の食べ物を作る(甘味、赤瓦ラーメンなど)
《提案》
・飲食店をふやす
・観光客への挨拶や呼び込みを行う
・団子、ミニたい焼き、焼饅頭など片手で食べられる
ものをばら売りにする
・観光客も公園を利用できるよう、休憩スペースを設
ける
*甘味の提案
・京風のベンチを設置することにより、情緒ある休憩
学生が甘味として考えた「赤瓦パフェ」を紹介す
スペースを確保する
る。赤瓦パフェは抹茶風味で倉吉名物の打吹公園団
子が入っている。お土産として売っている赤瓦せん
べいをのせる。値段はお手ごろに 350 円程度。お土
産品をのせることでお土産の PR にもなる。
[イメージ図]
【観光案内について】
・わかりづらい地図がある
・海外からの観光客はガイドマップが読めない
・案内所に入りにくい雰囲気がある
[イメージ図]
・買い物をすると荷物が増え、歩きにくい
・長時間歩き回るのは疲れる
【トイレについて】
《提案》
・トイレが少ない
・わかりやすい地図を作成する(写真、目印になるも
・トイレの位置がわかりにくい
のをもっと載せる)
《提案》
・中国語・韓国語のガイドマップを作る
・公衆トイレをふやす
・カイドが町を案内する
・案内看板の増設
・お荷物預かり所を作る
*観光バスの運転手さんによると、海外からのお客さんも
・人力車で町を案内する
増えているため、誰でも見つけられるトイレにしたほう
がよい、とのことだった
【商店について】
・商店と民家の区別がつきにくい
【交通について】
・外観だけでは何の店かが分かりにくい
・倉吉駅から白壁土蔵群までのバス運賃が高く、バス
・閉店時間が早すぎる(17 時閉店が多い)
停も分かりにくい
《提案》
・駐車場が少なく、場所が分かりにくい
・看板などでアピールする
・車が頻繁に通るのでゆっくり観光できない
・店内の写真やおすすめ商品を載せたマップを作る
《提案》
・営業時間を延長する
・100 円バス導入(例:鳥取市のくる梨)
・駐車場の増加と駐車場案内の工夫
【食事について】
・歩行者天国にする
・銘菓、名物料理がどういうものか分かりづらい
・飲食店が少ない、学生には単価が高い
【イベントについの提案】
- 28 -
倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
キャラクター例2
○イルミネーション関連のイベント
・キャンドルナイト
左は「赤瓦ちゃん」右は「白壁くん」
・白壁土蔵群周辺を赤と白のイルミネーションで飾る
・季節ごとのイルミネーションを充実させる
(例:夏はちょうちん、冬は雪像等)
・
白壁をライトアップする
○その他のイベント
・コンサートの定期的な開催(三味線大会など)
・大道芸の開催
・倉吉だけがロケ地の映画 or ドラマの制作
・鎧・着物を着て大岳院で記念撮影し、八犬伝の講談
白壁君は打吹公園団子を配る
を聞く
両方とも白壁土蔵群内を歩き回り、白壁君は愛想がよ
・赤瓦の店の中にペンでメッセージを書くスペースを
く写真にも応じるが、赤瓦ちゃんは逃げ回るため写真
設置する
に撮るのがむずかしい、という性格の違いがある。
・玉川で子ども限定のボート体験
・食べ物関連(デザート王座決定戦・そうめん流し・
【その他】
食べ歩きツアー・合言葉でお菓子プレゼント)
・広報活動を活発に行う(テレビなど)
・シニア向けのなつかし料理でリピーターを増やす
○白壁土蔵群内にこんなものがほしい
・鯉の餌の無人販売
・温泉または足湯
・スタンプラリーの魅力増加
・美術館・ギャラリー
例:全部集めると景品がもらえる
・おみやげとしてミニチュア福の神
スタンプの絵柄は名物お菓子やキャラクター
・赤瓦風コンビニエンスストア
グッズ
・赤瓦の雑誌(割引クーポン付き)
5.本町通商店街に対する提案
・白壁土蔵群のキャラクター
私たちは本町通商店街(アーケード商店街)を訪れ、
キャラクター例1
商店街の印象と問題点について話し合った。聞き取り
調査の結果もふまえ、活性化のための提案をまとめた。
手には打吹公園団子
猫モデル
風船を配る
道案内役にもなる
【アーケード商店街の印象】
静まり返っており、そのため商店街に長く滞在しづ
らいという意見が多く出された。また、商店街の中を
車が通行するのは危険であるといった意見や、交通の
便が悪いなどの意見も出された。
店舗については、何を扱っている店なのかわかりに
くい店や、営業しているのかどうかわかりにくい店が
多いとの声があった。また、店に入りづらいという意
見も出た。
【アーケード撤去について】
アーケードの撤去については、商店街の方々も話し
合われている重要な問題である。このアーケード撤去
問題についての学生たちの意見をまとめる。
アーケード撤去に賛成する意見
・アーケードがあることによって商店街の雰囲気が暗
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2006 年度 地域文化調査成果報告書
野菜売り場や広い休憩スペースを有したお年寄向
くなっている
・古いので危険なのではないか
けのコンビニエンスストアを作る、朝市を開催するな
・観光地として観光客を呼び込みたいのならば、アー
ど、お年寄りが暮らしやすくまた気軽に集える場所と
しての商店街を目指していく。
ケードは外し、重伝建群側と雰囲気の統一を図るべ
きではないか
(3)商店街のイメージを変える
アーケード撤去に反対する意見
・今のままでは暗いが、アーケード内をイルミネーシ
商店街に明るいイメージを作る案として、倉吉絣の
ョンで飾る、花を並べるなどの工夫で明るい雰囲気
暖簾や木彫りの看板で町の雰囲気作りをすることに
を作りアーケードを活かしていくべきである
よって、町に統一した印象を作る。5mごとに仏像を
・今のアーケードは老朽化し危険であるので撤去し、
設置して「福の神にあえる街」を今より更にアピール
商店街の雰囲気を圧迫しない新しいアーケードを作
する。鳥取市の商店街のように音楽を流したり、垂れ
る。例として、白壁土蔵風にアーケードをデザイン
広告を作ることで活気をつくりだす。各家が一つずつ
し建築物に溶け込ませる
前に灯篭を置き、幻想的な雰囲気作りを行う。
・地域の方々が便利に活用しているのだから、無理に
(4)その他
外すことはない
商店街を散策しながら気軽に食べられるもの(ご当
などの意見が出された。
地コロッケ、たい焼きなど)を販売したり、倉吉の伝
【問題点】
統的な中庭を利用した、休憩・雑談が気軽に行える茶
学生が持つ商店街の印象に明るいものは少なかった。
屋を作り、商店街に少しでも長い時間滞在してもらう
なぜこのような印象を受けたのかを学生で話し合い、
工夫をする。また、空きスペースを利用し、人が集ま
整理することによって商店街の問題点がいくつか見え
るイベントを行うことで、
「倉吉」の知名度を上げる。
てきた。
-
まず、
「通りの景観」を気にするという気持ちがあま
【DOZO de Live at Home Vol.1 門脇大輔 Jazzy Live】
りうかがえず、商店街全体を盛り上げるようとしてい
打吹地区内の古い倉庫を利用したイベントとして平
るのは一部の人にとどまっているようだ、という意見
成 18 年 11 月 19 日に行ったジャズコンサートを紹介す
が多くあった。また、重伝建群側が伝統的建造物を用
る。
いて町を活性化しようとしているのに対して、商店街
倉吉市出身のバイオリニスト門脇大輔さんのジャズ
側はやや消極的であるといった意識の違いもあると感
コンサートは、私達がこの打吹地区の調査を通して出
じた。さらに、空き店舗の利用が難しいこともあげら
会った高田酒造倉庫で開催された。この倉庫は今から
れた。駐車場の不足は重伝建群側と共通する問題だが、
およそ 100 年前に建てられた建築物である。このよう
アーケード内の路上駐車の多さを考えると駐車場を確
な地域固有の歴史ある施設を新たな視点で活用しつつ、
保することは重要な課題であると考えられる。
文化を通して地域のにぎわいを呼ぶプランの一例とし
て、大学スタッフ・学生有志が NPO や行政をはじめ、
【提案】
様々な立場の地元の方々と協力して企画運営した。
この提案は、空き店舗を貸していただけることを前
来場者数は昼の部約 120 名、夜の部約 190 名だった。
提としたものである。
アンケートでは、
(1)若者が行きかう町
・自分の古里を感じることができた(倉吉市・10 代)
商店街を「町屋住宅に住める町」として売り出し、
・古きよき倉吉が少しわかった(鳥取市・50 代)
若者に定住してもらう。またフリーマーケットを開催
・土蔵とジャズの組み合わせが新鮮だった(鳥取県中
することによって、多方面から若者を呼び込む案。空
部・10 代)
店舗をもっと活用してチャレンジショップを増やし、
・古いものを大切にするという気持ちが伝わってきた
古着屋・アクセサリーショップなど若者の意見を取り
(鳥取県中部・40 代)
入れた店舗づくりを行う。商店街に若者の固定客を作
などの好意的な意見を多数いただくことができた。
ること目的としている。
このように、高田酒造倉庫などの伝統的な建築物で文
化的なにぎわいづくりを継続的に行っていくことを提
(2)お年寄りが暮らしやすい町
案する。
- 30 -
倉吉打吹地区の文化によるまちづくり
6.学生によるまちづくりプラン
最後に「なごむ」では、岩盤浴や足ツボマッサージ
のお店を開き、ゆっくりと疲れを癒してもらう。
ここでは、私たち学生がアーケード商店街を中心に考
えたまちづくりプランを二つ紹介する。
【プラン②
【プラン①
童心にかえるまち】
キレイになれるまち】
このプランは「観る・つくる」「食べる」「なごむ」
の三つの項目で考えた。まず、「観る・つくる」では、
倉吉にゆかりのある芸術家を中心に、ギャラリーと、
お客さんが制作工程を体験することのできる体験教室
を併設して開く。
これを考えたきっかけは、今回の調査で倉吉絣作家
の吉田公之介さんにお話をうかがったことだ(平成 18
年 8 月 7 日)。吉田さんは倉吉絣の制作者であった先代
の後を継ぎ、現在倉吉市鍛冶町の自宅で創作活動をさ
れている。また、鳥取短期大学の絣美術館館長も務め
ておられる。自宅でも作品は販売しておられるが、倉
吉市内で常設的に展示しておらず、客層も父親の頃か
現在アーケード商店街には、上の写真のような昭和
らの常連客が中心であるという。打吹地区に新たなギ
の雰囲気がそのまま残る家が何軒かある。これらを活
ャラリーを設けることで、倉吉の方や観光客にもっと
かし、アーケード商店街全体を昭和風の街並みに変え
倉吉絣について知ってもらう良いきっかけになるので
る。また人力車を走らせ、レトロな雰囲気を出すとと
はないだろうか。
もに町の案内をする。
アーケード商店街内に駄菓子屋を開き、駄菓子やお
次に、「食べる」では、甘味処、ハーブティー喫茶、
もちゃなどを売るとともに、手作り揚げパン、給食セ
薬膳の店を開く。甘味処は、打吹公園団子やたい焼き
ットなどを売り出す。駄菓子屋の周辺に座って食べら
などの倉吉銘菓が手軽に食べられる茶店で、甘いもの
れるベンチ、テーブルを配置し、食事場所としても利
を我慢するのではなく、少量をゆっくり食べて満足し
用してもらう。
てもらうというものだ。ハーブティー喫茶では、お客
さんの体調や気分に合わせたハーブティーを提供し、
7.まとめ
ハーブセラピーを行う。
今回の調査でお話をうかがった方々は、住んでいる
薬膳とは、食べる人の体調や体質に合わせて調理す
地区や立場によって微妙な違いがあるにしても、まち
る料理のことで、病気の予防や回復などを目的として
づくりに対する思いをそれぞれ持っておられ、倉吉と
いる。倉吉市では、家庭でできる薬膳レシピやアドバ
いう町がより良くなってほしいという気持ちは共通し
イザーの資格取得を目指すための勉強会などを開いて
ていると思った。それと同時に、行政や地域の方全員
いる。この薬膳を取り扱ったお店を出店する。
が同じ方向を向いてまちづくりに取り組むことは、難
しい部分もあるということも感じた。これは倉吉だけ
でなく全国に共通することだと思う。
調査を重ねるごとに、倉吉の良さを知ると共に、た
だ観光地化すればいいというのではなく、倉吉の文化
を大切にしながら地域の活性化に取り組んでいらっし
ゃる地域の方々の姿に、多くのことを学んだ。それは
私たちにとってとても価値あるものだった。まちづく
りの苦労や課題を具体的に捉えるとともに、商店街な
どを以前とは違う角度から見ることができるようにな
った。地域社会も自分もそれを作る一員だと自覚する
ことで状況も異なって見えてくると感じた。
(倉吉市ホームページより)
今回の調査では、商店街の方々と直接言葉を交わし、
- 31 -
2006 年度 地域文化調査成果報告書
商店主の方々の葛藤を知ることができた。私たちは地
域を活性化させることを目標としてきたが、それに対
しては、地域の方々の中に、様々な思いや考え方の違
いがあることが分かった。まちづくりは足りないもの
を増やせばいいという単純なものではないと分かった
し、地域の方との話し合いが大切だということを改め
て感じた。そして、まちづくりの主役はあくまでその
地域の方々であり、私たち学生は、別の視点でものを
見ながら、なおかつどのような形でその地域に関わっ
ていくのかを常に考えることが、このような調査を進
めていく上で大切だということを学んだ。
私たちが提案してきたプランは、具体的に実現させ
ようとしているわけではなく、こんなものがあれば倉
吉はもっとよくなるのではないか、面白くなるのでは
ないかと、アイデアを出しあったものです。何かの参
考になれば嬉しく思います。
最後にこの調査にご協力いただいた皆様にこの場を
お借りして御礼申し上げます。
また、本調査研究は 3 年間継続する計画となってい
ます(平成 18, 19, 20 年度)。来年度以降の調査研究の
方向などについて、地域の方々等からご意見をいただ
ければ幸いです。
- 32 -