地勢学から見たタイ・バンコク成長の背景〜ここでも大きい中国の影響力

intelligence & investigation
情報と調査
速報・解説版
NO: 94
2013年 11 月号
<誌上セミナー>
地勢学から見たタイ・バンコク成長の背景
ここでも大きい中国の影響力
坂内
正
はじめに
今経済成長の話という、必ず出て来るのがASEAN(東南アジア諸国連合)といわれる
国々です。中国と共にアジア、いや世界経済の牽引車の役割の一翼を担うようになったとい
われるのがこの地域です。なかでもインドシナ半島のタイは他の隣接するメコン経済圏に属
する国々より頭1つ抜け出ています。
ほぼ同じような地域に属し、民族的な違いもそれほど大きくないなかで、どうしてこの国
が抜け出たのか、ここでは地勢学的な観点を中心に、なるべくわかり易くお話します。
古地図に見る情報の格差
バンコクの街の土産店などでは古い東南アジアの地図の複製が売られています。これはフ
ァルクの地図といわれるものなどをベースにしたと思われます。元図は 17 世紀末頃ヨーロ
ッパで作られといわれます。今から約330年近くも前の地図であるにも拘わらず、インド
シナ半島が比較的正確に描かれていることがわかります。
当時のヨーロッパ人は、武力に加えて、こうした圧倒的な情報上の優越性、格差を利用し
て、当初はポルトガルやスペインが、後にはオランダ、イギリス、フランスなどが進出して
きました。
かくして、18世紀~19世紀前半には、西欧列強による20世紀半ばまで続くアジアの
植民地分割がほぼ完了したのです。
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17世紀末にはかなり正確な地図があったことがわかる
中・印の間で独立を維持したタイ
こうしたなかで、英領インドに隣接するビルマ(ミャンマー)はイギリスの支配下に、長
く中国の影響下にあったベトナムは清仏戦争などもあってフランスの支配下に、それぞれ組
み込まれました。しかし、その中間に位置するタイだけは辛うじて、両者の緩衝地帯として
の地理的有利さに加えて、ビルマによるアユタヤの侵略・破壊などにより、街の魅力もうせ
てしまったという皮肉な現実もあって、独立を維持し続けました。
そしてアユタヤ王朝、1代限りのトンブリ王の後、18世紀後半に成立し現在まで続くバ
ンコク王朝(ラタナコーシン王朝)は、イギリス、アメリカ、フランスとたて続けに通商友
好条約を締結するなどして、巧みな舵さばきで19世紀以降も難局を乗り切ってきました。
その象徴ともいえるのが、奇しくも明治維新の年と同じ1868年に即位したラーマ 5 世
(チュラロンコーン大王)です。タイ国民が王室に寄せる敬愛の情の強さの背景もここにあ
ります。ちなみにタマサート大学と並ぶタイの名門大学・チュラロンコーン大学の名前もこ
のラーマ5世に由来します。
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成長を支えた華僑(華人)パワー
ところで東南アジアの経済発展を中心的に担ってきたのは、主に明代末期から清代に福建
や広東、海南島といった南部の沿岸地域から、これらの地域に渡った華僑(華人)と呼ばれ
る中国系の人たちです。貧しさゆえに祖国を出て、地縁も血縁もない南の国で現地人の2~
3倍も働き、次第にその地域に根付きながら帮(ばん)と呼ばれる同郷結社を軸に会館や中
華街を作り、独自の経済社会を広げてきました。それは同様に、貧しさゆえに東北部への入
植を試みようとした華北などの農民が、清朝時代の支配者のホームランドへの移住を拒まれ、
やむなく南下し苦労の末、福建省の山中などにたどりつき、土楼といった独自の住居を構え
た客家(はっか)に比することができるかもしれません。言ってみれば北の流浪の民が客家
とすると、南の国々ヘの流浪の民が華僑(華人)だったのです。
なお、華僑と華人について少し触れておきます。かつては中国からの移民はひとくくりで
華僑と言っていました。最近はどちらかというと出稼ぎイメージの強い華僑から、その地に
根付いて代を重ね国籍取得した人たちだけでなく、中国系の移住者を広く総称して華人と言
うようになっています。国籍取得ルールも国によって違い、定義もさまざまですのでここで
は併用します。
この華人がその勤勉さゆえもあって、次第に東南アジア各国の経済を握ってくるようにな
ったのですが、この点ではタイも例外ではありません。それは単に経済にとどまらず政治の
リーダーもそうなのです。かつて最後の軍部独裁政権と言われたタノム首相は生粋のタイ人
だという指摘もありますが、海南島系華人だともいわれています。2006年9月にクーデ
ターで政権の座を追われたタクシン元首相も、その妹で現首相のインラック氏も広東省系の
華人です。これにとどまらず、歴代の政治のリーダーたちの多くは華人の血が流れているの
が、タイの現実なのです。
ところで、いわば根っからの現地人でもない、さりとて欧米人でもない華人は、政治的緊
張が高まると、かつてのインドネシアのように、しばしば怨嗟の対象として、破壊や略奪の
標的にされてきました。この点はタイでも同様で、華人に対する職業の制限、土地取得の制
限などといった政策がとられてきたことも過去にはあります。
しかし、華人の同化や国籍取得策に加えて、何より強い経済力を背景に、そうしたあつれ
きを乗り越えてきたのです。
新興国から中進国に
このようにして列強の侵略や近隣諸国との紛争だけでなく、国内の華人と現地人とのあつ
れきも克服し、生き抜いてきたタイは、第2次大戦前から独立を維持し、直接的な戦禍を免
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れたということもあって、戦後の経済発展でも、他のインドシナ諸国に比べ、頭1つ抜け出
してきたといえます
その象徴が今では「アジアのデトロイト」とまで呼ばれるようになった自動車産業です。
ニッサン・マーチがほぼ100%、部品調達も含めタイで製造されるようになったように、
従来のような部品を日本などから調達して、それを組み立てるといったノックダウン方式か
らとうに抜け出て、部品の大半も自国で製造・調達することで、コストも日数も大幅に圧縮
できるようになりました。こうした技術力を駆使して電子部品やデジタルカメラの部品など
もタイで製造されるようになってきており、タイは今や新興国から中進国に変わったとさえ
いわれるほどになったのです。
人手不足で賃金も急騰
こうした経済成長の進展は、人手不足を生み、最近の失業率は0.1%とほぼ完全雇用に
近い状態になり、今ではかなりの部分をミャンマーからの難民の労働力でカバーしているほ
どです。
このため、月額の給与べースで4~5万円にまで達したことから、労賃だけでみるともう
タイは割に合わないと、ベトナムやカンボジアといったインドシナの隣接国への工場移転を
模索する「チャイナプラスワン」ならぬ「タイプラスワン」の動きさえも出てきています。
こうした余波は、ロングステイと呼ばれるシニアの長期滞在先の選択にも及んできています。
ロングステイ御三家と呼ばれるマレーシア、タイ、フィリピンのなかで諸物価の高騰と共に
マレーシアからタイへ、タイからフィリピンへといった、移動までもが起きてきています。
それでも、インフラや医療などの発達ぶりは他の近隣諸国より抜きん出ており。日系企業
約450社も水につかったといわれる2011年10月の大洪水による被害にも拘わらず、
タイへ進出する企業は減っていません。コストの上昇はあっても、それを上まわるメリット
があるということなのでしょう。
事実、かつてはバンコク市内中心部から空港(ドンムアン)へ車で向うのに、通常なら1
時間ほどのところ、渉滞で3~4時間かかってしまい、飛行機に間に合わないといったトラ
ブルも珍しくありませんでした。しかし今は、スワンナプーム新空港への高速道路や都市交
通のアクセスが拡充したことで、30分~1時間ほどで行けるようになりました。
2012年の新車販売台数が、初めて100万台を突破したこともあり、バンコク市内中
心部の渋滞解消はまだまだですが、高架鉄道(BTS)や地下鉄はオープン時から、他の工
場や道路、桟橋は洪水後にかさ上げを図るなどして不安解消に努めています。私が、先月見
て回った時も、川沿いの堤防工事は進んでいました。また王宮と並ぶ人気の観光スポット・
暁の寺へのボート乗り場もかさ上げした通路を作っており、当面の洪水対策はやったと、地
元の人たちは言います。
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軍事クーデターとタクシン
水害のような不安解消策等を立てにくいのが政治や国際関係のバランスです。政治につい
ては周知の通り、2006年9月、タクシン元首相が軍部のクーデターで政権の座を追われ
ました。
タイは1932年の立憲革命以後、軍は政治に介入しないという姿勢を貫いてきました。
しかし、1971年11月、時のタノム首相が軍政復帰して以後、18回にも及ぶクーデタ
ー事件が発生してきました。2001年2月
にタクシン政権が発足して、しばらく鳴りを
ひそめていたのですが、2006年9月、5
年ぶりにまた繰り返されたのです。軍事クー
デターと聞くと激しい内戦を想起しがちです
が、この国の場合は必ずしもそうではありま
せん。このクーデターの時は、私も現地に行
ったのですが、所どころに軍のトラックは配
置されていたものの市内は比較的静かでした。
街を歩いてみても、皆落ち着いた感じで、意
外なほどでした。この背景にはタクシン氏自
身がクーデター直前の出国時たくさんの私物
を航空機に搬入していたこと、プミポン国王
(ラーマ9世)の調停への期待が国民の間に
広くあったことなどが挙げられます。このあ
たりは日本人にはちょっと理解し難い国民性
や歴史的経緯がありそうです。
その後、軍部の影響力を背景にアピシット
タクシン首相(当時)追放を報じる新聞(2006.9.20)
氏が政権の座に就いたりもしましたが、その
後の選挙で、タクシン氏の妹であるインラック現首相に敗れました。今では反タクシン派(黄
シャツ)も、選挙ではタクシン派(赤シャツ)には勝てないと、半ばあきらめ気味ですが、
タクシン氏に帰国恩赦をもくろんだ法案を廃案に追い込んだことで再び活気づいています。
順調な経済成長をよそに赤シャシと黄シャツの政治をめぐる争いはまだまだ続きそうです。
なお、「黄シャツ派」はその後分裂しています。
さらに象の鼻のように南に伸びた、この国で「深南部」と呼ぶ地域はイスラム過激派が影響
力を持っており、時々、爆破事件なども起きています。この対策も政府にとっては頭の痛い問
題です。
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親中国と嫌ベトナムのバランス
もう1つ、タイをめぐる国際情勢を語るうえで欠かせないのが中国との関係です。順調な
経済成長を続けてきたタイですが、その背景には輸出の4割を占める中国の存在があります。
インドシナ(インド・チャイナ)半島はその名の通りインドと中国という大国にはさまれ
て、この2国のパワーバランスの間で生きてきたことは前にも述べました。このなかにあっ
て、タイは歴史的にベトナムとは緊張関係が続いてきました。GDP比較といった経済力の
数値でこそ、1人当たりでベトナムの3倍ですが、長い間戦争を鬪ってきたベトナムのハン
デイを考えれば不思議ではありません。それどころか第2次大戦後に限ってみても、ディ
エンビエンフーでフランスを、ベトナム戦争でアメリカを、中越戦争で中国を、と大国を退
けたインドシナの強国であるベトナムはタイの1.5倍の人口を擁しているのです。
ベトナムが国境を接する中国と緊張関係にある一方で、ラオスが緩衝地帯となって、直接
中国とは国境を接しないタイやカンボジアが、対ベトナムの牽制の意味もあって、このとこ
ろインドシナへの関与を強めている中国に接近するのも理由のあるところです。これに貿易
の利が加わるからなおさらです。
ここでカンボジアについても少し触れておきましょう。
かつてカンボジアで大量虐殺を行なったポルポト政権の反主流派としてベトナムに支援
を請い、またたく間にポルポト派を放逐して、カンボジアのリーダーに就いたのがヘンサム
リン前首相でした。そのいわば弟子として彼を継いだのがフンセン現首相です。かつてのシ
アヌーク国王もその手腕には舌を巻いたと言われるほどの政治力を発揮して、今やインドシ
ナで最長という28年もの長期政権を維持しています。このフンセン首相ですが、いわばへ
ンサムリンという先輩の「恩人」ともいえるベトナムから、次第に軸足を移し、今はタイと
並ぶインドシナの親中の双璧をなすまでに至りました。ちなみにカンボジアはベトナムとは
長い国境線を有し、ベトナム戦争時には「ホーチミン・ルート」と呼ばれる北から南への軍
事や物資の輸送ルートを提供させられたという歴史があります。他方、中国とはタイ同様、
間にラオスがあるため、直接国境線は接していません。
反対に民主化に一歩踏み出したミャンマーは、2011年12月、当時のクリントン国務
長官とテインセイン大統領との会談や中国との水力発電所・ダム工事事業の凍結などに表わ
されたように、このところ急速に中国と距離を置く姿勢を示しています。ミャンマーは中国
と国境を接しています。仮に中国が昆明からマンダレーを経てインド洋に出れば、マラッカ
海峡まで回り道をしないで中東からの石油や天然ガスをアジアハイウェーやパイプライン
を通じて、直接、中国に運ばれるという地の利を有しています。
複雑な国際関係の一端を垣間見る思いがしますが、本稿はタイがメインテーマですので、こ
のあたりにとどめておきます。
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CLMVという新・新興国とタイ
最近タイとメコン経済圏ともいわれる周辺国との関係を表わすCLMVという用語が、経
済誌などでひんぱんに使われるようになってきています。Cはカンボジア、Lはラオス、M
はミャンマー、Vはベトナ
ムという、それぞれの国の
頭文字をとった言葉です。
一言で要約すれば、タイは
今後、知識集約型に移行し、
新・新興国ともいえるCL
MVは労働集約型にとい
った意味なのです。1人当
りのGDP比などでタイ
と比較しますと、ベトナム
は3分の1、ミャンマーや
カンボジア、ラオスは4分
地下鉄入り口は浸水を防ぐため高くなっている
チャオプラヤ川に沿って高層ビルが建ち並ぶバンコク
が持続するか否かは不透明な状態です。
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の1~6分の1という安
さです。しかし前述した
ようにベトナムは1人当
りのGDPでこそ3分の
1ですが、国力では自国の
方が上だといったプライ
ドがありますし、対中関係
をめぐってもミャンマー
も足並みは同じでありま
せん。
しかもここに来て、中
国は李克強首相の経済政
策から名付けたリコノミ
クスなどと呼ばれる、輸出
や開発投資型から手堅い
国内消費重視型への経済
政策の見直しを進めてお
り、これまでのような政策
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こうした情勢をふまえますと、ASEANの中核国の1つであるタイは伝統的に鍛えてき
たバランス感覚に加えて、これまで以上の四囲への目配りが求められているといえます。
<インドシナ(メコン経済圏)の比較>
一部進定・概算(2012年時点)
国名
1人当りGDP
人口
面積
タイ
5,700ドル
6,400万人
513万㎢
ベトナム
1,700ドル
9,000万人
300万㎢
ミャンマー
850ドル
6,200万人
677万㎢
カンボジア
850ドル
1,500万人
181万㎢
ラオス
1,250ドル
650万人
237万㎢
〈文・写真〉
Profile
坂内 正 ( ばんない ただし )
ファイナンシャルプランナー、総合旅行業務取扱管理者。 元政府系金融機関で中小企業金融を担当。
退職後、旅行会社の経営に携わり、400回以上の渡航経験を持つ。 ロングステイ詐欺疑惑など、
主にシニアのリタイアメントライフをめぐる数々のレポートを著す。 著書に『年金&ロングステイ
海外生活 海外年金生活は可能か?』
(世界書院)
ミンダナオ国際大学客員教授 『情報と調査』編集委員
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