禅の修行と V9 禅の修行と V9

 現代日本の源流
哲治
∼代表的日本人列伝
︱ 第百三十一回 ︱川上
﹁ 打 撃 の 神 様 ﹂ と 呼 ば れ た 川 上 哲 治 は、 並 は ず れ た 努 力 の 人 で あ っ た。 そ の
努 力 の 源 は、 家 族 へ の 深 い 愛 情 に 他 な ら な か っ た 。 彼 の 行 動 の 動 因 は 、 母 親 へ
の孝行心であり、そして妻や子どもへの愛情であった。戦後、農作業に従事し
川上ははっきりと
を 知 っ て い た 校 長 捻 挫 で 欠 場。 急 遽、 繰 り 返 し て い た の の 選 択 が、 農 業 で ら 自 分 は 野 球 を 捨 が っ て い く の で あ は 去 っ た か ね?﹂
。
。 巨 人 軍 は る。
は、 投 手 で あ っ た 代 わ り に 選 ば れ た で あ る。 寝 て い て あ っ た。 約 1 年 間、 て ま す ﹂
﹁ は い、 私
川 上 を 強 く 推 薦 し、 のが川上だった。そ 夢 で 打 撃 の ヒ ン ト 川 上 は 母 と 二 人 で そ の 条 件 を 飲 ん だ
川 上 が 現 役 を 答 え た。
バ ッ テ リ ー 2 人 を の 試 合 で 川 上 は 3 を 受 け る と、 素 早 農 作 業 に 心 血 を 注 た め、 川 上 の プ ロ 退 い た の は 3 8 歳 は 現 役 を 引 退 し、
入 団 さ せ て ほ し い 安打の活躍、それも く 起 き 上 が っ て い だ。 生 き る た め 野 球 界 へ の 復 帰 が の 時。 肉 体 の 衰 え コ ー チ と し て 水 原
と懇願した。父は﹁ 3 本 と も 二 塁 打 と バ ッ ト を 振 る。 こ で あ る。 プ ロ 野 球 決 ま っ た。 彼 は こ を 感 じ 始 め、 2 年 監 督 の 補 佐 役 に 徹
。
﹁よろし
職業野球など遊び いう弾丸ライナー んな生活は結婚後 の復活が報じられ の契約金3万円を 連続で3割を打て します﹂
。
人 の 世 界 じ ゃ な い であった。この鮮や で も 変 わ る こ と は て も、 気 に 留 め よ 全 て 両 親 に 渡 し、 な く な っ て い た。 い、戻りなさい!﹂
か。 お 国 の た め に か な デ ビ ュ ー に 対 な か っ た。 新 婚 うとはしなかった。 後 顧 の 憂 い な く そ れ に 長 嶋 茂 雄 と 約 1 ヶ 月 の 修 行 を
禅の修行
川上はオーナーの 晴れとした気分で
る と 実 感 し て い た。 し さ も な く、 晴 れ
川 上 の 心 に 変 化 故 郷 を 後 に し た の い う 新 鋭 が 活 躍 し、 終 え、 打 者 と し て
働 け ﹂ と 反 対 し た。 し、 川 上 は﹁ 母 親 当 初 の こ と。 深 夜、
し か し、 母 の こ と、 の 祈 り が 天 に 通 じ 突 然 川 上 が 起 き 上 が生じたのは、妻が である。
世 代 交 代 の 時 で あ の 何 の 未 練 も、 寂
ン ビ ュ ン と バ ッ ト か ら で あ る。 二 人
病 床 の 父 の こ と、 た と 思 っ た ﹂ と がって、枕元でビュ 男 の 子 を 出 産 し て
弟 妹 の こ と を 考 え 語 っている。
れば、選択の余地は
試 合 後、 監 督 は を 振 り 始 め る で は を 熊 本 に 呼 び 寄 せ、
巨 人 軍 に 復 帰 し 正 力 松太郎に引退 下山した。
なかった。
﹁ 給 料 は ﹁ フ ァ ー ス ト ミ ッ な い か。 こ の 異 常 別 居 生 活 に 区 切 り て 4 年 が 経 っ た 頃、 の 意 思 を 伝 え た
監督としての
高 い 方 が よ か ﹂ と ト を 注 文 し て お な 夫 の 姿 に、 妻 の を つ け た も の の、 川 上 は ス ラ ン プ に が、 オ ー ナ ー は 強 川上は、日本の野球
秘 か に 万 歳 を 叫 ん た の で は な い か と は、 親 の 義 務 感 と た。 水 原 茂 監 督 て、
﹁ 座 禅 の 修 行 て い る。 そ れ ま で
言 っ て、 反 対 す る け ﹂ と 川 上 に 一 言。 董 子 は﹁ 気 が 触 れ 子 に 対 す る 愛 情 陥 った時期があっ く 慰 留 し た。 そ し を 変 え た と 言 わ れ
父を押し切った。
プロ野球へ復帰
ウ ン ド に 復 帰 す べ も 気 分 が 冴 え な い。 ら で も 遅 く な い ﹂ あ る と さ れ た。 し
た め に も、 グ ラ た。 打 席 に 立 っ て ら。 結 論 は そ れ か 延 長 上 に 勝 利 が
給 料 は 百 十 だ と い う。 レ ギ ュ 恐 怖 を 覚 え た ﹂ と な っ て 湧 き 上 が っ と し っ く り い か な に 行 っ て み な さ い。 は、 個 性 の 発 揮 が
て く る。 こ の 子 の い こ と が 原 因 だ っ 必 ず 何 か を 掴 む か ま ず あ っ て、 そ の
円、 当 時 の 大 卒 ラ ー ポ ジ シ ョ ン を 述 懐 している。
初 任 給 の 倍 ほ ど 獲 得 し た の で あ る。
で あ っ た。 百 十 入 団 1年目にして、
が 最 優 先。 目 立 た
﹁ 球 が 止 な く て も、 チ ー ム
多摩川グラウンド
老 師 は、
に行き、一 球 一 球 、 ま っ て 見 え た と い の 勝 利 に 貢 献 し た
若 手 投 手 を 連 れ て、 たのである。
に 尽 き る。 二 軍 の 触 れ る 機 会 が 訪 れ ま で チ ー ム の 勝 利
バ ッ ト を 振 る こ と く れ た。 禅 の 心 に は 二 の 次 で、 あ く
シ ン プ ル で あ る。 紹 介 状 を 書 い て 込んだ。個人の成績
解 決 方 法 は、 実 に 逸 外 老 師 ﹂ 宛 て に を 選 手 た ち に 叩 き
川 上 が 終 戦 を 迎 き で は な い の か。 高 揚 感 も な い。 こ と 言 い、 そ の 場 で か し、 川 上 は チ ー
円 の 給 料 取 り に 打 撃 成 績 1 0 位。
ん な 時 の 川 上 の ﹁岐阜・正 眼 寺 梶 浦 ム プ レ ー の 重 要 性
﹁打撃の神様﹂
病 ん だ 父 に 代 わ っ 学 校︵ 現 在 の 熊 本
ま っ た。 心 身 共 に 哲 治 が 熊 本 工 業
たのも、プロ野球界に復帰したのも、家族愛の故であったのである。
親孝行
精 魂 込 め て 打 ち 続 う 体 験 は、 禅 の 道 選 手 を 高 く 評 価 し
け た。
﹁ お い、 カ ー に 近 づ い て い る。 た。
。カーブ 野 球 の 中 で 究 め た
ブを頼む﹂
彼が常に言い続
を 6、7 球 と 打 ち 込 も の が あ る か ら け た こ と は﹁ 球 際
。 投 手 そ の 塊 を 溶 か し て、 あ っ た も の で あ る。
お り、 妻 も 復 帰 を て 下 さ い ﹂
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親孝行と家族愛
る 伝 説 的 存 在 で あ た。 母 は 貧 苦 に 耐 野 球 部 の 後 援 会 の
る。現役時代、卓越 え な が ら、 長 男 資 金 援 助 に よ る。
し た バ ッ テ ィ ン グ 哲 治 を 筆 頭 に 8 人 さ ら に、 常 に ト ッ な っ て も、 川 上 の 川 上 は 弱 冠 1 8 歳 え た の は、 陸 軍 自 問 自 答 の 日 々。 ん で い た 次 の 瞬 間、 だ ﹂ と 言 っ た。 知 に強くなれ﹂であっ
技術の故に﹁打撃の の 子 供 た ち の 母 と プ ク ラ ス の 成 績 で 貧 乏 生 活 は 変 わ ら だ っ た。 そ の 後 の 航 空 隊 の 立 川 そ の 上、 幼 い 息 子 川 上 は 思 わ ず 息 を ら ず 知 ら ず の う ち た。 こ の 球 は も う
神 様 ﹂ と 呼 ば れ た し て 日 雇 い 労 務 者 あ っ た た め、 県 が な か っ た。 長 男 の 活 躍 は 目 覚 ま し 基 地 整 備 部 隊 の は 百 日 咳 に 罹 り、 呑んだ。球が止まっ に、 禅 の 真 髄 を 知 捕 れ な い と 思 っ
し、 巨 人 軍 の 監 督 と な っ て 働 き 続 け 学 費 を 出 す こ と を 義 務 と し て、 毎 月 い。 入 団 2 年 目 に 小 隊 長 の 時 で 発 作 と 痙 攣 を 繰 り て 見 え た の だ。 顔 り か け て い た と 言 て、 諦 め て は い け
時 代 は 前 人 未 踏 の た。 愚 痴 一 つ こ ぼ 決 定 し た の で あ る。 五 十 円 を 母 に 送 金 し て 首 位 打 者 の タ あ っ た。 2 週 間 後 返した。乳児にとっ の 汗 を 拭 い て、 も う の で あ る。 老 師 な い こ と い う こ と
円︵ 現 在 の 1 0 万 母 は、 そ の 届 い た れ も 投 手・ 打 者 の が 待 つ 妻 の 実 家 う 病 で あ る。 涙 に や は り 球 は 止 ま っ 考 え よ ﹂ と 言 わ れ、 よ り も、 全 員 の 心
V 9︵ 9 年 連 続 さ な い 良 妻 賢 母 で 援 助 額 は 合 計 月 5 し た か ら で あ る。 イ ト ル を 獲 得。 そ に は、 身 重 の 董 子 て は 死 の 危 険 を 伴 う 一 度 打 席 に 立 つ。 か ら﹁ 球 禅 一 致 を で あ る。 そ し て 何
優 勝 ︶を達成した。 あったという。
。 彼 は 一 切 金 を 神 棚 に 捧 げ て、 二 刀 流 で の 快 挙 で 神 戸 に 向 か っ た。 く れ る 妻 を 見 な が て 見 え た。 打 球 は 修 行 に 励 む こ と に の 強 固 な つ な が り
そ ん な 川 上 を﹁ プ
母 の 苦 労 を 見 前後か︶
を 重 視 し た。 こ う
ロ 野 球 の 生 き 神 様 ﹂ て 育 っ た 哲 治 無 駄 使 い を し な 弟 た ち に﹁ あ ん あ る。 1 9 歳 で の 実 家 は 空 襲 で 丸 焼 ら、 川 上 は 巨 人 軍 鋭 い 弾 丸 ラ イ ナ ー なった。
と 呼 ぶ 者 も い る ほ は、 親 孝 行 を 何 よ か っ た。 5 円 の ち ゃ ん︵ 兄 さ ん ︶ 首 位 打 者 は、 プ ロ け に な り、 知 り 合 に 復 帰 す る 決 意 を と な っ て 外 野 に 飛 老 師 は 言 っ た。 し た 川 上 野 球 は、
ん だ。 夢 中 で 打 ち ﹁ い か に 打 撃 術 球 禅 一 致 を 説 く
ど で あ る。 川 上 は り も 大 事 に し た。 内、 1 円 を 毎 月 母 の お る 東 京 に、 足 野 球 史 上、 川 上 い の 家 に 仮 住 ま い。 固めていった。
そ の 頃、 巨 人 軍 続 け、 気 が つ け ば に す ぐ れ て い て も、 禅 の 教 え と 深 く 結
﹁努力に始ま 小 学 校 の 野 球 部 に 仕 送 り し た と い を 向 け て 寝 ち ゃ な を お い て 他 に い な 食 糧 難 の せ い で
言 う。
り、 努 力 に 尽 き る ﹂ 時 代、 母 が な け な う。 母 が 亡 く な る ら ん ば い︵ な ら な い。 さ ら に 入 団 4 栄 養 不 足 の 妻 は、 か ら 再 三 に わ た り、 3 百 球 は 超 え て い 目 下 の あ な た は 氷 び つ い て お り、 V
買 っ て く れ た 布 製 り 人 生 ﹂ は こ う し に 語 っ て い た と い の 首 位 打 者 に 輝 き、 であった。
﹁ も う 勘 弁 し の 塊 に す ぎ な い。 9 達 成 の 根 幹 に
﹂ と 口 癖 の よ う 年 目 に は、 2 度 目 明 ら か に 体 調 不 良 復 帰 要 請 が 届 い て た。
と。努力の人であっ し の 金 を 捻 出 し て ま で 続 い た﹁ 仕 送 い ︶
たのだ。
打 点 王 に も な り、
川 上 の 決 断 は 早 強 く 望 ん で い た。 は 音 を 上 げ て し 水 に な ら な け れ ば 2 0 1 3 年 1 0 月
M V P ま で 獲 得 し かった。故郷に帰っ 迷 い は た だ 一 つ。 ま っ た。 そ の 翌 年、 な ら な い。 水 は 飲 28日、満93歳の
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川上哲治は、日本 て、 一 家 を 支 え た 工 業 高校︶に 入 学
プ ロ 野 球 界 に お け の は 母 ツ マ で あ っ で き た の は、 熊 工
禅の修行と V9
川 上 哲 治 は、 の 靴︵ ズ ッ ク ︶ を、 て 始 ま っ た の で あ う。
1 9 2 0 年 3 月 練 習 で 使 う こ と る。
打撃道へ
た。 他 に 追 随 す る て 畑 を 耕 そ う。 妻 病 弱 な父と苦労ば 川 上 は 3 割 7 分 7 む こ と も、 沸 か す 川 上 は 老 衰 の た め
2 3 日 に 熊 本 県 が で き な か っ た。
川上の巨人軍
も と も と 投 手 者 の い な い 強 打 者 に は、 な る べ く 早 か り の 母 を 置 い て 厘 と い う 驚 異 的 こ と も、 顔 を 洗 う 死 去。 死 亡 が 判 明
球 磨 郡 大 村、 現 在 練 習 で 使 っ て 穴 を 入 団 が 決 ま っ
く 迎 え に 来 る と 言 い け る の か。 彼 は 記 録 で、 首 位 打 者 こ と も で き る。 ま し た 1 0 月 3 0 日
の 人 吉 市 に 産 声 を あ け て は、 母 に 申 た の は 1 9 3 7 と し て 採 用 さ れ へと成長した。
。 は 日 本 シ リ ー ズ・
川 上 は 打 撃 道 を い 残 し て、 わ ず か 心 底、 孝 行 息 子 で に な っ た の で あ る。 ず 水 に な る の だ ﹂
上 げ た。 家 は 代 々、 し 訳 な い と 思 っ た 年。 前 年、 甲 子 園 た 川 上 だ っ た が、
船 宿︵ 船 の 運 送 業 ︶ の だ。 常 に 素 足 で で 準 優 勝 し た 熊 本 巨 人 軍 の 藤 本 定 義 究 め ん と し て い た。 2 日 の 滞 在 で 熊 本 あ っ た。 彼 は 巨 人 球 が 止 ま っ て 見 え 毎 日 4 時 間 半 に 及 巨 人 対 楽 天 の 第 4
﹁ 年 老 た と い う 体 験 が、 ぶ 座 禅 の 末、 無 心 戦。 監 督、 コ ー チ、
を 営 ん で お り、 練 習 し、 足 の 裏 に 工 業 に 巨 人 軍 の 監督は、川上の打撃 彼 が 住 ん だ 寮 の へ と 向 か っ た。 妻 軍 に 伝 え た。
比 較 的 裕 福 だ っ た。 血 が 滲 む と き は 雑 ス カ ウ ト が 訪 れ の セ ン ス に 注 目 し 部 屋 の 新 し い 畳 は、 の た め、 生 ま れ て い た 両 親 や 家 族 の 通 算 安 打 2 3 5 1 の 境 地 が 分 か り か 選 手 全 員 が 喪 章
﹁プロ
の お 目 当 て は 捕 手 北 海 道 で の オ ー プ さ く れ 立 っ た と い そ し て 故 郷 に 残 る 3 万 円 を 契 約 金 と 回、 本 塁 打 王 2 回、 れ た と 思 っ た 頃、 黙 祷 を 捧 げ、
し か し、 父 伊 兵 巾 を 巻 い て 練 習 を た。 実 は、 巨 人 軍 て い た。 た ま た ま あ っ と い う 間 に さ く る 子 ど も の た め、 生 活 の 安 定 の た め、 本、 首 位 打 者 5 け、 や っ と 水 と な を 付 け、 試 合 前 に
次 は ギ ャ ン ブ ル に 続けたという。
﹁ ど 野 球 界の生き神様﹂
学 費 を 出 す 余 裕 の 吉 原 正 喜。 し か ン戦で、レギュラー う。 川 上 は 部 屋 で 両 親 、 弟 妹 の た 出 し て も ら え な い 打 点 王 3 回 と い う 老 師 は 語 っ た。
手 を 出 し、 一 変 し
て 家 運 が 傾 い て し の な い 川 上 家 で、 し、川上家の 窮 状 の 一 塁 手 が 足 の バ ッ ト の 素 振 り を め に 取 り う る 最 善 か。 そ れ が 駄 目 な 大 記 録 へ と つ な う か な、 心 の 迷 い の死を悼んだ。
一番左:バーハ カーマーン(タイ・学部2年)
右から2人目(上)
:ムウ イファン(中国・学部1年)
右から2人目(下)
:ルスリ アンドレ(インドネシア・修士1年)
一番右:ハン スンフン(韓国・学部1年)
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(東京千住キャンパス)JR線/東京メトロ ほか 北千住駅
(埼玉鳩山キャンパス)東武東上線 高坂駅・北坂戸駅
(千葉NTキャンパス)北総線 千葉ニュータウン中央駅
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情報環境学部の学園祭は、10月10日
(土)
・11日(日)に開催され、
留学生も参加しました。
外国人特別入試の募集要項は本学HPで確認!
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くわしくは国際センターへお問い合わせください TEL:03-5284-5208 㻌E-mail: [email protected] HP: http://www.dendai.ac.jp/