98号(1月 - カトリック厚木教会

NO.98 / 2007.1 月号
カトリック厚木教会
厚木市 旭町 2-7-11
一致と平和を目指して
TEL.046-228-4164
FAX.046-228-4150
<かけがえのない命を大切にする心>
主任司祭
ガブリエル
鵜飼
好一
年の初めにいつも平和祈願をいたします。教
であると自負する人々が敵対し、互いに反目し
皇様は平和のためにメッセージを出され、この
あっていた長い歴史は悲しむべき事実です。キ
一年キリスト者である私たちが平和の道具と
リストを知りキリストを模範としてキリスト
なるように呼びかけられます。しかし、今年に
のように生きようと心から望む人々がどうし
入ってからあまり良いニュースがありません。
て互いに憎み合い傷つけ合うことを平気でお
かえって人々の心を不安にさせるようなたく
こなうことが出来るのでしょうか。キリストは
さんのニュースばかりが耳に入って来るよう
このような弟子たちの内にいるとは考えにく
です。命が軽視されていると感じさせられるこ
いことです。キリスト者同士が争っている姿こ
とばかりです。
そ、福音を伝える教会の使命の最も大きな障害
さて、一月には毎年、キリスト教祈祷一致週
で、人々の救いを妨げるものです。
間が設けられています。キリスト教の世界でも
聖書に、「互いに愛し合うならば、それによ
争いがあり、分裂があります。キリスト者が分
ってあなたがたがわたしの弟子であることを、
裂していることは大変悲しいことです。キリス
皆が知るようになる」
(ヨハネ 13:35)という最
ト者の一致を願って祈り、その実現のた
後の晩餐の時におっしゃった主の言葉が
めに努めることは晩年のヨハネ・
あります。私たちはキリストの弟子であ
パウロ二世教皇様の心からの願
るということを自覚するなら、お互い
いでもありました。平和のために、
に尊敬し合う心を持つようになるで
先ず分裂しているキリスト者同志の一致のた
しょう。主はすべての人の贖いとなられました
め努力しなければならないでしょう。
が、それは主がすべての人を愛しておられるか
イエス様は「神は愛である」と教えられ、ご
らです。主はたとえどのような人であれ、一人
自分のご生涯のすべてをもってそれを証しま
ひとりの命をかけがえのない命として大切に
した。そして、人は愛に生きなければならない
するということを十字架の姿で私たちに教え
ことを教えて、「わたしがあなたがたを愛した
られたのです。
ように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」
現代の世相を見ると、命が軽視されていると
(ヨハネ 13:34)と愛の掟を残されました。そ
多くの人が感じています。様々な日々の出来事
して、愛に生きる者は互いに愛に結ばれており
にそれを感じます。キリストに従って愛に生き
一つであることを御父とご自分の完全な一致
たいと望む私たちは、キリスト者としての一致
をモデルとして語っています。ですからキリス
を目指し、一人ひとりのかけがえのない命を大
ト教は愛の宗教と言われます。
切にする愛の心を持つことができるように神
それにもかかわらず、自分はキリストの弟子
の恵みを祈りたいと思います。
1
い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込ん
待降節の黙想会が行われました
だ”とルカは記しています。
12 月 10 日第2ミサ後に朝山神父様により講話
このお告げの中で、
“おめでとう”は“アーベ”
が行われました。朝山神父様は主のご降誕に関連
を和訳したもので、”喜び”を意味していると解
しマリア様について聖書を中心に分かりやすく
釈する人もいますが、聖書の他のテキストを見る
お話になりました。
と、必ずしも喜びを表わしているとは限らないの
です。むしろ一般的な挨拶用語としても使われて
以下に講話の内容をお伝えします。
います。ですから、マリア様はこの言葉を聞いて
戸惑いを感じられたと考えるのは無理があるよ
「講話」
4 つの福音書は、はじめにマルコ福音書が書か
うです。
れ、その後でマタイとルカ福音書は大体同じ頃に
それよりもむしろ、その次の言葉“恵まれた方”
書かれ、最後にヨハネ福音書が書かれました。
に感銘を受けられたのではないでしょうか。聖書
イエス様の誕生の経緯については、マタイ福音
の原語であるギリシャ語から解釈すると、この言
書とルカ福音書に書かれており、ヨハネ福音書や
葉は、非常に意味深いものです。それは、神の恵
マルコ福音書には書かれていません。マタイ福音
みに満ち溢れた方という意味をもっているから
書には、ヨセフを中心にイエスの誕生のいきさつ
です。
が書かれていますが、ルカ福音書には、マリアを
ところで、この同じ言葉がエフェソ書にも使わ
中心にしたイエス様の誕生のいきさつが書かれ
れているのですが、そのテキストを見ると、“イ
ています。私たちがよく知っているクリスマスの
エス・キリストによる贖いの恵み”という意味に
情景は、このルカ福音書の話によるものです。
使われています。つまり、天使はここでマリア様
イエス様は馬小屋で生まれたと言われていま
に対して、あなたはキリスト様の贖いの業によっ
すが、聖書には馬小屋で生まれたとは書かれてい
てもたらされた恵みを身にいっぱい受けた方で
ません。たしかにイエス様は王
すと述べたことになります。ところ
侯貴族の子として生まれたので
で、マリア様がお告げを受けたとき
はなく、つつましい家庭の子と
には、まだイエス様が生まれる前な
して生まれたのでしょう。その
ので、マリア様は先行的にイエス様
ようなことから、清貧の精神を
が勝ち得てくださった贖いの恵みを
教えようとしたアシジの聖フラ
受けておられたと解釈することがで
ンシスコが、馬小屋でのイエス
きるでしょう。
様の誕生のイメージを想像して
マリア様は、
“恵まれた方”すなわ
人びとに教えたものが今でも伝
ち、キリスト様に贖われた恵みを身
えられています。
に満ち溢れるほどに受けておられた方なのです
ルカ福音書1章と 2 章にイエス様の誕生の次第
から、まさに汚れなきマリア様のそのものであっ
が書かれていますが、その中で、ルカはわたした
たことを意味しています。ちなみに、これをマリ
ちにマリア様に対するお告げの物語を教えてく
ア様の「無原罪」と解釈する神学者もいます。12
れています。天使がマリア様に現れて、イエス様
月 8 日は“無原罪の聖マリア”の祝日です。
の誕生を告げられました。このお告げの中で 2 つ
マリア様の時代の婚約年齢は、女性は12~1
の点について取り上げてみます。
5歳、男性は15~18歳と言われています。貧
第 1 の点:
“
「おめでとう、恵まれた方。主があ
しいナザレに住んでおられたマリア様は汚れを
なたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑
知らない美しい女性でした。そのマリア様に天使
2
は男の子を産みますよと言われた。しかし、マリ
が奴隷なら、イエス様も奴隷の姿でこの世に生ま
ア様は「どうして、そんなことがありえましょう
れたことを意味しています。イエス様の本当のお
か。私は男の人を知りませんのに」と答えておら
父さんは天の父(神)であるのですが、人間とし
れます。それは、マリア様が子供を懐胎するとい
ての姿をとられたときには、その御父に対して、
う生理的なプロセスについて問いを発したとい
完全な恭順の態度をとられました。
うよりは、人間のわたしが、どうして無限絶対の
フィリピ人への手紙の 2 章に、イエス様につい
神の御子を宿すことが出来るのでしょうかと問
て「キリストは、神の身分でありながら、神と等
いかけたと考えるほうが妥当だと思います。
しいものであることに固執しようと思わず、かえ
天使は「いと高き方の力があなたを包む。」と
って自分を無にして、僕の身分になり、人間と同
答えてくれています。すなわち、神様の力がマリ
じ者になられました。」と記されています。この
ア様に働いて、聖霊の力が下るから、人間である
言葉を人間イエスは、身をもって人びとに示され
マリア様に神の御子が宿ることになるのだと教
ました。
えてくれたことになります。男性の力によって宿
しかも、外国から連れてこられた奴隷が人の足を
る子は人間の子です。神の力によって宿された子
洗ったといわれます。イエス様は、最後の晩餐の
は、神の御子です。神様の力は創造の力です。そ
ときに、異邦人の奴隷が足を洗うように、弟子の
の神の力がマリア様に働いて、まだ汚れを知らな
足を洗われたのでした。
足を洗うことは奴隷がすることです。
い清らかなマリアの胎に第二のアダ
私たちも、自分を神のはしためと
ム、イエス・キリストを宿されたので
しての身分に置かれたマリア様と
す。これがマリア様の処女懐胎の一
共に、神様のご意思に完全に従う者
番大切な点です。神様の創造の力が
となるように努力しましょう。クリ
働いて、まだ汚染されていない「土」
スマスを前にマリア様の言葉は私
から最初のアダムが創造されたよう
たちに多くを語りかけてくれます。
に、まったく汚れを知らないマリア
マリア様は、
「お言葉どおり、こ
様の胎内に、神の創造の力は、御子イエス・キリ
の身になりますように。」と言われました。この
スト様をお創りになられたのです。
“お言葉は”はギリシャ語の“レーマ”の訳です
第 2 の点:天使は「神にできないことは何ひと
が、“レーマ”は神様の意思・意図を意味してお
つない。」と言われ、マリア様は「わたしは主の
り、神様の意思または意図であれば、神様の行
はしためです。」と言われた。この言葉には神学
為・出来事を意味しています。”お言葉どおりに
的に深い意味が込められています。「はしため」
なりますように“といわれたマリア様は“すべて
というのは女奴隷のことです。古代社会にはたく
の出来事をお受けします。”とおっしゃったので
さんの奴隷がいました。マリア様は神様に“わた
す。イエス様のお母様になるということは、イエ
しは神様の女奴隷に過ぎません”という意味の言
ス様が最終的に人から侮辱され、十字架上で命を
葉を用いて最終的な神への恭順のこころを表わ
ささげることをもお受けしますとおっしゃたこ
されました。
とを意味しています。その出来事を神様のご意思
奴隷は一つの身分で、市民権を持たない、労働
として、すべてを受け入れますと同意されたので
力として使われるご主人様の所有物です。主人の
す。イエス様にまつわる生涯すべてを神様のご意
命令に背くと殺されても仕方のない存在です。戦
思として受け入れるということです。
争に負けた人たちは奴隷に引き立てられ、ひとた
マリア様は何か出来事が起こると、それをじっ
び奴隷になると奴隷の男と女に生まれた子供も
と深く考えて黙想しておられたとルカ福音書は
奴隷なのです。この意味するところは、マリア様
伝えています。そのようなことから、マリア様は
3
祈る方であったと言われています。まさに信仰に
けて行われましたが、大勢の方が参列しました。
生きた方であったといえるでしょう。お告げの時
会集席の後ろ半分の椅子は撤去され、立ち客の
に天使から教えられた事柄を信じたマリア様は、
ための場所となりましたが、第一ミサでは、それ
その生涯のあいだ、常に信仰の中に生きておられ
でも収容しきれずに聖堂の外にまで会衆が溢れ
たのです。
るほどの混みようでした。
“イエスがこれらのことを話しておられるとあ
る女が群集の中から声高らかに言った。「なんと
第二ミサでは、幼児2名を含む3名の方の洗礼
幸いなことでしょう。あなたを宿した体、あなた
式と1名の方の初聖体が行われました。
が吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。
「む
洗礼を受ける一人の赤ちゃんは突然注がれた
しろ幸いな者は神の言葉を聞き、それを守る人で
水に驚いたのか、大きな声で泣き出し、聖堂は暖
ある。
」” すなわち、イエス様は“肉体的な母親
かい笑い声に包まれました。私たちの共同体に新
もすばらしいが、それ以上にマリア様がすばらし
たに加わった方々、そして初聖体のお恵みを受け
かったのは、神の声を聞き、それを信じて実行し
た方に、神様の愛と恵みが深く注がれますように
た人であったことです。
”と言われたのでした。
お祈りいたします。
(広報部
山内)
各ミサでの聖体拝領は、祭壇前の他、聖堂後部
でも行われました。祝福を受ける方も多く、この
日初めて教会に来られた方も、かなりいらっしゃ
クリスマスミサが行われました
ったのではないかと見受けられました。
待降節に入り、教会はクリスマスの準備に大わ
クリスマスに初めて教会に来られた方々に感
らわになります。祈りが捧げられ、飾り付けが行
謝いたします。僅かな時間ではありましたが、共
われ、主のご降誕を待ちわびます。
に祈り、共に主のご降誕を祝ってくださった皆様
今年は教会の飾り付けにも力を入れ、聖堂屋根、
信徒会館のベランダ等に多くの電飾が施されま
に、神の祝福と恵みが注がれますように。
(広報部
したが、24 日の夕方、蝋燭をマリア像の前に並べ、
キャンドルアップが行われました。幻想的、そし
て荘厳な雰囲気を醸し出す中、ミサに訪れる人々
が聖母マリアへ祈りを捧げる姿が印象的でした。
主のご降誕ミサは 18:00 と 20:00 の2回に分
4
永田)
ここで昼食時間です。
チャリティー・クリスマス会の開催
信徒会館ではフィリピン・コミュニティの皆さ
毎年恒例のチャリティー・クリスマス会が、1
んによる豪華な昼食が準備されており、午後に向
2月17日、第二ミサの後、行われました。これ
けてお腹を満たしました。
まで、様々なスタイルを試みていますが、本年は
第二部は第七地区の中高生の皆さんによる合
昼食タイムを挟んでの3部構成で行われました。
唱で始まりました。昨夏のサマーキャンプで、そ
この催しには、外部から地元の厚木少年少女合
の結束の強さを証明した皆さんですが、練習時間
唱団の皆様と、敬老会で素晴らしい歌を披露して
僅か1日という中で、見事なハーモニーを聞かせ
くださった宮崎カリタス修道女会の志願者の皆
てくださいました。
様、そして第七地区の中高生の皆様が参加してく
続いてブラジルの子どもたちによる合唱です。
ださいました。
総勢8名で、ちょっと照れながらの合唱でしたが
笛の伴奏のもと、素敵な歌を披露してくださいま
した。
催しは教会学校による聖劇とクリスマスソン
グの合唱で幕が開きました。この日のために練習
次に厚木少年少女合唱団の皆さんの登場です。
を積んできており、とても上手に上演してくださ
2006 年には児童合唱団の賞では最高峰ともいえ
いました。
る「第11回花とライオン児童合唱音楽賞」受賞
ここで、サンタクロースの登場です。大きな袋
という栄冠に輝いた合唱団で、クリスマス会には
を携えた二人のサンタクロースが登場すると、会
今回で3回目の登場になります。クリスマスソン
場の子どもたちからは歓声が沸き起こりました。
グに限らずヨーデルなど、様々な曲を歌ってくだ
会場内の全ての子どもたちが、お行儀よく2列に
さり、会場は大きな拍手の渦に包まれました。
整列したところで、サンタさんへの質問コーナー
が設けられました。
敬老会で好評だった宮崎カリタス修道女会の
志願者の方はハンドベルの演奏をしてください
「サンタさんは、どこから来たのですか?」
ました。演奏してくださったのは短期大学に在学
「うーん。遠い国からだよ」(達者な日本語)
する7名の方でしたが、途中で曲の変調を行うな
ど技術の高さを見せてくださいました。さらに高
プレゼントを受け取る小さな子どもたちの目
校生4名を加えて合唱が行われました。この中で
がひときわ明るく輝いていたのが、とても印象的
歌われた「クレド~ある兵士の祈り」はたいへん
でした。
心を打つ曲で、詩が客席に配られ、歌と祈りの荘
厳なひと時が過ぎてゆきました。
5
ここで再びサンタクロースが登場し、会場の子
宣教部主催 第4回講話会開催
~高校教育の現在~
どもたち、厚木少年少女合唱団、宮崎カリタス女
子修道会の志願者の皆さんにプレゼントが配ら
「第4回講話会の様子」
れました。大きな袋の中にはプレゼントが余って
いたようで、若い女性の方にも“おまけ”で配っ
10月8日、第二ミサのあと、信徒司祭館で塚
ていました。今年のサンタクロースは大盤振る舞
野ミイ子氏をお招きし第4回目の講話会が「高校
いです。
教育の現在」と題して開かれました。
講師の塚野氏は、英語教師として23年間、中
続いて毎回
学校、県立高校で教鞭をとり、その後、県立高校
賑やかな歌と
教頭を経て、現在川崎市内の県立高校長です。塚
踊りを披露し
野氏は、めまぐ
てくださるフ
るしく変わる教
ィリピンの皆
育政策、教育現
さんによる歌
場を取り巻く現
です。軽快なリズムと出演者の踏むステップに会
状、などについ
場からは手拍子が起こりました。これで舞台に立
て、前向きな思
つ皆さんはリラックスされたのか、本領発揮。歌
いを込めて語ら
はますます陽気になって歌声もステップも大き
れました。
くなり、拍手喝采をうけていました。
信徒の皆様の
アオザイカルテットのハーモニカ伴奏をバッ
中には、中学生や高校生をお子様に持つ方も少な
クにしたベトナムの皆さんによるベトナム語の
くないと思います。たいへん興味深い内容でした
歌はたいへん美しい調べです。ベトナム語の響き
ので、以下、概要をお伝えします。
もたいへん柔
らかく感じら
【講話の要旨】
れ、会場の皆
講師の小学生時代に、2人の兄が受洗しクリス
さんは静かに
チャンになり、それ以来キリスト教に関心を持つ
聞き入ってい
ようになりました。
ました。
教職に就いて最初は、中学で英語を10年間教
プログラムの最後を飾るのは、先に伴奏を勤め
えましたが、教えた生徒達が高校でどんな授業を
たアオザイカルテットによるハーモニカの演奏
受けるのかに関心が高まり、その後、高校に移り
でした。名前のごとく、ベトナムの民族衣装アオ
ました。移った最初の高校では、生徒の実力に相
ザイを身にまとっての演奏で、「威風堂々」は力
応したもっと基礎的なことを教える必要があり
強く感じられました。
ましたが、単位を与える関係上、高校用の教科書
最後に会場の全員で参加する合唱が行われま
で教えざるを得ませんでした。次に移った高校は
した。「きよしこの夜」等の曲が英語、ベトナム
進学校で、受験のための英語授業が必要で、せっ
語、日本語で歌われ、今年のクリスマス会も無事
かく学んだ新しい教授法を活かすこともできな
に終了しました。
く、悩んだこともありました。また、既定範囲内
の授業で、望まれる英語の力がどれだけついたか
出演された皆様、準備に携わった皆様、お疲れ
も疑問に思いました。
様でした。
(広報部
90年代後半には、企業では、成果主義、能力
永田)
6
主義が関心を持たれていた時期で、教師の仕事の
PDCA(「計画」
「実施」
「検証」
「改善」)サイクル
評価に関心を持つようになりました。女性の社会
の手法を取り入れた学校評価制度システムが導
における役割を考えたとき、責任ある立場になる
入され、学校評議委員制度の一環として年度はじ
ことに背を向けている訳に行かず、平成11年に
めに当年度の具体的な学校の取り組み事項を公
教頭になりました。それ以来、教育行政に携わる
表し、それに基づき PDCA サイクルを回すという
ことになったわけです。
活動が始まりました。
平成11年以前は、教師の超過勤務は部活動、
平成17年度から、全生徒による全教科科目の
試験の採点やその他授業以外でも係わる時間を
授業評価が年2回実施され、学校として分析し課
含め、最低限の超過勤務の申請がどの教師にも認
題を明確にして改善に努めるようになりました。
められていましたが、平成11年からは事実に即
OECD 調査による世界の学力調査において、日
した超過勤務手当て支給に切り替わりました。
本の子供たちは、主に自己判断の側面、文書表記
平成12年には、従来は職員会議が学校の最高
などの学力が圧倒的に下がっていることが分か
議決機関として機能していましたが、校長の権限
り、平成13年に文部科学大臣から「確かな学力
強化に伴い職員会議は補助機関であると明確に
に向けて」という緊急アピールが出されました。
打ち出されました。さらに少子化に対応し、高校
そして、学習指導要領は最低基準であるという
の再編整備が行われることになりました。また新
従来とは異なる見解が出されました。発展的な取
たに総合学科が新設されることになりました。
り組みを推奨するようになり、総合学科は選択科
目が多いため、多様な科目に対応できるように教
師がそろえられました。
平成14年には、開かれた学校を目指した学校
評議委員制度が導入されました。これは学校外の
アメリカやフランスの語学教育は習熟度別ク
方に評議委員として参加してもらい、学校自身が
ラスで行われ、事前にテストで学力を計り、学力
変わっていくため、評議員が学校側に提言・要望
に合ったクラスに生徒を参加させています。日本
して、校長はそれを具体化していく制度です。
でも、単位制であれば、習熟度別クラスを設けや
すいのですが、普通高校のように学年制の場合は
平成15年には、従来から受験競争の熾烈な中
設けにくくなります。総合学科の場合、学年制で
でさまざまな弊害が教育界に出ていましたが、町
はなく、単位制であり、取得単位数で卒業の判定
田市の中学校でのナイフ事件を契機に、受験の重
がされます。その面で総合学科では習熟度別クラ
圧から子供達のストレスを減らす目的で、偏差値
スを設けやすいのです。
の追放、学習内容の削減、そして子供たちが生き
る力をつけていくために、学習指導要領に基づく
地方では、公立学校が都市圏における私立の役
ゆとり教育が始まりました。
割を兼ねています。都市圏においては、小学校か
それに伴い、新たに総合的な学習の課程が増え
ら中学校に進学するときに中高一貫校の私立学
て、各学校は対応に追われることになりました。
校に進学する生徒が多いという実態があります
また、同年度には従来の勤務評価制度に替え、
(ある雑誌によると平均的に12人/クラスぐ
目標管理手法による人事評価制度が始まりまし
らい)。中学から高校に進学時には、さらに多く
た。
の生徒が私立学校に進学しています。
このような状況に公立学校への不信感が出て
平成16年には、民間企業で採用されている
おり、平成17年10月に義務教育の提言がされ、
7
小中学校はそれにあわせてプログラムの組み直
質疑応答のとき、塚野氏は人間形成に関連し、
しをしているところです。
“思春期には、さまざまな興味、関心、体験を通
これに関連し学習指導要領の改訂が前倒しで
して、また現実の矛盾に悩み、自分の理想の姿を
行われるでしょう。文科省は公立学校への信頼の
思い描き、自分はいかに生きるべきかを少しずつ
回復を意図してさまざまな施策を行っています。
育んでいく”
、
“分からないことが分かった時の喜
び“、”勉強する喜び“などキーワードを述べら
れたことが印象に残りました。
現在、在席している生徒の将来を考えると、さ
らに科学技術は進歩し、通信技術は格段の発展を
昨今メディアは“いじめ問題”を盛んに報じて
遂げ、交通網の発達によって国境は簡単に越えら
いますが、めまぐるしく変わる教育施策と将来の
れ、さまざまな文化的背景を持つ人たちが一緒に
日本を背負う子供たちの教育に私たちは無関心
隣同士で生活をする、あるいは会社では隣同士で
ではいられないと思いました。
机を並べて仕事をする時代が目の前に迫ってい
(広報部
山内)
ると言えるでしょう。
そのような社会に生きるものとして基本的な
学力を身につける必要性があります。異なる文化
宣教部主催講話会~番外編~が
背景を持つ他者を理解して、かつ、自分も理解し
開催されました
てもらえる言葉の力、相手を理解するだけの視野
の広さを作っていかねばならないのです。
今年度、宣教部主催の講話会が4回に渡り開催
自然環境が変わっていく中において自分の健
されましたが、その番外編として、11月26日
康管理ができ、体力もつけていけるような基礎的
に宣教部の浅井さんご自身による講話会が行わ
なものをつけていくには、保護者の方、子供たち
れました。
を取り巻く地域の方々が手を携えて育てていか
浅井さんは高等学校の国語の教員をされてお
なければならないでしょう。それを成しうるため
り、非常にユニークな授業に取り組んでおられま
には、そのためのパイプを学校がどのように築い
す。今回は『読む楽しみ
ていくかということにかかっています。
る授業を目指して』という題目で、普段の授業の
書く喜び~考え参加す
一端を紹介していただきました。
学校の限られた時間で対応できることは、最低
限基礎学力を身につけさせることであり、生徒た
【講話の要旨】
ちが自ら進んで勉強の大切さを知り、学ぶことに
今日の国語の授業では、文学作品を読む際、作
よって将来の自分を耕すことができるという意
者が何を言いたいのかを問われます。しかし読者
識を持たせなければなりません。
は作品を如何様にも読むことが出来ます。それが
本来の姿です。そこで定説にこだわらない自由な
教育は最終的には“人”であり、どのような人
材が教員に得られるかによります。現在、取り組
読み方をし、紹介文を書いてみようというのが、
んでいる授業の質の向上、生徒の学力を高めるこ
今日の目的です。
とが、最大の課題です。
生徒には、私を驚かすような紹介文を書いてみ
神奈川県立高等学校の教員の平均年齢は 47.8
るように言います。それに応えて生徒も自由な発
歳で、教えるテクニックなど体験を通して身につ
想で書き、本当に私を驚かすような紹介文が寄せ
けてきたことなどを新しい先生にどう引き継ぎ、
られることもあります。
育てていくかという大変な課題もあります。
今日は時間の都合で、実際に書いてみるところ
(以上)
までできませんが、紹介文の書き方、「あっ」と
8
驚く作品の読み方の例を示してみます。
は幸福な場面と分類されますが、4人という状態
になると不幸な場面になります。
まず自由な紹介文を書くにあたり、念頭に置か
また作品の舞台となる下宿の間取りに着目し
ねばならないことを整理しておきます。
て読む読み方もあります。
・ 書き手が何を言いたいのか、主題は何なの
かにこだわらない。
お配りした資料の中に『源氏物語』、
『舞姫』の
・ 書き手の経歴や生涯にこだわらない。
読み方の例も入れておきましたので、お時間のあ
・ 書物を時代や社会に安易に還元しない。
るときにご覧下さい。
・ 主人公と書き手を混同しない。
(浅井
正彦さん)
・ 書物を心理的に読まない。
・ 書物を道徳的に読まない。
・ 独りよがりの感想に終わらないようにする。
この講話は大変好評で、参加者からは
「また続きをやって欲しい。」
「昔受けた国語の授業が、このようなものだった
ら面白かったと思う。」
等の声があがりました。
最後に浅井さんからメッセージを頂きました
ので、ご紹介いたします。
(広報部
永田)
浅井さんからのメッセージ
まず、「講話会番外編」開催のチャンスを与え
さて、黒井千次さんの『気がかり』という短編
てくださった委員会と、大掃除後それも開始予定
があります。お配りしたプリント1枚に収まる分
時刻を大幅に過ぎていたにもかかわらず参加し
量の短編です。これを読んでみてください。
てくださった多くのみなさんに、感謝の思いを申
(暫し皆、黙読)
し上げたいと思います。ほんとうにありがとうご
ざいました。
さて、ここで一つの読み方の例を示します。こ
さて、今回私が「講話会番外編」を実施させて
れは模範解答という意味ではありません。読み方
いただいたのは、教育改革が声高に議論され教師
の例です。
の資質が問われるさ中にあって、はなはだ僭越な
私は数字に着目してみました。文中に出てくる
がら「教師だって精一杯がんばっているんだ!」
物や人物にまつわる数字を見てください。偶数の
ということを知っていただきたかったからにほ
箇所、奇数の箇所があります。
かなりません。
物語は幸福から不幸な場面に移って終わるの
時代や社会情勢に合わせて教育のあり方が見
ですが、最初のほうでは偶数が主体になります。
直され、改善されることに対して異を唱えるもの
それが、途中で奇数の登場を転機に、不幸な場面
はいないでしょう。けれども残念ながら現在教育
へと変わっていきます。このような読み方もある
改革と称して行われていることは、必ずしも現場
のです。
の教師が望む方向に進められているとはいえま
同じように数字に着目して、夏目漱石の『ここ
せん。教育の将来を憂えあるいは失望して定年を
ろ』を読んでみると、登場人物が3人という場面
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前に職を辞するものさえいます。
うコピーが添えられています。ただし、197
しかしこの混迷の時代にあって、教師に限らず
0年に出版された本ですので入手は困難かもし
多くの人々がそれぞれの領域で「憂国」の思いを
れません。
抱いているのではないでしょうか。
*講話会番外編の記事をご覧になって関心を抱
大木英夫氏は「預言者的知性と祭司的知性」と
いてくださった方には講話会当日にお配りし
題する一文の中で、「人民の安息という政治課題
た資料をさしあげます。
の遂行のために、イスラエルの民が求めたのは、
.. .. .
知恵 と正義 と力 の総合を体現したような王者で
*「紹介文」についてもっと詳しくお知りになり
たい方は拙著『物語る愉悦』(近代文芸社)をお
あったが」、「(人民の安息という政治課題の遂行
読みいただければ幸いです。また現在『物語る
が困難な)政治的現実に対して、(現実の政権者
愉悦』の続編に相当する本を準備中です。
に対して否定的に向き合う現状批判的、革命的、
(浅井
正彦)
理想主義的知性としての)預言者的知性と(保守
と革新の間をいこうとする現実主義的知性とし
第七地区講話会が行われました
~キリスト教会の歴史 第一回~
ての)祭司的知性とが関与する」と述べ、「祭司
的知性」についてページを割いた後、「ラインホ
ールド・ニーバーの門で育てられキリスト教的現
厚木教会は近隣の教会と共に横浜教区の第七
実主義に養われたものとして」、ラインホール
地区に属していますが、今回、第七地区福音宣教
ド・ニーバーの有名な祈りを掲げています。
委員会主催による講話会が開催されました。
――神よ、変えることのできるものについて、
講話会のテーマは「キリスト教会の歴史~聖体
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
祭儀の変遷から考える~」というもので、教会発
変えることのできないものについては、それを受
足から今日までの長い歴史を3回に分けて俯瞰
けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変
します。講師は逗子教会の小笠原神父様がご担当
えることのできるものと、変えることのできない
されます。会場はいずれも厚木教会になります。
ものとを、識別する知恵を与えたまえ。
このテーマの由来は、梅村司教様が出された
今こそあらゆる領域でラインホールド・ニーバ
『交わりのある教会を目指して』と題する司教書
ーの祈りに具現化されている「祭司的知性」=「変
簡に応えるため、教会を知るところから始めよう
えることのできるものと、変えることのできない
とするところに発端します。
ものとを、識別する知恵」が必要とされているの
ではないでしょうか。
10月28日、その第一回目の講話会が、厚木
最後に、大木英夫氏が「預言者的知性と祭司的
教会聖堂で行われ、藤沢教会、相模原教会、大和
知性」と題する一文をつぎのようなことばでしめ
教会、津久井教会、厚木教会から53名の参加を
くくっていることをつけ加えておきたいと思い
得ました。
ます。
初回の講話は『初代教会から迫害時代まで』を
..
――真実に現実と取り組む知性は、信仰を求め、 眺め、聖体祭儀の変遷を追うものでした。
祈ることをおぼえる。
*
本文中(
詳細は割愛しますが、①主の晩餐を記念するた
)内の記述は筆者による注記であること
めに人々が集まるようになり、それが感謝の祭儀
へと発展していく様
お断りします。
*
②祭儀の中で今日のミサ
の基本が出来上がっていく様
大木英夫氏「預言者的知性と祭司的知性」は『終
③主に呼び集め
末論的考察』(中央公論社)に収められています。
られた共同体は、救いの恵みを証する使命を帯び、
本の帯には「絶望をふまえた究極的希望」とい
その誓いを聖体祭儀において確認していたとい
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うことを、配布資料を用いつつ解説されました。
いを誘う名司会でビンゴゲームが行われ、当たっ
黙想会の後、会場を信徒会館に移し、茶話会が
た人の「ビンゴ」と叫びに、拍手が送られました。
開かれました。お互い初対面の方も多く、最初は
10等賞まで決まった後、期待に胸を膨らませ
皆さん緊張された様子でしたが、次第に話が弾み、 一斉に賞の封筒を開封しました。そして 1 等賞か
各教会の宣教の取り組みなどの情報交換が活発
ら順番に賞の内容を発表し、賞品授与ではなくそ
に行われました。
の内容に沿ったことを行いました。例えば、“好
きな聖人の名前は”、“委員会に言いたいこと”
、
第二回の講話会は厚木教会で1月13 日に行わ
“あなたの郷里は”、などなど予期しない賞に、
れました。テーマは『古代教会から中世の末期ま
当選者はどぎまぎした様子で上手に対応しまし
で』でした。この模様は次号でお伝えいたします。
た。
第三回の講話会は 3 月 10 日に、
『ルネサンス時
最後に“好きな聖歌を歌ってください”を賞に
代から今日まで』というテーマで行われます。資
得た人は、“アーメンハレルヤ”を選び、全員で
料をお配りしての講話になりますので、理解しや
歌い、盛り上がった雰囲気のうちに閉会となりま
すいと思います。
した。今回企画準備された皆様に感謝します。
せっかくの機会ですので、興味をお持ちの方は
(広報部
山内)
ぜひ足をお運びください。
(広報部
永田)
七五三のお祝い
11 月 12 日の第二ミサで「七五三のお祝い」が行
晴天に恵まれた「親睦会」
われました。祝福を受けられたお子様は3名で、
10月9日(月)「体育の日」のミサ後、教会
例年より少なかったようです。ミサの中で朝山神
委員会主催の親睦会が教会の中庭で開かれまし
父様は、「奇数は昔から縁起のいい数だと言われ
た。ここ数年、
「体育の日」は雨天続きでしたが、
てきたようです。」と語られ、「子供たちが元気で
今年は絶好の行楽日和に恵まれ、約40名の方が
健やかに育っていくように」と祈られました。
参加されました。豚汁やバーベキューの料理(ア
ユ、肉、野菜)を味わいながら、日頃話す機会の
ない方ともお話ができ、交わりを深めることがで
きました。料理の中で特に人気のあったものはア
ユの塩焼きで順番待ちができるほどでした。
ミサ後、神父様から各人に記念品が渡され、子
お腹が満たされた後は、若者(トビー君)の笑
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供たちはうれしさ一杯の表情で、受け取られてい
ました。
(広報部
山内)
成人の日のお祝い
1 月 7 日第 2 ミサの中で成人式が行われました。
今年も新成人の方には案内状を送付しました。
対象者は 12 名でしたが仕事の関係などで 4 名が
出席。この日は教会の暦では「主の公現の祭日」で
東方の 3 人の博士が星に導かれ主を拝みに来た日
です(星は信仰)。
編集後記
「キリストの光を見失わないように社会人とし
て一人前の大人として歩んで行ってください」と
の御言葉と共に鵜飼神父様より祝福をお受けに
当教会の年度は信徒総会を区切りにしますの
で、今回の 98 号は 2006 年度最後にお届けするも
なりました。
4 名は成人を迎えられた事を神様と両親に感謝
のになります。
され、そして今後は心と力と愛を尽くして主のお
一年を振り返ると、鵜飼神父様の銀祝など大き
望みになる人格形成、主のお望みになる社会への
な行事がありましたが、信徒の皆さんが一丸とな
奉仕に励みたいと力強く述べられました。
って準備・実施し、行事を無事に終えることがで
きました。教会の中の結びつきが一段と深くなっ
聖堂の外では、つきたての御餅が用意され、新
成人の 4 名は杵を手に餅つきも体験され、つきた
たのではないでしょうか。
ての御餅を食べながら喜びを分かち合っていま
「あつぎ」は来年度も、紙面を通しまして、行
した。
事や信徒の皆さんの活動をお伝えしていく役割
を果たしていく所存です。ご期待ください。
今回担当されたコミュニティーの方々に感謝
致します。
(広報部
山田(照))
(広報部
成人式おめでとうございます
12
永田・山内・山田)