黙示録の四騎士

黙示録の四騎士
黙示録の福音 8
黙示録の四騎士
6:1-8
「黙示録の四騎士」という題の映画がありました。と言うと、見たような
言い方ですけれど、本当は見ておりません。世の終わりを見る興味本位のス
ペクタクルだったのか、ベルイマン流の象徴劇だったのか、よくは分かりま
せん。でも、この黙示録が語ろうとする元々の意味とは、多分ズレたもので
はないかと推測します。
四騎士の「四」は「死」に通じます。ですから「黙示録のシ騎士」と読ん
でもよいのです。実は洒落ではなく、このくだりのテーマは絶望と死です。
大体この黙示録だけではなく、聖書全体の主題が「死」とつながっておりま
して、本当は死を考えられる人だけ、死を直視できる人だけが、この本の伝
える命……キリストの復活の命に触れることができるのだと言ってよいでし
ょう。
信仰を拒絶した世間の習慣では、死はなるべく避けて、発音もしないよう
にします。ホテルやマンションの 4 号室とか、42 号室などは無かったり、有
っても好まれなかったりします。5 年前に息子が、五階の 4 号室を気に入っ
て買った時に考えました。私たちは「キリストと共に死んだ」(ローマ 6:8)
者ですし、そのキリストが「私は死を征服したからこの私を信じて天の父に
信頼する人は、そのままで死の中から命の中へ引っ越し済みなのだ」(ヨハ
16:33,6:25)と保証して下さるのですから、1-2-3-5 という、「抜き番
ごっこ」をする必要も無いのです。時々ふと想像します。日本中の 4 号室や
42 号室を、最後にクリスチャンが入居して清めているのではないか―これ
は考え過ぎですか。
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黙示録の四騎士
黙示録に展開する物語は、いよいよあの歴史の巻物に張り付いた七つの封
印が一つずつ、折って開かれる場面に入ります。終末の出来事と、そして最
終的な勝利がヨハネの目の前で、まるで大画面のロングショットのように繰
り広げられて行くのです。それが「七つの封印」と「七つのラッパ」と「七
つの鉢」です。ヨハネの見る光景は時に雄大、時に神秘。しかし、時に怪奇
と映る部分もあります。「怪奇」と見えるのは、多分私たち日本人が、ユダ
ヤの黙示文学の枠組みに慣れないからです。エゼキエル書やダニエル書を読
んで慣れておくと、入り易いでしょう。
1.第一の封印が開かれる。:1,2.
1.また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、
四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは
聞いた。 2.そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を
持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にも更に勝利を得ようと出て行った。
白馬の騎士は果たして何者か……? 古い注解書を見ると、これはイエス・
キリストの勝利の姿である、と書いたものが多かったですが……。これには
理由があって、ずっと後の 19 章に、やはり白馬の騎士が現れて、しかもその
名は「神の言葉」、また「王の王、主の主」であると明記されています。征
服者、勝利者の絵である点が共通します。でも、一時代に流行した傾向のよ
うに、何でも感激できて「恵まれれば」正しい解釈とみなしたのと違い、全
体の繫がりをじっくり見てゆくと、白馬の騎士がキリストだという見方は、
ちょっと無理なようです。
イエス・キリストが四人の騎士のうちの一人というのも、説明がつきにく
いだけでなく、この全体が「殺戮・飢饉・悲惨な死」というテーマで貫かれ
ている事からも、第一の騎士は良い意味の「勝利の主」という絵より、残虐
で止どまる所を知らぬ征服者の絵と見たほうが、四人……四騎、まとまって
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額縁に入ります。
ヨハネが見た無気味な四つの色の馬と、四人の恐ろしい騎士は、旧約では
ゼカリヤ書の 6 章に似たものがあります。ゼカリヤの見たのは四両の戦車を
引く四組の、数頭ずつの馬でした。ここでは、ゼカリヤ書の意味と短絡的に
結び付けるのは、適切ではないと思います。まず、第一の白馬は勝利者を表
わし、冠は征服者を、弓は侵入者の残虐を象徴しています。その飽くことを
知らぬ貪欲が、「勝利の上に更に勝利を得ようと」という言葉に込められて
います。
ヨハネが泣くほど見たかった未来の見通しは、何と残虐な侵入者の蹄の轟
きから始まりました。最近見た「敦煌」という映画のラストが印象に残って
います。西夏の軍勢が土煙を巻き上げて、莫高窟の横を駆け抜ける時に、組
み討ちしている二人を馬蹄にかけて去る場面……生々しく記憶します。43 年
前にソ満国境(ロシアと中国東北の境)でソ連軍の無数の戦車を迎えた日本
の若者たちは、「蛸壷」と言われた一人用の穴の中で、地雷を抱いて地響き
を待ちながら、狂い出す者もいたと聞きます。同じ恐怖と惨殺はすでに 1 世
紀末にも、目前に迫っていたのです。
ヨハネの時代以来、様々な形の白馬の騎士が、強弓を手にして攻め寄せま
した。「世が終わりに近付く時にまず来るものは、征服者の轟く馬蹄の蹂躙
である。それを聞くとき驚くな」というのが、第一の騎士にこめられたメッ
セージでありましょう。
2.第二の封印が開かれる。:3,4.
3.小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うの
を、わたしは聞いた。 4.すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に
乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与え
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られた。また、この者には大きな剣が与えられた。
炎の色の馬です。日本人なら炎で広島か長崎を思い出すでしょう。でも黙
示録のビジョンは、特にどの言葉がどの歴史事件を指すというような形では
つながらないと私は思います。一時流行った解釈では何章何節が第一次大戦
で、何章何節が核兵器の出現とか……そんなのもありました。そう言えば、
本講第一回の前置きで触れた“M”講師の天満教会の講演の案内には、「第
三次大戦、富士山の爆発、日本沈没」などが含まれていました。講演はどう
だったのでしょう? 8 月に天満へ聞きに行った人たちはその後、本当に黙示
録を真剣に読んだのでしょうか? 私の読み方では、炎の色をした赤毛の馬は、
もちろん間接的には広島とも大阪の空襲ともつながりますけれど、それはど
こまでも、終末が近づくシンボルとしてで、短絡的に火の馬が広島というこ
とではありません。
この火のように赤い馬の騎士には、「地上から平和を奪い取って、殺し合
いをさせる力が与えられた」と言います。「与えられた」―は「神
から与えられた」ことを言うのに違いありませんが、神がそれを許しておら
れる……一時的にもせよ、主なる神が許容して、させておられると言うのは
驚きです。これについては結論の所で改めてコメントいたします。ここの「地
から平和を奪う」とか「殺し合いをさせる」は、第一の騎士が暗示した外か
らの侵入者とは対照的に、むしろ内戦とか民族同志の大量殺戮のし合いを言
う、とは研究家の指摘するところです。
カンボジア……キプロス……今も続いている悲劇を考えます。ヨハネと同
時代の信徒たちは、間もなくそれが自分の身近で起こるのを見なければなり
ません。この第二の騎士には「大きな剣が与えられた」と。そして、愛し合
わねばならない人たちが、お互い憎しみに燃えあがるのです。殺しても、殺
しても飽き足りずに、河のように血を流し続けるのです。
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3.第三の封印が開かれる。:5,6.
5.小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うの
を、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている
者は、手に秤を持っていた。 6.わたしは、四つの生き物の間から出る声のよ
うなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。
大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
黒は光の無い絶望の色ですが、ここでは飢饉を象徴します。騎士が手に持
つ秤は、食糧の不足を暗示します。元々ユダヤの習慣では、穀物は目方で量
るものではなく、升目で体積を量ったものですが、エゼキエル書にも、「彼
らはおびえながらパンの目方を量って食べる」(4:16)という表現が見えま
す。戦乱と内戦で国は荒れ果て、食糧も尽きる。5 行目の「声のようなもの」
と書いた趣旨はよくは分かりませんけれど、四つの生き物の間から聞こえて
来る内容が、本当は生ける神ご自身の意志であることを、ユダヤ的に慎みぶ
かく表現しているものかと思われます。「神の声を聞いた」という言い方を
ヨハネは避けるのでしょう。
「デナリオン」は日雇い一日分の賃金です。「コイニクス」は大体 1 リッ
トルと考えてよろしいでしょう。当時は今のギリシャ語と同じように「ヒニ
クス」と発音したと思います。1 ヒニクスの小麦は一人分ギリギリの
食いぶちです。家族持ちなら大麦のパン 3で辛うじて家族を養えた
でしょう。普通の時の価格の 8 倍ないし 12 倍だとされますが、それでもこれ
は、まだ飢えて死ぬ程の緊急の状況ではありません。ただ、間違いなく庶民
の飢餓が、そこまで迫って来ている警告の状態です。果たして、それを見て
目を覚ます者がいるか……!
面白いのは、「オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」です。庶民のパンが
徐々に着実に不足に向かっているのに、それに比べれば言わば贅沢品のオリ
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ーブ油とワインがダブついていて、それを腐らせないよう対策を考えよと…
…。貧者を犠牲にしても生き延びたい金持ちの執念を暴露しているとも言わ
れます。別の説明としては、古代の星占いの文書などには「天秤座」
―Libra,
の年は、穀物は凶作なのにぶどうとオリブは豊作とされるので、これ
は「典型的な飢饉の年を覚悟せよ」という意味に取ると、秤を手にした黒馬
の騎士に重なる「見出し」になります。
さて、巨万の大軍の侵入、相次ぐ内戦と流血、無気味に悪化して行く食糧
の不足。歴史の終末のしるしとして次に来るものは何か……です。
4.第四の封印が開かれる。:7,8.
7.小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声
を、わたしは聞いた。8.そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗って
いる者の名は「死」と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四
分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威
が与えられた。
「青白い馬」の「青白い」は「クロロス」なので、「青白い」と
言うより「草色の」、または「黄緑色の」でしょうか。皮膚病で毛が抜けて
裸になった馬の色……という説明もあります。多分、実際の馬の毛色として
はあり得ない色で、それだけに印象は強烈です。
私の連想は、「火筒の響き遠ざかる」という、あれは何でしたっけ―「従
軍看護婦の歌」でしょうか。今の若者たちはもう知らない歌ですが。あの中
に「倒れし人の顔色は、叢の草葉にさも似たり」という所がありました。あ
れでしょうか。もっとも、ベンダサン氏は「青白い馬」という訳語をコテン
パンにこき下ろしていますから、歌詞に託した私の説明には何と言うでしょ
うか。とにかくここの「黄緑色」は死の色、死体の色を暗示すると
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考えて宜しいでしょう。
さて、その「黄緑色の馬」が現れると、地上を死が支配するようになりま
す。剣で首をはねられなかった人は、飢饉で飢え死にする。それでもしぶと
く生きている者は疫病の犠牲になる。最後から 2 行目の「剣と飢饉と死」の
「死」は、この組み合わせの中では、疫病を指す符丁であるといわれます。
同じ言い方がエゼキエル書にある(14:21)からです。
その黄緑色の馬に乗った騎士の名は「死」である、と言います。ここは「剣」
と「飢饉」に並べられないので、そのものズバリ、命を奪うものとしての「死」
の暴力を指すと考えていいでしょう。「陰府」はヘブライ語の「シェオール」
lAav.
もギリシャ語の「アーディス」も死者の世界を指す言葉です。死
が地の四分の一を嘗めて行く。その通った後を陰府が(擬人法ですね)引き
受けて、死者を飲み込んで行く。恐ろしい絵です。こうして「黙示録の四騎
士」の場は、全世界を死が蔽う所で、誠に暗示的に結ばれます。この死の中
に何かを見る目を持つか……です。
《 まとめと勧め 》
ヨハネが涙を流すほど、見せて頂きたかった輝く未来の希望です。その歴
史の秘密をひもとくために、巻物を開く資格を持つ者が、天にも地にも一人
もいないと知って、号泣した程のヨハネでした。「泣くな、ヨハネよ。ダビ
デの子が勝利を得て、今その巻物を開くぞ!」……そう聞かされてヨハネは、
期待と喜びに胸を躍らせました。巻物の中に秘められた未来の幻をこの目で
見て伝えてやれば、迫害の中で苦しむ兄弟たちも必ずや勇気に奮い立つだろ
う。ところがそのヨハネの前で、七つの封印の四つが次々に砕かれて、最初
の四景が展開されたとき、彼が見たものは死と絶望の映像だったのです。こ
れはどうしたことでしょう。
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第 1 世紀の信徒たちが輝く栄光に入るまでには、厳しい試練の時代を通り
抜けなければなりませんでした。この黙示録は、まさにその苦難の時代に生
きたクリスチャンたちに、「目の前の悲惨に目を奪われるな。その先にある
約束を見失うな」と呼び掛けた緊急の文書です。それは言わば新聞か、臨時
ニュースのような性格を持っていて、その時代だけに必要とされた、その時
点での警告と励ましが盛られていました。死が怒涛のように押し寄せても驚
くな。食糧が尽きる。四人に一人があなたの前で無残に死ぬのを見ても、落
ち着いてその先を見ておれ!
私たちは 6 章に入ったばかりで、終末の歴史の言わば「序の口」を覗いた
だけですが、このあと三回、三つの角度から繰り返す形で、目前の破滅・悲
惨と、その彼方にある勝利―神の御意志の完成というテーマが、三つの組
曲のように展開されます。それが「七つの封印」「七つのラッパ」「七つの
鉢」の歴史です。くどい位に同じ事が、これでもか、これでもかと、念を押
すように反復されます。それほどの念押しが必要だった時代に書かれた……
と言っていいでしょう。
黙示録という文書は「新聞か臨時ニュース」だったと申しました。10 年後
に読む新聞は、当然、それほど切実さを持って響かないでしょう。これは当
たり前です。その意味では、黙示録の意義は今日では、あの時点と同じもの
ではない、と私に教えて下さったベックマンさんの言葉が正しいと私は確信
しています。それでは、この黙示録は私たちの現実の信仰とつながりが薄い
かと言うと、決してそうではありません。
先ほど 3 節の説明の所で、炎の色をした馬の騎士には、地上から平和を奪
う力、殺し合いをさせる恐ろしい力が「与えられた」という言葉に注意を引
きました。聖書の表現としては「与えられた」は「神が与えた」ことを表し
ます。この「与えられた」は第四の騎士の終わりの一句にも出ます。「滅ぼ
す力、殺す権限が与えられた」……神が与えて今一時的にそれをさせておら
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れる! この言葉の背後に慰めを聞き取れますか……。
私たちの身近で、私たちの目の前で、地の四分の一を死が支配するような
光景、死が無残に人を奪って行く光景を見ることはありませんか。見る見る
うちに陰府がそれをかっさらって、掃除して行きます。どうしてこんな悲し
い事が、私の目の前で起こるのか? それは死であり、また病でもあります。
先が見えない行き詰まりも同じです。「なぜ私の上にだけこの悲しみが…
…!」「私の信仰が間違っているのか? ……主は私だけはお見捨てになった
のではないのか!」私どもはつい近視眼になって、これで終わりかと早合点
します。
そんな不信の瞬間に、私はこの「与えられた」という一句を思い出すので
す。「黄緑色の馬」が猛威を奮っているように目には映るが、それはただ、
ごく短い間だけ神からその力を「与えられて」いるのだ。私のために御子キ
リストを下さった神がそれを「させておられる」のだとすれば、そこには神
御自身がこめられた意味がある筈です。神は歴史をその御手に握っておられ
ます。神の目的が果たされて黄緑色の馬の出番が済めば、忌まわしい馬は、
騎士を乗せたまま去るのです。四人の騎士の猛威にうろたえて不安に脅える
な。黙示録はまだこの後があるのです。
(1988/12/25)
《研究者のための注》
1.「四つの生き物」については、第 6 講の 2 を参照して下さい。
2.第一の騎士は、その手に弓を持つことから、騎馬のまま弓を射たと言われるパルテア
人の侵入軍団を指す可能性を Rist は指摘しますが、Morris は、ヨハネは恐らく、パ
ルテア人の王やローマ皇帝以上の何かを考えていたろうと言います。旧約中でもイザ
ヤ 41:2 ほかに侵入者の武力を代表する用例が見えます。
3.「殺し合いをさせる」はという動詞(屠殺する)を
使って、血も涙もない冷酷な殺戮を暗示しています。
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4.「飢饉の年にぶどう酒とオリーブが豊作になる」という星占術の暦への言及は、Lohse
の注解から取りました。
5.8 節の最初の「死」は、字義通りの広義に、後の死は狭義に解しました。後者の代表
的用例としてエゼキエル 14:21 があり、LXX では「四つの厳しい裁き」の訳語とし
て、ここと同じ四語が使われています。「疫病」はとなっています。なお
Lohse のように、「死」という騎士を「疫病」と見る人もいます。
6.結論部で、黙示録の現代における価値についての冷静な目を開いて下さった方として
お名前を挙げた「ベックマンさん」は米国人の宣教師 George H. Beckman 氏で、私
にとっては最初にギリシャ語の手引きをして下さった師匠でもあります。ベックマン
氏の黙示録講義は教室で数回、通訳する機会を与えられて、私自身多くの示唆を得ま
した。
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