2015年3⽉9⽇ ⽇本株ファンドマネージャーの視点 『ゲームに寛容な⽇本⼈がつくる⽇本のゲーム市場(1)』 ※このレポートでは、⽇本株ファンドマネージャーが注⽬しているトピックなどを毎週お届けします。 ⼩型株担当として⼤型株以上に投資する確率が⾼いセクターが、ゲーム関連株です。今ではビデオゲームと呼ばれる コンピュータゲームを誰でもやっていますが、黎明期ではマニアのみが知る世界でした。 アメリカでは1970年代前半からコンピュータゲームが普及し始めました。⼀世を⾵靡したアタリなどを覚えてい る⽅も多いと思いますが、ロールプレイングゲーム、アドベンチャーゲームなど様々な分野のゲーム市場が確⽴しま した。実は⽇本でも1970年代前半という早い段階から、コンピュータゲームが家庭⽤やゲームセンター向けの専 ⽤機で開発されていました。そして1978年にタイトーのインベーダーゲームが⼤ブームとなり、漫画や専⾨誌が 多く発⾏されるなど、ビデオゲームの⼤衆化が⼀気に進みました。本家のアメリカはロールプレイングゲームなど本 格的なゲームが多かった⼀⽅、⽇本はアクションなどライトなゲームの⼈気が⾼く、よりマス層を対象としたため急 激に市場規模が拡⼤しました。1970代から多くのベンチャーが、アーケードで斬新なゲームを開発し、それを家 庭⽤に移植する努⼒を重ねることで層の厚いゲーム市場が醸成されました。特にCPUパワーに劣る家庭⽤ゲーム機 やPCに移植するためには、プログラムでCPUパワー不⾜を補う必要があり、ソフトウェアの技術⼒の向上につな がりました。 この成果がハード⾯、ソフト⾯で開花したのが、任天堂のスーパーファミコンです。爆発的なヒットとなったスー パーマリオで顧客層を⼦どもから⼤⼈まで広げました。特にマニアでない⼤⼈がゲームを普通にやるようになったの はスーパーファミコンからで、その後の⽇本市場の拡⼤につながりました。また1980年代にアーケードゲームで 流⾏したナムコ、コナミ、カプコンなどの主⼒コンテンツが移植され、クオリティの⾼いアーケードゲームが家庭に ⼊り込んだこともゲーム市場の裾野を広げました。 ⽇本でゲーム市場が拡⼤したのは、ゲームの⼤衆化が早かったことと、新しい物好きでゲームにお⾦を払うことに抵 抗が少ない国⺠性が⼤きく貢献しています。その好環境で多くの開発会社がしのぎを削ったことは、2000年代に パッケージゲーム市場の急激な拡⼤につながりました。そしてプレイステーション2で家庭⽤ゲーム機はピークを迎 えることになりました。 <⽇本のコンピュータゲームの歴史> 特徴 アーケードゲーム 全盛 時代 収益モデル 主な関連企業 アーケードゲーム向 けに 多く の斬 新な 〜1980年代 ゲームが多く開発され、ゲーム市場規模 ゲームの回数をベースの直接課⾦ ナムコ、コナミ、セガ が拡⼤。 スーパーファミコン の発 売に より アー 家庭⽤ゲーム全盛時代 1990年代〜 ケードゲームクオリ ティ が家 庭で 実現 2000年代 し、コンテンツの幅が拡⼤。2000年代は パッケージの売切りという直接課⾦ スクエア、エニックス、任天堂、ソニー 開発費が⾼騰。 通信環境の進化とともにゲームが家庭か 携帯ゲーム全盛時代 2000年代 ら気軽に持ち運べるようになった。開発 ガチャ、アイテムなどの間接課⾦ グリー、DeNA 費は低い。 スマートフォンゲ ーム 全盛時代 スマートフォンで⾼画質ゲームが実現。 2010年以降 ただ⼀つの成功したゲームの模倣などが ガチャ、アイテム、広告などの間接課⾦ アップル、コロプラ、ガンホー、Mixi 横⾏。開発費は⾼騰。 株式運⽤部 永⽥ 芳樹 ■当資料は情報提供を⽬的として⼤和住銀投信投資顧問が作成したものであ り、特定の投資信託・⽣命保険・株式・債券等の売買を推奨・勧誘するもの ではありません。■当資料は各種の信頼できると考えられる情報源から作成 しておりますが、その正確性・完全性を保証するものではありません。■当 資料に記載されている今後の⾒通し・コメントは、作成⽇現在のものであり、 事前の予告なしに将来変更される場合があります。■当資料内の運⽤実績等 に関するグラフ、数値等は過去のものであり、将来の運⽤成果等を約束する ものではありません。■当資料内のいかなる内容も、将来の市場環境の変動 等を保証するものではありません。 大和住銀投信投資顧問株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第353号 加入協会 一般社団法人投資信託協会 一般社団法人日本投資顧問業協会
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