1 実習 博物館見学記

1999 年度学芸員課程報告書ホームページ版です。印刷冊子を再構成しているため、目次
や構造が多少変わっていますが、内容は全く同じです。HTML 文書のほうが読みやすい
場合もあります。
実習
1
1.1
博物館見学記
学芸員課程の歩み
はじめに 99 年度学芸員課程実習 がどのよ
うに歩んできたかを履修者 A,B による対談
形式でご紹介いたします。
A:学芸員課程との最初の出会いは、入学後
すぐのガイダンスだったよね?
B:そうそう、丸橋先生だったよ。
A:人気があるって聞いて、競争率高そうだ
と思ったなぁ。
B:小論文と面接の選考があるって聞いたか
らね。(P. 55 参照)
A:選考に通って、学芸員課程が履修できる
とわかったときは嬉しかった!
B:2 年生の 3 月には 1 回目の授業が始まっ
たね。今年度は大西先生と林先生が担当、指
導して下さいました。
A:3 年生からの実習は、毎週金曜日 5 限に
授業があって、2 週間に 1 回は、見学に行っ
て、ハードだったね。授業時間も延びたし。
B:そうそう、遅いときは 9 時ぐらいまでやっ
てたこともあったね。
A:体力勝負さ。担当班を決めて見学に行く
前から、何週間もかかって事前研究して、発
表するんだ。
B:見学は、実際働いている学芸員の方にお
話を伺えて勉強になったよ。(P. 5∼参照)
B:そういえばさ、研修旅行もいろんな意味
でハードだったね。京都・奈良に決まって
表 平成 11 年度博物館実習
からも、しおり作り(事前研究)に励んだ
しねー。
A:夏休み中、しおり作ってた。
B:研修旅行でまわった博物館、美術館でも、
親切な学芸員の方に出会えて良かったね。
(P.
11∼参照)
A:後期に入ったら今度は、実技実習や仮想
展示が始まった!
!
B:実技実習でキャプションを作ったのは楽
しかった!
!ちょっと学芸員の仕事を知るこ
とができて。(P. 42 参照)
A:学芸員課程室 2 階の壁を使って仮想展示
を企画するって良いアイディアだよね。
B:みんな凄いよね。展示の形にまでこぎつ
けてたもん。(P. 43∼参照)
A:遺跡発掘や博物館でのアルバイトを紹介
してもらったこともあった。
B:いい体験をしている人は多いはず。大窪
さんに感謝だね。(P. 55 参照)
A:そうそう、来年は博物館・美術館に実際
実習行くんだよね。凄く楽しみ!
!
B:私も楽しみだよ。先輩達の話を聞いて参
考にしようよ。
「学芸員」を体験できるいい
機会だから。(P. 23∼参照)
A:学芸員課程には、実習の他にも必修科目が
あって、学芸員としての姿勢を学んだよね。
B:こうした体験であっという間に前半過ぎ
てしまったけれど、いい仲間や先生に会え
たことを報告書に記しました。是非読んで
下さい。はじまりはじまり。
履修者リスト (担当教員大西廣・林道郎) (table1.tex)
学科・氏名
大学院生
草刈陽子
鈴木恵美子
本山直人
欧米文化学科
渥美利紗
安部深穂
飯田奈穂子
宇佐美祐子
小国英美
神田真由美
鈴木真弓
根津淳一
専攻
歴史
美術
民俗
美術
美術
美術
民俗
美術
美術
美術
美術
学科・氏名
日本文化学科
市川廣太
岩崎まゆ
植松有希
岡田まどか
川俣典子
坂井儀行
武井れい
田代一樹
林奈都
堀江紀夫
松本亜矢
社会学科
齋藤真美
専攻
美術
歴史
美術
民俗
民俗
歴史
美術
考古
考古
歴史
歴史
考古
表 年間活動報告 (table2.tex)
1998 年 10 月
11 月
1999 年 1 月
4月
4 月 16 日
4 月 24 日
5月
5 月 16 日
5 月 28 日
6月
6 月 13 日
6 月下旬
7月
3
夏休み
9月
9/7∼9
9月7日
9月8日
9月9日
10 月
10 月 9 日
10/22∼ 11/1
11 月
10/12∼22
27
12 月
ついに学芸員課程、選考課題掲示板に出現!
!小論文提出 ドキドキ
1 次選考通過発表。続いて 2 次選考。グループ面接で討論を…。履修者発表!
!履
このころからガイダンスや課題提出が始まる。4 月から授業のはずが、先取りか
学芸員課程実習 いよいよスタート。担当班を決めて事前研究を始め見学実習を
東京国立博物館で初の見学実習。緊張!
!
国立西洋美術館を見学。
新宿区立新宿歴史博物館を見学。初めての担当班による事前研究をしての見学だ
日本銀行金融研究所 貨幣博物館を見学。
国立歴史民俗博物館を見学。現地朝 9 時半に集合、閉館時間までいたハードな見
研修旅行に向けて怒濤の準備期間となる。
東京都現代美術館見学。ロビーで研修旅行の話し合いも行われる。
各班しおり作り。旅行委員大忙し。
京都研修旅行
大阪人権博物館、国立民族学博物館
京都国立博物館、京都府京都文化博物館
美術班―智積院、高台寺、京都国立近代美術館
歴史班―水落遺跡、飛鳥寺、奈良国立文化財研究所飛鳥資料館、高松塚壁画館
考古班―奈良県立橿原考古学研究所附属博物館、水落遺跡、飛鳥寺、高松塚壁画
民俗班―大和文華館、奈良県立民俗博物館
日本民藝館見学。最後の見学実習。モノ派かコト派か?
初の仮想展示「絵画の奏でる音楽」実施!
!
第 2 回仮想展示「ひとりあるきした聖者∼達磨からダルマへ」
実技実習!キャプション作りに挑戦。
12/3∼14
12 月 10 日
2000 年 1 月
1 月 14 日
2∼3 月
3 月中旬
4月
1.2
仮想展示第 3 回。「物語から抜け出したヒロイン∼ラファエル前派と 6 人の恋する乙女
座談会。一年の締めくくり。
最終授業。一年間、色々、本当に色々あった!
!
学芸員課程報告書編集作業大詰め。
学芸員課程報告書完成
実習 スタート。今年は博物館実習頑張りましょうね。
東京国立博物館
り重視されないことが多いが、何らかの事
故により原本が失われた場合に、複製があ
れば作品はコピーにしろ原本に近い形で後
世に伝えられる。複製にもそのような役割
があるのだということを教えていただいた。
この「模本」を展示に用いたということも
注目すべき点だと言える。
この博物館は上野公園内にある。門を入る
と池があり、ベンチに座ってのんびりしてい
る人もいる。とても雰囲気のよいところで
ある。
ここでは本館の他に、表慶館、東洋館でそ
れぞれ展示が行われている。この他に、資
次に、絵画の部屋の中に「モノ」である舎利
料館、法隆寺宝物館、平成館もある。私達
塔が展示されていたのが印象的だった。当時
が見学に行った時点ではまだ平成館はオー
の状況をよりよく知るために、枠を取り払っ
プンしていなかった。
た展示構想ができれば、ということで展示
表慶館では、縄文土器・土偶・銅鐸等の考
したということであった。
古資料を展示している。この建物の特徴は
展示の企画を行う際には、事前調査が必要
「ヴィスタ」といって空間が大きく見渡せる
である。ひとつひとつのものをさまざまな
ようになっているのに、展示ケースの置き
角度から調査・研究することが大切である。
方が不用意で、せっかくの特徴が活かされ
私達からの質問で展示の際の苦労した点を
ていないということだ。東洋館では、中国・
伺ったところ、特になく、好きでやっている
東洋のものが、そして本館には日本の美術
から辛いとは思わないということであった。
が中心に展示されている。
敢えて言うならば展示にもっていくまでの
実習 として初めての見学である今回は、本
テーマ選びと、それが実現可能かの下調べ
館の 2 階、第 11 展示室の『釈迦信仰の系譜
など、ということである。
「好きだから辛く
―真如法親王像を中心に―』を見学し、展示
ない」とは、なかなか言える言葉ではないと
を担当された行徳さんにお話を伺った。行徳
思う。仕事に誇りを持ち、それが展示への工
さんは、3 月まで東京国立博物館におられた
夫・配慮につながっているのだと思った。初
が、現在は文化庁に勤務されているという
回の見学からとても良いお話を伺うことが
ことであった。東博の常設展示は、ひと部屋
できてよかった。私もいつかは「好きだから
ずつ担当者を置き、担当者に任せて展示を
辛くない」と言えるようになりたい。
行っているという。
(大学院 日文 草刈 陽子)
まず面白いと思ったのは、普通なら「置い
て」展示する巻物を「掛けて」展示してい
たということである。巻子の両端にアクリ 1.3 国立西洋美術館
ルの「軸」をつけ、掛け軸風に見せていた。
この作品は、巻子の体裁をとってはいるが、 私達の 2 回目の実習は、国立西洋美術館の、
もとは掛け軸を模写したものであるという 「イタリア・ルネサンス美術展フィレンツェ
ことから、掛け軸のように見えるような展 とベネツィア」の展示見学であった。今回
示をしたということであった。複製はあま は、ロシアの、エカテリーナ 世がエルミ
タージュ(隠者の館)に集めた約 2,705 点の 「借りた絵を絶対にロシアに返す」という保
コレクションの中から、ルネサンス期のフィ 証書を出さないと外国に貸さないという法
レンツェ、ベニスのものを展示していた。見 律である。ロシアは、戦争中に戦利品とし
学の日程が決まったのが 2 日前と急だったの てたくさんの美術品を各国から持ち出した。
で、事前研究もない突然の見学となった。 また現在、あまり財政が良くなく、たくさん
当館は年に 3 回特別展を開いている。公的 の国に借金をしているので、担保に差し押
予算のものと、テレビ・新聞社が予算ベース さえられるといった不安からこのような法
律が出来たそうだ。このことを、日本側は
のものとがあり、今回は後者であった。
階上は 6 つの部屋に分かれて、ルネサンス おろか、ロシア側さえも知らなかったので、
初期(プリミティブ)、中期(クラシック)、 直前に冷や汗をかいたそうだ。ともあれ予
後期(マニェリズム)のフィレンツェ・ベニ 定通りにオープンできて一安心といったと
スとなっていて、それぞれの部屋の入り口 ころだったという。
にパネルで作風の説明があった。
ルネサンスの作品を展示する時の大きな問
題の一つは、キリスト教国でない私達にとっ
て主題が分かりづらく、音声ガイドもほとん
ど使われていないということだ。作品の一
つ一つに説明をつけて欲しいという声も多
いが、パネルの前に人だかりができ、肝心
の絵を見る人が少なくなり逆効果になると
いう。パネルは展覧会の種類によっても使い
分ける必要があるので、担当者の個性が出
るところだそうだ。会場は学芸員の「表現
の場」なので、そこからどんなメッセージ
を受け取ってもらえるか、またどのように
して見せるかなど考えるのは楽しく、照明
一つとっても使うか使わないか、どのよう
に当てるかで見え方が大きく変わってくる。
このような試行錯誤を経て、展示が出来上
がっていく。
板から移し替えのはなし〉
作品の多くに「カンヴァス(板から移し替
え)」という表示があった。これは、19 世紀
の絵画などの、ポピュラーな修復の方法で、
絵が板に描かれていた場合に、その板を裏
から削り、絵の具だけになった絵をカンヴァ
スに張り、写しかえるという方法である。板
のままでは、温度や湿度に敏感なため、保存
に支障をきたすのだ。しかし、品質が劣化し
たり、元々のイメージが伝わらないため今で
は行われていない。
カタログ作り〉
展覧会が始まる 3ヶ月前からは、ほとんどカ
タログ作りの作業である。内容、翻訳を何
種類作るか、冊数、値段といった色々なこと
を検討する。派手だが、走馬灯のような特別
展は、終わってしまうと何も残らない。唯一
作品管理について〉
「かたち」となって残るカタログは、私の想
2 週間前に 3 つのシップメントで日本に運ば 像以上に真剣に作られていた。
れた作品は、1 日を収蔵庫ですごし、空気・ 印象に残ったこと〉
環境に慣らす。1 日は、損傷チェックと、展
示しやすいように金具やガラスをつける細 とても華やかで、人目をひく展覧会も、直前
工をする。そして会場に運ばれ、実際の展 まで色々な苦労があることを知った。絵画を
1 枚借りるにも、国の思惑が絡むと難しい問
示が始まる。
題となる。コネなども大事だそうだが、自
直前の 2 週間前にぎりぎりで作品が来たこ
分達の強い意志で実現させた努力は、好き
とで面白い話を伺った。ロシアではおとと
なことだからこそ出来るものだと思った。
しの 9 月、美術品を海外に持ち出す際の新
しい法律ができた。それは、国(政府)が、 (欧米 安部 深穂)
1.4
新宿区立新宿歴史博物館
14 時 40 分頃から富樫先生に館内各施設の案
内と企画展示の解説をしていただきながら
の見学があり、特に展示解説は歴史遺物に
疎い私には大変楽しく、わかりやすいもの
であった。
(欧米 根津 淳一)
新宿区立新宿歴史博物館は、日本が高度経
済成長期にさしかかった昭和 38 年に設置さ
れた「郷土資料室」から始まった。この年は
ちょうど東京オリンピックが開催された年
で、世界情勢に追いつかんとする息ごみが
あった(らしい)。博物館もこれに乗じて、
バブル経済期に至るまで続く所謂「博物館 1.5 日本銀行金融研究所貨幣博物館
建設ラッシュ」が起こり、当博物館もその流
日本銀行金融研究所貨幣博物館は日本銀行
れの中の一つに位置づけられると思われる。
の創立 100 周年記念の一環として、昭和 60
さて、館側の施設概要は以下の様になる。
「博 年に開館した。それ以前から日本銀行内に
物館法に則った社会教育の場であり、設置の 資料室はあり、こちらは予約制で現在でも見
目的に沿って、それぞれの専門分野における 学することができる。施設としては博物館
資料の収集・整理保管・調査研究及び教育普 相当施設であり、日本銀行金融研究所第 3 課
及活動の機能を持っている施設である。新宿 歴史研究部門に所属している。展示は研究
区立歴史博物館は、郷土資料の収集保存、調 所の発表の場として位置付けされている。こ
査研究、公開をし、区民の精神的、文化的創 の博物館は日本の古代から現代に至るさま
造力を育む場となるよう、さらには、地域の ざまな貨幣 16 万点、貨幣に関する資料(古
歴史と文化を守りこれを正しく継承し、よ 文書・絵巻物等)4 万点、合計約 20 万点を
り高い文化を育成する施設として建設され 所蔵し、そのうち約 5 千点を展示している。
た。また“ 新宿歴史博物館 ”の名称は親しみ そしてその研究の成果から、 日本の貨幣
のもてる施設となるよう区民のみなさんか 史、 貨幣の機能・役割、 貨幣と人々の
ら募集して決めたものである」
つながり、そして貨幣価値の安定の重要性
当日は、まず始めに常設展の見学を行った。 について考えるきっかけ作りを目的として
これが 12 時 40 分から 13 時 20 分の 40 分間 いる。子どもへの対応については、クイズ
位である。その後、2 階講堂にて当館学芸員 や挿し絵が載っている子ども向けのパンフ
の富樫雅彦先生にお話をしていただいた。内 レットがあり、障害を持つ方への配慮とし
容は今後期待される学芸員像についてや、広 て車椅子 3 台、車椅子用トイレ、スロープな
報活動の問題(知名度の低さ)、Iターン現 どの設備がある。
象(東京近郊在住の市民が、地元に戻って
そのまま戻ってこない現象)による都市住
民の減少や少子化。そして来年度(つまり
今年度)より始まる公立博物館のエージェ
ンシー化、つまり博物館が独立財団法人と
して経済的手腕を問われていくことについ
ては、こちら側の予習内容にも含まれてい
たので実際に蒙る側の意見をお聞かせいた 貨幣博物館でお話を伺っていると
だいて大変勉強になった。国鉄や日本電信 ころ。
電話公社の前例をあげて肯定的に捉えてい この館はオフィス街に囲まれていて、展示室
こうとする姿勢に富樫先生の視野の広さと、 のスペースに対して警備員が多くいる。そ
意志の強さを感じた。お話をお聞きした後、 のため、いかにも日本銀行の研究所という
ことがうかがえた。この館には学芸員がい
ないため、10 名前後の日本銀行員が学芸員
のかわりを務めている。当日は間中孝三さ
ん、鈴木恵子さんのお二人にお話を伺った。
来館者は 1 日に約 120 人、1 年では 3 万人で
全体の 50 %以上が学生だそうである。東京
駅からも歩いて来られる距離にあることか
ら、修学旅行の来館者が多いそうである。展
示の形式は 15 年程前の展示がもとになって
いるが、筒の中の展示などにより歴史の流
れをわかりやすく解説するなど、古さは全
く感じさせない。当初から展示は業者に依
託しているが、現在は企画展示コーナーに
館員の手作りのキャプションもあった。材料
は東急ハンズで購入しているとのことであ
る。現在、重要視されていることは保存・管
理である。以前は保存や管理について重要
視されていなかった為資料などが傷んでし
まったが、今では東京文化財研究所の指導
を受けているそうである。現在は基本的に
実物展示をしているがこれからは保存の観
点からレプリカを入れていく方向だそうで
ある。保存重視と現物重視、この 2 点はこれ
からも博物館においては難しい問題の一つ
ではあるが、目の前のものにとらわれるだ
けでなく、見る側にも考えることが必要な
のだと思った。
(欧米 宇佐美 祐子)
日本銀行金融研究所 貨幣博物館
を見学。ここには「学芸員」はい
ないということだが、職員の方が
様々な工夫を凝らして展示を行っ
ていた。
1.6
国立歴史民俗博物館
「れきはく」の愛称で知られるこの博物館
は国立の大学共同利用機関として昭和 56 年
4 月 14 日に設置され、文部省の管轄のもと
研究・教育活動の場となっている。
展示内容は歴史学・考古学・民俗学の 3 分野
にわたっており、さらに各分野が互いに協力
しつつ研究を進めている。そしてこの研究
の目的は日本の歴史・文化の実証的な解明
である。
以上は館の概要であり、下調べの段階であ
る。見学当日には丸山伸彦先生に多くのお
話を聞き他館との大きな違いを知ることに
なった。
まず始めに文化庁の管轄ではなく文部省の
管轄になっていることについて。
文化庁の管轄では文化財の保存に重点が置
かれてしまうため研究に専念できない。研
究機関として機能させるには大学と同じく
文部省の管轄に入っていなければならない。
また職員は学芸員ではなく教授あるいは助
教授であり、研究者である。さらに館内には
ゼミ室のような部屋や研究室まであり、大学
と変わらないつくりになっていた。ここは普
段、関係者以外は入ることができない。
次に館内の展示について
展示品は複製品が多いが、これはモノを見
せることよりテーマをみせることに重点を
置いているためである。これによりガラス
ケースに入れないむき出しの展示も可能に
なった。私自身は開放的な展示でよいと思っ
た。なぜなら来館者が「見せられている」の
ではなく「見ている」、つまり能動的になる
ことができると考えたからだ。複製の制作
にコストがかかりすぎてしまうという問題
があるそうだが、できることならばこのよ
うな展示を減らさないでほしい。
今後、第二次世界大戦以後の日本を新たな
テーマとした展示を考えているとのことだ
が計画は立てられていないそうだ。戦争を
知らない世代に事実を伝えるためにぜひ実
現させてほしい。その際には私も来館して
事実を見ようと思う。
(欧米 飯田 奈穂子)
東京都現代美術館 Mot(Museum of 東京都現代美術館で学芸員の渡部
Contemporary Art, Tokyo)
葉子さんにお話を伺っているとこ
ろ。東京都現代美術館ならではの
問題など、貴重なお話を伺うこと
都立木場公園内に位置するこの美術館は、平 ができた。
1.7
成 7 年 3 月にオープンした、都内の公立美術
館では初の現代美術館である。これまで東
京都にはなかった現代美術の常設展示会場を
持っている。現代美術の動向を積極的に紹介
し、コミュニケーションを通じて人々の理解
を深めるというのがその活動の性格である。
事前学習(テーマ:現代美術に親しむため
に、Mot が行っていること)
館内には、展示室の他に美術情報センター
というものがあり、美術図書館や、映像ギャ
ラリーなどがある。図書情報係長以下 4 人
の司書の方がいるこの美術図書館は、国内
の公開美術図書館としては最大級の規模で
ある。観覧席は 48 席あり、誰でも無料で利
用できるようになっている。
見学記録
見学当日、まず常設展(コレクションのほ
とんどは母体である東京都美術館から譲り
受けたもの)を、我が武蔵大学の院生でも
あるボランティアの池田さんによるギャラ
リートークを聞きながら見学した。私のよ
うに、あまり現代美術にふれたことがなく、
作品をどうやって鑑賞すればいいのかよく
わからない、という人は結構いるのではな
いか?そんな人や、あるいはもっと知識を増
やしたい人にとって、このギャラリートー
クは現代美術の理解を深めることが出来る
チャンスなのではと思う。特に、知識を持っ
ているボランティアの方とコミュニケーショ
ンをとりながら、という部分に魅力を感じ
た。ギャラリートークの他にも、各常設展示
室においてある作品解説シートや、テーマ
別になっている 7 冊(内 3 冊は子ども向け)
のガイドブックなど、館の行っている、現代
美術に親しめるような工夫はいろいろ形に
なって表れていた。
また、現在 25 人ほどのボランティアの方に
よる、ギャラリートークが毎日行われてい
る。このボランティアは 2 年に 1 回募集し
ている。前回の場合は、まず書類審査をし
て 300 人ほどから絞られ、学芸員による授
業(20 回ほど)を受け、最終的に 5 人が選
そしてその後、学芸員の渡部葉子さんに、
「学
ばれたそうだ。偏らないように色々な世代
芸員という仕事」というテーマでお話を伺っ
の人がいるが、どの方もみな熱心に勉強さ
た。
「Howto よりも発想が大事」とおっしゃっ
れているという。
ていたのが印象的だった。
「コンセプトは出
そして組織の中には普及部があり、教育普及 発点であり、作品が並ぶのは最終的なこと
係という人がいて、イベントや講演会、子 である」という言葉に、ひとつの展覧会が
もの展示パンフレット作成、ワークショップ 行われるまでの、学芸員の長い道のりが凝
縮されているように思えた。
等を行っているそうだ。
また、現代美術は作品の材料として色々な
モノ(例えばママレモンなど!)を使ってい
るため保存が大変だったりすることや、作
家が生きている為、展示するにあたって一
緒にその空間をつくれるという魅力につい
てなど、現代美術ならではの話を色々とし
ていただき、ほんのわずかだが「ある学芸
員の 1 日」をのぞけた気がした。
であると柳宗悦は言っている。
まず学芸員の杉山亨司さんにお話をうかがっ
てから自由に見学、その後また質問の時間
をとっていただいた。
感想
私にとって、この館はまさに「現代美術」と
の出会いの場となり、とても楽しい 1 日と
なった。ここでは、作品とはその展示空間
によって表情が変わるのだ、と初めて実感
した。
「自分と同じ空気を吸っている人が何
を表現しようとしているのか?」という渡部
さんの言葉を思い出しつつ、これからも同
時代性がその魅力の 1 つである現代美術を
たくさん見ていきたいと思う。
(欧米 渥美 利紗)
日本民藝館、見学の様子。学芸員
の杉山亨司さんにお話を伺ってい
るところ。
杉山さんのお話では民藝館は建物そのもの
が民芸品であるため館内にエレベーターは
なく、また収蔵庫や展示室も完璧な温湿管
理ができるわけではないため収蔵品はあま
り保存が難しくないものを選んで自分の家
の道具を大切にするように管理し、正倉院
の自然な保存を理想にしているということ
である。
「自分の家のように」という考え方は館の
清掃にも反映されている。毎朝スタッフ全
員でお掃除をするというお話で、館内は清
潔で清々しい感じがした。
展示は、日本中心に世界各国の民芸品を常
設展示で展示しその他に年に 3 回の特別展
をしている。私達が見学したときは「民画
1.8 日本民藝館
の世界」というタイトルで大津絵などの民
日本民藝館は、創立者である柳宗悦らがは 画を展示していた。
「モノを
じめた民藝運動の中心として作られた美術 展示もすべてスタッフの方が行い、
館で、
「民衆的工藝」
(略して「民藝」)のも いかに美しく並べるか」を追求して調和し
つ「用の美」を美のひとつの基準とみなし、 た空間を作り上げることを目的に展示をし
作品を通じてこれを伝えていくことを目的 ている。
としている。
キャプションの量についてはこれまでもたび
東京都現代美術館、見学の様子。
現在では広い意味でつかわれているが、もと
もとは「民芸」も「用の美」も柳宗悦の作っ
た言葉であり、
「用の美」とは使うことに忠
実に作られたものにおのずと生まれる自然で
温かみのある美しさのことを言う。そしてそ
れがもっともよく現れているものが「民藝」
たび問題になっていたが、民藝館の展示では
ほとんど作品名のみが記されており、それに
ついて杉山さんは「二次的な情報である文
字情報(「コト」)にとらわれず作品そのも
の(「モノ」)をそれぞれで理解してほしい
から」とおっしゃっていた。
最後の見学館で「モノ」派と「コト」派につ 館との交渉など、夏休みは様々な事をして
いてなどずっと問題になってきたキャプショ 過ごした。
ンの問題を深く考える機会を得られ、有意
2 泊 3 日の準備のために二ヶ月以上時間をか
義な見学だったと思う。
けるというのは普通の旅行ではなかなかし
(日文 武井 れい)
ないことだと思う。貴重な体験だった。
見学実習、日本民藝館を訪ねたと
きの様子。靴を脱いであがる館内
は、人のお家におじゃましている
感じだった。
1.9
実習
夏休み終盤の 9/7(火)∼9/9(木)に、私
達は京都研修旅行に行った。私のスケジュー
ルを紹介すると、一日目は大阪の人権博物
館、二日目は京都国立博物館、京都文化博
物館、三日目は奈良・飛鳥の水落遺跡、飛鳥
寺、奈良文化財研究所飛鳥資料館、高松塚
古墳壁画館を見学という感じである。京都・
大阪・奈良というように広い範囲を見ていっ
たので、それぞれの場所で常に新鮮な気持
ちを持つことができ、とても面白かった。
、研修旅行について
事の発端は 6/18(金)、実習 の授業だった。
研修旅行の行き先が決定したその日、候補
地にあがっていたのは盛岡・広島・長崎・京都
の 4ヶ所だった。それぞれの推薦者がプレゼ
ンテーションをし、そのあとで投票をした。 夏の研修旅行、第1日目の夜の
1 回目:京都 22 票、広島 18 票、盛岡 17 票、 ミーティング。この日は、2つに
長崎 9 票
分かれて博物館を巡ったため、大
2 回目:京都 10 票、広島 6 票、盛岡 6 票
阪人権博物館と国立民族学博物館
(持ち票は、1 回目が 3 票、2 回目が 1 票で の意見交換が行われた。
計算されている。)この投票の結果、行き先 また、今回の研修旅行の特徴としては、延泊
は京都になった。一番票の集まった京都の 希望者が多かったことがあげられると思う。
メリットとしては、博物館が多い(100 館以 前日に京都に行って自分の好きなところを
上?)事、広島や長崎に比べ予算を安く抑え 回ってからホテルで合流する人や、2 泊 3 日
られる(4 万円弱)事、交通の便が良い事な で帰らないで京都に何日か残ったり、大阪に
どがあげられていた。ちなみに東京・京都間 いったりする人など、それぞれのスケジュー
は新幹線で片道 3 時間程度であり、京都から ルに合わせてこの旅行を楽しんでいるよう
大阪・奈良へはそれぞれ 1 時間くらいで移動 であった。
できるということであった。
毎日何かしらゴタゴタがあったが、旅行自
その後、旅行委員は、岡田さん・林さん・松
体はあっという間に過ぎていつた。全体を
本さん・川俣さん・私(岩崎)の 5 人に決ま
通して見ると、時間の本当に短く感じられ
り、私達はアンケートをとって計画を練った
た内容の濃い楽しい研修旅行だった。
り、新しい名簿作りや、しおり(厚さ 1. 5cm
の大作!
?)作り、旅行会社への手配や見学 (日文 岩崎 まゆ)
とができる。
夏の研修旅行、最終日にホテルの
ロビーで撮影。みんなお疲れの様
子が写真から伺えるかな?
1.10
大阪人権博物館
京都に到着しホテルに荷物を置き落ち着く
暇のないまま、1 日目の見学地である大阪へ
と向かう。途中、民博班の出発をホームか
ら見送り人権班は芦原橋駅を目指す。食事
の時間という余裕は無くとても空腹だった
のを憶えている。
芦原橋駅に着き、まず“ 同和 ”や“ 開放 ”と
いう文字が目に飛び込んできた。何とも言
えない緊張感を感じる。人権博は日本最大
といわれる被差別地域の中央に位置してい
る。また在日韓国人の方の数が日本一であ
るといわれる場所でもある。
大阪人権博物館は人権問題を取り上げた“日
本初の人権博物館 ”として 1985 年 12 月に開
館し、10 年目にあたる 1995 年 12 月には“ 人
権に関する総合博物館”としての役割を果た
すためリニューアルし今に至る(愛称は“ リ
バティ大阪 ”)。
常設展示の統一テーマとして“ 人権からみ
た日本社会 ”を挙げている。日本社会の歴
史と文化に根ざした差別問題:被差別部落
と身分・性と家族・民族と列島の南北・身
体文化と環境などのキーワードに基づいた
テーマによって展示している。また資料コー
ナー、記念室では西光万吉(水平社宣言起草
者)や水俣病、旧栄小学校、識字などについ
てを取り上げている。証言の部屋というブー
スでは、差別の実態や文化の継承などを語っ
ている人々がおさめられている映像を見るこ
大阪人権博物館の展示。動物の皮
を使って太鼓を作ることは、被差
別部落の人々の仕事だった。
実際に見学してみると、館全体にとても柔
らかな印象を受けた。時々、博物館で感じる
拒絶感のような空気が全く漂っていなかった
からかも知れない。観る側を受け入れる姿
勢がとても気持ち良く感じた。展示物と見
学者の距離がほとんど無いというのも一つ
の理由であるのだろう。それは展示物とし
てレプリカを置かないことを基本とし、多
くの物を手にできるということだ。入り口
近くに置かれた太鼓は触れるだけではなく、
実際に音をだしても良い。また墓石の戒名
に刻まれた差別的な言葉をも、直接触れる
ことによって自分の身体で感じることがで
きるのである。ガラスケースに入っている
資料なども、ケース前に付いているバーを
利用すると、読書するような感覚で目にで
きとても読みやすかった。
大阪人権博物館の展示。被差別民
だとわかる戒名が刻まれた墓石。
次に人権博のテーマに基づいた注目すべき
点を挙げてみる。
• パネルの表示が日本語・英語・ハング
ル語の 3 カ国語であること:来館者数
からでは無い視点の置き方。
• 車椅子に乗れること:少しの段差も大
きな障害になることを実感。障害者の
方にとって住み良い街づくりとは、と
いう自発的な問題提起。
えない緊張感を感じる。人権博は日本最大
といわれる被差別地域の中央に位置してい
る。また在日韓国人の方の数が日本一であ
るといわれる場所でもある。
大阪人権博物館は人権問題を取り上げた“日
• トイレ:マークの色が男性も女性もブ
本初の人権博物館 ”として 1985 年 12 月に開
ルー。また男性トイレにベビーシート
館し、10 年目にあたる 1995 年 12 月には“ 人
の設置。これらは固定化されたステレ
権に関する総合博物館”としての役割を果た
オタイプのイメージを取り払うため。
すためリニューアルし今に至る(愛称は“ リ
• デリケートな問題のパネル:真実を真 バティ大阪 ”)。
実として表していてイデオロギーの押 常設展示の統一テーマとして“ 人権からみ
し付けにしていない。人権博の博物館 た日本社会 ”を挙げている。日本社会の歴
史と文化に根ざした差別問題:被差別部落
としての意味を汲み取れる。
と身分・性と家族・民族と列島の南北・身
今挙げたような館自体の姿勢にもとても興 体文化と環境などのキーワードに基づいた
味を抱いたが、学芸員の朝治武さんのお話 テーマによって展示している。また資料コー
しを伺えたことも大きな収穫であったと思 ナー、記念室では西光万吉(水平社宣言起草
う。ボランティアガイドの解説によって“ 観 者)や水俣病、旧栄小学校、識字などについ
た気になる、観せられている ”のではない てを取り上げている。証言の部屋というブー
か?ということから、学芸員の素質を問わ スでは、差別の実態や文化の継承などを語っ
れる“ モノを観ることとは ”どう言うことな ている人々がおさめられている映像を見るこ
のか?という根本的な問題。そして“ 展示独 とができる。
自の表現方法 ”は無いのか?という私にとっ
ては新鮮な問題提起やイメージを膨らませ
納得させる程の立体的表現の方法とは・
・な
どなど。また自分が来館者になった時、もう
一度訪れたいと思わせる展示にする為の工
夫という当然だけど、反面ドキリと考えさ
せられる提案を沢山含んでいたお話で、と
ても印象深い 1 日となった。
大阪人権博物館の展示。動物の皮
(欧米 小国 英美)
を使って太鼓を作ることは、被差
別部落の人々の仕事だった。
実際に見学してみると、館全体にとても柔
1.11 大阪人権博物館
らかな印象を受けた。時々、博物館で感じる
京都に到着しホテルに荷物を置き落ち着く 拒絶感のような空気が全く漂っていなかった
暇のないまま、1 日目の見学地である大阪へ からかも知れない。観る側を受け入れる姿
と向かう。途中、民博班の出発をホームか 勢がとても気持ち良く感じた。展示物と見
ら見送り人権班は芦原橋駅を目指す。食事 学者の距離がほとんど無いというのも一つ
の時間という余裕は無くとても空腹だった の理由であるのだろう。それは展示物とし
のを憶えている。
てレプリカを置かないことを基本とし、多
芦原橋駅に着き、まず“ 同和 ”や“ 開放 ”と くの物を手にできるということだ。入り口
いう文字が目に飛び込んできた。何とも言 近くに置かれた太鼓は触れるだけではなく、
実際に音をだしても良い。また墓石の戒名
に刻まれた差別的な言葉をも、直接触れる
ことによって自分の身体で感じることがで
きるのである。ガラスケースに入っている
資料なども、ケース前に付いているバーを
利用すると、読書するような感覚で目にで
きとても読みやすかった。
のか?という根本的な問題。そして“ 展示独
自の表現方法 ”は無いのか?という私にとっ
ては新鮮な問題提起やイメージを膨らませ
納得させる程の立体的表現の方法とは・
・な
どなど。また自分が来館者になった時、もう
一度訪れたいと思わせる展示にする為の工
夫という当然だけど、反面ドキリと考えさ
せられる提案を沢山含んでいたお話で、と
ても印象深い 1 日となった。
(欧米 小国 英美)
1.12
国立民族学博物館
国立民族学博物館は大阪府吹田市の万国博
覧会の跡地に位置している。全世界を対象
に民族学や文化人類学、言語学などを研究
する全国の研究者のための国立大学共同利
用機関であり、民族学の研究センターとして
• パネルの表示が日本語・英語・ハング
存在している。他の国立博物館と異なってい
ル語の 3 カ国語であること:来館者数
る点として、扱っているものが基本的に「文
からでは無い視点の置き方。
化財」ではないということがあげられる。
• 車椅子に乗れること:少しの段差も大 民博にはオセアニア・アフリカ・アメリカ・
きな障害になることを実感。障害者の アジアなどに並んで、民族学博物館として
方にとって住み良い街づくりとは、と はめずらしいヨーロッパの展示スペースが
いう自発的な問題提起。
設けられている。世界に存在する様々な地
大阪人権博物館の展示。被差別民
だとわかる戒名が刻まれた墓石。
次に人権博のテーマに基づいた注目すべき
点を挙げてみる。
域の民族の文化に、それぞれ等しい価値を
みているのである。この思想は展示空間に
も反映されていて、地域ごとにひとつのユ
ニットをもち、展示室全体(=世界)はひと
つの平面上にひろがっている。また収蔵庫、
• デリケートな問題のパネル:真実を真 展示スペース等が立体的にペアになってい
実として表していてイデオロギーの押
るので、全体が各地域ごとにいくらでも増
し付けにしていない。人権博の博物館
殖できるようになっている。
としての意味を汲み取れる。
民博の建物を設計したのは黒田紀章氏、民
今挙げたような館自体の姿勢にもとても興 博初代館長は梅棹忠夫氏である。事前研究
味を抱いたが、学芸員の朝治武さんのお話 ではこの 2 人の人物の考えにふれながら、博
しを伺えたことも大きな収穫であったと思 物館の思想と建築との関係に注目した。
• トイレ:マークの色が男性も女性もブ
ルー。また男性トイレにベビーシート
の設置。これらは固定化されたステレ
オタイプのイメージを取り払うため。
う。ボランティアガイドの解説によって“ 観
た気になる、観せられている ”のではない
か?ということから、学芸員の素質を問わ
れる“ モノを観ることとは ”どう言うことな
当日はたいへんお忙しいなか、企画課専門
官の宇野文男さんにお付き合い頂き、見学
がスタートした。講堂で民博の創設まで、予
算や収蔵品に関する説明をうけたあと、燻
蒸室、写真スタジオ、収蔵庫、展示室など施
設の中を案内して頂いた。
写真スタジオでは最先端の技術をはやくか
ら取り入れていたことをあらわす、おおが
かりな機材を見ることができた。22 万点以
上の収蔵品をもつ民博の収蔵庫内では、木
のクローゼットや墨を使ったマーキングと
いったこだわりや、女性スタッフが多いた
め棚にキャスターを取り付けるといった新
しいアイデアがあった。新旧の試みが同時
に存在しているところがみてとれてとても
興味深かった。また現在私たちが大学で講
義を受けている中村俊亀智先生のお名前が
あがったり、阪神大震災の経験から取り付け
られたという床の蛍光色のテープが印象に
残っている。
展示室では直接触れることのできる露出展
示と、説明文のないキャプションに注目が
集まった。詳しい情報を得る手段としては、
電子ガイドやDr. みんぱくなどの A V機
器が用意されている。解説の付け方に関し
てはこれまで何度も話題にあがってきたが、
民博のシステムは今まで見学してきた館と
は異なるとても新しいものだった。
最後に各自で自由に展示室を見学し、実習
は無事終了。その日の夜のミーティングで
は人権博に行った人と活発な討論があった。
意味のある、よい見学だったからこそ、と
思っていいのではないだろうか。
(社会 齋藤 真美)
1.13
京都国立博物館
京都、七条の三十三間堂の向かい道を挟ん
だ前にある立派な建物が京都国立博物館で
ある。ここは国立三館のうちのひとつで、国
立三館とは東京上野の国立博物館、奈良の
国立博物館、京都の国立博物館のことであ
る。この博物館は「文化財保護法に規定する
有形文化財を収集し、保管して公衆の観覧
に供し、併せて、これに関連する調査研究
及び事業を行う」機関として設置され、ま
た「明治初年の欧化主義と廃仏毀釈の風潮
により伝統的な物が破損や滅失していくの
を保護するため」ということも時代的背景
としてあったのである。
見学当日、学芸課美術室長の狩野博幸さん
のお話を伺った。
この京博には、国宝級の文化財を修理、修
復する部屋があり、その修理中に新しい発
見をすることも多いらしい。作品を見たり、
普段見ることができない裏紙をめくったりす
ることができるからだ。全ての写真を撮り、
調書を作成する。その際には全てを任せて
もらえることもあるそうだ。そして、それ
はもちろん京博との連携を取ってのことで
ある。
また、この館では館蔵品よりも社寺からの
寄託品が多いそうで、それとは逆に東京の
国立博のほうでは館蔵品のほうが多いそう
である。この辺りには京都の土地柄も出て
いるのであろう。
独立採算制になるいうことで国立ではなく
なるが、
「国立」という名前だけは残すとい
うことである。
京博には保存、修理、調査研究、展示、教育
などの役割がある。教育の役割を果たすもの
には公開講座がある。それは展示品に関連さ
せて、土曜日に行っている。定員は 200 名で
あるが、普通は 100 人を超えることはなく、
そのうち 50 人位は常連であるという。その
講座を担当する学芸員は休めないし、担当
を外れることもできないので続いていると
いう点もあるらしい。また、担当者の病欠
による中止もないということであった。学
芸員にとっては厳しいことであるかもれし
ないが、普及活動としては素晴らしいこと
ではないだろうか。
ギャラリートークも以前はやっていたが、静
かにしてほしいという来館者もいたので、現
在ではやっていないということである。
展示については、展示企画業者にはあまり
頼むことはせず、主体的に関わる学芸員が
ひとりでもいたら、全員でそれを後押しす
るという態勢であるという。
「上がやれとい
うからやる」、
「館長が引き受けてきたから」
などというようなことはほとんどなく、自
分たちがやりたいものを作り上げるという
信念があるのだと思う。
建物・施設はきれいで、モダン的である。6
階まであり、各階で楽しみを与えてくれる。
まず 1 階は、レファレンスカウンター・エン
トランスホール・文化情報コーナーと京の
商家の町並みを復元した“ ろうじ店舗 ”で食
事をしたり、休憩の場として、豪華な雰囲気
で満喫できる。そして、2 階より展示室が続
く。ここは、
「京都の歴史と文化展」で、平
安京建設の前後から現代に至る京都の都市、
産業・技術、生活の返還を、模型、AV 機器、
パネルなどをふんだんに使って、京都の歴
史と文化が総合的に通覧できる歴史展示室
となる。
全体的に館内は暗く、照明はスポットライト
だけである。作品を保存していくためには
仕方がないことである。周りが暗いと落ち
着くので、集中して見られるという利点も
ある。解説については、つけるとそればか
り読んでしまうということと、展示室が暗
いということから、慎重に考える必要があ
るとおっしゃっていた。ただし、なくてもい
3 階へ上がると、今度は美術・工芸展示室と
いというものでもないようである。
なり、
「現代京都の美術・工芸展」が探求で
(大学院 日文 本山 直人)
きる。京都で活躍している美術・工芸作家
の作品を中心に、現代京都の美術・工芸の精
華を京都府が、フィルムライブラリーとし
て収集してきた映像資料で紹介し、ハイビ
ジョンな活動にも力を入れている。4 階は、
特別展示が鑑賞できる。私たちが訪れた際
は、近代京都の日本画に不滅の足跡を残し
た、
“ 美の精華・上村松園展 ”で美の再確認
夏の研修旅行、京都国立博物館の
をした。
見学を終えたところ。この日は、
伝統の町京都の歴史・文化をわかりやすく紹
もうひとつ「京都文化博物館」も
介し、修学旅行生や子どもが割と多く来館
巡った。
するということで、今後は社会教育とも関
わってくるのではないか、と学芸員の鈴木
1.14 京都文化博物館
忠司さんはおっしゃっていた。この館の方針
研修旅行第 2 日目。午前中は、全員で京都国 は、絵や展示物は集めないが、情報を集め
立博物館へ見学へ行き、その足で午後も全 ること、そのためには頭をフルに使い、見
員で京都文化博物館へ向かう。商店街を抜 せ方を工夫し、解釈を提供したり発信した
けてずっとまっすぐ行くと、赤レンガの館 りすることである。特別展を 1 年に 8 回行っ
が見えてくる。この通りは狭いにもかかわ ているが、学芸員の考えと展示デザイナー
らず、人通りも多く、喫茶・よーじやとお店 との意見がしばしば食い違いが生じること
も多くにぎわっている。そのような環境の が多々あるという。またこの館は、財団法人
中に、京都文化博物館は立地している。京 として独立しているので運営費は国から出
都文化博物館は、昭和 61 年に財団法人古代 ない。そういうこともあり、学芸員の思い
学協会から重要文化財の旧日本銀行京都支 通りにならないことも多く、また学芸員だ
店(元平安博物館)の寄付を受ける。運営の けでやっていくのも難しいという。現在博
方は、財団法人京都文化財団が行っている。 物館・美術館が直面している「独立行政法
人」
(エージェンシー)という大きな問題を
国が、地域が、学芸員が、私たちが、考えて
いかなければならないのではないか。
(欧米 鈴木 真弓)
1.15
美術班
美術班は、まず初めに智積院を訪れた。智
積院は、豊臣秀吉が長子鶴松の慰霊の為に
建立した祥雲禅寺を、元和元年に徳川家康
が寄進し、これが改名され五百仏頂山根来
寺智積院となったのが始まりである。以来、
真言宗智山派の総本山として今日に至って
いる。見所は、国宝障壁画と庭園である。
国宝障壁画は、桃山期の絵師である長谷川
等伯・久蔵父子とその一派によって描かれた
もので、桜図と楓図は特に有名である。ま
た、庭園は祥雲禅寺の庭を修築したもので、
中国の櫨山を形どっている。利休好みの庭
と伝えられる名園で、サツキの咲く頃が最
も美しいと言われている。実際に障壁画の
収められている所へ行くと、その迫力に圧
倒されてしまった。特に、桜図は金色の雲
を背景に、太い幹としなやかな枝の流れが、
大胆に描かれていて、華やかで力強い生き
生きとした美しさが、画面一杯に表されて
いるようであった。また庭園は、サツキの頃
ではなかったのが残念であったが、植込みの
緑が夏の青空に映え美しく、趣きがあり、ま
た、ぜひ訪れたいと思った。
次に訪れた高台寺は、正しくは高台聖寿禅
寺といい、豊臣秀吉の妻である北政所が、慶
長十年その菩提を弔う為に開いたお寺であ
る。重要文化財となっている霊屋には、秀
吉と北政所の木像が安置されている。内部
には、至る所に繊細な蒔絵が施されていて、
度々の火災をくぐりぬけ、時を経た今でこ
そ古びた印象を受けるが、当時はどんなに
華麗であったかと思った。また、お寺などで
見られる独特の窓の形は、窓枠が額縁の役
割を果たしていて、窓から見える景色と窓
枠を、合わせて一つの絵画に見立てている、
という林先生のお話があった。他にも、お堂
を結ぶ回廊や庵など、見所がたくさんあり、
どこから眺めても絵になる様な京都のお寺
の美しさを、満喫することができた。その
後も、林先生のお話を聞きながら、清水寺
周辺を散策し、最後に、京都国立近代美術
館を訪れた。
京都国立近代美術館は、1963 年に、東京国
立近代美術館の京都分館として、開館した。
その後、独立し 1967 年京都国立近代美術館
となった。洋の東西問わず、近代美術に関す
る作品と資料の収集・保管・公開・調査研究
を行っている。
特に、西日本の美術や、工芸に重点を置い
た活動は大きな特徴となっている。
ここでは、学芸員の方にお話を聞かせてい
ただいた。エージェンシー化の問題や教育
普及の試みとしての学校との提携による展
覧会の存在についてなど、美術館が抱えて
いる問題や、学芸員の現状について、色々聞
かせていただいた中で、特に印象深いもの
は展覧会評についてのお話である。展示内
容やコンセプトについて評価をする展覧会
評は、欧米では見られるが、現在の日本で
は全く無いそうである。評価の目安は、結
局、来館者数に左右され、このような点で
は、日本の美術館は今だ途上にあり、ある
程度人が入る展覧会と、意義ある内容の展
覧会、この両方のバランスがとれた展覧会
が、理想であるということであった。また、
お話以外にも巨大なエレべ−タ−や収蔵庫
を見学させていただき、とても貴重な経験
となった。
(欧米 神田 真由美)
1.16
歴史班
長い夜が明け、清々しいはずの朝の光がくす
んで見えたのは、長い嵐の夜のあの凄惨な事
件の後遺症というべきであろう。その後遺症
のおかげで、瞼は重く、手足はだるい。そん
な、極限状態のなか、我々、歴史班は、あの
神々の里、秘境アスカに旅立っていった。こ
の 1999.9.9 という呪われた日に旅立つとい
う偶然は我々の前途を暗示しているかのよ
うだった。我々は近鉄京都駅から橿原神宮
行きの特急に乗り込み、一路アスカへと向
かっていった。その車中、我々はこれから起
こるであろう様々なことに備えるために惰
眠を貪った。橿原神宮に下り立った我々は、
気分を引き締めタクシーで一路アスカに向
けて出発した。まず我々が目指した場所は
水落遺跡であった。水落遺跡はかつてアス
カの時を司る役割をはたしていた機関であ
る。つまり、我々はいきなりアスカの中心部
を訪ねてしまったのである。これはもう後戻
りできないことを暗示していた。次いで訪
れたのは飛鳥寺だった。ここでの我々の目的
はふたつ。ひとつは、飛鳥大仏に対面するこ
と。もうひとつは、移動手段を手に入れるこ
とだった。ひとつの目的はすぐ叶った。飛鳥
大仏は日本最古の大仏といわれていて太古
からアスカを眺めてきたこの大仏に触れる
ことによりアスカをより感じることができ
た。次にもうひとつの目的を叶えるために、
飛鳥寺まえのレンタサイクルを訪ねた。そ
こで我々を待ち受けていたものは、なんと、
異様に車輪の小さい自転車だった。やはり
何かの陰謀に巻き込まれているのかという
不安を我々は大いに感じる。しかし、気を
取り直して我々は今回の真の目的地である、
奈良国立文化財研究所飛鳥資料館に向け出
発した。
陰謀の自転車で、我々は目的地に到着した。
まず待ち構えていたのは猿石だった。あの
ボケッとした表情で我々を待ち構えていた。
そんな猿石の視線を横に受けながら、我々は
館内へと突入した。そして我々はアスカの、
ありとあらゆる遺跡の調査の結果や図解し
たものを見て、束の間の安息を感じていた。
しかし、目の前に大きな物体が現れた。な
んと、山田寺の仏頭(レプリカ)であった。
やはり、仏像も頭だけだと異様なオーラを
放っており、我々の生気を吸い取るような
力をもっていた。我々は、館をぬけだした。
そこで、絶望の淵にあった我々を救う謎の
女神が表れた。彼女は、自転車を軽快にこ
ぎ、あるときは、ルパンのモノマネをして、
我々に勇気をくれた。彼女の登場で再び勇気
づき、最後の訪問地、高松塚壁画館にむかっ
た。そして、最後の気力をふりしぼり決死の
突入をした。そこにあったものは、なんと、
一室だけで「マジポン!
?」という感じになっ
てしまった。我々は最後に拍子抜けのかたち
にされてしまい、アスカの大いなる謎に最
後まで振り回されてしまったのである。やは
り、我々にはまだアスカの謎は早かった、し
かし、我々は生きて帰れたことを感謝して、
祝杯をあげながら帰路についたのだった。
(日文 堀江 紀夫)
1.17
考古班
我々考古班は 3 日目の予定として、奈良県
立橿原考古学研究所附属博物館(以下、橿
考研)から水落遺跡を経由し、飛鳥寺で歴
史班と合流した後、高松塚古墳壁画館を訪
れるというゴールデンコースを選択した。当
初、橿考研に行くか飛鳥資料館へ行くかで
考古班分裂の危機にさらされたが、橿考研
を選ぶことで何とか回避できた。橿考研へ
行くことをゼミの先輩に報告すると、
「いい
なー」という返事が返ってきたので、おそ
らく我々は全てにおいてベストな方を選ん
でいたのだろう。
橿考研では、奈良県内各地の遺跡から出た
出土品、特に飛鳥地方の遺跡に関するものを
メインに展示している。奈良は長い日本の歴
史の中で、重要な一時代を築きあげ、担って
きた土地だ。そんな土地の歴史の一片を、考
古遺物を通して窺い知ることが出来た。展
示方法にも色々な工夫が施されていた。手
すりに展示品を埋め込み、実際に触れるよ
うにしたり、銅鐸のレプリカを作ってそれ
を鳴らすことが出来るようにしたり。時に
は物を単に並べるだけではなく、放射状や、 高い丘の上に立つ美術館で、周囲に「文華
うずまき状に並べたりと、実に遊び心のあ 苑」という庭園と蛙股池があり、建物も自
る手法も取りいれられていた。見て楽しい、 然と調和した洒落た造りになっている。
触って楽しい、そんな博物館だった。
早く着いてしまったため、先に少し庭園を
また、斜め向かいにある研究所も案内して 散策した。それまで大きな博物館ばかりを
いただいた。そこでは、つい数日前まで僕が 見てきたせいか、美術館の建物自体はとて
ゼミの発掘実習でやっていたことと同じよう も小さく感じられたが、景観は申し分なく、
な作業が行われていた。それを見ていると、 心が和んだ。
「あー、俺もあんなことをしてたなー」とい
展示は、前半が常設展示、後半が「仏教美術」
うノスタルジックな感覚と、
「こんな大きな
というテーマに基づいた特集展示で、学芸
研究所でも同じ様なことしてるんだ」とい
次長の鈴木善博さんから解説をいただきな
う妙な感激、そしてあのプレハブ小屋の中
がら見学した。基本的に、展示してあるも
のうだるような暑さが体の中に湧き上がっ
のは全て実物で、大和文華館の所蔵品だそ
てくるのを感じた。そんなひと夏の思い出
うである。鈴木さんもおっしゃっていたが、
だった。
「優れた本物を並べ、見てもらうことに美術
水落遺跡を過ぎ、飛鳥寺で歴史班と合流す
館の意義がある」という信念を持って展示
るとその後は高松塚までのサイクリングと
していて、美術館もそれを売りにしている
なった。少し距離はあったが、それだけに
ようであった。また、素材を楽しみ、鑑賞し
飛鳥の豊かな自然を満喫することが出来た。
てもらうためにもコピ−では意味がないし、
疲れはしたが、これはこれで楽しかった。だ
違いを感じてもらうために、隣りに別素材
から壁画館についてはあえて何も語るまい。
のものをおくなどの比較展示も行っている
その後、再び考古班単独行動に戻った僕ら
そうである。
は、電車まで時間があったので橿原神宮を
先に建物が小さいと述べたように、陳列室
訪れた。そこにある全てのもののスケール
も「え?これだけ?」と思うくらいの大きさ
は大きく、土地柄かなんとも言えない神々し
であったが、真ん中に竹を植えた吹き抜け
さを漂わせていた。時間の関係で途中まで
の中庭があったり、文華苑や蛙股池を見渡
しか行けなかったのだが、ある意味この日
せる休憩スペースがあったりと、まるでホ
一番衝撃を受けたのはここだったかもしれ
テルのロビーにでもいるようなゆったりと
ない。門を抜けて見上げた飛鳥の空は青く、
した気分で見学ができた。1 人でのんびり過
そして広かった。
ごすにはとても良い空間だと思う。
こうして、考古班の 1 日は終わった。強烈な
疲れと眠気に幾度となく襲われ続けた 1 日 次に、大和郡山市にある奈良県立民俗博物
ではあったが、今となってはそれも笑い話に 館を見学した。こちらでも学芸員の横山浩
過ぎない。この 1 日が、1 人 1 人にとって素 子さんと一緒に展示を見てまわることがで
晴らしい、忘れ得ない夏の思い出になった きた。この日は、直後に始まる特別展準備
のため、通常の 3 分の 2 の展示しか見るこ
であろうことを願って止まない。
とができなかったが、横山さんが丁寧に説
(日文 田代 一樹)
明してくださったため、中身の濃い見学と
なった。
1.18 民俗班
こちらの博物館も、展示品は実物(実際に
大和文華館は、昭和 35 年 10 月、近鉄の創立 使用していたもの)で、それらはすべて地
50 周年記念事業の 1 つとして開館した。小 元の方々のご厚意によって寄贈されたもの
だそうである。建物は、県立大和民俗公園
内にあるのだが、そのなかに移築してきた
民家も展示してあり、これらも同様に無償
で譲り受けたものだそうである。横山さん
は、
「本来文化財は現地保存が理想であり原
則だが、ここはそれができないときの受け
皿となって伝えていく役割を果たしている
のだ」とおっしゃっていた。
れたのだが、1 つ見るのがやっとであった。
(しかもダッシュで)
結局私たちはそのままバス停まで全力疾走
するハメになったのだが、2 館ともすばらし
い博物館であったし、学芸員さんもとても
親切な方だったので良かった。もし機会が
あれば、今度は是非時間を気にせずに展示
を堪能してきたいと思う。
民俗というテーマを扱うにあたって難しい (日文 川俣 典子)
のは、現在では無くなってしまったものも
あるということである。そういったものは
ジオラマやパネルを使った解説を並列する
ことで、少しでも身近に感じてもらえるよ
うにしたり、また、形のないものはビデオ学
習室等を設け、フォローするようにしている
とのことである。
館内はたいして広くはなかったのだが、最終 夏の研修旅行の民俗班。奈良県立
的に時間がなくなってしまい、民家がろくに 民俗博物館へ行ったときの様子。
見学できなかったのが心残りである。横山さ
んが親切に民家に近い方のドアを開けてく
表 平成 11 年度博物館実習
2
実習
博物館実習を行って
履修者リスト (table3.tex)
学科・氏名
大学院生
池田誠
小林奈津
経済
似田貝理
欧米文化
我妻潤子
井上隆司
畝田愛
宇山美穂子
鈴木瑠美子
高梨直美
成川恵理妙
牧野安見子
八島和子
山懸好学
山口絵子
日本文化
生貝有香理
小野耕司
加藤美奈子
河上智晴
古賀優子
小島香
佐藤恭子
鳴瀬久美子
野口晶子
降旗陽子
星野涼子
真木理奈
三浦宏美
湯本真規子
社会
豊田愛
2.1
分野
実習館
歴史
美術
弥生美術館
東武美術館
歴史
NHK放送博物館
美術
美術
美術
考古
美術
美術
美術
美術
美術
考古
美術
練馬区立美術館
町田市立国際版画美術館
古代オリエント博物館
飯能市郷土資料館
東京都現代美術館
渋谷区立松涛美術館
目黒区美術館
町田市立国際版画美術館
渋谷区立松涛美術館
新宿歴史博物館
千葉市美術館
考古
美術
美術
考古
民俗
民俗
美術
歴史
歴史
美術
民俗
千葉県立安房博物館
平塚市美術館
センチュリーミュージアム
明治大学考古学博物館
板橋区立郷土資料館
春日部市立郷土資料館
畠山記念館
戸田市立郷土博物館
千葉県立中央博物館
信濃美術館・東山魁夷館
松戸市立博物館
民俗
歴史
民俗
弥生美術館
中野区立歴史民俗資料館
群馬県立歴史博物館
民俗
浦添市美術館
弥生美術館
実習期間:平成 11 年 12 月 13 日∼12 月 28 日
大学院博士後期 2 年 池田 誠
わたしは、実習館が決まるまで、随分てこ
ずりました。最初は文学館を考えていたん
です。でもなかなか実習を引き受けてくだ
さるところが見付かりません。どこも 4 月
から選考を開始するというのです。それだ
と論文を書くことも大事な仕事になってい
るわたしとしては、先の予定が立たないの
でちょっと困るのです。しかもどの文学館も
わたしの家から遠い。唯一、一時間以内で
通える立原道造記念館は、
「館の規模が小さ
く、おまけに開館から間もないので」と丁
重に断られ、さて、行き場がなくなりまし
た。そこで、課程室の大窪さんに、いいと
ころを紹介してください、とお願いしたら、
さすが大窪さん、実にいいところを紹介し
てくださいました。その名は、弥生美術館。
なぜ?まず第一に、高畠華宵や竹久夢二と
いったいわゆる挿絵画家の作品を中心に所
蔵している館だということ。挿絵といえば、
当然本や雑誌に入っているのが普通です。と
いうことは当然そのような資料にも多く接
することができる。つまり、文学館に似て
いる。もう一つ、実は、弥生美術館と立原
道造記念館は姉妹館なのです。もしかして
立原記念館にも行けるかも。そんなわけで、
わたしの実習館は弥生美術館に決まりまし
た。さて、実習は展示替え期間を含めた 13
日間させていただきました。弥生美術館は
一年中実習生がいない時がないほど、実習
生を多く受け入れてくださっている館で、館
の職員の方々は、実習生が気分よく実習に集
中できる環境に気をつかってくださいます。
学芸員室に実習生用の机まであるほどなの
です。実習内容は、基本的には収蔵資料の整
理で、日によっては、研究のお手伝いで国会
図書館に行ったり、近所の写真屋さんや区立
図書館におつかいに行くこともありました。
念願の立原道造記念館でも 3 日ほど実習を
させていただきました。館のみなさんに支
えられ、本当に充実した実習でした。そんな
実習生活の中でも、これは書いておきたい
というのはやはり展示替えでしょうか。実習
の最後の 2 日間が展示替えの日という恵ま
れた実習期間だったので、展示替えのラス
トスパートといったところを、邪魔者とし
てではありますが共に体験することができ
ました。そこでわたしが思ったことは、
「い
やー展示するって本当に大変なことなんだ
なあ」という、なんとも当たり前のこと。で
も、このことを本当に実感するのは結構重
要なのではないかと思います。弥生美術館
では展示担当の学芸員の方は約半年前から
そのための準備を始め、いよいよ展示替え
をするというその日まで、主に一人でこつ
こつ準備を進めていかれるそうです。その
こつこつとした時間の重みは、展示作業を
した時に、資料やキャプションの一つ一つか
らひしひしと、本当にひしひしと伝わってき
ました。この重みを肌で感じることができ
たことが、実習での何よりの収穫だったと
思っています。
2.2
NHK放送博物館
実習期間:平成 11 年 9 月 2 日∼9 月 7 日
経済学部経済学科 4 年 似田貝 理
はじめに
私はゼミナール修了論文として、企業博物
館についての論文を書いたという事もあり、
企業博物館であるNHK放送博物館に実習
を希望する事にしました。ここでいう企業博
物館とは、民間企業の創設する博物館、もし
くはその企業の業務に関わる展示物をもった
実態と活動のある博物館を指します。まず自
分で電話をし、11 月頃に一度、インタビュー
を兼ねた実習受け入れのお願いをしに、直
接館に伺いました。担当の学芸員の河野光
子さんによれば、館の実習は例年、実習を
受け入れる大学が決まっており、受け入れ
ができるかどうか分からないので、4 月まで
に返事を待ってくれないか、という事をおっ
しゃってくれました。断られるのではないか
という不安を抱えながら待ち、年度が変わっ
て 4 月に実習を行う事を認められました。
実習の内容・感想
実習は 9 月 2 日から 9 月 7 日まで、6 日間の
日程で、私を含め 14 人の実習生で実習に臨
みました。1 日目は、作業は特になく主に館
長の方からの「放送」という業種について
のお話と、ビデオによる館の概要の説明が
中心となりました。実際の作業は 2 日目か
ら始まる事になりました。NHKと関連し
たポスターや番組台本といった資料の整理、
数冊の番組台本を和綴じにする作業、入館
者の情報を知ってそれを今後に生かしてい
くための入館者調査、自由な発想で実習生
同士が意見を出し合った展示立案、河野さ
んの指導の元一日がかりで行った特別展の
展示替え、そして数十冊にも及ぶ厚い放送
番組台帳から番組の情報を調べていく資料
調査と、一日一日が無駄がなく、非常に多彩
なカリキュラムで学ばせて頂きました。
当然ながら、館の実習を数日間体験しただ
けで館の全てが分かるというものではあり
ません。それどころか、館の氷山の一角も本
当に見る事ができたのかも分からない、疑
心暗鬼に囚われてしまう事も、私にはあり
ました。しかし、実習 ではほとんど館の実
情を学んでいく「机上」の学問であったのに
対して、実習 は現場で働く学芸員の元、頭
と手を主に使った「実学」の場だったわけで
あって、実際に学芸員の苦しみ・楽しみを実
感できたというのは大変な収穫だったと思
います。まさに、
「百回の練習よりも一回の
実戦」から多くの事を学んでいける機会な
わけです。
また、実習 の醍醐味は、何といっても他大
学から来ている他の実習生、そして学芸員
の価値観に触れ、そしてそれを感じる事で
もあります。私の場合、入館者調査や展示立
案の際にグループ分けされたので、長い時
間他の実習生のアイデアや価値観を聞く機
会にも恵まれました。私以外の実習生が全
員女性で二人の学芸員さんも女性だったの
で、ただ一人の男性である私は、女性同士
の忌憚のない意見を聞く聞き手になってい
ましたが、そのせいもあってか、河野さん
から「今までの実習生の中で、一番しっか
りしてて、一番いい意見を出し合ってくれ
ました。」と、お褒めの言葉を頂く事もでき
ました。
私は、大学から指定された実習期間(10 日
間)に達していなかったので、他の博物館二
館でそれぞれ学芸員の方からお話を伺って、
レポートを書く事にしました。企業博物館
というテーマの事例を調べていくために、私
の場合はレポートを書く事にしたのですが、
もし実習館の実習期間が 10 日間に満たない
場合に、可能ならば、学芸員さんに頼んで
でも 10 日間の実習を味わった方が、実践的
な実習 を過ごしていきたい人にとっては
より良い選択なのではないだろうか、と感
じます。
6 日間という非常に短い期間でしたが、実習
館での実習は、実習 の一年間に匹敵する
勉強量であり、そして印象深さがあった、と
私自身、断定できます。先入観を持たずに、
真面目に、楽しくやる事―それが実習の重
要で、基本的な秘訣だと思います。
2.3
戸田市立郷土博物館
実習期間:平成 11 年 7 月 1 日∼7 月 15 日
日本文化学科 4 年 鳴瀬 久美子
わたしは戸田市立郷土博物館で実習を行な
いました。私の住んでいる浦和にも歴史系
の博物館はあったのだけれども、こちらの
館の方が通いやすいので浦和ではなく、戸
田市のほうの博物館にお世話になることに
しました。実習期間きちんと集中してやる
ためにも、通いやすいところにすることは
大切だと思います。
実習は 7 月 1 日から 15 日(日・月曜除く)
の 11 日間行われました。実習生は私を含め
5 人だったので、実習内容は 5 人一緒に同じ
内容をこなしました。講義も少しありまし
たが、大半は学芸員の仕事のうち、特に基
本とされる巻き物の扱いや考古資料の扱い
方などを行ないました。
この実習において特に学んだことは、実習
館の売りでもある博学連携事業の大切さだ
と思います。現在博物館にとってどれだけ
人を入館させられるかは大きな課題となっ
ていると思います。そこで体験学習などの
講義を開いている館も多く、実習館でも行
なっており、実習中に講座のお手伝いをさ
せてもらいました。そこでは学芸員は資料
と向き合った仕事だけではなく、来館者の方
と向き合い、相手を引き付ける、わかりやす
い説明のできる人でもなければいけないの
だと思いました。そしてリピーターを増や
すことが博物館にとって必要であることを
学びました。その他の博学連携事業として
は、小学校 3 年生と 6 年生の社会科の授業を
博物館でやっているそうです。学校との連携
は 1 度に多くの人を博物館に入館させるこ
とができます。また小学生にとっても実物を
見て、触って学ぶことによって、質の高い教
育を受けることになります。博物館にとって
も、学校にとってもプラスとなる事業だと思
います。そしてこのことを教わった時、小さ
いうちに博物館に行きなれていないと大人
になってから立ち寄ることはなかなかでき
ないものである、と聞きました。確かにそ
うだろうなあと思い、博物館と学校の連携
をもっと進めることが、教育の向上であり、
博物館の生き抜く道であると感じました。
今回の実習で 1 番大変だったのが、特別展企
画書の立案でした。戸田市に関係すること
を、実習館の所蔵する資料を使って立案し
なければいけませんでした。どこが大変か
というと、選んだ資料をどのように配列す
れば、その資料を出した意味が分かり、また
多くのものを展示できるか、というのを考
え平面図にするところです。しかしそれも
終わってみて、また他の人の発表を聞いて
みると、こういう空間の利用方法もあった
のかとか、こういう企画も立てられるのだ
ということを知り、おもしろかったです。そ
して 5 人とも同じ指摘を受けた部分があり、
それは見る人が歩くためのスペースが狭い
ということでした。展示を企画する時に気
を使うのは、資料だけではないということ
がよく分かりました。
実習を終えてみて、11 日間というのはあっ
という間だったと思いました。そして実習
館の職員の方皆さんが先生となり、いろい
ろなアドバイスや指導をして下さいました。
恵まれた環境での実習だったと思います。そ
れから実習 や だけでは、知識も経験も
全く足りない仕事であることを改めて感じ
ました。
最後に他大学の実習生と共に実習をやって
思ったことは、実習 で巻き物の扱い方や
カメラの扱い方を取りいれるべきだという
ことです。または自分で本を読んだりして、
知識は頭に入れて実習に望んだほうがよい
と思います。特に巻き物においては、実習
をやっているところが多いそうです。今の
実習 も内容は豊富だと思いますが、資料
を扱うときに緊張しすぎず、充実した実習
を送るためには自己学習が必要であった
と、今更ながらに思います。
2.4
目黒区美術館
実習期間:平成 11 年 8 月 17 日∼8 月 29 日
欧米文化学科 4 年 成川 恵理砂
目黒区美術館での実習内容は、図書整理や
資料整理や展覧会・事業準備など学芸員の作
業補助といったものではなかった。それは、
予想を越えた厳しいものであったが、私に
とって非常に満足のいくものであった。実
習を通じて、今後、美術館とより親密的で
批評的になれるような関係の持ち方ができ
るようになったと感じている。
具体的な内容としては、企画展覧会の発案
から展示までの実際を〈空想美術展〉として
シュミレートし、その作業の進行を通じて美
術館学芸業務の概略を把握するのが中心で
あった。これは、仮想的であったが、かなり
実践に近い形で体験できる作業であった。展
覧会がいかに構成され、広報され、どのよう
にカタログ作成や論文執筆、展示がされる
のかを知ることができた。また、他の美術
館や展覧会の実際を丁寧に見聞、調査した。
栃木県の美術館を含めて実習期間中に 5 館
も調査した。調査した館それぞれの施設や、
展覧会について実習生間で徹底的に論議し
たことで展覧会準備作業の過程に派生する
問題意識を現実に照応させつつ考えさせら
れた。また、展覧会作業の展開=実習の進行
にともない必要となる多種多様な文章(記
録、紹介、批評など)を、実際に執筆するこ
とで、文章執筆力が学芸員能力に欠かせな
いものであるということを認識できた。こ
れまで大学において何度もレポートを書い
てきたが、文章の執筆力を向上させる指導
を受けたのは始めてだったといってよい。さ
らに、原稿執筆前に、他の実習生と討議を行
ない、他人の文章を読んだうえで他人の文
章を批評するということを行なった。自分
の文章について批評を受けることで、自分
の考えがどんどん広がっていくことを実感
した。
この実習で、実際の展覧会・事業準備にた
ずさわることができなかったのは多少心残
りではあるが、それ以上に良い勉強、体験
をしたことに自信すら感じる。どんな職種
においても文章力というものがいかに必要
とされるかを知った。また、今後、展覧会鑑
賞、美術館訪問をする上でこれまでとは異
なった、つまりより批評的な見方ができる
に違いないと感じている。実習内容自体は、
ハードではあったが、担当学芸員の方の素
晴らしい人柄のおかげで、楽しい 12 日間と
なった。共に実習を受けた他大学の実習生
達は皆様々な学部に所属しており、欧米文
化学科で勉強している私にとっては、とう
てい考えないような発想を聞くことができ
た。美大に通っている実習生は、作家の立場
からの考えを述べ、社会人の方の意見も私
にとって貴重なものであった。担当学芸員の
方やここでできた友人達と、実習以外の話
もたくさんできたことは最も嬉しかったこ
との一つである。この博物館実習は、将来
美術館以外の職種に就くにしても、大きく
役立つに違いないと信じている。今、学芸
員課程を履修できたことにしあわせを感じ
ている。
電話で問い合わせてみたところ、条件(自
宅もしくは大学が近い、美術専攻、各大学
一名)に合っていれば大学側から依頼して
ほしいとのことだった。幸い私は条件に合っ
ていたので、年があけてから大窪さんの方
から連絡をとってもらい、正式に決定した。
実習内容
実習は、1 日休みを挟んで前半 6 日間後半 4
日間おこなわれた。前半の 6 日間は講義や
実技実習が中心で、後半の 4 日間は作業が
中心だった。この後半 4 日間は、私のような
実習を 10 日間必要とする実習生のために作
られたオプション日だが、そうでない他の
実習生も数人希望して参加した。より多く
学びたいという気持ちや実際の作業にも興
味があったからであろう。その姿勢には私も
敬意の視線を向けずにはいられなかった。
前半の講義では、館の管理運営や施設につ
いて、美術品収集について、教育普及、展
覧会の流れ、写真撮影の原理、災害、空調、
警備などにいたるまで見学をまじえつつ多
くを詳細に学ぶことができた。実技実習で
は、可動パネルの移動や掛軸・巻子の取り扱
い、美術品の梱包などを行った。特に、貴重
な美術作品を取り扱わせてもらい、直に接
する感動もあったが、それ以上に緊張した。
この頃私は慣れない空調のせいか、鼻と喉
に異状をきたしており、貴重な巻子に鼻水
を垂らさぬようにと緊張と恐怖で胸が張り
裂けそうだった。この様な体調であったが、
それとは裏腹にスケジュールの方は頗る充
2.5 平塚市美術館
実していて、とても過密なものだったと思
う。1 日のうちに講義や実習から学ぶことは
実習期間:平成 11 年 8 月 23 日∼9 月 3 日
多く、勉強勉強の日々だった。この 6 日間で
日本文化学科 4 年 小野 耕司
学芸員のことも含め館の全体のことを学ん
実習館決定まで
実習では 10 日間毎日通うことになるので、 だが、その中でいかに学芸員の仕事が多様
できるだけ近場にしようと思っていた。平塚 なものか痛感させられた。
市美術館は自宅から最も近い美術館で、何 後半の 4 日間では、屋外彫刻のメンテ、館の
度か行ったこともあり展示なども楽しめた ワークショップで使用する透かし葉づくりの
と記憶していたので、実習館には最適と思 手伝い、二人一組で作品調書の作成(わかる
い、昨年の 9 月に実習の受け入れについて 範囲のみ)、照明器具のハロゲンランプの交
換など、学芸員が普段行っている仕事のほ
んの一部だが体験させてもらうことができ
た。地道で単調な作業もあったが、これも
学芸員の仕事の一つであり、何より私自身
にとっては目新しいことばかりで、大変で
はあったがたのしむことができた。作品調
書を作成する際、作品の特徴をすばやくと
らえたり、何によって描かれているかという
素材の判別など、他の美大の実習生に比べ
遅かったり、また素材に関しては全くわから
ないということが少なくなかった。このよう
な他の実習生に比べ無知な自分を情けなく
思い絶望しつつも、これから展覧会などで
作品を鑑賞するときはこういう事に注意し
ながら見ようと、一人密かに決意したりも
した。
実習を終えて
実習では、館のすみずみまで見学させても
らい、詳しい講義を受け、貴重な作品にも
触れることができ、普段の仕事を体験する
こともできた。それだけでも十分貴重な体
験だが、休憩時間や実習中の雑談などで聞
けた実体験や本音などを交えたお話を聞け
たのは、楽しくも貴重な体験だったと思う。
興味深いものばかりだったし、それぞれ学
芸員さんの独自の見解や体験を聞けるのは
現場の直の声を聞くことになる。これも実
習の醍醐味の一つだと思う。
火起しを体験するようになっていた。準備
というのは実習生がマイギリを自分で作り
上げ、火起しができるようになることであ
る。私たちは資料をもらい作り方の指導を
受けて早速作ることになったが、普段使う
ことのないドリル等の大工道具に悪戦苦闘
し手はまめだらけになり、作業がほかの人
から後れを取ったことでこの先の実習に一
抹の不安を感じ始めた。こうして、実習は
始まったのだった。
この後 3 日間の作業で何とか作り上げ、最も
印象深く残っている歴史教室本番を迎えた。
最初は全体を見てまわったが、その中のひ
とつの家族に加わって手伝いをすることに
した。作業する中で、小学生から「昔の人
はボルトの代わりに何を使っていたの?」な
どと予期せぬ質問を次々に投げかけられ、何
だったか考えてもらっている間に何とか答え
を作り上げて答えたはらはらした面もあった
一方、子どもの想像の豊かさに感心させら
れた。次に火を起こす段階になった。この
作業は大変力が要り、練習のときは実習生 5
人のうち 2 人しか火が付かなかったのであ
る。ほとんどの家族は父親がやっていた中
で学芸員さんや他の実習生の助言を借りて、
子どもたちだけで挑戦し見事火が付き、大
変喜んでくれたところに一緒に立ち会えた
感動は忘れることができない。歴史教室が
印象に残っているもう 1 つの理由は、刃物を
2.6 飯能市郷土館
扱う時に手ばかりを注意していたが勢いあ
まった彫刻刀で足を切ってしまった子どもが
実習期間:平成 11 年 8 月 1 日∼8 月 14 日
いたからである。このことは、1 つのことだ
欧米文化学科 4 年 宇山 美穂子
けでなく、広くものを見ることの大切さに
8 月 1 日から 14 日まで実質 12 日間、飯能市
気づかされた出来事だった。
郷土館で実習をした。主な実習内容は親子
歴史教室とその準備、常設展示替え立案、写 歴史教室の準備と平行して常設展示の展示
真の整理、絵画のトレースなどであった。 替え立案があった。常設展示を展示替えす
初日、緊張と期待でドキドキしながら郷土 るという仮定のもとに自由に製作し、良い
館に着き、館の概観説明を受け、実習生の自 ものがあったら採用される可能姓もあると
己紹介をした後、親子歴史教室の準備に取 聞き、張り切ったのだが想像以上に大変だっ
り掛かることとなった。歴史教室では昔の た。というのも既存の展示にとらわれてな
火起し道具であるマイギリを作って実際に かなか新しい発想が出てこないからだった。
また、展示の品々を決めても一連の展示を
通じて何を伝えるのか明確なテーマを持た
ないと何も伝わらないことを強く感じると
共に、自分の理想の博物館と照らし合わせ
て書いては勉強不足を認識し調べては書く、
試行錯誤の連続であった。
実習の中ではこの展示立案の発表、歴史教室
の反省・感想、館の問題点、自分の気に入っ
た写真の理由などと比較的自分の意見を述
べる機会が多く、それは同時に他の実習生
の自分が思いもよらない色々な角度からの
新鮮な意見も聞ける機会でもあった。そし
てともに作業した実習生は困っていると手
を貸してくれ、お互いの大学の情報交換も
したりして実習を数倍実りの多いものにし
てくれたのではないだろうか。
最終日は大雨でいつもよりも早く家を出た。
今まで作成してきた展示替え立案をみんな
の前で発表し、学芸員さんたちから講評と
コメントを頂いた。自分では万全を期した
つもりであっても学芸員さんの手にかかれ
ばさらに興味深いものとなっていき、まだ
まだ自分の考えを深く詰めていかなければ
ならない所や今後の課題とすべき所が見え
てくるものであった。この大雨で川が氾濫
しそうになるのが館から見下ろせ、学芸員
さんから「明治 43 年にも大洪水があった」
という話を聞いた。そんなところにも歴史
を感じつつ飯能にどっぷりと浸った実習は
無事終了した。学芸員の苦労ややりがいを
ほんの少しではあるが体験し、大変ではあっ
たけれども充実した 12 日間であった。
ており、教育に力を入れている。実習もそ
の特徴的な雰囲気のなかで行われた。
具体的な実習内容を挙げると、第 1 日目は午
前にオリエンテーションということで、館内
の見学と館長のお言葉を聴いた。併設館と
いうことで、展示スペースはあまり広くな
いが、竪穴式住居の模型が入り口にあった
りと、学芸員の工夫が前面に溢れたものと
なっている。また、キャプションも来館者の
多くが小学生ということから読みやすく作
られている。午後は隣町である宮代町の郷
土資料館に見学に行った。ここは、敷地内
に民家を移築保存展示している。この家の
中で昔話を語る会も行われており、昔の家
の中で、昔の雰囲気を感じながら、伝承さ
れてきた話を聴くという、民俗を体験する
には最もいいかたちの資料館であった。ど
ちらの館にしても、少ない予算でどれだけ
地域の人々に興味を持って貰うか、そして
いかに郷土の歴史や文化を伝えるかという、
学芸員の努力が感じられるものであった。
第 2 日目は資料保存・展示ということで、牛
島小学校、沼端小学校の空き教室を利用し
た展示スペースに行き、そこで私たち実習
生が新たな展示を少々加えた。学校という
子供達の身近なところに、出張博物館のよ
うなスペースがあることは、子供に博物館
が身近であると感じてもらい、民具などを
見たり触ったりすることで、さらに興味を
持って貰うことができ、とても良いことだ
と思う。
第 3 日目、春日部市内の踏査。資料館を出発
し、神社や昔の船着場や古木など、春日部
2.7 春日部市立郷土資料館
市内の旧跡や名跡を自分たちの足で巡った。
実際にあるいて、見学するということで、殺
実習期間:平成 11 年 8 月 3 日∼8 月 8 日
伐とした現代の街にも、多くの歴史が刻ま
日本文化学科 4 年 小島 香
平成 11 年 8 月 3 日から 8 月 8 日までと 8 月 れていることを強く実感することが出来た。
22 日に埼玉県春日部市にある春日部市立郷 また、人間の営みと言うものが、変化しや
土資料館で実習をしてきた。この資料館は すいものだなと改めて感じた。
教育委員会・視聴覚センターとの併設館で 第 4 日目は歴史資料である甕棺を梱包した
あり、また春日部小学校の敷地内に位置し り、日章旗などを写真撮影したりと、収集・
保存について学んだ。いかに、資料を大事に
扱うという基本的なことを学んだ 1 日であっ
た。その後に、この館で催される、体験講座
(小学生対象のわらすぐり)で使う藁のハカ
マをとる作業をした。学芸員は雑芸員と言
われるだけあり、特に市町村では手が足り
ないのでこのような作業も多いようである。
しかし、この藁が子供達の手で、なわれ縄に
なっていくのだと思うと、辛い仕事もちょっ
と楽しくなった。
第 5 日目、第 6 日目はここの目玉である教育
普及に携わる。古文書講座が開かれる日で
あり、資料のコピーなどを行った。そして、
この講座に私たちも参加し、春日部の古地
図を地域の人々と共に読んだ。また第 5 日
目の午後は、視聴覚センターの方で、視聴
覚機器を使った実習を体験。パソコンの画
面上で文字だけでなく音や動画を組み込ん
だ自己アピールを制作。学芸員は機械に強
くなければならないらしい。
8 月 22 日は第 5,6 日目同様、教育普及の手
伝い。どちらかと言えば、手伝いというよ
りは、勉強会に参加した 1 日であった。
実際に博物館で作業をするということより、
頭では理解していた、資料の収集・保存・展
示・教育普及がいかに、人やものに対する細
やかな注意力が必要であるか、またいつも
研究するという姿勢が大切であるか感じた。
惜しみない愛情と、深い研究から、人が感
動し得る展示が生まれるのだということを
知った一週間であった。
2.8
沖縄県浦添市美術館
実習期間:平成 11 年 8 月 17 日∼8 月 31 日
社会学科 4 年 豊田 愛
そもそも沖縄独特の文化に以前から興味を
持っていた私は、その文化伝承に携わってい
る浦添市美術館を選び、沖縄へとんだ。浦添
市美術館は日本で最初の本格的な漆芸専門
美術館として平成 2 年にオープンした。市
では文化都市・国際性豊かな都市作りなど
が進められ、具体的な事例の一つが美術館
の建設事業だったという。
実習を終えて言えることは、この 2 週間に
おける内容は私にとって大きな経験であり、
今後の自分に影響を及ぼすものになったと
いうことである。漆器を劣化させないよう
に細心の注意をもって保存・点検し、人々に
見せていこうとする学芸員としての仕事を
手伝わせてもらって、自分が担当した作品や
行動に対する責任や自発性、発言力、チーム
ワークの大切さなどを緊張感ある現場で学
んだ。
「夏休み子供教室」では、ワークシー
トの作成・しおりの作成・受付・解説などを
したのだが、子供の興味を引き出すために
自ら研究して専門用語を分かりやすく伝え
たり、運営をスムーズに行なうことに苦労
した。また、収蔵庫内の清掃・整理では体力
勝負で、力仕事は結構好きだという発見も
あり働くことに充実感があった。
「発掘調査
体験」では浦添城跡にある“ ようどれ(王の
墓)”にて炎天下のなか 14 世紀の高麗瓦を
発見した。
ところで実習室からは海が見え、これは私
のお気に入りの景色だったので朝早く着い
てのんびり眺め、昔から沖縄の人は海から
パワーをもらっていたんだろうなあ、と思っ
て活力になっていた。この高温多湿の中で
人の感情が作品を生み、その文化は独特の
味があるが、同時にこの気候の中で作品を
守っていくというのは大変なことであり、学
芸員の仕事の素晴らしさに感動した。毎日
の温湿度の点検や空調管理、照明、光にま
で思った以上に細かく気を使っている。
やはり実習の一大イベントは最後にある展
示企画案発表だった。1 グループには 3 人の
メンバーがおり、準備、発表のリハーサル、
再考に 3 日間かけて 4 日目に館長さん始め職
員の方の前で発表をするというものだった。
私のグループでは各々が常設展・企画展 1 つ
ずつ企画の案を出し合うところから始めた。
3 人ともそれぞれ考えてきたので話はスムー
ズに進み、研究する時間も多いにとれてよ
かったと思う。案を出すときには今まで自
分が見てきた展示がいいヒントになったこ
ともあった。グループの活動を通して、メ
ンバーの 1 人 1 人を非常に尊敬できるよう
になっていくのを実感した。チームワーク
のおかげで発表は成功した。
今回の実習で最も学んだのは、人と協力し、
尊重し合い、その中で自分を生かしていくと
いうことである。1 度に学芸員の方々や 11 名
の学生に出会い、とても刺激となった。すば
らしい出会いができて、沖縄まで行って本当
によかったと思う。そして学芸員という職業
に近づけたらという気持ちが以前より増し
た。毎日充実していて、朝一番に到着して
しまう程だった。熱心に指導して下さった
方々に心から感謝しています。館長さんが、
「実習で学んだことを何かにつなげていって
下さい」とおっしゃったように、学生の間に
得たものとして今後の自分に影響していく
だろうと思う。
2.9
長野県信濃美術館
実習期間:平成 11 年 7 月 29 日∼8 月 10 日
日本文化学科 4 年 降旗 陽子
私は三年次の博物館実習において、たくさ
んの博物館というものを見てきた。見てき
たなかには様々な博物館があったが、どの
博物館もこの時代において様々な試行錯誤
を繰り返しながら頑張っていることを理解
した。この博物館実習は博物館を、今まで
一観覧者でしかなかった私を少しだけ企画
する側一学芸員としての視点を持つことが
できるようにさせたように思われる。そし
ていよいよ本番、である。私は四年生とな
り、博物館実習を長野県信濃美術館で行な
うこととなった。この信濃美術館は長野市
にあり、松本市に実家がある私にとっては
大変なことであった。まず通勤時間がとて
もかかるのである。これを計算してみると、
2 時間かけて通っていたこととなる。これは
私の初めての電車通勤であった。この実習の
期間だけは、社会人のような生活をしてい
たように思う。とにかく、この通勤は最後ま
で辛いものであった。話は変わるが、この信
濃美術館には併設されて「東山魁夷館」とい
うものがある。館の学芸員の方がおっしゃっ
ていたが、この東山魁夷という日本画家は
現在の私達の中にあって最も愛された画家
の一人ではないだろうか。私たち実習生は、
朝出動して館が開く間、館の内部を自由に
見られるような時間を与えられた。その時
は誰も観覧者がいなく、絵をじっくりと見ら
れた。もちろん東山画伯の絵についても同
様である。ちょうど「森への誘い」という企
画展が行なわれていた。このテーマの通り、
森を中心とした絵の数々が壁を飾っていた。
森は様々な色調で描かれ、それは何故か私
たちが懐かしくも美しく感じるような絵で
あった。彼の絵にはすごい迫力があるとか、
描写が素晴らしいというものではない。しか
し東山画伯の絵には、日本の美しい風景が、
そして私たち日本人の郷愁が描かれている。
そのような素晴らしい絵を、じっくりと見
る機会を与えてくださった館の方々にとて
も感謝をしている。さて実習についての話
に入る。実習は毎日ためになることばかり
であったが、ここでは特に心に残ったことに
ついて述べる。まずは学芸員さんの講義に
出てきた「日本画」の定義についてである。
実はこの「日本画」という概念は、明治時代
以降の概念なのである。それは日本が開国
という事態となって、今まで日本で確立さ
れてきた技法・モチーフなどによって描かれ
てきた日本独自の芸術品と、新しく西洋か
ら入ってきた技法によって描かれた芸術品
とを区別するためにこのような概念が確立
したのであった。このような時代にあって、
新たな日本画が生まれた。この時代におい
てそのような日本画に生涯を捧げた、菱田
春草・横山大観等の美術品をこの目で見るこ
とができたことも嬉しいことであった。この
ような話を初めて耳にした私は大変な衝撃
を受けた。そしてその日本画という概念の
難しさと共に、これから日本画はこのよう
な概念に縛られることなく、自由になってほ
しいと思った。その次に心に残っているもの
として、
「企画展作り」である。これは東山
魁夷館の収蔵品リストを見ながらテーマに
沿って、班別に絵を選んでいくものである。
私たちの班は、
「水」をテーマに種々な絵を
選択したが三人とも、満足できるような展
示となって良かった。実際の展示計画を、こ
のような形で体験できたのは心に残るもの
であった。さて実習の思い出についてはあ
まり詳しく書くことはできなかったが、こ
のような充実した毎日を送れたことを大変
感謝している。私はこの先学芸員という職
業に就くかは分からないが、このような体
験は一生忘れることのできないものとなる
だろう。
2.10
古代オリエント博物館
実習期間:平成 11 年 7 月 12 日∼7 月 24 日
欧米文化学科 4 年 畝田 愛
実習においては、とくにカリキュラムがな
く.研究員の方々の手伝い(雑用や資料、書
籍の整理など)が主な仕事だったため、その
ようなことを詳細に述べてもきりがないの
で、今後博物館を学生の方が選択し、実習
する際の重要点をいくつかまとめてみた。
<実習館の選択>
まず、選択する前の意識としてはあくまで
も博物館の方々が(わざわざ)時間をさい
て下さる、という意識を忘れないでほしい。
ましてや自分たちの学生気分をそのまま実
習に持っていくことは論外である。
たったの 2 週間程の期間であったが多くのこ
とを学ぶ人となんとなく日数が経過してし
まう人との根本的な違いはそのようなとこ
ろにあるという。
選択については周囲が動きだしているから、
という動機でもなんでもよいが、早目であ
りすぎる事はない。見学実習で親しくなった
館でもいいし、課程室が勧めて下さるとこ
ろでもよい。まずは電話で問い合わせてみ
る。なるべく通いやすい近隣の館であれば
尚よい。これは通うのに便利だから、とい
う意図もあるが今後親しく訪れることがで
きるように、との配慮として一考すべきで
ある。
選考に際しては、ほとんどの館で面接や作
文があり、落ちた、受かった、という就職活
動まがいの一喜一憂がある。その時、このあ
いまいな実習制度自体に私は疑問を抱いた
がしかし、自分にとって何が 1 番の目的なの
か。まずは資格を貰うことであると考えた。
妥協することも必要である。私自身も、希
望の館がすでに定員だったために、専門外
の博物館に行くことに決まったときは、物
足りない気持ちになってしまった。しかし、
実際の実習においては逆に、多彩な研究内
容に驚き、同時にどんな分野であっても独立
した形ではなく、どこかで密接に繋がってい
るという事を肌で感じさせられた。今後の
自身の専門にも糧となったと思う。
<実習について>
本来ならば、専門的なカリキュラムがあると
ころがよいと思うが、私は行かれなかった。
しかし、先程も述べたように学んだことは
大変多く、研究員の方々も非常によくしてく
ださった。今思うのは、自身のやる気次第で
実習は楽しくもなるし、つまらなくもなる。
人それぞれ学びとることも大分変わってく
るということである。知りあいにも実習の
様子を伺ってみたら、実際の作品に触れる
仕事ではなく、様々な館を見学したという
人や、実践的な仕事を教えていただけたと
いう人もいた。感想は、いろいろなものを
みることができた、日数がもう少しあって
もよかった、研究を仕事とする苦労と充実
感を感じた、など多種多様であった。
ただ、私が心がけていたこととしては、着
眼点である。雑用的な作業の中でも学び取っ
た。研究員の方が日頃どのように自身の研
究環境を作っているのか、データベースや
書棚の整理の際にかい間見たり、研究員の
方の一連の仕事の流れや研究内容について
見聞していた。姿勢を示す事で仕事も変わっ
てくるものである。
<将来へ繋げる>
実習期間中に学芸員、研究者の仕事や活動
に大いに憧れもし、実力の不足、学芸員と
いう職業の日本での(不も含めて)可能性
も実感できた実習であった。単に資格とし
てではなく、職業として考えてきたように、
今後も自身の専門を深めることを今迄以上
に心がけたい。最後に、お世話になった研
究員の方々に改めてお礼を申し上げて報告
を終える。
2.11
明治大学考古学博物館
実習期間:平成 11 年 7 月 5 日∼7 月 16 日
日本文化学科 4 年 河上 智靖
かねてから明治大学の考古学博物館で実習
をしたいと思っていた。それは明治大学が
考古学の名門であり、自分も考古学を志す
学生として一種の敬意と憧れを抱いていた
からである。そこで学芸員課程室の大窪さ
んを通じて博物館に連絡をとり、決定は少
し遅くなってしまったが、7 月に 10 日間の
日程でめでたく実習生として受け入れても
らえることになった。その際宇都宮市にあ
る自宅から博物館のあるお茶の水まで毎朝
通うことの辛さはまるで顧みなかった。
5 月に実習生を対象としたガイダンスがあっ
た。そこで実習を行う上での注意事項と、実
習は明治大学の考古学専攻の学生たちとと
もに行われること、明治大学考古学博物館は
実習生を対象とした実習用プログラムとい
うものは組んでおらず、実習生を館の職員
として実際に働かせるという方針をとって
いること、というような説明を受けた。こ
れはつまり自分のした仕事がそのまま館の
運営に反映されるということであり、緊張
感と責任感を感じるとともにとてもやりが
いのある実習だと思った。
そしていよいよ 7 月になり実習がスタート
した。実習の内容は『岩宿発掘 50 年―旧石
器研究の原点と足跡―』という特別展のた
めの準備作業であり、特別展で取り上げら
れる遺跡の概要、考古学的位置づけについ
て説明するキャプション原稿の作成、そして
それらの遺跡の所在地を表示する分布図パ
ネルの版下の製作、常設展示撤収に伴う遺
物の梱包、搬出と搬入、遺跡の調査地区・文
化層をビジュアルに表現するためのジオラ
マ製作などであった。そのうちいくつかの
作業について言及すれば、キャプション原
稿の作成は、限られたスペースの中でより
効果的に、より分かりやすい文章を書くこ
との難しさを知った。版下の製作では、はじ
めてインレタを使用したり、いかに見やすい
図柄にするかで頭を悩ませた。遺物の梱包
作業では、1 度授業でやっているとはいえ、
重要文化財指定の夏島貝塚出土の深鉢を扱
うなどとても緊張した。その他、展示ケー
スに入ったり、普段は絶対に触ることので
きない遺物を直接手にとって観察すること
ができたり感動することも多かった。また、
一緒に実習をしたどの明大生も優秀であり
おおいに刺激を受けた。個人的に石器の実
測図の書き方も教わったりもした。毎日と
ても充実しており、あっという間に 10 日間
が過ぎてしまった。
8 月某日、スタートした特別展を見学するた
め 1ヶ月ぶりに博物館を訪れた。自分が手が
けたキャプションやパネル、ジオラマがいつ
出てくるのかとわくわくしながら見学した。
そして展示の端端にそれらを見つけるたび
につい破顔してしまった。その後ひとしき
り展示を見て、落ち着いたところで思った
ことは、実習期間が特別展準備の途中から
始まり、途中で終わってしまったということ
もあるが、実習中はなかなか特別展の全体
像をイメージすることができないでいたと
いうことである。実習中は与えられた仕事
をこなすことのみに終始してしまっており、
もしその時しっかりと展示全体のイメージ
ができていたのであれば、なにかしらのア
イデアを出すなどもっと積極的に、より深
く特別展に関わってゆくことができたので
はないかという思いにとらわれた。
このように反省すべき点ももちろんあるの
だが、全体を通して非常に貴重な経験をし、
なおかつ楽しく、とても有意義であったと胸
を張って言える実習であった。
2.12
中野区立歴史民俗資料館
実習期間:平成 11 年 7 月 27 日∼8 月 8 日
日本文化学科 4 年 三浦 宏美
実習館の決定まで
面白そうで、ちょっとくらい厳しくても、身
になりそうなところ。それが実館館選択の
第一の基準だった。滅多にない機会だから
こそ、充実した実習にしたい。そのために
は面白さを予感させるような博物館がいい、
そう考えてのことであった。そして、いろい
ろな博物館を検討した結果、 博物館の展
示が好きだったこと、 以前にも武蔵大学
の学生が実習に行っており、それによると内
容は厳しいらしい、という二点から中野区
立歴史民俗資料館を選んだ。手続きに関し
ては、電話連絡で問い合わせをしたところ
(本来なら事前に訪問していろいろなお話し
を伺うべきであったと思う)、大学を通して
手続きをしてほしいとのことであったので、
大窪さんにお願いした。正式に決定後、再
度日程について確認の電話連絡をして、実
習期間を待った。
実習の内容・感想
実習期間は 7 月 27 日から 8 月 8 日までの実
質 12 日間で行われ、担当は比田井克仁先生
(内容によっては、それぞれの専門の先生が
担当してくださった)、実習生は私を含めて
7 名で行われた。内容は、地域を知る(区内
巡りと事業計画実習)
・資料写真撮影の実践・
古文書資料の取り扱い(企画展の展示作業
を通じて)と様々であり、互いが関連しあっ
て、学ぶことが非常に多かった。けれども、
忙しい・大変という思いよりも、
‘ 本当に面白
い ’という気持ちが毎日続き、最終日は実習
が終わってしまうことが非常に残念だった。
そうした実習の中で、最も難しく、楽しく、
勉強になったと感じたのはは後半 4 日間で
行った企画展“ 郷土玩具コレクション展暮ら
しと遊びの「こころ」と「かたち」”の展示
作業である。以下にはその実習を中心に感
想を述べたいと思う。
まずはじめに行ったことは、展示ケースの
企画展示室への搬入・掃除である。思いの
外、展示ケースが汚れていたこと、また展
示ケースの奥行きがかなりあり、思いの外、
雑巾掛けが大変であった。キャプション・パ
ネルについては、専門家向けの説明ではな
く、ポイントを絞り、多くの人にわかりやす
く伝えることの難しさを学び、粘着パネル
にビロードの布を貼り付ける。貼りパネル
は展示物をひきたたせるという役割を持つ
ことから、それぞれの資料に合わせて工夫
をしていく重要さを感じた。実際、展示台
の中にも、貼りパネル同様、館で製作され
たものがあり、学芸員になるにはこうした
技術とそれらを厭わない性格であることも
重要だと感じた。なぜならば、こうした細か
な工夫の積み重ねが、ひとつの企画展を作
り上げていると実感したからである。この
作業を地域博物館では少人数で行うという
ことを考えると、企画展の準備期間が 1ヶ月
ほど設定されていることに納得できた。次
に展示する資料の準備を行う。収蔵庫にあ
る資料を搬入し、資料の有無、状態の確認
を行う。そしていよいよ、展示である。実
習生は各自がそれぞれのテーマを受け持ち、
構成していく。壁際の展示ケースを担当す
る人もいれば、のぞき込み型の展示ケース
を担当する人もいる、という具合であった。
何もないところから、展示台・色調・高さと
いったことのバランスを考えて、資料を配
置するという作業は予想以上に難しいもの
であった。そのため、他の実習生の展示を見
ながら、意見を交換させながら展示の配置
を考えるということは、いい刺激になった。
頭や口だけではない、いい意味での感性の
ぶつかり合いがそこにはあったと思う。限ら
れたスペースに多くの資料をうるさくなら
ないように、メリハリをつけて、どこにポ
イントを置くか。実習 では、博物館に訪
問して、展示
れられたことが大きかったのではないかと
思う。他の人が自分とは違う環境で何を勉
強してきて、何を考えてきたのか。実習を
通じて、改めて‘ 人と学ぶ ’ということにつ
いて考えさせていただけたことは、残りの
学生生活を充実させる上で、大きな成果で
あったと思う。
また、実習中は散々頭を悩ませた展示であっ
たが、後日、実習生が集まって企画展を見に
行ったところ、訂正されることなくそのまま
展示してあったときの感動は忘れられない。
の仕方について疑問なども伺ってきたが、実
2.13 千葉県立安房博物館
際に展示に携わってみるとその難しさが並大
抵のものではないことにも気づかされた。ま 実習期間:平成 11 年 7 月 27 日∼8 月 6 日
た、自分なりに出した結論、展示が他の人の 日本文化学科 4 年 生貝 有香里
目にどのように映るのか、ということも不 私にとって今夏の安房博物館での博物館実習
安であった。あるひとつの展示が、他の人の はかけがえのない貴重な 10 日間になった。
見方と出会ったとき、共感をいだくか、ある 昨年、実習 で実際に博物館を訪れ、学芸
いは不満を持つか、いずれにしろそれを必 員の方の話を聞き、また展示を見て、学芸
ずしもその場で話すことができないという 員という職業について、博物館という施設
難しさがあるのだと感じた。企画展示の実 について、そしてそこにある問題について
習を通して学んだことは、数が多く書きき 知り、学び、考えさせられた。
れない。しかし、強く感じたことは、何もな 大学での講義も含め、それが私の「博物館」、
いところから、物事を作り上げていくこと 「学芸員」についての知識であり、基盤となっ
の難しさ、そしてそれに要求される感性、何 ていることは言うまでもないが、今回の実
より、その感性を磨き続ける努力を怠っては 習では、学び、考えることはもちろん、それ
ならないというある種の厳しさでもあった。 を「自分自身が行う」=「現場の中に自分が
感性は一朝一夕で身に付くものでもないし、 入っていくこと」で今までとは異なる視点が
また人それぞれでもあるのはいうまでもな 自ずと生まれるとともに、今まで点としか
いが、それをいかにして表現するか・表現で 捉えることのできなかった学芸員の仕事が
きるかというのは、面白いと同時に難しい 一連の流れとして捉えられるようになった。
問題でもあった。今回、中野区立歴史民俗資 私たちが目にすることのできる展示はまさ
料館での実習を通じて、感じたことは‘ 本当 にその点の一つであるに過ぎず、真っ白な状
におもしろかった ’ということである。この 態から立ち上げていく一連の作業の重要性
言葉がふさわしいかどうかは正直言ってわ (その結果が展示)、その一朝一夕にはこな
からないが、この言葉以外では表現しよう せない大変さを肌で感じることができた。
がないほど、充実した毎日であった。そし 具体的に言うなら、実技実習では、写真撮
てそれは、実習の内容、実際に現場で活躍 影・実測・キャプション作成・資料カード作
していらっしゃる先生方にお話しを伺えた 成・映画会進行(それに伴う解説シートの
ことはもちろん、他大学の学生とのやりと 作成)などを行い、実際に資料にふれ、さ
りや、モノの見方・考え方といった感性に触 まざまな技術を得ることができたとともに、
資料の情報化・記録化の難しさを痛感した。
そしてそれを来館者に還元する・提供する
という社会教育施設としての博物館の性格
を再認識するとともに、映画会では実際に
来館者と接し、その主体は来館者であるこ
とを思った。しかしその反面、一表現者、一
研究者としての個々の学芸員の個性が生か
されなければならないことを考えると、博
物館という施設が有している役割の多さを
今更ながら感じ、そこで働く学芸員の苦労
を実感した。常に学芸員である自分と訪れ
る多くの人々とのことを考えた試行錯誤の
中に学芸員の仕事はあり、またそれがなさ
れなければ博物館は博物館として機能しな
くなってしまうのであろう。
見つからない。これからも見つからないか
もしれない。でもそんなものはないんだと
も思う。
学芸員という仕事、博物館という施設の性
格を知り、個々の博物館でその学芸員がど
う資料とかかわり、資料を通して何をしよ
うとするのか、そしてそこに訪れる人々と
どう関わろうとするのかそれが重要なので
あると思う。
博物館という空間の中で学芸員の方の考え、
思っていることを直接に感じ、私自身が体験
することで、学芸員という職業に今まで以
上に大きな魅力を感じた。zz そしてとても
充実した、忘れられない 10 日間になった。
学芸員に課せられている仕事、求められて
いる資質は数えきれず、そして博物館が内
包している問題は多い。このように書いて
しまったら私自身が博物館・学芸員を悲観
視しているように思われるかもしれないが、
それを知ること、体験できたことの喜びの
ほうが大きい。
2.14
厚い展示ケースのガラスを開けたときのこ
と、キャプション作り一つをとっても、たっ
た一つでも展示室に自分の作ったキャプショ
ンがあり、その空間作りにほんの少し参加で
きたこと、多くの資料に触れ、そこから何ら
かの情報を抽出しようと悪戦苦闘したこと
(特に実測図)、映画会解説シートをどうし
たら伝えようとしていることを的確にわか
りやすく伝えられるか悩みながら作成し、そ
れが来館者の手に渡ったこと。
あげればきりがない。すべてが初めてのこ
とで、すべてが心踊るような興奮の中にあ
った。
最後になったが、博物館で働く学芸員に課
せられている仕事の大変さ、重要性、そし
て求められている人間性を思うたびに、自
分の中で学芸員とは何なのかというマニュ
アルをいつもいつも探そうとしていた自分
に気づいた。その答えは実習を終えた今も
渋谷区立松涛美術館
実習期間:平成 11 年 12 月 9 日∼12 月 16 日
欧米文化学科 4 年 高梨 直美
12 月 9 日から 16 日まで 6 日間、松涛美術館
で実習を行いました。松涛美術館は、JR 渋
谷駅から少し離れた閑静な住宅地に立地し
ています。松涛美術館は財団法人渋谷区美
術振興財団によって設立され昭和 56 年に開
館され毎年、渋谷区の小中学校の公募展が
行われているようです。現在 20 校の小学校
と 8 校の中学校があり、その中から選りすぐ
られた約 200 点ほどの作品を整理するのが
今回の実習の中心となりました。私達実習
生の作業は、主に地下 2 階の控室で行われ
ました。最初の作業は、各小中学校から送
られてきた美術作品のリストアップでした。
このリストは、カタログに記載されるもの
で学年ごとに作品名と氏名を正確に書出さ
なくてはなりませんでした。また 200 点ほ
どの作品をこのリストの順番通り整頓しま
した。大きさも様々で、立体的なものほど
壊れやすい物もあったので取り扱いには十
分な注意が必要でした。次に、各小中学校
の美術の先生方が集まり、カタログの表紙
とチラシに飾る作品の選出を行われました。
そのためホールにすべての作品をカタログ
順に並べました。その際、作品が汚れない
ようにエアパッキンを下に敷きました。ま
た公募展の準備として展示のための棚を設
置しました。鉄製の部品をボルトとナット
で組み立て、作品に傷がつかないように表
面の鉄製の部分を覆うようにエアパッキン
を巻きつけました。作品に対する細心の注
意を払うこと、それを預かる責任の重さを
感じました。
て学芸員の仕事に携わる雑務を経験させて
いただき、展覧会美術館の舞台裏を知る機
会を得ることが出来ました。本物の作品を
扱うという点で常に注意を払う必要があり、
責任感のある仕事だと思いました。学芸員
は、研究や企画だけでなく管理、保存とい
う点においても、その業務が多岐にわたる
事を具体的な作業の中で感じました。
最後に小中学校の公募展のカタログに載せ
る写真を撮影するのを手伝いました。リス
トの順番に撮影するのに、後で混乱がない
ように数字をいれて作品の向きも上下そろ
えなくてはならないので慎重に行われまし
た。カメラの取り扱い方についても教えて
頂きました。
2.15
広報に関しては『吉仲太造展』の招待状とカ
タログを大学、出版社、図書館などに送付し
ました。しかし、招待状を送付しただけ来館
者があるという訳ではありません。他の美
術館とポスターの交換やカタログを寄贈す
ることで美術館同士の連携を通して宣伝す
ることも重要だと思いました。テレビのC
Mや電車のつり広告による宣伝は効果的で
すが予算がかなりかかるそうです。研究をし
て企画するのは学芸員の努力次第で良いも
のに出来ますが、観客を動員することは難
しいものであることを実感しました。実技
実習として江戸小紋の版の汚れを拭き取る
作業を行いました。これは着物の図柄を染
色するのに実際用いられたもので、職人の
細密な手作業で切りぬかれた模様は、非常
に美しいものでした。和紙を何枚か重ね合
わせ表面は柿渋で水に強い性質があります。
この型紙は寄贈されたもので長い間、納屋
にあった物なのでほこりや砂でずいぶん汚
れていました。水にぬらして固く絞った布
で軽く抑えたりこすったりしながら汚れを
落として行きました。繊細な模様の部分は
特に気を使いました。
6 日間という短い実習でしたが、全体を通し
板橋区立郷土資料館
実習期間:平成 11 年 7 月 6 日∼7 月 18 日
日本文化学科 4 年 古賀 優子
私は板橋区立郷土資料館にて、7 月の中旬に
12 日間の実務実習を行なった。この館を選
定した理由は、規模はさほど大きくなく(館
全体がわかることができるような気がした
ため)、区立資料館として地域に密着してい
るところ、また、私は野外展示が好きなた
め、それがあるなどの理由である。加えて、
ほぼ毎年といってよいほど武蔵の学生を受
け入れていて、過去の実習記録等を見ても
なかなか良い実習を行なっているらしいと
ころもあった。残念ながら、家からはあま
り近くなく、資料館自体の立地も良いとは
いえないが、この板橋区立資料館で実習が
できて本当に良かったと思っている。
実習が始まったのは、休館日後の火曜日か
らであり、その週の土曜日から企画展「下
板橋宿中名主・飯田家資料展」が始まるとこ
ろであった。後で聞いた話なのだが、実習
期間はなるべく、企画展または特別展の何
日か前から行なうように日にちを設定する
ということであった。これはせっかく実習を
するのだから、学芸員の大きな仕事の一つ
である展示をさせたいという思いからきて
いるものである。そのありがたいともいえ
る思いのおかげで、私はとても良い経験が
できたと思う。
そのようなわけで、いきなり初めから展示
準備に入った。展示をするには非常に体力
を使う。これが展示に対しての第一印象だ。
重たい展示ケース等を動かし展示室の形を
整える。膨大な展示品を収蔵庫から運び、展
示品を箱から出して、拭いたり、洗ったり。
正直言って、企画展のスペースは広いとは
言えない。しかし、そのスペースを展示す
るのにこんなにも体力を要するとは思わな
かった。展示ケース内の展示もさせていた
だいた。もう一人の実習生とともに、裃の
展示をした。ピンで留めながら行なうのだ
が、うまくいかず時間がかかってしまった。
また、後日には一番大きな展示ケースに入
り込んで、茶器などの食器の展示をした。普
段何気なく見る展示品だが、一つ場所を変
えるだけでこんなにも印象が違うものかと
驚かされた。食器のバランスが何度並べ直
しても悪いのだ。あまり見栄えがしないと
いうのはわかるのだが、どこが悪いのか、何
を直せば良いのかがわからない。見ている
のと、実際、自分がするのとでは全く違う。
そのように感じることが、ここでのことに
限らず、とても多かった。この食器の展示は
初め、学芸員さんが自由にやっていいと言っ
てくださり、一時間少しかけて行なったもの
だ。最後にここはこうした方が良いなどの
アドバイスをいただきながら直してもらっ
たが、このように初めはまず考えさせてか
らということが多かったように思う。それは
とても大切なことだった。まず、自分で良い
方法を考える。それは学芸員にかぎらず、必
要な姿勢だと思う。それにしても、日ごとに
展示ができ上がっていき、遂に完成したとき
はとても嬉しかった。
前半の展示準備について詳しく述べてしまっ
たが、その他にも様々なことをやらせていた
だいた。講演会の準備や、図書、資料をパソ
コンに入力したり、
「郷土芸能伝承館」や、こ
の資料館の分館である「赤塚ふるさと館」に
も連れてってもらい、説明を受けた。区役所
で 8 月に行なう「平和展」の準備も行なった。
最後は企画展示案を考え、講評していただい
た。どれもこれも、初めてのことでとまどっ
たが、充実した日々を送ることができた。
反省すべき点はたくさんある。しかし、同時
にその反省点も含め、自分は良い実習がで
きたなと思っている。博物間の現場に触れる
ことのできる実習は、自分から学ぼうと思
えば多くのことが吸収できる場であると思
う。はたして自分がそんなにも多くのこと
を学べたかどうかはわからないが、実務以
上のことを間接的に学べたとは思っている。
非常に考えることの多い 12 日間であった。
2.16
松戸市立博物館
実習期間:平成 11 年 9 月 16 日∼9 月 22 日
日本文化学科 4 年 星野 涼子
8 月 15 日の合同実習を含め、9 月 16 日から
9 月 22 日まで(20 日は休館日のため実習な
し)7 日間実習を行なった。その中で、最も
印象に残ったことは、博物館というものが、
学芸員の方々ばかりでなく、もっと博物館の
枠をこえて多くの人たちに支えられて成り
立っているということだ。
博物館では、学芸員の他に司書、コンパニ
オン、警備員、清掃員、ビル管理、アルバイ
ト、ボランティアなど多くの人がそれぞれ
の役割をもって働いているということはす
でに合同実習の時に聞いていた。それから、
9 月 16 日からの 3 人から 5 人にわかれての
個別実習を終え、感じていることは、今ま
で 3 年生の時の実習 (博物館の学芸員の
方のお話を聞いたり、展示、バックヤード
見学)では、学芸員の方以外で博物館で働
いていらっしゃる方のお話を聞く機会とい
うのがほとんどなかったことだ。もちろん、
学芸員の方の口からコンパニオンやボラン
ティアの現状と役割などについてお話を聞
くことはあっても、直接、それらの人々と接
する機会というのはなかったと思う。そのこ
とは、今、自分が、博物館のごく小さな窓口
にしか触れていなかったのかもしれない、そ
して、結果として博物館イコール学芸員と
してとらえすぎていたのかもしれないとい 千駄堀土屋家寄贈資料展「着物と夜具」が
う反省となって現れている。
開催されている。その準備も、実習中、ボ
ランティアの主婦の方々によって進められ、
博物館の日常を体験してもらう。それが、松
そのための看板も手作りであった。
戸市立博物館の方針だった。その方針が、か
えって、学芸員の仕事というのが、決して楽
なものではなく、むしろ、時には単調で体力 2.17 東京都現代美術館
さえ必要とする様々な仕事をこなす、まさに
雑芸員と呼ばれるにふさわしいものである
ことを知り、そして、博物館で日常働いて
いる大勢の方々と時には一緒に働き、触れ
合う事を可能にさせたのではないかと思う。
個別実習 1 日目は、司書の方の指導のもと、
図書資料の整理をおこなった。地域の方から
寄贈された本に印を押すことも行なった。2
日目には、民俗資料の整理として、展示する
際に着物の衣桁のかわりとして使う竹の節
の処理を主に行なった。3 日目 4 日目は、展
示室と野外展示の竪穴住居でコンパニオン
やボランティアの地域住民の方と共に来館
者対応にあたり、両日とも、午後は、古代米
をつくるという親子向けの体験学習の補助
として田圃の稲刈りや昔の方法での脱穀を
経験した。5 日目は、歴史資料整理として、
40 年ほど前のものも含まれる写真の整理を
した。最後の日は、土器や貝の洗浄や注記
を行なった。
それらの経験は、私にとってはほとんど初め
てのものだった。そして、同時にそれらの力
仕事や神経をつかうような単調で細かな作
業がなければ、私たちが普段見ているよう
な展示も成り立たないことを知ることがで
きた。さらに、その作業を裏で支えている
のが、学芸員の方をはじめとする博物館で
働いている方々なのであり、資料を寄贈し
てくれる地域住民の方々であるのだ。その
多くの人々が、ものが資料になるまで、そ
して、その資料を後世に、また館に見学に
くる人々に伝えていくという博物館の活動
の上で、重要な部分に欠くことの出来ない
存在としてある、それが、地域博物館松戸
市立博物館の姿であることを感じた。
実習期間:平成 11 年 7 月 28 日∼8 月 25 日
欧米文化学科 4 年 鈴木 瑠美子
東京都現代美術館(以下略して現美)での実
習は 8 日間と短く、忙しい日々のうちにあっ
という間に終わってしまった。この 8 日間は
非常に有意義なものだった。何よりもこの
実習を通して、学芸員という仕事に改めて
魅力を感じることができたからだ。実習以
前の私は、学芸員課程の面接のときと比べ、
明らかに自分の中で学芸員という仕事に対
する思いが薄れつつあるのを感じていた。
そんな中で今回の実習に参加したわけだが、
やはり何の期待もなかったわけではない。や
るからには自分の好きな美術館で実習した
かった。実習館を選ぶ基準はいろいろある
と思うが、私が現美を選んだのはまさにこ
れである。毎朝早くに通わなければならな
いので、自宅の近くがいいというアドバイ
スはこれまでの先輩たちがよく言われたこ
とだ。現美まで、自宅から 2 時間近くもかか
るので、その点は確かに不安だった。しか
し、やってみた実感としては殆ど気になら
なかったと言えよう。何よりも毎日が新鮮
で楽しかったので、苦に感じなかった。やは
り、自分が本当に実習をしたい所でやるこ
とが大切なのではないかと思う。
「東京都現代美術館を実習先に希望する理
由」という題で 2 月の終り頃、作文を提出し
た。返事が来たのが 6 月だったので、かなり
不安になったころようやく決まったという感
じだった。実習の内容は、あらかじめ全てカ
リキュラムが決まっていてそれに従って行わ
れた。ほとんどが講義形式で、それぞれ担当
の学芸員さんたちが来て話しをしてくれた
り、館内を案内してくれたりした。その中に
発表が組み込まれていて、勉強したことを で、現美が一層好きになった。今は、学芸員
実践してみる機会が与えられた。
になれなかったとしても、せめて美術館に
最も大変だったのが、4 日目の「東京都現代 関わるような仕事ができたらいいと思って
美術館で行うのにふさわしい展覧会を企画 いる。
する」という課題である。初めの 3 日間は
その準備に追われた。実習は 16 時までで毎
日ほぼ時間どうりに終わった。しかし、その
あとみんな図書館の閉まる 18 時まで残って
準備をしていた。頭で考えて論文を書くと
いうのと、実際に展示として企画するとい
うことの違いに苦しんだ。当日は企画展担
当の学芸員さんたちが来て、発表を聞いて
コメントを下さった。とても緊張したが勉
強になった。1 人ずつの発表で、みんながい
ろいろな工夫をして企画した展示の説明を
聞くのは楽しかった。特に今回は実現可能
なこと、というのを重視していたため、学
芸員さんたちからは現実的な問題としての
アドバイスが多かった。例えば、財政面や
視覚的に楽しめるか、作品の収集は可能か、
観客はどのくらい入るか、展示室の大きさ
は適当かなどかなり現実的だった。学芸員
さんたちの日々の苦労を垣間見ているよう
な気分だった。
その他に実習で印象的だったのが、収蔵庫
で実際に作品の観察をしたことである。管
理カードに作品の情報を記録していくとい
うことまでやらせていただいた。意外に作
品の裏や額縁からはずしたキャンパスの板
などから作品の情報を発見できるものなの
である。そうした瞬間はうれしいものであ
る。また、千葉市美術館に貸していた作品
の返却にも立ち会うという貴重な体験まで
できた。緊張感あふれるその雰囲気は、改
めて作品の貸し借りが大変な作業だという
ことを実感した。
他にも書きたいことはまだまだたくさんあ
るが、紙面の関係上あきらめざるを得ない。
現美はより多くの人が現代美術に親しみを
持って接してもらえるように様々な工夫をし
ていた。学芸員さんたちも素敵な方ばかり
3
3.1
実習
実技実習・仮想展示
実技実習について
実習 では、11 月 27 日(土)1 時から 4 時
まで、3324 教室で実技実習を行った。
講師の先生は、練馬区立美術館の横山勝彦
先生であった。
練馬区立美術館の学芸員横山さん
を講師に迎え、キャプション作り
を体験した。実際作ってみて、楽
しかった。
始めは講義形式で、お話を伺った。絵画や
版画などを保存するということについての
お話であったが、作品の後ろに当てる紙は、
中性紙でなくてはならないということであ
る。新聞紙やわら半紙など、日が当たったと
きに変色するような紙は用いてはならない。
理由はもちろん、紙が変質することにより、
作品が傷んでしまうということだ。この作
品を台紙に貼る時にも、テープの性質に注
意する必要がある。セロテープは最悪であ
る。こちらも時間が経ったときに変質するの
が目に見えてわかる。額に入れるときの注
意もある。汚れはきちんと落とす。空気の出
入りのするような作りの物を選ぶ、などで
ある。もちろん飾る場所は日光の当たらな
い、風通しの良い場所である。このように、
一枚の作品を保存するだけでもいろいろな
点に気を配らなければならない。それだけ
作品はデリケートだということなのだ。
お手本を見せてもらうといとも簡単に出来
そうに見えるのだが、見るのと実際に行う
のとは大違いである。何度か行ううちにう
まくなるものの、自分の作ったキャプション
を重ねて真上からや真横から見てみると、か
なり曲がっていることがわかった。
実技実習でパネルを切る市川君。
ちょっと照れ笑い・
・
・。
続いて、実技にうつった。今回の実技はキャ
プション作りであった。
「ハレパネ」という、発泡スチロールの裏
側に糊がついたような板を用いて作成する。 キャプション作りで奮闘する齋藤
まずは少しづつシールをはがし、作品の説 さん。
明が印刷
された紙をきれいに貼っていく。ただ貼るだ
けなのだが、これが案外難しい。一気に貼ろ
うとするとどうしても空気が入ってしまう。
きれいに貼れたら、次は紙に印刷されたト
ンボ(キャプションを切るための重要な印)
にものさしを合わせて、カッターで「ハレ
パネ」を切断する作業である。紙に印はつ
いているし、ものさしはまっすぐあてられ
たと思っても、カッターがまっすぐ入ってい
ないと出来あがったキャプションは波打って
しまっている。私は細いカッターに、プラス
チック製のものさしであったためにとても苦
労した。キャプション作りには太いカッター
と、金属で補強してあるものさしのほうが
良いようである。また、錆びているカッター
も良くない。
実技実習でキャプション作りに挑
戦。お手本を見ていると簡単そう
なのに、実際やってみると…。
キャプション作りに挑戦!ただい
ま作成中。
最後に自分の作ったキャプションの中で最も
きれいに出来たものを、教壇の床板に虫ピ
ンで止めた。ほとんどの人が打ちつけるの
は上手に行っているが、金槌で打つときに
時々虫ピンを曲げてしまう人がいたようで
ある。虫ピンが細いので、まっすぐ打つの
はそれなりに難しい作業だと思う。
以上が今回の実技実習の様子であった。私達
が博物館に見学に行ったときに目にするキャ
プションがこのようにつくられているという
ことを知ることができて、面白かった。効率
良く作ることが出来るように、手順も決まっ
ていた。今回は印刷されたトンボの通りに
ただ切れば良かっただけであったが、それだ
けなのに非常に苦労をした。手先の器用さ
も、学芸員には求められているのかもしれ
ないと思った。
(大学院 日文 草刈 陽子)
3.2
仮想展示について
仮想展示とは、武蔵大学学芸員課程独自の
もので、実技実習の一環として今年度から
スタートした。
学芸員課程室 2 階学習室の壁とスペースを
使い、個々のテーマをもとに、実際の企画展
示会と同じように展示を行うものである。実
物は使えないことが多いためカラーコピー
や小物類を使っているが、それだけに工夫
が求められ独自のやり方が追求されている。
これまでに行われた第三回までの仮想展示
について紹介していこう。
第1回目の仮想展示企画者の我妻
さん。
それが実現の兆しを見せたのは夏休みの間
に行った学芸員実習だった。ここでは、自分
たちでテーマを決め、作品を選び、展示の仕
方まで考え、企画案を考えるというまるで、
武蔵の学芸員課程初の試みである仮想展示 企画展示の下準備をするような作業をした。
は、4 年生の我妻潤子さんの「絵画の奏でる この作業は必ず仮想展示に活かされると思
音楽」の企画展によってスタートした。はじ い、いろいろな条件、文章の書き方などを
めてということで試行錯誤の末に作り上げ 吸収した。そして後期が始まり、早速、準備
られた展示であった。音楽と関わりのある に取り掛かるつもりだった。が、企画の段
絵画がさらに独得の視点でテーマ別になっ 階でまだ検討を要していたので、それを練
ており、めくって見る形式など展示方法に り直す事から始まった。そのため、作品収集
工夫が見られた。音楽という目に見えるも も一からやり直した。それはそれで大変な
のではないものを絵画のテーマとしている 作業だったが、自分の知らない作家、作品に
ので、今回の展示によって音楽のイメージ 出会えることは同時に楽しいものであった。
が各々喚起されたのではないだろうか。
「音楽と絵画は根本では同じなのだ」という
ことを考えてもらうきっかけ作りをコンセ
プトとしたので、できる限り多くの作品を
3.3 第一回仮想展示
集め、展示するようにした。ところが、展
示スペースの使い方の考慮が浅く、実際に
「仮想展示」のお話を頂いたのは 4 年になっ 展示してみると難点があった。展示ノート
て間もなくのことだった。
も賛否両論というのが正直なところだった。
大西先生から、新しい学芸員・教職学習室
を使って展示をしてみないかとの話に、私
はすぐに飛び乗ってしまった。以前から展
覧会のようなものを自分で企画してみたい
という願望もあり、直ちに「音楽と絵画」と
いう企画案が浮かんできた。そこで、探し
出した作品の中から 20 数点をスライドに写
し、実 の授業で第 1 回のプレゼンテーショ 第1回目の仮想展示の風景、4年
ンを行った。しかし、その後、教育実習など 生の我妻さんによる「絵画が奏で
の個人的な都合で準備は遅れていき、私自 る音楽」展。手にとって、めくり
身、時間的にいざ展示作業に移るのは無理 ながら見られる絵もあり、工夫が
なのではないかと思った。
されていた。
我妻さんの展示の風景。
今回、展示作業を一から体験してみて、ま
すます学芸員というのは神経を使う仕事だ
と思った。と、同時に展示のための実質的
な作業(キャプションつくりなどなど)をし
ている間は楽しみながらできた。この「仮
想展示」という一つの体験は、私にとって 2
年間の学芸員課程の集大成ともいえるもの
だと思っている。出来、不出来はどうあれ、
普段なかなか体験することの出来ないこと
をたくさん体験できたことが、私が仮想展
示を経て良かったと思うことである。
(欧米 4 年 我妻 潤子)
第 2 回目の展示は 3 年生の市川君を中心に行
われた。達磨という私達にもなじみの深い
テーマをとりあげ浮世絵、頂相などの絵画
資料をカラーコピー等を使って紹介した企
画展示であった。構成を 3 つに分け、各テー
マごとに作品を貼った台紙に色分けをした
ことがそれぞれの主題を明確にさせて良い
工夫となっていた。
第2回仮想展示オープニングパー
ティーの様子。企画者の市川君と
本山君。お疲れさまでした。
とにかく一番苦労したのがコンセプト作り
である。材料は今まで集めたものがあった
のだが、その中でどうやって物語をつくる
かが問題だった。僕が達磨について勉強を
してきた中で、自分が面白いと思ったこと
を展示したかったのだが、果たしてそれが
伝わってくれるだろうか、伝えるにはどう
したらいいのか、この 1 年間色んな博物館
を見てきたなかで教わったこと、自分が感
じたことを、思い出し、考えていった。
またこの時、自分の勉強不足を痛感するこ
とになる。達磨について多少は勉強してい
たつもりだったが、浅はかな考えであった
り、独りよがりな考えであったり、とても展
示にできるものではなく、コンセプトをまと
めつつ改めて一から勉強のやり直しだった。
コンセプトがまとまってきても、今度は作
品に不満が出てきて、新たな材料探しをし
ながらコンセプトの調整を進める。結局 2 日
前になってやっと、最終的な展示計画が完成
した。コンセプト作りに手間取り、具体的な
3.4 第二回仮想展示
展示作業については熟考ができなかった。ほ
とんど一発勝負的なものばかりで、大きな
「一人歩きした聖者―達磨の変容」
僕は 2 年生のときから演習で達磨について 失敗こそなかったが、展示スペースが足ら
調べていて、今では卒論のテーマになってい ずに直前で作品を削ったり、誤字脱字があっ
る。その達磨で展示をやることが決まったと たり、反省点が多かった。
き、まず大変だろうなということが頭に浮 展覧会を終えての感想は、自分の 1 年間の
かんだ。部活やゼミの発表があって取れる 勉強を振り返る意味ではすごく役に立った
時間が限られていたので、上手く計画をた ということだ。僕は展覧会は一冊の本とす
てないと、大変なことになりそうだと感じ ごく共通するところがあると思っている。大
きなテーマと小さなテーマで、論を面白く
たのである。(その予想は大的中した。)
筋立てていく。決して独りよがりという意味
ではなく、自分が何を感じて欲しいのかを全
面に出していく。それが面白ければ、展示は
面白いのではないか。歴史の教科書を面白
いという人はあまりいないだろう。
しかしそれと同時に、展示は本とは違うの
だとも感じた。写真集のように作品個々を見
ていくのも、やっぱり楽しいのである(だか
ら僕はレプリカというものが嫌だ。今回の
展示はコピーだが)。何に比重をおいて展示
するかはその人の自由、モノ派とコト派ど
ちらもあるのが当たり前で、両方をカバー
しつつその上で、個性を出した展覧会が、面
白くなるのではないかと感じた。
(モノ派と
コト派と分けること自体、変な気もする。誰
もが両方持っているはずだ。)
第2回目の仮想展示の様子。企画
者の市川君が説明をしているとこ
ろ。「ひとり歩きした聖者∼達磨
からダルマへ∼」展。
第 3 回目の展示は院生の鈴木さん中心に行
われた。
鈴木さんは文学作品を主題として作成され
た作品をとりあげたが、各テーマの切れ目
ごとに文学の 1 節を抜き出したものをパネ
ル展示するという工夫を行った。また図録
作成、パソコン処理の画像などの試みが新
しく行われたことも印象深い展示となった。
3.5
第三回仮想展示
1999 年 12 月 3 日∼12 月 14 日まで、『物語
から抜け出したヒロイン∼ラファエル前派
と 6 人の恋する乙女たち』と題し、仮想展覧
会を学芸員課程自習室にて行った。19 世紀
第2回仮想展示の様子。「ひとり
イギリスで活躍したラファエル前派と呼ば
歩きした聖者∼達磨からダルマへ
れる若い芸術家集団を取り上げ、彼らの作
∼」展。
品の中でも文学から主題を取って製作され
た作品を紹介し、どのような女性や愛の形
がラファエル前派の画家たちの心を捕らえ
終わってみれば、とても楽しい経験だった。
たかを探ることが今回の展覧会の主旨であ
開催中にカタログが間に合わなかったのが、
る。展示作品は、ラファエル前派兄弟団のメ
最大の反省。報告書が出る頃には完成する
ンバー(ロセッティ、ミレー、ハント)と、
はずなので、課程室に置いておくので、興
正式メンバーではなかったが、ラファエル
味があったら見て欲しいと思う。
前派の影響を強く受けた同時代の画家たち
(バーン=ジョーンズ、サンドスなど)の作
品から選び、一人の女性像につき 2 人の画
家の作品を展示し、比較出来るようにした。
(日文 市川 廣太)
第3回仮想展示「物語から抜け出
したヒロイン ラファエル前派と
6人の恋する乙女たち」展の様子。
絵の美しさ、作品そのものを鑑賞してもら
うため、長い展示解説文はつけないことに
した。その代わりに物語の短い引用文を作
品の隣に展示し、それによってある程度絵
の主題が解るようにした。また、より深く
絵を鑑賞するためにカラーカタログを用意
し、ラファエル前派について、題材となった
物語の解説、画家略歴(写真付き)、作品リ
ストおよび参考文献などを詳しくまとめた。
展示解説パネルを最小限に留めたので、カ
タログでは詳細に解説を行い、より深い理
解を得られるようつとめたつもりである。
展示の感想および反省点:
第3回仮想展示の様子。「物語か
ら抜け出したヒロイン ラファエ
ル前派と6人の恋する乙女たち」
展。すっきりとまとめたきれいな
展示だった。
極力解説パネルの類いを少なくしたため、カ
タログ製作に力を入れてみたのだが、カタ
ログはあまり有効活用されていないようで
残念であった。カタログをじっくり読む時
間が無い人の為に、自由に持ち帰れる、一
枚程度の短い解説チ
ラシを用意しても良かったと思う。カタロ
グにおける最大の反省点は、ヴィクトリア
朝時代の女性像全般についての考察が出来
なかったことである。個々の作品解説に紙面
を割いてしまったため、ラファエル前派好み
の女性(その類型)についての詳しい解説が
出来なかったことが残念であった。
作品、文学作品からの引用文、キャプショ (大学院 欧米 鈴木恵美子)
ンなどすべてをパネルに貼り、展示したが、
事前にパネル貼りの実習を行っていたので、
その実習の成果を活かすことが出来たと思
う。展示スペースの壁にはピンが打てないた
め、強力両面テープでとめたが、照明の熱な
どで、パネルが反り、剥がれるおそれがあっ
た。また会場の出入り口の関係で、右側か
ら作品を見る人が多く、混乱を避ける為に、 第3回目の仮想展示の様子。「物
作品番号をふればよかったかもしれない。 語から抜け出したヒロイン ラフ
ァエル前派と6人の恋する乙女た
作品数(12 作品)もこの限られたスペースで ち」展、企画者は院生の鈴木さん。
は適当であり、すっきりとレイアウトするこ とてもきれいな展示だった。
とが出来たと思う。解説キャプション代わり 仮想展示は次々に新しい企画が考えられて
の引用文も好評であり、ラファエル前派の作 いる。1 つの展示企画から次の展示企画へ移
品のイメージを壊さないロマンティック(?) るごとに確実に内容も表現方法も工夫が進
な展示に一役買ったのではないだろうか。 められている。
興味がある方は学芸員課程 2 階までぜひ見
に来ていただきたい。
1 年間を振り返って
4
4.1
発掘作業を行って
遺構内に堆積した土の層を計測し、図
面にした。
4. 完掘り土層図が出来たところで、遺構
内に残しておいた土を取り除き、遺構
の形に掘り整えた。
5. 平面図の作成発掘した遺構の平面図と
私は 1999 年 8 月 5 日から 9 月 17 日までの約
そのポイントの高さを図面に起こす作
1ヶ月間、埼玉県浦和市大門の東裏遺跡で、
業で、エレベーション図については計
博物館実習とゼミの課題を兼ねて発掘を手
測のみ担当した。
伝わせていただいた。東裏遺跡は、JR武
蔵野線東川口駅から北方向へバスで約 15 分
6. 全体の平面図の計測発掘している区域
の、畑の中に広がる住宅街にある。数年前
における遺構の位置と大きさの計測を
からの区画整理の途上で見つかり、浦和市
行った。
文化財保護課によって調査が行われて、こ
7. その他雨天の時は、発掘中に出土した
れまでに平安時代の住居・土壙等が発見さ
土器片などの洗浄や、土層図・平面図・
れているところである。
エレベーション図などの数値や図を細
実習内容
かく合わせる作業を行った。
私は考古学を選択していたこともあって、発
掘に関わるいくつかの作業を体験させてい
終わりに
ただいた。以下はその内容である。
私にとって初めての発掘実習で、発掘技法の
1. 精査遺構を精査するには、その上に堆 勉強になったことはもちろん、その他にも得
積した土を鋤簾という道具で取り除き、 るところが大きかった。その一つは、遺跡と
元の地面を出さなくてはならない。鋤 いう全体から切り離された部分である展示
簾は木製の長い柄の先に鉄製の歯を取 品では十分に実感できない当時の人の生活
り付けた土砂を掻く道具で、適当な角 を肌で感じることが出来たことである。そ
度で土を切るように引いていく。この してもう一つは、こうした調査においても協
(ご
時大切なことは遺構を正しく識別する 力することが大切だということである。
ために、地面をたいらに仕上げること 指導くださった先輩方に感謝します。)
で、これは厳しく注意された。
(日文 林 奈都)
2. 掘り下げ遺構の中に堆積した土はその
半分程度を掘り下げ、土層を観察し、遺 4.2 ’99 学芸員課程座談会
構の大体の形と大きさを推測する。今
• テーマ:
「実習 今年 1 年間の思い出」
回は、住居とその柱穴、土壙の掘り下げ
を実習した。住居跡や土壙等の規模の
• 日時:12 月 10 日 5 時 30 分∼
大きいものは、水糸を張って行った。水
• 担当:飯田市川宇佐美斎藤武井
糸の張り方は数種の方法があるが、私
はその起点・終点で結び付ける時に多
• 司会:飯田宇佐美
く用いられる方法を行った。
• 写真係:市川
3. 土層図掘り下げが終ると土層図の作成
• 参加者:実習 の履修者林先生斎藤先生
である。2∼3 人で組み、土壙、柱穴等の
飯田 下見も実習の時も、あまりの広さに
見ることが急ぎ足になってしまい、少し残念
でした。もう少し小さかったら見やすいのに
なぁという印象です。大阪の民博と同じぐら
いの規模でしたが、どちらかというと民博
の方が楽しめるような気がします。電子ガ
イドや自分で触れたりできて。
実習 の最後を締めくくったのが、
座談会。座談会のテーマは「実習
今年の1年間の思い出」。1
2月10日に行われた。
林先生 僕はみんなと付き合って実はまだ
4ヶ月しか経っていませんが、とにかく他の
クラスと違って皆一生懸命、積極的に取り組
む人たちなのでとても驚きました。だから
逆にやり甲斐があって夏休み以来、旅行も
含めて楽しませて頂きました。今日は 1 年
の締めくくりとして、皆思い出していきま
しょう。
斎藤 民博も歴博も遠くて大変でした。
司会 続いて貨幣博物館です。
は最初に司書を置いた美術館らしいです。
司会 続いて東京都現代美術館です。
林先生 展示ガイドを武蔵の先輩にやって
もらったよね、それはどう思った?
渥美 私はボランティアの人に解説しても
らうのは始めてでしたが、現代美術に触れ
るのも始めてだったので、色々理解が深まり
ました。でも自分のペースで見られなかった
ことが残念でした。
植松 学芸員さんのお話では大変そうなこ
とも多そうだけれども、楽しいことも多そ
うで、現代美術は作家が生きているという
司会 これから 1 年間の思い出の写真上映 ことが印象的でした。作家と一緒に展示空
を始めます。まず始めは新宿区立歴史博物 間を作れるのは現代美術ならではと思いま
館です。
した。ここは大きい館ですが結構図書館な
渥美 第 1 回ということで、事前に行って どのサービスが充実しています。
学芸員の富樫さんから熱く語っていただい 林先生 他の美術館は?
たり、緊張しながら実習しました。
堀江 他のところにもあります。ただここ
宇佐美 この館には学芸員がいなくて研究 渥美 展示場の隅に展示シートがあって、作
所の人が運営していて、手作りの展示が印 品毎に好きに持ち帰れます。他に子ども用と
象的でした。
大人用に分けたパンフレットが何種類かあり
鈴木真 この館は私にとって非常に思い出 ました。
深い館で入口の扉が重々しく、赤い絨毯が 林先生 展示スペースはどうだった?
ひかれていました。事前見学で緊張したの 川俣 スペースが開放的という感じがしま
ですが、ガードマンの方が気さくに答えて した。
下さいました。
司会 次は人権博物館です。
鈴木恵 貨幣の歴史にあまり興味がなく期 林先生 これは?博物館の中?太鼓をたたい
待していなかったのですが、見たらいい展 ているけど。
示でおもしろかったです。
坂井 今まで被差別部落の人たちが作って
林先生 どんなところが。
いたというのを知らなくて、そういうこと
鈴木恵 色々な国のお金が見られるところ を考えながら太鼓の音を試してたんです。で
です。
もすごい音悪いなと感じました。自由にた
司会 次に国立歴史民俗博物館です。
たけます。
岩崎 この写真は被差別部落の人たちのお
墓で、差別戒名墓です。本物を持ってきて
置いてあるんですけど、初めボランティア
の人に触って下さいと言われても良く分か
りませんでした。でもこれを来観者が触る
ということはすごく意味があると思うんで
す。昔は差別されていたから誰も触りたが
らなかった訳です、穢れとかあって。同じも
のが歴博にもあるんですけど、そっちはレ
プリカでガラスケースに入っている。
林先生 ガラスケースについては苦肉の選
択だと言っていたよね。本当は剥き出しに
したいけど、そうするには警備員をもっと
増やさなければいけないし。
渥美 あとキャプションの中に国宝とか重文
をつけるかどうかという話。モノ派とコト
派じゃないですけど、私自身国宝とか書いて
あると、おおって見ちゃうことに気づいて。
狩野さんは本当はつけたくないと言ってい
ました。
林先生 明らかにこちらの方がインパクト 岡田 私は美術に詳しい訳ではなく、多分一
があるね。
般の人も勉強しようと来ると思うんです。そ
岩崎 ボランティアの人がなんとなく思い ういう時に必要最低限のキャプションは必要
のこもった目で触って下さいと言ってくれ だと思います。国宝ってかいてあると大切な
ます。普通美術館や博物館で、展示品をそ ものだなって分かるんじゃないでしょうか。
こまで触って下さいと言われることはない 決して他のものが重要ではないとは思わな
ので、ちょっと他とは違うなと思いました。 いですけど、日本を代表するものなんだなっ
レプリカも二つしかないそうです。保存より て、何か勉強するきっかけになるんではない
も今ある問題を伝えたいというのが伝わって かと。
きました。またこっちの写真(下の写真)は 林先生 なるほど。結局は国宝というイン
女人結界門を持って来て展示してあります。 フォメーションが必要最低限のものかどう
私はあまりそれまで女性差別をそんなに意 かということだよね。
識していなかったんですけど、これを見て
司会 旅行 2 日目の午後、京都府京都文化
結構衝撃を受けました。
博物館です。
宇佐美 私はここの担当班でした。実物は置
かないで、情報や教育を重視してコンピュー
タを使ったりして展示してあります。この日
はバタバタしていたせいかゆっくり見られな
かったのが残念です。
市川 個人的な好みとして僕はレプリカが
嫌いです。本物を見て昔の人の心に迫りたい
大阪人権博物館の展示。女人結界
みたいなところがあります。ボードをいくら
門。女性は、修行の地に入れなか
きれいに飾っても、見せ方をどんなに工夫し
った。
林先生 女性差別というのは色んな形で残っ ても、それはそれで重要ですが、一番大事な
ているけども、皆は就職活動に入ったとき、 ことじゃないのではと思います。京博は作品
もしかしたらそれを感じるかもしれないね。 をただ置いてあるだけなので、すごく対照
的でした。
司会 次は京都国立博物館です。
飯田 私は余りいい印象を受けませんでし
た。展示が少しおとなしすぎるというか、も
う少し目を引くようにできないのか。ガラス
ケースに入っているせいかもしれませんが。
林先生 確かに対照的だよね。ここは今は
やりのマルチメディアという手法を盛んに
使って、デザインも過剰にして。今回京都
で見たなかで最もこれからの博物館の問題
がいろいろとでているね。マルチメディア
ということも含めて、業者がすごく入って
いたり、長所短所いろいろあると思うけれ
ども。ただここの学芸員さんももう少し学
芸員が主体性をもって展覧会にコミットし
ていきたいと言っていましたよね。
林先生 これは誰が描いたもの?
岡田 これは奈良県立大和民俗博物館とい
うところです。奈良の民俗を展示する博物
館と、その周りの公園に野外展示してある
民家です。このときはバスの時間が押して
いて、とりあえずどこかに入って写真を撮
ろうと撮ったものです(笑)。近道を教えて
くれたり学芸員の方がすごい親切で、時間
がなかったんですけれども、その厚意を無
駄にしないよう、民家をまわりました。
て。もともとあった場所にはレプリカがは
まっていました。テープの解説もありまし
たよね。
堀江 この写真は飛鳥資料館にある猿石で
す。飛島資料館は飛島の歴史的な史料を保
存展示している館です。目玉は焼失した山
田寺のレプリカを造って展示していて、感
心しました。
るように展示してあって、見やすさを追求
するより、遠くから見てバランスがいいよ
うに、配色も考えてやっている。とても面
白いと思いました。
例えば土器のかけらを展示していたり、実
際に触れられる場合もあります。銅鐸の複
製品が置いてあって、音が鳴るようになっ
ていたり。
林先生 あとここはミュージアムショップ
で展示品に似たようなものを売っています
よね。
植松 長谷川等伯です。
林先生 そう、等伯とその子供の久蔵が描
いたもので、今は別棟を建てて、そこに展
示してあったよね。この時は等伯が描いた
紅葉の部分は貸し出されていて、小さな写
司会 旅行 3 日目、班別行動の写真です。ま 真が展示してあるだけだったけれど。
ずは民俗班です。
渥美 結構間近で見られるようになってい
司会 続いて 3 年生最後の実習館、日本民
藝館です。
神田 やっぱりここは、レジュメの発表の時
に、みんなとコト派とモノ派についていろ
いろ話し合ったのが印象深いです。最初に下
見に行った時は、説明も何もないので物足り
宇佐美 これも同じ所です。右から二人目 ないという感じだったんですけど、説明を聞
が学芸員さんです。小学校のカリキュラム いていろいろなことがわかりました。でも
に沿って造ってある展示で、ジオラマが多 事前のディスカッションでまた考えが変わっ
い体験型の博物館です。
て、いろいろと考えさせられる館でした。
司会 次は歴史班です。
武井 展示は全体で壁をコーディネートす
林先生 柳宗悦の言っている「用の美」とい
う考え方は、この民藝館のものの見せ方に
司会 次は考古班です。
田代 これは奈良県の橿原考古学研究所の 反映されていましたか?
付属博物館です。大窪さんも一緒に行動し 渥美 展示がえする時も、今までの作品を
てくれました。基本的には時代に沿って展 全部はずして、全体のバランスを考えて展
示しているんですけど、おもしろいと思っ 示する。部屋や、館全体を一つと考えてい
たのは、ガラスケースの中に展示してある るというのが印象的でした。あったかい感
ものの一部を前の手すりに展示してあって、 じのいい雰囲気で好きです。
司会 最後は美術班です。
司会 次は新しい課程室ができて初めての
展示、我妻さんの展示です。
渥美 これは京博のすぐ近くにある智積院 林先生 これについては授業で色々意見を
出したよね。この展示は一つの導火線の形
です。
でやってもらったんだけど彼女も卒論抱えて さんどうもありがとうございました。
大変だったと思う。みんなはこの展示室につ
いてどう思う?
4.3 学芸員課程を履修できるまでの道のり
坂井 ちょっと狭いですね。壁一面だと限ら
れた展示になっちゃいます。最低でも二面必 武蔵大学学芸員課程は、気のせいか学内で
もあまり実態を知られていないようである。
要だと思います。
林先生 確かに狭いって言うのは本当だね。 そこで、どのようにしてこの謎の学芸員課
誰か二面使える展示を考えてください。で 程を履修していくのかその道のりについて
ご紹介しよう。学芸員課程を履修する為には
も、窓が邪魔なんだよね。
専門の授業を受ける事も必要なのだが、実
司会 次は市川君の達磨の展示です。
は武蔵の場合選考に受かる事がまず履修の
市川 とにかく時間が足りなくて、雑な展
前提条件となる。選考前でも授業は受けら
示だったと思います。カタログも間に合わな
れるが、正式に履修し資格を得る為には選
かったし、誤字脱字もあった。反省点が多い
考という壁にぶつからなければならないの
展示でした。
だ。さて、私達平成 11 年度学芸員課程実習
林先生 でも、これはよくできた展示だった
の選考は次の様なものだった。2 年生の 10
よね。蓄積が生かされてて。キャプションも
月、学芸員課程用の掲示板に学芸員課程実
うまかったし。所々にキーとなる言葉を置
習 履修者の選考方法が貼り出された。第
いて。
一次選考は小論文(B 5 レポート用紙の表裏
市川 それについては迷ったんですけど、学
にびっしり書く)。その内容は「学芸員課程
校の展示だし、個性を前に出したほうが面
の志望理由及び、専攻した専門分野を選ん
白いと思ったんです。バランス悪くなったり
だ理由について述べること」であった。小論
もしましたが。
文とともに、成績や今までに履修した演習・
林先生 いまの日本のキャプションという
学芸員課程専攻授業などの調査票を 10 月下
のは論文的なものとシンプルすぎるものし
旬までに提出し、11 月 7 日には第一次選考
かない。この展示ではなにかキャプションの
通過者の発表があった。21 名通過!どきど
可能性を考えさせてくれたと思います。
きしながら落ちたらどうしようと心配して
司会 最後は実技実習です。
いたのだが、実はこの年、どうしたことか
松本 初めての実技実習で、学芸員さんの 履修希望提出の段階ですでに定員 30 名を下
仕事が少しわかって面白かったんです。本 回っていたのだという。あの緊張はなんだっ
当はこういう勉強がしたかったなとも思い たのだろう…。さて第二次選考はグループ
ました。
面接であった。事前に 7 人前後で組まれた
林先生 でもそれはある意味では実習先に 班と面接での課題「私にとって最良の博物
行けば学べるわけで、いまここでしかでき 館、美術館とは…」が掲示され、中旬 7 号
ないことをやったほうがいいんじゃないか 館の教室で面接が行なわれた。当日は各人
と。企画を立てたり博物館で話を聞いたり。 ストップウォッチを片手に 3 分程課題につい
同じに企画展示とリンクしたほうがいいし。 て発表し、その内容について質問しあうグ
でもこういうのは楽しいよね。
ループディスカッションにもつれこむ形と
岡田 こういう実技は初めてだったので実 なった。先生方(5 名)はその話を聞いてた
際に美術館で見るラベルなどの作り方がわ まに意見・質問をされたが、あくまで生徒
かって面白かったです。
主体の形であったように思う。30∼40 分程
司会 以上で写真上映は終わりです。みな で面接は終わり。その結果、めでたくも 11
月 20 日の履修有資格者発表には 21 名の名
前が連ねられたのである。そんなこんなで
21 名(途中履修辞退 1 人)と、春には大学
院生 3 名が加わり 23 名で実習 の授業が開
始した。
又、学習室及び資料室も増設され学生達に
とってはますます勉学の意欲を触発される
でしょう。そしてもう一つ、先ほども述べ
ましたが学習室即ち展示室ができ実技実習
として展示を行ったことです。
さて聞くところによると平成 11 年度の選考
も小論文・グループ発表と私達の代とほぼ
変わらなかったようである。面接は 3 号館
のゼミ室で大西・林・丸橋・小玉・八木先生
の面接官のもと 20∼30 分ほど行なわれたそ
うだ。面接の課題は図書館の階段に展示さ
れたイメージ文化論(授業)のレポートの、
展示方法について感想・問題点を述べると
言う事だったが、これにこだわらず最近の
美術館について思う事などを自由に意見し
あったりディベートが行なわれたりしたそ
うである。
後期の短い期間に 3 つの企画展「絵画の奏
でる音楽」
「一人歩きした聖者達磨∼ダルマ
へ」「物語から抜け出したヒロイン・ラファ
エル前派と 6 人の恋する乙女たち」を精力
的にこなしたことです。担当の先生方のご
指導もありますが武蔵の学生もやれば出来
るじゃないか、ともっと自信を持ってほしい
と思います。
室が昨年の 4 月より現在の場所に移転した
ことです。旧学芸員課程室は、みなさんも
ご存じの通り 2 号館の狭く暗い場所でした。
それが今の広々とした明るいクリーンな環
境になりました。学生さんとの対応にも自
然と笑顔になります。
大窪さん 別にコツなどがあるわけではあ
りません。実習はあくまでも本課程が博物
館にお願いするものです。実習の場をもって
いない本学に於いては、博物館及び美術館
にたよらざるを得ません。
−これまでの学芸員過程についてお聞きし
たいのですが、苦労話などあればお願いし
ます。
大窪さん 今まで無我夢中でやってきたと
更にもっと情報がほしいと言う人は学芸員課
いう感じであまり苦労したという印象はな
程室で大窪さんに相談したり先輩などに話
いんです。素直で良い学生さんばかりで真
を聞いて情報を集めてみるのも良いだろう。
面目によく勉強するし、先生方も学芸員課
(日文 岡田まどか・松本亜矢)
程に情熱を持った優秀な先生ばかりです。こ
の課程を履修するには選考がありますから、
それなりに入ってきた学生さん達も自覚し
4.4 学芸員課程室の大窪博子さんにインタ
ていますし熱心です。卒業までに確実に実
ビュー
力が伸びる人が多いのは嬉しいことですね。
ただ気になることは学芸員の資格をとって
学芸員課程を履修する学生は、必ず学芸員
も全員が学芸員になれるというわけではな
課程室の大窪さんにお世話になっている。事
いのです。社会に出たら学芸員課程で学ん
務的な手続きはもちろん、それ以外のどん
だことは何らかの形で役に立つと思います。
なことでも私達が困ったときに必ず駆け込
消極的な人が自信をもつようになったり若
むのが大窪さんのもとである。まさに私達
い皆さんの無限の可能性を目の当たりにし
学芸員課程履修者の母、大窪さんに、学芸
て、学芸員課程の仕事にたずさわって本当
員課程について語っていただいた。
によかったと思っています。
−今年の学芸員課程で特に印象に残ったこ
−実習館のアポ取りのコツなどがあったら
とはありますか。
大窪さん ありますね。それは学芸員課程 教えていただきたいのですが。
博物館側も忙しいなかを引受けて下さるの
です。大事なことは武蔵大学の学芸員課程の
印象を良くしておくことだと思います。たと
えば博物館や美術館から送られてくるポス
ターや招待券・割引券などは送っていただい
た館には必ず礼状を出すようにしています。
実習に行く学生さん達も謙虚な気持ちをもっ
て、資格だけとればよいとの安易なもので
なく、真摯な態度で臨んでほしい。
教えればよいのかある程度の「あたり」は
ついていた。しかし、他のいくつかの授業
については、まったくの白紙からのスター
トである。正直に言ってとまどった。なかで
もこの博物館実習 は、自分自身、学芸員
の資格を持っていないのに、どうやって組
み立てていこうかと、右も左もわからない
不安な状態でスタートラインについた。
幸い、この課程は昨年度から前期と後期の
受け持ちが代わるリレー形式のシステムを
採用し、その前期を担当された大西先生の
丁寧な先導で、なんとか、よろけながらで
はあるけれども、バトンを受け取ることが
できたように思う。
学芸員課程室の母、大窪さん。み
んながいつもお世話になっている
方です。
−学生に対して何か希望することはありま
すか。
大窪さん そうですね。希望ではなく心構
えとして気に留めておいてほしいことがあ
ります。カリキュラムに博物館実習 と実習
がありますが、実習 の場合は先生に引
率されて博物館を見学します。博物館側に、
案内してくださる学芸員の方々にご迷惑を
かけないように、団体行動のルールを守り
私語や個人としての行動に注意すること。
また、一人一人が武蔵大学というネームバ
リューを背負っているということも忘れな
いで。後輩のためにも良い道を創って限り
無い前進をして下さい。
最初僕がこの課程の生徒たちと出会ったの
は、新宿の歴史民俗博物館の訪問でだった。
この時には、担当だった学生たちが、実によ
く下調べをして、訪問のリーダーとして積
極的に立ち働いているということに驚かさ
れた。ありていに言って、他のゼミと比べ
ても、こんなに学生たちが主体性をもって
関わっているクラスはまれだと言っていい。
前任の先生方や生徒達が長い時間をかけて
作り上げてきた伝統のたまものなのだろう
が、同時に、生徒たち各々が目的意識をもっ
ていることが、やはりそういう目に見える
違いになって現れるのだろう、そう感じた。
事実、その驚きは、その後の東京都現代美術
館訪問や夏の京都への研修旅行において、ま
すます深まっていった。一言で言えば、
「み
んなやるなあ」、これが最初の数ヶ月の感想
である。
−色々とアドバイスをして頂き、どうもあ
りがとうございました。
僕自身は、そんな皆のやる気を受けて何が
できたか。思い直してみると、何か積極的な
貢献ができたのかどうか、はなはだ心もとな
4.5 博物館実習 を担当して
い。むしろ、みんなと一緒に学ばせてもらっ
学芸員課程委員・人文学部助教授 林 道郎 たというのが正直なところだ。たとえば、美
昨年の 3 月長年住んだアメリカから帰国し、 術館や博物館の訪問。僕自身は、西洋美術史
4 月から武蔵大学の教壇に立つことになった。 を専門に研究してきて、美術館などではた
専門に勉強してきた美術史に関しては、あ らく知友も多い。しかし、普段は彼らと会っ
る程度、どんな方法でどんな内容のことを て話をしても、作品や作家など研究対象に
ついて語り合うことはあっても、美術館その
ものの在り方や運営について議論を交わす
ということはほとんどない。これは僕だけ
のことではなくて、美術史を専門にしてい
る人の多くの人がそうだと思う。自分の個人
的な知友との関係においてすらそうなのだ
から、そういう交友の範囲の外にある美術
館や博物館となるとますます、その中の実体
に触れる機会はなくなる。そういう意味で、
この課程において、自分が行ったこともな
い館へ出かけてゆき、しかも、現場で働い
ている学芸員の方々に体系的な説明をして
もらい、普段では見れない裏側の設備や企
画展示を見せてもらったことは、願っても
ない「学び」のチャンスだった。言葉は悪い
が、まさに「棚からボタ餅」の気分だった。
しかし、そのボタ餅を自分の胃袋に入れる
だけでは話にならない。そこで、途中から合
流した僕が考えたことは、できるだけよき
質問者、撹乱者として、ともすれば消化作業
としてパターン化してしまいがちな訪問に
多少とも新鮮な空気を入れてみようという
ことだった。これまで多少なりとも多くの
美術館や博物館を見てきた経験が生かせる
とすればそんなことかなと思いつつ、実際
に展示空間を見ている時の会話や学芸員さ
んとの質疑応答に積極的に声を挟むことを
心掛けた。果たして、それによって美術館や
博物館という空間を見る新しい視角が開け
たかどうか、それは学生諸君に尋ねてみる
ほかない。ただ、この訪問について、何か来
年度を見越した反省があるとすれば、一つ
でも二つでも、展示の方法における定点観
測のようなものができればよかったなとい
うことである。たとえば、展示のタイトル、
あいさつ文、ラベルの書き方、壁の使い方な
ど。問題を設定して、多くの例をサンプリン
グしていく。そのことによって、現在の日本
において美術館や博物館が置かれている状
況や問題や可能性が見えてくるのではない
か。今、こんなことを言うのは、本当に「遅
ればせながら」なのだが、実際に学生諸君
と様々なところに足を運んでみて抱いた実
感であり、何か来年はこれを踏まえてでき
そうだ。
さて、訪問実習を一通り終えた秋、博物館
実習 の新しい試みとして「企画展示」を
スタートさせた。これは、もともとは大西
先生が提案されたアイディアで、学芸員課
程の実習室をもっと有効に使おうという実
際的な狙いに加えて、二つの目的があった。
その一つは、訪問実習によってそれぞれが
抱きはじめたにちがいない「展示とは何か」
という問題に、実践的に取り組むというこ
と。傍観者ではなく、実際に展示する側に身
を置くことによって、それまでは見えなかっ
た具体的な困難と喜びがきっと実感できる
に違いないということ。もう一つは、単に
技術的な実習ではなくて、日々生徒たちが
考えている学問上の問題意識と有機的にリ
ンクした形で実習をしたかったということ。
そのことによって、模擬展示も単にミニ展覧
会の体裁をなぞるだけではなくて、内実を
もったものになるだろうと思ったのである。
これは、一つ一つのプロジェクトに時間が
かかるのと、生徒たちにとっても我々にとっ
てもはじめての試みだったので、見切り発
車的な形でのスタートになったが、やって
みてあらためて意義深い試みだと感じてい
る。とくに企画書を制作するプロセスと実際
の展示のプロセスの両局面において、やは
り「やってみなければわからない」ことが
多々あるなと僕は痛感した。今年は、準備
の時間を十分持つことができなかったので、
来年度は、今年の経過を踏まえて、準備段階
からよりシステマティックにこの企画展示の
実現にむけて働きかけたいと思っている。願
わくは、この企画展示が、学芸員課程の一つ
の定番メニューとして定着し、学生の抱えて
いる卒論のテーマとも連動するような仕組
みがつくれ、しかも、学内での認知が高まっ
てくれればよいのだが。そういう意味でも、
課程室だけではなく、他の学内の空間を利
用することも考慮に入れてゆくべきかもし
れない。
以上、感想そして反省を書き連ねてきたが、
最後に、僕がこの半年間たずさわって深く感
じたことをもう一つ付け加えたい。それは
課程室という場についてである。実習、旅
行、企画展示、上にあげた学芸員課程のメ
ニューは、実はどれをとっても、学内外の人
間や組織を巻き込まずには成り立たないも
のである。課程室という場と大窪さんとい
う常駐スタッフのおかげで、どれだけそう
いった連繁が活性化されていることか。加
えて、学生同志の交流、情報交換など、我々
が気楽に顔を出せる基地を持っていること
の意義は大きい。この基地は司令塔でもあ
る。そこを拠点にして、周囲の人間たちを
積極的に巻き込み、課程そのものの可能性
を広げるようなアイデアをどんどん提案し
てもらいたいと思う。
を行った。「絵画の奏でる音楽」「一人歩き
した聖者――達磨の変容」
「物語から抜け出
したヒロイン――ラファエル前派の六人の
恋する乙女たち」である。いずれも課程の
学生の企画になるものであり、展示の実務
も自主的にチームを作って進めてきた。こ
の報告書が出るころには、四つめの「桜と
歌舞伎」が始まっていると思う。さらにそ
の後も準備進行中のものが三つ、四つあり、
つづいて四月からの新課程学生がそれぞれ
の計画を引っ提げて登場という段取りになっ
ている。
ささやかといえば、あまりにもささやかで
ある。何しろ横幅にして二間あるかないかの
小さな壁面にすぎない。展示とはいっても、
カラー・コピーした写真図版を並べる程度だ
し、数も 20 点が限度といったところか。し
かし、20 点を笑うなかれ。私は自分自身の
経験からも、この 20 点ぐらいというのが、
イメージをもってものを考えるための、ちょ
うど基本単位のようなものになるという気
4.6 考える壁―仮想展示から卒論へ
がしているので、我が「壁の美術館」が課
程の学生たちにとっても絶好のフィールド
学芸委員課程委員長・人文学部教授 大西 廣
になってくれるのではないかと期待してい
武蔵大学に美術館が出来た。
るのである。
「えっ、どこに?」といわれるだろうが、新
設の学芸員課程室の小さな一枚の壁のこと かつて美術館に勤務していたころ、何室か
である。
ある自分たちのギャラリーのうち、一回りし
学内の人も、外からの来訪者の方も、ぜひ て最後にくる、実際にもみんなで tinyroom
一度、足を運んでもらいたい。一度といわ とあだ名して呼んでいた、小さな部屋が私
ず、何度でも来てほしい。学生食堂の脇。も は大好きであった。そこで私は館の所蔵の
との青山ホールを改装し、教職課程と学芸 浮世絵 6000 点の中から、毎回ずばり 20 点
員課程の専攻室が今年度から移ったのだが、 ずつを選んで連続企画展示を行ったのだが、
我が「美術館」はその二階の一室にある。部 その経験がどんなに私のイメージ思考を鍛
屋そのものは、両課程学生の共同利用室な えてくれたかしれない。名品傑作をたくさ
のだが、その北側の壁一枚を、私たちはい ん並べれば良い展覧会になるというもので
ま、
「不思議の起こる空間」に育てたいと構 はない。展覧会の強みは、物と物とが出会
想中なのだ。
うという単純な事実にある。何と何を出会
ぐずぐず言わずにとにかく始めてみた。構 わせるか。鋭角的なテーマ設定、立体的な
想中と書いたけれども、実行が構想なので 内容構成、相互比較による明快なプリゼン
ある。手探りの中で可能性を開発してゆく テーション、毎回々々が 20 点にたどり着く
姿勢だ。秋からこれまでに三つの企画展示 までの、そして 20 点を輝かせるための格闘
だった。6000 点の鑑蔵コレクションがあっ
たから出来たんでしょうといわれるかもし
れない。それが恵まれた機会であったこと
は間違いないが、しかしカラー・コピーを武
器とする我が「壁の美術館」の相手は世界
中のコレクションなのである。6000 点どこ
ろか無限大である。仮想展示だから出来る
ことがあるといいたい。
大学は利用するところだ。この仮想展示を
たとえば卒業論文のために利用してほしい。
これまでのも、これからのも、企画の多く
が実際に卒論のテーマに沿ってなされてい
る。卒論のすごいところは、本気でやれば
専門家も知らなかった資料が集まり、そう
やって集まった新旧の資料が、その人の個
性の中で新たなぶつかり合いを始めるとこ
ろにある。我が「壁の美術館」はそのため
のバトル・フィールドにもなりますよ。ふ
るって参加せられよ。課程以外の学生でも
大歓迎!