多摩中央信用金庫 RIRE 地域経済研究所 1998APR. 創 刊 号 NO.1

1998 APR.
創 刊 号 NO.1
4
合い言葉は「
住職」
近接
−21世紀多摩の経済−
特 集
元気のある
∼テーマレポート∼
企業紹介 7社
多摩の地酒
多摩中央信用金庫 RIRE 地域経済研究所
ごあいさつ
平素より、私どもたましんに格別のご愛顧とお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
私どもは、創業以来60余年、業務地域を多摩と定め、今日に至っております。
従いまして、みなさまとともに、多摩への思い入れや関心が強くなるのでありますが、後ればせながら、地域の
経済や経営を調査、研究する組織として1995年に地域経済研究所を設けたのもこのためであります。
多摩は、静岡県をも上回る380万人という人口を擁し、工業製品出荷額では、四国4県あるいは北陸3県の合
計額に匹敵するといった巨大な産業集積を持ち、地域の暮らしに近い所から先端的
な工業分野まで、力のある多くの中小企業が活躍する地域でもあります。
この小冊子 は、地域経済研究所が収集する地域データを簡単な解説とともに順次
紹介することにより、少しでも 地域の暮らしや 経営のお役に立てていただこうと思
うものです。
多摩の本当の姿を理解するための一助として、ご参照賜ればありがたく存じます。
研究所 は小さな組織ですが、スタッフは一所懸命ですので、この小冊子のことに
限らず、最寄りの支店と同様に、研究所にもお 気軽にお声を掛けてくださいますよ
うお願い申しあげます。
多摩中央信用金庫
1998年3月
理事長
菅屋忠正
CONTENTS [ 目次 ] 1998 April vol.1
ごあいさつ
1 合い言葉は「住職」近接
−21世紀多摩の経済−
7
7
経済指標
人口のうごき
8 元気のある企業紹介
8
10
12
14
16
(株)多摩ブルワリー
セキエレクトロニクス(株)
(有)長瀬鉸工場
ハレケ 浅沼 章
日本デンヨー(株)
18
20
(株)アクト技研
(株)スーパーキャット
∼テーマレポート∼
22 多摩の地酒
24 経済指標
24
求人・求職のうごき
25
26
27
28
29
くるまのうごき
建設のうごき
倒産のうごき
電力のうごき
八王子の気象・東京の気象
合い言葉は「
住職」
近接
国勢調査人口5年前比増加率(%)
50
――21世紀多摩の経済――
多摩
40
全国
30
20
① 多摩の人口増加は鈍ってきたが、事業所とそ
10
こで働く従業者は着実に増えている。
0
② 工業を主軸とする域内産業複合は21世紀
多摩の「豊かさ」を支える。
-10
1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990
③ 初期高齢者の場合に限らず、域内就業は暮ら
−図1−
しの「豊かさ」をつくる。
調査だが、他方、「事業所」やそこで働く「従業
者」についても国の全数調査がある。事業所統
人口増勢鈍化
計調査である。ここ何度かは5年ごとに国勢調
査の翌年に実施している。
多摩( 注1)の人口は既に380万人を超え
そうして、1996年調査の都内区市町村の
ているが、これは全国人口のおよそ3パーセン
結果が今年に入って入手できるようになった。
トに当たる。都道府県の人口の大きさによる順
これまでの調査結果と合わせて流れをみると次
位に当てはめてみると、静岡県を抜いて10位
の表のようになる。国勢調査人口の増加率も併
になる。
記してみよう。
しかしながら、人口の増加ぶりはかなり鈍っ
てきた。図 1 はこれまでの国勢調査によるもの
人口、事業所、従業者の5年前比増加率
だが、1995年調査による5年前比増加率は
人口
3.1パーセントに落ち、全国の同1.6パーセ
ントに近づいてしまった。1994年、199
5年の増勢鈍化がとくに目立ったが、1996
年はやや持ち直し、昨年はさらに回復した。し
かし、
昨年12月1日現在の推計人口をみても、
1年間の増加率 は0.6パーセント にとどまっ
ている。本誌7ページ参照。
年 1985 1990 1995
1995 実数
事業所 年 1986 1991 1996
1996 実数
多摩人口
6.5%
6.4% 3.1%
3,773 千人
多摩事業所
5.2
3.0
5.5
139 千
多摩従業者
11.9
16.2
9.0
1,489 千人
全国人口
3.4
2.1
1.6
125,569 千人
全国事業所
3.4
0.7 △0.5
全国従業者
5.5
10.4
4.6
6,717 千
62,781 千人
−表1−
注1.ここでは「多摩」を、東京都のうち23特
別区部と三宅島などの島部を除いた31市町村の
表1で多摩の各増加率はいずれも 全国より
総称に用いている。
大きいが、多摩のなかでは、1995年または
1996年までの5年間に思いがけないことが
起こっている。つまり、事業所の増加率が人口
事業所と従業者著増
の増加率を上回ったのである。しかもこれは、
同じとき全国の事業所がマイナスを記録したの
国勢調査は「人」や「世帯」についての全数
1
と対照的に高率のプラスであった。
が、そのほとんどは多摩の中で働く人だった。
それから、多摩の事業所で働く従業者の増加
多摩にベッドタウンという特徴はあるが、そ
率が表中どの期も人口の増加率を大幅に上回っ
れは多摩の小さい部分の特徴なのである。
ていることがたいへん注目される。
また、多摩が「産業的基盤を欠き」、もっぱ
これらはどう読めばよいのだろうか。いい古
ら「消費生活の場としての性格が顕著」
(注2)
された言葉を使えば、ベッドタウンから産業都
であればベッドタウンでもよいが、実際の多摩
市(群)へ多摩が変わりつつあるということに
は強力な産業をもち、消費生活の場であると同
なりそうなのだが。
時に、生産活動の場としての性格も併せもって
いるのである。この点についてはすでに事業所
および従業者の動きを述べたところでも触れた
ベッドタウン?
が、もう少し踏み込んでみよう。
ところで、「東京のxxx」と枕詞のように
注2.ベッドタウンについて、有斐閣『社会学小
いわれるベッドタウンだが、これにはもともと
辞典』(増補版、1988)は「産業的基盤を欠
怪しいところがあった。多摩をベッドタウンと
き、中心都市への通勤者の住宅地となっている近
するのは、多摩が都心で働く人の住宅地という
郊都市。通勤者にはその近郊都市が夜の寝所を提
ほどのことと思えるけれども、これに関しては
供する以上の意味をもたないことになり、このた
次のような数字がある。やはり国勢調査で15
め彼らの居住地域への関心が極めて乏しいことが
歳以上の職を持っていた従業者の足取りである。
問題とされる」としている。
また、有斐閣『新社会学辞典』(初版、199
15歳以上の従業者の従業地
1990 年
多摩在住従業者
内区部で従業者
同構成比
多摩で従業者
同構成比
参考
3)は「中心都市に通勤する人々が多く居住する
国勢調査
1995 年
増減
住宅地。夜間は『ねぐら』の場所であり、昼間ほ
1,821,061 1,920,399
99,338
とんど居なくなることから、この名称がついた」
569,697
565,264
-4,433
とし、「消費生活の場としての性格が顕著で中心
31.3%
29.4%
- 1.9
都市とは異なる独自の生活様式をもつとされるこ
84,812
ともあるが、中心都市への関心が強く、
『地元無
+1.2
関心層』が生まれやすい傾向も指摘される」と解
1,127,121 1,211,933
61.9%
63.1%
区部在住
の多摩で従業者
説している。
74,086
79,407
5,321
−表2−
工業および産業複合
つまり、多摩から区部へ働きに出ている人は
多いが、1990年当時でも、それは多摩に住
都市地域の産業についていえば、一般に工業
み多摩で働く人のちょうど半分だった。
それが、
は他の産業と違って特別の産業である。国なら
1995年にはさらに区部離れを進めたのであ
ば「輸出」というところを地域間では「移出」
る。そうして、多摩から区部へ通う人の減少数
というが、
工業の多くは地域の移出産業である。
以上に、区部から多摩へ通う人が増えもした。
これに対して、小売業、サービス業、建設業な
この5年間に多摩在住の従業者は著しく増えた
どに多い地域の内需に応ずる産業は地元市場産
2
業などといわれる。商業や、観光、大学、ソフ
機械器具とりわけ国内外の設備投資用機器を造
トウエアなどのサービス業の一部などが主力の
り出すところに特徴があり、
このためもあって、
移出産業になることもあるが、多くの都市では
大手のみならず多くの力のある中小、中堅企業
工業が主力の移出産業である。
が活躍しているという特徴があり、さらに、さ
そうして、今日地域の経済は自給自足では賄
まざまな分野で優れた人材の就業を必要として
えないから、外からのモノやサービスを買う地
いるという特徴がある。
域の購買力を左右する移出産業のパワーが重視
今回、バブル後の平成大不況からの回復過程
される。
で、多摩の工業の回復ぶりが目立ったのはこの
もちろん、地元市場産業も大切である。その
ためである。折りからの生産拠点の海外移転と
よしあしは住民生活上の便不便、満足不満足に
アジア諸国の大攻勢で全国各地の工業が空洞化
直結しているからである。満たされない財やサ
の危機に直面したのとは対照的でさえあった。
ービスは外に求めざるを得なくなる。加えて、
しかし、最近の動きをみると、盛んだったの
地域内の経済の循環を上げるためにも、地元市
は工業ばかりでもなさそうである。
場産業の充実は重要課題である。しかし、移出
多摩は、一方で地域内需が厚味を増し多様化
産業つまりは外からの稼ぎが弱ければどうして
するのに応えて各種のサービス産業などが生ま
もパイは薄くなる。
れ、他方で工業その他各種事業所向けにソフト
なお、多摩では、いわばベッドタウン的な分
ウエア業などのサービス産業や卸売業などが起
野で、区部など地域外に通勤している人の地域
き、アニメ制作などの新型(?)文化産業が華
外からの大きな所得がある。多摩ではこれが工
を添えて、各種企業の分化、進出、起業が進ん
業と並んで地域経常収入の二本柱になっており、
でいる。これまで盛んであった小売、飲食や、
これらが回りまわって地域の経済を潤し、雇用
住宅建設関連の産業に加えての動きである。
や就業の機会も増やしている。この二本柱はこ
そうして、地域内に産業の連鎖が増し、産業
れからも長く続くとみてよい。しかし、比重は
の複合が進もうとしてしているのである。
動く。区部などへ通う人の所得のウエイトは
もとより、ここに問題がないわけではない。
徐々に下がるだろう。
例えば、住環境との折り合い、道路その他の域
工業に話を戻そう。広くは知られていないか
内交通。それに、流通構造の激変など諸規制緩
もしれないが、多摩の工業は、出荷額、支払う
和下における多くの戸惑いやミスマッチ。バブ
給与額、使用する原材料などを都道府県の順位
ル崩壊に伴う整理、
調整。
どれも容易ではない。
に照らしてみると、大きい方から10、11番
しかし、打開は不可能ではあるまい。
目というボリュームで、四国4県あるいは北陸
3県の各合計に匹敵している。さらに、199
高齢化必至、子育て層転出?
5年中の従業者1人当たりの出荷額、原材料使
用額は1位、同給与額は3位でもあった。卸と
小売の合計販売額が15位くらいになるのと比
視点を変えて、多摩住民の年齢を確かめてみ
較しても、工業の力強さは際立っているのであ
よう。経済に限らず地域の問題を考えるときに
る。
はこれが大事である。
その工業はさまざまな業種、製品で成り立っ
次ページの図2と図3をご覧願いたい。どち
ているが、なかでも実に多くの種類の専門的な
らも横軸に年齢をとっているが、縦軸は図2が
3
実数、図3は構成比(%)である。
たい。注目の第一点は、サラリーマンならばお
図2の多摩のグラフ は1996年とそれよ
おむね定年の60歳線の左右である。その右側
り5年前の折れ線を重ねたものである。みなさ
が一段と厚味を増したのと、今後10数年内に
ん元気に齢を5つ重ねた(折れ線は右にスライ
2つの大きな山が確実に定年線を越えるという
ド)といいたいところだが、20歳前後の人は
ことである。いまは所得盛りだが、多摩も高齢
ほとんどスライドせずに、万年青年のようであ
化は必至である。
る。しかも、山でいえば甲斐駒ヶ岳のようにも
今度は左側甲斐駒との間で富士川(釜無川)
りもりと盛り上がっている。図3をご覧いただ
が抜ける窪みをご覧いただきたい。注目の第二
きたい。確かに異常なのである。主因は、多摩
点は、ただいま40歳前後の人が大変少なく、
に大学がたくさんあり(東京都に次いで2位!)、
かつ、その人たちが5歳前のときよりもわずか
全国から若者が集まるということなのだが、若
だが減少してしまったことである。子育て層の
者はやがて世界にはばたくのである。
転出と思えるが、さびしいことである。
多摩の年齢別人口の変化
万人
9
8
初期高齢者の就業
1991.1.1.
1996.1.1.
7
6
5
第一の点に関して、先に多摩から区部への通
4
3
2
勤者が減少したことを指摘したが、それは少な
1
0
できる。しかし、グラフにも現れている元気ぶ
からず定年のためだったのかなと察することが
0
10
20
30
40
50
60
70
80
りからみて、理由はどうあれ、もう少し、例え
90 歳
ば75歳くらいまでは、できれば楽しく、働き
住民基本台帳人口
たいと思われている人は多いのではないだろう
−図2−
か。それに、今後10数年を見通せばそう願う
%
人は確実に増えると思わなければならない。
多 摩 と全 国 の 年 齢 別 人 口 1994
2.5
国分寺市が1994年12月に実施した市民
多摩
全国
2.0
意識調査で、<高齢化社会へ向かうときに高齢
1.5
者対策として力を入れるべき施策は?>との問
1.0
に対し、福祉や健康や文化などへの注文を抜い
0.5
て最も多かった回答は「健康な高齢者が楽しく
働ける場を増やす」だった。11ある選択肢か
0.0
0
10 20
30
40
50
60
70
80
90
ら2つを選べる設問だったが、この回答への回
歳
多摩は住民基本台帳人口、全国は推計人口
答率は、20代34%、30代35%、40代
−図3−
39%、50代36%でいずれも第1位、60
代以上でも「高齢者を介護する家族への援助を
それはそれとして、図2に戻って、右側の、
充実する」の28.6%(1位)に僅差の27.
山の姿でいえば八ヶ岳のような複数の頂と麓に
6%だった。
向かってなだらかに降りる斜線をご覧いただき
次の表3は今年2月1日の読売新聞に紹介
4
された総務庁の調査結果の一部を取上げたもの
0代前半でも25%だった。
である。調査は昨年2、3月に実施、対象は全
いずれをみても、高齢者の仕事へのニーズは
国の中高年層(40∼59歳)と高齢者層(6
強いと感じられる。
0歳以上) 計3,5 0 0人(有効回収率74 .
そうして、国分寺市つまり身近な自市への注
8%)
。
文や総務庁の調査結果にみるように、初期高齢
者(60から75歳を想定)の場合、住まいに
総務庁調査
近いところでの就業を望む人は多いのである。
回答は%、中は中高年層、高は高齢者層
Q:何歳まで働きたいか(回答は一部)
A:65歳くらいまで
それから、初期高齢者が多様な就業形態を求
めていることにも注目したい。それは雇用の多
中39.4
年齢にかかわらず、元気ならいつまでも働く方
様化だけではなさそうである。多くの自治体に
がよい
あるシルバー人材センターはすでに長年の実績
中31.2
Q:高齢者の雇用促進に何が必要か(回答は一部)
があるが、近年高齢者(事業)協同組合の創設
A:定年後も働くことができる継続雇用
も全国に広がりつつあると聞く。このように就
業の形にも多様化が求められるのではないだろ
中63.3、高52.6
自宅やその周辺で仕事ができる勤務形態
うか。なお、今国会でいわゆる NPO 法が全会
一致で成立しそうだが、これはボランティアと
中47.6、高35.5
パートなど多様な働き方ができる環境
就労の間に多様な就業を生み出すと思われる。
初期高齢者の就業問題は、年金が楽観できな
中43.6、高38.8
−表3−
くなっているうえに、福祉をまかなう財政に厳
しさが続くという状況からも重要課題である。
ここでは、継続雇用への注文が多いが、離れ
国民医療費軽減のためにもである
た後への不安が大きいからであろう。それはそ
れとして、次元の異なる「自宅やその周辺で仕
注3.博報堂生活総合研究所『調査年報1996・
事ができる勤務形態」が次に多い回答だったこ
シルバー10年変化』、1996年7月による。
とに注目したい。新たな職場や仕事への不安が
薄れれば1位の回答になるのだろうか。
既婚女性の就業
さらに、博報堂生活総合研究所の調査(19
96年3月、注3)では、首都圏の60代前半
の人(男女)で仕事をもっている人は54%、
注目の第二点に関しては、地価の違いなどに
60代後半が39%、70代前半が25%とい
より、
多摩の都心への通勤圏としての優位性が、
う結果が出ている。働いている理由(多数回答
他の首都圏ドーナツ地帯に比べて劣ったという
可)は、「収入を得るため 」が60代前半 で8
ことが考えられる。実際、1989年から19
1%、60代後半69%でともに1位、70代
95年までの数字では、
多摩から埼玉、神奈川、
前半は51%で2位、
「健康によいから」
は60
千葉、山梨各県への毎年の転出者は、それぞれ
代前半で46%、60代後半52%でともに2
からの転入者を上回ってきた。
位、70代前半は58%で1位だった。それか
しかし、問題は住居費など生計費の不利を埋
ら、仕事のない人でも働きたいと思っている人
める利点や魅力を整えることである。例えば、
は60代前半で47%、60代後半34%、7
教育の環境や緑、安全などだが、なかでも就業
5
と高い所得の機会を地域内に確保することは基
それにもかかわらずである。地元での就職ニー
礎的な課題である。
ズがいかに強いかを示している。
なぜ地域内にか。現実問題として、社会進出
下の表4は、常用職の求人求職について昨年
著しい既婚かつ子育て中の女性就業の場は住ま
12月末現在の実際の数字を示したものである。
いにほどほどに近いことが望まれている。
求職は各年齢層にわたって重みのある数字が出
しかし、子育ては女性だけの義務でも権利で
ているが、男子55歳以上の突出した数値は注
もないわけで、子育てのためには、あるいは急
目される。他方、中高年の求人数はきわめて少
な少子化にストップをかけるためには、男女と
なく、
高齢者の厳しい状態も容易に推察できる。
もに就業の場が住まいにほどほど近いことが望
現状求人倍率の最も低い(ミスマッチ!)男
まれるのであろう。
子高齢者の構成が大きいことは、国や都に比べ
ここで子育てはひとつの例としてあげた。そ
て多摩の求人倍率が低いことの一因となってい
れは、盛んにいわれる生活の「豊かさ」の一例
る。なお、職種別にみると、このミスマッチは
のつもりである。暮らしの「豊かさ」には、職
事務職に目立っている。本誌24ペ−ジ参照。
場が住まいに近いことが必要ではないかと考え
多摩のハローワークへの求職・求人
ている。
1997年12月
男子計
24歳以下
25-34歳
35-44歳
45-54歳
55歳以上
女子計
24歳以下
25-34歳
35-44歳
45-54歳
55歳以上
求職に対し求人不足
有効求人倍率
倍
全国
東京都 常用
多摩 常用
東 京 都 パート
多摩 パート
2.00
1.80
1.60
1.40
有効求職
26,955
2,471
5,537
3,137
4,069
11,741
18,411
3,472
7,511
2,169
2,470
2,789
有効求人
11,607
3,029
4,294
2,513
1,143
628
7,137
1,923
2,770
1,526
629
289
倍率
0.43
1.23
0.78
0.80
0.28
0.05
0.39
0.55
0.37
0.70
0.25
0.10
データは多摩にある6つのハローワークの合計
1.20
−表4−
1.00
0.80
0.60
0.40
0.20
「住職」近接
0.00
9101 9201 9301 9401 9501 9601 9701
以上をみて、21世紀多摩の合い言葉は住職
多摩のデータは多摩にある6つのハローワークの合計
近接である。
「職住」ではなく、
「住職」近接で
全国は季節調整済み、東京都と多摩は未調整
ある。
住まいに職を引き寄せなければならない。
−図4−
幸い産業は力強く、地域の産業複合は、地域
図4では、いずれの有効求人倍率も景気の動
に多様な雇用、就業の機会をつくろうが、住環
向と同じように動いているが、多摩の倍率が常
境との折り合いなどの問題にも当面している。
用でもパートタイマーでも常に全国や東京より
しかし、そのうちのいくつかの問題を解くのも
低いことも示している。はじめの方で多摩の事
住職近接であろう。住と職の相互理解である。
(平山恵三)
業所や従業者が著増していることを確認したが、
6
経済指標
人口のうごき
多摩人口
調査年月日
1988年10月
1989年10月
1990年10月
1991年10月
1992年10月
1993年10月
1994年10月
1995年10月
1996年10月
1997年10月
3,579,003
3,616,363
3,659,654
3,698,278
3,729,334
3,749,742
3,762,207
3,773,550
3,788,158
3,811,621
東京都人口
日本人口
前年比増加 増加率
前年比増加 増加率
前年比増加 増加率
36,710
1.0% 11,898,526
-6,370 -0.1% 122,745,000
506,000
0.4%
37,360
1.0% 11,878,244
-20,282 -0.2% 123,205,000
460,000
0.4%
43,291
1.2% 11,855,563
-22,681 -0.2% 123,611,000
406,000
0.3%
38,624
1.1% 11,878,594
23,031
0.2% 124,043,000
432,000
0.3%
31,056
0.8% 11,878,284
-310
0.0% 124,452,000
409,000
0.3%
20,408
0.5% 11,843,612
-34,672 -0.3% 124,764,000
312,000
0.3%
12,465
0.3% 11,791,565
-52,047 -0.4% 125,034,000
270,000
0.2%
11,343
0.3% 11,773,605
-17,960 -0.2% 125,570,000
536,000
0.4%
14,608
0.4% 11,782,313
8,708
0.1% 125,864,000
294,000
0.2%
23,463
0.6% 11,823,561
41,248
0.4% 126,200,000
336,000
0.3%
総務庁統計局、都総務局統計部「
東京都の人口(
推計)
」
より
12月の市町村別推計人口
八王子市
立川市
武蔵野市
三鷹市
青梅市
府中市
昭島市
調布市
町田市
小金井市
小平市
日野市
東村山市
国分寺市
国立市
田無市
保谷市
福生市
狛江市
東大和市
清瀬市
東久留米市
武蔵村山市
多摩市
稲城市
羽村市
あきる野市
瑞穂町
日の出町
桧原村
奥多摩町
多摩 計
1997年12月
514,451
159,582
134,410
167,356
139,275
220,776
106,811
201,607
364,594
110,927
175,017
166,760
137,171
107,045
68,500
77,162
100,361
61,730
74,481
76,571
67,231
111,911
66,402
146,816
64,945
55,267
76,270
32,713
16,730
3,487
7,995
3,814,354
前月比増減 前年比増減
244
6,335
-50
1,622
-17
422
14
1,058
-70
701
133
2,176
-24
-288
-31
1,844
178
2,836
-60
324
142
380
-18
-480
0
2,230
7
519
63
1,126
-19
1,650
-54
241
-9
98
7
36
-5
-500
-5
-212
103
515
63
-1
26
-277
-6
676
22
56
36
369
-3
38
-23
-77
-3
-36
-14
-132
627
23,249
7
多摩の年ごとの 人口増加率は、92年に1%
をきって 以降急落し、94、95年には全国と
ほぼ同率の0.3%になったが、その後は回復に
転じ、97年は0.6%を記録するところまでき
た。12月の対前年増加率も0.6%を保ってい
るので、この増勢はしばらく続くかもしれない。
96年は東京都の人口も増加に転じたが、そ
の増加数は多摩だけの増加数 よりも少ないから、
区部はまだ減少だったことになる。しかし、9
7年は、その区部も増加に転じ、マンションブ
ームに伴う都心回帰の流れを示した。
1997年12月の市町村推定人口の前年同
月比で人口が100人以上減少 しているのは、
昭島市、日野市、東大和市、清瀬市 、多摩市、
奥多摩町 の5市1町であるが、逆に1000人
以上増加 しているのは 八王子市、立川市 、三鷹
市、府中市、調布市、町田市、東村山市、国立
市、田無市の9市であった。
まとまった増加は、八王子市、町田市を除く
と立川市以東に偏っているが、減少市町村は清
瀬市を例外として他は中西部に偏っている。し
かし、前月比の増減では、東西間の偏りがとく
にはみられないことから、市域の広い八王子市、
町田市を除けば、まとまった増加は大型の集合
住宅の新設等一時的要因によることになるのだ
ろう。
<佐々木>
元気のある
多 摩 地 域 の経 済 を 知 って い た だ くた め 、今 回よ り「 独 自の 技 術 や ノウ ハ ウ を もっ て堅実
な 経 営 を され て い る 」、「 高 度 な 技術 や 付 加 価値 の 高 い 製品・サ − ビス を 開 発・提 供して
い る 」、「 大企 業 が 参 入し が た い す き 間 産業 」等、一味 違 っ た 経営 を さ れ てい る 7企
業 を ご 紹 介し ま す 。
株式会社
多摩ブルワリ−
地ビ−ルの誕生が全国各地で相次いでいる。
平成9年12月末現在約180社といわれる。
多摩でも平成8年2月に地ビ−ルが誕生した。代表者自らビ−ルの醸造責任者であるブラ
ウマイスタ−を務める株式会社多摩ブルワリーである。
異業種から
「多摩ビ−ル」へ
代表者黒田泰光さんの本業は不動産業
で あ る 。以 前 に は 割 烹 料 理 店 を 経 営 し て い
た が 、道 路 拡 張 の た め や む な く 閉 店 し 、不
動 産 業 に 転 身 し た 。し か し 、飲 食 へ の こ だ
黒田社長
わりは捨て切れなかった。
たまたま1994年(平成6年)4月、
酒 税 法 改 正 に よ り 、ビ − ル の 製 造 免 許 取 得
ブ ル ワ リ − を 設 立 し 、サ ッ ポ ロ ビ − ル 埼 玉
に 必 要 な 最 低 生 産 量 が 年 間 2 0 0 0 kl か
工場で醸造についての知識や技術を学ん
ら 6 0 kl に 緩 和 さ れ た 。以 前 か ら 市 販 の 醸
だ 。こ の と き い っ し ょ に 研 修 を 受 け て い た
造キットでビ−ルを自家醸造していた黒
人たちはほとんどが酒造会社関係の人で、
田 社 長 は 、こ の ビ − ル 解 禁 を 機 に「 多 摩 ビ
これから地ビ−ルを始めようとする人た
− ル 」 造 り に 挑 戦 す る こ と に な っ た 。「 家
ち だ っ た 。異 業 種 か ら 参 入 の 黒 田 社 長 に は
族 や 周 囲 の 人 か ら は 反 対 さ れ た が 、酒 飲 み
場 違 い の よ う に も 感 じ ら れ た 。し か し 、研
に と っ て 、ど う し て も 自 分 で ビ − ル を 醸 造
修 の 成 果 が 認 め ら れ 、八 王 子 税 務 署 で「 内
したいから・・・ 」と。しかし、それか
免許」の交付を受けた。
らの黒田社長は思いのほかにご苦労。
そ こ で つ ぎ は 実 際 に 、ど う い う ビ − ル を 造
創業に先立って、本場アメリカのデン
ろ う か と 、再 び ヨ − ロ ッ パ へ 。こ の と き は
バ − 、 サ ンフ ラ ン シ スコ 、 ヨ − ロッ パ で
チェコ、ハンガリ−、英国の醸造所
は ド イ ツ 、ベ ル ギ − へと 足 を 運 び、 醸 造
を 訪 れ 、自 分 の 舌 で 味 を 追 求 し た 。こ の と
工 場 を 見 て廻 っ た 。 帰国 後 株 式 会社 多摩
きのヨ−ロッパの味がいまの「多摩ビ−
ル」の原点になったそうである。
8
社長自らの手で生み出した
さまざまな地ビ−ル
現 在 、醸 造 し て い る ビ − ル は 、小 麦 を 使
用 し て 試 作 を 重 ね た 上 面 発 酵 の「 ヴ ァ イ ツ
ェ ン 」、 チ ェ コ の 醸 造 所 で 追 求 し た 黒 田 社
長ご自慢の赤みを帯びた同じく上面発酵
の 「 レ ッ ド エ − ル 」、 長 時 間 熟 成 さ せ た ア
いろいろな「多摩ビ−ル」
ル コ − ル 度 7 % の 下 面 発 酵「 ボ ッ ク 」が メ
イ ン 。そ の 他 に 季 節 限 定 ビ − ル も 造 っ て い
多摩の地ビ−ルをいつまでも
る。
おいしく味わってもらう
上面発酵とは発酵後期に酵母が表面に
今 後 は 、瓶 ビ − ル で は 味 わ え な い 、い つ
浮かんで層をなすもので、発酵温度は2
で も 均 一 な 質 で 、雑 味 の な い 出 来 立 て の お
0度前後と比較的高めである。下面発酵
いしい生ビ−ルをブルワリ−で提供して
は酵母が底に沈み層をなすもので、発酵
い き た い と い わ れ る 。2 年 目 の 1 9 9 7 年
温度は10度前後と比較的低めである。
は 年 間 1 6 0 kl と 好 調 な す べ り 出 し で 、将
現在ビ−ルは生産量で下面発酵が9割を
来 は 3 0 0 kl の 計 画 。ま た 、店 舗 数 の 増 設
占 め て い る 。( 出 所:同 文 書 院 発 行 お い し
を 図 り 、業 務 用 と し て は レ ス ト ラ ン 、料 理
い地ビ−ル全国ガイド)
店等への卸しにも力を注いでいく予定と
いわれる。
● 会社概要
株式会社
多摩ブルワリ−
代表取締役
黒田
泰光
( ブ ラ ウ マ イ ス タ− )
レストラン ビア倶楽部
土 、日 曜 日 に 訪 れ る 人 々 は 入 口 に 順 番 を
待 っ て 並 ぶ の も 珍 し く な い よ う で 、地 方 か
らの来店もあるとのこと。
9
所在地
八王子市大塚555
設
平成 6 年 7 月
立
資本金
6,000 万 円
従業員
11 名
TEL
0426-75-2277
FAX
0426-76-9847
レストラン
0426-74-8111
セキエレクトロニクス 株式会社
「技術志向型企業」をキ−コンセプトに、
オ プ ト ロ ニ ク ス ( 光 通 信 )・ メ カ ト ロ ニ ク ス
(電子機械装置)製品分野の技術シ−ズと周辺技術を開拓。市場のさまざまな顧客ニ−ズ
に、いつでも最新の先端技術で応えられるマイクロプロセッサ−応用製品を送り出してき
た。いま、電子制御基板からシステム機器まで、ユニ−クな「新製品」を創造している。
時代の変化に対応した高度で
ながらも赤社長は、この時を自らを一層
フレキシブルな技術力を駆使
の技術志向型企業へと磨きあげるまたと
ないチャンスと考え、マイクロコンピュ
プラスチック成型会社から26歳で独
せき
ひろあき
立した代表者の 赤 宏昭 さんは、196
−タ技術を応用してさまざまな製品(複
4年(昭和39年)3月に八王子市に株
写機、カセットコントロ−ラ、空調制御
式会社セキ製作所(現在のセキエレクト
機器等)の設計、開発を受注した。
ロニクス株式会社)を設立した。当時、
こうして数々の試練を乗り越え、当社
コンピュ−タの主記憶装置として需要が
は一段と高度な技術集約企業に生まれ変
増え始めていたコアメモリ(コンピュ−
わることができた。
タの磁気コア記憶装置)を大手4社のう
ちの三菱電機株式会社から受注するよう
になった。
その後、パルストランス、コイル調整
ドライバ−の生産を軌道にのせることに
成功して事業を拡大し、2年後には群馬
県に工場を開設するまでに至り、以後山
梨、山形、秋田と次々に工場を設けた。
そうして1969年(昭和44年)社名
も現在のセキエレクトロニクス株式会社
と改めた。
石油ショック以降さらに技術を
磨き上げた「技術志向型企業」
1974年(昭和49年)の第一次オ
イルショックの荒波は、昇竜の勢いだっ
せき
赤 社長
た当社にも襲いかかったが、逆境にあり
10
情報化社会の中で開発したマイ
クロプロセッサ−応用製品
そうして、取引先依存型の経営では受
注に波があり、業績も安定しないため、
かねてから自社製品の生産を考えていた
赤社長は、1980年(昭和55年)以
降、得意の技術力を発揮できるマイクロ
プロセッサ−応用製品の開発に着手し、
● オゾン温度計
「 カ ラ − グ ラ フ ィ ッ ク コ ン ト ロ − ラ − 」、
「オゾン温度計」等を次々と生産、販売
するようになる。こうして、大手メ−カ
−とも密接な提携の下、当社は再び大き
く発展した。
1992年(平成4年)には写真の電
子画像化に取り組み、これも自社製品の
合 成 写 真 シ ス テ ム 「 イ メ − ジ コ ン ポ 」、
「 フ ェ − ス ・ イ ン ・ チ ケ ッ ト 」、「 ふ ぉ と
くらぶ」等を順次開発し、今日に至って
いる。
● 視力計
こ の よ う に 、セ キ エ レ ク ト ロ ニ ク ス は 、
● ふぉとくらぶ
自社開発製品
時代の節目ごとに新しい事業展開を行な
って成長してきたが、今後も従来以上に
自社製品の販売に力を注ぐとともに、人
●
材の育成を図り、社会に認知される企業
会社概要
セキエレクトロニクス株式会社
として成長していく計画である。
代表取締役
◆セキエレクトロニクス・グル−プ
赤
宏昭
所 在 地 八 王 子 市 子 安 町 4-27-6
オ プ ト ロ ニ ク ス・メ カ ト ロ ニ ク ス 分 野
設
立 昭 和 39 年 3 月
の製品を創造するセキエレクトロニク
資本金 1 億円
ス 株 式 会 社 、技 術 開 発 を 担 当 す る 山 形 の
従 業 員 54 名
セ キ エ ン ジ ニ ア リ ン グ 株 式 会 社 、生 産 を
T E L 0426-27-2211
行う秋田のアキタセキエレクトロニク
F A X 0426-25-4020
ス株式会社によって構成されている。
11
有限会社 長瀬鉸工場
板金加工技術のなかでも特殊な「鉸り」を一筋
に 、多 岐 に わ た る 部 品 製 造 と 組 立 加 工 を 行 な っ て
きた。熟練度を要求される仕事だが、徹底した社員教育、設備の拡充に力を入れ、高品質・
高信頼製品の加工・生産体制を確立している。
密板金加工も加えたユニット生産体制を整
えている。
生業から企業へ
こうして、当社は伝統技術である
当 社 の 創 業 は 古 く 、終 戦 直 後 の 1 9 4 5
鉸り
加工 と先端技術を見事に融合させている。
年 (昭 和 2 0 年 )、 場 所 は 昭 島 市 で あ る 。 深
多品種少量生産に適した
刻な物不足の時代で、現会長の長瀬幸三さ
へら鉸り加工で試作開発へ
んが鍋、釜、洗面器など生活必需品の製造
販売を思いついたことから、長瀬鉸工場は
当社の売り物である
始まった。
へら鉸り加工
と
は「へら鉸り旋盤を用い、図のように、型
そ の 後 順 調 に 業 容 を 拡 大 し 、1 9 7 0 年
および板状の素材を取付けて回転させ、へ
(昭 和 5 5 年 )に 現 在 地 の 武 蔵 村 山 市 に 移 転 、
らによって素材を型に押付けて成形する加
1 9 8 5 年 (昭 和 6 0 年 )に は 板 金 工 場 を 増
工 法 で あ る 。」( 理 工 学 社 刊 「 機 械 工 作 法 」)
設し、現在は受注先をエレクトロニクス、
と説明されている。
電気部品、医療機器、真空機器、農機具、
加工法としては簡便な方法であるが高度
航空機、通信機器など広い分野に広げてい
な加工には熟練が要求され、いわば、職人
る。
の手技術に頼るところが多い。
てわざ
かねてから、電気機器などわが国の代表
製品例(左から、ビア−マグ、自動車電話共振器、マ
的な機械産業の多くは量産工場を地方に分
フラ− )
散、さらには海外に移転し、多摩または周
また、生産量の増大と質の向上を目指し
辺の工場を製品開発の母工場にしている。
て機械装備には熱心で、CNCスピニング
こうしたことから、部品供給をしていた下
マシーン、各種溶接機、三次元レーザー加
請中小企業の中には親企業の要求に苦慮し、
工機、マシニングセンタ−等を導入し、一
対応しきれず転・廃業に追い込まれたとこ
人当たり機械装備率を高めるとともに、精
ろもあった。しかし、長瀬鉸工場は、へら
12
鉸りという 職 人 技の 塑性加工 を武 器に 、大
展のキ ー ポ イ ン トの ひ と つ に な っ て い る。
手国内 メーカー の開 発・ 試作 に積極的 に参
さらに 、当 社の 強み は会 長 時 代からの 無借
加し、 加工 ・溶 接・ 組立 をユ ニ ッ トで 受注
金経営 にもある 。創 業 以 来5 0年 、手 形を
することに 成功 している 。
割り引 い た こ と が な く、 今で も金 融 機 関に
当 座 勘 定はない 。
スムーズな二代目へのバトンタッチ
あらたな発展に向けて
一見 、順 風 満 帆に 過ぎ て き た か に み え る
当社だ が 、前 述の 武蔵村山へ の移 転の 時は 、
当 社 の い ま の 課 題 は、 一 つ に は、“ 人づ
オイルショック に よ る不 況に 加え て、 幸三
くり ”。透社 長は 、思 い切 った 若手起用 で人
会長の 長期入院 と い う非 常 事 態に 会い 、急
材育成 に鋭 意 努 力し て い る。 し か し、 当社
遽、薬 品 会 社で 営業 を し て い た次 男・ 現社
の武器 で あ る 手技術 は一朝一夕 に継 ぐ こ と
長透氏 を呼 び戻 し、 現場 で一 から 鍛え る場
は難し く伝 承は 途半 ば と い う こ と で あ る。
てわざ
面があった 。
いま一 つは、全 社 的な 情報 システム 管理
あかし
で あ る。 工 場 の 継 足 しは 成 長 の 証 ではあ
るが、 生産工程 ばかりでなく 受 発 注 業 務・
経理・ 経 営 計 画 等の 情報管理 の一元化 が必
要になっている 。既 にコ ン ピ ュ ー タ ー の導
入は決 まっているが 、成 果は こ れ か ら で あ
る。今後 の展 開に つ い て社長 の夢 は大 きく 、
ほぼ人 材も 育っ て い る営 業 部 門は 独立 させ
販 売 会 社を 設立 する 計画 も あ る。
写真(左)長 瀬 透 社 長 (右)長 瀬 幸 三 会 長
また 、鉸 りを 含む 板金加工 だけではなく
平成元年 から社 長のあとを 継いだ 透さ
どんな 注文 にも 応え ら れ る協 力 企 業を ネッ
んは、 父 幸 三さ ん の こ れ ま で の実 績と 経営
ト ワ ー クし た強 力な “グ ル ー プ” の確 立も
哲学“ 一に も二 にも 努力 ”を 認めつつ 、自
視野にある 。堅実 な発 展を願 って 止まない 。
らの経 営 理 念も 全社 に浸 透さ せ て い る 。当
社のスローガン “和人脈 づ く り人 づ く り”
【参 考 資 料 】
「省力 と自 動 化 」9 5年 4月 号 オ ウ ム社 刊
は、透社長 が「 昭 島 青 年 経 営 者クラブ 」で
「50 年の あ ゆ み」 96 年2 月 当 社 刊
理事長 を し て い た時 のス ロ ー ガ ン でもある 。
そ う し て実 際に こ れ を自 ら実 践し、高い
●
会社概要
有限会社 長瀬鉸工場
代表取締役 長瀬 透
創 業 昭 和2 0 年
資 本 金 300 万 円
従 業 員 5 0名
所 在 地 武 蔵 村 山 市 伊 奈 平 3-2 1- 3
T E L 042 -560- 6253
F A X 042 -560- 5185
ア ン テ ナと 幅広 いネ ッ ト ワ ー クを 手がかり
に、大 手メ ー カ ーの 開発部門 へも 自ら 出向
いて「 へら 鉸り 」の 有 用 性を 相手 が納 得す
るまで 説明 し、 付加価値 の高 い開 発・ 試作
品の受 注を 増や し て い る 。これは 、当社発
13
ハレケ
浅沼 章
再開発中 のJ R立 川 駅 南 口 から 徒歩 3∼ 4分
の と こ ろ に あ る 「HAREKE For Hair 」 はメン
ズ・レ デ ィ ス両 方に 対応 した ヘ ア サ ロ ン。 この 店が オープン したのは 4年 前の 平成 5年 、
オ ー プ ン以 来 話 題を 呼び 業況 も順 調。
ボーダーレス なヘアサロン を目
“ユニ ・セ ッ ク ス サ ロ ン ”は 役所 への 登
指し て
録上の 問題 も あ り、 成功 している 店は ま
だ少な い よ う だ 。
「床屋 さんというと男 性 、美容室 と い う
浅 沼 さ ん の 2 号 店 は 「 HAREKE Hair
と女性 と い う意 識が あ り ま す が、 そ う い
Gram」、こち らは アンテナショップ 的な 性
った垣 根を 最初 からなくして 、間 口の 広
格づ け で、 内装 のトーン を強 調し て み た
い汎 用 性の あ る お店 、地 域の 中で ボ ー ダ
り工夫 が随 所に 見ら れ、 やや 年齢 タ ー ゲ
ーレス のオ シ ャ レ感 覚に あ ふ れ た お店 に
ットを し ぼ っ て い る 。
してみたかった 」と 、オ ー ナ ーである 浅
「理 容 師」 から 「美容師 」へ
沼章さ ん 。現 在、店舗 は立 川 市 内に 2つ 。
ど ち ら の店 も「 ユニセックス ・サロン 」
「最初 は父 親が 理 容 師だ っ た こ と も あ
として 理容 と美 容の 融合 を め ざ し て い る。
り理容 の方 で修 行し た の で す が、 15 年
くらい 前か ら男 のお 客様 が美容室 に な だ
れ込む 時代状況 があったので 、だ っ た ら
パ ー マ屋 さん ?
床屋 さん ?
その世 界(美 容)に入 っ た ら ど う だ ろ う か
と思い 美 容 師の 資格 を取 得し た の で す 」
「た と え ば あ る娘 さんとそのお 母さ ん
浅沼さんは 理容 の2 代目 で、 修 行 先の サ
が こ の お 店 の 前を 通 り 、『 あ の お 店 っ て
ロンで は総 店
パーマ屋さん?
床 屋 さ ん ?』『 今 度 行
長に ま で な っ
ってきてよ 。』と い う こ と に な り、初め て
たが、 3年 間
ご来店 い た だ い た時 に、 女性 の方 が多 か
勤務し た後 、
ったら パ ー マ屋 だし 、そ う で な け れ ば 床
実家へ 戻っ た 。
屋なのです 。呼 び方 はさまざまですが 、
そしてさらに
ここがどちらかはお 客様 の方 で決 め て く
3人の ス タ ッ
ださればいいのです 」。現 在、こ こ を訪 れ
フを育 てて 、
る来 店 客の 男 女 比は 6: 4で 女性 の方 が
3年後 、地 元
やや少 な い が「HAREKE For Hair」はお 子
立川で 地盤 を
様か ら ご年 配の 方ま で幅 広い 年 齢 層を 顧
固めながら 新
客に し て い る。 し か し、 こ の よ う な
たな出 店へ 。
浅沼章 オ − ナ −
14
スタッフづくり 顧客づくり
そ の ス タ ッ フ づ く り は 、「 今 の 人 た ち
(若い従業員)っ て個 性が 強いので 、そ の
個性を い か に伸 ば し て あ げ ら れ る か、 と
いう点 に重 点を お い て考 えてみました 。
現在ス タ ッ フは 10 名い ま す が、 ス タ ッ
フの教 育という の は 単な る技 術だ け で な
い。お 客様 との コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンが 大
これからの 夢。。。
切なのです 。技 術だ け な ら講習会 に行 け
ば学ぶ こ と が で き ま す が お客 様か ら何 を
求め ら れ、 それにどうやって 応え ら れ る
「夢 で す か、 た く さ ん あ り ま す ね。 ま
か と い う点 が私 ど も の指 導の ポイント で
だ ま だ お店 も出 したいし 、今 後は ホ ス ピ
す。そして コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ンの 中か ら
タ リ テ ィのある リラクゼーション 的な ひ
お客様 に何 か新 しい 提案 ができる 力を 持
と ま わ りサイズ を大 きくした サロ ン空 間
ってもらいたい 。それも 過去 のス タ イ ル
を求め て い き た い 」。こ れ か ら も出 店は 立
に こ だ わら ず季節感 や時 代に よ っ て変 化
川に、 と の お考 えのようです 。
のある 提案 が で き る よ う に で す」。つ ま り、
ス タ ッ フづ く り は顧 客づ く り で も あ る 。
そして 提案 では 「テ ク ニ カ ル ・カルテ 」
を使ってお 客様 の情 報を 記録 し、 次回 ご
来店い た だ い た と き に、 た と えワ ン ポ イ
ントで も新 しい 提案 が で き る よ う に工 夫
もしている 。
● 概要
代
表
浅沼
章
店舗所在地
「HAREKE For Hair 」
立 川 市 柴 崎 町 2-10-12
「HAREKE Hair Gram 」
立 川 市 羽 衣 町 1-21-1
創
15
業
平成5 年5 月2 8日
従業員
1 0名
TEL
042-525-8080
日本デンヨー 株式会社
この10年で30億円、60億円、100億円
と、破竹の勢いで売上高を伸ばしているのは
日 本 デ ン ヨ ー 株 式 会 社 。押 し ボ タ ン ス イ ッ チ か ら バ ッ ク ラ イ ト へ 。時 代 の 流 れ を 敏 感 に とら
え、ニーズに合った製品開発で成功している多摩のメーカーである。
スタートは「押しボタン式スイ
ッチ」メーカー
日本デンヨー株式会社は1967年
( 昭 和 4 2 年 )、現 社 長 遠 藤 司 さ ん が 設 立 。
資本金70万円の押しボタンスイッチメ
ーカーとしてスタートした。
当社スイッチ製品の特色は、スイッチ
を押すと、その表面が赤や緑に点灯する
こと。これで、どのスイッチがオン状態
遠藤社長
になっているのか、一目瞭然という仕組
みだ。
この製品は通信機器や医療機器のメ
ーカーへ、また海外ではドイツシーメン
ス社にも認められ、日本デンヨーの基盤
を作った。
LEDの応用からバックライトへ
照光式押しボタンスイッチ
この照光式押しボタンスイッチが光
る 仕 組 み は 、そ の 内 側 に LED( 発 光 ダ イ
バックライト
オード)と呼ばれる小さな光源が入って
液晶画面を照らす板状のライトである。
い る か ら 。 遠 藤 さ ん は 、 こ の LED の 照
液晶はデイスプレイとして優秀だが、そ
明機器としての将来性に早くから注目し
れ自体は発光しない。そのため液晶画面
て 研 究 に 着 手 。1 9 8 1 年( 昭 和 5 6 年 )
の表示を、暗いところでも目に見えるよ
にはカメラ部品の量産化に成功した。
うにするためには、画面の後ろから光を
その後さらに研究を重ねて製品化した
当てる必要がある。バックライトは液晶
のがいま主力製品のバックライトである。
市場の拡大とともに今後の成長が期待さ
れている。
16
はじめに製品化したバックライトは
LED を 光 源 に し た 縦 横 2 ×3 c m 、厚 さ
1mm程度の小型のもの。
こ れ は 携 帯 電 話 、ポ ケ ベ ル 、リ モ コ ン 、
カーオーディオなどの液晶ディスプレイ
裏側に取りつけられる。
小型バックライトは携帯電話、ポケベ
ルなどが急速に普及するとともに、一躍
大型バックライト「エースライト」
当社の主力製品となり、現在は売上高の
4割を占めるようになっている。そして
このため生産能力の拡大は当社の緊急
小型バックライトは国内市場で3割のシ
課題で、鳥取に購入した土地5000坪
ェアを占め、携帯電話用に限れば、なん
に増産目的の工場建設計画を進めている。
と世界市場の6割に達している。
日本デンヨーの強さは、成長市場にい
ち早く注目し、そこに自社技術を投下し
てきた先見性といえるだろうか。
遠藤社長は、日本デンヨーがバックラ
大型バックライト開発と新製品
イト業界でナンバーワンになる日を視野
におきつつ、早くも次の構想を暖めてい
平行して大型バックライトの研究もし
らっしゃる。
ていたが、これを製品化したのが199
2 年( 平 成 4 年 )。光 源 を LED か ら CFL
管(冷陰極管)に変えて実現した。
大 き さ は 縦 横 2 0 c m 、 厚 さ 1.5m m
● 会社概要
ほどである。ワープロ、パソコン、携帯
日本デンヨー 株式会社
テレビなどの液晶画面用に使用されてい
代表取締役社長
る。
大型バックライトで特筆すべきは、昨
年11月発表された新製品で、独自の技
術により、従来の機能を保ちつつも、製
造コストを半分に押さえたことである。
パソコン業界は日夜、何銭単位で価格競
争が行われているので、この製品には大
手液晶ディスプレイメーカーから引き合
いが殺到しているといわれる。
現在当社の大型バックライトの市場シ
ェアは15%程度だが、今後5年でシェ
アを30%まで引き上げる計画である。
17
遠藤 司
本
社
多 摩 市 永 山 6-22-6
設
立
昭 和 42 年 12 月
年
商
103 億 円
資本金
16000 万 円
従業員
360 人
TEL
0423-38-3781
FAX
0423-74-8082
株式会社 アクト技研
容器包装リサイクル法が1997年(平成9
年 )4 月 に 施 行 さ れ 、カ ン や び ん 、ペ ッ ト ボ ト
ルの回収・リサイクルが義務づけられた。こうしたなか、無音ソレノイドの開発、生産を
手掛けてきた会社が、自慢の開発力を生かして環境ビジネスに本格進出した。
株式会社アクト技研は1972年(昭
和47年)8月、現在の社長上野利夫さ
んが設立。当社は立川で高性能モーター
の開発、生産を手掛けてきた。
「 強 み は 発 想 と 研 究 開 発 力 」と 言 わ れ る
だけあって、当社は現在出願中も含み1
08件の特許を有し、高い付加価値を生
み出している。
当社の主力製品はソラックと呼ばれる
無音ソレノイドであるが、ソレノイドと
は回転型電磁石で、自動販売機や排煙装
上野社長
置、釣り銭機械などに使用され、その用
とスチールカンが混じりあうことなく原
途は広い。当社では主にパチンコの発射
材料として取り出せるというわけだ。
この「リンネ」は処理能力の大きい業
装置としての需要が強く、これが当社の
務用などもあるが、自動販売機の横に置
発展成長を支えてきた。
けるコンパクトサイズのものもある。コ
ンパクトなものは、今年中までにすべて
環境ビジネスへの取り組み
の都立高校に設置される予定になってい
るといわれる。
当社は一方で環境ビジネスの将来性に
着目し、容器包装リサイクル法をにらん
だ研究開発を進めてきた。
原材料に異物が混じると、よいリサイ
クル製品を作れない。リサイクルの課題
のひとつはこの異物排除である。
この問題を解決するために、当社はま
ず 、カ ン の リ サ イ ク ル 処 理 機 械「 リ ン ネ 」
を 開 発 し た ( 写 真 右 )。
「 リ ン ネ 」は ア ル ミ カ ン と ス チ ー ル カ ン
を細かく裁断し、アルミとスチールを自
動分別する。これにより、アルミカン
「リンネ」
18
さらなる環境機械開発
そして第二弾として発表したのは、ペ
ットボトル処理機械。
使用済みペットボトルは、細かく砕い
て繊維製品やプラスチック製品に生まれ
変わる。しかしここから純度の高い原料
を取り出すためには、予めペットボトル
の金属キャップや紙ラベルをひとつひと
つ手作業で取り除かなければならなかっ
た。このネック工程の問題を解決したの
「リンネPET」
が新製品「リンネPET」である(写真
です」といわれる。
右 )。
使用済みのペットボトルを「リンネP
社長はこの信念に基づいて実際に、社
ET」のコンベアーに乗せると、丸太を
員のために社内の一角に道場を設け、精
製材するようなカッターが、ペットボト
神修養の場を提供している。
経 営 信 条 は 、「 利 益 を 追 求 す る だ け の
ルを蓋やラベルごと縦に切断してしまう。
これによってラベルも蓋も簡単にはがす
会 社 に は 絶 対 に し た く な い 」「 喜 ば れ る
ことができ、作業人数も手作業時の4分
ものを世の中に出すことで、積徳の精神
の1程度に節約できたといわれる。
を大切にしたい。利益やお金はあくまで
手段。目的は一人ひとりが幸せになるこ
「 リ ン ネ P E T 」は 9 7 年 東 京 ビ ッ ク サ
とです」とされる。
イト廃棄物処理展に出され、そのアイデ
経営信条も発想の秘密、とお察ししま
ア が 注 目 さ れ た 。「 リ ン ネ P E T 」は N H
した。
Kやテレビ朝日など、さまざまなメデイ
アでも取り上げられた。
「リンネPET」はリサイクル事業に
● 会社概要
力を入れている西武百貨店が販売窓口と
なり、主に自治体などに販売される計画
株式会社アクト技研
が進んでいるという。
代表取締役 上野利夫
発想の秘密
本 社
立 川 市 上 砂 町 5 -1 3 -7
設 立
昭和47年8月
年 商
16億円
資本金 2000万円
当社のアイデアの源はなにか。上野社
長は「理屈じゃありません。雑念を払っ
従業員 60人
て、素直な気持ちで自然の動きを読み取
T E L 0 4 2 -5 3 6 -8 6 1 1
ること。これが新しい発想を生む秘訣
F A X 0 4 2 -5 3 6 -7 4 0 4
19
株式会社 スーパーキャット
ここ数年来 のペット市 場の 規模拡大 は著 しい
ものがあり、今や 日本 の産 業 分 野の な か で重 要
な位置 を占 めてきた 。1 9 7 2年 (昭 和4 7年 )ペ ッ ト ブ− ムに 先駆 け、 と く に猫 の衛生管
理に着 目、 ト イ レ砂 「ス −パ −キ ャ ッ ト」 を開 発し 、ペット 愛 好 家の 注目 を集 めた 。
在の地 に移 した 。
「スーパーキャット 」は 、日本 における
偶然の 出会 い か ら
猫用トイレ 砂の 先 駆 的 商 品として ペ ッ ト愛
小野社長 が こ の仕 事を 始め た の は あ る偶
好家の 注目 を集 め、 猫用 ト イ レ砂 の爆発的
然の出 会い か ら だ っ た。 大学卒業後在日米
ブーム の先 鞭を き っ た。 猫用 ト イ レ砂 の開
軍の新聞社 に勤 めていた 時の こ と で あ る。
発に よ り、 猫の 生理現象 は飛躍的 に改 善さ
中古車 を買 い に い っ た先 のオ ー ス ト ラ リ ア
れ、近 年の ペットブーム の 礎 に な っ た。
もと
人が、 たまたま 欧米 で普 及し て い たペット
用砂の 輸入 を手 が け て い た。 日本 でも 普及
すると 考え た社 長が 、こ の人 の勧 めもあっ
て、こ の砂 の販 売を サ イ ド ビ ジ ネ スとして
始めた 。
当時 、日 本で は屋 内で 飼う ペ ッ トの 尿は
新聞紙 を敷 いて 始末 するのが 普通 で、 ネコ
小野社長
砂の存 在を 知っ て い る の は在 日 外 国 人 や一
部の人 び と に限 ら れ て い た。
環境にやさしい 商品開発
日本 ペットフード 工 業 会に よ る と、 19
94年( 平成 6年 末)現在 、全 国の 犬の 飼育
頭数は 登 録 数で 4 1 4万 頭、 未 登 録をあわ
せると 約900 万頭 、猫 は717 万匹 と推
計さ れ て お り、 今後 も増 加すると 見込 まれ
ている 。ペット 増加 の主 因は 、何 よ り も都
市型生活者 の増 加に あ る が、「ペット 」の概
猫 砂 を中 心 と す る 当社 の 代 表 的 商 品
念の変 質に も起 因し て い る。 飼い 主の 思い
その 後、 1972 年(昭和 47 年)に 独自
通りになる 愛玩 としての ペ ッ トか ら友 人あ
商品である 猫用 ト イ レ砂 「ス ー パ ー キ ャ ッ
るいは 家族 の一 員と し て のペ ット へと 、ペ
ト」を 開発 し、 この 時に 猫砂 の専 門 会 社を
ットは 変わ っ た の で あ る 。
創立し た。 当初 、六本木 に事務所 を置 いて
ペットブーム を背 景に 、当 社の 業務 は猫
いたが 、1 9 9 1年( 平成3 年)、 小野社長
砂専門 から ペ ッ ト用 品 全 般(消 臭 剤、 薬品 、
が居宅 を国 立に 移し た の を機 に、 会社 も現
首輪 、お も ち ゃ な ど)の企 画・製 造・販 売に
20
拡が っ て い る。 し か し、 当社 はブーム に乗
ユ ー ザ ーの 意見 、要 望を 敏感 に掌 握し 、商
って漫 然と 商品 を売 ってきた 訳で は な い。
品づくりに 反映 さ せ て い る。 また 、新商品
主 力 商 品である 「ス ー パ ー キ ャ ッ ト」 に改
の市場投入 に際 し て は、 事前 にユ ー ザ ーの
良を重 ね、 固ま るタイプ 、紙 タ イ プ、 デオ
意見、 感想 をチ ェ ッ クし 、厳 しい 合格 ライ
ドラントタイプ など 次々 と画 期 的 新 商 品を
ンを超 えた 商品 だ け を採 用し て い る。
開発し て き た。
な か で も 、「 N O D 」(ノ ッ ド)の 商 品 化は
今後の 展開 に向 けて
当社の 環境 に対 する 姿勢 を象 徴す る新商品
である 。最新 のポ リ マ ー技術( 高分子化学処
ペ ッ トの 飼育 にかける 費用 は、 日 常 的な
理)に よ り、従来 ま で は廃 棄し て い た産業副
エサ代 、医療費 、美 容、 衛 生 用 品 代などで
産物を 使っ て、 か っ て な い吸収性 を備 えた
年間1 0万 円 前 後と い わ れ て お り 、単 純に
商品にした 。さらに 、再 生パルプ を資 源と
犬・猫 の数 に乗 ず る と市 場 規 模は 1兆 40
して再利用 する 「ペ ー パ ー キ ャ ッ ト エ コ ノ
00億 円になる 。こ こ数 年の ペ ッ ト関 連の
ミー」 も開 発、 いずれも 生ゴ ミと し て の処
マ ー ケ ッ ト サ イ ズは 図の と お り だ が、 低価
理を可 能にして い る 。
格化の な が れ の な か で、 フ ー ド・ 用品 ・サ
ービス とも 金額 ベ ー スで の伸 びは 鈍ってお
経営の 効 率 化と 顧客志向
り、厳 しい 環境 に あ る。
図 − ペット関 連 の マーケットサイズ (小 売 ベース)
10,000
当社経営 の特 色の 一つ は、 猫砂 をはじめ
億円
8,000
ネコに 関す る各 種 商 品の 企画 ・製 造を 行な
6,000
っているが 、製 造 部 門は す べ てア ウ ト ソ ー
4,000
シング で、 海外 を含 む他企業 へ外 注してい
2,000
る こ と で あ る。 効 率 的な 経営 の一手法 であ
0
度
91 年
る。
度
93 年
度
95 年
関連業界
ペット用 品
ペットフード
特色 の二 つ目 は、 迅速 な物 流 体 制を 整え
小野社長 も今 後の 市場 に つ い て は「 全体
て い る こ と で あ る。 当社 は、 北は 北 海 道か
と し て は大 き く な る と思 うが 、経 営は 厳し
ら南は 沖縄 まで 、全 国 各 地の ペットショッ
く な る だ ろ う 」と い わ れ、「会 社は あ ま り大
プ・量販店 な ど を顧 客に し て い る 。これら
きくしたくない 。大 き く な れ ば い ろ いろと
の顧客 に迅 速か つ小 ロ ッ トで の注 文に 応え
大変だから 」と 、あ く ま で堅 実 経 営をめざ
るため 、茨 城・ 静岡 ・大 阪に 物流 センター
し て い る。
を持っ て い る。
【参 考 資 料 】
サ ン ケ イ新 聞デ ー タ シ ス テ ム 刊
「ペ ッ ト マ ー ケ テ ィ ン グ名 鑑’96」
東京都刊
「構 造 変 化 を乗 り越え る東 京の 中 小 企 業 」
三つ 目は 、ア ン テ ナ シ ョ ッ プで ユーザー
の声を フ ィ ー ド バ ッ クし て い る こ と で あ る 。
1 9 7 9年( 昭和 54 年)国 立 市に 開設 のペ
株式会社 スーパーキャット
ッ ト シ ョ ッ プ「 スーパーキャット 」。ここで
代表者
創 業
資本金
所在地
売上高
は商品 の販 売よ りア ン テ ナ シ ョ ッ プとして
の機能 を重 視し て お り、 プロ のス タ ッ フが
21
小野 謙 一 郎
昭和 47 年 8 月
2000 万円
従業員
20 名
国 立 市 富 士 見 台 1-13-10
20 億円
蔵
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
⑫
⑬
⑭
日本の酒造りは弥生時代から
多摩では江戸時代より
日本での酒造りの歴史は古く、稲作農耕文
化が始まった弥生時代に、中国大陸から米を
原料とする酒造りの方法が伝わったのが起源
とされる。室町時代には全国的に生産される
ようになり、業として酒造りが開始されたの
は1620年代といわれる。
元
【代表銘柄】
小澤酒造 (青梅市)
「澤乃井」
大多摩酒造(青梅市)
「酔 悦」
田村酒造場(福生市)
「嘉 泉」
石川酒造 (福生市) 「多満自慢」
渡 辺 酒 造 ( 武 蔵 村 山 市 )「 吟 雪 」
野 崎 酒 造 ( あ き る 野 市 )「 喜 正 」
中 村 酒 造 場 ( あ き る 野 市 )「 千 代 鶴 」
中島酒造場(八王子市) 「日出山」
西岡酒造 (八王子市) 「月 丸」
小澤酒造場(八王子市) 「桑乃都」
豊島屋酒造(東村山市) 「金 婚」
野口酒造店(府中市)
「國府鶴」
土屋酒造 (狛江市)
「鳳 櫻」
小山酒造 (北 区) 「丸真正宗」
多摩では戦国時代末期から江戸時代中期に
かけて酒造りが始まったようだ。
多摩は全国0.4%の生産高だが
実力派ぞろい
にほんしゃ
蔵元は全国で約2、300社
日本酒の都道府県別生産高(95年度)
多摩では14社
1 位 は 兵 庫 県 ( 2 7 3 千 kl)。 2 位 京 都 府
( 1 1 0 千 kl)、3 位 新 潟 県( 6 2 千 kl)、4
日 本 全 国 に は 約 2 、3 0 0 社 ( 鹿 児 島 県 を
位 秋 田 県 ( 4 3 千 kl)、 5 位 愛 知 県 ( 3 4 千
除く)の蔵元がある。
kl)と 続 き 、東 京 都 は 全 国( 9 8 0 千 kl)の
多 摩 で は 戦 前 ま で 2 9 社 あ っ た 。当 時 は 現
0 . 4 % 、 4 千 kl で 4 0 位 で あ る 。
在と違い秋川や多摩川も豊かに流れ、流域は
一 面 の 水 田 だ っ た た め 水 も よ か っ た 。そ れ に 、
酒造期の晩秋から冬場の気温が23区内にく
日 本 酒 の 生 産 高 ( 千 kl)
350
1 ,1 5 0
らべ3∼4度低く、酒造りには適していた。
現在は水田が激減したため、酒造好適米を
兵庫や新潟その他の産地から取り寄せて、東
300
1 ,1 0 0
250
1 ,0 5 0
200
1 ,0 0 0
150
950
100
900
50
850
京では蔵元14社(北区の1社を含む)が醸
造している。
地酒14社
③④⑤ ⑪
①②
⑥
⑭
⑦
⑧
⑩ ⑨
⑫
0
全国
兵庫県
京都府
新潟県
秋田県
愛知県
東京都
⑬
86年
1 ,0 6 1
307
93
46
37
35
5
全国
秋田県
22
88年
1 ,1 1 0
309
103
51
43
40
5
90年
1 ,0 6 0
299
111
52
41
37
5
兵庫県
愛知県
92年
1 ,0 3 7
299
115
57
40
37
5
93年
1 ,0 2 6
299
113
60
43
35
5
京都府
東京都
94年
963
232
114
59
43
37
5
95年
980
273
110
62
43
34
4
新潟県
800
等 の 特 定 名 称 酒 は 、原 料 米 の 品 質 や 精 米 歩 合 、
日本酒の消費量は1975年(昭和50
年 ) 1 7 4 .7 万 kl ま で 順 調 に 伸 び た 。 し か
醸造アルコ−ル使用量などの基準をさらに厳
し、オイルショックや食生活の変化により消
しくし高品質日本酒として定められている。
費にかげりがでてきた。消費者の低アルコ−
多摩の日本酒は高品質な実力派ぞろいで、
ル志向が強まったことも背景にある。
甘
辛
を数字で表わした「日本酒度」
では各銘柄の多くがちょっぴり辛めのプラス
多摩の日本酒は毎年「全国新酒鑑評会」で
方向の傾向にある。
数多くの受賞をしているが、関西や東北、北
(佐藤三男)
陸の酒造会社の攻勢にさらされている。
知名度の低い多摩の各蔵元では、高品質な
吟醸酒や大吟醸酒といった高級酒に力を注ぎ
特 定 名 称 酒 の要 件
生産を伸ばしている。また、主力商品のほか
に季節限定酒やごくわずかだが地元米だけを
吟醸酒
使用した酒など、伝統の中にあって新鮮味の
精米歩合
原 材 料
ある日本酒に挑戦している。
60%以下
米・米麹・醸造アルコ−ル
酒 類 別 消 費 量 ( 千 kl)
10,000
純米酒
9,000
精米歩合
原 材 料
8,000
7,000
70%以下
米・米麹
6,000
本醸酒
5,000
4,000
精米歩合
原 材 料
3,000
70%以下
米・米麹・醸造アルコ−ル
2,000
1,000
0
90年
一口メモ
91年
日本酒
92年
焼酎
93年
ビール
果実酒類
94年
95年
ウイスキー類
その他
級別廃止と特定名称酒の出現
日本酒の級別廃止は、まず1989年(平
成 元 年 )の 酒 税 法 改 正 に よ り 特 級 が 廃 止 さ れ 、
(注)
* 醸 造 ア ル コ − ル 使 用 重 量( ア ル コ − ル 9
5 % 換 算 )が 白 米 重 量 の 1 0 % を 超 え る
と特定名称を表示できない。
* 大吟醸の表示は精米歩合50%以下の
場合。
* 特別純米酒、特別本醸酒の表示は精米
歩 合 6 0 % 以 下 、ま た は 酒 造 好 適 米 5 0
%以上の場合。
<参考資料>
国税庁編 「国税庁統計年報書」
秋山裕一 「日本酒」岩波新書
津波克明 「ぶらり地酒紀行」 けやき出版
井上年弘 「東京近郊酒蔵ガイドブック」 わらび書房
菊正宗酒造 「セールスマン問答集」
たましん地域文化財団 「多摩のあゆみ」
<取材協力>
取材先
東京都酒造組合
3年後には級別が全廃された。また、199
0年(平成2年)には「酒税の保全及び酒類
業組合等に関する法律」第86条の6項に基
づき、日本酒の製法品質表示基準が実施され
た。これにより従来から吟醸や純米、本醸酒
23
経済指標
求人・求職のうごき
当月のうごき
多摩の有効求人倍率は、
昨年9月以来4ヵ月連続し
て前年同月を下回り、12月
は0.37倍であった。12
月のパートは前年同月比0.
02ポイントの低下だった
が、一般職業紹介では、0.
07ポイントの低下と、雇用
多摩
有効求人倍率
東京都
全国
倍 *パート含む。但し、多摩の1993年まではパート含まず。
1.8
1.6
1.4
1.2
1
0.8
0.6
0.4
0.2
0
1991年1月 1992年1月 1993年1月 1994年1月 1995年1月 1996年1月 1997年1月
環境は正社員の方がより悪
化している。
景気の一致指標とされる
有効求人倍率からは、当地の
景気も下り坂と判断できる。
新規求人数
% *パート含む
40.0
多摩前年同月比(左目盛)
全国前年同月比(左目盛)
15000
20.0
10.0
される新規求人数は2ヵ月
0.0
連続で減少し、前年同月比減
▲ 10.0
少率は全国、東京都を上回っ
▲ 20.0
た。当地の景気の先行きに不
▲ 30.0
1995年1月
10000
5000
0
1996年1月
1997年1月
時系列でみた動き
1990年、1991年にピークだった多摩の有効求人倍率は、その後1994年末頃まで右肩下がりに
低下したが、全国よりほぼ1年早く1995年初め頃から昨年8月頃まではごくゆるやかに回復した。しか
し、9月以降再び悪化し始めている。
また、多摩の有効求人倍率は、この間ずっと、全国、東京都と比べ一段低い水準にある。求職者が多いの
に対して求人が少ないということである。都区内などへの就職である程度はカバーされるかもしれないが、
この求職と求人の出会い(求人倍率)が示すように、地域内の求人の増加が望まれている。地域産業の活性
化による「住職」近接社会の実現が多摩の課題といえそうだ。
有 効 求 人 倍 率 (パ ー ト含 む )
1996年 12月
1997年 1月
1997年 2月
1997年 3月
1997年 4月
1997年 5月
1997年 6月
1997年 7月
1997年 8月
1997年 9月
1997年 10月
1997年 11月
1997年 12月
資料
人
20000
30.0
一方、景気の先行指標と
安がもたれる。
多摩新規求人数(右目盛)
東京都前年同月比(左目盛)
<種村>
新 規 求 人 数 (パ ー ト含 む )
多摩前年同月 東京都前年同月 全国 前年同月
倍 比 ポイント
倍 比 ポイント
倍 比 ポイント
0.43
0.07
0.66
0.08
0.76
0.12
0.44
0.08
0.64
0.06
0.76
0.10
0.45
0.08
0.63
0.05
0.73
0.07
0.44
0.06
0.64
0.04
0.73
0.06
0.39
0.05
0.62
0.03
0.71
0.04
0.35
0.02
0.64
0.03
0.73
0.04
0.37
0.05
0.67
0.06
0.74
0.04
0.36
0.01
0.66
0.04
0.74
0.02
0.38
0.01
0.65
0.04
0.72
0.00
0.37
-0.04
0.65
0.04
0.71
-0.01
0.38
-0.04
0.63
0.01
0.70
-0.04
0.36
-0.06
0.62
-0.02
0.69
-0.06
0.37
-0.06
0.62
-0.04
0.68
-0.08
多摩 前年同月
人 比増加
7,398
22.8%
9,191
23.4%
9,971
22.9%
8,396
8.5%
8,478
22.5%
8,606
9.8%
8,454
23.2%
7,705
-5.1%
8,715
18.1%
8,359
0.0%
9,028
1.7%
7,169
-17.7%
7,022
-5.1%
東京都 前年同月
人 比増加
35,876
5.6%
53,959
12.6%
50,612
5.0%
48,183
8.2%
48,335
9.7%
47,790
9.7%
44,245
14.2%
50,776
6.4%
47,300
3.0%
55,286
19.6%
55,675
1.4%
42,178
-9.3%
39,964
11.4%
全国前年同月
人 比増加
432,000
14.0%
605,000
19.8%
599,000
8.3%
677,000
10.1%
604,000
8.1%
540,000
6.7%
519,000
9.3%
559,000
2.6%
534,000
0.9%
582,000
4.9%
584,000
-0.7%
471,000
-7.5%
429,000
-0.7%
多摩のデータは、立川、八王子、青梅、府中、三鷹、町田の各ハローワーク(公共職業安定所)で入手した資料による。
全国のデータは経済企画庁「経済月報」により、東京都のデータは労働経済局定例業務統計による。
有効求人倍率の全国と東京都のデータは季節調整済値だが、多摩には、原倍率を用いている。
24
経済指標
くるまのうごき
多摩の保有車両前年同
月比増加率推移
乗用車
その他
トラック
保有車両合計
バス
12.0%
10.0%
8.0%
6.0%
4.0%
2.0%
0.0%
-2.0%
-4.0%
-6.0%
その他
バス
1988/1
1989/1
1990/1
多摩の保有車両前年同
月比増加率推移
1991/1
1992/1
1993/1
1994/1
1995/1
保有車両数合計(右目盛)
二輪車(125cc超、左目盛)
1996/1
1997/1
軽自動車(左目盛)
保有車両合計(左目盛)
10.0%
千台
1900
8.0%
1700
6.0%
1500
4.0%
1300
2.0%
1100
0.0%
900
-2.0%
700
-4.0%
500
1988/1
1989/1
1990/1
1991/1
1992/1
1993/1
1994/1
資料
1996/1
1997/1
多摩地区自動車保有車両数合計は、前
多摩地区自動車保有車両数(1997年12月)
乗用車計
乗用車(普通車)
乗用車(小型車)
トラック計
トラック(普通車)
トラック(小型車)
バス
その他
軽自動車
二輪車(125cc超)
保有車両数合計
多摩ナンバー
八王子ナンバー
1995/1
保有車両数 前月比増減 前年同月比 前年同月比
台 増減 台
増加率
1,132,317
2,572
17,436
1.6%
342,047
3,486
40,724
13.5%
790,270
-914
-23,288
-2.9%
162,351
-465
-4,877
-2.9%
46,083
-60
-30
-0.1%
116,268
-405
-4,847
-4.0%
4,564
4
-115
-2.5%
34,817
213
2,592
8.0%
231,318
155
3,148
1.4%
121,447
-210
-2,663
-2.1%
1,686,814
2,269
15,521
0.9%
1,144,350
1,562
8,361
0.7%
542,464
707
7,160
1.3%
月比 2,269 台、前年同月比 15,521 台増加
し、1,686,814 台となった。
乗用車は、小型車(5ナンバー)の減
少以上に普通車(3ナンバー)が増加し、
乗用車計で前年同月比1.6%増加した。
トラック、バスはともに減少したが、
その他の車両は前年同月比8.0%の増
加となった。軽自動車は同1.4%の増加、
二輪車は同2.1%の減少だった。
ナンバー別では、多摩ナンバーが全年
同月比、0.7%増加し、1,144,350 台に、
八王子ナンバーが同1.3%増加し
542.464 台になった。
〈種村〉
これらのデータは、関東運輸局東京陸運支局の自動車保有車両数一覧表による。また、これらのデータの時系列や分析な
どでは、社団法人三多摩自動車協会の協力を得ている。
その他の車両とは、被けん引車、特種用途車(8ナンバー)、大型特殊車の合計。
25
経済指標
建設のうごき
多摩の新規住宅着工件数の推移を最近3年間の月別に見ると、着工件数総数で95、96年と1か月当たり5
千件を超える月もあったが、97年は3千件台の月が6か月と最近になく多く、逆に5千件を超えた月は0件と低
調だった。とくに年度後半の11、12月の落ち込みは極端で、一連の金融不安以降の消費マインドの低迷に符号
している。内訳別では、持家住宅と年度途中まで順調であった分譲住宅の落ち込みが目立つ。
月中新規着工件数(
多摩)
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
1995 年1 月
1995 年7 月
1996 年1 月
持家住宅
70000
1 9 9 6 年7月
貸家住宅
給与住宅
年間着工住宅件数(多摩)
60000
50000
40000
30000
20000
10000
0
1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年
持家住宅
貸家住宅
給与住宅
分譲住宅
1997 年1月
1997 年7月
分譲住宅
年間の件数で見ると、97年の落ち込み
がより鮮明になる。内訳では、最近10年
間持家住宅 はほぼ年間1万件で安定して
いたが、96年は消費税引き上げ前の仮儒
が急増、97年は再び1万件ベースに戻っ
た。また93年頃までは着工件数の半数以
上を占めていた貸家住宅のウェイトが9
4年頃から急速に低下し、代わって94年
頃から分譲住宅の割合が大きくなってい
る。
平成9年12月地区別新規着工件数
各市別に12月の着工件数を見ると、
件数では八王子市の790件、町田市の
447件が突出しており、以下小平市 、
立川市など100件台の市が7市ある。
内訳を見ると、持家住宅は、八王子市と
町田市が100件台だが、対前年比の伸
び率でマイナスであり、両市をはじめマ
イナスの市は12市で低迷を裏づけて
いる。貸家住宅は、300件台が八王子
市、100件台に三鷹市、町田市の2市
があり、この3市で全体の47%を占め
ており、地域による需要の偏在がめだっ
た。分譲住宅も貸家と同様に地域により
着工件数のバラツキが顕著で、八王子市
が300件台、町田市と小平市が100
件台でつづいている。今後、97年11
月以降の落ち込みがどこまで続くかが
注目される。
<佐々木>
住宅持家…・建築主が自分で居住する目的で建築す
持家住宅
貸家住宅
給与住宅
分譲住宅
合計
地域名 件数 前年比増減 件数 前年比増減 件数 前年比増減 件数 前年比増減 件数 前年比増減
八王子市
103
-32.7% 353
184.7%
-100.0% 334
18.9% 790
41.3%
立川市
45
36.4%
79
-6.0%
-100.0%
43
-79.0% 167
-48.5%
武蔵野市
26
0.0%
53
82.8%
-100.0%
8
0.0%
87
-38.3%
三鷹市
28
-37.8% 141
18.5% 1
0.0%
17
54.5% 187
6.9%
青梅市
41
57.7%
20
-25.9%
0.0%
44
57.1% 105
29.6%
府中市
42
-14.3%
85
-39.3%
0.0%
27
-76.3% 154
-49.2%
昭島市
19
90.0%
61
238.9%
0.0%
31
-56.9% 111
11.0%
調布市
32
-48.4%
70
-26.3% 4
300.0%
49
-19.7% 155
-29.2%
町田市
120
-23.6% 151
164.9%
-100.0% 176
28.5% 447
23.8%
小金井市
18
-37.9%
34
61.9%
-100.0%
7
-12.5%
59
-1.7%
小平市
31
93.8%
22
-48.8% 1
0.0% 119
526.3% 173
121.8%
日野市
37
85.0%
9
-80.4%
0.0%
31
72.2%
77
-8.3%
東村山市
34
17.2%
35
169.2% 2
0.0%
40
33.3% 111
54.2%
国分寺市
18
-28.0%
67
346.7%
0.0%
54
10.2% 139
56.2%
国立市
23
53.3%
10
0.0% 13
0.0%
11
-42.1%
57
67.6%
田無市
14
40.0%
22
175.0%
-100.0%
43
2050.0%
79
276.2%
保谷市
12
-25.0%
2
-94.1%
-100.0%
48
200.0%
62
-8.8%
福生市
10
150.0%
8
0.0%
0.0%
15
114.3%
33
73.7%
狛江市
14
-50.0%
11
-88.4%
0.0%
5
-89.1%
30
-82.2%
東大和市
16
45.5%
22
266.7%
0.0%
14
-84.4%
52
-51.4%
清瀬市
12
50.0%
1
-97.9%
0.0%
6
50.0%
19
-68.3%
東久留米市 26
73.3%
26
0.0% 1
0.0%
22
-62.1%
75
2.7%
武蔵村山市 13
-23.5%
0
-100.0%
0.0%
24
140.0%
37
-17.8%
多摩市
22
37.5%
8
-11.1%
0.0%
7
-87.3%
37
-53.8%
稲城市
13
160.0%
26
30.0% 5
0.0%
55
-62.1%
99
-41.8%
秋川市
0.0%
0.0%
0.0%
0.0%
0.0%
羽村市
15
-11.8%
8
-68.0% 8
0.0%
5
-44.4%
28
-45.1%
あきる野市
24
-22.6%
41
0.0% 41
0.0%
2
-93.3%
67
-34.3%
市部合計
808
-7.4% 1,365
19.4% 76
-21.6% 1,237
-19.3% 3,437
-5.7%
るもの。 住宅貸家…・建築主が賃貸する目的で建築するもの。給与住宅…・会社、官公庁、学校等がその社員、職員、教員等を居住する目的
で建築するもの。 分譲住宅…・建て売り又は分譲の目的で建設するもの
26
経済指標
倒産のうごき
帝国データーバンク東京西支店によると、1 月の多摩地区の倒産件数は建設業が11件、サービス業5件、製造
業、卸売業各4件だった。前月比で減少したのは小売業のみで、合計件数は前月比27%、前年同月比件数は47%
と高水準だった。
負債金額は、不動産業で
1 月の倒産
業種
110億円という大口の
件数 前月比増減 前年比増減 金額(単位百万) 前月比増減
建設業
製造業
卸売業
小売業
運輸通信業
サービス業
不動産業
その他
合計
11
4
4
1 1
5
2
28
1
2
2
2
1
2
6
57.1%
33.3%
300.0%
-50.0%
-50.0%
66.7%
100.0%
0.0%
47.4%
2,280
590
1,820
800
90 20
400 - 1,210
300
300
1,170
1,000
11,500
11,500
17,560
12,960
前年比増減
-8.1%
5966.7%
80.0%
900.0%
1400.0%
-4.1%
57400.0%
0.0%
354.9%
倒産件数
建設業
製造業
卸売業
小売業
運輸通信業
サービス業
不動産業
その他
合 計
前年比増減
153
49
47
39
8
45
20
1
362
負債総額(単位百万)
34.2%
-3.9%
0.0%
0.0%
14.3%
40.6%
81.8%
-50.0%
19.5%
業種別 倒産件 数
建設 業
製造 業
卸売 業
小売 業
運 輸通信 業
前年比増減
42,600
9,130
9,505
12,980
210
10,751
13,430
2,000
100,606
54.2%
-23.3%
95.9%
192.3%
-32.3%
168.8%
-70.9%
1718.2%
1.2%
(年間 )
サ ー ビ ス業
以外は、建設業が20億、
製造、サ―ビス業が 10
億台で、合計では176億
円だった。
1997年年間で見る
と、倒産件数は362件
(前年比19.5%増)と
なり、件数は1995年の
1997年年間推移
業 種
倒産があり突出した。それ
不動 産業
その他件 数
304件を上回り、過去6
年間で最大の件数を記録
した。
負債総額は1,006億
円(前年比1.2%増)で、
1992年の1,115億
に次ぐ2番目の記録とな
った。
業種別では、建設業が件
数(全体の42.3%)
、金
額(同42.3%)ともに
全体の半数近くを占めて
97年
いる。またサービス業の増
96年
加も目立った。
過去6年間の倒産件数
95年
を業種別に比較すると、建
設業は件数の伸び率で突
94年
出しており、1993年か
93年
ら97年の5年間で約2
倍に増えている。
92年
この間に、製造業、卸売
0
20
40
60
80
100
120
140
160
業、小売業、運輸通信業の
4業種については件数の増加は目立っていない。サービス業、不動産業は95年までは減少傾向も見られたが、9
7年にかけては再び増加に転じている。
<佐々木>
27
経済指標
電力の動き
くらしの中で一番身近なエネルギー、電気。多摩においてもその使用量は年々増え続け、昭和40年
が19億KWhだったのが31年後の平成8年は9倍の171億KWhに上っています。その間の多摩
の人口増加が1.9倍ですから、それ以上に電力の使用量が増えていったことになります。また、現在の
使用量の内訳は家庭用(電灯+その他の電力)が約40%、工場などの産業用(高圧電力A+大口電力)
が約30%、商業用(業務用電力+低圧電力)が約30%となっています。
業務用電力
多摩の電力使用量
主 にビル内の 50KW以 上
4,718
(平成8年度)
電力
電灯
6,683百 万KWh
778
低圧電力
業 務 用で50KW未 満
200Vで冷房 や エレベータ
高圧電力A
1,007
10,380百 万KWh
3,612
264
大 きな工場 で使 用、50KW
以 上 500KW未 満 6000V
大口電力
500KW 以上、主 として
大 規 模な製 造 業・鉄 道
その他の電力
多摩電灯・電力 合計
百万KWh
主 として深夜電力
%
2,000
35
1,900
30
1,800
25
1,700
20
1,600
15
1,500
10
1,400
5
1,300
0
1,200
-5
1,100
-10
-15
1,000
1993年1月
1994年1月
1995年1月
1996年1月
電灯・
電力計
1997年1月
前年同月比
うち 大 口 電 力
百 万 K W h
%
400
35
385
30
370
25
355
20
340
15
325
10
310
5
295
0
280
-5
265
-10
250
1993年 1月
-15
1 9 9 4年 1 月
1 9 9 5 年 1月
1996 年 1月
大 口 電 力
28
前 年 同 月 比
1997年 1月
経済指標
産業用電力の中でもその比重の大きい大口電力需要の約40%が機械製造業である。昨年一年間11
月に一時的に鈍化したもののおおむね前年実績を上回った。
〈友原〉
昨年の月中大口電力の前年同月比増加率 (%)
年/月
全国計
東京
多摩計
電力計
%
9
8
97/1
4.3
3.6
5.5
2
0.3
3.2
1.4
3
3.1
3.1
4.5
4
3.9
3.4
5.4
5
全国計
東京電力計
多摩計
7
多摩計
6
東京電力計
5
5.1
5.3
8.3
4
6
4.4
4.9
6.2
3
7
3.4
3.8
6.5
2
8
3.5
4.8
7.6
1
9
4.7
4.9
8.7
0
10
2.4
3.1
4.7
11
0.7
1.8
0.7
12
0.1
1.1
3.4
全国計
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
多摩計
東京電力計
全国計
12 月
資料提供は東京電力多摩支店・東洋経済「統計月報」
八王子の気象・東京の気象
東京・大手町の気象庁から西へ40Km位置する、八王子市役所の中に八王子の気象を観測する「八王子
天気相談所」がある。ここでは八王子地区の気象は降水量など気象に関する測定をしています。
よく東京の西部は都心に比べて「気温が低い」「寒い」といった声が聞かれるが、はたしてそうでしょう
か。上のグラフをご覧頂くと東京大手町と八王子の最高気温、最低気温、降水量を比較してみますと、最高
気温は年間を通じてほぼ重なり合うが最低気温でどの月においても都心より下回っていることがわかりま
〈友原〉
す。
東京と八王子の気温と降水
℃
35
mm
450
30
400
25
350
20
300
15
250
10
200
5
150
0
100
-5
50
-10
1993年 1月
1994年 1月
八王子降水量
東京降水量
1995年 1月
1996年 1月
八王子最高気温
八王子最低気温
1997年 1月
東京最高気温
0
1998年 1月
東京最低気温
資料提供は八王子天気相談所「八王子市気象月報」「東京都気象月報」
29
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編
集
後
記
「多摩けいざい」発刊にあたり、これまで貴重なデ−タとその
意味や見方についてのご教示をいただいて参りました諸機関のみ
発
なさまと、企業紹介にご快諾、ご協力を賜わりました各社社長の
みなさまに深く感謝申し上げます。おかげさまで、ささやかなも
のからですが、こうしてスタ−トすることができました。これか
らも引き続きご指導くださいますようお願い申し上げます。
この小冊子は、時に形を変えながらも、多摩の経済と経営の
発行日
行
平 成 1 0 年 4 月 号
平 成 10 年 4 月 1 日
多摩中央信用金庫
RIRE 地 域 経 済 研 究 所
活性化に少しでもお役に立つことを主眼につくりつづけて参りた
いと思っております。
ご覧くださいましたみなさまには、是非、上のFAXシ−ト
などで、ご意見、ご感想をお寄せくださいますようお願い申し上
げます。先々、この小冊子を多摩の経済と経営の活性化のために
ひとつのサロンにしてみたいとも思っております。
所長
平山恵三
立 川 市 曙 町 2 − 3 8 − 5
立 川 ビ ジ ネ ス セ ン タ − ビ ル 7 階
〔郵送先〕
〒190-8681
立 川 市 曙 町 2 − 8 − 2 8
Tel.042 − 526 − 7737
Fax.042 − 526 − 9131
E-mail
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