第3章 ダイバーシティに取り組む日本と世界の事例 - J

特集 中小企業こそダイバーシティの実践を!
第3章
ダイバーシティに取り組む
日本と世界の事例
大高 直美
ダイバーシティ研究会
東京支部
は,企業利益の源泉として競争優位獲得への
1.ダイバーシティとは
期待によるものだ。
いずれにしても今後は,より多様化する市
近年,経済のグローバル化にともない,多
場ニーズへの対応,新商品・サービス開発に
国籍化した市場ニーズへの対応,多様な属性
向けた創造的付加価値の源泉や,市場のみな
により構成される組織への対応として,日本
らず企業拠点のグローバル化への否応なしの
でもダイバーシティマネジメントへの関心が
対応として,多様化が求められることになる
生起されつつある。
であろう。また,日本国内にあっては少子高
元々,ダイバーシティ(多様化)の概念は
齢化が進み,労働生産人口が減少することか
欧米から広まったものであり,本稿では米国
ら,今後の経済成長の担い手を男性正規社員
やヨーロッパの取組み事例を紹介するが,あ
のみとすることには限界があり,多様な属性
わせて,その動機や理念などを理解すること
を求めることになろう。しかし,それらの社
も重要であると考えている。
員が定着し,能力を発揮し続けてもらうには,
同一労働同一賃金の実現や公平な昇進機会と
1
多様化により期待されるもの
いった,組織を挙げての改革が求められるこ
日本企業での多様化とは,男性正社員以外
とは言うまでもない。ひるがえって言えば,
の者,つまり女性や外国人,高齢者といった
もし日本企業において多様化を活かす取組み
人たちを取り込み,男性正社員と同様に企業
が進まなければ,日本経済は衰退の一途をた
の主要な担い手として活躍してもらうことに
どるしかないのではないか。
なる。従来,日本では職務や責任,能力とい
ダイバーシティの段階
ったものについて,たとえ男性正社員と同様
2
の潜在能力を有していても,同様のポジショ
ダイバーシティ(diversity)は「相違,多様
ンや処遇を得ることが難しい現実がある。
しかし近年,女性の活用や継続就業のため
性」と訳されるが,日本の企業でその言葉が
使用される場合,具体的な定義が明確でない
の子育て支援も充実しつつあるように感じる。
ことも多く,現状では企業内での女性の活用,
また,外国人の採用を積極的に行う企業も増
子育て支援などの場で使われることが多い。
えてきている。これらは,日本での多様化が
山口一男・シカゴ大学社会学部教授は,ダ
推進される主な要因による例と言えよう。1
イバーシティを「機会の平等」と対比し,以
つ目の女性活用は,主に法的要請のもとで行
下のように示されている。
われてきたことであり,2つ目の外国人活用
・教育,就業,参政などの機会において,主
企業診断ニュース 2
0
1
1.
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特集
に生まれにより定まる属性※1による差別の
る賃金,教育訓練面等での差別禁止(パート
禁止として目指すものが「機会の平等」
労働法)なども規定されている。
※1
ダイバーシティの範疇とされる個人の価値
性別,人種,親の地位,出生地,年齢,
観や必要性への配慮としては,ワーク・ライ
出生世代など
・個人の必要性,価値観※2への尊重と配慮の
ために,お互いの自由の尊重や助け合いの
フ・バランスを推進する育児・介護休業法や
次世代育成支援法などが該当すると言えよう。
奨励,信頼の形成,モラル・ハザード管理な
このように見ると,生来の属性への差別禁
どにより目指すものが「ダイバーシティ」
止にかかる法的整備は,それなりになされて
※2
自身 の 健 康・障 が い,家 族 の 育 児・介
いる。しかし,日本の労務慣行の中心は終身
護・病気,宗教・民族の規律尊重,ライ
雇用で,それを担う事業主に対して幅広い人
フスタイルなどにより生じるもの
事権を認めており,また採用・募集において
生まれにより定まる属性に対する機会の平
は誰を採用し,採用しないかは事業主の自由
等は,民主主義のもと,当然守られる権利で
という判例もあり,実態としては雇用の入口
あるとも言え,各国でも法的に要請されてい
段階での機会平等からして問題がないわけで
る。しかし,個人の必要性や価値観などへの
はない。
配慮=ダイバーシティは,法的要請の範疇を
超えた部分でもあり,それに対するインセン
2
ティブがなければ動かないものだ。では,何
がそのインセンティブとなるのだろうか。
日本企業の取組み
長期的に見れば,このような差別禁止規定
により,多様な属性の雇用拡大に一定の効果
はあると思われる。近年,企業内で活躍する
2.日本の状況
女性診断士も多く,それも1つの成果の現れ
と思っていたが,統計などで見ると,女性の
1
法的枠組み
活用はまだまだ一部のことのようだ。
日本の多様化は,法的要請に基づき行われ
る側面が強い。雇用の場では,主に労働法で
①
女性の活用を目指して
の規制となるが,労働基準法では,国籍や信
そのため,日本企業がダイバーシティとし
条,社会的身分を理由として賃金,労働時間
て取り組む主たるテーマは,女性の活用であ
その他の労働条件において差別的な取扱いを
る。正社員としての採用,昇進昇格管理,管
禁止している。特に女性に対しては,男性と
理職への登用での配慮や,女性が出産・育児
の賃金差別も禁止している。
で退職しないように妊娠期間中,育児期間中
賃金以外の女性差別については,男女雇用
の柔軟な勤務を可能にしたり,休業中の精神
機会均等法において,募集および採用におけ
面をフォローしたりと,復帰しやすい環境づ
る均等機会を,また配置,昇進,降格,教育
くりが行われている。昨今は,男性にも育児
訓練,福利厚生,職種および雇用形態の変更,
休業の取得促進を図ることで,女性の育児負
退職勧奨,定年および解雇,労働契約の更新
担を軽減し,また男女を問わず長時間労働の
などにおける差別的取扱いの禁止,さらには
削減対策を講じることで,家庭と仕事の両立
女性労働者の婚姻,妊娠,出産を理由とした
を目指している。
退職,解雇禁止などを規定している。
ただ,このような対策を積極的に推進して
そのほか,採用における年齢差別禁止(雇
いるのは,主にベネッセコーポレーション,
用対策法)
,障がい者の就業機会の拡大促進
花王,資生堂といった女性が多い企業や,ダ
(障害者雇用促進法)
,正規労働者と同様な
イバーシティに対する意識が高い外資系企業
業務・責任などを有する短時間労働者に対す
といったところだ。依然として,男性中心の
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1.
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第3章 ダイバーシティに取り組む日本と世界の事例
企業における少数派の女性への対応は,せい
このような光景が見られる米国では,かつ
ぜい法定の範囲内にとどまっているケースが
て黒人に対する差別が激しく,これに対して,
多い。
黒人を中心にアメリカ合衆国市民として法律
②
上平等な地位の獲得を目指した公民権運動が
ベネッセの女性活用戦略
ベネッセコーポレーションは,長年にわた
高まり,1
9
6
4年には雇用差別の禁止を規定し
るダイバーシティの取組みによる女性活用が
た公民権法第7編が制定された。米国には黒
企業の強みとなり,成功している企業だ。同
人のみならず,移民の国としてさまざまな人
社は,1
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5
5年に岡山で創業。業績は順調に伸
種がおり,人権に対する感度は相当高い。
びたものの,岡山では人材が確保できず,
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7
2年頃から4年生大卒女子を募集したとこ
1
米国の法の枠組み
ろ,優秀な女性が集まり,顧客からの評価も
公民権法では,使用者に対して人種,皮膚
高かった。そこで同社は,さらに均等処遇,
の色,宗教,性または出身国によって雇用し
実力主義を打ち出し,労働市場から注目され
なかったり,解雇したりすること,また雇用
なかった4年生大卒女性を活用し,事業の成
において報酬,条件,権利について個人的な
長を図った。
差別,妊娠,出産を理由とする差別,セクシ
しかし,出産を機に多くの中堅女性が退職
ャルハラスメントなどを禁止している。また,
したため,会社にとって大きな損失となった。
宗教上の信仰や入信に対しては差別の禁止だ
そこで,出産後の女性の定着策として1
9
8
6年
けでなく,使用者は従業員の宗教上の戒律・
には出産後の再雇用制度ができ,その後の制
慣行に対して合理的便宜をしなければならな
度改正を経て,子どもが1歳となった3月ま
いとしている。そのほか,公民権法以外にも,
での本人の希望日に,休職前の職場に復帰で
雇用における年齢差別禁止法,障がいを持つ
きる制度となった現在,制度利用者の8
0%が
人に対するアメリカ人法などがある。
復帰するまでとなった。管理職も3
0%が女性
昨今,日本企業の米国法人が女性に対して
となり,社員自らが育児をした経験を活かし
昇進や給与面で組織的な性差別をしていると
た商品やサービスの開発・提供は,他企業に
して,同社に勤務していた女性が会社を相手
ない強みとなっている。
どり,1億ドル(約8
2億円)の賠償を求める
訴えをニューヨーク連邦地裁に起こした。こ
3.米国の取組み
の例を見ても,1億ドルという日本では考え
られない賠償額での争いとなる。訴えられな
2
0年ほど前にニューヨークを訪れた際,あ
るホテルの周りを1
0
0人ほどの警察官が取り
いための職場環境づくりや待遇は,企業の法
的リスク管理として大きな課題となっている。
囲んでいた。賓客のための警備であった。私
はその警察官の中に,数人の女性を見つけた。
2
ダイバーシティに取り組む理由
彼女たちは男性と同じ制服で,男性と同じ仕
1
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0年代以降,米国がダイバーシティに取
事をしている。こんな単純な光景に,私は衝
り組んだ大きなきっかけは,将来の人口構成
撃を受けた。日本ではすでに均等法も施行さ
が変わることに対する危機感からであった。
れていたが,婦人警官はスカートをはき,体
日本の男性正社員構造と同様に,米国では白
力やリスクの面で男性よりも負荷の低い仕事
人男性が企業における主要ポストを占めてい
を担当しているというイメージがあったから
る。ところが,米国の国勢調査に基づくと,
だ。それが,米国ではまったく同じ仕事をし
1
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8
0年代に人口の7
9.
9%を占める白人が2
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0
ていることに衝撃を受け,これが本当の 男 女
年代には5
0%を切るという予測が出されたの
平等ということかと実感した。
だ。これは,白人男性中心のマネジメントが
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1.
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特集
成り立たなくなることを示しており,経営側
のように先進的な地であるヨーロッパでのあ
には大きなショックとなった。このことが,
り方も,日本にとっては参考になるだろう。
多様な人材を採用・活用するダイバーシティ
マネジメントの推進につながっていく。
1
ヨーロッパの法的枠組み
2
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0
0年に公布された EU(欧州連合)の市
①
競争優位の獲得が一番の目的
民や域内住民の政治的,社会的,経済的権利
そのようなことから,米国のダイバーシテ
を法的に定めた EU 基本権憲章も,法的枠組
ィの一番の目的は,法令遵守や企業の社会的
みの1つである。ここには性別,人種,皮膚
責任といったものではなく,競争優位のため
の色,民族的または社会的出身,遺伝的特徴,
の多様な人材の採用と有効活用となり,それ
言語,宗教または信条,政治的またはその他
について組織全体で取り組むこととなる。
のいかなる意見,少数民族への帰属,財産,
また,多様化を広くとらえ,法的な差別禁
止項目以外に,性的嗜好,婚姻の状況,出身
出生,障がい,年齢,性的志向など,いかな
る根拠に基づくいかなる差別も禁止している。
地域,経済的地位,合併法人出身か被合併法
人出身かなどまで,極端に言えばすべての違
いを対象としている企業もあるほどだ。
2
スウェーデンにおける女性解放
EU に加盟するスウェーデン。近年,日本
世界中から優れた人材を採用する P&G
では,社会保障制度の面からスウェーデンモ
世界最大手の一般消費財メーカー・米国
デルが注目されているが,雇用の場において
②
P&G。その日本法人である日本 P&G でも,
ダイバーシティマネジメントには積極的に取
も独自の理念を持った取組みが行われている。
『スウェーデンはなぜ強いのか』(北岡孝義,
り組んでいる。多くの在日米国企業では,採
2
0
1
0)によると,第2次世界大戦に参戦して
用のほとんどが日本人である。しかし同社は,
いないスウェーデンは,戦後のヨーロッパ各
外国人も多く採用している。同社ホームペー
国の復興需要の受け皿となり,高度成長を経
ジによると,社員のうち1
2%が2
3の国籍から
験。それを支える労働力として,女性が期待
なる外国人であり,主な内訳は韓国2
0%,フ
された。そこで政府は,女性の就業を促進さ
ィリピン2
5%,インド1
4%,中国1
3%,タイ
せるために保育園や託児所の整備を行うとと
7%,その他2
1%となっている。
もに,女性の家庭からの解放を叫んだ。これ
P&G グループは,社員の多様性がもたら
により,既婚女性の就業率は1
9
5
0年に1
3.
7%
す異質な視点とその有効活用が,顧客満足に
であったものが,1
9
7
0年には4
7.
8%と急上昇
必要となる革新や創造性を高めることにつな
した。
がると確信している。特に,世界1
6
0ヵ国で
しかしこの結果,伝統的な家族は崩壊。同
製品販売を行う P&G にとっては,各国の多
棲,母子家庭,父子家庭,片親の異なる兄
様な消費者ニーズや文化を理解することが必
弟・姉妹は一般的となり,このような環境で
要不可欠で,世界中からの優れた人材の採用
育った子どもたちは個性が強く,精神的に自
と社員の最大限の能力発揮が強みとなる。
立心の強い大人となり,それがスウェーデン
の国民性となっていった。
4.ヨーロッパの取組み
3
ヨーロッパは産業革命が始まった地であり,
企業戦略のベースは多様な顧客
日本でも名の知れたスウェーデン企業とし
農業社会から工業社会,封建社会から市場社
ては,家具・生活雑貨製造販売の IKEA,フ
会へと他の地域に先駆けて転換し,それによ
ァストファッションの H&M が挙げられる。
るさまざまな歪みや弊害も経験してきた。こ
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IKEA は現在,関東に3店舗,関西に2店
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1.
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第3章 ダイバーシティに取り組む日本と世界の事例
舗を展開。同社は1
9
7
4年に初めて日本に進出
の取組み状況やその理念は違う。共通するの
したが,1
9
8
4年に1度撤退し,2
0
0
6年に再進
は,まず属性による差別の禁止(機会の均
出した。
「より快適な毎日を,より多くの方々
等)を目指し,それを深化させ,対象を広げ
に」をビジョンに,優れたデザインと機能性
る。次に,個人の価値観やライフスタイルに
を兼ね備えた家庭用品全般を幅広くとりそろ
よる必要性への配慮という段階となる。それ
え,より多くの人々に購入してもらえるよう,
でも,どの国にも差別は根強く残り,それに
できるかぎり手頃な価格で提供している。つ
対する努力は続けられる。ただし,企業が取
まり,顧客をダイバーシティ(多様)とみな
り組むということは,メリットがあるからで
した戦略を実行しているのだ。
あり,他社に対する競争優位確立への手段と
そのため,広大な店舗にさまざまな商品が
しての期待があってこそである。
並び,それらはバラエティに富み,価格は低
もう1つ,私は1
9
9
3年に欧州委員会が公表
価格から中価格で,金持ちだけが買える商品
した「ヨーロッパ社会政策グリーンペーパ
はない。廉価でデザイン性に富む魅力的な商
ー:EU の選択―ヨーロッパにとっての社会
品は,すべてが選択肢となりうるのではとい
的挑戦」にある次のメッセージが心に引っか
う安心からか,ワクワク感とともに居心地の
かる。
よささえ感じる。ダイバーシティの実現は,
人に安らぎを与えるものなのであろうか。
「貧困は昔からある現象であるが,ここ1
5
年間,社会的疎外という構造的問題が注目さ
同社の低価格の実現は,顧客自身が商品を
れている。問題は単に社会の上層と下層の不
カートに載せてレジに進み,自ら持ち帰り,
均衡にあるのではなく,社会の中にいるべき
自ら組み立てるという仕組みにもある。もち
場所のある者と社会からのけ者にされてしま
ろん,追加の支払いで,この工程を依頼する
った者との間にある。社会的疎外は単に所得
ことも可能だ。これも,自立心や個性の強い
が不十分だということだけではない。分断さ
スウェーデン人を顧客としているからこその
れた社会という危険を示唆しているのである。
発想だ。日本では一般的な,店員にアドバイ
社会政策は人々が社会の中にいるべき場所を
スを受け,商品は配送後,作業員が組み立て
見つけることを助けるという野心的な目的を
て配置してくれるというものとは大きく違う。
追求しなければならない。その主たるルート
そのようなことから,1
9
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4∼1
9
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4年の出店は,
が報酬を得る仕事である(『EU 社会政策思
日本人に受け入れられずに撤退したのだ。当
想の転換』濱口桂一郎)
」
。
時の日本は,強い経済を謳歌していた。お金
日本でも,格差社会と言われて久しい。す
よりも,時間を買うほうがありがたかったの
べての人に雇用の場での居場所を提供し,社
だろう。それから3
0年,日本人のライフスタ
会の安定に資するのも,ダイバーシティマネ
イルのセンスは向上したが,可処分所得は減
ジメントの重要な役割ではないだろうか。
った。IKEA はそんな日本で,私たちに快適
な生活を提案してくれている。
H&M も,1人ひとりの個性を尊重し,バ
ラエティに富んだファッションを低価格で提
供している。同社もまさに,スウェーデン国
民の理念を体現した企業と言えよう。
5.まとめ
このように,国によってダイバーシティへ
大高 直美
(おおたか
なおみ)
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9
7年中小企業診断士登録。大手建設会
社,ビジネス系専門学校勤務を経て,
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1年 TIM Consulting を 設 立。退 職
給付コンサルティングをはじめ,人事分
野を中心にコンサルティング,研修,執
筆等を幅広く行う。商工会議所年金教育
センター主任研究員, 財 生涯学習開発財団認定コーチ。
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